(1)ソシュールの言語理論の歴史的意義とは何か
(2)ソシュールは言語を体系として、認識との連関において取り上げた
(3)ソシュールは言語の同定性を関係に求めた
(4)ソシュールは「ラング」を「パロール」から区別した
(5)ソシュールは「ラング」という心的な記号の体系を言語の事実から抽出した
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(1)ソシュールの言語理論の歴史的意義とは何か
先月行われた参議院議員選挙において、自公政権をはじめとするいわゆる「改憲勢力」が、非改選も含めた参議院全体の議席の3分の2を占めるに至りました。衆議院においても、自公などのいわゆる「改憲勢力」は既に3分の2以上の議席を占めているため、憲政史上初めて、改憲の発議が可能な情勢となったのです。
安倍晋三首相は選挙前から、「後戻りすれば混乱の4年前に戻ってしまう」、「アベノミクスを前進させるか後退させるか、それを決める選挙」(*1)だとして、参院選の最大の争点が「アベノミクス」にあると語っていました。また、選挙期間中においても、同様、「アベノミクス」の是非が争点との認識を示し、「政策を前に進め、国民を豊かにしていくのか。それとも再び混迷の状況に国民を置くのか。前進か後退かを決める選挙だ」(*2)ということを強調していたのでした。これらの発言には、民主党政権の失敗との対比において、「アベノミクス」の成果を強調する意図が含まれているといえるでしょう。「アベノミクス」そのものをそのものだけで評価するとすれば、賛否両論あるかもしれませんが、「アベノミクス」を民主党政権の経済政策の失敗と並べ、「アベノミクス」が「前進」であって、民主党政権時代の復帰が「後退」であるという印象を強く打ち出すことで、国民が「後退」より「前進」が望ましいとして、「アベノミクス」を支持する方向に向かうよう、言葉巧みに訴えたのでした。
加えて、もう1つ、安倍首相の発言には重大な意義があったことを見逃してはなりません。つまり、参院選の最大の争点を「アベノミクス」の是非を問うことにあると訴えることで、憲法改正という国の重大事を参院選の争点から実質上、外してしまうということです。安倍首相は以前から、憲法改正は自民党の党是であり、「私の在任中に成し遂げたい」(*3)と語っていました。しかし、参院選においては、この論点を全く取り上げず、野党との間での争点化という形をとらなかったのです。これは、各種の世論調査委おいて、憲法改正に「反対」が「賛成」を上回っていた(*4)ことによるものと思われます。要するに安倍首相は、参院選の最大の争点として「アベノミクス」の「前進か後退か」を問うことを前面に押し出すことによって、場合によっては与党側に不利に働く可能性のある憲法改正問題を棚上げするという戦略をとったのであり、その意図が選挙期間中の安倍首相の発言に表れているということです。
ここで最も注意すべきことは、安倍首相が選挙期間中に全く語らなかった憲法改正問題は、安倍首相の頭の中から消えてしまっていたのではなくて、重要課題としての認識が薄れてしまったのでもなくて、終始一貫して最大の懸案としてイメージされていたのだ、ということです。その証拠に、参院選での勝利の翌日、安倍首相は次のように語っているのです。
「自民党は立党60年でございます。常にわれわれは憲法改正を掲げ続けてきたわけであります。このたいまつは、私の前任者の谷垣(禎一)幹事長から私が受け継いでいます。谷垣さんが総裁のときに、改正草案ができあがったわけでございます。それを実現していくというのは総裁としての責務ではあります」(*5)
端的にいえば、安倍首相の認識は一貫していたものの、その表現は選挙期間中だけ変更させられていたということです。こうした、選挙期間中の発言だけを捉えて安倍首相の認識を把握したとすることが誤りであることの傍証として、2013年7月の参院選では全く触れていなかったいわゆる特定機密保護法を同年12月に成立させたことや、「アベノミクス解散」と名付けた2014年12月の衆院選後には、多くの憲法学者らが違憲と指摘した安保関連法の成立を強行したことなどが挙げられます。一般的にいえば、ある人物の認識とその表現とは相対的に独立しているのであって、ある表現のみから相手の認識を把握したと簡単に決めてかかってはならないということです。
このことは、5月27日に行われたオバマ米大統領による「広島演説」についてもいえることです。詳細は本ブログに掲載した「オバマ米大統領の「広島演説」を問う」に説きましたが、簡単には、「哲学的な表現で核廃絶を世界に発信した」と被爆者からも評価された「広島演説」の背後には、米国世論に配慮しつつ、自らの「レガシー」を構築したいというオバマ大統領の認識が隠されていたのでした。
以上の安倍首相の発言やオバマ大統領の「広島演説」の例から一体何がいいたいのかを再度まとめておくと、簡単には、言語という表現から認識を把握することは非常に難しいのであって、それほど言語というものは把握しにくいものだということになります。言語を表面的に理解していたのでは、安倍首相の言葉を簡単に信じてしまって、日本の未来が閉ざされてしまったり、オバマ大統領の「広島演説」を絶賛することで、日本人の主体性を取り戻すことができなくなったりといった、誤った方向に進んでしまいかねないのであるということです。しかしこのことは逆からいえば、言語とはどのようなものかという本質的な理解があれば、日本の明るい未来を切り開いていくことも可能となるし、日本人が主体性を取り戻して、世界において重要な地位を占め、世界をリードしていく道も開かれていくのだ、ということでもあるのです。
では、言語とはどのようなものかという本質的な理解を可能とするものとは、一体何なのでしょうか。それこそ、筆者が生涯を賭して創出しようとしている科学的言語学体系に他なりません。この科学的言語学に学び、生活の中で実践していくことで、自分の認識を正しく漏れなく伝えることができるとともに、相手の認識を正しく漏れなく掴み取ることができる、そうした言語の実践が可能となるような理論体系を構築すること、これこそ筆者の全人生をかけての目標なのです。(*6)
それでは、筆者が目指す科学的言語学体系はどのような道筋で構築していくことができるのでしょうか。実はその道筋の1つが、本稿を含めた「文法家列伝」シリーズの執筆なのです。どういうことかといえば、一般的に、科学的理論体系というものは、ある天才的な個人がその生涯において、全くのゼロから創出できるような簡単なものではなくて、世代交代を通じて獲得し継承されてきた文化遺産をまずは自らの実力とし、その上でそれらの遺産を批判的・発展的に継承していくことでこそ創出可能なものなのです。そしてこのことは言語学についても同様であって、言語に関して人類が獲得してきた知見がどのように発展していったのかを辿り科学的言語学体系を構築するためにこそ、時代時代の優れた「文法家」を取り上げ、彼らの歴史的意義を考察してきているのです。
ということで今回取り上げるのは、「近代言語学の父」といわれるフェルディナン・ド・ソシュールです。まずはソシュールの簡単な経歴を紹介しておきましょう。ソシュールは1857年、スイスのジュネーヴに生まれます。ギリシャ語やサンスクリットを学び、1876年、創立されたばかりのパリ言語学会に入会します。10代のうちに数々の比較言語学関係の論文を発表し、途中、ベルリン大学にも留学して、1880年、ライプツィヒ大学を卒業します。その後、パリ大学の講師を務め、1891年、故郷のジュネーヴに戻ります。1906年にはジュネーヴ大学の正教授となり、3度にわたって有名な「一般言語学講義」を行います。そして1913年、55歳で没したのでした。
ソシュールは、19世紀に盛んであった比較言語学から言語学の道に入ったのですが、最終的には比較言語学を離れ、一般言語学の構築を目指したといえます。ソシュールの用語でいえば、通時的言語学ではなくて共時的言語学を構築しようとしたということです。つまり、ある時代の言語を捉え、それがどのような体系によって成り立っているのかを解明しようとしたのでした。
本稿では、「一般言語学講義」(*7)などをもとに、こうしたソシュールの言語理論の特徴的な部分を取り上げ、その歴史的意義を考察していくこととします。まず、ソシュールが言語を体系と考え、言語と認識の間の連関を取り上げたことについて述べ、次に、ソシュールが言語の同定性(何によって同一の言語だといえるのか)をどのように考えたのかを見ていきます。そして最後に、ソシュールの言語理論の最大の特徴である「ラング」と「パロール」について考察していきます。
(*1)6/7自民党全国幹事長会議での発言
https://www.youtube.com/watch?v=uEuzEVQUHhY
(*2)7/6自公連絡会議での発言
https://www.komei.or.jp/news/detail/20160607_20290
(*3)3/2参院予算委員会での発言
http://mainichi.jp/senkyo/articles/20160302/k00/00e/010/259000c
(*4)例えば、産経新聞社とFNNによる合同世論調査など
http://www.sankei.com/politics/news/160620/plt1606200052-n1.html
(*5)7/11自民党本部での記者会見での発言
http://www.sankei.com/politics/news/160711/plt1607110206-n5.html
(*6)科学的言語学体系の創出によって可能となることは、単に日常会話レベルの意志疎通が誤りなく行われるようになるというレベルにとどまりません。そもそも言語は、人間社会を維持発展させるためにこそ創出されたものであり、こうした言語というものを科学的理論として把握できれば、人間社会の大きな発展に資することができるというのが筆者の志の原点にある考え方です。このあたりの詳細については、別途機会を設けて説いていきたいと考えています。
(*7)ソシュールの「一般言語学講義」は小林英夫訳『一般言語学講義』として出版されていますが、これは当時の聴講学生たちの講義録を弟子のバイイたちが再構成したものです。この『一般言語学講義』は、その後に発見されたソシュールの手稿などの原資料などによって、ソシュールの真意がかなり歪曲されていることが明らかになっています。そこで本稿では、特に断りがない場合には、丸山圭三郎『ソシュールを読む』(2012年、講談社学術文庫)からソシュールの言葉を引用(孫引き)することにします。原資料なども含めて、より正確にソシュールの言語理論を把握することができると考えるからです。なお、引用文に付されている傍点については、必要と思われる箇所を除いて省略しました。

