(1)心理士として『医学教育 概論(1)』から何を学べるか
(2)すべてをゴールに収斂させる
(3)夢と同時に不安を描くことが大切である
(4)病気とは正常な生理構造が生活過程で歪んだ状態である
(5)不安解消のために認識論の研鑽を
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(1)心理士として『医学教育 概論(1)』から何を学べるか
今年6月の初め,NHKで次のようなニュースが報道された。
「国家資格「公認心理師」 法案提出目指す
6月2日 4時23分
自民党の文部科学部会と厚生労働部会は,病院や学校でカウンセリングや心理的なケアを行う人材の確保につなげるため,新たに「公認心理師」という国家資格を設けるための法案を取りまとめ,今の国会に議員立法で提出を目指すことにしています。
病院や学校などでカウンセリングを行ったり心理的なケアを行ったりする専門職の資格には,現在,「臨床心理士」や「学校心理士」など民間の複数の資格はありますが,国家資格はありません。
このため自民党の文部科学部会と厚生労働部会は,社会で心のケアの重要性が増すなか,心理学に関する専門的な知識と技術を持った質の高い人材の確保につなげるため,新たに「公認心理師」という国家資格を設けるための法案を取りまとめました。
法案では,「公認心理師」は国家試験で認定し,受験資格は大学で心理学などを修めたうえで,卒業後,大学院で必要な課程を修了した人や,一定期間の実務経験を積んだ人などに与えるとしています。
自民党の文部科学部会と厚生労働部会は,今後各党にも呼びかけて今の国会に議員立法で法案の提出を目指すことにしており,2年後をめどに「公認心理師」の資格を設けたいとしています。」
この後,実際に法案は国会に提出され,継続審議となった。早ければ秋の臨時国会で成立することもありうる情勢である。心理職の国家資格については長い間その設立に向けた動きがあったものの,なかなか実現には至っていなかったが,これでその実現が本格的な軌道に乗ったということができよう。
国家資格というからには,国がその必要性を認めており,その専門性の担保,および専門家養成に責任をもっているということがいえると思う。特に真に実力のある専門家を養成するためには,しっかりとした科学的な学問体系に則って教育を行う必要がある。しかし,臨床心理学の現状は,科学的な学問体系には程遠いといえる。ここに関して,科学的な看護学を構築し得た薄井坦子先生は,次のように説いておられる。
「一つの専門領域なのに,いろいろな理論があるということは,まだ科学になっていないということです。」(薄井坦子『生きているとは 看護の本質とこれからの看護』p.24)
薄井先生の指摘のように,臨床心理学の領域にあっては,認知行動療法をはじめ,フロイトの精神分析学,ロジャースのクライエント中心療法,家族療法,ブリーフセラピー,プレイセラピー,箱庭療法,森田療法,内観療法などなど,数えきれないくらいの多くの理論が乱立している状態であるから,とても科学になったとは言えないのである。
こういった現状にあって,われわれ心理士はすでに科学的学問体系を構築しつつあるといってよい医学から学んでいくことが大切だと考えられる。医学と臨床心理学は,ある意味,医学と看護学,あるいは看護学と保育学との関係(※)に似ていて,近接領域ということができるから,多くの示唆を得ることができよう。もちろん,ここでいう医学とは,一般的な大学医学部で教えているような医学のことではなく,南郷継正先生の弟子の先生方が構築された医学のことである。
南郷先生関連の最新の医学書としては,瀬江千史・本田克也・小田康友『医学教育 概論』シリーズ(現代社)がある。この書は,南郷学派の現時点での最高の到達点の一つということもできると思う。なぜなら,医学領域は早くから学問体系の構築が進められており,今現在は,構築しえた学問体系から,それを踏まえて,いかに専門家を養成するかという教育の問題が説かれ始めているからである。そこで本稿では,このシリーズの第1巻にあたる『医学教育 概論(1)』を心理士の立場から読み込み,そこで学んだこと,考えたことを感想として認めていくことにしたい。そのことは,今後国家資格化される心理職の教育内容を考えていく上でも非常に参考になるであろうし,筆者自身の心理士としての実力向上を果たすうえでも,大きく貢献してくれることが予想できる。また,学問体系のお手本として,学問体系構築プロセスの典型例として,本書に学ぶことによって、認識学の構築という筆者の人生の大目標に資することも期待しての執筆でもある。南郷学派の著作を読むときは,必ずこの視点を念頭に置くようにしたいと思っている。
今回は最後に,『医学教育 概論(1)』の目次を紹介しておきたい。目次を眺めるだけでも,全体の内容がアバウトに把握できるし,何よりも,本文を読みたくなるような,わくわくとした気持ちになるのは,筆者だけではないだろう。
医学教育 概論 (1)
第1課 医学教育の現状
(1) 至るところでおきている医療ミス
(2) 大学でまじめに学んだ人もミスを犯している
(3) 医学教育改革の現状
(4) 教育者のいない医学教育
(5) 医学体系と教育論不在の医学教育
(6) 文化遺産の集大成としての授業
医学生の学び ― Propylaen zur Wissenschaft 1 ―
第2課 学びのゴールとしての医師像を描く必要性
(1) 本講義は大学での学びの道しるべとして
(2) 学びの目的は実力ある医師になること
(3) ゴールである「医師像」にすべての学びを収斂させる
(4) 解剖実習も医師としての実力のためにこそ
(5) 医師とは何かを具体的にイメージする
(6) 臨床実習直前に「医師像」を描いても遅すぎる
(7) 新入生に「医師像」を描かせる「導入実習」を
(8) 医師の実践場面を具体的に描くために,症例を提示する
(9) カルテから,医師の行為を観念的に追体験する
医学生の学び ― Propylaen zur Wissenschaft 2 ―
第3課 病気の診断に至る医師のアタマのはたらきを辿る
(1) 症例検討により「医師とは何か」を実感として描く
(2) 〔症例1〕の医師は「藪医者」である!
(3) 診断までの医師のアタマのはたらきを辿る
(4) 「病気というもの」は本当にあるのか?
(5) 人間の正常な生理構造とは何か
(6) 病気とは正常な生理構造が生活過程で歪んだ状態である
(7) 現在の医学教育には「病気に至る過程」が欠落している
(8) 症例から,病気への過程の事実を取りだす
(9) 生理構造の歪みを助長し,病状を悪化させた医師の治療
(10) 病気をくりかえさないようにするのも医師の使命
医学生の学び ― Propylaen zur Wissenschaft 3 ―
第4課 医師として必要な実力とは何か
(1) 自らの判断と行為が患者の生命を左右する医師の仕事
(2) 医師の診療は命がけの真剣勝負である
(3) 医師には細心さをもった主体的な決断力が要求される
(4) 知識を記憶しただけでは医師としての実力にはならない
(5) 医師として事実を把握する実力を養うには
(6) 医師に必要なのは,生きて生活している人間から事実を取りだす実力
(7) 「医聖ヒポクラテスの再来」と称されたトーマス・シデナムの実力
医学生の学び ― Propylaen zur Wissenschaft 4 ―
第5課 医師は患者の事実を自らつかみ取る実力が必要である
(1) 医師は患者の事実と格闘レベルで関わってこそ実力がつく
(2) 医師には生きて生活している人間の事実を読みとる実力が必要
(3) 五感器官を使った事実の観察がすべてだった「医聖ヒポクラテス」の時代
(4) 受験勉強のままに医師への学びをしてはならない
(5) 医師に必要な基礎学力とは何か
(6) 医師に必要な事実をつかみ取る実力はどのようにしてつけるのか
医学生の学び ― Propylaen zur Wissenschaft 5 ―
第6課 診断とは患者の状態をその過程も含めて把握することである
(1) 「早期体験学習」も医師像を描くためにこそ
(2) 医師のアタマのはたらきによって,診断と治療は違ってくる
(3) 記憶している病名に患者の状態をあてはめていった〔症例2〕の医師
(4) 患者の状態を把握し,その生活過程に分けいった医師
(5) 診断とは患者の状態をその過程も含めて把握することである
(6) 患者の事実を把握するには会話的国語力が不可欠である
(7) ココロのこもった会話ができるために医学生がやるべきこととは
医学生の学び ― Propylaen zur Wissenschaft 6 ―
※看護学と保育学が近接領域であるということについて,ピンとこない読者もあろうから,補足しておく。『育児の認識学』の著者である海保静子先生は,「育児のことはすべて薄井坦子『科学的看護論』に書いている」との師の言葉を信じて実践し,保育を科学的に究明していかれた。その結果,海保先生は,「保育とは,“社会的適応性への人間の成長発達”という面から生活過程をととのえていくこと」と概念規定された。これと,薄井先生による「看護とは,生命力の消耗を最小にするよう,生活過程を整えること」という看護の概念規定を比べると,いかに両者が似通った領域であるかが分かると思う。すなわち,目的は違えども,人間の生活過程を整えるという点では,共通しているのである。

