<目次>
(1)報告者レジュメおよびそれに対しての他メンバーからのコメント
(2)ヘーゲル『哲学史』要約�@ 総論
(3)ヘーゲル『哲学史』要約�A ギリシャ哲学第1期
(4)ヘーゲル『哲学史』要約�B ギリシャ哲学第2期、第3期、中世の哲学
(5)ヘーゲル『哲学史』要約�C 近代の哲学
(6)改めての要約と論点の提示
(7)論点1 ヘーゲルの哲学史とはどのようなものか
(8)論点2 生命の歴史とはどのようなものか
(9)論点3 唯物論の立場から哲学史を説く目的と方法とは何か。
(10)参加者の感想の紹介
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(1)報告者レジュメおよびそれに対しての他メンバーからのコメント
我々京都弁証法認識論研究会は、昨年および今年の2年間を費やして、ヘーゲル『哲学史』の学びに取り組んでいます。3年前のヘーゲル『歴史哲学』、一昨年のシュヴェーグラー『西洋哲学史』の学びを踏まえて、この『哲学史』を通読することにより、ヘーゲルが描く哲学史の流れを理解することはもちろんのこと、それを唯物論的に捉え返すことで唯物論哲学の創出に向けた一歩を確実に進めていくことを課題としています。
12月例会では、これまで読んできた『哲学史』全体を振り返りました。今回の例会報告では、まず例会で報告されたレジュメを紹介したあと、扱った範囲の要約を4回に分けて掲載し、ついで、参加者から提起された論点について、どのように議論をしてどのような(一応の)結論に到達したのかを紹介していきます。最後に、この例会を受けての参加者の感想を紹介します。
今回はまず、報告担当者から提示されたレジュメ、およびそのレジュメに対してなされた他メンバーからのコメントを紹介することにしましょう。
ヘーゲル『哲学史』全体のまとめ
【1】ヘーゲルの説く哲学史とは
ヘーゲルによれば、世界の全ての事物・事象は絶対精神のそれなりの現れだということになり、当然、哲学の歴史に関しても、絶対精神が自己を展開していく過程の一部として、筋を通して把握されるべきものだということになる。
もう少し具体的にいえば、一度自然に外化した絶対精神は、古代ギリシャにおいて自然から分離し、再び精神的な存在となったのである。この精神に復帰した絶対精神は、対象的世界のあり方を眺めつつ、その中に世界の本質(原理)を見出そうとした(パルメニデスの存在)。しかし、世界の本質(原理)というものは、感性的で物質的に把握できるものではないということがそれとなく分かってきて、物質的な世界の背後に潜む何かが想定されたのである(プラトンの普遍者)。さらにその何かは、物質的なあり方との統一として把握された(アリストテレスの概念)。
このころまでは、世界の本質(原理)は物質的なものではない何かというくらいの把握であったが、それが人間自らの主観としての概念、表象レベルで対象を把握した概念として徐々に把握されてきた(ストア学派、エピクロス学派、懐疑派の主観)。さらに、その主観としての概念以外に実在などというものは存在しないのだという形で世界の本質(原理)が把握されるようになっていった(新プラトン学派の具体的理念)。
ここまでは、世界の本質(原理)が明確に自分自身を知る理念だというようには捉えられていないのだが、近代になると、世界の本質(原理)を自分自身を思惟する自己意識として認識するようになっていく(デカルトの純粋思惟)。そうして、思惟と存在とが対立させられるとともに同一のものだという把握が試みられるようになっていき(スピノザの神)、思惟の主観性が止揚されていく(ライプニッツの表象する単子)。
次に、自己意識が他者に対する否定的関係においても対自的である(カントの思惟の批判)として、世界の本質(原理)が自我として表明される(フィヒテの自我)。さらに実体が自己内において認識と同一であるという把握がなされ(シェリングの知的直観)、最終的には世界の本質(原理)が絶対精神であるというヘーゲルの把握に至るのである。
【2】生命の歴史とは
生命の歴史とは、端的にいえば、地球環境から相対的に独立した代謝という運動が、あたかも自由を目指して発展していくかのように展開していく過程であるといえる。唯物論的にいえば、地球環境とそこから分離した生命との相互浸透の発展過程の論理を説いたものが生命の歴史ということになる。具体的には以下である。
まず、代謝運動が明確に地球環境から区別される(細胞膜の誕生)ことによって、地球環境の変化に影響されながらも影響を受けない(自己を維持できる)という構造が創られる(単細胞段階)。次に、自らが生みだした水に流されないとともに逆らわないという運動(固着)が発展していく(カイメン段階)。この運動をさらに全身運動にまで発展させることで、より量を増した水中での浮遊運動が可能となっていく(クラゲ段階)。さらに、水量の増加が海流と呼べるほどのものを創出したことに対応し、激流の中を泳ぎ切ることが可能な運動器官(柔軟性と硬質性との統一)、それらに適切に栄養を与えることができる代謝器官、さらに両者を統一して生命体を維持する統括器官が分化していく(魚類段階)。
生命は、この段階までに水中での完成形態となるのであるが、さらに増していった水量によって地球表面が覆いつくされていくと、内にこもった熱を発散させるべく、地震や火山の爆発が頻発し、海であったところが陸となり、陸が海となるなどする中で、生命が陸上に進出していくことになっていくのである。
水中での自由自在な動きを陸上にも適用すべく、必死で訓練する時期(両生類段階)を経て、陸上での自由自在な運動形態を勝ち得るようになっていく(哺乳類段階)。さらに、燃え盛る大地を必死で逃げ回る中で、動物と共に上陸していた草本レベルの植物に登っては落ち、登っては落ちし続けることで、植物が木本レベルの大樹に発展していくとともに、動物も樹に自由自在に上り下りできる運動器官、代謝器官、統括器官を創っていくことになる(哺乳類段階中のサルの段階)。
さらに樹上での生活が生命のエサ(食)を変化させ、統括器官たる脳細胞をいわば内から揺さぶっていくとともに、自身の乗っている枝も対象も揺れていることによる脳細胞への物理的な揺さぶりが加わることで、感覚器官による全き反映像ではない、いわゆるもどき像が形成されていくことになり、ここを大本として、やがては目的像を意図的に描いて地球環境へ働きかけること(労働)によって自らの自由を獲得できる段階に到達したのである(哺乳類中の人間の段階)。
【3】唯物論の立場から説く哲学史とは
ヘーゲルの説く哲学史を概観し、そこに生命の歴史の流れを重ねてみると、生命の歴史において決定的な役割を果たした地球環境に当たるものが、ヘーゲルの哲学史では何なのか、ハッキリしないことがまず指摘されよう。生命は地球環境とつながりながら、地球環境の変化に対応すべく、自らを変化させていくとともに、そのことによってまた地球環境を変化させていくという相互浸透の過程において発展してきたのである。しかしヘーゲルの説く哲学史においては、もともとあるとされる絶対精神が自ら完成していく過程が描かれているのみで、発展の契機に触れられていない。そもそも絶対精神は、一度自然に外化し、再び精神に復帰することで、全てが自分自身だという把握を深めていって完成する、そういうものだ! とされているからである。唯物論の立場に立てば、確かに哲学史は人間の精神の発展史であることは間違いなのだが、その精神なるものが如何なる自然的・社会的外界を反映することによって発展していったのかという相互浸透の過程を見逃すわけにはいかないだろう。生命と地球環境との相互浸透が生命の歴史を形作っていったように、人間の精神と自然的・社会的外界との相互浸透が哲学の歴史を創っていったのだという観点が、唯物論の立場から哲学史を説く場合には必須になってくる。簡単にいえば、人類はいかなる問題にぶつかり、それを如何に解決しようとしてきたのかという流れを押さえておく必要があるのである。
とはいえ、ヘーゲルが観念論の立場から説いた哲学史が、唯物論の立場から説く哲学史にとって何の関係もない、何の意味もないものかというと、そうでは決してないだろう。ヘーゲルの哲学史が、哲学の発展の必然性を完全に説き切れたとはいえないにしても、世界の全ての事物・事象に一定の筋を通すべく、絶対精神の自己運動という形で哲学史を説いたことは、観念論の立場からすれば哲学の完成まであと一歩と評価することができるものである。問題は、我々が唯物論の立場から、観念的な自己分裂としてヘーゲル哲学史を捉えておいて、そこから現実の自己に復帰することが必要だということである。精神の論理に反映された物質の論理を捉え返す必要があるといえるかもしれないし、より比喩的にいえば、魚類が水中で獲得した実力を人間が陸上という別世界で完成させて自由を獲得したように、ヘーゲルが観念論の世界で獲得した実力を、我々が唯物論の世界で完成させ、学問による真の自由を実現していく必要があるともいえるかもしれない。
このレジュメに対して、大筋ではよいものの、細かい部分を見ていくとひっかかる表現があるということで、2点指摘がなされました。
1つは、「地球環境の変化に影響されながらも影響を受けない(自己を維持できる)という構造が創られる(単細胞段階)」という部分に関わってです。影響されながらも影響を受けないとあるが、影響は受けるのではないか。そもそも『いのちの歴史の物語』では、こうした表現は使われていなかったのではないか、ということでした。そこで確認してみると、「地球そのものと区切られるとともに、それでも地球とつながって」(p.96)という表現が使われていました。影響を受けた結果、このような構造ができたと捉えた方が正確であろうし、また『いのちの歴史の物語』でこの表現が使われている以上、現時点ではそれをなぞる方がよいのではないかということでした。
もう1つは、「草本レベルの植物に登っては落ち、登っては落ちし続けることで、植物が木本レベルの大樹に発展していくとともに、動物も樹に自由自在に上り下りできる運動器官、代謝器官、統括器官を創っていくことになる(哺乳類段階中のサルの段階)」という部分で、「登っては落ち、登っては落ち」という表現がひっかかるということでした。これだと、登ってスッテンコロリンと落ちるイメージが描かれるのだが、そうではないのではないかということでした。実際に、『いのちの歴史の物語』で確認してみると、「むりやり登りかけては降り、登りかけては降りする過程」(p.196)と書かれていました。これだと登ろうとしたけど登れなかったというイメージも含まれるが、「登っては落ち、登っては落ち」ではそういうイメージが抜け落ちてしまうのではないかということでした。
もちろんレジュメの表現が絶対的に間違っているというわけではないものの、自分の描いているイメージを相手に正確に伝えるためにはどういう言語表現がいいのかという観点で言えば、『いのちの歴史の物語』で使われているものをそのまま使う方がよいのではないかということでした。これについてはレジュメ報告者も納得しました。
2016年12月22日
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<講義一覧>
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・初学者に説く経済学の歴史の物語
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・『秘密諜報員ベートーヴェン』から何を学ぶか
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・2010年7月例会報告
・弁証法から説く消費税増税不可避論の誤り
・佐村河内守『交響曲第一番』
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・2010年8月例会報告
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・われわれはどのように論文を書いているか
・三浦つとむ生誕100年に寄せて
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・新人教師に説く「子ども同士のトラブルにどう対応するか」
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・新人教師に説く学級経営の意義と方法
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・学びにおける目的意識の重要性
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・2011年5・6月例会報告:南郷継正「武道哲学講義〔�X〕」読書会
・心理療法における外在化の意義を問う
・佐村河内守:交響曲第1番「HIROSHIMA」CD発売
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・2011年7月例会報告:近藤成美「マルクス『国家論』の原点を問う」読書会
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・2012年6月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第8章
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・2012年10月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第11章
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・2012年11月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第12章前半
・2012年12月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第12章後半
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・年頭言:混迷の時代が求める学問の確立をめざして
・科学はどのように発展してきたのか
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・一会員による『綜合看護』2012年4号の感想
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・歴史観の歴史を問う
・2013年2月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』をどのように読んでいくべきか
・『三浦つとむ意志論集』を読む
・言語学の構築に向けてどのように研究を進めるのか
・一会員による『綜合看護』2013年1号の感想
・改訂版・新大学生に説く「大学で何をどう学ぶか」
・2013年3月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』序論(前半)を読む
・3年目教師としての1年間を実践記録で振り返る
・2013年4月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』序論(後半)を読む
・新自由主義における「自由」を問う
・2013年5月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第一部 東洋の世界(前半)を読む
・三浦つとむ「マルクス・レーニン主義に関する本質的な質問」から学ぶ
・言語は歴史的にどのように創出されたのか
・一会員による『綜合看護』2013年2号の感想
・ヒュームの提起した問題にカント、スミスはどのように答えたか
・2013年6月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』東洋の世界(後半)を読む
・一会員による2013年上半期の振り返り
・認知療法における問いの意義を問う
・カント歴史哲学へのアダム・スミスの影響を考える
・2013年7月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』ギリシアの世界を読む
・2013年8月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第三部 ローマの世界を読む
・アダム・スミスの哲学体系の全体像を問う
・一会員による『綜合看護』2013年3号の感想
・初任者に説く学級経営の基本
・カウンセリング上達過程における事例検討の意義
・文法家列伝:古代ギリシャ編
・ヒューム『政治論集』抄訳
・2013年9月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第四部 ゲルマンの世界を読む
・言語過程説から言語学史を問う
・2013年10月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』「第4部 ゲルマンの世界」第2篇を読む
・戦後日本の学力論の流れを概観する
・一会員による『育児の生理学』の感想
・文法家列伝:古代ローマ・中世編
・2013年11月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第4部 ゲルマンの世界 第3篇を読む
・古代ギリシャ経済の歴史を概観する
・2013年12月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』のまとめ
・ヘルバルト教育学の全体像を概観する
・年頭言:歴史を切り拓く学問の創出を目指して
・歴史的な岐路に立つ世界と日本を問う
・一会員による『綜合看護』2013年4号の感想
・一会員による2013年の振り返りと2014年の展望
・ヘーゲル『歴史哲学』を読む
・2014年1月例会報告:学問(哲学)の歴史の全体像について
・一会員による『学城』第10号の感想
・世界歴史の流れを概観する
・現代の言語道具説批判――言語規範とは何か
・2014年2月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第3〜11章
・ヘルバルト『一般教育学』を読む
・新大学生へ説く「大学で何をどのように学んでいくべきか」
・2014年3月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第12〜14章
・三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』学習会を振り返る
・『育児の認識学』は三浦認識論をいかに発展させたか――一会員による『育児の認識学』の感想
・2014年4月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第15〜19章
・4年目教師としての1年間を実践記録で振りかえる
・文法家列伝:『ポール・ロワイヤル文法』編
・2014年5月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第20〜26章
・道徳教育の観点から見る古代ギリシャの教育と教育思想
・古代ギリシャの経済思想を問う
・半年間の育児を振り返る
・2014年6月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第27〜33章
・現代の言語道具説批判・補論――「言語道具説批判」に欠けたるものとは
・心理士が医学から学ぶこと――一会員による『医学教育 概論(1)』の感想
・アダム・スミス「天文学史」を読む
・現代の言語道具説批判2――言語道具説とは何か
・2014年7月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第34〜38章
・道徳教育の観点から見る中世の教育と教育思想
・もう一人の自分を育てる心理療法
・2014年8月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第39〜40章
・アダム・スミス「外部感覚論」を読む
・文法家列伝:ジョン・ロック編
・一会員による『学城』第11号の感想
・夏目漱石を読む�@――坊っちゃん、吾輩は猫である、草枕
・2014年9月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第41〜43章
・ルソーとカントの道徳教育思想を概観する
・アダム・スミスは『修辞学・文学講義』で何を論じたか
・全てを強烈な目的意識に収斂させる――一会員による『医学教育概論の実践』の感想
・2014年10月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第44〜45章
・精神障害の弁証法的分類へ向けた試み
・シュリーマン『古代への情熱』から何を学ぶか
・2014年11月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第46章
・一年間の育児を振り返る
・近代ドイツにおける教育学の流れを概観する
・2014年12月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』のまとめ
・年頭言:弁証法・認識論を武器に学問の新たな段階を切り開く
・「戦後70年」を迎える日本をどうみるか
・哲学の歴史の流れを概観する
・『ビリギャル』から何を学ぶべきか
・必要な事実を取り出すとは――一会員による『医学教育 概論(2)』の感想
・2015年1月例会報告:南郷継正「武道哲学講義�X」
・夏目漱石を読む�A――二百十日、野分、虞美人草、坑夫
・アダム・スミスは古代ギリシャ哲学史から何を学んだのか
・マインドフルネスを認識論的に説く
・道徳思想の歴史を概観する
・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部の要約
・弁証法的に学ぶとはいかなることか――一会員による『医学教育 概論(3)』の感想
・一会員による『学城』第1号の感想
・新大学生への訴え
・2015年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論A
・心理職の国家資格化を問う
・5年目教師としての1年間を実践記録で振り返る
・文法家列伝:時枝誠記編
・2015年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論B、C、東洋哲学
・夏目漱石を読む�B――三四郎、それから、門
・臨床心理学のあるべき姿を考える――一会員による『医学教育 概論(4)』の感想
・アダム・スミス「模倣芸術論」を読む
・デューイの教育論の歴史的な意義を問う―『学校と社会』を通して
・2015年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ギリシア哲学史の序論、イオニア派の哲学、ピュタゴラスとピュタゴラス派
・高木彬光『邪馬台国の秘密』を認識論から読み解く
・一会員による『学城』第12号の感想
・2015年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エレア派〜ヘラクレイトス
・何故言語学の創出が必要か―一会員による2015年上半期の振り返り
・事実と論理ののぼりおり――一会員による『医学教育 概論(5)』の感想
・夏目漱石を読む�C――彼岸過迄、行人、こころ
・2015年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エムペドクレス〜アナクサゴラス
・フロイト『精神分析入門』を読む(上)
・デューイ教育論の歴史的意義を問う―『民主主義と教育』をとおして
・2015年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソフィスト派・ソクラテス
・アダム・スミス『法学講義』を読む
・学問上達論とは何か――一会員による『哲学・論理学研究(1)』の感想
・2015年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソクラテス派、プラトン
・庄司和晃追悼論文―庄司和晃の歩みはいかなるもので、何を成し遂げたか
・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部第4章の要約
・一会員による『学城』第2号の感想
・フロイト『精神分析入門』を読む(下)
・夏目漱石を読む�D――道草、明暗
・2015年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』プラトン 弁証法、自然哲学、精神の哲学
・ナイチンゲール看護論を心理臨床に活かす――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(1)』の感想
・文法家列伝:時枝誠記編(補論)
・英語教育改革を問う―『英語化は愚民化』書評―
・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
・2年間の育児を振り返る
・2015年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学)
・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
・図式化にはどのような効用があるのか
・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
・ケネー『経済表』を読む
・SSTを技化の論理で説く
・一会員による『学城』第13号の感想
・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
・一会員による『学城』第3号の感想
・新大学生に与える
・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
・『吉本隆明の経済学』を読む
・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
・ブリーフセラピーを認識論的に説く
・夏目漱石の思想を問う
・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
・夏目漱石の中・長編小説を読む
・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
・改訂版・観念的二重化への道
・ロックの教育論から何を学ぶべきか
・文法家列伝:ソシュール編
・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
・高校生に説く立憲主義の歴史
・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
・アダム・スミス『国富論』を読む
・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
・3年間の育児を振り返る
・近代教育学の成立過程を概観する
・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
・年頭言:機関誌の発刊を目指して
・激動する世界情勢を問う
・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
・一会員による『学城』第4号の感想
・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
・本来の科学的な教育とは何か
・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
・システムズアプローチを弁証法から説く
・一会員による『学城』第14号の感想
・ルソー『学問芸術論』を読む
・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
・斉藤喜博から何を学ぶべきか
・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
・小中一貫教育を問う
・ヘーゲル『哲学史』を読む
・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
・文法家列伝:宮下眞二編
・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
・マルクス思想の原点を問う
・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
・教育の政治的中立性を問う
・日本経済の歴史を概観する
・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
・一会員による『学城』第15号の感想
・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
・現代日本の政治家の“失言”を問う
・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
・障害児の子育ての1年間を振り返る
・新しい国家資格・公認心理師を問う
・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
・徒然なるままに――40歳を迎えて
・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
・教育実習生に説く人間観の歴史
・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言


絶対精神の自己発展の契機について考えてみました。
> ヘーゲルの説く哲学史を概観し、そこに生命の歴史の流れを重ねてみると、生命の歴史において決定的な役割を果たした地球環境に当たるものが、ヘーゲルの哲学史では何なのか、ハッキリしないことがまず指摘されよう。
>ヘーゲルの説く哲学史においては、もともとあるとされる絶対精神が自ら完成していく過程が描かれているのみで、発展の契機に触れられていない。
>絶対精神は、一度自然に外化し、再び精神に復帰することで、全てが自分自身だという把握を深めていって完成する、そういうものだ!
絶対精神の自己発展とは、元々完璧な絶対精神が
人の中で未熟であっても…精神的存在まで発展して、
その人の精神が絶対精神的自然・社会・精神…と関わり
完璧な絶対精神へと発展していくモノ…?!
以上だとすると…
絶対精神は絶対精神と相互浸透・量質転化化して発展していくモノ?!
この場合、未熟な人の精神としての絶対精神の発展契機は、「自己の未熟さの自覚」?
自然の中での無力な自分、社会の中での無能な自分、自己の未熟な精神の痛感…かな!?
上記のように、人間としての絶対精神の自己発展契機は考えられても…
全ての原点である絶対精神のスタート⇒自然への外化の契機は???ですね!