科学史上に名を残す大科学者の生涯や業績,その問題意識や後世への影響等を説く「科学者列伝」シリーズ。今回から3回にわたって「西欧中世編」ということで説いていきたいと思います。西欧中世編では,近代科学の先駆者と考えられる科学者を紹介します。
初回となる今回は,13世紀のドイツで活躍したアルベルトゥス・マグヌスを取り上げます。彼は,1200年ごろ,南ドイツで騎士の家に生まれます。パドヴァ大学に学び,その間,ドミニコ会に入ります。1245年にはパリ大学神学部の教授になり,ここでのちに中世最大の哲学者として知られることになるトマス・アクイナスが弟子となります。1248年に,ケルン大学の前身であるドミニコ会神学大学ストゥディウム・ゲネラーレ創設のためにケルンに移り住みます。この後,1260年から2年間,レーゲンスブルクの司教を務めたり,教皇庁所属の神学者として活躍した時期を除いて,主としてケルンで活動します。
彼の本名はボルシュテート伯アルベルトといいますが,学問領域全般にわたる学識のゆえに大アルベルトゥスを意味する「アルベルトゥス・マグヌス」と呼ばれました。また,「万能博士」とも呼ばれています。当時は誇張した呼び名が流行ったようで,弟子のトマス・アクイナスは「天使博士」,論敵であり次回紹介するロジャー・ベーコンは「驚異博士」と呼ばれました。存命中すでに,アリストテレス,アヴィケンナ,アヴェロエスと並ぶ権威ある著作家とされていたようです。
アルベルトゥス・マグヌスは,アヴェロエスのラテン語によるアリストテレスの注釈書に触発され,アリストテレスの自然学を学びました。そしてそれを基礎としながらも,動物学,植物学,鉱物学について鋭い観察力をもって広汎な研究を行いました。権威を否定して,個人の観察の重要性を強調したこと,自然をあるがままに観察することの大切さを説いたこと,これが科学史上におけるアルベルトゥス・マグヌスの意義であると考えられます。
逆からいうと,当時は動植物に関して,自分の観察に基づかない,いんちききわまる観念が風靡していたのです。2世紀ごろから1000年ほどにわたって,聖書に出てくるものやでたらめで空想的な生物を扱った『フィジオログス(自然学者)』と題する本が流布していました。これは,動物では奇怪で空想的な哺乳動物,鳥類,爬虫類などが記載され,植物ではイチジク,ドクニンジンなどが扱われ,いくつかの鉱物も述べられているものでした。中世の動物に関わる本は,大部分がこの『フィジオログス』を典拠としていました。『西洋科学史』に引用されている『フィジオログス』のアリジゴクに関する記述を孫引きします。
「アリとライオンとから一つの動物が生まれ,これがアリ=ライオン(Ameisenlöwe――アリジゴク)と呼ばれる。この動物は,生まれるとじきに死んでしまう。食物の工面がつかないので,いや,むしろその能力がないので飢え死にするのである。これが事実であることは聖書が証明している通りであって,そこにはこういわれている。“アリジゴクは糧に飢えて死ぬべし”。……」(『西洋科学史�U』pp.54-55)
ここでは,聖書という絶対的な権威が事実を証明するものとされています。これに対して,アルベルトゥス・マグヌスは,次のように説いています。これも『西洋科学史』からの孫引きです。
「最初にいうが,この動物は多くの人たちのいうようにアリではない。なぜなら,この動物がダニと非常に似た形のものであることを,私はしばしば体験してきたし,同僚たちにも示したことがある。このものは半ば円錐形のくぼみを砂に掘ってひそんでおり,アリジゴクの口はこれの底にある。食物を求めにでたアリがこの穴を横ぎろうとすると,アリジゴクはこれを捕らえてのみこむ。私たちはこれを非常にしばしば観察したことがある。」(p.61)
「私はしばしば体験してきた」とか「私たちは……しばしば観察した」とあるように,自分自身の体験・観察を根拠としています。これは,身のまわりの動植物をどうみるかという限りでは聖書という絶対的な権威を否定して,自然をあるがままに観察していることを意味しています。これは近代科学への,ごく小さいながらも非常に大切な第一歩ということができるかと思います。シュテーリヒも先の引用部分に続いて,次のように説いています。
「このような単純な記載は,今日の私たちにとってはたいした科学的業績とは思えないかもしれない。しかし,ありのままに観察し,過程を正確に記載する能力を人類が獲得してまだ日は浅いのであり,今日でさえまだこれを行なえない者のほうが,人類の大多数なのだ――交通事故を目撃した人たちの証言一つを考えてみてもわかることである。アルベルトゥスはそれを開拓した一人だった。」(pp.61-62)
神の意図は何かと問いかけて自然を眺める場合,自然をありのままに観察することにはならないで,むしろ自然自体のあり方を無視してでも,聖書に根拠を求め,聖書を絶対視するような姿勢になってしまいます。このような問いかけ的認識が,中世全体を支配していました。そのような中にあっても,アルベルトゥス・マグヌスのように,権威=聖書を(ある意味では)否定して,あるがままの自然を観察して,自分の観察したことに基づいて自らの考えを述べていくというあり方が,人類の中に芽生え始めてきたのです。
もちろん,アルベルトゥス・マグヌスがキリスト教を否定したということではありません。彼は信仰の世界に関してはプラトン主義を,理性の世界に関してはアリストテレス主義を採用し,信仰と理性をはっきりと分離させたといわれています。これは,信仰を否定したわけではなく,相反する矛盾した要素が,一人の人間の中に共存していた,ということでしょう。ニュートンですら,中世と近代の奇妙なジレンマを抱えていましたし,現代の科学者でも,完全に宗教的な要素を排除できている人,徹底的な唯物論の立場に立てている人が,どのくらいいるかは心許ないと思われます。
それでも,アルベルトゥス・マグヌスが踏み出した一歩は,科学を宗教から独立させる初めの一歩となったと評価することはできるでしょう。権威に全的に依存することによって安らうという中世的指導理念が動揺し始め,科学的ルネサンスに向けての胎動がアルベルトゥス・マグヌスには見られるのです。そしてこの胎動は,次回に紹介するロジャー・ベーコンにおいていっそう顕著となります。

