(1)イギリス経験論がぶつかっていた壁――科学的認識は確実なのか
(2)スミスは哲学とは「中間的諸事象の鎖」を探究する営みであるとした
(3)スミスの描く天文学史�@――古代から中世へ
(4)スミスの描く天文学史�A――コペルニクスからニュートンまで
(5)スミスは認識の能動性に着目することでイギリス経験論の限界を突破した
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(1)イギリス経験論がぶつかっていた壁――科学的認識は確実なのか
今年1月末、理化学研究所の小保方晴子研究ユニットリーダーらによる新型万能細胞「STAP細胞」の発表が、再生医療に繋がる可能性があるとの期待もあって、大いに世間を湧かしました。ところが、程なくして、このSTAP細胞の論文に対して諸々の疑惑が指摘されるようになり、どうやらSTAP細胞なるものは捏造であったらしいことが明らかになってきました。6月20日に閣議決定された2014年版『科学技術白書』では、このSTAP細胞論文問題などを例に引きながら、「研究不正は、研究活動の本質・趣旨を研究者自らがゆがめ、科学への信頼を揺るがす、絶対に許されない行為だ」とされるに至ったのです。
ここで、「科学への信頼」が揺らいでいるといった場合、正確には、科学そのものへの信頼が揺らいでいるというより、科学的研究に従事する人々への信頼が揺らいでいるというべきでしょう。本来、科学というものは、真摯に真理を探究していく営みであるべきなのに、そうした研究に携わる人たちが、それにふさわしい誠実さを欠いているのではないか、ということです。厳密に定義するならば、「科学とは対象の構造から導き出した法則性的論理としての認識(の活動)に関わる概念」(『南郷継正 武道哲学 著作・講義全集』第九巻、現代社)ということになるのですが、一般的にこういう正しい理解があるか否かは別にしても、科学の発展によって人間から自然への働きかけが大きく進展し、私たちの生活を豊かにする諸々の発明(飛行機や人工衛星まで!)が生み出されてきたことは否定しようがなく、そういった意味において、現代の私たちが抱く科学的認識の確実性への信頼は、そう簡単に揺らぐものではないといえるでしょう(もちろん、いわゆる「科学万能主義」への批判はありますが)。
ところが、人類の歴史を振り返ってみるならば、こうした科学的認識の確実性への信頼が根本的に揺らぎかねなかった時代もあったのです。それは皮肉なことに(?)、近代科学の基礎が揺るぎなく確立されたとされる頃、より具体的には、ニュートン力学の形成によって古代ギリシャ以来の自然への探究の営みがひとつの頂点に達して間もなくのことでした。いわゆるイギリス経験論の流れにおいて、ガリレイやニュートンによって確立された自然科学的方法を人間の精神の研究に導入し、経験的に得られる自然法則によって精神的なものを説明しようという試みがスタートしたのですが、そのことが思いがけぬ結果をもたらすことになったのです。
イギリス経験論の代表者といってよいジョン・ロック(1632-1704)は、生得観念(人間の心に生まれつき備わっている観念)を否定し、心に浮かぶ一切の観念の源泉を経験に求めようとしました。ロックは、観念の源泉としての経験を、感覚と反省とに2大別しています。感覚(sensation)とは、感覚器官を通じて外的対象から何らかの刺激を受け取ることであり、反省(reflection)とは、心の内的な動きを捉えることです。ロックによれば、こうした経験(感覚+反省)から直接に生じるのは、外的対象あるいは内的対象の受動的な反映であり、単純で混じり気のない単純観念(例えば、白い、熱い、甘い、固い、等々)です。そして、知性(understanding)が諸々の単純観念を諸々に組み合わせることで、諸々の複雑観念を能動的に創り出していくのだ、というのです。しかし、外界からの反映によって単純観念が形成される段階と、知性が諸々の単純観念を組み合わせて複雑観念を創り出す段階とが画然と区別されて、後者の段階が客観的現実とは無関係な、知性の勝手気儘な営みであるかのように捉えられてしまうと、知性が能動的に創り出した複雑観念なるものについて、客観的実在と一致するものであるかどうか、何も確かなことはいえなくなってしまいます。実際、ロックは、『人間知性論』において、次のように述べるのです。
「私たちの諸機能は物体の内部の組立て・実在的本質を洞察するに適当でない」(大槻春彦訳『人間知性論(四)』岩波文庫、p.223)
「物体の真知では、私たちは、個々の実地経験からできるものを拾い集めることに甘んじなければならない。というのは、私たちは、物体の実在的本質の発見から〔その物体についての真知の〕束を全体一時に掴めず、種全体の本性と諸特性をいっしょにひとまとめにして了解できないのである。……物体の真知を私たちは、物体の諸性質と相互作用の覚知に入念にたずさわる感官によってえなければならない。」(同、p.225)
要するに、私たちの認識は、客観的実在たる物体の構造や本質を把握することはできないのであり、物体の性質や物体どうしの相互作用についての確実な知識というのは、感覚器官によって得られる単純観念レベルのものしかありえないのだ、というわけです。このように考える以上、万有引力の法則とかエネルギー保存の法則とかオームの法則といった諸々の自然科学上の法則は、客観的世界のあり方に対応した確実な知識ではありえないことになってしまうでしょう。ここに私たちは、自然科学的認識の確実性を経験論的立場からまともに基礎づけることができずに、ロックが苦悩している姿を見てとることができます。
これに対して、経験論を懐疑論にまで徹底して、因果関係など客観的現実と関わりない主観的な信念にすぎない、と開き直ってしまったのがデイヴィッド・ヒューム(1711-1776)であるといえます。ヒュームは、2つの事象が私たちの前に現れたとしても、両者を繋げているものは決して知覚できない、と断じます。ヒュームによれば、原因と結果に関する私たちの全ての推論は、習慣(例えば、事象Aに続いて事象Bが起きるという経験の繰り返しによる習慣)のみに起因するものであり、因果律というのは主観的な信念(例えば、「Aという出来事の後には、必ずBという出来事が起こるはずだ」という信念)にほかならないのです。確かにヒュームの主張するように、原因と結果との「繋がり」なるモノが現実世界に客観的に存在するわけではありません。客観的法則性というものは感覚器官で直接に捉えられるようなものではないのです。それだけに、ロックのように受動的な反映論にとどまるかぎり、なぜ認識が客観的法則性を把握できるのか、まともに解くことはできなくなってしまいます。イギリス経験論は、自然科学的認識の大きな発展に刺激を受けて、その手法を人間精神の解明に導入してみたものの、そのことによってかえって自然科学的認識の確実性が分からなくなってしまうという皮肉な結果に陥ったのだということができるでしょう。
通常の哲学史では、こうしたイギリス経験論がぶつかっていた壁をぶち破ったのが、イマヌエル・カント(1724-1804)の批判哲学であるとされています。カントは『純粋理性批判』を著して、私たち人間が見ているのは存在するがままの世界(物自体の世界)ではなく私たちの認識の枠組みによって捉えられた限りでの世界(現象の世界)にすぎず、客観的な世界(現象の世界)のなかには因果律が(私たちの認識によって与えられた性質として)間違いなく存在していること、したがって、因果律を適用することで客観的世界(現象の世界)の構造を究明していく自然科学的な営みが確実性をもったものとして成立しうることを主張したのでした。
しかし、こうしたカントの議論のみならず、イギリス経験論の流れにもっと近いところからも、その壁をぶち破るような議論が登場してきていたのです。それこそ、『道徳感情論』『国富論』の著者として知られるアダム・スミス(1723-1790)の若き日の論稿「天文学史」にほかなりません(*)。
ヒュームと同じくスコットランド出身のスミスは、オックスフォード大学への留学中にヒューム『人間本性論』を読んで大きな影響を受け、ヒュームが亡くなるまで、親友といってよいほどに深い親交を結ぶことになりました。しかし、そこからただちに、スミスがヒュームの因果律批判をそのまま受け入れていたという結論を導き出すわけにはいきません。そもそも、スコットランドにおいては、ロックの経験論やヒュームの懐疑論に反対する議論が強かったのです(**)。スミスの直接の師であり、彼に最も大きな影響を与えたとされるのは、こうした「スコットランド哲学」の流れを代表する存在の一人といってもよいフランシス・ハチスン(1694-1746)です。グラスゴウ大学の学生であった青年スミスは、ハチスンの自然神学を基礎にした道徳哲学講義に決定的な影響を受け、自身も独自の道徳哲学体系の構築を志すようになったのでした。そのスミスが、科学的認識の確実性を否定してしまうかのようなヒュームの議論に衝撃を受け、大きな不安に駆られるようになったことは想像に難くありません。スミスが、そうした不安を何とか解消しようとして書いたものではないかと推測されるのが、「哲学的研究を導き指導する諸原理」(The Principles which Lead and Direct Philosophical Enquiries)という共通タイトルを冠された3つの論文(「天文学の歴史による例証」「古代物理学の歴史による例証」「古代論理学と古代形而上学の歴史による例証」)なのです。
本稿では、これら3論文のうち最も分量が多く、まとまった論述となっている「天文学の歴史による例証」(通称「天文学史」)を取り上げて、スミスが如何にしてイギリス経験論のぶつかっていた壁を突破する可能性を掴んでいくことになったのか、検討してみることにしましょう。
(*)スミスの死後、遺稿集『哲学論文集』に収録されることになった「天文学史」ですが、いつ執筆されたかは不明です。ただ、スミスは、1773年のヒュームへの手紙のなかで、「若い頃に企てられた著作の断片」と言及しています。また、1758年に「出現すべき」彗星について述べられていることからして、少なくとも1758年(スミス35歳)以前に執筆されたことは間違いないと考えられています。なお、これらの論文が書かれた経緯の推測やカントの業績との比較については、昨年7月に本ブログに掲載した論稿「ヒュームの提起した問題にカント、スミスはどのように答えたか」において詳しく論じてあります。こちらもぜひご参照下さい。
(**)「スコットランド哲学」について、シュヴェーグラー『西洋哲学史』では、次のように述べられています。
「経験論の最後の帰結はイギリスの国民性にあわなかった。いな、すでにロックの経験論やヒュームの懐疑論にたいしてさえ、十八世紀の後半にはスコットランド哲学の反動がおこった。これはロックのタブラ・ラサやヒュームの理性的必然性にたいする懐疑やに反対して、真理の諸原理が生まれながらに主観に具わっていること、すなわちそれは経験的事実であり、道徳的本能と常識(common sense)との事実であり、自己観察によってふつうの意識のうちに見出される経験的所与であると主張したものである。」(シュヴェーグラー『西洋哲学史(下)』岩波文庫、p.66)
また、ヘーゲル『哲学史』においては、以下のように述べられています。
「彼等は多く道徳に就いての書を著した。経済学者アダム・スミスも亦この意味に於て哲学者であり、彼等の中最も著名である。このスコットランド哲学は現在ドイツに於て新しい哲学として紹介されている。それは一面に於て人間の中に、その意識の中に、凡そ人間に妥当すべきものの源を求め、人間にとって価値を有すべきものの内在を求めるというかような大きな長所を持った通俗哲学である。同時にその内容とする処のものは具体的内容であり、それはその限り本来の形而上学即ち抽象的悟性規定の中にふみ迷う事に対する反対である。」(ヘーゲル『哲学史 下巻の三』岩波書店、pp.22-23)

