目次
(1)報告者レジュメおよびそれに対しての他メンバーからのコメント
(2)ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学) 要約�@
(3)ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学) 要約�A
(4)ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学) 要約�B
(5)ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学) 要約�C
(6)改めての要約と論点の提示
(7)論点1:アリストテレスの精神の哲学とはどういうものか
(8)論点2 アリストテレスの論理学はどういうものか
(9)論点3:「ギリシア哲学の第一期」とは何だったのか
(10)参加者の感想の紹介
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(1)報告者レジュメおよびそれに対しての他メンバーからのコメント
わが京都弁証法認識論研究会は、一昨年のヘーゲル『歴史哲学』と昨年のシュヴェーグラー『西洋哲学史』の学びを踏まえて、ヘーゲル『哲学史』を読み進めていくことを今年と来年の課題としています。ヘーゲルが絶対精神の自己発展をどのように捉えていたのかの大きな流れを掴み、極力それを唯物論の立場から捉え返すことを目指して、ヘーゲル『哲学史』にチャレンジしているところです。
12月例会では、アリストテレス(精神の哲学・論理学)について説かれている部分を扱いました。
今回の例会報告では、最初に例会で報告されたレジュメを紹介します。ついで、扱ったテキストの要約を4回に分けて掲載したあと、参加者から提起された論点について、どのように議論をしてどのような(一応の)結論に到達したのかを紹介していきます。最後に、この例会を受けての参加者の感想を紹介します。
今回はまず、報告担当者から提示されたレジュメと、そのレジュメに対してなされた他メンバーからのコメントを紹介することにしましょう。
ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学、論理学)
【1】精神の哲学(心理学)
ヘーゲルはアリストテレスの心理学について、まず魂の3種類に言及する。すなわち、栄養をとる魂(植物的な生に対応)、感覚する魂(動物的な生に対応)、思考する魂(人間的な生に対応)の3種類である。さらに、人間は植物的性質と感覚的性質とを自分のうちで統一しているという。
ここからヘーゲルは、感覚作用について考察していく。アリストテレスによれば、感覚作用は単なる受動性ではなく同時に能動性でもあるという。受動性とは、外からの影響がなければ感覚は成立しないということであり、能動性とは、魂が受け取った内容を自分のものとすることである、というのである。さらに、感覚においてはただ形相だけが魂のところに到来するとアリストテレスは捉えていることを紹介した後、ヘーゲルは感覚されるものと感覚するものとは現実の存在からいうと異なったものであるが、働きとしては1つのものであるという。魂は外の物体の形相を自分自身の形相に変えつつ、自己自身を維持するというのである。
続いてヘーゲルは、思考の問題について検討していく。アリストテレスによれば、思考する知性(ヌース)は外からの働きを受けるものではなく、端的には能動的であるという。ヌースは絶対的な活動であり、ヌースは感覚とは異なり、物体から分離されうるというのである。ここでヘーゲルは、精神は白板(タブラ・ラサ)であって、外的な対象によってはじめてそこに書き込まれるとアリストテレスが主張しているかに解釈することの誤りに言及している。ヘーゲルは、この比喩について、魂は可能的にはすべてであるが、実際にはそこに何かが書かれるまでは無であって、思考するときのみ現実的である、という意味であって、思考の受動性を主張するような見解は全くの誤りであると主張する。
さらにヘーゲルは、アリストテレスが能動的なヌースと受動的なヌースとを区別していることに触れ、受動的なヌースが自然のことであるのに対して、能動的なヌースは働く力ともいえる全てをつくりだす知性であり、自立的絶対的に存在する活動であると説く。また、ヌースは思考(主観的なもの)であり、かつ思考されるもの(客観的なもの)でもあるとされる。
ヘーゲルはこうしたアリストテレスの心理学が、形而上学の最高峰であり、最も思弁的なものであると高く評価しているのである。
<報告者コメント>
まず、アリストテレスが、魂を生物の大本にあるものだとして、生物の共通性に着目できたこと、さらにこの魂を3つに分類し、それぞれ植物、動物、人間の特徴を、栄養をとること、感覚すること、思考することという形で抽象でき、かつ、これらが上書きされる形で発展していることを捉えることができたことが興味深い。諸々の経験をそれなりに括ることができる論理能力の芽生えがアリストテレスに生じたということであろう。
また、感覚や思考について、二重性で把握していることも着目すべき点であろう。例えば、感覚についていえば、感覚されるものがなければ感覚は成立しないし、感覚するものがなくても感覚は成立しないということを、この二重性の把握において明らかにしているようである。魂の形相は完成の働きだとした根本的な把握から、感覚とは何か、思考とは何かを当時の時代的制約の中で論理的に筋を通して説こうとしたといえるのではないか。但し、感覚する働きは主体性と客体性との同一性の形式であるとか、ヌースは思考でありかつ思考されるものであるとかいった主張は、唯物論の立場からは許容されるものではありえず、アリストテレスにおいては、まだ対象と認識との区別と連関が明確に捉えられていなかった、簡単にいえば、対象と認識とを渾然一体として未分化の状態で把握しようとしていた、といえるのではないか。
それにしてもヘーゲルは、このアリストテレスの心理学を非常に大きく評価している。これは、ヘーゲル自身の把握した絶対精神の自己運動というものの原基形態を、アリストテレスのヌース論に見出したからにほかならないだろう。ヌースは感覚や思考によって、自分自身の実体を豊かなものにしていって、遂には完成態にまで達するという把握は、絶対精神の自己運動に近いものを感じる。しかし、ヘーゲルの絶対精神の自己運動と比べれば、アリストテレスの能動的なヌースというものは、全歴史的過程をも視野に入れた筋道というものにはなっておらず、第一質料から第一形相へという直線的な把握である印象があり、ヘーゲルのように円環が閉じる(絶対精神が自然に外化して再び絶対精神に復帰する)構造にはなっていない。始点と終点とが論理的に統一されていないといえるだろう。
【2】精神の哲学(実践哲学)
ヘーゲルはまず、アリストテレスの倫理学について述べる。ヘーゲルによれば、アリストテレスは幸福を最高善として規定し、この善はプラトンのように抽象的な理念ではなく、現実の契機が本質的にそれに内在しているような善だという。そしてそれを、絶対的に存在する徳へと向かう現実態であるとするのである。
またアリストテレスは、徳とは理性的な側面(知性、知恵、思慮など)と非理性的な側面(感覚、嗜好、欲情など)との統一、理性が命じることを情欲が行うという関係であるとする。ここから、徳の準拠を中庸にあるものとするのである。ヘーゲルはこのアリストテレスの規定に対して、これは事柄の本質であると述べている。
続いてヘーゲルは、アリストテレスの政治学に言及する。アリストテレスによれば、必然的に実践的なものであり積極的なものは普遍的国家であって、倫理は個人にも属するものの、その完成は国民において成し遂げられるという。アリストテレスは、国家をその本質からいって個人や家族よりも上のもので、それらの実体をなすものと見なしていた。国家は個人の完成態であり、本質であるというのである。
ヘーゲルによれば、アリストテレスの政治学は、現在でも有益な国家の内面的な諸契機に関する知見を含んでいるものの、近代国家の抽象的な法を知らなかったため、国家全体がより大きな自立性をもち、個人がより高度な自由を享受するということはなく、古代の諸国民の自由は自然の戯れ、個人の偶然と気まぐれであったということである。
<報告者コメント>
善の規定に関して、プラトンとアリストテレスの違いが述べられていることにまず注目する必要があろう。プラトンの善のイデアというのは、抽象的な理念であって、現実の感性的な世界からいわば切り離されていたのであるが、アリストテレスの善は、徳へと向かう現実態であって、次々に形相を実現していく過程として、現実の感性的な世界から媒介されたものとして、把握されているのである。
また、アリストテレスの徳の規定について、理性的な側面と非理性的な側面との統一として把握されていることも注意する必要があろう。それまでは、徳といえば非理性的なものを排した理性的なものだと考えられていたのであるが、これらを統一したところに徳があるとしたことは、上記の感覚の二重性、思考の二重性と共に、アリストテレスのものの見方を象徴しているように思う。対立物を統一する討論過程を、自らの頭脳活動として、「独りっきりの二人問答」を自らの実力で行えるレベルに、認識の実力が達していることを示すものではないか。
合わせてこの徳の規定は、論理能力と大志の関係、すなわち学問構築上の必須の条件との関わりで見てみるのも面白いのではないか、などと感じた。徳に二重性があるように、学問構築にも二重性があるのであって、そのどちらも学問構築には必須の土台であるということである。
【3】論理学
ヘーゲルはアリストテレスの論理学について非常に高い評価を与えている。そして、論理学は純粋な知性の抽象的な活動についての意識(あれこれの具体的なものについての知ではなく、純粋な形式)であり、この意識は驚くべきものであり、この意識を学問にまで仕上げるのはさらに驚くべきものだと驚嘆している。そして、思考の運動についての考察が、『オルガノン』という5つの篇からなる論理学の著作において扱われているとして、1つ1つ具体的に検討されていくのである。
その上で、抽象的な知性の活動を意識するようになったこと、思考が私たちの内で用いるこれらの形式を認識し規定したことは、アリストテレスの不朽の功績であるとヘーゲルは讃えている。
しかしその一方でヘーゲルは、アリストテレス論理学の限界についても言及している。すなわち、論理学の内容が知性の法則であり、事物そのものの運動が媒介されていない、あるいは、諸々の規定が必然的で体系的な全体になっていない、というのである。
<報告者コメント>
ヘーゲルは、アリストテレスの論理学について、極めて高い評価を与えながらも、その限界についても指摘している。「思考の運動はまるでそれだけで自立していて、思考される対象とは少しもかかわりがない」(p.140)、「思考と、思考そのものの運動における個々の契機がバラバラになっている。多くの種類の判断や推論があるが、それらのそれぞれがそのものだけで有効性をもち、そのようなものとして絶対的な真理性をもつ、とされている」(p.142)ことなどが批判的に言及されていることから、ヘーゲルの批判の焦点は、形式と内容の統一がなされていないこと、さらには個々の真理をつなぐ体系的な原理がないことにあるのではないか。つまり、あまりにも抽象的な知性の形式について研究しすぎるあまり、現実の具体的な感性的な事物・事象をその形式で説明し切ることが不可能となったのであり、個々の概念についてはそれなりに捉えられているものの、それら全体を貫く体系性、論理性というものまでは示し切れていない、ということだろう。
ヘーゲルは、こうした体系的な哲学について、ギリシャ哲学の第一期が残した課題として、第二期にその解決が託されたとみているようである。
このレジュメに対して、他のメンバーからは「感覚する働きは主体性と客体性との同一性の形式であるとか、ヌースは思考でありかつ思考されるものであるとかいった主張は、唯物論の立場からは許容されるものではありえ」ないとはどういうことかという質問がなされました。報告者は「唯物論では、思考するものが思考されるということはない」と答えましたが、それに対して「例えば言語における主体的表現とは、主観を客観的なものとして見ており、思考するものが思考されていると言えるのではないか」という反論が出されました。すると、報告者は「確かにそうだが、この思考するものが思考されるとはそういう意味ではなくて、対象と認識が同一だという意味なのではないか」と発言しました。この点については、後の論点でも扱うことになるので、ここでの議論はひとまずここで終えました。
その他のメンバーからは、内容がコンパクトにまとめられていてよいのではないかという感想が出されました。
2015年12月22日
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・2014年11月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第46章
・一年間の育児を振り返る
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・2014年12月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』のまとめ
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・夏目漱石を読む�A――二百十日、野分、虞美人草、坑夫
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・マインドフルネスを認識論的に説く
・道徳思想の歴史を概観する
・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部の要約
・弁証法的に学ぶとはいかなることか――一会員による『医学教育 概論(3)』の感想
・一会員による『学城』第1号の感想
・新大学生への訴え
・2015年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論A
・心理職の国家資格化を問う
・5年目教師としての1年間を実践記録で振り返る
・文法家列伝:時枝誠記編
・2015年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論B、C、東洋哲学
・夏目漱石を読む�B――三四郎、それから、門
・臨床心理学のあるべき姿を考える――一会員による『医学教育 概論(4)』の感想
・アダム・スミス「模倣芸術論」を読む
・デューイの教育論の歴史的な意義を問う―『学校と社会』を通して
・2015年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ギリシア哲学史の序論、イオニア派の哲学、ピュタゴラスとピュタゴラス派
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・2015年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソフィスト派・ソクラテス
・アダム・スミス『法学講義』を読む
・学問上達論とは何か――一会員による『哲学・論理学研究(1)』の感想
・2015年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソクラテス派、プラトン
・庄司和晃追悼論文―庄司和晃の歩みはいかなるもので、何を成し遂げたか
・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部第4章の要約
・一会員による『学城』第2号の感想
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・ナイチンゲール看護論を心理臨床に活かす――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(1)』の感想
・文法家列伝:時枝誠記編(補論)
・英語教育改革を問う―『英語化は愚民化』書評―
・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
・2年間の育児を振り返る
・2015年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学)
・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
・図式化にはどのような効用があるのか
・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
・ケネー『経済表』を読む
・SSTを技化の論理で説く
・一会員による『学城』第13号の感想
・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
・一会員による『学城』第3号の感想
・新大学生に与える
・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
・『吉本隆明の経済学』を読む
・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
・ブリーフセラピーを認識論的に説く
・夏目漱石の思想を問う
・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
・夏目漱石の中・長編小説を読む
・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
・改訂版・観念的二重化への道
・ロックの教育論から何を学ぶべきか
・文法家列伝:ソシュール編
・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
・高校生に説く立憲主義の歴史
・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
・アダム・スミス『国富論』を読む
・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
・3年間の育児を振り返る
・近代教育学の成立過程を概観する
・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
・年頭言:機関誌の発刊を目指して
・激動する世界情勢を問う
・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
・一会員による『学城』第4号の感想
・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
・本来の科学的な教育とは何か
・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
・システムズアプローチを弁証法から説く
・一会員による『学城』第14号の感想
・ルソー『学問芸術論』を読む
・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
・斉藤喜博から何を学ぶべきか
・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
・小中一貫教育を問う
・ヘーゲル『哲学史』を読む
・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
・文法家列伝:宮下眞二編
・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
・マルクス思想の原点を問う
・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
・教育の政治的中立性を問う
・日本経済の歴史を概観する
・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
・一会員による『学城』第15号の感想
・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
・現代日本の政治家の“失言”を問う
・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
・障害児の子育ての1年間を振り返る
・新しい国家資格・公認心理師を問う
・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
・徒然なるままに――40歳を迎えて
・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
・教育実習生に説く人間観の歴史
・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言

