2013年もはや1ヶ月が経過して,2月になろうとしている。この時期に昨年11月に発刊された『綜合看護』の感想を載せるのは非常に恥ずかしい思いがする。しかし,諸事情によって時期を逃したからといって,感想を書かないのは自らの修練にとってもマイナスであると判断して,やむをえずこの時期となってしまった。
今回,『綜合看護』の論文を読んでいくにあたって留意しなければならないと思った点が2つある。1つは,しっかりと説かれている論理を受け取って,自分の専門分野に重ねながら読み取っていく必要がある,という点である。専門が違う場合には,論理を媒介にしてしか理解しえないということは,逆からいえば,専門が違っても同じ論理構造があるということであろう。看護学や医学は,私の専門とする心理臨床学の隣接領域であるし,教育論や上達論は,どの分野にとっても決定的に重要な要素となるはずである。自分の専門分野のことが説かれていると思って,しっかり五感情像として読み取っていくことが大切だと感じた。
もう1つは,論文間のつながりである。『学城』ほどではないにしても,同じ日本弁証法論理学研究会の先生方が書いておられる論文であるからには,それぞれの論文同士の間につながりがあると考えられる。そこをしっかり意識して,別の論文であっても同じ論理が説かれていることもあるのだから,そこをきちんとつなげて読み取るように努力していく必要があろう。
今号でいえば,神庭論文は,自分の心理臨床の実践に重ねて読むことができたと思う。また,北条氏のレポートと南郷先生の論文は,上達の論理構造という点で共通している点があると思った。「そもそもは発展というものは,前段階を自らの実力と化すことによってのみ可能となる」(『綜合看護』2012年4号,p.41)という論理を説き続けている瀬江論文も,同じ内容を含んでいるととらえてもよさそうである。詳しくは,次回からの連載の中で認めていくことにする。
さて,いつものように,今号の論文のリードと,私が仮につけた見出しを以下に紹介したい。次回以降,1つずつ論文を取りあげて,感想を記していく。
神庭純子「初学者のための『看護覚え書』(35)」
ナイチンゲールが残した「自分はどう生きるべきか。看護者はどうあるべきか」という指針や判断基準を,私達はどのようにしたら持つことができるか。また「真の看護とは何か」を理解し,それを実践するにはどうしたらいいか。答えは,「おわりに」の章を読み解くことで見えてくる。
(1)前回の内容
(2)『看護覚え書』は子供や産婦,外科患者にもあてはまる
(3)健康の法則は病人・健康人・子供に共通に働く
(4)生活の中に回復のためのヒントがある
(5)回復過程には生活が大きくかかわる
(6)看護者になるには厳しい覚悟と使命感が必須である
瀬江千史「看護のための生理学(44)」
運動器官に関わって,人間として育つべき時に,育つべきそのことを育てなければ,後で取り返しがつかないことになることを「生命の歴史」を辿りながら説いてきている。今回は,近頃の中学生が熱中症になりやすくなったのも同じ論理構造を持つことを,生理学および育児という観点から説く。
(1)発育すべき時期に育て損なえば必ずゆがんで育つ
(2)熱中症の一因は交感神経系の発達不良にある
(3)快適な環境で育つと交感神経は育たない
(4)熱中症と首の座りの問題は同一の論理構造である
(5)育児における問題噴出の2つの原因
(6)1歳6ヵ月健診で歪みに至る萌芽形態を見逃さない
(7)なぜ問題が生じたのかを明らかにし改善する
(8)「生命の歴史」の発展過程の学びが必須である
瀬江千史・本田克也他「次世代を担う看護学生・医学生への医学概論教育 講座(39)」
前々回までに,膨大になりすぎた医療に関する知見を統合してシンプルにする取り組みの一つである,CKD(慢性腎臓病)を取り上げて論じてきたが,今回は,CKDへの取り組みと対比しながら,本来,医学教育に必要な文化遺産の論理化・理論化・体系化とはいかなることかを論じていく。
(1)教育改革は成果を出せていない
(2)増加した文化遺産は教育を歪めることもある
(3)事実による規定は教育には役立たない
(4)症状を並べても病気の像は描けない
(5)腎臓病理解のためには腎臓とは何かを知らねばならない
(6)腎臓とは排泄器官ではなく選別器官である
(7)科学的医学体系のためには論理化が第一歩である
(8)科学的医学体系は対象となる全ての事実に筋を通す
(9)「腎臓とは」から直ちに「腎臓病とは」は導きだせない
北条亮「Der Weg zur Wissenschaft(3)」
(1)医学生に教え始めて像の隔たりに気づいた
(2)あるべき医師像に収斂させる形で学ぶ
(3)「アタマづくり」は意図的に,医師像とつなげて行う
(4)生きて生活している人間の像が病気理解には必要である
(5)必ず像を意図的に描いて,像から考える
南郷継正「なんごう つぐまさが説く看護学科・心理学科学生への“夢”講義(56)」
本講義では,これまで同じ内容の展開が続いてきた。それは,弁証法の学び方には,初歩(原点)の位置への戻りを繰り返す「正規分布に従った繰り返し」が必要だからであり,真にスポーツや武道や学問の発展を志すならば,それらの歴史の過程性に学び,原点から研究し続けなければならない。
(1)『武道居合學〔綱要〕』は定説を覆す
(2)弁証法的,認識論的な説き方がなされている
(3)弁証法の本の中身から自分としての正解を求めていく
(4)一般性を捉えて白帯から繰り返し練習する
(5)正規分布図にしたがっての繰り返しが必要である
(6)人間を知るためには生命の歴史を極めるしかない

