2015年06月11日

アダム・スミス「模倣芸術論」を読む(5/5)

(5)スミスは模倣ということでは芸術の価値を説明しつくせないことを示した

 本稿は、アダム・スミスの遺稿集『哲学論文集』に収録された「模倣芸術論」の内容を概説しつつ、スミスが、模倣に着目することで芸術の価値の源泉について如何なることを明らかにしえたのか、検討することを目的としたものでした。

 ここで、これまで説いてきた流れを簡単に振り返っておくことにしましょう。

 まず「模倣芸術論」の第1部の内容を確認しました。そこでは、完全な模倣とはどういうことか、という観点から議論が始まり、絵画と彫刻における模倣が検討されてゆきました。その結果、模倣そのものの完全さ(その極限が欺瞞、すなわちコピーにすぎないものを本物と見まがわせようとすること)は何らの芸術的価値も生まないのであり、芸術的な価値は、模倣される対象(モデルとなるもの)と模倣するもの(表現の素材)との大きな物質的な差異を克服する技術の見事さへの驚嘆に基づいているのだ、とされていたのでした。

 次いで、「模倣芸術論」の第2部の前半部分、すなわち、いわゆる「三姉妹芸術」(音楽、舞踊、詩)相互の関係について、歴史的発展過程をも視野に入れて論じられている部分の内容を確認しました。そこでスミスは、これら「三姉妹芸術」のうち、舞踊は音楽から離れては存在しえない(音楽的な速度と拍子を伴わなければ、諸動作の適切な速度と拍子とが知覚できない)が、器楽は詩からも舞踊からも離れて単独で最もよく存在できるものである、と主張していたのでした。

 「模倣芸術論」の第2部後半では、この器楽が考察の対象となっていました。スミスは詩と音楽が結合した声楽(歌曲)が、三重の過程(作詞者による模倣、作曲者による模倣、歌手による模倣)によって、極めて強い模倣力を発揮することを強調する一方で、器楽が現実の対象を模倣する力は、非常に貧弱なものでしかない、と断じていました。器楽は、何らかの事件を具体的に描写することはできないし、その事件の当事者がどのような感情を抱いたかを全ての聴き手が明瞭に理解できるように表現することはできない、というのです。スミスは、器楽がもたらす感動の源泉をめぐって、精神(心)における思考や観念の連なりと音楽における音の連なりとの類似性について着目し、器楽は高い音と低い音や類似音と対照音の適切な配列により、また継起の緩急により、陽気な、平静な、あるいは憂鬱な気分に適応しうるのだ、と論じていました。しかし、スミスは、こうした音の連なりが作曲者の感情(思考や観念の連なり)を模倣したものにほかならないことに気づくことができず、器楽はそれ自体が、陽気、平静、憂鬱な対象なのであって、器楽を聴いて我々が抱く感情というのはあくまでも本源的な感情、すなわち、我々自身の陽気、平静、憂鬱なのである(他者の感情への共感を媒介として成立した感情ではない!)、としてしまったのでした。

 以上を要するに、芸術の価値(良し悪し)、換言すれば、芸術作品がその鑑賞者に与える満足感の源泉について考察してきたスミスは、それが必ずしも現実の対象を巧みに模倣するというところから生じるものではない、ということは明らかにしえたものの、その真の源泉(作者の創造的認識)については、ついに明瞭につかむことはできなかったのだ、ということになるでしょう。

 こうしたスミスの「模倣芸術論」の特徴について、それを規定した時代的条件ということにも注目しながら、改めて論理的に概括してみることにしましょう。

 端的には、スミスは、芸術(模倣技術)における模倣について突っ込んで検討することで、模倣ということだけでは芸術の価値が生じる要因を説明し尽くせないことを示したといえます。

 模倣ということに関わって、スミスは、芸術的な価値は模倣される対象(モデルとなるもの)と模倣するもの(表現の素材)との大きな差異を克服する技術の見事さへの驚嘆に基づいている、という重要な命題を提起していました(もちろん、器楽の価値は、この命題で説明されるものではないわけですが)。

 模倣される対象と模倣したものとの差異を克服する技術に対する感嘆という指摘は、〈対象→認識→表現〉という芸術の過程的構造(三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』)のうち、最初の対象と最後の表現とを並べて比べていた伝統的な芸術論を思えば、両者を媒介する過程に着目でき始めたものとして、注目に値するのではないでしょうか。スミスは、(作者から切り離された)模倣そのものの忠実さではなく、模倣する技術の巧拙、もう少し踏み込んでいえば、その技術を駆使する人間の主体性に着目しようとしているわけです。

 しかしながら、作者の認識というものは、スミスの視野に明瞭には入って来ていませんでした。スミスは、芸術作品の鑑賞者が、芸術作品を媒介として、その作者の感情に共感する、という構図を見て取ることができなかったのです(*)。このことは、スミス自身が『道徳感情論』において共感論を全面的に展開していたことを思えば、非常に奇妙なことのようにも思われます。「模倣芸術論」においても、共感というキーワードが登場しないわけではないのですが、それは、鑑賞者が作者に共感するという構図においてではなく、鑑賞者が物語の登場人物に共感する、という構図においてでしかないのです。

 では、スミスが芸術の作者の認識に着目しきれなかったのは、何故なのでしょうか。端的には歴史的制約ではないかと思われます。18世紀後半においては、作者の主体的認識が強烈に表現されたような芸術作品はまだほとんど存在していなかったのです。とりわけ、「模倣芸術論」で中心的な考察の対象となった器楽についていえば、18世紀後半はバロック音楽から古典派音楽への過渡期でしかないのです。作曲者の主体的認識が強烈に表現された器楽曲は、ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」からようやく始まるといっても過言ではありません。この曲が公開初演されるのは、1805年、スミスの死後15年経ってからのことだったのです。

 三浦つとむの芸術論を踏まえるならば、芸術は作者の認識の表現であり、作者の認識のレベルの高さが価値の源泉である、ということができます。スミスの「模倣芸術論」は、結果としてみれば、この正解に到達することはできていませんでした。しかし、18世紀後半という時代的制約の下にありながら、徹底的に突き詰めた考察によって伝統的な芸術論の限界を乗り越えていこうという力強さを感じさせる、非常に魅力的な論稿であることは間違いありません。人類社会の歴史的発展過程と関わらせながら諸芸術の成立過程を考察したり、精神の内部における思考や観念の連なりと音楽における音の連なりとの類似に着目したりした点などは、現代における芸術論の発展という観点からも、非常に示唆に富むものだといえるでしょう。

 我々は、この「模倣芸術論」について、結論の不充分さをあげつらうのではなく、その結論に至る過程におけるアダム・スミスのアタマの働かせ方の見事さにしっかりと学ぶべきなのです。この点にこそ、哲学者アダム・スミスに学ぶ大きな意義があるといえるでしょう。 

(*)しかしながらスミスは、『修辞学・文学講義』においては、言語の聞き手・読み手が、言語(音声・文字)を媒介として、話し手・書き手の感情に共感する、という過程的構造が存在することを見事に見抜いていたのでした。スミスは、こうした過程的構造が芸術にも同様に存在していることを明瞭につかむことができなかったわけですが、これは表現論一般(絵画や彫刻や舞踊や音楽といった芸術も、認識の表現という点では言語と同様の存在である)という観点を把持できなかったことを意味しています。

(了)
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2015年06月10日

アダム・スミス「模倣芸術論」を読む(4/5)

(4)スミスは器楽の効果は模倣とは無縁であると主張する

 前回は、「模倣芸術論」の第2部の前半部分、すなわち、いわゆる「三姉妹芸術」(音楽、舞踊、詩)相互の関係について、歴史的発展過程をも視野に入れて論じられている部分について検討しました。そこでスミスは、これら「三姉妹芸術」のうち、舞踊は音楽から離れては存在しえない(音楽的な速度と拍子を伴わなければ、諸動作の適切な速度と拍子とが知覚できない)が、器楽は詩からも舞踊からも離れて単独で最もよく存在できるものである、と主張していたのでした。

 「模倣芸術論」の第2部後半では、この器楽が考察の対象となります(「模倣芸術論」のなかでも、この器楽を論じた部分が最も長いものとなっています)。

 前回の最後で見たとおり、スミスは詩と音楽が結合した声楽(歌曲)が、三重の過程(作詞者による模倣、作曲者による模倣、歌手による模倣)によって、極めて強い模倣力を発揮することを強調していました。これに対してスミスは、器楽が現実の対象を模倣する力は、非常に貧弱なものでしかない、と断じるのです。器楽は、何らかの事件を具体的に描写することはできないし、その事件の当事者がどのような感情を抱いたかを全ての聴き手が明瞭に理解できるように表現することはできない、というのです。

 もちろん、スミスは、器楽が様々な物音を模倣することができること自体は認めています。その例として、コレッリの「クリスマス協奏曲」(合奏協奏曲第8番ト短調)において、揺りかごの揺れが模倣されていることや、ヘンデルがミルトンの詩(「快活の人、沈思の人」)に作曲したオラトリオ「快活の人、沈思の人、温和の人」のなかのシンフォニア(合奏曲)において、鐘のなる音やひばりやナインチンゲールの鳴き声が模倣されていることが挙げられています。

 しかし、これらの音楽については「ここは揺りかごの揺れを表わしているのですよ」と前もって知らされていなければ、あるいはミルトンの詩によって音楽の意味が説明されていなければ、そもそも何を模倣しようとしていたのか、聴き手がただちに理解することはありえないだろうし、そういう説明を受けて聴けば見事な模倣に聴こえる部分も、説明なしに聴いたならば一風変わった楽句に聴こえるだけであろう、とスミスは指摘するのです。

 それでは、器楽の模倣力がこのように非常に貧弱なものでしかないとすれば、器楽を聴いたときの我々の満足感(感動)はどこから生じるのでしょうか。ここでスミスは、我々の精神(心)における思考や観念の連なりと音楽との類似性に着目しています。

 スミスはまず、精神(心)における思考や観念の連なりについて、次のように整理しています。

 スミスによれば「心を不断に通過する思考や観念の連なり(train of thoughts and ideas which is continually passing through the mind)」は、必ずしも常に、同じ歩調で、あるいは同じ順序と結びつきで、動いてゆくとは限りません。我々が陽気で快活なときには、その流れは生き生きとして活発です。こうした陽気な精神状態においては、我々は、同じような思考や観念に長く関わるよりも、対照による相違を求めていきます。一方、我々が憂鬱で気落ちしているときは全く異なります。そうした場合、我々は、できれば追い払ってしまいたいと思う思考や観念に、絶えず付きまとわれてしまうのです。互いによく似た諸々の思考がゆっくりと続いていくことが、憂鬱な心境の特徴なのです。精神の自然な状態、すなわち高揚も落胆もしておらず、平静で沈着な状態は、これら両極端の中間的な位置を占めています。

 精神(心)における思考や観念の連なりについて以上のように整理したスミスは、音楽における音の連なりについて次のように考察します。

 高い音は陽気で快活であり、低い音は荘重で憂鬱です。高い音は低い音よりも急速に飛翔するように感じられるし、最高音部は最低音部よりも快活であるから、高音部の音符はより急速に継起するのが普通です。こうして、器楽は、高い音と低い音や類似音と対照音の適切な配列により、また継起の緩急により、陽気な、平静な、あるいは憂鬱な気分に適応しうるのです。だからこそ、誰であっても、快活で陽気な音楽と、憂鬱でもの悲しい音楽と、これらの中間に位置する平静で沈着な音楽とを、容易に区別することができるのです。ここからさらに、聴き手が何らかの強烈な感情を抱いていない限り、音楽はそれ自身の性格に合致した特定の気分に、聴き手を誘い込む力をも持っていることを指摘することもできます。

 スミスは、思考や観念の連なりと音楽における音の連なりとの類似性について、以上のように論じるのです。

 このようなスミスの説明について、三浦つとむの芸術論を学んだことのある読者であれば、「なるほど。音楽においては、作曲者の感情が、それに照応した音の連なりとして表現されているのであって、その音の連なりを媒介として、聴き手は作曲者の感情に同化するのだな。あえて模倣という概念を使っていえば、作曲者の感情(思考や観念の連なり)が音の連なりによって模倣されている、ということなのだな」と考えるかもしれません。器楽が聴き手の感動を呼び起こす過程的構造の説明としては、まさにその通りだといえるでしょう。しかし、残念ながら、スミスはこうした結論には到達していないのです。スミスは、次のように述べます。

「器楽は、声楽や絵画や舞踊のように、陽気、平静、憂鬱な人間を模倣することはない。器楽が我々をこうしたそれぞれの心境に引き入れるのは、他人の陽気、平静、憂鬱、苦悩への共感によるのではない。器楽はそれ自身が、陽気、平静、憂鬱な対象になるものである。……我々が器楽から感じるものは何でも、本源的な気持であって、共感的な気持ではない。それは我々自身の陽気、平静、憂鬱であり、他人の心境を反映した心境ではないのである。」


 ここで注目すべきは、作曲者の感情という問題が、スミスの視野には全く入ってきていないことです。芸術における感情の模倣といった際、スミスの視野に入ってくるのは、いわば物語の登場人物の感情でしかないのです。したがって、器楽が具体的な人物を描写するだけの模倣力を欠いている以上、感情の模倣などということはありえない、ということにならざるをえません。ここから、器楽はそれ自体が、陽気、平静、憂鬱な対象なのであって、器楽を聴いて我々が抱く感情というのはあくまでも本源的な感情、すなわち、他者の感情への共感を媒介として成立したものではなく、我々自身の陽気、平静、憂鬱なのである、ということになっていくのです。

 このことを、スミスは、庭園の散歩の例で説明しようと試みています。スミスは、巧みに設計された庭園の曲がりくねった小径を歩くときに出会う風景の継起は、時に陽気で時に陰気で、また時に静かで落ち着いたものであるが、これらの場面が、精神の陽気な、静かな、あるいは憂鬱な気分を模倣したというのは不適切であろう、というのです。ここでスミスが主張しようとしていることは、人の手がほとんど加わっていない山道を歩くという事例に置き換えてみれば、より明瞭になるでしょう。木々が鬱蒼と茂り、薄暗くジメジメしたところは陰気な感じがするし、木がまばらで明るい日が差し込み、爽やかな風が感じられるところは陽気な感じがします。これは確かに、山道が陰気な、あるいは陽気な感情を模倣しているから、我々もそれに共感して陰気な、あるいは陽気な気分になるのだ、ということはできません。

 このようにしてスミスは、器楽の模倣力の弱さ(特定の境遇に置かれた人物の有様を具体的に描写することができない!)を根拠にして、器楽における共感の効果を否定し、器楽が生み出す効果は旋律や和声の直接的な効果以外の何ものでもない、と断じるのです(*)。

 以上、3回にわたって、「模倣芸術論」の内容を概観してきました。端的には、芸術の価値(良し悪し)、換言すれば、芸術作品がその鑑賞者に与える満足感の源泉について検討してきたスミスは、それが必ずしも現実の対象を巧みに模倣するというところから生じるものではないことを明らかにしえたのだ、ということができるでしょう。しかし、同時に、その真の源泉(作者の創造的認識)については、ついに明瞭につかむことはできなかったのだということも指摘せざるをえないのです。

(*)スミスは、巧妙に作曲された器楽の協奏曲について、楽器の多様性、および、音楽の諸部分の多様性を、同時に聴かれる全ての多様な音の正確な調和により、また、時間を異にして聴かれる音の継起を調節する拍子の適切な多様性によって、完全で規則的な体系に編成し融合させるのだ、と説明します。その上で、これが、感覚的な喜びをもたらすだけでなく、非常に高度な知的な喜び――スミスは、学問の偉大な体系について思いめぐらすことから生じる知的な喜びに似ている、とします――をもたらすものであることを指摘しています。
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2015年06月09日

アダム・スミス「模倣芸術論」を読む(3/5)

(3)三姉妹芸術(音楽、舞踊、詩)相互の関係を歴史的発展過程から探る

 前回は、「模倣芸術論」の第1部の内容を確認しました。そこでは、スミスが、彫刻や絵画における模倣を検討することによって、模倣そのものの完全さ(その極限が欺瞞、すなわちコピーにすぎないものを本物と見まがわせようとすること)は何らの芸術的価値も生まないとし、芸術的価値は、模倣される対象(モデルとなるもの)と模倣するもの(表現の素材)との大きな物質的な差異を克服する技術の見事さへの驚嘆に基づいていると論じたことをみました。端的には、スミスが、模倣そのものではなく、模倣する技術の巧拙、もう少し踏み込んでいえば、その技術を駆使する人間の主体性に着目しようとしていることが確認できたといってよいでしょう。

 さて、今回は「模倣芸術論」の第2部の前半部分、すなわち、いわゆる「三姉妹芸術」(音楽、舞踊、詩)の相互の関係を論じた部分について、検討していくことにしましょう。

 スミスはまず、これらの3つの芸術が「三姉妹」と呼ばれる所以に関わって、これらが歴史的にどのように形成されてきたのか、考察しています。

 スミスは、身体的欲求の充足から生じる快楽の次にくるものとして、音楽と舞踊という楽しみほど自然なものはない、といいます。空腹が満たされ、寒さ暑さから身を守ることができるようになると、次に求められるようになってくるのは音楽と舞踊の楽しみだ、というわけです。満たされた身体を(音を伴う形で)楽しく動かしたくなってくる、ということでしょう。

 スミスは、古代人が律動(リズム)と呼んだもの、我々が速度(タイム)または拍子(メジャー)と呼ぶものが、これら2つの芸術を結合する原理である、と説きます。その上で、音楽はある種の音の継続であり、舞踊はある種の足取り・身振り・動作の継続であって、いずれも速度または拍子によって調整されることで一種の全体(あるいは体系)に形成されるのだ、と説いていくのです。要するに、初期人類の最低限の生存維持が可能となった段階で、リズムによって不可分に結合された2つの芸術――音楽と舞踊――が登場してくるのだ、というのが、スミスの音楽・舞踊起源論であるわけです。

 スミスは、最初の楽器は人間の声であっただろう、といいます。それも、何らかの意味を持った言葉を発するということではなく、例えば「ララララ……」というように、声を旋律に合うように調整したものであっただろう、と推測しています。しかし、スミスは、時代の経過とともに、これらの無意味な音楽的な「言葉」が、曲調に合致した意味のある言葉によって置き換えられていくようになったであろう、といいます。ここから詩が生まれたというのが、スミスの詩起源論です。すなわち、スミスによれば、あるリズムに合わせ身体を動かして声を発するという形で、音楽と舞踊が密接不可分なものとしてまず成立し、その声が無意味な音楽的「言葉」から明瞭な意味を持った言葉に置き換えられていくことによって詩が成立したのだ、というわけです。

 いわゆる「三姉妹芸術」の歴史的形成過程についてのスミスのこうした考察が、現実の歴史的過程に照らして妥当なものかどうかはさておき、ある対象について究明するために、その起源にまで遡って考えてみるというスミスの発想そのものは、非常に優れたものとして評価することができるでしょう。

 さて、スミスは、こうした形成過程を踏まえた上で、詩と舞踊と音楽の関係について整理しています。まず、詩と音楽の関係についてです。スミスは、音楽それだけでは何らの意味も持たないように思われるが、そこに曲調の陽気さや憂鬱さなどにふさわしい意味を表現する詩が加わることで、音楽に明確な意味と意図が与えられるように思われたのだ、といいます。次いで、舞踊(無言劇)と音楽との関係です。ここでもまた、恋愛や戦争での冒険を表す無言舞踊が加わることによって、音楽に明確な意味と意図が与えられるように思われたのだ、といいます。いずれにせよ、それ自体としては明確な意味も意図も表現しえない音楽に、明確な意味を表現しうる詩や舞踊が加わることによって、音楽の意味や意図が明らかになるのだ、という構図でスミスが捉えていたことが分かります。もっともスミスは、詩が、理解力による推理と推断、想像力による空想や疑念、諸々の感情など、舞踊では不完全にしか表現しきれないものをハッキリ表現することができることを指摘しています(これは感覚的なものを超えた概念を表わす言語表現の特殊性によるものだといえるでしょう)。つまり、意味をハッキリと表現する力において、舞踊は音楽にまさり、詩は舞踊にまさるのだ、というわけです。

 さて、スミスは、相互に密接に絡み合うこれら「三姉妹芸術」のうち、詩と音楽は独立して存在しうるものの、舞踊は音楽から離れては存在しえない、とします。なぜかといえば、舞踊における諸動作の律動、適切な比率、速度と拍子は、音楽が持つ明確な速度と拍子によって支えられなければ知覚されえないからだ、というわけです。

 一方でスミスは、詩からも舞踊からも離れて単独で最もよく存在できるのは器楽である、とするのですが、その器楽についての本格的な考察に進む前に、声楽(すなわち詩+音楽)について考察しています。

 スミスは、声楽における3つの模倣を指摘します。

 第一に、明確な意味または意図を持つ言葉に結びついた音楽は、その言葉によって何らかの教訓を明らかにしたり、何らかの具体的な出来事を描写したりする点において、必然的に模倣的になるということです。これは、一般的な模倣、あるいは説話的な模倣と呼ばれています。

 第二に、歌のなかに描かれた人間の諸々の感情を模倣するということです。これは、音楽劇の登場人物が喜びや怒り、哀しみや楽しみを歌い上げる様をイメージすればよいでしょう。スミスは、音楽上の音声と通常の会話における音声とは非常に異なっているものの、拍子と旋律を加工することにより、前者を後者に似たものにすることは可能である、と説きます。さらに、声楽による感情の模倣の利点を次のように力説するのです。すなわち、ある人が何らかの強烈な感情にとらわれているとしても、通常は、その思いを他人に何度も繰り返して述べることはできません。自分の心のなかで自分に対して繰り返すことができるのみです。どんなにハラワタが煮えくり返っていても、他人に「腹が立った」「腹が立った」「腹が立った」……と延々と繰り返していては、うんざりされてしまうでしょう。散文や詩では、こうした延々たる繰り返しを模倣することはできません(あえてすれば退屈極まりない文章となるだけです)。ところが、情熱的なアリア(オペラやオラトリオといった音楽劇のなかで、登場人物が自分の胸中を切々と歌い上げるもの)の音楽においては、こうした繰り返しが可能となるのです。アリアの歌詞は、たいていの場合、作曲者の判断によって、諸部分に分解され、変形されたり、再三再四繰り返されたりしています(*)。このような繰り返しによって、音楽は、感情について、他の全ての模倣芸術にまさる独自の模倣力を発揮できる、というのです。

 第三に、歌手によって俳優としての模倣が付け加えられることです。すなわち、歌手は、歌のなかで描かれた人物の感情を表現するに際して、音声の抑揚や装飾によってだけでなく、顔つき、態度、身振りをも駆使する、ということです。

 このように、スミスは、音楽と詩(言語)とが結合した声楽について、詩(言語)が現実の対象のあり方を描写するという模倣(作詞者によるもの)、言語と結合した音楽によって歌に描かれた人物の感情を描写するという模倣(主として作曲者によるもの)、声楽が実際に演奏される際に歌手が俳優としての演技(顔つき、態度、身振り)を付け加えるという模倣(歌手によるもの)、という三重の過程によって、非常に強い模倣力を発揮することを強調するのです。

(*)例えば、J・S・バッハ「マタイ受難曲」のペテロの否認の後の有名なアリアでは、「私を憐れんで下さい我が神よ、私の涙の故に。目をとめて下さい。心も目もあなたの前で激しく泣いています(Erbarme dich, Mein Gott,um meiner Zaehren willen! Schaue hier,Herz und Auge weint vor dir Bitterlich.)」という、普通に朗読すればほんの10秒程度のごく短い詞が、再三再四繰り返されながら、たっぷり5分以上もかけて歌い上げられています。

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2015年06月08日

アダム・スミス「模倣芸術論」を読む(2/5)

(2)絵画と彫刻における模倣はどのようにして効果をもたらすか
 
 本稿は、アダム・スミスの遺稿集『哲学論文集』に収録された「模倣芸術論」の内容を概説しつつ、スミスが、模倣に着目することで芸術の価値の源泉について如何なることを明らかにしえたのか、検討することを目的としたものです。

 今回は、「模倣芸術論」の第1部の内容について確認しておきましょう。

 スミスは、完全な模倣とはどういうことか確認するところから議論をスタートさせています。スミスは、「如何なる種類の対象であれ、その最も完全な模倣とは、あらゆる場合に、同じモデルに即してできるだけ正確に作られた、同種のもうひとつの対象であるに違いない」とします。例えば、目の前にある絨毯の完全な模倣とは、模様や形など正確にコピーされたもう1枚の絨毯にほかならない、ということです。

 ここで注意しておかなければならないのは、ここでのスミスの関心が、あくまでも「完全な模倣」ということにあるだけに、自然物の模倣という伝統的な芸術観からは少し外れた議論になっていることです。自然物を絵画なり彫刻なりで模倣するといっても、それはモデルとなった自然物と同種の対象、もっといえば全く同一のものを作るわけではないのであって、その意味では「完全な模倣」というわけにはいきません。これに対して、絨毯のような人工物であれば、全く同一のものをもうひとつ作るということも可能になってきます。スミスはそこに着目して、まずは「完全な模倣」ということが芸術の価値(良し悪し)にどう関わるか、検討しようとしているわけです。模倣こそが芸術の価値を生み出すというけれども、それでは「完全な模倣」が最大の価値を生み出すといえるのだろうか――これがここでの大きな問題となってきます。

 スミスは、先ほど挙げた絨毯の例について、モデルとなった絨毯を正確にコピーしたという事情は、もう1枚の絨毯の値打ちを多少なりとも減じるかもしれない、と述べます。とりわけ、モデルとなる絨毯が高度な技量に裏打ちされた高級絨毯であったならば、それを模倣したもう1枚の絨毯の値打ちは大いに減じることであろう、というのです。これがどういうことか、その極限としてスミスが挙げる次の例をみてみれば分かりやすいでしょう。スミスは、「もうひとつのサンピエトロ大聖堂、あるいはセントポール教会を、まったく同一の寸法、面積、装飾で建てること」を挙げ、こうしたことは、「もとのものが持っている極めて価値の高い壮麗さを辱めるような、才知と独創力の憐れな欠如と考えられる」というのです。このように、2つの芸術作品がそっくり同じであった場合、一方が他方(原作品)のコピーであることが露骨に示されるために、コピーを作成した人物の独創性の欠如を感じさせてしまうことになるのだ、というわけです(ここで、芸術的価値の高低に関わらせる形で作者の「才知と独創力」に言及されているのは、芸術的価値の源泉として作者の創造性を重視するようになっていくその後の芸術論の展開との繋がりを感じさせるもので、興味深いものがあります)。要するに、模倣こそが芸術的価値の源泉だというけれども、完全な模倣(模倣される対象との完全な一致)は何らの芸術的価値を生まないものなのだ、ということを、スミスはまず確認するのです。

 では、模倣という観点からは、芸術の価値を説明することはできないのでしょうか。必ずしもそうではない、というのがスミスの主張です。スミスは、芸術作品は同種の他の対象(絨毯であれば絨毯、建築物であれば建築物)に似ているということから何らかの値打ちを引き出すことはめったにないとはいえ(*)、異なった種類の対象に似ているということから多くの値打ちを引き出すことはしばしばある、とするのです。

 例えば、みすぼらしい絨毯(それ自体はつまらない対象です)の肌触りを綿密な明暗をつけながら彩色することで見事に表現した絵画がそうである、とされます。この例によってスミスは、芸術においてはコピーがオリジナルに勝る場合があることを示唆している、と見ることもできるでしょう。芸術は自然の模倣である、という伝統的な芸術観では、オリジナルはコピーにまさるものだということが大前提となっていましたが、そういう前提を覆すような見方が、さりげなく提示されているとみることも可能なわけです。

 ここでスミスは、模倣したもの(芸術作品)と模倣の対象(作品のモデルとなったもの)との間の不一致が大きいほど模倣から生じる満足感も大きい、という非常に重要な命題を提起します。これがどういうことなのか、紙と鉛筆を使ってリンゴの絵を描く、という例で考えてみることにしましょう。この場合、白い紙に黒い鉛筆によって線を引いたり濃淡をつけたりして、リンゴを表現していくわけですが、結果として出来上がるものは、白い紙という平面上に鉛筆で濃淡が付けられたものにすぎず、赤くて丸くて瑞々しい現実のリンゴとは似ても似つかないものです。それでも、それをみて「確かにこれは美味しそうなリンゴだ!」と分かるならば、我々は「紙と鉛筆だけで、よくもここまで似せたものだ!」と感嘆することになるのではないでしょうか。スミスは、こうした点に着目しようとしているわけです。

 さて、続いてスミスは、模倣したもの(芸術作品)と模倣の対象(作品のモデルとなったもの)との間の不一致の大きさという観点から、絵画と彫刻を比較していきます。端的には、立体を立体で模倣するよりも立体を平面で模倣する方が困難だから、模倣される対象と同じく立体の形で模倣する彫刻よりも、立体的な事物を平面に写し取って模倣する絵画の方が大きな満足感を生み出すのだ、というのです。スミスは、絵画においては、もとの対象がどうでもいいものであっても、あるいは不快なものであってさえ、その模倣がしばしば快いのに対して、彫刻においてはそうではない、と指摘しています(例えば、平凡な男女は、レンブラントの絵画のなかでは満足感をもって眺めうるが、彫刻の主題とするにはあまりに貧弱であろう、とされています)。

 ここでスミスは、なぜ彫刻には彩色が施されないのが普通なのか、という問題を解いてみせています。端的には、彫刻にそれらしい彩色が施されてしまうと、模倣したものと模倣される対象との間の不一致という満足感の大きな源泉が決定的に損なわれてしまうからである、というわけです。

 結局のところ、模倣が忠実であればあるほど優れた芸術だと考えられがちだけれども、優れた彫刻家や画家の作品が持つ効果は、欺瞞(コピーを本物であるかのように提示すること)から生じるものではありえないのだ、というのがスミスの結論です。例えば、高貴な人物を彫り刻んだ見事な彫刻は、本物の人間と間違えられるようなものではありませんし、そもそも本物の人間と間違えられることを意図して(鑑賞者を欺こうとして)作られるものでもありません。同じように、リンゴを描いた見事な絵は、本物のリンゴと間違えられるものでなければ、そもそも本物のリンゴと間違えられることを意図して(鑑賞者を欺こうとして)描かれるものでもないのです。彫刻や絵画によってもたらされる快楽は、決して欺瞞(本物だと見まがうこと)の効果などではなく、それとは全く両立しないものなのだ、とスミスは主張します。では、この快楽はどこから生じるのかといえば、ある種の対象(例えば画布と絵の具)が他の非常に異なった種類の対象(リンゴ)を表現するのを見た際の驚異に基づくのであり、さらに、両者の不一致を見事に克服する技術への驚嘆に基づくのだ、というのです。「全然似ていない素材を使って、よくもここまで似せたものだ!」という驚嘆こそが、彫刻や絵画を見た際の快楽の基礎となるのです(先ほどの彩色彫刻の例でいえば、「色の塗られた立体だから似ているのは当たり前でしょう」となってしまうということでしょう)。

 このように、スミスは、彫刻や絵画における模倣を検討することによって、模倣そのものの完全さ(その極限が欺瞞)は何らの芸術的価値も生まないこと、芸術的価値は、模倣される対象(モデル)と模倣するもの(表現の素材)との大きな差異を克服する技術の見事さへの驚嘆に基づいていることを確認したのです。スミスが、模倣そのものではなく、模倣する技術の巧拙、もう少し踏み込んでいえば、その技術を駆使する人間の主体性に着目しようとしていることが確認できたといってよいでしょう。

(*)要するに、ある芸術作品を模倣した作品が独自の価値を持つこともないではない、ということです。例えば、俵屋宗達の風神雷神図を尾形光琳が模写したものなどは、その例といってもよいでしょう。
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2015年06月07日

アダム・スミス「模倣芸術論」を読む(1/5)

目次

(1)スミスは「模倣芸術論」で何を明らかにしたのか
(2)絵画と彫刻における模倣はどのようにして効果をもたらすか
(3)三姉妹芸術(音楽、舞踊、詩)相互の関係を歴史的発展過程から探る
(4)スミスは器楽の効果は模倣とは無縁であると主張する
(5)スミスは模倣ということでは芸術の価値を説明しつくせないことを示した

・・・・・・・・・・・・・・・・・

(1)スミスは「模倣芸術論」で何を明らかにしたのか

 我々京都弁証法認識論研究会は、この間、アダム・スミスの遺稿集『哲学論文集』に収録されている諸論文、具体的には、「天文学史」「古代自然学史」「古代論理学・形而上学史」「外部感覚論」を検討してきました。このうち、「天文学史」「古代自然学史」「古代論理学・形而上学史」の3論文は、感覚器官で捉えられないものを想像する認識の能動性に着目して学問史の構造を究明したものであり、「外部感覚論」は生物が普遍的に持つ本能に着目することで「心は、言ってみれば文字をまったく欠いた白紙で、観念はすこしもない」(ロック『人間知性論(一)』岩波文庫、p.133)というイギリス経験論の一大命題に事実上の異議申し立てを行うものでした。

 さて、この『哲学論文集』には、もうひとつ、「模倣芸術論」と呼ばれる重要な論文が収録されています。この論文を検討してみようというのが、本稿の趣意です。

 この論文は、正式のタイトルを「いわゆる模倣芸術において行われる模倣の本性について(of the nature of that imitation which takes place in what are called the imitative arts)」といいます。このタイトルを見ると、「模倣芸術とは何だろう? 単なる芸術とどう違うのだろうか?」という疑問が生じてくるかもしれません。この疑問に答えるには、古代ギリシャ以来の芸術論の歴史を簡単にでも振り返っておく必要があります。

 そもそも、現代の我々がイメージするような芸術という観念は、18世紀後半から19世紀になってようやく成立したものにすぎません。では、それ以前はどうだったのかといえば、いわゆる芸術が技術一般から明瞭には区別されていなかったのです。このことは、技術も芸術も英語では art であるしドイツ語では Kunst であることからしても明らかでしょう。要するに、芸術とはある種の特殊な技術(art)にほかならなかったわけなのです。

 では、絵画や彫刻や詩などが如何なる技術とされていたかといえば、端的には、自然を模倣する技術であるとされていたのでした。このような捉え方の起源は、古代ギリシャにまで遡ります。プラトン(『ティマイオス』)は、自然界の事物はイデアの模倣(ミメーシス)であると論じましたが、アリストテレス(『詩学』)がこれを批判的に継承して(芸術は模倣の模倣だから価値が低いというプラトンの論に反対して)、模倣こそ人間本来の性情であり諸芸術の様式となっていると論じたのでした。こうして、諸々の技術のうち自然を模倣する技術が、いわゆる芸術だとされることになっていくわけです。ちなみに、これに対して、農業などは自然を補完する技術として位置づけられることになっていきます。ですから、imitative arts というのは「模倣技術」と訳すべきであって、「模倣芸術」というように訳すのはあまり適切ではないのではないかと考えられます。端的には、模倣技術=芸術(現代の我々がイメージするようないわゆる芸術)という図式が成立するわけです。

 さて、芸術は自然の模倣であるとすれば、論理的には、芸術の価値(良し悪し)は、自然の事物(あるいはそれに人間の手が加わった人工物)を忠実に写し取っているか否かによって決まってくるのだ、ということにならざるをえません。例えば、現実のリンゴの色や形を忠実に写し取った絵こそがよい絵なのである、ということになるわけです。

 ところが、18世紀後半以降、芸術の価値は対象を忠実に写したかどうかではなく、あくまでも作者の創造性にこそ求められるべきだ、という論が登場してきます。極端にいえば、作者が創造性を発揮して、実際には赤くて丸いリンゴを青くて四角いものとして描いたとしても、それはそれで大いに結構だ、ということにもなっていくわけです。

 芸術の価値の源泉をめぐるこうした議論の変遷を、三浦つとむによる「芸術における過程と段階」(『弁証法はどういう科学か』講談社現代新書、p.293)の図式、すなわち〈対象→認識→表現〉の図式を踏まえて整理してみましょう。芸術は自然を模倣するものである、という伝統的な論は、対象と表現とを並べて両者が似ているかどうか(後者が前者を忠実に写し取っているか)を問題にします。これに対して、芸術の価値は作者の創造性にこそある、という論は、対象と表現とを媒介する作者の認識に何よりもまず注目するものだということができるでしょう。

 本稿で検討する「模倣芸術論」が書かれたのは、スミス自身の手紙や周辺人物の証言などから、スミス(1723−89)の晩年といってよい1780年代のことであると推定されています(邦訳『哲学論文集』名古屋大学出版の解説など)。この時期は、大きく見れば、芸術が自然を模倣する技術だと見なされていたところから、作者の創造性を重視する芸術論が登場してくる過渡期にあたっていました。

 スミスは、こうした芸術論の過渡期にあって、自然(あるいは自然を加工した人工物)を模倣する技術とされてきた「いわゆる模倣芸術」において、実際のところ模倣はどのような役割を果たしているのか、芸術の価値(良し悪し)にどのような影響を与えているのか、突っ込んで考察したのでした。スミスの考察は、芸術の価値の源泉について何を明らかにしたといえるのでしょうか。この問題を究明することが、本稿の目的となります。

 スミスの「模倣芸術論」は以下の3つの部分から構成されています。まず、第1部では、絵画と彫刻における模倣が検討され、続く第2部では、舞踊、音楽、詩(いわゆる「三姉妹芸術」)における模倣が検討されます。この第2部は論文全体のおよそ3分の2を占める長大なものであり、三姉妹芸術のなかでも音楽、とりわけ器楽が検討の中心となっています。最後の第3部は非常に短いものであり、舞踊における模倣の問題が古代舞踊と近代舞踊を比較することでごく簡単に考察されています。

 それでは、次回以降、スミスの議論の大きな流れを辿りながら、芸術の価値の源泉についてスミスがどのようなことを明らかにしえたのか、確認していくことにしましょう。
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2012年02月24日

バッハ「マタイ受難曲」の構造を解く(13/13)


(13)学問への道における「マタイ受難曲」鑑賞の意義とは

 前回は、本稿での論の流れを簡単にまとめるとともに、バッハの「マタイ受難曲」が、宗教色のきわめて濃い音楽作品でありながら、キリスト教の信仰をもたない人にたいしても深い感動をあたえるのはなぜなのか、という本稿の問題提起について、簡潔に結論をあたえることを試みました。

 端的には、第一に、バッハが、イエス・キリストの受難について、特殊な宗教の枠を超えた普遍的な意義をもつところまで深く掘り下げて考察しえたからであり、第二に、バッハが自身の思想が到達したレベルまで鑑賞者の認識を導いていくために、徹底した認識の「のぼりおり」のくり返しを可能とする3層構造を創出しえたからだ、ということでした。

 本稿を終えるにあたって、ぜひとも触れておきたいのは、バッハ「マタイ受難曲」を鑑賞することが学問への道を志す者にとっていかなる意義をもつのか、という問題です。ここで、学問への道というのは、事実の集積レベルの研究者(現象としては大学教員など)への道などといった低レベルのものではなく、この現実の世界の森羅万象をアタマのなかで論理的に統括する体系を構築していく過程のことにほかなりません。

 われわれ京都弁証法認識論研究会は、唯物論の立場から学問の構築を志しているわけですから、イエス・キリストの受難はこれこれこういう意義があったのだ、というキリスト教の信仰レベルの理解にとどまっていることはできません。そこを媒介としつつも、バッハの思想を普遍的な意義をもちうるところにまで掘り下げてつかんでいく、あえていえば、唯物論の立場からいささか強引に読みかえてでもみずからの人生の糧としていく、という姿勢が必要になるわけです。

 この観点から、連載第11回において紹介した、ペテロの否認の場面を受けるコラールにおいて示される思想――神の子イエスが受難によってわれわれの罪を購ってくれたのだから、われわれは自身の深い罪を自覚しつつも神の恵みと愛を信じて真摯に生きていこう――について考えてみることにしましょう。これは、神の恵みと愛についての絶対的な確信をみずからの内にしっかりと把持することによってこそ、自身の罪深さの痛切な自覚によっても絶望することなく真摯に人生を歩んでいくことができる、という思想であるといってよいでしょう。このような思想は、学問への道を歩もうとするわれわれにとって、いかなる意義をもちうるものなのでしょうか。

 この問題を考えていく上で大きな手がかりとなるのは、南郷継正先生が、『南郷継正 武道哲学 講義・講義全集 第九巻』において言及しているヘーゲルの「就任演説」です。南郷継正先生は、ヘーゲルがこの演説で本当は何を訴えたかったのか、と問うて、つぎのように述べています。

「人間はいかなる艱難に出会うともいかなる絶望の淵に沈みかかることがあろうとも、その瞬間にすら、まともに自らを信じることである。別言すれば、何時いかなる時にも、真正面から自らの内に存在していよう偉大なる自らの精神を確信し、信頼することである。そこを忘却したり、そこを等閑視したりするようなことがあれば、人間は自らを偉大にすることはできないし、いかに人間が客観的に偉大であろうとも偉大であり続けることはできないのだ」(『南郷継正 武道哲学 講義・講義全集 第九巻』p.223)

 これは、端的には、艱難に耐えていくためにはみずからの内にある絶対的なものを信じるしかない、絶対的な存在への確信を支えとするしかない、ということを意味しています。それほどまでに、学問への道を歩んでいくことはつらく厳しいことなのだ、ということなのです。

 ヘーゲルは、観念論の立場に立つ学者であり、われわれは唯物論の立場に立つ学問志望者です。しかし、学問への道の途上における諸々の艱難に耐えていくために、信ずるに値する絶対的な存在をみずからの内にしっかりと把持しておかなければならないということは、観念論であろうが唯物論であろうが、共通して存在しなければならない構造なのです。もっとも、観念論の立場から学問への道を志す場合と、唯物論の立場から学問への道を志す場合とでは、確信とすべき絶対的な存在の正体が異なる、ということになるわけですが。

 ちなみに、ヘーゲルにとっての絶対的な存在とは、ヘーゲルの哲学体系の要である「絶対精神」のことにほかなりません。ヘーゲル哲学においては、絶対精神なるものが、この世界の根源的な存在であり、自己運動によって宇宙の本質をつかみとるところにまで発展していくものとして設定されています。「人間は精神であるから……」という文言の「精神」とは、この「絶対精神」のことです。ヘーゲルにとって自分自身が絶対精神(の発展した形態)にほかならないのだから、自分が宇宙の本質をつかみうることは、最初からあきらかなのです。ヘーゲルにおいては、学問への道の終点(ゴール)が、最初からはっきりと見えているようなものであり、どんなに苦しくてもこの道を歩んでいけばよいと確信することができる、ということなのです。これが、就任演説の論理構造です。

 南郷継正先生は、唯物論の立場でヘーゲル「就任演説」と同じ内容を同じ高みで説けるのか、という読者の質問にたいして、説ける! と答えておられるのですが、その詳細な内容については論じておられません。現象レベルでいえば、大志・情熱・誇りの把持、ということができるのでしょうが(*1)、ここで、「マタイ受難曲」鑑賞の意義にかかわって確認しておきたいのは、信ずるに値する絶対的な存在をしっかりとみずからの内に把持することによってこそ、諸々の艱難辛苦に直面しても決して絶望することなく学問への道を歩んでいくことができる、という(観念論の立場からであれ唯物論の立場からであれ学問への道において共通して存在しなければならない)論理構造です。これは、本稿においてつかんだバッハの思想――神の恵みと愛についての絶対的な信念をみずからの内にしっかりと把持することによってこそ、自身の罪深さについての痛切な自覚によっても絶望することなく、真摯に人生を歩んでいくことができるという思想――とまさに共通する論理構造をもつものだということができるのです(*2)。

 そうであるからこそ、バッハの「マタイ受難曲」を真剣に鑑賞することによって、われわれは、大志・情熱・誇りを絶やすことなく真摯に努力できているか、真剣な反省を否応なしに迫られることになるのです。ここに、学問への道におけるバッハ「マタイ受難曲」鑑賞の重要な意義を見いだすことが可能であるといえるでしょう。

(*1)それがいかなる過程的構造をもって創出されるものであるのか検討することは学問への道におけるきわめて重要な課題ですが、本稿で扱うべき範囲を超えるので、詳細な論の展開は、別の機会とします。われわれが現時点で考えている内容を結論的に述べれば、つぎのようになります。すなわち、偉大なる先達・先人と自分自身とを、弁証法を土台として発展的に流れている大きな文化の歴史において、ひとつにつながったものとしてとらえることにより、弁証法を魂レベルで把持していくこと、です。

(*2)ちなみに、この論理構造を「就任演説」で説いたヘーゲルについては、プロテスタンティズムの強い影響を受けていたことがしばしば指摘されています。その影響の度合いは、「彼の哲学はプロテスタント信仰そのものの哲学化であった」(中埜肇『ヘーゲル』中公新書、p.34)とされるほどです。また、ヘーゲルが、1829年3月11日、フェリックス・メンデルスゾーンによってなされた「マタイ受難曲」の歴史的な復活上演を聴いていたというのも興味深い事実です(「マタイ受難曲」は、バッハの死後、長いあいだ忘れさられていたのでした)。ヘーゲルは『美学』において、バッハについて、「その壮大で、真にプロテスタント的な、芯の強い、しかも練習をつんだ天才性はやっと近頃になって再び完全な評価を受けるようになった」 と言及しています。
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2012年02月23日

バッハ「マタイ受難曲」の構造を解く(12/13)

(12)「マタイ受難曲」は鑑賞者の認識を「のぼりおり」させて深めていく

 本稿は、クラシック音楽(西洋芸術音楽)史上の最高傑作ともいわれるバッハの「マタイ受難曲」が、宗教色のきわめて濃い音楽作品でありながら、キリスト教の信仰をもたない人にたいしても深い感動をあたえるのはなぜなのか、という問題を解いていくために、バッハの「マタイ受難曲」がイエス・キリストの受難物語をいかなる構造において鑑賞者に提示しているのか、という点に着目して、その構造を弁証法的・認識論的に解くことを目的としたものでした。

 ここで、これまでの論の流れを簡単に振り返っておくことにしましょう。

 まず、バッハの「マタイ受難曲」が「受難曲」の歴史の流れのなかにどのように位置づけられる存在なのかを確認するために、受難曲の生成発展の歴史的な過程をたどってきました。端的には、教会における受難記事の朗読がしだいに音楽的な要素を強めていくことで受難曲という宗教音楽の一ジャンルが確立されたのであり、さらにこの発展の流れのなかで、受難記事にアリア(新たに創作された自由詩による叙情的な歌)やコラール(ルター派の賛美歌)を挿入し、器楽のパートをくわえた「オラトリオ受難曲」が成立したのだ、ということでした。このような歴史の流れをふまえて、バッハの「マタイ受難曲」がこの「オラトリオ受難曲」というタイプに属する受難曲であることを確認しました。

 ついで、このような受難曲の歴史的な発展過程が、いったいいかなる必然性にもとづいたものであったのかをあきらかにするために、そもそも芸術とはなにか、芸術作品の鑑賞過程および芸術作品の創作過程がいかなる構造をもつものであるか、検討しました。端的には、芸術とは「人間の表現としてひとつの独立した鑑賞の対象となりうるもの」(三浦つとむ『芸術とはどういうものか』至誠堂、p.35)であり、芸術の鑑賞とは、表現を鏡とした観念的二重化――表現を媒介に、想像の世界のなかで自分を作者の立場において作者の考えたこと・感じたことをつかむということ――にほかならない、ということでした。また、作者は、みずからの認識の内容をうまく鑑賞者に伝えるために、創作にあたって鑑賞者に観念的に二重化する――自分自身を鑑賞者の立場においてみずからの創造した世界をながめてみる――という過程をたどって、表現のあり方に諸々の工夫をくわえていくことになるのだ、ということでした。このことから、受難曲の生成発展の歴史とは、受難物語の意義を容易に鑑賞者(直接には教会に集う信徒たち)に伝えていくための表現上の工夫の積み重ねの歴史でもあったのだ、と総括しました。

 以上をふまえて、バッハの「マタイ受難曲」の構造そのものに即して、それが鑑賞者の認識をどのように運動させる(受難の意義についての一定の理解に導いて感動をあたえる)はたらきをもつものか、検討しました。まず、バッハの「マタイ受難曲」は、〈聖句:事件の報告〉〈アリア:事件の報告を受けた信徒の感情レベルの反応〉〈コラール:信徒の共同体が事件の意味を深く考察しつつみずからの問題として受けとめる〉という3つの層によって構成されていることを確認しました。ついで、この3層構造が、認識論の大家である庄司和晃さんによって「三段階連関理論」という形であきらかにされた認識発展の三段階――「素朴的段階」「過渡的段階」「本格的段階」――に対応するものであることを指摘しました。すなわち、バッハの「マタイ受難曲」を鑑賞する人の認識は、聖句(第一の層=素朴的段階)による受難物語の進行を中断するかのようにアリア(第二の層)が挿入されることで素朴的段階から過渡的段階にまでのぼらされ、またコラール(第三の層)が挿入されることで本格的段階にまでのぼらされていくわけであり、さらに聖句による物語の進行が再開されることでふたたび素朴的段階にまでおろされる、ということでした。ようするに、「マタイ受難曲」の3層構造によって、鑑賞者の認識は「のぼりおり」を徹底してくり返させられることになり、この「のぼりおり」のくり返しをつうじて、バッハの考えるイエス・キリストの受難の意義について、否応なしに理解させられていくことになる、ということができたのでした。

 このように説いてきたところをふまえるならば、バッハの「マタイ受難曲」が、宗教色のきわめて濃い音楽作品でありながら、キリスト教の信仰をもたない人にたいしても深い感動をあたえるのはなぜか、という本稿の問いに、いかなる答えをあたえることができるでしょうか。

 端的には、バッハが、イエス・キリストの受難にかかわっての自身の思想のレベルへと鑑賞者の認識を導いていくために、徹底した認識の「のぼりおり」のくり返しを可能とする3層構造を創出しえたからだ、ということになるでしょう。もちろん、バッハ自身が、認識の発展にかんする「三段階連関理論」などを知っていたはずはありません。しかし、現実に人間の認識が法則性をもって運動している以上、認識をどのようにあつかえばよいかという問題に必死にとりくんでいる人は、たとえ科学的な認識論などこれっぽちも知らなくても、認識の法則性をそれなりにふまえた問題解決の術を見出していくことになっていくのです。つまり、バッハは、この「マタイ受難曲」の創作にあたって、鑑賞者の認識を自分の思想のレベルまでいかにして導いていくか、という問題に必死にとりくむ――もちろん、これはそれまでの受難曲の歴史において積み重ねられてきた諸々の表現上の工夫をしっかりとふまえてのものにほかなりません――ことによって、認識の発展にかかわる法則性をそれなりにふまえた3層構造を創出したのだ、と考えることができるのです。
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2012年02月22日

バッハ「マタイ受難曲」の構造を解く(11/13)

(11)「マタイ受難曲」の3層構造は鑑賞者の認識をどのように導くか

 前回は、バッハの「マタイ受難曲」がもつ3層構造――〈聖句:事件の報告〉〈アリア:事件の報告を受けた信徒の感情レベルの反応〉〈コラール:信徒の共同体による事件の意義の考察と主体的な受けとめ〉――が、庄司和晃さんが解明した認識発展の三段階――「素朴的段階」「過渡的段階」「本格的段階」に対応しているのではないか、としました。

 今回は、これがいったいどういうことか、突っ込んで考えてみることにしましょう。

 まず、「マタイ受難曲」の第一の層(聖句)は、基本的に、受難の出来事を間近で目撃してそれを報告する、という性格をもっています。端的には、受難の具体的な出来事を「事実」(実際にあったこと)として報告していく部分ですから、庄司和晃さんのいわゆる「素朴的段階」、すなわち、具体的な認識――実際に目で見たり耳で聞いたり、すなわち、五感覚器官で対象をとらえたレベルの認識のことです――の段階に対応するといってよいでしょう。

 「マタイ受難曲」の第二の層(アリア)は、事件の報告を受けた信徒の側が、嘆き、悲しみ、後悔、怒り、喜びなどといった感情を伴った反応を示す、という性格をもっています。感情に焦点があたっているというと、認識のレベルはそれほど高くないように思われるかもしれませんが、これは、報告された具体的な出来事について、はたして嘆くべきことなのかあるいは喜ぶべきことなのか、それなりの評価がなされていることを意味します。だとすれば、これは、事実としての出来事の報告よりは、一段レベルの高い認識だと位置づけなければなりません。つまり、庄司和晃さんのいわゆる「過渡的段階」の認識に対応すると考えるのが適当だということになるわけです。

 「マタイ受難曲」の第三の層(コラール)は、信徒の共同体が報告された出来事の意味を深く考察し、みずからの生き方にかかわる問題として主体的にとらえ返す、という性格をもっています。受難の具体的な出来事を、最終的には、みずからの生き方にかかわるものというレベルでとらえ返すわけですから、そこには、きわめて高度な抽象化の過程が媒介とされていると考えなければなりません。つまり、庄司和晃さんのいわゆる「本格的段階」の認識に対応していると考えられるわけです。

 これを、「マタイ受難曲」第2部における有名な「ペテロの否認」の場面を例にとって考えてみましょう。この場面は、大祭司のもとへ連行されたイエスの様子をこっそりうかがいにきた弟子のペテロが、お前もあの男の仲間だろう、と糺されたことにたいして、「そんな人のことは知らない!」と否認してしまった(ようするにイエスを裏切ってしまった)、という場面です。

 まず、第一の層(聖句)が、ペテロがイエスを裏切ってしまったこと、また、ペテロが「お前は私を裏切るだろう」というイエスの預言を思い出して激しく泣いたことを報告します。これは、具体的な事実の報告であり、素朴的段階の認識だといえます。

 この事件の報告に、アルト(低い女声)によって歌われるアリアがつづきます。このアリアでは、アルトが、ペテロによる裏切りをまさに自分自身による裏切りであるかのようにして受けとめて、後悔の涙を流しつつ神の憐れみを請うのです。

「憐れんでください、神よ、私の涙ゆえに。
 ご覧ください
 心も目も御前に激しく泣いています。
 憐れんでください、神よ、私の涙ゆえに。」

 つまり、ここで、ペテロの否認という事件(およびそのことによって想起させられた自分自身の弱さ)について、まことに後悔すべきことであり、神の憐れみを請うべき出来事であったのだ、という評価がくわえられているのだ、とみることができるわけです。これはすなわち、素朴的段階から過渡的段階へとのぼったことを意味するといってよいでしょう。

 ペテロの否認にかかわって深い懺悔をおこなったアリアにつづくのが、すべてをやさしく包み込むかのようなあたたかい雰囲気をもったコラールです。これは、つぎのような歌詞によります。

「たとえあなたから離れても、きっとまた戻ってゆきます。
 御子が私たちを不安と死の苦しみによって贖ってくださったのですから。
 私は咎を否みません。
 しかしあなたの恵みと愛は罪よりはるかに大きなものなのです。
 絶えずこの身に宿る罪よりも。」


 つまり、神の子イエスが受難によってわれわれの罪を購ってくれたのだから、われわれは自身の深い罪を自覚しつつも神の恵みと愛を信じて真摯に生きていこう、という信徒共同体による考察と決意が示されているわけです。こうして、ペテロの否認という痛恨の事件が、人間の罪よりもはるかに大きい神の恵みと愛への考察を媒介として、前向きに生きていくための糧へと転化させられているわけです。

 以上を要するに、バッハの「マタイ受難曲」を鑑賞する者の認識は、聖句(第一の層=素朴的段階)による受難物語の進行を中断するかのようにアリア(第二の層)が挿入されることで素朴的段階から過渡的段階にまでのぼらされ、またコラール(第三の層)が挿入されることで本格的段階にまでのぼらされていくわけであり、さらに聖句による物語の進行が再開されることでふたたび素朴的段階にまでおろされる、ということになるわけです。つまり、「マタイ受難曲」の3層構造によって、鑑賞者の認識は「のぼりおり」を徹底してくり返させられることになるのであり、こうしたのぼりおりの徹底したくり返しをつうじて、鑑賞者はバッハの考えるイエス・キリストの受難の意義について、否応なしに理解させられていくことになるのです。

参照
http://www.youtube.com/watch?v=xbqbo_XRnyQ
http://www.youtube.com/watch?v=f0SfKxM6wK0
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2012年02月21日

バッハ「マタイ受難曲」の構造を解く(10/13)

(10)「マタイ受難曲」の3層構造は認識発展の三段階に対応する

 前回は、バッハ「マタイ受難曲」が、〈聖句:事件の報告〉〈アリア:事件の報告を受けた信徒の感情レベルの反応〉〈コラール:信徒の共同体による事件の意義の考察と主体的な受けとめ〉という3つの層によって構成されていることを確認しました。

 それでは、この3層構造という表現上の工夫は、鑑賞者の認識をどのように運動させる(受難物語への一定の理解へ導いていく)はたらきをもつものなのでしょうか。

 この問題を解いていくうえで参考になるのは、認識論の大家(もともと小学校の教師でした)である庄司和晃さんが、人間の認識の発展のありかたについてあきらかにした「三段階連関理論」です。この「三段階」とはなにか、庄司和晃さんの著作から引用しましょう。

「認識の世界を構造的に把握することはできないか……そこで、抽象度というものさしを導入してみると、この世界は、具象的なもの、抽象的なもの、および半抽象的なもの、の三つの段階に区分けすることができる。半抽象的な認識はなりかけ的なものであるから、これを「過渡的段階」の認識と呼ぶことにすると、抽象的な認識は「本格的段階」のもの、具象的な認識は「素朴的段階」のもの、ということができる。……
 各段階の性格をもう少しくわしくみて見ることにしよう。
 ◆素朴的段階
 第一の段階であり、下位に位する段階でもある。また、低次元の段階ともいいうる。個別的・感覚的・経験的であり、具象的で初発的なものといえる段階である。……
 ◆過渡的段階
 第二・中位・中次元の段階であり、中間的・半抽象的な性格をおびた段階である。特殊的で表象的な段階である。これを、アイノコ的・人魚的・ヌエ的な段階、あるいはコトワザ論理的な段階といってもよい。……
 ◆本格的段階
 第三・上位・高次元の段階である。普遍的・概念的・理論的・法則的であり、抽象的で高度なものといいうる段階である。」(庄司和晃『認識の三段階連関理論(増補版)』季節社、1985年、pp.19−21)
 
 庄司和晃さんは、素朴的段階から過渡的段階、本格的段階へという方向での認識の運動を「のぼる」、その逆方向での認識の運動を「おりる」、同じ段階での運動を「よこばい」と名付けています。

「私たちの認識は、のぼったり・おりたり・よこばいしたりということを繰り返しながら、全体としては螺旋的な高まりを示して、ヨリ確実・ヨリ充実・ヨリ完全なものになっていくのである。……認識の世界をその性格に応じて三段階に分け、その間の「のぼりおり」に着目しながら、認識の発展相を明らかにし、同時に、問題を解決する際の指針・目安として役立たせていくというのが、「三段階連関理論」である。「のぼりおり認識論」ともいう。」(同、p.35)

 このように、人間の認識は、素朴的段階(具体的な認識)と過渡的段階(半抽象的な認識)と本格的な段階(抽象的な認識)との間で「のぼりおり」をくり返すことによって発展していく(対象にたいする理解が深まっていく)ということができるわけです。したがって、教育者や指導者のように、他人の認識の発展を導いていかなければならない立場にある人は、相手の認識をうまくのぼりおりさせながら、対象にたいする理解を深めてやるようにしなければならないということになります。

 この教育者や指導者についての話は、芸術の創作にあたって作者は鑑賞者に観念的に二重化するという話、すなわち、芸術の作者にとって、自分の認識を理解してもらうために鑑賞者の認識をうまく導いていくような表現上の工夫が必須となるという話と似ているな、と感じた読者の方もいるかもしれません。

 まさにそうなのです。とりわけ、イエス・キリストの受難物語などという高度な思想レベルのテーマをあつかう際には、この認識の発展の構造をそれなりにふまえての表現上の工夫が大きな力を発揮するものと考えなければならないでしょう。

 ここまで説いてくれば、たいていの読者のみなさんは、本稿が、バッハ「マタイ受難曲」の3層構造は庄司和晃さんのいわゆる認識発展の三段階に対応するのだ主張しようとしていることに気づかれたことでしょう。結論からいえば、まさにそのとおりなのです。バッハは、イエス・キリストの受難物語についての鑑賞者の認識をどのように導いていくか、ということに心を砕いた結果として、〈聖句:事件の報告〉〈アリア:事件の報告を受けた信徒の感情レベルの反応〉〈コラール:信徒の共同体による事件の意味の深い考察とみずからの問題としての受けとめ〉という3層構造による構成を採用することがふさわしいとの結論に達したのではないか、と考えられるのです。このことの詳細については、次回、具体的な例も示しながら、説いていくことにしたいと思います。
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2012年02月20日

バッハ「マタイ受難曲」の構造を解く(9/13)

(9)バッハ「マタイ受難曲」は聖句・アリア・コラールの3層構造をもつ

 本稿は、クラシック音楽史上の最高傑作ともいわれるバッハの「マタイ受難曲」が、宗教色のきわめて濃い音楽作品でありながら、キリスト教の信仰をもたない人にたいしても深い感動をあたえるのはなぜなのか、という問題を解いていくために、バッハの「マタイ受難曲」がイエス・キリストの受難物語をいかなる構造において鑑賞者に提示しているのか、という点に着目して、その構造を弁証法的・認識論的に解くことを目的としたものでした。

 これまで、受難曲の生成発展の歴史的過程をたどることで、バッハの「マタイ受難曲」が、福音書の記事に自由詩による「アリア」(美しい旋律を歌いあげる楽曲)とコラール(ルター派の賛美歌)をくわえた「オラトリオ受難曲」というタイプに属することをあきらかにしました。また、芸術の鑑賞という行為が、作者の認識を映す鏡である表現を媒介にして鑑賞者が作者に観念的に二重化することである以上、作者の側でも、創作にあたって鑑賞者の理解を容易にするように表現上の工夫を重ねていくことになるのだ、と論じました。

 以上をふまえて、今回からは、いよいよ、バッハの「マタイ受難曲」の構造そのものに焦点をあてて、その構造が鑑賞者の認識をどのように運動させる(一定の理解と感動へと導く)ものであるのかという問題を解いていきたいと考えています。今回はまず、バッハの「マタイ受難曲」が、そもそもいったいいかなる構造をもっているのか、簡単に確認しておくことにしましょう。

 これまでも何度か言及したとおり、また、つい先ほども確認したとおり、バッハの「マタイ受難曲」は、オラトリオ受難曲とよばれるタイプに属する受難曲であり、つぎの3つの層から構成されています。

 第一の層は、福音書の記事(聖句)にもとづいた「レチタティーヴォ」(「歌う」というよりはむしろ若干の節をつけながら「語る」といった趣の音楽)とよばれる層です。この層は、イエスの受難にかかわる諸々の出来事について、間近で目撃したことを報告する部分であるといえるでしょう。この層の音楽は、通奏低音(音楽の流れを一貫して支える役割をはたす、オルガンまたはチェンバロの低音による伴奏)によって支えられており、聖句のうち、福音書記者(エヴァンゲリスト)の言葉はテノールによって、イエスやピラト、ペテロなどの言葉はバスによって、群集の言葉は合唱によって歌われます。このうち、イエスの言葉には、光背(聖人の体から発せられる後光)を思わせるような弦楽合奏が伴奏としてくわえられています。

 第二の層は、自由詩による「アリア」(独唱者が叙情的な美しい旋律を歌いあげる音楽)です。この部分の歌詞は、バッハと同時代に活躍したピカンダーという詩人によって作詞されています。この第二の層は、第一の層による事件の報告を受けた信徒の側が、その事件にたいして何らかの痛切な感情を伴った反応を示す部分であると位置づけることができるでしょう。バッハの「マタイ受難曲」には、13曲のアリアが挿入されていますが、そのうちの8曲は、「レチタティーヴォ・アッコンパニャート」(「伴奏つきのレチタティーヴォ」という意味で、オーケストラによる伴奏を伴うもの)という導入部分を伴っています。

 第三の層は、「コラール」です。コラールというのは、ルター派における賛美歌であり、比較的単純な親しみやすいメロディーによるものです。コラールは、もともとは、信徒がみんなで声を合わせて歌うものでした。つまり、バッハの「マタイ受難曲」におけるコラールは、信徒の共同体が、受難の出来事の意味を深く考察しつつ、ほかならぬみずからの生き方にかかわる問題として主体的に受けとめていこうとする部分であるといえるでしょう。

 さらに、全曲の冒頭(問題提起)と結尾(結論)の部分にそれぞれ壮大な合唱曲――これもまたピカンダーの詩にもとづくものであり、あえていえば〈アリア〉と同じ第二の層に属する性格をもっているといえます(*1)――がおかれ、全曲に堂々とした枠組みをあたえることで、しっかりと全体をまとめ上げているのです(*2)。

 以上を要するに、両端を壮大な合唱曲に挟まれたバッハの「マタイ受難曲」の内部は、次のような3層構造をもっているのだということになります。

◆聖句
 事件の報告
◆アリア(+レチタティーヴォ・アッコンパニャート)
 事件の報告を受けた信徒の感情レベルの反応
◆コラール
 信徒共同体による事件の意義の考察と主体的な受けとめ

 バッハの「マタイ受難曲」の全体は、68の楽曲からなるとみなすことができますが、両端の壮大な合唱曲を除いた66曲の内訳は、聖句にもとづく楽曲が30曲、レチタティーヴォ・アッコンパニャート+アリアが21曲(レチタティーヴォ・アッコンパニャート8曲+アリア13曲)、コラールが15曲となります。基本的に聖句の層だけで構成されたシュッツの「マタイ受難曲」(1666年)の演奏時間が1時間足らずであったのにたいして、バッハの「マタイ受難曲」の演奏時間はおよそ3時間ほどにおよぶものになっているのですが、このことからしても、バッハ「マタイ受難曲」における第二、第三の層の充実ぶりはあきらかでしょう。

 次回は、この3層構造が、鑑賞者の認識をどのように運動させる(一定の理解と感動へと導く)ものであるか、という問題について検討をすすめていくことにしたいと思います。

(*1)より厳密にいえば、「マタイ受難曲」全体のいわば問題提起を担う冒頭の壮大な合唱曲――ピカンダーの詩に「おお罪なき神の子羊」というコラールが挿入されています――は、それ自体が、3つの層を往ったり来たりする構造をもっています。すなわち、十字架を背負いつつゴルゴタの丘へと歩むイエスの姿を目撃して報告する層と、その報告を痛ましい思いで受けとめる層と、イエスが十字架にかけられたことの意義を考察するコラールの層という3層構造をなしているのです。

(*2)ちなみに、こうした3つの層を往復しつつの展開をより効果的にするために、バッハは、演奏者(独唱・合唱・管弦楽)を2つのグループに分け、冒頭合唱曲など6つの箇所――冒頭合唱曲、イエスのゲッセマネの園における苦悩の場面、イエスが捕縛される場面、第2部冒頭のアリア、イエスが十字架につけられる場面、最終合唱曲とその前のレチタティーヴォ・アッコンパニャート――において、この2つのグループが問答するような形で音楽を構築しています。ピカンダー作の台本によれば、第1のグループは「シオンの娘」を、第2のグループは「信ずる魂」をあらわす、ということになっています。役割分担としては、「シオンの娘」が受難の出来事を間近で目撃するのにたいして、「信ずる魂」はその報告を受けて、嘆き、怒り、後悔し、さらには、その出来事がいかなる意味をもつものであるのかを深く考察していくのです。とくにそれがわかりやすいのが、冒頭の壮大な合唱曲です。実演に接するか、あるいは演奏の様子を映像でみるかすれば、はっきりと2つの演奏者グループが問答しているのがわかるでしょう。

参照
http://www.youtube.com/watch?v=EW63dWn88Tw
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2012年02月19日

バッハ「マタイ受難曲」の構造を解く(8/13)

(8)芸術の創作にあたって作者は鑑賞者に観念的に二重化する

 前回は、芸術の鑑賞とは、表現を鏡とした観念的二重化、すなわち、表現を媒介として想像の世界のなかで自分を作者の立場に置いてみて、作者の考えたこと・感じたことをつかむことにほかならない、と確認しました。同時に、このような観念的二重化がまともにおこなわれるためには、鑑賞者の側にそれなりの実力が必要とされるということも確認しました。これには、2つの面がありました。すなわち、芸術のそれぞれの分野における表現上の約束事を知っていることと、作者の認識のレベルの高さについていくことです。

 芸術をまともに鑑賞できるために鑑賞者の側にそれなりの実力が必要とされるということは、端的には「分かる人にしか分からない!」ということを意味しています。このことが度はずれに拡大されて一種の開き直りの境地にまで達してしまうと、「しょせん真の芸術は大衆には理解されない運命にあるのだ!」などとして、ひとりよがりの表現に終始する「芸術家」もでてきかねないのですが、それはさておいて、通常のまともな作者の場合であれば、鑑賞者に理解してもらえるように、想定される鑑賞者の側の条件を充分に考慮しながら、表現のあり方にいろいろと工夫を凝らしていくことになるわけです(逆にこれが度はずれに拡大されるといわゆる「大衆迎合」になってしまいます)。

 この問題について、三浦つとむさんがどのように説いているか、みてみましょう。

「作者の側も、鑑賞者の理解に苦しむような表現を行なうことはその目的に反するから、作者と鑑賞者との間に認識能力や発想法に大きなくいちがいが予想されるときには、作者の側から鑑賞者のそれに近づくための努力が要求されることになる。たとえば童話の場合にあっては、作者のフィクションの世界は本質的に大人の能力において創造されてはいるものの、その世界を観念的に体験していくときには、読者となる子どもの知識や能力や考えかたを考慮して、自分も観念的にそのような子どもになって体験し表現する。ここでは作者がまず観念的に読者に同化するのである。そうでないと、読者が鑑賞において作者に同化することができなくなるのである。読者が鑑賞において作者に同化しなければならないということから、逆に作者も創造において読者に同化しなければならないという動きが成立する」(三浦つとむ『芸術とはどういうものか』至誠堂、p.127)

 これとほぼ同じ内容ですが、『弁証法はどういう科学か』においては、つぎのように説かれています。

「たとえば、大人の童話作家は、読者となる子どもたちがどの程度の智力・理解力を持つかをしっかりと量って……、読めない文字すなわち世界の二重化の妨げとなる表現のないように注意し、また、創造した空想の世界の中で二重化した作家は子どもの智力にまで自分の智力を低め、読者が容易に作家の体験をくりかえせるような水準で認識し行動しながら執筆しなければなりません。現実の鑑賞者は観念的には作者の立場に立つという矛盾が、逆に現実の作者をして観念的には鑑賞者の立場に立たせるという矛盾をつくりだすのです」(三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』講談社現代新書、pp.297-298)

 つまり、作者は、自分が観念的に創造した芸術の内容(表現のもととなった認識のありかた)を鑑賞者にちゃんと理解してもらいたいと考える以上は、創作にあたって鑑賞者に観念的に二重化する、すなわち、自分自身を鑑賞者の立場に置いてみずからの創造した世界をながめてみる、という過程をたどらなければならない、ということです。この過程をまともにたどってこそ、みずからの伝えたい内容をうまく伝えるために、表現のありかたに諸々の工夫をくわえていくことが可能となるのです。

 受難曲の生成発展の過程――朗誦定式から音楽としての多声化へ、さらには自由詩・コラールの挿入や器楽パートの付加へという流れ――は、結果としてみれば、たしかに楽しむための表現としての性格を強めていく過程にほかならなかったといえるのですが、やはり根本的な動機としては、受難物語の意義をなんとかして鑑賞者(直接には教会に集う信徒たち)に的確に伝えたい、という作者たちの思惑があったのだと考えなければなりません。そのような観点から表現上の工夫を積み重ねてきた歴史があってこそ、受難曲という宗教音楽のひとつのジャンルが誕生しえたのだ、ということができるのです。

 バッハの「マタイ受難曲」が、なぜ、どのようにして、キリスト教の信仰をもたない人にも大きな感動をあたえるのか、という問題は、まさにこのような表現上の工夫という観点から解いていくべきでしょう。

 バッハは、「マタイ受難曲」の創作に先だって、イエス・キリストの受難をどのような意味をもったものとして受けとめるべきか、それをふまえて現代(もちろん、バッハが生きていた当時という意味です)のわれわれはどのように生きるべきなのか、といった深刻な問題を徹底的に深く考え抜いたはずです。バッハは、そのような思索の結果として構築された思想をどのように表現すれば鑑賞者(直接には教会に集う信徒たち)を一定の理解(と感動)に導くことができるか、という観点から、「マタイ受難曲」を構成していったにちがいないありません。つまり、イエス・キリストの受難についてのバッハ自身の思想を理解してもらうための媒介物として、言語と音楽による表現である「マタイ受難曲」が創作されたのであり、そこには、鑑賞者をみずからの思想の到達点へと導いていくための表現上の諸々の工夫が凝らされている、と考えなければならないのです。このバッハの工夫が非常にうまくいったからこそ、バッハの「マタイ受難曲」は、非キリスト教徒をも強烈に感動させうるだけの力をもちえたのだ、と考えることができるでしょう。
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2012年02月18日

バッハ「マタイ受難曲」の構造を解く(7/13)

(7)芸術の鑑賞にあたって鑑賞者は作者に観念的に二重化する

 前回は、そもそも芸術とはどういうものか、という問題について検討しました。端的には、芸術とは「人間の表現としてひとつの独立した鑑賞の対象となりうるもの」(三浦つとむ『芸術とはどういうものか』至誠堂、p.35)ということであり、もともと当事者にとっての実用的なものでありながら第三者にとっては楽しむためのものともなりうるという表現――表現とは、他者とのコミュニケーションのために、認識のあり方を物質的な形に投影したもの――の二重性のうち、後者の側面が大きく発達したものだ、ということでした。実用的な表現から鑑賞の対象としての表現へ、という芸術成立の過程は、受難記事の朗読から受難曲が成立していく過程からも確認できました。

 さて、本稿の最終的な目的は、バッハの「マタイ受難曲」が、宗教色のきわめて濃い音楽作品でありながら、キリスト教の信仰をもたない人にたいしても深い感動をあたえるのはなぜなのか、という問題を解くことでした。この問題を解いていくためには、そもそも芸術が感動をあたえるとはどういうことなのか、確認しておかなければなりません。これは、芸術をまともに鑑賞するとはそもそもどういうことなのか、という問題でもあります。

 この問題は、芸術が表現の特殊なありかたのひとつである以上、まずは、表現一般の問題として、すなわち、一般的に表現を正しく受けとるとはいかなることなのか、という問題から考えていく必要があるでしょう。

 そもそも表現とは、他者とのコミュニケーションのために、認識のあり方を物質的な形に投影したもののことでした。これは、社会のなかでしか生きていくことができない人間が、生活に必要な諸々の情報を他者とやりとりするためにつくりだしたものにほかなりません。以心伝心という認識と認識との直接のむすびつきが不可能であるために、(あえていえばやむをえず)表現という物質的な形を媒介としているのだということです。つまり、表現という物質的な形は、そこから相手の認識のありかたを読みとるための媒介物なのだ、ということができるわけです。

 したがって、表現を正しく受けとるというのは、表現を媒介として相手の認識を正しく読みとることだ、ということになります。これを、三浦つとむさんは、「観念的二重化」という言葉で説明しています。観念的二重化とは、わかりやすくいえば、想像の世界のなかで自分を相手の立場に置いてみて、相手の考えていること・思っていることをつかむ、ということです。三浦つとむさんは、観念的二重化を、世界の二重化と自分の二重化との二重構造において把握しています。

「このように、想像することは、現実の世界以外に観念的な世界をつくりだして世界を二重化することですが、それだけではなく、同時に現実の自分以外にその観念的な世界の中でそれに相対している観念的な自分をつくりだす自分自身の二重化をも意味します。」(三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』講談社現代新書、pp.140-141)

 観念的二重化については、本ブログに掲載された「観念的二重化への道」(2010年8月9日〜12日、8月29日〜9月4日)において説かれていますので、詳しくはそちらを参照してください。
 さて、芸術の鑑賞とは、端的には、表現を媒介とした観念的二重化の特殊なあり方だ、ということになります。三浦つとむさんは、つぎのように説いています。

「作品はその作者の認識の世界をよみとるための鏡です。鑑賞は、目をあけ耳をそばだてて現実の作品に接しながら、現実を越えて夢をつくりだすという矛盾において存在します。かつて作品の背後にあったところの作者の認識を、物質的な像をとおして自分の頭の中に模写していき、観念的に二重化した世界の中で自分をかつての作者の位置に置いて、作者の体験をくりかえすという夢を進行させていくのです。」(同、p.296)

 ここで大事なのは、作者に観念的に二重化してその認識の内容をつかむためには、鑑賞者の側にそれなりの実力が必要とされる、ということです。これには2つの面があるといってよいでしょう。
 ひとつは、芸術のそれぞれの分野における表現上の約束事を知っていることです。たとえば、交響曲というジャンルに属する音楽作品は、ソナタ形式という構造が下敷きとなっている――本ブログ2010年12月30日掲載の「ベートーヴェン「第九」の歴史的位置を問う(2/3)」を参照してください――ことがわからなければ、まともに理解することは困難となるでしょう。

 もうひとつは、作者の認識のレベルの高さについていけるかどうか、ということです。たとえば、「苦悩を克服して歓喜へ」という筋につらぬかれたベートーヴェンの第五交響曲は、大志を掲げ幾多の困難に耐えて必死の努力の歩みをつづけている人であってこそ、その真価をまともに理解することができるといってよいでしょう。南郷継正先生のつぎの言葉は、このような意味において理解すべきだと考えられます。 

「それを創った人間の心をその人のレベルにまで修練して鑑賞すること、これこそが芸術の鑑賞なのです。」(南郷継正『南郷継正 武道哲学 著作・講義全集 第二巻』p.142)
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2012年02月17日

バッハ「マタイ受難曲」の構造を解く(6/13)

(6)そもそも芸術とはどういうものか

 本稿は、クラシック音楽史上の最高傑作ともいわれるバッハの「マタイ受難曲」が、宗教色のきわめて濃い音楽作品でありながら、キリスト教の信仰をもたない人にたいしても深い感動をあたえるのはなぜなのか、という問題を解いていくために、バッハの「マタイ受難曲」がイエス・キリストの受難物語をいかなる構造において鑑賞者に提示しているのか、という点に着目して、その構造を弁証法的・認識論的に解くことを目的としたものでした。

 これまで、バッハの「マタイ受難曲」が受難曲の歴史の流れのなかにどのように位置づけられる存在なのかを確認するために、受難曲の生成発展の歴史的な過程をたどってきました。端的には、受難記事の朗読がしだいに音楽的な要素を強めていくことによって受難曲とよばれるものが確立されたのであり、さらにこの発展の流れのなかで、福音書の受難記事にアリア(新たに創作された自由詩による叙情的な歌)やコラール(ルター派の賛美歌)を挿入したり器楽のパートをくわえたりすることによって、オラトリオ受難曲とよばれる新しいタイプの受難曲が登場してきしたのだ、ということでした。バッハの「マタイ受難曲」は、このオラトリオ受難曲というタイプに属する受難曲です。

 さて、今回からは、これまでみてきたような受難曲の歴史的な発展が、いったいどのような必然性にもとづいたものであったのか、すこし掘り下げて考えてみることにしましょう。

 そのためにはまず、そもそも芸術とはどういうものか、という問題を確認しておかなければなりません。

 三浦つとむさんは、その名も『芸術とはどういうものか』という著作において、芸術について「人間の表現としてひとつの独立した鑑賞の対象となりうるもの」(三浦つとむ『芸術とはどういうものか』至誠堂、p.35)だという説明をしています。ここで「表現」というのは、端的には、「精神のありかたが、それに対応する物質のありかたにうつしかえられ、他の人たちにとっても理解できるように表面にあらわれた」(同、p.24)もののことだとされています。

 これはいったいどういうことか、少し解説が必要でしょう。まず、表現とはなにか、という基本的なことから順番に、もう少しつっこんで確認していくことにしましょう。

 そもそも人間は社会的な存在、つまり、一人だけでは生きていけない存在です。そうである以上、人間が生きていくためには、他の人間と物質的および精神的な交通関係をとりむすぶ(コミュニケーション)ことが欠かせません。つまり、各人がつくったモノをおたがいに交換しあったり、思っていることや考えていることをおたがいに交流しあったりすることが欠かせないわけです。しかし、精神的な交通を成立させるためには、物質的な交通にはない特有の困難さがあります。精神というものは目で見たり手でつかんだりできるモノではありませんから、精神と精神とを直接にやりとりする――いわゆるテレパシーや以心伝心です――というわけにはいきません。したがって、精神のありかたを感覚器官でとらえられるなんらかの物質的な形に投影し、それを媒介として、精神的な交通関係(コミュニケーション)を成立させる必要があるのです。このように、認識を他人に伝えるために物質的な形に投影したもののことを表現とよびます。つまり、表現とは、「表現に使われる素材の形式であると同時に認識の像の物質的な投影・模写の形式としても存在するという、形式の直接的同一性」(三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』講談社現代新書、p.295)をもっているものだということができるわけです。

 以上をふまえつつ、「ひとつの独立した鑑賞の対象となりうる」ということについて、考えてみることにしましょう。

 そもそも人間の生活において、認識のありかたを物質的な形に投影した表現が必要とされるのは、社会的な関係のなかで必要となってくる諸々の情報をやりとりするためにほかなりませんでした。その意味で、表現とは本来は実用的なものだといえます(三浦つとむさんは、表現のこうした側面をさして「実用的な表現」とよんでいます)。しかし、「当事者にとっての実用的な表現が、同時に第三者にとっては楽しむための表現でもあるという、矛盾が存在」(三浦つとむ『芸術とはどういうものか』至誠堂、p.26)する場合があります。三浦つとむさんは、若い恋人どうしが交わす甘い言葉が、当事者にとっては実用的な表現でありながら、第三者が心温まるものを感じとったり喜びを味わったりする場合、あるいは、夫婦げんかにおける怒鳴りあい――その夫婦にとっては実用的な表現です――をヤジウマが見て「こりゃテレビのホームドラマなんかよりずっとおもしろいぞ」と楽しんでいる場合などを例としてあげています。このように、表現というものはもともと、当事者にとってはあくまでも実用的なものでありながら第三者にとっては楽しむためのもの(非実用的なもの)にもなりうる、という矛盾をもっているのです。

 実は、表現が抱えるこうした矛盾にこそ、芸術というものが生成してくる根拠があるのです。どういうことかといえば、表現のうち、楽しむためのものという側面がとくに注目されるようになり、しだいにこの側面を重視した創作がなされるようになっていくことこそが、芸術とよんでよいほどの表現の誕生につながっていくのだ、というわけです。実用的な面が後景に退いて、最初から鑑賞されることを目的として創作されるようになれば、これはまぎれもなく芸術らしい芸術の確立だ、といわなければなりません。

 受難曲の歴史でいえば、受難記事の朗読の段階では教会における礼拝のためという実用的な面が主ですが、朗誦定式から音楽としての多声化へ、さらには自由詩・コラールの挿入や器楽パートの付加へ、という流れは、まさに礼拝のためという実用的な面は保持しつつも、しだいに鑑賞の対象としての性格も強めていく過程、すなわち、受難曲という芸術が成立していく過程であった、ということができるわけです。
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2012年02月16日

バッハ「マタイ受難曲」の構造を解く(5/13)

(5)音楽的な要素を強めて「オラトリオ受難曲」の形成へ

 前回は、福音書の受難記事の朗読がしだいに音楽的要素を強めていくことで、受難曲という宗教音楽のひとつのジャンルとして確立されていく過程をたどりました。端的には、複数の読み手による受難記事の朗誦――一定の音程で読みあげ、最初と最後に少しばかり旋律的な動きをくわえるというものです――を原基形態とする受難曲が、音楽の単声から多声への発展の流れ――それまで単旋律の音楽だったものが、複数の旋律線が重なりあうような音楽へと発展していったこと――のなかで、多声化していったのだ、ということでした。さらには、受難記事を音楽化した部分の前後に合唱による題句と結句がおかれるようになったことにふれ、そのひとつの実例として、シュッツの「マタイ受難曲」(1666年)をとりあげました。この作品においては、とりわけ結句合唱の部分の規模が拡大され、しみじみとした味わいの非常に美しい音楽として作曲されているのだ、ということでした。

 前回の最後にも述べたとおり、シュッツの「マタイ受難曲」における結句合唱の充実ぶりは、受難記事を音楽化した部分に新しく創作した部分をくわえて受難曲を構成していこうという傾向のあらわれとして注目されるものです。

 今回は、この傾向がどのように発展していったのか、という観点から、受難曲の歴史をひきつづきたどっていくことにしましょう。

 受難記事に新作部分をくわえていくという傾向が発展したものとして、このシュッツの「マタイ受難曲」とほぼ同じ時期にあたる17世紀の半ばころから、北ドイツ地方を中心に、新しいタイプの受難曲が作曲されるようになってきました。これは、受難記事の前の題句や後の結句にくわえて、受難記事の進行の途中にも、新たに作詞された詩にもとづく叙情的な歌(「アリア」とよばれます)やルター派の賛美歌(「コラール」とよばれます)が挿入されるようになった受難曲です。

 自由詩による「アリア」とよばれる楽曲は、福音書の受難記事が、「歌う」というよりはちょっとした節をつけながら「語る」といった感じのスタイル(「レチタティーヴォ」といいます)で作曲されているのとは対照的に、叙情的な美しい旋律を歌いあげるスタイルで書かれています。また、「コラール」とよばれるルター派の賛美歌は、単純で親しみやすいメロディーを特徴としたものです。つまり、わかりやすくいうならば、福音書の受難記事を主体とする受難曲にアリアやコラールが挿入されることによって、音楽として楽しめる要素が増していったのだ、ということができるわけです。

 このような楽曲の構成における変化にくわえて重要なのは、演奏の編成における変化です。端的には、それまでの受難曲が基本的に無伴奏の声楽、ようするに人間の声だけによるものであったのにたいして、新しいタイプの受難曲においては、器楽のパートがくわえられるようになったのだ、ということです。具体的には、器楽パートが声楽を伴奏したり、「シンフォニア」という器楽だけによる楽曲が要所要所で挿入されたりするようになっていったのです。これもまた、音楽として楽しめる要素が増していったことを意味するといえるでしょう。

 このように、アリアやコラールを挿入し、器楽パートをくわえた新しいタイプの受難曲は、「オラトリオ受難曲」とよばれています。「オラトリオ」というのは、簡単にいえば、声楽と管弦楽によって演奏される一種の音楽劇のようなものです。つまり、オラトリオ受難曲というのは、音楽劇のような雰囲気をもった受難曲だ、と考えればよいでしょう。

 しかし、オラトリオ受難曲というスタイルが中心となった時代は長くはつづきませんでした。18世紀にはいると、福音書の受難記事に自由詩やコラールを挿入して新たな台本をつくるという流れがさらにすすんで、福音書の受難記事を使用せずに、イエス受難の物語そのものを新たに詩作するという試みがなされるようになってきたのです。このように受難を題材にして新たに執筆された台本にもとづくタイプの音楽作品を「受難オラトリオ」とよびます。これは、受難を題材にした音楽劇だと考えればよいでしょう。ちなみに、オラトリオ受難曲(音楽劇のような受難曲)にかわって受難オラトリオ(受難を題材にした音楽劇)が主流となっていったのは、資本主義経済の勃興にともない、市民がしだいに力をつけて教会の権威が失われていくことによって、受難曲の演奏の場が教会から都市の劇場へと変化していったことが関係している、といわれています。

 さて、ここまで、受難曲の歴史的な発展過程をたどりつつ、受難曲のいくつかのタイプについて紹介してきました。それでは、本稿で検討の対象としているバッハの「マタイ受難曲」は、いったいどのタイプに属する受難曲なのでしょうか。

 本稿では、その連載第1回で、バッハの「マタイ受難曲」について、「マタイによる福音書」の第26、27章のイエスの受難についての記事を中心に、新たに作詞された歌詞にもとづく「アリア」とよばれる種類の楽曲と、「コラール」とよばれるルター派の賛美歌をくわえて構成された音楽作品だ、と述べました。ここからもあきらかなように、バッハの「マタイ受難曲」は、オラトリオ受難曲とよばれるタイプに属します。

 バッハの「マタイ受難曲」が初演されたのは1727年だとされていますが、じつはこのころは、オラトリオ受難曲(音楽劇のような受難曲)よりも受難オラトリオ(受難を題材にした音楽劇)のほうがしだいに主流となっていく時期に相当していました。つまり、バッハの「マタイ受難曲」は、作曲された当時においてすでに古くなりつつあったスタイルによって書かれた保守的な作品だったということもできるのです。これは、バッハが活躍の拠点としていたライプツィヒという都市が教会の力の強い保守的な土地柄であったことにくわえ、バッハ自身が福音書の受難記事に強いこだわりをもっていたからだ、とわれています。
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2012年02月15日

バッハ「マタイ受難曲」の構造を解く(4/13)

(4)受難記事の朗読における工夫が受難曲の生成につながった

 前回は、福音書におけるイエスの受難物語のあらましについて確認しました。

 それでは、この受難物語が、なぜ、どのようにして、受難曲なる宗教音楽の一ジャンルを生成させていくことになったのでしょうか。

 この問題を考えていくためには、まず、福音書の受難物語がキリスト教会においてどのようにあつかわれていたのか、ということを確認しておかなければなりません。

 キリスト教においては、イエスが十字架にかけられた日を「受難日」、その受難日をふくむ一週間を「受難週」といいます。これは、春分後の最初の満月の頃にあたります。イエスが十字架にかけられたのが金曜日、それから足掛け3日目の日曜日に復活したとされていますから、春分後の最初の満月の次の日曜日が「復活祭(イースター)」となり、その前の金曜日が、イエスが十字架にかけられたことを記念する「聖金曜日」となるわけです。ちなみに、今年2012年は4月6日(金)がその「聖金曜日」にあたります。

 キリスト教会での受難週の礼拝においては、当然のことながら、福音書の受難記事の朗読が非常に大きな役割をはたすことになります。端的には、この受難週における福音書の受難記事の朗読にこそ、受難曲の淵源があるといってよいのです。

 受難記事の朗読は、当初は、文字どおり、ただ文章を読みあげるだけのものでした。しかし、やがて、イエスの受難の意義を強調するために、朗誦定式とよばれるパターンにしたがって読みあげられるようになっていきました。これは、一定の音程をくり返すような形で文章を読みあげながら、文章の最初のほうと最後のほうに若干旋律的な動きをくわえる、といったものです。

 やがて、この朗誦定式の枠内で、福音書記者の言葉(ようするに福音書の地の文)はやや高め音程で、イエスの言葉はやや低めの音程で厳かに、といった読みわけがなされるようになっていきました。さらに時代がすすんで12〜13世紀ごろになると、こうした読みわけがさらに発展して、最初から別々の人が福音書記者やイエスをはじめとする登場人物の役割を分担しての朗誦がおこなわれるようになっていったのです。このように、複数の読み手が役割分担しながらおこなう受難記事の朗誦こそが、受難曲の直接の原基形態であるといってよいでしょう。

 ここから受難曲が生成されていく過程をたどっていくためには、西洋音楽全体の大きな歴史の流れに目を向けてみなければなりません。ここで注目すべきなのは、13世紀ころから、音楽の多声化という流れが大きく広がっていったということです。これは、それまで単旋律(一本の線)による音楽だったものが、複数の旋律線が重なりあうような音楽へと発展していった、ということです。こうした単声から多声へという音楽の発展の大きな流れのなかで、受難曲もまた多声化していくことになったのでした。

 さて、多声化された受難曲には、受難記事のどの部分をどこまで多声化するか、という点で、大きく分けて2つの形式がありました。

 ひとつは、群集などの発言のみならず、ペテロやユダなど個人の発言やイエスの言葉、さらには福音書記者の語り(福音書の地の文)まで、ようするに福音書の受難記事のすべてを多声で作曲したものです。これを「通作受難曲」とよびます(個人の発言まで多声化するのは奇妙にも思われますが、聖書尊重の姿勢をあらわすためのひとつの方法だったのではないかともいわれています)。

 もうひとつは、福音書記者の言葉(福音書の地の文)や個人の発言が朗誦定式(単声)によって語られるなかに、群衆などが発した言葉が合唱(多声)で割り込んでくる、という形式のものです。これを「応唱風受難曲」とよびます。通作受難曲とくらべてみれば、より写実的ですし、(単声部分と多声部分とのコントラストによって)音楽としてもより劇的な効果がねらえる形式であるといってよいでしょう。

 16世紀(いわゆるルネサンス音楽の時代)から17世紀の前半にかけては、この両方の形式の受難曲が並存していたのですが、17世紀以降のバロック音楽の時代に入ると、通作受難曲(テキストのすべてを多声音楽として作曲)のほうはしだいにすたれてしまい、より劇的な音楽表現を可能とする応唱風受難曲(個人の発言は単声、集団の言葉は多声で作曲)のほうが主流となっていくことになります。

 この応唱風受難曲の最高傑作とされているのが、「ドイツ音楽の父」とも称されるハインリヒ・シュッツ(1585〜1672)が、ドレスデンの宮廷礼拝堂のために書いた「マタイ受難曲」(1666年)です。生没年から分かるように、シュッツは、バッハよりもちょうど100年ほどまえに活躍したドイツの作曲家です。このシュッツの「マタイ受難曲」については、マタイ福音書の受難記事の前後に、それぞれ合唱による題句と結句――ちょうど、論文における序論(問題提起)と結論のような役割をはたすものです――がおかれていることが注目されます。受難記事の前後に題句・結句をおくこと自体は、シュッツがはじめてではありませんが、題句合唱や結句合唱が拡大され、非常に充実した音楽となっていることが注目されるのです。ちなみに、結句の歌詞は、つぎのようなものです。

「十字架の幹で苦難を受け、私たちのために苦い死を忍びたもうたあなた、キリストに宋光あれ。
 あなたがかの世で、父とともに永遠に支配し、哀れな罪人である私たちを助けて、至福ヘと至らせて下さいますように。
 キリエ・エレイソン(主よ、憐れんでください)、クリステ・エレイソン(キリストよ、憐れんでください)、キリエ・エレイソン」

 この歌詞にもとづく結句合唱の部分は、非常にしみじみとした味わいの、全曲のなかでもひときわ美しい音楽となっています。シュッツ「マタイ受難曲」における結句部分のこうした拡大には、受難記事を音楽化した部分に新しく創作した部分をくわえて受難曲を構成していこうという傾向のあらわれとして注目されます。

参照(0:45〜が結句合唱)
http://www.youtube.com/watch?v=DvypMbkZje4
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2012年02月14日

バッハ「マタイ受難曲」の構造を解く(3/13)

(3)そもそも受難物語とはどういうものか

 前回は、“クラシック音楽史上の最高傑作”とされるJ・S・バッハの「マタイ受難曲」が、最高度にキリスト教色の強い宗教音楽であるにもかかわらず、非キリスト教徒にたいしても深い感動を呼び起こすのはなぜなのか、という問題を提起しました。

 今回からの3回は、この問題を考えていくための前提として、そもそも受難曲とはいかなる音楽作品なのか、その生成発展の歴史をたどってみることにします。まず今回は、受難曲という宗教音楽の一ジャンルが生成発展していく歴史をたどるための出発点として、そもそも福音書における受難物語とはどういうものなのか、そのあらすじを簡単に確認しておくことにしましょう。

 前回も確認したとおり、新約聖書の冒頭にはイエスの4人の弟子(マルコ、マタイ、ルカ、ヨハネ)がそれぞれイエスの生涯についてまとめた4つの福音書がおさめられています。これら4つの福音書の最後には、イエスが死刑の判決を受け十字架にかけられてしまうという受難についての記事がおかれています。この部分を「受難物語(ドイツ語でPassion)」とよぶわけです。

 受難物語の流れは、4つの福音書によってそれぞれ微妙に異なるのですが、「マタイ福音書」によれば、受難物語のあらすじは以下のとおりとなります(なお、以下のあらすじを読んでいただくうえでは、イエスが十字架にかけられたとされる紀元28年ころ、ローマ帝国の統治下にあったユダヤ地方においては、祭司・貴族・地主を中心とした親ローマ勢力のサドカイ派と、律法の遵守に熱心で政治的には反ローマ的な傾向をもつファリサイ派との対立構造があり、イエスはこの双方を激しく批判していたために危険視されていたことをふまえておくと理解が容易になるかと思います)。

 「マタイ福音書」における受難物語は、まず、イエスが弟子たちにみずからが十字架にかけられるであろうことを預言するところから開始されます。ついで、ユダヤの祭司長や律法学者たちがイエスを捕えて殺してしまおうと謀略をめぐらせる様子が描かれるとともに、ベタニアという村のシモンという人の家を訪れていたイエスに、ある女性が高価な香油を注ぎかけたときの様子が描かれます。イエスの弟子たちは、もったいないことをするな! とこの女性を非難するのですが、イエスは、この女性の行為の意味について、私の埋葬の準備をしてくれたということなのだ、と解き明かし、女を悩ませてはいけない、と弟子たちを咎めるのです(当時のユダヤ地方には、死者に油を塗って葬りに備えるという習慣が存在したともいわれています)。

 つづいて、イエスの弟子の一人であったユダが登場して祭司長たちとイエスを売り渡す密約をむすびます。つづく最後の晩餐の場面において、このユダの企てがイエスによって暴かれ、ユダはイエスのもとを去ることになります。

 その晩、イエスは弟子たちをともなってオリーブ山へと向かいます。その際、弟子のペテロにたいして、翌朝鶏が鳴くまでにお前は私(イエス)のことを知らないと3回否認するだろう、と預言しますが、ペテロは、そんなことは絶対ありません、と否定します。

 オリーブ山のふもとのゲッセマネの園というところについたイエスは、十字架にかけられてしまうことの苦悩から、必死に祈りをささげます。イエスは弟子たちに目を覚まして待っているようにいいつけるのですが、弟子たちは睡魔に勝てず眠りこけてしまいます。

 そこにユダが祭司長たちの差し向けた群集をともなって登場し、イエスが捕縛されます。しかし、弟子たちはイエスを見捨てて散り散りに逃げ去ってしまったのでした(バッハの「マタイ受難曲」では、ここまでが第一部とされ、これ以降が第二部とされます)。

 つづいて、場面はユダヤ教の大祭司のもとでのイエスの裁判の場面に移ります。この裁判の場に偽証人が登場し、群集を煽動しようとします。イエスは、大祭司とのやりとりのなかで自身が神の子であると認めます。このことにたいして、神を冒涜したとして群集の騒ぎは頂点に達し、イエスは暴行を受けてしまいます。

 こうした騒ぎのなかで、お前もイエスの仲間だろう、と責められた弟子のペテロは、3回にわたって、あんな男は知らない、と否認してしまいます。そのとき、夜明けを告げる鶏の鳴き声が響きます。これを聞いたペテロは、先ほどのイエスの預言――翌朝鶏が鳴くまでにお前は私のことを知らないと3回否認するだろう、という預言――を思い出して激しく泣くことになったのでした。

 一方、イエスが死刑の判決を受けてしまったことをみて後悔したユダは、イエスを売り渡した対価として得た銀貨30枚を神殿に投げこみ、首を吊って自殺してしまいました。

 死刑の判決を受けたイエスは、ローマ総督のピラトに引き渡されます(これは、当時のユダヤ地方において、ローマ総督の承認を得なければ死刑を確定させることができなかったためです)。イエスが罪人であるとは思えなかったピラトは、みずからの責任を回避しようとして、民衆にイエスの運命を決めさせようとします。ピラトは、祭りの際には囚人一人を釈放するという習わしがあったことを利用して、民衆に、極悪人バラバとイエスのどちらを釈放するか、という選択をせまったのでした。しかし、民衆は赦免すべきなのは「バラバだ!」と叫ぶとともに、イエスについては「十字架にかけろ!」と叫びます。こうしてイエスの死刑が確定しました。死刑が確定したイエスは茨の冠をかぶせられ、民衆の罵声を浴び、頭を小突かれながら、刑場であったゴルゴタの丘というところへ連行されていったのでした。

 ゴルゴタの丘に到着したイエスは左右の強盗とともに十字架につけられ、午後3時ごろ、息絶えてしまいます。その瞬間、神殿の幕が裂け、地震が起きるなどの奇跡がおきます。それを見た民衆はようやくにして「やはりこの人は神の子だったのだ」と思うことになったのでした。その後、イエスは埋葬され、その墓は封印されます。

 以上が、「マタイ福音書」によるイエスの受難物語のあらましです。
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2012年02月13日

バッハ「マタイ受難曲」の構造を解く(2/13)


(2)「マタイ受難曲」はなぜ大きな感動をもたらすのか

 前回は、クラシック音楽史上の最高傑作とされるJ・S・バッハの「マタイ受難曲」がどのような音楽作品なのか、その概要を簡単に説明しました。端的には、新約聖書の「マタイによる福音書」の第26、27章のイエスの受難についての記事を中心に、新たに作詞された歌詞にもとづく「アリア」とよばれる楽曲と、「コラール」とよばれるルター派の賛美歌をくわえて構成された音楽作品なのだ、ということでした。

 ここまで説明してきたことからあらためて確認するまでもないことですが、「マタイ受難曲」というのは、キリスト教の信仰と深くむすびついた宗教音楽です。それも、イエス・キリストの受難というキリスト教の教義の核心にかかわる題材を扱ったものですから、最高度に宗教色の濃い音楽作品だといってもよいものです。

 しかし、キリスト教の信仰をもっていなければ、この音楽作品を理解したり感動したりすることはできないかといえば、そんなことはありません。たとえキリスト教の信仰をもっていなくても、この音楽のすばらしさは理解することができますし、この音楽から深い感動をうることもできるのです。

 それはいったいなぜなのでしょうか。

 まず指摘しなければならないのは、「マタイ受難曲」の土台となった受難物語それ自体がもっている魅力です。たとえば、イエスを陥れようとする既得権益層・権力者たちの謀略、イエスの受難の際に弟子たちが示した弱さと卑劣さ・裏切りと自己弁護、権力者たちに扇動される民衆たちの姿等々……の生々しい人間ドラマは、キリスト教の教義云々という次元を離れて、それ自体として、われわれの心の大きく揺さぶるものがあることは否定できません。

 また、なんといっても、この受難物語につけられたバッハの音楽が純粋に音楽としてすばらしい、ということがいえるでしょう。扱っている題材が題材だけに、その音楽もまた全体として非常に厳粛かつ崇高な雰囲気を漂わせています。とはいえ、苦悩に満ちた深刻な音楽だけが延々とつづくわけではなく、ときには一転して喜びあふれた旋律が登場するといった場面もでてきます。つまり、厳粛かつ崇高な雰囲気が一貫してつらぬかれているなかで、不安、苦悩、悲しみ、怒り、喜び、期待などといった諸々の感情が、非常に痛切に、しかし、一定の節度を失わない範囲で、実に味わい深く表現されているのです。

 これらは、それぞれに、「マタイ受難曲」が非キリスト教徒にとっても感動的な音楽作品であることの重要な根拠だといえるのですが、さらに、もう少しふみ込んでいうならば、「マタイ受難曲」をとおして表現されているバッハの思想性の高みということに注目しなければなりません。これはようするに、この上なく崇高だと思われる存在――みずからを犠牲にして全人類の罪を購ったイエス・キリスト――に真摯に向き合った作者バッハの精神の高さがこの「マタイ受難曲」の音楽に表現されているのであり、その精神の高みこそが非キリスト教徒である鑑賞者をも感動させるのだ、ということです。あえていえば、「マタイ受難曲」を通して表現されているバッハの思想が、徹頭徹尾宗教的なものでありながら、特定の宗教の枠を超えうるほどの普遍的な深さにまで到達しているものであったのであり、その深さが非キリスト教徒をも感動させるのだといってもよいでしょう。

 この最後の点については、もう少し深く考えてみる必要があります。

 「マタイ受難曲」に表現されているバッハの思想が、たとえ特定の宗教の枠を超えうるほどの深さに到達しているものであっても、それは直接的には、あくまでもイエス・キリストの受難の意義を考察するという趣旨のものでしかなく、徹頭徹尾、宗教的な思想として示されているものにほかなりません。そうであるにもかかわらず、この「マタイ受難曲」が、非キリスト教徒である聴き手をも普遍的な思想のレベルにまで導いていくのだとすれば、それがいったいどのようにして可能となっているのかが問われなければならないでしょう。いいかえれば、「マタイ受難曲」のいかなる構造が、鑑賞者の認識を、受難物語についての普遍的なレベルでの深い理解にまで導いていくことを可能にしているのかが問われなければならないのです。

 このような問題意識から、本稿では、バッハの「マタイ受難曲」が、聴き手にたいして受難物語(および、その受難物語をふまえたひとつの思想)をどのような構造において提示しているのかという問題を、弁証法的かつ認識論的に解いていきたいと考えています。

 そのために、まず、そもそも受難曲とはどういうものかをあきらかにすることを試みます。具体的には、受難曲の生成かつ生々発展の歴史をたどり、その歴史の流れにおけるバッハ「マタイ受難曲」の位置づけをあきらかにしていきます。

 ついで、受難曲の歴史的な発展過程がいかなる必然性にもとづくものなのかをあきらかにすることを試みます。具体的には、そもそも芸術とはどういうものかということをおさえたうえで、芸術作品の鑑賞過程および芸術作品の創作過程がいかなる構造をもつものであるかということを、鑑賞者および創作者の認識の運動如何という観点からあきらかにしていきます。

 以上をふまえて、バッハ「マタイ受難曲」の構造が、鑑賞者の認識をどのように運動させる(一定の理解と感動へと導く)ものであるのかという問題を解いていくことにしたいと考えています。
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2012年02月12日

バッハ「マタイ受難曲」の構造を解く(1/13)

(1)“音楽史上の最高傑作”としてのバッハ「マタイ受難曲」

 クラシック音楽(西洋芸術音楽)の歴史上の最高傑作はいったいなにか――このような類の問いにたいする答えとして、多くのクラシック音楽愛好家が一致して推すのは、J・S・バッハの「マタイ受難曲」なのではないかと思われます。それでは、この「マタイ受難曲」というのは、いったいどのような音楽作品なのでしょうか。この曲のどういうところが、そんなにすばらしいとされているのでしょうか。

 この「マタイ受難曲」の作曲者であるJ・S・バッハ(Johann Sebastian Bach 1685〜1750)は、18世紀前半のドイツで活動した音楽家(作曲家・器楽演奏家)です。当時のドイツは、およそ300もの領邦に分かれており、ルター派の領邦においては、領邦君主がその領内の教会の首長となって監督する体制(領邦教会体制)がつくられていました。こうした状況のもとでバッハは、各地の領邦君主の宮廷楽団に楽器奏者あるいは作曲家として勤めたり、あるいは教会のオルガン奏者を務めたりする音楽家として活動していたのでした。バッハは、こうした音楽活動のなかで、17世紀までの作曲法や演奏法を整理して後世に伝え、その後の西洋音楽発展の基礎を築いたことから、「音楽の父」として讃えられています。

 バッハは、作曲家として管弦楽曲や協奏曲、器楽曲など、非常に幅広いジャンルで数多くの作品を残していますが、そのなかでもとくに重要な位置を占めているのが、教会で演奏されるための宗教音楽です。そもそもバッハは敬虔なルター派の信者であり、38歳(1723年)から65歳で世を去るまでの27年間、ライプツィヒの聖トーマス教会のカントル(教会音楽指導者)の職を務めていました。このカントルというのは、教会の合唱団を率い、礼拝の音楽を取り仕切る役職のことです。ちなみに、聖トーマス教会のカントルは、教会の付属小学校での教育を担当するとともに、ライプツィヒ市全体の音楽監督もかねることが多かったようです。バッハもこの聖トーマス教会のカントル職に就き、聖トーマス教会における礼拝のための音楽を作曲し聖歌隊を率いてそれを演奏するとともに、ライプツィヒ市の諸々の行事のためにもそれにふさわしい音楽を作曲して演奏したのでした。

 このように、バッハの創作活動において要となったのは、なんといっても教会のための音楽だったのですが、その数多くの宗教音楽のなかの最高峰であり、バッハの全作品中においても最高傑作とされる作品こそ、1727年に聖トーマス教会で初演されたとされる「マタイ受難曲」にほかなりません。

 「マタイ受難曲」は、正式名称を「福音書記者マタイによるわれらの主イエス・キリストの受難(Passion unseres herrn Jesu Christi nach dem Evangelisten Matthäus)」といいます。この題名が示しているとおり、これは、端的には、『新約聖書』の「マタイによる福音書」におけるイエスの受難にかんする記事にもとづいた音楽作品です。

 それでは、そもそも「福音書」とはどういうものなのでしょうか。

 「福音書」の「福音(エヴァンゲリオン)」というのは、もともとギリシャ語で「よい(エウ)知らせ(アンゲリオン)」という意味ですが、ここでは、イエスという救い主がこの世にあらわれたことを指しています。つまり、「福音書」というのは、イエスという救い主(キリスト)の言行を描いた書物のことだ、ということになるわけです。『新約聖書』の冒頭には、イエスの4人の弟子(マルコ、マタイ、ルカ、ヨハネ)がそれぞれイエスの生涯とその教えについてまとめたとされる4つの福音書(マタイ福音書、マルコ福音書、ルカ福音書、ヨハネ福音書)がおさめられているのです。

 それぞれの福音書の最後の部分に置かれているのが、イエスが死刑の判決を受け十字架にかけられてしまうという受難の物語です。そもそもキリスト教というのは、イエスが全人類の罪を一身に背負って十字架にかけられたことによってこそこの世に救いがもたらされたのだ、という考えにもとづいて成立している宗教にほかなりません。したがって、当然のことながら、この受難にかんする部分は、どの福音書でも特別に重視されており、充実した記述がなされていることになります。

 「受難曲」というのは、端的には、これら福音書の受難記事を題材にした音楽作品のことです。つまり、「マルコ福音書」にもとづく受難曲が「マルコ受難曲」であり、「マタイ福音書」にもとづく受難曲が「マタイ受難曲」であり、「ルカ福音書」にもとづく受難曲が「ルカ受難曲」であり、「ヨハネ福音書」にもとづく受難曲が「ヨハネ受難曲」である、ということになるわけです。

 これらの受難曲の淵源は、教会の礼拝においてなされていた福音書の受難記事の朗読にあります。簡単にいえば、受難記事の朗読にしだいに音楽的な表現の要素がくわえられていくことで、受難曲というひとつの宗教音楽のジャンルが成立していったわけです。ルネサンス文化が勃興した15世紀の末ごろから、いろいろな作曲家によって、教会の礼拝のための実用的なものでありながらも、同時に独立した表現として鑑賞の対象ともなりうる芸術作品として、数々の受難曲が作曲されるようになっています。このような受難曲の歴史のなかでも、抜きんでた最高傑作とされるのが、1727年に初演されたとされるバッハの「マタイ受難曲」なのです。

 このバッハの「マタイ受難曲」は、「マタイによる福音書」の第26、27章のイエスの受難についての記事を中心にして、新たに作詞された歌詞にもとづく「アリア」とよばれる叙情的な歌と、「コラール」とよばれるルター派の賛美歌とをくわえることで構成されています。イエス自身による受難の預言から裏切り者ユダの手引きで捕縛されてしまうまでを描いた第一部と、イエスの裁判から十字架のうえでの死と埋葬までを描いた第二部からなり、全曲の演奏におよそ3時間を要する非常に壮大な音楽作品となっています(省略なしの全曲版CDでは3枚組となります)。
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2012年02月11日

掲載予告:バッハ「マタイ受難曲」の構造を解く(全13回)

 「音楽史上の最高傑作はなにか」という問いにたいする答えとして、多くのクラシック音楽の愛好家が一致して推すのは、J・S・バッハ(1685〜1750)の「マタイ受難曲」でしょう。これは、『新約聖書』の「マタイ福音書」におけるイエス・キリストの受難物語にもとづいた音楽作品です。つまり、最高度に宗教的な題材にもとづいた音楽作品にほかならないわけです。そうであるにもかかわらず、この作品がしばしば音楽史上の最高傑作であるとされるというのは、これが宗教色のきわめて濃厚な作品でありながら、非キリスト教徒をも深く感動させるだけの力をもっていることを意味しているといってよいでしょう。

 それでは、バッハの「マタイ受難曲」が、キリスト教の信仰をもたない人にたいしても深い感動をあたえるのはなぜなのでしょうか。

 本ブログでは、明日から13回にわたって、この問題をとりあげた論稿を掲載していくことにします。本稿では、バッハ「マタイ受難曲」の構造を、弁証法および認識論(とりわけ庄司和晃さんによる認識の三段階連関理論)の観点から解いていくことで、こうした問題について検討していきます。最終的には、バッハが「マタイ受難曲」において提示している思想と、ヘーゲル「就任演説」において提示されている思想との共通性についても説きおよびたいと考えています。


 以下、目次(予定)です。

はじめに
(1)“音楽史上最高傑作”としてのバッハ「マタイ受難曲」
(2)「マタイ受難曲」はなぜ大きな感動をもたらすのか

1、芸術としての受難曲はどのようにして形成されたか
(3)そもそも受難物語とはどういうものか
(4)受難記事の朗読における工夫が受難曲の生成につながった
(5)音楽的な要素を強めて「オラトリオ受難曲」の形成へ

2、芸術とはどういうものかを認識論から問う
(6)そもそも芸術とはどういうものか
(7)芸術の鑑賞にあたって鑑賞者は作者に観念的に二重化する
(8)芸術の創作にあたって作者は鑑賞者に観念的に二重化する

3、「三段階連関理論」から「マタイ受難曲」の構造を解く
(9)「マタイ受難曲」は聖句・アリア・コラールの3層構造をもつ
(10)「マタイ受難曲」の3層構造は認識発展の三段階に対応する
(11)「マタイ受難曲」の3層構造は鑑賞者の認識をどのように導くか

まとめ
(12)「マタイ受難曲」は鑑賞者の認識を「のぼりおり」させて深めていく
(13)学問への道における「マタイ受難曲」鑑賞の意義とは
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2011年07月23日

佐村河内守:交響曲第1番「HIROSHIMA」CD発売

 本ブログでこれまで2度にわたって取り上げてきた(2010年8月8日および8月15日の記事を参照)佐村河内守氏の交響曲第1番「HIROSHIMA」のCDが発売されました(日本コロムビア)。演奏は、大友直人氏の指揮による東京交響楽団で、今年の4月11〜12日にセッション録音されたものです。
http://columbia.jp/samuragochi/

 以前の記事で紹介したとおり、この交響曲は、被爆二世である佐村河内守氏が、聴力を完全に失い激しい耳鳴りによって肉体も精神も破壊されんばかりの苦しみを味わうという状況のなかで、まさに生命を削るようにして作曲されたものでした。

 そもそも交響曲(シンフォニー)とは、形式の面からいえば、管弦楽(オーケストラ)で演奏される多楽章――ひとつの楽曲がさらにいくつかの部分に分かれていて、それぞれの部分が他の部分から明確に区切られているとき、それらを楽章と呼びます――の音楽作品であるといえますが、その内容の面からいえば、人間が生きていくうえで突きつけられた問題を解決しようとして生じてくるところの葛藤(闘争)にともなう諸々の感情の動きを直接の対象として、一本の筋のとおった論理的な構築物として組み上げていった音楽作品のことであるということができます。このような闘争および勝利への展望という重たい内容を盛り込むために、多くの種類の楽器から構成されたオーケストラを使用して、複数の楽章をしっかりと関連させながら連ねていく(すなわち、それなりの時間をかけて音楽を進行させていく)という表現形式が必要とされたわけです。

 このような観点からすれば、この佐村河内守氏の交響曲第1番「HIROSHIMA」こそ、交響曲という表現形式でしか表現できない内容が盛り込まれた、真に交響曲の名に値する交響曲である、といえます。それを端的に示す作曲者の言葉が、昨年8月14日に京都コンサートホールで行われた全曲初演の際に配布されたプログラムのなかにありました。

「シンフォニーと名付ける以上、世界にとって最も重大な主題を激しい発作の合間を縫い、自らの血で祈りを込めて書き上げる音楽が、15分足らずの曲で良いはずがありません。
 原爆の絶対悪という『闇』と、平和への『祈り』の闘いの音楽に長大さは必要不可欠でした。」

 佐村河内守氏にとって、肉体も精神も破壊されてしまうほどの自らの病苦と原爆の絶対悪という「闇」を重ね合わせて作曲することは、文字どおり命を懸けた闘争にほかなりません。だからこそ、闘争の果てに勝利の光を展望する、交響曲という表現形式が絶対に必要だったわけです。決して、何となく形だけ交響曲にしてみました、というような音楽ではないのです。

 その意味で、この曲こそ真に交響曲らしい本格的な大交響曲であるといって間違いありません。ベートーヴェンからブルックナーやマーラー、ショスタコーヴィチへと連なってきた交響曲の系譜を、現代の日本において立派に継承したものであるといってもよいでしょう。

 曲の概要を簡単に紹介しておきましょう。

 この交響曲は、第1楽章「運命」(19:58)、第2楽章「絶望」(34:33)、第3楽章「希望」(26:53)の3つの楽章からなり(括弧内の数字は今回発売されたCDでのそれぞれの演奏時間)、全曲で80分を超える長大なものです。第1楽章で登場した主題が第2楽章、第3楽章にも(姿を変えつつ)登場するので、長大であるとはいえ、全曲をつうじてしっかりとした統一感があります。

 このCDについている長木誠司氏の解説文では、第1楽章は(展開部を欠いた)ソナタ形式(*)ととらえられるものの、第2楽章、第3楽章は明確な形式を持っていない、とされています。しかし、第1楽章がほとんど2つの主題の(展開を施しつつの)提示だけで終わってしまうこと、第2楽章、第3楽章で登場する主要な主題はこの第1楽章で提示されたものにほかならないことからすれば、第1楽章が提示部、第2楽章が展開部、第3楽章が再現部+結尾部(コーダ)として、この交響曲の全体がひとつの巨大なソナタ形式を構成しているとみることもできるのではないでしょうか。

 それはさておき、この交響曲全体の80分におよぶ音楽の流れからは、過酷な運命の宣告に直面して(第1楽章)、絶望の淵に立たされてしまったものの(第2楽章)、過酷な運命に立ち向かう決意が示されることによって希望の光が差し込む(第3楽章)、というきわめて明快なストーリー展開をみてとることができます。

 この曲の最大の聴きどころは、やはりなんといっても、この交響曲全体の結論部分というべき第3楽章の終結部(20:56〜)でしょう。大きく高揚した闘争的な音楽が静まった後で、一筋の光が差し込むような祈りの音楽が静かに始まり、これが次第に力強さを増して、鐘の音をともなった壮大な頂点を築くことで全曲を締めくくるのです。ここは、すべてを浄化するような非常に感動的な音楽となっており、聴く者の心を深く揺さぶるものとなっています。

 今回のCDの発売によって、この巨大な規模をもった交響曲を、容易に、しかもくり返し鑑賞できる条件が整ったことはまことに喜ばしいことです。これを機に、一人でも多くの人がこの素晴らしい交響曲を耳にすることを願わずにはおれません。

 なお、この佐村河内守氏の交響曲第1番「HIROSHIMA」の交響曲の歴史上での位置づけや、曲の構造についてのより詳細な分析などについては、稿をあらためて論じる機会をもちたいと考えています。

*ソナタ形式とは、簡単には、ひとつの楽章を構成する形式の一種であり、対照的な性格をもった2つの主題の絡み合いが軸となるものです。より具体的には、〈対照的な性格をもった2つの主題が登場する提示部〉〈この2つの主題がそれぞれ分解されたり組み合わされたりして大きく発展させられていく展開部〉〈この展開をふまえたうえで2つの主題がより調和的な形で再現される再現部〉の3つの部分から構成されることになります。

※ゴーストライター騒動を受け、2014年3月5日に以下の追記を行いましたので、ご参照下さい。
http://dialectic.seesaa.net/article/158838831.html

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<講義一覧>

 ・2010年5月例会の報告
 ・2010年6月例会の報告
 ・日本酒を楽しめる店の条件
 ・交響曲の歴史を社会的認識から問う
 ・初心者に説く日本酒を見る視点
 ・『寄席芸人伝』に見る教育論
 ・初学者に説く経済学の歴史の物語
 ・奥村宏『経済学は死んだのか』から考える経済学再生への道
 ・『秘密諜報員ベートーヴェン』から何を学ぶか
 ・時代を拓いた教師を評価する(1)――有田和正氏のユーモア教育の分析
 ・2010年7月例会報告
 ・弁証法から説く消費税増税不可避論の誤り
 ・佐村河内守『交響曲第一番』
 ・観念的二重化への道
 ・このブログの目的とは――毎日更新50日目を迎えて
 ・山登りの効用
 ・21世紀に誕生した真に交響曲の名に値する大交響曲――佐村河内守:交響曲第1番「HIROSHIMA」全曲初演
 ・2010年8月例会報告
 ・各種の日本酒を体系的に説く
 ・「菅・小沢対決」の歴史的な意義を問う
 ・『もしドラ』をいかに読むべきか
 ・現代日本における「国家戦略」の不在を問う
 ・『寄席芸人伝』に学ぶ教師の実力養成の視点
 ・弁証法の学び方の具体を説く
 ・日本歴史の流れにおける荘園の存在意義を問う
 ・わかるとはどういうことか
 ・奥村宏『徹底検証 日本の財界』を手がかりに問う「財界とは何か」
 ・「小沢失脚」謀略を問う
 ・2010年11月例会報告
 ・男前はなぜ得か
 ・平安貴族の政権担当者としての実力を問う
 ・教育学構築につながる教育実践とは
 ・2010年12月例会報告
 ・「法人税5%減税」方針決定の過程的構造を解く
 ・ベートーヴェン「第九」の歴史的位置を問う
 ・年頭言:主体性確立のために「弁証法・認識論」の学びを
 ・法人税減税の必要性を問う
 ・2011年1月例会報告
 ・武士はどのように成立したか
 ・われわれはどのように論文を書いているか
 ・三浦つとむ生誕100年に寄せて
 ・2011年2月例会報告:南郷継正『武道哲学講義U』読書会
 ・TPPは日本に何をもたらすのか
 ・東日本大震災から国家における経済のあり方を問う
 ・『弁証法はどういう科学か』誤植の訂正について
 ・2011年3月例会報告:南郷継正『武道哲学講義V』読書会
 ・新人教師に説く「子ども同士のトラブルにどう対応するか」
 ・三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』誤植一覧
 ・新大学生に説く「大学で何をどう学ぶか」
 ・新大学生に説く「文献・何をいかに読むべきか」
 ・2011年4月例会報告:南郷継正『武道哲学講義W』読書会
 ・三浦つとむ弁証法の歴史的意義を問う
 ・新人教師に説く学級経営の意義と方法
 ・三浦つとむとの出会いにまつわる個人的思い出
 ・横須賀壽子さんにお会いして
 ・続・三浦つとむとの出会いにまつわる個人的思い出
 ・学びにおける目的意識の重要性
 ・ブログ毎日更新1周年を迎えてその意義を問う
 ・2011年5・6月例会報告:南郷継正「武道哲学講義〔X〕」読書会
 ・心理療法における外在化の意義を問う
 ・佐村河内守:交響曲第1番「HIROSHIMA」CD発売
 ・新人教師としての一年間を実践記録で振り返る
 ・2011年7月例会報告:近藤成美「マルクス『国家論』の原点を問う」読書会
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む
 ・2011年8月例会報告:加納哲邦「学的国家論への序章」読書会
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論1三浦つとむの哲学不要論をめぐって
 ・一会員による『学城』第8号の感想
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論2 マルクス『経済学批判』「序言」をめぐって
 ・2011年9月例会報告:加藤幸信論文・村田洋一論文読書会
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論3 マルクス「唯物論的歴史観」なるものの評価について
 ・三浦つとむさん宅を訪問して
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 ・続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2011年10月例会報告:滋賀地酒の祭典参加
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論4不破哲三氏のエンゲルス批判について
 ・2011年11月例会報告:悠季真理「古代ギリシャの学問とは何か」読書会
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論5ケインズ経済学の歴史的意義について
 ・一会員による『綜合看護』2011年4号の感想
 ・『美味しんぼ』から何を学ぶべきか
 ・2011年12月例会報告:悠季真理「古代ギリシャ哲学、その学び方への招待」読書会
 ・年頭言:「大和魂」創出を志して、2012年に何をなすべきか
 ・消費税はどういう税金か
 ・心理療法におけるリフレーミングとは何か
 ・2012年1月例会報告:悠季真理「古代ギリシャ哲学,その学び方への招待」読書会
 ・バッハ「マタイ受難曲」の構造を解く
 ・2012年2月例会報告:科学史の全体像について
 ・『弁証法はどういう科学か』の要約をどのように行っているか
 ・一会員による『綜合看護』2012年1号の感想
 ・橋下教育基本条例案を問う
 ・吉本隆明さん逝去に寄せて
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 ・科学者列伝:古代ギリシャ編
 ・2年目教師としての一年間を実践記録で振り返る
 ・2012年4月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第5章〜第6章
 ・科学者列伝:ヘレニズム・ローマ・イスラム編
 ・簡約版・消費税はどういう税金か
 ・一会員による『新・頭脳の科学(上巻)』の感想
 ・新人教師のもつ若さの意義を説く
 ・2012年5月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第7章
 ・科学者列伝:西欧中世編
 ・アダム・スミス『道徳感情論』を読む
 ・2012年6月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第8章
 ・科学者列伝:近代科学の開始編
 ・ブログ更新2周年にあたって
 ・古代ギリシアにおける学問の誕生を問う
 ・一会員による『綜合看護』2012年2号の感想
 ・クセノフォン『オイコノミコス』を読む
 ・2012年7月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第9章
 ・科学者列伝:17世紀の科学編
 ・一会員による『新・頭脳の科学(下巻)』の感想
 ・消費税増税実施の是非を問う
 ・原田メソッドの教育学的意味を問う
 ・2012年8月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第10章
 ・科学者列伝:18世紀の科学編
 ・一会員による『綜合看護』2012年3号の感想
 ・経済学を誕生させた経済の発展とはどういうものだったのか
 ・2012年9月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第11章
 ・人類の歴史における論理的認識の創出・使用の過程を問う
 ・長縄跳びの取り組み
 ・国家の生成発展の過程を問う――滝村隆一『マルクス主義国家論』から学ぶ
 ・三浦つとむの言語過程説から言語の本質を問う
 ・2012年10月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第11章
 ・科学者列伝:19世紀の自然科学編
 ・古代から17世紀までの科学の歴史――シュテーリヒ『西洋科学史』要約で概観する
 ・2012年11月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第12章前半
 ・2012年12月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第12章後半
 ・科学者列伝:19世紀の精神科学編
 ・年頭言:混迷の時代が求める学問の確立をめざして
 ・科学はどのように発展してきたのか
 ・一会員による『学城』第9号の感想
 ・一会員による『綜合看護』2012年4号の感想
 ・2013年1月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』を読む前提としての世界歴史の全体像
 ・歴史観の歴史を問う
 ・2013年2月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』をどのように読んでいくべきか
 ・『三浦つとむ意志論集』を読む
 ・言語学の構築に向けてどのように研究を進めるのか
 ・一会員による『綜合看護』2013年1号の感想
 ・改訂版・新大学生に説く「大学で何をどう学ぶか」
 ・2013年3月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』序論(前半)を読む
 ・3年目教師としての1年間を実践記録で振り返る
 ・2013年4月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』序論(後半)を読む
 ・新自由主義における「自由」を問う
 ・2013年5月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第一部 東洋の世界(前半)を読む
 ・三浦つとむ「マルクス・レーニン主義に関する本質的な質問」から学ぶ
 ・言語は歴史的にどのように創出されたのか
 ・一会員による『綜合看護』2013年2号の感想
 ・ヒュームの提起した問題にカント、スミスはどのように答えたか
 ・2013年6月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』東洋の世界(後半)を読む
 ・一会員による2013年上半期の振り返り
 ・認知療法における問いの意義を問う
 ・カント歴史哲学へのアダム・スミスの影響を考える
 ・2013年7月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』ギリシアの世界を読む
 ・2013年8月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第三部 ローマの世界を読む
 ・アダム・スミスの哲学体系の全体像を問う
 ・一会員による『綜合看護』2013年3号の感想
 ・初任者に説く学級経営の基本
 ・カウンセリング上達過程における事例検討の意義
 ・文法家列伝:古代ギリシャ編
 ・ヒューム『政治論集』抄訳
 ・2013年9月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第四部 ゲルマンの世界を読む
 ・言語過程説から言語学史を問う
 ・2013年10月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』「第4部 ゲルマンの世界」第2篇を読む
 ・戦後日本の学力論の流れを概観する
 ・一会員による『育児の生理学』の感想
 ・文法家列伝:古代ローマ・中世編
 ・2013年11月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第4部 ゲルマンの世界 第3篇を読む
 ・古代ギリシャ経済の歴史を概観する
 ・2013年12月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』のまとめ
 ・ヘルバルト教育学の全体像を概観する
 ・年頭言:歴史を切り拓く学問の創出を目指して
 ・歴史的な岐路に立つ世界と日本を問う
 ・一会員による『綜合看護』2013年4号の感想
 ・一会員による2013年の振り返りと2014年の展望
 ・ヘーゲル『歴史哲学』を読む
 ・2014年1月例会報告:学問(哲学)の歴史の全体像について
 ・一会員による『学城』第10号の感想
 ・世界歴史の流れを概観する
 ・現代の言語道具説批判――言語規範とは何か
 ・2014年2月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第3〜11章
 ・ヘルバルト『一般教育学』を読む
 ・新大学生へ説く「大学で何をどのように学んでいくべきか」
 ・2014年3月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第12〜14章
 ・三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』学習会を振り返る
 ・『育児の認識学』は三浦認識論をいかに発展させたか――一会員による『育児の認識学』の感想
 ・2014年4月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第15〜19章
 ・4年目教師としての1年間を実践記録で振りかえる
 ・文法家列伝:『ポール・ロワイヤル文法』編
 ・2014年5月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第20〜26章
 ・道徳教育の観点から見る古代ギリシャの教育と教育思想
 ・古代ギリシャの経済思想を問う
 ・半年間の育児を振り返る
 ・2014年6月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第27〜33章
 ・現代の言語道具説批判・補論――「言語道具説批判」に欠けたるものとは
 ・心理士が医学から学ぶこと――一会員による『医学教育 概論(1)』の感想
 ・アダム・スミス「天文学史」を読む
 ・現代の言語道具説批判2――言語道具説とは何か
 ・2014年7月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第34〜38章
 ・道徳教育の観点から見る中世の教育と教育思想
 ・もう一人の自分を育てる心理療法
 ・2014年8月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第39〜40章
 ・アダム・スミス「外部感覚論」を読む
 ・文法家列伝:ジョン・ロック編
 ・一会員による『学城』第11号の感想
 ・夏目漱石を読む@――坊っちゃん、吾輩は猫である、草枕
 ・2014年9月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第41〜43章
 ・ルソーとカントの道徳教育思想を概観する
 ・アダム・スミスは『修辞学・文学講義』で何を論じたか
 ・全てを強烈な目的意識に収斂させる――一会員による『医学教育概論の実践』の感想
 ・2014年10月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第44〜45章
 ・精神障害の弁証法的分類へ向けた試み
 ・シュリーマン『古代への情熱』から何を学ぶか
 ・2014年11月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第46章
 ・一年間の育児を振り返る
 ・近代ドイツにおける教育学の流れを概観する
 ・2014年12月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』のまとめ
 ・年頭言:弁証法・認識論を武器に学問の新たな段階を切り開く
 ・「戦後70年」を迎える日本をどうみるか
 ・哲学の歴史の流れを概観する
 ・『ビリギャル』から何を学ぶべきか
 ・必要な事実を取り出すとは――一会員による『医学教育 概論(2)』の感想
 ・2015年1月例会報告:南郷継正「武道哲学講義X」
 ・夏目漱石を読むA――二百十日、野分、虞美人草、坑夫
 ・アダム・スミスは古代ギリシャ哲学史から何を学んだのか
 ・マインドフルネスを認識論的に説く
 ・道徳思想の歴史を概観する
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部の要約
 ・弁証法的に学ぶとはいかなることか――一会員による『医学教育 概論(3)』の感想
 ・一会員による『学城』第1号の感想
 ・新大学生への訴え
 ・2015年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論A
 ・心理職の国家資格化を問う
 ・5年目教師としての1年間を実践記録で振り返る
 ・文法家列伝:時枝誠記編
 ・2015年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論B、C、東洋哲学
 ・夏目漱石を読むB――三四郎、それから、門
 ・臨床心理学のあるべき姿を考える――一会員による『医学教育 概論(4)』の感想
 ・アダム・スミス「模倣芸術論」を読む
 ・デューイの教育論の歴史的な意義を問う―『学校と社会』を通して
 ・2015年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ギリシア哲学史の序論、イオニア派の哲学、ピュタゴラスとピュタゴラス派
 ・高木彬光『邪馬台国の秘密』を認識論から読み解く
 ・一会員による『学城』第12号の感想
 ・2015年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エレア派〜ヘラクレイトス
 ・何故言語学の創出が必要か―一会員による2015年上半期の振り返り
 ・事実と論理ののぼりおり――一会員による『医学教育 概論(5)』の感想
 ・夏目漱石を読むC――彼岸過迄、行人、こころ
 ・2015年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エムペドクレス〜アナクサゴラス
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(上)
 ・デューイ教育論の歴史的意義を問う―『民主主義と教育』をとおして
 ・2015年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソフィスト派・ソクラテス
 ・アダム・スミス『法学講義』を読む
 ・学問上達論とは何か――一会員による『哲学・論理学研究(1)』の感想
 ・2015年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソクラテス派、プラトン
 ・庄司和晃追悼論文―庄司和晃の歩みはいかなるもので、何を成し遂げたか
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部第4章の要約
 ・一会員による『学城』第2号の感想
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(下)
 ・夏目漱石を読むD――道草、明暗
 ・2015年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』プラトン 弁証法、自然哲学、精神の哲学
 ・ナイチンゲール看護論を心理臨床に活かす――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(1)』の感想
 ・文法家列伝:時枝誠記編(補論)
 ・英語教育改革を問う―『英語化は愚民化』書評―
 ・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
 ・2年間の育児を振り返る
 ・2015年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学)
 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
 ・ケネー『経済表』を読む
 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する