(1)「概念の労苦」が『学城』第9号の全体を貫くキーワードである
(2)哲学歴史の学びには基礎的三大学問が必須である
(3)基礎的三大学問の把持を習得するとはいかなることか
(4)アリストテレスは重層的な学びを通して論理的像を形成していった
(5)歴史を重層的に問う
(6)「障害児教育とは何か」に関わる「概念の労苦」の具体とはどういうものか
(7)論文執筆における学びの重層性とは
(8)歴史から学問構築の方法を学ぶ
(9)理論的な実践とはどういうものか
(10)「概念の労苦」の前提条件とは
(11)『学城』第9号の学びから「概念の労苦」としての世界歴史の学びへ
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(1)「概念の労苦」が『学城』第9号の全体を貫くキーワードである
日本弁証法論理学研究会編集の学問誌『学城』第9号が発刊されてから2ヶ月以上が経過してしまった。発刊当初、一度は一気に読み通したが、今回、この感想を認めるため、改めて読み返した。読後感じたことは、一言でいえば、すさまじい内容が説かれている、ということである。それは一体どういうことか。
端的には、編集後記にある通り、「弁証法の重層的深化形態」(p.219)に触発された、「学形成へ向けての重層的な歴史性を把持し続けていくべきものとの志」(同上)が、随所に感じられる中身であることである。ここで「弁証法の重層的深化形態」とは一体どういうことか、また、「学形成へ向けての重層的な歴史性を把持し続けていく」とは一体どういうことか、が問われなければならない。
筆者の現時点での理解という前提で答えるならば、「弁証法の重層的深化形態」とは、歴史的に自然成長的に形成されてきた弁証法を意識的に捉え返して自らの学問構築に適用することで、さらに弁証法が発展していく、その積み重ねによって獲得された弁証法のことである。また、「学形成へ向けての重層的な歴史性を把持し続けていく」とは、自らの学問形成過程を、何度も何度も振り返り辿り返しながら、その度に発展していく弁証法をさらにふまえて、改めて学問形成過程をまた辿り返すという、繰り返しの上の繰り返しを何度も何度も繰り返すということである。
巻頭言には、ここの構造が説かれているとともに、この過程に横たわる大難関についても説かれている。その大難関は一体どういうことか。
端的には、学問形成の過程においては「事実を事実としてしっかりと見てとる実力」(p.2)と「『問答=討論」力」(同上)という2つの実力を養成しなければならないのだが、これらの養成過程には、「頭脳の実態と頭脳活動の実態の造り変えの二重性が必須」(同上)であり、合わせて「集団力として一から数年にわたる連続性をもって培っていかなければならない」(同上)という現実が存在するからである。
このように、「弁証法の重層的深化形態」を踏まえて「学形成へ向けての重層的な歴史性を把持し続けていく」というのはきわめて困難な課題なのである。ここから、一つのキーワードが浮かび上がってくる。それはヘーゲルが説く「概念の労苦」である。ではこの「概念の労苦」とは一体いかなることか。
一言でいえば「概念の労苦」とは、学問形成の歴史を辿り返すことによって、諸々の対象から諸々のレベルの論理を導き出す実力を培い、さらに世界についての本質論を把握して、そこから諸々の知見を体系的に統括していけるようになるまでの、非常に長く苦しみに満ちた学びの重層化・深化の過程を捉えた表現である。ではそれは具体的にどういうことなのか。それは今号の全論文にわたって展開されている。特に浅野論文に厳しく学んでほしいとの言が巻頭言にある。
では、ここで『学城』第9号の全体の目次を以下にお示しする。
学城(学問への道) 第9号
◎南郷継正
巻頭言
◎浅野昌充
「生命の歴史」の歴史�V
──「個体発生は系統発生を繰り返す」(ヘッケル)との学説が我々に問いかけたものとは
◎悠季真理
古代ギリシャ哲学、その学び方への招待(8)
◎村田洋一
国家経済(政治経済)は単なる経済となぜ誤解されているか
◎北嶋 淳・志垣 司
障害児教育の原点を問う
アン・サリバンによるヘレン・ケラーへの教育の構造(2)
──サリバンの教育の事実をもとに障害児教育の構造を説く
◎瀬江千史
「医学原論」講義(第7回)
──時代が求める医学の復権
◎小田康友
日本近代医学教育百五十年の歴史を問う(7)
──医学教育論序説
◎聖 瞳子・高遠雅志・九條 静・北条 亮
医療における理論的実践とは何か
──初期研修医に症例の見方、考え方の筋道を説く
〈第1回〉2型糖尿病
◎城内 進
ピラミッド建造の謎を解く
──時代性を踏まえピラミッドを設計する
◎橘 美伽
「武道空手とは何か、その中で護身武道空手とはどのような位置づけであるべきか」の「小論」を踏まえた質問に答える(下の1)
──護身武道空手への理解を深め、かつ主体的な人生を生き抜くために
◎南郷継正
南郷継正 講義『マルキシズム認識論』(ヨゼフ・ディーツゲン著)とは何か(2)
──ディーツゲンの哲学はなぜ認識論になってしまったのか
◎悠季真理
編集後記
次回以降は、掲載論文を順次取り上げ、その著者・タイトル・リード文・目次を紹介した上で、一会員の現時点での感想を認めていくことにしたい。但し、編集後記にあるように、浅野論文の前に南郷先生のディーツゲン論を読んだ方がより理解が深まるために、感想文の順序も南郷先生の論文を取り上げることから始めたい。執筆にあたっては、「概念の労苦」というキーワードを常に念頭に置いて、各論文に展開される「概念の労苦」の具体的内容を意識した。

