(1)不破哲三氏はエンゲルス「根本的矛盾」定式をどう批判するか
(2)エンゲルスの定式は資本主義的生産の性格を表現しきれていないか
(3)階級的矛盾は根本的矛盾の現象形態ではないのか
(4)エンゲルスの定式では恐慌の問題が解けないか
(5)不破哲三氏のアタマのはたらきは形而上学的である
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(1)不破哲三氏はエンゲルス「根本的矛盾」定式をどう批判するか
「エンゲルス『空想から科学へ』を読む(11/19)」で確認したとおり、エンゲルスは、資本主義の根本的矛盾を社会的生産と資本主義的取得との矛盾として定式化しました。すなわち、生産は多数の労働者の協業による社会的なものになっているのにもかかわらず、その生産物は生産手段の所有者たる資本家によって取得されてしまう、という矛盾こそが、現代社会の諸々の弊害をうみだすもっとも根本的な要因である、と位置づけたわけです。これは、資本主義経済体制の問題点を非常に明快に把握したもので、生産手段を社会的な所有に変えるという社会主義的変革の課題を直接に示すものであるといえます。
ところが、日本共産党の議長であった不破哲三氏(現在は日本共産党中央委員会付属社会科学研究所所長)は、『科学的社会主義を学ぶ』(新日本出版社、2001年)という著作において、このエンゲルスの定式について「ひっかかっているところが三つある」として、以下のような疑問を提起しています。
「第一は、……資本主義の生産関係のせまい枠組みとこれを突破する生産力の巨大な発展との矛盾を問題にするとき、エンゲルスのいう『生産の社会的性格』という定式では、どうしても、『生産のための生産』という資本主義的生産の突進的な特徴やその衝動を的確に表現しきれていないという気がする。そこで、マルクスが、〔『資本論』の〕第一部の蓄積論からずっと積みあげてきて、第三部の矛盾分析の根本にすえた『生産のための生産』の衝動と結びついた生産力の『無条件的発展』とか『絶対的発展』という定式に魅かれるのです。
第二は、エンゲルスが、この根本矛盾ですべてを説明しようとして、『プロレタリアートとブルジョアジーとの矛盾』を、根本矛盾の現象形態として、位置づけていることです。しかし、この階級的な矛盾は、資本主義の成り立ちの根本であって、なにか経済体制の矛盾の一現象形態などではないはずです。
ですから、私は、講義のなかで、資本主義を没落にみちびく矛盾を説明するとき、階級的な矛盾を中心とした『資本主義と社会の多数者との矛盾』と『経済体制としての矛盾』との両面からとらえる、という整理の仕方をしました。……
さらに第三としてもう一点つけくわえると、エンゲルスが、根本矛盾のもう一つの現象形態として、『個々の工場における社会的組織と総生産における社会的無政府状態との矛盾』をあげ、恐慌をこの矛盾によって説明しているのも、エンゲルスの矛盾論の一つの弱点となっている、と思います。これは、結局、恐慌を、市場の無政府性という、いわゆる『恐慌の可能性』の次元だけで説明する議論になりますから。
マルクスは、恐慌を解明するために、『資本論』の第二部、第三部という立体的な展開を用意していました。そこでは、市場経済の無政府性という『恐慌の可能性』が、『生産のための生産』とせまい市場の限界との衝突を通じて『恐慌の現実性』に転化してゆく論理が、示されています。資本主義の体制的な矛盾についてのマルクスの定式は、そこまでたちいった定式になっている、と言えるでしょう。」(不破哲三『科学的社会主義を学ぶ』新日本出版社、pp.172-174)
ようするに、不破氏は、エンゲルスの根本的矛盾の定式そのものについて、資本主義的生産の突進的な特徴とその衝動を的確に表現しきれていないのではないか、という疑問を呈し、さらに、エンゲルスがこの根本的矛盾の現象形態として位置づけている二つの矛盾、すなわち、「プロレタリアートとブルジョアジーとの矛盾」および「個々の工場における社会的組織と総生産における社会的無政府状態との矛盾」のとらえ方についても、疑問を呈するのです。
このうち、「プロレタリアートとブルジョアジーとの矛盾」についての疑問とは、そもそもこの矛盾を根本的矛盾の現象形態として位置づけること自体が誤りではないのか、という疑問であり、「個々の工場における社会的組織と総生産における社会的無政府状態との矛盾」についての疑問とは、この矛盾からだけでは恐慌がなぜ引き起こされざてしまうのかを充分に説明しきれないのではないか、という疑問です。
不破氏は、こうした疑問を背景に、マルクス『資本論』第三部の分析をふまえて、「生産力のとどまるところを知らない発展が、資本主義の生産関係のせまい枠組みと衝突する」(同、p.117)という矛盾を、「マルクスの定式」としてエンゲルスの定式に対置させたのでした。
このようにエンゲルスの定式を批判した不破氏は、マルクスの『資本論』における議論をふまえて、�@階級的な矛盾――資本主義と社会の多数者との矛盾、�A体制としての矛盾――生産のための生産、という新しい定式を提起するのです(同、p.109〜)。すなわち、利潤第一主義の支配が労働者を犠牲にし、小生産者を没落させ、弱小資本家を淘汰し、社会の圧倒的多数者との矛盾を深めていく。同時に、経済拡大への激しい衝動が、労働者の低い購買力などの資本主義の生産関係の狭い枠組みと衝突し、恐慌などの破壊作用を引き起こす――というわけです。
こうした不破氏の疑問と提起は、はたして、エンゲルスの根本的矛盾の定式の問題点を鋭く突いたものであるといってよいのでしょうか。この補論4では、この問題について考えてみることにしましょう。

