2017年10月02日

経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス(7/13)

(7)『法学講義』――共感の原理を社会の歴史的現実に適用する

 前回は、スミスの主著『道徳感情論』においてどのような議論が展開されていたか、紹介しました。スミスは、『道徳感情論』の冒頭で、人間の本性を、何よりもまず自分のことを大切にするという利己性の原理と、他人のこと(他人の運不運)にも関心をもたずにはおれないという共感の原理との二重性として提示しています。『道徳感情論』は、端的には、利己性の原理と共感の原理とを調和させる形態がどのように創り出されていくか、という問題を追究したものであったともいえます。スミスは、共感の原理が「想像上の立場(境遇)の交換」によるものであること、私たち人間は、相互に想像上の立場(境遇)の交換をくり返していくなかで、各々が自分の胸中に「公平な観察者」が創出していく(自分を客観的に見つめる視点を獲得していく)こと、この「公平な観察者」から利己的な自分への命令こそが道徳の一般原則とされるものであることを説いていました。このようにしてスミスは、本来的に利己的な存在であるはずの人間が社会の秩序をきちんと形成していくことができるのは、各人の行動がそれぞれの胸中に存在する「公平な観察者」によって適切にコントロールされているからだ、と論じたのでした。

 さて、社会の秩序ということにかかわって注目されなければならないのは、スミスが権力によって強制されうる唯一の徳として、正義の徳をあげていたことです。ここでいう正義とは、端的には、他者の身体や財産を不当に侵害しないことです。こうした正義の徳は、明白で確固とした原則をもっており、基本的に例外を許しません。とはいえ、このような自然的正義(natural justice)が実際に法律的な制度として定められ裁判をつうじて運用されていく過程では、少なからず自然的正義からのズレが生じてこざるをえないから、社会の秩序を規定する正義の原則を首尾一貫した形で確立させるために、法学という学問が求められていくことになる――こうした観点からスミスは、『道徳感情論』の末尾において、「私は別の論考において、法と統治の一般的諸原理について説明に努めるとともに、この一般的諸原理が社会のそれぞれ異なる時代ないし時期に応じてそれぞれこうむることになった種々の大変革について、たんに正義(司法 justice)にかんする事柄にとどまらず、行政(police)や公収入、および軍備にかかわる事柄、さらには法の対象となる他のすべての事柄も含めて、説明に努めるつもりでいる」と宣言したのでした。今回は、この法学について、スミスがどのような構想を抱いていたのか、みていくことにしましょう。とはいえ、残念ながら、『道徳感情論』の末尾で予告された「別の論考」は、結局、完全な形で完成させられることはありませんでした(その一部は『国富論』として結実しました)。しかし、そのおおよその内容は、学生の講義ノート――詳細に記録された「Aノート」(1762〜1763年の講義)と、簡潔に整理された「Bノート」(1763年〜1764年の講義)の2種類があります――にもとづいた『法学講義』によって推測することができます(『法学講義』の邦訳は、Bノートにもとづくものが岩波文庫から、Aノートにもとづくものが名古屋大学出版会から出ています)。この『法学講義』がどのような構成になっているのか、Bノートを参考にしながら、確認しておくことにしましょう。

 『法学講義』は、大きくいえば、法学とはそもそもどういうものかを論じる序論、正義(司法)にかかわる諸領域を論じる第1部、生活行政(公収入も含む)と軍備などを扱う第2部から構成されています。現在の私たちが「法学」という言葉からイメージするものよりも、はるかに広い領域が含まれていることに注意してください。

《スミス『法学講義』の構成》
序論
第1部 正義(司法)
 序論/公法/家族法/私法/契約
第2部
 生活行政・公収入/軍備/国際法

 このうち『法学講義』全体の序論では、冒頭で「法学は、すべての国民の法律の基礎であるべき一般諸原理を研究する学問である」(水田洋訳『法学講義』岩波文庫、p.17)と定義された上で、グロティウス以来の法学の歴史がざっと概観されています。その後、あらためて「法学は、法と統治の一般諸原理の理論である」と確認し、法の四大目的として、司法(justice)、生活行政(police)、公収入、軍備があげられているのです(*)。

 正義論では、まず、正義とは侵害からの安全保障である、と定義された上で、人間(個人)としての安全保障を論じる私法論、家族の一員としての安全保障を論じる家族法論、国家の一員としての安全保障を論じる公法論の3つの領域に分かれることが説明されています。論の展開の順序に関連してスミスは、そもそも所有権を守るためにこそ国内統治が成立したのであるし、所有権の状態は国内統治の形態とともに歴史的に変化してきたのだ、として、公法論→家族法論→私法論という流れを予告しています。

 スミスは、主権者(統治者)と臣民(被治者)のそれぞれの権利を論ずる公法論の前提として、人類社会の歴史を〈狩猟→牧畜→農耕→商業〉の4つの段階に分け(**)、正規の統治は、牛や羊といった私有財産が成立した牧畜段階において、これらの財産を防衛するためにこそ発生したことを確認し、そこから、古代ギリシャにおける共和制の成立、古代ローマにおける軍事的君主制の成立と崩壊、ゲルマン人侵入による混乱と封建制の成立、国王の権力の専制化、議会の権限強化による自由の回復、という歴史的発展の流れを概説しています。家族法論では、家族のなかに存在する三重の関係――夫と妻、親と子、主人と召使(奴隷)――のそれぞれについて、まずは古代ローマの状況を押さえつつ、それらがキリスト教の影響を受けながらどのように変化していったのか、という観点から考察されています。私法論においては、「観察者」や想像上の立場の交換という『道徳感情論』で詳しく展開された論理を絡めつつ、人類の認識の歴史的発展という観点から、所有権の歴史的な拡大の過程がたどられていきます。

 『法学講義』第2部の生活行政論とのつながりで重要なのは、公法論および私法論のそれぞれで説かれた歴史的な到達点です。スミスが論じた国内統治(市民社会)の歴史の到達点は、国民の自由(国王の権力に束縛されないこと)が確立されたところであり、同じくスミスが論じた所有権拡大の歴史の到達点は、土地の売買の自由(何世代も前の故人の遺志に縛られないこと)が切実な課題として浮上してきたところです。こうした議論の到達点に立って、生活行政(生活資料の安価と豊富を実現する国家の機能)についての議論が展開されていくことになります。こうした論の展開の流れからは、所有権が確立され、個々人が自由に活動できるようになることこそが、国の富裕を実現するための歴史的な大前提なのだ、というスミスの発想をうかがうことができます。本稿の連載第2回でも指摘したとおり、この生活行政論こそ、経済学の歴史上の不滅の古典として知られる『国富論』の原型になったものにほかなりません。

 さて、スミスの生活行政論の内容は、大きく、分業論、価格論と貨幣論、一国の富裕の進行が遅れてしまう原因についての考察、という3つの部分に分けることができます。分業論においては、分業(労働の分割)こそが生活資料の安価と豊富をもたらすものであること、分業の根拠は説得の本能(相手に自分の気持ちを分かってもらいたい、という本能的な欲求)を基礎とする交易性向にあること、この交易性向の具体的な発現は「私の欲しいものを私にくれれば、あなたはあなたの欲しいものを手にするだろう」と相手の利己心(仁愛ではなく!)に働きかけるものであること、などが論じられています。価格論と貨幣論においては、商品の市場価格の変動は自然価格によって規制される(商品の価格は、その商品の生産のために投入される労働に適正な報酬が支払われるところに落ち着く)こと、諸商品の自然価格を通じて産業の自然的な均衡が達成される(どの産業にどれくらいの労働が投入されるべきかという問題が解決される)こと、商品取引の発展に伴って価値尺度および流通手段として金貨・銀貨が鋳造されるようになったこと、流通手段としての銀行券(紙幣)を発行することで節約された金銀を国外に送って生活に必要な商品を輸入することは一国の富裕に資するものであること、などが論じられています。さらにスミスは、一国が富裕であるかどうかは貨幣(金銀)が多いか少ないかによって決まる、という当時支配的であった考え方を誤りと断じ、個々人の財産の安全保障という国内統治の枠組みが確立されたもとで、生産的な労働に従事する人々の労働意欲を削いでしまう諸々の観念(商工業への軽蔑など)や制度・政策(穀物の輸出禁止や特権的大商人の優遇など)を排するならば、富裕の進行が実現していくであろうことを主張しています。スミスが、貨幣こそが富であるという当時の常識的な見方を批判し、人々の労働によって生活必需品がきちんと継続的に生産されていくことこそ国家社会の維持発展にとって死活的に重要であることを見抜いた点、また産業の自然的均衡というべきものに沿って社会的総労働が分割されるべきであることを鋭く指摘した点は、現代にも通じる卓見として、高く評価するに値するものであるといえるでしょう。

 続いて、スミスは公収入(租税+公債)について論じています(公収入は、序論においては「法の四大目的」のひとつとして、生活行政と並んであげられていますが、実際の議論の展開のなかでは、公収入論は生活行政論の一部として取り込まれています)。ここでは、統治のための費用を得る上での財産税や消費税などの優劣が論じられ、公債が成立した歴史的経緯や公債価格の変動の要因について、考察されています。さらに、スミスは、商業の発展が国民のマナー(風習、習慣)に与える影響についても論じています。商業の発展が(商人として成功するために、という利己心に導かれて)誠実と几帳面という徳を涵養したこと、一方で、下層民衆の知的鋭敏さの欠如、国民の勇武の精神の衰退といった弊害をもたらしてしまったことを指摘して、生活行政論の締め括りとしています。

 以上のように国の富裕の実現の問題について論じたスミスは、続いて、他国家による侵略から国家を防衛するための軍備について論じています。ここでスミスは、狩猟段階→牧畜段階→農業段階→商業段階という社会発展の歴史を念頭に置きつつ軍備の歴史を概観し、常備軍導入の歴史的必然性(分業=社会的総労働の分割の一環としての必然性)を説く一方、それが国王専制の道具として使われてしまう危険性(また、その点での民兵制の優位)をしっかり直視した上で、その組織のあり方には慎重な配慮が必要だと主張しています。一般論としては、政府が責任を持って募集し、軍人として雇った人たちに対して給与を支払う近代的な常備軍(この対極にあるのが、古代ローマの軍閥です)は、国民の自由に対して脅威となる危険性は少ない、というのがスミスの主張です。

 ここまでで、スミスが「法の四大目的」とした4つの項目、すなわち、正義、生活行政、公収入、軍備についての考察を一通り概観したことになるわけですが、スミスは『法学講義』の最後に(それまでの議論が国家内の関係を対象にしていたのに対して)国家間の関係を律する国際法についての議論が必要になる、と述べて、戦争と平和に関わる国家間のルールについて、@何が戦争の正当な原因か、Aある国家が戦時に他の国家に対して合法的に何をなし得るか、B交戦諸国は中立諸国家に対して何をなすべきか、C諸国家間における外交使節の諸権利は何か、という4つの問題を考察しています。

 このように、スミスの『法学講義』は、身体と財産の安全保障のために成立した国内統治の歴史的発展過程をたどった公法論に始まり、所有権の歴史的な確立過程を論じた私法論を経て、産業の自然的均衡というべきものに沿って社会的総労働が分割されるべきことを論じた生活行政論に至り、そこからさらに、政府の活動に必要な財源を確保するための公収入論(租税論+公債論)、他国家による侵略から国家を防衛するための軍備論が展開され(ここまでひとつの国家の内部に視野を向けた議論)、最後に、諸国家間の関係を律する国際法についての考察によって、全体がしめくくられることになるのです。

(*)岩波文庫版『法学講義』は、justice について、これが法の機能であることを重視して「司法」と訳出していますが、これはもちろん「正義」とも訳しうるものです。また、police は「生活行政」と訳されていますが、これには理由があります。18世紀には現代の私たちがイメージするような警察機構はまだ存在しなかったのであり、police といえば住民の生活条件の確保一般を意味する語だったからです(かのヘーゲルも『法の哲学』においてほぼ同様の内容を含んだものとして Polizei について論じており、中央公論社の世界の名著シリーズでは、これに「福祉行政」という訳語があてられています)。これは、古代ギリシャの「ポリス」に近いイメージだと考えればよいでしょう。スミスはこの police の目的について「商品の安価と公安と清潔」をあげています。

(**)人類社会の歴史を、生活様式にもとづいていくつかの発展段階に区分して把握しようという発想は、このスミスの『法学講義』が学問史上初のものだとされています。これは学問の歴史においてスミスが果たした特筆すべき業績のひとつというべきものです。
posted by kyoto.dialectic at 06:00| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月01日

経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス(6/13)

(6)『道徳感情論』――道徳哲学体系の土台としての共感原理

 本稿は、現代社会の課題に応えうる学問体系の構築に向かっていくことこそアダム・スミスの遺産を現代に活かしていく道である、という問題意識から、『道徳感情論』と『国富論』という二大著作だけにとどまらないスミスの学問的構想の全体像について、描き出すことを試みています。

 前回まで、若き日のスミスが、道徳哲学体系の構築という課題に向かっていく前提として自然哲学史の総括をおこない、科学的認識の成立過程の究明から道徳哲学構築の武器となる科学方法論をつかんだこと、意志をもたない諸物の機械的運動を記述するための自然科学的な方法を、自由意志をもった人間の集合体である社会の領域へと適用していくために自然神学的な考察をおこない、「見えざる手」による客観的法則性の貫徹という発想をつかんだこと、さらに自然哲学と道徳哲学とを媒介するもうひとつの環として生物学に着目し、「外部感覚論」を著したことを確認しました。この「外部感覚論」は、人間がもつ五感覚のうち触覚(自分の外部に何らかのモノが存在していることをハッキリ知覚させてくれる唯一の感覚)こそ根源的な感覚にほかならないという主張を、他の生物における感覚のあり方にも視野を広げながら展開したものでした。このことによってスミスは、ヒュームの懐疑論的な人間観を克服して、人間は他の人間との関係のなかで生きていることをハッキリ自覚している(他人の存在に何らの疑いも抱いていない)ことを明確につかんだのでした。このことこそ、スミスが先輩ヒュームの道徳論を批判的に継承して大きく発展させていくことを可能にしたのです。

 それでは、ヒュームの道徳論とはそもそもどのようなものであり、スミスはそれをどのように発展させたのでしょうか?

 ヒュームは、人間には道徳的な善悪を感じ取る道徳感覚がある、というシャフツベリ(1671〜1713)やハチスン以来の議論を踏襲して、道徳的な善悪は理性によって判断されるようなものではなく、感覚的なものだと主張していました。すなわち、ある人の言動が快を与えればそれは道徳的な善であり、不快(苦)を与えればそれは道徳的な悪である、というわけです。ここで浮上してくるのが、自分自身には直接に快も不快も与えないある人物の言動――ある人物が自分以外の他人にたいして善行をほどこしたり、危害をくわえたりしていること――について道徳的な善悪をどのように感じ取るのか、という問題です。この問題を解決するために、ヒュームは共感(sympathy)の原理を導入しました。他人の感じている快あるいは不快にたいする自分の共感を媒介として、道徳的な善悪を感じ取るのだ、というわけです。しかし、この共感論を展開する上で大きな制約となったのが、人間は知覚の束にすぎない、という捉え方です。ヒュームは、そもそも共感とは何か、共感はどのようにして成立するのか、という説明において、「等しい強さに張られた弦で一本の弦の振動が残りの弦に伝わるように、すべての感情はたやすく一人の人から他の人へと移り、すべての人間に対応する動きを生む」(同、p.196)というような、「情動感染(emotional infection)」論のレベルを大きく超えることができなかったのです。ここで前提となっているのは、ある観念・印象は、それと類似した印象・観念を引き寄せるのだという観念連合・印象連合の説です。人間の心はすべて似かよったものである(人間とは知覚の束にすぎない!)から、ある知覚の束(ある人)から他の知覚の束(他の人)へと印象・観念のもつ引力が作用していくというのが、ヒュームの共感論なのです。

 スミスは、このようなヒュームの共感論を、触覚こそ本源的な感覚であるとの論をふまえて、いいかえれば、人間は他者の存在について明確な自覚をもっているという大前提をふまえて、批判的に継承し発展させていくことになりました。この共感論が展開されたものこそ、スミスのもっとも重要な著作であるといってよい『道徳感情論』にほかなりません。この『道徳感情論』は、次のような文章で開始されています。

「人間というものがどれほど利己的なものだと思われるにしても、なおその本性のなかには、他人のことに関心をもたせずにはおかない何らかの原理があきらかに存在しているのであって、その原理は、他人の幸福について、それを目にすることが快いということ以外に何も得ることがなくても、自分にとってなくてはならないものだと感じさせるのである。」(『道徳感情論』冒頭、筆者訳)


 このようにスミスは、人間の本性を、利己的である(何よりもまず自分のことに関心をもち、自分のことを大切に考える)と同時に、他人のこと(他人の運不運)にも関心をもたずにはおれない、という二重性において把握するところから、『道徳感情論』の全体の議論をスタートさせています。ここで「他人のことに関心をもたせずにはおかない何らかの原理」というものこそ、共感(sympathy)の原理にほかなりません。スミスは、そもそも共感とはどのようなものか、共感はどのようにして成立するのか、という説明において、ヒュームの共感論から長足の進歩を示したのです。端的には、スミスは、共感とは「想像上の立場〔境遇〕の交換」(imaginary change of situation)によって生じるものだ、と喝破したのでした。このことについてスミスは、「いわば相手の身体に入り込んで、ある程度まで同じ人間になりきる(we enter as it were into his body, and become in some measure the same person with him)」と表現しています。この表現から、スミスの共感論が、他人の存在について触覚によってなされる本能的示唆――自分自身と異なる身体(知覚の束ではない!)をもった他人が厳然として存在しているのだという示唆――を大前提とした議論であることを読み取ることができるでしょう。

 スミスは、周囲の人々に関心をもたずにはいられない存在である人間は、他人から共感されることに快さを感じ、共感されないことに不快さを感じる、といいます。私たちは、他人からの共感を獲得することを切望するがゆえに、「他人の目から見て自分はどう見えるのか」を問わずにはいられないのです。しかし、私たちは、自分自身の顔がどんなであるか自分の目で直接に見ることができないのと同じように、自分自身の感情・行為の妥当性を自分自身で直接に見てとることはできません。自分自身の顔を見るためには鏡に反映した映像を媒介にしなければならないのと同じように、自分自身の感情・行為が妥当なものであったかどうかは、それを反映してくれる鏡を媒介にしなければならないのです。そうした鏡になるものこそ、自分の行為を見たまわりの人々の反応にほかなりません。私たちは、自分の行為を受けたまわりの人の反応がどうであったかを媒介してのみ、自分の行為、またその行為を支配した感情が妥当であったかどうか、判断を下していくことができるのです。私たちは、自分の諸々の行為について、まわりの人々の反応があるときは是認を示しまたあるときは否認を示す、といった具体的な経験を数多く積み重ねていくことによって、しだいしだいに、自分の心のなかに客観的に自分自身を見つめる視点を創り出していくことになっていきます。スミスの言葉によれば、この視点をもつ者こそ、胸中の「公平な観察者(impartial spectator)」にほかなりません。この「公平な観察者」は、特定の利害関係や特別の好意あるいは敵意にとらわれることなく、自分自身の行為・感情の妥当性を判断してくれる存在です。私たちは、胸中の「公平な観察者」の視点を借りて自分自身の行動の妥当性を判断するようになります。

 だとすれば、道徳の一般原則(いかなる行為をなすべきで、いかなる行為をなすべきでないかという一般原則)は、けっして生得的な観念などではなくて、私たちが他人の諸々の行為をみてどのように感じるかという経験を積み重ねていくことをつうじて、また、周囲の人々が同じ行為をどのように評価するのかということにかんする経験を積み重ねていくことをつうじて、自分自身の胸中にしだいしだいに形成していくものにほかならない、ということになります。スミスによれば、道徳の一般原則の正体は、胸中の「公平な観察者」から自分自身にたいする命令にほかならないのです。

 それでは、徳(美徳)というものの性質について、スミスはどのように論じていたのでしょうか? スミスの徳論は、大きく二重構造に分けて捉えることができます。すなわち、「公平な観察者」による利己的な諸欲求のコントロールという自己統制(self-command)の徳を大前提として、その大枠のなかでより具体的な徳が展開していく、という二重構造です。この具体的な徳は、自分自身の幸福にかかわる徳と他者の幸福にかかわるか徳に分けられ、後者はさらに、他者を不当に侵害しない徳と他者に積極的に善行を施す徳に分けられます。自分の未来の幸福のために現在の欲求を抑えるというのが慎慮(prudence)の徳であり、他者を不当に侵害しないというのが正義(justice)の徳であり、他者に積極的に善行を施すというのが仁愛(beneficence)の徳です。

 これらの徳のうち、社会の秩序という問題を考えるにあたって直接に大きな問題となってくるのは、自分と他人との関係にかかわる2つの徳、すなわち正義の徳と仁愛の徳なのですが、両者の性格が大きく異なることをスミスは強調しています。仁愛の徳の欠如は、現実に積極的な害悪を及ぼすというわけではありませんから、仁愛の徳を権力によって強制することはできません。これにたいして、正義に反すれば人を傷つけることになりますから、正義の徳は権力によって強制することができます。一方、たんに仁愛が欠けているだけでは何ら処罰に値しませんが、この徳をすすんで実践することは大いに賞賛に値すると考えられます。反対に、正義に違反することは処罰の対象になりますが、正義の規律を遵守する(他人を不当に傷つけない)だけでは何ら賞賛に値しません。それは当たり前のことにすぎず、とくに感謝されるほどのものではないのです。

 あくまでも個人の良心にまかされておいてよい仁愛の徳は(この意味では慎慮の徳も)、具体的な行動の指針となる原則としてみればきわめて漠然としたものでしかなく、その実行にあたっては諸々の条件に影響されて数多くの例外が生じてくることになります。これにたいして、権力によって強制されなければならない正義の徳は、明白で確固としたものであり、基本的に例外を許さないものであるといえます。とはいえ、スミスは、このような自然的正義(natural justice)が実際に法律的な制度として定められ裁判をつうじて運用されていく過程では、少なからず自然的正義からのズレが生じてこざるをえない、といいます。ここから、社会の秩序を規定する正義の原則を首尾一貫した形で確立させようとする営みが生じてくることになります。これこそが、道徳哲学の一部門として位置づけられうる法学にほかなりません。

 このような観点からスミスは、『道徳感情論』の末尾において、「私は別の論考において、法と統治の一般的諸原理について説明に努めるとともに、この一般的諸原理が社会のそれぞれ異なる時代ないし時期に応じてそれぞれこうむることになった種々の大変革について、たんに正義(司法 justice)にかんする事柄にとどまらず、生活行政(police)や公収入、および軍備にかかわる事柄、さらには法の対象となる他のすべての事柄も含めて、説明に努めるつもりでいる」(筆者訳)と宣言することになったのです。このような、スミスによる法学(原語は jurisprudence であり、「法律学」というよりは「法哲学」に近い語感をもっています)の構想については、次回以降に詳しくみていくことにしましょう。

※スミスの徳論の構造は以下のように図示することができるでしょう。

スミス徳論の構造.jpg
posted by kyoto.dialectic at 10:09| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月30日

経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス(5/13)

(5)「外部感覚論」――人間観の生物学的基礎を問う

 前回は、スミスが自然哲学史研究で獲得した科学方法論にのっとって道徳哲学の構築に向かっていこうとした際に不可避的に直面したであろう大問題、すなわち、自然科学的な方法をそのまま社会科学的な研究に適用することができるのか、という大問題にたいして、どのような解決が与えられることになったのか、みてきました。スミスは、道徳哲学講義における第一の部門として位置づけられた自然神学において、社会の客観的法則性は諸個人の自由意志にもとづいた行動の絡み合いをつうじてこそ貫徹されていくものだ、という見方を確立したのではないか、と考えることができるのでした。

 自然哲学史の研究の成果と道徳哲学の構築という課題は、以上のような自然神学的な考察によって、一応は媒介されたということができます。しかし、この媒介は、あくまでも、諸個人の動きを総体としてみれば自然と同様に法則性を見いだすことができる、というレベルの把握にとどまっていたことが注意されなければなりません。そもそも、スミスのおこなった自然哲学史の研究は、あくまでも天文学史を中心としたものであり、そこに若干の古代自然学史と古代論理学史、古代形而上学史がくわわったものでしかありませんでした。このような自然哲学史研究のなかでは、「一般的な法則に支配され、それ自身の保存と繁栄およびそこにいるすべての種の保存と繁栄という一般的な目的を目ざす、完全な機械、まとまった体系」(「古代自然学の歴史による例証」)という自然観(宇宙観)の表明がなされていましたが、このような自然観から社会の客観的な法則性のあり方を類推するというやり方だけでは、諸個人の動きを総体として把握すればどうなるか……ということにしかならず、一人ひとりの具体的な人間がそもそもどのような存在なのか、という問題についての突っ込んだ究明が欠けてしまうことになるのです。

 しかしスミスは、こうした問題への考察を怠っていたわけではありません。スミスは、人間もまた神による創造された自然の一部にほかならない、という見地を堅持しながら、この問題に迫っていこうとしていたように思われるのです。それは具体的にはどういうことだったのでしょうか?

 そのヒントは、スミスが古代自然学史論文において表明した機械的体系としての宇宙という自然観をふまえつつ、前回紹介した『道徳感情論』の以下の文章を読むことで得ることができます。

「自己保存と種の繁栄とは、自然がすべての動物を創造するにあたって意図していた偉大な目的であるように思われる。人間は、こうした目的への欲求と、その反対物への嫌悪――生命への愛と死滅への恐怖、種の存続と繁栄への欲求とその完全な消滅という考えへの嫌悪――を与えられている」(第2部、第1篇、第5章)


 ここでは、すべての種の保存と繁栄という一般目的につらぬかれた自然のなかに、動物の存する領域があり、さらにその動物の一種として人間の存在が位置づけられる、というとらえ方が示されています。つまり、人間もまた動物の一種にほかならないのだから、動物としての一般性をふまえながら、人間としての特殊性をとらえていかなければならない、というとらえ方が示されているわけです。ここから、次のように推測することが可能でしょう。すなわち、スミスは、自然哲学(自然科学)と道徳哲学(社会科学)とを、諸個人の動きを総体として考察することで自然神学的に媒介しようとしていただけでなく、その媒介を、個々の人間の具体的なあり方の究明につながる生物学的な議論によって補強しようとしていたのではないか、ということです。

 実際スミスは、生涯にわたって生物学にたいして強い関心を抱いていたことが知られています。1756年(33歳)のときに『エディンバラ評論』という書評誌に寄稿した文章では、フランスにおける学問の動向に注意を払う必要があると力説するなかで、ビュフォン(植物の形成、動物の発生、胎児の形成、感覚の発達などについて哲学的な推理を行いました)やレオミュール(全6巻からなる大著『昆虫誌』を著しました)らの作品について言及していますし、『道徳感情論』刊行の前後には幼鳥や哺乳動物についてのフィールドワークに取り組んだとされています。また、1773年(50歳)にロンドンの王立協会の会員となってからは、ビュフォン(1740年に王立協会の研究員になっていました)やリンネなど、当時を代表する生物学者たちと親しく交流を重ねました。

 こうした生物学への強い関心が、道徳哲学の基礎となる人間観につながる論考として結実したのが、「哲学的研究を導き指導する諸原理」などとともに遺稿集『哲学論文集』に収録された「外部感覚論」(*)です。この論文でスミスは、人間がもつ5つの感覚(触覚、視覚、聴覚、臭覚、味覚)について、リンネなどによる生物学研究の成果を参照しつつ、他の生物の感覚のあり方にまで視野を広げて検討をおこない、触覚こそがもっとも基礎的で本源的な感覚なのではないか、という主張を展開しています。そもそも触覚は、感覚器官が外側から直接に圧迫されることによる感覚であり、外部の諸物体の存在をもっとも生々しくハッキリと知覚させる(というよりもむしろ、自他の区別は触覚によってしか明確にならない!)ものです(**)。スミスは、鳥類や哺乳類の産まれたばかりの子どもの行動にかんする観察から、ほとんどの動物が、あらゆる観察と経験に先立って、自分の身体の外部に物体が存在しているのだという何らかの概念のようなものを本能的にもっているのではないかと提起し、こうした本能的な示唆を与える感覚は触覚以外には考えられない、と論じています。こうした議論のなかでスミスは、動物のなかで人間だけがこうした本能的知覚(生得的観念)を与えられていないとは考えにくい、と主張するのです。

 少し難しい話になりますが、哲学の歴史の流れをふまえていえば、この論文は、人間の経験を重視するあまり、外部の物体の実在について懐疑的になってしまったイギリス経験論の発想を全く逆転させるものであったといえます。イギリス経験論は、人間の心にはもともと(生まれつき)神の概念や数学の公理などが書き込まれているという大陸合理論(デカルトやライプニッツ)の主張に対抗して、人間の心はもともと白紙であり、経験によって諸々の事柄が書き込まれていくのだ、と主張しました。経験によって確かめられないものの存在は認められない! というわけです。しかし、感覚器官を通じた経験そのものは、あくまでも人間の心のなかの出来事でしかありませんから、経験を重視する立場を徹底していくと、視野がだんだんと心のなかだけに限定されていきます。そうなると、心の外側に物体が本当に存在しているかどうかは確かめようがない、とか、諸々の感覚はもともとバラバラのものでしかなく、それらが結合されるのはもっぱら習慣によるものでしかない、といった主張が出てくることにもなります。これにたいしてスミスは、感覚的な経験のもとになる外部の物体の存在を大前提として復権させることで、諸感覚の必然的な結びつきについて明らかにしようとしたのです。その過程でスミスは、人間の精神はもともと完全な白紙である、というイギリス経験論の大命題について根本的な疑問を提起するに至りました。スミスは、人間を含むあらゆる動物は、外部の諸物体の存在について本能的な知覚を先天的にもっているのであって、それを直接に示唆してくれる触覚の機能の限界(器官が直接に物体に触れない限り働きようがない)を補うために、他の諸々の感覚が成立させられていったのだ、という結論に至ったのです。

 それでは、スミスが触覚の本源性を主張したことは、道徳哲学の構築という課題にとって、どのような意味をもったのでしょうか? 端的には、私たち人間が自分と異なる他人の存在について本能的といってよいレベルで確信を抱いていることを明確に確認した、ということができます。つまり、人間は自分以外の他人の存在を疑ったりすることなく、自分と同じように肉体と精神を備えた他の人間との関係のなかで生きていることをハッキリ自覚しているのだ、というわけです。このようにいうと「何を当たり前のことを!」と思われるかもしれませんが、スミスの先輩であるヒュームが、この当たり前のことを疑うかのような議論を展開していたから問題でした。ヒュームは、確かに存在するといえるのは感覚だけだという立場をとことんまで突き詰めた結果、外部に本当に物体が存在しているかどうかも、また人格の同一性(自分という1人の人間が本当に存在しているということ)すらも、疑わざるをえないところまで追い込まれていたのです。ヒュームによれば「人間とは、思いもつかない速さでつぎつぎと継起し、たえず変化し、動き続けるさまざまな知覚の束あるいは集合にほかならぬ」(ヒューム『人性論』中公クラシックス、p.110)ということになるのです。

 このような人間観では、人間は自分と同じような他の人間との関係のなかで生きていることをハッキリ自覚している、などとはいえません。なにしろ、人格の同一性(自分という1人の人間が本当に存在しているということ)についてすらも、確信をもてなくなっているのですから。このような知覚の束としての人間観では、人間と人間との関係をどのように律するか、という道徳の問題をまともに扱っていくことはできません。これにたいしてスミスは、触覚(自分の外部に何らかのモノが存在していることをハッキリ知覚させてくれる唯一の感覚)中心論によってこうした人間観を克服し、ヒュームを大きく超えるレベルの道徳論を展開していくことになります。このことについては、次回以降、詳しく紹介していくことにしましょう。

(*)「外部感覚論」の執筆時期については諸説ありますが、田中正司『アダム・スミスの認識論管見』(社会評論社、2013年)は、『道徳感情論』の共感論との論理的つながりを根拠に、『道徳感情論』の執筆に先だつ1750年代前半という説を主張しています。スミスの学問的構想の全体像における「外部感覚論」の位置づけという観点からすれば、この説が妥当なものではないかと考えられます。

(**)ここで興味深いのは、スミスが、私たちがテーブルのような単なる物体に手を置いてみる場合と、他人や他の動物の身体に手を置いてみる場合とを区別していることです。私たちは、テーブルが私たちの手による圧迫を感じるなどとは思っていないので、取り立てて配慮してやるべき対象であるとは感じません。これに対して、他人や他の動物であれば我々の身体による圧迫を感じるであろうことを知っているので、それなりの配慮をしてやる必要を感じる(スミスは fellow-feeling という語でこれを表現しています)というのです。このことは「外部感覚論」における触覚論と次回取り上げる『道徳感情論』における共感論とのつながりを示唆するものだといえるでしょう。
posted by kyoto.dialectic at 06:00| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月29日

経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス(4/13)

(4)「自然神学」――自然哲学と道徳哲学はどのように媒介されるか

 前回は、スミスはそもそもどのような問題意識をもって学問への道へと出立したのか、確認しました。恩師ハチスンの道徳哲学講義に決定的な影響を受け、自身も独自の道徳哲学体系の構築を志すようになった青年スミスは、自然科学的な認識の確実性を否定してしまうかのようなヒュームの議論によって大きな不安を抱かされることになります。スミスは、この大きな不安を解消するために、古代ギリシャ以来の自然哲学の歴史的な発展過程をたどり返してみようとしたのであり、その結果として、人間の認識が客観的世界(自然)の法則性を把握していくことは可能であることをつかんだ(確信した)のでした。こうした自然哲学史の研究は、学芸(哲学、文学、詩、修辞など)の哲学的歴史――スミスによる哲学の定義にしたがえば、バラバラな諸現象のすべてをひとつの原理で結合して把握するような歴史のことです――というスミスの学問的構想の一方の大きな柱の発端となるとともに、もう一方の大きな柱である道徳哲学(社会科学)の構築に向けて、確かな武器となる科学方法論(具体的には結合原理という発想)を提供するものになったのでした。

 これ以降、この科学方法論にのっとって道徳哲学(社会科学)を構築していくことが、スミスにとってのひとつの大きな課題となっていくわけです。しかし、ここで不可避的に大きな問題が浮上してくることになります。それは、自然科学的な方法をそのまま社会科学的な研究に適用することができるのか、という問題にほかなりません。自然哲学史の総括をおこなったスミスは、古代ギリシャの自然学について論じるなかで「一般法則に支配され、それ自身の保存と繁栄およびそこにいるすべての種の保存と繁栄という一般目的を目ざす、完全な機械、まとまった体系」という宇宙観を表明していました。確かに、自然を構成する諸々の事物・事象は意志をもたないものであり、その運動は機械的な体系として記述することが可能です。こうした自然にたいして、社会は、それぞれ独自の意志をもって自由に行動する人間の集合体として構成されています。こうした社会について、自然と同じように客観的法則性を見いだすことが可能なのでしょうか?

 これは、古代ギリシャ以来、哲学(および神学)の世界で、決定論と自由意志は両立するのか否か、という問題として議論されてきたものにほかなりません。すなわち、神の意志が森羅万象を統括している、あるいは森羅万象が神によって決定された法則にしたがって動いている(すべては必然である!)とするならば、はたして人間の意志の自由などありえるのか、ということが問題になっていたのです。18世紀のスコットランドのように、人々が固定的な身分制度にしばられていた中世封建的な社会のあり方が崩れて、個々人の自由な活動が社会の大きな変化・発展をもたらすようになってくると、この問題があらためて大きく浮上してくることになります。ニュートン力学の形成によってひとつの頂点に到達した自然哲学(自然科学)と遜色のないレベルで道徳哲学(社会科学)を構築していこうとするならば、人間は自由意志をもっているという経験的な事実と両立するような形で、社会においても客観的な法則性がつらぬかれているのだという大前提を、何としてでも確立しておく必要がでてくるからです。

 社会科学の構築を大きな課題とした18世紀のスコットランド啓蒙思想において、こうした問題の解決を担わされていたものが、自然神学にほかなりませんでした。自然神学とは、簡単にいうならば、自然に内在する法則性を人間理性によって把握することで創造主たる神の叡智を知ろうとする神学であるということができます。スミスに決定的な影響を与えたハチスンの道徳哲学講義も、こうした自然神学を基礎としたものでした。ハチスンは、人間の本性(人間的自然の構造)のうちに神の摂理と自然法の原理を探ろうとしていたのです。

 スミスは1752年(29歳)にグラスゴウ大学の道徳哲学教授に就任し、1763年に退職するまで、学生たちを前に道徳哲学を講義することになります。この道徳哲学講義は、大きく3つの部門、すなわち、自然神学、倫理学、法学の3部門から構成されていたとされています。こうした構成からも、自然神学に道徳哲学全体の基礎理論としての位置づけが与えられていたことはあきらかです。この道徳哲学講義の3部門のうち、倫理学に相当する部分がやがて『道徳感情論』(第1版は1759年)としてまとめられ、法学にかんする部分の一部(生活行政論・公収入論)がのちに『国富論』(第1版は1785年)として結実していくことになりました。また、法学のそれ以外の部分にかんしても、19世紀末以降に発見された学生の講義ノートによって、どのような内容のものであったのか、知ることができます。しかし、スミスは、自然神学にかんしては自身の考えをまとめた著作も論文も遺しませんでしたし、道徳哲学講義のうち自然神学の部門については学生の講義ノートも発見されていません。したがって、スミスが講義した自然神学が具体的にどのような内容のものであったのか、直接的に知る術はないのです。とはいえ、18世紀スコットランドの道徳哲学において、自然神学にどのような役割が担わされていたのかをふまえつつ、スミスの著作において顔をのぞかせている神学的な発想を検討することによって、そのおおよその内容を推測することは不可能ではありません。

 ここでは、スミスの神学的発想が顔をのぞかせている文章として、『道徳感情論』につけられた注について、みてみることにしましょう。ここで、スミスは次のように述べています(なお、以下の引用文において「自然」とされている語は、自然の創造主としての神に置き換えて読まれるべきものです)。

「人間は、社会の繁栄と存続を望むような資質を生まれながらに付与されている。……自己保存と種の繁栄とは、自然がすべての動物を創造するにあたって意図していた偉大な目的であるように思われる。人間は、こうした目的への欲求と、その反対物への嫌悪――生命への愛と死滅への恐怖、種の存続と繁栄への欲求とその完全な消滅という考えへの嫌悪――を与えられている。しかし、我々にこうした目的への強烈な欲求が与えられているとはいえ、こうした目的の実現のために適切な手段を見つけだすことは、我々の理性の緩慢で不確実な決定にゆだねられることはなかった。自然は、本源的で直接的な本能によって、我々をこうした目的の大部分へと方向づけるようにしたのである。飢え、渇き、両性の結合への情熱、快楽への愛、苦痛への恐怖などといったものが、こうした手段をそれ自身のために使用するよう我々を促すのであって、我々は、自然の偉大な支配者が、それらの手段をつうじて仁愛的な目的に向かう傾向を生みだそうとしていたことなど、まったく考えもしないのである。」(『道徳感情論』第2部、第1篇、第5章。筆者訳)


 ここでは、人間は社会の繁栄と存続を望むとはいえ、どのような行為が社会の繁栄と存続という目的につながる手段なのか、理性的に判断しているわけではない、と説かれています。自己保存と種の繁栄につながる諸々の手段(飢えを満たしたり、渇きを癒したり、異性と結びついたり、苦痛から逃れたりするための諸手段)は、本源的で直接的な本能によって、あくまでもそれ自身のために追求されるのであって、それらが社会の繁栄と存続という慈恵的な目的に資するのだ、という理性的な判断を媒介として追求されるわけではないのです。にもかかわらず、自然(=神)は、人間が諸欲求を満たすために追求する諸々の手段をつうじて、社会の繁栄と存続という目的の実現につながるような傾向を生みだそうと意図していたのだ、とスミスは説きます。つまり、個々の人間が利己的な諸欲求を自由に追求していくことこそが、社会の繁栄と存続という結果をもたらすための必然的な契機となるように、自然(=神)はあらかじめ計画しておいたのだ、というわけです。個々の人間は、ただただ利己的な諸欲求を追求している(=自由に行動している)だけでありながら、全体としてみれば、知らず知らずのうちに、社会全体の利益の促進という自然(=神)の意図を実現していくように導かれていくのだ――このような見方が、有名な「見えざる手」の議論へとつながっていくことになります。

「富裕な人々は、貧乏な人々にくらべてほんの少しばかり多く消費するにすぎず、彼らは生来の利己性と貪欲さにもかかわらず、〔中略〕自分たちの改良の成果を貧乏な人々にも分配する。彼らは見えざる手によって、仮に土地がその上に住むすべての人々の間に平等な面積で分割されていた場合になされていたであろうと思われるのとほぼ同様の生活必需品の分配をなすように導かれていくのであって、このようにして何ら意図することなく、また自覚することもなく、社会の利益を促進し、種族繁栄のための手段を供給することになるのである。」(『道徳感情論』第4部、第1章。筆者訳)


 ここでは、「見えざる手」が、富裕な人々による利己的な富の追求行動を、貧しい人々への生活必需品の供給という結果へと導いていくものとして位置づけられています。ちなみに、『国富論』における「見えざる手」は、より確実でより大きな利潤を追求する資本家の利己的行動を、きわめて不安定で一部の人々の利益にしかならない外国貿易への資本投下ではなく、国民全体の富を安定的に増大させる国内産業への資本投下へと導いていくものとして位置づけられています。いずれにせよ、スミスのいわゆる「見えざる手」とは、個々人の意図をこえて、自覚されることなく自然の創造主たる神の意図(社会全体の利益)を実現するように機能するものとして位置づけられているといえるのです。

 以上のようにみてきたことから、スミスは、個々人が利己的な欲求の実現をめざして行動していくことを、神の意図(社会全体の利益)が実現されていくための必然的な契機として位置づけていたのだ、ということが確認できるでしょう。逆からいえば、神の偉大な目的が現実の世界に実現されていくためには、具体的な諸個人の自由な行動を手段とするしかないのだ、という把握があったのだともいえます。端的には、スミスの自然神学とは、神の「見えざる手」という発想を媒介として、社会においても客観的な法則性がつらぬかれているはずだという理論的な前提と、人間は自由な意志をもって行動しているという経験的な事実とを結合しようとするものであったということができるでしょう。

〔補足〕
このような「見えざる手」がきちんと機能することを保障しているのは、個々人の胸中に創られる「公平な観察者」です(「公平な観察者」については本稿の連載第6回で説明します)。『道徳感情論』第3部の第5章において、スミスは、「公平な観察者」の命令が神の戒律と同視されることを肯定的に捉えています。ここから、個々の人間はそれぞれに利己心に突き動かされながらも、神の戒律と同視されうる胸中の「公平な観察者」の命令によってコントロールされるがゆえに、社会全体としては望ましい結果が導かれていくのだ、という社会観を見て取ることができるのです。そもそもスミスは、大きくいえばニュートン以来の理神論の系譜に属していました。理神論とは、神は世界(宇宙)を創造したものの、創造後の世界は神からの介入によらずに自分自身の法則性にしたがって運動・発展していく、という見方にほかなりません。この見方からすれば、世界の運動・発展を規定する法則性は、神が世界の創造に際してプログラムしておいたもの、ということになります(ここから、自然の法則性と神とが同視されていくようになります)。結局のところ、スミスにおいては、創造主たる神は、人間を創造するに際して、「公平な観察者」による利己心のコントロールという形態が創出されていくように、その本性に利己性と共感の原理という二重性(矛盾)を内在させておいたのだ、と考えられていたのです。このことについて詳しくは、本ブログに2013年8月に掲載した「カント歴史哲学へのアダム・スミスの影響を考える」を参照して下さい。

posted by kyoto.dialectic at 06:00| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月28日

経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス(3/13)

(3)「天文学史」――自然哲学史の総括による科学方法論の獲得

 本稿は、現代の課題に応えうる学問体系の構築に向かっていくことこそアダム・スミスの遺産を現代に活かしていく道である、という問題意識から、『道徳感情論』と『国富論』という二大著作だけにとどまらないスミスの学問的構想(哲学体系)の全体像について、描き出すことを試みています。

 今回は、そもそもスミスはどのような問題意識をもって学問への道へと出立したのか、確認しておきましょう。

 アダム・スミスは、1723年6月5日、スコットランド東海岸にある港町カーコーディに生れました。スミスの生れたスコットランドは、もともとイングランドとは別の国だった――ただし1603年にスコットランド国王がイングランド国王を兼ねて以降は、共通の国王の下に別個の議会が存在する「同君連合」を形成していました――のですが、1707年、スコットランド議会がイングランドとの合同条約を批准したことにより、正式にイングランドと合同してひとつの国家を形成することになります。当時のスコットランドは、イングランドと比べるとかなり経済の発展が遅れていました。スコットランド国内をみても、豊かな平地(南部)と貧しい高地(北部)という地域間格差を抱えていました。しかし、イングランドとの合邦を契機に、植民地アメリカとの貿易を含むイングランド市場に全面的に参加する道が拓かれたことによって、スコットランドは急速に経済的な発展をとげていくことになったのでした。一般的にいって、資本主義経済の勃興による繁栄は、自由で進歩的な社会の雰囲気をつくりだしていきます。諸産業の発展によって台頭してきた商工業者層が、旧来の封建的な体制をつくりかえていくための精神的な武器として、「自由」と「理性」とを掲げるようになっていくからです。こうした状況は、スミスが生きた18世紀のスコットランドにも当てはまります。当時のスコットランドにおいては、商業化された社会における人間性や道徳のあり方について考察を深めていった「スコットランド啓蒙」と呼ばれる思想的な流れが存在していたのです。ここでは、富と徳との関係――両者は絶対的に対立するものか、それとも調和させることが可能なものか――という問題が大きく浮上してきていました。

 こうした時代背景のもと、スミスは1737年(14歳)に、スコットランド随一の商業都市グラスゴウのグラスゴウ大学へ入学しました。スミスはここで、道徳哲学教授のフランシス・ハチスン(Francis Hutcheson 1694〜1746)に学ぶことになります。当時の道徳哲学とは、狭い意味での倫理学というようなものではなく、人間論を基礎とした社会科学一般といった内容を含んだものでした。ハチスンの道徳哲学は、自然神学(自然の法則性を人間の理性によって把握することで創造主である神の叡智を知ろうとする神学)を基礎にして、道徳感覚の原理(人間には道徳的な善悪を感じ取る感覚が備わっているという論)によって倫理学と法学とを展開していこうとするものでした。スミスは、このハチスンの道徳哲学講義に決定的な影響を受け、自身も独自の道徳哲学体系の構築を志すようになります。

 その頃、道徳哲学者たちに大きな刺激を与えていたのは、前世紀の17世紀末に確立されたニュートンの力学体系でした。これは、万有引力というひとつの基本的な原理によって、天体の運動から地上の物体の運動まで、自然界の諸々の出来事に見事に筋をとおして説明したものでした。人類の認識の発展史という観点からいえば、自然の個々の現象それぞれを神の意志と直結させてしまうような説明では納得できなくなってきて、感覚的・経験的になじみのある、理解しやすい原理であらゆる現象に筋をとおして統一的に説明できるようにしたい、という強い欲求が芽生えてきたことの現れだともいえるでしょう。さらにいえば、目には何も見えないけれども確かに何らかの法則的な力が普遍的に働いているのだ、ということを確信できるだけの認識のレベルに当時の人類は到達したのであって、そうしたレベルを体現していたのがニュートンにほかならない、といえるかもしれません。ここで重要なのは、このニュートン力学が、当時のスコットランドの道徳哲学者たちに、人間がつくる社会の領域についてもニュートン力学のような体系を打ち立てることが可能なのではないか、という意識をもたらしていたことです。端的には、“道徳哲学のニュートンたらん”というのが、スコットランド啓蒙の道徳哲学者たちの共通の野心であった、ということができるのです。このような野心を若きスミスも抱くようになっていったのでした。

 スミスは、1740年(17歳)前後に、イングランドのオックスフォード大学に留学します。しかし、オックスフォード大学はグラスゴウ大学と比して保守的な傾向と停滞した雰囲気をもっていたためにスミスは幻滅し、しだいに充実した蔵書数を誇る図書館に逃避して、プラトンやアリストテレスなど、古代ギリシャの文献に読み耽るようになっていきました。こうしたなかでスミスは、同郷(スコットランド)の先輩にあたるデイヴィッド・ヒューム(David Hume 1711〜1776)の『人間本性論』(A Treatise of Human Nature 1739)を読むことになったのです。

 ここでヒュームは、因果律(原因と結果のつながり)は世界に客観的に存在するものではなくて、主観的な信念にすぎない、という議論を展開していました。すなわち、人間がある出来事の次に別の出来事が起きるという経験をくり返すなかで、前者を原因と名づけ後者を結果と名づけるようになるだけであり、客観的な世界のなかには2つの出来事のつながりなど発見できない(原因と結果のつながりは人間の心のなか〔主観〕だけにあり、現実の世界〔客観〕には存在しない)、というわけです。こうしたヒュームの議論は、自然科学的な認識の確実性(客観的な世界のあり方を正しく認識できるはず!)に大きな疑問を呈するものにほかなりませんでした。恩師ハチスンの道徳哲学講義に決定的な影響を受け、自身も独自の道徳哲学体系の構築を志すようになっていたスミスにとって、科学的認識の確実性を否定してしまうかのようなヒュームの議論は、大きな不安を抱かせるものであったことは想像に難くありません。

 スミスは、この不安を何とか解消しようとして、古代ギリシャからニュートン力学の形成に至るまで、人類がどのようにして自然にかんする科学的認識を発展させてきたのか、その歴史的な歩みを究明してみようと思い立ったものと推測されます。学問への道を歩みはじめたばかりの青年スミスは、みずからの学問への道を確かなものにするために、自然科学的認識の確実性そのものを検討して確認しておく必要に迫られたわけです。こうした思索が結実したのが、1748年(スミス25歳)前後にまとめられたと考えられる「哲学的研究を導き指導する諸原理」(The Principles which Lead and Direct Philosophical Enquiries)という共通タイトルを冠された3つの論文(「――天文学の歴史による例証」「――古代自然学の歴史による例証」「――古代論理学と古代形而上学の歴史による例証」)です。それでは、これら3つの論文では、どのような論が展開されているのでしょうか?

 これら3論文では、哲学が「自然の結合諸原理の科学」(「天文学の歴史による例証」)、あるいは「世界で生じるさまざまな変化のすべてを結合しようと努力する科学」(「古代論理学と古代形而上学の歴史による例証」)であると定義され、その出発点が驚駭(*)という感情にあることが論じられています。つまり、新奇の現象、あるいは、通常ではありえないような事物・事象のつながりに出会ったときに抱かれることになる「どうしてこんなところにこんなものが!?」という驚きの念こそが、哲学の出発点にほかならないのだ、ということです。

 もう少し詳しくみてみることにしましょう。スミスは、2つの出来事の連続がくり返し観察されるならば、それらは空想(fancy)において結合される(観念連合が形成される)ようになり、一方の観念から他方の観念へと想像力がなめらかに移行するようになる、といいます。しかし、諸現象が習慣的な連関とまったく異なる順序で現れるならば、想像力は先行する現象から後続する現象へ、なめらかに移行することはできません。スミスによれば、哲学とは、こうしたバラバラな諸現象を媒介する「中間的諸事象という結合の鎖」を想定することで想像力のなめらかな移行を可能にし、対象の不可解さから生ずる不安を解消しようと努力するところから生じたものにほかならないのです。まさに「哲学は、想像力に語りかける学芸のひとつ」(「天文学の歴史による例証」)だというわけです。

 スミスは、こうした哲学の性格を確認するために、古代ギリシャ以降、天体現象を統一的に説明するために様々な「体系(system)」が模索されてきたこと、より具体的には、太陽の運動、月の運動、星の運動というバラバラな天体諸現象を統一的に説明するための「中間的諸事象の鎖」が様々に想定されてきたことを論じています。スミスは、天文学の歴史をざっと概観することによって、既存の「体系(system)」では説明できない新奇の現象――例えば、恒星の規則的な運動とは大きく異なる惑星の一見不規則な運動――に直面させられたとき、既知の現象と新奇の現象とを結びつけて統一的に説明できるような新しい結合原理にもとづく新しい「体系(system)」が構築されていくという過程が繰り返されることによって、人間が天体現象についての認識を段々と深めていったことを明らかにしたのでした。

 ようするに、人間は、新奇の現象に出会ったことから生じる不安を鎮めるために、想像力を使って新奇の現象と既知の現象とをつなげて理解できるような何らかの結合原理を創り出そうとするのですが、バラバラな諸現象が人間のアタマのなかで結合原理を媒介にしてつなげられればそれで終わり、ということではありません(この点が、心のなかにおける諸観念の連合を客観的世界のあり方と切り離して論じたヒュームの議論と決定的に異なります)。その結合原理が妥当なものかどうかは、あくまでも現実の諸現象とつき合わせることによって、検証されていかなければならないのです。仮に、また別な新奇の現象が登場することによって既存の結合原理の不充分さが露呈してしまったならば、より確かな結合原理が想定され新しい体系の構築が模索されていくことになります。人類は、このような過程をくり返すことで、客観的世界に存在する法則性についての認識をより確かなものにしてきたわけです。スミスは、以上のような過程的構造を古代ギリシャ以来の自然哲学(**)の発展史からあきらかにすることによって、人間の認識が客観的世界(自然)の法則性を把握していくことは可能であることを主張したのでした。

 このようにスミスは、ヒュームの因果律批判をきっかけにして、ニュートン力学の形成というひとつの頂点にむかって発展してきた自然哲学(天文学)の歴史を深く突っ込んで追究していきました。ここからスミスは、想像による結合原理の想定と事実によるその検証という科学的認識成立の過程的構造を明確につかむことになりました。若き日のスミスが取り組んだ自然哲学史の研究は、学芸(哲学、文学、詩、修辞など)の哲学的歴史――スミスによる哲学の定義にしたがえば、バラバラな諸現象のすべてをひとつの原理で結合して把握するような歴史のことです――というスミスの学問的構想の一方の大きな柱の発端となるとともに、もう一方の大きな柱となる道徳哲学(社会科学)の構築という課題に向けて、確かな武器となる科学方法論(具体的には結合原理という発想)を提供するものとなったのでした。

(*)原語は wonder であり、通常は「驚異」と訳されていますが、ここではスミスが人類の学問的出発点を問おうとしていたことを重視して、「驚駭」としました。

(**)ここでいう自然哲学(natural philosophy)は、自然科学(natural science)とほぼ同じ意味ですが、自然科学という語は19世紀以降に使われるようになるもので、スミスの時代までは自然哲学という語が普通でした。ニュートンの主著『プリンキピア』の正式名称も『自然哲学の数学的諸原理』です。
posted by kyoto.dialectic at 06:00| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月27日

経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス(2/13)

(2)スミスはどのような学問体系をつくろうとしていたのか

 前回は、いわゆる市場原理主義的な資本主義経済のあり方を問い直していこうという気運が高まるなかで、市場における自由競争の効用を説いた“経済学の祖”アダム・スミスの倫理学者としての側面、具体的には『国富論』と並ぶスミスの主著である『道徳感情論』が大きな注目を集めるようになってきていることを紹介しました。同時に、こうしたブーム的な動きにおいては、『道徳感情論』が現代の経済情勢、社会情勢にたいしてどういう意義をもっているのかという角度からの踏み込みが浅く、いささか表面的にすぎる受け止めにとどまってしまっていることについても指摘したのでした。それは端的には、『道徳感情論』の内容をエッセイ的な人生論のレベルで捉えてしまう傾向がなくもない、ということです。しかし、本来ならば、『道徳感情論』における人間論および社会的秩序形成論をしっかりと土台に据えてこその『国富論』なのだ、という把握をふまえ、現代の課題に応えうる学問体系の構築に向かっていくことこそが、スミスの遺産を現代に活かしていく道ではないのか、と提起したのでした。

 同時に、逆からいうならば、現代の課題に応えうる学問体系を構築していくためには、スミスの『道徳感情論』と『国富論』とを一体のものとして捉えていくという作業が絶対に欠かせないのだ、ということが強調されなければなりません。現代においては、社会科学が諸々の領域へと細分化してしまい、社会をまるごと一個のまとまりとして、統一的に把握する視点が失われてしまっています。それだけに、この失われてしまった視点を取り戻すためにも、社会科学の諸領域を未分化なままに内包しているスミスの理論の全体像から学んでいくことが、決定的に重要な意味をもっているのです。

 それでは、そのスミスの理論の全体像とはどのようなものだったのでしょうか? その全体像をつかんでいくためには、どのようにすればよいのでしょうか?

 スミスが生前に出版した著作は、『道徳感情論』(第1版の出版は1759年、スミス36歳のとき)と『国富論』(第1版の出版は1776年、スミス53歳のとき)のわずか2冊だけでした。しかし、これらの著作は、スミスの幅広い視野と深い教養に支えられたものであり、狭い意味での倫理学の書や経済学の書というより、社会科学一般の書といっても過言ではないような内容の豊かさをもっています。スミスは生涯にわたってこれらの著作の改訂をくり返し、彫琢を重ねていったのでした。こうしたことからすると、スミスの理論の全体像をつかむためには、ただこの2つの著作だけを徹底して読み込んでいけばよい、ということになりそうです。
しかし、ここで注目しなければならないのは、死を目前にしたスミスが、友人たちに「これだけしかできなかった」「しかし、もっとやるつもりだったのですよ、私の原稿のなかには、いろいろ利用することのできる材料があるが、今となってはそれも問題になりませんね」という無念の思いを漏らした、と伝えられていることです(*)。ここから、スミスには残念ながら未完に終わったけれども壮大な学問的な構想があり、『道徳感情論』も『国富論』もそのごく一部として位置づけられるものにすぎなかったのではないか、と推測されるのです。

 それでは、未完に終わった壮大な学問的な構想とは、いったいどのようなものだったのでしょうか? そのヒントになる文言が1785年(スミス62歳のとき)、ラ・ロシュフーコーに宛てた手紙のなかにあります。この手紙のなかでスミスは「文学、哲学、詩、修辞(eloquence)などのさまざまな分野すべてにかんする哲学的歴史」および「法と統治の理論と歴史」にかかわる著作を計画していると述べているのです(このうち後者については『道徳感情論』の末尾においても言及されています)。前者は、いわゆる学芸(学問および芸術一般)の歴史について筋のとおった形で把握していこうとするものであり、後者は、社会の歴史について法的な規範という側面に焦点を当てながら把握していこうとするものだということができます。

 ここから、スミスの抱いていた学問的構想について次のようにいうことができるでしょう。すなわち、スミスは、人間どうしが集まってつくりあげている社会と、人間が他の人間とのかかわりのなかでつくりあげていく文化(学問や芸術)について、それぞれの歴史的な発展過程を視野に入れつつ、筋をとおして把握していくことを志していたのではないか、ということです。

 それでは、こうした壮大な学問体系の構想において、『道徳感情論』や『国富論』として結実することなく残された部分について、スミス自身はどのような内容を想定していたのでしょうか? このことについては、スミスの遺稿集『哲学論文集』や、グラスゴウ大学(スミスはグラスゴウ大学の道徳哲学の教授でした)でスミスの講義を受講した学生のノートから、おおよその推測をおこなうことができます。

 まず、遺稿集『哲学論文集』についてみてみましょう。スミスは死の1週間前、遺稿管理人に指定していた2人の親友――ジョセフ・ブラック(二酸化炭素の発見者として知られる化学者)とジェイムズ・ハットン(火成論で知られる地質学者)――のどちらかに依頼して、出版に値すると考えたいくつかの論文をのぞくすべての草稿を焼却処分したといわれています。幸いにして焼却を免れて遺された論文は、スミスの死後、ブラックとハットンの編集によって『哲学論文集』として出版されることになりました。これには、以下の論考が収録されています。

・「哲学的研究を導き指導する諸原理――天文学の歴史による例証」(天文学史)
・「哲学的研究を導き指導する諸原理――古代自然学の歴史による例証」
・「哲学的研究を導き指導する諸原理――古代論理学と古代形而上学の歴史による例証」
・「いわゆる模倣技術〔芸術〕において生じる模倣の性質について」
・「音楽と舞踊と詩との類似性について」
・「イギリスとイタリアの韻文の類似性について」
・「外部感覚について」(外部感覚論)

 このように、『哲学論文集』には、哲学史や芸術論にかかわる論文が多く収録されています。これらは、「文学、哲学、詩、修辞などのさまざまな分野すべてについての哲学的歴史」を準備するための労作であったと推測することができるでしょう。また、「外部感覚論」は、人間の5つの感覚(触覚、視覚、聴覚、味覚、臭覚)について当時の生物学の研究の成果も踏まえて検討したもので、スミスが生物学にも強い関心を抱いていたことがうかがえるものです。

 このほか、グラスゴウ大学での講義について、学生のノートにもとづいて編集・出版されたものとして、以下の2つがあります。

・『法学講義』
・『文学・修辞学講義』

 このうち、『法学講義』には、講義内容が詳細に記録された「Aノート」(1958年発見)と、講義内容が簡潔に整理された「Bノート」(1876年発見)の2種類があります。これは、スミスがやり残した2つの大きな仕事との関連でいえば、いうまでもなく「法と統治の理論と歴史」のほうにかかわるものです。この『法学講義』では、人類社会の発展過程が4つの段階(狩猟→牧畜→農耕→商業)に分けて捉えられ、正義の徳(『道徳感情論』において権力によって強制されうる唯一の徳とされたもの)が確立していく過程が論じられています。注目されるのは、この『法学講義』のなかに『国富論』に相当する内容が生活行政(police)論として含まれていることです。ここから、スミスの学問的構想においては、『国富論』は決して純粋な経済学の本として位置づけられるものではなく、商業社会の段階における社会(市場)と政府のあり方を論じたものとして、あくまでも法学の一部門に位置づけられるべきものであったことを確認することができるのです。

 一方の『文学・修辞学講義』(1958年発見)は、スミスがやり残した2つの大きな仕事との関連でいえば、「文学、哲学、詩、修辞などの種々の分野すべてにかんする哲学的歴史」のほうにかかわるものとみて間違いないでしょう。この講義は、適切な言語表現とはそもそもどのようなものであるのかという問題を究明したものですが、ここでも、聞き手・読み手の共感を獲得するものこそがよい言語表現だ、という観点から、『道徳感情論』で展開された共感の原理が大きな役割を果たすことになります。

 このようにみてくると、『道徳感情論』も『国富論』も、スミスが構想していた壮大な学問体系のごく一部を占めるものにすぎないことはあきらかでしょう。スミスは、人間にかかわるあらゆる問題に関心をもち、天文学や生物学など自然科学の成果にも学びながら、国家社会(法的な規範によって統括された共同体)および文化(学問および芸術一般)のそれぞれについて、歴史的な発展過程を視野に入れつつ体系的に把握することをめざしていたのです。

 そもそも哲学というのは、この世界全体をまるごと対象にして筋をとおして把握しようとする学問を意味するものですが、スミスの抱いていた学問的構想は、この言葉の厳密な意味において、哲学体系といってもよいほどの壮大さをもっていたといえます。『国富論』を著したことにより、一般には“経済学の祖”として知られているスミスですが、決して単なる経済学者として片づけてよい存在ではありません。『道徳感情論』をも含めて、社会科学者として捉えてみたとしても、まだまだ不十分です。アダム・スミスはあくまでも、この世界全体を視野に入れて人間にかかわるあらゆる問題を解こうとした哲学者として評価されなければならない存在なのです。

 それだけに、スミスが遺してくれた『道徳感情論』と『国富論』とを統一的に読み解いていくためには、スミスの哲学体系の全体像についておおよそのイメージをもっておくことが、どうしても必要な前提となってくるでしょう。そうでなければ、利己心の原理を説いた『国富論』を共感の原理を説いた『道徳感情論』で補うのだ、といった程度の把握にとどまってしまうことになりかねません。全く別の原理を説いた2つの著作を統一的に把握するということではなくて、スミスが構築しようとした哲学体系の全体像を念頭に置きつつ、『国富論』も『道徳感情論』も、同じ根っこから伸びてきた2つの幹として、捉えていかなければならないのです。

 本稿では、以上のようなことをふまえつつ、現代の課題に応えうる学問体系の構築に向かっていくことこそスミスの遺産を現代に活かしていく道である、というそもそもの問題意識を念頭におきながら、スミスの哲学体系の全体像について、描き出すことを試みてみることにしましょう。

(*)J・レー『アダム・スミス伝』(大内兵衛、大内節子訳、岩波書店)pp.540-541。
posted by kyoto.dialectic at 06:00| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月26日

経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス(1/13)

(1)『道徳感情論』が注目を集めている

 みなさんは、アダム・スミスという名前を聞いて、どのようなイメージを描くでしょうか? 世間的にもっとも広く通用しているイメージは、『国富論』という経済学の古典の著者であり、市場経済の働きの合理性を主張して経済学という科学を確立した学者、一言でいえば“経済学の祖”というものでしょう。もう少し詳しくいうならば、各個人が自分の利益を追求して自由に行動しても、結局のところ「見えざる手」によって社会全体の利益へと導かれていくのだから、政府は経済活動に恣意的に介入するべきではないと主張したのがアダム・スミスだ、ということになるでしょう。

 アダム・スミスの「見えざる手」という言葉は、現在においては、市場が自動的に最適な資源配分を達成する機能、簡単にいえば市場原理の別名として、広く使われているものです。アダム・スミスといえば、まずこの「見えざる手」という言葉があげられるほどに、アダム・スミスの名前は市場原理と一体のものとして語られてきた歴史があります。とりわけ、1980年代以降、いわゆる新自由主義的な経済政策が全地球規模で推進されていくようになるなかで、さらに市場の機能を否定したソ連・東欧の計画経済が次々と破綻し、中国やベトナムなども市場原理を導入する経済改革を進めていくなかで、スミスは、市場の調整機能の素晴らしさを解明した偉大な経済学者として、あたかも自由な市場経済の守護神であるかのように、大きく持ち上げられていくことになったのでした。

 一方で、新自由主義的な経済政策の推進の果てに世界経済がたどり着いたサブプライム問題やリーマン・ショックが、市場の機能に対する人々の信頼を大きく損ねることになってきたことも見逃すわけにはいきません。個々の経済主体の利己的な行動は、社会全体の利益を増進するどころか、破滅的な結果を招きかねないものなのではないか――このような強い疑念が巻き起こされることにもなってきたのです。

 こうした状況は、アダム・スミスの評価について再検討を迫るものとなりました。『国富論』の著者としてのスミスが市場万能主義の守護神として非難されるようになっていく一方で、こうしたスミス批判の流れに抵抗するような形で、これまで「見えざる手」の論理で利己心を容認した経済学者として一面的に捉えられてきたスミスの、いわば“知られざる側面”として、他者への共感にもとづく道徳の重要性を説いた倫理学者としての側面が強調されていくようになってきたのです。端的には、『国富論』と並ぶスミスのもうひとつの主著というべき『道徳感情論』という本が、世界的に大きな注目を集めるようになってきたのです。

 この日本において、現在の“『道徳感情論』ブーム”とでもいうべき動きをつくる直接のきっかけになったのは、堂目卓生『アダム・スミス――「道徳感情論」と「国富論」の世界』(中公新書)であるといってよいでしょう。これは奇しくも、サブプライム問題の勃発からリーマン・ショックへといたる中間地点ともいうべき2008年3月に出版されたもので、いわゆる市場原理主義的な資本主義経済のあり方を問い直そうという気運に見事ピッタリとはまったものといえます。この本は大きな注目を集め、一般的にはあまり知られていなかったアダム・スミス像を見事に描いたものとして各方面で絶賛され、サントリー学芸賞という権威ある学術賞も受賞しました。わが日本においては、ここから一気に『道徳感情論』への関心が高まることになったといってもよいでしょう。

 2009年6月には、堂目氏の解説を付したスミスの伝記(ジェイムズ・バカン『真説 アダム・スミス その生涯と思想をたどる』日経BP社、翻訳は山岡洋一氏)が出され、2011年12月には、数多くの経済入門書を執筆している木暮太一氏が『いまこそアダム・スミスの話をしよう 目指すべき幸福と道徳と経済学』(マトマ出版)というタイトルの本を出すなど、研究者ではない普通の人々を読者として想定したスミス関連本、それもたんなる経済学者ではなく倫理学者としての側面にも光を当てた本の出版が続きました。『道徳感情論』(原題:The Theory of Moral Sentiments)そのものの邦訳は、長らく米林富男訳(未來社、1969年。タイトルは『道徳情操論』)と水田洋訳(岩波文庫、2003年。もともとは筑摩書房から1973年に出されていたもの)の2種類があるだけでしたが、2013年の6月には講談社学術文庫から高哲男訳が加わり、2014年4月には、日経BPクラシックスより村井章子・北川知子共訳のものが刊行されました。新訳の登場以降も、『アダム・スミス 人間の本質――『道徳感情論』に学ぶよりよい生き方』(小川仁志著、ダイヤモンド社、2014年11月)、『スミス先生の道徳の授業――アダム・スミスが経済学よりも伝えたかったこと』(ラス・ロバーツ著、村井章子訳、日本経済新聞出版社、2016年2月)のように、研究者ではない普通の人々を読者として想定したスミス関連本の出版が続きました。

 それでは、こうしたブーム的な動きのなかでの『道徳感情論』の受け止められ方について、学問的な観点からはどのように評価することができるのでしょうか? 残念ながら、現代の状況において『道徳感情論』がどういう意義をもっているのか、という角度からの踏み込みが浅く、いささか表面的にすぎる受け止めにとどまっているといわざるをえないのです。

 ひとつの例として、“『道徳感情論』ブーム”のきっかけをつくったともいえる堂目卓生『アダム・スミス』(中公新書)をとりあげてみることにしましょう。これは、『道徳感情論』と『国富論』とを統一的に理解するという点で、非常に分かりやすく説かれた良書であることは確かです。筆者も、これから経済学・社会科学を本格的に学んでいこうという若い人たちに、アダム・スミスの思想の全体像をとりあえずつかむために適当な本として、本書を推薦してきました。しかし、本書の結論部分において以下のように説かれていることについては、率直にいって脱力させられてしまいます。

「スミスは、真の幸福は心が平静であることだと信じた。そして、人間が真の幸福を得るためには、それほど多くのものを必要としないと考えた。……多くの人間が陥る本当の不幸は、真の幸福を実現するための手段が手近にあることを忘れ、遠くにある富や地位や名誉に心を奪われ、静座し満足しているべきときに動くことにある。……諸個人の間に配分される幸運と不運は、人間の力の及ぶ事柄ではない。私たちは、受けるに値しない幸運と受けるに値しない不運を受け取るしかない存在なのだ。そうであるならば、私たちは、幸運の中で傲慢になることなく、また不運の中で絶望することなく、自分を平静な状態に引き戻してくれる強さが自分の中にあることを信じて生きていかなければならない。私は、スミスが到達したこのような境地こそ、現代の私たちひとりひとりに遺されたもっとも貴重な財産であると思う。」(堂目卓生『アダム・スミス』中公新書、pp.284〜285)


 読んでもらえればあきらかなように、ここでは、人間の幸福はほどほどの現状に満足しようとする心の平静さにこそあると提示してくれたことこそスミスのもっとも重要な遺産である、とまとめられています。確かにスミスは、『道徳感情論』のある部分において――貧困が不幸をもたらすとはいっても、富や地位や名誉があればあるほど幸福になるとも限らない、ということを指摘する文脈のなかで――そういう趣旨のことを語ってはいますし、こうした考え方そのものは、含蓄に富んだものであるといってよいでしょう。しかし、このような主張こそがアダム・スミスのもっとも貴重な財産だ、という見方は果たして妥当なものといえるのでしょうか?

 心の平静さこそが幸福であるというのは、まさにブッダの悟りの境地のようなもので、学問の歴史上の偉人であるスミスの「もっとも貴重な遺産」が、偉大なる宗教家の遺産とほとんど同じようなものとして語られていることに、率直にいって違和感を覚えずにはいられません。

 本稿でも後ほど詳しく解説しますが、『道徳感情論』は、利己的な存在である人間が他人と協調しながら安定的な社会の秩序をつくっていけるのはなぜなのかという問題を、理論的に徹底的に突き詰めて考察したものであり、『国富論』において、個々の経済主体の自由な行動をつうじて国家社会全体の富裕がどのように実現されていくのか、という問題についての考察を展開していくための確かな土台となったものです。堂目氏は、スミスのこうした思索の流れを一応はたどっているのですが、結論として、スミスの「もっとも貴重な遺産」を、社会の諸問題を解決する指針となる理論を構築しようと苦闘した学者としての側面ではなく、人間にとっての幸福は心の平静さにあるという「境地」に到達した思想家としての側面に見出そうとしてしまうのです。

 こうなると、『道徳感情論』がエッセイ的な人生論のレベルで捉えられてしまうことにもなりかねません。スミスのこういう「境地」をことさらに強調するならば、結局のところ、現代の資本主義経済が陥っている危機を打開していくためには、私たち一人ひとりが富や地位を闇雲に追求しないように心のありようを変えるしかないのだ、という結論にもつながっていくでしょう。しかし、心の平静さが重要であることをいくら力説しても、それだけでは、現在の混迷した資本主義経済の状況を打開していく上で何の力にもなりません。私たちの心のありようは、あくまでも社会的な関係のなかでつくられていくものです。そうであるならば、学問的な観点から何よりもまず問題にするべきなのは、私たちを否応なしに富や地位の獲得をめざした競争へと駆り立ててしまう社会のあり方であるといえるでしょう。偉大なる学者であったアダム・スミスが現代の私たちに残してくれた遺産は、あくまでも、こうした学問的な姿勢の面にこそ、求められるべきものです。よりハッキリといえば、当時の社会が抱えていた諸々の問題を理論的に解決しようと挑んでいったスミスの姿勢に学びながら、私たち自身が、現代の課題に応えられるような学問体系の構築に向かっていくことこそ、スミスの遺産を現代に活かしていく道なのです。
posted by kyoto.dialectic at 06:00| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月25日

掲載予告:経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス(全13回)

 本ブログでは、明日より「経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス」と題した論稿を掲載していくことにします(全13回予定)。本稿は、2013年09月に掲載した「アダム・スミスの哲学体系の全体像を問う」の増補改訂版です。

 サブプライム危機やリーマンショック以降、いわゆる市場原理主義的な経済のあり方への疑問が高まるにつれて、これまで自由な市場経済の守護神であるかのようにいわれてきたアダム・スミスの、いわば“知られざる側面”として、道徳の重要性を説いた倫理学者としての側面が強調されていくようになり、『国富論』と並ぶ主著である『道徳感情論』が大きな注目を集めるようになってきました。『道徳感情論』の相次ぐ新訳の登場は、こうした“『道徳感情論』ブーム”を象徴的に示すものにほかなりません。

 しかし、こうしたブーム的な動きにおいては、『道徳感情論』が現代の経済情勢にたいしてどういう意義をもっているのかという角度からの踏み込みが浅く、いささか表面的にすぎる受け止めにとどまってしまっている(『道徳感情論』の内容をエッセイ的な人生論のレベルで捉えられてしまっている)きらいがあります。しかし、本来ならば、『道徳感情論』における人間論および社会的秩序形成論をしっかりと土台に据えてこその『国富論』なのだ、という把握をふまえ、現代社会の課題に応えうる学問体系の構築に向かっていくことこそが、スミスの遺産を現代に活かしていく道なのです。

 本稿では、このような問題意識にもとづいて、『道徳感情論』と『国富論』という2大著作だけにとどまらないスミスの学問的構想(哲学体系)の全体像について、描き出すことを試みていきます。


 以下、目次(予定)です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス(全13回)

〈目次〉

はじめに
(1)『道徳感情論』が注目を集めている
(2)スミスはどのような学問体系をつくろうとしていたのか

1、道徳哲学体系の前提としての自然哲学
(3)「天文学史」――自然哲学史の総括による科学方法論の獲得
(4)「自然神学」――自然哲学と道徳哲学はどのように媒介されるか
(5)「外部感覚論」――人間観の生物学的基礎を問う

2、社会の諸問題について歴史的な発展過程を視野に入れて解く
(6)『道徳感情論』――道徳哲学体系の土台としての共感原理
(7)『法学講義』――共感の原理を社会の歴史的現実に適用する
(8)『国富論』――社会の完成形態としての商業社会の究明

3、学問・芸術の歴史的発展過程の究明へ
(9)「哲学的研究を導き指導する諸原理」――感情および想像力に着目した学問論
(10)「模倣技術〔芸術〕論」――芸術の価値の源泉を問う
(11)『修辞学・文学講義』――人間と人間とをつなぐ言語への関心

まとめ
(12)スミスは具体的な社会問題を世界全体から解こうとした
(13)哲学的な把握を志向する精神こそスミス最大の遺産である
posted by kyoto.dialectic at 13:40| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月24日

新しい国家資格・公認心理師を問う(5/5)

(5)基盤となる認識論の構築を目指して

 本稿は、この9月に施行された法律によって新しく誕生した国家資格である公認心理師を取り上げ、その概要を紹介し、臨床心理士と比較したうえで、その意義と限界を論じた論考であった。ここで、これまでの流れをまとめてみよう。

 まず、公認心理士の概要を紹介した。国民の心の健康の保持増進に寄与することが、法の目的であると同時に、公認心理師の活動の目的であり、この目的を達成するために、@ 心理に関する支援を要する者の心理状態の観察、その結果の分析、A 心理に関する支援を要する者に対する、その心理に関する相談及び助言、指導その他の援助、B 心理に関する支援を要する者の関係者に対する相談及び助言、指導その他の援助、C 心の健康に関する知識の普及を図るための教育及び情報の提供、という4つの業務を行うこととされていた。このような業務を担うことが可能となるためのカリキュラムとしては、大学で25科目、大学院で10科目の履修が求められていることを見た。この中で、認知心理学や社会心理学、発達心理学など、主だった心理学の領域は全て学ばなければならないし、研究法や統計法、実験に関しての科目も必須となっていることも確認した。また、医療、福祉、教育、司法、産業という、公認心理師が活躍するであろう5領域に関わる科目も、学部、大学院、共に全て修める必要があり、実習も、特に大学院では長時間、課されているということも指摘しておいた。最後に、公認心理士資格試験の実施方法等と合格基準も確認した。すなわち、事例問題の多い150〜200問ほどのマークシート方式であり、合格基準としては正答率が60%程度以上ということであった。その中に、「公認心理師としての基本的姿勢を含めた基本的能力を主題とする問題」というものがあり、これは、間違うと、公認心理師としての基本的能力に欠けていると判断されるような問題であり、たとえば、3問以上間違うと無条件に不合格となる、というような、全体の正答率の基準とは別の、より高い基準が設定されるものと考えられると説いておいた。

 次に、現在存在する心理関係の資格の中で、もっとも著名で、もっとも難易度が高いとされる臨床心理士資格と、公認心理師資格を比較することによって、後者の特徴をさらに浮き彫りにしようと試みた。まず類似点を指摘した。それは業務内容であった。臨床心理士の業務としては、A臨床心理査定、B臨床心理面接、C臨床心理的地域援助、D上記A〜Cに関する調査・研究、の4つが挙げられているが、これは、先に指摘した公認心理師の4業務と、多少の分類の違いはあるとはいえ、ほぼ同じ内容なのであった。次に、両者の相違点を見ていった。臨床心理士は民間の資格であるのに対して、公認心理師は国家資格であるという点、公認心理師になるために必要な科目は、学部でも25科目が必要とされており、その範囲は主な心理学の領域はカバーしているし、研究法や統計法、実験に関するものまで含まれており、実に多種多様な心理学の知識の習得が求められているのに対して、臨床心理士は、何学部かは問われないし、大学院で履修する必要のある科目も、公認心理師と比べると実に限られたものであるという点を指摘した。さらに、臨床心理師養成にあたっては、限られた臨床心理学関係の科目だけでよいのはなぜなのかを考察した。それは、日本の臨床心理士のリーダー的な先生方の間では、臨床心理学とその他の心理学は、全く別の学問であるとの考えが支配的だからであると説いた。すなわち、露骨に極言してしまうと、臨床心理士というのは臨床心理学が専門であって、心理学とはほとんど何の関係もない、だから、認知心理学や発達心理学、社会心理学などは、臨床心理士になるために必ず学ばなければならないということなどは決してなく、まあ、隣接他領域ということで参考程度に学んでもよいもの、というような位置づけになっているのだということであった。

 最後に、以上を踏まえて、公認心理師の意義と限界を考察した。まず、公認心理師の意義としては、何といっても、心理職の国家資格がつくられたこと自体にあると説いた。心理的支援を要する人が増えている現状において、国家資格として、心理職の質の担保が図られることの意味は大きいし、心理師による心理療法が保険点数化される可能性のあることも指摘した。もう一つの意義として、臨床心理士に比べると、非常に幅広く心理学の知見を学ぶ必要があるし、支援する領域についても、主要な5つの領域(医療、教育、福祉、産業、司法)をひととおり学ぶ必要があるという点を挙げた。このため、心理職のレベルアップが期待できることについても触れた。しかし他方で、公認心理師には欠けたるものがあり、限界もあることを説いた。公認心理師に欠けたるものの中で最も重大なのは、人間の心理に関する統一理論=科学的認識論の欠如であった。このため、学部の段階で学ぶ20科目以上は、バラバラなものとして存在しており、そのためにそれぞれを何の関連もないものとして学ばざるを得ないのであった。このため、学ぶ量が増えていき、学んでも学んでも、結局心理とは何なのか、もっと一般的にいうと、人間の認識とは何であるのか、ということが分からないままになり、真に知識を身につけて、それを使いこなして支援することが難しくなる、という弊害が生じてくるのであった。もう一つの問題点として、上達論がない点も指摘した。特に大切なのに等閑視されていることとして、学部の1年生や2年生段階の一般教養の学びを挙げ、実力ある公認心理師になるためには、認識誕生に至るまでの過程を描いた「生命の歴史」の学び、認識の対象たる自然や社会についての自然科学・社会科学の学び、そして、感性的に心を捉えられるようにするための文学作品の学びなどが必要となることを説いた。

 以上をまとめるならば、公認心理師という国家資格の誕生は、その大枠においては非常に意義があるものであるものの、現在の心理学の学問的水準を反映して、その教育内容や教育方法には、大きな課題があるといえるのである。

 初回でも触れたように、そもそも公認心理師が誕生したのは、心理的な支援を必要とする人が増加し、これが国家的な問題となってきたからであった。そして、その支援の質を担保すべく、これまでになかった心理職の国家資格化が実現したのである。このような問題意識は、筆者も共有しており、心理的な問題を何とか解決していかなければならないという思いは同じである。しかし、これまでに見てきたように、公認心理師には、現在の心理学の学問レベルに規定されて、大きな欠陥が存在しているのであり、法律によってその枠組みを作ることができただけであるといえる。

 そこでその枠組みの中身をしっかりと創っていくために、これからの筆者の課題を2、3、述べておきたい。

 まず大前提として、2018年の12月までに実施されることになっている、第1回の公認心理師資格試験に合格することである。本稿では触れなかったが、臨床心理師養成の指定大学院を修了している臨床心理士は、たいていが公認心理師の受験資格を与えられることになっている。したがって、対象の臨床心理士は、この1年ほどの間に、公認心理師試験に出題されるような分野の知識を、しっかり学んでいく(学び直していく)必要がある。筆者としては、認知心理学や社会心理学などの諸々の心理学の領域の知識を、科学的認識論の論理とつなげながら、科学的認識論の論理で整序しながら、修得していくつもりである。

 ここに関わって、実は筆者は、来年度、公認心理師養成に関わる2つの科目を2つの大学で教えることがほぼ決定している。そこで、連載第4回で説いたようなアバウトな上達過程を踏まえて、公認心理師を目指す学生に対して上達の適切な指針を与えつつ、自らの臨床経験を踏まえたうえで、筋を通した講義を実現していきたいと考えている。この講義のための準備も、自らの公認心理師試験の対策勉強と合わせて、半年ほどかけて行っていく予定である。

 そしてこれがもっとも重要な課題であるが、何といっても心理学の統一理論たりうる科学的認識論を、しっかりと構築・再措定していく必要がある。これを欠いては、公認心理師に欠けたるものとして説いた限界を突破することはできない。科学的認識論を構築・再措定するために、三浦つとむや南郷継正などの認識論関係の著作をしっかりと学び直し、学び続けるとともに、自らの心理臨床の実践をしっかりと認識論的に捉えていく修練を継続することが求められるだろう。同時に、自らが措定した、実力ある公認心理師になるためのカリキュラムを、初心に帰って、また0から辿り返してみることも有効であると考えている。その中で、心理学の諸々の知見を、認識とは何かの本質につなげて考えられるように訓練していき、また、自然科学や社会科学もきちんと学び直して、それが人間の認識理解にどのように結びつくのかについても、理解を深めていきたい。さらに、心理職の具体的な心理テストの実施・解釈スキルや面接スキルは、どのように技化していけばいいのかということも、体験的に辿り返して論理化していくことも忘れずに行いたい。

 このような課題をこなしていく中で、現代社会に生じている諸々の心理に関わる問題にも、的確で、一貫した論理で筋をとおして解説し、その解決の指針を提示できるようになっていくことも求められるだろう。心理に関わる問題は、うつ病であろうと認知症であろうと、不登校・ひきこもりの問題であろうといじめの問題であろうと、会社内の人間関係の問題であろうと夫婦間のトラブルであろうと、子どもの発達の問題であろうと育児の問題であろうと、非行や犯罪にかかわる問題であろうと、いかなる問題であっても、認識とは何かの本質論から筋をとおして解明し、きちんとした解決の指針を提示できるような実力を養っていくことが求められる。

 このような実力を養成していき、公認心理師の中身をより充実したものにしていけるようになることを決意して、本稿を終えたいと思う。

(了)

posted by kyoto.dialectic at 06:00| Comment(0) | 新・情況への発言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月23日

新しい国家資格・公認心理師を問う(4/5)

(4)公認心理師の意義と限界

 前回は、公認心理師を臨床心理士と比較して、その類似点と相違点を指摘した。業務内容は似ているものの、その養成の課程において、公認心理師は、臨床心理学以外の心理学の諸々の領域も重視していることが大きく臨床心理士養成と異なっている点であることを説いた。

 さて今回は、前々回と前回の内容を踏まえて、新たに創設された国家資格である公認心理師について、その意義と限界を考察していきたいと思う。

 まず、公認心理師の意義についてである。何といっても、心理職の国家資格がつくられたこと自体に、大きな意義があるといえる。連載第1回で触れたように、時代の大きな流れの中で、心理的支援を必要としている人は、確実に増えてきている。そのような現状において、しっかりと国家が認めた心理職の資格がつくられたということは、心理職の質の担保という意味で、非常に大きな意味があるだろう。たとえば、病院での保険診療として、心理職が行なう認知行動療法が認められる可能性も高まったと考えられる。現在、病院で保険診療として認められている認知行動療法を実施できるのは、医師と看護師のみである。しかし、実際上、認知行動療法を実施しているのは、大半が心理職なのである。それなのに、心理職の認知行動療法が、保険診療として認められていないのは、これまで、心理職には国家資格がなかったこともその一因であると思われる。今回、公認心理師が新設されたことによって、保険診療として、心理職による質の高い認知行動療法が提供できるようになる可能性が増したといえるだろう。

 公認心理師のもう一つの意義は、臨床心理士に比べると、非常に幅広く心理学の知見を学ぶ必要があるし、支援する領域についても、主要な5つの領域(医療、教育、福祉、産業、司法)をひととおり学ぶ必要があるという点が挙げられる。要するに、偏った知識で、部分しか理解していないようなものは、公認心理師にはなれないのである。そのような意味で、公認心理師は、臨床心理士よりもレベルが上がると筆者は見ている。

 このようにいうと、自らのアイデンティティが臨床心理士であるような方から、次のような反論があるかもしれない。すなわち、「現在臨床心理士になるためには、指定の大学院を修了する必要がある。そして、大学院を修了した年に資格試験を受験し、合格すれば翌年から資格を取得できるのであるから、臨床心理士になるためには、学部4年間と大学院2年間、それに修了後の1年を合わせて7年必要である。ところが、公認心理師は、場合によっては学部卒業だけでなれてしまうので、心理職のレベルが下がることが懸念される。その意味で臨床心理士は、心理職の上級資格として、生き続けるだろう」と。

 しかし、このような反論は、事実を正確に捉えていない暴論だといえると思う。前回確認したように、確かに臨床心理士になるためには、大学卒業後、指定の大学院を修了する必要があるのだが、大学に関しては、何学部でもかまわないのである。したがって、この学部の4年間を臨床心理士養成に必要な期間としてカウントするというのは、かなり無理がある。そもそも、現状においては心理学部や心理学科などというのはごく限られており、発表されたような公認心理師になるために必要な20以上の科目を履修している臨床心理士など、ごく少数だといってよい。それに、公認心理師養成も、メインルートは大学院修了までのコースである。大学院のカリキュラムを比較しても、履修科目の幅広さや実習時間の長さからして、むしろ、臨床心理士養成のカリキュラムよりも公認心理師養成のカリキュラムの方が、充実しているといえるくらいである。したがって筆者は、臨床心理士が心理職の上級資格として生き残っていくことはないのではないかと、現時点では考えている。

 公認心理師資格の創設は、以上のような意義があるものの、大きな限界も存在していると考えられる。そこで以下では、公認心理師の限界について考察していきたい。

 まず、公認心理師に欠けたるものの中で、最も重大なものを指摘しておく。それは、人間の心理に関する統一理論がないということである。すなわち、科学的認識論の不在である。これはどういうことか。

 先にも触れたように、公認心理師になるためには、学部の段階で20以上の心理学に関わる科目を履修する必要がある。このこと自体は、心理に関わる一般教養的なものを学ぶという意味では、臨床心理士よりも前進していると筆者は評価している。しかし、人間の心理に関する統一理論=科学的認識論がないために、それぞれの科目がバラバラなものとして存在しており、学生はそれぞれの科目を、ほとんど何の関係もないものとして学ばされることになるのである。これによって、どのようなことが生じるか。

 第一に、学ぶ量が増えていく。それぞれのつながりがよく分からないのであるから、それぞれをバラバラに覚えていくことになる。たとえば、認知心理学で記憶について学び、発達心理学で愛着について学び、社会心理学で印象形成について学ぶ。しかし、これらの間には、ほとんど何の関係もないものとして説かれているので、3つを独立に覚えていくことになるのである。さらに、新しい研究によって新しい知見が蓄積されていくので、どんどんと覚えるべき知識が増えていくのである。

 第二に、学んでも学んでも、結局心理とは何なのか、もっと一般的にいうと、人間の認識とは何であるのか、ということが分からないままなのである。これは、医学生が、心臓、肺、肝臓、腸、皮膚、筋肉、骨、脳、神経などをバラバラに学んでも、結局人間とは何かが分からないのと、論理的には同様である。すなわち、人間の認識のある側面をバラバラに学んだとしても、そもそも認識とは何かという本質を踏まえていなければ、認識についてのトータルな理解が深まっていかないのである。結果、部分部分の知識の寄せ集めに終わってしまい、認識とは何かが分からないままになってしまうのである。

 ここに関連して第三に、真に知識を身につけて、それを使いこなして支援することが難しくなる。バラバラなままの知識では、非常に限定された条件のもとでは活用できるかもしれないが、知識が体系として理解されていないので、実際に使おうとしてもなかなか使えない、ということになってしまう。科学的認識論がないために、心理学のもろもろの知見を、筋を通して理解して使いこなすということができないのである。

 以上のように、公認心理師に統一理論としての科学的認識論が欠けているために、さまざまな弊害が生じてくることが予想されるのである。

 科学的認識論が欠けていることと密接に関わるが、別の問題点として、上達論がないという点も限界の一つとして挙げられる。すなわち、心理職としてきちんと仕事ができるようになるためには、学部の1〜2年生ではどのようなことを身に付け、3〜4年生では何を習得し、大学院の修了時点ではどのようなスキルが身に付いているべきなのか、そしてそれらはどのように訓練すれば可能なのか、といったことに対して、明確な答えが出せないのである。このようなことに答えを出すためには、まず、学ぶべきものがもう少し論理的に整序されている必要があり、そのためにこそ、先ほど説いたような科学的な認識論が必要なのである。

 公認心理師のカリキュラムについては、以前筆者が、「心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想(5/5)」の中で、アバウトに提示したことがあった。それを以下に引用する。

「以上を踏まえて、もし筆者が公認心理師のカリキュラムを作るとしたら、どのようなものになるのか、アバウトではあっても考えて提示してみたい。

 まず、学部の1年生2年生の間は、専門の学びに突入する前の一般教養の学びを重視する。心理士は人間の認識を扱う職種であるから、人間の認識を理解することがその専門性となるべきではあるが、その前提をまずは学ばせるのである。この前提には二重構造があると思う。一つは、人間の認識に至る歴史性の学びである。人間の認識は、初めからあったものでもなければ、何の必然性もなく突然生じたものでもない。物質の生成・変化・発展の流れの中で、必然性をもって誕生してきたものである。この物質の発展の必然性を、すなわち「生命の歴史」を、しっかり学ばせることである。「過程も含めて全体である」(ヘーゲル)のだから、認識が誕生するに至った過程をしっかり理解しておかないと、認識そのものの理解が不十分なものとなってしまうと考えられる。もう一つの前提は、自然と社会の学びである。認識とは外界の反映によって成立するものであり、その外界は自然的外界と社会的外界の二つであるから、認識を理解するためにはそれら自然的・社会的外界のことをしっかりと理解しておく必要があるのである。これらと並行して、時代の心、社会の心、人の心を描いた文学作品をたくさん読ませるようにする。

 学部の3年生4年生では、認識論の基礎をしっかり身につけられるようにする。具体的には、認識学原論として、そもそも認識とは何か、どのように生成発展していくのか、ということをきちんと学ばせる。認識の正常な(健康な)生成発展の過程を、観念的二重化や問いかけ的反映という基本的な論理でもって筋を通して把握できるようにしていくのである。それに合わせて、科学的認識論で整序した(臨床)心理学や精神医学の文化遺産をしっかりと学ばせるようにする。その際、しっかりと事実から論理を導き出せるような頭脳創りも行っていく。卒業研究は、統計学の基礎をしっかりと理解し、使いこなせるようになることを目的とし、内容のオリジナリティにはそれほどこだわる必要がないだろう。『統計学という名の魔法の杖 ― 看護のための弁証法的統計学入門』(現代社)によって、統計学の発展の歴史を学ぶとともに、t検定を徹底的に技化できればそれで十分だといえる。

 大学院の修士課程の2年間は、心理臨床の技を創出する教育課程と位置づければいいであろう。心理検査の具体的な実施・解釈技法や心理面接の諸技法を、認識とは何かからしっかりと筋を通して学び、先生方の陪席を通して、あるいはロールプレイや事例検討を通して、徹底的に訓練する期間とすればいいであろう。気分障害や不安障害など、心理的介入が特に効果的と思われる精神疾患については、精神疾患の認識論的な理解に基づいた介入方法を、これまた認識論的にしっかりと筋を通して理解していくことも求められる。また、医療、教育、産業、司法、福祉領域など、心理士が活動する領域を一般的に押さえたあと、自分の志望する領域の特殊性について、ある程度の専門知識の学びと専門的な技能の訓練を行う必要もあるだろう。修士論文は、しっかりとした研究方法に則った、それなりにオリジナリティのある論文が求められよう。」


 これについては、現時点でも付け加えるものはない。このように科学的認識論を柱として、段階的に知識や技を習得していけるように、適切に配列されなければならないだろう。

 この中で特に大切なのに等閑視されているのは、学部の1年生や2年生段階の一般教養の学びであろう。すなわち、認識誕生に至るまでの過程を描いた「生命の歴史」の学び、認識の対象たる自然や社会についての自然科学・社会科学の学び、そして、感性的に心を捉えられるようにするための文学作品の学びである。このようなものは、発表された公認心理師養成のカリキュラムでも大きく欠けているところであるから、きちんとした実力を養成したい学生は、特に念頭に置いて学びを進めていく必要があるといえるだろう。

 以上今回は、公認心理師の意義と限界について考察した。

posted by kyoto.dialectic at 06:00| Comment(0) | 新・情況への発言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月22日

新しい国家資格・公認心理師を問う(3/5)

(3)臨床心理士との比較

 前回は、公認心理師の概要を紹介した。すなわち、4つの業務内容を紹介し、大学および大学院で履修しなければならない科目を確認して、資格試験についても概説したのであった。

 今回は、公認心理師を、従来からある資格である臨床心理士と比較して、その特徴をさらに明確にしていきたいと思う。臨床心理士を比較対象として取り上げるのは、現在存在する心理関係の資格の中で、最も難易度が高く、それゆえ、最も専門性が高いといわれているのが臨床心理士であり、筆者自身の臨床心理士であるため、他の資格よりも臨床心理士資格について詳しいからである。

 まず、両者の類似点から指摘しておきたい。似ている点はずばり、業務内容である。日本臨床心理士資格認定協会のホームページでは、臨床心理士について、次のように説明されている。

「臨床心理士は、心の問題に取り組む“心理専門職”の証となる資格です。

「臨床心理士」とは、臨床心理学にもとづく知識や技術を用いて、人間の“こころ”の問題にアプローチする“心の専門家”です。」


 そのうえで、臨床心理士の専門業務として、次の4つが挙げられている。

A臨床心理査定
B臨床心理面接
C臨床心理的地域援助
D上記A〜Cに関する調査・研究


 念のために、公認心理師の業務として前回紹介したものを再掲しておく。

@ 心理に関する支援を要する者の心理状態の観察、その結果の分析
A 心理に関する支援を要する者に対する、その心理に関する相談及び助言、指導その他の援助
B 心理に関する支援を要する者の関係者に対する相談及び助言、指導その他の援助
C 心の健康に関する知識の普及を図るための教育及び情報の提供


 見比べてみると明らかであるが、臨床心理士業務のAとBは、公認心理師の業務@とAと全くといっていいほど同じである。Aと@が心理アセスメントであり、BとAが心理的介入である。

 臨床心理士業務のCは、公認心理師業務のBとCを合わせたものに近いであろう。というのは、Cの説明として、「専門的に特定の個人を対象とするだけでなく、地域住民や学校、職場に所属する人々(コミュニティ)の心の健康や地域住民の被害の支援活動を行うことも臨床心理士の専門性を活かした重要な専門行為です。これらのコンサルテーション活動は……」と書かれているからである。すなわち、Cには不特定多数を対象にした働きかけ(公認心理師業務のCに相当)やコンサルテーション(公認心理師業務のBに相当)が含まれているのである。

 臨床心理士業務のDは、調査や研究である。これは、あえて分類すると、公認心理師業務のCに含まれるといえる。なぜなら、Dの調査や研究は、いってみれば心の健康に関する知識の獲得を目指すものであり、こうした調査や研究の結果は広く社会に向けて公表され、その知識は普及を図っていくことが求められるからである。

 このように見てくると、分類の仕方に若干の違いがあるものの、臨床心理士と公認心理師は、ほぼ同じような業務に携わるのだ、ということが分かる。

 では、両者の相違点はどこにあるのだろうか。まず、決定的に重要な違いとして、臨床心理士は民間の資格であるのに対して、公認心理師は国家資格である、という点がある。これまで、心理職には国家資格がなかったため、たとえばスクールカウンセラーの採用や病院の心理職の採用などにあっては、臨床心理士であることが要件とされるケースが多かった。しかし、同じような業務に携わる国家資格が誕生してしまったら、学校や公的な機関はもちろん、民間の病院などでも、臨床心理士であるか否かは問題とされずに、国家資格たる公認心理師であることを採用の条件とするようになっていくと考えられる。国が認めた資格というのは、それほど威力やインパクトが大きいといえるのではないか。

 また、それぞれを養成するカリキュラムに着目するならば、そこには大きな違いがあることが分かる。公認心理師になるために必要な科目については、前回紹介したが、学部でも25科目が必要とされており、その範囲は主な心理学の領域はカバーしているし、研究法や統計法、実験に関するものまで含まれており、実に多種多様な心理学の知識の習得が求められていたのであった。加えて大学院でも、5つの領域における理論と支援の展開をもれなく学ぶ必要があるし、450時間以上の実習もクリアーする必要があるのであった。

 これに対して臨床心理士はどうか。臨床心理士になるためには、臨床心理士資格認定協会が指定する大学院を修了する必要があるのだが、実は、大学の学部で何を学んでいたかは全く問われないのである。筆者のように学部時代は哲学を専攻していてもかまわないし、極論すれば、理系の工学部などを卒業していても、全く問題ないのである。事実、筆者の知人の臨床心理士には、学部時代は理系だったという方もおられる。それゆえ、大学さえ卒業していれば、臨床心理士になるためには2年間、指定の大学院で学べばいいということになるのである。

 大学院の2年間で履修する必要のある科目も、公認心理師と比べると実に限られたものである。必修の科目としては、臨床心理学特論、臨床心理面接特論、臨床心理査定演習、臨床心理基礎実習、臨床心理実習という5つがあるだけで、あとは5つのグループからそれぞれ一つ以上の科目を履修すればいいのである。場合によっては、心理学研究法も心理統計法も、履修しなくても修了できる。もっと極端な例を出せば、発達心理学も認知心理学も、社会心理学も、そして精神医学すらも、必ず学ばなければならないというわけではないのである。もちろん、前回列挙したように、これらは公認心理師になるためには、全て必修である。

 なぜ、臨床心理士の養成はこのようになっているのであろうか。それは、日本の臨床心理士のリーダー的な先生方の間では、臨床心理学とその他の心理学は、全く別の学問であるとの考えが支配的だからである。これは特に、河合隼雄の影響を受けている京都大学系の臨床心理士には、根強い考え方であると思われる。ふつうに考えれば、認知心理学や発達心理学、社会心理学や臨床心理学など、諸々の心理学の領域があり、それぞれは特殊性を持ちながらも、心理学としての普遍性に貫かれているはずである。別言するならば、心理学とは、認知心理学や発達心理学、社会心理学や臨床心理学などをひっくるめた総称だと考えるのが普通である。ところが、臨床心理士の中には、そのように考えるのではなく、臨床心理学を、心理学とは別の、独立した一つの学問領域だと考える人が多いのである。もちろん、それは、そのような教育を受けてきたからである。

 このことを示す、一つの典型例を紹介しよう。以下の書物のタイトルに注目していただきたい。

上里一郎編『臨床心理学と心理学を学ぶ人のための心理学基礎事典』(至文堂)

 臨床心理学と心理学が、並列に並べられているのである。これはたとえば、『精神医学と医学を学ぶ人のための医学基礎事典』などといっているのと同様の、論理的な混乱に思える。「精神医学と医学」とあるが、医学の中には精神医学も入っているのであるから、この2つを同レベルで並べるのはおかしい、というのが普通の人の反応であろう。これと同様に、「臨床心理学と心理学」というように、この2つを同じレベルで並べるのはおかしいと感じるのが普通の感覚であろう。ところが、上述のとおり、この編者の先生や臨床心理士の典型的な教育を受けた人は、臨床心理学は、心理学とは全く別の、独立した学問領域だと固く信じているため、臨床心理学と心理学を同じレベルで並べることに、違和感がないのである。これは、たとえば、社会学と心理学を同じレベルで並べることと同じだと考えているのである。

 このような考え方が支配的だからこそ、臨床心理士養成のカリキュラムにあっては、心理学が軽視されているのである。すなわち、露骨に極言してしまうと、臨床心理士というのは臨床心理学が専門であって、心理学とはほとんど何の関係もない、だから、認知心理学や発達心理学、社会心理学などは、臨床心理士になるために必ず学ばなければならないということなどは決してなく、まあ、隣接他領域ということで参考程度に学んでもよいもの、というような位置づけになっているのだと考えられるのである。

 以上のようなカリキュラムの他にも、公認心理師と臨床心理士には違いがある。それは、臨床心理士養成の大学院では、基本的には臨床心理学に関する修士論文を書かなければならないが、公認心理師養成の大学院では、現在までの情報では、修士論文を書くことは課されていないという点である。これは、臨床心理士のほうが、調査や研究を重視していることの反映であろう。また、資格試験に関しても若干の違いがある。臨床心理士の資格試験には、マークシートのテストだけではなく、論述試験があり、これらの1次試験に合格したものは、2次試験である面接試験に進むことになる。ところが、公認心理師の資格試験には、論述試験も面接試験もないのである。さらに、臨床心理士資格には、5年に一回の更新制度があるが、公認心理師資格には、現在のところ、そのような更新制度はないという違いもある。

 以上、今回は、公認心理師を臨床心理士と比較して、その類似点と相違点を指摘した。
posted by kyoto.dialectic at 06:00| Comment(0) | 新・情況への発言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月21日

新しい国家資格・公認心理師を問う(2/5)

(2)公認心理師の概要

 本稿は、新しく誕生する国家資格である公認心理師について、その歴史的な意義や限界を問うことを目的としている。

 今回は、公認心理師法や公認心理師のカリキュラム等検討会の報告書をもとに、公認心理師というのはどのような資格であるのか、その概要を紹介する。

 公認心理師法では、その目的として、「公認心理師の資格を定めて、その業務の適正を図り、もって国民の心の健康の保持増進に寄与することを目的とする」と書かれている。すなわち、国民の心の健康の保持増進に寄与することが、法の目的であると同時に、公認心理師の活動の目的であると考えてよいだろう。この目的の達成のために、「保健医療、福祉、教育その他の分野において、心理学に関する専門的知識及び技術をもって」、次の4つの行為を行うものが公認心理師であるとされている。

@ 心理に関する支援を要する者の心理状態の観察、その結果の分析
A 心理に関する支援を要する者に対する、その心理に関する相談及び助言、指導その他の援助
B 心理に関する支援を要する者の関係者に対する相談及び助言、指導その他の援助
C 心の健康に関する知識の普及を図るための教育及び情報の提供


 順に、もう少し詳しく説明したい。

 @はいわゆる心理査定とか心理アセスメントとか呼ばれるものであり、典型的には、心理テストを実施して、その結果を解釈するような作業のことである。たとえば、知能検査を実施して、対象者の知的な能力の偏り(得意なところと不得意なところ)を分析したり、パーソナリティ検査を行って、対象者の性格傾向を把握したりすることである。精神疾患のある方が対象である場合は、その疾患の重症度を測ったりもする。もちろん、心理テストを用いずに、あるいは心理検査と合わせて、対象者の行動を観察したり、本人から話を伺ったりすることによって、その心理状態を分析することもある。いずれにせよ、@では、対象者の心の状態がどのようなものかを専門的に調べて、分析・評価する仕事だといえるだろう。

 Aはカウンセリングや心理療法のことである。広く、心理的介入ということもある。たとえば、うつ病の方に認知行動療法を実施して、症状の緩和や回復を図っていくことや、不登校の中学生にカウンセリングを行い、登校できるように援助していくことなどである。もちろん個別に、1対1でカウンセリングや心理療法を行なうだけではなく、集団に対して心理的介入を行うこともある。うつ病の入院患者さんに対して、病棟のプログラムとして集団認知行動療法を行なうことや、刑務所で、出所後、きちんと就職できるように、就労に関するスキルを訓練するためにSSTを実施することも、ここに含まれるだろう。また、Cとの区別が微妙になるが、企業の新入職員を対象に、メンタルヘルスの研修を行うようなことも、広く解釈すれば、Aに入れてもいいだろう。

 Bは本人ではなく、その関係者に対する働きかけである。たとえば、うつ病患者さんのご家族に接し方のアドバイスをしたり、発達障害のあるの会社員の上司に、その特性をお伝えしたりする活動である。また、コンサルテーションといって、異なる専門家同士の相談もここに含まれる。企業の産業保健スタッフ(産業医や保健師など)と、休職中の方の復職時期やその後のサポートについて相談したり、教育の専門家である学校の先生と、対象の生徒について支援のあり方を相談したりする活動などである。コンサルテーションにおいては、心理の専門家として、その他の専門家と連携していくことが求められる。

 Cは、メンタルヘルスに関わる市民講座や各種メディアを通した情報提供などが想定されていると考えられる。@〜Bが、特定の対象者やその関係者に限られた活動であるのに対して、このCは、不特定多数を対象とした活動といえるだろう。公認心理師の「国民の心の健康の保持増進に寄与する」ためには、@〜Bにあるような「心理に関する支援を要する者」に対して、事後的に介入するだけではなく、現在は心理的な支援を必要としない不特定多数に対しても、事前に、予防的に関わっていく必要がある。そこで、講演会や雑誌、テレビなどのメディアを通じて、心の健康に関する知識を普及していくという活動も、公認心理師の仕事の一つだとされているのだと考えられる。

 このような4つの仕事を行うのが公認心理師であるとされているのである。そして、大学や大学院での公認心理師養成は、この4つの仕事が行えるように教育していく、ということになる。そこで次に、公認心理師養成の中身について、具体的に見ていきたい。

 今年の6月に公表された「公認心理師カリキュラム等検討会 報告書」では、公認心理師の養成について、以下の24の到達目標が挙げられている。

1. 公認心理師としての職責の自覚
2. 問題解決能力と生涯学習
3. 多職種連携・地域連携
4. 心理学・臨床心理学の全体像
5. 心理学における研究
6. 心理学に関する実験
7. 知覚及び認知
8. 学習及び言語
9. 感情及び人格
10. 脳・神経の働き
11. 社会及び集団に関する心理学
12. 発達
13. 障害者(児)の心理学
14. 心理状態の観察及び結果の分析
15. 心理に関する支援(相談、助言、指導その他の援助)
16. 健康・医療に関する心理学
17. 福祉に関する心理学
18. 教育に関する心理学
19. 司法・犯罪に関する心理学
20. 産業・組織に関する心理学
21. 人体の構造と機能及び疾病
22. 精神疾患とその治療
23. 各分野の関係法規
24. その他


 そして、これらの到達目標を達成するために、大学および大学院で必要な科目として、それぞれ次のような科目が指定されている。

大学における必要な科目
1. 公認心理師の職責
2. 心理学概論
3. 臨床心理学概論
4. 心理学研究法
5. 心理学統計法
6. 心理学実験
7. 知覚・認知心理学
8. 学習・言語心理学
9. 感情・人格心理学
10. 神経・生理心理学
11. 社会・集団・家族心理学
12. 発達心理学
13. 障害者(児)心理学
14. 心理的アセスメント
15. 心理学的支援法
16. 健康・医療心理学
17. 福祉心理学
18. 教育・学校心理学
19. 司法・犯罪心理学
20. 産業・組織心理学
21. 人体の構造と機能及び疾病
22. 精神疾患とその治療
23. 関係行政論
24. 心理演習
25. 心理実習(80時間以上)


大学院における必要な科目
1. 保健医療分野に関する理論と支援の展開
2. 福祉分野に関する理論と支援の展開
3. 教育分野に関する理論と支援の展開
4. 司法・犯罪分野に関する理論と支援の展開
5. 産業・労働分野に関する理論と支援の展開
6. 心理的アセスメントに関する理論と実践
7. 心理支援に関する理論と実践
8. 家族関係・集団・地域社会おける心理支援に関する理論と実践
9. 心の健康教育に関する理論と実践
10. 心理実践実習(450時間以上)

 見ていただければ分かるように、認知心理学や社会心理学、発達心理学など、主だった心理学の領域は全て学ばなければならないし、研究法や統計法、実験に関しての科目も必須となっている。また、医療、福祉、教育、司法、産業という、公認心理師が活躍するであろう5領域に関わる科目も、学部、大学院、共に全て修める必要がある。さらに、実習も、特に大学院では長時間、課されている。

 大学と大学院で、上記の科目を履修した者が、公認心理師試験の受験資格を得る。実は、大学院まで修了しなくても、受験資格を得られるルートは存在するのであるが、大学と大学院でこのような科目を修めることがメインルートとされている。

 では、公認心理師試験はどのようなものであるのか。実施方法等と合格基準について、先の報告書では次のように記されている。

「2.試験の実施方法等
 全問マークシート方式とし、1日間で実施可能な範囲(実施時間として合計300分程度を上限)で150〜200問程度を出題する。また、試験問題のうち、ケース問題を可能な限り多く出題する。なお、試験の実施時間は、1問当たり1分(ケース問題については同3分)を目安とする。公認心理師としての基本的姿勢を含めた基本的能力を主題とする問題と、それ以外の問題を設ける。
 障害のある受験者については、回答方法等、受験上の配慮をする。

3.合格基準
 全体の正答率は60%程度以上を基準とする。基本的能力を主題とする問題の正答率は、試験の実施状況を踏まえ、将来的に基準となる正答率を定める。」


 すなわち、事例問題の多い150〜200問ほどのマークシート方式であり、合格基準としては正答率が60%程度以上ということである。「公認心理師としての基本的姿勢を含めた基本的能力を主題とする問題」というのは、これを間違うと、公認心理師としての基本的能力に欠けていると判断されるような問題であり、たとえば、3問以上間違うと無条件に不合格となる、というような、全体の正答率の基準とは別の、より高い基準が設定されるものと考えられる。

 このような試験に合格すれば、晴れて公認心理師となれるのである。なお、第一回の資格試験は、2018年12月までに実施されることになっている。

posted by kyoto.dialectic at 06:00| Comment(0) | 新・情況への発言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月20日

新しい国家資格・公認心理師を問う(1/5)

目次

(1)公認心理師法が施行された
(2)公認心理師の概要
(3)臨床心理士との比較
(4)公認心理師の意義と限界
(5)基盤となる認識論の構築を目指して

――――――――――――――――――――

(1)公認心理師法が施行された

 2015年12月に改正労働安全衛生法が施行された。この法律に基づき、従業員の心の健康状態を調べる検査を企業などに義務づけたストレスチェック制度が始まった。このストレスチェック制度の背景には、うつ病など精神疾患の発症による労災申請の増加がある。このストレスチェック制度に関して、最近、以下のような新聞記事があった。

「ストレスチェック実施82%、厚労省調べ、義務化後も徹底されず、医師の指導は32%。

 厚生労働省は26日、企業などに従業員の心の健康状態の点検を義務づけた「ストレスチェック制度」の実施状況を初めて公表した。実施率は82・9%にとどまり、実施したうえで部署による違いなどの分析までしたのは64・9%だった。同省は未実施の事業所を指導するほか、従業員が受け終わっている事業所には職場環境の改善につなげるよう促す。

 同制度は従業員のメンタルの不調を防ぐことを目的に2015年12月に開始。従業員50人以上の事業所は年1回、ストレスチェックを実施し、結果を受けて従業員から申し出があれば医師による面接指導などを行わなければならない。

 厚労省は今年6月末時点での状況をまとめた。全体の実施率は82・9%で、業種別では金融・広告業が93・2%で最も高かった。全事業所の従業員のうち、78・0%が同時点までにストレスチェックを受けた。

 医師による面接指導は32・7%の事業所が行っていた。高ストレスの従業員がいなかったことで面接をしなかった事業所もあるとみられるが、厚労省は面接指導が必要なのに受けていない従業員も多いとみている。

 ストレスチェック制度では、結果を踏まえて部署による多い・少ないなどストレスの現状を分析し、仕事の割り振りなども含む職場環境の改善に取り組むことを事業所の努力義務としている。しかし、チェックを実施した事業所のうち分析までしたのは78・3%で、同省によると、2割超は従業員にチェックを受けさせるだけで終わっている可能性が高い。

 一方、厚労省の研究班は15年度の同制度開始後最初の1年間の状況を分析した。それによると、チェック実施後に何らかの職場環境の改善をしていたのは37・0%にとどまった。

 研究班の代表を務める東京大大学院の川上憲人教授は「従業員への調査結果を見ると、ストレスチェックを受け、さらに職場環境の改善を経験した場合にストレスがやや軽減されている」と指摘。「制度の実効性を高めるためにも企業に対策を促していくことが重要だ」と強調する。研究班は今年度、職場環境の改善方法や医師の面接指導に関するマニュアルをつくる計画だ。」(2017年07月27日 日本経済新聞)


 この記事によると、ストレスチェックを実施した事業所は全体の82.9%であり、高ストレス者に対する医師による面接指導を行ったのはわずかに32.7%にすぎず、何らかの職場環境の改善を行ったのも37.0%にとどまっているという。労働者の心の健康を守るために施行された法律が、形式的なものにとどまっている現状がうかがえる。

 筆者も企業においてカウンセリングを行っているが、労働者の心の健康は、さまざまな形で害されているといってよい。長時間労働が当たり前の職場もあれば、質の高い業務を課される部署もある。パワハラや、そこまでいかなくても、上司との関係に悩んでいる方も多い。このような要因によってストレスを感じ、ついにはうつ病を発症して休職に追い込まれるような方も増えているのである。

 メンタルヘルス上の問題は、何も労働者に限定されたものではない。学校現場では、子どもの自殺が問題化している。内閣府が2015年に公表した自殺対策白書によると、1972〜2013年の42年間で18歳以下の自殺者数を日別に調べたところ、9月1日が突出して多かったという。9月1日前後の数日も自殺者数が多く、ゴールデンウィークや春休みの前後も多い傾向があると報告されている。このような中で、次のような取り組みが報道されていた。

「夏休み明け 悩み相談を 「応援委」カード 全小中生に配布へ

 【愛知県】名古屋市教委は新学期に入る九月一日、子どもの悩みに応じる「なごや子ども応援委員会」をPRするカードを全小中学生らに配布する。夏休み明け直後の悩みの顕在化が懸念される中、未然に問題を防ぎたい考えだ。

 応援委は中学校に常駐するスクールカウンセラー(SC)らが、不登校やいじめなどに対応する市独自の制度。二〇一四年に発足した。

 カードは名刺サイズの両面カラー刷りで、小中学生と教職員用の計十七万五千枚を作製した。「こころのこと、からだのこと、おうちのこと、なんでも相談してね!」などと呼び掛け、地域ごとの専用電話番号も記載している。

 全国的には夏休み明けの子どもの自殺が問題になっており、市教委の担当者は「二学期は学校行事が多く、気の重い状態となっている子もいる。不登校などになる前に気軽に相談してほしい」と話している。(安田功)」(2017年8月31日 中日新聞)


 ここでは、夏休み明けに不登校や自殺などの問題が生じないように、中学校のスクールカウンセラーが相談に応じることを周知するカードを配布しているということが紹介されている。

 筆者はスクールカウンセラーとして、週に1回、活動している。その中で、不登校に関する問題は非常に多い。中には、うつ病や統合失調症などの精神疾患を発症しているケースもある。また、思春期特有の発達上の課題で悩んでいる生徒も多い。

 このように、現代日本においては、メンタルヘルス(心の健康)に関わる問題が、さまざまな領域で、多様な形で噴出しているのである。そして、国家レベルでメンタルヘルス対策がなされており、その一環として新しい国家資格が誕生することになった。それが、本稿で取り上げる公認心理師である。

 公認心理師の資格を法定する公認心理師法は、2015年9月に成立し、公布された。そして、公布の日から2年を超えない範囲内において施行されることとされていたのであり、実際、この9月15日に施行された。この法案には、法律案を提出する理由として、次のように記されている。

「近時の国民が抱える心の健康の問題等をめぐる状況に鑑み、心理に関する支援を要する者等の心理に関する相談、援助等の業務に従事する者の資質の向上及びその業務の適正を図るため、公認心理師の資格を定める必要がある。これが、この法律案を提出する理由である。」


 ここに記されているとおり、国民が抱える心の健康に関する問題が多様化し深刻化する中で、心理職に対する社会的ニーズが高まり、その質の担保が求められるようになったために、心理職の国家資格化が実現したといってよい。

 そこで本稿では、この新しい国家資格である公認心理師について、その意義と限界を問うことを目的としている。そのために、まずは公認心理師とはどのような資格であるかを紹介したい。そして、現在最も知名度があり、最も取得が難しいとされている心理系の資格である臨床心理士と比較して、その特徴を浮上させたい。これを踏まえた上で、公認心理師の意義と限界を考察していく予定である。
posted by kyoto.dialectic at 06:00| Comment(0) | 新・情況への発言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月19日

障害児の子育ての1年間を振り返る(5/5)

(5)教育学の構築は歴史的な願いを現実化するものである

 本稿は、ダウン症と診断されたわが子の1年間の育児を振り返るものである。ここでこれまでの内容を振り返っておこう。

 まず、抱っこしながらの散歩とその意味について確認した。これを始めたきっかけは、松田道雄『育児の百科』で勧められていたからであるが、それは実体面と認識面の両面で大きな意義があるものだということだった。実体面に関しては、さらに生理的な側面と運動的な側面の2つがあり、生理的な側面で言えば、外界の自然的な変化に対応する実力をつけるという意味があるということだった。一方、運動的な側面で言えば、首から背中・腰にかけての骨や筋肉を鍛えるという意味があり、とりわけ縦抱きにされることによって、そういう姿勢の状態に慣れていくということ、このことが首すわりやお座りにつながっていくのだということだった。一方、認識面でいえば、抱っこをすることによって、これまでとは違った形で外界を反映させることになり、赤ちゃんの認識の発展を促していくことになるということであった。さらに散歩の場合、その反映する外界そのものが家の中に比べれば多種多様であるから、赤ちゃんの興味・関心を促し、外界に対して積極的な姿勢を創ることになるということだった。このような意味のある抱っこしながらの散歩を毎日続けたからこそ、それが量質転化したのではないかということだった。

 続いて、「ハイハイを促すために行った働きかけ」について紹介した。最初にハイハイの意味について確認した。ハイハイをすることによって上肢を鍛えることができるのであり、またハイハイができるようになる過程(=自らの体を移動させようとするけれど移動できない、移動させようとするけれど移動できない、を繰り返し、ようやく移動できるようになる過程)が人間としての脳の実力をすさまじくつけることになるのだということであった。そこで、成長の頃合いを見計らって、ハイハイができるように意図的に働きかけたのだった。そもそも人間は像を描いて行動するのであり、ハイハイにしても「あのおもちゃをとりたい」などの像を描いて行うわけだから、その像をしっかり描けるようにしないといけないということだった。そこで、移動できなくても、取るために頑張っているようだったら、ちょっとおもちゃを近づけてとれるようにしてやったのだった。こうやって「がんばったらとれた」という体験を積ませることで、「何とかがんばって動こう」という意志が強烈になるのではないかと考えたのだった。一方、ハイハイがしやすいように、つるつるの板を買ってきて滑りやすくするとともに、傾斜をつけて移動しやすくなる工夫をしたのだった。その結果、あっという間に自分でずりばいができるようになったのだった。

 最後に、障害をもつ子どもの親として、自分の認識がどのように変化していったのかを紹介した。自分の子どもがダウン症であることがわかったとき、大きなショックを受けたが、『障害児教育の方法論を問う』を読んで、自分の子どもも健常児と同じように可能性をもっているのであり、育て方次第でしっかりと育っていくのだと思うことができたのだった。しかし、最初の頃はかなり気負いこんでおり、あまり気持ちに余裕がなかった。しかし、1つ、また1つと子どもの成長を感じるたびに、その気持ちが少しずつ和らいでいき、「しっかり成長するんだな」と少し安心することができた。しかし、このような成長はいわば自然成長的なものとしか見られなかった。自分が意図的にやっている取り組みが、どのように影響を与えているのかはよくわからなかった。そのため、「本当にこれでいいのだろうか」という不安を覚えることもあった。しかし、理論的な実践として「ハイハイを促すための働きかけ」を行ったところ、子どもがハイハイをできるようになったことをきっかけに、子育てに関して自信をもつことができたのだった。10か月検診の際、もう普通のハイハイやつかまり立ちをしたり、手を離して歩くこともできている子どもがいたが、そういう姿を見て、「すごいな」とは思ったけれども、まだずりばいがちょっとできるぐらいでしかない自分の子どもについて卑屈に考えることは一切なかったのだった。そこには自分の子どももあるべき発達の過程をしっかり辿っているし、辿らせているという自信があったからだということだった。

 この1年間を振り返ったとき、もっとも大きな学びになったことは「すべての人間は可能性をもっている」ということである。このような内容は南郷学派の著作には書かれているし、これまでにも学んでいたけれども、これがいかに重要な論理なのかということがまったくわかっていなかった。本の上での知識でしかなかったのである。しかし、障害のあるわが子を育てなければならないという切実な問題にぶつかったとき、この論理のすばらしさに気づいたのである。

 もっとも子育てを始めた当初は、まだまだ信じるしかないというレベルだった。しかし、自らの取り組みによって子どもが大きく成長する姿を見せてくれる中で、この論理が自らの体験をともなったものとして、五感情像として発展していった。

 こうした認識でもって過去の偉大な教育学者の著作を読んでみると、やはりみな人間のもつ力・教育のもつ力を信じて実践に取り組んでいたのだということがわかった。「この子は育たないだろう」と思われる子どもたちに対して、信念をもって実践に取り組んでいったのである。教育学の歴史というのは、人間の力・教育の力のすさまじさが明らかにされていった歴史なのだということも読みとることができた(詳細は昨年掲載した「近代教育学の成立過程を概観する」を参照していただきたい)。その延長線上に、今の自分の子育てがあるのだということがわかった。

 しかし、いかに「人間には可能性がある」といったところで、それを現実化させるものが存在しなければ、結局は徒労に終わってしまうし、仮に成果が出たとしても一過性・偶然性にすぎないものとなってしまう。そこで求められるのが対象から導き出した論理であり、理論なのである。これをしっかりと自分のものにすれば、対象についての見え方が大きく変わってくるし、どうすればよいかの方向性が見えてくるということが自らの体験として非常によくわかった。

 この理論を体系的にまとめあげたものこそ教育学である。教育学の構築こそ私が掲げている人生の目標であるが、これを実現することは、「すべての子がその可能性を実現していってほしい」という先達たちの理想を具体化しようとするものなのである。人類が抱き続けてきた願いの実現につながる歴史的な大事業なのである。

 このようなことがわかったのは、障害をもって生まれてきたわが子のおかげである。本当に感謝している。家庭での子育てや教室での授業など、自分の実践の場で一人一人の可能性を最大限現実化させようと努力するとともに、そうした事実をもとに教育学を構築できるよう、研鑽に励んでいきたいと思う。
posted by kyoto.dialectic at 06:35| Comment(1) | 教育学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月18日

障害児の子育ての1年間を振り返る(4/5)

(4)子育ての過程での親の認識の変化

 前回は、ハイハイを促すために行った働きかけについて紹介した。端的にまとめるならば、赤ちゃんがハイハイしやすい環境を作りだすとともに、ハイハイしようという意志が形成されるように、成功体験を積ませるように配慮したということであった。その結果、ずりばいをするようになり、現在では4mぐらいは移動できるようになったということだった。

 今回は、こうした取り組みの中で、親である私自身の認識がどのように変化していったのかについて紹介したい。

 冒頭で紹介したように、自分の子どもがダウン症であることがわかったとき、大きなショックを受けた。自分の子どもに障害があるとわかったとき、おそらく多くの親が同じような感覚をもつことだろうと思う。場合によっては、育児放棄や自暴自棄につながったりすることもあるだろう。

 私は幸いにも『障害児教育の方法論を問う』を読んで、自分の子どもも健常児と同じように可能性をもっているのであり、育て方次第でしっかりと育っていくのだと思うことができた。自分の子どもとしっかりと向き合っていこうという覚悟をもつことができた。

 今、「覚悟」という言葉を使ったけれども、最初の頃はかなり気負いこんでいたところがあった。「自分がしっかりしなければ、この子は育たないのだ」という思いが強かった。だからこそ散歩も毎日行うことになったのだが、あまり気持ちに余裕がなかった。

 しかし、1つ、また1つと子どもの成長を感じるたびに、その気持ちが少しずつ和らいでいった。例えば、2か月のときには、次のような記録を書いている。

(2か月と1週)
 最近、足の力や手を握る力がだいぶんついてきた。だっこをしているとき、足で蹴られたりするが、これが結構痛い。また、手で腕の肉などをつかまれたりすると、つねられたように痛い。首の力も少しずつついてきている。うつむせをさせていると、自分の首をだいぶん持ち上げられるようになってきた。地面から顔を浮かせて、顔の向きを変えることもできる。 

(2か月と2週)
 だいぶん体力がついてきた。そのことを感じるのは、授乳後の様子である。1か月の頃はおっぱいを飲んだ後はとてもぐったりして、そのまま寝てしまっていた。ところが、今は、確かにぐったりもするものの、そのまま寝ないことが多い。おっぱいを飲むというのは赤ちゃんにとって重労働のようだが、それに耐えうるだけの体力が身についてきたということであろう。飲んだ後のげっぷもよく出るようになってきた。また、最近だっこしていると、体を前に起こしてくる(腹筋してくるような感じ)ようになった。


 こうした小さな変化を見るたびに、「あぁ、ちゃんと成長しているんだな」と嬉しくなったし、安心することができた。

 しかし、このような成長はいわば自然成長的なものとしか見られなかった。自分が意図的にやっている取り組みが、どのように影響を与えているのかはよくわからなかった。そのため、「本当にこれでいいのだろうか」という不安を覚えることもあった。

 こうした不安が一挙に解消されたのが、前回紹介した「ハイハイを促すための働きかけ」である。人間は目的像を描いて行動する。ハイハイでいえば、おもちゃをとるという像を描くからこそ、それを実現しようとしてハイハイという行動をとるのである。しかし、ハイハイはすぐにはできない。ハイハイしようとがんばり続ける中で、一歩が出るようになるのである。そのがんばりを維持させるものは、「がんばったらおもちゃが取れた」という過去の成功体験であり、錯覚でよいからそれを与えることが必要になる。こうした論理に基づいて実践をしたわけだが、それによって見事にハイハイができるようになったわけである。

 この体験は、私にとってとてつもなく大きな自信となった。「あぁ、このようにして論理を使っていけばいいのか」ということがわかった。ここから普段の育児記録の量が一気に増えた。現実の目の前の子どもの姿と南郷学派の著作に書かれていることとが自分の中で次々とつながっていったのである。その内容をどんどん書き留めていった結果、約3か月で9万字にもなった。

 その時の自分の思いを次のように書いている。

 離乳食をなかなか食べなくて大変だなと思うこともあるけれども、子育て全般に関してはあまり不安がない。親の愛情を注ぐこと、自然に触れさせること、系統発生を辿らせること、食事をちゃんとすること、生活リズムを整えること、この5つぐらいがわかっていれば大丈夫だろうという感覚がある。何か問題が起こったとしても、この観点からその問題を説くことができるという自信もあるし、むしろ起こってくれた方がいろいろわかっていいなという思いすらある。


 この5つの観点の妥当性はともかく、これだけの自信をもつことができたということである。

 10か月検診の際、いろいろな親子と一緒の部屋で測定や診察を待つことになった。健常児の場合、10か月というと、もう普通のハイハイやつかまり立ちができている。子どもによってはもう手を離して歩くこともできている。そういう姿を見て、「すごいな」とは思ったけれども、まだずりばいがちょっとできるぐらいでしかない自分の子どもについて卑屈に考えることは一切なかった。自分の子どももあるべき発達の過程をしっかり辿っているし、辿らせているという自信があったからである。

 このように、当初は自分の子どもの可能性を信じるものの、気持ちに余裕がなかった状態であったが、理論的な実践によって結果を出すことができると、大きく自信をつけることができ、子育てに関して大きな不安を抱かないようになり、気持ちとしても余裕をもつことができるようになったのである。
posted by kyoto.dialectic at 05:57| Comment(0) | 教育学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月17日

障害児の子育ての1年間を振り返る(3/5)

(3)ハイハイを促すための働きかけとその意味

 前回は、抱っこしながらの散歩について取り上げた。それを毎日行う意味について、実体面と認識面の2つに分けて確認した。今回は、ハイハイ(ずりばい)を促すために行った働きかけについて紹介したいと思う。

 そもそもハイハイをする意義について確認しておこう。ハイハイについては、世間では様々な見解がある。ハイハイをしないままつかまり立ちをするようになってもよいという見解もある。そうした見解に対して、瀬江先生は次のように批判しておられる。

「『なぜそこまでハイハイにこだわるのですか。人間の基本的運動形態は、二足で立って、歩き、両手を自由に使うことなのですから、ハイハイしなくても、立てるようになればいいのではないですか』と思うかもしれません。
 しかし、残念ながらそれは誤りです。なぜならば、ハイハイという過程を経ないで歩くようになると、人間としては、大きな欠陥をはらんだままの発達をしてしまうからです。それは、いったい何でしょうか。これには大きく二つあります。
 一つは、一番大事な時期に、前腕から上腕そして肩にかけての上肢の力がつかないままに、歩いてしまうことになるということです。(中略)唯一、上肢を力強く鍛える過程であるハイハイを経ないで歩行へと進んでしまうことは、人間としての運動形態に、大きな欠陥をはらんでしまうことになるのです。
 次に、ハイハイを経ないままに歩いてしまうことの欠陥の二つ目は、一つ目よりもさらに重大なことです。それは何かといえば、ハイハイによる赤ん坊の脳の発達の可能性を、欠落させてしまうということです。
 なぜならば、自らの力で動くことがまったくできずに生まれてきた赤ん坊が、地球の重力に逆らって、自らの体を移動させようとするけれど移動できない、移動させようとするけれど移動できない、を繰り返し、ようやく移動できるようになる過程は、人間としての脳の実力をすさまじくつけることになるからです。」(瀬江千史「看護の生理学(45)−運動器官第10回−」『綜合看護』(2013年1号)所収)


 つまり、ハイハイをすることによって上肢を鍛えることができるのであり、またハイハイができるようになる過程(=自らの体を移動させようとするけれど移動できない、移動させようとするけれど移動できない、を繰り返し、ようやく移動できるようになる過程)が人間としての脳の実力をすさまじくつけることになるのだということである。

 こうしたことを学んでいたので、とにかくハイハイはしっかりとさせたいと考えていた。およそ7か月の頃には、うつぶせになって、目の前にあるおもちゃに手を伸ばす姿が見られるようになったので、ハイハイを促すための働きかけを行うことにした。

 上の瀬江先生の論文では10か月検診でまだハイハイができない子どもの事例が取り上げられており、母親に生活状況をたずねてみると「自らハイハイしなくてもよい環境があった」として、次のように書かれていた。

「例えば、母親が見えなくなって泣けば、すぐに同居の祖母がとんできて抱っこをする、近くにあるオモチャを取りたくて泣けば、すぐに母親や祖母が取ってくれる・・・ということで、自ら大変なハイハイをしなくても、泣くだけで自分の目的が達成されてしまう状況にあった、ということです。」


 これを読んで、「なるほど、近くにおもちゃを置いて、多少泣いても放っておくのが大事なんだな」と思い、実践することにした。やってみると、叫び声をあげたり、必死で手を伸ばしたり、足で床を蹴っておしりを上げたりするが、進むことはできず、泣きじゃくる姿が見られた。

 その様子を見ていて、何か取り組みとして間違っているのではないかという思いを抱くようになった。もう無理だなと思ったときに「よくがんばったね。次もがんばろうね」とか言いながら抱っこしてなぐさめるのだが、何となく「これではだめなのではないか」という思いがあった。泣いた状態で終わるというのが、あまりいいとは思えなかったのである。

 そこで、我々の研究会の指導者に相談することにした。すると、ずりばいができるためには、土台としての実力が必要だと説いていただいた。例えば、おもちゃがとれなくて叫び声を上げたりするのだが、これは要するに頭の中で思い描いている像(=おもちゃをとって遊んでいる像)と現実を一致させられないことに対する苛立ちの表現として見ることができる、そういう像を描けることがずりばいを行うための土台として必要になる、ということであった。そうやって像が先行して、その像を実現させようとする過程で実体の力がついていくのだと説いていただいた。

 さらに具体的な取り組みとして、最後にはおもちゃをとれるようにしてやることが大事だということであった。そうすることで(錯覚ではあるものの)「がんばったらおもちゃがとれた」という成功体験をさせることになり、「次もがんばろう」という認識を育てることになるのだ、ということであった。

 これを聞いたとき、とても納得することができた。とりわけ最後には取れるようにすることが大事だという話は、自分が感じていた疑問を見事に解消するものであった。それ以後、必死でとろうとがんばる姿を見せたら、頃合いを見計らっておもちゃを子どもの方に寄せて、取れるようにしてやった。そして、「おもちゃに届いたね〜、よくがんばったね〜」などと言いながら、抱っこしたりするようにした。

 これを2週間ほど続け、取ろうとする意欲が高まっていることは感じられた。例えば、おもちゃを触ろうと必死で手を伸ばすあまり、ごろんと体ごと回転してしまうこともあった。しかし、なかなかずりばいができるようにはならなかった。

 私の家では床にカーペットをひいているのだが、カーペットは摩擦が強いから進みにくいのだろうと思った。これがつるつるの板で、しかも傾斜がついていれば、ずりばいができるようになるのではないかと考えた。

 さっそくホームセンターで木材(パネコート)900mm×1800mmを購入し、700mm×1600mmにカットしてもらった。また、端材で700mm×100mmを6つ作ってもらい、傾斜をつけるための土台とした。こうすれば、土台の板を1つずつ外せば、少しずつ傾斜が緩やかになる。

image.jpeg

この上に乗せて、少し距離のあるところにオモチャをおいたところ、すぐさまずりばいができた。両手を広げて地面につき、腕の力で体を前に引き寄せたり、足で蹴って体を前に推し進めたりしながら、そのオモチャに向かって移動する姿が見られたのである。

 当初は近い距離におもちゃを置かないとずりばいをしなかった。そこで、近づいて少し遊んでは、また少し離れたところにおもちゃを置き、そこに近づいて少し遊んでは、また離れたところにおもちゃを置き・・・ということを繰り返して、板の端から端までずりばいをさせるようにした。これをやっているうちに、最初から板の端におもちゃをおいても、そこに向かってずりばいをするようになった。ずりばいを繰り返す中で、それだけの距離を移動できるだけの実体の実力と、「あそこまでならいける」という認識が形成されたのだと言えるだろう。

 その後は傾斜を緩やかにしていき、やがて普通のフローリングでもずりばいができるようになった。さらに、しばらくすると、最初はできなかった摩擦の強いカーペットの上でもずりばいができるようになった。

 この段階ではちょっと移動しては止まり、ちょっと移動しては止まり・・・という状態だったが、現在は休みなくあちこちに移動していくし、促せば4mぐらいずりばいができるようになっている。こちらの働きかけ次第で大きく成長するのだということを実感した出来事であった。
posted by kyoto.dialectic at 06:00| Comment(1) | 教育学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月16日

障害児の子育ての1年間を振り返る(2/5)

(2)抱っこしながらの散歩とその意味

 本稿は、ダウン症と診断されたわが子の1年間の育児を振り返るものである。今回は、その育児の中で行っていた「抱っこしながらの散歩」について取り上げたいと思う。

 里帰り出産であったため、出産後の2か月ほどは一緒にいなかったのだが、家に戻ってきてからはほとんど欠かすことなく毎日行っていたことが抱っこしながらの散歩である。朝6時頃から子どもを抱っこして、近くを2、30分散歩した。さらに、仕事から戻った夕方にも同じように散歩をした。休日は昼間にも行うようにした。つまり多い時で合計3回、1時間半ほど散歩するようにした。

 直接的なきっかけは、松田道雄『育児の百科』の「赤ちゃんをきたえよう」の項目で、くどいほど「外気に当てろ」と書かれていたことである。例えば、以下のとおりである。

「3か月をすぎた赤ちゃんは、1日のうち3時間くらい外気にあてたい。気候のいいときであれば、ベビーカーにねかせて、外気のなかにだしておいてもいいが、やはり、抱いて散歩する時間がほしい。3か月になると、赤ちゃんは、いろいろのものに関心をもつようになり、自分で頭をうごかして左右をながめる。抱かれていれば、胴体をしゃんと直立させようとする。よろこべば腕もうごかす。だから、赤ちゃんにとっては散歩はいい運動である。
 極寒でも、つよい風のない日は手足や耳を十分に保護して、あたたかい時刻をえらんで、せめて20〜30分でも外気にあてたい。冷たい空気を呼吸することが、気道の粘膜をきたえる。夏の暑いときは、日陰をえらんで外にだす。帽子を必ずかぶせる。春や秋でも、3か月では、まだあまり太陽で皮膚をやかないほうがいい。」(pp.197-199)

「4か月すぎると、赤ちゃんは首もしっかりし、支えればすわってもいられるから、抱っこしたり、ベビーカーに乗せたりして、家の外につれてでやすくなる。赤ちゃん自身も、周囲のものにたいする関心がふえるので、外へ出ることをよろこぶ。からだをきたえるチャンスがめぐってきたといえる。できれば1日に3時間以上、外気のなかで暮らすようにしたい。」(p.225)

「5か月から6か月までは(中略)鍛錬開始期とでもいいたいくらいだ。厳寒の季節をのぞいて、せいぜい外気のなかで生活させてほしい。」(pp.251-252)

「6か月すぎた赤ちゃんは、1日のうち3時間以上は外気のなかですごすようにしたい。ベビーカーにすわらせているだけでなく、安全なところでおろして、おすわりさせたり、はいはいさせたりできるといちばんいい。(中略)外で外気浴のできないときは、家のなかで空気浴をやる。室温を20度ぐらいにしておければ、赤ちゃんをはだかにできる。」(p.297)


 とりわけ抱っこしながらの散歩がよいということだったので、散歩をすることにした。最初は、ずっと斉藤公子が推奨しているやり方(赤ちゃんと向かい合わせになり、赤ちゃんの股を自分のおなかにくっつけて、片手でおへその裏側、もう片方の手で頭をもつという方法)で抱っこをしながら散歩をしていた(今振り返ると、かなりリスクの高い散歩の仕方だったと思う)。途中でとまって、じーっと目を見つめて、ほほえみかけたりした。生後2か月と1週のときの記録では「最近、だっこしているときに目が合うようになってきた。じーっと笑顔で見つめ続けると、ほほの筋肉が少し上がるようにもなった。先日ははっきりと笑う姿が見られた。」と書いている。12月からは、縦抱きにして抱っこするようにした。最近は、抱っこひもを使って縦抱きにするようにしている

 抱っこしながらの散歩にはどのような意味があるのか。『育児の認識学』では、「そもそも人間は実体と認識の統一体であり、それだけに、この両面をきちんととらえて教育していかなければならない」(p.26)と書かれている。したがって、散歩の意味についても、実体面と認識面の両面から見ていく必要があるだろう。

 第一に実体面に関してだが、これも生理的な側面と運動的な側面の2つがある。生理的な側面で言えば、外界に対応する実力をつけるということである。家の中はある程度過ごしやすい温度に保たれているが、外は暑かったり寒かったりする。また日差し・明るさに関しても、家の中ではほぼ一定であるが、外ではその時々によって変化する。このような外界の自然的な変化に対応できるようにするという意味がある。

 運動的な側面で言えば、首から背中・腰にかけての骨や筋肉を鍛えるという意味がある。ここに関わっては、『総合看護』に連載されていた「看護の生理学」で瀬江先生が次のように説いている。

「人間の赤ん坊は、首が座るということも、放っておいて自然にできるようになるわけではありません。ではどのような育て方をすると、赤ん坊の首が座ってくるのかというと、最も大事なことは『抱く』ということです。つまり人間の母親が赤ん坊を抱くということは、単なるスキンシップのためだけではなく、人間としての運動形態の基本をつくっていくことになるのであり、当然その抱き方が問題とされなければなりません。
 では、赤ん坊をどのように抱かなければならないのかと言うと、端的には、仰向けに寝ている状態から、少しずつ少しずつ背骨を立てていく抱き方、つまり”横抱き”から”たて抱き”に移行していく必要があるのです。
 そのように、少しずつ少しずつ大地に対して背骨を垂直に立てる姿勢をとらせていくことによって、赤ん坊の体は、背骨をはじめとして、首や手足の骨も筋肉も、内臓も、脳も感覚器官も、少しずつ少しずつその姿勢になれ、そのような重力関係に慣れ、そのような姿勢を保てる実力がついていくことになるのです。」(瀬江千史「看護の生理学(43)−運動器官第8回−」『綜合看護』(2012年3号)所収)


 要するに、縦抱きとは背骨を立てていく抱き方であり、それによって、そのような重力関係に慣れ、そのような姿勢を保てる実力がついていくことになるということである。

 これは私自身の経験としてもよくわかる。縦抱きを始めた当初、赤ちゃんはぐにゃぐにゃで、親が手でしっかりと支えていないといけない。しかし、徐々に徐々にその支える力を緩めていっても大丈夫なようになり、最終的には自分で支えられるようになるのである。ここでは直接的には首すわりについて触れられているが、私自身はおすわりのために背筋を伸ばすということにも同様のことが言えると感じている。

 第二に認識面に関してだが、こちらについても「看護の生理学」で次のように説かれている。

「さらに、抱くということは赤ん坊を育てるうえで、とても重要な意味を持つのですが、それは赤ん坊が仰向けに寝かされていたのに対して、抱かれた時には、反映する外界が大きく違ってくるからです。つまり周囲のものを、下から見上げていたのに対して、上から見下ろすことになるのです。例えばベッドに寝ている時は、のぞきに来たお兄ちゃんの顔しか見えなかったのに対し、お母さんに抱かれて上から見てみると、お兄ちゃんが走り回ったり、食事をしたりしているのが見える・・・という具合にです。そしてこういう外界の違った反映の体験を繰り返していくことが、サルが木に登ったり、降りたりしてヒトになっていく過程で、脳の機能としての認識が新たな発展を遂げたと同様に、赤ん坊の認識の発展を促していくことになるのです。」(同上論文)


 つまり、抱っこをすることによって、これまでとは違った形で外界を反映させることになり、赤ちゃんの認識の発展を促していくことになるということである。当初は横抱きに近い形で抱っこしていたから、そういう形での外界の反映をしていたけれども、徐々に縦抱きにしたことにより、以前とは違った反映がなされるようになり、両者が合わさって、像が厚みのあるものになっていったということである。

 さらに散歩の場合、その反映する外界そのものが家の中に比べれば多種多様となる。小鳥が泣いていたり、ちょうちょが飛んでいたり、前から散歩している犬がやってきたり、その飼い主が「おはよう」と声をかけてくれたり・・・といった家では味わえない新鮮な反映がある。これは赤ちゃんの興味・関心を促し、外界に対して積極的な姿勢を創ることになると考えられる。

 こうした意味のある抱っこしながらの散歩なのだが、「毎日」行い続けたということがやはり重要だったのではないかと思う。さすがにどしゃ降りの雨の日などは中止したが、多少の雨や雪の日は、濡れないように気を使いながらも散歩した。当然、疲れているときもあったけれども、朝と夕方の散歩は欠かさなかった(頻度は減ってしまったが、現在も行っている)。このように毎日行い続けた結果として、様々なものに興味関心を示す現在の姿があるのではないかと考えている。
posted by kyoto.dialectic at 07:54| Comment(0) | 例会報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月15日

障害児の子育ての1年間を振り返る(1/5)

目次
(1)ダウン症として生まれた子ども
(2)抱っこしながらの散歩とその意味
(3)ハイハイを促すための働きかけとその意味
(4)子育ての過程での親の認識の変化
(5)教育学の構築は歴史的な願いを現実化するものである

・・・・・・・・・・・・・・・

(1)ダウン症として生まれた子ども

 昨年の夏、待望の第一子が生まれた。遠方であったため、連絡を受けてからすぐに駆け付けるもその日のうちには到着できず、翌日の朝、子どもと対面することになった。2682gの男の子である。恐る恐るだっこしながら、生まれた子どもをかわいがっていた。

 妻の家族や親戚も来てくれて、しばらくみんなで話していたが、3時頃、看護師に呼ばれて、妻と子どもが部屋から出て行った。そのうち、私も呼ばれたので、部屋を出て行った。そして保育器などのある部屋の裏手のスペースに行くように指示された。そこには、妻が子どもを抱いてソファーに座っていて、医者がその前に立っていた。「いったい何の話だろう」と思いながら、私が妻の横に座ると、医者が話を始めた。

「赤ちゃんね、もしかしたらダウン症かもしれない。産まれたときはしっかり泣き声も上げていたし、あまり感じなかったんだけど、よく見ると、ちょっと独特な顔つきをしているしね。あと手に猿線もある。うちの看護師さんたちも、抱いた感じがフニャフニャしていると言っていてね。もちろん確定ではないけれど、うちの看護師もベテランだからね。」


 一瞬、何のことかわからなかった。少し冷静に考えて、要するに障害があるということだとはわかったが、ダウン症の具体的なイメージがわかなかった。

 ダウン症とは、端的には、先天的な染色体異常によるものである。人間は2本1組の染色体を23組(22組の常染色体と1組の性染色体)もっており、精子や卵子を形成する際には、2本1組の染色体が分離され、数が半分になる(減数分裂)。つまり、精子・卵子はそれぞれ23本の染色体をもっており、これが合わさることで23組の染色体となる。染色体は大きなものから1番、2番と番号がつけられているが、そのうち21番の染色体に異常が見られる場合、ダウン症となる。具体的に言うと、精子や卵子が形成される際に、21番の染色体がうまく分離せず、21番の染色体が2本のままの精子あるいは卵子が生まれ、それが受精することによって21番の染色体が1本多い受精卵が誕生することとなる。これがダウン症である。

 ダウン症の子どもは「おとなしくて反応が弱い」「おっぱいの飲みが悪い」「身体的な特徴がある」「抱くとやわらかい」といった特徴があり、出産後すぐに産科医や助産師が気づくケースがほとんどである。

 では、ダウン症の子どもにはどのような問題が生じてくるのだろうか。

 様々な合併症があるということが特徴である。まず心臓の病気である。例えば、閉じるべき血管が閉じていなかったり、心臓内の4つの部屋を隔てる壁に穴があいていたりする。こうした心臓疾患は「呼吸が速く荒い」「顔色が悪い(唇の色が紫色・チアノーゼ)」「オッパイの飲みが悪い」「元気がない」などの症状として現れる。次に消化器の病気である。胃から肛門へと至る過程に異常があり、食べ物がうまく排泄されないことがある。これは「よく吐く」「便が出ない」「おなかが異常に膨れている」「便秘」などの症状として現れる。また、成長の過程において体や骨がバランス良く発達せず、頸椎が不安定になることがある。白内障や内斜視といった視覚の障害、難聴などもある。知的障害も伴い、平均的なIQは50前後とされている。

 後日、血液検査の結果、ダウン症であることが確定した。幸い私の子どもには、大きな合併症はなかった。しかし、初めての子どもが障害をもって生まれてきたということで、ショックを感じずにはいられなかった。

 そんな私を大きく支えてくれたのは、志垣司・北島淳『障害児教育の方法論を問う(第一巻)』(現代社、2014年)に書かれている障害の一般論だった。

「障害を負うとは、実体及び機能上の不可逆的な変化によって、そのままでは環境との相互浸透ができにくくなることである」(p.42)


 ここで私の目に飛び込んできたのは、「そのままでは・・・できにくくなる」という部分である。「できない」ではないのである。どんなに障害をもっていても、環境との相互浸透をすることは可能なのだ。なぜなら、それこそが人間の一般性だからである。しかし、それが健常児に比べればできにくいということである。ということは、健常児の場合より意識的に環境との相互浸透を質・量ともに充実させれば、障害があっても十分に育つということである。

 この言葉に大いに励まされ、しっかりとわが子を育てていこうという決意を固めた。ダウン症の育児に関係する著作、松田道雄『育児の百科』、斉藤公子の著作、南郷学派の著作(『育児の認識学』『育児の生理学』『新・頭脳の科学』『看護の生理学』など)を何度も何度も読み返し、子育てに生かしていった。

 その甲斐あってか、1年を迎えた現在、子どもは元気に順調に育っている(ダウン症に関わって権威とされる医師からもそう言われている)。確かに発達上の遅れはあるものの、例えば、おすわりをしておもちゃで遊んだり、遠くにあるおもちゃに興味を示して、ずりばいで移動したりする。こちらが笑いかけると笑い返すし、手を振ると手を振り返す。パチパチ(拍手)をすると、同じようにパチパチ(拍手)をして、大きな笑い声をあげたりする姿が見られている。そんなわが子と一緒に過ごせる毎日がとても幸せである。

 本稿では、こうした過程に至るまでの1年間を振り返りたいと思う。具体的な取り組みとして、「抱っこしながら散歩」「ずりばいを促すための働きかけ」を取り上げるとともに、その過程で親としての認識がどのように変化したのかをまとめたいと思う。
posted by kyoto.dialectic at 06:40| Comment(0) | 教育学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月14日

2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推(10/10)

(10)参加者の感想の紹介

 これまで、カント『純粋理性批判』の「経験の類推」を扱ったわが研究会の2017年8月例会について、報告レジュメおよび当該部分を要約した文章を紹介した上で、3つの論点について諸々に議論したプロセスを紹介してきました。

 8月例会報告の最終回となる今回は、参加していた会員の感想を紹介することにします。

・・・・・・・・・・・・・・・・

 今回の内容も何を言わんとしているのかがなかなかつかみにくいところであったが、ヒュームの因果律批判に対してどのように反論しているのかについて、かなり明確に把握できたのではないかと思う。端的に言えば、我々が見ている世界(現象)は、原因と結果というカテゴリーが備わった純粋悟性概念によって成立したものであるから、そこには必然性が存在しているのだということである。そもそもカントは、我々が見ている世界はカテゴリーによって成立した現象の世界であり、この世界を客観的な世界として、様々な経験(認識)を獲得するのだと主張している。こういうカントの主張の枠組みがかなり明確に把握できた。

 当日の議論においても、こういう枠組みを踏まえたときに違和感を覚える表現についてしっかりと指摘することができたし、その指摘の中身を説明する中で、自分自身の理解や研究会全体の理解も深めることができたと感じている。前回の例会の感想の中で、7月例会のチューターが「ちょっとした会員のちょっとした言語表現から、大きく誤解しているのではないか、根本的なところを理解していないのではないか、と思われる点については、やや厳しく突っ込みを入れることができたと思う」と書いていたので、私も今回そのことを意識してチューターに臨んだのだが、まずまずの働きができたのではないかと思う。

 また、唯物論の立場からヒュームにどう反論するかという議論も非常によかったと思う。ヒュームに反論するためには、世界に必然性があることを主張しないといけない。あるいは、世界の部分的な認識に基づいて世界全体のことがわかるのはなぜなのかということを説かなければならない。端的には、この世界全体には弁証法性が貫かれているから、我々が認識する特定の部分にも弁証法は貫かれているのであり、したがって、部分の認識によって全体の認識をすることができるのだということであった。

 このように、唯物論の立場ではこう説くということをカント自身も納得するような形で論を展開していかなければならないと感じた。

・・・・・・・・・・・・・・・・

 今回は、カント『純粋理性批判』の「経験の類推」という部分を扱った。報告レジュメの担当に当たっていたため、しっかり読み込んでレジュメを執筆しようと取り組んでいった。

 読み始めの数ページは、まるで自分のアタマがカントになり切ったかの如く、「うんうん、そうだよな」という感じで全く引っかかりなく読めていった。カントの立場であればこういう表現になるということが、これまでの学びで少しずつ分かってきた感じがあったのである。

 しかし、「現象の現実的存在」という部分で引っかかってしまった。この表現がどのような中身であるのか、ほとんど全くといっていいほど像が描けなかったのである。しかも、この表現は繰り返し登場してきて、文章全体がよく分からないものとなっていってしまったのである。この表現については、例会を通してもあまり突っ込んだ議論ができなかったが、何度も読み返して、「読み始めの数ページ」で味わったような感覚になっていけるように努力していきたい。

 例会の議論の中で特に印象的だったのが、カントが現象の成立と現象の認識とを分けて捉えているらしいということであった。私の理解では、認識の側にある純粋悟性概念(カテゴリー)を現象に適用することで、認識が成立し、それと直接に現象(客観)も成立する、とカントが考えているものと思っていた。しかし、議論を通じて、そうではなく、確かに純粋悟性概念(カテゴリー)を適用することで現象は成立するのであるが、その現象を認識することはまた別の段階の事象だということが理解できてきた。これは、そもそものカントの問題意識、つまり人間に見えるような世界(現象の世界=客観)をなぜ人間は正しく認識(主観)できるのか、そもそも現象の世界=客観はどのように成立しているのか、という問題意識をしっかりとふまえてカントの論を追っていく必要がある、ということでもある。こうした大局的な見方ができていなかったために、カント学説の一般的な理解(認識が対象を成立させている)で満足してしまったということである。

 次回の例会はチューターに当たっているため、議論をリードし有意義な例会にできるように、しっかりと準備をしていきたいと思う。

・・・・・・・・・・・・・・・・

 今回の範囲もなかなか難しいところであったが、あくまでも『純粋理性批判』の全体の論の流れのなかでどのような位置づけにある部分なのかを見失わないようにしながら読んでいくことの大切さを改めて感じた。なかなか実行できていないが、やはり最初の部分からの読み直していくことが必要であると感じている。

 今回の例会の議論で重要だと思ったのは、カントの議論に対して、唯物論の立場からはこう考える、と対置することを、あまり安易にやってしまってはならない、ということが、研究会としての共通認識になったことである。例えば、「唯物論の立場からは、原因と結果のつながりは客観的に存在していることになる」などと結論だけいっても、それはヒューム以前の常識的な見方を繰返しているだけで、カントが納得するわけがないのである。これではヒューム以下なのだ、ということを自覚しなければならない。カントを納得させうるような唯物論の立場からの論の展開はどうあるべきか、と常に考えていかなければならない。これに関連して、世界の部分についての経験から世界の全体を貫く性質を把握することができるのはなぜか、という問いが明確になったのは、大きな収穫だったといえるのではないだろうか。こうした問題は、簡単に解決したもの、分かったものとしてしまってはならないので、常に問いを深めるようにしていきたい。
 
・・・・・・・・・・・・・・・・

 今回の例会では、カント「純粋理性批判」の「原則の分析論」のなかの、「経験の類推」の部分を扱った。論点への見解は書くことができなかったが、当日の議論において、だいたいの内容を把握することができたと思う。要するに、われわれは、ある現象Aと別の現象Bを、因果関係で捉えたり、同時に存在していると捉えたりするが、そのためには、どのような原則が適用されているのかを説いている部分だと思う。原因・結果の関係にせよ、同時だという関係にせよ、そういう時間関係について論じる際には、その前提として常住不変なもの=実体が想定されている。そこで、まず実体について論じ、その後、因果関係と同時的関係についてカントは説いているのであろう。

 今回の例会で最も興味深かったのは、唯物論の立場からすれば、経験の積み重ねによってなぜ必然性の認識が可能となるのか、について議論した点であった。私は端的には、認識における量質転化の問題だと答えたのであるが、当日指摘されたとおり、これでは不十分であった。なぜなら、ヒュームからは「それは単なる信念なのではないか」と反論されうるからであった。そこで、現実世界の持つ弁証法性に注目した。現実の世界全体を貫く弁証法的な性格は、もちろん、部分にも貫かれているから、部分の認識だけでもって、全体の認識、すなわち必然性の認識となる、ということであった。

 このように、現実世界の持つ弁証法性を考えに入れないと、必然性の認識が成立する根拠は説明できないというのは、間違いないと思う。しかし、当初私が指摘したような、認識の量質転化という問題も、他方でやはり、必然性の認識にとって不可欠な要素なのではないか。カントは、感性と理性を分けてしまって、そのつながりを解明できなかったが、われわれは、感性的認識と理性的認識を、同じ像の発展過程において捉えることができる。部分の認識というのはいわば感性的認識のことであり、全体の認識=必然性の認識とは理性的認識のことであるといえるだろう。そうすると、感性的認識の積み重ねによって、理性的認識に到達することができるのであるから、それはやはり量質転化といいうるのである。この認識の量質転化の具体的な過程的構造を解明していくことが、カントの二元論を克服するための、大きな道であると感じた次第である。
posted by kyoto.dialectic at 05:14| Comment(0) | 例会報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月13日

2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推(9/10)

(9)論点3:相互作用あるいは相互性の法則に従う同時的存在の原則とは何か。

 前回は、2つ目の論点に関する議論を紹介しました。そこでは、カント哲学の大きな枠組みを確認した上で、ヒュームの因果律批判にどう答えているのか、これに対して唯物論の立場からすれば、ヒュームの因果律批判にどう反論すべきなのかという点について検討しました。

 今回は、3つ目の論点についての議論と、その議論をとおしてどのような(一応の)結論に至ったのかを紹介したいと思います。まず論点を再掲します。

<論点再掲>
 カントは経験の類推の3つ目として相互作用あるいは相互性の法則に従う同時的存在の原則を挙げている。これは、「およそ一切の実体は空間において同時的に存在するものとして知覚される限り完全な相互作用をなしている」というものであるが、これはどういうことか?それはどのように証明されているか?カントは、2つ以上の物が同一の時間に存在することを、何によって認識すると説明しているか。唯物論の立場からこれを評価すると、どういうことがいえるであろうか?


 まず、「およそ一切の実体は空間において同時的に存在するものとして知覚される限り完全な相互作用をなしている」とはどういうことかについて確認しました。これについては、「2つのものが同時に存在する(相互的に継起し得る)ということを知覚する根拠は客観に存在するというためには、相互性の関係、あるいは相互作用の関係というカテゴリーを必要とし、このカテゴリーを前提としてのみ、2つのものの同時的存在が認識され、また経験の対象としての物を可能ならしめる、ということである」「端的には2つのものが同時に存在しているということを人間はどうやって認識するのかということに答えたもの」「2つ以上の物が同時に存在しているということは、それら2つ以上の実体間の相互作用を前提としてのみ、経験において認識され得る、ということである」などの見解が出されていました。時間の関係上、詳しく検討することはできませんでしたが、要するに、2つ以上の物が同時に存在しているということは、そこに相互作用が働いているからこそ認識できるのだとカントが主張していることを確認しました。

 この証明についても、あらかじめメンバーから提出された見解のうち、もっともすっきりまとまっているもので確認しました。

「カントによれば、2つ以上の物の同時的な存在を客観的なものとして表象するためには、互いに別々でありながらしかも同時的に存在するこれらの物の規定が相互的に継起することを表現するようなカテゴリー(純粋悟性概念)を必要とするが、そのカテゴリーとは影響の関係であり、相互作用の関係である(ある実体の含む規定の根拠がほかの実体に含まれているような関係)、と説明するのである。要するに、ある物が他の物に影響を与えている(両者が相互に依存しあっている)関係にあると把握されるからこそ、両者が同一の時間に存在するということが客観的に言いうるのだ、というわけである」

 しかし、このカントの見解に対して、チューターから疑問を提示しました。カントによれば、2つのものが同時に存在することを認識できるのは、その2つのものが相互作用の関係にある場合だということになります。しかし、例えば、喫茶店にいて、離れた場所にいる2人の客を見るとき、その2人は何の相互作用もないけれども、同時に存在していると言っていいのではないのか、ということでした。

 これに対してメンバーの一人は、カントが言っていることは、2つのものの間に相互作用していれば、確実に同時に存在しているということが言える、ということではないか、例えば、今、私と他の方たちは会話をとおして相互作用しているから同時に存在しているということが確実に言える、しかし、日本にいる我々と、アメリカにいる(例えば)マイク君とは相互作用していないから、必ずしも同時に存在しているとは言えないということではないか、ということでした。つまり、「同時に存在しているなら相互作用している」ということではなく、「相互作用しているなら同時だ」ということです。他のメンバーも一応納得しました。

 最後に、こうしたカントの主張を唯物論の立場から評価するとどういうことが言えるかを考えました。これについてチューターは「知覚の根拠を客観に求めている点は評価できる」と書いていたのですが、これについては他のメンバーから言葉足らずの表現ではないかという指摘がなされました。その客観というものもあくまでもカテゴリーによって成立したものだという点を触れないといけないのではないかということでした。これはチューターも納得しました。別のメンバーは「あくまで客観と主観の一致ということにこだわったこと自体は、唯物論の立場への接近として評価できるものの、客観とは物自体と区別された現象の世界であるとし、それが認識の能動性によって成立させられている(この場合は、相互作用という純粋悟性概念によって2つ以上の物の関係性が規定されている)としてしまったのは、唯物論の立場とは根本的に相いれないものである」と書いており、おおむねこのような評価で間違いないのではないかということになりました。また、このメンバーは「この世界全体をつながり合ったものとして、同時的な広がりをもったものとして、把握しきったことは、弁証法的な世界観の発展という点からすれば、大いに評価に値するのではないだろうか」という見解も提示していたのですが、これについても特に異論は出ませんでした。

 以上で例会での議論をすべて終了しました。
posted by kyoto.dialectic at 06:33| Comment(0) | 例会報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

<講義一覧>

 ・2010年5月例会の報告
 ・2010年6月例会の報告
 ・日本酒を楽しめる店の条件
 ・交響曲の歴史を社会的認識から問う
 ・初心者に説く日本酒を見る視点
 ・『寄席芸人伝』に見る教育論
 ・初学者に説く経済学の歴史の物語
 ・奥村宏『経済学は死んだのか』から考える経済学再生への道
 ・『秘密諜報員ベートーヴェン』から何を学ぶか
 ・時代を拓いた教師を評価する(1)――有田和正氏のユーモア教育の分析
 ・2010年7月例会報告
 ・弁証法から説く消費税増税不可避論の誤り
 ・佐村河内守『交響曲第一番』
 ・観念的二重化への道
 ・このブログの目的とは――毎日更新50日目を迎えて
 ・山登りの効用
 ・21世紀に誕生した真に交響曲の名に値する大交響曲――佐村河内守:交響曲第1番「HIROSHIMA」全曲初演
 ・2010年8月例会報告
 ・各種の日本酒を体系的に説く
 ・「菅・小沢対決」の歴史的な意義を問う
 ・『もしドラ』をいかに読むべきか
 ・現代日本における「国家戦略」の不在を問う
 ・『寄席芸人伝』に学ぶ教師の実力養成の視点
 ・弁証法の学び方の具体を説く
 ・日本歴史の流れにおける荘園の存在意義を問う
 ・わかるとはどういうことか
 ・奥村宏『徹底検証 日本の財界』を手がかりに問う「財界とは何か」
 ・「小沢失脚」謀略を問う
 ・2010年11月例会報告
 ・男前はなぜ得か
 ・平安貴族の政権担当者としての実力を問う
 ・教育学構築につながる教育実践とは
 ・2010年12月例会報告
 ・「法人税5%減税」方針決定の過程的構造を解く
 ・ベートーヴェン「第九」の歴史的位置を問う
 ・年頭言:主体性確立のために「弁証法・認識論」の学びを
 ・法人税減税の必要性を問う
 ・2011年1月例会報告
 ・武士はどのように成立したか
 ・われわれはどのように論文を書いているか
 ・三浦つとむ生誕100年に寄せて
 ・2011年2月例会報告:南郷継正『武道哲学講義U』読書会
 ・TPPは日本に何をもたらすのか
 ・東日本大震災から国家における経済のあり方を問う
 ・『弁証法はどういう科学か』誤植の訂正について
 ・2011年3月例会報告:南郷継正『武道哲学講義V』読書会
 ・新人教師に説く「子ども同士のトラブルにどう対応するか」
 ・三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』誤植一覧
 ・新大学生に説く「大学で何をどう学ぶか」
 ・新大学生に説く「文献・何をいかに読むべきか」
 ・2011年4月例会報告:南郷継正『武道哲学講義W』読書会
 ・三浦つとむ弁証法の歴史的意義を問う
 ・新人教師に説く学級経営の意義と方法
 ・三浦つとむとの出会いにまつわる個人的思い出
 ・横須賀壽子さんにお会いして
 ・続・三浦つとむとの出会いにまつわる個人的思い出
 ・学びにおける目的意識の重要性
 ・ブログ毎日更新1周年を迎えてその意義を問う
 ・2011年5・6月例会報告:南郷継正「武道哲学講義〔X〕」読書会
 ・心理療法における外在化の意義を問う
 ・佐村河内守:交響曲第1番「HIROSHIMA」CD発売
 ・新人教師としての一年間を実践記録で振り返る
 ・2011年7月例会報告:近藤成美「マルクス『国家論』の原点を問う」読書会
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む
 ・2011年8月例会報告:加納哲邦「学的国家論への序章」読書会
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論1三浦つとむの哲学不要論をめぐって
 ・一会員による『学城』第8号の感想
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論2 マルクス『経済学批判』「序言」をめぐって
 ・2011年9月例会報告:加藤幸信論文・村田洋一論文読書会
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論3 マルクス「唯物論的歴史観」なるものの評価について
 ・三浦つとむさん宅を訪問して
 ・TPP―-オバマ大統領の歓心を買うために交渉参加するのか
 ・続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2011年10月例会報告:滋賀地酒の祭典参加
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論4不破哲三氏のエンゲルス批判について
 ・2011年11月例会報告:悠季真理「古代ギリシャの学問とは何か」読書会
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論5ケインズ経済学の歴史的意義について
 ・一会員による『綜合看護』2011年4号の感想
 ・『美味しんぼ』から何を学ぶべきか
 ・2011年12月例会報告:悠季真理「古代ギリシャ哲学、その学び方への招待」読書会
 ・年頭言:「大和魂」創出を志して、2012年に何をなすべきか
 ・消費税はどういう税金か
 ・心理療法におけるリフレーミングとは何か
 ・2012年1月例会報告:悠季真理「古代ギリシャ哲学,その学び方への招待」読書会
 ・バッハ「マタイ受難曲」の構造を解く
 ・2012年2月例会報告:科学史の全体像について
 ・『弁証法はどういう科学か』の要約をどのように行っているか
 ・一会員による『綜合看護』2012年1号の感想
 ・橋下教育基本条例案を問う
 ・吉本隆明さん逝去に寄せて
 ・2012年3月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第1章〜第4章
 ・科学者列伝:古代ギリシャ編
 ・2年目教師としての一年間を実践記録で振り返る
 ・2012年4月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第5章〜第6章
 ・科学者列伝:ヘレニズム・ローマ・イスラム編
 ・簡約版・消費税はどういう税金か
 ・一会員による『新・頭脳の科学(上巻)』の感想
 ・新人教師のもつ若さの意義を説く
 ・2012年5月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第7章
 ・科学者列伝:西欧中世編
 ・アダム・スミス『道徳感情論』を読む
 ・2012年6月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第8章
 ・科学者列伝:近代科学の開始編
 ・ブログ更新2周年にあたって
 ・古代ギリシアにおける学問の誕生を問う
 ・一会員による『綜合看護』2012年2号の感想
 ・クセノフォン『オイコノミコス』を読む
 ・2012年7月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第9章
 ・科学者列伝:17世紀の科学編
 ・一会員による『新・頭脳の科学(下巻)』の感想
 ・消費税増税実施の是非を問う
 ・原田メソッドの教育学的意味を問う
 ・2012年8月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第10章
 ・科学者列伝:18世紀の科学編
 ・一会員による『綜合看護』2012年3号の感想
 ・経済学を誕生させた経済の発展とはどういうものだったのか
 ・2012年9月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第11章
 ・人類の歴史における論理的認識の創出・使用の過程を問う
 ・長縄跳びの取り組み
 ・国家の生成発展の過程を問う――滝村隆一『マルクス主義国家論』から学ぶ
 ・三浦つとむの言語過程説から言語の本質を問う
 ・2012年10月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第11章
 ・科学者列伝:19世紀の自然科学編
 ・古代から17世紀までの科学の歴史――シュテーリヒ『西洋科学史』要約で概観する
 ・2012年11月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第12章前半
 ・2012年12月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第12章後半
 ・科学者列伝:19世紀の精神科学編
 ・年頭言:混迷の時代が求める学問の確立をめざして
 ・科学はどのように発展してきたのか
 ・一会員による『学城』第9号の感想
 ・一会員による『綜合看護』2012年4号の感想
 ・2013年1月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』を読む前提としての世界歴史の全体像
 ・歴史観の歴史を問う
 ・2013年2月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』をどのように読んでいくべきか
 ・『三浦つとむ意志論集』を読む
 ・言語学の構築に向けてどのように研究を進めるのか
 ・一会員による『綜合看護』2013年1号の感想
 ・改訂版・新大学生に説く「大学で何をどう学ぶか」
 ・2013年3月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』序論(前半)を読む
 ・3年目教師としての1年間を実践記録で振り返る
 ・2013年4月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』序論(後半)を読む
 ・新自由主義における「自由」を問う
 ・2013年5月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第一部 東洋の世界(前半)を読む
 ・三浦つとむ「マルクス・レーニン主義に関する本質的な質問」から学ぶ
 ・言語は歴史的にどのように創出されたのか
 ・一会員による『綜合看護』2013年2号の感想
 ・ヒュームの提起した問題にカント、スミスはどのように答えたか
 ・2013年6月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』東洋の世界(後半)を読む
 ・一会員による2013年上半期の振り返り
 ・認知療法における問いの意義を問う
 ・カント歴史哲学へのアダム・スミスの影響を考える
 ・2013年7月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』ギリシアの世界を読む
 ・2013年8月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第三部 ローマの世界を読む
 ・アダム・スミスの哲学体系の全体像を問う
 ・一会員による『綜合看護』2013年3号の感想
 ・初任者に説く学級経営の基本
 ・カウンセリング上達過程における事例検討の意義
 ・文法家列伝:古代ギリシャ編
 ・ヒューム『政治論集』抄訳
 ・2013年9月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第四部 ゲルマンの世界を読む
 ・言語過程説から言語学史を問う
 ・2013年10月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』「第4部 ゲルマンの世界」第2篇を読む
 ・戦後日本の学力論の流れを概観する
 ・一会員による『育児の生理学』の感想
 ・文法家列伝:古代ローマ・中世編
 ・2013年11月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第4部 ゲルマンの世界 第3篇を読む
 ・古代ギリシャ経済の歴史を概観する
 ・2013年12月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』のまとめ
 ・ヘルバルト教育学の全体像を概観する
 ・年頭言:歴史を切り拓く学問の創出を目指して
 ・歴史的な岐路に立つ世界と日本を問う
 ・一会員による『綜合看護』2013年4号の感想
 ・一会員による2013年の振り返りと2014年の展望
 ・ヘーゲル『歴史哲学』を読む
 ・2014年1月例会報告:学問(哲学)の歴史の全体像について
 ・一会員による『学城』第10号の感想
 ・世界歴史の流れを概観する
 ・現代の言語道具説批判――言語規範とは何か
 ・2014年2月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第3〜11章
 ・ヘルバルト『一般教育学』を読む
 ・新大学生へ説く「大学で何をどのように学んでいくべきか」
 ・2014年3月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第12〜14章
 ・三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』学習会を振り返る
 ・『育児の認識学』は三浦認識論をいかに発展させたか――一会員による『育児の認識学』の感想
 ・2014年4月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第15〜19章
 ・4年目教師としての1年間を実践記録で振りかえる
 ・文法家列伝:『ポール・ロワイヤル文法』編
 ・2014年5月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第20〜26章
 ・道徳教育の観点から見る古代ギリシャの教育と教育思想
 ・古代ギリシャの経済思想を問う
 ・半年間の育児を振り返る
 ・2014年6月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第27〜33章
 ・現代の言語道具説批判・補論――「言語道具説批判」に欠けたるものとは
 ・心理士が医学から学ぶこと――一会員による『医学教育 概論(1)』の感想
 ・アダム・スミス「天文学史」を読む
 ・現代の言語道具説批判2――言語道具説とは何か
 ・2014年7月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第34〜38章
 ・道徳教育の観点から見る中世の教育と教育思想
 ・もう一人の自分を育てる心理療法
 ・2014年8月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第39〜40章
 ・アダム・スミス「外部感覚論」を読む
 ・文法家列伝:ジョン・ロック編
 ・一会員による『学城』第11号の感想
 ・夏目漱石を読む@――坊っちゃん、吾輩は猫である、草枕
 ・2014年9月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第41〜43章
 ・ルソーとカントの道徳教育思想を概観する
 ・アダム・スミスは『修辞学・文学講義』で何を論じたか
 ・全てを強烈な目的意識に収斂させる――一会員による『医学教育概論の実践』の感想
 ・2014年10月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第44〜45章
 ・精神障害の弁証法的分類へ向けた試み
 ・シュリーマン『古代への情熱』から何を学ぶか
 ・2014年11月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第46章
 ・一年間の育児を振り返る
 ・近代ドイツにおける教育学の流れを概観する
 ・2014年12月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』のまとめ
 ・年頭言:弁証法・認識論を武器に学問の新たな段階を切り開く
 ・「戦後70年」を迎える日本をどうみるか
 ・哲学の歴史の流れを概観する
 ・『ビリギャル』から何を学ぶべきか
 ・必要な事実を取り出すとは――一会員による『医学教育 概論(2)』の感想
 ・2015年1月例会報告:南郷継正「武道哲学講義X」
 ・夏目漱石を読むA――二百十日、野分、虞美人草、坑夫
 ・アダム・スミスは古代ギリシャ哲学史から何を学んだのか
 ・マインドフルネスを認識論的に説く
 ・道徳思想の歴史を概観する
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部の要約
 ・弁証法的に学ぶとはいかなることか――一会員による『医学教育 概論(3)』の感想
 ・一会員による『学城』第1号の感想
 ・新大学生への訴え
 ・2015年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論A
 ・心理職の国家資格化を問う
 ・5年目教師としての1年間を実践記録で振り返る
 ・文法家列伝:時枝誠記編
 ・2015年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論B、C、東洋哲学
 ・夏目漱石を読むB――三四郎、それから、門
 ・臨床心理学のあるべき姿を考える――一会員による『医学教育 概論(4)』の感想
 ・アダム・スミス「模倣芸術論」を読む
 ・デューイの教育論の歴史的な意義を問う―『学校と社会』を通して
 ・2015年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ギリシア哲学史の序論、イオニア派の哲学、ピュタゴラスとピュタゴラス派
 ・高木彬光『邪馬台国の秘密』を認識論から読み解く
 ・一会員による『学城』第12号の感想
 ・2015年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エレア派〜ヘラクレイトス
 ・何故言語学の創出が必要か―一会員による2015年上半期の振り返り
 ・事実と論理ののぼりおり――一会員による『医学教育 概論(5)』の感想
 ・夏目漱石を読むC――彼岸過迄、行人、こころ
 ・2015年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エムペドクレス〜アナクサゴラス
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(上)
 ・デューイ教育論の歴史的意義を問う―『民主主義と教育』をとおして
 ・2015年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソフィスト派・ソクラテス
 ・アダム・スミス『法学講義』を読む
 ・学問上達論とは何か――一会員による『哲学・論理学研究(1)』の感想
 ・2015年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソクラテス派、プラトン
 ・庄司和晃追悼論文―庄司和晃の歩みはいかなるもので、何を成し遂げたか
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部第4章の要約
 ・一会員による『学城』第2号の感想
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(下)
 ・夏目漱石を読むD――道草、明暗
 ・2015年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』プラトン 弁証法、自然哲学、精神の哲学
 ・ナイチンゲール看護論を心理臨床に活かす――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(1)』の感想
 ・文法家列伝:時枝誠記編(補論)
 ・英語教育改革を問う―『英語化は愚民化』書評―
 ・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
 ・2年間の育児を振り返る
 ・2015年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学)
 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
 ・ケネー『経済表』を読む
 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて