2017年03月26日

ルソー『学問芸術論』を読む(3/5)

(3)ルソーは弁証法的な見方・考え方を身につけていた

 前回は、『学問芸術論』がどのような目的で書かれたのかを見てきました。端的には、ルソーは学問や芸術を批判したかったわけではなく、学問や芸術の担い手である上流階級のあり方を批判しようとしたのだということでした。

 今回は、この批判の中に見られるルソーの特徴的な見方・考え方を掬いとってみたいと思います。再度、ルソーの主張を引用します。

「ひとびとは今や、ミューズ(学芸の神々)との交わりからえられる主な利益を知りはじめました。その利益というのは、お互いに讃美しあうにふさわしい著作によって、お互いに気に入ろうとする欲望を刺激して、人間を一そう社会的なものにすることです。」(p.14)


「学問、文学、芸術は、政府や法律ほど専制的ではありませんが、おそらく一そう強力に、人間を縛っている鉄鎖を花環でかざり、人生の目的と思われる人間の生まれながらの自由の感情を押し殺し、人間に隷従状態を好ませるようにし、いわゆる文化人を作りあげました。」(p.14)


「要するに、なに一つ徳をもたないのに、あらゆる徳があるかのようなみせかけ」(p.15)


「一そう精緻な研究と一そう繊細な趣味とが、ひとをよろこばす術を道徳律にしてしまった今日では、つまらなくて偽りの画一さが、われわれの習俗で支配的となり、あらゆる人の精神が、同一の鋳型の中に投げこまれてしまったように思われます。たえずお上品さが強要され、礼儀作法が守らされます。つねにひとびとは自己本来の才能ではなく、慣習にしたがっています。ひとびとはもはや、あえてありのままの姿をあらわそうとしません。」(p.17)


 ここで取り上げたいことは2つあります。1つは、現象にとらわれていないという点です。「なに一つ徳をもたないのに、あらゆる徳があるかのようなみせかけ」などの指摘は、まさにその視点を端的に表していると言えるでしょう。「本質としては徳をもっていないけれども、徳をもっているかのような現象を呈している」と述べているのです。冒頭でルソーは「紳士と貧民という経済的な差異などの現象にとらわれず、その本質においては誰もが人間として同じなのだという人間観」をもっていたと書きましたが、このように人間を現象と本質という形で分けて捉える視点がここで見られているということになります。

 認識論的な観点から言えば、何らかの行動を見たときに、その行動の背後にどのような認識があるのかという点に着目しているとも言えます。つまり、行動とその背後にある認識をしっかりと区別しているということです。小論「ロックの教育論から何を学ぶべきか」では、ロックは「たとえ同じ行動であっても、その背後にある認識がどのようなものなのかに着目しなければならない」ということに気づいたと書きましたが、そのような視点がルソーにも受け継がれていると言えるでしょう。

 もう1つ取り上げたい点は、個人と社会の関係に目を向けているという点です。例えば、「あらゆる人の精神が、同一の鋳型の中に投げこまれてしまったように思われます」ありますが、社会的なものが大きく個人の行動に影響を及ぼしていると、ルソーが考えていることがうかがえます。社会の常識や価値観によって動かされているという見方、社会的認識の強さというものを見て取っていることがわかります。また、「お互いに気に入ろうとする欲望を刺激して、人間を一そう社会的なものにすることです」という表現を見ると、個々人も嫌々そのような行動をとっているばかりではなく、社会的な評価を求めて自らそうしているという見方をしていることがわかります。以下のような記述もあります。

「芸術家というものは、すべて、称賛されることを望むものです。同時代の人びとの讃辞は、芸術家のうける報酬のなかで、最も貴重な部分です。(中略)芸術家たちは、讃辞をえるために、いったいどうするでしょうか。諸君、芸術家はどうするでしょうか。彼はその天才を、時代の水準にまで引きさげ、また、彼の死後ずっと後になって、はじめて讃美されるような、すばらしい作品よりも、自分の存命中に讃美される平凡な作品を作るほうを、いっそう好むでしょう。」(pp.37-38)

 つまり、芸術家は今の社会で認められることを求めて、今の社会で認められるような平凡な作品を作るのだということです。このように、個人の行動にその個人が生きている社会が非常に大きな影響を与えているということを見て取り、そこに潜む問題を指摘しようとしたのだということが言えるでしょう。

 ロックは世論に従うことがよいのだと考えていました。かつて執筆した小論「道徳思想の歴史を概観する」において、ロックの道徳思想として「世間で暮らし、どこへ行っても歓迎され、尊敬される真の術を身につけることが紳士としてもっとも必要であり、これこそが道徳的なあり方だということです。大雑把に言えば世論に従うことこそが道徳的だということであり、これは幸福に役立つからこそ価値があるのだということです。」と書きました。それを踏まえると、ルソーはそのロックの道徳観(=教育目的観)を批判したと見ることもできるでしょう。

 以上、ルソーの特徴的な見方・考え方について見てきましたが、現象と本質をわける(行動と認識をわける)という考え方、個人と社会の関係を見るという見方がそこには存在していました。これは一言でいえば、対立物の統一ということであり、ルソーは非常に弁証法的な見方・考え方をしていたのだと言えるでしょう。
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2017年03月25日

ルソー『学問芸術論』を読む(2/5)

(2)ルソーは学問や芸術の担い手である上流階級を批判した

 本稿は、ルソーの処女論文である『学問芸術論』をとりあげ、そこでどのようなことが説かれているかを確認したうえで、そこにはどのような歴史的な意義があるのかを明らかにしようとするものです。今回は、この『学問芸術論』がどのような目的で書かれたのかを見ていきたいと思います。

 前回紹介したように、『学問芸術論』の正式なタイトルは「学問と芸術の復興は、習俗の純化に寄与したかどうか、について」です。ルソーは、この問いに対して、「習俗の純化に寄与しなかった、むしろ堕落させた」という主張をしており、学問や芸術はそのような習俗の堕落をもたらす悪なのだと書いています。例えば、以下のとおりです。

「学問と芸術とが生まれたのは、われわれの悪のせいなのであって、もし、徳のおかげで生まれたのでしたら、われわれが、学問芸術の利益について疑うことは、もっと少ないことでしょう。」(p.31)


「時間の浪費ということは、確かに大きな悪です。が、他のもっと大きな悪が、文学や芸術にはつきまとっています。それは奢侈で、文学や芸術と同じように、人間の無為と虚栄とから生まれたものです。奢侈が学問や芸術を伴わないことは稀であり、学問や芸術が奢侈を伴わないことも、またけっしてありません。」(p.35)


「生活の便宜さが増大し、芸術が完成にむかい、奢侈が広まるあいだに、真の勇気は委縮し、武徳は消滅します。そして、これもやはり学問と、暗い小部屋の中でみがかれる、あのすべての芸術のしわざなのです。」(p.40)


 つまり、学問や芸術は無為や虚栄とから生まれたものであり、またそれは時間の浪費をもたらしたり、武徳を失わせたりするのだということです。学問や芸術は、その起源や目的からして悪なのだと主張しているのです。
 しかし、ルソーは学問や芸術を全否定しているわけではありません。例えば、ルソーは次のようにも書いています。

「もし、若干の人たちに学問芸術の研究にしたがうことを認めなければならないとすれば、これらの巨匠(注;ヴェルラム、デカルト、ニュートンのこと)のあとを独力でたどり進み、彼らを追いこす力を自覚している人びとに対してだけです。すなわち、人間精神の栄誉のために記念碑をうちたてることがふさわしい少数の人びとに対してだけです。」(p.52)


 つまり、過去の巨匠の後を追いかけ、追いこす力を自覚している人びとは、学問や芸術の研究に携われることを認めています。しかも「人間精神の栄誉のために」などの表現から、決して消極的にではなく、積極的に認めているのだと言えるでしょう。

 そもそもルソー自身は音楽家として生活をしており、芸術的な教養を備えていました(ディドロから百科全書で「音楽」の項目について書くよう依頼されていたほどです)。また、デカルトやロック、ライプニッツに代表される当時の学問も学んでいます。そのようなことを踏まえると、ルソーが学問や芸術を悪いものとして否定したとは考えにくいのです。

 結局、ルソーは『学問芸術論』で何を言いたかったのでしょうか。何のために、『学問芸術論』を執筆したのでしょうか。これを明らかにするために、ルソーはどういう社会に生きていたのかを確認してみましょう。

 ルソーが生まれた年は、ルイ14世の没年とほぼ同時期になっています。ルイ14世は絶対王政を確立し、またコルベールによる重商主義政策によって大きく財政を豊かにしていました。こうした中で貴族達は華やかな宮廷生活を送り、学問や芸術の担い手となっていたのですが、度重なる戦争によって財政が悪化し、絶対王政が陰りを見せ始めていたのでした。こうした中で、聖職者たちが第一身分として、政治的な権力や経済力を担うようになり、貴族は税金の免除や軍務の免除などの特権はもつものの第二身分として位置づけられるようになりました。さらにその下に第三身分たる平民がおり、重税に苦しめられていました。やがて資本主義経済が芽生えていく中で、第三身分の中にも金融業者や大商人、大地主といった上層市民、商工業や資本主義的農業経営にたずさわる中産市民、農民や都市商工業者などの民衆への分化が起こるようになりました。このように階層的な身分秩序が形成されていたのが当時のフランス社会だったのです。

 こうしたフランス社会において、ルソーは時計職人の子どもとして生まれました。母親の方は比較的裕福でしたが、すぐに亡くなってしまい、父親も罪を犯して捕まってしまい、13歳から徒弟奉公に出ることになります。その後、放浪の旅に出る中で、憧れていたパリに行くことになったのですが、そこで目にしたのは悪政によって虐げられていた人びとの姿でした。その当時の心境を次のように語っています。

「不幸な人々がこうむるあの過酷と圧制者に対して、わたくしの心の中にそれ以来生じた、あの消しがたい憎しみの芽はここにあった。」(中里良二『ルソー』清水書院、1969年、p.55より)


 このように、聖職者や貴族が優雅に生活をする一方で、第三身分の人々が重税などによって苦しむという社会格差に対して、ルソーは激しい憤りを感じていたのです。これがルソーの根本的な問題意識だと言えるでしょう。

 以上を踏まえて、『学問芸術論』で注目したいのが以下の記述です。

「ひとびとは今や、ミューズ(学芸の神々)との交わりからえられる主な利益を知りはじめました。その利益というのは、お互いに讃美しあうにふさわしい著作によって、お互いに気に入ろうとする欲望を刺激して、人間を一そう社会的なものにすることです。」(p.14)


「学問、文学、芸術は、政府や法律ほど専制的ではありませんが、おそらく一そう強力に、人間を縛っている鉄鎖を花環でかざり、人生の目的と思われる人間の生まれながらの自由の感情を押し殺し、人間に隷従状態を好ませるようにし、いわゆる文化人を作りあげました。」(p.14)


「要するに、なに一つ徳をもたないのに、あらゆる徳があるかのようなみせかけ」(p.15)


「一そう精緻な研究と一そう繊細な趣味とが、ひとをよろこばす術を道徳律にしてしまった今日では、つまらなくて偽りの画一さが、われわれの習俗で支配的となり、あらゆる人の精神が、同一の鋳型の中に投げこまれてしまったように思われます。たえずお上品さが強要され、礼儀作法が守らされます。つねにひとびとは自己本来の才能ではなく、慣習にしたがっています。ひとびとはもはや、あえてありのままの姿をあらわそうとしません。」(p.17)


 簡単にまとめると、「学問や芸術の利益は、お互いに気に入ろうとする欲望を刺激して、人間を社会的にすることである」「学問や芸術は、人間の生まれながらの自由の感情を押し殺して隷属状態を好ませるようにした」「(学問や芸術によって)なに一つ徳をもたないのに、あらゆる徳があるかのようなみせかけが生まれた」「慣習にしたがっていてありのままの姿をあらわそうとしない」ということになります。もう少し言えば、学問や芸術が、周囲の人間に気に入られる手段になってしまっているということです。社会的に価値があるとされるものを身につけることによって、周囲の人間から賞賛されることばかりを求めているという指摘です。そして、このような状態になった人間を「文化人」と呼んでいるわけですが、この文化人こそ、ルソーが批判的に捉えた上流階級の人びとを指していると言えるでしょう。

 以上を踏まえると、ルソーは『学問芸術論』において、決して学問や芸術を否定しようとしたわけではなく、その学問や芸術の担い手となっていた当時の上流階級の人々の在り方を批判したかったのだということになるでしょう。そこにこそ、『学問芸術論』の執筆動機があったのです。
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2017年03月24日

ルソー『学問芸術論』を読む(1/5)

<目次>
(1)ルソーは『学問芸術論』で何を説いたのか
(2)ルソーは学問や芸術の担い手である上流階級を批判した
(3)ルソーは弁証法的な見方・考え方を身につけていた
(4)ルソーは自らの良心に従ってアンチテーゼを投げかけた
(5)『学問芸術論』の人間観にはロックの思想からの継承と発展があった

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(1)ルソーは『学問芸術論』で何を説いたのか

 昨年掲載した「ルソーの教育論の歴史的意義を問う」と題した小論において、ルソーの教育論の歴史的意義について、次のように述べました。

「人間は将来どんな社会で生きていくかわからないから、どんな社会でも生きていけるようにしないといけない。それこそが教育の目的である。どんな社会でも生きていける人間というのは、権威に頼らず自分のアタマで考えて行動できる人間、つまり主体的な人間であり、そのような人間であってこそ社会の維持・発展も可能となる。したがって、教育方法に関しても、自らのアタマを働かせて対象に取り組んでいくように工夫しなければならないし、何よりも教師自身が主体的な人間でなければならない、ということです。

 では、このようなルソーの教育論はどのような意義があると言えるでしょうか。

 何よりも着目されるのは、その教育概念でしょう。ロックにおいては、紳士の教育と貧民の教育という形で、教育を2つに分けて論じられていたのでした。それに対して、ルソーにおいては、どんな社会でも生きていけるようにすることが教育だと主張しました。つまり、紳士の教育とか貧民の教育とかいう以前に、共通する土台の部分が存在するのであり、そこを教えることが重要だと主張したのです。現在、専門教育や大学教育などに至る前に義務教育が存在しますが、このような学校制度の原型となる考え方を打ち出したのだと言えるでしょう。このように教育という過程において、共通となる土台の部分を指摘したことが、ルソーの教育論の歴史的な意義だと言えるでしょう。」

 つまり、ルソーは、いかなる社会でも生きていけるように主体的な人間を育てることが教育だと主張したのだということです。そして、これは誰に対しても行わなければならないものであり、紳士の教育と貧民の教育と2つがわけて考えられていた段階(ロックの段階)から見れば発展であったということです。紳士と貧民という経済的な差異などの現象にとらわれず、その本質においては誰もが人間として同じなのだという人間観を抱いていたのだと言えるでしょう。

 このような人間観・教育観はペスタロッチやカントに引き継がれていくことになります。例えば、ペスタロッチは、『隠者の夕暮れ』の冒頭において、「玉座の上にあっても木の葉の屋根の蔭に住まっても同じ人間、その本質から見た人間、そも彼は何であるか。」と述べています。ここには玉座の上にある人間と木の葉の屋根の陰に住む人間を同じ人間として捉え、その共通性を把握しようという問題意識が窺えますが、こうした認識の原形はルソーにあると言えます。また、カントは「人間は教育によって人間となる」という有名な命題を打ち立てましたが、そのカントはルソーの『エミール』が出版されたとき、それに没頭するあまり、絶対に欠かさなかった朝の散歩を忘れてしまったという逸話があるほどです。 このように、ルソーは今日につながるような人間観・教育観を打ち出した人物なのです。

 昨年「ルソーの教育論の歴史的意義を問う」、そして「近代教育学の成立過程を概観する」を執筆する過程で、このようなルソーの意義を改めて確認することができ、改めてしっかりとその主張を掬い取っていかなければならないと感じるようになりました。

 ここで重要なのは、ルソーは決して単なる教育思想家だったわけではなく、そもそも社会思想家だったということです。つまり、社会全体について論じる中で教育についても扱っているということです。したがって、ルソーの社会思想全体からその教育思想を見ていく必要があります。筆者はこれを今年の大きな課題としています。そのために『学問芸術論』、そして『人間不平等起源論』、さらに『社会契約論』と一連のルソーの著作を読み、そこで何が説かれているのか、それをどのように把握していけばよいかということを明らかにしていこうと考えています。

 ルソーを扱うことは、民主主義とは何かということを確認する上でも重要だと考えています。ここに関わっては、とりわけ現在はテロ等組織犯罪準備罪(共謀罪)が最も大きな問題でしょう。

 2月28日に示された原案では、一定の犯罪の実行を目的とする組織的犯罪集団が、重大な犯罪を計画し、メンバーのうちの誰かが、資金または物品の手配、関係場所の下見、その他の、犯罪を実行するための準備行為を行った場合などに、テロ等準備罪として処罰すると定めています。このうち、組織的犯罪集団には、テロ組織や暴力団、薬物密売組織などが含まれるとしています。また、処罰対象となる重大な犯罪は、組織的な殺人やハイジャックなど、テロの実行に関連する110の犯罪に加え、覚醒剤や大麻の輸出入といった、薬物に関する30程度の犯罪など、組織的犯罪集団が関与することが現実的に想定される、合わせて277としています。さらに、罰則については、死刑や、10年を超える懲役や禁錮が科せられる犯罪を計画した場合、5年以下の懲役か禁錮とするなどとしています。

 しかし、「組織的犯罪集団」の明確な定義はなく、その団体が犯罪集団であるかどうかを判定するのは捜査機関であり、恣意的な解釈が行われる可能性が出てきます。これでは市民運動や労働運動などの弾圧にもつながりかねません。全国労働組合総連合事務局次長の橋口紀塩氏は「『共謀罪』の創設は、労働組合や市民団体の運動を委縮させること、国民が声を上げることを封殺することに、その狙いがある」と指摘しています。また、琉球新報は民主主義を破壊するものだと主張しています。

【談話】「共謀罪」創設に反対し、法案提出中止を求める
http://www.zenroren.gr.jp/jp/opinion/2017/opinion170208_01.html

<社説>「共謀罪」提出へ 民主主義崩す「悪法」だ
http://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-346152.html

 こうした情勢において、そもそも民主主義とは何かについて、その原点であるルソーを把握しておくことが重要な意味があるでしょう。

 以上を踏まえて、本稿ではルソーの処女論文である『学問芸術論』(正式なタイトルは「学問と芸術の復興は、習俗の純化に寄与したかどうか、について」)を取り上げます。これはアカデミーの公募論文に応募してルソーが執筆したものです。前川貞次郎訳の岩波文庫版では50ページほどの短いものです。その内容は、当時の一般的な認識と大きく食い違うものであったため、世に広まると様々な論争を引き起こすこととなり、ルソーは論壇の舞台に立たされることになっていくのです。ルソーが38歳のときのことでした。

 本稿では最初の『学問芸術論』がどのような目的で書かれたのかを明らかにします。続いて、そこでどのようなことが説かれているのかを確認し、その歴史的な意義について見ていきたいと思います。(以下、ページ数のみの場合は、すべて前川貞次郎訳の岩波文庫版の『学問芸術論』からの引用です)。
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2017年02月22日

本来の科学的な教育とは何か(5/5)

(5)教育の事実を創り、その事実を論理化する作業が求められる

 近年、科学的根拠に基づいた教育(エビデンス・ベースト・エデュケーション)が大きく取り上げられるようになっていることを踏まえて、本稿では教育学の構築という観点からこの動きをどのように評価することができるのかを明らかにしてきました。

 ここで、これまでの流れを振り返ってみましょう。

 まず科学的な実践とはどういうものかという点について、薄井先生の著作をもとに見てきました。そもそも科学的とは、対象のもっている性質を見抜いて行動するということでした。看護実践で言えば、目の前の患者に対してどうすることが看護になるのかを押さえて、そのするべきことを患者の性質に合わせて行っていくのが科学的な看護実践だということでした。その具体的なイメージを描くために、薄井先生が相談を受けた奥さんの事例を紹介しました。なぜ奥さんが問題行動を起こすのかを踏まえて、それにどう対応すればいいのかを予測して実践に取り組むのが科学的な実践だということでした。このような科学的な看護実践によって、対象(患者)を望ましい方向に変化させる可能性が高まるのであり、(看護の)事実を創り出されるのだということでした。ここから科学を構築するためには、そうした事実を共通する性質を論理として掬い取っていく必要があるのだということでした。

 続いて、科学的な根拠に基づいた教育(エビデンス・ベースド・エデュケーション)とはどのようなものかを、中室牧子『学力の経済学』を参考にしながら見ていきました。これは「どういう教育が成功する子どもを育てるのかという問いについて、その原因と結果、すなわち因果関係を明らかにすること」、つまり「Aという教育的な働きかけをしたら、Bという子どもの結果が生まれた」という因果関係を明らかにしようとするものだということでした。そうした因果関係を明らかにするために、ランダム化比較試験などを行い、ある教育政策や教育方法の効果を測定するのだということでした。こうして明らかにされた知見として、「インプットにご褒美をあげることが学力テストの結果の向上につながる」「子供のもともとの能力(=頭のよさ)をほめると、子どもたちは意欲を失い、成績が低下する」「男の子なら父親が、女の子なら母親がかかわるとよい」などがあり、このような知見を集めること、またこうした知見に基づいて教育を行うことが、が科学的な根拠に基づく教育だということでした。ただ、実験が難しいことや、明らかになった因果関係の内部構造がわからないことなどの問題点もあるということでした。

 最後に、科学的な根拠に基づいた教育というのは、どのように評価することができるのかを見てきました。現在の学校現場では、ときには条件次第であったり、効果が疑問視されたりするものが学校の統一ルールとして定められ、様々な弊害がもたらされているということを確認した上で、その正しいとされている方法は本当に正しいのかを問う動きとして「科学的な根拠に基づく教育」という考え方が生まれてきているのであり、その点はしっかりと評価する必要があるということでした。では、科学的な根拠に基づく教育の研究・実践を積み重ねていけば、教育学の体系化につなげることができるかと言えば、そうではないということでした。そもそも科学の構築のためには、まずは事実を創り出すこと、その上でそれらの事実の共通性を論理として把握していくことが必要だということでした。この方向性と、科学的な根拠に基づく教育の方向性がどう違うのかを薄井先生が受けた相談の事例で明らかにしました。結局、科学的な根拠に基づいた教育は「こうしたらこうなった」という事実をたくさん集めようとするものにすぎず、またその事実もあくまでも目に見えるものに限られており、目に見えない人間の認識は捨象されてしまっているということでした。このような限界があることを、教育学の構築を図っていくためには、しっかりと押さえておかないといけないということでした。

 薄井先生は、どうすれば看護学を創ることができるのかを悩んだ挙げ句、認識論を学んでいた三浦つとむさんを訪ねたエピソードを紹介しておられます。

「『科学的看護論』を書いていた時、思いあぐねてある著者、学生時代から書物(『認識と言語の理論』勁草書房)を通して認識論を学んでいた三浦つとむ氏を思い切って訪ね、なぜ人間の精神についての科学が遅れているのでしょう、とお尋ねしたことがありました。

 すると氏は、『科学的抽象ということの意味が理解されていないからですよ』と、いとも簡単に言われました。この言葉をずっと暖めつづけていましたが、いくつかのプロセスレコードの抽象化を試みた結果、これで人間の精神と精神の関わりを、浮きぼりにしていくことができるという確信が湧いてきたのです。

 そこで、いろいろなレベルの対応で実験を重ね、学生たちにもプロセスレコードを通して解説したり、プロセスレコードを起こして、看護過程を客観視させる学習を組み込んできたのです。現在では、科学的抽象ということの意味は、『個々の現象のカタチを捨てて内容をすくい上げること』だということを学生たち自身が自覚できるようになってきています。」(薄井坦子『科学的な看護実践とは何か』(下)、現代社、1988年、p.157)


 ここで三浦つとむさんは、科学的抽象ということの意味が理解されていないから、精神についての科学が遅れているのだと指摘しておられます。この指摘が現在においても当てはまるのだと言えるでしょう。

 以上を踏まえて、教育学の構築に向かって、今後、実践現場においてどのような取り組みをしていく必要があるのかを考えてみましょう。まずは教育と呼べる事実を創り出すことが求められます。そもそも教育とは社会的個人としての人間の育成です。では「目の前の子どもに対して社会的個人として育てるとはどういうことなのか」「この教材で何を教えれば社会的個人として育てたということになるのか」ということを念頭において子どもと関わったり、授業を行ったりして、子どもを成長させていかなければなりません。

 その上で、その教育の事実はどういうものであったのかを論理的に把握する必要があります。自分がどのようなことを考えて子どもに働きかけたのか、それに対して子どもはどのような反応をしたのか。そういった教育の過程を事実として明らかにすること(看護学で言えばプロセスレコードを書くこと)、そしてそれは結局どういう過程であったと言えるのかを問うていくこと、こうした作業を積み重ねていく必要があると言えるでしょう。また、他の人の教育実践を見るときも、そのような形で分析していく必要があります。

 最後に、なぜ教育学を構築する必要があるのかを確認しておきたいと思います。これはいろいろな理由を挙げることができるのですが、その1つが専門家としての主体性を保つため、と言えます。「そもそも教育とはこうだから、こうするのだ」という形で自分の判断・行為の根拠を説けるということです。科学的な根拠に基づく教育でも、同じようなことが主張されていますが、実はここには大きな違いがあるのです。科学的な根拠に基づく教育の場合、「こうするといいという事例が多いからこうする。何でそうするといいのかはわからないけど。」ということなのです。これでは専門家として自信をもって仕事をしていくことは到底できません。統計的に「こうするといい」と言われていても、目の前の子どもに対してそれをするのはいいとは限らないからです。そうではなくて、そもそも人間とは何かを踏まえて教育とは何かを明らかにし、そこから目の前の子どもへの働きかけすべてについて、その根拠を説けるようにするものが本当の教育学なのです。そうした教育学を構築するために、今後も研鑽に励んでいきたいと思います。
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2017年02月21日

本来の科学的な教育とは何か(4/5)

(4)科学的な根拠に基づいた教育はどう評価できるのか

 前回は、近年注目されつつある「科学的な根拠に基づいた教育」というものがどのようなものであるのかを紹介しました。端的には、「AすればBになる」ということを明らかにすることが科学(的な研究)であり、そうやって明らかになった知見に基づいて教育を行うことが科学的な根拠に基づく教育だということです。これには実験が難しいこと、明らかになった因果関係の内部構造がわからないことなどの問題点もあるということでした。

 では、このような「科学的な根拠に基づいた教育」というのは、どのように評価することができるのでしょうか。今回はこの点について見ていきたいと思います。

 まず押さえておきたいのは、現在の学校現場ではどのような研究がなされているのかということです。通常、多くの学校では校内研究として、各学年の代表の先生などが年に1回研究授業を行い、それを学校の先生が参観し、放課後に授業検討を行うという取り組みをしています。そこで「このような指導がよかったのではないか」「こう指導すればよいのではないか」などが話し合われています。そうした結果も踏まえながら、学校としてこんな指導をしていこうということが定められていきます。例えば、「発表をさせるためにはまずは小グループで自分の考えを述べたりした後で、全体の場で発表させる方がいい」とか「授業の最初に本時のめあてをしっかり板書した方がいい」とか「授業の最後に振り返りを書かせた方がいい」などです。

 こうした方法の中にはもっともなものもあるのですが、ときには条件次第であったり、効果が疑問視されたりするものが学校の統一ルールとして定められることがあります。例えば、「授業の最初にめあてを板書し、ノートに書かせる」や「授業の最初と最後に必ず起立して挨拶をする」などです。めあてを板書するのは、その時間の授業で何をするのかを子どもにわからせるためです。そのための1つの方法として「めあての板書」というものが存在するわけです。他にも「口頭で話す」「(算数などで)教科書の例題を解かせてわからせる」などの方法もあります。どれがよいかなどクラスの条件次第であるのに、画一的に方法が統一されているために様々な弊害をもたらすことになっています(例えば、極度に字が書けない子は最初の段階でついていくのが難しくなったり、それを待つと全体の空気がたるんできたりします)。

 そうした画一的、信条的、感覚的に正しいとされている方法について、本当にそうかと問う動きとして「科学的な根拠に基づく教育」という考え方が生まれてきているのであり、その点はしっかりと評価する必要があるでしょう。

 では、「科学的な根拠に基づく教育」の研究・実践を積み重ねていけば、教育学の体系化につなげることができるのでしょうか。これは残念ながら、否と言わなければなりません。

 (2)で明らかにしたように、科学の構築のためには、一般論を踏まえて事実を創り出すこと、その上でそれらの事実の共通性を論理として把握していくことが必要だということでした。(2)で紹介した薄井先生が受けた相談の事例で考えてみましょう。

 この事例では、おかしなことを口走ったり、ひがんだり、言葉がひどくなったり、御主人の下着をはさみでちょんぎったりする奥さんに対して、薄井先生は、御主人が肌の触れあいや抱きしめるなどの強い刺激を与えるといいと回答していたのでした。これで奥さんの様子が改善されたとすれば、それは1つの良い事実を創りだしたということになります。

 科学的な根拠に基づいた教育の場合、こういう事例をたくさんあつめて、例えば「御主人に対していろいろな問題行動をする奥さんに対しては抱きしめればよい」ということを明らかにしようとするわけです。このように述べると、「それがいいとは限らないだろう」と変な感じがしませんか。でも、目指そうとしているのはこういうことになるのです。

 さらに言えば、同じように抱きしめるにしても、本当に愛情をもって抱きしめることと、仕方がないから抱きしめるというのでは、相手の反応も異なってくるはずです。つまり、行動の背後にある認識がどのようなものであるかが相手の反応に大きな影響を及ぼすということです。ところが、科学的な根拠に基づく教育では、目に見えない認識というものは捨象してしまい、「抱きしめる」という目に見える行為にしか目が向けられていません。

 では、本来の科学的な立場に立って、この事例に潜む共通性を論理として導き出すとはどういうことなのでしょうか。まず「おかしなことを口走ったり、ひがんだり、言葉がひどくなったり、御主人の下着をはさみでちょんぎったりする奥さん」とは何なのかを問うのです。この事例の場合で言えば、「夫からの愛情や必要性を感じられていない奥さん」ということになります。その奥さんを抱きしめるとはどういうことかと言えば、「夫の愛情を伝える」ということです。したがって、この事例を論理化するならば、「相手からの愛情や必要性を感じられていなくて問題行動を起こしている人に対して、愛情を示した」ということになります。

 この愛情の示し方は相手の性質(性格)によります。この事例では抱きしめるという形でしたが、感謝の気持ちを書いて置き手紙をするとか、花を買ってくるとか、そういう方法がよい人もいるでしょう。そのようなその人特有の性質も、その人の諸々の言動の事実から見抜いて行動するのが科学的な実践なのです。

 (3)で紹介した知見の1つに、「男の子なら父親が、女の子なら母親がかかわるとよい」というものがありましたが、これがわかったところで、もしシングルマザーで子どもが男の子だったら、その母親は一体どうしたらよいのでしょうか。その母親にとっては役に立たない知識だということになります。

 しかし、もっと論理化して「同性の親がよい」とか、あるいは、同性の方がよいのは子どものことがよくわかるからでしょうから、「子どものことがよくわかっているとよい」というレベルで捉えれば、シングルマザーであっても「男の子ってどういうことに興味・関心があるのかな」などとちょっと意識的に学んで子育てに取り組めば大丈夫だということになります。

 科学的な根拠に基づいた教育は「こうしたらこうなった」という事実をたくさん集めようとするものだと言えます。これはこれで非常に重要な作業であり、そのことは否定しません。ただ、それは事実の収集に留まるものであること、またその事実もあくまでも目に見えるもののみを対象としており、目に見えない人間の認識は捨象してしまっています。このような限界があることをしっかり押さえておく必要があると言えるでしょう。
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2017年02月20日

本来の科学的な教育とは何か(3/5)

(3)科学的な根拠に基づいた教育とはどのようなものか

 前回は、科学的な実践とは何かという点について、薄井先生の著作を参考にしながら見てきました。そもそも科学的な看護実践とは、個々の患者に対してどうすることが看護になるのかを踏まえた上で、患者の性質に合わせてそれを行っていくというものだということでした。科学的な実践によってこそ、看護の事実が生み出せる可能性が高くなるのであり、そうして生み出された看護の事実に潜む共通した性質を論理として導き出し、また導き出した論理を使って事実を創るという過程を繰り返すことで看護学の構築が可能になるのだということでした。

 今回は、科学的な根拠に基づいた教育(エビデンス・ベースド・エデュケーション)とはどのようなものかを見ていきたいと思います。こちらについては、中室牧子『学力の経済学』を参考にしながら見ていきましょう。

 中室氏は「教育経済学者の私が信頼を寄せるのは、たった一人の個人の体験記ではありません。個人の体験を大量に観察することによって見出される規則性なのです」(p.17)と述べています。

 つまり、どうしたらどうなったという規則性をたくさんの体験(事実)から導き出そうとしているということです。別の箇所では、次のように述べています。

「経済学者がしているもうひとつのこと、それは『どういう教育が成功する子どもを育てるのか』という問いについて、その原因と結果、すなわち因果関係を明らかにすることです」(p.20)


 要するに、「Aという教育的な働きかけをしたら、Bという子どもの結果が生まれた」という因果関係を明らかにしようとしているのだということです。その因果関係を踏まえて、成功する子どもを育てていこうということです。

 では、どのようにしてその因果関係を明らかにするのでしょうか。医療を例にして、次のように書かれています。

「『治験』は治療における臨床試験のことを指し、新しく開発された薬に本当に病気を治す効果があるのかを確かめるために行われる実験です。

 治験に参加する被験者を、新しく開発された薬を投与される人(これを『処置群』、または『トリートメントグループ』と呼びます)と、偽薬またはプラセボと呼ばれる実際には効果のない薬を投与される人(これを『対照群』、または『コントロールグループ』と呼びます)にランダムに分けて、一定期間経過を観察した後で、新しく開発された薬を投与された人の症状と、偽薬を投与された人の症状を比較します。

 前者の治癒率が後者の治癒率よりも高く、その差が『統計的に有意』であれば、この薬には因果効果があったといえるでしょう。」(pp.23-24)


 つまり、Aの効果を測るために、Aという処置をするグループと、Aという処置をしないグループに分けて、両者の結果を比較するということです。その差が統計的に有意であるかを調べることで、Aの効果を明らかにしようということです(これはランダム化比較試験と言い、その手続きには様々な細かな注意点がありますが、ここでは本題ではないので省きます)。

 こうして明らかにされた(教育に関わる)因果関係とは具体的にはどういうものなのでしょうか。例えば、本書では「テストでよい点を取ればご褒美をあげます」と「本を1冊読んだらご褒美をあげます」では、どちらの方が効果的かという問いについて、後者の方が学力テストの結果がよくなったという実験結果が紹介されています(p.30)。これを踏まえて、インプットにご褒美をあげることが学力テストの結果の向上につながるとされています。また、「子供のもともとの能力(=頭のよさ)をほめると、子どもたちは意欲を失い、成績が低下する」(だから、「頭がいいのね」と褒めるより「よく頑張ったわね」と褒める方がよい)(p.48)、「男の子なら父親が、女の子なら母親がかかわるとよい」(p.60)、教育を投資と考えた場合「もっとも収益率が高いのは、子どもが小学校に入学する前の就学前教育(幼児教育)です」(p.76)、「少人数学級は費用対効果が低い」(p.101)などが挙げられています。

 このように、「AすればBになる」ということを明らかにすることが科学(的な研究)であり、そうやって明らかになった知見に基づいて教育を行うことが科学的な根拠に基づく教育だということです。

 ただ、こうした研究・実践にはいくつかの問題点もあります。まず単純に考えて、「AすればBになる」ということを明らかにするための実験を学校現場で行うことは非常に難しいことはわかるでしょう。Aという指導法の効果を調べるために、一定期間、1組ではAという指導をして、2組ではAという指導をしないということをした場合、もしAという指導法に効果があれば、それをなされなかった2組はどうなるのかという問題が起こります。この問題を解決するために、次は1組ではAという指導をせず、2組でのみするという方法もありますが、いずれにせよなかなか導入しにくいことはわかるでしょう。

 さらに、その学校で「AすればBになる」ということが厳密な手続きに基づいて明らかにされたとしても、その地域全体、あるいは日本全体、世界全体で言えばそうではないということもあります。このように「ある国におけるランダム化比較試験の結果が、他の国で当てはまるかどうかがわからないという『外部妥当性の問題』が存在」(pp.178-179)しています。

 そして、「AすればBになる」ということがわかったとしても、「なぜそうなったのか」というメカニズムがよくわからないということも挙げられます。このメカニズムのことを経済学の用語で「内部構造」といい、内部構造が不明であるからこそ外部妥当性の問題などが起こると考えられると中室氏は指摘しています(p.179)。科学的な根拠に基づく教育には、このような問題点も存在しているのです。
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2017年02月19日

本来の科学的な教育とは何か(2/5)

(2)科学的な実践とはどういうものか

 本稿は、科学的な根拠に基づいて教育をすべきだという動向があることを踏まえて、こうした動きはどのように評価できるものなのか、教育学の構築ということにつながるものなのか、そもそも教育の科学化とはどういうことなのか、それを踏まえて自分自身はどういう取り組みを行っていくべきなのかを明らかにしようとするものです。

 今回は、そもそも科学的な実践とはどういうものなのかについて、薄井坦子先生の著作を中心としながら見ていきたいと思います。

 まず「科学的」とはどういうことなのでしょうか。薄井先生は次のように説いておられます。

「私はここにお手拭きを持っていますが、これをこう眼の前まで持ち上げておいて、『このままで手を離してもよろしいでしょうか?』とお尋ねすると、まあどなたも『結構です』とおっしゃると思うんですね。でも、こんどは眼鏡を手に持って同じように高く掲げて、『手を離してよろしいでしょうか?』とお尋ねすれば、これは小さな子供でも『よした方がいい』と、すぐ言いますね。なぜでしょうか。それは、眼鏡もお手ふきと同じように落ちるに違いない。お手拭きと眼鏡とでは性質が違うから、手を離したばあいに、それぞれこういう現象が起こるのではないか、というように想像できるのですね。だから、眼鏡の時は『よした方がいい』という判断を下したということです。このように、そこにある性質を見抜いて行動する、というのが科学的ということなのであり、ここが出発点なのです。」(薄井坦子『科学的な看護実践とは何か』(上)、現代社、1988年、p.130)


 つまり、対象のもっている性質を見抜いて行動するということが科学的だということです。看護実践で言えば、患者がどんな性質を持っているのかということを見抜いて行動するのが科学的な看護実践だということになるでしょう。

 看護実践の例ではないですが、このことがよくわかる事例が紹介されています。薄井先生が知り合いの方から「知人の奥さんがおかしくなった」という相談があったそうです。奥さんがおかしなことを口走ったり、ひがんだり、言葉がひどくなったり、御主人の下着をはさみでちょんぎったりしたということです。この御主人は50代の終わりくらいで、手広く事業を営んでおり、全国を駆け回っておられました。奥さんがしょっちゅう旅の支度をされていたのですが、あるとき御主人が滞在中に入院することになり、3ヶ月間そこに滞在されることになったということです。一度奥さんが見舞いに行ったときには、付き添い看護婦がいたということです。こうした話を聞いて、次のように薄井先生は回答しておられます。

「御主人はたいへん愛情深い方ですし、仕事熱心な方ですし、奥さんが想像しているようなことは何もない方なんだそうですけれども、その時代の男の人というのは、なかなか具体的な表現ができませんね。御主人としては三十何年も一緒に生きてきているんだから、私のことぐらい妻にはわかっているはずだと、こうなっているんです。

 そこで『奥様は、御主人がもう自分を必要としていないというふうに、追い詰められていったのではないかと、私は思います』と申し上げたのです。『奥さんにとっていちばんだいじなことは、その御主人が奥様を必要としてるということではないか、それを奥さんにわからせてあげられるかどうかということです。それも『具体的に』なのです。理屈ではないのです。(中略)』

 今の事例のような状況の時には、行動や表現は率直でなければいけませんね。肌の触れあい、それも力を込めて抱きしめるとか、そういう強い刺激というものが必要でしょうね。」(同上書、pp.133-134)


 ここで薄井先生は、どうしてこのような問題が起こっているのかを御主人と奥さんの性質を踏まえた上で明らかにしておられます。この性質というのも、その人個人に特有のものもあれば、その年代の人とか男性・女性に特有のものもあれば、人間一般に当てはまるものもあります。薄井先生はこの御主人や奥さんと直接の面識はないわけですから、人間がもつ一般的な性質(例えば、人間は社会的に役割を認めてもらいたい、など)や、特殊な性質(年配の男性は具体的な愛情表現が苦手、など)を踏まえて、どう対応すればいいのかをアドバイスしておられます。

 このように対象の性質を踏まえて、どう対応すればいいのかを予測して実践に取り組むのが科学的な実践なのです。

 これを踏まえて、科学的な看護実践とはどのようなものなのかを見てみましょう。

 薄井先生によれば、そもそも看護とは「生命力の消耗を最小にするよう生活過程をととのえること」です。これは看護という看護すべてに共通する性質(これがなければ看護ではないという性質)を論理として把握したもの、つまり看護一般論です。したがって、個々の患者を眺めたときに、「この患者の生命力を消耗させているものは何だろう」と問いかけて対象を見つめ、その消耗させているものを取り除くように働きかけていかなければなりません。

 『科学的な看護実践とは何か(上)』で紹介されている事例ですが、例えば被害妄想の強い青年が、他の患者の歩行訓練を手伝っている看護婦に対して、「死ね、と言っただろう」と言ってきたとします。実際はそんなことは言っていないわけですから、これはAさんの被害妄想でしかありません。しかし、この妄想によってAさんは生命力が消耗させられているわけですから、これを取り除くことが看護として必要となります。
 しかし、看護婦は「そんなこと言ってないわよ」と言い返しても、その青年は聞かなかったようです。そこで薄井先生は、この青年の成育歴から「幼少時に非常に細やかな人間のかかわりを受けることもなく、それを他の人に補われることもなく育ってきて、かつ特にこの方は女性とかかわりが少なかった。ところが就職したら、とたんにそこは人間関係の渦ですよね。人間関係の渦の中でうまく適応できない状態が出てきて、そして結婚したお兄さんのお嫁さんとうまくいかなくて、入院してくると看護婦は女ですね。“避けられた”と思った時に、俺だって男だぞと思ったとしても、全然おかしくない」(pp.172-173)ということを読みとり、「『死ね、と言っただろう』ということは、つまり自分の存在感をゆさぶられたわけですから、この人の気持ちを支えるためには、少なくとも、『あら、Aさんそこにいたの?ちょっと手伝って』というような対応はできないものでしょうかね。」(p.175)とコメントしておられます。

 つまり、この青年は女性との関わりがうまくできないため、看護師の言動から「避けられた」「自分を否定された」という認識を抱いてもおかしくないのであり、それが「死ね、と言っただろう」という表現として現れているのではないかということです。したがって、「避けられた」「自分を否定された」という認識にこそ働きかけないといけないのであり、そのためには、看護師の仕事を手伝わせるという形で役割を与えるのがよいということです。

 このように、どうすることがその患者にとって看護になるのかを踏まえて、患者の性質に合わせて、それを行っていくことが科学的な看護実践だと言えるでしょう。このような科学的な実践によってこそ、看護の事実が創られる可能性が高くなるのです。

 なお、ここから看護学を構築していくためには、こうして創られた看護の事実から、さらに論理を導き出していく必要があります。こうした作業を行うために、薄井先生は看護実践の記録としてプロセスレコードを書くことを重視しておられます。対象の言動・それを見た看護師の認識・その認識に基づいた看護師の表現という3つの観点から、時系列でその看護場面を描くのです。そうやって事実を押さえた上で、その事実にひそむ性質を論理としてすくい取っていくのです。

 このように事実から論理を導き出し、またその論理を使って事実を創るという形で事実と論理をのぼりおりする中で、「生命力の消耗を最小にするよう生活過程をととのえること」という看護一般論の中身が構造化され、看護学体系が構築されていくのです。
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2017年02月18日

本来の科学的な教育とは何か(1/5)

○目次
(1)科学的な根拠に基づいた教育が重要視されている
(2)科学的な実践とはどういうものか
(3)科学的な根拠に基づいた教育とはどのようなものか
(4)科学的な根拠に基づいた教育はどう評価できるのか
(5)教育の事実を創り、その事実を論理化する作業が求められる
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(1)科学的な根拠に基づいた教育が重要視されている

 近年、科学的な根拠に基づいた教育(エビデンス・ベースト・エデュケーション)ということが大きく取り上げられるようになっています。例えば、次のような記事があります。

http://www.chunichi.co.jp/article/feature/manabieye/list/CK2016091902000004.html

「科学的な根拠」を教育に生かす 教員らが研究会 
米国の研究者らともインターネット電話で議論した研究大会=京都市で

 統計データなどの科学的な根拠(エビデンス)に基づいて実践する教育に、研究者らが着目している。なぜ今、関心が持たれるのか。教員や研究者らによる「エビデンス・ベースド・エデュケーション(EBE)研究会」を訪ねた。

 八月二十七日、京都市の大学の会議室に、全国から小中学校の教師、大学の研究者、シンクタンクの研究員らが集まった。

 代表で、養北小学校(岐阜県養老町)の教諭森俊郎さん(32)が、エビデンスに基づき対処法を考えた事例を報告した。「中一ギャップ」への取り組みだ。

 中一ギャップは、中学一年生が、小学校と大きく異なる学校生活になじめず、不登校などの問題が生じること。森さんが中学教諭だったときに、同僚が悩まされていた。

 森さんは、「中一ギャップ」についてインターネットで情報を集めた。中学一年の不登校の人数は、小学六年の不登校の約三倍になるとの文部科学省のデータにたどり着いた。「では、その原因は?」。国立教育政策研究所の資料には、中学一年の不登校生徒の半数は、小学四〜六年で欠席か欠席相当の日数が計三十日以上ある、とあった。

 「中一ギャップの明確な定義はなく、前提となっている事実認識も客観的事実とは言い切れない」との記載もあったが、米国の教育研究のデータベースで「ドロップアウト」で検索すると、不登校には、勉強や人間関係が影響しているとの報告があった。

 こうした情報を基に、森さんは同僚と、(1)四月は、特に小学校で欠席が多かった子には頻繁に声を掛ける(2)生徒が相談しやすい人間関係をつくる−の二つを心掛けることを確認した。その結果、小学五、六年で不登校だった生徒が中学校には登校し、楽しく学校生活を送れるようになった。大会では海外の研究事情の報告もあった。

 エビデンスは世界中の研究を調べ導き出す。教育の効果を分析したり、方向性を決めたりするのに役立つと考えられている。


 つまり、中一ギャップ(中学一年になっての不登校)の問題を解決するために、米国の教育研究のデータベースで調べたところ、不登校には勉強や人間関係が影響していることが明らかとなり、気になる子どもへの関わりを増やすことで、小学校時に不登校だった生徒が楽しく学校生活を送れるようになったということです。このように、統計的なデータなどの科学的根拠に基づいて実践に取り組むことが重要だとされているのです。

 現在、「科学的な根拠に基づいた教育」に関わって、様々なメディアに登場している教育経済学者の中室牧子氏は次のように述べています。

「断片的な個人の経験から、政策など社会全体にかかわるものを議論することにも、同様に慎重であらねばなりません。しかし、教育政策には、たぶんに権威のある人の自分の経験に基づく発言が反映されるきらいがあります。

 たとえば、経済財政諮問会議の議事録をみても、教育再生が議論に上った途端、財務大臣や経済再生担当大臣など、およそ教育の専門家とはいえない人までもが『私の経験によると……』と、自分の経験談をもとに、主観的な持論を展開しています。

 一方、財政政策や経済政策について、文部科学大臣が『私の経験から』と発言する場面はこれまでみられていません。もしそんなことをしたら、当然『それは主観にすぎないのではないか』『その根拠は何か』と問われるに違いないからです。このように、日本ではまだ、教育政策に科学的な根拠が必要だという考え方はほとんど浸透していないのです。」(中室牧子『学力の経済学』ディスカバー、2015年、pp.17-18)


 教育政策においては個人的な経験に基づいて議論がなされている現状があり、科学的な根拠が必要だという考え方がほとんど浸透していないということです。したがって、そのような考え方を教育の世界にも広めていくべきだということです。ここでは教育政策というレベルで論じられていますが、これは現場での教育方法についても同様のことが主張されています。このように、科学的な根拠に基づいて教育を行うとともに、様々な教育実践から科学的な根拠となる知見を獲得していこうとしているのです。

 教育学の構築を目標として掲げている筆者にとって、これらは注目に値する動きです。果たしてこうした動きは科学的な教育学の構築につながっていくものなのかを、そもそも科学的な実践とは何かということを踏まえながら明らかにしなければなりません。そして、教育学の構築に向けて自分がどのような取り組みをしていくべきなのかを明確にする必要があります。

 このような問題を考えていく上で参考にしたいのは、薄井坦子先生の看護学です。薄井先生は、看護学の世界で学問体系の構築を果たし、『科学的看護論』を出版しておられます。また、その看護学体系に基づいた看護実践の検討にも取り組んでおられ、それは『ナイチンゲール看護論の科学的実践』(1)〜(5)としてまとめられています。また、各地での講演をまとめた『科学的な看護実践とは何か』(上)(下)も出版されています。科学を創るとはどういうことか、科学的な実践とは何かということを考える上で非常に参考になると思われます。実際、保育の世界で学的体系化を果たそうと志しておられた海保静子先生が、薄井先生から深く深く学んでおられることは『育児の認識学』から窺えます。

 そこで本稿では、薄井先生の著作をもとに科学的な実践とは何かを明らかにした上で、「科学的な根拠に基づいた教育」というものがどのように評価できるものなのかを見ていきたいと思います。それを踏まえて、教育学を構築するためにはどういう取り組みをしていくべきなのかを明らかにしていきたいと思います。
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2017年02月12日

斎藤公子の保育実践とその背景を問う(5/5)

(5)保育の理論化が求められている

 これまで斎藤公子の保育実践を取り上げて、その特徴と背景について見てきました。ここで、これまでの流れを振り返ってみましょう。

 最初に、斎藤公子の保育園では自然に囲まれた環境が存在しており、そこで子どもたちが自由に遊んだりできることを紹介した上で、それが子どもの認識を育てる上でどのような意味があるのかを『育児の認識学』をもとにしながら見てきました。そもそも認識とは五感器官をとおして外界を反映させた像(五感情像)であり、この像を豊かにする(=アタマをよくする)ためには、躍動感をもつような対象に五感器官を接触させることで、五感器官も認識もみがいて育てていかなければならないということでした。その具体的なあり方として、素手・素足での自然との関わりがあるということでした。斎藤公子の保育園ではこれを実践していたのであり、だからこそ子どもたちの認識が大きく発展することになったのだということでした。

 しかし、人間は認識と実体との統一体であるから、認識と実体という両面から見ていかなければなりません。そこで、自然に囲まれた環境で遊ぶことには実体的にはどのような意味があるのか、とりわけ脳の実体的な発展という点でどのような意味があるのかということを明らかにしました。そもそも脳は生命の歴史において魚類段階で誕生したものですが、それは激しい海流を泳ぎ回るという運動形態を保持するために必要とされたのでした。その後、両生類、四つ足哺乳類、サルを経て人間へと生命体は進化していくわけですが、その度に新たな運動形態を保持することが求められ、それに応じる形で脳は発展して人間へと至っているのであるから、子どもについてもそのような運動形態をとらせることによって脳を発達させることによってこそ、人間の脳として成長していくのだということでした。斎藤公子の保育園で子どもたちが砂場でどろんこで遊んだり、野原を駆け回ったり、木登りをしたりすることは、系統発生を辿らせることによって脳の発展を促す意味があるのだということでした。また、斎藤公子自身も障害のある子どもの観察の中から生み出したリズム遊びを「個体発生は系統発生を繰り返す」という論理に基づいて行っており、中でも「両生類のハイハイ」は両生類段階の運動形態を辿らせるものとして重要だと言えることを説いてきました。

 最後に、こうした斎藤公子の保育実践の背景を探ってきました。斎藤公子は女性の権利がほとんど認められていなかった大正という時代に生まれたのでした。そして、託児所で働きたいという希望は叶えられず、親の決めた青年との結婚を余儀なくさせられます。生まれた子どもとは楽しい生活を送り、玩具研究所で働く喜びを感じていたものの、再び「嫁」としての立場を自覚させられ、思い立って離婚を切り出したところ、夫が子どもを連れ去り、子どもとの別れを迎えることになったのでした。こうした自らの体験とともに、戦後、生きる指針を求めて社会科学を学んだことによって、「すべての子どもたちは国の主人公として行き、決して決して再び奴隷のように、自分の生命を他人の自由にさせてはならない」「そしてすべての子どもたちを自由にはばたかせてやりたい」という強い理念を抱くにいたったのでした。この理念を実現するべく、子どもの成長が保障されるような環境づくりに励み、時には親とも対立しながらも、常に子どもの立場に立ってどうあるべきかを考えてきたのでした。

 このように自らの体験と社会科学の学びによって形成された理念を現実化すべく、常に子どもの立場にたって保育に取り組む中で、自然との関わりを徹底的に重視した斎藤公子の保育実践が生まれてきたのだということです。このような斎藤公子の保育実践を見てくれば、決して保育が単なる子守りなどではないことがわかるでしょう。

 保育園でやっていることを現象として見れば、おむつを替えたり、抱っこしたり、ミルクをあげたり、一緒に遊んだりと、通常のお母さんなら誰でもやっているものです。だからこそ、保育園は親の代わりに子どもを見るところ、保育=子守りという考え方が出てくるのでしょう。しかし、同じ行為をしていても、保育士の場合、そこには保育士としての理念や専門的な知識に基づく判断によって行われる(べき)ものなのです。

 しかし、冒頭で紹介した待機児童問題やその対策などを見るに、こうした認識が社会化しているとは到底言えない状況です。

 これはナイチンゲールの時代の看護の世界と似ています。当時は看護など単なる病人の世話でしかなく、そこに専門性など何ら認められていなかったのでした。しかし、ナイチンゲールが看護に取り組み、看護の一般論を提示して理論化を図ったことから、その社会的な地位が認められるようになってきました。

 同じことが保育の世界でも求められているのだと言えるでしょう。保育を理論化し、専門性あるものとして社会的に確立させることが求められているのです。

 筆者は保育自体を直接に専門とするものではありませんが、教育学を構築する上で保育の問題は避けて通ることができません。斎藤公子のような偉大な先人の成果をしっかりと引き継ぎ、それらを正しく組み込んだ教育学の構築に励んでいきたいと思います。
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2017年02月11日

斎藤公子の保育実践とその背景を問う(4/5)

(4)斎藤公子は人間としての自由を追い求めた

 前回までで、自然にふれ合うことを重視した斎藤公子の保育実践の意義を明らかにしてきました。このような斎藤公子の保育実践について、斎藤公子自身は次のように書いています。

人間を奴れいにしてはならない。
人間の自由をうばってはならない。
人間を生きるしかばねにしてはならない。
これが、私の保育の真髄、なのである。
(中略)
私の三十五年の保育所づくりは、私という女、私という人間が、その自由を求めて生きるための長いたたかいであった。
(斎藤公子『子育て=錦を織るしごと』かもがわ出版、1982年、pp.248-p.250)


 非常に強烈な言葉であり、一体どのような人生を歩んできたのだろうという疑問が浮かぶでしょう。そこで今回は斎藤公子自身がどのような過程を経て、自らの保育実践を創り上げてきたのかを見ていきたいと思います。

 斎藤公子が生まれたのは大正時代であり、この頃は男女平等などというものはありませんでした。幼い頃に一緒に学校で学ぶこともなく、恋愛は悪とされ、成人になってからは職業選択の自由や参政権もなく、結婚すれば嫁として夫に仕えるのが当時の女性の生き方でした。これは斎藤公子も例外ではありませんでした。幼稚園主任教諭の辞令を断って託児所で働きたいと訴えた斎藤公子は、危険思想にかぶれたとして両親に呼び戻され、ジャワ島で働く青年との結婚を強制されたのです。こうして「嫁」としての生活を余儀なくされた斎藤は、当時を振り返って「『私』という人間は死んでいた」(同上書、p.243)と表現しています。ジャワ島での数年間の生活の間に子どもが2人生まれ、隠岐の島で疎開をしているときに終戦を迎えます。その後は子ども2人と楽しい生活を送りながら、玩具研究室の一員として初めて働くこととなり、そこで専門家も驚かせるような作品を生み出し、自由、生きる喜び、創造の喜びを感じていたのでした。ところがジャワ島より夫が復員することとなり、再び「嫁」という現実に引き戻されることになります。勇気を出して離婚を宣言したところ、夫は力ずくで2人の子を連れ去ったのでした。この2人の幼い子どもとの別れで、斎藤は滝のような涙を流したということです。こうした体験が斎藤公子の原点になっていると言えるでしょう。

 また、斎藤公子は青年期、キリスト教に傾倒していました。奴隷制によるローマの支配が繰り広げられる中でのイエスの生き様やその信者たちの生涯に深い憧憬を抱いていたのです。しかし、キリスト教を国教とする国々は2度に渡る世界大戦をとめることができなかったことから、斎藤は悩み、より確たる生きる指針を求めるようになります。そこで学んだのが社会科学の本であり、具体的にはエンゲルス『自然弁証法』やマルクス『資本論』などであり、これらを哲学者である柳田謙十郎の指導の下で学んだのでした。こうした社会科学の学習の中で、市川正一という人物が強く自分の心をとらえたと斎藤公子は述べています。市川正一は、治安維持法によって極刑に処せられることを知りながら、堂々と政府の戦争政策の非を、多くの自由なき農民・労働者・婦女子のための要求を述べたのでした。「その知性と、その勇気、弱いものへの限りない献身の愛は、キリストにまさるともおとらないものであり、やはりいつの世にも、悪政が極限に達したときはキリストがあらわれることを物語っている」(同上書、p.262)と書いています。

 このような自らの体験および社会科学の学びをとおして、「すべての子どもたちは国の主人公として行き、決して決して再び奴隷のように、自分の生命を他人の自由にさせてはならない」(同上書、p.268)と考えるに至ったのです。「そしてすべての子どもたちを自由にはばたかせてやりたい、と、懸命に保育所づくりにはげんできた」(同上)のです。

 「懸命に保育所づくりにはげんできた」とありますが、この過程も大変なものがありました。斎藤公子は深谷市の保育所で働いていましたが、子どもの躾ができないという理由で解雇されることになります。それを聞いた母親たちが斎藤を支援し、1952年、さくら保育園が誕生します。しかし、さくら保育園は非常に狭かったため、子どもが自由に遊ぶ土地を求めて、深谷の東部に移転することにしました。その土地を購入する代金は、大蔵省の長期・低利貸付制度を利用して賄ったのですが、そもそもこの制度は斎藤公子が大蔵省に作らせたものでした。また、深谷市南部で土地を購入し、さくらんぼ保育園を建設しますが、その北裏に一万頭の養豚場ができてしまい、豚害に苦しめられることになります。そこで、同じく豚害に苦しむ方と力を合わせて4年間の反対運動をした結果、引っ越しさせることに成功し、被害を受けていた老夫婦から分けてもらった土地で第二さくら保育園を建設することになったのです。このような努力によって、「広い庭、たくさんの木々、鳥、花、小動物、心地よいヒノキの床の部屋、終日日が当たり、風通しのよい、視界をふさぐことのない青い空の見えるところで、薄着・はだしで、土や水をふんだんに使って遊び」(斎藤公子『生物の進化に学ぶ乳幼児期の子育て』かもがわ出版、2007年、p.119)きれる環境が創られてきたのです。

 このように環境を整えるとともに、孤立した母子をなくすという思いのもと、子育てに困っているお母さんたちの子どもを預かり、その保育に全力を尽くしていきます。そして、母親にも保育園で職員として働かせ、子育ての仕方を教えていきます。子どもたちとどのように関わったのか、その子どもがどのように変わっていったのかは斎藤公子の著作に多数紹介されていますが、どれも感動的で涙無しに読むことはできません。

 しかし、時には保育の方針をめぐって、親や祖父母と対立することがあります。そういうときは、自ら赴いて話をし、自分の考えを納得させていたのでした。ここに関わって、非常に印象的なエピソードがありますので、それを紹介しましょう。

 かつて保育園は年長まで見られず、年長になれば幼稚園に通うのが通常だったようです。斎藤公子の保育園では年長まで見ていたのですが、親の考えで斎藤公子の保育園を離れていった女の子がいました。しかし、同時にその妹が斎藤公子の保育園にやってくることになりました。その妹の家庭訪問でおうちに行くことになったところ、おしめが干してあったというところからの話です。

「上のお子さんはね、私が行ったら恥ずかしそうにしているのです。下の子はへっちゃら。誰のおしめだろうって、私驚いて聞いたら、
『上の子のだよ!』
 どうですか皆さん。年長のお子さんのおしめがズラーッと干してあるのですよ。
 それで私はどうしてなのかねえ、自分でもなぜなんだろうと思うのだけど、突然滝のような涙がポロポロポローってあふれてきて、泣いちゃったんです。
『先生、このくらいの歳になればね、おねしょすれば布団だって濡れるし、畳まで腐っちゃうんだよ。だからしょうがないんだよ!』っていわれました。
『お父さん、子どもさんの心と、布団や畳とどっちが大事なのですか?』って泣きながら訊いたのです。
 そしたらしばらくして、『わかった。』と言ってくれたのです。
 それ以来、おしめは止めたようです。どんなにおねしょをされても子どもの心のほうが大事だって、お父さん気がついてくれたのです。一週間後かな、十日過ぎてからかな、訊ねてみました。すると娘さんのおねしょは、すっかり治ってしまったということです。
 親が、『子どもの心のほうがだいじ。』『布団や畳なんかはいくらでも取替えができる。』と気が付いてくれたんですね。『子どもの心は取替えができない。』と。」(同上書、pp.37-39)


 つまり、家の畳と子どもの心のどちらが重要なのかという問いを投げかけることをとおして、保育者としての強烈な思いを父親に伝えたということです。理屈で理解したということではなく(そういうこともあるでしょうが)、何よりもその思いが伝わったからこそ、父親は「わかった」と答えたのでしょう。

 ここには保育者として常に子どもの立場に立ち続ける確固たる姿勢が現れていると言えるでしょう。自らの体験と社会科学の学びから得た「すべての子どもたちを自由にはばたかせてやりたい」という理念が、このような保育者としての姿勢を形成しているのです。こうした背景があるからこそ、素晴らしい子どもの育ちを保障する斎藤公子の保育実践が存在したのだと言えるでしょう。
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2017年02月10日

斎藤公子の保育実践とその背景を問う(3/5)

(3)斎藤公子は生命の歴史を辿らせることで脳の発達を促した

 前回は、斎藤公子の保育実践では自然環境に直接的な形で触れさせることを重視したことを紹介し、海保先生の『育児の認識学』をもとにしながら、それが子どもたちの認識に躍動感を与え、豊かにする意味があったのだということを明らかにしました。

 しかし、これはあくまでも認識に着目した意味づけだと言えます。海保先生は、人間をとらえるために大事な柱として、次のように述べておられます。

「人間のとらえ方の大事な柱をやさしく述べるなら、次の2つとなります。(中略)2つは、人間は実体と認識の統一体であり、それだけに、この両面をきちんととらえて教育していかなければならないのだということです。」(p.26)


 つまり、人間を捉えるときには実体と認識の統一体であり、その両面から見ていかなければならないということです。そこで今回は、このように自然と直接的な形で触れさせることは、実体的にはどのような意味があるのかを考えてみましょう。

 まず、斎藤公子の保育園で子どもたちはどのように過ごしているのかと言えば、砂場でどろんこ遊びをしてどろどろの砂山からすべったり、友達と一緒に坂道をかけあがったり、裸足で走り回ったり、木登りをしたりして遊んだりしているわけです。このことに実体的にはどのような意味があるのか、もう少し言えば、脳の実体を育てる上でどのような役割があるのかということになります。

 ここがわかるためには、そもそも脳とは何なのか、何のために誕生してきたのかを押さえておく必要があります。『いのちの歴史の物語』(現代社)では、生命体は単細胞段階→カイメン段階→クラゲ段階→魚類段階→両生類段階→哺乳類段階(四つ足哺乳類→サル→ヒト)という過程を経て進化してきたとされています。脳は魚類段階で登場したのですが、その必然性について、瀬江千史先生は次のように説いておられます。

「ここで問題となるのは、脳が魚類の段階で誕生したことです。それがなぜだったのかは端的には、魚類は、その頃地球に生成した海流を泳ぎきる運動形態を持つに至った生命体として誕生したからです。つまり、それまでの湖にたゆたうレベルの運動形態で生きていたクラゲと違い、海流を泳ぎきる強烈な運動を担うことを専門とする運動器官が必要となり、また同時にその激しい運動を支える代謝を専門とする代謝器官が必要となり、体が二重構造化することになったのです。しかしここで問題なのは、体が二重構造化したとは言っても、あくまで一つの生命体として生きているのですから、その両者を、直接的同一性として統括し続けなければならないのであり、その統括を専門的に担う器官として、脳が誕生したのです。」(瀬江千史『新・頭脳の科学(下)』現代社、2012年、pp.193-194)


 つまり、海流を泳ぎ切るという運動形態を持てるだけの生命体としての構造を求められ、その構造を統括する器官として脳が誕生したのだということです。ごくごく簡単に言えば、その環境で求められる運動形態を維持するために脳が誕生したのだと言えるでしょう。

 この魚類の段階で脳は誕生したわけですが、そこから生命体は陸に上がり様々な運動形態をもつことを求められるようになります。両生類においては地面に這いつくばりながらも必死で体を動かすことが求められましたし、哺乳類においては四つ足で地面を激しく駆けめぐることが求められましたし、サルにおいては手足を分化させ、さらに指を駆使して樹上生活を行うことが求められました。このような運動形態の発展が脳の発展をもたらし、その結果として人間という生命体に至っているのであるから、赤ちゃんもこのような過程を辿らせなければならないのだとして、次のように説いておられます。

「重要なことは、誕生後も個としての人間が、その頭脳を人間として見事に発展させるためには、人類になるまでに経た、脳の発達過程をしっかりと辿らせることのできる保育・教育をしなければならないのだ、ということです。

 すなわち人間は、成長期、思春期、青春期において、哺乳類が成長していった、大地を駆けめぐるような運動形態を、何らかの形式・形態でしっかり持たなければ、個としての脳の、実体としての十分な発育は望めず、したがって、その後の頭脳の機能としての発達(すなわち現象形態としては五感覚器官の発達)にも限界が生じることになる、ということです。

 分かりやすく説けば、大地を直接反映する、手足を使った全身の運動をしっかりとしておかなければ、すなわち野原での駆けっこ遊び、河原での水遊び、林の中でのかくれんぼ、といった形式・形態を、ふだんの育ちの中でどの程度持っているかが大切であるにもかかわらず、このことがないがしろにされていれば、いくら書物やお遊戯などで勉強しても、人間としてアタマがよくなることはなく、ただ単に、知識の暗記量を誇るだけで、何一つ人間的な創造的な仕事ができず、つまらない生活人間ということになりかねないからです。」(瀬江千史『新・頭脳の科学(下)』現代社、2012年、pp.119-120)


 つまり、人類になるまでに経た、脳の発達過程をしっかりと辿らせることのできる保育・教育をしなければならないのであり、具体的には、野原での駆けっこ遊び、河原での水遊び、林の中でのかくれんぼ、といった形式・形態をたくさんもつことが重要だということです。

 このように見てくれば、「砂場でどろんこ遊びをしてどろどろの砂山からすべったり、友達と一緒に坂道をかけあがったり、裸足で走り回ったり、木登りをしたりして遊んだりしている」ことの意義は明らかでしょう。端的には、人類になるまでに経た脳の発達過程を辿らせることをとおして、個人としての脳の発達を促しているのだということになります。これは「個体発生は系統発生を繰り返す」ということです(ただし、これは正確には「個体発生は系統発生を論理的に繰り返す」だと瀬江先生は指摘されています)。

 なお、斎藤公子のリズム遊びも、「個体発生は系統発生を繰り返す」という論理が根拠に据えられています。斎藤公子のリズム遊びとして代表的なものは、「金魚」「どんぐり」「両生類のハイハイ」です。以下のサイトで見ることができます。

金魚
https://www.youtube.com/watch?v=ElxC1dPlOmw
どんぐり
https://www.youtube.com/watch?v=gBu7VyAhhYE
両生類のハイハイ
https://www.youtube.com/watch?v=B14vzjpvqC0

 これらのリズム遊びは障害のある子どもを観察する中で生み出されてきたものです。斎藤公子が初めて保育者として勤めた施設では、0〜2歳児はいなかったものの、深谷で母親たちと作ったさくら保育園では、産休明けから入る子どももおり、またどのような障害がある子どもでも入園させてきたため、障害をもった子どもたちも観察する機会にめぐまれたということです。

 そうして観察した結果、次のようなことがわかったということです。6,7ヶ月を過ぎた0歳児の健常な子どもは、片足を反対側に交差して、親指で床を蹴って寝返りをするのに対して、麻痺をもった子どもは、上半身を極度に反らせて寝返りをしようとするということです。また、普通の子どもは体を揺さぶると「キャッキャッ」と喜ぶが、脳に何らかの故障をもっている子どもは揺さぶりを嫌い、泣くということでした。そうした子どもたちの観察し、発達に必要な運動は何かを考える中で、斎藤公子は「金魚運動(金魚)」「寝返り運動(どんぐり)」「ハイハイ運動(両生類のハイハイ)」などのリズム遊びを考え出したのでした。こうしたリズム遊びによって、「産休明けの0歳の時から育てられた子の場合、不思議なことに今まで一人として『脳性マヒ』『自閉児』その他どんな脳の発達の遅れも出した子どもはいない」(斎藤公子『生物の進化に学ぶ乳幼児期の子育て』かもがわ出版、2007年、p.102)ということです。

 現時点では、筆者は「金魚」や「どんぐり」をどのように把握すればいいのかまで明らかにできていませんが、少なくとも「両生類のハイハイ」に関しては、両生類段階の運動形態をとらせることによって、その段階で作られた脳の実力を子どもたちに育てていく取り組みとして、非常に有意義だと言えるでしょう。
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2017年02月09日

斎藤公子の保育実践とその背景を問う(2/5)

(2)斎藤公子は自然環境に触れさせることで子どもの認識を豊かにした

 本稿は、斎藤公子の保育実践とはどのようなものであり、どういう意味があるのか、またその背景には何があるのかを明らかにしようとするものです。今回は、斎藤公子の保育実践はどのような環境で行われたのか、またそこにはどのような意義があるのかを見ていきたいと思います。

 保育園の環境については、次のように書かれています。

「爽やかな風、新鮮な空気、柔らかい太陽の光と土の香里、そして木の温もり。耳をすませば、鳥の声や水の音、そして愛情にあふれた呼びかけや優しい歌声の響き…これらは斎藤公子に学ぶ保育園を訪れた時に、共通している環境です。
 園舎は南の庭に向かって開かれ、ハイハイの赤ちゃんでも自分でどこからでも出られるように開かれた設計になっています。赤ちゃんが自然と足の親指を使う機会を増やすように、いたるところに適度な段差や斜面が作られ、外に出た子どもは、なぜかみんな水を求めて水場へ行くのです。これは360度どこからでも自分で登ることができる子どもたちのための水場です。余計な遊具はいらない。小さな砂場と、暑い日に木蔭を作る大きな木があればそれで十分。そこに丸太を渡せば、子どもたちの遊びは限りなく広がっていくのです。保育室にはテレビやCDプレーヤーなどは必要ありません。」(斎藤公子・小泉英明監修『映像で見る 子どもたちは未来―乳幼児の可能性を開く(第U期)』かもがわ出版、2009年、p.74)


 端的には、徹底して自然とふれあえるようにした環境だと言えるでしょう。この中で、子どもたちは裸足で走り回ったり、木登りをしたり、砂場でどろんこ遊びをしたりするのです。斎藤公子は、徹底して自然の中で活動できる環境にすることを重視していたのです。

 そのことがよくわかるのが、早期英才教育についての主張です。これは保育士たちの質問に答える会で、早期教育の教材のことが話題になったときのものです。

「[斎藤]商売でやっているだけなんですよ。子どもに悪影響があろうがなんだろうが、ね?そういう商売ではいけませんよね。
 その時に賢い人が、これは毒か、毒でないか、ということを見分けなくちゃならない。『見るのも嫌』っていう感覚『ああ、気持ち悪い!』っていう感覚が養われている人だったら、いい教育ができる。いい保育ができる。でもすぐ、『あ、面白そうだな。』なんて飛びついている人はね、いけませんよ。(中略)
 小さい子どものときに、ごく自然のもの、自然の草木、自然の小石、自然の貝殻、自然の花、そういう中で育った子どもは幸せだけれど、現職の、プラスチックの、毒々しいものを与えられて、大人も子どもも感覚がどんどん麻痺していって、…こういうの、不幸だと思わないの?
(プラスチックのおもちゃが出る)
…ああ、見るのも嫌だね。ああ、見るのも嫌。(笑い)
 皆さんはこういうのを見ても平気?どれちょっと、みなさん平気って思う人…おお気持ち悪い。(笑い)
 …こういうものが平気だって言う人、いたら手を挙げて。
 平気だって言う人は、子どもにおわびしなさいよ、子どもの将来のこと考えてね。
 はい、すぐ片付けて。」(斎藤公子『生物の進化に学ぶ乳幼児期の子育て』かもがわ出版、2007年、p.53-54)


 この話を読むと、「自然とふれ合うことがよいだろうから」などと考えて実践しているというレベルではなく、もはや感覚・感情レベルで自然環境の大切さを感じているのだということがよくわかります。恐らく自らもそういう環境で育ってきたのでしょうし、また保育をそういう環境で行うことが子どもにとって確かによかったという体験・経験が山のように積み重ねられていることが感じられます。

 では、このような自然環境を与えることはどのような意味があるのでしょうか。海保静子先生は、認識とは対象が五感器官をとおして脳細胞に反映した像であるから、認識(五感情像)を豊かにする(=頭をよくする)には、その五感器官をまともに成長させていかないといけないとして、次のように述べておられます。

「脳細胞の像を豊かにしていく、ということは、文字を書き写したり、言葉を覚える(知識として)ということなのではなく、あくまでも五感器官を総動員して、しかもそれが躍動感をもつような対象とのかかわりあいをもつということであり、そのためにもまずは五感器官を対象に接触させながらしだいしだいに五感器官も認識もみがいて育てていかなければならない、ということです。」(海保静子『育児の認識学』現代社、1999年、p.203)


 つまり、躍動感をもつような対象に五感器官を接触させることで、五感器官も認識もみがいて育てていかなければならない、それが脳細胞の像を豊かにしていくこと(頭がよくなるということ)だということです。そのためにこそ、自然(や社会)に直接的な形で触れさせることが重要なのだと説いておられます。

「それは『自然的・社会的な関係をなるべく直接的な形態で反映させるように目的意識的なかかわりのなかで、手足を中心にして五体を運動形態におきながら、五感器官をとおしてそれらを脳細胞に反映させて豊かな像を形成させていくこと』です。
 つまり、簡単にいうと、赤ちゃんにはできるだけ素足や素手で対象とかかわらせるなかで、それらを反映させていくことです。
 ひんやりとして、チクチクとした草の感触や、地面、砂のザラザラした感じ、そのようなものが、五感器官をとおして脳細胞につきささるようにそれらの像を形成させていくのです。」(同上書、p.204)


 少し具体的に考えてみましょう。外で砂遊びをする場合と、家の中で積み木遊びをした場合を比べてみれば、明らかに砂遊びの方が変化性や多様性に富んでいることがわかるでしょう。例えば砂は様々な形に変化させることができますし、温度や色なども変わります。それを手足全体、さらには顔や腕などでも感じるわけです。一方、積み木の場合、形が定められています。色や温度も一定ですし、その反映も主に指先や手のひらからのみです。これでどちらが躍動感をもった像を描けるようになるかと言えば、明らかに砂遊びだと言えるでしょう。

 このように斎藤公子の保育実践では、徹底して自然環境に触れさせることで、子どもたちの認識に躍動感を与え、豊かにしていったということができるでしょう。
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2017年02月08日

斎藤公子の保育実践とその背景を問う(1/5)

○目次
(1)待機児童問題が大きくクローズアップされている
(2)斎藤公子は自然環境に触れさせることで子どもの認識を豊かにした
(3)斎藤公子は生命の歴史を辿らせることで脳の発達を促した
(4)斎藤公子は人間としての自由を追い求めた
(5)保育の理論化が求められている

・・・・・・・・・・・・・・・・・
(1)待機児童問題が大きくクローズアップされている

「保育園落ちた日本死ね」

 昨年の2月、匿名のブログで綴られたこのタイトルが大きな話題となりました。保育園に落ちたことに対する、母親の不満を激しい口調でつづったものです。2月29日の衆院予算委員会で、民主党の山尾志桜里議員がこのブログを取り上げたところ、安倍首相は「匿名である以上、実際に本当であるかどうかを、私は確かめようがない」と答弁し、議員席からは「誰が(ブログを)書いたんだよ」「(質問者は)ちゃんと(書いた)本人を出せ」とやじが飛びました。それを受けて、「保育園落ちたの私だ」と訴え、国会前で抗議行動をする人びとも出るようになりました。これをきっかけに待機児童問題が大きくクローズアップされ、このタイトルの言葉は昨年の流行語大賞のトップ10にも選ばれることとなりました。

 待機児童は都市部を中心に大きな問題となっています。厚生労働省が公表したデータによれば、2016年4月現在において、全国で23553人の待機児童が存在しています(注)。都道府県別に見ると、東京都が最も多く8466人と4割弱を占めています。その待機児童を年齢毎に区分すると、0歳から2歳が最も多く、20446人と実に86.8%を占めるに至っています。

待機児童解消に向けた現状と取組 (厚生労働省資料)
http://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-11901000-Koyoukintoujidoukateikyoku-Soumuka/0000137860.pdf

 もっとも待機児童の問題は以前から国会では取り上げられており、その数の減少に向けた政策も行われています。それが2015年4月から施行された「子ども・子育て支援新制度」であり、それを先取りする形で実施された「待機児童解消加速化プラン」です。「待機児童解消加速化プラン」では、「支援パッケージ」として、以下の5つの柱が掲げられています。

@賃貸方式や国有地も活用した保育所整備(「ハコ」)
A保育を支える保育士の確保(「ヒト」)
B小規模保育事業など新制度の先取り
C認可を目指す認可外保育施設への支援
D事業所内保育施設への支援

 つまり、新たな保育所をつくるとともに、これまで支援が行われていなかった形態の保育にも支援を行うようになったということです。後者については、「子ども・子育て支援制度」では、小規模保育等への給付(「地域型保育給付」)の創設という形になっています。これは小規模保育(利用定員6人以上19人以下)、家庭的保育(利用定員5人以下)、居宅訪問型保育、事業所内保育(主として従業員のほか、地域において保育を必要とする子どもにも保育を提供)について、市町村の認可を受けた場合は支援が行われるもので、「待機児童が都市部に集中し、また待機児童の大半が満3歳未満の児童であることを踏まえ、こうした小規模保育や家庭的保育などの量的拡充により、待機児童の解消を図る」ものだとされています。

 保育所の数が増えれば当然保育士の数も必要になりますから、その人材の確保として、「保育を支える保育士の確保(「ヒト」)」が掲げられているわけです。具体的には、「潜在保育士の復帰を促進し、他業種への移転を防ぐための処遇改善」「認可外保育施設等で働く無資格者の保育士資格取得支援」が掲げられています。実際に来年度予算では保育士の給与のプラス2%の改善が図られる予定です。また、技能や経験に応じた給料アップの仕組みも強化される予定です。

 このように、これまで支援対象外であった保育の事業への支援の拡大、また、潜在的保育士(保育士の資格を持っているにもかかわらず、保育園などの保育に関係した職場に就業していない人)の復帰という形での受け皿づくりが進められているわけですが、このような量的拡大は保育の質の低下を招くものだという批判があります。

 保育の質というと、保育所での子どもの事故の防止ということがクローズアップされる傾向がありますが、決してそのような最低限の環境を保証するという意味に留まるものではありません。例えば、日本総研主任研究員の池本美香氏は、「保育への投資はリターンが大きい」「幼児期の教育の質が、学校教育の効率性を左右する」というシカゴ大学のヘックマン教授の言葉を紹介し、「すべての乳幼児に質の高い教育を保障するという観点から、保育所を学校と同列の教育機関と位置づけ、学校を担当する省庁が保育所を所管する国も増えてい」ることに触れ、「目先の待機児童解消に取り組むより、より長期的な視野を持って、子どもの権利や効果的な公的投資の視点から、すべての子どもに質の高い保育を保障する方向に、舵を切ることが求められ」ると主張しています。

「待機児童問題と保育の『質』」(視点・論点)
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/243476.html

 また、保育士であった海保静子先生は、次のように述べています。

「保育園はどういうことなの?と疑問をもたれるお母さん方もあるでしょう。(中略)やさしくいうなら、お手々つないでなかよく学校へ行け、なかよくケンカしながらよくあそぶことのできる人間関係ないしは人間的関係の育ちを学ばせる(しつける)構造をもつものです。世上、法律上、そうなっているばかりによく誤解されているような、親がいないからとか、親がはたらいているからといった家庭的に<保育に欠ける>子のあずかり場ではない!のです。本当は、若い親としてまだ十分でない父母よりも、プロとしての保育が可能な保母の下での集団的な育ちが、どれほどに大切かをわかっていただけるとよいのですが。」(海保静子『育児の認識学』現代社、1999年、p.271)


 つまり、決して保育園は忙しい親の代わりに見るところではなく、保育の専門家として、子どもの育ちを保障する場なのだということです。

 保育とはそのような専門性をもった仕事なのだということを示す人物こそ、本稿で取り上げる斎藤公子(1920-2009)にほかなりません。斎藤公子は戦後、環境も十分に整わない中で子どもたちの保育に全力を尽くしました。その中には重度の障害を負った子どももいましたが、「0歳から預かった子の場合、脳性麻痺や自閉症、脳の発達の遅れは解消されて一人も問題は残らなかった」(小泉英明『アインシュタインの逆オメガ』文藝春秋、2016年、p.146)ということです。実際、斎藤公子の著作の中では、重い障害を負った子どもがその保育によって大きな成長を遂げていく姿が描かれています。

 その中にマリネスコ・シェーグレン症候群の子どもの事例があります。マリネスコ・シェーグレン症候群は難病指定されており、小脳形成不全、筋無力、先天性白内障という三重苦を抱えています。独歩獲得も約35%というものですが、斎藤公子に育ててもらったこの子どもは、卒園の時には自分で3歩歩けるようになり、1年生で20歩、さらに歳を経るごとに歩けるようになっていって、5年生のころには3000メートル級の山を登り切ったということです。さらに、視力も思春期に入って1.0となり、普通の人と同じように見えるようになりました。成人になってからは、親元を離れて作業所で働き、終末には電車を乗り継いで実家に帰ってくるという生活をするようになったそうです。

 本稿では、このような事実を生みだした斎藤公子の保育実践とその背景について見ていきたいと思います。斎藤公子の保育実践というとリズム遊び、お話の語り聞かせ・読み聞かせ、描画が大きな特徴なのですが、その土台として、子どもが自然と関わることを重視していたことを見逃すわけにはいきません。そこで本稿では、この点に焦点を当てながら、斎藤公子の保育実践の背景を探っていきたいと思います。
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2016年12月21日

近代教育学の成立過程を概観する(13/13)

(13)人間と教育の可能性への信頼こそ教員に必須である

 本稿は、教師に対して様々な資質が求められている現在、近代教育学の成立過程を概観することをとおして、教師として最も身につけるべき資質とは何かということを来年度から教壇に立つ方々に説くものです。

 前回、近代教育学の成立過程とは、まさに学問構築の過程なのだということを説きました。つまり、コメニウス・ロック・ルソーによって形成された「どんな人間でも教育されれば成長する」という人間観・教育観を自らの信念として教育に取り組んだのがペスタロッチであり、そうしてその信念の正しさを実証するなかで、人間はどのように成長するのか、そこにどのように働きかけていけばよいのかということを明らかにしていったのだとういうことでした。

 以上を踏まえれば、教師として最も身につけるべき資質は何かはすでに明らかでしょう。端的には「どんな人間でも教育されれば成長する」という人間観・教育観にほかなりません。これを自らの信念として血肉化することこそ、教師として最も求められるものなのです。こうした人間観・教育観をまずは信念として掲げて、それを実証していく過程が必要なのです。これこそが教育学の歴史を辿り返すということなのです。

 このように説くと、「人間が教育で成長するなんて当たり前ではないか。ことさらに強調するようなものではないのではないか」と思う方もおられるかもしれません。しかし、そうではありません。ペスタロッチがどのような子どもを相手に教育したのかを思い出してください。ペスタロッチは身体的な問題を抱えた子ども、経済的に問題を抱えた子ども、愛着形成に問題を抱えた子ども、社会へ不信感を抱いた子どもなどを自らの対象としていたのでした。そういった課題を抱えた子どもを目の前にして、「どんな人間でも教育されれば成長する」という人間観を信念として把持できるのかという問題なのです。

 もう少し現代の学校教育のイメージで説明するならば、何度教えてもなかなか学習内容が入っていかない子、友だちに対して嫌がらせをしてばかりで何度言っても改まらない子、授業中に私語・立ち歩きを繰り返し、教師に対して「死ね!」と暴言を吐いてくる子、こちらが働きかけても全く応答がない子、そのような子どもたちを自分が担任として関わることになったときに、その信念を貫き通せるかということなのです。

 ここに関わって、教育の事例ではありませんが、重い障害をもって生まれた子どもが、看護士などの働きかけによって変化したという事例を紹介したいと思います。谷清『重い障害を生きるということ』(岩波新書、2011年)に出ている水頭無脳症のかつお君の事例です。担当医であった著者は、呼吸困難や体温の急激な変化に対応して、何とか生命をとりとめることに力を注いでいましたが、脳の障害のため、教育的な働きかけをしても何の意味もないと考えていたのでした。その一方で、看護士らが積極的に関わることにより、このかつお君が笑うようになったのです。その場面の看護記録です。

「かっちゃんは暖かいところ、明るいところが大好きで、その暖かく明るい感触は体全体で感じられるときに、よく笑ってくれ、もっとも笑顔が多く見られたのが日光浴と風呂に入っているときだったと思う。外に出て、日差しのなかに入ると、太陽のほうに向くひまわりみたいに頭を上へ上へもちあげて、明るい空をじっと見つめているようだった。こんなときは顔がしだいにゆるんで、口を大きくあけ『アー』と笑いだしてくることが多かった。(中略)とくに湯ぶねの中で体をユラリユラリと揺らされるのが大好きで、体をリラックスさせ口もポッカリあけて、やっぱり『アーアー』とうれしそうに上機嫌」(pp.49-50)


 看護師の報告を受けた当初、看護師にそう見えただけだと著者は考えていました。しかし、著者も実際にその場面を見ることになったのです。その時の心境を以下のように綴っています。

「その子に、看護師たちは果敢にやさしくいどんでいたのであった。根気のいる長期間の計画であった。わたしは、それで納得できるのだったらやったらよいと思い、何も言わなかったし、どのような細やかな変化がおこっているかの関心よりは、もっぱら高体温や低体温、呼吸困難、栄養補給などの対応に追われていた。

 『笑った』という報告を受け、なごんだ顔を見ることによって、ほんとうに驚いた。いわゆる笑いではない、しかしその顔は『楽になったよ、気持ちがいいよ、ありがとう』と言っていた。

 脳の形成がなくても、脳が破壊されていても、本人が気持ちよく感じる状態は可能なのだ。看護師と介護者のとりくみは、彼のからだに『快』を生み出した。」(pp.51-52)


 ここには人間のもつ可能性を信じて働きかけていくことの重要性が生き生きと描かれていると言えるでしょう。こうした事例をとおして自らの人間観・教育観を鍛えていくこと、そして現場に立ってからは自らの体験をとおして磨き上げていくことが必要なのです。そうした人間観・教育観があるからこそ、愛情をもって相手に関わり続けることができるのです。

 こうして子どもを成長させることができれば、子どもも自らの変化に気づき、自分がもっている可能性に気づくようになります。そうすれば、子どもはより前向きな将来を描くことができるようになります。こうして個々の人間が自らの人生を豊かに生きていくことは、当然、社会全体の維持・発展につながると言えるでしょう。

 教師自身がまっとうな人間観・教育観をもつこと、その人間観・教育観に基づいて働きかけることにより、子ども自身に自らがもっている人間としての可能性に気づかせること、これこそが教師に最も求められているものです。ここを根本に据えて、来年度からの実践に向けて学びを進めていただければと思います。
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2016年12月20日

近代教育学の成立過程を概観する(12/13)

(12)近代教育学の成立過程は近代的な人間観・教育観が仮説から科学へと移行する過程であった

 本稿は、教師に対して様々な資質が求められている現在において、近代教育学の成立過程を概観して、教師として最も身につけるべき資質とは何なのかということを来年度から教壇に立つ方々に説くものです。ここで、これまでの流れを振り返っておきましょう。

 まず、宗教改革をとおして人間観がどのように変化したのか、それを受けてコメニウスやロックはどのような人間観・教育観をもっていたのかということを見てきました。中世ヨーロッパは階層的な身分秩序が成立していた社会であり、そうした身分秩序をカトリック教会がイデオロギーとして正当化していたのでした。こうした社会において、各人はカトリック教会の教えに従い、与えられた階級の人間として生きていくことが正しいのだとされていたのでした。しかし、経済の発展とともに階層的な身分秩序が崩れていくと、カトリック教会の権威も揺らいでいき、ルターによる宗教改革が起こったのでした。そこでは、人間は司祭と民衆などといった区別は存在せず平等なのであり、各人が聖書を読んで自らの確信に基づいて生きていくべきだとされたのでした。このルター派はカトリック教会と激しく対立することになりますが、その争いの中心地で生まれ育ったのがコメニウスでした。戦乱で祖国を追われたコメニウスは、平和な社会の実現のために教育に尽力したのでした。その教育の方法論をまとめたものが『大教授学』であり、そこで彼は、人間は神のもとに平等であり、どんな人間であっても教育によって成長する可能性があるのだと主張したのでした。このようなコメニウスの人間観・教育観を受け継ぎ、国家を運営する立場に立ったのがロックでした。ロックは、2度の革命による新政府樹立の後、その政策の相談役として、イギリス社会の維持・発展に携わり、その中で教育についても言及していたのでした。ロックは紳士の教育と貧民の教育という形で2つにわけ、紳士に関しては自らの欲望を押さえて理性に従って行動できるようにすることが重要であり、そのためには教師自身が理性的な存在であること、子どもに対して教師の愛情を感じさせることが重要だと主張したのでした。一方、貧民に対しては教育を与えて自立させることが国家の富を増やすことにつながるのだと主張したのでした。確かに紳士の教育と貧民の教育はその中身が異なっているのですが、貧民に対しても教育を与えることが社会の維持・発展につながるのだという観点を打ち出した点がロックの意義だと言えるのでした。

 これに対して、すべての人間に対して、土台として同じ教育を与えるべきだと主張したのがルソーでした。ルソーが生きた当時の社会においては、階級間の移り変わりが激しく、富裕層が貧民に陥ってしまったり、貧民が豊かになったりすることがあったのでした。つまり、経済的な立場の違いというのは、一時的・相対的なものにすぎないということが目に見えるようになってきたのです。こうした中では、例えば富裕層の子どもが様々なダンスや社交辞令などを学んだとしても、貧民に陥ってしまったなら、何の役にもちません。そこでどんな経済的な立場に立つことになろうとも生きていけるようにすること、そのための人間としての土台を形成することが重要であり、それこそが教育だと主張したのでした。こうした主張の背後には、仮に立場の違いは見えていても、その現象にとらわれず、人間はすべて平等なのだという考え方が存在していると言えるでしょう。では、その土台とは何かと言えば、自らが主体的に目的像を描いて、その実現に向けて行動できること(自由)だということであり、社会においてそれを行えるようにするためには、人民の決議が一般意志であるかどうかを国民がしっかり判断しないといけないということでした。そのために、知的な能力を身につけさせることが重要だと主張していたのでした。さらに、そのような人間を育てる上で教師がどうあるべきかを「サヴォイアの叙任司祭」の例から確認しました。端的には、教師はどんな姿を見せている子どもに対しても、人間の可能性や教育の可能性を信頼して働きかけていくこと、そのことによって子ども自身が「認められた」という感覚になるようにすること、また、教師自身が自らの教育目的を体現した存在となり、子どもからの尊敬が得られるようにすること、こうしたことが教師としては重要なのだということでした。

 このようなルソーの提言を実際に行ったのがペスタロッチでした。ペスタロッチは幼少期の体験を原点として社会の改革による貧民の救済ということを志し、シュタンツ孤児院での実践、ブルクドルフやイヴェルドンでの実践と、貧民の子弟の自立ということを目指して尽力したのでした。特にシュタンツの実践では、荒れた子どもや体が不自由な子ども、経済的に苦しい子どもなど多様な子どもがいる中で、現象にとらわれず人間として誰もがもっている可能性を信じて、愛情を注ぎ続けた結果、子どもが大きく変化するようになったのでした。仮に自分たちの生活が苦しくなろうとも、他の孤児たちが自分たちの孤児院に来ることを望むようになったのでした。その背後には、自分たちがペスタロッチの教えを受けて大きく変わったということ、だから自分たちと同じような境遇の子どもにも同様の体験をしてほしいという思いがあるのだということ、さらにそのように考える根底には、人間は教育を受ければ成長する可能性をもっているのだという人間観が子どもの中に培われているということを説いてきました。さらに、ペスタロッチは決して学力が高くないこうした貧民の子どもを相手にする中で、どのように教えればよいのかという点についての考察を深めていったのでした。まず直観、つまり現実の反映こそをもっとも重視したのでした。しかし、教えたい内容に対して、どんな事実を子どもに提示するかは考えなければならず、単に現実であればいいという問題ではないのだということでした。こうした考え方は後のヘルバルトにおいても「美的表現」という言葉で継承されているのでした。直観によって成立した認識は明確、明瞭、明晰と発展していくのでしたが、このような段階の捉え方はヘルバルトの四段階教授法(明瞭、連合、系統、方法)に非常に類似しており、ここもペスタロッチからヘルバルトへ受け継がれた点だということでした。

 このようにしてみてくると、近代教育学の成立過程とは、キリスト教を背景として「どんな人間でも教育によって成長する」という人間観・教育観が芽生え、さらに教育の中身も共通にすべきだという形で人間観・教育観が発展し、その正しさが実証される過程であったと言えるでしょう。同時に「どのように人間は成長するのか」「どう働きかければよいのか」という人間と教育の中身(構造)を解明していく過程でもあったのだということがわかります。

 さて、ここで科学がどのようにして成立するのかを三浦つとむさんの著作から見てみましょう。

「自然科学でも、社会科学でも、想像し予想するかたちの理論、いわゆる仮説をつくります。『今年のダービーではどの馬が勝つかな』とか『クリスマスのプレゼントに何をくれるだろう』とか、個別的なありかたを想像し予想するのではなく、『こういう種類の化合物はこういう性質を持つだろう』といった普遍的な法則性を理論として予想するのが仮説です。勝馬の予想でもプレゼントの予想でも、はずれるかもしれぬと承知しているので、絶対に正しいなどとは思っていません。一着と予想したのが二着になったり、ウイスキーと予想したのがブランデーだったりすれば、当らずといえでも遠からずだったということになります。科学の仮説も同じで、絶対に正しいなどとは思わず、ある程度訂正しなければならないだろうとか、まとはずれではなかろうかとか、はじめからはずれることを考えに入れているのです。実験や実践の結果、事実によってその正しさが証明されれば、その部分は仮説から科学に移行します。まとはずれだったことが証明されれば、また別の仮説を考えるわけです。」(三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』講談社、1968年、p.124)


 つまり、普遍的な法則性を理論として予想するのが仮説であり、実験や実践の結果、事実によってその正しさが証明されれば、その部分は仮説から科学に移行するのだということです。

 この観点から近代教育学の成立過程を見てみましょう。コメニウス・ロックにおいて「どんな人間であっても教育によって成長する」という近代的な人間観・教育観が生まれたのでした。これは人間すべてに貫かれている普遍的な法則性を予測したものです。しかし、これはあくまでもキリスト教の理念に基づいて出てきたものであり、事実によって示されたものではありません。したがって、これは仮説だということになります。その後、ルソーによって、すべての人間に共通の教育を与えるべきだと考えられるようになりました。これは「どんな人間であっても教育によって成長する」という人間観・教育観をより発展させたものだと言えますが、ルソーは教育者として実践したわけではありません。その意味で、これも仮説にすぎないと言えます。この人間観・教育観を受け継いで、実際に貧民の教育に携わったのがペスタロッチであり、その結果、この人間観・教育観が正しかったことが事実によって示されたのでした。ここにおいて近代的な人間観・教育観が仮説から科学へと移行したのであり、これこそ近代教育学の成立過程だったのだと言えるでしょう。
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2016年12月19日

近代教育学の成立過程を概観する(11/13)

(11)ペスタロッチは直観こそ認識の基礎であると主張した

 前回は、シュタンツ孤児院におけるペスタロッチの実践について見てきました。そこでペスタロッチは、「どんな人間も教育によって成長する」というコメニウス以来の人間観・教育観をもっており、現象にまどわされることなく、その子どもがもつ人間としての可能性に目を向けたのでした。そうして愛情をもって関わった結果、子どもたちは自らがもつ人間としての可能性を自覚するにいたったということでした。

 しかし、ペスタロッチはこうした教育は本来は母親がやるべきだと考えていました。そこで、母親であっても教育ができるように教育の方法を明らかにしたいという問題意識を抱いていました。そうした中で出てきたのが「メトーデ」であり、それが手紙の形式でまとめられたのが『ゲルトルート教育法』(『ゲルトルートはいかにしてその子を教えるか』)です。このメトーデの実際については、国の内外から教育関係者が参観に来るような状況だったのでした。

 ペスタロッチと言えば、直観教授という言葉が有名です。例えば、ペスタロッチの解説において「教育補法としては自発性に基づく直観的認識を基礎とする。直観教授においては個体を確実に知覚させ、形の観念を得させ、語によって明瞭に表出させなければならないとした」(森秀夫『教育史 西洋・日本』学芸図書、2005年)とされています。この直観教授をキーワードに、ペスタロッチが教育方法についてどんな問題意識を抱いていたのか、どんなことを主張したのか、それが後世にどうつながったのかをペスタロッチ、前原寿・石橋哲成訳『ゲルトルート教育法・シュタンツ便り』(玉川大学出版部、1987年)を中心にして見ていきましょう(以下、ページ数のみの場合はこの書のページ数を表します)。

 ペスタロッチは、ヨーロッパの民衆教育に関わって、「この大陸はみずからの個々の学術の輝かしい王冠をいただいて、預言者の像のように、雲にそびえてい」るが、「しかしその反面、この黄金の王冠の基礎たるべき民衆教育は、いたるところでこの巨像の足のように、このうえなくみじめで、いたってもろく、ひどくくだらない泥土にもすぎない」と指摘しています。「最上層の優越と最下層の悲惨とのあいだの、人間らしい精神をぶちこわすこの不均衡は、あるいはむしろヨーロッパ大陸の文化のこの衝撃的な不均衡を生みだした発端は、印刷術の発明」である(pp.261-262)とした上で、次のように述べています。

「印刷術がヨーロッパ大陸の人々の五官を限りなくせばめ、とくに直観のいっそう普遍的な道具である目を、新しい認識のための偶像化された宝物である文字と書物とに局限してしまわざるをえなかったがゆえに、印刷術が私たちの認識のこのいっそう普遍的な道具を、たんなる文字の目にしてしまい、私たち自身をたんなる書物の人間にしてしまわざるをえなかった」(p.262)


 つまり、印刷術が流行したことで文字と書物に捉われ、現実の事物・事象を体験しなくなったということです。そうした問題点を踏まえて、ペスタロッチは「直観をあらゆる認識の絶対的な基礎」(p.260)だと主張したのです。

 認識論の観点からいえば、認識は五感情像であり、視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚という5つの感覚器官から対象を反映させることによって成立します。ところが、印刷術が発展したことによって、主に視覚を中心とした像しか描けていないということです。だから、すべての感覚を駆使して対象を反映させなければならないというのです。そのことをペスタロッチは「直観教授」という言葉で表しているのだと言えるでしょう。

 ただし、生の対象をそのまま与えればいいのではないとペスタロッチは主張しています。

「土地を自然にゆだねると、雑草やあざみが茂るし、人類の陶冶を自然にゆだねると、人類の直観は自然によってかみ乱されるほかありません。直観の混乱はあなたの理解力のためにも、あなたの子どもの理解力のためにも、初歩の教授にとって必要な秩序を与えてはくれないのです。だから樹木や野草を学ばせるために、私たちが子どもを連れてゆかねばならない場所は、けっして森や野原ではありません。そこでは樹木や野草は、あらゆる種属の本質を直観させたり、対象の最初の印象によってその部門の一般的な知識をえさせたりするのに、もっともふさわしい順序で並んではいないのです。あなたの子どもを、最短の道をたどって教授の目標である明晰な概念をえさせるためには、あなたはせめて慎重にあらゆる認識部門にわたって、その対象が属している部門のもっとも本質的な特徴をはっきりしかも顕著に備えており、しかもそのためにとりわけ、みずからの本質とその移ろいやすい性質とを区別して子どもに認識させるにふさわしいいろんな対象を、まず最初に子どもに提示してやらねばなりません。」(p.284)


 つまり、森や野原で樹木や野草を学ぼうと思っても、ふさわしい順番に並んでいないため混乱を招いてしまうから、明晰な概念をえさせるためには、本質的な特徴をはっきりしかも顕著に備えていてわかりやすいものを提示すべきだ、ということです。弁証法的にいえば、生の対象であるとともに生の対象ではないもの(意図的に再構成したもの)が必要だということです。

 これは具体的に考えてみればわかるでしょう。例えば、小学校3年生の理科で植物について学びます。植物には根・茎・葉があるということがその学習内容になります。多くの場合、ホウセンカやマリーゴールドの栽培をとおしてそのことを学びます。それは、根・茎・葉があるということがわかりやすいからです。とにかく実際の植物を見せればいいのだと言って、子どもに自由に植物を観察させたのでは、そういう特徴がわかりにくいものを観察し、誤った理解に至ることにもなりかねません。だから、まずはその特徴が典型的に現れているものを提示することになります。

 ペスタロッチに学んだヘルバルトも、同じような内容を「世界の美的表現」という言葉で表現しています。

「彼がほんとうに自由になるか、ならないか、またどの程度まで自由となるかどうか、いいかえれば、彼が何よりもまず利己主義の打算に専心するか、それとも自分を取り巻く世界の美的理解に専心するかどうか、それはこれまで心理的偶然に左右されていた。しかし、この偶然は偶然のままにとどまっていてはならない。教師は、もし自分が正しく適切に着手するなら、心の自由な態度が世知にたけた悪がしこさによってではなく、純粋な実践的思慮によって法則を受け入れるように、世界の美的表現によって、子どもによる世界の美的理解を早い時期から強くじゅうぶんに決定することができる、と前提してかかる勇気をもつべきである。世界のこのような表現―いざというときには、不つごうな環境から与えられる悪い印象をぬぐい去るため、既知の全世界、既知のあらゆる時代の表現―これこそ、当然に、教育の中心任務と呼ぶことができるだろう。」(ヘルバルト「教育の中心任務としての世界の美的表現について」『世界教育学名著選14』明治図書、1973年、p.26)


 ヘルバルトの場合、道徳的な観点から説いている印象が強いですし、この文章も独特の読みにくさがありますが、要するに、自然成長性に任せておいたのでは、正しい理解に至るかどうかは偶然に左右されることになるから、教師が世界を意図的に再構成して子どもに与えなければならないということだと言えるでしょう。これはまさにペスタロッチの考え方を受け継いだものだと言えるでしょう(この論文が『よく吟味され、かつ科学的によく推敲されたペスタロッチーの直観のABCの理念』というヘルバルトの著作の第二版の付録として加えられていることも示唆的です)。

 直観教授によって得た認識がどのように発展していくのかについて、ペスタロッチは次のように述べています。

「ある対象の単位(数)・形ならびに名称(語)を知ることによって、その対象についての私の認識は明確な認識となり、その対象の他のあらゆる特性を認識することによって、私の認識はしだいに私のうちで明瞭な認識となり、さらにその対象のあらゆる特徴の相互関係を知ることによって、私の認識は明晰な認識となる」(p.201)


 図式化すると、以下のようになるでしょう。
(曖昧・混乱)
   ↓ ← 数・形・語の把握
明確な認識
   ↓ ← 特性の把握
明瞭な認識
   ↓ ← 特徴の相互関係の把握
明晰な認識


 このうち、直観と呼ばれるのは「曖昧・混乱」の状態から「明確な認識」に至る過程のことです。例えば、マリーゴールドを見せて、その形を把握し、マリーゴールドだと知るのが明確な認識の段階です。それは植物としての特性として、根・茎・葉をもっているということを理解するのが明瞭な認識の段階です。さらに、根は植物の体を支えて養分を取り入れ蓄えること、一方、葉は光合成によって養分を作ること、茎はその養分をとおすこと、こういったそれぞれの役割やそのつながりを把握するのが明晰な認識ということになるでしょう。

 このように説いてくると、ヘルバルトの「明瞭・連合・系統・方法」という四段階教授説が思い浮かんでくる人もいるはずです。私は以前、「ヘルバルト『一般教育学』を読む」において、この四段階教授説について次のように解説しました。

まずある1つの対象への専心から、その対象を把握することが「明瞭」です。そこから別の対象への専心へと移り変わるとき、先の対象と新しい対象とのつながりが見えてくることになります。これが「連合」です。さらに、これらの把握をより体系的に捉え返し、そこに完全な秩序が得られる場合、それを「系統」と呼びます。その系統の前進が「方法」です。つまり、系統に基づいて対象に働きかけ、新たな知識を系統の中に位置づけるとともに、その系統の一貫性を確認するということです。

 これを小学3年生の理科の学習で見てみましょう。植物についての学習(単元)では、ホウセンカやマリーゴールドなどを育てて、植物には葉・茎・根があることや、芽が出て花が咲き種ができるという過程を理解します。最初はホウセンカやマリーゴールドを育てて、観察をします。これが明瞭です。続いて、両者の共通点について検討をします。これが「連合」です。そうした検討を踏まえて、教師が植物についての一般的な知識を説明することになります。これが「系統」です。これを踏まえて、他の植物ではどうなのかを追求していくことになります。これが「方法」です。

 少し内容的にズレがあるものの、ほぼ同じことを説いており、ここにもペスタロッチからヘルバルトへの継承の跡が見られると言えるでしょう。そして、これは現代の教育方法にも生かされているものです。

 ペスタロッチはおそらく貧民の学力の低い子どもたちを相手にしたからこそ、どのように教えればいいのかを強烈な問題意識として抱くようになり、その認識の発展過程について究明するようになったのでしょう。こうして浮き彫りにされた方法論がヘルバルトに受け継がれ、現代の教育課程でも生かされているのです。
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2016年12月18日

近代教育学の成立過程を概観する(10/13)

(10)ペスタロッチは信念をもって実践に取り組み成果を挙げた

 前回は、ペスタロッチがどのような生涯を送ったのかを確認しました。ペスタロッチは、農民の苦悩と悲惨な姿を目の当たりにし、その自立に向けた取り組みを生涯の課題として掲げたのでした。そして、数々の挫折を味わいながらも、シュタンツ孤児院にて貧民の子どもを相手に教育を行い、さらに、ブルクドルフ、イヴェルドンでの実践をとおして、教育方法として「メトーデ」を開発したのでした。そのペスタロッチの学園には多数の参観者が国の内外からやってくるという状況だったのでした。

 では、その実践とはどのようなものだったのでしょうか。今回は『シュタンツだより』をとおして見てみたいと思います。この『シュタンツだより』は、シュタンツの孤児院でのペスタロッチの実践の成果を文部大臣シュッタプァーに手紙として送ったものです。ペスタロッチの入門書とされています。

 前回紹介したように、シュタンツでは武力抗争が起こり、多くの孤児や浮浪児を生み出していました。こうした子どもを救済するために新政権は孤児院を設立することを決め、その院長としてペスタロッチが選ばれることとなったのでした。孤児院には50人ほどの子どもが集まって一緒に生活し、それをペスタロッチが一人でみることとなったのです。一体どんな子どもが集まったのでしょうか。

「子供の大部分は入学当時、人間性を極度に侮蔑すればその結果多くはきっとそうならずにはおれないような憐れな姿をしていた。入学してきたときはほとんど歩けないように根の張った疥癬をかいている者も多かったし、腫物が潰れた頭をしている者も多かったし、毒虫のたかった襤褸を着ている者も多かったし、痩せ細った骸骨のようになり、顔は黄色で、頬はこけ、苦悶に満ちた眼をして、邪推と心配とでしわくちゃになった額をしている者も多かったし、破廉恥きわまるあつかましさで乞食をしたり、偽善の振る舞いをしたり、またどんな詐欺にも慣れているといった者も少しはあった。」(ペスタロッチ、長田新訳『シュタンツだより』岩波文庫、p.49)


 つまり、身体的な問題を抱えた子ども、経済的に問題を抱えた子ども、愛着形成に問題を抱えた子ども、社会へ不信感を抱いた子どもなどだったのです。もしここで挙がっているような子どもがクラスにいたら、クラスで最も目をかけないといけない子どもになるでしょう。それがほとんどという状態だったわけです。
 しかし、ペスタロッチはこうした子どもたちにも限りない力があるのだと主張して、次のように書いています。

「わたしにはほとんど何の不安の感も懐かせなかった。というのは最も憐れな最も見離された子供にも神の与え給う人間性の諸力をわたしは信じているので、この人間性が無教育と粗野とそして混乱との泥土の間にあっても、最も美しい素質と能力とを発展させるということを、ただに今までの経験がすでに久しくわたしに教えていただけではなくて、わたしはわたしの子供の場合にも、無教育ではあるが、この生き生きとした本性の力がいたるところに発露するのをみた。」(同上書、pp.50-51)


 つまり、どんな人間に対しても、人間がもつべき力を神が与えているのだから、何の不安も懐かなかったということです。現代においても、例えば身体障害の方などを見ると、その外見から「えっ!」「うわっ」と思う方はいるはずです。まさかそこで「人間ではない」とまでは思わないでしょうが、当時においてはそういった存在は人間としてみなされないのが通常でした。ペスタロッチはそういった現象にひきずられず、そこに潜む人間としての一般性を見抜けるだけの(コメニウス以来の)人間観・教育観をもっていたのだということです。

 もちろん、そこには壮絶な戦いと言えるレベルの教育があったはずです。みなさんは、サリバンによるヘレン・ケラーの教育を知っているでしょうか。あそこでは甘やかされて育ったヘレンが自分勝手な振る舞いをするのに対して、サリバンがヘレンと対峙し、文字通り格闘レベルで関わっていく姿が見られます。これをペスタロッチは何十人もの相手に行っていたのだということです。そう考えれば、ペスタロッチの信念の強固さというものがイメージできるはずです。

 こうした教育の結果、子どもたちは大きく変わっていきます。当時、子どもたちの親は、革命政府がよこしたペスタロッチを何も信用しておらず、ペスタロッチを非難し、子供を連れ帰ることもざらにあったようです。ところが、ペスタロッチの教育を受けた子どもたちはペスタロッチを信頼し始め、やがてペスタロッチを非難する親をたしなめるまでに至ったのです。自分たちの成長を自覚しているからこそ、それをもたらしてくれたペスタロッチに対して信頼を抱いているのだと言えるでしょう。

 どうしてこのような信頼を得ることができたのか。それについて、ペスタロッチは次のように語っています。

「子供の気持や考え方を左右するものは、教師の個々の行為ないしはたまさか行う行為ではない。汝に対する彼等の感情を断然左右するものは、毎日毎時繰返されて、しかも彼らの眼の前で働いている汝の心情状態の真相の程度であり、また彼ら自身に対しての汝の懐く愛情もしくは嫌悪の情の程度である。」(同上書、pp.75-76)


 つまり、教師が子どもに対して何をしたかではなく、教師が子どもに対してどういう思いをもっているか、その思いがどの程度のものなのか、本気なのかどうか、ということが重要だということです。こうしてペスタロッチからの愛情を注がれた子どもたちは、他者への愛情を注ぐようになっていきます。

「アルトドルフが丸焼けになったので、わたしは子供たちをわたしの周囲に呼び集めて言った。『アルトドルフは丸焼けになった。多分今ごろは100人もの子供が家もなく、食べ物もなく、着物もなくているだろう。お前たちは慈悲深いお上へお願いして、これらの子供を20人ばかりわたしたちの家に修養するようにしないか』『いいですとも、いいですとも』と言った感激の様子を、わたしは今も眼のあたりに見る思いがする。そこでわたしは言った。『しかし子供たちよ、お前たちが熱心に望んでいることをよく考えてご覧。わたしたちの家には思うほどのお金はないし、これらの貧しい子供のために今まで以上にお金の工面ができるかどうかも怪しいものだ。それでお前たちはこれらの子供がきたために、自分たちのお稽古には今まで以上に骨が折れ、食べ物は今までよりもずっと減らし、その上お前たちの着物も分けてやらなければならないような羽目になるかも知れない。だから彼らが困っているからといって、これらのすべてのことをお前たちがいかに喜んで心から納得しているかのような振りをして、うっかりこれらの子供が来ればいいなど言ってはならない』わたしは力をこめてできるだけ強くそう言った。わたしは自分の言ったことを彼ら自身に繰返させた。それは彼らの申し出の結果がどんなことになるかということを、明瞭に彼らが理解しているかどうかはっきりさせるためだった。しかし彼らは頑として心を翻さず、しかも繰返して言うのだった。『そうです、そうです、たといわたしたちの食べ物はもっと悪くなり、仕事はもっとふえ、着物は分けてやらなければならなくなっても、彼らが来れば嬉しい』」(同上書、pp.71-72)


 子どもたちは、たとえ自分たちが貧しい思いをすることになっても、アルトドルフの子どもがここに来ることを望んでいるのです。他者に対する非常に深い思いやりが込められています。

 このように、シュタンツの子どもたちは、ペスタロッチの教育を受けて他者への愛情を注げるまでに成長したのでした。そして、自分自身がその成長を自覚しているからこそ、ペスタロッチに深い信頼を抱くようになったのだということになるでしょう。ペスタロッチが「どんな人間も教育によって成長する」という人間観・教育観を抱いて、子どもに愛情を注ぎ続けた結果、子どもたちも自分たちがもつ人間としての可能性を自覚することができたのです。
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2016年12月17日

近代教育学の成立過程を概観する(9/13)

(9)ペスタロッチは民衆教育に力を注いだ

 本稿は、教員の資質能力が様々に求められている現在において、今後新たに教壇に立つ方々が身につけるべき資質能力とは何かということを明らかにするべく、近代教育学の成立過程を概観するものです。

 まずコメニウスからロックまでの流れを見てきました。中世ヨーロッパではカトリック教会の教えに従い、それぞれの身分に応じた生き方をしていくことが正しいあり方だとされていたのでした。それがルターの宗教改革をきっかけに崩れ、人間は神のもとに平等であり、自らの確信に基づいて行動すべきだとされたのでした。この人間観を受け継いだコメニウスは、どんな人間であっても教育によって成長する可能性があるのだと主張しました。そして、そのための教育方法について、コメニウス自身は自らのアタマを働かせて導き出したのでした。このコメニウスの人間観・教育観を受け継ぎ、ロックは紳士、貧民に対する教育が社会の維持発展につながると主張しました。紳士に対しては理性的存在として育てること、そのために教師が理性的存在であること、子どもに愛情を感じさせることが重要だとしました。ただし、貧民に対しては経済的な自立のための教育しか考えられていませんでした。

 そうした中で貧民層に目を向けたのがルソーでした。経済的な境が薄らぎ、子どもが将来どんな小社会で生きていくかわからない中では、どんな社会でも生きていけるように人間としての土台を形成することが教育だと主張しました。その土台とは、自らの目的像を主体的に描いて行動することであり、社会においてそれが実現できるように一般意志を判断する能力を育てることが重要だとしたのでした。そして、このような人間を育てるために、教師はその教育目的を体現した存在として子どもの尊敬を得ること、またどんな姿を現していても、その奥にある可能性を信じて子どもの存在を認めることが重要だとしたのでした。

 このように中世からコメニウス・ロック・ルソーと流れる人間観・教育観を受け継ぎ、そこで論じられた教師像を体現した存在こそが、これから扱うペスタロッチです。ペスタロッチについては本稿で初めて扱うので、その生涯について少し詳しく確認したいと思います。

 ペスタロッチは、1746年、スイスのチューリッヒで生まれました。幼い頃に父親が亡くなってしまったので、祖父が父親としての役割を果たしていました。祖父は村の牧師として定期的に教区の貧しい家を訪問し、宗教的、家庭的な面で指導を行っていましたが、ペスタロッチは幼い頃からしばしばこの祖父についていき貧民の状況について目の辺りにしていました。彼らの苦悩とその悲惨な姿が原点となって、彼らの解放のために生涯を捧げることをペスタロッチは決意したのです。

 ペスタロッチは当時の市民としては最良の教育を受けましたが、暗記中心の学校教育は興味をひかず、優等生ではありませんでした。ただし、1762年に刊行された『エミール』からは大きな影響を受け(彼は自分の子どもに「ヨハン・ヤコブ(フランス語でジャン・ジャック)」と命名するほどルソーの信奉者でした)、ルソーの思想に基づいた理想主義的改革を志すようになりました。政治結社ゲルベ・ヘルヴェーチア協会に所属し、そこで、当時の政治問題などについて論じあったのです。やがて社会改革を実践する組織として「非圧迫者の擁護及び不正の懲罰のための連盟(愛国者団)」が結成され、ペスタロッチはその一員となりますが、当局の弾圧を受け、ペスタロッチも厳しく尋問されることになりました。

 こうした体験からペスタロッチは、夢想的な社会改革ではなく、現実的な社会改革を志すようになり、ノイホーフで農業経営家としての生涯を歩むことにしました。そこには自然を重視したルソーの影響が見られます。

 しかし、農場経営もうまくいかなかったため、貧民学校を開くことにしました。当時、貧民の子どもは大きな農家にひきとられてこき使われたり、乞食の手先として使われたりしていました。また、当時スイスでも盛んになってきていた工場生産の労働力として縛り付けられている者もいました。こうした子どもたちを救おうとしたのです。貧民が幸福に過ごせるようになるためには、単に施しを与えるだけでは不十分であり、貧民自身が自立して人間らしい生活をしていけるようにならないといけない。そのために必要な能力や手段を身につけられるように教育することが重要なのだと考えていたのです。

 しかし、この貧民学校も経営が成り立たなくなりました。以後、ペスタロッチは文筆家として生計を立てることになります。その中で発表した『隠者の夕暮』『リーンハルトとゲルトルート』において教育によって国家を改造すべきだと主張し、文筆家、教育者として非常に有名になりました。

 この頃、フランス革命の影響を受けて、その革命政府の力でスイスでも革命が起こり、新政権が樹立していました。しかし反政府運動はまだまだ活発でした。特に反革命運動の拠点であったウンターヴァルデン州のシュタンツでは武力抗争が起こり、多くの孤児や浮浪児を生み出していたのです。こうした子どもを救済するために新政権は孤児院を設立することを決め、その院長としてペスタロッチが選ばれることとなりました。

 孤児院には50人の子どもが集められ、そこには歩けない子、衰弱して骸骨のようにやせている子、愛情がなく邪推深い子、詐欺を常習とする子などもいましたが、ペスタロッチは1人でその子達と生活を共にし、必死で関わる中で、子どもたちを変容させていきます。しかし、戦争の激化に伴って、このシュタンツ孤児院は病院として使われることとなり、孤児院は閉鎖されることとなりました。ここでの成果をまとめたものが『シュタンツ便り』です。

 シュタンツを離れたペスタロッチは政府からブルクドルフへの赴任を勧告されました。そこで一教師として働く中で、ペスタロッチの方法が認められるようになり、ブルクドルフ城内で学園を開くようになります。そこでのペスタロッチの教授法は「メトーデ」と呼ばれ、『ゲルトルート児童教育法』(『ゲルトルートはいかにしてその子を教えるか』とも訳されます)にまとめられました。

 しかし、革命政府による中央集権国家の建設という試みが挫折し、スイスは再び連邦主義政府に戻ることとなりました。この影響を受けて、ペスタロッチの学園は革命政府から資金援助を受けることができなくなりました。そうしたときに、イヴェルドン市が学園を引き受ける用意があると言明したため、ペスタロッチはイヴェルドンに移ることとしたのです。イヴェルドンでのペスタロッチの学園は国際的な名声を獲得し、ヨーロッパの各地から多くの教師が「メトーデ」を学び、教師としての腕を磨くために見学にやってきました。この中にはヘルバルトやフレーベルなどもいました。

 このイヴェルドンの学園を支えたのが、ヨハネス=ニーデラーとヨゼフ=シュミットです。しかし、両者は根本的な理念において対立していました。ニーデラーは「メトーデ」の理論としての完成に力を入れるべきだと考えていましたが、シュミットは「メトーデ」の具体化によって一層の教育成果をあげるべきだと主張したのです。この2人の対立が学園内に亀裂を生み、学園は衰退していくこととなりました。こうしてペスタロッチは学園を離れてノイホーフに戻り、そこで1827年、死去しました。

 このように見てくると、ペスタロッチは社会の改革ということを志し、貧民の子弟の自立ということを目指してその実践に尽力した姿がわかるでしょう。次回はその実践のありようについて、具体的に見ていきたいと思います。
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2016年12月16日

近代教育学の成立過程を概観する(8/13)

(8)ルソーは子どもへの愛情と子どもからの尊敬が教師には必要だと考えた

 前回は、ルソーの人間観・社会観について見てきました。ルソーによれば、人間は自然状態においては自由に生きていたけれども、個々人の共通利害に基づいて社会を構成するのでした。この共通利害に基づく意志(一般意志)は個々人の意志でもあるため、それに従うことは自らの意志に従うことであり、このような形で社会における自由が保障されるのだということでした。ところが、人民の決議による意志は必ずしも一般意志になるとは限らないから、あざむかれないように人民の判断力、その前提となる知的能力を育てないといけないということでした。こうして個々人が自らの欲求が実現できるようにすることが重要であり、そのような社会こそ理想だと考えていたのでした。

 このような人間を育てる上で、教師はどうあるべきなのでしょうか。この点について、ルソーの『エミール』で紹介されている「サヴォワの助任司祭の信仰告白」を見ていきたいと思います。これは、カルヴァン教徒として生きていたが罪を犯して逃亡者になり、荒れてしまった青年に対して、サヴォワの助任司祭が自らの信仰について説いて、宗教に目覚めさせる話です。実はこの青年とはルソー自身のことであり、自らの実体験を語ることで、エミールに対して宗教教育を行おうとしているのです。このサヴォワの助任司祭のあり方から、教師としてどうあるべきかを読みとっていきたいと思います。

 助任司祭がこの青年(ルソー)を観察したところ、「恵まれない境遇のために青年の心はすでに傷ついていること、侮辱され軽蔑されてかれは勇気をうしなっていること、かれの誇らしい気持ちは、にがい恨みに変わってい」ることに気づきました(『エミール』(中)、p.112)。端的には、この青年はその不幸な体験・経験から、人間に対して、社会に対して、非常に強い反発の気持ちを抱いていたのだということです。

 そこで、助任司祭は「青年の言うことに耳をかたむけ、思いのままにしゃべらせてお」き、「どんなことにも関心を示」すようにしました(同上書、p.114)。つまり、青年が何かを話したときに、それを決して否定しない、いったんは受け入れるように心がけたのでした。そういう姿勢を教師が示しているからこそ、青年は安心して話をすることができて、その結果、青年は「なにも告白するつもりはなしになにもかも告白してしまった」のでした(同上)。

 一言で言えば、助任司祭は青年の存在を認めるようにしたのだと言えるでしょう。この青年は様々な不幸な体験・経験、つまり自分自身が認められていないという体験・経験をすることによって、人間に対して、社会に対して、非常に強い反発の気持ちを抱いていたのでした。だから、まずはその青年を認めるようにする、その1つのあり方として青年の言うことに関心をもって耳を傾けるようにしたのです。

 その背後には、「本当はこの青年は勇気をもっているのだ。誇らしい気持ちをもっているのだ。だからこそ、適切に働き掛ければ、よい方向へと変わっていくはずだ」というような認識があります。つまり、現象としては悪くなっていても、その中には可能性という善が潜んでいるのであり、教育すればそれが出てくるようになるのだと考えていたのです。このように人間や教育に対する信頼を助任司祭は抱いていたのだと言えるでしょう。だからこそ、青年は助任司祭に対して、なにもかも告白してしまうことになったのです。

 この助任司祭については、もう1つ取り上げるべき点があります。サヴォワの助任司祭に心を開いた青年ルソーは、この助任司祭に対して次のように述べています。

「わたしがなによりも心をうたれたのは、わたしの尊敬すべき師の私生活には、いつわりのない美徳、弱さをともなわない人間愛、いつもまっすぐで単純な言葉、そして、いつもそこに一致した行動がみられることだった。」(同上書、p.116)

「だれも見ていないところでも、公衆の面前におけると同じように規則正しくかれが聖職者としての務めを果たしていることがわかった・・・」(同上書、pp.117)


 つまり、司祭は美徳や人間愛に満ちており、様々な言葉をルソーに投げかけているけれども、ルソーに話した言葉を何よりも自分自身がしっかりと実践しているということです。しかも、それはルソーや他の人がいる前だけではなく、誰もいない場面でもそうであったということです。つまり、司祭は言動が一致していたということです。そうした司祭の姿に青年ルソーは心をうたれたと述べているのです。

 現代の例で言うならば、自分の意見をしっかり発表しましょうと子どもに言い、自分も職員会議でしっかりと発言する。そうじを丁寧にするように子どもに言い、自分も教室や自分の部屋を掃除する。毎日コツコツ勉強することが大事だと子どもに言い、自分も毎日本を読んだり文章を書いたりする。あいさつをしましょうと子どもに言い、自分も出会った人に対してしっかりあいさつをする。このような姿が司祭には見られたということです。

 教師は「このような人間に育ってほしい」という思いをもって子どもに対して働きかけます。その育って欲しいと思う人間像こそが教育目的ですが、司祭自身がその教育目的を体現した存在であったということです。だからこそ青年は司祭に対して尊敬の念を抱き、信頼するようになったということです。

 以上をまとめるならば、教師はどんな姿を見せている子どもに対しても、人間の可能性や教育の可能性を信頼して働きかけていくこと、そのことによって子ども自身が「認められた」という感覚になるようにすること、また、教師自身が自らの教育目的を体現した存在となり、子どもからの尊敬が得られるようにすること、こうしたことが教師としては重要だということになるでしょう。そしてこれはロックの教師論、つまり教師は子どもに愛情を感じさせなければならないということ、教師自身が理性的な存在でなければならないということをしっかりと受け継いだものだと言えるでしょう。
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2016年12月15日

近代教育学の成立過程を概観する(7/13)

(7)ルソーは主体性こそ人間の土台だと考えた

 前回は、ルソーが教育をどのように捉えていたのかを確認しました。現実の社会において階級の入れかわりが起こるようになってきたことを踏まえて、ルソーは、どんな小社会で生きていくことになったとしても、生きていけるようにすること、人間としての土台を形成することが教育だと主張したのでした。

 では、その人間としての土台とは何なのでしょうか。そうした人間を育てることと社会の維持・発展とはどのようにつながっているのでしょうか。今回はこの点についてみていきたいと思います。そのために、まずはルソーの社会観から確認していきましょう。

 ルソーによれば、社会が構成される以前の自然状態にあっては、それぞれの個人が自由に独立して生きていました(自然的自由)。つまり、自らが「こうしたい」という意志を意図的に描いて、その意志の実現に従って行動することができていた、ということです。

 しかし、自然状態においては、生存することを妨げるもろもろの障害が存在します。例えば、個人の力では大型動物と戦って食料を確保するということもできません。そこで、人々は集合することによって、その障害を乗り越えていこうとしました。こうして、個々人の共通した利害に基づいて社会を形成するのだとルソーは説いています。この共通利害のことを「一般意志」と呼んでいます。

 この一般意志には個々人の意志(共通の意志)が含まれていますから、その一般意志に従うことは、自らの意志に従うことになります。こうして、一見社会のルールに縛られる(自分以外のものに縛られる)というように見えて、実は自分自身の意志に従うというあり方が実現することになります。これを自然的自由と区別して、「市民的自由」と呼んでいます。

 この一般意志を明確にするために人民による決議が必要だと主張しているのですが、ルソーは、その決議が必ずしも公共の利益を目指したものになるとは限らないと指摘しています。

「一般意志は、つねに正しく、つねに公けの利益を目ざす、ということが出てくる。しかし、人民の決議が、つねに同一の正しさをもつ、ということにはならない。人は、つねに自分の幸福をのぞむものだが、つねに幸福を見わけることができるわけではない。人民は、腐敗させられることは決してないが、ときには欺かれることがある。そして、人民が悪いことをのぞむように見えるのは、そのような場合だけである。

 全体意志と一般意志のあいだには、時にはかなり相違があるものである。後者は、共通の利益だけをこころがける。前者は、私の利益をこころがける。それは、特殊意志の総和であるにすぎない。」(ルソー、桑原武夫・前川貞次郎訳『社会契約論』岩波書店、1954年、pp.46-47)


 つまり、人民の決議によって出ていた意志(国家意志)は、つねに公の利益を目指す一般意志になるとは限らず、特殊な利益を目指す全体意志になることもあるのだということです。これは現実に、国民のためと言いつつも、その実、大企業の優遇でしかない法律が存在していることを踏まえれば、よくわかるでしょう。
 したがって、人民の決議によって出てきた意志が一般意志になるようにするには、人民が欺かれないようにすることが重要だということになります。欺かれないだけの判断力、そして、その土台となる知的能力をもった人間を育てることこそ、人間としての土台形成として重要だとルソーは考えていたのです。つまり、自分の力でしっかり考えられる人間(主体的な人間)を育てることが教育だとしたのです。

 こうした考え方は、ルソーが説く教育方法にも現れています。その1つは、子どもの必要性ということを重視している点です。例えば、子どもに文字を教えるときには、文字を学びたいという欲求を子どもたちに起こさせることが重要だとルソーは主張しています。家族や親戚、友だちなどから招待状が送られてきたけれども、その案内の内容が読めなくて、結局参加することができなかったというような体験をさせることによって、文字が読めるようになることの必要性を実感し、自分から文字を学ぼうとするようにすることが大事だというのです。

 もう1つは、教師の子どもへの働きかけとして発問(問いを発すること)を重視している点です。例えば、太陽が(見かけ上)どのように運動しているのかを子ども(エミール)につかませるために、ルソーは「わたしは、きのうの夕方、太陽があすこに沈んだこと、そしてけさはあすこに昇ったことを考えている。どうしてそういうことが起こるのだろう。」(『エミール(上)』p.292)という問いを出しています。エミールが何か質問してきても、それに対して答えず、別の話をしてしまいます。こうしておけば、エミールは自分でこの問題について考えるだろうと言うのです。

「子どもが注意ぶかくなるようにするためには、そして、なにか感覚的な真理がはっきりとわかるようにするには、かれがそれを発見するまでのいく日かのあいだ、それがかれを不安にしておくことがどうしても必要だ。」(同上書、p.293)


 つまり、何らかの真理がわかるようにするためには、それがわからなくて不安になっている状態が必要だというのです。これは、「どうして太陽は西に沈んだのに東から昇ってくるのかを知りたい」という思いをしっかりと抱かせることが重要だという主張として捉え返すことができるでしょう。
 このように、ルソーは、子どもたちが自分で考えるということを教育において重視しているのです。これがルソーが育てるべきだと考えた人間としての土台だと言えるでしょう。
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<講義一覧>

 ・2010年5月例会の報告
 ・2010年6月例会の報告
 ・日本酒を楽しめる店の条件
 ・交響曲の歴史を社会的認識から問う
 ・初心者に説く日本酒を見る視点
 ・『寄席芸人伝』に見る教育論
 ・初学者に説く経済学の歴史の物語
 ・奥村宏『経済学は死んだのか』から考える経済学再生への道
 ・『秘密諜報員ベートーヴェン』から何を学ぶか
 ・時代を拓いた教師を評価する(1)――有田和正氏のユーモア教育の分析
 ・2010年7月例会報告
 ・弁証法から説く消費税増税不可避論の誤り
 ・佐村河内守『交響曲第一番』
 ・観念的二重化への道
 ・このブログの目的とは――毎日更新50日目を迎えて
 ・山登りの効用
 ・21世紀に誕生した真に交響曲の名に値する大交響曲――佐村河内守:交響曲第1番「HIROSHIMA」全曲初演
 ・2010年8月例会報告
 ・各種の日本酒を体系的に説く
 ・「菅・小沢対決」の歴史的な意義を問う
 ・『もしドラ』をいかに読むべきか
 ・現代日本における「国家戦略」の不在を問う
 ・『寄席芸人伝』に学ぶ教師の実力養成の視点
 ・弁証法の学び方の具体を説く
 ・日本歴史の流れにおける荘園の存在意義を問う
 ・わかるとはどういうことか
 ・奥村宏『徹底検証 日本の財界』を手がかりに問う「財界とは何か」
 ・「小沢失脚」謀略を問う
 ・2010年11月例会報告
 ・男前はなぜ得か
 ・平安貴族の政権担当者としての実力を問う
 ・教育学構築につながる教育実践とは
 ・2010年12月例会報告
 ・「法人税5%減税」方針決定の過程的構造を解く
 ・ベートーヴェン「第九」の歴史的位置を問う
 ・年頭言:主体性確立のために「弁証法・認識論」の学びを
 ・法人税減税の必要性を問う
 ・2011年1月例会報告
 ・武士はどのように成立したか
 ・われわれはどのように論文を書いているか
 ・三浦つとむ生誕100年に寄せて
 ・2011年2月例会報告:南郷継正『武道哲学講義U』読書会
 ・TPPは日本に何をもたらすのか
 ・東日本大震災から国家における経済のあり方を問う
 ・『弁証法はどういう科学か』誤植の訂正について
 ・2011年3月例会報告:南郷継正『武道哲学講義V』読書会
 ・新人教師に説く「子ども同士のトラブルにどう対応するか」
 ・三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』誤植一覧
 ・新大学生に説く「大学で何をどう学ぶか」
 ・新大学生に説く「文献・何をいかに読むべきか」
 ・2011年4月例会報告:南郷継正『武道哲学講義W』読書会
 ・三浦つとむ弁証法の歴史的意義を問う
 ・新人教師に説く学級経営の意義と方法
 ・三浦つとむとの出会いにまつわる個人的思い出
 ・横須賀壽子さんにお会いして
 ・続・三浦つとむとの出会いにまつわる個人的思い出
 ・学びにおける目的意識の重要性
 ・ブログ毎日更新1周年を迎えてその意義を問う
 ・2011年5・6月例会報告:南郷継正「武道哲学講義〔X〕」読書会
 ・心理療法における外在化の意義を問う
 ・佐村河内守:交響曲第1番「HIROSHIMA」CD発売
 ・新人教師としての一年間を実践記録で振り返る
 ・2011年7月例会報告:近藤成美「マルクス『国家論』の原点を問う」読書会
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む
 ・2011年8月例会報告:加納哲邦「学的国家論への序章」読書会
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論1三浦つとむの哲学不要論をめぐって
 ・一会員による『学城』第8号の感想
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論2 マルクス『経済学批判』「序言」をめぐって
 ・2011年9月例会報告:加藤幸信論文・村田洋一論文読書会
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論3 マルクス「唯物論的歴史観」なるものの評価について
 ・三浦つとむさん宅を訪問して
 ・TPP―-オバマ大統領の歓心を買うために交渉参加するのか
 ・続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2011年10月例会報告:滋賀地酒の祭典参加
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論4不破哲三氏のエンゲルス批判について
 ・2011年11月例会報告:悠季真理「古代ギリシャの学問とは何か」読書会
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論5ケインズ経済学の歴史的意義について
 ・一会員による『綜合看護』2011年4号の感想
 ・『美味しんぼ』から何を学ぶべきか
 ・2011年12月例会報告:悠季真理「古代ギリシャ哲学、その学び方への招待」読書会
 ・年頭言:「大和魂」創出を志して、2012年に何をなすべきか
 ・消費税はどういう税金か
 ・心理療法におけるリフレーミングとは何か
 ・2012年1月例会報告:悠季真理「古代ギリシャ哲学,その学び方への招待」読書会
 ・バッハ「マタイ受難曲」の構造を解く
 ・2012年2月例会報告:科学史の全体像について
 ・『弁証法はどういう科学か』の要約をどのように行っているか
 ・一会員による『綜合看護』2012年1号の感想
 ・橋下教育基本条例案を問う
 ・吉本隆明さん逝去に寄せて
 ・2012年3月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第1章〜第4章
 ・科学者列伝:古代ギリシャ編
 ・2年目教師としての一年間を実践記録で振り返る
 ・2012年4月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第5章〜第6章
 ・科学者列伝:ヘレニズム・ローマ・イスラム編
 ・簡約版・消費税はどういう税金か
 ・一会員による『新・頭脳の科学(上巻)』の感想
 ・新人教師のもつ若さの意義を説く
 ・2012年5月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第7章
 ・科学者列伝:西欧中世編
 ・アダム・スミス『道徳感情論』を読む
 ・2012年6月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第8章
 ・科学者列伝:近代科学の開始編
 ・ブログ更新2周年にあたって
 ・古代ギリシアにおける学問の誕生を問う
 ・一会員による『綜合看護』2012年2号の感想
 ・クセノフォン『オイコノミコス』を読む
 ・2012年7月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第9章
 ・科学者列伝:17世紀の科学編
 ・一会員による『新・頭脳の科学(下巻)』の感想
 ・消費税増税実施の是非を問う
 ・原田メソッドの教育学的意味を問う
 ・2012年8月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第10章
 ・科学者列伝:18世紀の科学編
 ・一会員による『綜合看護』2012年3号の感想
 ・経済学を誕生させた経済の発展とはどういうものだったのか
 ・2012年9月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第11章
 ・人類の歴史における論理的認識の創出・使用の過程を問う
 ・長縄跳びの取り組み
 ・国家の生成発展の過程を問う――滝村隆一『マルクス主義国家論』から学ぶ
 ・三浦つとむの言語過程説から言語の本質を問う
 ・2012年10月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第11章
 ・科学者列伝:19世紀の自然科学編
 ・古代から17世紀までの科学の歴史――シュテーリヒ『西洋科学史』要約で概観する
 ・2012年11月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第12章前半
 ・2012年12月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第12章後半
 ・科学者列伝:19世紀の精神科学編
 ・年頭言:混迷の時代が求める学問の確立をめざして
 ・科学はどのように発展してきたのか
 ・一会員による『学城』第9号の感想
 ・一会員による『綜合看護』2012年4号の感想
 ・2013年1月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』を読む前提としての世界歴史の全体像
 ・歴史観の歴史を問う
 ・2013年2月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』をどのように読んでいくべきか
 ・『三浦つとむ意志論集』を読む
 ・言語学の構築に向けてどのように研究を進めるのか
 ・一会員による『綜合看護』2013年1号の感想
 ・改訂版・新大学生に説く「大学で何をどう学ぶか」
 ・2013年3月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』序論(前半)を読む
 ・3年目教師としての1年間を実践記録で振り返る
 ・2013年4月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』序論(後半)を読む
 ・新自由主義における「自由」を問う
 ・2013年5月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第一部 東洋の世界(前半)を読む
 ・三浦つとむ「マルクス・レーニン主義に関する本質的な質問」から学ぶ
 ・言語は歴史的にどのように創出されたのか
 ・一会員による『綜合看護』2013年2号の感想
 ・ヒュームの提起した問題にカント、スミスはどのように答えたか
 ・2013年6月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』東洋の世界(後半)を読む
 ・一会員による2013年上半期の振り返り
 ・認知療法における問いの意義を問う
 ・カント歴史哲学へのアダム・スミスの影響を考える
 ・2013年7月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』ギリシアの世界を読む
 ・2013年8月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第三部 ローマの世界を読む
 ・アダム・スミスの哲学体系の全体像を問う
 ・一会員による『綜合看護』2013年3号の感想
 ・初任者に説く学級経営の基本
 ・カウンセリング上達過程における事例検討の意義
 ・文法家列伝:古代ギリシャ編
 ・ヒューム『政治論集』抄訳
 ・2013年9月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第四部 ゲルマンの世界を読む
 ・言語過程説から言語学史を問う
 ・2013年10月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』「第4部 ゲルマンの世界」第2篇を読む
 ・戦後日本の学力論の流れを概観する
 ・一会員による『育児の生理学』の感想
 ・文法家列伝:古代ローマ・中世編
 ・2013年11月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第4部 ゲルマンの世界 第3篇を読む
 ・古代ギリシャ経済の歴史を概観する
 ・2013年12月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』のまとめ
 ・ヘルバルト教育学の全体像を概観する
 ・年頭言:歴史を切り拓く学問の創出を目指して
 ・歴史的な岐路に立つ世界と日本を問う
 ・一会員による『綜合看護』2013年4号の感想
 ・一会員による2013年の振り返りと2014年の展望
 ・ヘーゲル『歴史哲学』を読む
 ・2014年1月例会報告:学問(哲学)の歴史の全体像について
 ・一会員による『学城』第10号の感想
 ・世界歴史の流れを概観する
 ・現代の言語道具説批判――言語規範とは何か
 ・2014年2月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第3〜11章
 ・ヘルバルト『一般教育学』を読む
 ・新大学生へ説く「大学で何をどのように学んでいくべきか」
 ・2014年3月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第12〜14章
 ・三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』学習会を振り返る
 ・『育児の認識学』は三浦認識論をいかに発展させたか――一会員による『育児の認識学』の感想
 ・2014年4月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第15〜19章
 ・4年目教師としての1年間を実践記録で振りかえる
 ・文法家列伝:『ポール・ロワイヤル文法』編
 ・2014年5月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第20〜26章
 ・道徳教育の観点から見る古代ギリシャの教育と教育思想
 ・古代ギリシャの経済思想を問う
 ・半年間の育児を振り返る
 ・2014年6月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第27〜33章
 ・現代の言語道具説批判・補論――「言語道具説批判」に欠けたるものとは
 ・心理士が医学から学ぶこと――一会員による『医学教育 概論(1)』の感想
 ・アダム・スミス「天文学史」を読む
 ・現代の言語道具説批判2――言語道具説とは何か
 ・2014年7月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第34〜38章
 ・道徳教育の観点から見る中世の教育と教育思想
 ・もう一人の自分を育てる心理療法
 ・2014年8月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第39〜40章
 ・アダム・スミス「外部感覚論」を読む
 ・文法家列伝:ジョン・ロック編
 ・一会員による『学城』第11号の感想
 ・夏目漱石を読む@――坊っちゃん、吾輩は猫である、草枕
 ・2014年9月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第41〜43章
 ・ルソーとカントの道徳教育思想を概観する
 ・アダム・スミスは『修辞学・文学講義』で何を論じたか
 ・全てを強烈な目的意識に収斂させる――一会員による『医学教育概論の実践』の感想
 ・2014年10月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第44〜45章
 ・精神障害の弁証法的分類へ向けた試み
 ・シュリーマン『古代への情熱』から何を学ぶか
 ・2014年11月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第46章
 ・一年間の育児を振り返る
 ・近代ドイツにおける教育学の流れを概観する
 ・2014年12月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』のまとめ
 ・年頭言:弁証法・認識論を武器に学問の新たな段階を切り開く
 ・「戦後70年」を迎える日本をどうみるか
 ・哲学の歴史の流れを概観する
 ・『ビリギャル』から何を学ぶべきか
 ・必要な事実を取り出すとは――一会員による『医学教育 概論(2)』の感想
 ・2015年1月例会報告:南郷継正「武道哲学講義X」
 ・夏目漱石を読むA――二百十日、野分、虞美人草、坑夫
 ・アダム・スミスは古代ギリシャ哲学史から何を学んだのか
 ・マインドフルネスを認識論的に説く
 ・道徳思想の歴史を概観する
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部の要約
 ・弁証法的に学ぶとはいかなることか――一会員による『医学教育 概論(3)』の感想
 ・一会員による『学城』第1号の感想
 ・新大学生への訴え
 ・2015年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論A
 ・心理職の国家資格化を問う
 ・5年目教師としての1年間を実践記録で振り返る
 ・文法家列伝:時枝誠記編
 ・2015年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論B、C、東洋哲学
 ・夏目漱石を読むB――三四郎、それから、門
 ・臨床心理学のあるべき姿を考える――一会員による『医学教育 概論(4)』の感想
 ・アダム・スミス「模倣芸術論」を読む
 ・デューイの教育論の歴史的な意義を問う―『学校と社会』を通して
 ・2015年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ギリシア哲学史の序論、イオニア派の哲学、ピュタゴラスとピュタゴラス派
 ・高木彬光『邪馬台国の秘密』を認識論から読み解く
 ・一会員による『学城』第12号の感想
 ・2015年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エレア派〜ヘラクレイトス
 ・何故言語学の創出が必要か―一会員による2015年上半期の振り返り
 ・事実と論理ののぼりおり――一会員による『医学教育 概論(5)』の感想
 ・夏目漱石を読むC――彼岸過迄、行人、こころ
 ・2015年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エムペドクレス〜アナクサゴラス
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(上)
 ・デューイ教育論の歴史的意義を問う―『民主主義と教育』をとおして
 ・2015年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソフィスト派・ソクラテス
 ・アダム・スミス『法学講義』を読む
 ・学問上達論とは何か――一会員による『哲学・論理学研究(1)』の感想
 ・2015年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソクラテス派、プラトン
 ・庄司和晃追悼論文―庄司和晃の歩みはいかなるもので、何を成し遂げたか
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部第4章の要約
 ・一会員による『学城』第2号の感想
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(下)
 ・夏目漱石を読むD――道草、明暗
 ・2015年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』プラトン 弁証法、自然哲学、精神の哲学
 ・ナイチンゲール看護論を心理臨床に活かす――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(1)』の感想
 ・文法家列伝:時枝誠記編(補論)
 ・英語教育改革を問う―『英語化は愚民化』書評―
 ・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
 ・2年間の育児を振り返る
 ・2015年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学)
 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
 ・ケネー『経済表』を読む
 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言