目次
(1)報告者レジュメおよびそれに対しての他メンバーからのコメント
(2)シュヴェーグラー『西洋哲学史』第39〜40章要約�@
(3)シュヴェーグラー『西洋哲学史』第39〜40章要約�A
(4)シュヴェーグラー『西洋哲学史』第39〜40章要約�B
(5)シュヴェーグラー『西洋哲学史』第39〜40章要約�C
(6)改めての要約と論点の提示
(7)論点1:カントの批判哲学の全体像をどのように捉えるか
(8)論点2:カントの打ち立てた二律背反の哲学史的意義をどのように捉えるか
(9)論点3:カントからヘーゲルへの発展についてどのように考えるか
(10)参加者の感想の紹介
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(1)報告者レジュメおよびそれに対しての他メンバーからのコメント
本年、わが京都弁証法認識論研究会は、ヘーゲル『歴史哲学』とセットで理解すべきヘーゲル『哲学史』を理解するための準備段階として、南郷継正先生も著書で推薦されているシュヴェーグラー『西洋哲学史』(岩波文庫)を一年かけて読破し、その内容を主体的に掴み取ることを例会の目標として掲げています。
8月例会では、「第39章 カント」および「第40章 カント以後の哲学への移り行き」を扱いました。ここでは、『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』といういわゆる三批判書を中心にカント哲学の全体像が概観された上で、カント哲学が後に続く哲学者たちに如何なる影響を及ぼすことになったのかが、説かれていました。
今回の例会報告では、まず例会で報告されたレジュメを紹介したあと、扱ったテキストの要約を4回に分けて掲載し、ついで、参加者から提起された論点について、どのように議論をしてどのような(一応の)結論に到達したのかを紹介していきます。最後に、この例会を受けての参加者の感想を紹介します。
今回はまず、報告担当者から提示されたレジュメ、およびそのレジュメに対してなされた他メンバーからのコメントを紹介することにしましょう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【報告レジュメ】シュヴェーグラー『西洋哲学史』(第39章、第40章)
時代背景―17,18世紀のドイツ(プロイセン)
カントが終生過ごしたケーニヒスベルクはプロイセンによって支配された土地であった。宗教戦争である三十年戦争の後、ウェストファリア条約によってドイツ内の各領邦はそれぞれが主権を持つこととなった。その1つとして大きな勢力を持っていたのがプロイセンである。
プロイセンの強国としての基礎を築いたのはフリードリヒ・ヴィルヘルム1世(在位1713〜1740)である。彼は王権の強化を目指し、重商主義政策によって国家の充実を図り、官僚制度を整備し、強力な軍隊の養成に努力した。
その子であるフリードリヒ2世(フリードリヒ大王)(1740〜86)は君主の利益よりも人民の幸福を求める政治思想を掲げ、諸政策を行った。司法に関わって法の下の平等や刑罰の人道化、宗教政策については信仰の自由を認め、文化政策としてベルリン科学アカデミーを改革して学問の振興を図るなどした。しかし、その中心に据えられていたのはあくまでも富国強兵であり、オーストリア継承戦争に乗じてシュレジエンを獲得し、ドイツ統一の中心としての基礎を確立した。
1.カント哲学の全体像
カントは自らの哲学を心理学的に分類している。人間のあらゆる心的能力は認識、感情、意欲に還元される。認識能力が認識作用そのものの諸原理を含んでいるかぎり、それは理論的理性であり、欲求と行為の諸原理を含んでいるかぎり、それは実践的理性であり、最後にそれが快不快の感情の原理を含んでいるかぎり、判断力の能力である。かくして、カントの哲学は純粋理論理性の批判、実践理性の批判、判断力の批判にわかれる。
2.われわれは世界をどうやって捉えるか
あらゆる認識の要因である感性と悟性に関わって、われわれの感性または直観能力のア・プリオリな所有物を研究するのが先験的感性論であり、われわれの悟性のア・プリオリな所有物を研究するのが先験的分析論である。
われわれの感性的認識のア・プリオリな原理は、空間と時間である。空間および時間は外官および内官の最高の形式である。われわれは物をありのままに認識するのではなくて、時間と空間という主観的媒質を通して物がわれわれに現象する姿を認識するにすぎないのである。一方、悟性の根本概念(カテゴリー)は量・質・関係・様相である。カテゴリーの感性的な直観への適用を媒介するものが空間と時間(特に時間)である。なぜなら時間は先験的であり、かつ現象はすべて時間のうちにのみ表象されるからである。
これらは経験しうる対象としての物にのみ適用しうるのであって、物自体に適用することは許されない。悟性の概念を無制約的なものの認識に適用することによって、先験的仮象が生まれる。理性の思弁的理念には心理学的理念・宇宙論的理念・神学的理念の3つがある。心理学的理念においては純粋理性の誤謬推理を犯し、宇宙論的理念においては、純粋理性の二律背反へと追いやられ、神学的理念においては空虚な純粋理性の理想のうちをさまよう。
<報告者コメント>
カントは物自体と現象とにわけて、物自体は認識することができず、われわれが見ているのは現象だと主張した。これは合宿や例会で扱った「人間は主観的世界の中に生きている」ということに相当するだろう。我々が外界のある対象を見ているというとき、その対象を反映させて、アタマの中にその対象の像を描いている状態である。このとき、見ているのは外界の対象そのものではなく、あくまでもアタマの中に描かれた対象の像である。つまり、我々にとっては、その対象の像こそが客観的な現実なのである。したがって、その対象の像の成立こそがその人間にとっての対象の成立であり、まさしくカントの言うとおりだということになるだろう。
このように人間が見ているのは客観的な対象ではなく、アタマの中の像だと指摘した点がコペルニクス的展開であり、認識論的に重要な意義だと言えるだろう。
3.われわれは世界にどうやって働きかけるか
実践理性の批判は、いかにして意志を客体にかんしてア・プリオリに決定しうるかを研究しなければならない。人間の行為は感性的動機からだけでなく、純粋な理性による意志の決定も存在する。これは道徳律の事実によって確実である。道徳律とは、理性が自分自身によって意志に与える法則にほかならない。道徳律は定言的命令であって、たんに経験的な諸目的に役だつ規則を与える仮定的命令ではなく、それはすべての理性的意志を拘束する普遍的な法則である。ここから意志の自由という理念に完全な確実性と真理を与えられる。道徳律の命令とは「汝の意志の格率(行為の規則)を一般的にまもられる法則として考えるばあい、矛盾が生じないように行為せよ」である。道徳律への尊敬が意志を道徳律に従わせることになる。
最高善は最高の徳に最高の幸福が結合されるときにのみ完全である。この2つの概念は異種的であるから総合的にのみ結合が生じうるが、因果関係として連関していない。カントはこの二律背反の批判的な解決を感性界と叡智界との区別に見出し、感性界においては徳と幸福は一致しないが、超感覚的な世界では徳と幸福との争いは存在しないとした。最高の徳の実現の要求は魂の不死を、最高の幸福の実現の要求は神の存在を要請する。このように、実践理性からは自由の理念と同じように、不死の理念と神の理念とが生まれるのである。カントはこうした道徳の上に宗教がうち立てられると考えた。
<報告者コメント>
カントは意志を道徳律の命令に従わせなければならないと主張している。この道徳律の命令とは、アダム・スミスで言えば公平な観察者であり、ヘルバルトで言えば美的判断に相当するものだと言えるだろう。つまり、そうした絶対的なものに意志を従わせることこそが必要だと論じている点で共通していると言えるだろう。
さらに、カントが言う道徳律への尊敬の念とは、(アダム・スミスが言うところの)他者に尊敬されるに値する人間になりたいという思いだと言えるだろう。なお、『小学校学習指導要領解説 道徳編』では、「人間は,本来,人間としてよりよく生きたいという願いをもっている」と解説されている。この「よりよく生きたいという願い」こそ、道徳律への尊敬の念に他ならないだろう。
また、中世の道徳との関係で興味深いのは、カントが適法性と道徳性を区別している点である。カントは、感性的欲求によって道徳的な行為をした場合は適法性があるだけであり、道徳律そのもののために道徳的な行為をした場合は道徳性があるとしている。つまり前者は道徳律以外の目的(要するに何らかの行動の結果)を描いているということであり、後者は道徳律そのものを目的に描いているということである。中世の道徳とは、結局のところ、神の救済を求めるものであったから、道徳そのものではなく神の救済という別の目的(結果)をアタマの中に描いていたと言えるのではないか。つまり、カントの言うところの適法性に相当するのではないかと思われる。そこから時代の発展とともに、適法性と区別される道徳性というものをカントは打ち出したと言えるのではないか。なお、個体発生においても、「結果を重視する見方から動機をも重視する見方へ」(『小学校学習指導要領解説 道徳編』)と発展するとされている。この辺りも個体発生と系統発生がパラレルな印象を受けて、非常に興味深い。
4.2つの世界をどう統一するか
理論的理性は世界を自然法則にしたがって把握することを教え、実践理性は、すべてが自由によって規定されている倫理の世界をわれわれに開いた。判断力は両者の統一の根拠の概念を掲げることで、自然の国と自由の国との間の深淵を埋める。判断力は特殊を普遍のもとに含まれているものとして思考する能力であるから、それは自然の経験的多様性を、1つの超感的、先験的な原理へ関係させるものである。目的こそ超感性的な統一であるから、判断力の対象は自然の合目的性である。しかも合目的性は快と結びついているから、判断力が快不快の感情の諸法則を含んでいるということも説明される。
自然の合目的性は、そう思われる場合と、客観的にそう思われる場合とがありうる。前者の主観的な判断力は美的判断力と名づけられる。後者の客観的な目的を判定する能力としての判断力は、目的論的判断力と呼ばれる。美的判断力の分析論は、美の分析論と崇高の分析論に分かれる。一方、目的論的判断力の分析論は客観的合目的性を外的合目的性と内的合目的性にわかれる。
われわれは、自然そのものに内的な合目的性があるかどうかは決定せず、ただわれわれの判断力が自然の目的にかなったものと見なさざるをえないというだけである。
5.カント以後の哲学
カント哲学に進歩をもたらしたのはフィヒテとヘルバルトの2人だけである。カントの批判主義の反対者たちのうちでは、ヤコービのみが哲学上重要である。ヤコービは、カントが理論的確実性を与えられなかった神、自由、不死という三つの理念の疑いを取り除くために、批判主義の立場に信仰哲学の立場を対立させた。フィヒテは実践理性の優位を強調することによって、カントの二元論をとりのぞいた。ヘルバルトは主観的経験を批判的に研究し加工することを課題としている点のみ、カントの立脚点と共通している。
<報告者コメント>
カントの判断力批判は、カント自身が2つに分けてしまった自然の国と自由の国を統一しようとする試みであった。しかし、その統一はカントによっては十分になされずに、後の哲学の課題となり、これを果たしたのがヘーゲルだという流れになるのだろう。
古代ギリシャにおいて、プラトンも世界をイデア界と現実界にわけて説いたが、両者を統一することはできず、それが課題として残された。イデアを現実の個物に内在するものとして両者を統一したのがアリストテレスであったが、カントからヘーゲルへの流れはこのような古代ギリシャ哲学の発展過程と非常に類似していると言えるだろう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以上の報告レジュメに対して、大きく以下の3点が指摘されました。
第一は、時代背景の記述がいささか平板すぎるのではないか、というものです。もう少し詳しくいえば、あくまでもカント哲学を登場させた社会的環境は如何なるものであったのか、そこから如何なる必然性を持ってカント哲学が登場してきたのか、という問いかけが必要であるはずなのに、そうしたものが感じられない、というものでした。
第二は、「2.われわれは世界をどうやって捉えるか」の報告者コメントにおいて、対象の成立についてのカントの主張に何らの留保もつけることなく「まさしくカントの言うとおり」としてしまうのは、唯物論の立場からすれば問題ではないのか、というものです。唯物論の立場からすれば、対象はもともと諸々の性質を備えているのであって、対象に備わっている諸々の性質は全て我々の認識が与えたものとするカントの主張は受け入れられません。そのあたりを丁寧に踏まえて、カントの主張の是とすべき部分と非とすべき部分を分けておく必要があるのではないか、という提起でした。
第三は、「3.われわれは世界にどうやって働きかけるか」の報告者コメントにおいて、カントのいわゆる「道徳律の命令」をアダム・スミスのいわゆる「公平な観察者」と並べ、カントのいわゆる「道徳律への尊敬の念」をアダム・スミスのいわゆる「他者に尊敬されるに値する人間になりたいという思い」と並べるのはおかしいのではないか、というものです。カントの「道徳律の命令」に相当するのはスミスにおいては「公平な観察者からの命令」であり、カントの「道徳律への尊敬の念」に相当するのは、スミスにおいては「公平な観察者からの命令が絶対的な義務としてみなされるようになること」ではないのか、との指摘でした。
2014年09月04日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック
<講義一覧>
・2010年5月例会の報告
・2010年6月例会の報告
・日本酒を楽しめる店の条件
・交響曲の歴史を社会的認識から問う
・初心者に説く日本酒を見る視点
・『寄席芸人伝』に見る教育論
・初学者に説く経済学の歴史の物語
・奥村宏『経済学は死んだのか』から考える経済学再生への道
・『秘密諜報員ベートーヴェン』から何を学ぶか
・時代を拓いた教師を評価する(1)――有田和正氏のユーモア教育の分析
・2010年7月例会報告
・弁証法から説く消費税増税不可避論の誤り
・佐村河内守『交響曲第一番』
・観念的二重化への道
・このブログの目的とは――毎日更新50日目を迎えて
・山登りの効用
・21世紀に誕生した真に交響曲の名に値する大交響曲――佐村河内守:交響曲第1番「HIROSHIMA」全曲初演
・2010年8月例会報告
・各種の日本酒を体系的に説く
・「菅・小沢対決」の歴史的な意義を問う
・『もしドラ』をいかに読むべきか
・現代日本における「国家戦略」の不在を問う
・『寄席芸人伝』に学ぶ教師の実力養成の視点
・弁証法の学び方の具体を説く
・日本歴史の流れにおける荘園の存在意義を問う
・わかるとはどういうことか
・奥村宏『徹底検証 日本の財界』を手がかりに問う「財界とは何か」
・「小沢失脚」謀略を問う
・2010年11月例会報告
・男前はなぜ得か
・平安貴族の政権担当者としての実力を問う
・教育学構築につながる教育実践とは
・2010年12月例会報告
・「法人税5%減税」方針決定の過程的構造を解く
・ベートーヴェン「第九」の歴史的位置を問う
・年頭言:主体性確立のために「弁証法・認識論」の学びを
・法人税減税の必要性を問う
・2011年1月例会報告
・武士はどのように成立したか
・われわれはどのように論文を書いているか
・三浦つとむ生誕100年に寄せて
・2011年2月例会報告:南郷継正『武道哲学講義�U』読書会
・TPPは日本に何をもたらすのか
・東日本大震災から国家における経済のあり方を問う
・『弁証法はどういう科学か』誤植の訂正について
・2011年3月例会報告:南郷継正『武道哲学講義�V』読書会
・新人教師に説く「子ども同士のトラブルにどう対応するか」
・三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』誤植一覧
・新大学生に説く「大学で何をどう学ぶか」
・新大学生に説く「文献・何をいかに読むべきか」
・2011年4月例会報告:南郷継正『武道哲学講義�W』読書会
・三浦つとむ弁証法の歴史的意義を問う
・新人教師に説く学級経営の意義と方法
・三浦つとむとの出会いにまつわる個人的思い出
・横須賀壽子さんにお会いして
・続・三浦つとむとの出会いにまつわる個人的思い出
・学びにおける目的意識の重要性
・ブログ毎日更新1周年を迎えてその意義を問う
・2011年5・6月例会報告:南郷継正「武道哲学講義〔�X〕」読書会
・心理療法における外在化の意義を問う
・佐村河内守:交響曲第1番「HIROSHIMA」CD発売
・新人教師としての一年間を実践記録で振り返る
・2011年7月例会報告:近藤成美「マルクス『国家論』の原点を問う」読書会
・エンゲルス『空想から科学へ』を読む
・2011年8月例会報告:加納哲邦「学的国家論への序章」読書会
・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論1三浦つとむの哲学不要論をめぐって
・一会員による『学城』第8号の感想
・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論2 マルクス『経済学批判』「序言」をめぐって
・2011年9月例会報告:加藤幸信論文・村田洋一論文読書会
・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論3 マルクス「唯物論的歴史観」なるものの評価について
・三浦つとむさん宅を訪問して
・TPP―-オバマ大統領の歓心を買うために交渉参加するのか
・続・心理療法における外在化の意義を問う
・2011年10月例会報告:滋賀地酒の祭典参加
・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論4不破哲三氏のエンゲルス批判について
・2011年11月例会報告:悠季真理「古代ギリシャの学問とは何か」読書会
・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論5ケインズ経済学の歴史的意義について
・一会員による『綜合看護』2011年4号の感想
・『美味しんぼ』から何を学ぶべきか
・2011年12月例会報告:悠季真理「古代ギリシャ哲学、その学び方への招待」読書会
・年頭言:「大和魂」創出を志して、2012年に何をなすべきか
・消費税はどういう税金か
・心理療法におけるリフレーミングとは何か
・2012年1月例会報告:悠季真理「古代ギリシャ哲学,その学び方への招待」読書会
・バッハ「マタイ受難曲」の構造を解く
・2012年2月例会報告:科学史の全体像について
・『弁証法はどういう科学か』の要約をどのように行っているか
・一会員による『綜合看護』2012年1号の感想
・橋下教育基本条例案を問う
・吉本隆明さん逝去に寄せて
・2012年3月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第1章〜第4章
・科学者列伝:古代ギリシャ編
・2年目教師としての一年間を実践記録で振り返る
・2012年4月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第5章〜第6章
・科学者列伝:ヘレニズム・ローマ・イスラム編
・簡約版・消費税はどういう税金か
・一会員による『新・頭脳の科学(上巻)』の感想
・新人教師のもつ若さの意義を説く
・2012年5月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第7章
・科学者列伝:西欧中世編
・アダム・スミス『道徳感情論』を読む
・2012年6月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第8章
・科学者列伝:近代科学の開始編
・ブログ更新2周年にあたって
・古代ギリシアにおける学問の誕生を問う
・一会員による『綜合看護』2012年2号の感想
・クセノフォン『オイコノミコス』を読む
・2012年7月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第9章
・科学者列伝:17世紀の科学編
・一会員による『新・頭脳の科学(下巻)』の感想
・消費税増税実施の是非を問う
・原田メソッドの教育学的意味を問う
・2012年8月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第10章
・科学者列伝:18世紀の科学編
・一会員による『綜合看護』2012年3号の感想
・経済学を誕生させた経済の発展とはどういうものだったのか
・2012年9月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第11章
・人類の歴史における論理的認識の創出・使用の過程を問う
・長縄跳びの取り組み
・国家の生成発展の過程を問う――滝村隆一『マルクス主義国家論』から学ぶ
・三浦つとむの言語過程説から言語の本質を問う
・2012年10月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第11章
・科学者列伝:19世紀の自然科学編
・古代から17世紀までの科学の歴史――シュテーリヒ『西洋科学史』要約で概観する
・2012年11月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第12章前半
・2012年12月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第12章後半
・科学者列伝:19世紀の精神科学編
・年頭言:混迷の時代が求める学問の確立をめざして
・科学はどのように発展してきたのか
・一会員による『学城』第9号の感想
・一会員による『綜合看護』2012年4号の感想
・2013年1月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』を読む前提としての世界歴史の全体像
・歴史観の歴史を問う
・2013年2月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』をどのように読んでいくべきか
・『三浦つとむ意志論集』を読む
・言語学の構築に向けてどのように研究を進めるのか
・一会員による『綜合看護』2013年1号の感想
・改訂版・新大学生に説く「大学で何をどう学ぶか」
・2013年3月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』序論(前半)を読む
・3年目教師としての1年間を実践記録で振り返る
・2013年4月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』序論(後半)を読む
・新自由主義における「自由」を問う
・2013年5月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第一部 東洋の世界(前半)を読む
・三浦つとむ「マルクス・レーニン主義に関する本質的な質問」から学ぶ
・言語は歴史的にどのように創出されたのか
・一会員による『綜合看護』2013年2号の感想
・ヒュームの提起した問題にカント、スミスはどのように答えたか
・2013年6月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』東洋の世界(後半)を読む
・一会員による2013年上半期の振り返り
・認知療法における問いの意義を問う
・カント歴史哲学へのアダム・スミスの影響を考える
・2013年7月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』ギリシアの世界を読む
・2013年8月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第三部 ローマの世界を読む
・アダム・スミスの哲学体系の全体像を問う
・一会員による『綜合看護』2013年3号の感想
・初任者に説く学級経営の基本
・カウンセリング上達過程における事例検討の意義
・文法家列伝:古代ギリシャ編
・ヒューム『政治論集』抄訳
・2013年9月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第四部 ゲルマンの世界を読む
・言語過程説から言語学史を問う
・2013年10月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』「第4部 ゲルマンの世界」第2篇を読む
・戦後日本の学力論の流れを概観する
・一会員による『育児の生理学』の感想
・文法家列伝:古代ローマ・中世編
・2013年11月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第4部 ゲルマンの世界 第3篇を読む
・古代ギリシャ経済の歴史を概観する
・2013年12月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』のまとめ
・ヘルバルト教育学の全体像を概観する
・年頭言:歴史を切り拓く学問の創出を目指して
・歴史的な岐路に立つ世界と日本を問う
・一会員による『綜合看護』2013年4号の感想
・一会員による2013年の振り返りと2014年の展望
・ヘーゲル『歴史哲学』を読む
・2014年1月例会報告:学問(哲学)の歴史の全体像について
・一会員による『学城』第10号の感想
・世界歴史の流れを概観する
・現代の言語道具説批判――言語規範とは何か
・2014年2月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第3〜11章
・ヘルバルト『一般教育学』を読む
・新大学生へ説く「大学で何をどのように学んでいくべきか」
・2014年3月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第12〜14章
・三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』学習会を振り返る
・『育児の認識学』は三浦認識論をいかに発展させたか――一会員による『育児の認識学』の感想
・2014年4月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第15〜19章
・4年目教師としての1年間を実践記録で振りかえる
・文法家列伝:『ポール・ロワイヤル文法』編
・2014年5月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第20〜26章
・道徳教育の観点から見る古代ギリシャの教育と教育思想
・古代ギリシャの経済思想を問う
・半年間の育児を振り返る
・2014年6月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第27〜33章
・現代の言語道具説批判・補論――「言語道具説批判」に欠けたるものとは
・心理士が医学から学ぶこと――一会員による『医学教育 概論(1)』の感想
・アダム・スミス「天文学史」を読む
・現代の言語道具説批判2――言語道具説とは何か
・2014年7月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第34〜38章
・道徳教育の観点から見る中世の教育と教育思想
・もう一人の自分を育てる心理療法
・2014年8月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第39〜40章
・アダム・スミス「外部感覚論」を読む
・文法家列伝:ジョン・ロック編
・一会員による『学城』第11号の感想
・夏目漱石を読む�@――坊っちゃん、吾輩は猫である、草枕
・2014年9月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第41〜43章
・ルソーとカントの道徳教育思想を概観する
・アダム・スミスは『修辞学・文学講義』で何を論じたか
・全てを強烈な目的意識に収斂させる――一会員による『医学教育概論の実践』の感想
・2014年10月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第44〜45章
・精神障害の弁証法的分類へ向けた試み
・シュリーマン『古代への情熱』から何を学ぶか
・2014年11月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第46章
・一年間の育児を振り返る
・近代ドイツにおける教育学の流れを概観する
・2014年12月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』のまとめ
・年頭言:弁証法・認識論を武器に学問の新たな段階を切り開く
・「戦後70年」を迎える日本をどうみるか
・哲学の歴史の流れを概観する
・『ビリギャル』から何を学ぶべきか
・必要な事実を取り出すとは――一会員による『医学教育 概論(2)』の感想
・2015年1月例会報告:南郷継正「武道哲学講義�X」
・夏目漱石を読む�A――二百十日、野分、虞美人草、坑夫
・アダム・スミスは古代ギリシャ哲学史から何を学んだのか
・マインドフルネスを認識論的に説く
・道徳思想の歴史を概観する
・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部の要約
・弁証法的に学ぶとはいかなることか――一会員による『医学教育 概論(3)』の感想
・一会員による『学城』第1号の感想
・新大学生への訴え
・2015年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論A
・心理職の国家資格化を問う
・5年目教師としての1年間を実践記録で振り返る
・文法家列伝:時枝誠記編
・2015年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論B、C、東洋哲学
・夏目漱石を読む�B――三四郎、それから、門
・臨床心理学のあるべき姿を考える――一会員による『医学教育 概論(4)』の感想
・アダム・スミス「模倣芸術論」を読む
・デューイの教育論の歴史的な意義を問う―『学校と社会』を通して
・2015年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ギリシア哲学史の序論、イオニア派の哲学、ピュタゴラスとピュタゴラス派
・高木彬光『邪馬台国の秘密』を認識論から読み解く
・一会員による『学城』第12号の感想
・2015年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エレア派〜ヘラクレイトス
・何故言語学の創出が必要か―一会員による2015年上半期の振り返り
・事実と論理ののぼりおり――一会員による『医学教育 概論(5)』の感想
・夏目漱石を読む�C――彼岸過迄、行人、こころ
・2015年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エムペドクレス〜アナクサゴラス
・フロイト『精神分析入門』を読む(上)
・デューイ教育論の歴史的意義を問う―『民主主義と教育』をとおして
・2015年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソフィスト派・ソクラテス
・アダム・スミス『法学講義』を読む
・学問上達論とは何か――一会員による『哲学・論理学研究(1)』の感想
・2015年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソクラテス派、プラトン
・庄司和晃追悼論文―庄司和晃の歩みはいかなるもので、何を成し遂げたか
・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部第4章の要約
・一会員による『学城』第2号の感想
・フロイト『精神分析入門』を読む(下)
・夏目漱石を読む�D――道草、明暗
・2015年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』プラトン 弁証法、自然哲学、精神の哲学
・ナイチンゲール看護論を心理臨床に活かす――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(1)』の感想
・文法家列伝:時枝誠記編(補論)
・英語教育改革を問う―『英語化は愚民化』書評―
・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
・2年間の育児を振り返る
・2015年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学)
・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
・図式化にはどのような効用があるのか
・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
・ケネー『経済表』を読む
・SSTを技化の論理で説く
・一会員による『学城』第13号の感想
・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
・一会員による『学城』第3号の感想
・新大学生に与える
・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
・『吉本隆明の経済学』を読む
・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
・ブリーフセラピーを認識論的に説く
・夏目漱石の思想を問う
・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
・夏目漱石の中・長編小説を読む
・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
・改訂版・観念的二重化への道
・ロックの教育論から何を学ぶべきか
・文法家列伝:ソシュール編
・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
・高校生に説く立憲主義の歴史
・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
・アダム・スミス『国富論』を読む
・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
・3年間の育児を振り返る
・近代教育学の成立過程を概観する
・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
・年頭言:機関誌の発刊を目指して
・激動する世界情勢を問う
・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
・一会員による『学城』第4号の感想
・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
・本来の科学的な教育とは何か
・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
・システムズアプローチを弁証法から説く
・一会員による『学城』第14号の感想
・ルソー『学問芸術論』を読む
・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
・斉藤喜博から何を学ぶべきか
・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
・小中一貫教育を問う
・ヘーゲル『哲学史』を読む
・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
・文法家列伝:宮下眞二編
・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
・マルクス思想の原点を問う
・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
・教育の政治的中立性を問う
・日本経済の歴史を概観する
・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
・一会員による『学城』第15号の感想
・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
・現代日本の政治家の“失言”を問う
・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
・障害児の子育ての1年間を振り返る
・新しい国家資格・公認心理師を問う
・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
・徒然なるままに――40歳を迎えて
・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
・教育実習生に説く人間観の歴史
・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言

