(1)吉本隆明の「経済学」は如何なるヒントを与えるか
(2)吉本は普遍的な価値論を構築しようとした
(3)吉本は消費が主導する経済のあり方をつかもうとした
(4)吉本は未開の原始社会から未来の高度社会までを見通そうとした
(5)吉本は思想家として経済の諸問題に挑んでいった
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(1)吉本隆明の「経済学」は如何なるヒントを与えるか
明後日から明々後日にかけて、主要国首脳会議(サミット)が三重県の伊勢志摩において開催されます。サミットは、主要先進国の首脳が世界の重要課題を話し合うため年1回開く国際会議だとされていますが、今年の議長を務めることになる安倍首相は、今年のサミットの最大のテーマに世界経済を位置付けようとしています。その背景には、世界経済の行く末が大きく不透明感を増していることがあります。
国際通貨基金(IMF)のラガルド専務理事は、4月5日の講演で、先進国の景気回復の遅れ、中国の成長減速やブラジル、ロシアの景気後退、資源国の財政悪化などの要因を挙げ、「世界経済の下振れリスクは恐らく増大している」との警告を発しました。2008年のリーマン・ショック以来、各国当局は、破局的な事態に落ち込むことを何とか回避しようとして、大胆な金融緩和や巨額の財政出動など、従来の常識の枠内で考えられる限りの策を尽くしてきました。しかし、世界経済はハッキリとした回復を見ないまま推移してきました。それどころか、再び大きな危機に直面しようとしているのではないか、との不安が広がりつつあるのです。
経済政策に深刻な手詰まり感があるのは否めません。財政出動は各国の財政状況を悪化させ、いわゆるギリシャ危機のような事態が引き起こされたことをきっかけにして、今度は逆に、緊縮政策(歳出削減と増税)が進められるようにもなってきました。一方、金融緩和は、欧州中央銀行や日本銀行が「マイナス金利」という奇策を採用するまでに至り、金融市場には膨大な資金が溢れるようになっていますが、実体経済と金融経済の乖離が著しくなっているために、資金は実体経済の方にはほとんど流れていっていません。その結果、金融市場がバブル的な活況を呈するだけで、実体経済は疲弊して貧困と格差がますます拡大し、財政危機も深化しているのです。
こうしたなか、いわゆる「パナマ文書」によって、世界中の富裕層が巨額の税逃れをしている実態の一端が明らかにされました。一握りの巨大企業や富裕層は、金融緩和の恩恵で巨万の富を築いたにもかかわらず、まともに税金を払おうとしていないのであり、そのために財政危機が深刻化し、それを口実にした緊縮政策によって、圧倒的多数の庶民が増税と公共サービスの縮小に苦しめられているのではないか――「パナマ文書」は、現代の世界経済が抱える深刻な歪みを強烈に印象付ける役割を果たしたといえるでしょう。
いま、このような経済の不公正なあり方、貧困と格差の深刻な拡大に対して、民衆の怒りの声が大きく広がってきています。このことを背景にして、主要先進国において、経済政策のあり方をめぐる大きな政治的変化が起きつつあることが注目されます。アメリカ大統領選挙・民主党予備選挙におけるバーニー・サンダース候補の善戦健闘は、その象徴的な事例だといってよいでしょう。「民主社会主義者」を自称するサンダース候補は、深刻な格差と不公正(不正義)の是正を訴え、若者たちの熱狂的な支持を獲得して来たのです。サンダース候補は、次のように述べています。
「不正義とは、あまりにも少ない数の人たちが、あまりにも多く持つことだ。そして、あまりにも多くの人たちが、あまりにも少ししか持てないことだ。不正義とは、上位1パーセントの10分の1というごくわずかな人たちが、その他の90パーセント人たちとほぼ同じ富を所有していることだ。
何百万人の人たちが長時間労働をし、明らかな低賃金で懸命に働き、それでも家庭で待つ子どもにまともな食事を与えるだけの収入を得ることができない。不正義とは、アメリカ合衆国という国が、世界のあらゆる主要国のなかで、子どもの貧困率が最も高いということだ。私たちがどうして道徳と政治を語ることができようか。自分の国の子どもたちに、背中を向けているというのに、私たちの国は多くの財源を世界で最も多くの人達を投獄するために使いながら、自分の国の若者たちに、仕事や教育を与えるための福祉の財源はないという。私たちは世界の主要国で唯一、権利としての医療を全ての国民に保障していない。全ての人々は神の子どもたちだ。貧困にあえいでいる人たち、彼らには病気になったら医者に行く権利がある。
皆さんに考えて欲しい。この素晴らしい国が持つ可能性というものを。
私たちは他の主要国のように全ての人々に権利としての医療を保障する国になることができる。
私たちは働く親たちの全てが、安価で質の高い医療ケアを受けられる国になることができる。
私たちはアメリカの子どもたち全てが、親の所得に関係なく大学教育を受けられる国になることができる。
私たちは高齢者の全てが、人生の最後まで尊厳と安心を持って暮らせる国なることができる。
私たちは全ての人が、人種、宗教、障害、性的嗜好に関係なく、生まれた時から約束されているアメリカ人としての平等の権利を十分に享受できる国になることができる。
そんな国を私たちは創ることができる。私たちが共に立ち上がり、私たちを分断させようとする力に抵抗するならば。」
こうした訴えが多くの人々の共感を呼び、当初は泡沫候補にすぎないと見られていたサンダース候補が、本命候補と目されたヒラリー・クリントン前国務長官に大きく迫るほどの躍進を見せたのです。予備選挙の制度的な制約もあって、サンダース候補が民主党の指名を勝ち取る可能性はほとんどなくなってきていると思われますが、資本主義の牙城であり、新自由主義の総本山ともいうべきアメリカ合衆国において、堂々と「社会主義者」を名乗る人物がここまで善戦健闘するとは、昨年秋の時点では、ほとんど誰もが予想できなかった展開でした。
このことは、経済の歴史が、大方の人々の予想を超えて、大きく動き出しつつあることを示しているのかもしれません。資本主義経済の発展、新自由主義的政策の推進がもたらした深刻な格差と不公正への怒りが大きく広がっていくなかで、ソ連崩壊によって大きなマイナスイメージを纏ったはずの「社会主義」という言葉が、必ずしもタブー視されない状況がつくられつつあるのです。それほどまでに、従来の経済のあり方に代わる新しい経済のあり方への要求は切実だということでしょう。それを「社会主義」という言葉で表現することが妥当かどうかについては検討の余地があるにせよ、従来の経済のあり方が行き詰まってきており、そこから脱却するための道を示す理論が切実に求められる状況にあることだけは間違いありません。
しかし、従来の経済理論を基本に据えて、そこにあれこれの微修正を加えていく、といったレベルの対応では、こうした時代の要求に到底応えることはできません。経済のみならず、政治や文化の領域をも含めた社会全体をまるごと捉えるような広い視野で、さらにいえば人間と自然との関係をもきちんと視野に入れて、経済というものを根本から捉え直していかなければならないのです。従来の経済理論の狭い枠組みにとらわれず、人間とは何か、社会とは何かを深く追究しようとしてきた先人たちの苦闘に広く学びながら、新たな経済のあり方を切り拓いていく指針となるような、確固とした理論体系を築いていく必要があるのです。
こうした観点から、本稿で注目したいのは、吉本隆明さんの「経済学」です。“戦後最大の思想家”と称され、文学や政治、宗教など広範な領域にわたって言論活動を展開して来た吉本さんは、経済についての体系的な著作こそ遺さなかったものの、経済の諸々の問題についても積極的な発言を行っていました。そうした発言を集めることで、「吉本隆明の経済学」の姿を浮かび上がらせようとしたのが、中沢新一〔編著〕『吉本隆明の経済学』(筑摩選書、2014年)です。本書の構成は以下のようになっています。
第1部 吉本隆明の経済学
第1章 言語論と経済学
第2章 原生的疎外と経済
第3章 近代経済学の「うた・ものがたり・ドラマ」
第4章 労働価値論から贈与価値論へ
第5章 生産と消費
第6章 都市経済論
第7章 農業問題
第8章 超資本主義論
第2部 経済の詩的構造
第1部は吉本さんの文章を抄録したものであり、各章の冒頭に編者の簡単なコメントが付されています。第2部は編者によるやや詳しい解説であり、ここで「吉本隆明の経済学」の姿を編者なりに提示しようと試みられています。
本稿では、編者の解説に依拠しながら「吉本隆明の経済学」そのものの姿を明らかにする、というよりも、新しい経済学体系の構築に向けて「吉本隆明の経済学」が如何なる示唆を与えるものであるか、という観点から、この本に収録されている吉本さんの発言そのものを読み解いていくことにします。
以下、大きく3つのテーマ――価値論の問題、消費社会の問題、歴史的展望の問題を設定して、検討していくことにしましょう。

