(1)ケネー『経済表』は現代の日本経済に何を示唆するか
(2)ケネーは如何なる問題意識のもとに『経済表』を作成したのか
(3)『経済表』は経済の循環をどのように描いているか
(4)『経済表』から導かれる経済政策とは
(5)ケネーは国民経済の健全な再生産を何よりも重視した
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(1)ケネー『経済表』は現代の日本経済に何を示唆するか
昨年12月、政府・与党は、2017年4月に予定されている消費税率10%への引き上げに合わせて、食料品や新聞の税率を8%のまま据え置く「軽減税率」制度を導入する方針を決めました。一方で、安倍首相は「今度は前回のような景気判断は行わず、リーマン・ショック級のような世界的な出来事が起こらない限り、我々は予定通り引き上げていく考えだ」(1月10日、NHK番組での発言)とも発言しています。この発言のなかで「前回のような景気判断」といわれているのは、2014年11月18日、安倍首相が、2015年10月から予定されていた消費税率10%への引き上げを1年半延期して、2017年4月からとする方針を表明したことを指しています。安倍首相は、この増税延期の判断を旗印にして衆議院の解散総選挙を断行し、与党圧勝という結果を手にしたのでした。ここで、当時の経済状況を簡単に振り返ってみることにしましょう。
安倍首相が増税延期を決断するまで、政府・与党内では、財務官僚を筆頭にして、財政再建のため増税は予定通り断行すべきだ、という声が強くありました。最終的にこれら増税断行派の声が沈静化させられたのは、解散総選挙の断行という安倍首相の政治的な決断を別にするならば、同年11月17日(安倍首相が消費税増税の延期と衆院解散を表明する前日)に発表された7-9月期のGDP(国民総生産)速報値が年率換算で実質1.6%のマイナスという数字となったことが決定的であったといえるでしょう。増税の可否を判断するための材料として注目されていたこの数値が、予想以上に悪かったことを受けて、増税延期もやむを得ない、との受け止め方が急速に広がったのです。
しかし、安倍首相の増税延期方針には2面性がありました。「デフレ脱却を確実にするために」(安倍首相)ということで確かに増税の実施は先送りされたものの、同時に、財政再建への決意はいささかも揺らいでいないとして、次のように述べたのです。
「来年〔2015年〕10月の引き上げを18カ月延期し、そして18カ月後、さらに延期するのではないかといった声があります。再び延期することはない。ここで皆さんにはっきりとそう断言いたします。平成29年4月の引き上げについては、景気判断条項を付すことなく確実に実施いたします。3年間、3本の矢をさらに前に進めることにより、必ずやその経済状況をつくり出すことができる。私はそう決意しています。」
このように、2017年4月には必ず税率引き上げを断行することが強調され、経済情勢を踏まえた政府の判断で増税を停止できるとした景気条項は削除する方針が示されたのでした。実際、総選挙後の通常国会において、消費税増税法の改定が行われ、付則から景気条項が削除されました。しかし、景気条項の削除とは、景気がどんなに悪かろうが消費税10%は実施する、という宣言にほかなりません。財政危機の打開は確かに大きな問題かもしれませんが、そのための方策として、景気に悪影響を及ぼす消費税の増税を繰り返していって、日本経済は本当に大丈夫なのでしょうか。
ここで、2014年4月の消費税率8%への引き上げの影響をどう評価するか、という問題が浮上してきます。2014年11月当時、消費税率10%への引き上げの可否を判断するための材料として注目された2014年7-9月期のGDP速報値については、数字の悪さはもちろんのこと、民間調査機関の事前予測が大きく外れてしまったこともまた大きな話題となりました。もともと、4-6月期の増税後の反動減の影響で、7-9月期は大幅な反発が予測されていたのです。例えば、ロイターによる事前予測では年率換算で実質2.1%のプラス成長が見込まれており、民間予測の平均は実質年率2.47%のプラス成長でした。実際には、これらの予測を大幅に下回る実質1.6%のマイナスとなってしまったのです。民間調査機関による事前予測は、なぜ派手に外れてしまったのでしょうか。
その理由として、企業の在庫調整の影響を読み誤ったからだ、とか、設備投資の回復が予測よりも遅れていたからだ、などというもっともらしい解説がなされました。こうした説明を聞くと、あたかも個々の需要項目(個人消費、設備投資、公共投資、輸出など)が寄り集まってGDPなるものが構成されているかのように思えてきます。しかし、本当はそうではないはずです。現実に存在するのは、あくまでも一個の国民経済でしかないはずなのです。その一個の国民経済の需要という側面に着目した上で、その側面を幾つかの要素に分けて捉えることも可能だ、というだけのことにすぎません。個人消費、設備投資、公共投資、輸出など、個々の需要項目を積み上げてGDPを捉えようとするエコノミストたちの発想は、内臓や骨や筋肉などが寄り集まって人体が出来ているのだと考えるのと同様の、逆立ちした発想だといわなければならないでしょう。まさに一国の経済は人体のようなもので、あくまでもひとつに繋がった全体として動いているものです。
このことさえ押さえておくならば、労働者の賃金が低迷するなかで、GDPの約6割を占める個人消費を確実に冷え込ませる消費税増税を実施すれば、どれほどに深刻な影響が出るか、それほどの困難もなく予測できたはずなのです。現に我々は、消費税増税によって2014年以降の日本経済が間違いなく深刻な景気後退に見舞われるであろうことを繰り返し指摘し、警告を発してきました(例えば、2012年8月20日から当ブログに掲載した「消費税増税実施の是非を問う」など)。にもかかわらず、エコノミストたちは、低迷する個人消費と独立して設備投資や住宅投資などが動きうるかのような錯覚に陥っていたために、消費税増税の悪影響を過小に評価してしまうことになったのです。
このように考えてくると、経済学という個別科学の確立に大きな役割を果たした1人の医師の存在が思い出されます。それは17世紀、絶対王政期フランスの医師であったフランソワ・ケネー(Francois Quesnay、1694-1774)です。ケネーは、あたかも血液が人体を循環するかのようなイメージで、一国の富の生産・再生産の過程を1枚の表として描き出したのです。これが有名な『経済表』(Tableau economique)です(*)。かのカール・マルクスは、これに「実に天才的な、疑いもなく最も天才的な着想」という最大級の賛辞を捧げています。
しかし、我々が注意しなければならないのは、この『経済表』が、あくまでも当時のフランス絶対王政によってもたらされていたフランス経済の苦境(農村の疲弊、財政危機)を如何にして打ち破るか、という強烈な問題意識に貫かれたものにほかならなかった、ということです。こうしたケネーの思考は、景気低迷や財政危機に苦しむ日本経済に対して、如何なる示唆を与えるものなのでしょうか。
本稿では、まず、ケネーが如何なる時代背景の下で如何なる問題意識を抱いて『経済表』を作成したのか確認した上で、『経済表』が経済の循環をどのように描き出したのかを概観し、『経済表』から如何なる経済政策が導かれることになったのか、それが現在の日本経済に対して如何なる示唆を与えるものなのか、考察していくことにします。
(*)『経済表』は、国家経済の再生産過程を1枚の表に描き出した「経済表」と、それを解説した諸文書からなります。1枚ものの「経済表」は、「原表」(第1版→第2版→第3版)→「略表」→「範式」という3段階で発展していきます。1758年から1759年にかけてヴェルサイユ宮殿地下の印刷室でごく小部数印刷されたものとみられる原表は、「経済表」+「経済表の説明」+「シュリー公の王国経済要諦」の3部分から構成されたものでした。岩波文庫版の『経済表』には、「経済表」およびその付属文書のみならず、「経済表」の考え方を説明するために他の雑誌等に発表された論稿も収録されています。以下、「経済表」と表記した場合は「表」そのものを、『経済表』と表記した場合は「表」とその解説文書を含めたものを指すことにします。

