(1)フロイトは神経症の謎に取り組んだ
(2)神経症の症状には無意識の意味がある
(3)病因は拒否,固着,葛藤である
(4)無意識の意識化が治療目標である
(5)フロイトは異常な認識の論理化を試みた
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(1)フロイトは神経症の謎に取り組んだ
本稿は,「フロイト『精神分析入門』を読む(上)」の続編です。「フロイト『精神分析入門』を読む(上)」では,フロイトの『精神分析入門』の「第一部 錯誤行為」「第二部 夢」を取り上げ,フロイトの論の展開に沿って,その内容を紹介しました。本稿はその続編ですので,まずは,前回の連載第5回で説いた内容を元にして,前稿を簡単に紹介しておきます。
『精神分析入門』は第一次世界大戦中に,フロイトが61歳の時に刊行された著作で,大学での講義を再現したものです。本書は非常に特徴的な論の展開を行っています。それは,自説に対する異議や反問を予め想定しておいて,その異議や反問を提示した後,それに答えていくという弁証法的な展開方法です。また,本書にはフロイトが76歳の時に書いた続編も存在します。
フロイトは,いきなり専門の神経症の問題を取り上げるのではなく,錯誤行為という,日常誰もが経験する身近な話題から講義を始めています。フロイトの言う錯誤行為とは,たとえば,言い違いとか書き違い,読み違い,聞き違いや度忘れ,置き忘れ,紛失などの,誰もが犯しがちなちょっとした間違いのことです。こういった錯誤行為の起こる原因を偶然に帰してしまうと,自然界の決定論を破ることになり,学問的な世界観が放棄されてしまうとフロイトは説いています。そうして,錯誤行為にも必然的な意味・意図があるのだとして,論を展開していくのです。フロイトは特に言い違いを取りあげて,衆議院議長が開会を宣言する代わりに閉会を宣言してしまった例などをとおして,錯誤行為には独自の意味があり,この独自の意味が漏れてしまったのが錯誤行為であると説いています。さらにフロイトは,二つの異なった意図の共同,もっといえば相互の衝突の結果として錯誤行為は生じると主張しています。二つの意図とは,妨げる意向と妨げられる意向であり,両者は内容上関係があり,前者は後者への反対,あるいは後者に対する修正や補充を意味しているとのことです。そして,妨げる意向とは,口に出さないように押しつけられた意向であり,何か言おうとする意図が現存するのに,それを抑えつけるということが,言い違いを起こす不可欠の条件であると結論づけられています。錯誤行為に関する講義の最後の部分で度忘れの検討を行い,不快な感情と結びついているがゆえに,それを思い出すと不快感がふたたびよみがえってくるようなものは,記憶がこれを思い出すことを好まない,という原理が説かれています。フロイトは,想起あるいはその他の心的行為にともなう不快を回避しようとするこの意図,すなわち不快からの心理的逃走こそ,名前の度忘れのみならず,怠慢,見当ちがいなどのような,多くの錯誤行為の究極的な有力な動機であると説いていたのです。
続いて,夢についての講義に移ります。まず,夢を扱う理由が説かれています。フロイトによると,夢の研究は神経症研究の最上の準備となるばかりでなく,夢そのものがまさに神経症的な症状であり,しかもすべての健康な人たちに見られる神経症的な症状であるという点で,夢の研究は計り知ることのできない利益をもつとのことです。次に,夢判断の前提として,夢は身体的現象ではなく心的な現象であるということ,および,夢を見た人はその夢が何を意味しているのかを知っているが,自分が夢の意味を知っているということを知らないのだという二つが説かれています。後者に関しては,他の領域で証明済みだとして,催眠現象の研究が紹介されています。これは,はじめは催眠状態中のことを思い出せないと言っていた男が,促されて,最終的には全て思い出せたという実験です。これと同様に,夢についても本人がその意味を本当は知っているのだとしたら,夢判断の技法は,本人にその夢について連想することを自由に語ってもらうこと(自由連想)だということになります。フロイトは錯誤行為の研究を適用して,夢の要素とは,本来的なものではなく,他のあるものの代理物であるという見解を提示し,夢の要素についての自由連想によって,別の代理物を浮かび上がらせ,その代理物に基づいて隠れているものを推測するのが夢判断の技法だと説いています。ここで隠されたものを無意識的とか夢の潜在思想とか呼び,夢の要素を意識的とか夢の顕在内容とか呼ぶことを提案しています。この後フロイトは,小児の夢の検討という回り道をして,夢の歪曲は夢の本質ではないこと,夢は眠りの妨害者を取り除く役目を果たし,幻想的な体験で願望を満たされたものとして表現するということを説きます。その上で成人の歪曲された夢の検討に進み,夢の歪曲とは,夜眠っている間にわれわれのうちに働く,なにかしら忌まわしい願望に対して,自我に容認されている諸意向によって行われる検閲の結果であると主張するのです。
フロイトはさらに夢についての講義を続けます。フロイトは,夢の歪曲のもう一つの要因として,象徴的表現に触れています。これは水は出産を,3やステッキなどは男子性器を象徴するなどというような,恒常的な関係のことを表しますが,これは精神分析が発見したものではなく,自由連想に取って代われるものでもないことが強調されています。続いてフロイトは,夢の作業について詳しく検討していきます。夢の作業とは,潜在夢を顕在夢に置き換える働きのことであり,圧縮,移動,思想を視覚像に翻訳する作業の3つに分類されます。そして,最後の思想を視覚像に翻訳することこそが,夢の本質的なものであるとされています。このあとフロイトは,われわれの思想は感覚像にあとから言語が結び付けられ,ついでその言語に思想が結合されることによって生じてきたものであるが,夢の作業は,その思想の発展を逆戻りさせ,思想を感覚的な像に戻す操作であるから,思想に対してある種の退行的な処理を施すものであると指摘しています。さらにフロイトは,フロイトは自身が「太古的あるいは退行的表現方式」と名づけた夢の作業の特徴について説いていきます。夢の作業は,系統発生的太古時代に当たる幼児期と,個体発生的太古時代である幼児期に,われわれを連れ戻すというのです。フロイトは,無意識的な領域に残されている幼児期の記憶像を,夢の作業は自由に使用するのであり,心的生活における無意識的なものとは,実は幼児的なものであると説くのです。そのうえで,「昼の名残」が,無意識的な領域から出てくるものと一つになって,夢が形成されるのだと結論づけられています。最後にフロイトは,もしも夢が願望充足であるとすれば,夢の中に苦痛の感覚があるのはおかしな話ではないかという疑問に対して,三つの観点から答えています。そこでは,夢の作業が願望を充足することに充分に成功しなかったために,夢の思想中の苦痛の感情の一部が顕在夢中に残されていることがあること,抑圧された願望にとっての願望充足は,夢の検閲者の側に立つわれわれにとっては苦痛な感覚を引き起こす機縁となり,それを防衛しようとする機縁となるものにすぎないこと,懲罰もまた検閲を加える側の人間の願望充足であることが説かれています。
以上が,前稿のおよその内容です。前稿の連載第5回では,このような内容を振り返った後,錯誤行為と夢の共通性という点に絞って,以下のようにまとめ直しておきました。
「両者はともに,本人には未知の無意識的な内容が歪曲されて,本人に自覚できる代理物として現象しているという点で,共通性があります。未知の無意識的な内容は,ある意味本人の本心ですが,その場で出てきては困るもの,社会的に許容されない(と本人が思っている)ものであるために,無意識の領域に抑圧されているのです。しかし,これがふとした拍子に意識上に現われてしまうことがあるのです。ただし,そのまま現われることはまれで,たいていは何らかの形に歪曲されて現われます。夢であれば,これが検閲の働きです。どうして歪曲されるのかというと,そのまま現われたのでは,良心がとがめるというか,自分自身も不快に感じてしまうからです。すなわち,歪曲された形で現われる,そのままではなく何らかの代理物という形で現れるのは,不快からの心理的逃走のため,といえるのです。」
要するに,抑圧された無意識的な内容が,まだ自我に許容されるような内容に歪曲された形で意識上に出てきたものが錯誤行為であり,夢である,ということです。
本稿では,以上の内容を踏まえて,『精神分析入門』の神経症論の部分を読み進んでいくことにします。特に,錯誤行為や夢の講義で説かれた内容とのつながりを重視して,神経症論を読み解いていきたいと思います。
さてここでは,精神医学に馴染みのない読者のために,そもそも神経症とはどのような疾患であるのかを,簡単に説明しておきたいと思います。Wikipediaでは,次のように説明されています。
「神経症(しんけいしょう,Neurosis)とは,精神医学の伝統的な用語で,不安などの不適応行動を特徴とし,入院するほど重篤ではない場合が多い状態である。……神経症に対するかつての用語は,精神病であり,行動や思考過程の障害が激しくより重篤な状態を指した。……
歴史
19世紀以前において,脳や体に何も異常がないのに精神(神経)が病に冒されたようになる病気をそう呼んでいた。当時はアカデミックの精神医学にしろ町の開業医にしろ,体に異常がないのに体や意識がおかしくなる精神疾患は原因不明と考えられており,このような精神疾患に神経症という名前が当てはめられた。フロイトが精神分析という方法で神経症の患者を研究していたことが有名である。」
ここで説かれていることをわかりやすく言い換えるならば,フロイトの時代には,精神疾患は大きく二つに分類されており,重症な方が精神病,軽症な方が神経症と呼ばれていた,ということです。そして神経症は,不安を伴うことが多く,脳や体に何も異常がないのに発症する謎の病とされていたということです。
もう少し詳しく説明します。フロイトが主に対象としていたのは,神経症の中でもヒステリーや強迫神経症と呼ばれる疾患でした。ヒステリーというのは,たとえば『アルプスの少女ハイジ』に出てくるクララのような症状です。彼女は脳や体に異常がないのに歩けません。他にも,声が出なくなったり,けいれん発作が起こったり,知覚が麻痺したり,視野が狭くなったりする症状が出ることもあります。また,特定の対象を異常に恐がる恐怖症も,ヒステリーの一種とされていました。
強迫神経症とは,現在の強迫性障害(強迫症)のことで,頭では不合理だとわかっているのに,ある特定の儀式的な行為を繰り返してしまい,それをやめられないという疾患です。不潔恐怖で手洗いを繰り返してしまうとか,火事になってしまうことを恐れてガスの元栓の確認を繰り返してしまうとかが,現代日本人に多い典型的な症状です。
現代であれば,恐怖症や強迫性障害などは,認知行動療法という学習理論に基づく介入によって,かなりの改善が見込めるようになっています。しかし,フロイトが生きた19世紀から20世紀にかけての時代にあっては,これらを含む神経症は,いかにも複雑怪奇で,治療困難な難病とされていたのでした。そのような対象に取り組み,精神分析という新しい学問を構築して一世を風靡したのがフロイトだったのです。
さて,『精神分析入門』における神経症論は,以下のような13講からなっています。
第三部 神経症総論
第十六講 精神分析と精神医学
第十七講 症状の意味
第十八講 外傷への固着 無意識
第十九講 抵抗と抑圧
第二十講 人間の性生活
第二十一講 リビドーの発達と性的体制
第二十二講 発達および退行の諸観点 病因論
第二十三講 症状形成の経路
第二十四講 普通の神経質
第二十五講 不安
第二十六講 リビドー論とナルシズム
第二十七講 感情転移
第二十八講 精神分析療法
本稿では,大筋でこの講義の流れに沿いながら,特に重要な部分を重点的に取り上げる形で説いていきたいと思います。そして,認識論の発展にとって重要だと考えられる点にも触れながら,また,錯誤行為や夢との共通性を念頭に置きながら,読み解いていきたいと思います。
なお,本ブログでは2015年10月19日から5回にわたって,「三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部第4章の要約」を掲載しました。ここでは三浦つとむさんがフロイト理論を批判的に検討されている内容を紹介しましたが,本稿ではフロイト理論を批判的に扱うというよりも,まずはその前提として,フロイト理論をしっかり理解しようという問題意識のもとに執筆しています。したがって,フロイトの講義の流れに沿って,フロイトのいわんとしていることを読み取ることがその目的となっています。ご了解ください。

