(1)マルクスの定式に「階級」の語が登場しないことをどうみるか
(2)マルクスはなぜ定式に「階級」という語を登場させなかったのか
(3)それでは「階級」とは何か、「階級闘争」とは何か
(4)スターリン的把握では階級闘争の必然性がつかめない
(5)『経済学批判』「序言」は本質的な関係を論じたものである
(1)マルクスの定式に「階級」の語が登場しないことをどうみるか
「エンゲルス『空想から科学へ』を読む(7/19)」で確認したとおり、エンゲルスは、『空想から科学へ』の第2章において、次のように述べていました。
「これまでのすべての歴史は、原始状態を例外として、階級闘争の歴史であったこと、これらのたがいに闘争する社会の諸階級は、いつでもその時代の生産関係と交易関係、一口でいえば、経済的諸関係の産物であること、だから社会のそのときどきの経済的構造が現実の土台をかたちづくっており、それぞれの歴史的時期の法律的および政治的諸制度ならびに宗教的、哲学的、その他の見解からなる全体の上部構造は、結局、この土台から説明されるべきであるということである。ヘーゲルは歴史観を形而上学から解放し、それを弁証法的にした――しかし彼の歴史観は本質的に観念論的であった。いまや観念論はその最後の隠れ場所から、歴史観から追い出され、唯物論的歴史観があたえられ、これまでのように人間の存在をその意識から説明するのではなくて、人間の意識をその存在から説明する道が見いだされたのである。」(新日本出版社・科学的社会主義の古典選書版、p.59)
ここでは、唯物論的な歴史の見方の要点が、以下の三点に整理されて提示されています。すなわち、第一に、すべての歴史は階級闘争の歴史であること、第二に、階級とは経済的諸関係の産物であること、第三に、したがって経済的構造こそが社会の現実の土台であり、政治的諸制度などの上部構造はこの土台から説明されなければならないこと、です。このように、いわゆる唯物論的歴史観とは、階級および階級闘争のはたす役割を徹底して重視する歴史観であるといってよいでしょう。その徹底ぶりは、しばしば階級闘争史観とよばれる(揶揄される?)ほどです。
ところが、おなじく唯物論的歴史観の基本をあきらかにしたものとして名高いマルクス『経済学批判』の「序言」においては、驚くべきことに(?)、「階級闘争」という言葉はおろか「階級」という言葉すら登場しないのです。この「序言」のうち、唯物論的歴史観の定式の核心的な部分を引用してみましょう。
「人間は、その生活の社会的生産において、一定の、必然的な、かれらの意思から独立した諸関係を、つまりかれらの物質的生産諸力の一定の発展段階に対応する生産諸関係を、とりむすぶ。この生産諸関係の総体は社会の経済的機構を形づくっており、これが現実の土台となって、そのうえに、法律的、政治的上部構造がそびえたち、また、一定の社会的意識諸形態は、この現実の土台に対応している。物質的生活の生産様式は、社会的、政治的、精神的生活諸過程一般を制約する。人間の意識がその存在を規定するのではなくて、逆に、人間の社会的存在がその意識を規定するのである。社会の物質的生産諸力は、その発展がある段階にたっすると、いままでそれがそのなかで動いてきた既存の生産諸関係、あるいはその法的表現にすぎない所有諸関係と矛盾するようになる。これらの諸関係は、生産諸力の発展諸形態からその桎梏へと一変する。このとき社会革命の時期がはじまるのである。経済的基礎の変化につれて、巨大な上部構造全体が、徐々にせよ急激にせよ、くつがえる。」(マルクス『経済学批判』「序言」岩波文庫、p.13)
ここでは、社会革命が階級闘争としてではなく、「物質的生産諸力」と「生産諸関係」との矛盾から生じるものとして把握されています。唯物論的歴史観についてのこのマルクスの定式における把握の仕方は、唯物論的歴史観を徹頭徹尾、階級という観点から説明しようとした先ほどのエンゲルスの定式とは、見事なまでの対照をなすものといってよいでしょう。
これは、マルクスの見解とエンゲルスの見解とが異なっていることを意味するのでしょうか。
けっしてそうではありません。マルクスとエンゲルスの共著になる『共産党宣言』の冒頭、「これまでの社会の歴史はすべて階級闘争の歴史であった(Die Geschichte aller bisherigen Gesellschaft ist die Geschichte von Klassenkampfen)」というあまりに有名な一文をはじめとして、マルクス自身が階級闘争こそが歴史を動かす原動力だと位置づけた文章は枚挙にいとまがありません。1848年2月革命以降のフランスの政治情勢を階級闘争の観点から論じた『フランスにおける階級闘争』という著作もあるほどです。
それでは、マルクスの『経済学批判』の「序言」には、なぜ階級闘争という語も階級という語も登場しないのでしょうか。このマルクスの定式で描かれた「生産力と生産関係の矛盾」と階級闘争とは、いったいどのような関係にあるものととらえればよいのでしょうか。こうした問題を解ききれてこそ、マルクスやエンゲルスの唯物論的な歴史の見方についてまともに理解していくことができるものと思われます。この補論2では、これらの問題について考えていくことにしましょう。

