(1)報告担当者から提示されたレジュメ
(2)要約1:19世紀における社会学の生成について
(3)要約2:19世紀における言語学の生成について
(4)要約3:19世紀における心理学の生成について
(5)要約4:19世紀における心理学の発展について
(6)重ねての要約および提起された論点の紹介
(7)論点1:社会学が19世紀になって成立したのはなぜか
(8)論点2:心理学が19世紀になって成立したのはなぜか
(9)論点3:心理学と認識論の差異とは何か、また、認識論の見地から20世紀の3大潮流についてどのような評価を与えることができるか
(10)参加者の感想の紹介
(1)報告担当者から提示されたレジュメ
2012年12月の例会では,シュテーリヒ『西洋科学史』(現代教養文庫,全5冊)「第12章 精神と歴史――19世紀の精神科学」の後半部分を扱いました。ここでは,社会学、言語学、心理学の発展が説かれています。
今回の例会報告では,まず例会で報告されたレジュメを紹介したあと,第12章後半部分の内容についての要約を4回に分けて掲載し,ついで,参加者から提起された論点について,どのように議論をしてどのような(一応の)結論に到達したのかを紹介していきます。最後に,この例会を受けての参加者の感想を紹介します。
今回は,まず報告担当者から提示されたレジュメを紹介します。
�W 社会学
社会学はもっとも若い科学の一つであり,対象・方法・目標や存在理由などをめぐっての争論が続いている。社会学史は精神史・科学史全体と社会情勢の史的発展全体を背景に据えて出なければ考察できない。社会学にはある種の国民的特色が刻印されているので,国別に紹介したい。
フランスのコントは,新たな社会を築こうとして社会発展の法則を実証的に研究した。『実証哲学講義』の中で,彼は諸科学を数学−天文学−物理学−化学−生物学−社会学という順に序列し,世界の構造を階層的に理解した。コントの見方は歴史的であり,社会の進歩を三段階に分けた。第三段階では,産業人が現実面の指導をし,社会学者が精神面の指導をすることになるとした。
イギリスのスペンサーは『総合哲学体系』を著し,進化思想を取り入れた。彼は,進化とは一個の全一過程であって,これを通じて物質は比較的不定で未統一な一様さ(等質性)から,比較的確定していて統一された不均等さ(異質性)へと移行していくのだとした。また,社会を有機体(生物体)としてとらえたり,国家を社会学的に研究したりもした。
ドイツにおいて社会学者らしい社会学者として登場したのはテンニースである。彼はすべての社会関係は人間の意志の産物であり,史的過程は全体としてゲマインシャフト(共同社会)からゲゼルシャフト(利益社会)へと移行するとした。ジンメルは社会学の独自の対象が明確ではないと批判し,社会学の認識対象は内容を捨象した純粋形式にあるとした。そして,社交や社会集団の自己保存,貨幣経済が及ぼした変化などを心理学的な解釈をつけ加えて理解しようとした。
アメリカ社会学は,その重点が理論や体系ではなく,限定された精密な個別研究に置かれている。モーガンは古代社会を考察し,人間の技術的手段の形成が社会の発展を規定するとした。“アメリカのアリストテレス”と呼ばれるウォードは,“自然発生”と“目的意識的形成”を区別し,社会発展の過程で後者が優勢になるとした。
◆報告者コメント
19世紀に誕生した社会学は,その創始者たちによって哲学の体系の中で論じられている点が非常に大切だと思う。コントもスペンサーも世界全体を階層的に理解しており,あくまでも世界全体をふまえた上での社会であった。これがアメリカにわたると,体系性が放棄され,個別研究に没入していくことになるが,これは研究の深化であると同時に,世界全体の連関を忘れた形而上学的研究への退化でもあったといえる。
なお,ウォードの“自然発生”と“目的意識的形成”の区別は,三浦つとむさんを髣髴とさせるものがある。
�X 言語
19世紀に入ると,文献学の全分野で知識が広まり深まるにつれて,ある民族の精神的発展や特性を研究し,それとの関連で言語を扱う文献学と,言語そのものを対象として言語の発展と構造の諸法則を研究する言語学に分化した。
ギリシア・ローマ民族の言語・文化を研究する古典文献学は,多くの精神諸科学における歴史的考察方法の誕生に際して重要な土台石を提供した。19世紀には古典文献学は支配的な文化勢力となっており,ドイツが重要な役割を担った。ヴォルフは文献学を百科全書的な内容をもつものにし,ギリシア精神に対する深い感激を学生に伝えた。彼の弟子であったベックは歴史家ニーブールのもとで徹底した史料研究を行い,ギリシア民族の生活全体を見通そうとした。結果,古代ギリシアの理想化・陶酔からの覚醒につながった。ヴォルフやベックのような事実文献学に対立して,原典批判の流れも登場してきた。古典文献学の頂点であるヴィラモーヴィツは,古代学を一面的であるとし,ベックの理想に従って全文化を包括する学問として後世に残した。
言語とは何か,諸言語はどのようにして生じたのか,といった原理的な問題を科学的に解決しようとする試みは,19世紀になって始まる。言語学確立のきっかけとなったのは,インド植民地化の過程において,サンスクリット語の解読が求められたことであった。この中で,サンスクリット語の完全性や豊かさ,ヨーロッパ語との類似性が認められていった。ラスクは北欧語,スラヴ語,ラトヴィア語はいずれも,すでに死滅した同じ原始言語から派生したのであり,ギリシア語とラテン語がこの原始言語にもっとも近い関係にあるとの結論に到達している。グリムは古代と近代のゲルマン系諸言語全体の文法構造を,歴史的な基礎に立って比較的に叙述することを課題とした。歴史的観点を強調する彼の著作は,あらゆる言語群に対する研究指針となった。ボップはサンスクリットをもっとも古くて原型に近い派生語とみなし,諸言語の類縁の秘密を解く鍵だとした。フンボルトは,経験的な言語研究からえられた事実や法則と言語に関する思想の哲学的深さとを統一した。シュライハーは『比較言語学的研究』を出版し,ヨーロッパの古代および近世の全言語を他の地方への分枝化も含めて概観した。
◆報告者コメント
言語学のサンスクリット語に関して,これは,物ごとは比較によってその特徴(論理)が浮上するという典型例だと感じた。概して,言語は表現であるとの一般的な規定はなく,当時の言語学は現象論か哲学的思弁の域だという気がした。
�Y 心理学
心理学の歴史は短いが過去は長い。人間の精神活動はギリシア以来,考察の対象となってきた。17世紀以降,外的世界を征服し始めた数学的・機械論的思想は,デカルトに至って心理学をも征服した。デカルトは心身相関の問題を提起し,心理活動の流れを個々の要素に分解して扱った。ライプニッツは意識閾下の知覚の問題を扱ったし,ホッブズやロックは経験論の立場から観念連合について説いた。ハートリは連想心理学を体系化し,心理学に生理学的基盤を与えようと努めた。
ヘルバルトはイギリスで発展していた連想心理学をドイツにもたらし,協同的・相殺的に作用する心理的諸力を扱った。また,新経験は意識下の観念群が共同的に作用することによって成立するとした。ヘルバルトは心理過程の生理学的基盤を求めることはしなかったが,後継者は生理学的基盤に立つ実験心理学へと向かった。ヴェーバーは人間の区別能力について,差異の絶対量ではなく両刺激の相対関係に基づいている,との認識に到達した。哲学者でもあったフェヒナーは,知覚の強度を算術級数的に上昇させるには,刺激自身は幾何級数的に増大しなければならないことを長年のテストで確認した。彼の『精神物理学要義』は,種々の感官の知覚閾を精密に調べるテスト方法が豊富に提示されている。
以上の諸々の成果を,総括し精査し改善して一体系にまで仕上げたのが,医学者であり哲学者であったヴントであった。彼の不滅の意義は,1879年に世界最初の心理学実験室を開き,多くの弟子を育てたことであった。彼は光学や反応速度,精神物理学を研究しただけでなく,民族心理学の著作も数多く書いた。
エビングハウスは,自分自身を被験者にして高等な精神機能である学習と記憶の研究を行った。また,ブレンターノは内容を考えずに,考えたり見たりする心的作用に着目して研究した。ヴュルツブルク学派を創始したキュルペも,実験心理学から出発しながら,作用心理学に近い結論に達した。
プラグマティズムを創始した哲学者としても知られるアメリカのジェームズは,非体系的な主著『心理学原理』において,意識とは流れであることを強調し,身体的変化の知覚が情緒だとする説を唱えた。宗教的体験の心理学的研究も行った彼は,重要な心理学者を門下から輩出した。
精神病論は心理学と医学をつなぐ環であるが,精神異常一般について科学的理論を立てるためには,精神病者の取り扱いの改革が必要であった。ヴントの弟子であるクレペリンは初めて精神病を包括的に分類し,フロイトにつながるシャルコーやジャネは催眠を用いて研究した。
従来の実験心理学に対する抗議から,行動主義心理学とゲシュタルト心理学が生まれた。前者は意識を認めない“客観的”心理学であり,後者は全体は個々の部分の単純な総和以上のものであるという認識からはじめて,全体そのものの理解を最初に求める立場である。
20世紀に大きな影響を与えた精神分析を創始したフロイトは,アンナ・Oの症例から,過去の体験はたとえ完全に忘却され,長く意識にのぼることはなくても,人間の態度に影響を及ぼしてヒステリーの症状を生じさせることがあるのだと考えるようになった。彼は抑圧を解除するための唯一の治療法として自由連想法を用いるようになった。また,リビドーという性的なエネルギーを重視し,失錯や夢を研究した。彼は精神構造を,意識・前意識・無意識,さらにエス・自我・超自我と3つに分類して理論化した。精神分析は,精神過程と身体過程との連関に関する問題に光を投じ,さまざまな分野に大きな影響を与えた。
◆報告者コメント
社会学と同じく,心理学も,誕生の準備をしたり,創始者といわれたりする人物は,哲学者であったことが重要であろう。ヴントなどは,生涯に53,000ページを超える著作を物したといわれており,また,彼の民族心理学は言語,芸術,神話,法律,社会,歴史,慣習,宗教など,ありとあらゆる文化が扱われている。このような一般教養があればこそ,1つの分野を独立した科学として創出できたのであろう。
精神分析に関しては,医学において精神的な原因が重視されるようになった点(すなわち,人間の精神のもつある種の力が発見された点),人間の性格の形成にとって4歳くらいまでが非常に重要であると認識されるようになった点(初期の蓄積像の影響力の大きさ!),コミュニケーションによって心の問題を解決する専門領域が拓かれた点,が特に重要だと思われる。

