(1)言語とは何かの本質が問われている
(2)表現とは何か
(3)言語表現には必ず非言語表現が伴う
(4)言語においては客体的表現と主体的表現とが分離している
(5)認識と表現との食い違いを表す零記号とは何か
(6)<抽象名詞>の「の」とは何か
(7)<抽象名詞>の「の」の2つの使い方
(8)「のだ」の使い方
(9)いわゆる<終助詞>の「の」は<抽象名詞>である
(10)言語の生成発展の歴史、生成発展の必然性の究明が求められている
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(1)言語とは何かの本質が問われている
2012年9月20日、文化庁が「平成23年度『国語に関する世論調査』の結果について」を発表しました。「国語に関する世論調査」とは、「日本人の国語に関する意識や理解の現状について調査し、国語施策の立案に資するとともに、国民の国語に関する興味・関心を喚起する」ことを目的に、平成7年度から毎年実施されているものです。
この調査の中に、「日本人の日本語能力について」という項目があります。「日本人の日本語能力が低下しているという意見について、どう思うか」という問いに対して、「『低下していると思う(計)』は、『書く力』で87.0%、『読む力』で78.4%と特に高く、また、『話す力』『聞く力』もそれぞれ6割以上」となっているという結果が出ました。
東京新聞10月6日の社説では、こうした事態の背景として、「図書や新聞を読まない活字離れが進み、家庭や学校、職場での会話や議論が減った」ことや、「パソコンや携帯電話の普及」により、「メールだと漢字を容易に表示できるし、仲間内では言葉を簡略化したり、絵文字で感情を表したりもする」ことができることを挙げています。確かに、この背景について異論はないのですが、ではこうした事態の解決策として、一体どのようなことが必要なのかという点になると、「(電子メディアの)利点を生かしつつ国語の四つの力をバランス良く身につける」べきであり、「日本人の精神活動の土台をしっかり築きたい」との、何とも具体性を欠く結論や決意を示しているにすぎません。
このような結論になるのは、そもそも、書いたり読んだり話したり聞いたりするところの日本語とは何なのか、言語とは何なのか、ということの理解が不足しているからです。一般的に言って、対象をうまく扱うためには、対象そのものの構造や本質についての理解が欠かせません。火薬の構造を理解していない者が、火薬をうまく扱って有効な使い方ができるでしょうか。自動車の構造を理解していない者が、本当に安全な運転ができるでしょうか。
言語についても同じことが言えます。言語能力を向上させるためには、その駆使する対象である言語についての構造的・本質的理解が欠かせないことです。しかも言語の場合、火薬や自動車の構造の場合と違って、歴史上、その構造について明確に把握し提示した人物はほとんどいないのです。だからこそ、言語能力の低下について、活字離れや会話不足や電子メールの普及などの、現象的な要因しか指摘できないのです。
このように言うと、「言語の構造や本質なんて難しいことを考えなくてもいいのではないか。言語はコミュニケーションの手段である、という理解くらいで十分ではないか。」と問う向きもあるかもしれません。そういう方々には、「私の娘は男です。」という表現がなぜ、いかにして成立するか説明できるでしょうか。「起立!」という命令表現に含まれる表現者の立場の移行について説明できるでしょうか。おそらくできないはずです。言語についての構造的・本質的理解がないと、一見矛盾するように見える表現の成立根拠や、単純な一語文に含まれる複雑な過程について、全く説明できないのです。
弁証法の教科書・基本書である『弁証法はどういう科学か』の筆者である三浦つとむさんは、言語について以下のように述べています。
「ちょっと見ると言語は自明な平凡なもののように思えるが、さて分析をはじめると、複雑な曲りくねった構造をかくし持った、手のつけられぬ存在だということを思い知らされる。……この言語の謎を解きほぐして理論を建設するには、具体的な言語現象を集め整理しながらその背後の構造をさぐっていく仕事ももちろん必要であるが、逆に大きな観点から言語の本質は何かを考え、仮説を立てて実証的に具体化していく仕事も怠ってはなるまい。」(三浦つとむ『認識と言語の理論 第一部』勁草書房、p.1)
つまり、言語というのは一見何も難しいところがない当たり前のもののように思えるが、研究を進めていくと、その複雑な構造が見えてくる、言語の研究をする上では、言語の本質を考えることが重要だ、ということです。
それでは、言語の複雑な構造とは一体どういうものなのでしょうか。言語の本質とは何なのでしょうか。
本稿では、この問題を考えるために、筆者の大学卒業論文「<抽象名詞>としての「の」について――三浦つとむの言語過程説の観点から――」を取り上げたいと思います。この論文では、三浦つとむさんの言語過程説について、その特徴的な部分を網羅的に取り扱っており、言語の構造や本質についても分かりやすくまとまっていると考えるからです。言語過程説というのは、簡単に言えば、言語を理解しようとするとき、その背後にある認識へ対象へと遡って検討を進めていかなければならない、この<対象>→<認識>→<表現>という過程的構造を分析することで、言語の本質的理解を得ようという言語学説です。言語を理解するのに、言語のみをもってするのではなくて、その過程的構造までを射程に入れて検討する、言語をその背後にある認識や対象との連関において研究する、非常に弁証法的な言語学説だと思います。
次回以降、現時点でのコメントとともに、卒業論文を紹介することで、言語とは何かという本質を理解していただく一助になればと考えています。

