(1)リフレーミングを認識論的に説くと
(2)認知療法におけるリフレーミング
(3)リフレーミングは観念的二重化の一種である
(4)リフレーミングできる根拠は現実の弁証法性にある
(5)リフレーミングは認識をコントロールするための技である
(1)リフレーミングを認識論的に説くと
「ものは考えよう」という諺というか,格言があります。「ものごとは考え方しだいで,良くも悪くも感じられるものだ」というくらいの意味です。たとえば,こんな例を聞いたことがあるかもしれません。目の前に半分の水が入ったコップがあります。これを見て,ある人は「半分も水がある」と考えました。ところが別の人は「半分しか水がない」と考えました。この場合,前者は気分がポジティブになりますが,後者は気分がネガティブになってしまうことが予想できます。同じ「半分の水が入ったコップ」を眺めても,考え方しだいで,すなわち,それをどのように受け取るかによって,気分・感情が良くなったり悪くなったりするというわけです。
別の例でも考えてみましょう。何か仕事で失敗したとします。この失敗に対して,「ああ,また失敗してしまった」とか「自分はなんてダメなんだ」とか考えると気分が落ち込みます。ところが,「やってしまったことはしかたがない」とか「“失敗は成功の基”というから,しっかり反省して同じ間違いをしないようにしよう」とか考えれば,それほどネガティブな気分にならないでしょう。
このように,同じものごとを対象にしても,その受け取り方や考え方しだいで,良く感じられたり悪く感じられたりという経験をくり返していく中で,「ものは考えよう」という格言が創られてきたのです。「ものごとは考え方しだいで,良くも悪くも感じられるものだ」というのは,非常に素朴なレベルではありますが,認識の運動に潜む法則性を捉えたものといっていいでしょう。
この「ものは考えよう」という認識の法則を心理療法(心理療法とは,薬を使わずに,コミュニケーションによって精神疾患を治療したり心の問題の解決を図ろうとしたりする働きかけのことです)に応用したものとして,「リフレーミング」という技法があります。これは簡単には,心理的な枠組み=フレーム(視点)を変化させることによってある体験や事物がもつ意味を変化させようとする技法のことです。
このリフレーミングは,実にさまざまな種類の心理療法で使われています。『現代のエスプリ』(ぎょうせい)という心理系の月刊誌がありますが,その第523号は「リフレーミング:その理論と実際」と題して,認知行動療法,家族療法など心理療法のいくつかの流派の観点から見たリフレーミングについて特集されています。このような特集が組まれるということは,このリフレーミングという技法がたくさんの心理療法の流派において(多少の違いこそあれ)共通して使われている技法だということを示すものです。それほど幅広く使われているということは,それだけ役に立つ技法であることが認められているということでしょう。
心理療法におけるリフレーミングという技法を大雑把に把握していただくために,ある入門書から引用したいと思います。
「リフレイミングは,心理的な枠組(フレイム=視点)が変わることで,ある体験や事物の持つ意味が変わることを言うが,家族療法はもとより,各種の個人療法においてもセラピーが効果的に進められるとき,セラピストが特にそれを意識しないときも,そこにはなんらかのリフレイミングのプロセスが行われていることは少なくない。
(中略)
……フレイムを変える要因には,〈意味〉と〈状況〉の二つがある。
たとえば,[よく父に叱られるので,私は落ち込む]という訴えのとき,ここには〈父の叱責〉という感覚体験に対して,本人が何らかの否定的な意味づけをしている結果,落ち込んでしまうという反応が起きると考えるが,ここで同じ感覚体験が,たとえば「お父さんにとって,あなたは見込みがあり,そのために叱りがいを感じているのでしょう」と言うことで本人の反応が変わるとすれば,ここには,叱責の意味づけを本人が新しいものに変えた結果起こった変化と見ることができる。
また,[私は神経質すぎる]という訴えのとき,過度に感じなくてもよい状況で,そのように反応することが負担になっているのであるが,ここでセラピストが「体の変化に無神経なため手遅れになる患者が,よく後悔するのは『ああ,もっと体のことに神経質になるべきだった!』ということなのですよ」と言うことで,クライエントの反応が変わった場合,そこには細心の注意深さや,未来への危険予知能力が必要な別の状況を示唆することで,〈神経質〉という心の働きが,そのまま本人にとって大事なものにもなったわけである。」(宮田敬一編『ブリーフセラピー入門』金剛出版,pp.75-76)
要するに,リフレーミングとは,同じ対象を別の視点からとらえ返し,その対象についての意味づけを変えることによって,気分・感情をネガティブなものからポジティブなものへと変えることである,ということです。「ものは考えよう」がうまく応用されていることが分かるでしょう。
実はこのリフレーミングは,たかだか100年くらいの歴史しか持たない心理療法の中で発見されたものではなく,ほぼ2000年前にあたる古代ローマ時代には哲学者の間で取り上げられていました。たとえば,奴隷出身の後期ストア派の哲学者であるエピクテトスは,次のように説いたと伝えられています。
「人は物事によって悩むのではなく,その受け取り方によって悩むのである。」
また,最後の五賢帝として知られ,哲学者としても著名なマルクス・アウレリウス・アントニヌスは次のように述べています。
「君がなにか外的の理由で苦しむとすれば,君を悩ますのはそのこと自体ではなくて,それに関する君の判断なのだ。ところがその判断は君の考え一つでたちまち抹殺してしまうことができる。」(『自省録』第8章47)
このように,古代ローマ時代の哲学者達も,同じ事物であっても,受け取り方や判断の仕方によって自分を悩ますことになるが,受け取り方や判断の仕方を変えれば,そのような悩みなどなくなってしまうと説いていたのです。
本稿では,このようなリフレーミングについて,認識論的に説いていきたいと思います。そこでまずは,心理療法の一つである認知療法におけるリフレーミングについて,詳しく解説したいと思います。次いで,リフレーミングというのは,認識にどのような運動を生じさせることであるのか,なぜそれが心の問題(悩み)の解決に役に立つのか,といった問題を,認識論的に説きたいと考えています。そして最後に,リフレーミングという技法が成立する根拠・前提を考察することにします。


これまでは補助的に認知療法を取り入れたりすることもありましたが、最近、リフレーミングが劇的な効果を生むことを確認しました。
また、個々人のキャリアに係る困難な事象の認識に、多様な側面と、側面と捉え得る現実的課題があり、それらが一つの価値観によって構成されていることなど、弁証法的な視点から解決を図って来ました。
今回、このブログに接して曖昧だったリフレーミング、認知療法、そして弁証法との関係が明確になりました。
ありがとうございます。
これらに関する図書や勉強会などございましたら是非、ご案内くださいますよう、お願いいたします。
コメントありがとうございます。本ブログ記事で頭の中が整理できたのであれば、筆者としても嬉しいかぎりです。認知療法やリフレーミングに関わる図書や勉強会は、非常にたくさんあると思いますが、これらと弁証法との関係を論じたものは皆無だと思います。近いうちにわれわれの成果を世に問う予定ですので、その時はブログにてご案内いたします。今後ともよろしくお願いいたします。