(1)社会生活では観念的二重化の能力が求められる
(2)観念的二重化のためには表現と対象をヒントにする
(3)心理検査は観念的二重化のための効果的なツールである
(4)系統発生・個体発生を辿り返す必要がある
(5)最先端の時代精神に至るプロセスを辿り返す
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(1)社会生活では観念的二重化の能力が求められる
先日,南郷継正先生の最新刊『武道哲学講義 第三巻――『精神現象学 序論』(学の体系 講義)――』(現代社)が出版されました。その中の「まえがきに代えて」で,南郷先生は同じ内容を著すことには大きな意義が存在しているとして,次のように説かれています。
「一つは,私の年年歳歳的実力向上は,この何回もの「書き直し的綴り」の繰り返しが実践されているがためである。私の頭脳は何十年も,ここを実践してきているからこそ,頭脳(活動ではなく)の衰えがないままに,発展してきているのである。それだけにこれは,読者にも実践してほしいことである。同じことを何回となく書き綴っていくうちに,中身が立派になっていくのは,これも一つの大きな頭脳の量質転化への出立を促すものだから,である。」(pp.3-4)
ここで南郷先生は,何回もの「書き直し的綴り」を実践してきているからこそ,自身の頭脳が発展してきているのであり,これを読者にも実践してほしいと説かれています。
ここで説かれていることは,近年,南郷先生がくり返し説いておられる「正規分布図に従ったくり返し」が必要であるということと関連していると思われます。正規分布図に従ったくり返しとは,何かを学ぶ際に,必ず原点の位置へ戻ってそこから再び学び直すということをくり返す必要があるということです。正規分布図を思い出してください。左から右へと進んでいきます。少し昇ったら,また原点(初歩)に帰り,そこからまた辿り返します。そうして,また少し上昇したら原点(初歩)に戻り,そこからまた辿り返すのです。
このように正規分布を重層的に積み重ねながら少しずつ進んでいかないと,真の発展はない,ということだと思います。
実は筆者は,この何回もの書き直し的綴りに近いことを既に実践しており,その効果を実感しています。その何回もの書き直し的綴りに近いこととは,専門家対象の研修会や学生向けの講義で,同じような内容を繰り返し説いていることです。具体的には,カウンセリングや認知行動療法の基礎的な内容を,くり返しくり返し研修会や講義で説いているのです。そうすることで,徐々に内容が整理されてきて,中身が立派になっていくということを体験しました。したがって,南郷先生の指摘を読んだとき,自身の体験とつなげてなるほどと理解できたのでした。
本稿は,この南郷先生が指摘されている「書き直し的綴り」を実践するものです。
当ブログには,2010年08月09日から11回にわたって「観念的二重化への道」と題する論文を掲載しました。この論文は,当ブログに掲載してきた論文の中でもかなり初期のものに相当します。そして,筆者の原点的な論文であるということもできます。そこで本稿では,この「観念的二重化への道」を改定版として説き直すことにしたいと思うのです。
では本題です。
先日の夕食時,何気なくテレビのクイズ番組を見ていたら,次のようなクイズをやっていました。それは,街中の人を適当につかまえて,その人が難読漢字を読めるかどうかを判断して回答する,というクイズです。テレビ画面にはその人の姿と,簡単なプロフィール,たとえば「慶応大学医学部学生」とか「大手自動車製造会社の営業職」とかが表示されます。そして,しばらくインタビューのやり取り(漢検何級をもっているとか,歴史小説好きであるとか,そういうヒント的なもの)が放送された後,「睫(まつげ)」「杜撰(ずさん)」「忝ない(かたじけない)」などの難読漢字とされるものをその人が読めるかどうかを回答させるというものでした。ちなみに回答者側には読み方が示されています。
このクイズに正解するために必要な能力は何でしょうか? 自分が難読漢字を読むというクイズであれば,必要なのは漢字の知識だけです。しかし,自分ではなく他人が読めるかどうかを当てるクイズですので,しかも漢字の読み方はこちらには提示されているわけですから,漢字の知識の有無は直接的には関係ありません。実は,このクイズに求められるのが,本稿でテーマとして取り上げる観念的二重化の能力なのです。観念的二重化については詳しく,学問的な定義も紹介しながら説明していきますが,とりあえずは「相手の立場に立って考えられる能力」くらいに思っていただいてけっこうです。このクイズでいえば,街中のインタビューされている人の立場に立って,「この漢字が読めるかどうか」を考えられる能力が必要だったわけです。
こんなクイズに答える場面だけではなく,日常生活には観念的二重化の能力が求められる場面がたくさんあります。というより,人間として社会的な生活を送っていく際には,必然的に観念的二重化の能力が要求される,といった方が正確でしょう。相手の立場に立って考えることができなければ,学校生活でもKY(空気読めない)となってしまって,適応的な生活ができなくなってしまいます。友人の気持ちも考えずに,ストレートに思ったことをいってしまって,相手を傷つけ,うまく人間関係が築けなくなります。観念的二重化の能力がなければ,家庭生活においても,兄弟同士,夫婦同士や親子間で,ケンカが絶えないということにもなってしまうでしょう。
コミュニケーションの際にも観念的二重化の能力は必要となってきます。コミュニケーションにおいては一般に,相手に合わせて情報を整理してから発信する必要があります。相手に合わせるためには,いったん相手の立場に立って考えて,その後自分の立場に復帰して,適切な言葉を決めたり分かりやすい言い回しに変えたりというようなプロセスが必要となってきます。つまり,観念的に二重化して相手の立場に立つ必要があるのです。話が下手な人は,たいてい聞き手の立場を考慮していない,すなわち観念的二重化の能力が低いものです。
「ありがた迷惑」という言葉があります。『広辞苑』によると,「人の親切や好意がかえって余計な干渉で迷惑と感ぜられること」という意味です。これも観念的二重化に関わってきます。本人は親切だ,いいことだと思ってやっていることが,実は相手にとっては迷惑以外の何ものでもない,ということですから,ありがた迷惑な人というのは,観念的二重化の能力が低いということがいえます。相手は本当は何を求めているのか,かえって迷惑と思うではないだろうか,というようなことを,相手の立場に立ってしっかりと考えることができていないからです。こういう人が周囲にいるのではありませんか。
また最近,「発達障害」のある人たちが増えてきています。「発達障害」の特徴の1つとして,相手の立場に立てないというのがあります。これは観念的二重化の能力が低いということです。このような特徴のある人が「障害」とされているというのは,社会生活を営む上で観念的二重化の能力が必須であることを端的に物語っているといえます。
単なる日常生活ではなく,仕事でも観念的二重化の能力が求められます。特に人間相手の仕事の場合,たとえば,教師,医師,看護師,保育士,弁護士,心理士,経営コンサルタントなどといった職業の場合,日常生活レベルの観念的二重化の能力ではとても役立ちません。もっと高いレベルの能力が求められるのです。こういった職種では,対象となる相手の立場に立ってきちんと考えることができなければ,適切な指導・助言・援助ができないからです。一般に,ある対象を変化させようとすれば,その対象をよく理解していないといけません。人間が対象である場合も同様です。人間の認識を変えようとするなら,変える前に,相手の認識についてよく理解していないといけないのです。相手の認識をよく理解するというのは,しっかり観念的に二重化して,相手の立場に立つことにほかなりません。だから,上記のような職業では,その専門職に見合うだけの高い観念的二重化の能力が必要となるのです。
学問の構築を志すうえでも,観念的二重化の高度な能力が求められます。たとえば,現在わが研究会で読み進めているヘーゲル『哲学史』を読んで理解するということは,つまり,ヘーゲルに二重化することを意味しています。学問を志すうえでは,歴史上の学問の大先達である,アリストテレスやカント,ヘーゲルへの学びは避けては通れません。これは,アリストテレスやカントやヘーゲルに二重化できる能力を養っていく必要があるということです。
このように,日常生活でも,人間相手の仕事を行う際にも,そして学問を志す際にも必須となってくる観念的二重化は,どのようにすればできるようになるのでしょうか? 自然成長性にまかせるのではなく,目的意識的に,観念的二重化という技を上達させる方法はないのでしょうか? 本稿では,こういった「観念的二重化への道」を,いくつかのポイントに絞って考察していきたいと思います。
最初に,今目の前にいる相手に観念的に二重化するための基本的な方法を解いていきます。連載の第3回では,相手に観念的に二重化するためのツールとして誕生させられた心理検査を取り上げます。そして最後に,認識の構造により深く分け入って,観念的二重化の実力を向上させていくためには,どのような研鑽が求められるのかについて説いていく予定です。

