(12)人間観の歴史とは人間としての価値を認められる存在が拡大する過程である
本稿は教育実習生に向けて、人間観(人間に対する見方・考え方)が歴史的にどのように変化していったのかを説こうとするものです。ここでこれまでの流れを振り返ってみましょう。
まず人間観の出発点は、自分は他の動物とは違った存在であるという自覚が芽生えたことだとして、そのような自覚がどのようにして生まれたのかを見てきました。サルの集団はボスザルを中心として束ねられています。サルたちは本能に基づいてボスザルの指示に従うようになっているのでした。つまり自分よりも強いもの(ボスザル)には従うということはあらかじめプログラムとして組み込まれているし、またそのボスザルの出す合図がどういう意味であり、どういう行動をすべきなのかということももともとわかっているということでした。ところが、こうしたサルの集団の中で、徐々に徐々に本能が薄らいでいくサル(子ザル)が出てきます。こうしたサル(ヒト的サル)の数が増え、純粋なサル集団とは質的に異なった集団へと変化していきました。そのヒト的サルの集団が純粋なサルの集団と対峙する中で、自分たちとの違いを感じるとともに、自分たちはあいつらとは違うということが自覚されるようになっていったのでした。サルの集団との戦いに勝った人間の集団は、その生活範囲が次第次第に広くなっていき、他の人間の集団との争いを行うようになりました。争いは当初は偶然に行われていましたが、相手を滅ぼせば食料を確保できるということから、人々はやがて意図的に争いをしかけるようになりました。こうして戦争があちこちで行われていたのが原始社会の時代でした。争いに勝った人々は、当初は負けた人々を皆殺しにしていましたが、その後、徐々に奴隷として働かせるようになりました。古代ギリシャやローマでは、奴隷は自分で労働するモノとして扱われていました。生物としては同じ人間でありながら、人間としての価値は認められていなかったのです。このように社会的な条件によっては人間として認めないという人間観が生まれてきたのでした。中世ヨーロッパ社会においても、階層的な身分秩序が成立しており、その社会的な身分によって人間としての価値に差はあるものだと考えられていました。同じ人間であっても社会的な階級が違えば違う存在だと考えられていたのです。「王であろうと、僧侶であろうと、農奴であろうと同じ人間だ」というような考え方は全くなかったのでした。
このような中世までの人間観は近代に入ると大きく変化することになります。経済的な発展の中でカトリック教会の権威が弱まり、腐敗が進んでいく中で、中世の階層的な身分秩序を正当化していたカトリック教会の教えを批判する動きが出てきました。教会の教えに従うだけではなく、聖書に基づいて自分のアタマで判断して生きていくべきだという考え方が芽生えてきたのです。これを明確な形で打ち出したのが宗教改革で有名なルターでした。神からすれば、人間の階級などちっぽけなものであり、人間と人間の間に差などないと主張したのでした。このルターの考えを受け継いだコメニウスは、神は個人個人に対して平等であるから、我々もある人間に対しては教育を行い、ある人間に対しては教育を行わないということは人間に対する侮蔑であり、神の冒涜だと考えたのでした。教育の対象となる人間というのは性別や素質の有無を問わずすべての人間であり、いかに素質がなかろうと教育すれば改善するのだと主張したのでした。しかし、コメニウスは、あくまでも神という絶対的な存在を想定することによって、人間の平等を主張していました。そうではなく、現実の人間の在り方に基づいて、人間の平等を説いたのがルソーでした。ルソーが生きた18世紀のフランス社会は第一身分の僧侶、第二身分の貴族、第三身分の平民という3つの身分で構成されていましたが、経済的な発展の中で、それぞれの身分の中にも貧富の差が入り交じるようになりました。第三身分にも経済的に豊かになる人々が出てくる一方、僧侶や貴族の中にも没落する人々が出てくるようになりました。こうして社会的な身分による区別は絶対的なものではないことが自覚されてきたのでした。そこでルソーは、現在みられるような不平等はあくまでも人間がつくりだしたものにすぎないのであって、もともと人間は人間として平等なのだと主張し、その人間とはどのような存在なのかを考察したのでした。そのルソーの主張は、人間というのは自己を改善する能力をもった存在であり、それは人間の一般性であるからこそ、すべての人間に教育の可能性が存在しているし、その教育によって人間の本質である自らの意志に基づいた行動ができるようにすること(=自由の獲得)が必要だと解釈することのできるものだったのでした。このルソーの影響を強く受けた人物がペスタロッチでした。『隠者の夕暮』『リーンハルトとゲルトルート』において教育によって国家を改造すべきだと主張し、文筆家、教育者として非常に有名になっていたペスタロッチは、戦争による孤児や浮浪児を預かる孤児院の院長となり、50人の子どもを相手に一人で教育を行ったのでした。そこには歩けない子、衰弱して骸骨のようにやせている子、愛情がなく邪推深い子、詐欺を常習とする子などもいましたが、ペスタロッチは1人でその子達と生活を共にし、必死で関わる中で、子どもたちを変容させていったのでした。ここにおいて、すべての人間に可能性があることが事実として示されたのでした。
こうした人間観を土台として、産業革命を迎えた各国は次第に近代的な公教育制度を創りあげていくこととなります。産業革命を迎えた欧米諸国では、資本家たちが利益を上げるために、子どもたちを長時間働かせ続けたのでした。その扱いはまさに古代の奴隷なみのものであり、まともな人間として考えられていなかったことを裏づけるものでした。しかし、「人間は平等である」「人間は自由である」「すべての人間に可能性がある」などの考えに基づいて、日曜学校や慈善学校といった取り組みが行われ、またロバート・オウエンが少年労働者に学校を作るなど、民間の動きが活発になる中で、次第に公的に教育制度が整えられていったのでした。このように、少年労働者の問題を解決しようとする動きの中で義務就学・無償制などを原則とする近代的な公教育制度が整えられていったのでした。しかし、子ども全員の就学が行われるようになると、集団の中でうまくかかわっていけない、あるいは授業についていけない子どもが出てくるようになりました。そうした子どもたちの事例が数多く集められて分析される中で、肉体的・精神的な問題があることが自覚され、20世紀前後から障害のある子どもというものがクローズアップされるようになっていきました。いかにして新たな障害児(障害者)が生まれないようにし、社会から根絶するかということが議論され、社会的に価値がないと判断された人々については断種することが合法化されました。アメリカのインディアナ州で初めて合法化され、それを受けてドイツのナチス政権も断種法を制定したのでした。ナチス政権ではさらに、肉体的・精神的に不適格だと判断された人々を強制的に安楽死させる政策をとるようになりました(T4作戦)。このように労働によって経済的に社会を支えることができない存在は、人間として認められず、その生存すら許されない状況だったのでした。しかし、次第に障害児(障害者)を救おうとする動きが現れてきます。その1つとして近江学園を創設した糸賀一雄を紹介しました。敗戦を迎えた日本では、戦災で親を失った子どもたちが徘徊するようになりました。生活が苦しくなった家からも子どもは放り出されて、浮浪児の群れに入り、反社会的な人間として育てられていったのでした。その中には知的に障害のある子どもも含まれていました。そこで生活困窮児と障害児を教育する場として近江学園を創設したのでした。障害者にも手を差し伸べる福祉国家であってこそ日本の再建は可能だと考えたのでした。そして、「四六時中勤務」「耐乏の生活」「不断の研究」という「近江学園三条件」を職員に掲げて実践に取り組んだ結果、学園内の生活困窮児と障害児が心から交流できる事実を創ることができたのでした。糸賀は障害児にも焦点を当て、障害児こそ世の光になってほしいという思いを抱いていたのでした。
以上、これまでの流れを振り返ってみました。人間観の歴史を概観するならば「すべての人間に価値があり、可能性がある」ということが自覚されていなかった段階から、「すべての人間に価値があり、可能性がある」ということが自覚されるようになる段階へと変化したということがわかるでしょう。人間観の歴史とは人間としての価値を認められる存在が拡大する過程なのです。当初は一部の教育者・教育学者の中に生まれたこの人間観の革新が、社会的な認識へと広まっていきました。それが近代の学校制度や障害児教育などの形で現実の教育のあり方へと反映していったのです。そして、こうした人間観の歴史の大きな原動力となったのは、目の前の子どもの価値が認められていない現状を憂い、その子の可能性を信じたコメニウス、ペスタロッチ、糸賀一雄などの先達たちの、文字通り懸命な努力だったのです。
2017年11月30日
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・現代の言語道具説批判2――言語道具説とは何か
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・道徳教育の観点から見る中世の教育と教育思想
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・アダム・スミスは『修辞学・文学講義』で何を論じたか
・全てを強烈な目的意識に収斂させる――一会員による『医学教育概論の実践』の感想
・2014年10月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第44〜45章
・精神障害の弁証法的分類へ向けた試み
・シュリーマン『古代への情熱』から何を学ぶか
・2014年11月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第46章
・一年間の育児を振り返る
・近代ドイツにおける教育学の流れを概観する
・2014年12月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』のまとめ
・年頭言:弁証法・認識論を武器に学問の新たな段階を切り開く
・「戦後70年」を迎える日本をどうみるか
・哲学の歴史の流れを概観する
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・アダム・スミスは古代ギリシャ哲学史から何を学んだのか
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・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
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・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
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・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
・本来の科学的な教育とは何か
・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
・システムズアプローチを弁証法から説く
・一会員による『学城』第14号の感想
・ルソー『学問芸術論』を読む
・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
・斉藤喜博から何を学ぶべきか
・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
・小中一貫教育を問う
・ヘーゲル『哲学史』を読む
・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
・文法家列伝:宮下眞二編
・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
・マルクス思想の原点を問う
・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
・教育の政治的中立性を問う
・日本経済の歴史を概観する
・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
・一会員による『学城』第15号の感想
・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
・現代日本の政治家の“失言”を問う
・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
・障害児の子育ての1年間を振り返る
・新しい国家資格・公認心理師を問う
・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
・徒然なるままに――40歳を迎えて
・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
・教育実習生に説く人間観の歴史
・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言

