(1)一年間の育児の中で何を学んだか
(2)子どもの実体の成長・発達
(3)子どもの認識の成長・発達
(4)親の認識の変化・発展
(5)育児は南郷学派の論理を再措定できる貴重な場である
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一年間の育児を振り返る(1/5)
(1)一年間の育児の中で何を学んだか
近年,赤ちゃんの出生数が減っており,昨年も過去最少を更新したとして,次のようなニュースが報道された。
「出生数最少102万人,昨年,出生率は1.43,人口減少が加速。
2014/06/05 日本経済新聞 朝刊
厚生労働省は4日,2013年の人口動態統計を発表した。赤ちゃんの出生数は前年から7400人減り,過去最少の102万9800人。死亡数は前年より1万2千人増え,最多の126万8400人となった。1人の女性が生涯に産む子供の数の推計値を示す合計特殊出生率(3面きょうのことば)は1・43と0・02ポイント上昇したものの,人口減少が加速していることが鮮明になった。(関連記事3面に)
出生数は3年連続で過去最少を更新した。出産する世代と重なる15〜49歳の女性人口が2591万4千人と,22万1千人減ったことが大きい。
出生数から死亡数を引いた自然減は23万8600人で過去最大。6年連続で最大値が続き,人口減少のスピードが増していることがうかがえる。
平均初婚年齢は男性が30・9歳,女性が29・3歳だった。女性が第1子を産む年齢も30・4歳で,いずれも過去最高だった。晩婚化,晩産化の傾向が続いている。
出生率は2年連続で上昇。05年の1・26を底に緩やかに改善している。人口構成比率の大きい団塊ジュニア(71〜74年生まれ)に連なる30歳代の女性の出産が多いためだ。」
ここでは,合計特殊出生率は若干上昇したものの,出産する世代の女性人口が減った影響で,出生数が3年連続で過去最少を更新したことなどが報道されている。筆者の娘も昨年生まれたので,過去最少の102万9800人のうちの一人ということになる。
娘誕生以来,約一年が経過した。乳幼児の痛ましい事故や事件もいくつも報道されている昨今,娘は大きな事故や問題もなく,無事に成長してくれた。そんな姿を見ると,親としてはうれしい限りである。しかし,現象的に問題がないように見えても,論理の光を当ててみると,非常に大きな問題が潜んでいるということも,なきにしもあらずである。人間を大きく統括するところの認識は,そもそも目に見えないものであるから,認識上の問題は,よほど論理的に捉える実力がない限り見抜けないものであるし,現象の背後にある構造上の問題も,これまたそれなりの論理能力がなければ見抜くことはできないから,油断はできない。たとえば,認識上の問題に関していえば,育て方によっては,においに敏感になりすぎたり,好き嫌いが激しくなってしまったりすることが瀬江千史『〔改訂版〕育児の生理学』(現代社)に説かれている。また,瀬江千史「看護のための生理学(43)」(『綜合看護』2012年3号)には,抱き方一つで首の座りやお座り,それに寝返り等が遅くなってしまうというような事例が説かれている。
したがって,育児者たるものは,しっかりと育児と,育児の対象である赤ん坊とを論理的に捉えられるように訓練しなければならないといえるだろう。筆者はその一環として,半年前に,「半年間の育児を振り返る」と題して,それまでの自身の育児実践を振り返り,子どもの実体と認識の成長・発達,親の認識の変化・発展を,主として南郷継正先生らによって措定された認識論や「生命の歴史」を踏まえて,考察した文章を書いた。本稿は,その続編である。
そもそも人間の成長にとって,赤ん坊の時ほど重大で重要な時期は他にないといえる。諺に「三つ子の魂百まで」とあるとおり,また,精神分析学を創始したフロイトが,幼少期の体験と成人期の精神病理の結びつきを強調したように,である。「半年間の育児を振り返る」の最後でも引用したように,瀬江千史先生は,この時期について以下のように説かれている。
「この時期の育て方の重要性は,たんに発達が急速であることによるのではなく,この時期の育てられ方が,それ以降の育ち方,すなわち「その人の人生」を決定してしまうところにあります。それはまさに「三つ子の魂百まで」の諺のとおりです。
これを生理学的に説きますと,人間は成長しきって生まれてくるのではなく,成長の過程で生まれてくるからであり,「どのように成長させるか」で「どのような人間になるか」が決定し,いったんできあがってしまったものは,なかなか変えにくいからです。
またこれを認識論的に説きますと,端的には,人間は外界を問いかけ的に反映するものだからです。つまり,人間は「その人らしい問いかけ」によって「その人らしい反映」をもつということをとおして,その人らしさが個性として花開き,結果として誰々という,なんの何某という個性をもった,しっかりとした個人に育っていくということです。」(『[改訂版]育児の生理学』p.271)
ここで説かれているように,この時期の育て方がその後の人生を生理的にも認識的にも規定してしまうのであり,この時期の育て方によっていかなる個性にも育ちうる,という点で,非常に大切な時期といえるのである。
過ぎてしまった一年間は取り戻せないが,この一年間の育児をしっかりと反省して,どのような気づきや学びがあったのかをしっかりとまとめておくことは,この後の育児にも活かせる点があるであろうし,弁証法・認識論の学びとしても大切であると考えている。
そこで本稿では,これまで一年間の育児を振り返って,弁証法・認識論の観点から気づいたこと,学んだことをしっかりと認めていきたいと思う。前稿「半年間の育児を振り返る」では,まとめの部分で,育児ほど弁証法・認識論が学べるものは少ない,育児は弁証法・認識論の学びの宝庫である,と認めた。生まれてから半年の間に,系統発生でいえば単細胞段階から魚類,あるいは両生類段階までを機能として辿り返してしまうし,認識の発展も,「白紙」から急速に変化発展していくのであった。また親の側でも,その認識の変化・発展はすさまじく,これらを材料とすることによって,弁証法や認識論の生きた学びができることを説いた。
今回も,前稿の形式に従って,「子どもの実体の成長・発達」「子どもの認識の成長・発達」「親の認識の変化・発展」という3つの側面に焦点を当てて,前稿からの認識の発展も踏まえて,順に説いていきたい。このような3つの側面を設定したのは,人間は実体と認識の統一体であり,子どもの成長・発達を見る際に,実体のみに目を奪われていては一面的だからであり,さらに育児の対象のみならず,その育児の対象たる子どもと相互浸透的に発展していく親の認識にも着目しなければ,育児の全体像を射程に入れたとはいえないからであった。本稿では,前稿で説いた生まれたばかりのころから半年までの期間にも必要に応じて触れながら,主として半年から一年の期間を中心に考察していくこととする。

