「吉本さんの特質を二つ挙げておこう。一つは自立の思想だ。政治や芸術のさまざまな党派主義を排し、借り物の考え方を捨てて、自前の考え方、自身の思考によることを求め続けた。
もう一つは大衆の側に寄り添ったことだ。どんなに最先端の思想を知っても、それを普通に暮らしている生活者の人生に照らさなければ、意味がないと考えた。新しい知識を得ても、高みから説かず、平凡な日々の生活を大切にし続けた。
吉本さんが、詩や小説の立場を守る人だったのは、こんな姿勢からも説明できるだろう。イデオロギーや国家権力はもちろん、表現の内実を見ない倫理の強制も、激しく批判した。」
このように、吉本さんの思想については、「自立の思想」「大衆の原像」といった言葉で語られることが多いのですが、これは究極的には、私たち京都弁証法認識論研究会が大きな目標として掲げているところのもの――主体性確立の基盤としての弁証法・認識論を武器として、自立した国民による自立した国家を構築していかなければならないということ――と相通ずるものがあるといえるでしょう。
そもそも、三浦つとむさんから南郷継正先生へという学問発展の大きな流れをしっかりと受け継いでいこうと志している私たちにとって、吉本隆明さんは、何よりもまず、三浦つとむさん、滝村隆一さん、南郷継正先生らが論稿を発表する場となった『試行』誌の主宰者として、絶対に忘れることのできない存在です。これらの方々は、吉本隆明さんと決して浅からぬ相互浸透関係にあったわけです(このことにかかわっては、昨年、横須賀寿子さんにお会いした際に、三浦つとむさんにとって唯一の友人といえる存在が吉本さんであった、とお聞きしたことも思い出されます)。この『試行』誌について、南郷継正先生は、日本弁証法論理学研究会編集による『学城』第1号の「巻頭言」において、「吉本隆明氏(思想)、三浦つとむ氏(弁証法)、滝村隆一氏(国家論)などの第一級の論者を擁して二十世紀後半に華と咲きほこった」というきわめて高い評価をあたえています。創刊号の「巻頭言」にこのような文言がおかれたことからすれば、『学城』は『試行』の後継誌たらんとするものであるとみることもできるでしょう。
しかし、学問発展の歴史の流れにたいして吉本さんが果たした役割は、たんに、三浦さんや南郷先生に論稿発表の場を提供したということにとどまるものではありません。吉本さんは、もっと深くその内実にかかわるレベルで、学問発展の歴史に大きな影響をあたえているのです。私たちにこのことを強烈に認識させたのは、昨年出た『学城』第8号に収録された南郷継正先生の講義録でした(「武道哲学講義 〔�Z〕第二部――学問とはいわば世界地図を描くことである」)。この講義の中で、南郷継正先生は以下のように述べておられます。
「それは昔々、何十年も前のことである。とある日、吉本隆明と会話(雑談)している途中で、ある有名な評論家が会話に加わったことがある。そこでヘーゲルの学問の内容が論じられて、吉本隆明が語った言葉で私はオヤッと思ったのである。……吉本隆明曰く、『ヘーゲルは、学問の世界と実体の世界とを二つ描いて、両方の図式の対がいわば重なり合うレベルで一致した時に、本当の学問の成立であるとしたのだ』、と。私にとって、この文言の凄さといったらよいのかショックというべきなのか、『はぁ…こんな考え方も世の中にあるのだなぁ』となったことである。……そのことが、面白いことに私がヘーゲルをしっかりと理解できていく端緒になったのである。
どういうことかを端的に述べるならば、私は、この吉本隆明の文言からヘーゲルの学問の実態を、以下のように捉えてかかるようになっていくのである。
それは、『ヘーゲル哲学の内実(実態)とは観念論の手の中というより観念論という概念的実体(世界)の中に唯物論を全体的に実体レベルで取り入れてしまっていることなのだ、それも唯物論を何らの不可思議もないものとして自家薬籠中のものとしてしまったのだ、ヘーゲルは』と、吉本隆明の言を私は勝手に理解していったからである。……この吉本隆明の発言は「つまり唯物論を手中に収めてしまっているのだ、ヘーゲルは。つまりはそういうことなのか」という理解へのヒントを私に与えてくれたものだった」(『学城』第8号、p.216)
このように、南郷継正先生が、みずからの学問の形成過程における吉本さんからの決定的な影響について語られたことは、私たちにとって、学問の発展史における吉本さんの存在の大きさを、改めて強烈に感じさせるものでした。
実は、学問の発展史における吉本さんの役割については、わが京都弁証法認識論研究会の指導者から、くり返し説かれてきたことでもありました。わが研究会の指導者は、もともと吉本隆明さんへの傾倒から三浦つとむ・南郷継正の学統へと接近していったという経緯をもっていたこともあり、私たちはこれまでも折に触れて、吉本隆明さんの偉大さについて、教えを受けてきたのです。たとえば、「喩としての聖書」(『〈信〉の構造2』春秋社などに所収)における、人類の認識がまだ幼かった時代における言語表現の問題についての解明の見事さ、あるいは、今西錦司との対談本『ダーウィンを超えて』(中公文庫)における、生物は「変わるべくして変わった」としてそれ以上の問題の解明を無意味として退けてしまった今西氏にたいして、あくまでも徹底して「なぜ」を問おうとする吉本さんの姿勢の見事さなどについては、私たちも大きな感動をもって受けとめてきたものでした。
大きくみれば、このような吉本さんの存在があったからこそ、三浦つとむさんから南郷継正先生への学問の発展が可能となっていったのだと考えるべきでしょう。三浦つとむ・南郷継正の学統をしっかりと発展的に継承していこうと志している私たちにとって、やはり、吉本隆明さんは決して無視することのできない大きな存在であるといわなければなりません。私たち京都弁証法認識論研究会は、吉本隆明さんの逝去にあたって、学問発展史における吉本さんの存在の大きさをしっかりと確認するとともに、何よりも「自立」ということ、すなわち主体性の確立という思想の根本をしっかりと発展的に継承していく決意であることを、ここに表明しておきたいと思います。

