2015年09月27日

アダム・スミス『法学講義』を読む(12/13)

(12)スミスにおいては経済が国家の実質的中身として位置づけられた

 本稿は、経済(市場)は政治(国家)から自立したシステムであるべきで政治は経済に介入すべきでない、という「自由主義経済学」の教義の妥当性が根本から問い直されなければならない情況になってきていることを踏まえ、「自由主義経済学」の源流とされてきたアダム・スミス『国富論』がスミス自身の『法学講義』から派生してきたものであることに着目し、この『法学講義』の全体像を概観していくことによって、『国富論』を「源流」として「自由主義経済学」が形成されていく過程において、見失われてしまったものは何なのか、明らかにすることを目的にしたものでした。ここで、本稿でこれまで解いてきた流れを簡単に振り返っておくことにしましょう。

 スミスは『法学講義』全体の序論において、「法学は、法と統治の一般諸原理の理論である」と確認し、「法の四大目的」として、正義(justice)、生活行政(police)、公収入、軍備を挙げていました。

 このうち正義論では、まず、正義とは侵害からの安全保障である、と定義された上で、人間としての安全保障を論じる私法論、家族の一員として安全保障を論じる家族法論、国家の一員としての安全保障を論じる公法論の3つの領域に分かれることが説明されていました。論の展開の順序に関連してスミスは、そもそも所有権を守るためにこそ国内統治が成立したのであるし、所有権の状態は国内統治の形態とともに歴史的に変化してきたのだ、として、公法論から(家族法論を媒介して)私法論へ、という流れを予告していたのでした。

 スミスは、主権者(統治者)と臣民(被治者)のそれぞれの権利を論ずる公法論の前提として、人類社会の歴史を〈狩猟→牧畜→農耕→商業〉の4つの段階に分け、正規の統治は、牛や羊といった私有財産が成立した牧畜段階において、これらの財産を防衛するためにこそ発生したことを確認し、そこから、古代ギリシャにおける共和制の成立、古代ローマにおける軍事的君主制の成立と崩壊、ゲルマン人侵入による混乱と封建制の成立、国王の権力の専制化、議会の権限強化による自由の回復、という歴史的発展の流れを概説していました。また、私法論においては、「観察者」や想像上の立場の交換という『道徳感情論』で詳しく展開された論理を絡めつつ、人類の認識の歴史的発展という観点から、所有権の歴史的な拡大の過程が辿られていたのでした。

 スミスが論じた国内統治(市民社会)の歴史の到達点は、国民の自由(国王の権力に束縛されないこと)が確立されたところであり、同じくスミスが論じた所有権拡大の歴史の到達点は、土地の売買の自由(何世代も前の故人の遺志に縛られないこと)が切実な課題として浮上してきているところでした。こうした議論の到達点に立って、生活行政(生活資料の安価と豊富を実現する国家の機能)についての議論が展開されていくことになります。

 スミスの生活行政論について、本稿では、大きく、分業論、価格論と貨幣論、一国の富裕の進行が遅れてしまう原因についての考察、という3つの部分に分けて紹介してきました。分業論においては、分業(労働の分割)こそが生活資料の安価と豊富をもたらすものであること、分業の根拠は説得の本能を基礎とする交易性向にあること、この交易性向の具体的な発現は「私の欲しいものを私にくれれば、あなたはあなたの欲しいものを手にするだろう」と相手の仁愛ではなく利己心に働きかけるものであること、などが論じられていました。価格論と貨幣論においては、商品の市場価格の変動は自然価格によって規制される(商品の価格は、その商品の生産のために投入される労働に適正な報酬が支払われるところに落ち着く)こと、諸商品の自然価格を通じて産業の自然的均衡が達成される(どの労働にどれくらいの労働が投入されるべきかという問題が解決される)こと、商品取引の発展に伴って価値尺度および流通手段として金貨・銀貨が鋳造されるようになったこと、流通手段としての銀行券(紙幣)を発行することで、節約された金銀を国外に送って生活に必要な商品を輸入することは、一国の富裕に資するものであること、などを論じていました。さらにスミスは、一国の富裕は貨幣にある、という当時支配的であった考え方を誤りと断じ、個々人の財産の安全保障という国内統治の枠組みを確立した下で、生産的な労働に従事する人々の労働意欲を削ぐ諸々の観念(商工業への軽蔑など)や制度・政策(穀物の輸出禁止や特権的大商人の優遇など)を排するならば、富裕の進行が実現していくであろうことを主張していたのでした。スミスが、貨幣こそが富であるという謬見を排して、人々の労働によって生活必需品がきちんと継続的に生産されていくことこそ国家にとって死活的に重要であることを見抜いた点、また産業の自然的均衡というべきものに沿って社会的総労働が分割されるべきであることを鋭く指摘した点は、現代にも通じる卓見として、高く評価するに値するものであることを確認しておきました。

 続いて、スミスの公収入(租税+公債)論、および、商業の発展が国民のマナー(風習、習慣)に与える影響についての議論を紹介しました(公収入は、序論においては「法の四大目的」のひとつとして、生活行政と並んで挙げられていますが、実際の議論の展開のなかでは、公収入論は生活行政論の一部として取り込まれているのでした)。ここでは、統治のための費用を得る上での財産税や消費税などの優劣が論じられ、公債が成立した歴史的経緯や公債価格の変動の要因について、考察されていました。さらに、スミスは、商業の発展が(商人として成功するために、という利己心に導かれて)誠実と几帳面という徳を涵養したこと、一方で、下層民衆の知的鋭敏さの欠如、国民の尚武の精神の衰退といった弊害をもたらしてしまったことを指摘して、生活行政論の締め括りとしていたのでした。

 次に、「法の四大目的」の最後に来る軍備論について紹介しました。ここでスミスは、狩猟段階→牧畜段階→農業段階→商業段階という社会発展の歴史を念頭に置きつつ軍備の歴史を概観し、常備軍導入の歴史的必然性(分業=社会的総労働の分割の一環としての必然性)を説く一方、それが国王専制の道具として使われてしまう危険性(また、その点での民兵制の優位)をしっかり直視した上で、その組織のあり方には慎重な配慮が必要だと主張していたのでした。一般論としては、政府が責任を持って募集し、軍人として雇った人たちに対して給与を支払う近代的な常備軍(この対極にあるのが、古代ローマの軍閥です)は、国民の自由に対して脅威となる危険性は少ない、というのがスミスの主張でした。

 ここまでで、スミスが「法の四大目的」とした4つの項目、すなわち、正義、生活行政、公収入、軍備についての考察を一通り概観したことになるわけですが、スミスは法学の最後に(それまでの議論が国家内の関係を対象にしていたのに対して)国家間の関係を律する国際法についての議論が必要になる、と述べて、戦争と平和に関わる国家間のルールについて、�@何が戦争の正当な原因か、�Aある国家が戦時に他の国家に対して合法的に何をなし得るか、�B交戦諸国は中立諸国家に対して何をなすべきか、�C諸国家間における外交使節の諸権利は何か、という4つの問題が考察されていたのでした。

 このように、スミスの『法学講義』は、身体と財産の安全保障のために成立した国内統治の歴史的発展過程を辿った公法論に始まり、所有権の歴史的な確立過程を論じた私法論を経て、産業の自然的均衡というべきものに沿って社会的総労働が分割されるべきことを論じた生活行政論に至り、そこからさらに、政府の活動に必要な財源を確保するための公収入論(租税論+公債論)、他国家による侵略から国家を防衛するための軍備論が展開され(ここまでひとつの国家の内部に視野を向けた議論)、最後に、諸国家間の関係を律する国際法についての考察によって、全体が締め括られることになるのです。

 以上、本稿でこれまで説いてきた流れを、後の『国富論』の核心的部分の原型といえる生活行政論にやや重点を置く形で、振り返ってきました。ここで、本稿の連載第2回目で紹介した、『道徳感情論』第6版の序文におけるスミスの言葉を再録しておくことにしましょう。


「この著作の初版の最終パラグラフで私は、別の論考において、法と統治の一般的諸原理について説明するよう努めるとともに、この一般的諸原理が社会のそれぞれ異なる時代ないし時期に応じてそれぞれこうむることになった種々の大変革について、たんに正義(justice)に関する事柄にとどまらず、生活行政(police)や公収入、および軍備に関わる事柄、さらには法の対象となる他の全ての事柄も含めて、説明に努めるつもりである、と述べておいた。『諸国民の富の本質と原因に関する研究』において、私はこの約束を部分的に、少なくとも生活行政、公収入、軍備に関する限り、実行することができた。」(『道徳感情論』第6版への序文。筆者訳)


 『法学講義』の全体像を概観した上でこのスミスの言葉を改めて読み直してみるならば、『国富論』が決して単なる経済学の本として構想されたものではなく、あくまでも国家(法と統治)の全体像(社会の始原からの発展過程をも視野に入れての!)を描き出す壮大な構想の一部であったことが、深く納得してもらえるのではないでしょうか。端的には、正義(身体・財産の安全保障)という枠組みのなかで展開する実質的な中身として生活行政(分業による生活資料の安価と豊富の実現)が位置づけられていたのであり、そこを踏まえて再び公収入および軍備という国家の枠組みに戻っていく、という構想があったわけです。換言すれば、スミスにおいては、経済(社会的総労働の適正な分割)が国家の実質的な中身として位置づけられ、そこを土台に公収入論や軍備論といった国家の枠組みについても説き及んだのが『国富論』であった、ということができるでしょう。
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 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言
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