2017年11月04日

2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性(2/10)

(2)カント『純粋理性批判』反省概念の二義性について 要約@

 前回は、京都弁証法認識論研究会の10月例会の場において、報告担当者から提示されたレジュメ、およびそのレジュメに対してなされた他メンバーからのコメントを紹介しました。今回から4回にわたって、カント『純粋理性批判』における反省概念の二義性についての議論を紹介していくことにします。

 今回は、そもそも反省とはどういうことか、そのなかでも先験的反省とはどういうものであるのか、また先験的反省が行われるための4種の関係とはどういうものか、ということについて説明されている部分の要約を紹介しましょう。

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付録

経験的な悟性使用と先験的な悟性使用との混同によって生じる反省概念の二義性について

 反省は、対象に関する概念を直接に得るために対象そのものを考察するのではなくて、心意識の状態である。換言すれば、我々が概念を得るための主観的条件を発見しようとして、まずその心構えをする状態である。反省は、与えられた表象が我々の2つの相異なる認識源泉〔感性と悟性〕に対するそれぞれの関係の意識である。そして表象相互の関係は、こうした意識によってのみ正しく規定されるのである。我々が表象について論じる前にまず問題になるのは、我々の表象は2つの認識能力のいずれに属するのか、表象が結合され比較されるのは悟性においてなのか感性においてなのか、ということである。判断のなかには、習慣から生じたものや情意的傾向によって出来たものがあるのに、このような判断に先立って、あるいは判断の後で反省が行われないものだから、判断は全て悟性から発生したものだと見なされてしまう。しかし判断は全て、それどころか表象の比較にしてからが、全て反省を必要とする。換言すれば、与えられた概念がいずれの認識能力に属するかの判別が必要である。表象の比較は認識能力によって行われる。そして私はこの比較と認識能力を見比べて、これらの表象は純粋悟性に属するものとして比較されるのか、それとも感性的直観に属するものとして比較されるのかを判別する作用を、私は先験的反省と名づけるのである。ところで、概念が心意識の状態において互いに対になり得る関係は4通りある。すなわち、同一と相違、一致と反対、内的なものと外的なもの、規定され得るもの〔質料〕と規定するもの〔形式〕である。感性においてか悟性においてかという区別は、我々がこの4通りの関係をどう考えたらよいか、という仕方に大きな相違を生じる。
 客観的判断のための概念を比較してみると、全称判断のために同一、特殊判断を構成するには相違、肯定的判断を成立させるには一致、否定的判断を成立させるには反対がある。これらの概念は比較概念と名づけられる。しかし問題が論理的形式でなく概念の内容にあるとすると、換言すれば、物そのものが互いに同一なのかそれとも相違しているのか、互いに一致しているのかそれとも反対なのか、などということが問題になると、これらの物は我々の認識能力に対して、感性に対するか悟性に対するか2通りの関係をもち得る。物が相互に対をなして結びつく仕方は、それらの物が感性と悟性とのいずれに属するかによって決定される。すると先験的反省のみが同時に表象相互の関係を規定し得るということになる。物が互いに同一なのか相違しているのか、一致しているのか反対なのかは、概念そのものから単なる比較によってただちに決定できるものではなく、これらの物の属する認識の仕方を判別することによって、すなわち先験的反省を用いて初めて決定され得るのである。

 一 同一と相違。ある対象がたびたび、しかもその都度ごとに同一の内的規定をもって現れると、この対象は、純粋悟性の対象と見なされる限り常に同一であり、「多」物ではなく「一」物である。しかしこの対象が現象だとすると、この物の概念を他のものの概念と比較することは全く問題にならない。たとえ概念に関してはこれらの物が完全に同一であるにしても、同一時においてこうした現象の占める場所の相違は、感官の対象そのものの数的相違を成立させるのに十分な根拠になる。2滴の水は、それぞれの内的相違を一切度外視することができても、それぞれが別の場所において同時に見られるということで、数的に相違するものと考えるに十分である。ライプニッツは現象を全て物自体と考え、可想的存在すなわち純粋悟性の対象と見なしたが、こういう考え方をすれば、彼の「概念的に区別されぬものは同一という原理」は確かに反駁されない。しかし現象は感性の対象であり、また悟性は現象に関しては経験的にしか使用されない。したがって悟性の純粋な使用は不可能であるから、数多性や数的相違は、外的現象を成立させる条件であるところの空間によってすでに表示されているわけである。空間の一部分は、他の一部分と完全に相等しくても別の部分である。空間の諸処に同時に存在する物についても、たとえこれらの物がそれぞれの占めている場所以外の点では全く相等しいにせよ、当てはまらなければならない。

 二 一致と反対。実在が純粋悟性によってのみ表象される場合、実在と実在の間には反対は全く考えられない。これに反して現象における実在的なものは、互に反対し合い、またこれらの実在的なものが同一の主語に結び付けられると、一方は他方の結果を、全面的にあるいは部分的に無効にすることがあり得る。例えば、同一直線上の2つの運動力が、その直線上の一点を互いに反対に引くなり押すなりするような場合、あるいはまた苦痛と満足が平衡を保っているような場合である。

 三 内的なものと外的なもの。純粋悟性の対象にあっては、この対象と異なるものと(その現実的存在に関して)全く関係をもたないものだけが「内的なもの」である。これに反して空間における現象的実体の内的規定は、全て関係にほかならない。それにまた現象的実体そのものが、純然たる関係だけの総括なのである。我々が空間における実体を知るのは、空間において作用している力、すなわち他の物を自分の方へ引き寄せる力(引力)によるか、さもなければ他の物が自分のうちに入り込むのを防ぐ力(斥力と不加入性)によるか、2つのうちいずれかである。ところが純粋悟性の対象となると、実体はいずれも内的規定と内的実在に帰することのできると空をもっているに違いない。しかし私は、私の内感が私に示すところの付随性のほかに、どんな内的付随性も考えることはできない。そして私の内感が私に示す付随性としては、それ自体思惟であるか思惟に類似するものか、2つしかない。ライプニッツは、実体を可想的存在と考えたので、一切の実体を、それどころか物質の構成部分をすら、それぞれ表象力を具えた単一の実体――単子であるとした。

 四 質料と形式。質料という概念は規定されるもの一般を、形式という概念は規定するものを意味する。論理学者は普遍的なものを質料と名づけ、普遍的なもののある部分と他の部分との種別的な差異を形式と称してきた。悟性はまず何かあるものが(少なくとも概念において)与えられていることを要求する。それは悟性がこのあるものをある仕方で規定するためである。すると純粋悟性の概念にあっては、質料は形式よりも前にあることになる。ライプニッツがまず物(単子)と物における内的表象力とを想定し、こうした基礎の上に単子相互の外的関係と単子の状態(すなわち表象)の相互作用を捉えたのはこのためである。こうして空間は実体間の関係によってのみ、また時間は実体の規定を原因および結果として互いに結びつけることによって可能となるとされた。しかし本当のところは、空間および時間は一切の現象と経験において与えられた一切のものよりも前にあり、むしろ経験を初めて可能にするものなのである。それにしても形式が物そのものよりも前にあって、物の可能を規定するなど、主知的哲学者たるライプニッツの我慢できるところではなかった。
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2017年11月03日

2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性(1/10)

目次

(1)報告者レジュメおよびそれに対しての他メンバーからのコメント
(2)カント『純粋理性批判』反省概念の二義性について 要約@
(3)カント『純粋理性批判』反省概念の二義性について 要約A
(4)カント『純粋理性批判』反省概念の二義性について 要約B
(5)カント『純粋理性批判』反省概念の二義性について 要約C
(6)改めての要約と論点の提示
(7)論点1:先験的反省とはどういうものか
(8)論点2:カントはライプニッツをどのように批判しているか
(9)論点3:カントによる無の概念の区分はどのようなものか
(10)参加者の感想の紹介

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(1)報告者レジュメおよびそれに対しての他メンバーからのコメント

 我々京都弁証法認識論研究会は、今年および来年の2年間を費やして、カント『純粋理性批判』に取り組んでいくことにしています。これは、絶対精神の成長の過程(自己=世界という自覚の成立過程)として哲学の発展の歴史を描いたヘーゲル『哲学史』の学び(2015-2016年)を踏まえつつ、客観(世界)と主観(自己)との関係という問題について徹底的に突き詰めて考え抜いたカント『純粋理性批判』の学び(2017-2018年)を媒介にすることによって、全世界の論理的体系的把握を試みたヘーゲル『エンチュクロペディー』の学び(2019-2020年)に進んでいこうという計画にもとづいたものです。

 10月例会では、反省概念の二義性について論じられている部分(先験的分析論の最後に付録としてつけられた部分)を扱いました。今回の例会報告では、まず例会で報告されたレジュメを紹介したあと、扱った範囲の要約を4回に分けて掲載し、ついで、参加者から提起された論点について、どのように議論をしてどのような(一応の)結論に到達したのかを紹介していきます。最後に、この例会を受けての参加者の感想を紹介します。

 今回はまず、報告担当者から提示されたレジュメ、およびそのレジュメに対してなされた他メンバーからのコメントを紹介することにしましょう。

 なお、この研究会では、篠田英雄訳の岩波文庫版を基本にしつつ、他の翻訳やドイツ語原文を適宜参照するようにしています(引用文のページ数は、特に断りがない限り、岩波文庫版のものです)。

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カント『純粋理性批判』 反省概念の二義性について

【1】先験的反省について
 カントによると、反省とは対象に関する概念を得るために対象そのものを考察するのではなく、概念を得るための主観的条件を発見しようとして、その心構えをする心の状態であるという。その反省のうち、与えられた概念が感性と悟性のいずれの認識能力に属するかという判別を行うことを先験的反省とカントは名づけている。他方、与えられた表象の属する認識能力を全く度外視し、全て一様に扱いながら、表象相互の比較を行うにとどまる反省は、論理的反省と呼ばれている。
 カントは、(1)同一と相違、(2)一致と反対、(3)内的なものと外的なもの、(4)規定され得るものと規定するもの(質料と形式)という4つの反省概念を取り上げ、これらは感性と純粋悟性のいずれにも属しうるという二義性をもっていることを指摘している。

〔報告者コメント〕
 カントのいう反省とは、唯物論的な認識論からすると、自分の認識=像を見つめること、自分の認識=像を対象として認識すること、といえるだろう。さらに、論理的反省とは、単に像を像として見つめることであり、像がどのようにして生成してきたのかは問わない作業といえるだろう。これに対して、先験的反省とは、像の生成の過程も含めて見つめることであるといえるのではないか。ただし、カント(の時代)にあっては、像の生成発展も含めて、きちんと見ることができる実力はなかったから、認識=像が感性に属するのか、それとも純粋悟性に属するのか、という形でしか、答えを出せなかったのではないだろうか。


【2】ライプニッツ批判について
 カントは、一つの概念に感性あるいは純粋悟性のいずれかにおいて与える場所を、先験的場所と名づけ、あらゆる概念に、それぞれ使用の相違に応じて与えられる場所を判定すること、かかる場所をあらゆる概念に規則にしたがって指示することを、先験的場所論と呼んでいる。
 カントによると、ライプニッツはかかる先験的場所論を欠いていたために、反省概念の二義性に欺かれたという。すなわち、先の4つの反省概念を全て純粋悟性に属するものと考えてしまい、感性は純粋悟性の表象を混雑させたものにすぎないとしてしまったのである。
 なぜライプニッツのような誤りに陥るのかというと、人間の悟性はもともと、感性的直観の形式である空間と時間を通して成立した現象にしか適用できないのに、物自体に対しても悟性を使用してしまうからであるとカントは説いている。すなわち、経験的な悟性使用と先験的な悟性使用との混同によって、反省概念の二義性が生じるのだということである。

〔報告者コメント〕
 カントによるライプニッツとロックの批判は興味深い。カントによると、ライプニッツは現象を知性化したが、ロックは悟性概念を全て感覚化したという。これはすなわち、ライプニッツは、受動的に感覚でとらえるべき現象をも能動的な悟性でとらえるとしてしまったのに対して、ロックは、悟性の能動性を否定して、認識の全ての要素を感覚による受動性のたまものと解釈した、ということであろう。どんな対象でも矛盾した性質をもっており、認識についても受動性と能動性の矛盾がある。人間は一般的に、初めは矛盾した側面の一方しか見られずに、あるいは、矛盾した側面の一歩鵜呑みを度外れに拡大して捉えてしまい、別々の人間が矛盾した側面をそれぞれ主張した後に、それらがアウフヘーベンされるということがいえるだろう。しかし、カントの時代はまだまだ、認識の受動性と能動性を媒介的に、別の認識能力の統一として捉えたに過ぎなかったということもいえるかもしれない。


【3】無の概念の区分について
 カントは、先験的分析論を完結するに当たり、カテゴリーにしたがって無について考察して、以下のように4つに区分している。
(1)対象をもたない空虚な概念としての無
 これは一切を滅却する概念、すなわち皆無であるとカントは説く。たとえば、可想的存在や根源力というようなもののことで、可能的なものの群には入らないが、不可能であるというわけにもいかない思惟物であるとされている。
(2)概念に対する空虚な対象としての無
 カントはこれを、実在の否定であり、対象が欠けている概念であるという。たとえば、光が欠けている影とか、暑さが欠けている寒さのようなものである。
(3)対象をもたない空虚な直観としての無
 実体をもたない直観の単なる形式のことであり、純粋空間や純粋時間などのことであるとされている。これ自体は直観せられる対象ではないため、想像物であるとされている。
(4)概念をもたない空虚な対象としての無
 自己矛盾するような概念の対象のことであり、不可能なものであるとカントは説く。たとえば、二直線で囲まれた図形のようなものがこれにあたるとされている。

〔報告者コメント〕
 「何か或るもの」に対する「無」を取り上げているということ自体が、対立物の統一という意味で、弁証法的なとらえ方だと感じた。また、(1)と(4)、(1)と(3)、(2)と(4)も、それぞれ、対立物の統一的に把握されているように思われる。感性と悟性もそうかもしれないが、カントの弁証法は、対立物の統一という把握にあるといえるのかもしれない。

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 以上の報告レジュメについては、ポイントを押さえて簡潔にまとめられているのではないか、と概ね肯定的な評価がなされました。また、唯物論的な認識論の立場を踏まえつつ、人類の認識の発展史(哲学の歴史)の大きな流れも意識しつつ、カントの主張を位置づけようという姿勢でまとめられているのもよいのではないか、という意見も出されました。
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2017年11月02日

〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う(5/5)

(5)新自由主義における「自由」とは大企業の国家的規制からの自由放任である

 本稿は、1980年代以降、世界中を席巻してきた「新自由主義」と呼ばれるような経済政策が、人々の生活を破壊し、社会を荒廃させてきたことが、各国において政治的な大きな変動を引き起こしているという把握にもとづき、新自由主義が主張する「自由」の概念の形成過程を検討することを通じて、そもそも自由とは人類の歴史においてどのような意味をもつものなのか、考察していこうとするものでした。ここで、これまでの流れを振り返っておきましょう。

 まず「新」自由主義に対する「旧」自由主義ともいうべき、古典的自由主義が誕生してきた過程を明らかにしました。古典的自由主義が誕生する以前の中世の社会は、政治的支配者である荘園領主が土地と農民をセットにして直接的に支配していました。しかし、生産力の向上から余剰生産物の交換が活発になるなかで貨幣が誕生し、この貨幣によって政治的な枠組みに縛られない形での人間どうしのつながり、人間とモノとのつながりが生まれ、中世封建制の固定的な身分秩序の崩壊、自由の拡大が押し進められることになったということでした。つまり、そもそも古典的自由主義における自由とは、中世封建制の硬直した身分秩序の否定としての自由を意味していたのです。したがって、この時代においては、自由と平等(社会的公正)は直接の関係にありました。古典的自由は、封建的な硬直した体制では不可能であったダイナミックな発展を可能にするというプラス面と、人々の生活を著しく不安定なものにしてしまうというマイナス面との両面をもっていました。当初はプラス面によって、マイナス面が覆い隠されていたものの、無数の小企業が競い合う段階から、少数の大企業が市場の独占的な支配をめぐって争い合うような段階に近づいていくにつれて、古典的自由の不安定性の面がしだいに明らかになっていくことになったのでした。

 古典的自由の不安定性は、国内的には度重なる恐慌という形で、国際的には植民地獲得競争という形で現れてきました。最も大きな問題となったのは、恐慌時における労働者の大量失業です。こうした時代の課題に立ち向かったのがケインズです。ケインズは、利潤追求の自由に対して一定の制限を加えて社会的公正・社会的安定を保つという「新しい自由主義」の立場に立ち、「有効需要の原理」を提唱して、政府が経済に対して介入することの正当性を理論的にあきらかにしたのでした。財政出動や金融緩和などを計画的に行うことにより、人類が自らの力で経済をコントロールしていくことが可能なのだと主張したのでした。戦後の資本主義各国は、こうしたケインズ主義的な思想にもとづく政策を取り入れました。資本家側がこうした“階級的妥協”に応じた背景としては、冷戦時代において、共産主義陣営に対して資本主義陣営として対抗していくためには一定の譲歩が必要であったことと、そうした妥協を取り返してあまりある見返りが期待できたからです。実際、ケインズ主義敵体制の下、資本主義諸国は高度経済成長を成し遂げることとなりました。

 しかし、この高度経済成長もやがて行き詰まりを見せることになります。そもそも高度経済成長は、国民経済の内部に耐久消費財を中心とした消費と投資の好循環が創られることを条件として成立するものでした。したがって、耐久消費財が普及し、国内市場が飽和してしまうと、高度成長の持続は困難になってしまったのです。これはインフレの昂進という形で現象してきました。成長が行き詰まると、賃金コストの伸びを生産性の向上で吸収することができず、物価の上昇を引き起こすようになったのでした。また、完全雇用状態に近づくと、財政出動や金融緩和を行っても、新たな生産には用いられず、使い道のないお金がだぶつくだけという状態になったのでした。ここにオイルショックが加わったことで、先進諸国はマイナス成長と2桁のインフレという深刻な経済危機に陥りました。こうした問題を解決に導くことのできなかったケインズ主義的政策に対する批判として、経済学の世界でマネタリズムやサプライサイド経済学といった「反ケインズ革命」の潮流が生まれるとともに、そこに“階級的妥協”を破棄しようとする資本家側の意図が絡み合って、政府による経済介入を排して市場における自由な競争を復活させれば新たな経済成長が可能になるとの思想が形成されていくことになったのでした。これが新自由主義の思想です。新自由主義の思想は、社会的公正の実現や社会的安定の確保を目指した国家権力による経済・社会への介入を、個人の自由を侵害するものと位置づけて両者を敵対的な関係にあるものとして描き出し、個人の自由こそ至上のものにほかならないとすることで、自立、自助、自己責任といった考え方を浮上させていきました。

 このように、新自由主義における自由とは、国家的な規制を廃して、大企業が自由に活動できるようにするという意味での自由でしかありません。いわば大企業の自由放任なのです。経済は人間の力ではコントロールできないものであり、むしろ恣意的な介入が正常な動きを歪めてしまうと主張するものであり、そこには人類が歴史的に突きつけられた自由と社会的公正や社会的安定との両立をいかにして図るかという問題意識を事実上、放棄してしまったものなのです。グローバリゼーションの動きに並行して新自由主義が拡大することで、地球的な規模で大きな経済格差が生じ、社会への不平・不満が高まっているのが、現代世界の状況であるといえるでしょう。


 端的には、新自由主義における自由についての考え方は、非常に浅薄なものであり、人類の未来を保障するものではないといわなければなりません。それでは、そもそも自由とはどのようなものとして捉えられるべきなのでしょうか? 自由とは何かという問題を考える上では、ヘーゲルの歴史観や自由についての考え方を欠かすことはできません。そこで、ヘーゲルがどのように説いているのかをみてみることにしましょう。

「精神の本性は、精神と正反対のもの〔物質〕との比較によって認識される。物質の実態が重力であるとすれば、精神の実態、本質は自由であるといわなければならない。ところで、精神がもついろいろの属性の一つとして自由もあるといえば、誰にも異議はあるまい。しかし、哲学は進んで、精神の一切の属性が自由によってのみあり、すべては自由のための手段にすぎず、すべてはただこの自由を求め、これを招来するものであるということを、われわれに教える。」(ヘーゲル『歴史哲学』岩波書店、1971年、p.76)

「世界史とは、精神が本来もっているものの知識を精神自身で獲得して行く過程の叙述である」(同上書、p.77)

「世界史とは自由の意識の進歩を意味するのであって、――この進歩をその必然性において認識するのが、われわれの任務なのである。」(同上書、p.76)


 このように、ヘーゲルは世界史を精神の運動・変化・発展の過程として捉え、究極的には精神自身の本質である自由へと歩んでいく過程なのだと主張しています。

 では、ヘーゲルのいう自由とはどのような意味なのでしょうか? この点について、エンゲルスは唯物論の立場に立って、次のように解説しています。

「彼〔ヘーゲル――引用者〕にとっては、自由とは必然性の洞察である。……自由は、夢想のうちで自然法則から独立する点にあるのではなく、これらの法則を認識すること、そしてそれによって、これらの法則を特定の目的のために計画的に作用させる可能性を得ることにある」(エンゲルス『反デューリング論1』国民文庫、p.175)


 つまり、ヘーゲルのいう自由とは、対象のもつ法則性を認識し、それによって対象を自由自在にコントロールできることを意味するのだということです。対象によって人類が支配されている状態から、人類が対象を支配する状態へと移行してこそ、自由が達成されたというのです。

 このように見てくると、新自由主義の説く自由は、ヘーゲルのいう自由とは全く中身が異なることがあきらかでしょう。確かに支配されている状態からの解放という意味では共通であるものの、何に支配されている状態から解放されることを目指しているのかという点が大きく異なるのです。ヘーゲルが、対象がもつ目に見えない法則性による束縛からの解放を目指しているのに対して、新自由主義は、国家的規制という目に見える束縛からの解放を目指しているに過ぎません。その国家的規制によって束縛することこそが、対象による束縛から逃れるための手段なのだという弁証法的な発想がないのです。そもそも人間の力では経済という対象をコントロールすることができないのだという考え方を根底にもつのですから、当然といえば当然だといえるでしょう。このような新自由主義を押し進めたところで、人類のよりよい未来を切り拓くことにはなりません。

 本稿の冒頭でも確認した通り、1980年代以降、世界中を席巻してきた新自由主義的政策が、人々の生活を破壊し、社会を荒廃させてきたことが、世界各国で大きな政治的変動を引き起こしつつあります。端的には、いわゆる新自由主義の時代が限界にぶち当たって、終わりを迎えつつあるともいえるのですが、新しい時代を牽引していく経済的な理論・思想・政策は、まだ明確な形では現われていないといわなければなりません。ヘーゲルの主張する真の自由へと人類が歩んでいくためには、対象の法則性を体系的に把握した学問が求められます。こうした学問の構築とその社会化は、現代の人類にとっての大きな課題だといえるでしょう。その歴史的役割を担うのが我々京都弁証法認識論研究会なのだという気概をもって今後の研鑽を行っていくことを表明し、本稿を終えることにします。

(了)
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2017年11月01日

〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う(4/5)

(4)自由主義の歴史B――新自由主義(Neo Liberalism)への転換

 前回は、古典的自由主義から新しい自由主義への転換の過程をたどりました。中世封建制の硬直した身分制度の否定という形から出発した自由(古典的自由主義における自由)は、生産手段と労働力のダイナミックな運動を可能とし大いなる発展をもたらしたと同時に、利潤を追求しようとする資本家の意志によってのみ生産手段と労働力が媒介されるという不安定性をもたらすこととなりました。このマイナスの側面が表面化し、大量失業が大きく社会問題となるなかで、ケインズは「新しい自由主義」の立場を表明し、社会的公正のために利潤追求の自由に一定の制限を加えることを主張しました。さらに「有効需要の原理」を提唱し、政府による経済介入を理論的に正当化したのでした。こうしたケインズ主義的体制にもとづいて、戦後の資本主義諸国は高度経済成長を成し遂げたのです。

 しかし、ケインズ主義的体制による高度経済成長は、大きくいえば、国民経済の内部に耐久消費財を中心とした消費と投資の好循環が創られることを条件としてのみ成立するものでした。したがって、耐久消費財が普及し、国内市場が飽和してしまうと、高度成長の持続は困難になってしまうことになります。

 高度経済成長を支えていた構造の終焉は、高率のインフレが持続するという形で現象してくることになりました。このインフレの要因としては、ミクロ的な要因(個々の企業に着目したレベル)とマクロ的な要因(国民経済全体を視野に入れたレベル)とを指摘することができます。

 ミクロ的な要因とは、生産性の伸びが行き詰まってしまったことです。高度経済成長気においては、賃金の伸びを生産性の向上で吸収する(=商品価格に転嫁しない)ことが可能でした。しかし、成長が行き詰まり、生産性の伸びが鈍化してくると、賃金コストの上昇を生産性の伸びで吸収することができなくなり、商品価格の上昇につながるようになっていったのです。

 マクロ的な要因とは、高度経済成長期を通じて、完全雇用状態に近づいたことで、財政出動や金融緩和の副作用が大きくなっていったことです。国内に失業者や未利用の生産手段が大量に存在するような状況で財政出動や金融緩和が行われれば、それをきっかけに、未利用の生産要素を使っての新たな生産活動が行われるようになり、景気はしだいに拡大にむかっていきます。しかし、完全雇用状態に近ければ、たとえ財政出動や金融緩和が行われたとしても、生産の拡大につながらず、使い道のないお金が大量に市場にだぶつくだけという結果に終わります。ここから、高率のインフレが持続するという事態が生じてくるのです。

 各国内部において消費と投資の好循環を前提に成立していた高度成長が行き詰まってしまったことは、国際経済のあり方にも大きな影響を与えることになりました。1960年代半ば以降、基軸通貨国であったアメリカでインフレが昂進していったことは、国際市場でのドル評価が過大であるという状況をつくりだしました。こうしたなかで、日本や欧州諸国の国内市場が飽和してしまったことは、これら諸国の資本の目をそれまで以上に国外市場へと向かわせることになりました。伸びなくなってしまった需要をめぐって、日米欧の大資本がグローバルな市場で激しく争い合うという状況が形成されていくことになったのです。ここで国際市場においてドルが過大評価されていたことは、アメリカからの輸出に不利に働くものであり、アメリカの貿易収支を著しく悪化させてしまうことになりました。アメリカが膨大な貿易赤字に陥った結果、大量のドルが国際市場に流出することになったのです。

 このような過程で、国際市場に実物需要につながらない大量のドルが存在する状態がつくられていきました。それまで高度成長の原動力となっていたドル散布策が、ドル不安を引き起こしかねないものへと転化したのです。その結果、1971年にニクソンショック(金ドル交換停止)が引き起こされ(これは直接には、日本や欧州各国の通貨価値を対ドルで切り上げることで、アメリカ製造業の国際競争力を高めようとするものでした)、1970年代半ばにはIMF体制(金と交換可能なドルを基軸通貨とする固定相場制)が崩壊して変動相場制へ移行することになります。さらに、1973年の中東戦争をきっかけに生じたオイルショックが、生産コストの高騰を通じて、各国のインフレにますます拍車をかけていくことになりました。

 1974、75年の先進国経済は、マイナス成長と2桁のインフレという深刻なスタグフレーションに陥りました。各国政府は、失業問題を重視した景気拡大策(金融緩和+財政出動)をとったものの、失業率が十分に下がる前にインフレがいっそう加速してしまうという事態に直面しました。

 こうした状況を受けて、完全雇用の実現を目指して政府の経済介入を正当化してきたケインズ理論への批判が高まっていくことになりました。ケインズ理論への批判の先駆けとなったのが、いわゆるマネタリストの主張です。マネタリストは、単純な貨幣数量説(貨幣供給量×貨幣の流通速度=物価×取引量)を前提に、インフレは純粋に貨幣的な現象であると捉え、政府や中央銀行が完全雇用を目指して貨幣供給量を過度に増大させてしまったことがインフレを招いたのだとしました。市場は自動調整機能を持っているのだから、政府や中央銀行は裁量的(恣意的)に介入するべきではなく、厳格に定められたルールに則って一定のペースで貨幣供給量を伸ばしていくことだけに専念すればよい、というのがマネタリストの主張でした。

 また、需要側の要因を重視してきたケインズ経済学に対して、供給側の要因を重視するサプライサイド経済学と呼ばれる潮流も登場してきました。これは、供給側の構造を改革することによって新たな経済成長を実現することが可能であると主張するものです。より具体的には、労働者や弱小産業を保護するための諸々の規制によって市場が雁字搦めになってしまっているために、労働力や生産手段や資金が停滞分野に閉じ込められて成長分野にスムーズに流れていかない、このことが経済全体の停滞をもたらしているのだから、規制緩和を徹底してすすめて市場原理がまともに機能するようにすれば経済は復活するはずだ、というのです。

 経済学のこうした新しい潮流の根底には、政府の介入によって経済を適切にコントロールできるというケインズ的な発想への反発、市場経済は裁量的な政策でコントロールできるものではなく、政府による裁量的な介入は市場の自動調節機能を攪乱するだけであるという経済観があったといえます。市場における自由な競争に任せれば効率的な資源配分が達成されるはずなのに、いわゆるケインズ政策や諸々の規制の存在が市場の自動調整機能を阻害してしまっているというのです。

 経済学の分野で生じてきたこのような「反ケインズ革命」とでもいうべき流れが、成長の限界にぶち当たってしまったことから“階級的妥協”を破棄しようとしていた大企業経営者達の政治的な動き(具体的には、労働者への分配を押さえ、企業の負担軽減や企業活動への規制を取り払っていくことを要求する動き)と結びついていくことで、政府による経済介入を排して市場における自由な競争を復活させれば新たな経済成長が可能になるとの思想が形成されていくことになりました。これこそが新自由主義の思想にほかなりません。新自由主義の思想は、社会的公正の実現や社会的安定の確保を目指した国家権力による経済・社会への介入を、個人の自由を侵害するものと位置づけて両者を敵対的な関係にあるものとして描き出し、個人の自由こそ至上のものにほかならないとすることで、自立、自助、自己責任といった考え方を浮上させていきました。このことが、経済のみならず、社会のあらゆる領域に影響を与えていくことになったのです。

 こうした新自由主義の思想に基づいて、1980年代以降、世界の多くの資本主義国において、労働組合への攻撃、規制緩和、公営事業の民営化、社会保障の削減などといった一連の改革が進められていくことになりました。

 こうした新自由主義的な政策は、いわゆるグローバリゼーションの動きと一体のものとして進行していきました。各国の内需が低迷するようになった中で、自由貿易の徹底的な推進、資本輸出の全面的な自由化などによってグローバルな市場を創出し、大企業が世界を舞台に自由に利潤追求ができるようにしていこうということです。こうした状況のなかで、各国の大企業が、激化する国際競争に打ち勝つために負担と感じられるものを徹底的に削ることを要求したことが、新自由主義的政策の大きな推進力となっていきました。

 同時に、グローバルな規模で金融市場が肥大化していったことも見逃せません。金融市場の国際化・規制緩和の進展によって、高率のインフレを引き起こすほどに過剰化してしまった貨幣を、投機的に運用していくための場が形成されていったのです。変動相場制への移行によって、為替変動リスクを回避するための諸々の金融商品が開発されるようになり、これが投機的に売買されるようになっていくことで、金融市場が一気に肥大化しました。こうして、実物経済では需要が伸びないにもかかわらず、労働分配率の引き下げによって資本家側が確保した儲けが金融市場での投機にまわることで、デフレとバブルが併存するという構造がつくられたのです。これは自由を体現するものとしての貨幣が、社会的公正や社会的安定への配慮からなされていた諸々の規制を断ち切って、グローバルなレベルで傍若無人に暴れ回るようになったことを意味するといってよいでしょう。
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2017年10月31日

〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う(3/5)

(3)自由主義の歴史A――新しい自由主義(New Liberalism)への発展

 前回は、「新」自由主義に対比される「旧」自由主義、すなわち古典的自由主義について、いかなる過程で成立してきたのか、古典的自由主義における自由とは何かという点について明らかにしてきました。

 そもそも古典的自由主義における自由とは、中世封建制の硬直した身分秩序の否定としての自由を意味していました。これは封建的な硬直した体制では不可能であったダイナミックな発展を可能にするというプラス面と、人々の生活を著しく不安定なものにしてしまうというマイナス面との両面をもっていました。当初はプラス面によって、マイナス面が覆い隠されていたものの、無数の小企業が競い合う段階から、少数の大企業が市場の独占的な支配をめぐって争い合うような段階に近づいていくにつれて、古典的自由の不安定性の面がしだいに明らかになっていくことになったのでした。

 古典的自由の不安定性の側面は大きく国内的な矛盾と国際的な矛盾という2つの形で現れることとなりました。国内的な矛盾としては、労働者階級の所得が減少することによって恐慌が繰り返し発生し、大量の失業者が生じるようになった点が挙げられます。常に剰余価値を追求する資本家は、生産性の向上を図り、その手段として、機械の改良を行うとともに労働者に長時間労働を強いたり、賃金を安く抑えたり、解雇したりしたのです。こうした資本家の私的な利潤追求の動きを国家的に制限する仕組みは当時はほとんど存在しませんでした。これにより、一方で生産性が向上し供給が増大するのに対して、それを消費する大衆の所得が減少し、需要が減少するという矛盾が誕生したのです。これが恐慌という形で必然化することとなりました。このことは、国際的な矛盾につながりました。生産性の向上を追求する資本家は、できるだけ安価な資源供給地を追い求めると同時に、国内において失われた商品の販売先を獲得するために、積極的に植民地獲得に乗り出すこととなったのです。これが国家間の対立を生み、やがて世界規模の大戦争を引き起こすまでに至りました。

 こうした矛盾の連鎖の中でも、決定的に重要な環となったものは、恐慌に伴って生じる大量失業でした。そもそも資本制経済は、生きていくためには自らの労働力を販売するしかない労働者を大量に創出することによって成立したのですから、その労働者たちに雇用の場を与えることができないということは、その体制の歴史的正当性を根本から揺るがす事態にほかならなかったのです。

 ハンガリー出身の経済学者で「経済人類学」の創始者として知られるカール・ポランニーは、20世紀に入って資本制経済が直面させられた深刻な危機について、自然(生産手段)と人間(労働力)という根源的な生産要素を商品化し、さらに貨幣までも商品化してしまったことの弊害が顕在化したものと捉えました。彼は、自己調整市場という「悪魔のひき臼」から社会を防衛するための反作用として、@共産主義、Aファシズム(全体主義)、Bニューディールという3つの形態が生まれたと考えました。

 このうち、Bの理論的基礎を提供することになったのが、ジョン・メイナード・ケインズでした。ケインズは、企業の規模が拡大していくにつれ、資金調達のための金融市場が拡大したこと、とりわけ株式会社形態の普及によって株式などを売買する証券市場が大きく発展してきたことに着目しました。経済活動が、長期的な視野に立った着実な企業的活動というよりも、短期的な思惑で大きな儲けを挙げようという投機的な動機によって左右されてしまう構造がつくられてきていることに着目したのです。ケインズはまた、第一次世界大戦の結果、世界最大の金保有国となったアメリカの金不胎化政策(金の保有量が増大しても、それに見合った貨幣供給量の増大をしないという政策)によって、国際金本位制の自動調節機能が失われてしまったことにも着目しました。

 こうした時代認識の下に、ケインズは、「経済的な無政府状態から、社会的公正と社会的安定を実現すべく、経済諸力を制御し指導することを慎重に目指すような体制へ移行」(中央公論社『世界の名著69 ケインズ・ハロッド』p.170)することを目標として掲げる「新しい自由主義(New Liberalizm)」の立場を唱えました(これは本稿の主題である「新自由主義(Neo Liberalizm)」とは異なります)。ケインズはこのように述べています。

「自由放任の論拠とされてきた形而上学ないしは一般的原理は、これをことごとく一掃してしまおうではないか。……干渉は、『一般的に不要で』、かつ、『一般に有害』であるとする想定は、これを捨てなければならない。今日の経済学者たちに課せられている主要な問題は、おそらく、政府のなすべきことと、政府のなすべからざることとを改めて区別し直すことであろう。」(ケインズ「自由放任の終焉」同上書所収、pp.152-153)

「経済的無政府状態から、社会的正義と社会的安定のために経済力を統制、指導することを慎重にめざす体制に向かっての移行には、技術的にも政治的にもはかりしれない困難を伴うことであろう。それにもかかわらず、新自由主義 New Liberalismの真の使命は、その困難の解決にたち向かうことにあるのだ、と私は言いたい。」(ケインズ「私は自由党員か」同上書所収、p.170)


 このようにケインズは、利潤追求の自由を放任してしまうことは社会的公正や社会的安定を脅かしてしまうことになりかねないという認識の下、利潤追求の自由そのものは認めながらも、それを放任してしまうのではなく、社会的公正・社会的安定を重視する観点から適切にコントロールを加えていく必要があることを主張したのです。

 ケインズは、自由についての考え方のこのような転換の上に立って、金本位制から管理通貨制度に移行することを主張しました。利潤追求の自由を何よりも体現してきた貨幣の運動について、政策的にコントロールしていく必要性を唱えたのです。これは、貨幣が人間を支配する状態から、人間が貨幣を支配する状態への転換を目指したものだといえるでしょう。

 さらに、ケインズは、1930年代の大量失業問題に正面から取り組むことで、雇用量は有効需要、すなわち、消費需要と投資需要で決まるという「有効需要の原理」を打ち立てました。この原理にもとづいて、資本家の予想利潤が低下して投資需要が落ち込んでしまうことこそが失業の発生原因にほかならない、という結論が導き出されたのです。これは、失業の原因を労働者の行動にではなく(古典派経済学では、労働者が自発的に失業しているのだと考えられていました)、資本家(企業)の行動に求めるという視点の一大転換をなしとげるものでした。ケインズは、有効需要が不足して失業が存在する場合には、政府が金融政策・財政政策を駆使して人々の将来への見通しを改善し、投資を刺激することで完全雇用を目指すべきであると主張したのです。こうして、政府の経済への介入が理論的に正当化されるようになったのでした。

 第二次世界大戦後、世界の資本主義諸国は、共産主義世界と対峙して資本主義体制を擁護しなければならないという条件の下に、アメリカを盟主にして結束しました。これら資本主義諸国は、20世紀前半に顕在化した国際的な矛盾(国家間の対立の激化)、国内的な矛盾(階級対立の激化)を政府による経済介入によって緩和することを試みるようになりました。

 図式的に整理するならば、第二次世界大戦直後の資本主義諸国は、戦争による打撃が少なかったアメリカと、戦争によって大きな打撃を受けたその他の国々に二分されていました。アメリカ以外の国々は、復興のためにアメリカから諸々のものを買わなければならないにもかかわらず、アメリカに支払うドルを持たないという矛盾(ドル不足)に苦しんでいました。一方のアメリカは、戦時需要に応じるために生産能力を肥大化させたものの、それに見合った需要が国内には存在しないという矛盾に苦しんでいました。アメリカにおける過剰生産能力と、その他の資本主義諸国における復興需要とは、ブレトンウッズ体制の確立によって媒介されることとなりました。GATT体制(西側同盟諸国間の自由貿易)およびIMF体制(金と交換可能なドルを基軸通貨とする固定相場制)を軸とした枠組みのなかで、アメリカから他の資本主義国に向けて復興援助として大量のドルが散布されたのです。

 このような国際的経済関係が確立されたもとで、各国民経済の枠内においては、社会的公正や社会的安定を重視する観点から、資本家による利潤追求の自由に一定の制限が加えられていくようになりました。具体的には、労働者の権利擁護、各種の規制の強化、社会保障制度の充実、金融緩和・財政出動といった政府の経済介入の容認、公営事業の拡大など、いわゆるケインズ主義的な政策が採用されたのです。

 資本家側がこうした”階級的妥協”に応じた要因としては、冷戦構造からの圧力があったといえるでしょう。共産主義陣営に対して資本主義体制を擁護するためには、一定の譲歩が不可避だったのです。それとともに、労働者への譲歩によってこそ高度経済成長が実現して、自らも成長の果実(譲歩を補ってあまりある見返り)を手にすることが期待できたことも挙げられます。このような消極的および積極的な理由から、“階級的妥協”が成立したのです。

 実際、ケインズ主義的な政策が採用された結果、日本や欧州諸国においては、アメリカによる復興援助(ドルの散布)とあいまって、大戦による荒廃状態からの復興を機転として、内需主導型の高度経済成長が実現されていったのです。その推進力となったのは、労働者の所得を保障すること(賃金の上昇や社会保障による所得再分配)によって、耐久消費財(家電製品・自動車)を中心とした消費と投資の好循環が実現されたことでした。一方、アメリカは、国内でのケインズ政策の採用に加えて、ドル散布による輸出促進によって、戦時に増大した生産能力を活用しての高度成長を成し遂げていくこととなったのです。

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2017年10月30日

〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う(2/5)

(2)自由主義の歴史@――古典的自由主義(Classical Liberalism)の生成

 本稿は、1980年代以降、世界中を席巻してきた「新自由主義」と呼ばれるような経済政策が、人々の生活を破壊し、社会を荒廃させてきたことが、各国において政治的な大きな変動を引き起こしているという把握にもとづき、新自由主義が主張する「自由」の概念の形成過程を検討することを通じて、そもそも自由とは人類の歴史においてどのような意味をもつものなのか、考察していこうとするものです。

 ところで、「新」自由主義というからには、それに対応する「旧」自由主義があったはずです。これは、資本主義経済の生成発展を踏まえ、18世紀の市民革命を通じて成立した思想であり、古典的自由主義(Classical Liberalism)と呼ばれています。それでは、この「旧」自由主義(=古典的自由主義)はそもそもどのようなものであったのでしょうか? それを知るためには、まずは、古典的自由主義が生まれる以前の中世社会がどのような社会だったのか、簡単にでも確認しておかなければなりません。

 中世社会は、簡単にいえば、荘園を基礎的な単位として、領主が労働力としての農民を土地に縛り付けて支配し、戦乱からの安全を保障する代わりに生産物を貢納させるという社会体制でした。防衛的な経済組織の強固な枠組みのなかで、基本的に商業に頼ることなく自給自足的に欲求の充足をなしていこうというのが、中世封建制的な生産のあり方の原点でした(一種の軍事的な組織のなかで、欲求そのものが抑制されざるをえなかったことも重要です)。衣服や家具などの生産は基本的に農家の副業として営まれていたため、工業が独立した産業として存在することはなく、村落には農具をつくる鍛冶屋が存在する程度でした。もちろん、塩や鉄などは荘園の外部から調達するほかなく、これらを運んでくる遍歴商人をつうじて外部との交通関係が存在していたことはたしかです。しかし、こうした外部との交通は、あくまでも自給自足的な生活を部分的に補完する程度にとどまっていました。こうした秩序を正当化するイデオロギーを提供していたのが、ローマ教皇を頂点としたカトリック教会です。封建的な身分制度は神の意志の表現であるとみなされ、中世封建制社会の人々は、神によって定められた生き方の一環として、日々の労働に励んでいたのでした。

 しかし、生産力が徐々に向上して余剰生産物が産み出されるようになると、手工業に専念する人々が生まれてきます(農業からの手工業の分離)。さらに、余剰生産物を売り歩く商人も誕生します。固定的な枠組みにのっとって自分たちが消費するためではなく、他人と自由に交換するために生産するというあり方が生まれてきたわけです。このような、封建制の硬直性の否定としての自由を体現したのが貨幣でした。貨幣は、交換を円滑に進めるために、それぞれの商品の価値を抽象化して示す存在として誕生したのでしたものですから、この貨幣自身がいかなる形にも変化できるという意味で自由な存在だといえます。この貨幣の誕生によって、中世封建制社会の束縛は大きく崩されていくことになります。

 そもそも社会的な存在としての人間は、活動を相互に交換することによって相互に作り合う存在です。中世封建制社会においては、政治的な支配の枠組み(厳格な身分制秩序の枠組み)が、直接に諸々のモノ(生活資料)の運動を規定する枠組みでした。たとえば、領主が農民を政治的に支配するという枠組みにより、余剰生産物が年貢として農民から領主へと移行していたのでした。ところが、貨幣を介した交換では、交換されるモノどうしが等価であるかどうかだけが問題となります。人間どうし(売り手と買い手)はその限りでは対等なのであって、政治的な支配秩序の枠組みは必要としないのです。つまり、貨幣を介したモノの交換によってはじめて、硬直した封建的支配秩序(政治的な支配関係にしたがって諸々のモノが運動する)とは異なる人間どうしのつながり方(自由な意志で活動を相互に交換し、相互に作り合うあり方)がありうることが示されるようになったのです。やがて、領主と農民の関係も、地代の金納化などを通じて、純粋に経済的な関係へと変化していきました。このことは直接に、生産者と消費者との直接的な結びつきが断たれてしまい、貨幣によって媒介されるしかなくなってしまったことを意味します。商品は不特定の誰かのために生産されるモノであって、その商品が実際に消費されるかどうかは事前には知りようがなく、市場にもっていって売れるかどうかによって事後的に判断するほかなくなってしまったのです。

 このようにして形成されてきた商品生産社会の大枠のなかで、やがて土地・労働力といった基本的な生産要素までもが商品化していくことになりました。農業経営に行き詰まった農家が農地を売り払ってしまうことにより、自分の労働力を売って(誰か他人に雇ってもらって)生活の糧を得るしかない賃金労働者層が産み出されていくようになったのです。これにより、生産手段と労働力との分離が進み、両者は貨幣によってのみ媒介されるようになったのです。このように貨幣の役割が決定的に大きくなっていくにつれて、やがて貨幣そのものが商品化されるようにもなりました。銀行業の発展により、利子を取って貸し付けられるものになったのです(金融市場の形成)。

 以上のように、各地方に無数に存在していた労働者と生産手段の小規模なセットが解体された上で、一方に生産手段が集積されていき、他方に生産手段を欠いた労働者が取り残されていったのです。その結果、大規模な生産手段を所有した資本家が、生産手段をもたない労働者を雇って生産するという構造が、国家的な広がりのなかで創られていくことになりました。このように中世封建制の固定性を否定し、自由が拡大していく流れを媒介したのが貨幣だったのです。

 こうした自由の拡大は、やがて個々の人間の自由を自覚させることになり、私的所有の自由や職業選択の自由といった経済的な自由、さらには思想・信条の自由などの精神的な自由も主張されるようになりました。市民革命を通じて、こうした自由が全面的に制度化されたことで、古典的自由主義が成立することになったのです。

 近代社会では、生産手段と労働力との関係が中世封建制のように固定的なものではなくなり、簡単に結びつけたり切り離したりすることができるようになりました。このことによって、近代社会は柔軟性を獲得し、生産力の著しい発展、巨大な富の蓄積を成し遂げていくことになります。一方で、生産手段と労働力とを結びつけるものは、生産手段の所有者である資本家側の意志(貨幣によって体現されている価値の増大を追求しようとする資本家の意志)のみに依存してしまうようになりました。このことによって、労働者の地位は著しく不安定化してしまうことになったのでした。このように、古典的な意味での自由はもともと、封建的な硬直した体制では不可能であったダイナミックな発展を可能にするというプラス面と、人々の生活を著しく不安定なものにしてしまうというマイナス面との両面をもっていたのです。

 しかし、古典的自由がもたらした後者(不安定性)の側面は、当初、前者(成長の実現)の輝かしい成果の背後に覆い隠されていました。国家権力による恣意的な経済介入(輸出産業のみを過度に優遇してきた重商主義政策)を廃して、個々の経済主体が自由に行動するようになれば、自ずと社会全体の利益(国民の富の増大)につながっていく、と考えられたのです。古典的自由主義においては、自由という理念と、平等(あるいは社会的公正)といった理念は、決して現在のような敵対的な関係にあるものとして捉えられていませんでした。そもそも自由というのが、封建的な束縛からの解放、封建的な特権の否定であったのですから、それが直接に平等の実現でもあったわけです。

 こうした自由を押し進め、封建的束縛を突き崩していく力となった貨幣は、もっぱら市場における自由な交換をスムーズに実現していくための手段としてのみ把握されていました。つまり、貨幣は商品の価値の大きさを測り、交換する手段としてのみ捉えられたのであり、不確実な将来に備えて価値を貯蔵しておくための手段としての側面(つまり、スムーズな商品交換の障害となってしまう側面)をもっていることは、ほとんど無視されることになったのです。

 貨幣によって各国の内部に形成された「自然的自由の制度」(アダム・スミス)は、国際的には金本位制によって支えられるものだと考えられていました。古典的自由主義の時代においては、貨幣というのは金銀にほかなりません(紙幣も兌換紙幣です)。金山・銀山を所有しない国においては、貨幣材料となる金銀は、対外貿易を通じて入手するしかありませんでした。国内の貨幣価値は、このようにして入手した金銀量によって大きく左右されます。古典的自由主義に先だつ重商主義の時代には、金銀こそが富そのものであると見なされたために、各国政府は対外貿易によってできるかぎり大量の金銀を獲得しようと、市場への恣意的な介入を行っていました。その結果、国内における金銀の価値が不安定になり、大きな経済的混乱が引き起こされる、といった事態も生じていたのでした。これに対して、古典的自由主義の経済学的表現といってもよい古典派経済学は、自由貿易を実現することによってこそ、すなわち、政府による市場への恣意的な介入を排することによってこそ、金銀の価値が安定的に推移するのだと主張しました。国際的な金本位制のもとで、各国政府が市場への恣意的介入を排するならば、一国への金の流入があった場合、それによって中央銀行の金準備が増えて信用が緩むために国内経済が刺激されて物価が上昇し、このことが輸出減少と輸入増加を引き起こすためにやがて金の一方的流入は止まる、という形で自動調整機能が働くと考えられたのです。このように、自由を体現する貨幣そのものを名実ともに自由にさせることによってこそ、「自然的自由の制度」(貨幣を媒介とする自由な商品交換)の基礎がしっかりと守られるのだと考えられるようになっていったわけです。

 しかし、資本の集中・集積によって企業の規模が大きくなっていくにつれて、個々の資本家の行為が社会全体に与える影響は拡大していくことになっていきます。無数の小企業が競い合う段階から、少数の大企業が市場の独占的な支配をめぐって争い合うような段階に近づいていくにつれて、古典的自由の不安定性の面がしだいにあきらかになっていくことになったのです。
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2017年10月29日

〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う(1/5)

目次

(1)新自由主義における「自由」とはどういうものか
(2)自由主義の歴史@――古典的自由主義(Classical Liberalism)の生成
(3)自由主義の歴史A――新しい自由主義(New Liberalism)への発展
(4)自由主義の歴史B――新自由主義(Neo Liberalism)への転換
(5)新自由主義における「自由」とは大企業の国家的規制からの自由放任である

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(1)新自由主義における「自由」とはどういうものか

 昨年(2016年)は、世界中で、これまでの常識を覆すような衝撃的な出来事が相次いだ1年でした。昨年11月8日に行われたアメリカ大統領選挙では、移民排斥を煽るような人種差別的な発言、女性蔑視的な発言を繰り返して物議をかもしてきた共和党のドナルド・トランプ候補が、女性初のアメリカ大統領を目指した民主党のヒラリー・クリントン候補に勝利しました。また、本選挙に先立つ民主党の予備選挙においても、大本命候補とされたクリントン候補に対して、「民主的社会主義者」を自称するバーニー・サンダース候補が、学費ローンの重い負担に苦しむ若者たちの熱狂的な支持を受けて、あと1歩というところにまで迫るような大健闘をしました。アメリカ大統領選挙のこうした展開については、格差と貧困が広がるなかで、エスタブリッシュメント(既得権益層)に対する民衆の不満が表れたものだと報じられることになりました。

 昨年6月23日にイギリスで行われたEU離脱の是非を問う国民投票において、離脱支持が多数(残留48%、離脱52%)となったことも、世界に大きな衝撃を与えました。離脱反対が勝利するだろうというメディアの事前の予想を覆して、離脱支持が多数となったからです。この結果については、大量の移民が流入して低賃金で働いていることによってイギリス人の雇用が奪われているという労働者層の不満が背景にあった、と解説されることになりました。この投票結果を受けて保守党のキャメロン首相は辞任、政界からも引退を表明し、同じく保守党のテリーザ・メイが首相に就任することになりました。

 そのメイ首相は、今年4月、離脱交渉に向け政権基盤を強化することを狙って、2020年までは実施しないと公言していた総選挙を前倒しして実施することを表明しました。当初は労働党に20%以上の支持率の差をつけていた保守党が圧勝するものと見られていましたが、高齢者の介護費用を本人が死亡した後の自宅売却でまかなう福祉改革案が究極の緊縮政策だとして国民の不興を買ったことで保守党の支持率は急落してしまいます。6月8日に投票が行われた総選挙では、社会主義者であることを公言するジェレミー・コービン党首のもと、鉄道の再国営化や大学教育無償化への回帰、国民医療サービス(NHS)の民営化の撤回など、断固とした反緊縮政策を掲げた労働党が大きく躍進し、保守党は第1党の地位は維持したものの、過半数割れするという惨敗を喫してしまいました。

 こうした一連の動きは、いわゆる「グローバル資本主義」が、中間層を没落させ、貧困と格差を拡大させてきたことへの民衆の反発の現われとして捉えられることになったわけですが、もう少し突っ込んでみれば、1980年代以降、世界中を席巻してきた「新自由主義」と呼ばれるような経済政策が、人々の生活を破壊し、社会を荒廃させてきたことが、このような一連の動きを引き起こしたのだといえます。端的には、いわゆる新自由主義の時代が限界にぶち当たって、終わりを迎えつつあるのではないか、ということです。

 それでは、そもそも新自由主義とはどういったものだったのでしょうか?

 一般に「○○主義」とは、「○○が大事だ」という考え方のことだといえます。だとすれば、新自由主義とは、簡単には「自由が大事だ」という考え方のことだということができるでしょう。ただし、その主張するところをよくみてみれば、どんな人の自由であっても全て同じように大事だと主張しているわけではないらしいことが分かってきます。では、誰の自由が大事だと主張しているのかといえば、結局のところ、企業、それもとりわけ巨大な多国籍企業の自由が何よりも大事だと主張していることがあきらかになってくるのです。ようするに、「企業が自由に活動することによってこそ、人々の幸福や社会の繁栄が実現できる」というのが、新自由主義の基本的な考え方なのだということができるのです。

 このようにいうと、「1980年代よりも前の時代は、企業は自由ではなかったの?」という疑問が浮かんでくるでしょう。その通りです。ごくごく大雑把にいえば、第二次世界大戦後から1970年代の頃までの時代は、企業は政府から「△△はするな!」「□□をやれ!」など、いろいろな注文をつけられて、自由な活動を制約される場面が少なくなかったのです。ところが、1980年代以降、新自由主義的な考え方にもとづいて、企業の活動を自由にしていくための、さまざまな改革が進められていくことになっていったのでした。新自由主義的な政策を進めた政権としては、イギリスのサッチャー政権やアメリカのレーガン政権が有名です。日本で新自由主義的な改革が本格化するのは、これらの国から少し遅れて2000年代に入ってから、小泉政権の進めた「構造改革」においてです。

 それでは、新自由主義的な改革のなかでは、具体的にどのようなことが行われてきたのでしょうか?

 新自由主義的な経済政策は、大きくいえば次の3つの柱から成り立っているといえます。

 第一の柱は、規制の緩和・撤廃による企業活動の自由の拡大です。企業には活動する上でのさまざまなルールが定められています。例えば、「労働者を働かせ過ぎてはいけない」「有害な物質をたれ流してはいけない」などのルールのことです。「こういう規制があるから、商品をつくるためのコストがかさんでしまうのだ。こいう規制をなくして、低コストで生産できるようにしよう!」というのが規制緩和です。規制緩和の対象となるルールは大きく3つあります。1つ目は、労働時間や賃金など、労働者保護のための規制です。例えば日本では、小泉政権のもとで、製造業への派遣労働が認められることになりました。それ以前は、派遣労働者は専門職にしか送り込めないことになっていたのですが、一般職である製造業でも派遣労働者を採用できるようになったわけです。これは、企業から見れば非常に都合のよいものでしたが、労働者から見れば雇用を著しく不安定なものにするものにほかなりませんでした。規制緩和の対象となるルールの2つ目は、弱小の産業・企業を保護するための規制です。例えば、日本では、農家を守るために農産物の輸入制限を行ったり、個人商店を守るために大規模小売店舗法という法律によって大型スーパーが商店街の近隣に進出できないようにしたりしてきました。しかし、このような保護の結果、商品の価格が下がらず、労働者の生活費が高くなってしまうと、企業は労働者にたいしてそれなりに高い賃金を払わざるをえなくなります。これが企業活動にとっての制約になるから、弱小産業・企業を保護するための規制はなくしてしまおう、というわけです。規制緩和の対象となるルールの3つ目は、国民の安全のための規制です。例えば、食に関していえば、危険な添加物は使用してはならないとか、賞味期限や原材料を明示しなければならないというルールがあります。しかし、こういったルールがあると、外国の企業は日本に入って来にくくなりますし、日本の企業としてもさまざまなコストがかさんで製品が割高になってしまいますから、こうした規制はなくしてしまおう、というわけです。

 さて、新自由主義的な経済政策の第二の柱は、企業の活動領域を広げ、儲けを獲得する機会を増やすための改革です。とくに日本では、民間企業の進出を拡大する目的で、特殊法人改革や行政改革が行われてきました。例えば、小泉政権の時代には、郵政民営化や住宅金融公庫の廃止が決定されました。

 新自由主義的な経済政策の第三の柱は、企業に課せられている税金や社会保険料の負担を軽減するための改革です。これは、さらに2つにわけることができます。ひとつは財政支出の削減です。政府は、福祉や教育、公共事業などにお金を出しているわけですが、これを減らしてしまえば、企業が負担しなければならない税金も減っていくことが期待されるわけです。もうひとつは、税制改革です。これは、企業が負担する税金を直接的に減らすように、税金の集め方を変えることです。具体的には、法人税の税率を引き下げたり、さまざまな優遇措置を設けたりすることです。

 以上を踏まえるならば、新自由主義的な経済政策とは、企業が自由に活動することを促すための政策だということができます。より具体的には、企業が自由に活動する上での障害となっているさまざまな規制を緩和し、民営化によって儲けの機会を拡大し、税負担を軽減していこうとするものです。このようにして可能になった企業の自由な利潤追求活動によってこそ、国家的なレベルで経済が活性化していき、ひいては人々の生活もより豊かなものになっていくはずだ、というのが新自由主義の考え方にほかならないのです。
 このような新自由主義が主張する「自由」とは、いったいどのような歴史的経過で形成されてきた概念なのでしょうか? また、そもそも自由とは人類の歴史においてどのような意味をもつものなのでしょうか? 本稿では、これらの問題について考察していくことにします。

 そのために、まずは新自由主義に対応する「旧」自由主義とも呼ぶべき古典的自由主義がどのようにして形成されてきたのかをあきらかにします。続いて、古典的自由主義の行き詰まりから、ケインズが新しい自由主義(New Liberalism)を唱えるようになった過程を見ていきます。最後に、新しい自由主義の行き詰まりから、新自由主義(Neo Liveralism)が登場してきた過程をあきらかにします。
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2017年10月28日

過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想(5/5)

(5)コマ送り的な量質転化の過程

 本稿は、南郷継正『“夢”講義(5)』を集団的に読み込み、特に「過程」という観点から学んだことを認める論考であった。ここで、これまでの内容を振り返っておきたい。

 初めに、なかなか答え(結論・結果)が説かれないという本書の説き方を取り上げた。なぜこのような説き方になっているのかというと、端的には、結論の前提となる内容をしっかりと読者に理解させなければ、結論だけ説いても理解不能となるからであると説いておいた。すなわち、前提をくり返しくり返し説くことによって、読者の認識の重層化を図り、ようやくにして結論(答え)を理解できるだけの準備が整うのであった。これは、赤ん坊をいきなり立って歩かせることは不可能であり、その前提となるハイハイを、くり返しの上にもくり返し行わせることによって、ようやく立って歩くための準備が整うのと、論理的には同様であると説いた。このように、前提(前段階)の実力をしっかりと身につけないと、それ以上の発展はない、それ以上の上達は見込めないというような内容は、本書では形を変えて何回かくり返して説かれていることを指摘した。たとえば、偉大な哲学者や研究者は、哲学の歴史の発展形態をしっかり学修した上で、専門分野の研究に突入したのだ、だからこそ歴史に名を残すような大きな業績を上げることができたのだ、ということが説かれていた。これは、しっかりと研究していって成果を上げるためには、一般論ないし一般性から考えていけるということが前提なのであり、そのためには、哲学の歴史を学修する期間がどうしても必要なのだ、ということであろうと理解した。別の個所では、論理学が成立可能となるためには、古代弁証法の創立課程への長い長い学びが必要なのである旨が説かれていた。ここは、論理学の前提には弁証法と認識論があり、その弁証法と認識論を用いることによって、ようやくにして論理学が成立可能となってくる、というこであろうと理解した。弁証法の学びについても、マラソンの「走る」や柔道の「投げる」、あるいは、看護の「ベッドメイキング」や心理の「カウンセリング」と同様に、「それで合格!」という到達点はなく、無限のくり返しが必要なのであり、それも同じこと同じレベルでのくり返しが大切なのである、と説かれていた。そして、同じことの同じレベルでのくり返しとは何かというと、それは、まずは変化・運動を見てとれるようになること、見てとった事実の性質を変化性・運動性において思惟すること、という基本的・前提的なことを、無限に、飽きることなく、どんなに飽きても、続けていくことなのであり、これこそが弁証法の学びとしては肝要なのだということであった。

 次に、本書のメインの内容である歩くにいたる過程的構造をしっかりと理解できるように、本書の論理展開をきちんと追っていった。本書では、初めに「直立二足歩行」に関して、研究者が直立二足歩行がすべての始まりであり、これがなければ人類の進化はなかった、そして直立が可能となったのは森の樹上生活を経たからこそであると説いていることが紹介されていた。これに対して、一般の研究者の見解は全て結果を説いているだけであり、そこに至る過程がすっぽりと抜け落ちている、という批判がなされ、「では、どうしてサルは森の樹上生活が可能となったのでしょう」(p.46)という問いが立てられていた。これは、常にその前の段階を問うのであるし、そこに至る前提、結果に至る過程を取り上げているのであるから、非常に弁証法的であると感じたのであった。樹上生活の前の四つ足での運動形態については、単細胞としての実力の上に、カイメンとしての実力が上書きされ、さらにその上に、クラゲ、魚類、両生類の実力が上書きされていき、その上に四つ足哺乳類の実力が上書きされ、その上にサルとしての実力が上書きされていく、このような重層構造を持つDNAが人間に内在しているからこそ、その「歴史」の上に、人間としての実力が花開いていくのだ、というようなことが説かれていた。赤ん坊の「這う」ということの過程的構造については、人間の赤ん坊は「這う」という過程的構造かつ構造的過程を持つことで、哺乳類の四つ足としての運動形態のDNAを花開かされていくことになるのだと説かれていた。サルまでの動物は本能によって統括されているので、放っておいてもその動物の運動はきちんとできるが、人間は本能ではなく社会的かつ個性的な認識がその人間を育ててきたのであるから、その長所と短所をしっかり見てとる必要があるとして、短所としては、本能に基づいた動物の身体は育った過程のものが消えて行くことはないが、認識によって創られる人間の身体の動きは、創られた時期の社会関係が薄くなったり、消えていったりすれば、その創られた実体の中身も薄くなり消えていくということが挙げられていた。したがって、一流の運動選手に育つためには、人間的な運動形態の前提となる四つ足的「這う」の過程を、絶対にないがしろにすべきではない、この「這う」過程の何回ものくり返しをどうしても必要とする、ということであった。このくり返しがなければ、身体が歪んでいくのであり、歪みを直したり、予防したりするためにも、四つ足的「這う」に相当する運動、すなわち、いわゆる柔軟体操やヨガ、あるいはジャングルジムでの立体的な動きなどが必要であるということであった。「仰向け」についても、これは自分の自由になってきた手足を連動的に運動させて、自分の意志で全身を運動(移動)させる過程、将来二本足で立って歩き、手を自由に使うための過程であり、人間の「歩く」という運動へと成長発展していく前段階なのだと説かれていた。

 最後に、本書でたびたび読者の感想文が引用されている意義について考察した。引用されている感想文のタイトルを列挙すると、@「『“夢”講義』全三巻(第一〜三巻)から何を学ぶか」、A「「“夢”講義」の学びを障害児教育に」、B「「“夢”講義」の学びを看護に活かすには」、C「「這う」ことで創られる「立つ・歩く」とは」、D「「いのちの歴史」を一般論として「正常発達」とは何かを問う」、E「身体障害者の「仰向け」の運動性の意義」であった。@は“夢”講義』第一〜三巻の体系的構成を概観することによって、全体の流れを自分の頭の中で再構成しようとする試みであり、南郷継正は、前の巻の内容を概括することをくり返しているのであり、それによってさらに構造が深められて論の展開がなされていっていることが指摘されていた。この小論に対して、筆者である南郷継正は「論評者である医学部の先生よりも執筆者である私の方がより多くの勉強をさせられてしまった……との思い、しきりだ」と高い評価を与えていた。Aは障害児教育を専門としている読者からの便りであり、「“夢”講義」で学んだことを自分の専門に応用しようとする試みが紹介されていた。これに対しても、「何よりも立派なのは、自分の専門分野にあてはめながら理解しよう、そして理解した上でもっと専門の分野の向上を図ろうという大きな志の見事さです」などと高く評価されていた。BとCは、ともに「“夢”講義」の連載を読んでの疑問点、よく理解できなかった点が述べられていた。Cでは「這う」について、人間は認識が体を部分的にも使うため、体の歪みが生じるが、そうならないために体全体の運動である「這う」が必要となってくる、認識も一部だけを使うといびつになるので、それを防ぐための認識における「這う」に相当するものが弁証法なのだ、という指摘もあった。DとEは一連のものであったが、Dでは、「仰向け」が「這う」ことの重要な前段階の運動であるという「“夢”講義」での指摘をもとに、「正常発達」の原点である「仰向け・大の字」とは何かが説かれ、その「仰向け・大の字」を一般論として、実際の指導場面で適用していった実践記録が紹介されていた。これに対して、南郷継正が「太陽がどういう存在か説かれていない」「地球がどういう存在か説かれていない」「重力が生命体にとって、いかなる作用をもたらしているかが説かれてない」などという、厳しい忠告を(ゼミの場で?)したとのことであり、それを踏まえて書かれたのがEであった。Eでは、ゼミでの指導を受けて、「仰向け」は重力を徐々に使えるようになっていくスタートであり、両手両足と背骨を一体として、かつ独立させての運動なのではないかという考察がなされていた。このような読者の感想文を引用するのには、3つの意義があると考察した。第一に、読者に以前の内容を復習させ、これから説く予定の内容の前提となることを、くり返しの上にくり返し学ばせるという意義であった。第二に、読者に学び方のモデルを提示するという意味であり、読者からの感想文を引用することによって、「“夢”講義」はこのように学べばいいのだというお手本を提示しているといえるとしておいた。第三に、読者との対話=弁証法の実践であった。これは、読者からの疑問・質問に、南郷継正が答えたり、読者に対して南郷継正が指導し、それに対してまた読者がコメントしたりという形で、旧弁証法=哲学的問答が実践されているのであった。また、南郷継正と読者との相互浸透が図られているという意味でも、弁証法の実践といえるのであった。

 本稿では以上のような内容を説いてきたのであるが、改めて、「過程的構造」という観点からまとめ直しておきたい。連載の第2回と第3回で説いた内容は、ある段階に至る過程的構造であり、ある段階の前提をくり返しの上にくり返すことによって、ようやくにして次の段階へと発展できるということであったし、その具体例としての、歩くに至る過程的構造であった。歩くに至るためには、その前提となる「這う」に相当する運動形態を、くり返しの上にくり返していく必要があったのである。

 そういう意味でいうと、南郷継正のように無常の知性、高度な論理能力を身につけたいと思えば、その前提として、南郷継正の原点を、くり返しの上にもくり返し学んでいく必要があるといえるのであり、連載第1回で触れたように、南郷継正の「僕は、生涯にわたって、とにかく死ぬまで勉強し続けるぞ!」という夢を決定的なものとした『プルターク英雄伝』のような本は、われわれも南郷継正に至る前提として、しっかり学んでいかなければならない、ということがいえるだろう。

 連載第4回で説いた内容も、過程的構造という観点からまとめ直すことができる。すなわち、くり返し読者の感想文を引用することによって、読者にこれまでの内容を振り返る過程を何度も辿らせるということであり、「“夢”講義」の学び方、「“夢”講義」を自分のものにしていくための過程をお手本として提示することであり、さらに、読者との弁証法(哲学的問答)を実践することが大切だということであった。全体としては、論を展開する過程的構造が説かれていたということもいえるだろう。すなわち、われわれが論文を書いていくときにも、読者に対して何度も復習させるような形でその前提を説いていくことが大切であり、学び方の過程をも丁寧に説いていく必要がある、さらに、読者との対話=弁証法を実践しながら説いていくことによって、読者と相互浸透を図り、論理展開を発展させていくことが必要だ、というようなことである。読者との対話=旧弁証法をくり返し実践するということも、実は新弁証法(科学的弁証法)の前提をくり返し学ぶということになるだろう。科学的弁証法は、古代ギリシャの旧弁証法=哲学的問答が発展した段階なのであるから、科学的弁証法を真に実力化するためには、その前提となる旧弁証法の実践を、くり返しの上にくり返す必要があるのである。

 このように過程的構造という観点から本稿をまとめ直してみると、本書では、くり返しということが強調されていたことも分かってくる。つまり、量質転化が強調されていたのである。ある段階へと発展するためには、その前提をくり返して量質転化を図る必要があるし、復習や読者との対話もくり返し行うことによって、量質転化的に論を発展させていくということが説かれていたのである。ここまでくり返す必要があるのか! との思いがする。このくり返し=量質転化こそ、弁証法の要といえるのではないかと思った。

 本書の「あとがき」には、「過程的構造」について、「三浦つとむ著『弁証法はどういう科学か』のレベルの平面性でしかない弁証法を、立体的な構造を内に含んでのものとして大きく発展させたものだ」(p.240)としたうえで、量質転化を例として、その過程的構造が、次のように説かれている。

「では、この量質転化の構造を見てとるように努めると、どうなるのでしょう。

 どういうことなのかといえば、量質転化すなわち量から質への転化には、何程かの過程がきちんと存在していることが分かってくることになります。より具体的には、量を積み重ねていくと、その途上のある時期に、「何か変なことが起きているのではないか」と思えるようなことが生じてくることになるのです。

 ……この過程を論理的に捉えて、量質転化が起きることになりそうだという、すなわち(ここを捉えて)「量質転化・化」との概念が把握できるようになるのです。

 もっと説けば、量質転化の過程には量が量のままの質でありながらも、でもその量が量ではなくなる転機としての量(つまり質的には同じであるものの、やがて違った質へとなりにいく構造を内に含みはじめるもの)が誕生しはじめているのです。これを捉えて量質転化・化と称するのです。そしてこれは、この量としての構造と質としての構造とは全く違った性質を把持している、過程としての構造の実態(中身)が見えてくることになり、この全体の流れを一つのものとして捉えて過程的構造の過程と概念づけるわけです。」(pp.242-243)


 ここでは、量的な変化が質的な変化をもたらすという量質転化について、その過程的構造が、非常に詳細に説かれている。具体的には、「量を積み重ねていくと、その途上のある時期に、「何か変なことが起きているのではないか」と思えるようなことが生じてくる」のであり、「量質転化の過程には量が量のままの質でありながらも、でもその量が量ではなくなる転機としての量(つまり質的には同じであるものの、やがて違った質へとなりにいく構造を内に含みはじめるもの)が誕生しはじめている」のであり、ここを捉えて量質転化・化と概念規定するのだと説かれている。

 量質転化というと、量的な変化が、ポンッと質的な変化をもたらすというようなニュアンスがあるが、その「ポンッと」の部分を、実に詳細に説くのが量質転化の過程的構造であり、量質転化・化であるということだと思う。思えば、本書で説かれていたのは、全てこの量質転化の過程的構造であり、量質転化・化である。ある段階に至る前提をくり返しの上にくり返すというのは、まさに、ポンッと量質転化する瞬間を、コマ送りのように詳細に、説いているといえよう。読者の感想を交えて、徐々に徐々に論を展開していくという説き方も、まさにコマ送り的な説き方であり、これ以上になく丁寧に、次の論への過程を詳細に説いているということを意味しているといえる。

 われわれも論の展開をなすにあたって、あるいは、事物事象の生成発展を問題にするにあたって、このようなコマ送り的な詳細な展開ができるように、しっかりと研鑽していかなければならない。このことを確認して、本稿を閉じたいと思う。

(了)
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2017年10月27日

過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想(4/5)

(4)読者の感想文を引用する意義

 前回は、本書で説かれている歩くにいたる過程的構造について、アバウトな論理展開を追ってみた。歩くなどの人間としての運動形態の前提となる這うをくり返し行っていかないと、きちんと歩けるようにはならないということを見た。

 今回は、本書でたびたび引用されいている読者の感想文・論文の意義について考察していきたいと思う。

 まず、本書で引用されている読者からの感想文・論文を列挙する。

@「『“夢”講義』全三巻(第一〜三巻)から何を学ぶか」(pp.73-89)
A「「“夢”講義」の学びを障害児教育に」(pp.163-168)
B「「“夢”講義」の学びを看護に活かすには」(pp.172-175)
C「「這う」ことで創られる「立つ・歩く」とは」(pp.176-182)
D「「いのちの歴史」を一般論として「正常発達」とは何かを問う」(pp.219-230)
E「身体障害者の「仰向け」の運動性の意義」(pp.233-238)

 順に、どのような内容か、簡単に紹介していく。

 @は、『“夢”講義』第一〜三巻の体系的構成を概観することによって、全体の流れを自分の頭の中で再構成しようとする試みである。それによって、南郷継正の説く「重層弁証法」の一端が見えてきたと説かれている。この小論の著者は大学医学部の先生とされており、国家論が専門である旨が本文中に触れられているから、近藤成美氏ではないかと推測される。以下、本稿での考察のヒントになる部分を引用する。

「第三巻のプロローグなどでの、南郷継正の概括を見せられると、「えーっ? 第一巻にはそんなことが書かれてあるのか」とギョッとさせられたというのが実情である。」(pp.76-77)


「今回『“夢”講義』が読みとれず四苦八苦しながら、目次と、まえがき、あとがきを何度も何度も読み返した、そこで気づかされたことは、「南郷継正こそは、自身の著書のもっとも熱心な愛読者である」ということだった。というのは、必ず第二巻では第一巻を概括し、さらに第三巻では第一巻と第二巻を概括しなおして、さらに弁証法的・認識論的な実力を、まさに論理的に深める形でまとめた上で、そこをふまえてのさらなる深化された展開がなされていくからである。

 ヘーゲル哲学の説く「対象の構造性を螺旋構造的に深める」とはこういうことか、分かり易くいえば「書く時には持てる力は全てその論で書ききってしまう、その上で次の構造を深めるべく展開していく」とはこのようなことかと、しきりに得心した次第である。」(pp.88)


 ここでは、南郷継正は、前の巻の内容を概括することをくり返しているのであり、それによってさらに構造が深められて論の展開がなされていっていることが指摘されている。確かに、本書でも、第5編第2章の第2節以降で、『“夢”講義』第4巻の体系が概括されているが、まさに「えーっ? そんなことが書かれてあるのか」とギョッとさせられる。

 この小論に対して、筆者である南郷継正は「論評者である医学部の先生よりも執筆者である私の方がより多くの勉強をさせられてしまった……との思い、しきりだ」(p.89)と述べている。非常に高い評価がなされているといっていいだろう。

 次にAについてである。これは、障害児教育を専門としている読者からの便りであり、「“夢”講義」で学んだことを自分の専門に応用しようとする試みが紹介されている。この便りの主は、障害児教育を専門としているのだから、志垣司氏か北嶋淳氏の可能性が高いと思われる。この便りに対しては、「何とも見事なまでに私の「“夢”講義」を(この読者のレベルではあるのですが)読みきって応用しようと努力しているのが、凄いところなのです」(p.162)、「何よりも立派なのは、自分の専門分野にあてはめながら理解しよう、そして理解した上でもっと専門の分野の向上を図ろうという大きな志の見事さです」(p.163)などと評価されている。

 BとCは、ともに「“夢”講義」の連載を読んでの疑問点、よく理解できなかった点が述べられている。Bは、研究室から現場復帰のため病院へと移動となったナースの文章である。さまざまな思いを綴った後、「こう考えると、「這う・立つ」ことの意味を論理的に説くことの難しさに直面してしまいます」(p.174)と書かれている。Cでは、「這う」の一般性としては、いわゆる柔軟運動やヨガが存在しているという指摘を読み、「この部分を読むと「這う」というのは、文字通りの二本の手と二本の足で地面を這うということではなく、体全体をしっかり使えるようにすることを「這う」といわれているのか、そうなると「走る」「歩く」「立つ」も文字通りに考えては駄目なのではないかと頭の中が混乱してきました」(p.178)と認められている。そのうえで、「這う」について考えていることが、次のように説かれている。

「人間の体は全体として一つであるのだ、そう考えると体の使い方も全体として使われるような構造になっているのではないかと思えます。しかしここで動物と人間の違いが出てくることになり、動物は本能で当然のように体全体を使うようになっているが、人間は認識の働きが大きく、その認識が体を全体として使うだけではなく、体全体からはずれる形で部分的にも使うようになり、それが結果として体の歪みとなっていくのだと思えるようになりました。

 ……強烈な「這う」とはその後の強烈な「立つ」「歩く」「走る」体ができるために、体全体を歪みなく創ることであり、歪みなく発展させることであると思うのです。」(p.179)


「また認識を別の面から考えてみると、例えば知識ばかりを詰めこむということは、体の一部を酷使しているのと同様、認識の一部だけを酷使していることになり、体の一部だけを酷使すると体がいびつになるように、認識の一部分だけ酷使すると認識がいびつになってしまうと思います。

 そういった意味からは、体に「這う」が必要なように、認識にも「這う」が必要であり、そして認識にとっての「這う」が弁証法なのではないかと思うこの頃です。」(pp.181-182)


 すなわち、人間は認識が体を部分的にも使うため、体の歪みが生じるが、そうならないために体全体の運動である「這う」が必要となってくる、認識も一部だけを使うといびつになるので、それを防ぐための認識における「這う」に相当するものが弁証法なのだ、ということである。

 このような評論文・感想文に対して、本書では「私の論の展開のためにも読者の皆さんの実力向上のためにも、とてもとても有益かつ大事な内容」(p.182)であると説かれている。

 最後にDとEに関してである。これは、障害児教育を専門とする同じ著者による感想文である。Aと同じく、志垣氏か北嶋氏の手になるものではないか。Dでは、「仰向け」が「這う」ことの重要な前段階の運動であるという「“夢”講義」での指摘をもとに、「正常発達」の原点である「仰向け・大の字」とは何かが説かれ、その「仰向け・大の字」を一般論として、実際の指導場面で適用していった実践記録が紹介されている。脳性まひや二分脊椎の子どもたちに「仰向け・大の字」の姿形をとらせることをやらせると、これまでは難しかった股関節が動かせ、開いていられるようになっていったという。

 これに対して、南郷継正が「太陽がどういう存在か説かれていない」「地球がどういう存在か説かれていない」「重力が生命体にとって、いかなる作用をもたらしているかが説かれてない」などという、厳しい忠告を(ゼミの場で?)したとのことである。これに対して寄せられたのが、Eである。Eでは、たとえば重力の問題については、以下のように説かれている。

「……今回のゼミでは、なぜ「仰向け」での手足の運動が赤ん坊の人間としての発達にとって必然性なのかということについて、それは「重力」を使えるようになるためなのだということを説いていただいたのではないかと考えています。

 つまり「仰向け」とは、通常は日常の運動の中で、もっとも「重力」を感じることなくできる「運動」であり、「重力」から相対的に独立した状態の中で、両手両足と背骨を一体として、かつ独立させての運動だということです。だからこそ、通常はこの「仰向け」から始めていくことによって、赤ん坊は約一年後には身体的に何の無理をかけることなく立って歩けるようになっていくのだと思います。」(p.236)


 ここでは、ゼミでの指導を受けて、「仰向け」は重力を徐々に使えるようになっていくスタートであり、両手両足と背骨を一体として、かつ独立させての運動なのではないかという考察がなされている。

 本書では、DEを引用したのは、自分が説くよりとても分かりやすく、かつ「立つ」「歩く」以前の「這う」「仰向け」の大事な部分がしっかり説かれているからだと説明されている。

 さて、以上のように、本書では6つの読者からの感想文が引用されているわけであるが、これはなぜなのだろうか。読者の感想文を引用する意義とはいかなるものであろうか。これには、3つの意義があると考える。

 まず第一に、読者に以前の内容を復習させるという意味がある。本連載の前々回と前回で説いたように、きちんとした発展(上達)をなすためには、前段階=前提を、くり返しの上にもくり返す必要があった。そこで本書でも、ことあるたびにこれまでの内容を概括する部分があるのだが、それだけではなく、読者からの感想文を引用することによって、これまでの内容を読者に復習させ、今後の論の展開の前提を、くり返しの上にもくり返し学ばせるのである。このように前提をしっかりと理解し、定着させない限り、次の論理展開が理解不能となるからである。

 第二に、読者に学び方のモデルを提示するという意味がある。これは特にAやDにおいて典型的に示されていると思うが、「“夢”講義」にしっかりと学んで、自分の専門領域に適用していくさまが紹介されている。「“夢”講義」というのは、単に読んで「面白かったな」だけでは意味がないのであり、学んだ内容を自分の専門領域に活用していかなければならない。そのような学び方をしない限り、真に理解することはできないのである。読者からの感想文を引用することによって、「“夢”講義」はこのように学べばいいのだというお手本を提示しているということがいえるだろう。

 読者の感想文を引用する第三の意義は、読者との対話=弁証法の実践である。BとCでは、読者からの疑問を紹介しているが、これによって、これまでの論で読者はどこが理解できていないのかを筆者である南郷継正が認識して、そしてその後、その疑問に答えるような論理展開を行なっていく。これは、古代ギリシャの弁証法(旧弁証法=哲学的問答)を実践しているということであろう。Dに対しては、おそらくゼミで直接この感想文の著者に対して指導を行い、それに対して弟子もEを執筆して対話を図っている。これも弁証法の実践の典型例であるといえるだろう。また、@では、「論評者である医学部の先生よりも執筆者である私の方がより多くの勉強をさせられてしまった……との思い、しきりだ」(p.89)とあったように、読者からの感想文によって、筆者である南郷継正の認識が深まっている。これはすなわち、南郷継正と読者との相互浸透であり、この意味でも弁証法の実践といえるだろう。

 以上、今回は、本書で引用されている読者からの感想文を紹介して、その意義を考察した。
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2017年10月26日

過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想(3/5)

(3)歩くにいたる過程的構造

 前回は、何事においても、前提となる基本的なことをくり返しの上にくり返し学ぶことが大切であり、そうしなければ、真の上達はありえないということを説いた。

 今回は、本書のメインの内容である歩くにいたる過程的構造をしっかりと理解できるように、本書の論理展開をきちんと追っていきたいと思う。

 本書では、初めに「直立二足歩行」に関する研究者の見解が、新聞記事を通して紹介されている。そこでは、直立二足歩行がすべての始まりであり、これがなければ人類の進化はなかった、そして直立が可能となったのは森の樹上生活を経たからこそであると説かれている。これに対して本書では、「結果を述べれば、それで解答になるとは!」とか「全て結果論だけだ」とかのように批判されている。すなわち、一般の研究者の見解は全て結果を説いているだけであり、そこに至る過程がすっぽりと抜け落ちている、という批判であろう。そこで、「では、どうしてサルは森の樹上生活が可能となったのでしょう」(p.46)と問いを立てて、樹上生活の前の哺乳類における四つ足での運動形態についての問題へと進んでいく。

 ここは非常に弁証法的な論の展開だと感じた。というのは、常にその前の段階を問うのであるし、そこに至る前提、結果に至る過程を取り上げているからである。いきなり樹上生活があったわけではなく、そこに至る過程があるはずである。もちろん、樹木自体も、もともと存在していたわけではない。樹上生活が可能になる前提は何か。樹上生活の前にはどのような生活を行っていたのか。樹上生活の前に生命体は、どのような運動形態であったのか。その運動形態で、どのような実力をつけたからこそ、樹上生活が可能になったのか。このようなことを問うていくのは、事物をできあがった結果の複合体として見るのではなく、過程の複合体として見ているからこそ可能なのであり、その意味で弁証法的な見方・問いの立て方であると感じたのである。

 さて、四つ足での運動形態についてである。四つ足での運動形態があったからこそ、樹上生活が可能となったのであり、樹上生活での運動形態があったからこそ、人間としての立つ、歩くという運動形態が可能となった。このことを本書では、「「いのち」には多重性を重ね持つ「歴史」があるのだ」(p.110)と説いている。すなわち、全ての生命体に内在しているDNAがそのようないのちの「歴史」性を重層的に把持してきているのだと説かれているのである。

 これは、単細胞としての実力の上に、カイメンとしての実力が上書きされ、さらにその上に、クラゲ、魚類、両生類の実力が上書きされていき、その上に四つ足哺乳類の実力が上書きされ、その上にサルとしての実力が上書きされていく、このような重層構造を持つDNAが人間に内在しているからこそ、その「歴史」の上に、人間としての実力が花開いていくのだ、ということであろう。

 人間の赤ん坊の「這う」というということの過程的構造も、このようないのちの歴史性から説かなければならないとして、次のように説かれている。

「解答から説けば、人間の赤ちゃんは「這う」という過程的構造かつ構造的過程を持つことで、哺乳類の四つ足としての運動形態のDNAを花開かされていくことになるのです。」(pp.111-112)


 ここでは、個体発生は系統発生をくり返すというヘッケルの命題に関連する内容が、DNAの観点から説かれていると思う。赤ちゃんが「這う」ということは、もちろん、個体発生が系統発生をくり返していることを意味しているのだが、その中身に立ち入ると、実は、人間に内在しているDNAの、哺乳類としての四つ足の運動形態の部分が開花していることになるのだ、ということではないだろうか。「簡単に説けば、這うということの中身は人間がいわゆる哺乳類としての動物の動きの訓練期間だ」(p.110)と説かれているが、這うことによってDNA自体も変化していくのだということであろう。

 立つ、歩くという人間としての運動形態をとれるようになるためには、その前段階である這うをしっかり行うことによって、前段階の実力をしっかりと養成することが大切である。立つ、歩くのためには這うが前提となるのである。特に、高橋尚子さんや井上康生さんのように、一流のスポーツ選手の場合、人間としての運動形態の非常に高度なレベルが要求される。そのような場合は、前段階である這うの過程を、よりきちんと、よりたくさんくり返す必要があるだろう。

 このような問題について、本書では、「動物体から人間体へ」として説かれている。サルまでの動物は本能によって統括されているので、放っておいてもその動物の運動はきちんとできるが、人間は本能ではなく社会的かつ個性的な認識がその人間を育ててきたのであるから、その長所と短所をしっかり見てとる必要があると説かれている。長所としては、「どのようにも立て、どんな格好でも歩け、かつ走り方もいろいろと変化させることが可能」であり、「競技、武道技もしっかりとでき、団体演武も可能」(p.143)であると指摘されている。短所については、次のように説かれている。

「では、短所は何でしょうか。これは簡単には分かりかねます。

 でも考えれば、すぐに判明するはずです。その一つは、人間の身体の動き(活動)は認識を通して社会的に創られたものです。それだけに、その創られた時期、時期の社会関係が薄くなったり、消えてしまったりすれば、その創られた実体の中身は、当然のようにそうなっていくのみなのです。

 ここを分かり易く説けば、動物体としてのDNAはほぼ消えることはないのですが、人間体としてのDNAは、用いること(訓練すること)が少なくなるほどにまもなく薄くなり、やがて消えていくことになる、ということです。

 さて、高橋尚子さん、井上康生さんは赤ちゃん時代をどう育てられていったのでしょう。四つ足的「這う」はマラソン・柔道としての「立つ」ためには当然のこと、同じくマラソン・柔道の走るため・投げるために充分だったでしょうか。……

 この赤ちゃん時代の四つ足的「這う」はたしかに数ヵ月もしないうちに終わりますが、一流の運動選手に育つには、この過程を絶対にないがしろにすべきではない! のです。」(p.143-144)


 すなわち、本能に基づいた動物の身体は育った過程のものが消えて行くことはないが、認識によって創られる人間の身体の動きは、創られた時期の社会関係が薄くなったり、消えていったりすれば、その創られた実体の中身も薄くなり消えていくのであり、一流の運動選手に育つためには、人間的な運動形態の前提となる四つ足的「這う」の過程を、絶対にないがしろにすべきではない、ということである。

 人間は、赤ん坊の時期の社会関係に規定されて、這うことを数か月間はくり返すものの、そのような社会関係がなくなっていくと、這うことによって開花した哺乳類の四つ足としての運動形態のDNAは消えていくことになるのであり、そうなれば、哺乳類の四つ足としての運動形態を前提として成立する人間としての運動形態も、まともに維持・発展させていくことができなくなる、ということであろう。したがって、「運動体として見事になるためには、この「這う」過程の何回もの繰り返しをどうしても必要」(p.145)とするのである。

 では、このような「這う」過程のくり返しを行わなければ、どうなっていくのか。端的には身体が歪んでいくのである。人間は認識によって身体の動きが規定されているだけに、さまざまな形で運動することが可能であるが、それが本来の哺乳類としての体形や生理構造を歪めていくのである。したがって、それを直していくためにも、成長期の子どもたちには特別な時間が必要であり、それが体育であると説かれている。この体育の時間に行うべき運動というのが、四つ足的「這う」に相当する運動ということであろう。これによって、人間的な運動形態の前提となる運動形態をしっかりととり、人間体の歪みを直していくということであろう。

 一流の運動選手を目指すのであれば、この四つ足的「這う」に相当する運動をくり返し、人間体の歪みを正していくとともに、常に、四つ足的「這う」に相当する運動から人間体としての運動へと、くり返しくり返し辿り返していくことによって、真に人間としての運動形態の発展が図れるということになるのだと思う。この四つ足的「這う」に相当する運動とは、一般性としては、いわゆる柔軟体操やヨガが挙げられているが、武道空手が見事に上達するためには、「ジャングルジムの中で前後・左右・上下・斜面・背面に駆け巡るような、強力かつ立体的な動き」(p.149)が挙げられている。このような人間的な運動形態の前提となる運動をくり返し行わなければ、人間としての運動形態のために身体が歪んでいき、高橋尚子さんや井上康生さんらのように、まだまだ発展の余地があったのに、早くして引退ということになってしまうのであろう。

 立つや歩くのような人間としての運動形態をきちんととるためには、その前提となる運動形態をきちんととることをくり返す必要があるのであり、それは何も「這う」だけには限らない。「仰向け」も同様である。このことについて、読者の小論の中で、「“夢”講義」では、「仰向け」を「運動」と説かれていること自体がすごいと思ったとしてうえで、次のように説かれている。

「「仰向け」は素材としてのヒトである赤ん坊が、人間になるために、目的的にとらされ・とっていく労働であると理解しました。

(中略)

 抱っこ・おんぶでは、手で母親の体を触りまくり、足は宙に浮かせて動かしています。また「仰向け」では天井に向けて、自由に手足を動かしているということです。これが「仰向け」の現実の状態であって、この過程があるからこそ、やがて自分の自由になってきた手足を連動的に運動させて、自分の意志で全身を運動(移動)させる過程である「寝返り」が可能になっていくということなのであり、まさに地球環境の変化に見合う形で進化を遂げていった生命体の運動の歴史を「なぞる」ことを行っているのだと理解しました。

(中略)

 このように見てくると、人間の赤ん坊は目的的にしっかりと「仰向け」に寝かせることが重要であり、さらに「仰向け」は、手足が圧迫されることがなく、血液の循環もスムーズであり、将来二本足で立って歩き、手を自由に使うための、まっすぐに伸びた健やかな手足が創られていく過程でもあるということです。……このようにして一つ一つの段階の運動が繰り返されて、次の段階への運動へと重層的に積み重なっていくことで、人間の「歩く」という運動へと成長発展していくと理解しました。」(pp.223-225)


 ここでは「仰向け」は人間になるための労働である、すなわち、自分の自由になってきた手足を連動的に運動させて、自分の意志で全身を運動(移動)させる過程、将来二本足で立って歩き、手を自由に使うための過程であり、人間の「歩く」という運動へと成長発展していく前段階なのだと説かれている。

 以上要するに、人間特有の運動形態である「立つ」「歩く」ができるようになるためには、「仰向け」や「這う」という、「生命の歴史」における哺乳類以前の運動形態をしっかりくり返す必要があるのであり、そのようないくつかの段階の運動が重層的に積み重なっていくことによって、「生命の歴史」の重層性をDNAが把持していき、「立つ」「歩く」という運動形態が可能となっていくのだ、ということであろう。本書で説かれている内容は、まだまだ理解が及んでいない部分もあるが、歩くにいたる過程的構造としては、おおよそ以上のようなことが説かれていると理解した。
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2017年10月25日

過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想(2/5)

(2)認識の重層化を図るための前提のくり返し

 本稿は、『“夢”講義(5)』を集団的に読み込み、特に「過程」という観点から学んだことを認めていく論考である。

 今回は、本書の特徴的な説き方に着目したい。本書では、第1編第1章で問いが立てられる。それは、技の創出と技の使用という技の二重構造に関するものであり、高橋尚子さんや井上康生さんが把握できていないという「歩き方」に関するものである。端的には、歩くを創出する中の多重構造とは何か、歩くを使用する中の多重構造とは何か、さらにこの二つの可逆構造とは何か、という問いである。

 本書の冒頭で提示されたこの問いに対して、なかなか答え(結論・結果)が説かれないのである。これに答えるためには、まず人間とは何かを理解しなければならない、などとして、遠回りしてというか、その問いに対する答えを導くための前提というか、そういうものがが説かれていき、説かれている途中で読者からの手紙が届いてそれを紹介して、という形で、なかなか答えまで到達しないのである。一見すると、話題があちこちに飛んでおり、結局何が説きたいのか、よく分からない、という印象を与えてしまいかねない、そのような特徴的な説き方になっているのである。

 なぜこのような説き方になっているのであろうか。南郷継正という学者のことをよく知らない読者は、ひょっとしたら、そのような説き方に特に意味はないというかもしれない。単に、徒然なるままに書いている結果として、あのような流れになっっているのだと感じるかもしれない。あるいは、もっと穿った見方をする読者は、南郷継正は結局、この問題を解けていないからこそ、長々と関係のないことを説いて、結論を先送りにしているのだ、などと批判する人もあるかもしれない。

 しかし、筆者はそのようには考えない。結論をなかなか説かない説き方には、きちんとした論理的な理由があると考える。では、その理由とは何か。端的に答えをいうならば、結論の前提となる内容をしっかりと読者に理解させなければ、結論だけ説いても理解不能となるからである。前提をくり返しくり返し説くことによって、読者の認識の重層化を図り、ようやくにして結論(答え)を理解できるだけの準備が整うわけである。

 このことを分かりやすく説明したい。

 本書で出てくる例で喩えれば、いきなり結論を説くことは、赤ん坊をいきなり立って歩かせようとすることに相当する。これは無理であり不可能である。赤ん坊の場合は、いきなり立って歩かせようとするのではなく、まずは寝返りができるようにして、ハイハイができるようにして、くり返しくり返しハイハイをさせる中で、つかまり立ちできるだけの足や腕の筋力、全身を統括できる脳の実力などをつけていく。立つためには、このような立つための前提となる運動形態を、しっかりととれるような訓練期間、実力養成期間を要するのである。

 これと論理的には同様に、南郷継正が説く結論を理解するためには、ハイハイに相当するような前提のくり返しが必要なのであり、結論を理解するための前段階の実力を養成する期間が必要なのである。いきなり答え(結論)を説いても、読者にそれを理解するだけの実力がないのであるから、それが理解できるための前提となる実力をしっかり養成するために、そこをくり返しくり返し説いていく、その結果、なかなか結論に至らない、という説き方になっているのである。

 このように、前提(前段階)の実力をしっかりと身につけないと、それ以上の発展はない、それ以上の上達は見込めないというような内容は、本書では形を変えて何回かくり返して説かれている。たとえば、世界中の研究者の一大盲点は、一般論ないし一般性からは考えていくことがないということであると指摘し、人間の人間たるゆえんは思惟能力をもつことが可能だということにあり、この思惟能力は文化の最高形態たる哲学の歴史の発展形態の中にこそ実存しているとした上で、次のように説かれている。

「それだけに、歴史上の偉大といえるほどの名を残している学者や研究者は、必ずといってよいほどにそれらの研究(学修)に没頭する時期を持っているのです。

 これはみなさんが錯覚していることで分かってください。

 何を錯覚しているのかを簡単にいえば、現在歴史上の哲学者として存在している人たちのほとんどは、専門分野の研究に突入する前に、哲学の歴史を学修していっているうちに、哲学者と呼ばれるだけの実力をつけていったのです。」(p.41)


 ここでは、偉大な哲学者や研究者は、哲学の歴史の発展形態をしっかり学修した上で、専門分野の研究に突入したのだ、だからこそ歴史に名を残すような大きな業績を上げることができたのだ、ということが説かれている。この後には、看護の祖であるナイチンゲールも、青春時代に学問というレベルでの哲学者の書物を学んでいたからこそ、偉大なる世界を創出していけたのだと説かれている。

 要するに、人間の研究であれサルの研究であれ、あるいは看護の研究であれ、しっかりと研究していって成果を上げるためには、一般論ないし一般性から考えていけるということが前提なのであり、そのためには、哲学の歴史を学修する期間がどうしても必要なのだ、ということであろう。専門分野の研究の前提(=哲学の歴史)をくり返し学ぶことによって、一般論ないし一般性から考えていくということができるようにならなければ、真に専門分野の研究は可能とはならないのである。これも、赤ん坊がしっかりとハイハイをくり返すことによって、その段階での実力を養成することをしなければ、しっかりと立って歩けるようにはならないのと論理的に同様であると考えられる。

 同じような内容は、『“夢”講義』第4巻の体系を説く流れの中でも次のように触れられている。

「論理学とは簡単には、労働する、研究する、研鑽する、対象的事実の全てを一般化、特殊化、個別化した論理として捉え、それらを法則化し、かつ対象から反映された認識を論理化(一般化、表象化、抽象化)、かつまた、体系化可能となる実力養成のための学問なのです。

 カントはこの能力について、感性、悟性、理性などと単純に分けて説明しています。

 とはいうものの、この論理学の成立過程が可能となりうるためには、当然にそのための歴史性を持った頭脳活動の訓練、修学過程が要求されることになるものです。

 この過程に応じられるものの一つが、カントやヘーゲルが長い長い時間をかけて学びとることになった古代弁証法の創立過程への学び、すなわちゼノンからソクラテスを経てプラトンまでの弁証法の生成発展の過程そのものでした。それゆえの第四編の論理学から説く弁証法と認識論なのです。そうやって成立できた弁証法と認識論を用いて、ようやくのことに論理学の過程性が歴史上に昇ってくることになるのです。」(p.207)


 ここでは、論理学が成立可能となるためには、古代弁証法の創立課程への長い長い学びが必要なのである旨が説かれている。すなわち、論理学の前提には弁証法と認識論があり、その弁証法と認識論を用いることによって、ようやくにして論理学が成立可能となってくる、というこであろう。われわれも、対象的事実の全てを論理として捉え、対象から反映された認識を論理化・体系化可能となる実力を養成するためには、論理学とされるものを直接に学んでいくのではなく、カントやヘーゲルと同様に、論理学の前提となる弁証法の生成発展の過程をこそ、しっかりと時間をかけて学び取っていく必要があろう。

 弁証法の学びについては、次のようなことも説かれている。

「「走る」」訓練がいくら上達したにしても、それゆえに回数の制限が(あってはなら)ないように、「投げる」に「もう合格!」ということでの終わりがないように、弁証法にも「それで合格!」という到達点はないのです。すなわち繰り返しの上の繰り返しが当然のように要求されるものだからです。

 それはどういうことかといえば、繰り返せば繰り返すことが多いほどに上達する(相互浸透による量質転化が進む)、その結果として頭脳の働き、すなわち理論レベルでの頭脳活動がきちんとよくなっていくものだからです。

(中略)

 弁証法の学びの大切な点は、復習また復習としての、繰り返しを嫌がらない、怠ることをしないということです。それも、同じことの同じレベルでの、です。」(pp.118-119)


 ここでは、マラソンの「走る」や柔道の「投げる」(あるいは、略したが、看護の「ベッドメイキング」や心理の「カウンセリング」)と同様に、「それで合格!」という到達点はなく、無限のくり返しが必要なのであり、それも同じこと同じレベルでのくり返しが大切なのである、と説かれている。

 それでは、弁証法の学びにおける「同じことの同じレベルでの繰り返し」とは何か。それは、「現実の手と足で分かった出来事を、すなわち事実として分かったことをふまえながら、その事実の性質を見てとることであり、そして見てとった事実の性質を変化性、すなわち運動性において思惟する、深く考えてみること」(p.119)であるとされている。そして、初心者は変化・運動を見てとれるようになることが大事であり、「こんな小さな「繰り返しの上の繰り返し」を飽きることなく(どんなに飽きても)続けていくことが弁証法のいわゆる達人(専門家)になる唯一の方法」(p.120)であると断言されている。

 弁証法の学びといえば、マルクスやエンゲルス、それにヘーゲルの著作にまで遡って、難しい哲学書を解釈することだと考えられるかもしれない。そこまでいかなくても、三浦つとむの著作を読み漁り、文献を解釈することによって、たとえば「矛盾」について理解を深めたり、「対立物の統一」と三法則の関係を考察したりすることだと思っている方もいるかもしれない。それはそれで、弁証法の学びであることは否定しないが、しかし、そういったいわば高度な学習の前提として、まずは変化・運動を見てとれるようになること、見てとった事実の性質を変化性・運動性において思惟すること、という基本的なことを、無限に、飽きることなく、どんなに飽きても、続けていくことが弁証法の学びとしては肝要なのである。このような前提の学びをくり返しの上にくり返すことをしなければ、それ以上の高度な学びは身についてはいかないのである。

 以上今回は、前提をくり返し学ぶことによって認識の重層化を図ることの大事性を確認した。

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2017年10月24日

過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想(1/5)

目次

(1)南郷継正の過程の原点
(2)認識の重層化を図るための前提のくり返し
(3)歩くにいたる過程的構造
(4)読者の感想文を引用する意義
(5)コマ送り的な量質転化の過程

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(1)南郷継正の過程の原点

 本稿は、南郷継正『なんごうつぐまさが説く 看護学科・心理学科学生への“夢”講義(5)』(現代社)を組織的に読み込み、学んだ内容を感想文として認める論考である。2017年になってからこれまで、『“夢”講義』シリーズの感想文をブログに掲載してきたが、今回で5回目である。

 『“夢”講義(5)』の冒頭には、南郷継正の読者にとっては非常に興味深いエピソードが説かれているので紹介したい。はっきりと自覚的・主体的に描いた人生に関わったの最初の“夢”は「僕は、生涯にわたって、とにかく死ぬまで勉強し続けるぞ!」というものであったとした後、次のように説かれている。

「それを決定的なものにしたのが、三年生の時に兄が借りてきた『プルターク英雄伝』(「少年版」だったと思います)を、深夜こっそりと兄のランドセルから抜きだして読んだことからです。なぜ、深夜なのかというと、兄は自分の借りてきた本は絶対に弟たちには見せることすら嫌がっていたからです。そこで、兄がぐっすりと寝入った頃を見はからって、そーっと抜きだして読みきって、また、そーっと返しておくしかなかったのです。同じ部屋で寝ている兄が、目を覚まさないように、電灯には寝巻きをかぶせて、灯りがもれないように工夫しながら読書をすることの連夜だったのです。

 その『英雄伝』の中の「アレキサンダー大王」の項での最終章に、「巨星堕つ」(どういうワケか、この文言だけはしっかりと記憶できています)とあった、大王が病死した場面で、泣きながら決意したのです。「僕は学問の世界でこのアレキサンダーのような存在になりたい」と。そして、その決心(生涯、勉強し続けるという)だけは、いついつまでも変わることがありませんでした。」(pp.11-12)


 ここでは、「僕は、生涯にわたって、とにかく死ぬまで勉強し続けるぞ!」という夢を決定的なものとしたのは、『プルターク英雄伝』のアレクサンダー大王の病死の部分を読んだことであると説かれている。この「巨星堕つ」の部分に感動したという話は、以前の別の著作でも紹介されていたように記憶しているが、どこだったか、少し探しても見つからなかった。

 それはともかく、南郷継正にここまで影響を与えた本であるならば、ぜひとも読みたいと以前から思っていた。『プルターク英雄伝』は、現在、いくつかの日本語訳で読めるが、以前、玄和会関係の方から鶴見祐輔訳の『プルターク英雄伝』(潮文庫)を勧められていた。ただこの訳書は、固有名詞が英語発音になっていて、誰が誰だか分からないというような評価もあるようであった。今回、改めてネットで検索した結果、南郷継正が読んだと思しきものを発見できた。それは、澤田謙訳『プリューターク英雄伝』である。現在は、2012年に講談社文芸文庫から出たものが入手できる。

 本書はもともと、昭和5年に少年向けとして刊行されたものらしい。プルタークの『対比列伝』を著者独自の視点で書き直し、編纂したものであるという。つまり、単なる翻訳ものではないのである。『青木育志の書斎』の「二つのプルターク英雄伝」(https://kyoyoushugi.wordpress.com/2014/07/11/二つのプルターク英雄伝/)によると、澤田訳は鶴見訳とならんで、戦前のベストセラーだったという。

 これこそが南郷継正が読んだものだと私が断言したのは、「大王アレキサンダー」の項の最後の小見出しが「将星つひに地に墜つ」であったからである。南郷継正はアレキサンダー大王に関する最終章に「巨星堕つ」とあったと説いているが、これはかなりの一致だといえるだろう。本当は「将星つひに地に墜つ」だったのが、「巨星堕つ」と誤って記憶してしまったのか、記憶が変化してしまったのか、あるいは、澤田訳には別の(もっと少年向けの)バージョンがあり、そこの見出しは「巨星堕つ」だったのか。いずれにせよ、南郷継正が読んだのは、この澤田訳だったと考えて間違いなさそうである。

 なお、この原稿を書くために再度ネット上で調べていたら、澤田訳は国立国会図書館のサイトで、全文が公開されていることが分かった。

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1717830

 昔のなかなか入手できない書物が、このような形でデジタル化されてきれいに保存され、誰もが読むことができるというのは素晴らしい取り組みだと思う。

 さて、このような自己の夢に関するエピソードの紹介から始まる本書であるが、キーワードは「過程的構造」ということにある。これは「あとがき」でも触れられているが、後に引用する本書の目次を眺めていただければ、頻繁に「過程的構造」なる語が登場することが分かる。「過程」や「過程性」という語もかなりたくさん登場する。そこで本稿では、この「過程」ということに特に着目して本書を読み、学んだ内容を3つに整理して認めていくこととする。初めに、本書では「結果」ではなく「過程」が重視されているのはなぜなのかを考察する。次に、本書で中心的に説かれている内容である「歩くに至る過程的構造」について、きちんと理解できるようにしたい。最後に、本書で頻繁に引用されている読者からの感想文・評論文などの意義について考えたい。

 では、最後にいつものように本書の目次を引用しておきたい。



なんごう つぐまさ が説く
看護学科・心理学科学生への“夢”講義(5)

【 第1編 】 認識的 「技」 の論理の過程的構造を説く

第1章 「“夢”講義」 の学びによる認識の重層化の構造

 第1節  人生に関わる夢 ―「文武両道から文武統一への道の完成化へ」
 第2節  「“夢”講義」 連載の意義と書物の意義
 第3節  「連載」 による認識の形成 ―弁証法の三法則の多重の連関とその構造
 第4節  頭脳の働きを見事に ―『“夢”講義』 の学びを
 第5節  技の論理から上達の構造・技化の過程性を説く

第2章 哲学の歴史の発展形態をふまえて技の論理を説く(解く)とは

 第1節  現代の受験勉強による弊害を克服するために何が必要か
 第2節  「直立二足歩行」 に関する研究者の見解とその限界
 第3節  技の論理から 「歩く」 の構造を説く
 第4節  人間の思考・思惟能力の発展は哲学の歴史の発展形態の中に存在する
 第5節  学問レベルでの認識の研究とは何か ―認識論・認識学の一般性の構造

第3章 サルからヒトへの進化をもたらす歴史的過程を説く

 第1節  「直立二足歩行」 への過程(1) ―サルが樹上生活が可能となった理由
 第2節  「直立二足歩行」 への過程(2) ―サルの樹上生活が可能となった理由
 第3節  サルの樹上生活と認識の形成とその発展との関連性
 第4節  サルからヒトへの歴史性をふまえて人間の育ちを育てる大切さ

【 第2編 】 弁証法性の学びの過程的構造を説く

第1章 「“夢”講義」 の学びは弁証法性の学びを基本とする

 第1節  直接的同一性の論理を武道と看護から説く
 第2節  人類の文化としての武道論・武術論

第2章 「“夢”講義」 の論理展開の構造に学ぶ

 第1節  学問用語 ―「普遍性・共通性・一般性・必然性・偶然性」 とは
 第2節  偶然の必然性を説く
 第3節  『“夢”講義』 全三巻に何を学ぶか ―ある読者の論評文

【 第3編 】 「技の創出」 の過程的構造を説く

第1章 学問構築のための認識形成の過程を説く

 第1節  思春期・青春期の生活と高き志
 第2節  武道空手と弁証法を 「対立物の相互浸透」 として学ぶことの意義
 第3節  志高く武道空手を専門に 「弁証法」 を学んだ学生時代
 第4節  武道空手の修練には弁証法を、弁証法の向上には武道空手の研鑽を
 第5節  武道空手と弁証法、相対的独立と相互浸透、そして対立物の統一

第2章 技の創出における弁証法性を説く

 第1節  技の創出の二重構造と 「這う」 ことの二重構造とは
 第2節  いのちの歴史性から説く 「這う」 ことの過程的構造・構造的過程
 第3節  弁証法の学びの多重性・多重構造 ―くりかえし学ぶことの意義とは
 第4節  人間体一般としての生成発展の過程的構造性の運動
 第5節  運動選手の敗因を人間体としての弁証法性から説く

第3章 「いのちの歴史」 から技の創出過程を説く

 第1節  特殊哺乳類としてのサルの誕生の過程を 「いのちの歴史」 に尋ねる
 第2節  サルからヒトへの進化過程を辿ることによる運動形態の変容
 第3節  運動形態の変容がもたらした認識の誕生の原基形態
 第4節  技を創る過程にはサルからヒトへの歴史的過程性が含まれている

第4章 「動物体」 から 「人間体」 への過程を説く

 第1節  「歩く」 に至る過程性 ―「這う」 と 「立つ」 の二重構造
 第2節  動物体から人間体へ ―「這う・立つ・歩く」 の過程的構造とは
 第3節  動物体と人間体 ―人間体としての生理構造の持つ歪み
 第4節  動物体をふまえた人間体としての生理構造の理解が上達を導く

【 第4編 】 頭脳活動の養成の過程的過程を説く

第1章 自らの専門分野の実践を通して学ぶとは

 第1節  頭脳活動の実力養成に関わる原稿執筆のあり方
 第2節  舞い込んできた 「幸運」
 第3節  「“夢”講義」 の学びを障害児教育に ―ある読者の学びの過程(1)

第2章 人間体の構造性の論理を具体性から学ぶ

 第1節  人間体としての構造と動物体としての構造の二重構造とは
 第2節  「“夢”講義」 の学びを看護に活かすには ―ある読者の学びの過程(2)
 第3節  「這う」 ことで創られる 「立つ・歩く」 とは ―ある読者の学びの過程(3)

【 第5編 】 人間体と運動体の過程性の構造を説く

第1章 人間体とは何か ―人間体と運動体の区別と連関を説く

 第1節  武道・武術とは何か ―武道空手の修業・修行・学修の歴史性
 第2節  「人間体と柔道体・マラソン体・卓球体」 の過程性の構造
 第3節  人間体と運動体の過程性の構造を知らない指導者の大欠陥
 第4節  運動体の過程性には人間体を阻害する構造が存在する

第2章 「“夢”講義」 の体系性と弁証法的実力を説く

 第1節  「“夢”講義 ―看護と武道の認識論」 を説いてきている理由
 第2節  『“夢”講義』 第四巻の体系 ―「脳とは何か」 から 「哲学の起源」へ
 第3節  認識の成立の過程性から論理学の成立過程
 第4節  弁証法の過程的構造を説く必然性

第3章 人間体養成の過程を具体的実践から問う

 第1節  身体障害児教育の実践から ―ある読者の学びの過程(4)
 第2節  「いのちの歴史」 の一般性をふまえて身体障害者教育を説く
 第3節  身体障害者の 「仰向け」 の運動性の意義 ―ある読者の学びの過程(5)


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2017年10月23日

徒然なるままに――40歳を迎えて(5/5)

(5)真史

 さてここまで、40歳を迎えるにあたって思うところを述べていくつもりで「徒然なるままに」執筆してきたのであるが、大半が自分の人生の振り返りとなってしまった。けれどもこれでいいのではないか。三浦つとむもいっているではないか。「新しい未来を発見するために過去から学ぶ」(三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』)と。

 ではここで、この「新しい未来」とはどのようなものか、少し考えておきたいと思う。

 我々京都弁証法認識論研究会の会員が学問の構築を志すのは、何も難解なパズルを解いた時のような知的興奮を味わいたいがためでは決してない。現実が突きつけてくる問題を解決する指針を得るためである。つまり、現実とは何の関係もない頭の体操をして満足したいがためではなくて、現実の世の中を良くしていくためにこそ学んでいるのである。なぜ景気が良くならないのか、誰もが幸せに暮らせるようにするにはどのような経済政策が必要なのか、なぜうつ病が生じるのか、精神疾患はどのようにすれば治療できるのか、学校でのいじめの問題をどのように解決するのか、子どもたちを立派な大人に成長させるためにはどのような教育が必要なのか、といった現実の問題を説く(解く)ためにこそ、我々は学問への道を歩んでいるのである。そこには強烈な問題意識があり、解いても解かなくてもいいようなパズルをするのとは次元の違う覚悟が必要なのである。我々の学問は、こうした感情に突き動かされて発展してきているのである。

 ここで「感情」と述べたが、この「感情」も決して個人的な我儘といったレベルのものではない。毎日酒を飲みたいとか、満員電車に乗っていてある駅に停車した時に後ろからおっさんに「ちょっとどいて!」といわれてムカッとした(そこは「すいません、通してください」だろ!)とか、学校史上最高の点数の通知表をもらってうれしかったとか、課長に昇格できなかって落ち込んだとか、そういう類のものではない。人間は社会的な存在であるから、「感情」も社会的に創っていく必要がある。現実の日本を、現実の世界をよりよく創っていくためにこそ、自分自身のアタマを鍛えるのだ、そういう「感情」でなければならないのである。

 だから「新しい未来」ということについても、それが毎日上等の酒を浴びるほど飲んでもなくならないくらいの金を持っている未来だとか、どこかの首相みたいに自分は偉くてムカついた相手なら徹底的に攻撃(口撃)したり、お友達相手なら権力を笠に利益を供与したりするといったような会社のトップになっている未来だとか、そんな個人的なものでは決してないのである。人類の発展史を踏まえ、人類の英知を結集して創られていく(創っていく!)あるべき社会像のことをいうのである。大げさにいえば、こうした「未来」を展望するために、私は今、自分の「過去」を振り返ってきたのである。

 では私は、ここからの人生で何をなすべきか。それはもちろん、言語学の創出である。私が夏目漱石『こころ』に衝撃を受けたのはなぜなのか、「メジャー」の吾郎がチームメイトに希望を与え、チームメイトによって苦境から脱することができたのは言葉のどのような力によってなのか、こうした問題が明らかにできるだけではない。言語学の創出によって、人間と人間との精神的交通がより発展していって、人類の認識そのものの発展、すなわち学問全体が大きく発展すると考えているのである。さらにいえば、人間とはどういう存在かを解明するための大きな指針を言語学は与えてくれるはずである。逆にいえば、言語を解明することなしには、学問の発展も人間とは何かの解明も望めないのではないかと考えている。こうした日常的な個々の問題から、人類社会全体に関わるような大きな問題まで、言語学の構築によって解明できるのではないかと思うのである。

 と、大上段に述べてしまったが、本稿を執筆するまでの私はスランプに陥ってしまっていたのであった。9月に行われた合宿形式の勉強会のレポートは書けないままで、毎月の振り返りも9月分は飛ばしてしまった。先日までブログ掲載していた9月の例会報告も提出が遅れに遅れ、内容的にも十分満足できるものではなかったし、変形生成文法の研究も行き詰まってしまっている。しかし本稿を執筆することによって、今の一瞬一瞬が未来の自分を、未来の日本を、未来の世界を豊かに創っていけるかの鍵であるという自覚が芽生えてきて、新たな一歩を踏み出していくのだという決意が沸き起こってきたのである。読者の皆さんに喜んでもらえたか、格調高い文章だったかは別にして、これだけでも本稿を執筆した意味は私にはあったと思える。願わくは、「新しい未来」において、本稿が私だけではなく、日本や世界にとっても意味があったとなってほしいものである。ここを主体的に捉え返せば、本稿をきっかけに新しい自分、新しい日本、新しい世界を創っていくのだという決心をしたということである。

 この間の気持ちの揺らぎを一掃して、真に自分の人生を歩めるように生まれ変わるのだという意気込みでやっていかなければならない。私の人生の前史は今終わった。ここからが私の本当の人生の始まりである。

(了)
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2017年10月22日

徒然なるままに――40歳を迎えて(4/5)

(4)再発

 その勉強会で感じたことは、何を専門として学んでいくにしても、まずは弁証法や認識論といった学問の基礎をしっかりと学び続けていかなければならないということであった。さらにもう1つ感じたことは、弁証法や認識論の基礎からの学びのためには、自らの専門分野を設定し、その学構築のためにこそ弁証法や認識論を学ぶのだという思いが必要だということであった。他会員は皆、自分の専門分野の発表を行っていて、その中でもその専門分野の弁証法性が取り上げられ、どのように考えていくべきかという認識論も議論されていたからである。

 当時私は、どんな分野の仕事をするにしても必ず必要になるということで、弁証法の基本書・教科書である三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』をものにするために、その筆写を行っていた。ここで「仕事」とは、単なる職業上の仕事のことであって、もっと昇進して、どんな仕事上の問題でも自らの頭脳で解決できる頭脳を作りたいというレベルでの思いであった。しかし、年に3回ほど開催されていた京都弁証法認識論研究会の合宿形式の勉強会に参加し続けることで、その思いは学問構築という仕事を全うしたいというものに変わってきていたのである。そこで筆写を終わらせるとすぐに、『弁証法はどういう科学か』の小項目ごとの400字要約に取りかかっていった。2011年12月のことである。そして2012年3月には、初のブログ掲載用論稿である「『弁証法はどういう科学か』の要約をどのように行っているか」を本ブログに掲載したのである。

 合わせて私は、自らの専門分野を何にすべきか、検討していった。やはり何といっても大学時代に中心的に学んだ言語学がやりたいと思い、他会員や指導者の先生にも相談しつつ、自分の専門分野を確定していったのである。2012年10月には、卒業論文に若干の解説を加えた論稿をブログ掲載し、12月の勉強会では初めて、言語学に関わる発表を行うことができたのであった。

 2013年1月からは、毎月の学びを振り返るという作業も行うようになった。人生の目標として言語学の創出ということを志したからには、学びを継続的に行っていくとともに、さら深めていく必要もあると考えたからである。1ヶ月の学びを振り返り、次の月の目標を設定することで、持続的に学んでいくことができるようになっていったし、振り返りを行うことで、単に書物を読んでお仕舞いという学びではなくて、そこからどのようなことを考えたのか、しっかりと考察を深めていくこともできるようになっていったのである。この毎月の振り返りという作業は、徐々に会員間で広がりを見せ、今では全会員がこの形式を採用するようになっている。

 2014年からは、毎月の例会にも参加するようになった。2013年の例会のテーマであったヘーゲル『歴史哲学』については、自分自身で読み進めて、ブログ掲載される例会報告を読んで議論を確認するという方式で学んでいたのであるが、それを2014年からは例会自体に参加し、議論にも加わるようにしたのである。私の住んでいるところは、他会員が住んでいる京都周辺からはかなり離れており、物理的な制約があると思っていた。つまり、例会は同一の場所に集合し、そこで膝をつきあわせて行っているために、私には参加が難しいと思っていたのである。ところが、そうした方式の例会では、たとえ比較的近くに住んでいるにしても、諸々の制約が生じるということで、その頃は専らスカイプによる方式に変更されていたのである。これなら空間的にいくら離れていたとしても問題ない。そこで2014年のシュヴェーグラー『西洋哲学史』の学びから、私も例会に参加させてもらうことにしたのである。2013年からブログ掲載論文の執筆にも本格的に参戦していた私は、例会報告の執筆についても他会員同様の責任を負うことになっていったのである。

 専門の言語学の学びについては、いわゆる言語学史の研究を始めていた。古代ギリシャ、古代ローマ、中世、17世紀の『ポール・ロワイヤル文法』とロックの言語論、比較言語学、ソシュールの言語理論について、まずは大雑把ではあるが、大きな流れを捉えることを中心的課題として取り組んできているのである。合わせて、卒業論文でも取り上げた三浦つとむの言語過程説の理解を深めていくために、三浦の著作は勿論のこと、三浦が学んだ時枝誠記や三浦を学んだ宮下眞二の著作も研究してきている。かつ、こうした言語過程説の輪郭を浮き彫りにするために、その対照概念の1つでもある言語道具説についての論文も執筆してきた。

 こうして私が京都弁証法認識論研究会に参加してからの流れを振り返ってみると、6年前までに完全に止まってしまっていた時計の針がやっと動き出したのでないかと感じられる。何かに夢中になることで自分を磨き上げ、鍛え上げていくというかつての自分の姿(?)に戻り、さらにそこから発展してきているのではないかと思えてくるのである。もちろん、研究会に参加してからも、なかなか思うように研究が進まず、停滞どころか衰退していっているのではないかという時期も幾度もあった。生活が乱れ、仕事だけは何とかこなしているが、研究活動は全くという時期もあったのである。しかしそんな時、必ず私の支えになり希望となってくれたのが、ほかならない研究会の会員だったのである。それぞれの専門分野は違えど、弁証法・認識論を基礎にして、学問を創造していくという共通の基盤に立っているからこそ、直接的な励ましはもとより、その学問への道を歩む姿を見せられるだけで、自分を奮い立たせ再生させてくれたのである。

 ごく最近、テレビアニメの「メジャー」という番組を見た。主人公の吾郎が小学校に上がる前から野球を始め、最後にはメジャーリーグで活躍するという物語である。私生活では幼くして母を亡くし、幼稚園に通っている頃には父親も失ってしまうという逆境の中、どんな困難に突き当たっても必ず乗り越え、チームメイトにもその情熱で希望を与え続けていくのである。その一方で、吾郎も人間である以上、乗り越えられそうにない壁に阻まれることもある。もう諦めてしまうしかないのではないかという情況に追い込まれてしまうことが多々あるのである。しかしそうした時には必ず、かつて吾郎自身が救った仲間が吾郎の前に現れ、吾郎を窮地から助け出してくれるのである。まさに相互浸透による発展の物語であり、我々の研究会のあり方の理念を具体的に示してくれている物語だといえるのではないかと思ったものだった。三浦つとむも以下のように述べていたことを思い出さざるを得ないものである。「メジャー」はもしかしたら、こうした三浦の言葉を具体化したのもではないか、などと思わされるのである。

「政治の分野であろうと学問の分野であろうと、革命的な仕事にたずさわる人たちは道のないところを進んでいく。時にはほこりだらけや泥だらけの野原を横切り、あるいは沼地や密林をとおりぬけていく。あやまった方向へ行きかけて仲間に注意されることもあれば、つまずいて倒れたために傷をこしらえることもあろう。これらは大なり小なり、誰もがさけられないことである。真の革命家はそれをすこしも恐れなかった。われわれも恐れてはならない。ほこりだらけになったり、靴をよごしたり、傷を受けたりすることをいやがる者は、道に志すのをやめるがよい。」(三浦つとむ『レーニン批判の時代』)

「孤独を恐れ孤独を拒否してはならない。名誉ある孤独、誇るべき孤独のなかでたたかうとき、そこに訪れてくる味方との間にこそ、もっとも深くもっともかたいむすびつきと協力が生まれるであろう。また、一時の孤独をもおそれず、孤独の苦しみに耐える力を与えてくれるものは、自分のとらえたものが深い真実でありこの真実が万人のために奉仕するという確信であり、さらにこの真実を受けとって自分の正しさを理解し自分の味方になってくれる人間がかならずあらわれるにちがいないという確信である。」(三浦つとむ『新しいものの見方考え方』)
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2017年10月21日

徒然なるままに――40歳を迎えて(3/5)

(3)停動

 バスケのほかに、高校時代はよくカラオケにもいったものだ。高校に入って初めての友人が、そこそこ歌が上手くて、おまけに我が家から最寄りの鉄道駅がある街(そこは片田舎なりに栄えていた街だった)に住んでいたため、その友人の家のすぐそばにカラオケボックスもあったのである。そこでそれこそ毎日のように、部活が終わってからそのカラオケボックスにいったものだった。ちなみに私は、家から高校まで片道45分位を自転車で通っていたのだが、そのカラオケボックスの位置は、ちょうど家と高校とを結ぶ直線を底辺にした時、正三角形の頂点の位置にあったのである。つまり、真っ直ぐ家に帰る場合に比べて、倍の時間をかけて帰った(カラオケの時間を除く)わけである。しかも、初めのうちはその友人も自転車で通学していたのだが、その友人に彼女ができてからというもの、彼女と一緒に電車通学になったのはいいが、(彼女と一緒に帰らずに)私とカラオケに行く場合に限り、私の自転車の後ろに立ち乗りして一緒に帰ったものだから、その時の私は真っ直ぐ帰る場合の3倍ほど疲れることになったのであった。

 こんなペースで思い出話をしていたら、いつまでたっても私は40歳にならないから、ここからは多少端折っていくことにする。

 とにかく、バスケにカラオケに、一生懸命だった私だが、勉強の成績が一番頭抜けていた。バスケでは、高校最後の大会も結局はレギュラーになれなかったし、カラオケでも友人には勝てないという思いがあった。しかし頭は一番良かった(というのは、あくまでも偏差値でという意味であって、今から考えるとそれは頭が悪かったという意味にもなる)。高校3年生の2学期の通知表が特にビックリで、10段階評価(1が一番悪く、10が一番良い)で数学以外の全教科が10(もちろん体育も図画も音楽も!)、数学も8というものだった(これはテストでの計算間違いが原因だった)。担任の先生から通知表をもらうとき、この成績はこの学校史上最高点だとかいわれてしまった(その当時で既に90年ほどの伝統がある学校だった)。

 しかし今考えてみると、こうした言葉が私を調子に乗らせ、大学というモラトリアムの、更なるモラトリアムに私を3年間も縛ることになったのかもしれない。現役時代も含めて4年間、たった1つの大学のたった1つの学部以外には受験しなかったのである。これは前にもどこかこのブログ内の文章で書いたことがあると記憶しているが、高校の国語の教科書にあった夏目漱石『こころ』に凄まじいまでの衝撃を受けた私は、小説家になることを志し、そのためには何としても文学部に行く必要があると勘違いしてしまったのである(現に私が大学在学中だったと思うが、法学部(出身?)の人間が芥川賞を受賞している)。

 ともかく、何とか大学生になることができた私は、大学の講義では言語学関係(小説家になるためには言語を自由自在に使いこなす必要があると考えていた)のものばかりに出席し、サークル活動では、主に経済学の勉強をするサークル(実は私より先に大学生になっていた弟が所属していた)に入って勉強し、空いた時間はガソリンスタンドでバイトするという生活を送っていったのである。そして今度は遅れることなく、立派に卒業したのであった。

 その後私は、実家から見れば大学がある方向とは全く逆の方向に倍ほどの距離を進んだ場所にある会社に就職し、窓口業務を経て、現在はシステム部門で働いている。長男であるにもかかわらず、実家も継がずに当地に家も建てた(妻のお父さんが設計もする大工さんで、そのお父さんに建てていただいた)。

 こうしてざっと私の40年を振り返ってみるとき、その時々で一生懸命になれるものを見つけ、それが年齢とともに色々なものに移っていったことが分かってくるのである。野球、サッカー、バスケ、カラオケ、小説、(受験勉強、)言語学、経済学、諸々の仕事の知識。しかし移っていったとはいえ、これらはいまだに私の中にあり、今の私を創っているものだといえる。ただ中心が変化していっただけだともいえると思う。野球やサッカーは自分ではやらなくなったが、観戦するのは好きであるし、バスケは実は3年ほど前から(実に20年ぶりくらいに!)再開した(今年度からは公式試合にも出ていて、つい先日、4試合目にしてはじめてシュートを決めることができた。なんと、苦手なはずのゴール下のシュートである。これが「ゴール下のシュート恐怖症」を克服できたとした要因である)。カラオケは今でも家族でよくいくし、夏目漱石も含めて小説もよく読んでいる。言語学は私の人生の中心になりつつある。そして経済学やその他の学問も、我々の研究会で学び続けているところである。

 さて、こうした人生を内包している私は、40歳を迎えるにあたって何を考えるべきか。ここからが本題である。読者の方々がここまで読み進めて、楽しんでいただけたかどうかは別として、ここまでは格調が高かったということはないことだけは間違いない。ここからである(予定)。

 我々の京都弁証法認識論研究会は、私も所属していた大学のあるサークルのメンバーが中心となって継続してきたものである。私が入学したときにはすでに、その原基形態が出来上がっていた。当初私も誘われて、P江千史『看護学と医学』を扱う勉強会に参加したことを覚えている。しかし、なぜ大学で言語学と経済学を中心に勉強し、ガソリンスタンドでバイトしてためたお金でビールを楽しく飲んでいる私が、『看護学と医学』なのか、その意味するところが全く分かってはいなかったのである。一度か二度参加して、それなりにしてしまったのであった。

 京都弁証法認識論研究会との再会は、実に12年後のことである。就職してすでに9年目、昇格して新しいポストに着いたものの、これまでのように夢中になって取り組める対象を失ってしまっていた。思い返せば、球技なら何でもそこそこできたのも、決していきなりできたわけではなかったはずである。それが楽しいと思って、必死で練習したからこそできたのではなかったか。バスケのシュートにしても、これだけは絶対に負けないと思って練習を積み重ねたからこそ、よく入るようになったのである。しかし当時の私は、仕事と両輪で取り組んでいたある組織も抜けて、ただただ職場で仕事をし、家に帰って多少家族と団らんし、そして寝るだけの生活を送っていたのであった。夢中になれるものもなく、そのため私の発展が停滞してしまっていたのである。

 そんな時、かつて大学時代に京都弁証法認識論研究会の原基形態的勉強会に誘ってくれた友人たちが、まだ継続して勉強を続けている場に私を誘ってくれたのである。何か自分でもやれることがないか、それを通じて自分の新たな姿を築きあげていくことができるのではないか、そんな期待を胸に、合宿形式の勉強会に参加したのであった。
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2017年10月20日

徒然なるままに――40歳を迎えて(2/5)

(2)瞬放

 さて、不完全燃焼のまま小学生を終えた私は、中学校では「部活」なるものが存在することを知ったのであった。どういうわけか、私の通っていた中学校には陸上部がなかった。まあ、その当時は(そして今も)陸上など(を観るのではなくてやること)には全く興味がなかったので、それはどうでもいいのだが、ここでどの部に入るか、迷っていたのであった。というのも、実は私は小学生時代、野球やサッカーのほかに、卓球もやっていたからであった。母親に連れて行ってもらって、隣町の卓球センターによく行って、弟相手に何時間も練習していたものだった。

 ここまで書いて、ふとした不安に襲われた。おそらく本稿は、(予定通り進めば)私が執筆する本ブログへの投稿としては最後の文章になる。それをこんなどうでもいい文章を綴ってしまっていていいものか、と思ったのである。しかしまあ、「徒然なるままに」だからこれでよしとしよう。

 そんなわけで、中学校の部活に関していえば、野球部、サッカー部、卓球部がまずは候補に挙がったわけである。そしてそれらは全て、見事に選択肢から除外されていくのである。まず野球部であるが、これは当時の伝統というか悪い風習で、なぜだか野球部は頭を丸刈りにしなければならなかった。帽子やヘルメットをかぶってやるという数少ないスポーツの1つであるから、別に髪の毛がどうであろうと、帽子やヘルメットで押さえつければ、そんなに気になることもないだろうのに、なぜか野球部=丸刈りなのである。これは無理だと早々に諦めてしまった。次にサッカー部であるが、これも小学校時代、下級生にレギュラーを取られてしまうという体たらくだったので、本格的にやったとしてもそうものにはならないだろうということで止めにしてしまった。最後に卓球部であるが、これも当時のイメージでいえばかなり暗い人間のやるスポーツだということになっていた。さらに問題なのは、部活見学で卓球部の練習を見に行ったとき、上級生と試合をさせてもらえるということでやってみたのだが、何とここで試合に勝ってしまったのである。こんな弱い集団の中にいるのは嫌だということが決定的な理由となって、卓球部もないということになってしまった。

 そこで結局何部に入ったかといえば、バスケ部であった。これは当時、漫画「スラムダンク」が週刊少年ジャンプに連載され始めた頃で、その影響でにわかバスケファンが急増したことも大きな要因であった。ご多分に漏れず、私もその流れでバスケットを始めたようなものである。

 それからはどういうわけか、1年生から試合に出させてもらい、練習も私ともう1人だけ別メニューという特別扱いだった。165pとたいして上背もなく、運動神経でいっても私なんかよりジャンプ力があったり足が早かったりする同級生は大勢いた。しかしなぜか、顧問の先生(この先生は後で分かったことだが、ダンクができた。中学校を卒業してから、皆の前でダンクができるかどうか賭けようとかいいだして、皆できない方に賭けたところ、ガツンと決めて本気で金を徴収していた)は、1年生の中で特に私を重用してくれたのだった。

 そんなこんなで3年生にもなると、チームのキャプテンを任されるようになった。当時の私はシューターで、ドリブルもパスも上手ではなかった(というか、ドリブルもパスもほとんど試みようとすらしていなかった)が、シュートだけはよく入ったものだった。試合でも、ボールをもらえば即シュートであった。かなり過去を美化しているようで恐縮だが、シュートが外れた記憶がないといっても過言ではないくらいよく入った。しかも、上背のなさやジャンプ力のなさを補うために、ボールをもらってからシュートまで(ボールをリリースするまで)のスピードを極限まで高めた独自のシュートを考案し実践していた。いわゆる普通のジャンプシュートというものは、ボールをもらいながらステップを踏んでジャンプ、そしてジャンプの最高到達点付近でボールをリリースするというシュートであるが、私の場合、ボールをもらいながらステップを踏み、即ジャンプして、同時にボールをリリースするという型を創り上げたのであった。ディフェンス側からすれば、チェックに行こうと思う間もなくシュートされているわけで、どうにも止めようがない。しかもこれがほぼ100%入るのである(私の記憶によれば)。残念ながら中学時代は、県大会の予選レベル(ブロック大会)で敗退してしまったのであるが、バスケの魅力に取りつかれた私は、高校では迷わずバスケ部に入ったのであった。というより、中学時代に憧れていたバスケ部の先輩が行ったという理由で高校を決めたくらいで、バスケ部が先にあって高校は後からついてきたという感じである。ちなみに、この中学最後の試合(負けた試合)で、私にトラウマができてしまった。ゲームの終盤、ゴール下のノーマークのシュートを外してしまったのである(中学時代にシュートを外した唯一の記憶かもしれない)。結局、このことが原因となってか、悪い流れのまま試合終了となって引退となってしまったのである。小学校時代、少年野球に(一人で)進んだ弟も、実は中学ではバスケ部に入っていたのであるが、この弟から散々いわれたものである。あのシュートが入っていればまだ試合は分からなかったと。それ以来、私は極度の「ゴール下のシュート恐怖症」に陥ってしまい、ゴール下のシュートは全く入る気がしなくなってしまったし、事実、よく外したものだった。しかしまさに今月、この病気はあることが原因で全く解消してしまった。

 さて、高校生になった私は早速、バスケ部の見学に行った。するとそこで、ある人物から声をかけられたのである。それは中学時代の最後の大会、すなわちブロック大会において、我々の地区で優勝し、県大会に進出したチームのエースであった。中学当時からバスケが上手くて有名だった彼から突然、「あっ、君知ってる」と指を指しながら声をかけられたのである。やはり私も(最後の試合の終盤のゴール下のごくごく簡単なシュートを除いて)相当程度シュートを決めまくっていたために、そうしたブロック大会のいわゆる「スター」にも顔を知られていたのだろう。彼は我々が3年生になったとき、バスケ部のキャプテンになる男であった。

 高校時代のバスケ部の思い出といえば、2年生からバスケ部に入ってきた同級生にポジションを奪われてしまったことが挙げられる。彼は中学時代(私とは別の中学校出身)、野球部のエースか何かだったのだが、高校に入ってからは野球をやめ、1年生の時は何の部活にも入っていなかったのである。それがどういうわけか、2年生になってからバスケ部に入部してきて、3年生が夏の大会で引退するとすぐにレギュラーになったのである。私にしても、まあやれば何でも球技はそこそこできた。小学校の時、少年サッカーではレギュラーが取れなかった(実は下級生がレギュラーになっていた)わけだが、これにはちゃんとした理由がある。実はその少年サッカーのチームは、県大会でも優勝するくらいのレベルの強豪で、そこから上がっていった中学校のサッカー部も、全国大会の常連というレベルであった。だから端的にいえば、私のサッカーが下手だったのではなくて、他のチームメイトのサッカーが異様に上手かったのである。その証拠に、高校2年生の時、我々のバスケ部とサッカー部がサッカーの試合をしたことがあったが、私の活躍で、何とサッカー部にサッカーで勝ってしまったのである。ちなみに、もう1人活躍したのが、その中学時代に野球部のエースで、高校2年生からバスケ部に入ってきた同級生であった(こいつは本当に何でもできた、野球、バスケ、サッカーに加え、ギターもものすごく上手で、音楽室にあったフォークギターで、Xの「Silent Jealousy」を笑いながら軽く引いていたのには驚いた。私が音楽の道(中学時代にギターを買ってもらっていた)に進まなかったのも、彼のギター演奏を聴いて、こんなやつがいたら勝てないと思ったからかもしれない)。
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2017年10月19日

徒然なるままに――40歳を迎えて(1/5)

〈目次〉

(1)描夢(ビョウム)
(2)瞬放(シュンホウ)
(3)停動(テイドウ)
(4)再発(サイハツ)
(5)真史(シンシ)


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(1)描夢

 本ブログ「主体性確立のための「弁証法・認識論」講義」は、初めての講義から7年半が経とうとしている。講義数は350タイトル目前であり、連載回数としても2638回目を数えている。私はこのうち、49タイトルを執筆し、388回目の連載ということになる。私の初めての講義である「『弁証法はどういう科学か』の要約をどのように行っているか」の執筆も、もうかれこれ5年半以上前の出来事である。

 断りが遅くなってしまったが、本稿はこれまでのような論文形式の文章ではなくて、いわゆる随想の類の文章である。タイトルにもあるように、「徒然なるままに」認めていくことを趣旨としたものである。ではなぜ今回、これまで一貫してきた論文形式の文章を掲載するのではなくて、エッセイ的な文章を載せることにしたのか。理由は大きく3つある。

 まずきっかけを述べておかなければならない。本来であれば、今日から5日間は別の会員が論文を掲載することになっていた。しかし、その会員にとってはブログ掲載用論文の執筆が初めてであり、なかなか思うように筆が進まなかったという事情があった。本ブログに掲載する論文に関しては、連載開始日の原則2週間前までに他の会員にメールで送付し、会員間で検討し、より良いものに仕上げた上で公開しているのであるが、連載開始日の5日前になっても提出がなかったのである。そこで話し合いの末、別のものを掲載しようということになったのである。

 では、誰がどのようなものを執筆するのか、次に当然こういう問題が生じてくることになった。そこで、この連載期間中に40歳を迎える私が、40歳を迎えるにあたっての諸々の思いを、随想レベルで執筆していくということになったのである(副題にある「40歳を迎えて」というのはこうした事情による命名である)。さすがにこの短期間では、論文形式の文章を書き上げることが難しかったからである。

 最後にもう1つ大きな理由がある。それは9月に行った合宿形式の例会での議論である。ある会員が本ブログに関して、今年の年末を目途に廃止してはどうかという提案をしたのである。より正確にいえば、本ブログは年末まで掲載予定が決まっているので、その間は今まで通り掲載することにして、来年からは別ブログを立ち上げ、心機一転、新たなスタートを切ろうということであった。そして新ブログにおいては、毎月の例会等の報告は継続する(ただし、現在掲載している論文の中で、この例会報告が最も読みにくいものであることは我々も把握しているところなので、よりよい形式や内容を模索もしていくつもりである。なお、例会「等」と書いたのは、例会以外にも複数の学習会を開催しているものの、それらについては十分な報告ができていないという反省があるからである)ものの、その他の内容としては、今までのような固い論文形式のものではなくて、エッセイ的なものを掲載してはどうかというのであった。我々の論文に関しては、来年から刊行予定の研究会機関誌『哲学への道(仮称)』で読んでいただくこととして、新ブログにおいては例会報告等のほかは、もっと軽い内容の・気軽に読んで楽しめるようなものにしてはどうかというのであった。これは、(今まさにそういう状態であるのだが)ブログに毎日掲載する論文を執筆し、検討し、アップするという作業に加え、新たに研究会機関誌を発刊するとなると、そちらに掲載する論文についてもより突っ込んだ検討が必要になってくるのであって、仕事をしながら研究活動も続けている我々にとっては甚だ困難な情況になってくる(いる)ことは明白だし、研究会機関誌に掲載する論文についても、一旦(タダで)ブログで読んだものを(多少なりとも焼き直して)改めて研究会機関誌で読むというのは、読者心理からしても納得でき難いものがある(というより、我々の立場からすれば、このやり方では研究会機関誌が売れない!)ということもあるからである。

 そこで今回は、私が40歳を迎えるにあたって思うところを、諸々に述べていくという趣旨での論稿となったわけである。これは来年からの新ブログの予行演習も兼ねての執筆である。当然、可能な限り楽しめるようなものにしたいのだが、他会員からは格調の高さも要求されているので、論文形式の文章とは別の意味での困難を背負い込んだと若干後悔しつつの執筆である。

 さて、40歳を迎えるにあたっての思いとはいっても、まずはこの40年間を簡単に振り返ることから始めたいと思う。過去を積み重ねての現在であるからである。とはいえ、現在を積み重ねての未来である、という方が重要かもしれないが。

 私は1977年10月某日、滋賀県の片田舎に生まれた(話は飛ぶが、この「田舎」というものに(もっと)若い頃は非常に抵抗があり、下宿していた大学時代にはよく、実家は乱立するビルの最上階だなどとはったりを述べていたものだった)。交通機関といえば、最寄りの鉄道駅まで片道僅か10kmほどで500円くらいかかる私鉄運営のバスしかなかった。近所には、私を含めて6人の同級生の男の子が住んでおり、下の学年の子どもたちも含めて、よく近くの公園(今考えると理由がよく分からないのだが、この公園をみんな「遊園地」と呼んでいた)で野球をしたものだった。初めて買ってもらった帽子が中日ドラゴンズのものだったため、そして当時は中日の投手陣が全体としていまいちだったこともあって、小学生のころの夢は中日のピッチャーになって中日を日本一にすることだった。郭源治や小松辰雄に憧れ、いつかは彼らを超えるピッチャーになるつもりでいたのである。もっとも、私のポジションはショートかサードが定番で、ほかの地域の子どもたちと日曜日に野球の試合をするような時にも、ピッチャーなどほとんどさせてもらえなかったし、どちらかというと、左の強打者というのが私に対する他の子どもたちの見方だった。ホームランを連発していた(ように思う、というのは、弟はそんな記憶がないというからだ)のだった。ちなみに我々のチームのエースは私の弟だった。

 当時、私が住んでいた実家のある地域では、小学校の4,5年生にもなると、地域の少年野球や少年サッカーのチームに入って、その道に進んでいくというのが、スポーツができる子どもの進む(べき)道であり、憧れでもあった。そこで私と弟とは、やっと両親を説得して、このスポーツ少年団に入ることを許されたのであった。ところがここで、ちょっとした問題が起こった、というより私が問題を起こしてしまった事件があった。それは何かというと、当然私が一緒に少年野球に進むと思っていた弟に対して、私は当時、どういうわけかサッカーに魅かれ始めていて、迷った末に、誰にも相談することなく、少年サッカーに丸をつけた申込用紙を提出してしまったのである。そしてそのことを後になってから弟に告げた時、当然のように弟に非難されたのであった。

 ともかく、小学校の4,5年生から始めた(とはいっても、例の「遊園地」では、小学生になってからは野球だけではなくサッカーもしていたのではあるが)サッカーの方は、6年生になってもレギュラーが取れず、野球でいう「左の強打者」のような肩書もないままに終わってしまったことであった。
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2017年10月18日

2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他(10/10)

(10)参加者の感想の紹介

 前回までに、例会で報告されたレジュメを紹介したあと、カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他の要約を4回に分けて掲載し、次いで、参加者から提起された論点について、どのように議論をしてどのような(一応の)結論に到達したのかを紹介してきました。

 最終回となる今回は、例会を受けての参加者の感想を掲載しておきたいと思います。

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 今回は、カント『純粋理性批判』の「経験的思惟一般の公準」と「あらゆる対象一般を現象的存在と可想的存在とに区別する根拠について」という部分を扱った。

 チュータとして、各会員が提出した論点をまとめ、その論点に対して出された見解を整理していった。特に今回は、該当箇所をこれまでにないほど読み込んで、きちんとチュータとしての役割を果たせるようにとの思いを込めて例会当日に臨んだ。

 例会本番では、見解が共通する中でも新しい論点を提示し、例会を通じて各会員の認識の発展を図ろうと努力してみたが、結果としては、なかなかうまく進行することができなかったと思う。特に、唯物論の立場から可能性、現実性、必然性とはどのようなものか、議論してみてはどうかという提起を行ったものの、個別の議論に終始してしまい、全体として、カントのいうものと違うのかどうか、ハッキリしないまま議論を切り上げざるを得なかった。また、バークリの独断的観念論に対してカントがどのように批判しているかという問題に関わって、先験的感性論の部分を参照しつつ議論していったが、ここも一応の結論すら出ないままで議論を終了せざるを得なかった。今回の範囲はよく読み込んでいたつもりであるが、これまでの議論を正確に辿っていくということをしていなかったために、以前の問題に絡むものについては、なかなか自分で思うように把握することができないという課題が見つかった。

 とはいえ、カントの議論を正確に理解し、それを唯物論の立場ではどう考えるのか、どう反駁していくのかということは、たとえ結論が出ないにしても、常に問題意識として持っておく必要がある事柄だと思う。そういう意味では、唯物論の立場からの可能性、現実性、必然性とはどういうものかという議論も、全く無意味だったわけではないとは思うし、バークリ批判にしても、ここまで読んだ段階で以前の先験的感性論をしっかりと読み返せば、何らかの新しい把握が可能かもしれないという希望も見えてきた。

 次回は、「経験的な悟性使用と先験的な悟性使用との混同によって生じる反省概念の二義性について」という付録の部分を扱う。可能な限り、これまでの大きな流れを復習しつつ、当該箇所についてもしっかりと読み込んで、論点を明確にしつつ、自分の見解を固めていきたいと思う。

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 今回の例会の範囲で、先験的分析論の部分がほぼ終わったのであるが、カントを理解し切った! というところからは程遠いと痛感した。たとえば、バークリの独断的観念論について、先験的感性論でカントは反駁していたのだが、それがどのような内容であるのか、今振り返ってみても、確たることがいえないありさまであった。また、ライプニッツに対してどのように批判しているのかも、いまいち理解できなかったところである。

 やはり、前々から反省しているように、ここらで一度、『純粋理性批判』を初めから読み返す作業がどうしても必要になってくるだろう。と同時に、カントが大枠でどういう主張をしているのか、カント以前のバークリやライプニッツ、それにデカルトやヒュームなんかも含めて、哲学の大きな流れはどのようなものであったのか、こういったことも復習していく必要があろう。

 具体的には、シュヴェーグラー『西洋哲学史』を中心として、イギリス経験論と大陸合理論のあたりからカントへの流れを復習しながら、中山元訳で『純粋理性批判』を、その解説とともに読み返していきたい。これは、今停滞している著作の執筆を促進していくうえでも、大切な準備作業になると確信している。早速に計画を立てて、着実に学習を進めていかなければならない。

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 今回の例会では報告レジュメを担当したのであるが、今回の範囲は(今回の範囲も)なかなか難しかった、というのが率直な感想である。報告レジュメを作成するまでにはおろか、例会当日までに該当範囲の要約作業を終えられなかったことも大きく影響していると思われるが。

 論点2におけるバークリの独断的観念論に対するカントの批判など、正直にいって、分かったような分からないようなモヤモヤとした感覚がつきまとってしまう。論点3をめぐる議論でも改めて確認したが、『純粋理性批判』を著したカントのそもそもの問題意識――人間の認識が真理性(対象と一致していること)を主張できるのはなぜなのか、という問いについて、真理性を主張できる範囲を厳格に定めることによって答えようとした――をしっかりと踏まえつつ、最初から読み直していく計画を立てなければならないと強く思わされた。その際、哲学史の大きな流れのなかにカントの『純粋理性批判』を位置づけること、対象と認識との関係について唯物論の立場からはどのように考えるかを常に問い続けることを忘れてはならないと思う。

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 今回の例会をとおして、ある程度は書かれている内容を把握することができたと感じている。特に、カントが純粋悟性の国を波立さわぐ渺茫たる海に囲まれた「真理の国」にたとえているという点について、チューターが図示をしてくれたが、これまで学んだカント哲学の大枠を踏まえれば、納得できるものだった。やはり全体像を把握するということが極めて重要だなと感じた。何とか時間をとって、『純粋理性批判』全体の論の流れを確認する時間をとらなければならないと思った。

 哲学史全体の流れもしっかり押さえておかなければならないと思った。カントはバークリやライプニッツに対して批判をしているのだが、そもそもバークリやライプニッツはどのような主張をしていたのかを知らなければ、読んでいくことが難しい。そういう意味でも全体像をしっかりと押さえることが重要だと思った。

(了)
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2017年10月17日

2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他(9/10)

(9)論点3:対象を現象的存在と可想的存在とに区別する根拠とは何か

 前回は、カントは観念論に対してどのように反駁しているかに関する議論について見ていきました。ここでは、バークリの独断的観念論に対しては空間を物自体に属する性質と見なしている点が誤りであること、デカルトの蓋然的観念論に対しては内的経験の前提として、外的なものについての経験をしているのだということを証明することでことで反論していることを確認しました。

 さて今回は、3つ目の論点として、対象を現象的存在と可想的存在とに区別する根拠についてカントがどのように述べているかに関する論点を見ていきたいと思います。

論点3:対象を現象的存在と可想的存在とに区別する根拠とは何か

 カントは「純粋悟性の国」(p.319)について、波立さわぐ渺茫たる海に囲まれた「真理の国」(同上)にたとえているが、これはどのようなイメージを表現したものか。カントは、対象を現象的存在と可想的存在とに区別しているが、それぞれどのようなものだと述べているか。両者を区別する根拠をどのように説明しているか。特に、可想的存在は、積極的な意味のものではなく、消極的な意味と解せられなければならない(p.332)とか、可想的存在という概念は、感性の僭越を制限するための限界概念にすぎない(p.333)とか説かれているが、これらはどういう意味か。


 この論点に関しては、@カントのいう「純粋悟性の国」のイメージについて、A現象的存在と可想的存在とはどのようなもので、両者を区別する根拠は何かという問題、Bカントが可想的存在について、消極的な意味と解せられなければならないとか、限界概念に過ぎないとか述べているのはどういう意味か、という3点について議論していく必要がある、と当初は分けて考えていたのであるが、全ての個々の論点が繋がっているのではないかという把握のもと、チュータが以下のような図を示しました。


純粋悟性の国.png
「純粋悟性の国」「真理の国」     「波立さわぐ渺茫たる海」
現象の世界              物自体の世界
現象的存在              可想的存在
事象(積極的)            余事象(消極的)

 つまり、「純粋理性の国」「真理の国」に対する「波立さわぐ渺茫たる海」、現象的存在に対する可想的存在、積極的な意味に対する消極的な意味、可想的存在という概念が限界概念に過ぎないということ、これらは全て繋がっていて、カントは現象の世界のことを「純粋理性の国」「真理の国」と呼んでおり、この領域に存在する対象を現象的存在と名付けているのに対して、物自体の世界のことを「波立さわぐ渺茫たる海」と表現し、この領域に存在する対象を可想的存在と名付けているということです。また、前者においては、主観と客観の一致という真理が獲得できるのに対して、後者については、悟性の使用がこの領域に及んでしまうと必然的に誤謬に陥ってしまうということも確認しました。感性や悟性が及びうる範囲という意味で、前者が積極的な意味合いを持つとともに、後者はこれらが到達しえない領域という意味で、限界を超えた存在だとされていることも共通理解になりました。

 この図に関しては、この論点を網羅するものとして、概ね肯定的に捉えられました。特に追加の発言もなく、この論点についてはすっきり理解できたということでした。

 以上のような議論を行い、今回の例会における論点についての議論を終了しました。
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2017年10月16日

2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他(8/10)

(8)論点2:カントは観念論に対してどのように反駁しているか

 前回は1つ目の論点、すなわち経験的思惟一般の公準に関する論点についての討論を見ていきました。カントは、可能的、現実的、必然的という様態の三原則について、客観的な総合的命題ではなく主観的な総合的命題であると述べているということでした。

 さて今回は、2つ目の論点として挙げられた、カントが観念論に対して行った反駁に関する論点について見ていきたいと思います。

論点2:カントは観念論に対してどのように反駁しているか

 カントは、物の現実的存在を間接的に証明しようとする規則に有力な非難を加えるものとして観念論を挙げているが、観念論による「有力な非難」とはどういうもので、それに対してどのように論駁しているか。カントは「内的経験一般は、外的経験一般によってのみ可能である」(p.305)というが、これはどういうことであり、どのように証明されているか。

 この論点に関しては、まず、カントのいう観念論とはどのようなものか見ていきました。各見解に大きな違いがなく、それらをまとめると、カントのいう観念論とは実質的観念論のことであり、デカルトの蓋然的観念論(我々の外にある、空間における対象の現実的存在を単に疑わしいもの、証明できないものとする理論)と、バークリの独断的観念論(我々の外にある対象を虚妄であり不可能であるとする理論)の2通りある、ということになりました。

 次に、観念論による「有力な非難」について検討しました。デカルトの蓋然的観念論については、我々の存在以外の現実的存在を直接の経験によって証明することは不可能だという主張をしているとカントは説明しているのに対して、バークリの独断的観念論については、そもそも空間における一切のものは単なる想像上の虚構物に過ぎない(客観的な世界など存在しない)から、物の現実的存在を証明するなどということは不可能だという主張をしているとカントは説明しているという見解で、概ね全員の見解をまとめることができました。

 最後に、これらの観念論による「有力な非難」にたいして、カントがどのように論駁しているのかについて見ていきました。この部分も見解は概ね共通していて、まずバークリの独断的観念論に対しては、この考え方は空間を物自体に属する性質と見なしているが、直観の主観的条件を全て除き去ってしまえば、空間が物を規定するということは直観できないのであるから、空間は物自体に属する性質ではなくて、直観の主観的形式であるという論を展開し、この形式を通して現象の世界が成立している、つまり対象(現象)を認識することが可能である、という形で論駁しているということでした。少し分かりにくいですが、要するに、空間を物自体の属する性質だとしてしまうと、直観の主観的条件によって物を規定するということが説明できなくなってしまうため、空間は物自体の属する性質ではなくて、直観の主観的条件にほかならないのだということをカントは主張しているのだということです。続いてデカルトの蓋然的観念論に対して、カントがどのように論駁しているのかを検討しました。この論点に関しては、我々は外的な物に関して単に想像するだけでなく、経験もしているということを証明することで反駁しようとしていることを確認しました。具体的には、「我あり」という意識は、「我」の外にある物の現実的存在を意識することなしには成立しない、それは時間に関する規定が、「我」の外にある常住不変なものを前提として初めて可能であるからだ、だから内的経験(我あり!)という時点で既に、外的な物についての経験をしているのだという論を展開することで、カントはデカルトに反論しているということでした。

 この最後の論点に関わっては、先験的感性論などのこれまでの議論をふまえた形でカントの主張が展開されているため、今回の範囲だけを理解していても、全体的な把握には至らないということを全員で確認することができました。『純粋理性批判』の全体を改めて初めから読み返していくことで、この観念論に対する批判をより深く理解できるのではないかということで、この論点に関する議論を終えました。
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 ・文法家列伝:古代ギリシャ編
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 ・古代ギリシャ経済の歴史を概観する
 ・2013年12月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』のまとめ
 ・ヘルバルト教育学の全体像を概観する
 ・年頭言:歴史を切り拓く学問の創出を目指して
 ・歴史的な岐路に立つ世界と日本を問う
 ・一会員による『綜合看護』2013年4号の感想
 ・一会員による2013年の振り返りと2014年の展望
 ・ヘーゲル『歴史哲学』を読む
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 ・一会員による『学城』第10号の感想
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 ・現代の言語道具説批判――言語規範とは何か
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 ・新大学生へ説く「大学で何をどのように学んでいくべきか」
 ・2014年3月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第12〜14章
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 ・4年目教師としての1年間を実践記録で振りかえる
 ・文法家列伝:『ポール・ロワイヤル文法』編
 ・2014年5月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第20〜26章
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 ・古代ギリシャの経済思想を問う
 ・半年間の育児を振り返る
 ・2014年6月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第27〜33章
 ・現代の言語道具説批判・補論――「言語道具説批判」に欠けたるものとは
 ・心理士が医学から学ぶこと――一会員による『医学教育 概論(1)』の感想
 ・アダム・スミス「天文学史」を読む
 ・現代の言語道具説批判2――言語道具説とは何か
 ・2014年7月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第34〜38章
 ・道徳教育の観点から見る中世の教育と教育思想
 ・もう一人の自分を育てる心理療法
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 ・一会員による『学城』第11号の感想
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 ・2014年9月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第41〜43章
 ・ルソーとカントの道徳教育思想を概観する
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 ・全てを強烈な目的意識に収斂させる――一会員による『医学教育概論の実践』の感想
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 ・必要な事実を取り出すとは――一会員による『医学教育 概論(2)』の感想
 ・2015年1月例会報告:南郷継正「武道哲学講義X」
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 ・ナイチンゲール看護論を心理臨床に活かす――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(1)』の感想
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 ・英語教育改革を問う―『英語化は愚民化』書評―
 ・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
 ・2年間の育児を振り返る
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 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
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 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
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 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
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 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
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 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史