2016年09月12日

掲載予告:ルソーの教育論の歴史的意義を問う(全13回)

 2016年7月、参議院選挙が行われ、自公合わせて69議席を獲得しました。安倍首相は「アベノミクスをしっかりと加速せよということだ。国民の期待に応えていきたい。」と述べました。しかし、アベノミクスにより、一部の富裕層は大きく儲けているのに対して、一般の労働者はそのまま、あるいは生活が苦しくなっているのであり、経済的な格差がひらいてきています。とりわけ貧困層の拡大が深刻な状態になっています。このような貧困率の増加に比例するかのように、子どもの虐待件数も右肩上がりで増大しています。

 今後もアベノミクスが力強く推し進められるならば、さらなる経済格差が生まれ、それに伴って、教育上の問題もさらに浮上してくることと思われます。

 歴史を振り返ってみると、社会的な格差が大きく開く現状に対して強烈な問題意識を抱き、社会全体のあり方を踏まえて教育が担うべき役割を考察した人物がいます。それがジャン・ジャック・ルソー(1712-1778)です。

 本稿では、その是非をしっかりと問うていかなければならない問題が山積みになっている現代日本において、教育の立場からは何ができるのかを明らかにすべく、ルソーの教育論を概観し、その歴史的意義をすくいとっていきたいと思います。

 以下、目次(予定)です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

序論
(1)アベノミクスにより貧困層が拡大している
(2)ルソーの教育論の歴史的意義とは何か

本論
1.ルソーの教育目的論
(3)どんな環境でも生きていけるようにするのが教育だと説いた
(4)人間は互いに創り合っているということから職業教育の必要性を説いた
(5)一般意志で社会が統括されるために教育が必要だと説いた

2.ルソーの教育方法論
(6)体験・経験をとおして学ぶことを主張した
(7)学習には子どもが必要性を感じることが重要だと主張した
(8)発問の重要性を指摘した

3.ルソーの教師論
(9)相手に安心感を与えることが重要である
(10)思春期の子どもに共感できるような教師としての生き方が求められる
(11)思春期の子どもに対しては教師の言行一致が求められることを説いた

結論
(12)教育の過程において共通の土台となる部分を指摘した
(13)選挙民の育成こそが求められている
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2016年08月17日

ロックの教育論から何を学ぶべきか(5/5)

(5)科学的な人間観を子どもに伝えていかなければならない

 相模原事件を受けて一人ひとりの人間をどのように捉えるかが大きく問われているということ、そこで教師としては人類が歴史的にどのような人間観を形成していったのかを教育学の歴史から把握しておく必要があるということを踏まえて、その教育学の歴史を把握するため、本稿ではロックの教育論に焦点を当て、そこから学ぶべきものは何かを明らかにしようとしてきました。

 ここで、これまでの流れを振り返ってみましょう。まずロックが紳士の教育と貧民の教育という形で2つにわけて教育を論じたことに関わって、ロックの人間観と教育観について見てきました。当時のイギリス社会では政治的な担い手となった紳士階級と、政治的にも経済的にも力をもたない貧民階級という2つにわかれており、社会的な役割としては決して同じではなかったことから、ロックはそれぞれの教育を別に論じたのでした。しかし、どちらの教育論においても、コメニウスから受け継いだ人間の可能性・教育の可能性という認識が含まれているのであり、貧民(の子ども)も教育を与えれば社会的に役立つ存在となるという形で、あらゆる個人の発展が社会の発展につながるという視点を提示したことが重要な意義だということでした。そして、紳士の教育に関しては、自らの欲望を抑えて正しい判断に従って行動できる人間(理性的な人間)として育てることが重要だとしていたのでした。

 続いて、そのような人間を育てるためにはどうすればよいのかという点について、ロックの見解を見てきました。ここでは習慣ということを重視していました。つまり、人間は習慣によって創られるのであり、どんな習慣を創るかこそが教育上重要なのだということです。そもそも人間は理性的な存在なのですから、正しい判断に従うこと、自分の欲望を抑えて行動することに、幼いころから慣れさせなければならないのだということでした。そのときに気をつけなければならないのは、たとえ同じ行動であっても、その背後にある認識がどのようなものなのかに着目しなければならないということでした。このように、行動の背後にある認識に焦点を当てて、そこを育てていくことを主張したのがロックの教育論の特徴だということでした。

 最後に、教育に携わる教師がどうあるべきなのかという点について、ロックの見解を見てきました。子どもを理性的存在として育てていくためには、そもそも教師自身が理性的存在でなければならないのであって、教師が子どもの理性となって子どもを統括していかなければならないのだということでした。そのためには、教師の子どもへの深い愛情を感じさせることが最も重要であり、そのような愛情を感じるからこそ、子どもは教師に従うのだということでした。また、子どもが教師に反抗してきて争いになったときには、決して子どもに負けてはならないのであり、それだけの覚悟が教師には求められるのだということでした。

 このように見てくると、ロックの教育論の根幹は「人間は理性的な存在であり、教育(習慣)によってそのような人間として創ることができる」ということになるでしょう。教師としてもこのような科学的な人間観があるからこそ、そのモデルとして自らを理性的な存在として律することができるのであるし、目の前の子どもの可能性を信じて愛情を注ぐことができるのです。そして、その成長は社会の発展に大きく寄与するのだという視点を提示したのです。

 このような人間観こそ、冒頭で述べた相模原の事件が提起する問題に答えるものだと言えます。つまり、どんな人間であろうと、いかに障害があろうとも、人間として成長していく可能性があるのであり、生きる価値があるのだということです。

 この事件で重傷を負った方に森真吾(51)さんがおられます。真吾さんは5歳のときに重度の障害があることが分かりました。その後、養護学校を経て、この施設で暮らすようになり、20年を過ごしておられます。父親の正英さん、母親の悦子さんは、次男を交通事故で失って以降、障害を持つ真吾さんにいっそうの愛情を注ぐようになり、これまで10日に1回は施設から連れ出して自宅で過ごしておられたそうです。園に迎えに行くと真吾さんは喜んで飛び出してきたそうです。そんな真吾さんについて、悦子さんは「障害があることは辛いけれど、少しずつ成長する姿を見るのが何よりの生きがいでした」と話しておられます(注)。

 初めて産まれた子どもが重度の障害をもっていたこと、次に産まれた子どもに対してはきっと「兄弟仲良く過ごしてほしい」「兄を支えてあげてほしい」という思いを抱いていたでしょうが、その子どもが亡くなってしまったこと、その驚きと悲しみは本当にいかほどのものであっただろうと思います。そうした辛い中でも、時には真吾さんとのかかわりが苦しく感じられたこともあったでしょうが、愛情を注ぎ続けてこられたからこそ、真吾さんは重い障害を抱えながらも少しずつ成長し、幸せな生活ができていたのです。そして、そのことがご両親にとってこの上ない励みになっていたのです。

 これを少し高い視点から眺めるならば、障害者も周囲からの働きかけによって、その人間としてもっている可能性を発揮することができるのであり、そのことをとおして、家族という小社会に大きくプラスの影響を与えるのだということです。もし真吾さんが亡くなっていたならば、この小社会にとって計り知れないダメージを与えたでしょうし、そのことはこの小社会と関わる社会全体へも影響を及ぼしたでしょう。

 このように障害者も人間としての一般性に貫かれているのであり、その可能性の発揮のために社会的な支援を行うことは、社会的な意義をもつものなのです。

 教師としては、こうした人間観を自らがしっかりもつこと、そしてそれを子どもたちに伝えていくことが求められていると言えるでしょう。時には、この事件と同様のことが、学級でも起こります。例えば特別支援学級の子どもに対して、クラスの子どもが「あんなやつ、死んでしまえばいい」という考えを抱くこともあります。そういうことが出てきた場合、教師はその子どもと対峙しなければなりません。まさにロックのいう支配権争いです。そのとき、教師自身がいかに豊かな人間観を抱けているか、自らの実感としてすべての人間の価値を自覚できているかどうかが問われるのです。これができていなければ、子どもに屈服するしかなく、クラスの他の子どもを守ることもできなくなります。その結果は、今回の事件のように命にかかわることもあるのです。

 もっとも、子どもが何らかの問題のある発言をしてきた場合、その背後には「もっと自分を見てほしい」という思いがある(つまり愛情を求めている)こともあります。表現にとらわれた対応では、かえって状況が悪化することもあります。こうした意味でも、認識に目を向けることを指摘したロックの教育論をしっかりと学ぶべきだと言えるでしょう。

 今回のような事件が二度と起こらないように、子どもたちに科学的な人間観を形成させること、その役割を担う教師を育てるための教育学を構築すること、これこそ自らの使命であることを確認して、本稿を終えたいと思います。

(注)
産経ニュース「無防備「怖かったろう」 入居者の家族慟哭「差別なくなってほしい」」より
http://www.sankei.com/affairs/news/160728/afr1607280030-n2.html
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2016年08月16日

ロックの教育論から何を学ぶべきか(4/5)

(4)ロックは教師は子どもの理性として統括しなければならないと主張した

 前回は、ロックが子どもの認識に目を向けるべきだと説いていることを紹介しました。同じ言動に対しても、どのような認識なのかに応じて、親や教師は働きかけ方を変えなければならないということを主張したのです。このように、認識というものを明確に意識し、ここを教育の対象として捉えたことがロックの大きな特徴なのでした。ロックは欲望を抑えることに慣れさせることが教育上重要であり、そのために子どもの認識に目を向けることを主張したのです。

 しかし、子どもに自身の欲望を抑えさせるためには、子どもに関わっていく親や教師自身が理性的な存在でなければならないとロックは主張しています。今回は、ロックが教師のあり方についてどのように説いているのかを見ていきましょう。

 まずロックは次のように述べています。

「家庭教師が自分の感情を放任しておいて、感情の抑制を語ることは、まったく無駄であるし、また自分自身には容認しておいて、どんなに悪癖、不作法をも、自分の生徒に改めさせようと努力しても無駄です。悪い手本はかならず、良い規則よりもっとよく従われるものです。」(pp.123)


 つまり、教師が感情的であれば、いかに感情の抑制を子どもに語ったところで無駄だということです。そういう悪い手本は必ず真似されてしまうということです。これは逆に言うと、教師自身が理性的であるからこそ、それをモデルとして、子どもは自分の感情をコントロールするようになるのだということでもあります。

 もう少し言えば、教師自身が子どもの理性となって、子どもをコントロールするようにしなければならないのだということが言えるでしょう。まだまだ理性が育っていない子どもに代わって、教師が理性の役割を果たさなければならないということです。これは、教師の言うことを子どもがしっかり聞くように関係を創らなければならないということでもあります。

 では、そのような関係はどのようにして創ることができるのでしょうか。この点について、ロックは次のように述べています。

「子供に、できるだけ貴下からの良い評判を保たせなさい。というのは、もし一度彼が自分の評判を失ったことを悟ると、貴下は子供に対するもっとも重要な押さえ処を失うことになりますから。」(p.211)


「その態度全体を一種やさしいものにして、彼が子供を愛していること、および教師は子供のためになることしか考えていないことを感得させなさい、これが子供の心に親愛の情を生じさせる唯一の方法で、それにより、子供はその学業に耳を傾け、教えられることを楽しく思うようになるでしょう。」(p.262)


 つまり、教師が子どもを愛しているということを感じさせなければならないということです。それができれば子どもは教師を信頼するけれども、逆に教師からの評判を失ったと感じれば、一切教師の言うことを聞かなくなるということです。

 ここについては、私自身、忘れがたいエピソードがあります。昨年、6年生を担任したのですが学級が非常に荒れてしまっていました。子どもと関わるのが本当に辛いと思っていたのですが、ある時、学年主任の先生から「子どもの前では嘘でもいいから『君らのことが好きだ』ということを演じてください。『僕ら見捨てられた』と思ったら、糸が切れた風船みたいに飛んでいってしまいますから。それは最後まで演じ続けてください。」と言われたのです。子どもはどんな状況であっても、教師からの愛情を求めているのであり、教師はとにかくその愛情を示さなければならないのだということです。これはロックが指摘していることと同じだと言えるでしょう。

 そして、子どもは教師からの愛情を求めているのだということも実際に体験しました。3月、社会科の授業でプリント学習をしたときのことです。各自がプリントの問題を解いていくものだったのですが、クラスで最も荒れている子は「こんなんやらへんし」と言って、消しゴムを飛ばして遊んでいました。「やってみようや」などと声をかけても、「うっさい、あっち行け」というような状況でした。それでも何度も関わり続けているうちに取り組むようになり、わからない問題は「先生、これどうやるの?」と尋ねてきて、私のヒントの聞きながら解くようになったのです。「反抗しているけれども、本当は関わってほしいのだ」ということを強く感じた場面でした。

 このように子どもへの愛情を示して信頼を勝ち取ること、これこそが教師が理性として子どもを統括するという関係を創るためにもっとも重要な点なのであり、そのことをロックは指摘しているのです。

 時として子どもが意図的に反抗してくることもありますが、そうしたときにも、子どもと対峙すべきであることを主張しています。

「強情なこと、片意地に純情にならぬことは、腕力に訴え、殴ってでも制圧されねばなりません、これに対しては、他に矯正法がないのです。どんな特定のことをしろと子供に命じようが、禁じようが、貴下はかならず自分の言うことを聞かせるようにしなければなりません、この場合に容赦しなければ、反抗はされないのです。というのは、貴下が命じ、彼が拒むというようなことがあって、一度腕くらべという事態、実際貴下がたの間における支配権争いになりますと、もしうなずいたり言葉で言ってうまく行かぬなら、そのためにどれほど殴らねばならぬとしても、かならずそれを実行しなくてはなりません。そうしないと、その後いつも、貴下は自分の息子の言うなりになって暮す積りでいることになります。」(p.107)


 これは、子どもが教師の指示に反抗し支配権争いになった場合は、絶対にやらせなければならない、もしここで譲ってしまっては教師は子どもの言いなりになってしまうだろう、ということです。

 教師をしていると、子どもと戦わなければならない場面はたくさん出てきます。そのときに筋をとおして子どもを従わせることができるかどうかが大きく問われるのであって、もしこれができなければ学級崩壊になります。教師にはそういう覚悟が求められるのだとロックは主張しているのであり、非常に重要な指摘だと言えるでしょう。

 このように教師は子どもの理性としてあるべきだということ、そのためには子どもへの深い愛情と決して子どもに負けない覚悟が必要なのだということをロックは教師のあるべき姿として説いているのです。
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2016年08月15日

ロックの教育論から何を学ぶべきか(3/5)

(3)ロックは子どもの認識に目を向けて習慣を形成することを説いた

 前回は、ロックの人間観・教育観がどのようなものであるのかを見てきました。ロックは当時のイギリス社会の状況を踏まえて、紳士の教育と貧民の教育という2つを分けて説いたのですが、どちらにおいても人間の可能性や教育の可能性についての認識が含まれていることを確認しました。そして、このような人間観・教育観はコメニウスから継承したものだと指摘しました。

 2つの教育論のうち、ロックが特に力を注いでいるのは、当時のイギリス社会の担い手となる紳士階級の教育です。そこではロックは人間を理性的な存在だと捉え、自らの欲望を抑えて正しいことが行えるようにすることが必要だと捉えたのでした。

 では、どのようにすればそうした人間を育てることができるのでしょうか。今回はこの点を見ていきたいと思います。

 ここに関わって、ロックが重視しているのは「習慣」です。つまり、日々の習慣によって人間の行動や考え方などは創られるのだということです。たとえば、暑さや寒さに耐えられるかどうか、食事を1日に何回とるかなども習慣によって決まっているのだと主張しています。さらに、この習慣は人間の生理的欲求をも従わせるのだとして、人間の尿意や便意をコントロールした実験について紹介しています。

「完全には随意的でない若干の運動も、もし絶間ない習慣で一定期間、たえず引き起されるように努力するなら、習慣と、不断の使用とによって、癖のようになるだろうとわたくしは考えました。(中略)もし人が朝、始めて食事をした後で、直ちに生理的欲求を起こさせるようにして、無理に便通をすることができるかやって見ると、いつもそうしているうちに、便通の習慣ができるとわたくしは推論したのです。」(p.40)


「いつであれ、便意を催しても催さなくても、朝食後便所にいつも行くように注意して、自然にその任務を遂行させるように努力し、しかも数カ月のうちには望み通り成功し、きまった習慣がついて、自分自身で怠けるのでなければ朝食後、めったに便通がないような人を、わたくしはだれも知らないのです。」(pp.40-41)


 このような実験をとおして、ロックは習慣によって人間は創られていくのだということを実感していたのです。こうした体験をもとに、「教育で留意されねばならぬ重要なことは、どんな習慣をつけるかということです」(p.33)と述べています。

 そもそもロックは自らの欲求を抑えて正しいと判断したことができるようにすることが教育だと考えていたのでした。そうすると、自らの欲求を抑える習慣を身につけさせることが、教育上重要となります。現に、次のように述べています。

「子供はゆりかごにいる間からさえ、自分の欲望を克服し、熱望するものをもたずに我慢することに慣れるようにすべきだ」(p.54)


「若いときに、自己の意志を他人の理性に服従させることになれていない者は、自己の理性を活用すべき年齢になっても、自分自身の理性に傾聴し、従うことは、めったにないものです。」(p.50)


 このように、小さい時から自分の欲求を抑えることに慣れさせなければならないと主張しているのです。

 ただし、正しいことを行わせたり、よくないことをやめさせたりするときに、感覚的な快楽や苦痛を与えることをロックは否定しています。

「ただ鞭打たれるのを恐れるばかりに、自分の好みに反して、苦労して書物を読んだり、自分では好きだが、健康にはよくない果物を食べることを控えているような子供が、感覚的な快楽と苦痛以外のいかなるほかの動機から行動するものでしょうか。この点においては、子供はただ、より大きな肉体的快楽の方を択ぶか、より大きな肉体的苦痛を避けるものです。そして、このような動機によって、彼の行動を支配し、彼の行為を導くこととは、実に、根こそぎにし、跡形もないようにするのがわれわれの仕事であるようなあの素質を、子供のうちに育て上げることにほかならないでしょう。」(p.63)

 つまり、鞭でたたいたりするのは、結局、感覚的な快楽を求めたり、肉体的苦痛を避けたりするようにしているのであって、自分の欲求を抑えさせていることにはならない、むしろそれを欲求に従うことを助長してしまうということです。そもそも「子供たちは称賛、称揚に非常に敏感」であるから、「良いことをやったときに、父親は子供たちをおだててほめ、悪いことをしたときに、冷淡な無視したような顔つきを見せ」ること(p.70)、このような尊敬と不名誉によって、子どもの行動をコントロールすることが重要だと言うのです。

 つまり、ロックは行動の背後にある認識に着目していると言えるでしょう。同じよい行動をしていたとしても、それは自分の欲求を満たすためのものなのか、正しいと判断してのことなのかを見極めなければならないということです。

 この「認識への着目」という点は、ロックの教育論の大きな特徴です。例えば、「泣き叫ぶことについて」(p.167)という章では、泣き叫ぶという言動の背後にある認識に応じて対応を変えるべきだと主張しています。

 ロックによると、泣き叫ぶ理由は2つあり、1つは「支配権を得ようとの努力」であり、もう1つは「苦痛とか真の悲しみの結果であり、そういうものに苦しむ自分自身を悲しんでいる」ということです。

 少しイメージを描いてみるならば、前者はいわば駄々っ子というものでしょう。自分の欲しいものを買ってもらえなくて、お店で大泣きしている子どもは、そうすることによって、両親の行動を支配しようとしているのだと捉えることができます。これに対して後者は、例えば、転んだ、ボールが当たったなどで痛くて泣いている子どもということになります。

 そして「これら二つのものは、注意深く観察するなら、態度、顔付き、動作によって、とりわけその泣き声の調子で容易に区別でき」ると述べています。その上で、駄々っ子のように泣く場合は厳しく対応しないといけないが、苦痛で泣いている場合は穏やかに対応しないといけないと述べています。この対応の是非については様々な考え方があるでしょうが、重要なのは同じ泣くという行為に対しても、その背後にある認識の違いを見て対応を変えるべきだと主張していることです。

 他にも、子どもが何か悪いことをしたときにどう対応するべきかという問題についても、ロックは次のように述べています。

「子供がどんな失態をやっても、またその結果がどうあろうとも、注意するにあたって考慮すべきことは、ただいかなる根源から発しているかということと、それはどんな習慣をつけることになるかということだけです。そしてその矯正も、その方向に向けられるべきで、遊びごとや不注意から起こったかも知れないような危害に対しては、どんな罰も子供たちに加えてはならないということです。直さなくてはならぬ過ちは、心にあります。そしてもしその過ちも、年嵩が行けば治るか、悪い習慣が後からつかぬものであれば、現在の行動が現在どれほど不愉快な状況を伴っていても、なんら責めることなく、大目に見てやるべきです。」(pp.187-188)


 つまり、子どもの失態について、単なる不注意なのか、それとも意図的にやったのかを判断し、単なる不注意で、それが成長とともに治るようなものであれば、大目に見ればよいということです。一言でいえば、どのような認識で行ったのかを見なければならないということです。

 このようにロックは子どもの言動の背後にある認識に目を向けることを説いたのです。認識に目を向けて適切に働きかけることによって、自らの欲望を抑えることに慣れさせることこそ教育として重要だと主張したのです。
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2016年08月14日

ロックの教育論から何を学ぶべきか(2/5)

(2)ロックは個人の発展が社会の発展につながるという視点を提示した

 前回は、相模原事件を受けて一人ひとりの人間をどのように捉えるかが大きく問われているということ、教師としては人類が歴史的にどのような人間観を形成していったのかを教育学の歴史から把握しておく必要があるということを説きました。その教育学の歴史を把握しようとする試みとして、本稿ではロックの教育論に焦点を当て、そこから学ぶべきものを明らかにしようとしています。今回は、ロックの人間観・教育観について見ていきたいと思います。

 前回見てきたように、当時のイギリス社会はジェントリやヨーマンといった経済的な力を蓄えた人々が政治の実権を握っていったのでした。一方で、土地を追われた農民は労働者として毛織物工業などに従事したり、浮浪者となったりしました。こうした経済的に貧しい人々を支えていた村や教会の力が弱まる中で、増加していく貧民をどう扱うかということが国家的な問題として浮上してきたのです。このような背景のもとで、ロックは紳士の教育と貧民の教育という形で2つに区分して論じたのです。

 では、紳士の教育についてはどのような見解をもっていたのでしょうか。ロックは、紳士の教育について説いた『教育に関する考察』の冒頭部分で次のように述べています。

「自分の生まれつきの才能で、ゆりかごのいる幼児の時代から、まっ直ぐに、いわゆる卓抜な人物になって行き、この彼等の仕合わせな素質の特権によって、世人を驚かすことを行なうことができるということを、わたくしは認めます。しかし、こんな人たちの例はほんのわずかで、われわれが出逢う万人の中で、十人の中九人までは、良くも悪くも、有用にも無用にも、教育によってなるものだと言って差し支えないと思われます。教育こそ、人間の間に大きな相違をもたらすものです。われわれの敏感な幼年時代に与えられた、わずかの、言いかえればほとんど感じられないくらいの印象が、非常に重大な、また長続きする影響を与えるのです。」(p.14)


 つまり、人間の様々な違いは基本的には教育によってもたらされるものだということです。そして、どのような教育を与えるかがその後に非常に大きな影響を与えるのだということです。ロックは人間の精神はもともと何の観念ももっていないのだと考えていました(精神白紙説)。したがって、もともと人間に違いはないということになります。その違いを生み出すのが教育だということです。

 このように、ロックは教育の及ぼす力を認識していたのです。それと同時に、人間は教育によっていかようにも育つということで、人間の可能性(および危険性)ということに着目していたのです。これは「人間は教育によって人間となる」というコメニウスの人間観を受け継いだものだと言えるでしょう。

 では、どのような人間として育てればよいのかという点について、ロックは、人間は理性的動物(正しいことを判断して行動できる動物)だと捉え、自らの欲望を押さえるそのような存在として育てるように主張しています。

「あらゆる徳と価値の偉大な原理と基礎がおかれていますのは、人間は自己の欲望を拒み、自己の傾向性をおさえ、欲望が別の方向へ傾いても、理性が最善と示す処に純粋に従うことができるという点です。」(『教育に関する考察』pp.46-47)


「身体が精神の命令に従い、それを実行することができるように、体力と活力を保持する適切な注意が払われますならば、そのつぎの主要な仕事は、あらゆる場合に精神が理性的動物の尊厳と美質に適した事柄しかしないように精神を正しくすることです。」(同上書、p.46)


 このように、ロックは紳士の教育に関わって、人間は教育によってこそ大きな違いがもたらされるのだと考え、理性的な存在として育てるべきだと主張したのです。

 続いて、貧民の教育についてのロックの見解を見てみましょう。そもそも貧民の問題はイギリスでは社会秩序の維持という観点から取り上げられており、1572年に貧民の生活を政府が税金で補助する救貧法が定められました。その後、1601年に定められたエリザベス救貧法は、近代社会福祉制度の出発点とされています。しかし、貧民の増加とともに政府の負担が大きくなり、救済の方法のあり方が検討されるようになります。そうした中で、ロックが救貧法改正についての提案の原案を作成したのです。ここでは、田中浩他『ロック』(清水書院)をもとに、その提案の内容を見ていきたいと思います。

 提案では、貧民のうちには能力的に働けない者や、働けるけれども働く場所がない者、働けるのに怠けて働かないものがいることを踏まえて、働けない者は孤児院や養老員に入れて生活の面倒をみる一方、働けるものには働く場所を与えたり、技術の訓練をしたりして働かせることを提案しています。そうすれば、救貧のための負担が軽くなるだけでなく、貧民を働かせることによって国が豊かになるから一石二鳥だと考えられたのです。また、貧民の子どもについても、労働学校に入れて教育すれば、自分の生活費と教育費ぐらいは自分でかせぐことができるようになると主張しています。

 このようなロックの教育論について、同上書において「ロックの教育思想」の章を執筆した浜林正夫氏は、エラスムスが「すべての子どもを自由な人間としてあつかい、子どもの人格を尊重せよ」というヒューマニズムの流れを創り、これをコメニウスが発展させたとした上で、「ジェントルマンのための教育論は、基本的にはエラスムス以来のヒューマニズムの流れのうえにたっている」が、「このヒューマニズムの教育論を、すべての民衆へひろげるという考え方はなくなって」おり、「貧民の教育をヒューマニズムの立場からではなく、安上がりの労働力の養成という立場から考えている」と批判的に評価しています(pp.174-175)。

 確かに、同じ人間であるにも関わらず、その教育のあり方を区別するというのは、人間観の狭さを表すもののようにも思われます。つまり、人間は教育によって人間となるといっても、その人間とはあくまでも紳士のことであり、貧民は含まれないのだということです。

 しかし、当時のイギリス社会では、経済的・政治的な実権を握る紳士階級とそうでない貧民階級という社会的な役割の異なる2つの階級が存在していたのでした。そもそも教育とは社会の維持・発展のために行われるのであり、個人の側から捉えれば、社会で生きていけるようにするために行われるものです。したがって、社会的な役割が異なる階級が存在する社会であれば、それぞれの階級に応じて教育を考えるのは当然だと言えます。極端な例を言えば、王と一般人という区別がある社会において、王の子どもと一般人の子どもの教育は異なっていて当たり前であり、一般人の子どもに王としての教育を行ってもその子は生きていけないということです。

 また、その貧民の教育についての提言を見てみると、そこにはコメニウスから受け継いだ人間観が貫かれていることがわかります。それ以前の貧民救済は経済的な支援のみであり、さらに社会秩序を脅かさないためという消極的な観点から行われていたのでした。それに対して、ロックは教育を与えることを提案しているのであり、それが国富を増やすという意味で国家にとってプラスとなるのだと主張しているのです。つまり、貧民(の子ども)であっても教育すれば成長するのであり、とりわけ社会に役立つ存在となりうるのだということです。つまり、あらゆる個人は成長する可能性をもつのであり、それを保証することが社会の発展につながるのだということです。

 このように、ロックはコメニウスの人間観・教育観を受け継ぎつつ、当時のイギリス社会の維持・発展という観点から教育のあり方を考える中で、個人の発展が社会の発展につながるのだという視点を提示したのです。
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2016年08月13日

ロックの教育論から何を学ぶべきか(1/5)

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○目次
(1)ロックの教育論から何を学ぶべきか
(2)ロックは個人の発展が社会の発展につながるという視点を提示した
(3)ロックは子どもの認識に目を向けて習慣を形成することを説いた
(4)ロックは教師は子どもの理性として統括しなければならないと主張した
(5)科学的な人間観を子どもに伝えていかなければならない
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(1)ロックの教育論から何を学ぶべきか

 7月26日、神奈川県相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」にて、死者19人、重軽傷者26人を出す事件が起きました。本当に痛ましい、凄惨な事件であり、亡くなった方のご冥福をお祈りするとともに、関係者の方々に心よりお見舞い申し上げたいと思います。

 この事件では植松容疑者が「障害者はいなくなればいい」「障害者を殺せば税金が浮く」と話しているということです。非常に歪んだ考え方であり、そうした考え方に基づいて行った犯行は、障害児教育にも関わる筆者としては、決して許せるものではありません。

 これは障害をもつ方々、その家族、および関係者に対して、大きな波紋を広げました。「障害があっては生きていてはいけないのか。殺されないといけないのか」という重い重い問いを突きつけるものだったからです。この事件を受けて、知的障害者の権利擁護と政策提言を行っている「全国手をつなぐ育成会連合会」は早急に声明を出し、「安心して、堂々と生きてください」と呼びかけています(注1)。

 しかし、一方で、現在の日本社会には、容疑者の考え方を支持する見解が存在することも確かです。例えば、石原慎太郎元東京都知事は、1999年に障害者施設を訪れ、「ああいう人ってのは人格があるのかね」「絶対よくならない、自分が誰だか分からない、人間として生まれてきたけれどああいう障害で、ああいう状況になって……」「おそらく西洋人なんか切り捨てちゃうんじゃないかと思う」「ああいう問題って安楽死なんかにつながるんじゃないかという気がする」などと発言しています。つまり、障害のある人間は人格がなく、何らかの形で切り捨てることを考えるべきだという主張です。同様の見解はネット上などで様々に存在しており、決して容疑者のみに存在する特異な考え方とは言えないでしょう。

 こうした考え方の背後にあるのは、「個人は社会の役に立つべきだ。役に立たない人間はいらない。」ということです。これは一定の正当性をもっています。例えば、仕事の能力がなければ、会社(という小社会)をクビになることはあります。しかし、これを社会一般に拡大してもよいのでしょうか。また、役に立つとはどういうことなのでしょうか。もし働いて経済的・文化的に貢献するということだとすると、例えば重い病気にかかって余命が少ない子どもや乳児などはそれができませんから、さっさと死んでしまった方がいいということになります。果たしてそうなのでしょうか。

 これは結局、社会と個人の関係をどのように捉えるかという問題です。また、一人ひとりの人間をどのように捉えるかという人間観の問題なのです。

 子ども、さらには障害児に直接的に関わる教師は、この問題を避けてとおるわけにはいきません。一体、これまで人類が人間というものをどう捉えてきたのか、教育というものをどう捉えてきたのか、その歴史的な歩みを辿り返して自らの血肉とすることが求められます。これが個体発生は系統発生を繰り返すということであり、系統発生を繰り返してこそまともな個体発生になるということです。

 その系統発生である教育学の歴史をつかむべく、今年、筆者は教育学の歴史で著名な人物の教育論を把握していく取り組みを行っています。前稿「コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして」においては、近代教授学の祖と呼ばれるコメニウスの意義を次のようにまとめました。つまり、「コメニウスは17世紀という時代の社会的認識を受け継ぎながら、『すべての人間は教育によって人間となる』という科学的な人間一般論(につながる主張)を提示し、そして、科学的な姿勢で教育方法の探求を行ったということになります。一言で言えば、内容面と方法面において科学的教育学の基礎を築いたということになる」ということです。とりわけ、障害児も含めて、いかに素質としては劣った人間であっても教育によって改善されないものはないという内容を主張している点に着目していました。このように、コメニウスは非常に幅広い人間観を提示していたのでした。

 このコメニウスに次いで教育学の歴史に登場してくるのがジョン・ロック(1632-1704)です。ジョン・ロックと言えば、精神白紙説を唱えた哲学者として、また、社会契約説を唱えた政治思想家として有名ですが、教育に関しても言及しています。

 ロックが生きた時代はピューリタン革命(1640)・名誉革命(1688)という二度の革命が起こった時期であり、まさに中世から近代へと移り変わる時代でした。生産力の向上に伴い商品交換が発達すると、その担い手となった商工業者(ジェントリ)が大きな経済力をもつようになりました。また、領地に縛られていた農民の中にも、経済力を蓄えて領主の支配から逃れ、独立自営農民(ヨーマン)として農業を経営するようになりました。彼等は土地を囲い込んで毛織物工業にも力を注ぐようになり、経済的に大きな力をもつとともに、さらに議会派を構成し、政治的な発言力も強めていきました。やがて、議会を無視して課税を課したり、営利や蓄財を認めるカルヴァン派を抑圧して国教を押しつけたりする国王と対立するようになり、2度の革命が起こったのです。

 ジェントリ階級の人間として生まれたロックは、反体制派であったシャフツベリ伯爵の秘書兼侍医として日々を過ごし、新政府の樹立後は政治や経済にかかわる政策についての相談役として見解を述べるようになります。

 このようにロックは当時のイギリス社会の維持・発展に大きく関わる中で、自らの見解をまとめ『統治二論』『人間知性論』(1690)などの著作を執筆したのです。教育に関わっては、『教育に関する考察』という著作を残しています。これはロックの友人、エドワード・クラーク氏に宛てた手紙をとめ直したものです。そこには、紳士(ジェントルマン)となる人間をどのように育てればよいのかについて、ロックの見解が記されています。また、1697年に貿易植民委員会が政府へ提出した報告書(ロックによる原案作成)の中に含まれている救貧法改正についての提案が、貧民の教育についてのロックの思想をあらわしたものだとされています。

 本稿では、このロックの教育論に焦点を当て、そこから学ぶべきものを明らかにしたいと思います。ロックの教育論は紳士の教育と貧民の教育という形で分けて考えたとされていますが、このことをどう捉えればよいのか、ロックの人間観や教育観はどのようなものだったのかを最初に見ていきたいと思います。その上で、『教育に関する考察』に特に焦点を当てて、そこから掬い取るべき特徴を「子どもの認識に目を向けた」という点と「教師としてのあり方を説いた」という点に着目して見ていきたいと思います。

(注1)
「全国手をつなぐ育成会連合会」の声明は以下のHPから読むことができる。
「神奈川県立津久井やまゆり園での事件について(声明文)」
http://zen-iku.jp/wp-content/uploads/2016/07/160726stmt.pdf
「津久井やまゆり園での事件について (障害のあるみなさんへ)」
http://zen-iku.jp/info/member/3223.html
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2016年06月22日

コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして(5/5)

5.コメニウスは科学的教育学の基礎を築いた

 本稿は、「近代教授学を成立させた人物」「近代教育の祖」と呼ばれるコメニウスを取り上げ、彼が教育の歴史においてどのような意義をもっているのか、そこから現在の我々は何を学ぶべきかを明らかにしようとするものです。ここで、これまでの流れを振り返ってみましょう。

 まずコメニウスが生きた17世紀とはどのような時代だったのか、それを踏まえてコメニウスはどのような問題意識を抱いたのかを見てきました。中世ヨーロッパでは階層的な身分秩序が成立し、その身分秩序をキリスト教がイデオロギーとして支えていたのでした。そして、キリスト教の担い手である教会に従って生きることこそがよいとされたのです。ところが生産活動の拡大とともに人間が自らの力に対する自信を取り戻す一方、階層的な身分秩序が崩れて教会の権威が揺らぎ始める中で、自分のアタマで考えようとする動きが高まったのでした。こうしてルネサンス、宗教改革が行われたのでした。ルターは、人間は神の下に平等であるから、各自がしっかり聖書を読み、それに基づいて自らのアタマで判断し行動していくことが重要だと主張したのでした。コメニウスはこのルター派の立場に立つモラビア同胞教団の教師として活動をしていましたが、モラビアを支配していた旧教のハプスブルグ家との対立が激化し、やがて三十年年戦争につながったのでした。こうした中で祖国を追われたコメニウスは、平和なキリスト教社会を実現することを理想とし、そのために教育に力を注いだのでした。

 続いて、コメニウスの人間観に着目し、その意義について見てきました。コメニウスは、人間の究極の目的は来世での幸福であり、母胎→現世→来世という過程を辿るとした上で、現世での生活は来世での準備であると説いていました。その準備としては、自己を知り万物を知ること(科学)、自己を統御すること(道徳)、自己を神にさし向けること(宗教心)という3つがあり、神のもとにあらゆる人間は平等であるから、すべての人間がこの準備のために教育を与えられなければならないのだということでした。さらに神の似姿として生まれた人間には、この3つの萌芽が植えつけられているのだが、教育を受けなければ人間と呼ばれる存在になることはできないし、逆に、どんな愚鈍で薄弱なものも、教育を受けることによって改善していくのであると主張していたのでした。このように、人間は神のもとに平等だというルターの考え方を受け継ぎつつ、障害児も含めたすべての人間が教育によって成長する可能性をもっていると指摘したこと、人間と教育に対して深い信頼を寄せたことが大きな意義だということでした。

 最後に、コメニウスがどのようにして教育方法の原則を導き出してきたのかを見てきました。コメニウスは『大教授学』において、様々な教育の原則を提示しているのですが、その説き方には一定の流れが存在していたのでした。つまり、まず冒頭で自然の原則が掲げられた後、その原則が正しいことが様々な例を使って明らかにされ、それを踏まえて当時の学校教育のあり方の問題点を指摘し、どうあるべきかを主張するという流れになっていたのでした。これは事実から論理を導き出し、その論理でもって事実に問いかけていくというあり方であり、非常に科学的な姿勢であるということでした。そもそも17世紀は、この世界に法則性が存在していること、そしてその法則性は人間の力によって認識することができるということが自覚されるようになった時代であり、コメニウスはこのような社会的認識を受け継いでいたのだということでした。

 以上を端的にまとめるならば、コメニウスは17世紀という時代の社会的認識を受け継ぎながら、「すべての人間は教育によって人間となる」という科学的な人間一般論(につながる主張)を提示し、そして、科学的な姿勢で教育方法の探求を行ったということになります。一言で言えば、内容面と方法面において科学的教育学の基礎を築いたということになるでしょう。これこそがコメニウスの歴史的意義だと言えます。

 このような歴史的意義をこそ、我々は学ぶべきであるし、教員養成課程において教えるべきものだと言えるでしょう。

 そもそも、「すべての人間は教育によって人間となる」という科学的な人間一般論がなければ、教育は成り立ちません。現場に立てば、様々な子どもを目の当たりにします。勉強がまるでできなくて、テストで0点とか10点とかばかりとっている子、重い障害をもっていて、こちらの呼びかけに対して何らの反応も示さない子、非常に反抗的で教師の言うことなど全く聞かない子などです。こうした子どもたちを目の前にして、「この子たちはどうしようもない子だ」となってしまったのでは、教育は始まりません。「今はこんな子であっても教育をすれば変わっていくはずだ」という見方があるからこそ、教育が行われるのです。ある意味、科学的な人間一般論は教師の心の支えでもあると言えるでしょう。これはしっかりと教員養成課程において学ばせるべきものです。

 ただ、そうは言っても、なかなか現実に子どもを変えていくことは難しいものです。様々な方法を試してみるけれども、うまくいかないことの方が多くなります。しかし、こちらがどのような働きかけをすれば子どもはどのような反応を返してきたかという事実をしっかりと記録し、その事実を振り返っていけば、徐々に徐々にうまく対応できることが増えていきます。そして、「確かに人間は教育によって人間となるのだな」という実感を得ることができるようになります。このようにあくまでも事実をもとにして自らの働きかけ方を考えていくこと、このような科学的な姿勢を身につけていくこと、これもまたコメニウスから学ぶべきものだと言えるでしょう。

 また、新任教員ということに関わっては、「すべての人間は教育によって人間となる」という論理は教師自身にも当てはまるということも伝えていく必要があるでしょう。つまり、「教師も教育によって教師になる」ということです。子どもとの関わりの中で、徐々に教師としての自分が形成されていくのであって、最初からうまくいくはずがないし、それで当たり前なのだということです。

 これらのことをしっかりと学ばせられていなかったからこその、冒頭で紹介したような悲劇が起こったのだと言えます。複数の児童の靴や体操着が隠されるなどのトラブルが発生し、また保護者から苦情も来る中で、信念をもって取り組んでいくことができなくなり、そういう(教師としての)自分を全否定してしまった結果の自殺ということになるのだろうと思います。「一生懸命教師を目指した」にも関わらず、このような結末になったことは本当に残念でなりません。

 教師を志す学生がこのような将来を迎えないで済むようにすること、高い専門性を身につけて実践に取り組めるようにすること、それによって教師全体の社会的な権威を高め、平和で民主的な国家及び社会の形成者の育成という教育の目的が果たされるようにすること、これらが現代日本においては非常に大きな課題であり、そのために教員養成課程のあり方はしっかりと問い直していく必要があります。

 私もいずれ教師を志す学生に指導をすることになります。その時に、学生たちに「人間は本当に教育によって変わるんだな」「でも、先生もいろいろと失敗しながら、そういうことができるようになっていったんだな」と感じてもらえるように、自分自身の実践を積み上げていくことを決意して、本稿を終えたいと思います。
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2016年06月21日

コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして(4/5)

4.コメニウスは一般的な運動・変化・発展の法則性から教育方法を導こうとした

 前回は、コメニウスの人間観にかかわって、どのような意義があるのかを見てきました。コメニウスは、ルターの思想を受け継ぎつつ、いわゆる落ちこぼれや障害児も含めたすべての人間が教育を受けるだけの能力を備えているのであり、教育によって人間となることができるのだと主張したのであり、人間や教育に対して深い信頼を寄せたことがコメニウスの大きな意義だと言えるのだということでした。

 このようなコメニウスの考え方に立てば、子どもの成長が見られない場合、決して子どもの能力が不足しているわけではなく、教師の側の働きかけに何らかの問題があるということになります。逆に言えば、適切な働きかけが行われれば、しっかりと子どもは成長していくのだということになります。その適切な方法とはどのようなものなのかを明らかにしようとしたのが『大教授学』です。『大教授学』では様々な原則が提示されていますが、その原則を導き出す過程が特徴的なものとなっています。今回はその点に焦点を当てて見ていきましょう。

 コメニウスは「第16章 教授および学習の一般的要求、即ち目指す結果が、必然的に到達せられるような確実性を持った教授及び学習の方法。」において9個の原理を、「第17章 教授及び学習を容易にするための原理」において10個の原理を、「第18章 教授と学習とを徹底的に行うための諸原理」において10個の原理を掲げています。その中身を見てみると、「自然はその働きを営むに当り、決して混乱することなく、その前進に当っては、或一点から次の一点へと、整然と進行を続ける」「自然はその統べての形成を普遍的なるものから初めて、特殊的なるものにおいて終る」「自然は材料を入念に選択して(すべての不潔なものや非本質的なものを)除去することから出発する」「自然は容易なることから困難なることへと進歩する」などが挙げられています。普遍的なものから特殊へと進むことや、簡単なことから難しいことへと進むことなど、現在でも生かされているような原則が掲げられており、ここでもコメニウスの偉大さが感じられます。

 さて、ここで問題にしたいのは、コメニウスがどのようにしてこれらの原則を導き出したのかという点です。ここで注目していただきたいのは、すべての原則において主語が「自然は」となっている点です。つまり、我々が住んでいるこの世界(自然)にはこういう法則性があるから、教育の世界においてもその法則性が貫かれているはずであり、それを生かしていかなければならないという流れでコメニウスは説いているのです。少し具体的に見てみましょう。

「自然はその働きを営むに当り、決して混乱することなく、その前進に当っては、或一点から次の一点へと、整然と進行を続ける。

 例えば、自然が一羽の小鳥を創ろうとする時は、骨、血管、神経などを同時に作らないで、各別個の、判然と区別された時期に於てこれを創るのである。(中略)

 大工が基礎工事をなす時には、それと同時に壁を作るようなことはしない。況んやそれと同時に屋根を葺くようなことはもっての外である。(中略)

 同様に画家は、同時に二十も三十もの絵を描くことをしないで、ただ一つの絵だけに専心する。(中略)

 同様に園丁は、いくつもの苗を同時に植えることはない。常にこれを一つずつ植えて、これを混同してしまったり、自然の働きを損ったりしないようにするのである。

 学校では学生に、一時に沢山の事を教えようと努力することによって混乱に陥っている。例えばラテンとギリシャとの文法を同時に教えたり、修辞学と詩その他沢山の教科を同時に教えようとすることによって。(中略)

 我々はこれらの人々を模倣して、文法を学んでいる学生に弁証法を教えたり、或は更に修辞学を教えようとしたりして、彼等を混乱せしめないようにしようではないか。(中略)

 それ故に学校は、学生がいつも一時にただ一事を学ぶことができるよう組織されねばならない」(pp.158-160)


 まず冒頭で「自然はある一点から次の一点へと順番に前進する」という自然の原則が掲げられ、その原則が正しいことが様々な例を使って明らかにされています。それを踏まえて当時の学校教育のあり方の問題点を指摘し、どうあるべきかを主張するという流れになっています。このような説き方は他の原理の場合でもまったく同様なものとなっています。動物の例が出されていること、画家や大工の例が出されていることまでまったく同じです。

 これはつまり、様々な事実から一般的な論理を導き出し、その一般的な論理でもって特定の事実に問いかけていくというものです。そもそも科学とは事実から論理を導き出し、それを体系化したものですから、このようなコメニウスのアタマの働かせ方は、非常に科学的なものだと言えるでしょう。

 こうしたことが行われる前提として、自分のかかわっている対象が法則性をもっていること、そしてその法則性は自らの力によって導き出してくることができること、こうしたことが認識されている必要があります。コメニウスが生きた17世紀はまさにそのような認識が社会的認識として成立した時代であり、コメニウスはそうした時代精神を受け継いでいたのだと捉えることができるでしょう。

 このようにコメニウスは、当時の時代の社会的認識を受け継ぎつつ、自らのアタマを働かせながら、自然に潜む一般的な運動・変化・発展の法則性を事実から把握し、その法則性でもって自らの専門である教育のあり方に対して問いかけていったのであり、非常に科学的な姿勢で教育という対象に迫っていったのです。ここは教育の歴史において、大きな意義のある点だと言えるでしょう。
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2016年06月20日

コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして(3/5)

3.コメニウスは人間と教育の可能性に深い信頼を寄せていた

 前回は、コメニウスが生きた17世紀のヨーロッパとはどのような社会であり、その中で彼がどのような問題意識を抱いていたのかを明らかにしました。端的には、17世紀のヨーロッパは教会の権威が失墜し、個々の人間が自らの力に対する自信を取り戻していく時期にあったのでした。そうした中でルターによる宗教改革が行われ、ルター派(新教)とカトリック派(旧教)の対立が激しく行われていたのでした。コメニウスが生まれたボヘミアはまさにその中心点だったのであり、三十年戦争の中で祖国を追われたコメニウスは平和なキリスト教社会を自らの祖国に実現することを自らの問題意識として抱いて教育に取り組んでいたのだということでした。

 では、その成果である『大教授学』の中身はどのようなものであり、歴史的にどのような意義のあるものと言えるのでしょうか。今回は、人間観という観点から『大教授学』の中身を見ていきたいと思います。

 本稿の冒頭で紹介しましたが、コメニウスの有名な言葉として、「すべての人々にあらゆることを教授する技術」というものがあります。これは自らの『大教授学』を説明したもので、もう少し詳しくは次のように書かれています。

「すべての事を、すべての人々に教えるための普遍的な技術を論述したる大教授学或はすべえのキリスト教国のあらゆる教区、都市、村落において、男女両性のあらゆる若者が、ただの一人も除外されることなく、迅速に、愉快に、徹底的に科学を学び、特性を養い、敬虔の心を充され、かつまたこのような仕方で、青年が現在および将来の生活のために必要なすべての事物を学び得るところの学校を建設するようにとの勧告の書」(p.13)


 この「すべての人々」「ただの一人も除外されることなく」という部分にコメニウスの人間観が大きく表れていると言えます。

 中世においては、階層的な身分制度が成立していましたから、教育を受けられるのは一部の特権階級の人間だけでした。上記の内容は、そうした点を批判して、一般民衆にも教育を受けさせるべきだと説いているものだと言えます。しかし、コメニウスの主張は、そこに留まるものではありません。もう少し詳しく見ていきましょう。

 コメニウスによれば、人間の究極の目的は来世での幸福であり、母胎→現世→来世という過程を辿るとした上で、母胎での生活が現世の準備であるように、現世での生活は来世での準備だとされます。その準備としては、自己を知り万物を知ること(科学を修得すること)、自己を統御すること(道徳を治めること)、自己を神にさし向けること(宗教心を養うこと)という3つがあり、神のもとにあらゆる人間は平等であるから、すべての人間がこの準備のために教育を与えられなければならないのだというのです。

「神は一視同仁で、個人個人に対して何等の依怙贔屓もしないことを表明している。それ故に若しも我々が、或人間には精神の教育を施し、他の人間にはこれを許さないということになれば、我々は生来我々自身と同じ素質を持った人間に対して侮辱を加えることになるばかりでなく、神そのものをも冒涜することになるのである。」(p.92)


 人間は神の下に平等であるという考え方は、ルターからの影響を大きく受けていると言えるでしょう。

 さらに神の似姿として生まれた人間には、この3つの萌芽が植えつけられているのですが、教育を受けなければ人間と呼ばれる存在になることはできないのだと主張しています。

「人は、人間としての務めを果すことを学んだものの、換言すれば人間の人間たる所以のものに於て、訓練せられた者でない限り、何人といえども人間と呼ばれることはできないのである。」(p.74)


「幼少の頃野獣に捕えられ、動物の間で育てられたものは、その知力が動物以上の水準に達するものでないということは、幾多の実例によって記されている。もしも彼らが一度も人間の社会に接触することがなければ、彼らは動物以上に、言葉を話すこともできねば、手や足を働かすこともできないであろう。」(p.76)


 このようにどんな人間であっても教育を受けなければ人間になることができないと主張する一方、どんな愚鈍で薄弱なものも、教育を受けることによってその性質は改善していくのであると主張しています。

「人の素質が、遅鈍であり、薄弱であればある程、このような生まれつきの動物的な愚鈍、愚昧から解放されるために、より多くの援助を必要とする。のみならず、およそ世に、教育によって之を改善することができない程、その智力の薄弱なるものはないのである。」(p.93)


 少し現代的な言葉で言えば、いわゆる「落ちこぼれ」の人間こそ、その状態から抜け出すためにより多くの援助(教育)が必要なのであり、それは絶対に可能なのだということです。さらに、このことは、現代でいう障害児においても当てはまるのだとコメニウスは主張しています。

「普通の人々は、常にみな神の恩寵によって教育を受けるに十分の能力を持っているのである。実に知性の全然欠如した人間というようなものは、丁度生まれつき手足の完全にそろっていないものが稀れであるのと同様に、極めて稀な現象である。というのは、実際盲、聾、及び虚弱などが、揺籠の中から人間につきまとうことは極めて稀で、これらはその後の不注意によって生ずることが多い。そして例外的な知能薄弱に於てもまたこの事が当てはまるのである。」(p.119)


 このように例外的な知能薄弱(障害児)であっても、教育を受けるに十分の能力を持っているのだとコメニウスは主張しているのです。17世紀という時代において、障害児も人間としての一般性が貫かれた存在だと見ることができたのは、非常に画期的なものだということができるでしょう(注)。

 以上のように、コメニウスは、ルターの思想を受け継ぎつつ、いわゆる落ちこぼれや障害児も含めたすべての人間が教育を受けるだけの能力を備えているのであり、教育によって人間となることができるのだと主張したのです。このように人間や教育に対して深い信頼を寄せたことがコメニウスの大きな意義だと言えるでしょう。

(注)コメニウスが著した世界初の絵入り教科書『世界図絵』では、43番の項目が「変形と異常発育の人」となっています。どのような意図でこの章を記述したのかは明確ではありませんが、コメニウスの人間観を見ていくうえで、非常に示唆的なものだと言えるでしょう。なお、この章にかかわって、『世界図絵』の翻訳者である井ノ口淳三は「彼が、『すべての人』への教育の可能性と必要性を訴えた際、そこには『障碍者』も含まれており、それは当時においては画期的なことでした」と解説しています。
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2016年06月19日

コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして(2/5)

2.コメニウスは平和なキリスト教社会の実現を強烈な問題意識として抱いていた

 本稿は、「近代教授学を成立させた人物」「近代教育の祖」と呼ばれるコメニウスを取り上げ、彼が教育の歴史においてどのような意義をもっているのか、そこから現在の我々は何を学ぶべきかを明らかにしようとするものです。今回は、コメニウスの生きた17世紀とはどのような時代だったのか、その中で彼がどのような問題意識を抱いたのかを見ていきたいと思います。

 この時代のヨーロッパは、端的には、カトリック教会の権威が崩れ、個々の人間が自らの力に対する自信を取り戻していく時期にあったということができます。

 中世のヨーロッパでは、個々の独立した荘園を単位とした階層的な身分制度が成立していました。国王・諸侯・騎士が領主として、それぞれの土地の農民(農奴)を軍事的に保護する代わりに、その土地に縛りつけて生産活動を行わせるという仕組みが成立していたのです。こうした支配秩序を正当化するイデオロギーを提供していたのが、ローマ教皇を頂点としたカトリック教会です。このカトリック教会は、神と個々の人間をつなぐ存在として、国王を上回る絶対的な権力をもっていました。

 しかし、生産力の向上に伴い、生産活動や商業活動が活発になると、人々は次第に自分たちの力に対する自信をもつようになっていきました。また商人が力をもつようになり、農奴の中にも金を納めることで領主の支配から逃れる者も出てくる中で、次第にカトリック教会の主張する身分制度が絶対的なものではないことが明らかになってきたのです。さらに十字軍の失敗により、カトリック教会はその権威を大きく失墜させることとなりました。

 こうした時代の流れの中で、教会の権威に縛られるのではなく、自分のアタマで判断して生きていこうという考え方が芽生えてくることとなりました。これがルネサンスです。人々は、教会の権威に縛られない生き方を求めて、教会が成立する以前の古代の文化遺産に学ぶようになり、それを踏まえて新しい文化を創り上げていったのです。

 また、権威を失った教会が、その経済的な基盤を固めるために搾取を行っていたドイツでは、宗教改革が行われました。ルターは世俗にまみれたカトリック教会を批判し、教会の権威に従うのではなく、個々人が聖書をしっかりと読み、そこに書かれていることをもとにして行動していくべきだと主張したのです。このような主張の背景には、そもそも人間は神のもとに平等であるという考え方がありました。それにも関わらず、カトリック教会の司祭と一般の人々という形での区分すること自体がおかしいと主張したのです。

 このようなルターの考え方は、自分たちのアタマで対象をとらえ、判断していくべきだというものであり、自分たちの力で対象に潜む法則性(真理)をつかみとっていこうとする近代科学の成立と軌を一にするものでした。このルター派(新教)が徐々に広まり、カトリック教会(旧教)との対立が激しく行われていたのが17世紀のヨーロッパだったのです。

 コメニウスが生まれたボヘミア(チェコ・スロヴァキア)はまさにその対立の中心地でした。ここは、プロテスタント運動の先駆者であるフスの出生地であり、フスの流れをひく新教徒の教団「ボヘミア同胞教団」が成立していました。しかし、この地を支配したハプスブルグ家は旧教の立場に立っており、両者の対立が生じていました。やがて、熱烈なカトリック教徒で対プロテスタント強硬派として知られていたフェルディナントが王位につくと、これを認めないプロテスタントが反乱し、1618年、三十年戦争が勃発することとなりました。コメニウスはこの三十年戦争の時代に生きていたのでした。以下、コメニウスが『大教授学』を執筆するに至るまでの経緯を佐々木秀一『コメニウス』(岩波書店、1984年)を参考に見ていきたいと思います。

 1592年、コメニウスはボヘミア同胞教団の信徒の家に生まれました。12歳で両親を失うものの、16歳からラテン学校に入り学問を始め、20歳の時(1611年)にはハイデルベルクに移り、大学において神学を中心とした学習生活を送りました。彼はそこで、教育者として著名であったヴィヴェスや、事物中心の教育を行うことを主張したラトケを学び、その影響を受けました。彼等は教育のみならず、社会改革についても言及しており、特にラトケは自らの事業の1つとして「全国に統一的な言語、統一的な政治、統一的な宗教を招来し、且つ維持すること」があると述べています。このように、宗教や政治において対立する当時において、コメニウスは、それらを統一した平和な社会を築く必要性を学んでいたのです。

 1614年に祖国に戻ったコメニウスは、ボヘミア同胞教団所属の学校教師として平和な生活を送っていました。ラトケの教授法を使って、実際の教育に携わったのです。1616年には牧師に任命され、学校経営にも関わるようになりました。そしてこの時期に結婚し、幸せな家庭生活を送っていました。

 ところが、ここで三十年戦争が起こったのです。その戦乱はコメニウスの祖国に荒れ狂い、コメニウスは逃避生活を送ることとなりました。コメニウスはこの時期を回顧して「その神より与えられし職業を奪われ、その未来を奪われしのみならず、又多くの貴重なる過去(即ちその文庫、その手稿)をも奪われた」(佐々木秀一『コメニウス』、p.14)と述べています。さらに、この頃、妻も失い、結婚生活も終えることとなりました。失意と苦悩のどん底へ落とされたコメニウスは、当時の心境について、「あの不幸の闇が次第に広がり、最早尽力の助けに頼るべき望が絶無であると思われた時、私は言うべからざる不安に駆られて、夜となく昼となく、ただ只管に、人の世の慰めが心を安んずるに足らぬ今日、神のみは我等を見捨て給うことなきようにと祈りに祈った」(同上書、p.16)と書いています。

 やがて、ボヘミア同胞教団は禁止され、教団員は祖国を追われることとなりました。コメニウスもポーランドに亡命することとなりましたが、そこで当時注目されていた預言者コッターを知ることとなります。コッターは、近い将来においてカトリック教会及びハプスブルグ家が没落し、キリストが再現して、平和な王国が出現するということを様々な事実をあげて預言していたのです。コメニウスはこの預言に深く関心を抱き、これが聖書と矛盾しないことから、その実現を確信したのでした。そこで、コメニウスはその実現のために、教育のあり方を改善することを決意したのです。そのための教授指針を示すものとして、『大教授学』が執筆されたのでした。

 この経緯について、コメニウスは次のように語っています。

「我が祖国に於ける悲しむべき教会及び学校の没落に直面して、余は痛く心を傷めたが、同時に又、神の慈悲は必ずや再び我等に向けられるであろうとの希望を抱いていた。かくて我等は、この祖国の没落を救うべき方策を熱心に考究した。そして我等の達した結論は、先ず子弟の為に急速に学校を建てて、これに善き本と善き教授法を提供し、かくて最善の方法によって、科学的・道徳的・宗教的努力を正しき道に導くということであった。」(同上書、pp.23-24)


また、『大教授学』の冒頭において、コメニウスは次のように書いています。

「この我々の教授学の目指す全目的は(中略)キリスト教社会が在来のように暗黒、混乱、軋轢の場所とならずして、それによって却ってより多くの光明と秩序と平和と休息とを得るような教授法を探求し発見することに存している。」(p.14)


 つまり、現在のように混乱したキリスト教社会ではなく、平和なキリスト教社会を築くことを目的としているということです。そのためには学校を建てて、子どもたちに善い教育を行うことが重要であり、その教授法を発見しようとしたのだということです。

 このようにコメニウスは、新教と旧教との争いが激化する中で、平和なキリスト教社会を自らの祖国に実現することを自らの問題意識として抱いていたのです。そのためには教育が重要だと考え、その教育の方法(教授法)を探求したのです。
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2016年06月18日

コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして(1/5)

○目次
1.コメニウスの歴史的意義とは何か
2.コメニウスは平和なキリスト教社会の実現を強烈な問題意識として抱いていた
3.コメニウスは人間と教育の可能性に深い信頼を寄せていた
4.コメニウスは一般的な運動・変化・発展の法則性から教育方法を導こうとした
5.コメニウスは科学的教育学の基礎を築いた
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
1.コメニウスの歴史的意義とは何か

 今年の2月29日の日本経済新聞に次のような記事が掲載されていました。
「2006年、うつ病になって自殺した東京都西東京市立小の新任女性教員(当時25)の両親が、公務災害認定を求めた訴訟の判決で、東京地裁(吉田徹裁判長)は29日、業務が自殺の原因と認め、地方公務員災害補償基金が公務外として補償金を支払わなかった処分を取り消した。

 判決によると、女性は06年4月に採用され、2年生のクラスを担任。児童による万引きや、上履きが隠されるなどのトラブルが続き、保護者対応にも追われた。うつ病と診断されて同10月に自殺を図り、同12月に死亡した。基金は11年2月、公務外と認定した。

 吉田裁判長は、こうした出来事が新任教員にとって重い精神的負担だったが、学校側の手助けは不十分で、休んではいけないというプレッシャーを感じていたと指摘。「業務が原因でうつ病になり、正常な認識能力が阻害されて自殺に至った」と判断した。

 地方公務員の死亡やけが、病気などが公務災害と認められると、基金から本人や遺族に補償金が支払われる。

 判決後に記者会見した福岡県に住む父親(67)は「長く苦しい闘いだった。娘に早速、認められたよと報告したい」と話した。基金は「判決内容を精査して対応を検討する」とコメントした。」


 端的には、新任として2年生を担任した教員がクラスのトラブルや保護者対応に追われる中でうつ病を発症し、自殺を図ったことに関して、公務災害が認められたということです。

 改めて当時の状況を見てみると、5月に「児童が万引きを起こした」という情報を受け、保護者に連絡すると、保護者から「事実を示せ」と怒鳴られたり、6月ごろには複数の児童の靴や体操着が隠されるトラブルが発生したりしたようです。母親へのメールには「毎日夜まで保護者から電話とか入ってきたり連絡帳でほんの些細なことで苦情を受けたり…」と仕事の苦悩が記されていました。「泣きそうになる毎日だけど。。。。でも私こんな気分になるために一生懸命教師を目指したんやないんに…おかしいね」とも記されていたようです。ここでは保護者のことが中心ですが、保護者のあり方は基本的に学級のあり方に連動していますから、些細なことでも苦情を言わざるを得ないような学級の状態だったということだろうと思います。私自身、昨年度のクラスは学級崩壊の状態でしたし、過去に2年生を担任したときに苦しい状況に陥ったこともありますので、この新任の先生の苦悩は痛いほどよくわかります。こうして公務災害が認められたことは、遺族としてもよかったと思います。

 ただ、公務災害というのは、起こってしまった出来事に対するものでしかありません。そもそもこうした事態をどうやって防ぐのかをこそ考えていかなければなりません。自殺に至るようなケースはまれだとしても、同じような形で苦しんでいる新任の教員は決して少なくはありません。

 教育基本法第一条には、「教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」と書かれています。つまり、平和で民主的な国家及び社会を築くために教育は行われるのであり、その担い手となるのが教師です。その教師がこのような形で自殺をしてしまうような社会では、到底まともな教育を行うことはできませんし、まともな社会を創っていくことなどできません。

 こうした問題の背後にあるものとして、教師としての専門性が確保されていないという点が挙げられるでしょう。教育は誰もが経験しているものであるだけに、誰もが何らかの見解を述べることができます。したがって、保護者が自らの考えに基づいて何らかの苦情を言ってくることになります。そうしたときに、いかなる判断でいかなる対応をしたのかを専門的な観点から述べることができるような実力が教師には求められますが、その実力が形成されていないということです。その結果、教師の社会的な権威が崩れてしまっており、教育が大きく揺らいでいるというのが日本社会の現状だと言えるでしょう。

 したがって、教員養成課程そのものを大きく問い直していかなければなりません。文部科学省は「教員養成・免許制度の現状と課題」として、以下のように述べています。

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/attach/1337002.htm

「1) 平成11年の教養審第三次答申において、各大学が養成しようとする教員像を明確に持つことが必要であるとされながら、現状では、教員養成に対する明確な理念(養成する教員像)の追求・確立がなされていない大学があるなど、教職課程の履修を通じて、学生に身に付けさせるべき最小限必要な資質能力についての理解が必ずしも十分ではないこと

 2) 教職課程が専門職業人たる教員の養成を目的とするものであるという認識が、必ずしも大学の教員の間に共有されていないため、実際の科目の設定に当たり、免許法に定める「教科に関する科目」や「教職に関する科目」の趣旨が十分理解されておらず、講義概要の作成が十分でなかったり、科目間の内容の整合性・連続性が図られていないなど、教職課程の組織編成やカリキュラム編成が、必ずしも十分整備されていないこと

 3) 大学の教員の研究領域の専門性に偏した授業が多く、学校現場が抱える課題に必ずしも十分対応していないこと。また、指導方法が講義中心で、演習や実験、実習等が十分ではないほか、教職経験者が授業に当たっている例も少ないなど、実践的指導力の育成が必ずしも十分でないこと。特に修士課程に、これらの課題が見られること」


 つまり、教員養成に対する明確な理念がなく、教職課程の組織編成やカリキュラム編成が十分整備されていないこと、また実際の授業の中身も現場が抱える問題に対応していないことが課題だということです。

 特に3)で述べられていることについては、私自身の体験としても非常によくわかるものです。新卒教員として現場に立った場合、いったいどのように授業をすればよいのか、給食や掃除はどのようなシステムで行えばよいのか、子ども同士のトラブルにどう対処すればよいのかなどの問題にぶつかります。しかし、大学で学んだことはこうした具体的な問題に対して、何らの答えを与えてくれませんでした。おそらく多くの先生が同じような思いだろうと思います。

 こうなると、こうした具体的なノウハウレベルの指導法をこそしっかりと教員養成課程で教えるべきだという主張も生まれてくることになります。大学の教員養成課程のカリキュラムには「教育概論」「教育史」などの科目が存在していますが、こうしたものよりも、もっと現場で役立つノウハウこそ教えるべきだということです。もちろんそれはそれで重要ですが、果たしてそこまで言ってもいいのでしょうか。

 これは端的には、1)で指摘されているように、「教職課程の履修を通じて、学生に身に付けさせるべき最小限必要な資質能力についての理解が必ずしも十分ではない」ということに尽きるでしょう。つまり、「教育概論」「教育史」などの科目をとおして、現場に出ていく学生に何を伝えたいのかが明確にされていないということです。特に、「教育史」にかかわっては、単に過去にどのような教育が行われていたか、そして先人がどのような主張をしたかを紹介するだけでなく、それが現代にどのようにつながるのかまで明らかにしていかなければなりません。

 こうした問題意識に基づいて、本稿では「近代教授学を成立させた人物」「近代教育の祖」と呼ばれるコメニウス(1592−1670)を取り上げ、彼が教育の歴史においてどのような意義をもっているのか、そこから我々は何を学ぶべきかを明らかにしていきたいと思います。一般にコメニウスについては、「すべての人々にあらゆることを教授する技術」を提唱したとされ、そのための方法として、(文字で学ぶだけなく)子どもの感覚をとおして対象を理解させるべきだ(感覚主義)と評価されています。このようなコメニウスの主張はどのような時代背景に基づくものであったのか、また、歴史的にいかなる意味をもつものであったのかを明らかにします。

 そのために、まずコメニウスが生きた17世紀とはどのような時代だったのか、その時代においてコメニウスがどのような問題意識を抱いたのかを見ていきます。続いて、コメニウスが「すべての人々にあらゆることを教授する技術」を提唱するとして執筆した『大教授学』はどのような意味があるものだったのか、その人間観と教育方法の探求の姿勢という観点から検討していきたいと思います。
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2016年03月22日

仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―(5/5)

5.真のアクティブ・ラーニングの実現に向けて

 現在、日本企業の国際競争力の向上ということを大きな目的として、主体的に考える人間を育てる必要性が叫ばれており、そのための方法としてアクティブ・ラーニングが注目されています。しかし、日本社会を維持・発展させていくには、日本企業の国際競争力の向上のための人材育成という狭い視点で考えるのではなく、人類がこれからどのような社会を創っていくのかを踏まえて現代日本が抱えている諸々の問題を主体的に解決に導いていける国民を育てることこそが求められています。そのような国民を育てる真のアクティブ・ラーニングを実現するためにはどうすればいいのかを探るべく、本稿では仮説実験授業を取り上げ、その意義と問題点について見てきました。

 ここでこれまでの流れを振り返ってみましょう。

 まず、(アクティブ・ラーニングとしても紹介されている)仮説実験授業を取り上げ、それがどのような子どもを育てているのかについて見てきました。仮説実験授業では、自然科学におけるもっとも一般的で基礎的な諸概念を学びとらせるために、原則として、テキストに構成された「問題」をあたえ、それについて「予想」をたてさせ、ついでその予想をたてた考え(仮説)をだしあって、「討論」をおこなわせ、最終的には「実験」によって決着をつけさせていくのでした。このプロセスをくりかえすことによって、諸概念の習得ならびに科学の方法の獲得をはかっているのであり、実際に討論の過程や授業を受けた子どもの感想からは、自分のアタマを働かせて問題に取り組むことをとおして、問題に取り組む力を高めていくとともに、問題に取り組む姿勢が育っていることを見てとることができるのでした。まさに主体的に考える力や姿勢を身につけた子どもが育っているのでした。

 仮説実験授業でこのような子どもを育てることができたのはどうしてなのかを上達論の観点から検討しました。南郷先生の上達論では、技化の過程が大きく3つに区分されており、その中でも「覚えた技を使用に耐えうるように仕上げる段階」をしっかりと辿らせることが重要だということでした。そうすると時間がかかるため、習得させる技は限られている方がよいとういことでした。その観点で見たとき、仮説実験授業では自然科学上のもっとも一般的で基礎的な諸概念というごく少数の技を身につけさせようとしていること、さらに、繰り返しその諸概念を学ばせるプロセスを保障していること、この2つが大きく評価できるということでした。このように上達論に沿った授業となっているために、鈍才の子どもも含めて全員がその概念・論理を使えるようになってくるのであり、そのことをとおして、自分の力の向上を自覚し、新たな問題に取り組む姿勢が養われてくるのだということでした。

 最後に仮説実験授業の問題点について見てきました。板倉氏は自らの専門である自然科学史の究明を踏まえて、そこから導き出した論理(予想を立てて対象の構造に挑むという論理)を教育方法として組み込もうとしたのでした。この発想そのものは「個体発生は系統発生を繰り返す」という論理を適用したものであり評価できるものの、その系統発生が自然科学における人類の認識の発展過程に限定されているという問題点があるのでした。さらに、「個体発生は系統発生を繰り返す」とはいうものの、人類の認識の発展過程と個人の認識の発展過程は相対的な独立の関係にあるにもかかわらず、仮説実験授業では直接的に両者が結びついていたのでした。したがって、社会科学、精神科学を踏まえて人類の一般的な認識の発展過程を明らかにするとともに、そこを土台として個人としての認識の発展過程の特殊性を捉えていくことが今後の課題になるということでした。

 以上を踏まえて、真のアクティブ・ラーニングを実現するためのポイントを整理するならば、基礎的・基本的な論理を徹底的に技化することが必要であるということになります。では、(自然科学のみならず社会科学や精神科学も含めて)そもそも基礎的・基本的な論理は何なのか、その技化の過程(個人としての認識の発展過程)はどのようなものなのかを明確にすることが課題であり、そのためには自然科学史・社会科学史・精神科学史を踏まえて人類の認識の発展過程を明らかにしなければならないということになります。

 現在、筆者が考えている構想を教育課程というレベルで簡単にデッサンするならば、次のようになります。(4)で触れたように、対象に対して予想を立てるためには、様々な体験・経験を積んでおく必要があります。この体験・経験をまずは小学校低学年で保障しておくことが必要になります。低学年はまだまだ抽象的な思考ができませんから、このときに論理を学んでそれを使いこなしていくという学習はなじまないでしょう。

 そこから小学校中学年になると、徐々に抽象的に考える力が芽生えてきますから、基礎的・基本的な論理を学び、それを使って種々の問題に取り組んでいかせればよいと思います。

 さらに、思春期を迎える頃になれば、創られた問題ではなくて、現実の問題に取り組ませることも必要になってきます。例えば、学級で起こる様々な問題を自分たちの力で解決に導いて行かせるということです。学級とは子どもにとっての社会ですから、そこで起こった問題を解決させることは、自分たちが大人になったときの社会に存在している様々な問題を解決していくための力を養うことにつながるでしょう。

 こうした構想をより整え、具体化することにより、真のアクティブ・ラーニングが可能になるものと思われます。そのために、自然科学史・社会科学史・精神科学史、およびそれらを統括する哲学史をしっかりと学んで人類の一般的な認識の発展過程を明らかにするとともに、自らの教育実践の事実に基づいて個人としての認識の発展過程を明らかにする作業に取り組んでいくことを決意して、本稿を終えたいと思います。
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2016年03月21日

仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―(4/5)

4.仮説実験授業の問題点

 前回は、なぜ仮説実験授業は、子どもたちの主体的に考える力や姿勢をそだてていくのかという点について、南郷先生の上達論を踏まえて検討しました。上達論の観点からすれば、技化においては「覚えた技を使用に耐えうるように仕上げる段階」をしっかりと辿らせることが重要であり、またその段階を保障するために習得させる技を限定した方がよいということでした。この観点から見たとき、もっとも一般的で基礎的な諸概念というごく少数の技を身につけさせようとしていること、さらに、繰り返しその諸概念を学ばせるプロセスを保障していること、この2つが大きく評価できるということでした。

 しかし、一方で仮説実験授業には問題点も存在しており、南郷先生も「現代教育に欠けたるもの」(五十嵐良雄、渡辺一衛編『教育とは何か』1979年、三一書房)という小論の中で指摘しておられます。今回は、南郷先生の指摘に沿う形で、仮説実験授業の抱える問題点について見ていきたいと思います。

 南郷先生は、そもそも教育(とくに学校教育の目的の重要事)は歴史的に形成されてきた文化遺産の継承であり、新たに文化の発展をもたらす基礎づくりにあるとした上で、そのために必須の<大志>と<論理能力>の育成が現代教育には欠けていると指摘しておられます。とりわけ、論理能力の「訓練の場はごく少数を数えるだけであり、それも不完全な形で存在するのみ」と書いておられます。ここで論理能力とは、「自己の専門とする対象の構造を徹底的に究明してその性質を把握し、それらを一般化し、体系化する能力」のことであり、常識的にいうならば「未知の問題を解く能力」です。これを不完全な形で訓練しようとしているのが仮説実験授業だと言うのです。

 では、仮説実験授業のどこが不完全だということなのでしょうか。ここで南郷先生は、そもそも仮説実験授業がどういう論理で組み立てられたのかを確認しておられます。

「彼、板倉は科学史の流れを究明することにより、人間の認識の一般的発展形態の一つに、予想をたてて対象の構造に挑む論理が存在することを発見したのである。そしてここから、予想の失敗が対象をより明確にする構造をもっていることを捉え、これを教育に適用して授業体系=個人の認識の発展の科学化をはからんとしたのである。」(同上書、p.119)

 つまり、板倉氏は自然科学の歴史を究明する中で、人類の認識は予想を立てて対象の構造に挑むという論理があることを発見し、それを踏まえて授業においても予想を立てて対象の構造に挑ませることが必要だとして、仮説実験授業の中に予想の段階を組み込んだということです。これは「個体発生は系統発生を繰り返す」という論理を適用したものと言えるでしょう。この発想そのものは南郷先生も評価しておられます。

 しかし、問題点が2つあると指摘しておられます。1つ目については以下です。

「第一点は、なるほど科学化は自然を対象としたものを中心として発展したのは事実である。しかし、自然だけが科学化されるわけはなく、社会も精神(認識)もそうである。(中略)科学史の対象が自然に限定されてよいわけはなく、限定すれば当然に特殊な論理、つまり、社会史あるいは精神史とは相対的に独立した論理の過程の発展史とならざるをえないものである。」(p.123)

 板倉氏は「個体発生は系統発生を繰り返す」という論理を適応するため、系統発生、つまり人類の認識の発展過程を明らかにしようとしたものの、それはあくまでも自然科学的な認識の発展過程にすぎず(しかも自然科学史から導き出してきた論理も現象論のレベルに過ぎないと指摘しておられます)、そのままでは特殊性を帯びたものにしかならないということです。例えば、実験のしようのない歴史学などではどのようにして科学的認識を成立させればよいのかという問題が浮上してきます。したがって、社会科学史、精神科学史の発展形態の究明も踏まえて、一般的な人類の認識の発展過程を明らかにする必要があるということです。

 もう1つは以下です。

「第二点は、人類の一般的な認識の発展形態は仮に究明しえたにしても、それは一つの大きな特殊性を含むものであることを捉える必要があるということである。別言すれば、それは対象に対する一般的な問いかけの発展形態でしかない。しかも、大人の、成熟した認識のそれである。(中略)教育は単純に人間の認識の歴史的な発展史の構造のリプリントではない。」(同上書、pp.124-125)

 つまり、社会科学史や精神科学史の発展形態を究明し、人類の認識の一般的な発展過程を明らかにしたとしても、それはそのまま個人としての認識の発展過程として適用することはできないということです。個人としての認識の発展過程は個人としての認識の発展過程として特殊性をもっているのであり、ここを明らかにしなければならないということです。

 例えば、予想をもって対象に迫ることで認識が発展するということは、自然科学であろうと、社会科学であろうと、精神科学であろうと、共通するものだと言えます。では、そのあり方をそのまま子どもに求めてよいのか、極端な話、3歳児程度の子どもに予想を立てさせるのがよいのか、ということです。

 そもそも予想を立てることができるのは、その問題に対しての似たような体験・経験があるからです。そうした体験・経験に基づいて「こうしたらこうなるのではないか」という予想を立てるわけです。予想のもととなる体験・経験がなければ、予想を立てることができません。したがって、まずは様々な体験・経験を積ませることが必要だということになるでしょう。

 以上をまとめると次のようになるでしょう。板倉氏は自らの専門である自然科学史から導き出した論理(予想を立てるという論理)を教育に適用しようとして仮説実験授業を組み立てたのであり、この発想自体は「個体発生は系統発生を繰り返す」という論理を適用しようとするもので評価できるものの、あくまでも自然科学に限られた人類の認識の発展過程しか明らかにできておらず、しかも人類の認識の発展過程と個人としての認識の発展過程の違いを無視して直接的に教育方法として組み込んでいる点が問題だということです。したがって、自然科学史のみならず社会科学史・精神科学史の究明を踏まえて一般的な人類の認識の発展過程を明らかにし、それを土台としながら個人としての認識の発展過程の特殊性も押さえていくことが今後の課題だということです。
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2016年03月20日

仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―(3/5)

3.仮説実験授業の意義

 前回はアクティブ・ラーニングとして取り上げられている仮説実験授業に注目し、仮説実験授業ではどのような子どもが育つのかを見てきました。そこでは、自分のアタマを働かせて問題に取り組むことをとおして、問題に取り組む力を高めていくとともに、問題に取り組む姿勢が育っていることを見てきました。

 では、なぜ仮説実験授業ではこのような子どもが育つのでしょうか。この点について、南郷継正先生の上達論を踏まえて検討していきたいと思います。

 南郷先生は、自ら武道の修行に取り組むと共に弟子を育てる中で、一般的にいかなる過程で技が上達していくのかを明らかにされました。その中身は、技には創る過程と使う過程があるというものです。ここをもう少し詳しくみると、3つの段階に分かれると説いておられます。

上達の構造図.png

「まともな上達法を図示してみると(図1)の如くになる。
Qは技を覚える段階である。
Pは覚えた技を使用に耐えうるように仕上げる段階である。
Xは使用に耐えうる技を使う段階である。
この図の中でのXの段階は、使用に耐えうる技を使う段階であると説明したが、正確に言うならば、これは立体的な構造を持っているのであって、仮に今、まともな上達を踏まえた場合のこととしての説明であり、一般的に説明するならば、このXは独立して勝負の段階として存在するものである。」(南郷継正『武道の理論(増補版)』三一書房、1972年、p.124)


 つまり、「技を覚える段階」「覚えた技を使用に耐えうるように仕上げる段階」「使用に耐えうる技を使う段階」という3つがあるということです。ここで特に重視されているのは「覚えた技を使用に耐えうるように仕上げる段階」です。突きや蹴りといった技の形を覚えれば、その技の形が崩れないように意識しながら、やがて自然とその形がとれるようになるまで繰り返し繰り返し練習をしなければならないということです。武道界では、この段階が抜け落ちていて、Q→Xという過程を辿っていると批判しておられるのです。

 さらに、このようにPの段階を辿らないのは、数学の学習などで「公式→応用問題」という習慣がついているせいだと指摘しておられます。公式をもっとよく理解させさえすれば、つまり公式をとことん教えこむ段階(Pの段階)を辿らせれば難解ではないものの、すぐに応用問題へ突っ走ってしまうから、鈍才の子どもが理解できないのだと説いておられます。

 このように技化の過程には多くの時間が必要とされるのであり、もし習得すべき技の数が多ければ、到底、時間が足りないということになります。その意味で、南郷先生は600種類以上の秘技があると豪語している少林寺拳法を批判しておられます。身につけるべき技は少ない方がよく、あとはその技を変化させていくべきだということ、つまり使い方の問題だということです。

 このような上達論の観点からして、仮説実験授業を眺めてみましょう。そもそも仮説実験授業は「自然科学におけるもっとも一般的で基礎的な諸概念を学びとらせる」ことを目的としていました。ものの重さや力の原理といったもっとも基本的な概念・論理を習得させるものです。こうした概念・論理は決して多くはありません。つまり、ごく限られた少数の技を身につけさせようとしているのであり、これは上達論の観点からみて優れている点だと指摘することができるでしょう。

 また、仮説実験授業は、問題―予想―討論―実験というプロセスを繰り返すことにより、こうした概念・論理や科学の方法を身につけさせていこうとするものでした。実際に授業書には20から30もの問題が配置されており、例えば授業書「ばねと力」では、最初に力の原理が言葉で示された上で、あとはそれに関わっての問題が並んでいるという構成になっています。これは先の3つの段階で言えば、「覚えた技を使用に耐えうるように仕上げる段階」というものがしっかりと確保されていると言えるでしょう。ここがあるからこそ、鈍才であっても、科学上の概念・論理が徐々に使えるようになってくるのです。

 こうして徐々に科学上の概念・論理などでもって予想ができるようになると、討論でも少しずつ自分の意見を主張できるようになり、討論が活発化します。そして実験によって自らの正しさが認められれば、自らの力に大きな自信をもつこととなります。自分が正しいと確信していたにもかかわらず間違いだという結果になれば、次からより慎重に、より深くアタマを働かせることになります。こうして問題と取り組む能力や姿勢というものが育ってくるのです。

 このように、基本技としての科学上の概念・論理を繰り返し学ぶ過程を辿らせることで、鈍才の子どもも含めて全員がその概念・論理を使えるようになってくるのであり、そのことをとおして、自分の力の向上を自覚し、新たな問題に取り組む姿勢が養われてくるのだということです。
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2016年03月19日

仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―(2/5)

2.仮説実験授業とはどのようなものか

 本稿は、仮説実験授業を取り上げ、その意義と問題点を明らかにしようとするものです。そのことをとおして、日本の国際競争力の向上という目的に限らず、広く現代日本が抱える問題を解決するために、主体的に考えていける国民を育てるためにはどうすればいいのかを検討することを目的としています。

 今回はそもそも仮説実験授業とはどのようなものなのか、それによって子どもがどのように育つのかについて具体的に見ていきたいと思います。

 そもそも仮説実験授業とは、「@自然科学におけるもっとも一般的で基礎的な諸概念を学びとらせるために、A原則として、テキストに構成された「問題」をあたえ、それについて「予想」をたてさせ、ついでその予想をたてた考え(仮説)をだしあって、「討論」をおこなわせ、最終的には「実験」によって決着をつけさせていく」というものです。このプロセスをくりかえすことによって、諸概念の習得ならびに科学の方法の獲得をはかろうという授業です(庄司和晃『仮説実験授業』国土社、1965年、p.8)。予想を立てて、他の子どもと討論をするという点で、子どもが能動的に学習に取り組んでいる(つまりアクティブ・ラーニングになっている)と言えるでしょう。

 具体的に見てみましょう。次に示すのは、「ばねと力」「浮力」の学習を経て「まさつ力」の学習に取り組んだ6年生の子どもの討論の場面です。なお、発言者名の後に、「(ウ)→(ア)」とあるのは、(ウ)の予想を立てた子どもが、(ア)の予想の子どもに対して発言していることを示しています。

仮説実験授業(摩擦力).png

ハガ君(ウ)→(ア)
 ほんの少し動けばいいのだから……どうして300g力いるのだろう。角材を横に動かしたとき(平らな机の上で)、地球の引力より少なくて動いた。そのときの静止まさつは、つりさげたものよりも大きいんじゃないの。空気のていこうはうんと少ないんだから、アの人たちは、どうして300g力いるの。

マツダ君(ア)→(ウ)
 それはさっきいったように、両方の力が300g力でつりあっているのだから、それを動かすには300g力いる。それより、ぼくには横に動かすから力がへるというのがわからない。(中略)

イヤマ君(ウ)→(イ)(ア)
 これはさ、けっきょくおもりが動き出すとき、おもりと空気のあいだにどれだけまさつ力があるかってことじゃないのかな。だってさ、机の上での実験が終っているんだし……。(中略)これを逆にいうと、つりあっていて動かないということは、つまりほんの少しの力でも動くということだと思うんだ。机の上を考えると、二つの力が対立している。そうすると、そのものは動かない。それを横に動かすときには、まさつ力を考えればいい。ところが空気中では、空気の抵抗を考えてみればいいんだが、このばあい、空気にはほとんど抵抗がない。だから、空気の抵抗は考えなくともいい。そうすると、ほんの少しの力で動くというりくつになるじゃない。それはだね、はかりのものをのっけたときでも空気の抵抗はある、でもはかりにでた重さは空気中の重さであるから空気抵抗は考えなくていい。すべて空気中ではかるわけだから。(中略)

マツダ君(ア)→(ウ)
 そこのとこがぼくにはよくわからないんだな。…あのね、じゃー聞くけど、ちょっとの力で動くというのは、ほーんのすこーしの力でいいの。ほんとにいいの。
(そう!そう!の声、そちこちより聞こえる)
そうかな、だってさ、家をこわす大きい鉄の玉があるでしょう。ぼくが押しても動かないんだよ。どうして?(中略)

タカギさん(ウ)→(ア)
 あのね、まえにもどるけど、あたし、力の原理で考えて、ほんの少しの力で動くという予想なんだけど、マツダ君達は、どうしても300g力でないと動かないというの。それだったら、すこし幼稚っぽいけどブランコに5人も6人ものったとするよ、それを動かすとき、のった人数でないと動かない?

マツダ君(ア)
 そうか、わりあいらくに動かせるね、そうすると……。
(庄司和晃『仮説実験授業と認識の理論〔増補版〕』季節者、2000年、pp.183-187)


 このように問題に対して予想をし、討論を経て最終的な予想を決めた後、実験によってどれが正しいのかを確認します。この実験のとき、自分の予想が外れると泣き出す子どももいるということです。これが仮説実験授業です(なお、ここでの正解は(ウ)となります)。

 この討論の過程を見てみると、子どもが自分のアタマを働かせながら、問題に迫っていることがわかるでしょう。力の原理という抽象的な法則や身近な具体的な体験や喩え話などを踏まえて、自らの意見を展開し、討論を繰り広げています。ダイナミックな認識の運動が行われているのです。

 1つの授業書にはおよそ20から30ほどの問題が収録されています。例えば、授業書「ばねと力」では、力の原理を身につけさせるために、26の問題が入っています。ただし、すべてがすべて予想―討論―実験という形で進むわけではなく、討論が省略されたり、軽く扱ったりすることもあります。

 このような仮説実験授業を受け続けた子どもはどのように育つのでしょうか。子どもの感想文から見てみましょう。以下は、仮説実験授業と自分との関係を示した感想文です。

「わからないことはとことんまでしらべる人になると思う。」
「考える力がつく。」
「だんだんわかっていく、ぼくは力がつく。」
「予想学習はいろいろな時にとりいれてつかおう。」
「なんでもしらないことをしろうとするときに、いつでもよそうを立てて、いろいろな人といいあい、じっけんしてきめるようになるだろう。」
「なにごともかんがえる人になると思う。」
「なんでもじっけんをするような人になってしまうかも知れない。」
「まちがったことも勉強になった。」
「自分ははんだん力のいい人間になる。」
「自分のほんとうの力がついて少数意見でも自分が思ったことがいえるだろう。」
(庄司和晃『仮説実験授業』国土社、1965年、pp.213-214より抽出)


 これらの感想文から、問題に対して自分のアタマを働かせて取り組むことをとおして、自分自身の認識が発展していることを自覚しているとともに、問題に取り組む姿勢が育ってきていることがわかります。
 このように仮説実験授業は、子どもたちに主体的に考える力や主体的に考える姿勢といったものを身につけさせていくのです。
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2016年03月18日

仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―(1/5)

○目次
1.アクティブ・ラーニングが注目を集めている
2.仮説実験授業とはどのようなものか
3.仮説実験授業の意義
4.仮説実験授業の問題点
5.真のアクティブ・ラーニングの実現に向けて
――――――――――――――――――――――――――

1.アクティブ・ラーニングが注目を集めている

 2014年11月、中央教育審議会の総会において「初等中等教育における教育課程の基準等の在り方について」という諮問が下村元文部科学大臣から行われました。学習指導要領についての今後の在り方などについて諮問をしたというわけです。学習指導要領は概ね10年に1度改訂されています。前回の改訂は2008、2009年であり、まもなく次の改訂が行われます。その改訂に向けた諮問です。

 これを受けて、2015年1月から14回にわたって教育課程部会教育課程企画特別部会が行われました。そして、そこで行われた議論をまとめた論点整理が8月に発表されました。

http://www.mext.go.jp/component/b_menu/shingi/toushin/__icsFiles/afieldfile/2015/12/11/1361110.pdf

 ここで最も大きく問われているのは、将来の変化を予測することが困難な時代において、どのような能力を育てるべきかということです。2030年には、少子高齢化が更に進行し、65歳以上の割合は総人口の3割に達する一方、生産年齢人口は総人口の約58%にまで減少すると見込まれています。また、同年には、世界 のGDPに占める日本の割合は、現在の5.8%から3.4%にまで低下するとの予測もあります。さらに、「子どもたちの65%は将来、今は存在していない職業に就く」「今後10年〜20年程度で、半数近くの仕事が自動化される可能性が高い」という指摘もなされています。

 こうした予測できない未来に対応するためには、「社会の変化に受け身で対処するのではなく、 主体的に向き合って関わり合い、その過程を通して、一人一人が自らの可能性を最大限に発揮し、よりよい社会と幸福な人生を自ら創り出していくことが重要である」という認識のもと、「教育を通じて、解き方があらかじめ定まった問題を効率的に解ける力を育む」だけではなく「社会的・職業的に自立した人間として、伝統や文化に立脚し、高い志と意欲を持って、蓄積された知識を礎としながら、膨大な情報から何が重要かを主体的に判断し、自ら問いを立ててその解決を目指し、他者と協働しながら新たな価値を生み出していくことが求められる」としています。

 つまり、今後も日本が国際社会において経済的な地位を保っていくためには、もう少し正確に言えば、日本企業が国際競争力を保っていくためには、これまでとは違った新たな人間が求められるようになる、ということです。これまではいわばマニュアル通りに行動していればよかったものの、これからは千差万別の状況の中で、自らのアタマをしっかりと働かせて問題に取り組んでいく必要があるということ、そのときに他者とのコミュニケーションが重要だということを指摘しているのです。

 そのために学校においては、自らアタマを働かせて他者と協力しながら社会と関わっていくという体験(学習)を積ませることが必要だとされています。そのことにより、「自分の存在が認められることや、自分の活動によって何かを変えたり、社会をよりよくしたりできることなどの実感を持つこと」ができるのであり、そのことが「貧困などの目の前にある生活上の困難を乗り越え、貧困が貧困を生むというような負の連鎖を断ち切り未来に向けて進む希望と力を与えることにつながるものである」と指摘しています。

 このような体験(学習)を保障するための方法として、大きく注目を集めているのが「アクティブ・ラーニング」という教授(授業)・学習方法です。アクティブ・ラーニングは文科省の用語集では、以下のように説明されています。

【アクティブ・ラーニング】(p3、4、9) 教員による一方向的な講義形式の教育とは異なり、学修者の能動的な学修への参加を取り入れた教授・学習法の総称。学修者が能動的に学修することによって、認知的、倫理的、社会的能力、教養、知識、経験を含めた汎用的能力の育成を図る。発見学習、問題解決学習、体験学習、調査学習等が含まれるが、教室内でのグループ・ディスカッション、ディベート、グループ・ワーク等も有効なアクティブ・ラーニングの方法である。
http://www.mext.go.jp/component/b_menu/shingi/toushin/__icsFiles/afieldfile/2012/10/04/1325048_3.pdf


 つまり、講義を聞くだけの受動的な学習だけではなく、グループ・ディスカッションやディベート、グループ・ワークなど協働的・能動的な学習を行うものということになります。もう少し簡単に言えば、自らの考えを書いたり、話したり、発表したりする活動を行うということ、インプットだけでなくアウトプットさせるということになるでしょう。

 アクティブ・ラーニングという言葉は主として高等教育で2000年代に入ってから使用されるようになったものであり、公には2012年の中教審の答申「新たな未来を築くための大学教育の質的転換に向けて 〜生涯学び続け、主体的に考える力を育成する大学へ〜」の中で初めて明示化されました。これを受けて、初等中等教育の分野でも注目を集めるようになっていったのです。

 以上をまとめれば、今後も日本企業の国際競争力を維持・発展させていくためには、主体的に考える人間が必要だとして、そうした体験を保障するアクティブ・ラーニングが導入されようとしているのだということになります。実際、「学修環境充実のための学術情報基盤について(審議まとめ案)」では、次のように述べられています。

「近年、グローバル社会において、我が国が競争力を失う中で、様々な場において、教育改革の必要性に関する議論が行われているが、今後、我が国が国際競争力を高めていくためには、物事に主体的に対応できる人材の育成が重要であり、学士課程教育の質的転換など、大学における教育システムの改善は喫緊の課題となっている。(中略)このような状況を踏まえ、平成24年8月の中央教育審議会の答申においては、「従来のような知識の伝達・注入を中心とした授業から、教員と学生が意思疎通を図りつつ、一緒になって切磋琢磨し、相互に刺激を与えながら知的に成長する場を創り、学生が主体的に問題を発見し解を見いだしていく能動的学修(アクティブ・ラーニング)への転換が必要。」とされている。


 しかし、具体的にどのようにアクティブ・ラーニングを行っていけば主体的に考える人間を育てることができるのかは把握されていません。現段階では、自分で考えられるようにすることが大切だから、授業の中でも自分で考えさせる機会をもつようにしようといったレベルでしかありません。

 また、これらはあくまでも日本企業の国際競争力の維持・発展という目的のためであることも押さえておかなければなりません。端的に言えば、新たな商品の生産こそが重要だということです。しかし、現在の日本においては、経済格差の問題や国家の財源の問題、安全保障の問題など様々な問題が山積しており、こうした問題に対して、日本の行く末を見据えた上で自分なりの見解を出せる国民を育てることこそが日本社会の維持・発展につながるのだと言えるでしょう。

 では、このような国民を育てるためにはどうすればよいのか。この問題に対するヒントを得るため、本稿では仮説実験授業を取り上げたいと思います。仮説実験授業とは1963年に板倉聖宣・上廻昭・庄司和晃らによって提唱された理科の授業方法です。この授業を受けた子どもは、自然科学上の原理・原則を身につけるとともに、それらを使って考える力を高めていくとされています。なぜ仮説実験授業ではそのような子どもを育てることができるのか、また仮説実験授業の問題点とは何かを明らかにし、真のアクティブ・ラーニングを実現するための課題を明確にしたいと思います(注)。

(注)なお、仮説実感授業はアクティブ・ラーニングの1つの方法としても取り上げられています。
https://www.youtube.com/watch?v=1Wnm2ulqGyI
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2015年12月06日

英語教育改革を問う―『英語化は愚民化』書評―(5/5)

(5)人類史を踏まえた将来の国家像こそが教育改革には必須である

 本稿は、施光恒『英語化は愚民化』の書評という形で、「早期化」と「コミュニケーション重視」を中心とした英語教育改革の是非について検討してきました。ここで、これまでの内容を振り返ってみましょう。

 まず、なぜ「早期化」と「コミュニケーション重視」を中心とした英語教育改革が進められているのかを見てきました。その背景には新自由主義者の思惑があるということでした。内需が落ち込んでデフレ不況となった日本経済を立て直すためには、外需を獲得したり、海外からの投資を増やしたりすることが必要だと考え、外需を獲得するために英語でのコミュニケーションができる企業人や、英語で行政手続きがしやすいように英語ができる公務員を求めているのです。そのための英語教育改革なのだということでした。これに対して、施氏はデフレ不況を立て直すためには内需を回復させることこそが重要なのだということ、また外需を獲得するとは相手国の内需を奪うものであることを主張していました。しかし、外需の獲得を目指すとは内需を無視するということであり、決して日本社会(日本経済)そのものの復興につながらないということ、新自由主義者は国家の発展=大企業の発展と考えているようであるが、決してこの2つは直接つながるものではなく、国家の発展を矮小化した捉え方だと指摘したのでした。

 続いて、現在の英語教育改革が進められれば日本はどのようになっていくのかを検討しました。これに関して、施氏は社会の階層化・二極化が進んでしまうということ、日本語による日本人らしさや日本の良さを破壊してしまうということを挙げていました。第二言語の習得は、経済的・時間的余裕に恵まれている上層階級の方が圧倒的に有利になります。したがって、経済的な格差が第二言語の運用能力の格差として現れ、これが教育格差となり職業選択に大きな影響を及ぼし、社会的な格差を生んでしまうということでした。そもそも民主政治が成立するためには連帯意識が必要であるのに、このような格差が生まれてしまえば、民主政治が成り立たないということでした。また施氏は、言語は単なる「ツール」以上のものであり、使う人の自我の在り方、世の中の見方全体に影響を与えるものだとし、日本語は、幼児期から英語を学んでしまうと、日本らしい「思いやり」「気配り」「譲り合い」の精神が失われてしまうと主張していました。第一の点については、そもそも産業革命が進展して資本家と労働者の対立が激しくなった時代、こうした階級対立によって社会が滅んでしまうことを防ぐために、教育格差をなくし社会的な連帯を保とうとする動きが現れ、統一学校という形で実現したという歴史的な経緯を踏まえた上で、英語教育改革によって教育格差を生むことを助長するという施氏の主張は十分考慮すべきものであることを指摘しました。また第二の点については、そもそも言語は認識の表現であり、言語の背後には認識が存在しているということ、したがって、日本語の背後には日本人の認識が含まれているのであり、日本語を学ぶとはその日本人の認識を学ぶことであり、それによって日本人としての感性や考え方を身につけるという側面があるのだということを指摘しました。こうした観点からすれば、まだまだそれが身についていない時期から英語教育を行うことは、日本人を育てる教育としては問題のある改革だということを説きました。

 最後に、なぜ日本で英語教育が必要なのかという必然性が本書では説かれていないことを踏まえて、この点を明らかにするとともに、日本における英語教育はどうあるべきかについて検討しました。そもそも(日本の)教育とは(日本)社会の維持・発展を担う人間(日本人)を育てることであり、そのために必要な文化遺産を継承させることであるという一般論を踏まえた上で、言語教育は文化遺産を継承させるための土台だということを確認しました。日本の英語教育は英語圏の文化遺産を学ばせるために必要なのであり、それが行われるようになってきたということは、英語圏の文化を学ばせる必要が出てきたということ、日本が諸外国との関わりの中で、日本は日本であると同時に諸外国でもある(日本文化と諸外国の文化が混ざり合っている)ようになったということでした。その上で、日本における英語教育のあり方を見てきました。在留外国人の推移から今後も日常生活や多くの仕事に英語のコミュニケーションが常態化することはなく、あっても「用事を済ませる」レベルであるから、そのための英語教育を行うのは本質から外れているのであり、コミュニケーションはそれが必要な職業に就いた場合に訓練すべきだと主張しました。ただし、それが可能となるための最低限の英語の力は全国民を対象とした義務教育で育てるべきであり、それは従来から行われている読み書きだということでした。読み書きを瞬時に行えてこそ、コミュニケーションが可能となるからです。とりわけ英語を読む機会は誰でも日常生活の中に存在しうるものであるから、「読むこと」こそ日本の英語教育において重視すべき点だと指摘しました。

 ここまで振り返ってみたときに、新自由主義に基づく現在の英語教育改革は、これまで歴史的に積み上げられてきた文化遺産を捨て去るものだと言うことができるでしょう。そもそも新自由主義そのものが大企業の自由な活動を求めて、歴史的に生まれてきた国家的な規制を打ち捨てようとするものでした。そして、それに基づく英語教育改革は、上層階級と下層階級という階級の対立を緩和し、社会を維持・発展させていくために教育格差をなくそうとしてきた人類の歩みと反対の方向に進む可能性のあるものだということでした。そして、日本が行ってきた読み書きを中心の英語教育を否定して、コミュニケーションを重視した英語教育に転換しようとするものなのでした。

 施氏によれば、英語教育改革の背後には以下のような歴史観があるとされています。
村落共同体→国民国家→地域共同体→世界政府(グローバル市場・グローバル統治)

 つまり、身近な土着の小さな社会が、より大きく普遍的な世界に統合されていく過程として人間の歴史を捉えているのです。国家的規制を廃そうとする新自由主義は、まさにこの歴史観に則っていると言えます。しかし、今まで見てきたように、この歴史観に立てば、これまで人類が歴史的に創り上げてきた文化遺産を打ち捨てることになります。それは果たして正しいものだと言えるのでしょうか。

 こうした新自由主義の歴史観に代わる新たなものを提示しなければなりませんが、施氏もそこまではできていません。というよりも、施氏はこのグローバル化史観の批判を強調しすぎるあまり、人類の歴史的な歩みには法則性があるという考え方(施氏は「歴史法則主義」と呼んでいます)そのものを否定しています。これではこれからの世界や日本がどう進んで行くのかが予測不可能ということになってしまいます。

 そもそも教育とは社会の維持・発展を担う人間を育てることです。したがって、その社会がどのように変化・発展していくのか、ここをしっかりと予測することなしには教育を論じることはできません。人類史を踏まえて、これからの世界の姿を予測し、あるべき国家像を描くことが求められるのです。ここを明確に打ち出し、あるべき教育改革について論じていくことが私の使命であることを確認し、本稿を終えたいと思います。
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2015年12月05日

英語教育改革を問う―『英語化は愚民化』書評―(4/5)

(4)日本における英語教育の必然性とそのあるべき中身を問う

 本稿は、施光恒『英語化は愚民化』の書評です。英語教育の早期化や、話すこと聞くことを中心とした英語教育改革が大きく進められようとしている現在において、この動きを批判的に捉えた本書を取り上げ、その内容を概観するとともに、英語教育改革の是非について検討するものです。

 前回はこのような英語教育改革が進められればどうなるかについて見てきました。現在のような英語教育改革が進められれば、経済的な格差がより教育格差として現れて社会の連帯意識が失われてしまうとともに、個人としては日本人らしさが失われてしまうということが施氏の主張でした。これに関して、そもそも階級対立によって社会が滅んでしまうことを防ぐために教育格差をなくそう動きが現れてきたのだという歴史的な経緯を踏まえて、英語教育改革が教育格差を生むという施氏の主張は重く受け止めなければならないと主張しました。また、そもそも言語は認識の表現であり、言語の背後には認識が存在しています。したがって、日本語の背後には日本人の認識が含まれているのであり、日本語を学ぶとはその日本人の認識を学ぶことであり、それによって日本人としての感性や考え方を身につけるという側面があるのだということでした。こうした観点からすれば、まだまだそれが身についていない時期から英語教育を行うことは、日本人を育てる教育としては問題のある改革だということを指摘しました。

 このように言うと、そもそも日本に英語教育は必要ではないのではないかという疑問も浮かんできます。筆者は「英語教育を軽視しているわけではない」(p.238)とは主張していますが、実際、本書を読んでいると、そのような印象を抱きかねません。

 しかし、日本では戦前から英語教育が行われており、それが現在まで連綿と続いているのですから、そこには何らかの必然性があると言えるでしょう。それを踏まえた上で、日本における英語教育はどうあるべきかが説かれなければなりませんが、本書ではそこは説かれていません。だからこそ、そのような印象をもつことになるのだと言えるでしょう。

 そこで、今回はこの問題について検討をしてみたいと思います。

 そもそも教育とは、社会の維持・発展を担う人間を育てることであり、そのために必要な文化遺産を継承させることです。日本における教育とは、日本社会の維持・発展を担う人間(日本社会で生きていける人間)を育てることです。ここで重要なのは、その教育は言語によって行われているということです。教師の言うことを聞く。教科書を読む。自分の考えていることを書く。それを発表する。こうした中で、文化遺産を継承していくのです。したがって、言語が身についていなければ教育は成り立ちません。つまり言語を教えること(言語教育)は文化遺産を継承させるための土台だと言えます。だから、例えば小学校では最初にひらがなを教えるのであり、どの学年でも国語の時数が最も多く、毎日漢字を学習するということになっているのです。

 この言語教育は大きく2つにわかれます。1つは母国語教育であり、もう1つは外国語教育です。前者は要するに国語であり、自国の文化遺産を継承させるための土台です。後者は外国の文化遺産を継承させるためのものであり、日本における英語教育はここに位置づけられます。

 この英語教育が行われるようになったということは、英語圏の文化を学ぶ必要が出てきたということです。つまり、それだけ英語圏の文化が日本に浸透してきたということです。それぞれの国家はそれぞれの国家として独立しながらも、他の国家とのかかわりの中で存在しています。日本も諸外国とのかかわりながら存在しているのであり、その過程で諸外国の文化が日本に入り込んでくることとなります。つまり、日本は日本であると同時に諸外国でもあるという二重性をもつようになったということです。このような国家で生きていくためには、諸外国の文化(その中心としての英語圏の文化)を継承するための土台となる外国語(その中でも世界中で使われている英語)を学ぶ必要が出てくるのです。これが日本で英語教育が行われている必然性だと言えるでしょう。

 こうした中で、今まで日本は読み書きを重視した英語教育を行ってきたわけですが、それが批判され、現在コミュニケーション重視の英語教育へと転換されようとしています。その理由について「今後の英語教育の改善・充実方策について 報告〜グローバル化に対応した英語教育改革の五つの提言〜」では、次のように書かれています。

「東京オリンピック・パラリンピックを迎える2020(平成32)年はもとより、現在、学校で学ぶ児童生徒が卒業後に社会で活躍するであろう2050(平成62)年頃には、我が国は、多文化・多言語・多民族の人たちが、協調と競争する国際的な環境の中にあることが予想され、そうした中で、国民一人一人が、様々な社会的・職業的な場面において、外国語を用いたコミュニケーションを行う機会が格段に増えることが想定される。」


 端的に言えば、外国語を用いたコミュニケーションを行う機会が格段に増えることが想定されるから、コミュニケーション重視の英語教育に変えるということです。読み書き中心では話ができないから問題だとされているのです。

 確かに外国語を用いたコミュニケーションを行う機会は増えるでしょうが、義務教育段階から全国民を対象にして訓練しなければならないほどであろうかという疑問が浮かびます。統計的に見てみると、在留外国人の数は1994年末の135万人から2014年末の212万人へと20年間で6割増加しています。この調子でいけば、2054年には542万人になりますが、日本の人口比からすれば5%にすぎません。多くの日本人が外国語でコミュニケーションをする機会がほとんどない現状から2.5倍になったところで、日常生活において外国語のコミュニケーションが常態化するということは考えられません。また多くの仕事においても、たまに外国人を相手にしなければならないという程度であり、誰か一人でも英語ができる人間がいれば事足りるレベルでしょう。

 しかもこれらは「用事を済ます」程度のコミュニケーションであり、そのコミュニケーションを通して文化遺産の習得を目指すものではありません。そうしたコミュニケーションのために外国語教育を行うのは、その本質からは外れていると言えるでしょう。

 もちろん大企業などにおいては、外国人と仕事をすることは日常茶飯事でしょうが、それは必要に応じて個人の責任で、あるいは社員教育として英語を学べばよいものです。義務教育段階では、いかなる小社会に進むことになっても生きていける基本的な力を身につけさせることが必要であり、特定の小社会に偏った教育は望ましいものではありません。

 以上を踏まえれば、日本における英語教育としては、従来のとおり、読み書きを中心に据えるべきだと言えるでしょう。中でも「読むこと」は重要だと言えます。なぜなら英語を読む機会は他の技能に比べると、日常生活の中にもたくさんころがっているからです。現在でもインターネットを使えば、誰でも洋書や英字新聞、本の原著を読んだりすることができます。そうやって外国の文化遺産を学ぶことができるからです。こうした事情に基づいて、これまでの英語教育は読み書きを重視していたのだと考えられます。

 また、コミュニケーションを行う上でも読み書きが必要になります。英語を聞くためには、前提として英語の文章が読めなければなりませんし、英語で話をするならば、それを英語で書くことができなければならないからです。読み書きが瞬時にできてこそコミュニケーションができるのですから、その意味でも読み書きを重視すべきだと言えます。

 このように、全国民を対象とする義務教育においては、読み書き(特に読むこと)に焦点を当てた英語教育を行い、コミュニケーションについては、個々人が仕事や生活の必要に応じて学ぶというあり方こそ、日本における英語教育としては望ましいと言えるでしょう。
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2015年12月04日

英語教育改革を問う―『英語化は愚民化』書評―(3/5)

(3)英語教育改革が招く結果を問う

 本稿は、施光恒『英語化は愚民化』の書評です。英語教育改革が大きく進められようとしている現在において、この動きを批判的に捉えた本書を取り上げ、その内容の検討をとおして、英語教育改革の是非について考えていきます。

 前回は、英語教育改革が進められている背景には新自由主義者たちの思惑があるという施氏の主張について見てきました。内需が落ち込んできた中で日本経済を復活させるためには外需を取り込む必要があるという考えに基づき、そのために必要な人間を育てるという観点から英語でのコミュニケーション能力を身につけさせようとしているのだということでした。これに対して、日本経済を復活させるためには、内需を回復させることが重要であると施氏は主張していたのでした。しかし、外需の獲得を目指すとは内需を無視するという方向であり、決して日本社会(日本経済)の復興につながらないということ、新自由主義者は国家の発展=大企業の発展と考えているようであるが、決してこの2つは直接つながるものではなく、国家の発展を矮小化した捉え方だと指摘したのでした。

 では、もし「早期化」「コミュニケーション重視」の英語教育改革が進められればどのようになるのでしょうか。施氏はこの点について、社会の階層化・二極化が進んでしまうということ、日本語による日本人らしさや日本の良さを破壊してしまうということを挙げています。今回はこの点について見ていきたいと思います。

 なぜ英語化が進められると、社会の二極化が進むのでしょうか。施氏の主張を要約すると、概ね次のようになります。第二言語の習得は、経済的・時間的余裕に恵まれている上層階級の方が圧倒的に有利になります。したがって、経済的な格差が第二言語の運用能力の格差として現れることになります。そうした中で中等教育・高等教育へと進むにつれて、英語による授業が行われるようになると、英語ができない子どもは同じように教育を受けることができないことになります。こうして教育の格差を生み、それが職業選択に大きな影響を及ぼし、社会的な格差を生んでしまうということです。こうして社会的な格差が再生産され、社会が2つの階層に分断してしまうというのです。そもそも民主政治が成立するためには連帯意識が必要であるのに、このように格差が生まれてしまえば、民主政治が成り立たないと主張しています。

 続いて、英語化によって失われる日本らしさや日本人の良さとはどのようなものかを見てみましょう。施氏は言語は単なる「ツール」以上のものであり、使う人の自我の在り方、世の中の見方全体に影響を与えるものだと主張しています。その根拠の1つがタタミゼ効果です。海外の日本語研究者や日本語教師、あるいは日本語学習者の間では「日本語を学ぶと、性格が穏和になる」「人との接し方が柔らかくなる」ということが指摘されていたそうです。日本語のもつこうした「人を優しくする力」のことが「タタミゼ効果」と呼ばれるものです。他方、英語の場合、自己主張が強くなるという傾向があり、幼児期から英語を学んでしまうと、日本らしい「思いやり」「気配り」「譲り合い」の精神が失われてしまうと主張しています。

 こうした施氏の主張はどう評価することができるでしょうか。

 そもそも教育とは、社会の維持・発展を担う人間を育てることであり、そのために必要な文化遺産を継承させることです。例えば、義務教育であれば、日本社会の維持・発展を担う日本人を育てることであり、そのために国語や社会、算数(数学)などを教えています。専門学校や大学などでは、特定の小社会(例えば病院、企業、学会など)の維持・発展を担う職業人(医者、看護師、企業人、学者など)を育てることであり、そのために必要な知識や技術を身につけさせています。

 中世においては、固定化した階層的な身分秩序に基づき、人間は生まれながらにしてその身分が定められているものだと考えられていました。そこで、社会を中心となって担う存在である僧侶の育成が教育として行われていました。しかし、経済の発展とともに、その身分も流動的となる中で、人間はいかようにも育ちうるという人間観が生まれ、社会の維持・発展のためにすべての人間に対して教育が行われるようになります。しかし、上層階級(資本家階級)に行われる教育と、一般庶民(労働者階級)に行われる教育は異なっていました(複線型学校体系)。つまり、教育格差が存在していたのです。これを統一しようという動きが第一次世界大戦後からイギリス・フランス・ドイツなどで現れてくることになります(統一学校運動)。産業革命により資本主義が大きく発展し、資本家と労働者の対立が激化する中で、この対立によって社会自体が崩壊しないようにするために、教育格差を解消し、共通の教育を与える必要があると認識されるようになったのです。当時のドイツの教育学者ナトルプもこの統一学校を主張しましたが、その理由について次のように解説されています。

「(ナトルプは:筆者注)身分や社会階級間の有害な内部的闘争を国民教育制度の統一基礎によって緊急に防止する必要がある、と認めた。確かに教育の基礎自体は、万人にとって同一でなくてはならない。(中略)全国民教育制度を顧みて、きわめて重要な第一段階ともいった学校教育が、すべての子どもにとって共通であるのは、共同精神や社会的義務意識を啓発するうえに、掛け替えのない価値をもつ。」(松岡鶴造『ナトルプ一般教育学の研究』p.153)


 このように社会そのものを崩壊へと導いてしまう対立を緩和するために、共通の教育を与えるべきだ(教育格差をなくすべきだ)という考え方が生まれ、現在の統一学校制度が生まれてきたのです。

 こうした歴史の流れを踏まえれば、経済的な理由により教育格差が生まれ、社会の連帯が失われてしまう(社会の維持が困難になる)ということ、それを英語教育改革は促してしまうという施氏の指摘は重く受け止める必要があるでしょう。

 一方で、日本人らしさという点に関わってですが、これはそもそも言語とは何かを押さえておく必要があります。そもそも言語とは表現であり、これは対象→認識→表現という過程を辿るものです。このとき、対象・認識・表現はそれぞれの国によって異なっています。日本人は日本的なものを対象として、日本人らしい認識を描き、その認識を日本語として表現しています。したがって、日本語にはその背後に日本人らしい認識が含まれているのであり、日本語を学ぶとは、その背後の認識を学ぶということになります。例えば、雨という対象も、日本人はその微妙な違いを捉えて、「時雨」「小雨」「豪雨」「秋雨」「篠突く雨」「村雨」「にわか雨」などと表現します。こうした日本語を学ぶことをとおして、日本人の感性を学び、日本人として育っていくのです。タタミゼ効果と呼ばれるものも、こうした結果を指摘したものだと考えられます。言語は単なる「ツール」以上のものであるという施氏の主張は妥当だと言えるでしょう。日本語の教育が十分なされていない小学校の中学年の時期から英語教育を行うことは、施氏の主張するとおり、日本人として育てる上で大きな問題だと言えます。

 このように、教育一般論の観点から、現在の英語教育改革が進められることには問題があると言えるでしょう。
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2015年12月03日

英語教育改革を問う―『英語化は愚民化』書評―(2/5)

(2)英語教育改革の背後にある新自由主義そのものを問う

 本稿は、施光恒『英語化は愚民化』の書評です。「早期化」「コミュニケーション重視」の英語教育改革が大きく進められようとしている現在において、この動きを批判的に捉えた本書を取り上げ、英語教育改革の是非について考えていきます。

 今回は、なぜこのような英語教育改革が進められようとしているのかについて見ていきたいと思います。この点について、施氏は、新自由主義者たちの思惑があると指摘しています。

 そもそも施氏の言う新自由主義とは「政府部門の縮小や市場競争の導入によって経済社会の効率化や活性化を目指す、一連の理論や運動の総称」(p.129)です。簡単に言えば、政府の役割や介入を減らし、企業に自由を与えようとするもの、そうして企業が発展することによって経済は発展するのだとする主張だと言えるでしょう。

 したがって、新自由主義においては、各国政府は企業がビジネスをしやすい環境の整備に取り組むことになります。法人税の引き下げ、規制緩和や民営化、労働者の権利の削減などです。一方、企業の側は、自分たちがビジネスをしやすい国を選んで自由に移動をすることになります。

 このような新自由主義的な政策は日本でも1980年代後半から実施されるようになりました。その結果、一般的な日本人の生活は不安定化し、以前よりも格段に貧しくなっていること、賃金や所得の低下の背景には、グローバル化の進展により、安い労働力を求めて生産工場を海外に移す日本企業が増えたことを指摘しています。こうして国内需要は低迷する一方で、新自由主義的な政策によって企業の供給能力が増したことにより、日本経済はデフレ不況に陥ったのだとしています。

 こうしたデフレの打開策として挙がっているのが「世界市場の奪取」と「グローバルな資本の呼び込み」であり、この両者に関わって英語教育改革が進められているのだと説かれています。

 もう少し詳しく見てみましょう。まず世界市場の奪取についてですが、これは国内の需要が落ちている分を海外の需要(外需)によってまかなおうとするものです。「アジアの成長を取り込む」などの言葉がこれです。海外の需要を得るためには、当然、現地での仕事が必要不可欠です。そこでどのようなニーズがあるのかを把握したり、現地の人々と交渉をしたりといった能力(英語でのコミュニケーション能力)が求められます。そのような能力をもった人間を育てるために、現在の英語教育改革は進められているのだというわけです。

 グローバルな資本の呼び込みとは、海外からの投資を増やそうというものです。それによって株価を引き上げよう、景気を回復させようとするのです。これを実現するための方法の1つとして、英語で行政手続きがしやすいようにすることを考え、英語ができる公務員を育てようとしているのです。実際、2015年度から国家公務員の総合職試験では外部の英語試験(TOFELなど)の活用が開始されました。そのための英語教育改革だということです。

 これに対して施氏は、「外需獲得と外資誘致を柱とするこれらの成長戦略がデフレ脱却につながり、一般国民の生活状況を中・長期的に改善するかどうかは、非常に疑わしい」(p.142)としています。そもそも現在のデフレ不況の原因は国内の需要が落ちたことにあるのだから、そこを是正すること、具体的には「財政出動による公共投資の増大で需要を補う」とともに、「雇用対策を充実させるなどして、一般国民の生活の安定化を図り、人々が安心してお金を使える環境を整える努力をする必要」がある(p.140)としています。さらに、外需獲得という点については、「外需を『奪う』競争に参加するということは、普段、あまり意識することはないが、新興国をはじめとした世界のどこかの国の内需を横取りし、その国の産業の発展を阻害する」(p.145)という側面があると批判をしています。

 新自由主義については、本ブログでも小論「新自由主義における『自由』を問う」として取り上げました。詳細は参照してもらうとして、そもそも新自由主義とは、国家的な規制を廃して、大企業が好き勝手に活動できるようにするというものにすぎません。

 では新自由主義者の述べる外需の獲得と、施氏の述べる内需の是正はどちらが日本社会(日本経済)の復興につながるのでしょうか。これは結論的には後者だということになります。

 新自由主義者が外需の獲得を目指す背景には、「内需の拡大は期待できないから、国外の需要を取り込まなければ日本経済の持続的成長は不可能である」という経済情勢の把握があります。これは逆に言えば、海外で売れれば、国内で売れなくてもよいということです。露骨に言えば、海外売上高比率の高い大企業にとってみれば、日本国内の経済がどうなろうが大した問題ではないのです。

 「大企業が儲かれば、社員の給料が増え、国内の需要が高まるのではないか」と思うかもしれません。しかし、それは間違いです。現に、企業の内部留保は350兆円にまで拡大しています。仮に海外での販売が順調だったとしても、それが労働者の賃金に反映されず国内経済は活発にならないということです。

 結局、外需の獲得とは、大企業の利益に基づいた方向性であり、決して日本社会(日本経済)自体の立て直しにはつながらないということです。したがって、内需をいかに是正するかそのものを考えなければならないのであり、施氏の主張は妥当だと言えるでしょう。

 さらにもう1つ指摘しておきたいことは、新自由主義者の主張で描かれている人間が企業の人間(それも外需獲得が行えるような輸出大企業の人間)や、行政の人間のみに絞られていることです(特に前者に絞られています)。これはつまり、国家の維持・発展を担う人間が企業の人間であり、国家の発展=企業の発展だと考えているということです。これは国家の発展というものが非常に矮小化された考え方であり、この2つが決して直接つながるものではないことは今確認したとおりです。
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<講義一覧>

 ・2010年5月例会の報告
 ・2010年6月例会の報告
 ・日本酒を楽しめる店の条件
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 ・初心者に説く日本酒を見る視点
 ・『寄席芸人伝』に見る教育論
 ・初学者に説く経済学の歴史の物語
 ・奥村宏『経済学は死んだのか』から考える経済学再生への道
 ・『秘密諜報員ベートーヴェン』から何を学ぶか
 ・時代を拓いた教師を評価する(1)――有田和正氏のユーモア教育の分析
 ・2010年7月例会報告
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 ・佐村河内守『交響曲第一番』
 ・観念的二重化への道
 ・このブログの目的とは――毎日更新50日目を迎えて
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 ・21世紀に誕生した真に交響曲の名に値する大交響曲――佐村河内守:交響曲第1番「HIROSHIMA」全曲初演
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 ・「菅・小沢対決」の歴史的な意義を問う
 ・『もしドラ』をいかに読むべきか
 ・現代日本における「国家戦略」の不在を問う
 ・『寄席芸人伝』に学ぶ教師の実力養成の視点
 ・弁証法の学び方の具体を説く
 ・日本歴史の流れにおける荘園の存在意義を問う
 ・わかるとはどういうことか
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 ・「小沢失脚」謀略を問う
 ・2010年11月例会報告
 ・男前はなぜ得か
 ・平安貴族の政権担当者としての実力を問う
 ・教育学構築につながる教育実践とは
 ・2010年12月例会報告
 ・「法人税5%減税」方針決定の過程的構造を解く
 ・ベートーヴェン「第九」の歴史的位置を問う
 ・年頭言:主体性確立のために「弁証法・認識論」の学びを
 ・法人税減税の必要性を問う
 ・2011年1月例会報告
 ・武士はどのように成立したか
 ・われわれはどのように論文を書いているか
 ・三浦つとむ生誕100年に寄せて
 ・2011年2月例会報告:南郷継正『武道哲学講義U』読書会
 ・TPPは日本に何をもたらすのか
 ・東日本大震災から国家における経済のあり方を問う
 ・『弁証法はどういう科学か』誤植の訂正について
 ・2011年3月例会報告:南郷継正『武道哲学講義V』読書会
 ・新人教師に説く「子ども同士のトラブルにどう対応するか」
 ・三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』誤植一覧
 ・新大学生に説く「大学で何をどう学ぶか」
 ・新大学生に説く「文献・何をいかに読むべきか」
 ・2011年4月例会報告:南郷継正『武道哲学講義W』読書会
 ・三浦つとむ弁証法の歴史的意義を問う
 ・新人教師に説く学級経営の意義と方法
 ・三浦つとむとの出会いにまつわる個人的思い出
 ・横須賀壽子さんにお会いして
 ・続・三浦つとむとの出会いにまつわる個人的思い出
 ・学びにおける目的意識の重要性
 ・ブログ毎日更新1周年を迎えてその意義を問う
 ・2011年5・6月例会報告:南郷継正「武道哲学講義〔X〕」読書会
 ・心理療法における外在化の意義を問う
 ・佐村河内守:交響曲第1番「HIROSHIMA」CD発売
 ・新人教師としての一年間を実践記録で振り返る
 ・2011年7月例会報告:近藤成美「マルクス『国家論』の原点を問う」読書会
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む
 ・2011年8月例会報告:加納哲邦「学的国家論への序章」読書会
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論1三浦つとむの哲学不要論をめぐって
 ・一会員による『学城』第8号の感想
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論2 マルクス『経済学批判』「序言」をめぐって
 ・2011年9月例会報告:加藤幸信論文・村田洋一論文読書会
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 ・三浦つとむさん宅を訪問して
 ・TPP―-オバマ大統領の歓心を買うために交渉参加するのか
 ・続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2011年10月例会報告:滋賀地酒の祭典参加
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論4不破哲三氏のエンゲルス批判について
 ・2011年11月例会報告:悠季真理「古代ギリシャの学問とは何か」読書会
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論5ケインズ経済学の歴史的意義について
 ・一会員による『綜合看護』2011年4号の感想
 ・『美味しんぼ』から何を学ぶべきか
 ・2011年12月例会報告:悠季真理「古代ギリシャ哲学、その学び方への招待」読書会
 ・年頭言:「大和魂」創出を志して、2012年に何をなすべきか
 ・消費税はどういう税金か
 ・心理療法におけるリフレーミングとは何か
 ・2012年1月例会報告:悠季真理「古代ギリシャ哲学,その学び方への招待」読書会
 ・バッハ「マタイ受難曲」の構造を解く
 ・2012年2月例会報告:科学史の全体像について
 ・『弁証法はどういう科学か』の要約をどのように行っているか
 ・一会員による『綜合看護』2012年1号の感想
 ・橋下教育基本条例案を問う
 ・吉本隆明さん逝去に寄せて
 ・2012年3月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第1章〜第4章
 ・科学者列伝:古代ギリシャ編
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 ・2012年4月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第5章〜第6章
 ・科学者列伝:ヘレニズム・ローマ・イスラム編
 ・簡約版・消費税はどういう税金か
 ・一会員による『新・頭脳の科学(上巻)』の感想
 ・新人教師のもつ若さの意義を説く
 ・2012年5月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第7章
 ・科学者列伝:西欧中世編
 ・アダム・スミス『道徳感情論』を読む
 ・2012年6月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第8章
 ・科学者列伝:近代科学の開始編
 ・ブログ更新2周年にあたって
 ・古代ギリシアにおける学問の誕生を問う
 ・一会員による『綜合看護』2012年2号の感想
 ・クセノフォン『オイコノミコス』を読む
 ・2012年7月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第9章
 ・科学者列伝:17世紀の科学編
 ・一会員による『新・頭脳の科学(下巻)』の感想
 ・消費税増税実施の是非を問う
 ・原田メソッドの教育学的意味を問う
 ・2012年8月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第10章
 ・科学者列伝:18世紀の科学編
 ・一会員による『綜合看護』2012年3号の感想
 ・経済学を誕生させた経済の発展とはどういうものだったのか
 ・2012年9月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第11章
 ・人類の歴史における論理的認識の創出・使用の過程を問う
 ・長縄跳びの取り組み
 ・国家の生成発展の過程を問う――滝村隆一『マルクス主義国家論』から学ぶ
 ・三浦つとむの言語過程説から言語の本質を問う
 ・2012年10月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第11章
 ・科学者列伝:19世紀の自然科学編
 ・古代から17世紀までの科学の歴史――シュテーリヒ『西洋科学史』要約で概観する
 ・2012年11月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第12章前半
 ・2012年12月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第12章後半
 ・科学者列伝:19世紀の精神科学編
 ・年頭言:混迷の時代が求める学問の確立をめざして
 ・科学はどのように発展してきたのか
 ・一会員による『学城』第9号の感想
 ・一会員による『綜合看護』2012年4号の感想
 ・2013年1月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』を読む前提としての世界歴史の全体像
 ・歴史観の歴史を問う
 ・2013年2月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』をどのように読んでいくべきか
 ・『三浦つとむ意志論集』を読む
 ・言語学の構築に向けてどのように研究を進めるのか
 ・一会員による『綜合看護』2013年1号の感想
 ・改訂版・新大学生に説く「大学で何をどう学ぶか」
 ・2013年3月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』序論(前半)を読む
 ・3年目教師としての1年間を実践記録で振り返る
 ・2013年4月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』序論(後半)を読む
 ・新自由主義における「自由」を問う
 ・2013年5月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第一部 東洋の世界(前半)を読む
 ・三浦つとむ「マルクス・レーニン主義に関する本質的な質問」から学ぶ
 ・言語は歴史的にどのように創出されたのか
 ・一会員による『綜合看護』2013年2号の感想
 ・ヒュームの提起した問題にカント、スミスはどのように答えたか
 ・2013年6月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』東洋の世界(後半)を読む
 ・一会員による2013年上半期の振り返り
 ・認知療法における問いの意義を問う
 ・カント歴史哲学へのアダム・スミスの影響を考える
 ・2013年7月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』ギリシアの世界を読む
 ・2013年8月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第三部 ローマの世界を読む
 ・アダム・スミスの哲学体系の全体像を問う
 ・一会員による『綜合看護』2013年3号の感想
 ・初任者に説く学級経営の基本
 ・カウンセリング上達過程における事例検討の意義
 ・文法家列伝:古代ギリシャ編
 ・ヒューム『政治論集』抄訳
 ・2013年9月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第四部 ゲルマンの世界を読む
 ・言語過程説から言語学史を問う
 ・2013年10月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』「第4部 ゲルマンの世界」第2篇を読む
 ・戦後日本の学力論の流れを概観する
 ・一会員による『育児の生理学』の感想
 ・文法家列伝:古代ローマ・中世編
 ・2013年11月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第4部 ゲルマンの世界 第3篇を読む
 ・古代ギリシャ経済の歴史を概観する
 ・2013年12月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』のまとめ
 ・ヘルバルト教育学の全体像を概観する
 ・年頭言:歴史を切り拓く学問の創出を目指して
 ・歴史的な岐路に立つ世界と日本を問う
 ・一会員による『綜合看護』2013年4号の感想
 ・一会員による2013年の振り返りと2014年の展望
 ・ヘーゲル『歴史哲学』を読む
 ・2014年1月例会報告:学問(哲学)の歴史の全体像について
 ・一会員による『学城』第10号の感想
 ・世界歴史の流れを概観する
 ・現代の言語道具説批判――言語規範とは何か
 ・2014年2月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第3〜11章
 ・ヘルバルト『一般教育学』を読む
 ・新大学生へ説く「大学で何をどのように学んでいくべきか」
 ・2014年3月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第12〜14章
 ・三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』学習会を振り返る
 ・『育児の認識学』は三浦認識論をいかに発展させたか――一会員による『育児の認識学』の感想
 ・2014年4月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第15〜19章
 ・4年目教師としての1年間を実践記録で振りかえる
 ・文法家列伝:『ポール・ロワイヤル文法』編
 ・2014年5月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第20〜26章
 ・道徳教育の観点から見る古代ギリシャの教育と教育思想
 ・古代ギリシャの経済思想を問う
 ・半年間の育児を振り返る
 ・2014年6月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第27〜33章
 ・現代の言語道具説批判・補論――「言語道具説批判」に欠けたるものとは
 ・心理士が医学から学ぶこと――一会員による『医学教育 概論(1)』の感想
 ・アダム・スミス「天文学史」を読む
 ・現代の言語道具説批判2――言語道具説とは何か
 ・2014年7月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第34〜38章
 ・道徳教育の観点から見る中世の教育と教育思想
 ・もう一人の自分を育てる心理療法
 ・2014年8月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第39〜40章
 ・アダム・スミス「外部感覚論」を読む
 ・文法家列伝:ジョン・ロック編
 ・一会員による『学城』第11号の感想
 ・夏目漱石を読む@――坊っちゃん、吾輩は猫である、草枕
 ・2014年9月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第41〜43章
 ・ルソーとカントの道徳教育思想を概観する
 ・アダム・スミスは『修辞学・文学講義』で何を論じたか
 ・全てを強烈な目的意識に収斂させる――一会員による『医学教育概論の実践』の感想
 ・2014年10月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第44〜45章
 ・精神障害の弁証法的分類へ向けた試み
 ・シュリーマン『古代への情熱』から何を学ぶか
 ・2014年11月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第46章
 ・一年間の育児を振り返る
 ・近代ドイツにおける教育学の流れを概観する
 ・2014年12月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』のまとめ
 ・年頭言:弁証法・認識論を武器に学問の新たな段階を切り開く
 ・「戦後70年」を迎える日本をどうみるか
 ・哲学の歴史の流れを概観する
 ・『ビリギャル』から何を学ぶべきか
 ・必要な事実を取り出すとは――一会員による『医学教育 概論(2)』の感想
 ・2015年1月例会報告:南郷継正「武道哲学講義X」
 ・夏目漱石を読むA――二百十日、野分、虞美人草、坑夫
 ・アダム・スミスは古代ギリシャ哲学史から何を学んだのか
 ・マインドフルネスを認識論的に説く
 ・道徳思想の歴史を概観する
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部の要約
 ・弁証法的に学ぶとはいかなることか――一会員による『医学教育 概論(3)』の感想
 ・一会員による『学城』第1号の感想
 ・新大学生への訴え
 ・2015年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論A
 ・心理職の国家資格化を問う
 ・5年目教師としての1年間を実践記録で振り返る
 ・文法家列伝:時枝誠記編
 ・2015年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論B、C、東洋哲学
 ・夏目漱石を読むB――三四郎、それから、門
 ・臨床心理学のあるべき姿を考える――一会員による『医学教育 概論(4)』の感想
 ・アダム・スミス「模倣芸術論」を読む
 ・デューイの教育論の歴史的な意義を問う―『学校と社会』を通して
 ・2015年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ギリシア哲学史の序論、イオニア派の哲学、ピュタゴラスとピュタゴラス派
 ・高木彬光『邪馬台国の秘密』を認識論から読み解く
 ・一会員による『学城』第12号の感想
 ・2015年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エレア派〜ヘラクレイトス
 ・何故言語学の創出が必要か―一会員による2015年上半期の振り返り
 ・事実と論理ののぼりおり――一会員による『医学教育 概論(5)』の感想
 ・夏目漱石を読むC――彼岸過迄、行人、こころ
 ・2015年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エムペドクレス〜アナクサゴラス
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(上)
 ・デューイ教育論の歴史的意義を問う―『民主主義と教育』をとおして
 ・2015年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソフィスト派・ソクラテス
 ・アダム・スミス『法学講義』を読む
 ・学問上達論とは何か――一会員による『哲学・論理学研究(1)』の感想
 ・2015年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソクラテス派、プラトン
 ・庄司和晃追悼論文―庄司和晃の歩みはいかなるもので、何を成し遂げたか
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部第4章の要約
 ・一会員による『学城』第2号の感想
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(下)
 ・夏目漱石を読むD――道草、明暗
 ・2015年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』プラトン 弁証法、自然哲学、精神の哲学
 ・ナイチンゲール看護論を心理臨床に活かす――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(1)』の感想
 ・文法家列伝:時枝誠記編(補論)
 ・英語教育改革を問う―『英語化は愚民化』書評―
 ・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
 ・2年間の育児を振り返る
 ・2015年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学)
 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
 ・ケネー『経済表』を読む
 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言