(1)現代日本の政治家の言語が崩壊している
(2)政治家の発言を具体的に分析してみると・・・
(3)現代日本の政治家の言語の問題は、日本社会全体の危機を表している
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(1)現代日本の政治家の言語が崩壊している
現代日本の政治情況を見るとき、法案や政策の内容以上に注目を集めているのは、政治家のいわゆる“失言”であるといえる。もちろん、共謀罪の趣旨を盛り込んだ改正組織犯罪処罰法が言論の自由を脅かし監視社会を招く恐れがあることや、その成立過程における政府与党の強硬姿勢(強行採決)に多くの問題があること、また、いわゆる「残業代ゼロ」法案(労働基準法改定案)が過労死を助長し給料が削減される可能性を秘めていることなど、政治の中身自体が大きく問われていることは論を俟たない。しかし、それにも増して批判の的となっているのは、「全国民を代表する」(日本国憲法第43条)はずの国会議員の(それも多くの場合は閣僚の)問題発言である。
今年に入ってからだけでも、様々な“失言”が飛び出している。これで日本は本当に大丈夫かと思いたくなるような情況である。それらを具体的に見てみよう。
まずは東日本大震災についての発言である。今村雅弘復興大臣(当時)は、自民党の派閥のパーティーで、東日本大震災の被害に関し「まだ東北で、あっちの方だったから良かった」と発言し、その後、記者団に対して「すみません、これはですね、東北でもあんなにひどい25兆円も毀損するような災害があったと。ましてやこれが首都圏に近い方だったら、もっととんでもない災害になっているだろうという意味で言いました」などと語った。
次に、公務員の政治的中立性に関わる問題である。稲田朋美防衛大臣(当時)は、東京都議選の応援演説の中で「防衛省、自衛隊、防衛大臣、自民党としてもお願いしたい」という趣旨の発言をし、その後、記者団から発言の真意を問われ、「(陸上自衛隊)練馬駐屯地も近いし、防衛省・自衛隊の活動にあたっては地元に理解、支援をいただいていることに感謝しているということを言った」と述べた。
第3に、行政文書のあり方に関わってである。松野博一文部科学大臣(当時)は、「加計学園」の獣医学部新設をめぐり、「総理のご意向」「官邸の最高レベルが言っている」などと内閣府が文部科学省に早期開学を促したとされる文書の存在に関する問題について、「文書の存在は確認できなかった」とする調査結果を発表した。その後、「文部科学省と内閣府との打ち合わせは確認できない」とする答弁書を閣議決定し、義家弘介文部科学副大臣(当時)は、当初の調査では共有ファイル・共有フォルダしか調べていないが、個人のファイル・フォルダにも行政文書が含まれる可能性はあると指摘されたことに対して、「副大臣が確認していない文書がどうして行政文書になるのか」と発言した(この問題に関しては結局、世論に押されての再調査の結果、同じ内容か極めて似た文書が見つかったと文部科学省から発表された)。
まだある。以上の発言は、公の場でなされたもので、発言者は勿論そのことを理解しながら発言している。だから、我を忘れたかの如く剥き出しの感情が現われている、というようなことはない。しかし、プライベートの空間では、そうとも言い切れないのである。具体的には、豊田真由子代議士による政策秘書(当時)への暴言(及び暴力)である。これは、政策秘書が運転中の車の中での豊田の発言を、秘かに録音しておいたものなどで、耳を覆いたくなるレベルである。「この、ハゲー!」、「あたしが違うって言ったら違うんだよ!」、「豊田真由子様に向かって、お前のやってることは違うと、言うわけ? あたしに?」、「これ以上私の評判を下げるな!」と言いたい放題である。最も劣悪なものは、引用するのも憚られるが、論の展開上、お示しするほかない。
そんなつもりじゃなくても~~~♫(♫という記号はミュージカル調に歌っていることを示している)
お前の~~~♫
娘を轢き殺してそんなつもりはなかったんです~~~♫
って言われているのと同じ~~~♫
あーそうじゃしょがありません
そんなつもりなかったんじゃしょうがありませんね?~~~♫
(元政策秘書)の娘が顔がグシャグシャになって
頭がグシャグシャ 脳みそ飛び出て車に轢き殺されても
そんなつもりはなかったんです~~~♫
で済むと思っているなら同じ事を言い続けろ~~~♫
どうだろうか。皆さんはこれらの発言についてどう考えるだろうか。稲田発言や豊田発言は論外としても、例えば、今村発言についてはどうだろう。この発言は、「もし首都圏の近くで同じ規模の震災が起きたら、もっと大きな影響が出ただろう、ということを述べたにすぎず、問題視するほどの発言ではない」という見解もあるだろう。松野の調査結果報告についても、「調査範囲には当該文書が見当たらなかったという事実を述べているもので、これのどこが問題なのか」と思われるかもしれない。しかしこれらも大きな問題を含んでいるのである。
詳細は次回以降に譲るが、端的にいえば、これらの発言が問題だというのは、言語とは何かという根本的な規定から導き出される結論なのである。簡単に説けば、言語は認識の表現であるから、こうした発言は言語としてのみ考えてはならず、その言語の基となった認識をも合わせて考えていくべき問題なのである。
そこで本稿では、こうした政治家の発言を言語とは何かを媒介とすることを通じて具体的に分析し、こうした政治家の発言は何が問題なのか、丁寧に説いていくこととしたい。

