(1)報告担当者から提示されたレジュメ
(2)要約1:19世紀における地球科学の発展とは
(3)要約2:19世紀における生物学の発展とは
(4)要約3:19世紀における医学の発展とは
(5)要約4:20世紀初頭における「物理学の革命」とは
(6)重ねての要約および提起された論点の紹介
(7)論点1:19世紀における科学の発展の一般的傾向とはどういうものか
(8)論点2:生物学における「機械論」「生気論」の対立をどう捉えるか
(9)論点3:20世紀初頭に「物理学の革命」が生じたのはなぜか
(10)参加者の感想の紹介
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(1)報告担当者から提示されたレジュメ
2012年10月の例会では、シュテーリヒ『西洋科学史』(現代教養文庫、全5冊)「第11章 進化――19世紀の自然科学」の後半部分を扱いました。ここでは、19世紀における地球科学、生物学、医学の発展にくわえて、20世紀における「科学革命」への展望を示すために、1895年から1905年にかけての10年間における「物理学の革命」について、説かれています。
今回の例会報告では、まず例会で報告されたレジュメを紹介したあと、第11章の内容についての要約を4回に分けて掲載し、ついで、参加者から提起された論点について、どのように議論をしてどのような(一応の)結論に到達したのかを紹介していきます。最後に、この例会を受けての参加者の感想を紹介します。
今回は、まず報告担当者から提示されたレジュメを紹介します。
シュテーリヒ『西洋科学史』第11章
�X 地球
19世紀の地球科学の発展とはどのようなものだったか。
端的には、いくたの分枝を普遍的な展望をもって一本にまとめようとする動きが現れたと言える。フンボルトは、地形の多様さを左右しているのは植物と、その植物に応じて変異にとむようになる動物界だと主張し、植生の具体的な一連の基本型を設定した。ライエルは、自然の変化を支配する法則と、それらを律する規則とは過去から現在を通して不変だと主張し、経験を足場とする地質学の基礎を据えた。
こうした自然そのものへの視点と同時に、その自然が人類に及ぼす作用にも目が向けられた。リッターやラッツェルにより、人類地理学や政治地理学が成立することになった。
一方、19世紀は大航海時代に比肩できるほどの探検旅行に埋め尽くされた時代でもあった。北アフリカやアフリカ南部、極地帯への探索が活発になり、多くの発見がもたらされた。<報告者コメント>
19世紀の科学の特徴の1つとして、シュテーリヒは連続性を挙げていた。フンボルトとライエルはその代表と言えるだろう。ただフンボルトが、それぞれの地形(空間)に通用する法則性を明らかにしようとしたのに対して、ライエルはそれぞれの時代(時間)に通用する法則性を明らかにしようとしたという違いがあると言えるだろう。
�Y 生命
19世紀の生命科学の発展とはどのようなものだったか。
発生学においては、顕微鏡の登場が進歩を促した。ベーアが胚発生を観察し、その諸段階を区別した。これにより、卵の中には発生に先立って生物の精巧なひな型が存在しているという前成説は否定された。発生学は細胞説の進展により、揺るぎない基礎が築かれた。植物と動物がともに細胞から構成されていることが明らかにされ、生物の発生とは、生殖細胞が分化して、成体を構成する様々な細胞になっていくことだとわかったのである。
一方、種の進化過程もダーウィンによって明らかにされた。彼は、世界のあらゆる生物間の生存競争において、ある種の中でもっとも生存に適した個体が生き残っていると説き、これは人間にも適用されるとした。このダーウィン説により、どんな形式や制度も変転するという観念が定着するようになった。
では、どのような形で生物の性質が世代から世代へと伝えられていくかという点も明らかにされていった。メンデルにより遺伝に関わる法則が明らかにされ、モーガンにより、遺伝子を担うのは染色体であることが究明された。
こうした生物学の原理的な問題として、機械論と生気論が激しく争われた。近代生物学は、生命現象は無機界を支配している法則と原理的に同じであるという仮定のもとに進められ、生理学の発展ももたらした。特に有機物質の合成は機械論を有利に導いたが、生体内で行われる物理的・化学的な過程が全体的な関連を持っているという点は機械論にとって大きな問題であった。<報告者コメント>
細胞という生物の最小構成要素が明らかにされたことにより、種の系統発生の研究、その中の一部である親子に焦点を当てた遺伝研究、さらに個体発生の研究という3つがつながりをもったものとして進められたと言えるだろう。これは、シュテーリヒの言う原子論と連続性が規定し合っているということの1つの例と言えるだろう。
�Z 医学
19世紀の医学の発展とはどのようなものだったのか。
顕微鏡と試験管とメスをもって、健康人と病人の体の中で進む諸過程を、正確な知識の上に築くことが根本原則だった。その中で大きな成果を挙げたのが微生物に関する研究である。伝染病の病原体が微生物であることが明らかにされ、胞子によって病動物から健康な動物に病原菌が移動することも発見された。その治療のために、病原菌だけを殺す化学物質が求められて、特効薬の開発もなされた。一方、傷口感染に関しても微生物によるものであることがわかり、感染した微生物を殺す殺菌法や、微生物を遠ざけておく消毒法も発展した。こうした傷口感染の回避に加えて、麻酔による苦痛の征服、出血の抑制法が開発されたことで、近代医学は隆盛した。そこには、自然医術も加えられるようになった。
また健康状態を左右するのは病原菌のみではなく、食物や衛生状態が関わっていることも明らかにされ、国家的・社会的保険制度が生まれるようになった。<報告者コメント>
微生物によって病気が進行する過程を細かく追究されると同時に、生物体の状態や環境衛生も伝染病に関わっているという点が主張されている点に、病気の要因を大きな視点から捉えようとしている人類の認識を感じた。
�[ 物理学の革命
物理学は1890年頃には、一つの定常状態に達したかのように思われた。ところが、ここから一連の新発見や新理論が次々と打ち出され、1895年から1905年まで革命の10年間を埋め尽くした。
まずX線という新たな放射線が発見された。またこれをきっかけとして、他の放射線が探されるようになった。X線は陰極線が固体と衝突するときに発生するので、励起光線によって放射線を出す固体が探された。その過程で励起光線とは無関係に物質そのものから放射線が出ることがわかった。これは原子が物質の最終的な構成部分ではないことを示唆するものだった。
一方、陰極線の研究により、陰極線が負の電気的粒子であることが実験によって確かめられた。負に帯電している電子を含む原子が、全体として中性を保つ以上、負電荷を打ち消すだけの陽電荷が存在しているはずだと考えられ、研究が進められた。ここに放射性現象の研究が加わり、その陽電荷とはα線であることがわかった。また、放射能とは元素の原子が次第に崩壊していくことだと確認され、初めて原子モデルが考案されるに至った。
しかし、これまでの物理学とそれによる科学的世界観を大きく変えてしまったのは、プランクの量子論とアインシュタインの相対性理論である。どちらも、ある種の実験結果を理論的に解釈することから形成された。量子論については、その実験結果とは熱輻射の分野のものである。物体から放射されるエネルギーの総量やスペクトルの分布についての法則が、精密な実験結果と一致しないということから、プランクは、振動体および輻射対がもちうる状態の多様性は断続しており、数えうること、また、この物体のどの二つの状態の差も、要素的な作用量子で特徴付けられるという仮説をたてた。この量子仮説が量子論に至る過程には、アインシュタインが光電効果を量子原理によって説明したことが大きく影響している。
一方、アインシュタインは、マイケルソン=モーリの実験結果から出発した。マイケルソン=モーリの実験から、彼は光速度不変の原理を打ち立てたのである。ここから時間が相対的であること、またエネルギーと質量が転化しうることを明らかにした。この特殊相対性理論は後に一般相対性理論へと発展した。<報告者コメント>
1900年前後の物理学の革命は、未知の事実の発見により、既知の理論およびその前提となっていた考え方が大きく変革を迫られた事例として捉えることができるだろう。

