2017年05月11日

ヘーゲル『哲学史』を読む(13/13)

(13)唯物論の立場からの哲学史の構築に向けて

 前回は、ヘーゲル『哲学史』の内容について、本稿でこれまで説いてきた流れを簡単にまとめておきました。ヘーゲルの描く哲学史とは、人間が、この世界の絶対的本質たる精神として、この世界のあらゆる具体的な事物・事象について、自己自身の展開にほかならぬものなのだという把握を、2500年の苦闘を重ねながら成し遂げていく過程にほかなりませんでした。より具体的には、精神である人間が、思惟と存在、主観と客観、精神と自然との対立を宥和する(両者が対立したものであることを明確に把握した上で、なおかつ両者は同一のものであると認識する)ことが哲学の目指すところであったといえるでしょう。絶対精神(思惟=存在)が自らを区別し具体的な規定を与えていくことで、自らのうちからこの世界の全ての具体的なものを生み出していく過程、この過程こそがすなわちヘーゲルのいわゆる弁証法そのものにほかなりません。自然から分離独立した精神として自己意識を把持するに至った人間は、この世界の全てにこうした絶対精神の自己運動としての弁証法がつらぬかれていること、だからこそ絶対精神そのものである人間(自己自身)は、この世界のあらゆる特殊的なもの、具体的なものについて、自己自身に直接つながってくるものとして体系的に筋を通して把握しきることが可能になるのだ――これが、観念論者ヘーゲルが哲学と哲学史を論じるにあたっての信念だったのです。

 それでは、唯物論の立場から哲学と哲学史を論じるとすれば、どのようなことがいえるのでしょうか。いうまでもなく、我々京都弁証法認識論研究会は、唯物論の立場から、ヘーゲルに匹敵するレベルの哲学および哲学史を打ち立てることを自らの目標としています。本稿の最後に、唯物論者であろうとする我々は、ヘーゲルの観念論的な哲学史をどのように継承していけばよいのか、検討しておくことにします。

 まず、観念論の立場であろうと唯物論の立場であろうと、共通して押さえておかなければならないポイントを確認しておきます。観念論の立場から説く哲学史も、唯物論の立場から説く哲学史も、人間がこの世界全体を自分自身のこととして体系的に筋を通して把握しきるに至る過程であることは同じである、ということはいえるでしょう。観念論の立場からすれば、人間はこの世界の本質たる絶対精神そのものなのだから、世界全体を自分自身のこととして分かるというのは、当然のことといえば当然のことです。しかしながら、唯物論の立場からしても、人間は、この世界(宇宙のいわゆる「始まり」から現在までの歴史全体)を背負った(自らのうちに含んだ)存在にほかなりません。ある1人の個人をとりあげてみるとしても、その個人は、いわゆるビッグ・バンから太陽系の形成、地球と月の形成、生命現象から生命体への発展、生命体と地球との相互浸透を通じての単純な生命体から高度な生命体への発展という歴史性を背負った存在なのであり、こうした「いのちの歴史」(すなわち全世界の歴史性)を知ることなしには、1人の人間すらまともに理解することはできないのです。個々の人間が、こうした「いのちの歴史」に加えて、人類文化の歴史、いわゆる世界歴史や日本歴史の流れを背負った存在であることは、いうまでもないことでしょう。つまり、私たち人間は、この世界の全てとつながっているのですから、自分自身を分かるためには、この世界の全てを分からなければならないのです。まさに、自分自身を知ることと世界全体を知ることとは同じことであり、世界全体を自分自身のこととして分かることこそが、唯物論の立場からしても、哲学の目指すところだということができるのです。

 それでは、観念論の立場から説く哲学と唯物論の立場から説く哲学との差異は何でしょうか。哲学というものは、世界全体(宇宙の生成から現代までの歴史性をも含む)に体系的に筋を通して把握したものですから、その成立のためには、観念的な自己をいわば神の立場に立たせて、世界全体を(その歴史性をも含めて)眺め渡すという過程が絶対に必須となります。これはフィクションであると自覚しているのが唯物論の哲学で、実際にその通りなのだ、自分はもともと神と同じものなのだ(自己=絶対精神)と思い込んでしまうのが観念論の哲学だ、ということもできるでしょう。

 このことも踏まえつつ、観念論の立場から説く哲学史と唯物論の立場から説く哲学史との差異という問題についても考えてみましょう。観念論の立場から説く哲学史では、精神はもともと神的なものとして存在していたのであり、自らの力で、本来の自己のあり方へと立ち返っていくのだ、ということになります。これに対して、唯物論の立場からすれば、精神なるものは人間の脳細胞が描く像としてしか存在しません。唯物論の立場から説く哲学史では、客観的な世界の反映を原基形態として人間の頭脳において成立した精神が、人間が社会的労働を通じて客観的な世界(自然、社会)と主体的に関わっていく(問題にぶつかり解決しようと苦闘を積み重ねていく)なかで、世界の現象、構造、本質についての体系的な像を形成していくことになるのです。

 このことは、哲学と社会の関係について、観念論の立場から説く哲学史と唯物論の立場から説く哲学史とではどのように捉え方が異なってくるか、という問題にもつながっていきます。観念論の立場から説く哲学史においては、哲学と社会とがどのような関係にあるのかは不明確で、強いていうならば、哲学も社会も絶対精神の現われであり、哲学はその最高の成果として存在するのだ、ということになるでしょう。これに対して、唯物論の立場から描く哲学史においては、哲学というものは社会(複数の人間が協働によって自然に働きかけ、また相互に働きかけ合いながら、生活を生産していく集団)のなかで、自然および社会と人間の認識との相互浸透を通じて、次第に形成されていくものだということになるのです。

 ここから、唯物論の立場から哲学史を説くために必要な作業は何か、という問題について考えることができます。端的には、世界歴史の流れについて生き生きとした具体的なイメージをもつ、ということにつきるでしょう。人類が、社会的労働を通じて、この世界とどのように関わってきたのか(どのように世界を変革し、どのようにその性質をつかんできたのか)、人類(精神)と世界との相互浸透という観点から、世界歴史の流れを把握することが、唯物論の立場からの哲学史を構築する上での大前提となるのです。

 ここで決定的に重要なのは、我々自身、この世界歴史の最先端において(先人たちの苦闘の成果の上に立ちつつ)苦闘する(しなければならない)存在であることを絶対に忘れてはならない、ということです。本稿の最初にも触れた通り、私たちが生きる現代の世界は、数多くの問題を抱えています。どれひとつとってみても、私たちの平穏な生活の持続を根本から脅かしかねない難しい問題です。政治的な面においても経済的な面においても、これまで人類社会の安定的な発展を支えてきた枠組みが、大きな歴史的限界にぶつかりつつある――現代はそういう危機の時代であるといっても過言ではありません。人類はいま、諸々の難問をこじらせて滅亡への道を歩んでいくか、それとも諸々の難問を解決して新たな社会の発展を可能にしていくのか、という重大な歴史的岐路に立たされているのです。こうした諸々の難問の解決の方向性を指し示し、人類社会のさらなる発展を可能にしていくために、唯物論の立場からの哲学の構築が切実に求められているのです。

 このことに関わって、南郷継正「武道哲学講義」シリーズにおいて、ヘーゲルが哲学の完成にあと1歩というところまで迫りながら結局果たせなかった理由として、哲学の三大柱のひとつである社会哲学を欠いていたことが指摘されていることを押さえておかなければなりません。ヘーゲルの時代には、資本主義社会(国家)が未発達だったために、その現象形態を全的に見てとることはできませんでした。このため、ヘーゲルの哲学の構想からは、社会哲学がすっぽりと抜け落ちてしまうことになったのだ、というのです。『武道哲学講義(第一巻)』では、次のように説かれています。

「哲学とは精神哲学、社会哲学、自然哲学の論理構造を基盤にして学一般として完成されるべきものであり、加えて、そもそも論理学は学一般の論理的体系としての学そのものだからである。ということは、ヘーゲルの実践した自然哲学と精神哲学の論理構造のみでは、学一般に重要なもう一つの柱である社会哲学の論理構造が欠けているだけに、学一般すなわち論理学の構造としては、三大柱を二大柱で支えるのみであるという欠陥が、そこに存在するからである。
 これこそが、大哲学者ヘーゲルの把持していた時代性的欠陥ということである。まさしくこれまた後世(後の時代)畏るべし! なのである。」(南郷継正『武道哲学講義(第一巻)』p.51)


 本来、哲学は、精神哲学・社会哲学・自然哲学という三大柱に支えられて論理学(=学一般)が存在する、という構造であるにもかかわらず、ヘーゲルは(時代的欠陥のせいで)社会哲学を欠いてしまったために、哲学を完成させられなかったのだ、ということでしょう。

 資本主義社会(国家)が未発達であった時代に生きたヘーゲルと異なり、我々は、資本主義社会(国家)の爛熟期、すなわち、資本主義経済の深刻な行き詰まりが人類の存亡の危機をもたらしているような時代に生きています。このような時代に生きる我々だからこそ、社会科学(社会哲学)の構築を通じて哲学を完成させることができる――というよりも、我々が哲学の完成を果たすことができなければ、人類社会の存続そのものが危うくなってしまうのだ、という強烈な危機感、歴史的使命感をもたなければなりません。このことを改めて確認し、唯物論の立場からの哲学の完成を目指して、これからもこれまで以上に真剣な研鑽を積み重ねていく決意を表明して、本稿を終えることにします。

(了)
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2017年05月10日

ヘーゲル『哲学史』を読む(12/13)

(12)ヘーゲルの描く哲学史とは精神が自己を知る過程であった

 本稿は、2015〜2016年の2年間、ヘーゲル『哲学史』の内容に関わってなされた要約、例会への報告、例会で提示された論点をめぐってなされた討論などをしっかりと振り返りつつ、ひとつの流れをもった論稿にまとめなおすことをめざしたものでした。前回までの9回にわたって、ヘーゲル『哲学史』の記述に沿って、イオニアの自然哲学からシェリングまで、2500年に及ぶ哲学の歴史の流れを概観してきました。ここで、その大きな流れを簡単に振り返ってみることにしましょう。

 そのための大前提として大切なのは、そもそも哲学の歴史とは何なのか、ということです。結論的にいえば、哲学の歴史とは、人類がこの世界全体に体系的に筋を通して把握していこうとしてきた営みの歴史にほかなりません。観念論者ヘーゲルにあっては、世界の本質たる精神が(自己が精神であることに気づいた上で、さらに)この世界の全ての事物・事象は自己自身にほかならないという自覚を明瞭に把持するに至るまでの歴史が哲学史である、ということになるわけです。

 さて、ヘーゲルによれば、哲学史の始原は、この世界の本質(原理)とは何か、ということが問題になったところからです。この問いかけを始めたのがタレスを筆頭とするイオニア派であり、そこでは自然的な形(「水」や「空気」など)が原理とされることになりました。そこから、感性的なものと概念的なものとの中間的なものである数を原理としたピュタゴラス派を経て、エレア派によって不動の「一」あるいは「有」といった抽象的思想が原理とされるに至ります。しかしながら、これは純粋な思考の対象でしかなく、思想としては自覚されていません(「一」こそ原理であると思考した自己と「一」との関係が不明瞭で、自己自身が「一」なのだという自覚はありません)。思想としての自覚の過程がスタートするのは、ソフィスト派およびソクラテスからです。とくにソクラテスにおいては、アナクサゴラスによって感性的な世界と区別される原理として打ち立てられたヌース(具体的で豊かな内容をもつ感性的世界から明瞭に区別されただけに、それは抽象的で無内容なものでした)に自己の精神を重ねて、そこから感性的な世界の具体的で豊かな内容を自己のものにしていこうという運動が開始されたのです。この運動は、プラトンからアリストテレスへという流れで大きく発展していきましたが、普遍的な理念によって諸々の特殊な事物を貫くにまでは至らなかったのでした。

 したがって、ギリシャ哲学の第2期(ローマ時代のギリシャ哲学)では、普遍的だが抽象的な理念(プラトンのイデアやアリストテレスの能動的ヌースとして提示されたもの)が具体的で特殊的な事物を捉えていくことが課題となります。普遍的なものの特殊的なものへの適用は、真理とは何かという問題を論じる形をとりました。この課題を、概念的(普遍的)でありながら感性的(特殊的)なあり方をも保持している表象レベルのイメージこそ真理なのだと決めつけることで、簡単に片付けてしまったのが独断論です(その際、思考の側に主導権を認めたのがストア派で、感覚の側に主導権を認めたのがエピクロス派)。一方、こうした独断論による安直な解決のウソ臭さを鋭く突いたものの、逆の極端にまで走って一切の客観的真理を否定し去ったのが、懐疑論です。抽象的な理念が具体的な事物を捉えるにはどうしたらよいか、という共通の課題に挑みながらも、思考を重視するか、感覚を重視するか、何れも正しくないとするか、それぞれに一面的な主張が分立していくことになるのが、第2期の特徴でした。

 この第2期の終わり、懐疑論によって得られた自己の内部の世界(抽象的で無内容な主観的世界)を、具体的に規定された世界――叡智的世界――として構成しなおそうとしたのが、ギリシャ哲学の第3期に登場する新プラトン派の哲学者たちです。彼らは、全ては一者から流出したものであると説明しました。一者とは、あらゆる存在の究極の本質であり、神のことにほかなりません。一者から流出したものは一者とは別のものではなく、やがて方向を転じて一者へと還帰し、一者は自己を直観する、というのです。一者とは思考であり、そこから流出した対象は、結局のところ思考と一致するものである、というのが、新プラトン派の三位一体でした。

 ヘーゲルによれば、古代哲学が到達した原理は現実の自己意識でした。ギリシャのポリス共同体が崩壊して、人間が個としての自覚を強めていくと(客観的世界から分離した自己=主観に目覚めていくと)、自分自身がこの世界のなかで如何に生きていくべきかは自分自身で決めなければならなくなってきます。これが現実の自己意識ということです。ここで大きく浮上してきたのが、自己(思惟)と世界(存在)との関係をどう捉えるか、という課題でした。この課題をめぐる試行錯誤のなかから、自己と世界の絶対的本質(一者)との同一性を直観的に把握するに至った新プラトン派こそが、古代哲学の到達点であったわけです。キリスト教もまた、人間(自己意識)と神(世界の絶対的本質)との同一性の自覚にもとづくものでした。しかし、中世ヨーロッパにおいては、カトリック教会の絶対的権威が個々の具体的な人間を抑圧する形をとって発展していきました。自己意識(思惟)と存在(世界)という対立構図は大きく歪められて、「神の国」と「地上の国」という対立構図が描かれ、自然(外的な自然と人間の自然=本性)は後者に属する価値の低いもので克服されるべきものだと捉えられたのです。現実の自己意識はまったく抑圧されてしまったのでした。

 こうした中世的なあり方を否定して、現実の自己意識を改めて出発点として定め直して、思惟と存在という対立構図を明確に復活させた上で、これを克服しようと向かっていったのが、近代哲学の歩みにほかなりません。ヘーゲルは、近代哲学の本格的なスタートはデカルトであるとしていました。しかしながら、デカルトは端的に、思惟=存在(我思う、故に我あり)を出発点と定めたものの、そこから諸々の具体的な事物・事象にまで筋を通し切る(ヘーゲル流にいえば、概念的に把握する)ことはできませんでした。デカルトを継承して、思惟=存在としての神を唯一の普遍的実体として根底においたスピノザもまた、個々の具体的な事物・事象にまで筋を通して説明しきることはできなかったのでした。一方、ロックは、個としての認識にこだわり、経験(感覚レベルの反映)にしか真理(思惟=存在)を認められなくなってしまいました。スピノザとロックのそれぞれ対立しつつ、両者を結合しようとしたのが、ライプニッツです。ライプニッツは、思惟=存在という性格を備えた単子(スピノザにおける神を粉々に打ち砕いて、それぞれ絶対的に独立した個体としたようなもの)を、無数にバラまいて世界全体を充たしてしまうことで、世界全体を思惟=存在として説明しようとしました。しかし、単子どうしの関係をどう説明するかという難問にぶち当たって、結局、神とか予定調和ということに逃げ込むしかなくなってしまったのです。

 ヘーゲルは、ライプニッツ以降カントまでを移行期(思惟の凋落の時代)と位置づけ、この時代の哲学を、一般的な通俗哲学として特徴づけています。デカルト、ロック、ライプニッツらにおいては、思惟と存在との統一という課題に取り組む過程で現われた諸々の矛盾は、神の助力や予定調和などによって作為的に解決されるしかありませんでしたが、移行期においては、健全な人間の悟性(良識)のなかに合理的に納得のいく解決策を見いだそうとする傾向が主となります。ヘーゲルは、18世紀の哲学として、ヒュームやバークリーの懐疑論、スコットランドの哲学、フランスの哲学の3つを取り上げて、それぞれ批判的に検討していましたが、フランスの哲学において、具体的な個人のうちにある信念の自由、良心の自由が旗印として高く掲げられるようになり、人間が自己自身を無限者としてみるようになったことを、偉大な進歩として強調していたのでした。

 ヘーゲルは、ルソーによって絶対的な原理として掲げられた自由が、カントによって理論的な面に重点をおいて打ち立てられた、とします。カントは、「ア・プリオリな総合判断は可能か」という問題を立て、原因と結果というような規定は経験によって与えられるものではなく、自己意識のうちにもともとあるのだ、と主張しようとしました。しかし、カントは思惟(主観)と存在(客観)との間に絶対的な壁を設けてしまったために、両者の統一が不可能になってしまいました。カントがいくら思惟と存在の統一を主張しても、それは主観的にはそう見えるということでしかなく、物自体(存在)が実際のところどうなっているかは我々にはつかみようがない、という見解にとどまるしかなかったのです。これに対して、自我を絶対的な原理とし、宇宙の全内容をこの自我から演繹的に叙述しようとしたのがフィヒテです。しかしながらフィヒテは、主観(自我)の側から客観の側への道を充分には明らかにすることができませんでした。

 これに対して、シェリングは、ヤコービの直接知(叡智的直観)を援用しつつ、主観的なものと客観的なものの統一を強く押し出します。これが神であり、主観的なものと客観的なものとの具体的な統一として、生き生きとした運動をうちに含むものとされるのです。要するに、シェリングは、神(主観=客観)を生き生きとした運動として把握することで、絶対者の自己運動による世界(あらゆる具体的なもの)の創造という把握に向かって大きく前進したのです。ヘーゲルはこのことを高く評価しつつも、主観的なものと客観的なものとの無差別ということ(理性の概念)が絶対的に前提とされるだけで、これが真理であるという証明が全くなされていない、と批判していました。

 ヘーゲルは、シェリングの哲学に対して、絶対者の把握はあくまでも思惟的考察によってなされるべきだという主張を対置します。思惟=存在たる神(絶対精神)が自己運動して世界の全てが生み出されていくこと、それが個として人間の精神にしっかりと(直接に)つながっていることを概念的に(思惟的考察を通じて)把握してこそ、ヘーゲルのいわゆる哲学は完成することになるのです。
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2017年05月09日

ヘーゲル『哲学史』を読む(11/13)

(11)カント、フィヒテ、シェリング――思惟と存在の統一の概念的な把握へ

 前回は、18世紀の哲学について概観しました。ヘーゲルは、ライプニッツからカントまでの間を移行期、あるいは思惟の凋落の時代として位置づけ、この時代の哲学を、一般的な通俗哲学として特徴づけていました。デカルト、ロック、ライプニッツらのいわゆる形而上学の時代においては、思惟と存在との統一という課題に取り組む過程で現われた諸々の矛盾は、神の助力とか予定調和といった作為的な分析的思考によって解決したものとされるしかありませんでしたが、移行期においては、こうした作為的な解決に対立して、健全な人間の悟性(良識)のなかに合理的に納得のいく解決策を見いだそうとする傾向が主となったのでした。ヘーゲルは、18世紀の哲学として、ヒュームやバークリーの懐疑論、スコットランドの哲学、フランスの哲学の3つを取り上げて、それぞれ批判的に検討していましたが、フランスの哲学において、具体的な個人のうちにある信念の自由、良心の自由が旗印として高く掲げられるようになり、人間が自己自身を無限者としてみるようになったことを、偉大な進歩として強調していたのでした。

 さて、ヘーゲルによれば、哲学の根本的な課題であるところの思惟と存在との統一をそれ自体として対象とし、かつこれを概念的に捉える、すなわち、その最深の必然性たる概念を捉えるという方向に向ったのが、カント以来のドイツ哲学の発展です。カントからフィヒテ、シェリングを経て、ヘーゲルに至ってついに、哲学は完成するのです。今回は、ヘーゲル『哲学史』が描く、哲学史の最後の部分について概観することにしましょう。

 ヘーゲルは、カントについて論じる前に、ヤコービについて触れています。ヤコービは、絶対者たる神(思惟=存在)は演繹されたもの(何かにもとづいたもの)として表象することはできない、として、神の存在証明という試みを否定しました。ヤコービによれば、絶対者たる神の存在について、人間が媒介的に知ることは不可能であり、神の存在は人間に直接知(叡智的直観)として啓示されるしかないのです。こうしたヤコービの主張についてヘーゲルは、直接知としての信仰を、媒介された知としての思惟に絶対的に対立させるのは誤りで、あらゆる知は直接知であると同時に媒介された知でもあるのだ、という立場を強調しています。ごく簡単にいえば、直接性というのは結果であり、そのためには過程すなわち媒介が必要である、ということにほかなりません。とはいえ、ヘーゲルは、人間精神が直接に神について知るという命題には、人間精神の自由の承認という偉大な点が含まれていることを指摘しています。

 人間精神の自由の承認という点は、カントについても強調されます。ヘーゲルは、ルソーによって絶対的な原理として掲げられた自由が、カントによって理論的な面に重点をおいて打ち立てられた、としています。フランスでは、抽象的な自由を現実に当てはめることで現実を破壊したのに対して、ドイツにおいては、意識が自己に関心をもつということが、ただ理論的な形で遂行された、というのです。全ての存在はそれ自体として存在するのではなく、他のもののために存在するものでなければならないが、全ての物がそのために存在するという、その当のものは、人間ないし自己意識であって、しかもその人間とは人間一般(全人類)にほかならない――こういうことを抽象的な形で意識にのぼらせたのがカント哲学だ、とヘーゲルはいいます。カントは、「ア・プリオリな総合判断は可能か」という問題を立てました。カントは、原因と結果というような規定は経験によって与えられるものではなく、自己意識のうちにもともとあるのだ、と主張しようとしたわけです。ヘーゲルにいわせれば、カント哲学とは、それ自体として存在するものを全て自己意識に取り戻す(逆にいえば、この世界の全ての具体的な物を自己意識から導き出す)ことを要求しながら、しかもこの自体的なもの(物自体)をなお自己と区別することによって、対立から抜けきれないでいる観念論だ、ということになります。カントは、人間(自己意識)が知りうるのは物自体ではなく現象のみである、と主張しました。人間の悟性にもともと備わっている範疇(カテゴリー)――世界を捉えるための枠組みのようなもの――は感性的知覚で捉えられる有限的な現象にしか適用できないのであって、理性がこうした範疇を自我・世界・神といった無限のものに適用しようとすると二律背反に陥ってしまう、というのです。例えば、世界そのもの(世界全体)に範疇を適用すると、世界は時間的・空間的な限界をもたないという命題と、世界は時間的・空間的に限界をもっているという対立する2つの命題が成り立ってしまいます。ヘーゲルは、本当はあらゆる概念のなかに二律背反があるはずだと指摘しつつ、カントがこうした矛盾の必然性を主張したことは認めています。しかし、物自体がこうした矛盾をもっているのだとされるのではなく、自我が矛盾を抱え込まされる形で(自我が二律背反を生み出してしまうという形で)問題を解消してしまったことを、中途半端な解決であると批判しています。ヘーゲルによるカント哲学批判の核心は、カント哲学は二元論である、ということです。この二元論というのは、直接的には、物自体の世界と現象の世界との二元論のことですが、より根本的にいえば、思惟(主観)と存在(客観)との間に絶対的な壁を設けてしまって、両者の統一がありえなくなってしまった、ということにほかなりません。カントがいくら思惟と存在の統一を主張しても、それは主観的にはそう見えるということでしかなく、物自体(存在)が実際のところどうなっているかは我々にはつかみようがない、という見解にとどまるしかなかったのです。

 思惟(主観)と存在(客観)との間に絶対的な壁を設けてしまったことで、両者の統一を不可能にしてしまったカントに対して、自我を絶対的な原理とし、宇宙の全内容をこの自我から演繹的に叙述することによって、カントの二元論という難点を自我一元論として克服しようとしたのがフィヒテです。しかしながら、ヘーゲルは、フィヒテは絶対的原理として自我という概念を掲げたのみで、この概念を自己自身からする学の実現へともっていくことはできなかった、と指摘しています。学問とはこういもの、という基本的な着想はよかったものの、実際に、宇宙の全内容を、自我から演繹されたものとして筋を通して叙述しきることはできなかった、ということでしょう。ヘーゲルは、理性は概念と現実の総合であるにもかかわらず、フィヒテはもっぱら主観的な面に終始して終始対立につきまとわれてしまった、と指摘します。ヘーゲルのいわゆる哲学の課題は、主観(思惟)と客観(存在)の統一、あるいは、絶対者を世界の全てを生み出す活動として把握することにほかならないわけですが、フィヒテは、主観性(自我)から全てが生み出されるとしつつも、主観の側から客観の側への道を充分には明らかにすることができませんでした。換言するならば、主観的な面に終始してしまい、主観に客観的なものをまともに取り込んで完全に宥和させるということができなかったのでした。

 これに対して、シェリングは、ヤコービの直接知(叡智的直観)を援用しつつ、主観的なものと客観的なものの統一を強く押し出します。これが神であり、主観的なものと客観的なものとの具体的な統一として、生き生きとした運動をうちに含むものとされるのです。要するに、シェリングは、神(主観=客観)を生き生きとした運動として把握することで、絶対者の自己運動による世界(あらゆる具体的なもの)の創造という把握に向かって大きく前進したのです。ヘーゲルはこのことを高く評価しつつも、主観的なものと客観的なものとの無差別ということ(理性の概念)が絶対的に前提とされるだけで、これが真理であるという証明が全くなされていないことを、シェリング哲学の欠陥として指摘しています。ヘーゲルにいわせれば、対立物の統一というものははじめから立てられるようなものではなく、各契機が自らその反対物となり、両者の同一のみが真理であることが明らかになる、といった思惟的考察の結果にほかなりません。すなわち、主観と客観との統一というのは、あくまでも過程であって媒介を自己のうちに含んでいるのですが、この媒介が止揚されて直接的なものとして措定されるわけです。シェリングは、このことを薄々感じつつも、論理的な仕方としては遂行せず、主観と客観の統一を、知的直観によってのみ証明される直接的真理のままに放置してしまったのだ、とヘーゲルは批判します。

 絶対者を主観と客観の統一として把握し、絶対者の自己運動として世界(あらゆる具体的なもの)を把握しようという発想そのものは、シェリングとヘーゲルに共通したものだといえます。ただし、主観と客観の統一(神、絶対者)の把握ということを、シェリングはヤコービ流に叡智的直観によるものだとして片づけてしまいました。これに対して、ヘーゲルは、絶対者の把握は、あくまでも思惟的考察によってなされるべきだという主張を対置したのでした。ここから派生する問題として、シェリングにおいては、絶対者が把握できるかどうかは個人的な才能にもとづく偶然的な事柄だとされてしまったのに対して、ヘーゲルにおいては、まともに思惟する人間であれば誰でも必然的に絶対者を把握することができるはずだ、という観点が強く打ち出されることになったのだ、ということも指摘しておかなければなりません。
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2017年05月08日

ヘーゲル『哲学史』を読む(10/13)

(10)18世紀の哲学の諸形態――健全な常識や自然な意識を原理とする

 前回は、ヘーゲルのいわゆる近代哲学の黎明期、および形而上学の時代について概観しました。ヘーゲルは、近代哲学の課題が、思惟と存在との統一を実現することにほかならなかったことを確認した上で、その統一が具体性のない形式で予告される黎明期、および、思惟する知性(悟性)によって形而上学的な統一が模索される時代について、論じていました。形而上学の時代とは、端的にいえば、思惟と存在との統一という観点から、筋を通して世界全体を説明しきることがあれこれと模索された時代であったということができるでしょう。デカルトは端的に、思惟=存在(我思う、故に我あり)を出発点と定めましたが、そこから諸々の具体的な事物・事象にまで筋を通し切る(ヘーゲル流にいえば、概念的に把握する)ことはできませんでした。デカルトを継承して、思惟=存在としての神を唯一の普遍的実体として根底においたスピノザも同様に、個々の具体的な事物・事象にまで筋を通して説明しきることはできなかったのです。一方、ロックは、個としての認識にこだわり、経験(感覚レベルの反映)にしか真理(思惟=存在)を認められなくなってしまいました。ロックとスピノザとそれぞれ対立しつつ、両者を結合しようとしたのが、ライプニッツです。ライプニッツは、思惟=存在という性格を備えた単子(スピノザにおける神を粉々に打ち砕いて、それぞれ絶対的に独立した個体としたようなもの)を、無数にバラまいて世界全体を充たしてしまうことで、世界全体を思惟=存在として説明しようとしました。しかし、単子どうしの関係をどう説明するかという難問にぶち当たって、神という存在に逃げ込むしかなくなってしまったのです。結局、思惟=存在という観点で世界を説明しきるのは極めて困難な課題なのだ、ということが明らかになったのが、形而上学の時代の成果であったといえるでしょう。思惟=存在たる神(絶対精神)が自己運動して世界の全てが生み出されていくこと、それが個として人間の精神にしっかりと(直接に)つながっていることを把握してこそ、ヘーゲルのいわゆる哲学は完成することになるのです。

 しかしながら、哲学の歴史は、この完成に向かって一直線に歩んでいったわけではありません。ヘーゲルは、ライプニッツからカントまでの間を移行期、思惟の凋落の時代として位置づけ、この時代の哲学を、一般的な通俗哲学ないし反省哲学ないし反省的経験主義として特徴づけています。前回取り上げた形而上学の時代においては、思惟と存在との統一という課題に取り組む過程で現われた諸々の矛盾は、神の助力とか予定調和といった作為的な分析的思考によって解決したものとされるしかありませんでした。今回取り上げる移行期においては、こうした作為的な解決に対立して、健全な人間の悟性(良識)のなかに合理的に納得のいく解決策を見いだそうとする傾向が主となります。これが18世紀の哲学の形態なのですが、ヘーゲルは、文明人の内にある健全な常識や自然な感情を規準とする人は、宗教や道徳や法が人間の心のうちにあるのは文化や教育のお陰であって、そのお陰ではじめてそうした原則が自然な感情になっていることを知らないのだ、と批判しています。ヘーゲルは、18世紀の哲学として、ヒュームやバークリーの懐疑論、スコットランドの哲学、フランスの哲学の3つを取り上げて、それぞれ批判的に検討しています。

 懐疑論について説くにあたって、ヘーゲルは、思惟というものが特定のものを破棄して自己同一を成り立たせるための否定的運動を本質とすることを指摘しています。思惟が自己の運動を自覚的に捉える過程は、近代においてようやくはじまったのですが、それはまず、個別的な形式的な自己意識として、すなわち、ある具体的な個人の意識としてはじまるしかなかったのだ、とヘーゲルは指摘します。こうして、個別的な意識こそこの世界の全てなのだ、という近代の懐疑論が登場してくることになります。ヘーゲルによれば、近代においては、物自体(存在)と自己意識(思惟)の統一を達成しなければならないという問題意識がありますから、自己意識が全ての実在を飲み込んでしまい、それこそが真理だと宣言されることになります。これに対して、古代の懐疑論においては、個別的意識が重視されたという点については近代の懐疑論と共通するといえるものの、物自体と自己意識とのズレこそが問題にされて、個別的意識にとっては何が真理なのかは分かりようがない、という消極的な結論にしかなりませんでした。こうした近代の懐疑論について、ヘーゲルは、全ての対象は人間の個別的意識が描くイメージでしかない、ということにとどまれば(単なるイメージ以上の、普遍的なるものは認めない、ということになれば)、それは最悪の観念論である、とした上で、バークリーはこうした主観的観念論であり、ヒュームはそれを別の言い回しにかえたのだ、としています。ヘーゲルは、バークリーについて、自己の内部にある主体が観念を自由に生み出す、というような主観的観念論ではなく、観念なるものは神によってのみ生み出される、としていることを指摘します。直接的に感覚できないような観念については、その根源を神に求めるしかなくなった、ということでしょう。このことについてヘーゲルは、体系に含まれる不合理を引き受ける下水溝として神が持ち出されるようなものだ、と述べています。さらにヒュームに至っては、普遍的なるものを一切認めず、因果関係なども主観的な習慣にすぎないものだ、という形で、観念とか概念とか必然性とかいうものを根本的に解体してしまったことが指摘されています。以上を要するに、自己意識が世界の全てを自分のものにする、という点に大きな前進を認めつつも、それが感覚的なレベルにとどまって、普遍的なるものとか観念とか概念とかをまともに扱えないような、非常に浅薄なものでしかなかった点に限界を見出す、というのが、ヘーゲルによるバークリーやヒュームについての評価であるといってよいでしょう。

 このように、ヒュームが必然性とか普遍的なるものの認識を完全に解消して、宗教や道徳についても単なる習慣にすぎないものだと片付けてしまったことに反対し、宗教や道徳について内的に独立した源泉を主張しようとしたのが、スコットランドの哲学です。宗教や道徳を単なる習慣レベルの不安定(根拠薄弱)なものとして放置しておくわけにはいかない、何が正しいのかは全く相対的なものだということにしてはならない、という問題意識があったわけです。しかしながら、スコットランド哲学は、世間一般に通用している宗教上、道徳上の真理(とされているもの)を、そのままの形で肯定し、直接に共通感覚(良識、常識)なる人間の認識能力に結び付けることで、説明を簡単に終わらせてしまいます。そのような宗教上、道徳上の真理がなぜ、どのようにして生じてくるかはまともに追究されることはありませんでした。ヘーゲルは、こうしたスコットランド哲学について、思弁哲学が全く姿を消してしまったもので、通俗哲学にすぎない、と批判的に評しています。一方で、健全な悟性という原理そのものは妥当なものであることは認められていますし、人間や人間の意識のなかに価値判断の源泉を探し求め、価値を人間に内在化させようとするという点については、大きな長所として認めてもいます。要するに、通俗的だけど問題意識も結果として主張していることもまとも、問題意識も結果として主張していることもまともだけど通俗的で哲学的な深みはない、というのが、スコットランド学派に対するヘーゲルの評価であるといってよいでしょう。

 フランス哲学について、ヘーゲルは、およそ存在するものは自己意識においてなければならない(自己意識が納得できるものでなければ真理ではありえない)、という確信にもとづいて、既存の諸々の権威や観念をことごとく否定していったものだ、と特徴づけています。ヘーゲルは、フランス旧体制の社会状態のひどさ、貧困や悲惨さを指摘して、フランスの哲学者による宗教攻撃や国家攻撃を擁護します。ヘーゲルは、彼らが旧体制に対抗して主張したのは、思惟する人間を愚民扱いしてはならないということだと、その正当性を指摘するのです。さらにヘーゲルは、フランスの哲学者たちが、知識一般や法知識の源泉を人間の理性や一般意識や健全な常識のうちに求めようとしたことを、フランス哲学の積極的な側面として評価しています。同時に、知覚や観察や経験をよりどころに、精神の本性をあれこれの自然的衝動に解消してしまうものとして、その不徹底さを指摘してもいます。しかし、そのような不徹底さがあったにしても、フランスの哲学において、自己意識(私)の内容は同時に具体的なもの、現存するものでなければならないとされ、この具体的なものが理性と呼ばれたこと、私のうちにある信念の自由、良心の自由が旗印として掲げられるようになったことは、フランスの哲学の偉大な功績として正当に評価されなければならない、とヘーゲルは強調するのです。そもそも人間は、自身の精神に内在する確固たる羅針盤を見出そうとする絶対的な衝動をもつものです。思惟と自己との統一が自由であり、自由意志こそ人間の概念であるとヘーゲルは力説します。ルソーにおいて自由の原理が高く掲げられ、自己自身を無限者としてみる人間にこの無限の強さが与えられたのだ、とヘーゲルはその歴史的意義を力説しています。
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2017年05月07日

ヘーゲル『哲学史』を読む(9/13)

(9)近代哲学の黎明、デカルトからライプニッツまで――思惟と存在との対立を形而上学的に統一する試み

 本稿は、2015〜2016年の2年間、ヘーゲル『哲学史』の内容に関わってなされた要約、例会への報告、例会で提示された論点をめぐってなされた討論などをしっかりと振り返りつつ、ひとつの流れをもった論稿にまとめなおすことをめざしたものです。前回までの3回にわたっては、ヘーゲルのいわゆるギリシャ哲学の第2期、第3期、および、ギリシャ哲学とゲルマン哲学(近代哲学)との中間に位置付けられた中世の哲学について概観してきたところでした。

 ヘーゲルは、古代哲学が到達した原理は現実の自己意識であった、と述べています。これは一体どういうことでしょうか。ギリシャのポリス共同体が崩壊して、人間が個としての自覚を強めていくと(客観的世界から分離した自己=主観に目覚めていくと)、自分自身がこの世界のなかで如何に生きていくべきかは自分自身で決めなければならなくなってきます。これが現実の自己意識ということです。ここで大きく浮上してくるのが、自己(思惟)と世界(存在)との関係をどう捉えるか、という課題にほかなりません。この課題をめぐる試行錯誤のなかから、自己と世界の絶対的本質(一者)との同一性を直観的に把握するに至った新プラトン派こそが、古代哲学の到達点であったわけです。キリスト教もまた、人間(自己意識)と神(世界の絶対的本質)との同一性の自覚にもとづくものでした。しかし、中世ヨーロッパにおいては、カトリック教会の絶対的権威が個々の具体的な人間を抑圧する形をとって発展していきました。自己意識(思惟)と存在(世界)という対立構図は大きく歪められて、「神の国」と「地上の国」という対立構図が描かれ、自然(外的な自然と人間の自然=本性)は後者に属する価値の低いもので克服されるべきものだと捉えられたのです。現実の自己意識はまったく抑圧されてしまったのでした。

 こうした中世的なあり方を否定して、現実の自己意識を改めて出発点として定め直して、思惟と存在という対立構図を明確に復活させた上で、これを克服しようと向かっていったのが、近代哲学の歩みにほかなりません。思惟と存在との対立を克服するというのは、思惟と存在との同一性を把握するということ、すなわち、自己が世界全体をほかならぬ自己自身として把握できるようにすること(自己=世界という関係を概念的に把握すること)であり、分かりやすくいうならば、世界のあらゆる事物事象を自分自身のことであるかのようによく分かること、です。

 ところで、思惟と存在とを一致させるためには、思惟から出発して存在も結局は思惟に解消されるのだ(世界の正体は思惟であり、存在は思惟が姿を変えたものだ)とするか、あるいは、存在から出発して思惟も結局は存在に解消されるのだ(世界の正体は存在であり、思惟は存在が姿を変えたものだ)とするか、2つの道がありえます。対立する2つがあるから両者を一致させるための道も2つある、ということに論理的にはなるのであって、実際の哲学史の歩みもその2つの道に分かれていきます。

 ヘーゲルは、近代哲学の黎明期を、存在と思惟の統一が独自の試案として具体性のない形式で予告される時期として特徴づけた上で、この時期を対照的な形で代表する2人の人物として、イングランドの政府高官であったベーコンと、ドイツの靴屋の親方であったベーメについて論じています。ベーコンについては、帰納法(経験を認識の唯一の源泉と見なし、経験に基づいて思惟を秩序だてる方法)を導入したことが注目される一方、経験を重視するあまり、推論や概念を全否定して、経験のみで事柄を純粋に取り出せるかのように考えてしまったことが批判されていました。ベーメについては、絶対的存在としての神が自己自身を分割していく対立物の統一体としてイメージされ、存在する一切のものはこの分割から流出すると捉えられていたことが高く評価される一方、彼が概念を欠いていたために、非常に強引で支離滅裂な記述しかできなかったことも指摘されていました。

 近代哲学の黎明期に続く時期を、ヘーゲルは思惟と存在との対立を形而上学的に(思惟する知性〔悟性〕によって)統一する試みがなされる時代として位置づけています。これは、デカルト以来、近代における哲学らしい哲学が行われるようになった時代のことを指しています(ヘーゲルは、本格的な哲学は新プラントン学派以来のこと、とも述べています)。

 ヘーゲルは、デカルトが思惟を出発点として定めたことについて、哲学を再び本来の土台に据えたものとして、非常に高く評価しています。ヘーゲルによれば、デカルトの有名な命題「我思う、ゆえに我あり」の最も重要なポイントは、思惟と存在との不可分の結合(直接のつながり)です。「我思う」は直接に私の存在を含んでおり、これが全ての哲学の絶対的基礎だと主張されたことを、ヘーゲルは高く評価しているのです。思惟=存在、ともかく存在しているものとしての思惟が出発点に据えられることが重要です。しかし、その思惟は非常に抽象的で単純なものでしかなく、自ら展開して具体的な内容を次々と産み出していく、というようなものにはなっていませんでした。思惟はあくまでも抽象的なものにとどまって、具体的な内容は、経験、観察などを通じて、外部から思惟のなかに持ち込まれるしかなかったのです。デカルトは、思惟(精神)と延長(物体)という2つの実体を認め、両者の関係をどう考えるかで苦労することになりました。デカルトの哲学を継承しつつ、その二元論を一元論へと止揚しようとしたのが、スピノザです。スピノザは神のみが唯一の実体であり、思惟と延長というのはその唯一の実体たる神の2つの属性にほかならない、とすることで、一元論を打ち立てようとしたのです。しかし、ヘーゲルは、唯一の実体からこの2つの属性がどのようにして生じるのか、そもそもなぜこの2つなのか、という問題については、スピノザは何の説明もしていない、と指摘しています。

 デカルトやスピノザは、現象的な姿の背後にある実体レベルのものをまっすぐに追究していき、思惟(精神)と存在(物質)という問題につきあたって、神を持ち出すことで両者を何とか統一しようと試みました。これに対して、思惟(精神)と存在(物質)との関係という問題を、あくまでも個別的な人間の経験の問題として考えよ抜こうとしたのがロックでした。ロックは、思惟と存在との区別にこだわり、我々の外にある感覚的な対象こそが真実の存在である、と主張しました。経験によって形成された単純な観念のそれぞれを真理だとして済ませてしまうロックに対して、ヘーゲルは、根源的な存在としての絶対精神から全世界のあらゆる事物事象にまで(それら全てについて絶対精神それ自身が姿を変えたものとして)体系的に筋を通して把握しきってこそ真理が現出するのだ、と主張します。ヘーゲルのいわゆる「真理そのもの」とは学問体系のことにほかならず、そのような立場からみれば、ロックにおいては個々の知識(具体的経験から析出された一般概念)がバラバラのまま放置されているだけで、およそ弁証的ではない、ということになるのです。一方で、ヘーゲルは、魂は白紙である、というロックの主張について、「生得観念」の本来の意味を明らかにする上で重要な指摘を含んでいる、という積極的な評価を与えてもいます。ヘーゲルによれば、生得観念とは本来、思惟の本性にもともと存在する本質的な要素のことであり、いまだ実在しない萌芽的性質のことをいいます。真理が思惟の本性にもともと含まれている、などということはそう簡単に証明できるものではない――それこそ「概念の労苦」を通じた学問体系の構築過程が必要――にもかかわらず、あまりにも簡単に、生得観念なるものはあるのだ(人間は生まれつき真理を把握しているのだ)、ということが主張されてきた状況に対して、ロックの白紙説は重要な一石を投じたのだ、ということです。

 スピノザは、「我思う、ゆえに我あり」(思惟=存在)を出発点と定めたデカルトを継承し、思惟=存在としての神を唯一の普遍的実体として根底においたものの、個々の具体的な事物・事象にまで筋を通して説明しきることはできませんでした。一方、ロックは、個としての認識にこだわり、経験(感覚レベルの反映)にしか真理(思惟=存在)を認められなくなってしまいました。ロックとスピノザとそれぞれ対立しつつ、両者を結合しようとしたのが、ライプニッツです。ライプニッツは、根源的存在としての無数の個体的実体を単子(モナド)と呼び、それぞれの単子(モナド)は宇宙の全体をそれぞれの仕方で表象するものだとしました。個体的な区別の絶対性を主張した点では、ライプニッツはロックを継承するといえますし、感覚的存在ではなく思惟こそが真理であると主張した点では、スピノザを継承するともいえます。ライプニッツは、観念的な存在(宇宙全体を表象する能力をもった叡知的存在)たる無数の単子を根源的存在とすることで、ロックとスピノザを結合したのです。しかしながら、ライプニッツにあっては、宇宙(自己)を表象するという叡智性は、単子という無数の狭い枠のなかに閉じ込められてしまうことになり、宇宙全体としてのつながりは、単子そのものから説明することは不可能となってしまいました。こうした難問を解決するために、ライプニッツは、単子とは全く別のレベル(より根本的なレベル)で改めて神の存在を想定することになり、あらゆる単子は神があらかじめ定めたとおり調和的に展開していくのだ、としてしまいました。こうしたライプニッツの対応について、ヘーゲルは、理解できないもの(概念的に把握しきれないもの)を神に押し付けているだけだ、全ての矛盾を神という名のもとに流し込んでいるだけだ、と厳しく批判しています。
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2017年05月06日

ヘーゲル『哲学史』を読む(8/13)

(8)中世の哲学――観念世界と現実世界の宥和という課題の登場

 前回は、ヘーゲルのいわゆるギリシャ哲学の第3期(新プラトン派の哲学)について概観しました。新プラトン派は、第2期の終わり、懐疑論によって得られた自己の内部の世界(抽象的で無内容な主観的世界)を、具体的に規定された世界――叡智的世界――として構成しなおそうとしました。新プラトン派は、全ては一者から流出したものであると説明しました。一者とは、あらゆる存在の究極の本質であり、神のことにほかなりません。一者から流出したものは一者とは別のものではなく、やがて方向を転じて一者へと還帰し、一者は自己を直観する、というのです。一者とは思考であり、そこから流出した対象は、結局のところ思考と一致するものである、というのが、新プラトン派の三位一体でした。

 これに対して、キリスト教の三位一体は、父(としての神)と子(としての神)と聖霊(としての神)の三位一体です。父なる神は造物主としての神であり、子なる神はイエス・キリストという人間であり、神と人間との一致が聖霊によって示される、というわけです。新プラトン派の神(一者)は、具体的な姿をもっていませんでしたが、キリスト教の神はハッキリと人間の姿をもっています(正確には逆に、神が自分の姿に似せて人間を創造したのだ、とされるわけですが)。新プラトン派の神は人間の姿をしていませんから、個人としての意識の彼岸にあるとされざるをえませんでした。新プラトン派も神と人間との一致という発想をもってはいますが、それは、人間が個人としての意識を否定して(個としての人間の感性的・具体的なあり方を全否定して)抽象的な一者に没入する、という形で達成されるものでしかありませんでした。これに対して、キリスト教の神は、人間の本来の姿というべきものであり、個人の意識の内部に神が見出されていくことになります。神=人間=聖霊であり、三者は全て精神です。キリスト教においては、現実に生きて生活している具体的な人間をそれ自体として精神とすることで(具体的には個人が内面的良心の領域を確固として持つことで)、神と自己との一致に到達するのです。

 ヘーゲルの歴史観においては、キリスト教の登場によって、歴史の終局的な目標(人間が精神になること)が明確になったのであり、その目標の実現に向けた歩み(人間=精神という原理で社会の隅々までつくりかえていく過程)が新たに始まったのだ、と解されることになります。ヘーゲルにおいては、キリスト教の原理が、人間が絶対者(=神)と本質的に同一であるという直観をもたらしたことが力説された上で、この直観を概念的に把握し直していく過程こそが、哲学の完成に向けた歩みなのである、と位置づけられることになるわけです。

 しかしながら、ヘーゲルは、キリスト教がローマ世界において(あるいはビザンチン世界においても)教会としては支配権を握るに至ったものの、それとは独立したものとして、国家体制や文化などが確固として確立されていたために、キリスト教の原理にもとづいた世界を築くことはできなかった、と指摘します。したがって、キリスト教の原理にもとづいた世界が形成されるためには、キリスト教の原理が、確固とした国家体制や文化をもたない未熟な民族のなかに持ち込まれることが必要だったのであり、その未熟な民族がキリスト教の原理を自分のものとして、新たなキリスト教世界を形成していく過程が必要だったのです。そうしたキリスト教世界の建設の担い手となったのが、ゲルマン民族にほかなりませんでした。

 ヘーゲルは、ゲルマン民族がキリスト教を受け入れて自分のものにしていく過程について、自然(≒主観的精神)と精神(≒絶対的精神)との闘いの過程として描きだしています。未開民族としてのゲルマン民族の素のままのあり方が自然(個々人の粗野な感覚や思い込み)であり、そこに精神がキリスト教の原理として押しつけられたのです。自然は精神に従うことを強制されつつも、やがて、両者の相互浸透が進んで、主観的精神と絶対的精神とが調和した状態が実現されていくことになっていきます。

 ヘーゲルは、ゲルマン民族が精神の自由を獲得するためには、まずは宗教的束縛のもとで奉仕し戦慄すべき規律に耐え抜く必要があった、と指摘します。自由を獲得するために、まずは不自由に耐え抜かなければならなかった、という把握です。ヘーゲルは、これを全体的な枠組みとして押さえた上で、学問の歴史について論じています。スコラ哲学は、ヘーゲルにいわせれば、端的に「不自由な哲学」ということになります。それは、キリスト教の教義によって外から枠をはめられた営みであり、神学と一体になったものでした。ヘーゲルは、スコラ哲学は感覚的世界に関わる経験に無関心であり、叡智的世界を抽象的概念を駆使して説明しようとしたのだ、といいます。こうした試みのなかから、ひとつの命題を立て、次にそれに異議を申し立て、最後に三段論法と区別によってこの異議を否定する、といった一般的な形式が確立されていくことになったのですが、これは具体的な内容を全く欠いた空虚な形式でしかありませんでした。ヘーゲルは、スコラ派に見られるのは、精神として言明された絶対的で無限の真理が、自己を精神的人間として意識しない野蛮人のうちに放り込まれたという情景である、とします。ゲルマン世界においては、生活の全般が2つの部分に分裂し、精神の国と世俗の国が対立していましたが、学問もまた現実的な土台を欠いており、思考を内面的に統一する絆である自我がなかった、というのです。

 しかし、教会が世俗化していくとともに、世俗の権力そのものも精神化されていき、封建制の内部でも、法や市民秩序や自由が次第に現われてくるようになると、学問も目の前の材料を扱うようになっていきます。ヘーゲルは、時代精神がこうした転回点に立って観念世界を放棄し、いまや此岸の世界(現実世界)に目を向けるようになったのだ、といいます。こうして、観念世界と現実世界の宥和という課題が浮上してきます。自然的なもの(世俗的なもの、個人の心の内面も含む)の価値を単純に全否定していたところから、精神と相互浸透した形で(自然的なもののなかにも理性がつらぬかれているのだという形で)、自然的なものの価値が認められるようになっていったわけです。

 このようにして、個人の意志が次第に実力をつけてくると、人間は、外から神の意志を押し付けられるというあり方に反発して、何事も自分で決めて自分で思ったとおりに動こうとするようになっていきます。人間が教会の絶対的権威に対抗して、人間らしさを主張するために依拠したのは、カトリック教会の絶対的権威が確立される以前の、ギリシャおよびローマの古典でした。人間がまだ幼く、絶対的権威というものを明確には意識できなかった段階のあり方を、絶対的権威への対抗のために利用したわけです。これは一見すると幼児期への後退のようでありながら、教会の絶対的権威への対抗のために、自分が思うように行動できるようにするために、という目的意識をもって選択された行為だという点で、自由の実現に向けた大きな前進であったということができます。

 カトリック教会においては、人間的なもの(結婚、労働、所有など)と神的なものとが分裂させられ、前者はそれ自体としては価値の低いものであるとみなされていました。啓示的真理は教会が独占するものであり、精神の救済はあくまでも教会(司祭)によって媒介されなければならなかったのです。これに対してルターは、一人ひとりの個人がそれ自体として神聖な存在なのであり、個人の内面的良心が直接に神につながっているのだ、と主張しました。このことについてヘーゲルは、人間が彼岸の権威から解放されて自分自身に返ってきた、精神が自分自身との宥和を意識し、宥和が精神のうちで実現されねばならないことを自覚できるようになった、と表現します。こうして、善悪の規準が、外的に存在する教会の絶対的権威ではなく、各個人の内面的良心の領域に求められるようになったことで、結婚や労働や所有といった人間的な生活のあり方が、それ自体として肯定されるようになりました。自己の内面的良心に従って行動するということこそが、ヘーゲルのいわゆる自由(=自らに由る)ということであり、主体的ということにほかなりません。ヘーゲルは、こうした自由が成り立つためには、人間は自分の所有する言葉で安心して話したり考えたりすることができなければならない、と強調して、ルターが聖書をドイツ語に翻訳したことの重大な意義を示唆してもいます。

 以上、今回は、ギリシャ哲学とゲルマン哲学(近代哲学)の中間に位置する中世の哲学について概観しました。キリスト教は本来、人間(自己意識)と神(世界の絶対的本質)との同一性の自覚にもとづくものであったはずですが、教会の絶対的権威が個々の具体的な人間を抑圧する形をとって発展していきました。自己意識(思惟)と存在(世界)という対立構図は大きく歪められて、「神の国」(観念世界)と「地上の国」(現実世界)という対立構図が描かれ、自然(外的な自然と人間の自然=本性)は後者に属する価値の低いもので克服されるべきものだと捉えられたのです。こうした中世的なあり方を否定して、現実の自己意識を改めて出発点として定め直して、思惟と存在という対立構図を明確に復活させた上で、これを克服しようと向かっていったのが、近代哲学の歩みにほかなりません。
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2017年05月05日

ヘーゲル『哲学史』を読む(7/13)

(7)新プラトン派――感覚世界の滅却と理念の観念世界としての形成

 前回は、ヘーゲルのいわゆるギリシャ哲学の第2期について概観しました。この第2期の課題は、ギリシャ哲学の第1期(イオニアの自然哲学から、ピュタゴラス派、エレア派、ヘラクレイトス、原子論、アナクサゴラス、ソフィスト派、ソクラテスを経てプラトン、アリストテレスまで)の終わりで提示された普遍的だが抽象的な理念(プラトンのイデアやアリストテレスの能動的ヌース)が具体的で特殊的な事物を捉えていくことでした。普遍的なものの特殊的なものへの適用は、真理とは何かという問題を論じる形をとりました。特殊的なものが普遍的なものと結合することがすなわち真理だとされたわけです。この課題に対して、概念的(普遍的)でありながら感性的(特殊的)なあり方をも保持している表象レベルのイメージこそ真理であると決めつけて、その課題が果たされたことにしてしまったのが独断論です。その際、思考の側に主導権を認めたのがストア派であり、感覚の側に主導権を認めたのがエピクロス派でした。こうした独断論による安直な解決のウソ臭さを鋭く突いたものの、逆の極端にまで走って一切の客観的真理を否定し去ったのが、懐疑論でした。抽象的な理念が具体的な事物を捉えるにはどうしたらよいか、という共通の課題に挑みながらも、思考を重視するか、感覚を重視するか、何れも正しくないとするか、それぞれに一面的な主張が分立していくことになるのが、第2期の特徴であったということができます。

 ヘーゲルは、この第2期の終わり(懐疑論の登場)について、自己意識が自分の内面に返り、無限の主観性によって、思考する自己意識が自己を絶対者だと自覚する段階に至ったのだとしています。しかし、懐疑論における全世界の取り込みは、あらゆる区別、具体的な内容を否定する形で(したがってまた一切の真理を否定する形で)行われたので、ここに自己の内部の世界(抽象的で無内容な主観的世界)に諸々の差異を捉えて、具体的に規定された世界――叡智的世界――として構成していくことが課題として浮上してくることになります。この課題に挑んでいくことになるのが、ヘーゲルのいわゆるギリシャ哲学の第3期です。

 ヘーゲルは、ギリシャ哲学の第3期は、キリスト教に密接に関連するものであることを指摘しています。キリスト教においては、ユダヤ教の神(世界を創造した唯一神)とイエスという現実的人間が結び付けられることで、神=人間という直観が得られます。イエス・キリストという存在のイメージを通じて、自己意識こそが絶対の実在であるという考えが芽生えてくるのですが、それは直観されるにすぎず、絶対的な実在(=神)が概念的に把握されているわけではありません。絶対的な実在(=神)を概念的に把握するという課題を担わされたのが、ギリシャ哲学の第3期であったわけです。懐疑論を通じて絶対者であるとの自覚に到達した自己意識が、自己の内部に諸々の差異を捉えて叡智的世界を建設していくという課題は、絶対的な実在たる神を概念的に把握していくという課題と直接に重なるものであったわけです。結論的にいえば、この叡智的世界の建設は、客観を否定して主観に閉じこもるという懐疑論的なあり方を否定し、客観もまた主観と同じく精神的な存在であると割り切ることで、客観の具体的で豊かな内容を自分のものにしていく過程にほかなりませんでした。全ては一者(=神)からの流出なのであって、自己(個としての人間の意識)は直観的にその真理(自己=一者)を把握することができる、としたわけです。

 この第3期の哲学は、新プラトン派と呼ばれており、代表的な人物として、プロティノスとプロクロスの2人が取り上げられています。

 ヘーゲルは、プロティノスのやり方について、特殊的な概念を常に全くの一般的な概念へ還元してしまうものである、といいます。その一般的な概念こそ「一者」と呼ばれるものにほかなりません。プロティノスのいわゆる一者とは、純粋の有であり、あらゆる存在の究極の本質であって、端的には神のことです。あたかも太陽から日光が溢れ出るように、神からの「流出」によって諸々のものが形成されて行くのだとされるわけです。プロティノスは、一者とそこから流出したものとが別個のものではないことを力説して、一者から流出したものは方向を転じて再び一者(流出の源)へと向かって還帰するのだ、といいます。こうして一者は自己を直観します。プロティノスは、知性とはこの円環運動のことにほかならない、と説くのですが、ヘーゲルはこのことに注目し、高い評価を与えています。知性は自己自身(一者)を対象として、自己を展開し自己を規定されたもの(区別を含んだもの)としていくことにより、叡智的世界を成立させていくことになるわけです。

 ところで、ある事物(A)を他の事物(B)から区別するのは両者の差異であり、負の存在(Bではない、ということ)であると考えることができます。プロティノスはこの負の存在を物質だと位置づけました。プロティノスは、物質は現実に存在するものではなく、可能性として存在するものであって、非存在こそ物質の性質を表わす言葉である、としたのです。永遠不変のものとされる純粋の有(一者=神)に対して、変化しやがて消滅していくものが物質と呼ばれることになった、ということでしょう。プロティノスは、感覚的世界の原理は物質である、とします。叡智的世界は区別をうちに含みつつも一者(永遠不滅の絶対善)として完全に統一されているのですが、その叡智的世界の迂遠な模像としての感覚的世界は、物質こそが原理となっているので、非常に不安定で悪にも満ちています。

 こうしたプロティノス(新プラトン派)の哲学をプラトンの哲学と比較するならば、どのようなことがいえるでしょうか。プラトンは、世界を大きく2つ――イデア界(叡智的世界)と感覚的世界とに分けてみせたものの、両者の関係がどのようになっているのかという問題については、充分に論究することができませんでした。これに対してプロティノス(新プラトン派)は、絶対善たる一者からの流出という発想によって、叡智的世界の成立から感覚的世界の成立まで、それなりに筋を通して説明することができるようになったのだ、ということができるでしょう。しかしながら、ヘーゲルは、プロティノスの哲学(とりわけその知性論)について、的を射たものであり高度な観念論である、と高い評価を与えつつも、神からの流出のイメージが感覚的なもの(太陽から光が溢れ出るようなたとえ)にとどまって概念的な把握がなされていないために、完全な観念論とはいえない、という批判も加えています。

 ヘーゲルは、プロクロスの哲学については、プロティノスと同様の内容を含みつつ、体系的な秩序を整えて形式的に完成させたものである、と述べています。体系的な秩序、形式的な完成といった際に重要なポイントとなるのが、プロクロスが徹底して三位一体という展開にこだわったことです。一に対して無限(多)という対立物が立てられ、限界によって両者が統一される、といった具合の三位一体です。プロクロスには、この基本的な三位一体のそれぞれの項(一、無限、限界)がまた三位一体をなしている、という発想があったようです。要するに、ある契機に対立する契機が立てられた上で両者が統一される、という法則的な発展過程が繰り返されることで、世界全体の重層的な構造が出来上がっているのだ、というような捉え方がプロクロスにはあったのです。これは、世界全体の体系的な把握という哲学の重要な要素を含んだものといえ、こうした点に着目したからこそ、ヘーゲルはプロクロスを高く評価することになったものと思われます。

 以上、今回は、ヘーゲルのいわゆるギリシャ哲学の第3期(新プラトン派の哲学)について概観しました。人間(精神)は、新プラトン派において、自己の内部にある抽象的で無内容な主観的世界(第2期の終わり、懐疑論によって得られたもの)を、具体的に規定された世界――叡智的世界――として構成しなおそうとしました。そのために、世界の全ては一者(=神)からの流出なのであり、あらゆる存在は精神的なものであるとされたのです。しかしながら、その代償として、具体的な個人としての人間(精神)は、一者としての神のなかに没入させられてしまうことになりました。人間と神とは同じものであるという啓示は、イエス・キリストの降臨と受難というによって与えられていたのですが、これはイエス・キリストという特殊な人間についてのものと捉えられ、人間一般というレベルではまだ把握されなかったのです。
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2017年05月04日

ヘーゲル『哲学史』を読む(6/13)

(6)独断論と懐疑論――具体的な理念の登場と学問の特殊な体系への分岐

 本稿は、2015〜2016年の2年間、ヘーゲル『哲学史』の内容に関わってなされた要約、例会への報告、例会で提示された論点をめぐってなされた討論などをしっかりと振り返りつつ、ひとつの流れをもった論稿にまとめなおすことをめざしたものです。 

 前回までの3回にわたっては、ヘーゲルのいわゆるギリシャ哲学の第1期、すなわち、タレスからアリストテレスまでの流れを辿ってみました。その流れをここで簡単に振り返っておくことにしましょう。そのための大前提として大切なのは、そもそも哲学の歴史とは何なのか、ということです。結論的にいえば、哲学の歴史とは、人類がこの世界全体に体系的に筋を通して把握していこうとしてきた営みの歴史にほかなりません。観念論者ヘーゲルにあっては、世界の本質たる精神が(自己が精神であることに気づいた上で、さらに)この世界の全ての事物・事象は自己自身にほかならないという自覚を明瞭に把持するに至るまでの歴史が哲学史である、ということになるわけです。

 さて、ヘーゲルによれば、哲学史の始原は、この世界の本質(原理)とは何か、ということが問題になったところからです。この問いかけを始めたのがタレスを筆頭とするイオニア派であり、そこでは自然的な形(「水」や「空気」など)が原理とされることになりました。そこから、感性的なものと概念的なものとの中間的なもの(過渡的不明瞭なもの)である数を原理としたピュタゴラス派を経て、エレア派によって不動の「一」あるいは「有」といった抽象的思想が原理とされるに至ります。しかしながら、これは純粋な思考の対象でしかなく、思想としては自覚されていません(「一」こそ原理であると思考したパルメニデス自身と「一」との関係が不明瞭で、自分自身が「一」なのだという自覚はありません)。思想としての自覚の過程がスタートするのは、ソフィスト派およびソクラテスからです。とくにソクラテスにおいては、アナクサゴラスによって感性的な世界と区別される原理として打ち立てられたヌース(具体的で豊かな内容をもつ感性的世界から明瞭に区別されただけに、それは抽象的で無内容なものでした)に自己の精神を重ねて、そこから感性的な世界の具体的で豊かな内容を自己のものにしていこうという運動が開始されたのです。この運動は、プラトンからアリストテレスへという流れで大きく発展していきましたが、それは単に所与の現実をそのまま受動的に写し取っていくようなレベルのものでしかなく、受け入れた現実を自分自身(個としての人間自身)と同一のものだとして深く自覚するようなレベルのものではなかったのです。

 ヘーゲルのいわゆるギリシャ哲学の第1期の終わり、アリストテレスにおいては、自己自身を思惟する思惟の理念(神的ヌース、能動的ヌース)こそ最高の真理だと宣言されたものの、アリストテレス自身は、この理念を自身の学問の全体につらぬくことはできず、相互に無関係な特殊な概念を長々と羅列することに終始してしまいました。そこで、特殊なものの全体を貫く普遍的な原理の探究こそがギリシャ哲学の第2期(ローマ時代のギリシャ哲学)の課題として提起されることになったのでした。

 しかし、第2期においても、普遍的なものから特殊的なものが展開されていくという形で体系的に筋が通されるところにまでは到達できず、せいぜい普遍的なものが特殊的なものに適用される、というレベルにとどまってしまった、とヘーゲルはいいます。普遍的なものの特殊的なものへの適用は、真理とは何かという問題を論じる形をとりました。特殊的なものが普遍的なものと結合することがすなわち真理だとされたわけです。そもそも真理とは(唯物論の立場からしても、またヘーゲルの観念論の立場からしても)主観的なものと客観的なものとの一致のことだといえます。ギリシャ世界からローマ世界への移行に伴って、何をもって真理とするのかという問題が浮上してきたことは、ヘーゲル『歴史哲学』の議論を踏まえるならば、共同体から自立した個人としての自覚が高まってきたことで主観と客観との関係が切実な問題として浮上してきた流れに対応する、ということができるでしょう。そもそもギリシャ世界においては、個人と国家(共同体)とが分離しきらず、個人の生き生きとした活動が国家と密接に結びついたものとしてあることができました。ところが、ローマ世界においては、大帝国が建設されていくなかで、国家から分離しきった個人は圧殺され(このあたりの事情を、ヘーゲルは「ローマには抽象的な支配の原理しかなかった」(p.159)と表現しています)、個人は社会のなかに具体的な満足を求めることができなくなったために、自らの内に引きこもることになってしまいました。こうしたローマ世界における精神のあり方に対応する哲学として、主観的なものを独断的に真理の規準とする独断論、および、それへの機械的な反発としての懐疑論が登場してくることになったわけです。

 独断論は、主観的なものを真理の規準として独断的に客観的なものに押し付けようとするものですが、主観的なものには大きく分けて思考と感覚とがあります。思考を真理の規準として掲げたのがストア派であり、感覚を真理の規準として掲げたのがエピクロス派です。これらはそれぞれ、小ソクラテス派のうちのキュニコス派(犬儒学派)およびキュレネー派を継承したものとして位置づけられる、とヘーゲルは述べています。小ソクラテス派については本稿連載の第4回でも触れました。キュニコス派は、ソクラテスのいわゆる善を、自然にかなったものとして規定し、人間の心を惑わす一切の特殊なもの(感性的な快楽)は欲するに値しない、としていたのでした。ストア派は、こうした立場を継承しつつ、自然を理性(ロゴス)として捉え、人間はこの理性に従うべきものとした上で、理性的に思考されたものこそが真理である、と主張したわけです。一方のキュレネー派は、認識の確実性を感覚に求め、快楽こそが善である、としていました。エピクロス派は、こうした立場を継承しつつ、感覚こそが真理の規準であると主張し、快楽こそが善である、と主張したわけです(もっとも、その快楽というのは、恐怖や欲望からの自由を意味することに注意が必要です)。個別的な感覚を重視するエピクロス派は、自然学においては原子論と結びつき、全ての自然現象を原子の偶然的な運動に解消し、目的論的な世界の把握の仕方を否定しました。

 独断論として一括されるストア派およびエピクロス派は、「真理は対象と認識との一致である」という命題を「表象レベルのものこそが真理である」という形で主張したのだということができます。ストア派にしろエピクロス派にしろ、概念的なレベルの把握は対象の感性的な姿とは全く異なっているので、このレベルでは対象(客観)と認識(主観)との一致を主張することができず、感性的なものと概念的なものとの過渡的なレベル(表象レベルのもの、抽象的なもの〔理念〕が規定されてより具体的になったもの)に真理の基準を設定するよりほかなかったのです。

 思考が対象を受け止めて自分のものにしていく、というストア派が描いた大きな流れについては受け入れつつも、表象レベルのもの(思考の一般性が対象の具体性を受け止めたもの)こそが真理である、という主張には与しなかったのが新アカデメイア派です。表象レベルのものは確かに具体的に規定されてはいるけれども、愚者でも賢者でもそれぞれなりに表象レベルのイメージは抱きうるのであって、それらが必ずしも真であるとは限らないのではないか、表象レベルのイメージというのは、どこまでいっても、世界がそのように見える、というものでしかないのではないか、というわけです。表象レベルのイメージというのは、十分な根拠(本当らしさ)と見なすことはできても、真に究極的なものではない、しがたって、賢者はあくまでも普遍的なものに執着すべきであって、具体的に規定されたものについては、必ずしも真とは言い切れないものとして同意を差し控えなければならない――これが新アカデメイア派の主張です。こうした独断論批判をより徹底し、一切の客観的真理を否定して全ては仮象に過ぎないと主張したのが懐疑論(スケプシス派)です。スケプシス派は、全てが変化していく以上、事物は存在するにしても自ずから非存在に転じてしまうのであり、存在は決して真ではない、と主張しました。真理とは絶対に永遠不変なもの、という前提に対して、あらゆる事物は変化するという点に着目してそれを強調するならば、一切の客観的真理は否定されることにならざるをえません。スケプシス派は、変化ということを素直に認めることによって心の平静を保つべきだ、と主張したのでした。

 以上、今回は、ヘーゲルのいわゆるギリシャ哲学の第2期について概観しました。第1期で提示された抽象的な理念(プラトンのイデアやアリストテレスの能動的ヌース)が具体的事物を捉えていくことが第2期の課題でした。概念的でありながら感性的なあり方も保持している表象レベルのイメージこそが真理であると決めつけて、その課題が果たされたことにしてしまおうとしたのが、独断論です。その際、思考の側に主導権を認めたのがストア派であり、感覚の側に主導権を認めたのがエピクロス派だといえます。こうした独断論による簡単な解決のウソ臭さを鋭く突いたものの、逆の極端にまで走って一切の客観的真理を否定し去ったのが、懐疑論でした。抽象的な理念が具体的な事物を捉えるにはどうしたらよいか、という共通の課題に挑みながらも、思考を重視するか、感覚を重視するか、何れも正しくないとするか、それぞれに一面的な主張が分立していくことになるのが、第2期の特徴であったといえます。
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2017年05月03日

ヘーゲル『哲学史』を読む(5/13)

(5)プラトンとアリストテレス――超感覚的世界への意識の高まりから宇宙の全部分の概念的な把握へ

 前回は、ヘーゲル『哲学史』の記述に沿って、アナクサゴラスが創出したヌース(思想)の原理を実際に社会生活(ポリスでの生活)の諸々の事例に対して行使していくことで、それまで絶対的な権威とされていた旧来の宗教や習俗を揺るがせていったソフィスト派を経て、こうしたソフィスト派の肯定的側面を受け継ぎつつ、ただ外的な権威を攻撃して否定するだけでなく、そこからさらに自己の内面にまで立ち返って来ることにより、真・善・美という形で肯定的な内容を積極的に打ち立てようとしはじめたソクラテスが登場し、ソクラテスの影響の下に思想と実在との間の矛盾に何とか折り合いをつけようと試行錯誤するなかで諸派(いわゆる小ソクラテス派)が分立していく過程を辿ってみました。

 ヘーゲルは、いわゆる小ソクラテス派が、ソクラテスの原理――普遍的内容(世界の原理)は善でありそれは自己(精神)のなかにこそあるのだ――を部分的に(特殊な諸側面のひとつに着目して)しか受け継ぐことができなかったのに対して、その核心を的確につかんで全面的に継承・発展させたのはプラトンであった、と指摘しています。ヘーゲルは、プラトンにあっては、実在性は直接に思想であり、ひとつの学問的全体の理念として、学問の運動における概念とその実在性としてある、といいます。これは、一切の実在するものに対立して思想なるものが立てられた段階(アナクサゴラスのヌース)から、ようやくにして(ソフィスト派、ソクラテス、ソクラテス派による試行錯誤を経て)、思想のなかに一切の実在するものが取り込まれていった(逆からいえば、思想が一切の実在するものの方へ浸透していった)ことにより、思想ということから世界全体にそれなりに筋を通して把握することが可能になり始めてきたことを意味しているといってよいでしょう。このことに関連して、ヘーゲルが、プラトンにおいて思想が大きく3つに分化し始めたと指摘していることも大いに注目されます。すなわち、ヘーゲルは、哲学(絶対精神が自己の何たるかを明確に自覚するための形態)が、論理哲学、自然哲学、精神哲学という3部門構成を整え始めたのがこの段階だというのです。

 よく知られているように、プラトンにおいては、現実の世界(感性的、物質的な世界)の諸々の事物の範型としての理念(イデア)が存在する世界というものが設定されます。ヘーゲルは、プラトンのいわゆるイデアについて、絶対的客観的に存在する本質であり、唯一の真実在として理解されるような普遍のことだ、と説きます。ヘーゲルによれば、プラトン哲学の使命は、人間の内にある感性的世界の表象を超感性的世界の意識から区別すること(事物の感性的な姿を否定して、その背後にある真実在たるイデアを把握すること)にあったのです。しかしながら、ヘーゲルは、プラトンがイデアの把握は学びによるものではなくて想起によるものだと主張したことについて、個的意識(絶対精神ではなく個人の精神!)がその内容をもともと所有していたというレベルにとどまるものである、と批判してもいます。ここから、プラトンにおいては、学知の出現が個的なもの、表象レベルのものと混同されてしまい、人間の心(絶対精神ではなく、個としての精神)は不死であるなどという神話が輝かしく練り上げられることになってしまった、というのです。ヘーゲルにおいては、学知(世界全体の体系的な把握)というのは、あくまでも個的な精神(有限な、死すべき者)を超えた普遍的精神(絶対精神)によって成し遂げられる事業なのです。

 一方で、ヘーゲルは、プラトンの対話篇『ソフィステス』や『パルメニデス』などにおいて、イデア(絶対的なもの)が自己を規定していく(諸々の対立する規定を含みこんで自己を具体的なものとしていく)必然的な運動が把握され始めていることに注目し、このことをプラトン弁証法の真髄として高く評価しています。ヘーゲルによれば、こうした自己規定(の運動)の結果(到達点)は、存在と非存在、あるいは一と多といった対立物の統一にほかなりません。例えば、Aという事物は、「Aである」という規定と同時に「A以外のものではない」という規定をも含んでいる、というような把握をプラトンは行ったのだ、ということです。それまでの常識的なものの見方考え方では、あるものが対立する諸規定を含んでいると指摘するにしても、そのもののある部分はAであるが他の部分はBである、というようなレベルにとどまり、AがBを背負っている(A自身が同時にBでもある)、という高度な把握はできませんでした。エレア派の弁証法にしても、存在するのはただ存在のみで非存在は全く存在しないとするだけで、存在は常に非存在を背負っているのだ、というプラトンレベルの把握からすると幼いものであったといわなければなりません。ここで決定的に大事なのは、エレア派の否定的な弁証法(非存在は存在しない!)に比して、プラトン弁証法が肯定的なものとなっているのは、それが「相互に滅ぼし合った対立物の統一」(ヘーゲル『哲学史(中巻の一)』岩波書店、p.243)を示すものにほかならないからだ、ということです。どういうことかといえば、あるものについて「Aである」という主張と「Aではない」という主張(およびその他諸々の主張)を闘わせていくなかで、単純に「Aである」とか単純に「Aではない」とかいう主張が相互に滅ぼし合って「Aであると同時にAではない」という直接的な統一(対立する主張の両方が肯定される)のレベルに到達するのだ、ということです。ヘーゲルは、こうしたプラトン弁証法の過程性を、イデア(絶対的なもの)が自己を規定していく(諸々の対立する規定を含みこんで自己を具体的なものとしていく)必然的な運動を把握したものにほかならない、とみなしたのでしょう。

 一方でヘーゲルは、プラトンにはこのことの明確な自覚が欠けており、本来ならば、こうした自己規定の運動の結果(到達点)として提示されるべき普遍的なもの(正、美、善、真)が、直接に受け入れられた前提として提示されてしまっている、という批判もしています。プラトンにおいては、普遍的なものが何故に普遍的なものであるのかはいささかも解明されないまま、ただ「そういうものとしてあるのだ!」とされるだけ、ということになってしまうのです。

 これに対して、可能態(デュナミス)と現実態(エネルゲイア)あるいは完成態(エンテレケイア)という捉え方を導入することによって、理念の自己規定の運動に筋を通して説こうとしたのがアリストテレスであるといえます。アリストテレスは、質料は単なる可能性にすぎず、それが真に存在する(具体的な形をとって存在する)ためには形相が必要である、と主張したとされます。抽象的な普遍性一般としての質料にとって、形相は自己(単なる可能態としての自己)を自己(現実態となった自己)へと媒介する否定的な契機(単なる可能性としての質料のあり方を否定する契機)です。自己のうちに目的をもち、その目的を実現すべく自己に還帰する活動的な主体というものが、アリストテレスにおいて登場したのだと、ヘーゲルは捉えようとするわけです。プラトンの場合、肯定的原理である理念(イデア)はたんに抽象的に自己自身と等しいものでしたが、アリストテレスの場合、それは否定性の契機(他在、すなわち対立を揚棄するものであり、対立を自己の内に連れもどすもの)となっています。この否定性は単なる変化としてでも無としてでもなく、活動的な主体たる自己が、自己を区別し規定する(抽象的な自己を具体的なものとしていく)働きとして、現われてくるのです。

 アリストテレスは、単なる質料を最も低いレベルに置き、質料と形相との統一によって存在する諸々の「実体」を中間に置いて、最も高いレベルに質料をもたない絶対的な「実体」、すなわち、自らは不動で永遠でありながら他のいっさいのものを動かす「実体」を置く、というように諸々の「実体」について、それなりに筋を通して配置することをも試みています(ヘーゲルは、最高の「絶対的実体」について、他を動かしながら自らは不動な中心としてあるという考え方が、アリストテレスに自己のうちに還帰する理性の円環という考え方を生みださせることになったのだ、と述べています)。ただし、こうした諸々の「実体」なるものの配置は、どちらかといえばとりあえず並べてみたというレベルのものであり、体系的に筋を通しきるレベルには程遠い、と捉えられているようです。

 ヘーゲルによれば、アリストテレスは、自己自身を思惟する思惟の理念(神的ヌース、能動的ヌース)こそ最高の真理だと宣言したものの、アリストテレス自身はこの理念を自身の学問の全体に貫くことはできず、相互に無関係な特殊な概念を長々と羅列することに終始してしまいました。アリストテレスは実在する宇宙の全領域と全側面に深く突きすすみ、それらの豊かさと多様さとを概念的に把捉したものの、諸部分は経験的にとり上げられ同列に置き並べられているだけで、彼の哲学は、概念によって体系化されていく全体とはならなかったのです。アリストテレスにおいては、論理の諸形式によって多様な現象が概念にまで高められたものの、それらの概念はバラバラのままで、それらを絶対的に統一する概念が明らかにされなかった、とヘーゲルは批判します。体系化のために必要とされるのは、特殊なものをつらぬくひとつの原理であって、その原理のもとに、認識されたものの全域が概念の統一された組織として現われてくることです。これが、次の時代の哲学の課題となります。
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2017年05月02日

ヘーゲル『哲学史』を読む(4/13)

(4)ソフィスト派とソクラテス――個人を尺度とした問いかけから真・善・美という普遍的基準の登場まで

 前回は、ヘーゲル『哲学史』の記述に沿って、水こそが原理(=絶対的なもの、世界の本質的なもの)であると主張したタレスらイオニア派の哲学者たちから、数こそが原理であるとしたピュタゴラス派、有だけがあって非有(無)はないとして運動の真実性を否定したエレア派、有と非有との統一としての生成こそが原理だと主張したヘラクレイトス、有を原子として無を空虚として固定化して原子の結合・分離によって世界全体を説明しようと試みた原子論者(レウキッポスとデモクリトス)を経て、ヌース(理性)という観念的な原理こそが世界全体に秩序を与えるのだと主張したアナクサゴラスが登場してくるまでの流れを、概観しました。

 アナクサゴラスがヌースを原理として打ち立てたことについて、ヘーゲルは、それまでの哲学者が唱えてきたような、単なる物質的な原理、あるいは物質を単に結合させたり分離させたりする原理ではなく、目的という原理が打ち立てられたこと、すなわち、世界全体は何を目指して運動しているのか、という大きな問題を提起するものであったと指摘していました。しかしながら、アナクサゴラス自身は、ヌースという能動的原理とホモイオメレー(世界の素材となる物質的要素)という受動的原理とを思弁的に統一することができず、目的という原理を充分には展開することはできませんでした。世界全体は何を目的として運動しているのか――この問いがアナクサゴラスに続く世代の哲学者(絶対精神の体現者)に対して提起されることになったのです。

 アナクサゴラスにおいては、現実の世界(物質的な世界)に対してヌース(理性)という原理が打ち立てられたものの、両者が充分には媒介されず、相互浸透しないままに放置されていましたから、具体的な豊富な内容はあくまでも現実の世界(物質的な世界)の側にあって思想(ヌース)の側にはない、という状態にとどまっていました。換言すれば、思想という原理でもってこの世界の諸々の具体的な事物・事象を捉えきることがほとんどできていなかった、ということです。ここからまずどのような動きが生じてくることになったかといえば、思想がこの世界に能動的に問いかけて、この世界の具体的で豊富な内容を自分のものとしていこうという動きにほかなりません。このようなことを、個としての人間の自覚の高まりの流れのなかで、全てを自分(個人としての自分)の主観を尺度として評価していく、という形で果たしていこうとしたのが、ソフィスト派にほかなりませんでした。ヘーゲルは「ソフィストたちは、思想という単純な概念の力(それはすでにエレア派のゼノンにおいて、思想の対極にある運動にむかって行使されていますが)をいまや広く世俗的な対象にむかって行使し、人事の一切にその力を浸透させようとしました」(ヘーゲル『哲学史講義U』長谷川宏訳、河出文庫、p.17)と述べています。「思想という単純な概念の力」は、対象の見かけの姿、あるいは常識的な物ごとの捉え方を強く否定するという働きをもつものにほかなりません。ソフィスト派というのは、アナクサゴラスが創出したヌースの原理を強力に否定する力として、実際に社会生活(ポリスでの生活)の諸々の事例に対して行使していくことで、それまで絶対的な権威とされていた旧来の宗教や習俗を揺るがせていった人々なのです。ヘーゲルは、外的な権威に追従するのではなく自分自身のアタマで考えて納得して行動していくことこそが教養なのである、としていますが、こうした教養をギリシャ世界にもたらした存在こそソフィスト派であったとして、その歴史的な意義を高く評価しています。通説的な観念では、ソフィスト派は詭弁によって一切の原則や掟を覆してしまった存在として否定的に捉えられがちなのですが、ヘーゲルは、諸々の原則を絶対に不動のものとして考えてしまう通俗的な観念こそ詭弁である、と切り返しています。同時に、ヘーゲルは、ソフィスト派が既成の道徳観念を揺るがしたにとどまり、それを超える普遍的な原則を打ち立てるまでには至らなかったことを、限界として指摘しています。

 人間を万物の尺度としたソフィストの偉大な原理には、いまだ曖昧な点が残っており、それぞれの個人がその特殊な個別性のまま偶然的な人間としてそのまま尺度でありうるのか、それともまた人間の内にある自覚的な理性こそが絶対的尺度であるのか、という問題は未解決のまま残されていた――このようにヘーゲルは総括します。この問題に対して、普遍的な内容を志向する理性的な人間こそが尺度なのである、という観点を強く打ち出していったのが、ソクラテスであった、とヘーゲルはいいます。

 ソクラテスの立場は、端的にいえば、旧来の習俗的道徳(理由抜きにそうすべきとされる規範)に主体的道徳(個々人が自分のアタマで考えて納得した上で従うべき規範)を対置しようとするものにほかなりませんでした。意識の能動的(全てを否定する)作用によって既成の道徳的権威を揺るがした、というところまではソフィスト派と同じですが、ただ外的な権威を攻撃して否定するだけでなく、そこからさらに自己の内面にまで立ち返って来ることにより、真・善・美という形で肯定的な内容を積極的に打ち立てようとしはじめたところに、ソフィスト派と比較してのソクラテスの大きな前進点があるといえるのです。このことは、具体的には、個人の内面的良心の萌芽的形態というべきダイモニオンを称揚しつつ、青年たちに問答を仕掛けて既成の道徳観念を揺るがそうとする、という行為として現われました。

 こうしたソクラテスの行為は、当時のアテナイ市民に、旧来の神々を否定するものであり、親と子という絶対的な間柄に第三者が強引に介入しようとするものである、と受け止められてしまいました。当時のアテナイにおいて、公的宗教の崩壊は国家の転覆を意味するものにほかなりませんでしたし、アテナイ人の親子間の道徳的つながりは非常に強固で、家族的孝順が国家の実体的基調となってもいました。つまり、ソクラテスはアテナイの生活を2つの基本点において攻撃し破壊していたのであって、アテナイ市民から有罪とされるのは仕方のないことだったのだ、とヘーゲルは説いています。一方でヘーゲルは、ソクラテスこそ、自己自身に確信をもつ精神の原理を意識的に表明した英雄である、と高い評価を与えることを忘れてはいません。ここに、世界史の展開についてのヘーゲルの捉え方が示されています。世界史の新たな発展段階を切り拓く世界史的個人は、旧来の掟を強引に破る者として登場するのであって、個人としては滅ぼされてしまうものの、しかし刑罰によって抹殺されるのはただ個人のみであって原理ではなく、その世界史的個人が掲げた新たな原理は次代へと引き継がれて発展させられてゆく(全面的に開花させられてゆく)のだ、というわけです。ソクラテスは、個人的意志と国家的意志が分離し始めた(国家的意志から個人的意志が独立し始めた)という当時のギリシャ世界のあり方に先んじて(*)、個人的意志の能動的な働きによって国家意志の内容が変革されるべきであることを示唆しました。これは、ソクラテスの当時にあっては、公的宗教の権威と親子間の強固な道徳的結合というアテナイ国家(を辛うじて支えていたところ)の土台を掘り崩すものでしたから、彼がアテナイ市民によって有罪とされるのも当然だったわけです。しかし、ソクラテスの刑死によっても、国家意志からの個人的意志の分離・発展という大きな流れはとどめようもなく、個人的意志と国家的意志の調和という、両者の分離過程において一時的にのみあり得たアテナイ繁栄の条件は失われてしまいます。個人的意志の伸長による政治の混乱(デマゴーグによる翻弄など)によってアテナイの国力は衰微し、スパルタ、マケドニアに従属していくことによって、その世界史的役割を終えたのでした。

 ソクラテスは、普遍的内容(世界の原理)は善でありそれは自己(精神)のなかにこそあるのだ、と主張しようとしました。しかし、ソクラテスの主張は非常に不明確で抽象的なものにとどまっていましたから、これをどのように解釈し具体化するかをめぐって、ソクラテスの影響を受けた諸派が分立していくことになります(いわゆる小ソクラテス派)。例えば、メガラ派は、ソクラテスが抽象的な善を主張したことそのものに固執し、エレア派の弁証法を援用しながら、善以外の何ものも存在しないのだ(具体的に規定され制限されたものは真実ではない!)、との主張を展開しました。これに対して、個人の感情を重視しつつ善の内容を具体的に規定しようとしたのがキュレネー派とキュニコス派(犬儒学派)です。感性的な快楽こそが善なのだと考えた前者に対して、後者は感性的な快楽から遠ざかること(これ見よがしの耐乏生活)こそが善なのだという方向に進みました。

 精神は、ソクラテスに至ってようやく自身が精神であることを自覚し始め、他ならぬ自分自身のなかにこそ普遍的内容(世界の原理)があるらしいことに気づき始めました。しかし、ソクラテスは、その普遍的内容を善だとしたものの、その原理から世界全体に筋を通していくところにまでは進むことができませんでした。小ソクラテス派は、ソクラテスによって提起されたこの課題に、個としての意識(ヘーゲルの言葉では自己確実性の契機)にこだわりつつ、挑んでいったのだということができるでしょう。個としての自覚を強め、自己と他者との区別を明瞭につけられるようになった精神が、対象そのものと対象を受け止めた意識との間の矛盾に気づいて、それを何とか説明すべく試行錯誤し始めたのです。この矛盾をことさらに強調し、一切の特殊なものの認識は全て誤っていると切り捨てることで単純なる善こそが唯一の真実在なのだとしたのがメガラ派であり、あくまでも個人的な意識の側に立脚して、感性的なものの確実性を主張したのがキュレネー派とキュニコス派であったわけです。

(*)この問題について、詳しくは、本ブログに掲載した「ヘーゲル『歴史哲学』を読む」を参照してください。
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2017年05月01日

ヘーゲル『哲学史』を読む(3/13)

(3)タレスからアナクサゴラスまで――自然的形態をもつ抽象的思想から非物質的な力としてのヌースの登場まで

 本稿は、2015〜2016年の2年間、ヘーゲル『哲学史』の内容に関わってなされた要約、例会への報告、例会で提示された論点をめぐってなされた討論などをしっかりと振り返りつつ、ひとつの流れをもった論稿にまとめなおすことをめざしたものです。

 今回からいよいよ『哲学史』の具体的な中身に入っていくことになります。前回確認した通り、ヘーゲルは哲学史を、自己自身を発見しようとして立ち向かった思想の2500年の労作であると捉えていました。少し言葉を換えていうならば、この世界の本質たる絶対精神が、自然から精神へと復帰してきたところ(古代ギリシャ)から、自己の何たるかを明確に自覚していくまでの苦闘の過程こそが哲学史にほかならない、というのがヘーゲルの捉え方なのでした。

 ヘーゲルは、人間が自由であることが自覚され始めたときこそが哲学の始まりである、と強調します。ヘーゲルによれば、精神が自然な意志から解放され、自然への埋没状態を脱したのは、ギリシャ世界においてでした。ギリシャ世界において、自由な思想が絶対的なものを思惟して絶対的なものの理念を捉える、換言すれば、諸々の物の本質として認識された存在が絶対的な全体でもあり、万物の内在的な本質でもあるものとして捉えるという過程がスタートしたのです。

 ヘーゲルによれば、イオニア地方の都市国家ミレトスのタレスが、水こそが絶対的なもの、原理である、という命題を打ち立てたところから、本来の哲学史がはじまります。ここで原理というのは、世界の本質的なもののことをさすといってよいでしょう。タレスの弟子であるアナクシマンドロスは無限定な物質なるものを、アナクシメネスは空気を原理だとしましたが、彼らイオニア派の哲学者たちは、絶対的なものを自然的な形態において捉えた点で共通しています。ヘーゲルは、これは貧弱な抽象的思想であるとしながらも、あらゆるもののなかに普遍的実体を把握しようとしたこと(様々な形態をとった諸々の事物・事象の背後に共通してある存在は何なのかを問いかけていったこと)、この実体は感性的なイメージを伴わないものであるとしたことは大きな功績である、と指摘しています(ヘーゲルは、この世界の本質が物質的なものではなく精神的なものだという立場から論じていることを見失ってはなりません)。ヘーゲルによれば、タレスのいわゆる水は、他の自然物と同列に並べられる特殊な感覚的な水のことではなく、現実の事物の一切がそこに解消されて含まれてしまうような思想としての水、換言すれば普遍的存在としての水にほかなりません。感性的形態から離脱して(その背後にある)普遍的なものを捉えようとする動きが始まっているのです。とはいうものの、タレスのいわゆる水などが結局は感性的な形態をとったものであることはいうまでもありません。彼らイオニア派の哲学者たちは、普遍的なものを捉えようとしつつも、それを感性的形態においてしか表現できなかったのです。ヘーゲルによれば、イオニア派の哲学者たちの掲げた水や空気などの原理は、死んだ抽象物にほかならず、自己を明らかにしていく(自己のなかからこの世界の全てのものを生み出していく)という運動に欠けたものにほかなりませんでした。

 ヘーゲルは、実在哲学から観念の哲学への推移の役目をしたのがピュタゴラス派である、といいます。感性的な形態から脱して、その背後にある普遍的なもの(=観念的なもの)を捉えようとする動きがまた一段と進展した、ということでしょう。ピュタゴラス派は、イオニア派のように絶対的なものを自然的な形態において立てるのではなく、普遍的で観念的な諸規定としての数一般こそが原理であるとしました。しかし、ピュタゴラス派のいわゆる数という概念は、全く独断的な方法で確定されたものでしかなく、非弁証法的な静止した諸規定であった、とヘーゲルは批判しています。数という概念からこの世界の諸々の事物・事象に筋を通して(数自身が展開したものとして)説明することは不可能であった、ということでしょう。

 イオニア派の自然哲学においては、感性的(=自然的)形態をもった抽象的な思想(水、空気など)が原理とされ、ピュタゴラス派においては、感性的なものと概念的なものとの中間的なもの(過渡的不明瞭なもの)である数が原理とされましたが、エレア派においては、ついに不動の一なるものが原理とされるに至ります。エレア派においては、絶対的な実在が(感性的な形態を完全に脱して)純粋な概念ないし思想として表現されるようになったわけです。エレア派は、存在(有)のみが存在する(有る)のであって、非存在(無)など存在しない(無である)、と主張しました。エレア派は、多様な事物・事象が変転してやまないというのは見かけのことだけであり、不動の一こそが真理なのだ、と主張しましたが、このことについてヘーゲルは、(現実の世界とは区別される)理念の世界への上昇がみられる、という評価を与えています。この派でとりわけ注目されるのは、ゼノンです。ゼノンは「一切は不変である」という命題を擁護するために、変化を認めることがいかに不合理であるかを示そうとしました。ゼノンは、「真理はAである。だからAでないBは誤謬である」というような、「真理はAである」という自身の主張の枠から寸毫も出ないような論証の仕方では不充分であり、「真理はBである」と主張する人の土俵にあえて上がって(「仮に「真理はBである」としてみようか……」)その不合理さを暴くという過程が必要であることに気づいたのでした。ヘーゲルは、このことをもって、ゼノンこそ弁証法の創始者である、と評価しています。

 しかし、エレア派のゼノンの弁証法は、あくまでも主観的な(アタマのなかでの)論の展開にすぎず、客観的な世界のあり方の究明ということにはなっていません。ゼノンは、物体の運動が客観的に有と無(非有)との二重構造をもっていることを予感しながらも、主観的に有という側面のみを取り上げて無という側面を否定し去ることにより、「不動の一」を打ち立ててしまったのです。これに対して、ヘラクレイトスは、「有と非有とは同一のものである、全てのものは有るとともに無い」と主張しました。ここでは、考察されている事柄(物体の運動)が客観的にもっている二重構造(有+無)がそのまま認められています。ヘーゲルは、このことについて、ゼノンの主観的弁証法が押し進められて弁証法が客観化されたものだと説いています。さらに、ヘラクレイトスは、「全てのものは有るとともに無い」という命題を「万有は流転する」という形で表現し、さらに「恒常なものはただ一のみで、この一から他の全てが形成される」と主張しました。この普遍的原理の立ち入った規定は生成にほかならず、ヘラクレイトスにおいては運動こそが原理であるとされたのである、とヘーゲルは説いています(ヘーゲルは「ヘラクレイトスの命題で、私の論理学に取り入れられなかったものはない」とまで述べて、ヘラクレイトスに極めて高い評価を与えています)。ヘラクレイトスが、自然の全過程を分裂の道と一体化の道の2側面に分けて捉え、前者の原理として敵意を、後者の原理として友情を提示したことも評価されています。

 さて、エレア派は有を立てて非有(無)はないとし、ヘラクレイトスはただ有と非有(無)との転換として生成のみがあるとしましたが、レウキッポスおよびデモクリトスにおいては、両者の各々にそれぞれ固有の位置が与えられ、肯定的なものとしての原子と、否定的なものとしての空虚が立てられます。しかし、ヘーゲルは、諸原子の結合は単なる表面的な関係であり、全く独立的なものが独立的なものと結合され、しかも各々があくまで独立的なものとしてとどまるような、単に機械的な結合にすぎないと批判しています。ヘーゲルは、こうした原子論からは、あらゆる生命のあるもの、精神的なものは単に寄せ集められたものだということになってしまい、また変化、生産、創造も単なる結合であることになってしまう、と指摘するのです。基礎的な単位の機械的な集合ということでは生命や精神は説明しきれないし、変化とか生産とか創造といった過程を原子の結合ということで説明するのも無理があります。原子と空虚の対立が固定されて考えられると、すなわち、原子はどこまで行っても原子でしかなく空虚はどこまで行っても空虚でしかない(相互の浸透とか移行とかは全くあり得ない)と考えられると、無限の多様性をもったこの世界が一体どのように形成されてくるのか全く説明できなくなってしまう、ということでしょう。

 このような試行錯誤を経て、ついにアナクサゴラス(小アジアの出身で、ペリクレス時代のアテナイに移住した哲学者)において、ヌース(理性)こそが世界とあらゆる秩序の原因であると宣言されるに至ります。自己自身を発見しようと苦闘する精神は、物質的なものからは明確に分離された観念的なひとつの原理によって世界全体が統一的に支配されているのではないか、という認識についに到達することになったのです。アナクサゴラスよりも前の哲学者たちは、有、生成、一などを原理(=絶対的なもの)としてきたわけですが、これらは思想といえば思想といえるもので、単なる感覚的なものでも空想的なものでもないものの、しかしその内容や部分は感覚的なものからとられてきているのであり、その意味では、限定つきの思想というほかありませんでした。これらに対して、アナクサゴラスのいわゆるヌースは、純粋な思想らしい思想(自己運動する思想)として捉えられています。アナクサゴラスは、こうした観念的な原理を打ち立てる一方で、ホモイオメレーなる物質的な原理を打ち立ててもいます。これは、諸事物を構成する本源的な要素であり、限りなく多様なものである、と説明されています。こうした混沌とした混合状態にヌースが運動を持ち込み、混沌から同質的なものを分離させることで、例えば、骨、肉、金属といった区別と秩序を形成していくのだ、というのがアナクサゴラスの説明です。こうしたアナクサゴラスの考え方は、能動的な原理としてのヌース、受動的な原理としてのホモイオメレー、というように整理できるでしょう。ヘーゲルは、アナクサゴラスがヌースを原理としたことについて、それまでの哲学者が唱えてきたような、単なる物質的な原理、あるいは物質を単に結合させたり分離させたりする原理ではなく、目的という原理が打ち立てられたこと、すなわち、何を目指しての運動なのか、ということが大きな問題となってきたことを意味するものだと指摘しています。

 しかしながら、ヘーゲルは、アナクサゴラスがこの目的という原理を充分には展開できず、ヌースとホモイオメレーという2つの原理を思弁的に統一することができなかったために、宇宙の全体が思想の自己実現としての体系である、というレベルの把握には到底進めなかったと批判しています。世界全体は何を目的として運動しているのか――これが次の世代にくる哲学者たちに対して、大きな課題として提起されることになったのです。
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2017年04月30日

ヘーゲル『哲学史』を読む(2/13)

(2)ヘーゲルは哲学をどのようなものと捉え、その歴史をどのように描いたか

 前回は、我が研究会が一昨年および昨年の2年間をかけて進めてきたヘーゲル『哲学史』の学びを意味あるものとして次の課題へとつなげていくためには、本ブログに毎月掲載してきた「例会報告」を単なる「例会報告」のままに放置しておくのではなく、ある月の「例会報告」からその翌月の「例会報告」へ、さらにその次の月の「例会報告」へ……という流れを、あらためてアタマのなかで振り返ってしっかりと反省することにより、ひとつにつながった大きな流れとしてまとめ直していく作業が絶対に必要になってくるのだということを確認しました。これはより具体的にいえば、「例会報告」の羅列というレベルで記録が残されている『哲学史』の集団的な学びの過程について、改めて1本の論文としてまとめなおすことにより、主体的に自分のもの(実力)にしていく努力がもとめられているのだ、ということにほかなりません。

 さて、ヘーゲル『哲学史』に関する毎月の「例会報告」の羅列でしかないものを、『哲学史』の全体像を描き出すひとつの論稿にまでまとめあげていくためには、まず、ヘーゲルが哲学なるものをどのように捉えていたのか、哲学の歴史的な発展過程をどのようなものとして捉えていたのか、ヘーゲル哲学の全体像から確認しておく必要があるでしょう。それでは、ヘーゲルの哲学とは、一体どのようなものだったのでしょうか。我々が2012年の毎月の例会で取り上げたシュテーリヒ『西洋科学史』(現代教養文庫)では、以下のようにまとめられていました。

「ヘーゲルにとって、世界過程の全体は、世界精神が自己を展開していく一個の経過なのだ。これには三つの本質的な段階が区別される。
 第一段階においては、世界精神が“即自有”の状態にある。こうしたものとしてそれを考察することは、論理学の課題である。だから論理学は思惟規則の総括ではなく、純粋で無時空的な状態にある世界精神そのもの論理なのだ。
 第二段階では、世界精神そのものが空間と時間とに結びつけられた自然へと自己を“外化”する。自然哲学は、こうした、つまり、“他在”の状態においての世界精神を取り扱う。
 第三段階で、世界精神は自己自身に立ち戻る。つまり、いまや“即自の、かつ対自の有”という状態にあることになる。そうしたものとして世界精神を考察するのは、精神の哲学である。
 精神の哲学がさらに三段階に分かれる。主観的精神論は、個別的人間、自己意識をもつ個人の生を扱う。主観的精神論を越えて一段と高められたものが、客観的精神論である。これは、家族や社会や国家や歴史の大規模な超個人的“客体的”秩序関連を問題にする。“絶対的精神”すなわち芸術とか哲学とか宗教とかいう形態をとったとき初めて、精神は自己自身と自己の自由とを完全に意識するにいたる。」(シュテーリヒ『西洋科学史 X』現代教養文庫、p.6)


 ここからも分かるとおり、ヘーゲルの構築した壮大な哲学体系は、世界観(この物質的な世界は永遠の昔から物質的に統一されていたのか、それともある時点で精神的な存在によって創造されたのか、というこの世界のあり方の根本にかかわる観方)としては観念論(精神こそ根本的な永遠的な存在であって、物質と呼ばれるものはその産物であるとする世界観)にもとづいたものでした。つまり、ヘーゲルにおいては、この世界全体の歴史的発展のあらゆる過程が、絶対精神なるものが自己を展開していく一連の過程として捉えられていたのです。絶対精神は、純粋で時間にも空間にも制約されていない状態(この段階を考察するのが論理学)から、空間と時間に結びつけられた自然へと自己を“外化”し(この段階を考察するのが自然哲学)、そこからさらに自己自身に立ち戻っていき、最終的に、宗教、芸術、哲学として「自己自身と自己の自由とを完全に意識する」のです。こうして世界全体の歴史的発展過程の大きな円環が閉じることになります(この段階を考察するのが精神哲学)。

 先の引用文には、「自己」という言葉が何度もでてきましたが、この「自己」について、『南郷継正 武道哲学 著作・講義全集 第一巻』の「読者への挨拶」では、以下のように説かれています。

「ここで「自己」とは絶対精神が自らを転化・発展させていくばあいのあらゆる状態における別名でもあるのであり、また絶対精神が自分を宇宙の本質から、自然から社会・精神へと生成発展させていく途中の経過、すなわち、まず絶対精神は「自己」を転生させて自然と化するのであるが、この絶対精神としての「自己」が、「自己」を絶対精神の発展形態である自然へと「自己」として転生していくのであり、その「自己」が転生した自然もまた絶対精神としての「自己」なのである。すべての始まりも、その途上のすべてが「自己」であり、そして原点の自分自身としての絶対精神へと復帰するばあいも「自己」なのであり、復帰した後の状態も「自己」(ただし、このばあいは完成された絶対精神としての「自己」)なのである。
 以上を簡単にいえば、絶対精神は絶対精神から生まれ出て、大本の絶対精神に戻るのであるが、これを含めてのすべての過程が、「自己」のその時点での存在形態・運動形態でもあり、原点も途中も、戻ったものもすべて「自己」なのであり、「自己」の運動であり、自己としての絶対精神の運動なのである。それゆえ「円」とは簡単にいえば、この過程が出発点からラセン状の円環を描きながら変転していって、ラセン的な円環上で元の出発点へ戻って完成することであるが、ヘーゲルはこれを要して一言で「円」といっているのである。」(『南郷継正 武道哲学 著作・講義全集 第一巻』現代社、pp.57-58)


 つまり、ヘーゲルの体系においては、全てのものに絶対精神(=自己)の発展過程として一本の筋が貫かれているのであって、ヘーゲルが何を説くにしても、それは全て(“他在”としての自然も含めて)この世界全体の本質たる絶対精神(=自己)のそれなりの現象形態として! なのだということをしっかりと押さえておく必要があるのです。

 このことを踏まえて、ヘーゲルの描く哲学史とは何か、端的にいうならば、自己自身を発見しようとして立ち向かった思想の2500年の労作だということになります。少し言葉を換えていうならば、この世界の本質たる絶対精神が、自然から精神へと復帰してきたところ(古代ギリシャ)から、自己の何たるかを明確に自覚していくまでの苦闘の過程こそが哲学史にほかならない、というのがヘーゲルの捉え方なのです。

 ヘーゲルは、哲学の目的は、唯一の真理が全ての他のもの(自然の全法則、生命と意識との全現象)の流れ出る源泉であると認識することである、といいます。世界の究極的な本質が、この世界のあらゆる具体的なものに対して貫かれていることを把握しきることが哲学の目的だ、ということです。この世界の本質は精神的なものであるというヘーゲルの立場からは、唯一の真理がただ単純な、空虚な思想ではなく、それ自身において規定された思想であることを認識することが大切だ、ということになります。ヘーゲルによれば、それ自身において規定された真なるものは、発展しようという衝動をもつのであり、哲学はこの発展の自己認識です。ヘーゲルによれば、精神の行動は自己を知ろうとする行動にほかなりません。自己を自己自身に外的なものとして定立することによって、精神は実存するものとなります。精神は外界においては個々人の意識として実存するほかなく、純粋な哲学は、外界(時間)のなかでは、個々人(1人1人の哲学者)の意識の活動という形をとって進展していきます。しかし、精神は単に個人的な意識の活動としてあるものではなく、それ自身普遍的な精神であることを忘れてはならない、とヘーゲルは力説します。ヘーゲルの描く哲学史は、個人の思惟を通過し、個々の意識のうちに示される前進ではなく、世界史を舞台とする普遍的精神の前進なのです。換言すれば、個々の哲学者をあくまでも絶対精神のそれなりの現象形態としてみようとするものであり、哲学史の流れにおける発展の主体は、あくまでも絶対精神自身であると捉えようとするものです。

 さて、ヘーゲルは、哲学史を大きくギリシャ哲学(古代哲学)とゲルマン哲学(近代哲学)という2つの時期に区分した上で、ギリシャ哲学は思想を理念にまで発展させ、ゲルマン哲学は思想を精神として把捉したのだ、と述べています。これがどのようなことを意味しているのか、次回以降、具体的にみていくことにしましょう。
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2017年04月29日

ヘーゲル『哲学史』を読む(1/13)

(1)学問の構築のためには哲学史の学びが必須である

 昨年来、アメリカでのトランプ政権の誕生、イギリスのEU離脱など、世界中で、これまでの常識を覆すような衝撃的な出来事が相次いでいます。お隣の韓国では、朴槿恵大統領が汚職事件で罷免されて逮捕され、大統領選挙が行われることになりました。フィリピンにおける“親中・反米”的なドゥテルテ政権の登場などと合わせて、東アジアの地政学的な状況も劇的に変化しています。こうしたなかで、日本でもいわゆる「森友学園」問題によって、“安倍一強”と呼ばれてきた政治状況が変化する兆しが見えつつあるといってよいかもしれません。国際政治も国内政治もまさに激動のときを迎えています。

 こうした政治の問題には、貧困と格差の拡大、緊縮政策による民衆の生活苦、難民や移民の安い労働力としての流入といった経済の問題が密接に絡んでいることはいうまでもありません。こうした問題が、排外的なナショナリズムの高揚、地域紛争やテロの頻発といった事態を引き起こしているのです。地球環境やエネルギーの問題も忘れるわけにはいきません。自然と人間との相互浸透の関係の持続可能性そのものが危うくなっている事態もあるのです。

 このように、私たちが生きる現代の世界は、数多くの問題を抱えています。どれひとつとってみても、私たちの平穏な生活の持続を根本から脅かしかねない難しい問題であるといわなければなりません。政治的な面においても経済的な面においても、これまで人類社会の安定的な発展を支えてきた枠組みが、大きな歴史的限界にぶつかりつつあるのではないか――否応なしにそのような疑問が浮かんできます。端的にいえば、人類はいま大きな歴史的岐路――諸々の難問をこじらせて滅亡への道を歩んでいくか、それとも諸々の難問を解決して新たな社会の発展を可能にしていくのか――に立たされているといってもよいでしょう。

 こうした諸々の難問に対して、解決の道筋を示していく役割を担わされているのが学問であることはいうまでもないでしょう。現代は、あらゆる領域において、問題解決の方向性を確固として指示してくれる学問の構築が切実に求められている時代であるといってよいのです。

 それでは、こうした学問の構築のためには、どのような取り組みが必要なのでしょうか。そのために必須の取り組みのひとつとして、学問の歴史を学ぶことが挙げられなければなりません。学問とはそもそも、人間(社会)が、現実世界から突き付けられた諸々の問題を何とか解決していくために、世界のあり方を誤りなく把握したいと願うところから生成してきたものなのです。古代ギリシャ以来の学問の歴史とは、端的にいえば、現実世界に対峙する人間が、現実世界が突き付けてくる諸々の問題を的確に解決していくための確固たる指針を獲得していこうという苦闘の歴史であったといえます。現代に生きる我々の学問への要求も、こうした苦闘の歴史の延長線上にあるものにほかなりません。したがって、次のようなことがいえるのです。

「およそ自分の専門分野で何らかの学問的な発展をしたいと思う人にとっては、自分の専門分野が歴史的にどう生成し、どう発展してきて現在にまで至ったのか、ということをふまえることなしには、自分の専門分野を学問的に発展させることは不可能であり、そうした意味から諸学問の原点であるところの古代ギリシャに学ぶ意義がある。」(悠希真理「古代ギリシャ哲学、その学び方への招待(1)」『学城』第1号、p.92)


 この引用文で書かれている通り、政治学、経済学、教育学、言語学といった諸々の学問の原点は古代ギリシャの哲学にあります。ここで注意する必要があるのは、古代ギリシャの学者たちは、政治、経済、教育、言語などと世界を諸々の部分に分けて探究していていたのではなく、人間が対峙する世界をまるごと捉えようとしていたということです。このように世界をまるごと捉えようとする営みから生まれてきたのが、哲学にほかなりません。政治学、経済学、教育学、言語学など、世界のそれぞれなりの部分を扱う理論体系を個別科学と呼びますが、これらはあくまでも、世界全体をまるごと把握しきろうとする哲学を土台として、そこから分化してきたものなのです。ですから、個別科学が歴史的にどう生成し、どう発展して現在にまで至ったのかをまともに把握するためには、何よりもまず哲学の歴史を学ばなければならないのです。

 以上のような思いもあって、我々京都弁証法認識論研究会は、2015年から2016年の2年間を費やして、哲学の歴史を描いた著作としては最高峰のものであるといってよいヘーゲル『哲学史』(岩波全集版)に取り組んできました。この取り組みは、2013年のヘーゲル『歴史哲学』、2014年のシュヴェーグラー『西洋哲学史』の学びを踏まえつつ、ヘーゲルが描く哲学史の流れを理解することはもちろんのこと、それを唯物論的に捉え返すことで唯物論哲学の創出に向けた一歩を確実に進めていくことを課題としたものでした。

 本ブログの読者のみなさんならすでにご承知のとおり、我々は、毎月の例会が終了した後に、例会の場でなされた討論について振り返ってまとめなおし、『哲学史』の扱った範囲についての要約、例会に提示されたレジュメ、参加した各メンバーの感想と合わせて、「例会報告」として本ブログで紹介するようにしてきました。このような討論過程の振り返りは、弁証法創出に向けてのプラトンの実力向上過程について次のように説かれていることを、我々自身が目的意識的に実践していこうとするものでもありました。

「『国家』第一巻にも見られるように、初期から中期対話篇になってくると、単に答えが出ないところで終わるにとどまらずに、答えが出なければ再度議論をやり直し、というくり返しが見られるようになってくる。そうしてさらには、その長い対話の流れを頭の中で振り返って、反省するもう一人の自分が、プラトンの中に出てくるのである。」(悠季真理「古代ギリシャ哲学、その学び方への招待(7)」『学城』第8号、p.82)


 ようするに、ただ単に議論してそれで終わり、ということではなく、その議論の流れをアタマのなかで振り返って反省するという過程をもつことによってこそ、プラトンは弁証法(対象を学問的に把握する方法)の創出へ向かう実力を養成することができたのだ、ということです。
 このことを踏まえて我々は、毎月の例会において議論した内容について、ただ単に議論したままに放置しておくのではなく、その流れをアタマのなかで振り返って反省する過程をしっかりともっていくために、本ブログに「例会報告」を掲載していくことを自らに課したのでした。実際に例会の場でなされる議論は、きわめて錯綜したものになることもしばしばでしたが、それをより高い視点から整理しなおし、一応は論理的に筋の通った流れが感じられるようなものへとまとめあげていくことを目指して、「例会報告」を書き続けてきたわけです。

 しかし、こうした「例会報告」のそれぞれは、基本的に各月で扱われた範囲に焦点が当てられたまとめにすぎない、という大きな限界があります。しかも、この『哲学史』には2年間もの長い時間をかけたので、なおさらです。個々の「例会報告」をただ単に羅列しただけでは、ヘーゲル『哲学史』の全体像をハッキリと浮かび上がらせることはできないでしょう。だからこそ、ヘーゲル『哲学史』の全体像をハッキリと浮かび上がらせるためには、こうした「例会報告」を単なる「例会報告」のままに放置しておくのではなく、ある月の「例会報告」からその翌月の「例会報告」へ、さらにその次の月の「例会報告」へ……という流れを、あらためてアタマのなかで振り返ってしっかりと反省することにより、ひとつにつながった大きな流れとしてまとめ直していく、という作業が絶対に必要になってくるのです。本稿はこの作業を行おうとするものにほかなりません。
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2017年04月28日

掲載予告:ヘーゲル『哲学史』を読む(全13回)

 我々京都弁証法認識論研究会は、一昨年および昨年の毎月の例会において、ヘーゲル『哲学史』を読みすすめてきました。本ブログの読者のみなさんならすでにご承知のとおり、我々は、毎月の例会が終了したあとに、例会の場でなされた討論について振り返ってまとめなおし、『哲学史』の扱った範囲についての要約、例会に提示されたレジュメ、参加した各メンバーの感想と合わせて、「例会報告」として本ブログで紹介するようにしてきました。

 しかし、こうした「例会報告」のそれぞれは、基本的に各月で扱われた範囲に焦点があてられたまとめにすぎない、という大きな限界があります。それだけに、だからこそ、ヘーゲル『哲学史』の全体像をハッキリと浮かび上がらせるためには、こうした「例会報告」を単なる「例会報告」のままに放置しておくのではなく、ある月の「例会報告」からその翌月の「例会報告」へ、さらにその次の月の「例会報告」へ……という流れを、あらためてアタマのなかで振り返ってしっかりと反省することにより、ひとつにつながった大きな流れとしてまとめ直していく、という作業が絶対に必要になってくるのです。

 本稿は、一昨年および昨年の2年間にわたって、ヘーゲル『哲学史』の内容にかかわってなされた要約、例会への報告、例会で提示された論点をめぐってなされた討論などをしっかりと振り返りつつ、ひとつの流れをもった論稿にまとめ直したものです。ヘーゲル『哲学史』の内容をできるかぎり分かりやすく説いていくようにしたいと考えていますので、ご期待ください。

 以下、本稿の目次(予定)です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ヘーゲル『哲学史』を読む

はじめに
(1)学問の構築のためには哲学史の学びが必須である
(2)ヘーゲルは哲学史をどのようなものとして描いたか

1、自然的形態をもつ抽象的な思想から規定された理念まで
(3)タレスからアナクサゴラスまで――自然的形態をもつ抽象的思想から非物質的な力としてのヌースの登場まで
(4)ソフィスト派とソクラテス――個人を尺度とした問いかけから真・善・美という普遍的基準の登場まで
(5)プラトンとアリストテレス――超感覚的世界への意識の高まりから宇宙の全部分の概念的な把握へ

2、理念の観念世界への発展と主観性の登場
(6)独断論と懐疑論――具体的な理念の登場と学問の特殊な体系への分岐
(7)新プラトン派――感覚世界の滅却と理念の観念世界としての形成
(8)中世の哲学――観念世界と現実世界の宥和という課題の登場

3、自己を知る理念による思惟と存在の宥和へ
(9)近代哲学の黎明、デカルトからライプニッツまで――思惟と存在との対立を形而上学的に統一する試み
(10)18世紀の哲学の諸形態――健全な常識や自然な意識を原理とする
(11)カント、フィヒテ、シェリング――思惟と存在の統一の概念的な把握へ

おわりに
(12)ヘーゲルの描く哲学史とは精神が自己を知る過程であった
(13)唯物論の立場からの哲学史の構築に向けて
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2015年09月26日

アダム・スミス『法学講義』を読む(11/13)

(11)戦争における合法性とは何か

 前回は、スミスの軍備論を紹介しました。スミスは、狩猟段階→牧畜段階→農業段階→商業段階という社会発展の歴史を念頭に置きつつ軍備の歴史を概観した上で、常備軍導入の歴史的必然性(分業=社会的総労働の分割の一環としての必然性)を説きつつ、それが国王専制の道具として使われてしまう危険性(また、その点での民兵制の優位)をしっかり直視した上で、その組織のあり方には慎重な配慮が必要だと主張していたのでした。

 前回までで、スミスが「法の四大目的」とした4つの項目、すなわち、正義、生活行政、公収入、軍備についての考察を一通り概観してきたことになるわけですが、スミスは法学の最後に、国際法の考察が必要となることを述べていたのでした。今回は、その国際法論について紹介することにしましょう。

 スミスは、諸国家が相互に守るべき諸々のルールについては、国内法たる私法や公法のように正確に取り扱うことはできない、とします。なぜならば、国家間の争いについて裁定するような裁判官は存在し得ないのであり、したがって、国家間の争いを決着させる上での確実性とか規則性とかは期待することができないからです。スミスはまず、そのような限界があることを確認した上で、国際法についての議論をスタートさせているわけです。

 スミスは、国際法について、平和または戦争に関係する法だとして、ここでは戦時における規則を、@何が戦争の正当な原因か、Aある国家が戦時に他の国家に対して合法的に何をなし得るか、B交戦諸国は、中立諸国家に対して何をなすべきか、C諸国家間における外交使節の諸権利は何か、という順序で考察していく、としています(いうまでもないことですが、これらはあくまでも18世紀の当時における考え方であって、20世紀の2つの世界大戦を経て戦争違法化の流れが大きく進んだ現代の国際法とは少なからず相違点があります。その点を踏まえて、以下の解説をお読みください)。

 第一の問題は、開戦の正当性(どういう場合に戦争することが許されるか)です。スミスは、一般に、裁判所において適切な訴訟の根拠とされるようなものは、何でも戦争の正当な理由になりうる、とします。スミスの説明によれば、そもそも訴訟の根拠となるのは、何らかの権利の侵害を強制的に排除することが認められるもの、ということです。こうした侵害の排除は、文明化されていない社会においては私的な暴力によって遂行され、近代においては為政者の決定にもとづいて遂行されます。近代社会においては、各人がそれぞれ正義を主張することによって社会が混乱させられることがないようにされているわけです。では、具体的にはどのようなものが訴訟の根拠、したがって正当な開戦理由となり得るのでしょうか。

 例えば、ある国家が他の国家の所有を侵犯するか、あるいは他国の国民を殺害または投獄したにもかかわらず、裁判による紛争解決を拒否するのであれば、統治者はその相手国に対して、犯行の償いを要求しなければなりません。なぜならば、それぞれの成員を外敵から保護する点にこそ政府(統治)のそもそもの目的があるのであって、そうした補償が拒否されるならば、それは立派な開戦の根拠になるのだ、とスミスは説くわけです。同じように、ある国家が他の国家に対して負債を負っているのにもかかわらずその支払いを拒否する、といった場合にも、こうした契約の破棄は正当な戦争の理由となり得るのだ、と説明されています。

 第二の問題は、戦争における合法性(ある国家が戦時に他の国家に対して合法的になし得ることは何か)です。スミスは、ある国家が他国家からの侵害に対する報復をどこまで進めていいのかということは、容易に決められることではない、と説きます。ある国家の国民が他国家の国民から侵害された場合、その侵害者は当然に報復の対象となりますし、もしその侵害者の属する国家の政府が彼を保護しようとするならば、その政府も報復の対象となります。しかし、その国家の国民の大半は、こうした犯罪行為については何も知らず、全く何の罪もありません。侵害者を処罰するために他国に戦争を仕掛けるとすれば、これら罪のない多くの国民を傷つけてしまうことは避けられないのです。それでは、我々はどのような正義の原理にもとづいて他国民を苦しめるのか、とスミスは問うわけです(現代世界の状況に即していえば、「テロ」によって自国民に大きな被害を与えた容疑者をかくまう相手国に対して、どこまでの報復が許されるのか、という問いを想定することができるでしょう)。この問いに対してスミスは、これは決して厳密に正義と呼ばれ得るものにもとづいているのではなく、必要にもとづいているのであって、この場合はそれが正義の一部だされるのだ、という答えを与えます。

 この場合、相手国の国民全体が憤慨の正当な対象と考えられてしまうのは、我々が遠くにいる人々に対して、近くにいる人々に対するほどには親しみを感じないからだ、とスミスは説明しています(現代の問題にひきつけていえば、アメリカ合衆国が9・11テロの報復としてイラクに戦争を仕掛けることを正当化できたのは、アメリカの人々がイラクの人々にそれほどの親しみを感じていなかったからだ、ということになります)。こうした説明を補強するために、イングランドの国内法においては、1人の罪のない者が苦しむよりも10人の罪のある者が免れることが選択されることを、スミスは指摘しています。同胞に対しては強い親しみの感情があるために、いくら犯罪者を懲らしめるために必要だとしても、罪のない市民が巻き添えを食らってしまうような措置は、なかなか認められないのです。これはさすがに『道徳感情論』の著者らしい、非常に鋭く興味深い指摘だといえるでしょう。

 スミスは、相手国の国民全体が憤激の正当な対象と考えられてしまうことのもうひとつの理由として、侵害者や相手国の統治者から償いを得ることが非常に困難だという事情を指摘しています。侵害者が相手国の中心部にいて充分に安全を保障されているならば、我々は彼らに近づくことはできず、報復することができません。したがって、一般市民を巻き添えにせず、彼らのみを報復の対象とすることは困難です。これは最大の不正義であるが、戦争においてそれは避けられない、とスミスは説くのです。

 次いでスミスは、捕虜の扱いについて、古代と近代の慣行には大きな違いがあることを指摘します。端的には、古代においては奴隷化されたけれども、近代においてはそういうことはない、というわけです。こうした人道性(humanity)は、法王支配の時代に、全キリスト教徒は異端の徒と同じように扱われるべきではない、ということで導入されたものだ、ということです(裏を返せば、非キリスト教徒の捕虜は奴隷的な扱いを免れない、ということなのですが)。

 続いてスミスは、被占領地の動産の扱いについて、人道性というよりも生活行政上の動機にもとづいてその安全保障がなされるようになったのだ、と述べます。民衆が抵抗して蜂起することは占領のコストを高めるのであって、平穏に支配することこそが占領者にとっての利益だからです。

 スミスは、近代における洗練としてもうひとつ、敵対諸国家の間でも一種の礼儀のようなもの(というよりもむしろ任侠)が成立することを指摘します。敵国の王や将軍に対してそれなりに敬意をもって接するようになり、彼らを殺害することが以前のように合法的とは考えられなくなった、というわけです。

 スミスは、戦争における合法性に関する考察の最後に、我々をあまり戦争に行きたがらないようにしたのと同じ要因(産業の発展)が、敵国に完全に征服されてしまうことへの抵抗感を弱めたことを指摘しています。征服された国は、いわば主人を変えるだけであって、新しい税金や諸規則を課せられるとしても、古代のように根こそぎ土地から追われて奴隷化されることはなくなりました。征服者は、被征服者に対して旧来の信仰と法律の存続を許すのであって、これは古代に比べて遥かに優れた慣行である、とスミスはいいます。

 第三の問題は、中立国の権利(中立的な諸国家が交戦諸国からどのように取り扱われるべきか)です。スミスは、基本的な原則として、中立国はどちらの側も侵犯しなかったのだから侵害を受けるべきではない、ということを確認します。その上で、交戦諸国の中立国に対する態度には、陸戦と海戦とでは大きな相違があることを指摘します。退却する被征服国の軍隊を、征服国が中立国内まで追跡し、その中立国が両者を阻止する力がないならば、中立国内は戦場となりますが、損害に対する償いはほとんど与えられません。しかし海戦では、どんなに弱小の中立国であっても、奪われた船を常に返還してもらうことができます。これは普通、船を奪うことは商業に対する最大の侵害だからだ、と説明されますが、本当のところは、陸戦では小国が中立性を主張するのは難しいが、海戦ではそれが容易だからだ、とスミスはいいます。

 第四の問題は外交使節の権利です。古代においては、様々な国家の間の交易がほとんどなかったので、駐在外交使節の必要はありませんでした。しかし、交易が発達してくると、業者間にはほとんど毎日、調整すべき何らかの問題が生じることになります。このため、彼らの間の紛争のきっかけを防止するために、重みと権威があって宮廷への通路を持つ人物がいることが必要なのだ、といいます。スミスは、外交使節の身柄は不可侵でなければならないし、彼が常駐する国のどの法定にも服すべきではない、と確認しています。

 以上が、スミスの国際法論です。身体と財産の安全保障を確立するために成立した国内統治の歴史的発展を辿った公法論から始まり、所有権の歴史的な確立過程を論じた私法論を経て、産業の自然的均衡というべきものに沿って社会的総労働が分割されるべきことを論じた生活行政論に至り、そこからさらに、政府の活動に必要な財源を確保するための公収入論(租税論+公債論)、他国家による侵略から国家を防衛するための軍備論が展開され、最後には、諸国家間の関係を律する国際法が展開されて、スミスの『法学講義』は閉じられるわけです。
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2015年01月24日

哲学の歴史の流れを概観する(13/13)

(13)哲学の完成に向けて、我々の課題を考える

 前回は、本稿でこれまで説いてきた流れを簡潔に纏め直す形で、古代ギリシャからヘーゲルまでの哲学の歩みを概観しました。端的には、この世界全体を一元論的に説ききるための根本的原理が諸々に想定されたもののなかなか二元論を克服できないという過程が延々と続いたこと、19世紀の後半になってようやくヘーゲルが絶対精神の自己運動という発想を打ち立てることで観念論的な一元論哲学の完成に大きく接近したことを確認したのでした。

 さて今回は、本稿を締めくくるに当たって、人類史のこれからを展望しつつ哲学の完成を自らの手で成し遂げていくという大志を果たすために、我々はいったい何を課題とすべきなのか、という問題について、簡単に考察しておくことにしましょう。

 南郷継正「武道哲学講義」シリーズにおいては、ヘーゲルは哲学の完成にあと1歩というところまで迫りながら結局果たせなかったことが指摘され、その理由について様々な考察が加えられています。哲学の完成を展望するならば、まずはこのあたりの事情をしっかりと確認しておく必要があるでしょう。『武道哲学講義(第一巻)』では、ヘーゲル哲学が未完成に終わった要因が、客観的(客体)要因と主体的要因との両面に分けて指摘されているといえます。

 客観的要因としては、端的には時代的制約です。ヘーゲルの時代には、資本主義社会(国家)が未発達だったために、その現象形態を全的に見てとることはできませんでした。このため、ヘーゲルの哲学の構想からは、社会哲学がすっぽりと抜け落ちてしまうことになったのだ、というのです。『武道哲学講義(第一巻)』では、次のように説かれています。

「哲学とは精神哲学、社会哲学、自然哲学の論理構造を基盤にして学一般として完成されるべきものであり、加えて、そもそも論理学は学一般の論理的体系としての学そのものだからである。ということは、ヘーゲルの実践した自然哲学と精神哲学の論理構造のみでは、学一般に重要なもう一つの柱である社会哲学の論理構造が欠けているだけに、学一般すなわち論理学の構造としては、三大柱を二大柱で支えるのみであるという欠陥が、そこに存在するからである。
 これこそが、大哲学者ヘーゲルの把持していた時代性的欠陥ということである。まさしくこれまた後世(後の時代)畏るべし! なのである。」(南郷継正『武道哲学講義(第一巻)』p.51)


 本来、哲学は、精神哲学・社会哲学・自然哲学という三大柱に支えられて論理学(=学一般)が存在する、という構造であるにもかかわらず、ヘーゲルは(時代的欠陥のせいで)社会哲学を欠いてしまったために、哲学を完成させられなかったのだ、ということでしょう。

 また、『武道哲学講義(第一巻)』(pp.49−50)では、ヘーゲル哲学が未完成に終わってしまった主体的要因として、「学問形成への道標」となる『精神現象学 序論』の次に、学問としての哲学の構造論となる『エンチュクロペディ』を執筆すべきであったのに、いきなり『大論理学』の執筆に向かってしまったからだ、ということが説かれています。先の引用と合わせて考えれば、論理学の基盤となる学的構造論をまず構築すべきであった、ということになるでしょう。たとえるならば、家の設計図は見事に描いた(『精神現象学 序論』)ものの、柱(『エンチュクロペディ』)がまだ出来ていない段階で屋根(『大論理学』)を造ろうとしてしまったのだ、というわけです。さらにここに、時代的欠陥のゆえに三大柱のうちのひとつ(社会哲学)はそもそもまともに造りようがなかった、という事情が絡んでくることになるわけです。

 このようなヘーゲルの取り組みにおける欠陥を踏まえて、我々は学問構築において何を意識すべきでしょうか。

 何よりもまず、資本主義社会(国家)の爛熟期に生きている我々が「後世(後の時代)畏るべし!」という語を現実のものとするのだ、という気概を把持することでしょう。現代社会の現象形態を全的に(ここが重要なところ!)見てとることで、ヘーゲルに欠けていた社会哲学(社会科学)を構築していかなければなりません。

 これに加えて重要なのは、「武道哲学講義W」(『南郷継正 武道哲学 講義・著作全集 第七巻』)における以下の指摘です。

「もっとも大きな理由は、弁証法の発展が可能でなくなった、つまりできなくなったからである。簡単には哲学的問答ができなくなった。すなわち、まともな論争相手が誰もいなくなったからである。」(『全集第七巻』p.352)
「答は、端的にはヘーゲルが自分(絶対精神)そのもので体系的な著作を書く努力をしなかったということに尽きる。つまり、原稿を講義録のままにしておいたことにある。自分で努力しなかった、ヘーゲル流にいえば、「絶対精神」レベルで学問の体系化を主体的にやらなかった、そこを行うことを怠ったからである。もっと説けば、ヘーゲルは生きた実体を生きた実体のままにしておいた。つまり講義録を講義録のままにしておいたのである。ヘーゲルは講義録に主体をからめて、生きた実体を主体性ある生きた実体にすべきだったのに、である。」(p.352)


 要するに、ヘーゲルにはまともな論争相手がいなかったために哲学的問答を通じて学問的実力の向上を図ることができなかったのであり、また、大学での講義録を体系的な著作にまで書き直していくという主体的な努力を怠ってしまったために哲学の完成が不可能になってしまったのだ、というわけです。我々はここからしっかりと教訓を導き出し、日々の学びの指針としなければなりません。まず、ヘーゲルにはまともな論争相手がいなかったということに関わっては、研究会としての集団力を発揮して、哲学的問答をしっかりとやっていかなければなりません。そのためにも、お互いがお互いをしっかりと哲学的問答のできる相手として育てていくのだ、という意識を持っておかく必要があります。次いで、ヘーゲルが講義録を講義録のまま放置してしまったということに関わっては、本ブログへの掲載用論稿を中心にして、論文レベルの文章をしっかりと書き続けていくことが必要となるでしょう。

 さらにいえば、観念論の立場に制約されていた(精神が初めから存在するとする以上、認識論をまともにつくれるはずもなかった)ヘーゲルに対して、我々はヘーゲル以降の個別科学の目覚ましい発展の成果をしっかりと受け継ぎつつ、あくまでも唯物論の立場から、哲学の完成を目指していかなければならなのだ、ということも忘れるわけにはいきません。ヘーゲルがこの世界の全てを絶対精神の自己運動として説ききろうとしたのに対して、我々はこの世界の全てを「物(一体性的物一般=物自体)」(浅野昌充)そのものの運動として説ききらなければならないのです(*)。

 以上のようなことを踏まえつつ、我が京都弁証法認識論研究会は、本年の毎月の例会において、哲学史の学びの本番ともいうべきヘーゲル『哲学史』に挑戦していきます。唯物論哲学の完成は我々の使命であるということを胸に刻み、哲学の歴史について昨年以上に深く突っ込んだ学びを展開していくことを通じて、しっかりと学問的実力を培っていく決意を表明して、本稿を終えます。

(*)日本弁証法論理学研究会編集の『学城』第10号掲載論文「「生命の歴史」の歴史W──「個体発生は系統発生を繰り返す」(ヘッケル)との学説が我々に問いかけたものとは(2)」(浅野昌充)では、「学的唯物論」について次のように説かれています。

「この世界(宇宙=森羅万象)はその端緒(初めがあるとするならば)からして物(一体性的物一般=物自体)そのものであり、物(一体性的物一般=物自体)そのもの以外の何物でもなく、その物(一体性的物一般=物自体)そのものが物(一体性的物一般=物自体)そのものとしての一般的な性質を把持しながら、その時点での物(一体性的物一般=物自体)そのものの運動として発展していき、その時点での物(一体性的物一般=物自体)そのものの発展性がつきれば、次の物(一体性的物一般=物自体)そのものへと形態的・質的に変化しながら、いわば発展していく物(一体性的物一般=物自体)そのものの運動過程性(そのもの)なのである。
 要するに、世界はすべて物(一体性的物一般=物自体)そのものとしての体系性的な生成発展との運動形態を把持する過程的・複合的な体系性的統一体(実体)だ、との学的世界観である。」(『学城』第10号、p.29)


(了)
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2015年01月23日

哲学の歴史の流れを概観する(12/13)

(12)哲学の歴史は一元論の完成を目指した歩みであった

 本稿は、昨年一年間、シュヴェーグラー『西洋哲学史』の内容に関わってなされた要約、例会への報告、例会で提示された論点をめぐってなされた討論などをしっかりと振り返りつつ、ひとつの流れをもったものに纏め直すことを通じて、哲学の歴史の全体像を一般教養レベルで描き出すことを目指したものでした。ここで、これまで説いてきた流れを簡単に振り返っておくことにしましょう。

 そもそも哲学は、よりよい国家的生活を築いていくために、自分自身を取り巻く環境(自然および社会)について何とか筋を通して把握したい、(アダム・スミス流にいえば)バラバラな諸現象によって喚起される不安を鎮めたい、という切実な感情からスタートした営みであるといえます。こうした感情こそが、哲学の歴史における原点であるといってよいでしょう。

 古代ギリシャ哲学は、自然の多様な現象の背後に唯一不変の存在を見出そうとする試みであったと総括することができます。しかし、対象の構造に分け入れるほどの認識の実力はありませんでしたから、仮想された永遠不変の存在(エレア派の有やプラトンのイデア)から多様で変化してやまない現実の諸現象に筋を通して説明することはできず、両者を二元論的に並存させるのがせいぜいでした。こうしたなかで、あくまでも多様な現象に着目して、古代ギリシャ世界において蓄積されてきた諸々の知識を百科全書的に集大成したのがアリストテレスです。

 やがて、ポリス社会の崩壊過程が進行していくと、これまでポリスの歴史的な慣習に従って生きていればよかった人々が、客観的世界と区別された自分というもの(主観)を痛切に自覚する(自我が確立される)ようになり、自らの生き方に深刻に悩むようになっていきます。こうした過程のなかで、永遠不変の存在(プラトンのいわゆるイデアのようなもの)と確固たる生き方の指針を求めてやまない自分自身の精神とが重ね合わされていくようになり、永遠不変の存在と転変してやまない現象世界という二元論的把握が、主観(精神)と客観(自然)との二元論へと変化していくことになったのでした。

 ローマ帝国の崩壊後、イスラム勢力の伸張によって明るい地中海から切り離され、深く暗い森に閉じ込められてしまったヨーロッパの人々は、キリスト教(カトリック教会)の絶対的な権威にすがるようにして生きていました。しかし、人々は、何百年もの時間をかけて暗い森を切り開いて広大な海にまで到達し、地球規模で活躍の場を広げていくことになっていきます。こうした過程で、人間は自分自身が持つ力について次第次第に揺るぎない自信をつけていき、キリスト教の絶対的な権威は大きく揺らいでいくことになったのです。カトリック教会は、11世紀以降、人々が日々の生活のなかで蓄積してきた経験的知識と教会信仰における啓示的真理との折り合いをつけていくために、(イスラム圏より流入してきた)ギリシャ哲学の成果を利用していくようになります。これがスコラ哲学です。しかし、経験的知識の蓄積が進んで人間が自分の力について自信を強めていくにつれて、経験的知識と啓示的真理との間の整合性を維持することが困難になっていきます。スコラ哲学は、ルネサンスや宗教改革、自然科学の台頭によって衰退していったのでした。

 近代哲学の創始者デカルトは、「われ思うゆえにわれ在り」という命題により(教会信仰の絶対的権威ではなく)思考する具体的個人を学問的探究の出発点として位置づけ、実体(他のものに依存せずにそれだけで存在しうるもの)として物体(物質)と思考(精神)の2つを見出しました。これは、主観と客観という対立構図を、いわば外側から眺めることによってこそ可能になったものといえます。すなわち、自らの主観を客観的に見つめる視点を明確に持てるようになったからこそ、自分(主観)とそれ以外(客観)という自他の関係ではなく、世界の2大存在たる精神と物質の対立として反映してくるようになったわけです。しかし、デカルトは、この両者がどのように媒介されるかという問題を解決できず、二元論にとどまってしまいます。

 物質と精神のどちらが根源的存在か、という問題は、ロックやライプニッツ以降、人間精神は受動的か能動的か、という問題として(すなわち、再び主観/客観の二元論の問題と絡めて)議論されていくことになります。人間精神は受動的だとして物質を根源に据えて精神の生成を説明しようとした流れ(ロックに始まる系列)も、逆に、人間精神は能動的だとして精神を根源に据えて物質の生成を説明しようとした流れ(ライプニッツに始まる系列)も、ともに一面的な結論に陥ってしまいます。

 ここで両系列の流れを合流させたのがカントです。カントは、認識を感性(受動性)と悟性(能動性)という2つの要因に分けて考察し、我々は物自体ではなく、物が我々の認識の側に備わっている枠組みを通して現象する姿を認識するのだ(現象の世界は自我によって構成されたものであり、我々は物自体を知ることはできない)、としたのです。しかし、認識の受動性/能動性の二元論をこのように解決する過程で、物自体/現象という二元論が新たに持ち込まれてしまった(世界〔対象〕を捉える認識の側の二重構造が世界〔対象〕そのものの二重構造に転化させられた)のでした。

 この新たな二元論の克服という課題に絡んで、認識による世界の構成というカントの議論を、自我による世界の創出というところにまで押し進めていったのがフィヒテです。フィヒテは、カントのいわゆる「物自体」はあくまでも自我の活動のなかで創出されてくるものだ、すなわち、根源的な存在はあくまでも自我であって、その自我(主観)が物自体(客観)を生み出すのだ、という形で、自我(主観)/物自体(客観)のそもそもの二元論を自我一元論へと解消しようとしたのでした(*)。この非我に相当する部分についての論を、当時までの自然科学の成果を取り込んで自然哲学として構築していったのがシェリングです。しかし、シェリングは、フィヒテ的な先験哲学(自我を主とする論)と自然哲学(非我を主とする論)を充分に媒介することができませんでした。シェリングは、自然(実在)と精神(観念)のどちらも根源ではなく、両者の無差別(絶対的同一性)なるものが根源であるとしたのですが、抽象的で無内容な絶対者から具体的な現実世界がどのようにして媒介されてくるのか、まともに解くことはできなかったのです。

 シェリングの基本的な発想を継承しつつ、体系を統括する要となる「絶対者」の内容を大きく発展させたのがヘーゲルでした。ヘーゲルにおける絶対者は、シェリングにおけるように観念的なものと実在的なものの無差別ではなく、あくまでも観念的なもの、すなわち絶対精神です。絶対精神は、単なる存在ではなく発展であり、自分自身を展開して、自然および精神の世界に表現される豊かな現実となっていく普遍者として措定されたのでした。こうした絶対精神の自己運動という観点から、世界全体に体系的に筋を通して説ききろうとしたのが、ヘーゲルの哲学です。ヘーゲルは世界歴史を絶対精神が本来の自己へ立ち還る過程、すなわち自由の実現過程として描こうとしたのです。

 以上でみてきたように、人類は、諸々の事物・事象が複雑に絡み合って変化し続けているこの世界に何とか1本の筋を通して把握しきろうとして、悪戦苦闘を続けてきたのでした。世界全体を一元論的に説ききるための根本的原理が諸々に想定されたけれども、なかなかに二元論を克服できない、という歴史が続きました。19世紀の後半になってようやく、ヘーゲルが絶対精神の自己運動という発想を打ち立てることによって、観念論の立場からの一元論的な哲学の完成に向かって大きく接近することになったのでした。

(*)このことによって、物自体/現象の二元論も必然的に解消されることになります。世界もまた自我(主観)によって創出されたのだとすれば、現象と物自体の区別などなくなる(自分が想像=創造したものの真の姿を知り得ない、などということはない)からです。
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2015年01月22日

哲学の歴史の流れを概観する(11/13)

(11)ヘーゲルは観念論の立場から一元論哲学を完成させようとした

 前回は、カントの哲学を継承したいわゆるドイツ観念論の発展過程、具体的には、フィヒテからシェリングへの流れを概観しました。カントの批判哲学においては、主観(自我)と客観(物自体)とが全く別個の存在として並存させられており、自我によって現象世界が構成されるのだ、自我(理論理性としての自我)に対しては物自体は現象としてしか捉えられないのだ、とされていました。こうした認識による世界の構成というカントの議論を、自我による世界の創出というところにまで押し進めていったのがフィヒテです。フィヒテは、カントのいわゆる「物自体」なるものはあくまでも自我の活動のなかで創出されてくるものだ、すなわち、根源的な存在はあくまでも自我なのであって、その自我(主観)が物自体(客観)を生み出すのだ、という形で、自我(主観)と物自体(客観)の二元論を自我一元論へと解消しようとしたのでした。この非我に相当する部分についての論を、当時までの自然科学の成果を大きく取り込むことで、自然哲学として構築していったのが、シェリングです。しかし、シェリングは、フィヒテ的な先験哲学(自我を主とする論)と自然哲学(非我を主とする論)を充分に媒介されないままに並列させてしまう、という困難に直面することになりました。この困難を何とか打開しようとしてシェリングは、自然(実在)と精神(観念)のどちらも根源ではなく、両者の無差別(絶対的同一性)なるものが根源であるとします。その上で、シェリングは、絶対者が自分自身を外化して、この外化から自己とのより高い統一へ帰るのだ、と示そうとしました。しかし、結局のところ、抽象的で無内容な絶対者から具体的な現実世界がどのようにして媒介されてくるか、まともに解くことはできなかったのです。

 絶対者が自分自身を外化して、この外化から自己とのより高い統一へ還る――こうしたシェリングの基本的な発想を継承しつつ、体系を統括する要となる「絶対者」の内容を大きく発展させることによって、観念論哲学の完成に向けて大きく歩みを進めることになったのが、ヘーゲルです。

 1770年にシュトゥットガルトに生まれたヘーゲルは、18歳のときにテュービンゲン大学(神学部)に入学し、シェリングやヘルダーリンと親交を結びました。ヘーゲルはシェリングよりも5歳年長でしたが、先に哲学者として有名になったのはシェリングであり、ヘーゲルはシェリングの哲学上の同志と目される存在でしかありませんでした。しかし、1807年に著した『精神現象学 序論』においてシェリングの哲学を厳しく批判し、独自の哲学の構築に向けた宣言を行ったのです。

 ヘーゲルにおける絶対者は、シェリングにおけるように観念的なものと実在的なものの無差別ではなく、あくまでも観念的なもの、すなわち絶対精神です。絶対精神は、単なる存在ではなく発展であり、自分自身を展開して、自然および精神の世界に表現される豊かな現実となっていく普遍者として措定されました。『精神現象学 序論』では、以下のように述べられています。

「生きた実体は、存在といっても、真実には主体であるところの存在である。あるいは同じことであるが、生きた実体とは、その実体が、自分自身を定立する運動であり、みずから他者となりつつそのことを自分自身に関係づけ媒介するという、このかぎりにおいてのみ真に現実的であるところの存在である。主体としてのかぎりでは、それは単純な否定性であり、まさにそのことによって、単純なものを分割するはたらきである。そのさい、対立的なものへと二重化しながら、たがいに交渉のないそれら二つの項のあいだの差異と対立がふたたび否定される。根源的な、あるいは直接的な統一そのものではなくて、このように自分を回復する同一性、あるいは、他であることにおいて自分自身へ帰ってくる反省、これが真なるものなのである。真なるものは、それ自身になりゆく生成としてある。それは円環、すなわち、前もって目的として立てた自分の終わりを初めとし、そしてそれを実現する過程と終わりとによってのみ現実的であるところの円環である。」(ヘーゲル『精神現象学 序論』中央公論社、世界の名著35、pp.101-102)


 このように、ヘーゲルにおける絶対精神は、シェリングにおける絶対者のような単なる実体(すなわち規定性の否定)ではなく、生きた実体すなわち主体(有限な諸区別の定立および産出)であったのです。こうした絶対精神の自己運動という観点から、世界全体に体系的に筋を通して説ききろうとしたのが、ヘーゲルの哲学だったわけです。我々が2012年の毎月の例会で取り上げてきたシュテーリヒ『西洋科学史』(現代教養文庫)では、ヘーゲル哲学の全体像が、以下のようにまとめられていました。

「ヘーゲルにとって、世界過程の全体は、世界精神が自己を展開していく一個の経過なのだ。これには三つの本質的な段階が区別される。
 第一段階においては、世界精神が“即自有”の状態にある。こうしたものとしてそれを考察することは、論理学の課題である。だから論理学は思惟規則の総括ではなく、純粋で無時空的な状態にある世界精神そのもの論理なのだ。
 第二段階では、世界精神そのものが空間と時間とに結びつけられた自然へと自己を“外化”する。自然哲学は、こうした、つまり、“他在”の状態においての世界精神を取り扱う。
 第三段階で、世界精神は自己自身に立ち戻る。つまり、いまや“即自の、かつ対自の有”という状態にあることになる。そうしたものとして世界精神を考察するのは、精神の哲学である。
 精神の哲学がさらに三段階に分かれる。主観的精神論は、個別的人間、自己意識をもつ個人の生を扱う。主観的精神論を越えて一段と高められたものが、客観的精神論である。これは、家族や社会や国家や歴史の大規模な超個人的“客体的”秩序関連を問題にする。“絶対的精神”すなわち芸術とか哲学とか宗教とかいう形態をとったとき初めて、精神は自己自身と自己の自由とを完全に意識するにいたる。」(シュテーリヒ『西洋科学史 X』現代教養文庫、p.6)


 このように、ヘーゲルの哲学的構想においては、絶対精神は、純粋で時間にも空間にも制約されていない状態(この段階を考察するのが論理学)から、空間と時間に結びつけられた自然へと自己を“外化”し(この段階を考察するのが自然哲学)、そこからさらに自己自身に立ち戻っていき、最終的に、宗教、芸術、学問として実現されるのです。こうして世界全体の歴史的発展過程の大きな円環が閉じることになります(この段階を考察するのが精神哲学)。大きくいえば、ヘーゲルは世界歴史を絶対精神が本来の自己へ立ち還る過程、すなわち自由の実現過程として描こうとしたのだといえます。改めて図式的に整理するならば以下のようになるでしょう。

〈ヘーゲル哲学体系の全体像〉
 論 理 学…時間・空間に制約されない純粋な絶対精神そのものを説く
 自然哲学…時間・空間に規定された“他在”としての絶対精神を説く
 精神哲学…自然を経て自己に復帰してきた絶対精神を説く
  主観的精神論(個人の精神を説く)
  客観的精神論(家族、社会、国家、歴史を説く)
  絶対精神論(宗教、芸術、学問という形での絶対精神の実現を説く)
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2015年01月21日

哲学の歴史の流れを概観する(10/13)

(10)自我を根源とする一元論哲学への過程――フィヒテからシェリングへ

 前回は、カントが、経験論の流れと合理論の流れとに分裂していた哲学を、再び1本に合流させたことをみました。経験論の流れにおいては、精神の側の受動性が強調されるあまり、精神を物質のなかに解消してしまうような結末を迎えていました。一方で、合理論の流れにおいては、精神の側の能動性が強調されるあまり、物質を精神のなかに解消してしまうような結末を迎えてしまっていました。こうした両極端の主張が並存するなかで、両方の流れを再び合流させて新たな哲学を打ち立てようとしたのがカントであったわけです。端的にはカントは、この世界を大きく「物自体の世界(叡智界)」と「現象の世界(感性界)」に分けた上で、自我は理論的な営みにおいては感性界に制約されている(このことを論じたのが『純粋理性批判』)が、実践的な行為においては叡智界の住人として感性界に君臨しうる(このことを論じたのが『実践理性批判』)、という整理を行ったのです。端的には、理論的理性は感性界を自然法則に従って把握するが、実践理性は叡智界から自由に感性界に働きかけるのであり、自然法則に支配された感性界と自由な叡智界を媒介して統一する役割を担うのが判断力である、ということになります。判断力は、自然の多様性のなかに統一の根拠を見出すこと、すなわち、自然の合目的性を見出すことによって、それを果たすのだとされました(『判断力批判』)。

 このカントの批判哲学を起点にして、フィヒテ、シェリングからヘーゲルへと至る、いわゆるドイツ観念論の流れが展開していくことになります。彼らの主張の内容を見ていく前に、そもそも18世紀後半から19世紀前半にかけてのドイツにおいて、何故に観念論哲学が大きく発展していくことになったのか、その必然性について、考えておくことにしましょう。

 端的には、経済的・政治的に後進地域であったドイツにおいて、イギリスやフランスで達成された自由ということに強烈な憧れが抱かれていたからだ、ということがいえるでしょう。

 人類史の大きな流れからみるならば、中世社会から近代社会へ移行していくなかで、人間の自由(主体性)の確立が大きな課題となってきます。自由の理念は、まずイギリスやフランスにおいて、政治的・経済的変革を通じて現実世界のなかに実現されることになりました。これに対してドイツは、19世紀に入ってもなお封建的色彩の濃い領邦国家の分立状態にあり、政治的・経済的に停滞した情況にあったのです。ドイツにおいては、自由の理念を現実の世界に実現するだけの条件がまだ成熟していなかったために、イギリスやフランスで実現されていた自由に対して強烈な憧れを抱きつつ、それをまずもって観念の世界で発展させていく(理論的に考察して深化させる)という過程が進行することになりました。これがカント(道徳論において自由と義務の結びつきを深く解明)に始まりヘーゲル(世界歴史を自由の実現過程として把握)で頂点を極めていくドイツ観念論哲学の流れとして結実していくことになったわけです。

 さて、カントの批判哲学を観念論的に発展させていく上で、まず大きな一歩を踏み出したのが、フィヒテです。カントにおいては、自我(主観)と物自体(客観)とは全く別個の存在として、最初からこの2つが並存させられていました。その上で、自我によって現象世界が構成されるのだ、自我(理論理性としての自我)に対しては物自体は現象としてしか捉えられないのだ、とされていたわけです。

 フィヒテは、認識による世界の構成というカントの議論を、自我による世界の創出というところにまで押し進めていきました。カントのいわゆる「物自体」なるものはあくまでも自我の活動のなかで創出されてくるものだ、すなわち、根源的な存在はあくまでも自我なのであって、その自我(主観)が物自体(客観)を生み出すのだ、という形で、自我(主観)と物自体(客観)の二元論を自我一元論へと解消しようとしたわけです。カントが認識はできないにせよあくまで実在すると考えた「物自体」をフィヒテは完全に放棄してしまい、カントが「物自体」に帰した精神の外部からの衝動を、精神そのものの行為として定立するに至ったのでした。要するに、フィヒテの哲学は、「自我のみがある、そして外物による自我の制限と考えられているものは、むしろ自我そのものの自己制限である」という形で纏められる観念論にほかならないわけです。

 このように、フィヒテの理論哲学(知識学)においては、自我と非我(自我の自己制限)との区別が立てられたわけですが、自我が非我という自己制限を克服していこうとする(現実の世界を越えて、全てが絶対我によって定立されているような理想の世界を実現しようとする)ところに、実践哲学(法律論および道徳論)の課題が生ずることになります。フィヒテの法律論においては、まず、知識学における絶対我が無数の法的人格に分かたれます。その上で、自由な諸個人が自己を制限することによって相互に理性的で自由な存在であることを承認しあうような関係こそ法的関係である、と説かれたのでした。これに対して、無数の法的人格に分れた絶対我をふたたび統一するのが道徳論の課題です。フィヒテは、外的強制(他人の自由を侵害しないために或ることをしたりしなかったりすることを外部から命ずる)としての法律に対して、道徳的本性をなすのは内的強制(外的目的を離れて或ることをしたりしなかったりすることを命じる)にほかならない、と説いたのでした。このような道徳論を展開したフィヒテは、世界の道徳的秩序こそ我々の想定する神的なものにほかならない、と主張していたのですが、後期になると、自我を絶対者すなわち神と同一視するようになっていきました。

 このように、自我(主観)が非我(客観)を生み出す、というフィヒテの議論を継承しつつ、この非我(客観)に相当する部分の議論を、当時までの自然科学の成果を大きく取り込んで、自然哲学として構築していこうとしたのが、シェリングでした。

 シェリングは非常に早熟で、15歳で入学したチュービンゲン大学では、ヘルダーリンやヘーゲルと親しくなりました。その後イェナでフィヒテの弟子になりますが、次第にフィヒテの立場から離れて独自の立場をとるようになっていったのでした。

 シェリングの哲学は、ひとつの原理によって構築された体系という形にはなっておらず、新しい問題にぶつかるたびに、いつも新しい立場を試みて始めからやり直そうとするようなものでした。シュヴェーグラー『西洋哲学史』の記述にしたがって、シェリングの哲学の変遷を6つの時期に分けて、概観しておくことにしましょう。

 第1期は、自我を根源とするフィヒテ的立場からの出発です。シェリングは自我を根源とするフィヒテ的立場を継承しつつも、そこから自然の多様な現象を説明しようとしました。つまり、自然科学の成果を哲学のなかに取り込もうとしたわけです。その結果、自然哲学(観念を実在に従属させる)と先験哲学(実在を観念に従属させる)とを並列させる第2期に至ります。

 当然のことながら、次に問題になるのは、自然哲学(実在重視)と先験哲学(観念重視)は如何にして統一されるのか、ということでした。シェリングは、この問題を、スピノザの汎神論にヒントをえて、根源的なものは観念的なものでも実在的なものでもなく、両者の無差別(絶対的同一性)なのである、として解決しようとしました。これが第3期です。

 ここでシェリングは、絶対的同一性なる「絶対者」から、多様性をもって展開する諸々の現象を説明しようとしたが、うまくいきませんでした。そのため、新プラトン派(本稿の連載第5回を参照)的に、絶対者と世界との区別を強調し、後者は前者の堕落したものにすぎない! とすることで心を安らわせようとしたのです。こうして絶対者は神と同一視され、宗教と哲学との合一が主張されるようになりました。これが第4期です。

 こうした神の歴史として、世界の歴史(自然から人間にいたるまでの過程、人間が歴史のなかで発展していく過程)を描き出すことが試みられるのが、第5期です。

 さらに晩年のシェリングは、ここまでの自らの歩みについて、理念としての神を思考によって把握することをめざした消極哲学にすぎない、と総括した上で、意志によって要求される現実的な神を説明する(事実として与えられている宗教を説明する)積極哲学によって補われなければならない、と主張するに至ったのでした。

 このように、シェリングの哲学がまとまった体系になりえなかったのは、端的には、体系を統括するべき根源的存在、すなわち「絶対者」なるものを、極めて抽象的な、無内容なものとしてしか措定できなかったからであると思われます。シェリングは、無差別とか同一性とかいわれる抽象的な「絶対者」から、無限の多様性をもって展開する現実世界が如何にして生成してくるのか、まともに解くことができなかったのです。抽象的な絶対者と具体的な現実世界とをどう媒介するのか(前者から後者が出て来る過程をどう説明するのか)、という難問を解きあぐねて試行錯誤を続けた結果、シェリングの哲学は「本質的に発展の歴史」(シュヴェーグラー)と呼ばれるようなものになってしまったのでした。
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2015年01月20日

哲学の歴史の流れを概観する(9/13)

(9)カントは物自体論と二律背反論で合理論の流れと経験論の流れを合流させようとした

 前回は、デカルトによって提起された問題、すなわち、精神と物質という2つの実体(他のものに依存せずにそれだけで存在しうるもの)の二元論的な対立を如何にして一元論的に解決するか、という問題が、人間精神は受動的か能動的か、という問題として(すなわち、再び主観/客観の二元論の問題として)議論されていった過程をみました。人間精神を受動的とみなすことで、根源的存在たる物質から精神の生成を説明しようとしたのがイギリス経験論あるいはフランス啓蒙思想の流れであり、人間精神を能動的とみなすことで、根源的存在たる精神から物質の生成を説明しようとしたのが、ライプニッツに代表される大陸合理論の流れです。

 しかし、この2つの大きな流れは、いずれも非常に一面的な結論に到達してしまいます。精神と物質という2つの実体の存在をしっかりと認めた上で両者を内的に調和させるのではなく、どちらか一方の存在だけを肯定して他方を否定する、という結果に終わってしまったのです。こうして、哲学の2つの大きな流れは、互いに大きく隔たったまま、枯れ果ててしまいかねない危機に直面することになりました。そこへ登場して、人間精神は受動的でもあれば能動的でもある、とすることで、2つの流れを再び合流させようとしたのが、カントです。カントは、ライプニッツやヴォルフに連なる大陸合理論の流れを受け継ぎつつ、イギリス経験論を究極まで押し進めたヒュームの因果律批判を正面から受け止め、独自の批判哲学(理性を批評する哲学)を打ち立てていったのです。

 若い頃から自然の研究に打ち込んできたカントは、自然科学的認識の確実性を揺るがしかねないヒュームの因果律批判(原因と結果の繋がりは客観的な現実世界に存在するものではなく、ある出来事と別の出来事を結びつける主観的信念にすぎない)に大きな衝撃を受けます。そして、何とかして自然科学的認識の確実性を基礎づけようと、因果律なるものがそもそもなぜ成立するのか、という根本的な問題の探究に駆り立てられていったのでした。カントは、ヒュームの提起した問題を、そもそも人間の認識はこの世界の姿をどのようにして捉えるのか、という問題として突き詰めて考え、11年かかけて『純粋理性批判』を書き上げました。

 カントによれば、物自体の世界(存在するがままの世界)は、人間の認識で把握することができません。人間は自身の認識にあらかじめ備わっている枠組みで物自体の世界に問いかけることによって現象の世界を成立させるのであり、こうして成立させられた現象の世界を眺めるほかないのです。つまり、私たち人間が見ているのは、存在するがままの世界(物自体の世界)ではなく、私たちの認識の枠組みによって捉えられた限りでの世界(現象の世界)にすぎないのだ、というのがカントの主張です。

 カントは、人間の認識の側にア・プリオリに備わっている枠組みとして、感性的直観の純粋形式である空間・時間と、純粋悟性概念であるカテゴリー(分量、性質、関係、様態の4つの領域にそれぞれ3つ、全部で12のカテゴリーが存在する)を論じました。つまり、カントにおいては、時間・空間という世界の大枠も、そのなかに存在する諸々の事物・事象の分量(単一性、数多性、総体性)、性質(実在性、否定性、制限性)、関係(付属性と自存性、原因性と依存性、相互性)、様態(可能―不可能、現実的存在―非存在、必然性―偶然性)といったあり方も、すべて主観(人間の認識)の側から客観(現象の世界)の側へと与えられるものである、ということになるのです。客観的な世界(現象の世界)に存在する諸々の法則性はすべて、人間の認識が(物自体の世界に問いかけることによって)現象の世界を成立させるに際して、まさにその人間の認識の側から与えられたものにほかならない、というわけです。

 このように考えるならば、因果律とは客観的な世界のあり方とは関わりのないものであり、人間の心のなかだけに存在する主観的な信念にほかならない、というヒュームの主張が成立する余地がなくなってくるのは明らかです。なぜなら、私たちが眺めている客観的な世界(現象の世界)は、私たちの認識の側に備わっている条件によって、きちんと因果律が成り立つものとして構成されている(人間の認識がまさにそのようなものとして創造した!)、ということになるからです。

 このようにカントは、客観的な世界(現象の世界)が人間の主観によって成立させられたものにほかならないとすることによって、客観的な世界のなかに間違いなく因果律というものが存在していること、したがって、因果律を適用することによって現象としての客観的世界の構造について究明していくという自然科学的な営みが絶対的な確実性をもったものとして成立する余地があることを主張しようとしたのでした。

 さらにカントは、理性の誤った使用(カテゴリーを物自体にまで及ぼそうとすること)によって、二律背反が生じてしまうことを示しています。例えば、宇宙論的仮象として、以下の4つの二律背反が示されています。

「純粋理性の二律背反
 先験的理念の第一の矛盾
  定  立
 世界は時間において初まりを有し、空間に関しても限界の内に囲まれている。
  反 定 立
 世界は初めを持たず、空間においても限界を有せず、かえって時間に関しても空間に関しても無限である。」(河出書房新社『世界の大思想 10 カント〈上〉』p.315)

「先験的理念の第二の矛盾
  定  立
 世界における各複合的実体は、単純な部分から成り、かつ実際に存在するものはいずれも単純体か、もしくは単純体から合成されたものにほかならない。
  反 定 立
 世界におけるいかなる複合物も単純な部分からはつくられない。世界には一般に単純体なるものは実際に存在しない。」(同、p.320)

「先験的理念の第三の矛盾
  定  立
 自然の法則に従う原因性は、世界の現象がことごとくそこから導き出されるような唯一のものをなしていない。世界の現象を説明するためにはなお自由による原因性を想定することが必要である。
  反 定 立
 自由というものはなく、世界における一切はもっぱら自然法則に従って生起する。」(同、p.326)

「先験的理念の第四の矛盾
  定  立
 世界には、世界の部分としてか世界の原因としてか、端的に、必然的存在体をなすものが属している。
  反 定 立
 世界の内にも世界の外にも、端的必然的存在体が世界の原因として存在するということはない。」(同、p.331)


 二律背反が何故に4つなのかといえば、これは、純粋悟性概念の4つのカテゴリー――量、質、関係、様相――に対応したものであるからだと考えられます。すなわち、世界(宇宙)の量に関わっての二律背反が第一(空間的・時間的の限界の有無)であり、世界(宇宙)の質に関わっての二律背反が第二(究極の構成要素の有無)、世界(宇宙)の関係に関わっての二律背反が第三(究極原因としての自由の有無)、世界(宇宙)の様相に関わっての二律背反が第四(世界の創造主の有無)であると整理することができます。純粋悟性概念の4つのカテゴリーは、カントにおいては、この世界(現象の世界)を成り立たせるための基本的な枠組み(4つの根本的な要素)とでもいうべきものであり、古代ギリシャ以来の学問の歴史がこの枠組みに沿って整理されたのだということができるでしょう。

 4つの二律背反を眺めると、いずれも、定立(テーゼ)はこの物質的な世界に何らかの限界を設定しようとするものであり、反定立(アンチテーゼ)はこうした限界を設定することに反対している、といえます。したがって、大きくいえば、いずれの二律背反も、定立が観念論的な見方からの主張、反定立が唯物論的な見方からの主張である、ということができるでしょう。以下、第二、第三、第四の二律背反のそれぞれに即して、簡単に確認しておきましょう(第一の二律背反についてはその後で述べます)。

 第二の二律背反(世界の全ては単純なものから成り立つ/単純なものはなく全て合成されている)は、空間という抽象のもととなった物質のあり方について問うものです。定立においては、究極の構成要素というものがある(それ以上は遡れない基礎単位がある)と主張されるのであり、そこに物質的世界の限界が設定されることになってしまいます。これに対して、反定立は、究極の構成要素を否定することによって物質的世界に限界を設定することに反対しています。

 第三の二律背反(世界には自由による原因がある/いかなる自由もなく全ては自然法則である)は、いわゆる自由と必然性の問題として、古代ギリシャ以来の学問の歴史のなかで(とくに道徳の問題との関わりで)論じられてきたものです。定立のように、自由による原因を認めるということは、自然法則と不可分な物質的世界に限界を設けようとすることにほかならない、と考えられます。これに対して、反定立は、自由を排して自然法則しか存在しないとすることで、物質的世界が全てであることを主張しているわけです。

 第四の二律背反(世界には絶対的に必然的な存在であるような何かが実在する/世界の原因として絶対に必然的な存在というものは全く存在しない)というのは、この世界が何らかの存在によって創造されたものかどうか(ごく簡単に言い換えれば、時間や空間の始めがあるのかどうか)、を問うているものです。定立は、物質的世界の何らかの形での創造を主張し、反定立は、如何なる形においても物質的世界の創造を否定するのです。

 これら3つの二律背反は、この物質的世界(宇宙)の、いわば特殊な側面を捉えて、その限界の有無を論じるものであって、究極的には、この物質的世界(宇宙)そのものをまるごと捉えて(量的に把握して)、その限界の有無を論じる第一の二律背反に収斂するのだということができるでしょう。

 以上のように、客体がア・プリオリに認識できるかどうかを問題にしたのが、純粋理性(理論的理性)の批判でした。これに対して、理性による自由な意志決定を問題にするのが、実践理性の批判です。カントは、道徳律(理性が自分自身によって意志に与える法則)の事実により、経験的意志による決定ではなく理性的意志による決定が可能であることは確実である、と主張しました。その上で、人間の意志の唯一の動機は道徳律そのもの、すなわち道徳律への尊敬でなければならない、としたのでした。

 純粋理性(理論的理性)は「現象の世界」を自然法則にしたがって認識するものであり、実践理性は全てが自由によって規定されている「物自体の世界(叡智界)」をひらくものです。カントは、両者の統一の根拠の概念を掲げることによって、「現象の世界」と「物自体の世界」との深淵を埋めるものこそ判断力である、としました。カントによれば、判断力は特殊を普遍のもとに含まれているものとして思考する能力であり、自然の経験的多様性を先験的な原理(多様を統一する根拠が含まれている原理)へ関係させるものですから、自然の合目的性を対象とすることになります。カントはこの判断力を、自然の合目的性を主観的に(概念を媒介とせずに)掴む美的判断力と、自然の合目的性を客観的に(概念を媒介として)掴む目的論的判断力とに分けて論じています。
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 ・歴史観の歴史を問う
 ・2013年2月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』をどのように読んでいくべきか
 ・『三浦つとむ意志論集』を読む
 ・言語学の構築に向けてどのように研究を進めるのか
 ・一会員による『綜合看護』2013年1号の感想
 ・改訂版・新大学生に説く「大学で何をどう学ぶか」
 ・2013年3月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』序論(前半)を読む
 ・3年目教師としての1年間を実践記録で振り返る
 ・2013年4月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』序論(後半)を読む
 ・新自由主義における「自由」を問う
 ・2013年5月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第一部 東洋の世界(前半)を読む
 ・三浦つとむ「マルクス・レーニン主義に関する本質的な質問」から学ぶ
 ・言語は歴史的にどのように創出されたのか
 ・一会員による『綜合看護』2013年2号の感想
 ・ヒュームの提起した問題にカント、スミスはどのように答えたか
 ・2013年6月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』東洋の世界(後半)を読む
 ・一会員による2013年上半期の振り返り
 ・認知療法における問いの意義を問う
 ・カント歴史哲学へのアダム・スミスの影響を考える
 ・2013年7月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』ギリシアの世界を読む
 ・2013年8月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第三部 ローマの世界を読む
 ・アダム・スミスの哲学体系の全体像を問う
 ・一会員による『綜合看護』2013年3号の感想
 ・初任者に説く学級経営の基本
 ・カウンセリング上達過程における事例検討の意義
 ・文法家列伝:古代ギリシャ編
 ・ヒューム『政治論集』抄訳
 ・2013年9月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第四部 ゲルマンの世界を読む
 ・言語過程説から言語学史を問う
 ・2013年10月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』「第4部 ゲルマンの世界」第2篇を読む
 ・戦後日本の学力論の流れを概観する
 ・一会員による『育児の生理学』の感想
 ・文法家列伝:古代ローマ・中世編
 ・2013年11月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第4部 ゲルマンの世界 第3篇を読む
 ・古代ギリシャ経済の歴史を概観する
 ・2013年12月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』のまとめ
 ・ヘルバルト教育学の全体像を概観する
 ・年頭言:歴史を切り拓く学問の創出を目指して
 ・歴史的な岐路に立つ世界と日本を問う
 ・一会員による『綜合看護』2013年4号の感想
 ・一会員による2013年の振り返りと2014年の展望
 ・ヘーゲル『歴史哲学』を読む
 ・2014年1月例会報告:学問(哲学)の歴史の全体像について
 ・一会員による『学城』第10号の感想
 ・世界歴史の流れを概観する
 ・現代の言語道具説批判――言語規範とは何か
 ・2014年2月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第3〜11章
 ・ヘルバルト『一般教育学』を読む
 ・新大学生へ説く「大学で何をどのように学んでいくべきか」
 ・2014年3月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第12〜14章
 ・三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』学習会を振り返る
 ・『育児の認識学』は三浦認識論をいかに発展させたか――一会員による『育児の認識学』の感想
 ・2014年4月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第15〜19章
 ・4年目教師としての1年間を実践記録で振りかえる
 ・文法家列伝:『ポール・ロワイヤル文法』編
 ・2014年5月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第20〜26章
 ・道徳教育の観点から見る古代ギリシャの教育と教育思想
 ・古代ギリシャの経済思想を問う
 ・半年間の育児を振り返る
 ・2014年6月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第27〜33章
 ・現代の言語道具説批判・補論――「言語道具説批判」に欠けたるものとは
 ・心理士が医学から学ぶこと――一会員による『医学教育 概論(1)』の感想
 ・アダム・スミス「天文学史」を読む
 ・現代の言語道具説批判2――言語道具説とは何か
 ・2014年7月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第34〜38章
 ・道徳教育の観点から見る中世の教育と教育思想
 ・もう一人の自分を育てる心理療法
 ・2014年8月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第39〜40章
 ・アダム・スミス「外部感覚論」を読む
 ・文法家列伝:ジョン・ロック編
 ・一会員による『学城』第11号の感想
 ・夏目漱石を読む@――坊っちゃん、吾輩は猫である、草枕
 ・2014年9月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第41〜43章
 ・ルソーとカントの道徳教育思想を概観する
 ・アダム・スミスは『修辞学・文学講義』で何を論じたか
 ・全てを強烈な目的意識に収斂させる――一会員による『医学教育概論の実践』の感想
 ・2014年10月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第44〜45章
 ・精神障害の弁証法的分類へ向けた試み
 ・シュリーマン『古代への情熱』から何を学ぶか
 ・2014年11月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第46章
 ・一年間の育児を振り返る
 ・近代ドイツにおける教育学の流れを概観する
 ・2014年12月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』のまとめ
 ・年頭言:弁証法・認識論を武器に学問の新たな段階を切り開く
 ・「戦後70年」を迎える日本をどうみるか
 ・哲学の歴史の流れを概観する
 ・『ビリギャル』から何を学ぶべきか
 ・必要な事実を取り出すとは――一会員による『医学教育 概論(2)』の感想
 ・2015年1月例会報告:南郷継正「武道哲学講義X」
 ・夏目漱石を読むA――二百十日、野分、虞美人草、坑夫
 ・アダム・スミスは古代ギリシャ哲学史から何を学んだのか
 ・マインドフルネスを認識論的に説く
 ・道徳思想の歴史を概観する
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部の要約
 ・弁証法的に学ぶとはいかなることか――一会員による『医学教育 概論(3)』の感想
 ・一会員による『学城』第1号の感想
 ・新大学生への訴え
 ・2015年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論A
 ・心理職の国家資格化を問う
 ・5年目教師としての1年間を実践記録で振り返る
 ・文法家列伝:時枝誠記編
 ・2015年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論B、C、東洋哲学
 ・夏目漱石を読むB――三四郎、それから、門
 ・臨床心理学のあるべき姿を考える――一会員による『医学教育 概論(4)』の感想
 ・アダム・スミス「模倣芸術論」を読む
 ・デューイの教育論の歴史的な意義を問う―『学校と社会』を通して
 ・2015年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ギリシア哲学史の序論、イオニア派の哲学、ピュタゴラスとピュタゴラス派
 ・高木彬光『邪馬台国の秘密』を認識論から読み解く
 ・一会員による『学城』第12号の感想
 ・2015年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エレア派〜ヘラクレイトス
 ・何故言語学の創出が必要か―一会員による2015年上半期の振り返り
 ・事実と論理ののぼりおり――一会員による『医学教育 概論(5)』の感想
 ・夏目漱石を読むC――彼岸過迄、行人、こころ
 ・2015年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エムペドクレス〜アナクサゴラス
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(上)
 ・デューイ教育論の歴史的意義を問う―『民主主義と教育』をとおして
 ・2015年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソフィスト派・ソクラテス
 ・アダム・スミス『法学講義』を読む
 ・学問上達論とは何か――一会員による『哲学・論理学研究(1)』の感想
 ・2015年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソクラテス派、プラトン
 ・庄司和晃追悼論文―庄司和晃の歩みはいかなるもので、何を成し遂げたか
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部第4章の要約
 ・一会員による『学城』第2号の感想
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(下)
 ・夏目漱石を読むD――道草、明暗
 ・2015年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』プラトン 弁証法、自然哲学、精神の哲学
 ・ナイチンゲール看護論を心理臨床に活かす――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(1)』の感想
 ・文法家列伝:時枝誠記編(補論)
 ・英語教育改革を問う―『英語化は愚民化』書評―
 ・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
 ・2年間の育児を振り返る
 ・2015年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学)
 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
 ・ケネー『経済表』を読む
 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史