2017年04月27日

小中一貫教育を問う(5/5)

(5)国家の発展のためには個々の人間を市民として育てることが必要である

 義務教育学校が法制化され、小中一貫教育が進められる中で、本稿ではその是非について考えてきました。

 ここでこれまでの流れを振り返ってみましょう。

 第一に、思春期とは何かを踏まえて、そもそもなぜ小学校と中学校という形で学校がわかれているのかを考察しました。そもそも思春期とは子どもから大人へと脱皮していく時期であり、認識に焦点を当てれば、親や教師の指示にただ従う受動的な状態から、自分のアタマを使って考えて行動し始める時期だということでした。したがって、小学校では子どもとして教育するのに対して、中学校では大人の準備としての教育がなされるのであり、その中学校での教育がうまくいくためには、小学校での認識をすべて捨て去らないといけないということでした。そのためには、小学校の環境から大きく切り離して、新たな環境での教育が不可欠になるのであり、これが”change of the place, change of the brain”ということの1つの具体的なあり方だということでした。以上を踏まえると、小中一貫教育で小学校と中学校の建物が併設する場合、中学校に上がっても小学校のときの認識を捨て去ることが困難となり、教育上大きなマイナスになるのだということでした。

 第二に、現在、小中一貫教育が推し進められている理由について、果たしてそれが妥当と言えるものかどうかについて検討しました。とりわけ子どもの発達が早期化しているから5−4制や4−3−2制が導入するという見解について取り上げました。まず小学校と中学校ではそれぞれ教育内容が大きく異なっているのですが、あくまでも小学校での教育が土台として身についていてこそ、中学校での教育を吸収していくことができるのだということを説きました。そしてそのような土台を形成するための内容を6年かけて学ばせることが戦後70年をかけて定まってきているのだということでした。このように6年間の小学校と3年間の中学校という学校制度とともに、それに合わせる形で教育内容も定められているにも関わらず、学校制度のみを動かしたのでは教育内容の区切れとずれてしまうという問題が生じるということでした。例えば5−4制の学校制度に教育内容の区切れを合わせれば、5年間で小学校の内容を消化しないといけないことになり、無理が生じてくるということでした。その他、中一ギャップと言われる問題にしても、大部分の子どもが抱えているというような問題ではない以上、一般性のある問題ととらえるのはおかしいし、その子ども、その学校、その地域の特殊な要因によるものとして改善を図るようにしていかなければならないということでした。

 第三に、なぜ教育上はマイナスだと考えられる小中一貫教育が進められているのかを別の観点から探っていくようにしました。小中一貫教育が推し進められる大きなきっかけになった教育再生実行会議の第5次提言を読み返してみると、少子・高齢化やグローバル化の中で、日本の存在基盤である人材の質と量を確保するために見直す必要があるという枠組みの中で6−3−3−4制の学制の見直しが提言されていたのでした。つまり、高齢者が増えて社会保障費が増えていて、財源が大きく圧迫されているという現状において、少子化によって児童数・生徒数の少ない学校への経済的な支援がこれまでのようにできなくなっているからそこを改めること、もう1つは、世界にシェアをもつような大企業が求めるような人材を育てるための仕組みを整えること、この2つに応えるものとして小中一貫教育が出てきているのだということでした。同じような指摘を山本由美氏も「小中一貫教育の動向 導入のねらいと問題点 どのように取り組んでいけばよいか」において行っていることを踏まえて、小中一貫教育の推進というのは、国家の立場からすれば、結局、過疎地における財政負担を軽減させ、その余った分を都市部における(企業が求める)エリート育成の充実に活用するという構図を合理化するためのものだということを指摘しました。

 以上、小中一貫教育の推進の是非について見てきました。結論を言えば、教育学の観点からすれば非だということになるのですが、一部のエリートを育てるための教育財源を確保するという意図の下で進められているのだということでした。

 その背後には、そうしたエリートが大企業において活躍することが国家の発展につながるのだという考え方があるのだと言えるでしょう。エリートが大企業において活躍するとは、簡単に言えば、新しいアイデアを出して、その企業の利益を生み出すということです。そうした利益が国内に行きわたり、国家全体としての発展につながるということです。

 しかし、果たしてそうなのでしょうか。財務省の法人企業統計によると、企業の内部留保は2016年3月末時点で366兆円となり、安倍政権が発足した2012年2月に比べると、
34%増えていることになります。一方で、2016年1〜3月期に企業が従業員に支払った給与は28兆円であり、これは前年同月比でほぼ横ばい、政権発足時の12年10〜12月期と比べると3%減少しています。つまり、企業の利益は拡大しながらも、それが国家全体に行きわたってはいないということです。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/economics/list/201606/CK2016060502000129.html

 従業員の給料が上昇しないということは、国内消費が伸び悩むということですから、これは結局大企業にとってもプラスにはならないことになります。

 さらに言えば、そもそも経済的な豊かさが、直接に国家としての発展だと言えるのかという問題があります。仮に企業の利益も増加し、労働者の給料も上昇したとしても、例えば長時間働かなければならず、余暇を楽しむ余裕がないような環境であれば、果たしてそれは豊かな生活だと言えるのか、過労死が頻発するような国家が豊かな国家だと言えるのかという問題です。

 本当の国家の発展とは、一定の経済的な豊かさは土台としながらも、個々の人間が個人として尊重され、自分の夢や希望を叶えていけるような国家の実現に向けて、現状の国家が抱えている様々な問題を1つずつ解決していくことだと言えるでしょう。そのためには個々の人間がそれぞれの所属する社会で感じる問題に対して、その解決に向けて取り組んでいくことが求められます。そのような市民として個々の人間を育てることこそ、教育が求められる役割だと言えるでしょう。

 そのような教育を実現する上で羅針盤となる教育学の構築こそが自分が果たすべき課題であることを再確認して、本稿を終えたいと思います。
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2017年04月26日

小中一貫教育を問う(4/5)

(4)小中一貫教育推進の背後には経済的な背景が存在している

 前回は、小中一貫教育を推進する理由について、その妥当性を検討してきました。そもそも小学校と中学校とは学校のみならず教育内容も大きく区切られており、このように学校の在り方に応じる形で教育内容も区分されているからこそ、子どもはしっかりと教育内容を身につけていくことができるのであり、6−3制を単純に動かせばよいという話ではなく、それをやると別の問題が生じてくるということでした。そもそも理由として挙げられている「中一ギャップ」は、その子、その学校、その地域に特殊な問題であるから、学校制度という一般性にメスを入れて解決しようとするのはおかしいと指摘したのでした。

 以上の流れからすれば、小中一貫教育は教育上マイナスであると筆者は考えていますし、問題への対応としてもおかしいものだと思います。しかし、それにも関わらずなぜこれが進められているのでしょうか。今回はその点について考えてみたいと思います。

 小中一貫教育が推し進められる大きなきっかけになったのは、2014年7月3日にだされた教育再生実行会議の第5次提言でした。ここでどのように書かれているのかを改めてみてみたいと思います。

 まず冒頭において、次のように書かれています。

「日本を支え担う人材は、戦後約70年にわたり、6−3−3−4制の学制の下で育成されてきましたが、子供や社会の状況は大きく変化しています。現在の学制の原型が導入された当時と比べて発達の早期化が見られるほか、自己肯定感の低さ、小1プロブレム1、中1ギャップ2などの課題が指摘されています。また、グローバル化への対応やイノベーションの創出を活性化する観点から、英語教育の抜本的充実や理数教育の強化、ICT教育の充実が求められています。さらに、産業構造の変化や技術革新が進む中、質の高い職業人の育成も求められます。

 こうした課題への対応として、現在の学制の枠内で、地方公共団体や大学等における様々な工夫や取組が行われていますが、少子・高齢化やグローバル化への対応は、日本が直面する大きな課題であり、一人一人の能力の伸長と意欲ある全ての人が社会参画できる環境の構築は、国家戦略として取り組む必要があります。今、まさに日本の存立基盤である人材の質と量を将来にわたって充実・確保していくことができるかどうかの岐路に立っており、現在の学制が、これからの日本に見合うものとなっているかを見直すときであると言えます。」


 簡単に言えば、日本を支え担う人材は6−3−3−4制の学制の下で育成されてきたが、少子・高齢化やグローバル化の中で、日本の存在基盤である人材の質と量を確保するために見直す必要があるということです。このように、小中一貫教育は、少子・高齢化とグローバル化という2つに対応するという大きな枠組みの中で位置付けられているわけです。

 少子・高齢化に対応するというのは、要するに限られた財源の使い道を検討しなければならないということになるでしょう。高齢者が増えて社会保障費が増えていて、財源が大きく圧迫されているという現状において、少子化によって児童数・生徒数の少ない学校への経済的な支援がこれまでのようにできなくなっているから、そこを改めなければならないということです。

 実際、「(2)小中一貫教育を制度化するなど学校段階間の連携、一貫教育を推進する」において、次のように書かれています。

「学校が地域社会の核として存在感を発揮しつつ、教育効果を高めていく観点から、国は、学校規模の適正化に向けて指針を示すとともに、地域の実情を適切に踏まえた学校統廃合に対し、教職員配置や施設整備などの財政的な支援において十分な配慮を行う。国及び地方公共団体は、学校統廃合によって生じた財源の活用等によって教育環境の充実に努める。」


 つまり、学校の統廃合によって生じた財源を教育環境の充実に活用するということです。このように財源を生み出す統廃合を進めるために、小中一貫教育が主張されているのだと言えるでしょう。

 もう1つのグローバル化に対応するというのは、要するに世界にシェアをもつような大企業が求めるような人材を育てるための仕組みを整えるということになるでしょう。例えば、教育再生実行会議の第5次提言が出された直後の7月29日において、下村博文氏は「子供の発達や学習者の意欲・能力等に応じた柔軟かつ効果的な教育システムの構築について(諮問)」において、「新たな社会的価値・経済的価値を生むイノベーションを創出し、国際的な労働市場で活躍できる人材の育成や多様な価値観を受容し、共生していくことができる人材の育成が求められて」いるという認識のもとで、小中一貫教育の制度化の推進について述べています。小中一貫教育を進める学校においては、独自のカリキュラムを編成することが可能ですから、例えば本稿の冒頭の記事で紹介したような小学校1年生からの英語教育なども可能になります。このように、大企業が求める人材を育成するための内容を早期から教えていこうという意図のもとで小中一貫教育が進められているのだと考えられます。

 和光大学教授である山本由美氏は「小中一貫教育の動向 導入のねらいと問題点 どのように取り組んでいけばよいか」において、次のように述べています。

file:///C:/Users/ortho/Downloads/74-22_26%20(2).pdf

「小中一貫校には以下の3つの制度的目的があると考える。
・統廃合を促進する。
・初等教育段階から公立学校を複線化して、エリート校・非エリート校化を進める。
・教育課程の規制緩和によりカリキュラムを自由にできる。国策や企業の要求を先取りした教育課程の実現が可能になる。」


 ここでは3つ挙げられていますが、1つ目が教育財源に関わるものであり、2つ目と3つ目が大企業が求める人材の育成に関わるものと整理することができるでしょう。さらに、小中一貫教育の実態として、次のように指摘しています。

「一貫校には大きく分けて2つのタイプがあり、都市部中心の中〜大規模校と過疎地の小規模校に分けられる。前者には千人規模の学校が約10校ある反面、児童生徒数200人以下の学校(当然学級数は9学級以下)が全体の3分の1を占め、全校で29名という小規模校すらある。その中には地域に学校を存続させるために小規模な小・中を統合したケースも多い。自治体住民が、小中一貫化か地域から学校をなくすか、という究極の選択を強いられたケースも複数ある。」


 つまり、都市部の中〜大規模校と過疎地の小規模校に分かれているのであり、過疎地の小規模校は地域に学校を何とか存続させるために実施したケースが複数存在するということです。

 過疎地の小規模校においては、確かにその地方自治体としては分散されていた教育財源をその一校に集中することができますから、教育環境の充実に資することもできるでしょう。一方、国としてはその地方自治体への財政負担を減らすことができ、その余った分を他にまわすことができます。

 結局、小中一貫教育の推進というのは、国家の立場からすれば、過疎地における財政負担を軽減させ、その余った分を都市部における(企業が求める)エリート育成の充実に活用するという構図を合理化するためのものなのではないかと考えられるのです。
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2017年04月25日

小中一貫教育を問う(3/5)

(3)小中一貫教育推進で叫ばれている問題は制度の問題ではない

 前回は、なぜ小学校と中学校という形で義務教育が分離しているのかという問題について、思春期とは何かを踏まえて説きました。端的には、思春期とは大人になりにいく時期であり、小学生が受動的な子どもの時期であるのに対して、中学生というのは自立的な大人に向けた準備の時期だということでした。この大人になるための時期を歩んでいくためには、小学校のときの認識を捨てなければならないのであり、そのために小学校と中学校は大きくわかれているのだということでした。

 以上を踏まえて、今回は小中一貫教育を推し進めている理由について、果たしてそれが妥当なのかどうかを見ていきましょう。

 小中一貫教育が推し進められている理由の1つに、子どもの発達が早期化しているということが挙げられていました。体の成長や思春期の到来の時期が、6−3制が導入された昭和20年代前半と比較すると、2年程度早まっているということでした。そこで、6−3制ではなくて、5−4制や、4−3−2制が導入されているのでした。果たしてこのような制度は妥当なのでしょうか。

 このような制度は通常、小学校と中学校が一体となっている場合、あるいは併設している場合にのみ可能です。その意味では(2)で述べたように、小学校での認識を捨てられないので妥当ではないということが言えますが、それを抜きにして考えても適切な区分けではないと言えます。

 この問題を考える上でまず押さえておかなければならないことは、小学校段階から中学校段階へ移るためには、小学生としての教育を受けて小学生としてしっかり育っておくことが必要になるということです。その土台の上に中学校の教育が上書きされていく形で子どもは発展していくのです。そのような土台としての小学校の教育内容、それに乗っかる形になる中学校の教育内容が、戦後70年の年月をかけて、現在のような形にまとめられているわけです。

 具体的に言えば、小学校の算数では、全体としては日常生活と結びつくような内容を学びます。ところが中学校になると、文字式や負の数などが出てきて一気に抽象度が上がります。そもそも教科名も「数学」に変わります。国語にしても、小学校では「ごんぎつね」や「大造じいさんとがん」などの児童文学であったものが、中学校では「坊ちゃん」(夏目漱石)や「道程」(高村光太郎)などの大人向けの文学も入ってきます。社会科でも、小学校の歴史は人物を中心とした歴史ですが、中学校になれば通史を学ぶようになります。このように小学校と中学校では教育内容も大きく異なっています。

 学校そのものとともに、教育内容も区分けされていることによって、”Chage of the place”が成り立っているわけですが、あくまでも小学校の段階の内容をしっかりと身につけているからこそ、中学校の内容を習得していくことができるのです。そして、その小学校の内容は6年をかけて習得するように整理されているわけです。

 以上を踏まえて、例えば5−4制にした場合にはどんな問題が起こるかを考えてみましょう。6−3制の場合は、学校の区切りと教育内容の区切りがしっかり一致しているわけですが、それを5−4制で実現しようとすると、小学校6年間の内容を5年間で学ばなければならないということになります。そうすると、どうしても小学校段階での実力形成が不十分になり、中学校での発展が大きく阻害されることになってしまいます。

 一方、教育内容はそのままにして学校制度のみを5−4制にした場合、6年生は中学校の中にいるにも関わらず、学んでいる内容は小学校の延長線上ということになります。これでは小学校の認識を捨て去ることができません。さらに7年生(本来の中学1年生)になったとき、小学校の延長線上の認識のまま、小学校の内容とは大きく異なる中学校の内容を学ぶことになってしまいます。そうすると、突然の大きなハードルにつまずいてしまう子どもが多く出てしまうことが予想されます。たとえ話で言えば、これまでと同じような感覚で階段を上っていたら、突然段差が激しくなるところがあってつまずいてしまうのと同じです。

 これが6−3制ならば、小学校から中学校へという建物そのものの移り変わりもあるからこそ、「あぁ、これから大きく変わるんだな」という心づもりもできて、突然高くなっている段差もしっかり乗り越えていくことができるのです。

 以上の内容で、冒頭で紹介した小中一貫教育を推進する理由に対してはおおむね答えたことにはなりますが、一応「中一ギャップ」の問題だけ取り上げておきましょう。これは小学校から中学校へという急激な変化が「生徒に精神的・身体的負担を与えており、生徒指導上の問題や学習指導上の課題が生じている」という認識のもと、段階的な移行が望ましいとして5−4−3制などの形で小中一貫教育を推進しようとするものでした。

 ここで問わなければならないのは、ではその課題はどの程度の子どもにおいて生じているのかという問題です。もし大部分の子どもにおいて生じているのであるならば、一般性のある問題として把握することが妥当であり、制度改革を検討することが必要になるでしょう。

 しかし、決してそういうわけではなく、多くの生徒は何とか中学校生活を送ることができているものの、一定数の生徒においてそうした課題が見られるというものでしょう。したがって、この中一ギャップという問題は特殊性として捉えなければなりません。つまり、その子ども、その小学校、その中学校、その地域が抱える何らかの特殊な要因によって現象してくるものだということです。したがって、その特殊な要因にこそメスを入れるべきものでしょう。

 以上、小中一貫教育を推進する理由として挙げられているものについて検討してきました。小学校の内容と中学校の内容は大きく異なっているものの、小学校の内容を土台としてしっかり定着させてこそ中学校の内容を習得していくことができるのであり、その土台の形成を6年かけて行うように整理されてきたものが現在の教育課程なのだということでした。このように、学校の区切りと教育内容の区切りが一致しているため、容易に動かすことはできないのであり、動かせば別の問題が生じてくるということでした。そもそも小中一貫教育を進める理由として挙げられている「中一ギャップ」は一般性のある問題ではないのだから、学校制度という一般性をいじって解決しようとする発想そのものが間違っているということを指摘しました。
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2017年04月24日

小中一貫教育を問う(2/5)

(2)小学校と中学校の分化は必然である

 本稿は、義務教育学校の成立が法的に認められるほど小中一貫教育が進められている現状において、その是非について問うものです。今回は、そもそもなぜ小学校と中学校という形で学校がわかれているのかについて考えてみたいと思います。

 現在のような6−3制が成立したのは、敗戦後のことです。この6−3制は米国教育使節団報告書の中で望ましい学校体系として記されており、戦後の教育は六・三制であるということが教育改革の標語となるほど大きなものでした。そして、1947年、学校教育法において六・三制が定められたのです。つまり、義務教育として、小学校6年間と中学校3年間が位置づけられたのです。

 なお、同じ中学校といっても、戦前の中学校(旧制中学)とは大きく異なっています。旧制中学は義務教育ではありません。尋常小学校を卒業したのち、一部のもののみが進学するいわばエリートのための学校だったのです。したがって、現在の小学校・中学校というのは、かつての尋常小学校が拡大し、発展したものと位置づけることができるでしょう。

 では、なぜ6−3制となったのでしょうか。米国教育使節団報告の要旨では、以下のように書かれています。

http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1317998.htm

「課税で維持し、男女共学制を採り、かつ授業料無徴収の学校における義務教育の引上げをなし、修業年限を九か年に延長、換言すれば生徒が十六歳に達するまで教育を施す年限延長改革案をわれわれは提案する。さらに、生徒は最初の六か年は現在と同様小学校において、次の三か年は、現在小学校の卒業児童を入学資格とする各種の学校の合併改変によって創設されるべき「初級中等学校」において、修学することをわれわれは提案する。」


 結局、6−3制を提案するというのみで、その根拠については書かれていません。したがって、その根拠については論理的に考えていく必要があるでしょう。

 小学生から中学生への過程を考えたときに、思春期という大きな結節点があることがわかります。したがって、思春期とは何かを踏まえて小学生と中学生の違いをおさえておく必要があります。

 思春期に関わって、南郷先生は次のように説いておられます。

「中学生(思春期)の五感器官に関わる論理構造は端的には以下のごとくであった。中学生は思春期とあって子供から大人への脱皮期間であり、準備期間である。それだけに、その実体の成長が子供時代と大きく変ってくる面がある。実体的には大人としての体へと変化することであるが、そのことによって、認識と実体とが相互浸透的な過激的変化をとげながらの大人へ向けての成長が、急速的となっていく。」(『武道と認識の理論U』三一書房、1991年、p.195)


「この思春期は大人へなりにいく最初の重大な時期であり、その個としての人間にとっては初体験期であり、かつ、最初にして最後の重大時期である。体が大人になった高校生では、絶対に味わうべくもない思春期である。これは単に、認識の思春期にとどまらず、実体の思春期であり、実体の思春期にとどまらない認識の思春期である。」(『武道と認識の理論V』三一書房、1995年、p.127)


 つまり、思春期というのは子どもから大人へと脱皮していく期間であるということです。とりわけ中学生の時期は実体と認識の両方の側面においてそうなのだということです。

 認識の側面に焦点を当てて、少しわかりやすく言えば、大人としての自立に向けた本格的な準備期間ということができるでしょう。小学校においてはまだまだ子どもであり、親や教師の指示に従って動いていたのに対して、中学校からは大人として自分で考えて行動するということを行い始めるということです。

 その構造の1つとして、論理能力の向上ということが挙げられます。例えば、中学生ぐらいになると、教師の指導に対して、「先生は言っていることとやっていることが違う」「なんで俺だけ怒られないといけないのか」などの不満を言うようになります。これは「先生の言っていること」と「先生のやっていること」という2つ、あるいは「自分に対する先生の対応」と「他の人に対する先生の対応」という2つをしっかりつなげて理解する能力(論理能力)がついてきたということです。これは別の側面から言えば、教師が言ったことだから従うというのではなく、「有言実行」「人間は平等である」などの価値観に基づいて自分のアタマで判断するようになってきているということでもあります。

 このように小学生というのは子どもであり受動的であるのに対して、中学生というのは大人(の準備段階)であり能動的なのです。ちなみに、学校教育法では小学生は「児童」、中学生からは「生徒」(「徒」とは「弟子」という意味です)と定められていますが、これはなかなか見事な把握だと言えるでしょう。

 すると、次の問題は受動的な子どもの段階であった小学生から、大人の準備段階である中学生への移行はどうあるべきか、ということになります。ここに関わって、現在ではいわゆる中一ギャップと呼ばれる現象が生まれているから段階的である方がよいとして、小中一貫教育が進められているわけですが、端的には、ここは急激な変化でなければならないということになります。つまり、環境を一気に変えてしまって、小学校のときの認識を捨て去ってしまわなければならない、ということです。

 少し具体的に説きましょう。中学校というのは大人として自立するための本格的な準備期間ですから、小学校に比べればそれなりの厳しさというものが当然存在しています。そのときに、小学校のときの認識をひきずっていたのでは、まともに中学校での教育を消化していくことができなくなる、ということです。例えば、「小学校のときはよかった。小学校の先生はいっぱい面倒を見てくれた」などと考えていたのでは、中学校という環境をしっかりと反映することができなくなるでしょう。小学校を思い浮かべて、そこへ逃避しようとする認識を創ってはいけないということです。

 ここはサリバンがヘレン・ケラーを教育するために、つたみどりの家で生活するようにしたことと同一の論理が存在しています。ヘレンはそれまで家庭内において暴君として存在していたのでした。その家庭内の認識のままではまったくサリバンの教育がヘレンに入っていかないため、家庭という環境から切り離して、つたみどりの家で生活することにしたのです。こうしてこれまでの環境から切り離すことで認識をいわば白紙状態にし、これまでとは違う新たな教育が入る余地を生み出していったのです。これは南郷先生が説いておられる”change of the place, change of the brain”ということの1つの具体的なあり方でもあります。

 以上を踏まえれば、小学校と中学校はしっかりと分化していなければならないということになります。小学校と中学校が隣接しているような場合、中学生になった子どもはどうしても自分がそれまでにいた小学校の校舎も、また自分たちと一緒に活動した在校生の子どもも見ることになり、小学校の時の認識を捨てがたくなります。それは中学校という環境としっかり相互浸透をしていく上で、大きなマイナス要因となるのです。以上が小学校と中学校が分離している必然性(の1つ)ということができるでしょう。
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2017年04月23日

小中一貫教育を問う(1/5)

○目次
(1)小中一貫教育が推進されている
(2)小学校と中学校の分化は必然である
(3)小中一貫教育推進で叫ばれている問題は制度の問題ではない
(4)小中一貫教育推進の背後には経済的な背景が存在している
(5)国家の発展のためには個々の人間を市民として育てることが必要である

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(1)小中一貫教育が推進されている

 2017年3月23日、産経ニュースから次のような記事が出されました。

http://www.sankei.com/region/news/170323/rgn1703230040-n1.html

三重県内初の義務教育学校 小中一貫、津に来月開校

 県内初の小中一貫の義務教育学校「津市立みさとの丘学園」が4月6日、同市美里町三郷で開校する。少子化を受け地域の市立長野、高宮、辰水の3小学校と美里中学校が統合しスタート。小中の9年間を4年、2年、3年で区切り、進学時に不登校などが増える「中1ギャップ」を軽減、ゆとりのある教育を進めるほか、英語教育も重視し、校歌に英語の歌詞を加えた。前葉泰幸市長は「良い見本となるよう教育を充実させたい」としている。

 3小学校の統合を検討してきた同地区では、平成28年4月の学校教育法の一部改正で、小中学校の教育を一貫して行う「義務教育学校」の設置が認められたため、美里中を加えて同学園としてスタートさせることになった。

 学園は、現美里中校舎を約9億円で増築。開校時の児童生徒は約290人で、前期課程(小学校)は約200人、後期課程(中学校)は約90人の見込み。

 学習内容では、小学1年から9年間をかけじっくりと英語教育を実施。校歌の3番をすべて英語の歌詞にするなど、ユニークな試みも取り入れる。県によると、「県内で英語の校歌は初めてでないか」という。

 学園発足に伴い旧小中学校の閉校式が25日に各校で行われる。学園開校式は4月6日に体育館で開かれ、その後始業式。7日に入学式が予定されている。


 来年度から三重県で初めて、小中学校の教育を一貫して行う「義務教育学校」が開校することになり、そこでは小学1年から9年間かけて英語教育を行うなど、ユニークな試みが取り入れられるということです。

 この義務教育学校とは、2016年4月の学校教育法改正によって導入されたものです。これまで学校として定められていたのは幼稚園、小学校、中学校、高等学校、中等教育学校、特別支援学校、大学及び高等専門学校でしたが、ここに小学校と中学校を一体化させた義務教育学校が加えられるようになったのです。

 小中一貫教育は2000年に広島県呉市で最初に導入されました。研究開発学校指定を受け、小中一貫教育の研究が進められるようになったのです。その後、この呉市を参考にしつつ、東京都品川区や京都市などにおいても、教育特区を用いて、小中一貫教育の事例を作っていったのでした。こうした研究開発学校での試みを受けて、中央教育審議会では、2005年の答申「新しい時代の義務教育を創造する」において、「研究開発学校や構造改革特別区域などにおける小中一貫教育などの取組の成果を踏まえつつ、例えば、設置者の判断で9年制の義務教育学校を設置することの可能性やカリキュラム区分の弾力化など、学校種間の連携・接続を改善するための仕組みについて種々の観点に配慮しつつ十分に検討する必要がある」と述べられるようになりました。

 その後、2008年7月1日に閣議決定された「教育振興基本計画」では、「総合的な学力向上策の実施」という項目において、「6−3−3−4制の弾力化に関し,小中一貫教育やいわゆる飛び級を含め,幼児教育と小学校との連携など,各学校段階間の円滑な連携・接続等のための取組について検討する」とされました。
 さらに、2014年、総理の私的諮問機関として設けられた「教育再生実行会議」の第5次提言において、「いじめや不登校が中学校第1学年で急増するなど教育上の様々な課題との関係が指摘されて」いることから、「国は、小学校段階から中学校段階までの教育を一貫して行うことができる小中一貫教育学校(仮称)を制度化し、9年間の中で教育課程の区分を4−3−2や5−4のように弾力的に設定するなど柔軟かつ効果的な教育を行うことができるようにする」ことが提言され、この提言に沿って文部科学省はその実現に向けて中央教育審議会における具体化の検討を行うようになりました。こうして2016年4月、義務教育学校の開設が可能となる改正学校教育法が施行されたのです。

 義務教育学校が最も明確な小中一貫教育のあり方なのですが、小中一貫教育のあり方そのものは大きく2つにわかれます。1つは義務教育学校のように、1つの学校の中に1人の校長がおり、1つの教職員組織が存在するというあり方です。もう1つは、組織上独立した小学校と中学校が義務教育学校に準じる形で一貫した教育を施す形態(小中一貫型小・中学校)です。さらに細かくわけると、小中一貫型小・中学校にも、小学校と中学校で設置者が同じ場合(併設型小学校・中学校)と、設置者が異なる場合(連携型小学校・中学校)が存在します。

 2016年に文科省から出された「小中一貫した教育過程の編成・実施に関する手引き」では、小中一貫教育が進められる背景・理由として

(1)義務教育の目的・目標の創設
(2)教育内容や学習活動の量的・質的充実
(3)発達の早期化等に関わる現象
(4)いわゆる「中1ギャップ」

の4つが挙げられています。(1)については、簡単に言えば、義務教育の目的・目標を達成するために小学校と中学校の連携がこれまでの答申や学習指導要領で重要視されるようになってきたということです。(2)については、「教育内容や学習活動の量的・質的充実に対応して、小学校と中学校の教員が連携して、例えば、小学校高学年での専門的な指導の充実や、児童生徒のつまずきやすい学習内容についての長期的な視点に立ったきめ細やかな指導などの学習指導の工夫に取り組むことの重要性が増してきた」としています。(3)に関しては、体の成長や思春期の到来の時期が、6−3制が導入された昭和20年代前半と比較すると、2年程度早まっていることや、小学校高学年から自己肯定感や自尊感情が下がること、また学習面でのつまずきが顕在化することなどを指摘しています。そして、「おおむね小学校4〜5年生頃に児童生徒にとっての発達上の段差が存在しているのではないか」という見解を紹介し、4−3−2や5−4などの形で区切りを柔軟にすることを主張しています。(4)については、小学校と中学校での違いがあり、その違いによって生徒に精神的・身体的負担を与えており、生徒指導上の問題や学習指導上の課題が生じているという認識のもと、小学校と中学校の「接続をより円滑なものとするために、『意図的な移行期間』を儲ける教育過程を編成」する取り組みが広まっているとしています。

 大きく言えば、子どもの発達が早まっているということと、小学校と中学校とのギャップによって学習上あるいは生徒指導上の問題が起こっているということを踏まえて、小中一貫教育が進められているということです。小中一貫教育によって、ここで挙げられているような問題の解消が期待されています。

 しかし、小中一貫教育には批判の声もあります。例えば、「小6がリーダーの役割を果たせない」「小・中接続部が成長の切れ目として機能しない」といった指摘が一貫校の現場の教師から上がっています。

 果たして小中一貫教育は教育制度として妥当なものなのでしょうか。本稿ではこの点について論じたいと思います。
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2017年04月17日

斉藤喜博から何を学ぶべきか(5/5)

(5)現在求められるべき「主体的」とは、国家が抱える問題について自分の考えを主張できることである

 本校では、学習指導要領の改定案が出され「主体的・対話的で深い学び」ということがキーワードとなる中で、斎藤喜博から何を学ぶべきかを明らかにするべく、日本の教育実践の歴史において有名な斎藤喜博を取り上げてきました。

 ここでこれまでの流れを振り返っておきましょう。

 第一に、島小ではどのような実践を行っていたのかを見てみました。そこで取り上げたのは「想像説明」と「○○ちゃん式まちがい」というもので、そこでは、問題に対してそれぞれの子どもが自分の計算過程を出し、なぜそのような計算過程になったのかを他の子どもが想像して答えるという実践が行われていたのでした。出された計算過程が間違っていた場合も、どうして間違ったのかが検討され、どうすればよかったのかが話し合われていました。これは「主体的・対話的で深い学び」の具体的なあり方であり、そうやって自分の考えを積極的に出すこと、そして友だちの意見を聞くことによって自分が成長するのだということを体験させていたのでした。また、想像説明を行った子どもの側からすれば、観念的二重化の力や論理的な能力を高めることにつながるのだ、ということを説いてきました。そして、斎藤が、子どもは授業によってこそ力がつくのであり、その授業次第で子どもの力を大きく伸ばしていくことができるのだということです。そのような子どもの可能性、教育の可能性を実践をとおして証明してみせたことに大きな意義があると主張しました。

 第二に、島小での授業記録の特徴について取り上げました。斎藤は教授学をつくるためには、無数の事実をつくることをまずは大事にしないといけないとして、その事実である授業記録については、@教師自身の行為と、A(教師の)内面に生起したことがらと、B子どもに生起したことがらの3つを叙述していたのですが、これは教育における事実とは何かを踏まえると評価できることを説きました。そもそも教育の過程は、教師の認識と表現、そして子どもの認識と表現のやりとりであり、その中で起こったことはすべて教育の事実なのであり、したがってその中で教師が何らかの認識を抱いたのであれば、それも扱うべき事実なのだということでした。このような意味で、教師の認識を授業記録の中に組み込んだのは正当ではあるものの、教育の過程についての把握が十分になされていなかったため、曖昧な部分も存在していることを指摘しました。

 第三に、斎藤が島小へと至る過程について見てきました。斎藤は師範学校を卒業した後、最初に赴任した玉村小学校で、どの先生も対等の立場で自信をもって自分の実践に専念していたことに驚き、その雰囲気を作っていた宮川校長から大きな影響を受けていたのでした。その後、宮川校長の代わりに来た校長は形式的なことにこだわる人であったために、様々な形で職員と対立することになったのでした。特に「教育によって子どもを変え時代を変えていくのが教師のつとめだ」「法律は人がつくるものだ。悪い法律なら人間の力で変えていかなければならないのだ」という職員の考え方と、「教師は法律によってきめられたことだけをやっていればよい。それ以外のことはしてはいけない」という校長の考え方が大きく対立したのでした。そして盧溝橋事件も起こり、戦争の雰囲気が感じられるようになってくると、「国家より個人が先にたつ」という斎藤の考え方は校長をはじめ職員からも国賊だとして非難されるようになったのでした。やがて戦争が終わり、教員組合が作られると、斎藤はその活動に文化部長として専念するようになります。自分の明確な考えをもたず、周囲の動向を見て動く組合の教員を様々に目にしつつも、組合は民主主義の時代に民主主義を実現し、民主主義教育をつくりだそうとするものであり、教師の解放に大きく役だったのだと肯定的に評価していたのでした。結局、斎藤は、一人一人が個人として尊重され、一人一人が自分の意志で自由に行動し、発言できることこそ理想的なあり方だと考え、教師としてそのような生き方を貫いたのであり、また子どもにもそのような主体的なあり方を身につけさせていたのだということでした。

 現在の社会状況を眺めたときに、以上の流れから「主体的」ということでもっとも掬い取らねばならないのは、「法律は人がつくるものだ。悪い法律なら人間の力で変えていかなければならないのだ」という部分でしょう。いかに法律と言えども、それをつくるのは人間です。その法律をつくる人間がしっかり国民のことを考えているかどうかはわからないし、仮に考えていたとしても、結果として出来上がった法律が国民のためになるものかどうかはわかりません。そういった点を意識し、問題があればその問題をしっかりと見抜いて、自分の考えを主張していけるということこそ、今求められている主体的なあり方だと言えるでしょう。そのような主体的な人間を育てることによってこそ、民主主義というものは成り立つのです。これこそ斎藤喜博が島小で目指したものだったと言えるでしょう。 

 現在、連日森友学園の問題が取り上げられています。その森友学園が経営する塚本幼稚園で、園児たちが「安倍首相がんばれ。安倍首相がんばれ。安保法制通過よかったです」と声を挙げさせられている姿が報道されていました。これが、斎藤喜博が目指した民主主義教育なのでしょうか。斎藤喜博が育てようとした主体的なあり方なのでしょうか。そもそも教育基本法には政治教育として、「法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない」と定められています。これには反しないのでしょうか。国会で答弁を求められた安倍首相は、「責任を持つ大阪府が判断すべきことだ」としています。もし大阪が可とすれば、国はそれを追認するのでしょうか。

 一方で、自民党は昨年の7月「学校教育における政治的中立性についての実態調査」として、「『安保法制は廃止にすべき』(もともとは『子供たちを戦場に送るな』と記載されていました)と主張し中立性を逸脱した教育を行う先生方がいる」として、その具体的な情報が記入できる密告フォームをHPに作成していました。反対を主張することが中立性を損なうというのであれば、当然、賛成を主張することも中立性を損なうでしょう。

 いずれにせよ、国家とは何なのか、法とは何なのか、教育の政治的中立とは何なのかなどといった問題が大きく浮上してきていることは間違いありません。このような問題に対してしっかり自分のアタマで考え抜けるようにすること、そして自分の判断に基づいて主張できるようにすること、これこそが現在求められている主体的なあり方にほかなりません。そのような国民が育ってこそ、本当の意味で民主主義が成立するのです。このようなことを、斎藤喜博の島小での実践は現代の我々に訴えかけているのだと言えるでしょう。
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2017年04月16日

斉藤喜博から何を学ぶべきか(4/5)

(4)斎藤喜博は戦前戦後をとおして主体的なあり方を求めた

 前回は、斎藤喜博が教授学をつくるためには授業の事実をたくさんつくる必要があると主張していることを踏まえて、その授業の事実をどのような形で記録しているかを見てきました。そこでは教師の言動や子どもの言動のみならず教師の認識を含めており、教育における事実とは何かを踏まえれば、これは評価できるものだということでした。ただし、そこまで明確なとらえ方ができておらず、曖昧になっているということも指摘しました。

 今回はこのような島小の実践が生まれる背景として、斎藤はどのような過程を歩んできたのかを見ていきたいと思います。

 斎藤は師範学校を卒業したあと、いくつかの小中学校を経て、組合の役員として働き、その後、島小の校長として働くようになりますが、最初に赴任した玉村小学校にて、宮川静一郎校長から大きな影響を受けています。赴任したときの学校の印象を次のように書いています。

「この学校で私が、いいなあと思ったことは、一人ひとりの先生たちがみな、自信を持ち喜びをもって、のびのびと自分の実践をつくり出していることだった。そのころはどこの学校でも職員室には月給じゅんに名札がさがっていた。下駄箱なども月給じゅんになっていた。しかしこの学校にはそういうものが少しもなく、どの先生もみな人間としても教師として平等だった。資格とか形式とかでなく、一人ひとりの人間を尊重し、その人間の実践を尊重していたのだった。だから教員免許状がないために代用教員という名称になっていた人たちも何人かいたが、そういう人たちもみなどうどうとした実践者だった。資格とか月給とかが、おたがいの意識のなかに少しもないのだった。どこまでも実践を中心にして生きていたのだった。だから一人ひとりが大きくみえ、どうどうとした風格を持っていたのだった。
 逆にいえばこの人たちは、形式的な資格をとることよりも、自分の力を毎日毎日の実践に打ち込むことを喜びとし生き甲斐としていたわけである。(中略)そういうふんいきをつくっていたのはみな宮川校長であった。」(斎藤喜博「可能性に生きる」『斎藤喜博全集12』p.105)


 つまり、どの先生も対等の立場で自信をもって自分の実践に専念していたということです。そして、そのような雰囲気を作っているのが宮川校長だったということです。この宮川校長は形式的なことは排除し、外部からの視察や苦情などはすべて処理をして、先生は自分の実践に打ち込めるようにしていたということです。これが斎藤の原点となります。

 ところが、この宮川校長が去ったあと、やってきた猪熊校長はこれと正反対で、事なかれ主義で、形式的なことにのみこだわり、外部に向かって気をつかっていたということです。そこで猪熊校長と職員たちはことあるごとに対立するようになります。

 ある年、全校教育反省会という名目で公開で研究会を開くことになったときのことです。職員たちは宮川校長がいなくても玉村の教育を守り、発展させていくという決意で準備に臨んでいました。そして、授業案を作成し、そこに「時代革新の熱意を日々の教育の上に認めている」と書いたのです。すると、校長は、この「時代革新」を共産主義だと捉え、こんなものを他校からの参観者がいる中で配布したことに激怒し、職員と議論になったのでした。

「ここでもまた職員と校長との間で長い議論がはじまった。『教育によって子どもを変え時代を変えていくのが教師のつとめだ』というのが職員側の主張だったが、校長は、『そういう考え方はふとどきだ。教師は法律によってきめられたことだけをやっていればよい。それ以外のことはしてはいけない』と強く主張した。
 校長がそういう主張をしたとき、東山清澄は、すっくと立ち上がって、『法律は人がつくるものだ。悪い法律なら人間の力で変えていかなければならないのだ。自分たちが実践してみてどうしても子どもたちのためにならないと考えたらそれをやらなければならない。法律のとおりにやっているだけがよいことではない』と、強い口調でいった。校長はこの言葉をきくと、身体をふるわせて怒り出し、『そういう教師は教師としての資格がないのだ』といった。そして三月末の委員人事異動で東山清澄を遠くの学校へ転任させてしまった。」(同上書、p.133)


 「教師は法律に定められたことだけをしていればよい」という校長の主張に対して、「その法律をつくるのは人間であり、もし悪い法律なら変えていかなければならないから、法律のとおりにやっているだけがよいことではない」と主張した教師は、左遷させられてしまったということです。

 しかし、国が「国体の本義」というパンフレットを作るようになり、盧溝橋事件も勃発するような緊迫した状況になると、徐々に国家に従うべきだという考え方が職員の中でも強くなっていきます。

 職員の研修発表会で、斎藤が「自己完成の教育」という発表をし、「子どもたちが喜び勇んで自分を成長させ自分たちを一日一日と完成させていこうとして懸命に努力するように導くこと」を主張すると、当時の校長であった大浦校長や職員から批判をされたのでした。

「大浦校長は、『自己完成というのは自分だけを大切にする考え方になるが、斎藤先生は国家と個人とはどちらが先になると考えていますか』という質問を出してきた。私はすぐに『個人があって国家はあるのだと考える。国家があって個人があるのではない。国家は個人のためにあるのであり、また、すぐれた個人があってはじめて国家もよくなるのだ。教育においても個人が先に立つのであり、全体が先にたつのではない。また、すぐれた個人ができて全体もよくなるのだし、その結果として全体からのよい影響を受けて個人もさらによくなるのだ』ということをいった。
 すると大浦校長は『斎藤先生は、国家より個人が先にたつという発言をとり消しませんか。もしとり消さないのなら、そういう教師は教壇から追放すべきだ』といった。だが私は、『とり消しません』といった。すると今までだまってきいていた一人の若い男の教師が、『それなら国賊だ』と、ぽつりといってだまった。この若い男の教師も真面目な教師であり誠実な人だった。それまで一緒に仕事もしていた。だがこの教師も、心からそう思って、反射的に『国賊だ』という言葉が出たのだった。」(同上書、pp.167-168)


 このように、戦争のために個人が犠牲になって当然だという考え方が出てくる中で、斎藤はあくまでも個人の尊重ということを貫いたのでした。しかし、そのことにより、周囲からは国賊という扱いを受けることにもなったのです。

 やがて戦争が終わり、教員組合をつくる動きが出始めると、戦前は国家が個人より先に立つと主張していた校長たちが常任理事になったのでした。それに関して、斎藤は「そういう傾向をおもしろくないと思っていた。今まで戦争に便乗していた校長たちが、すぐに組合の役員になりたがるのもおかしいし、またそういう校長たちばかりを無批判に役員に選んでしまうのもおかしいと思った」(同上書、p.220)と書いています。

 しかし、やがて共産党や労働組合に対する目が厳しくなり、事件のたびに疑いをかけられ検挙されるようになると、こうした校長たちはつぎつぎと組合を脱退していくようになりました。組合は個人で入るものであるにも関わらず、一人では心細く、連名で脱退届を出したりもしたのです。

 その後、斎藤は組合の文化部長となり、県教組で専従として働くようになります。そこでも様々な問題を目の当たりにしましたが、「それはどこまでも個人の人間の問題なのであり、組織の運動方法のあやまりなのであって、決して組織そのものの悪さではない」(同上書、p.332)として、教員組合の成果を次のように述べています。

「基本には民主主義の時代に民主主義を実現し、民主主義教育を創り出そうとして組合に結集していった。(中略)
 いちばん大きな成果は、何といっても教師が解放されたことだった。戦前までは教師には何一つ自由はなかった。ただ兵隊と同じように、そのときどきの政府の命令によって、機械のように動かされ委縮していたのが教師だったが、組合ができてからの教師は、自由にのびのびとなっていき、行動も発言も自分の意志でするようになっていった。戦前の教師のような暗さも重さもなくなり、人間としての教師になっていった。はじめて人間教師が生まれてきたのだし、組合という組織を通じて、個人としての意思や教師としての意思を公にするようにもなっていった。
 そういうことから必然的に、教育の実践も、一人の教師としての責任において、自分の意志で自分の実践をするようになっていった。また、自分たちの実践や教育での主張を、組合という組織をとおして公に訴えようともするようになっていった。」(同上書、pp.330-331)


 つまり、組合に集まった教師は民主主義教育を創り出そうとしたのであり、組合によって教師が解放され、自分の意志で実践したり発言したりできるようになったのだということです。

 このように見てくると、斎藤喜博が何を目指してどのように生きてきたのかがわかります。端的に言えば、主体性の確立ということになるでしょう。一人一人が個人として尊重され、一人一人が自分の意志で自由に行動し、発言できることこそ理想的なあり方だと考えたのです。軍国主義の色合いが強くなり、様々な困難に直面する中においても、自らはそのような主体的な生き方を貫き、戦後は教師が主体的に活動できるように組合の活動にも尽力したのです。

 そして、このような主体的なあり方こそ、斎藤喜博が抱いていた教育理念だったとも言えるでしょう。そして(2)や(3)の授業記録で見たように、たとえ間違っていようとも自分の意見を全体の場に出すこと(そして他者との対話をとおして修正していくこと)、全体の意見に流されずに自分が正しいと判断した意見を出すこと、そのようなことが島小の授業では実現されていたのです。
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2017年04月15日

斉藤喜博から何を学ぶべきか(3/5)

(3)斎藤喜博は教育の過程における教師の認識も拾い上げた

 前回は、斎藤喜博が校長を務めた島小でどのような授業が行われたのかを見てきました。斎藤はこのような実践を積み重ねるのみならず、そのような積み重ねの中から「授業の理論であり、授業の方法の原則である教授学をつくり出すこと」(斎藤喜博「教育学のすすめ」『斎藤喜博全集6』p.496)が必要であると考えたのでした。先の「定石」というものも、そういう問題意識の中から出てきたものです。後年、教授学研究の会を結成するに至っています。

 このような教授学を創るためには、経験的な事実を無数につくり出さなくてはならないと主張しています。

「そういう仕事(注:教授学をつくる仕事)をするためには、どこまでも事実を大事にし、たった一つの事実をつかまえるために、一年も二年もかかるという、底なしの海に石を投げこんでいくような徒労とも思われる努力をしつづけていかなければならないのである。いま早急に形式的に体系をつくったり、固定的な型をつくったり、簡単に科学化しようとしたりしてはならないのである。」(同上書、p.497)


 そもそも科学とは事実から論理を導き出して体系化したものですから、教授学を創るためには事実を大事にしなければならないという斎藤の主張は正当なものだと言えるでしょう。

 ここで言われている事実とは、とりわけ授業によって子どもが変容した事実ということになります。この事実をとらえるためには、実際に授業を見るか、その授業者が書いた授業記録を読むかのどちらかになります。この授業記録の書き方という点で島小の授業記録には特徴的なものがありますので、今回はこの点について見ていきたいと思います。

 宮城教育大学において斎藤とともに研究した横須賀薫氏は、島小の授業記録の特徴について、次のように解説しています。

「これらに載っている授業記録はすべて担当した教師自身の手によって書かれている。自身の行為(発問、朗読、指示など)と内面に生起したことがらと教室の子どもに生起したことがらを叙述するスタイルをとっている。(中略)それは主観的とか文学的とか言われるもので、教育研究の中で遅れたスタイルと考えられている。しかし、時代的限界をもっていたにせよ、こうした記録の方法は、授業とは子どもの発言と行為を通しての子ども同士の交流であること、そして、それを実現するものは教師の具体的働きかけの適否と実践的決断力とであることを主張するものである。」(横須賀薫『斎藤喜博 人と仕事』p.58)


 つまり、島小の授業記録は@教師自身の行為と、A(教師の)内面に生起したことがらと、B子どもに生起したことがらの3つを叙述しているということです。これは遅れたスタイルだとされていますが、これはその後、テープレコーダーなどの登場により、教師の言動と子どもの言動を録音してそれを再現するのが科学的に正しい記録の仕方だと考えられるようになったことを踏まえてのものです。

 少し具体的に見てみましょう。船戸先生の5年生国語「がん(現在は『大造じいさんとがん』)」の授業記録です。狩人である大造じいさんと、残雪と名付けられたがんの物語です。この授業では、最後、捕まえた残雪を大造じいさんが放す場面を扱っています。

(教材文)
「ある晴れた春の朝でした。
 じいさんは、おりのふたをいっぱいにあけてやりました。残雪は、あの長い首をかたむけて、とつぜんにひろがった世界におどろいていたようでありました。
 バシッ
 こころよいはねの音一つ。一直線に空に飛び上がりました。美しくさいたすものの花が、そのはねにふれて、雪のように清らかに、はらはらと散りました。
 大造じいさんは、花の下に立って、残雪が北へ北へと飛び去って行くのを、ほれぼれとした顔つきで見まもっていました。いつまでも、いつまでも見まもっていました。」


(授業記録)
「『美しくさいたすももの花が、そのはねにふれて、雪のように清らかに、はらはらと散りました』
 この文章をとり出して、この一見美しそうな文章が、実は内容のない、つけたしの部分であることを、発見させたいとも思ったからである。
 私が『美しくさいた・・・』と読み出すと、安夫が、小さい声で、『感じが出ていていいね』とつぶやいた。するとそれにつられて、いく人かの男の子が、
『うん春げでいいな』
『たのしげだ』
『かなしげな感じもするよ』
『けしきがよさげだ』
とつぎつぎに、つぶやきが起こった。そして、いかにも気持ちよさそうに、
『清らかに、はらはらと散りました』
と私の読み終わったあとに重ねて、読みつづける子もいた。
 そんな大ぜいのなかで、
『うそのようだ。わざとつくったようだ。おかしい。文がよすぎる』
という鋭いつぶやきがあがった。俊文である。なにかそれは、みんなのつぶやきが不思議でたまらない、というふうでもあった。
 私は、この考え、この感じとりを、大事にしたいと思った。俊文は、物語をはじめて読んだときは、
『ここのところがいちばんいい、気にいった』
といって喜んでいたことなど、すっかり忘れているようである。いやそれは、忘れたのではなくて、この授業のつみかさねのなかで、そういうふうに考えが変わってきたのかもしれない。しかし、そういっているのは俊文一人なのである。あとのたくさんの子どもたちは、『感じが出ていていい』という意見なのである。この大ぜいの考えを、うまく、ひっくり返していかなければならないのだ。
 俊文の反対に対して、安夫が、
『これは、文章をよくするために、こう書いたんだ』
といった。さっきは、ばくぜんと、『感じが出ていていい』といっていたのに、こんどは、理由をつけてきたわけである。私は、安夫に、思わず、
『文章がよくなっている?』
と、きいた。いってしまってから、今ここでこんなことをいっても、安夫にも、他の子どもたちみんなにもわかるはずがないと思った。またあとで、このことばをもう一度、いってみようと思いなおした。
 私は、前から、ここにきたら『ここでは、今なにが、目にうつっているのか』という質問をして、その場面をはっきり、子どもたちのなかに浮かび出させようと思っていたのだ。
 しかし、そんな質問はしなくてもいいことになってしまった。それは、私にかわって、健ちゃんの疑問が出されたからだ。
『先生、このすももの花は、空のほうに咲いていたんかい』
いかにも、腑におちないという顔つきで、健ちゃんは、ぽそりという。
『うん、そういえばそうだ』
という表情が教室のあちこちで浮かべられる。そのなかから、安夫、明夫が、
『このすももの木は、ううんと、でっかく空にとどくほどなのかね』
『花びらが、残雪の羽にくっついて、空まで上がっていって、それで散ってきたのかね』
と首をかしげながらいった。この子どもたちは、一直線に空に飛び上がった残雪の姿が頭にやきついたことで、その空のずっと下にあるすももの花の描写が、へんだということに気がついたのだ。」(斎藤喜博「島小の授業」『斎藤喜博全集 別巻1』pp.451-454)


 授業としてみた場合には、多くの子どもが問題となっている文を良いと評価している中で、俊文一人が反対意見を提出しています。周囲に流されることなく、自分が正しいと判断した見解を主張できることは非常に主体的なあり方であり、そのような子どもが育っているという点は評価すべきでしょう。

 さて、この記録の中には船戸先生の言動や子どもの言動に加えて、船戸先生の考えも書かれています。全体として物語のような印象があり、こうした点をとらえて、「主観的」「文学的」と批判されたということです。

 しかし、ここで考えてみなければならないことは、教育における事実とは一体何なのかという問題です。そもそも教育とは、教師と子どものコミュニケーションだと言えます。その過程を見てみると、教師に何らかの伝えたい認識があり、それを表現します。子どもはそれを受け取って、何らかの認識を描き、その認識を何らかの形で表現します。その子どもの表現を再び教師が受け取って・・・という流れが存在しています。図式化すると、以下のようになります。

@教師の認識→A教師の表現→B子どもの体験→C子どもの認識
C’子どもの認識→B’子どもの表現→A’教師の体験→@’教師の認識


このように、@からC、C’から@’という過程が繰り返されるのが教育です。

 この過程において、「実際にあること、あったこと」こそ教育の事実にほかなりません。それは決して、第三者から客観的に観察されうるAやBに限らないのです。この授業記録では、俊文が「うそのようだ。わざとつくったようだ。おかしい。文がよすぎる」と発言したことを受けて、船戸先生は「この考え、この感じとりを、大事にしたい」と思っていますが、これは実際にそう思ったことなのだから、事実に違いないのです。

 薄井先生は、看護研究においてプロセスレコードで看護の過程を記録することを重視しておられますが、そのプロセスレコードは「患者の言動」「看護師の認識」「看護師の言動」という3つを書くようになっています。この島小の授業記録も、このプロセスレコードと似た構成になっていると言えるでしょう。

 ただし、島小の授業記録では、そうした観点が明確にはとらえられておらず、記述に曖昧さが感じられます。例えば、安夫に対して『文章がよくなっている?』と聞いた後で、「前から、ここにきたら『ここでは、今なにが、目にうつっているのか』という質問をして、その場面をはっきり、子どもたちのなかに浮かび出させようと思っていたのだ」と書いていますが、これは授業を行っているときの船戸先生の認識ではなく、授業を終えて、授業記録を書いているときの船戸先生の認識です。教育の過程で出てきた事実ではありません。また、「この子どもたちは、一直線に空に飛び上がった残雪の姿が頭にやきついたことで、その空のずっと下にあるすももの花の描写が、へんだということに気がついたのだ。」と書かれていますが、これはあくまでも船戸先生の認識です。それにも関わらず、子どもの認識であるかのように書かれています。

 このような曖昧さがあるとは言え、そもそも科学とは事実から導き出した論理を体系化したものであるという一般論を踏まえるならば、授業の事実を重視したこと、そして、その事実の中に教師の認識を含めたことは、教育学の構築という観点からすれば評価できるものだと言えるでしょう。
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2017年04月14日

斉藤喜博から何を学ぶべきか(2/5)

(2)斎藤喜博は教育と子どもの可能性を実践をとおして証明してみせた

 本稿は日本の戦後教育実践において有名な斎藤喜博を取り上げて、そこから何を学ぶべきかを明らかにしようとするものです。今回は斎藤が校長を務めた島小ではどのような授業が行われたのかを見ていきましょう。

 島小では様々な実践をする中で、ほかの教師にも使える教育技術を見出していこうとしました。そのような教育技術を「定石」と呼んでいます。その定石として代表的なものが「想像説明」と「○○ちゃん式まちがい」です。クラスの誰かの考えを取り上げて、なぜそのような考えをしたのかを想像して説明するのが「想像説明」であり、その考えがとりわけ間違いであった場合は、「○○ちゃん式まちがい」としてクラスの財産にするというものです。この定石を創った船戸咲子先生の実践を見てみましょう。4年生の算数の問題です。

1本3円50銭のエンピツを、正さんたちの組のお友だちが一本ずつ買ったら、代金はいくらになるでしょう。正さんたちの組の人数は、40人です。


 立式をして答えを出します。模範解答的に書くと「3.5×40=140」であり、答えは「140円」です。船戸先生は、5人の子どもに自分の考え方(計算の仕方)を小黒板で発表させました。その5つはどれも異なったものでした。そして、「○○ちゃんはどういうふうに考えて、こういう計算をしたのか」ということを他の子どもに考えさせました。

 発表した一人の二郎は、次のような考えでした。これを他の子が想像説明します。

40÷2=20
3×40=120
120+20=140


「好也が『ハイ』と手をあげて説明をしました。
『はじめの40は人数です。40を2で割ったのは、50銭は1円の半分だから、みんなが1円ずつ払うと40円で、その半分だから2で割って、40÷2=20、20円です。
 その次は、3円50銭を3円と50銭にわけて、50銭のほうは上で計算しちゃったから、あと残りの3円が40人分で、3×40=120、120円です。それを合わせると、120+20=140、140円です。だから、答えは140円です。』(中略)
「そうだ。ぼくも好也ちゃんと同じに考えた。」(中略)
『二郎ちゃん、今の好也ちゃんの説明でいい?』
と船戸さんは二郎にききました。二郎はさっきよりもっと嬉しそうな笑顔になって『うん』とこっくりしました。(中略)
『あっ、想像説明があたった!』
と、船戸さんが嬉しそうにいいました。すると子どもたちも、
『当たった、当たった!』
と、はしゃいでいいました。」(「未来につながる学力」『斎藤喜博全集 別巻1』国土社、1969年、p.246-248)


 このように二郎がなぜそのような計算をしたのかを考えるのが想像説明です。また、別の一人、久子は次のように書いており、間違えていました。

50×40=2000
3×40=120
120+2000=2120


「『久子ちゃんのは少しおかしいよ』
『うんそうだ、おかしい』
という声が教室中から起こりました。
『すこしおかしかったら、みんなでなおして、久子ちゃんのやり方を生かしてやってください』
 船戸さんはこういいました。久子は計算をまちがったのです。でも、そのまちがいをみんなの共通の問題として考え合うことによって、そのまちがった計算が生きるだけではなしに、久子自身もこの学習のなかで生きることになるのです。
『50×40=2000というのは銭だと思います。それから3×40=120というのは単位は円です。それなのに、それをごっちゃまぜにして120+2000=2120としちゃったから、久子ちゃんはまちがったのだと思います』
『先生、まちがいにくっつけて想像してやってもいいですか』
『まちがいにくっつけるって?』
『まちがいをちゃんとなおして、つぎたして想像説明するんです』
『ああ、そういうのね。いいですよ』
『50×40というのは50銭を円の単位で表すと0.5円だから、これは0.5×40=20で20円です。それから3×40=120で、120円です。合わせると120+20=140で140円です』
『そうです』
『それなら剛之ちゃん(注:発表した一人)のとおなじだ。3.5を3と0.5にわけてやったんだね。』
『そうです』
『ああ、そうだ。私は銭と円を区別しなかったんだ!』」(同上書、pp.253-254)


 ここでは直接に「○○ちゃん式まちがい」という名前はつけられていませんが、例えば、このように単位を無視してしまうことを「久子ちゃん式まちがい」などと名付けてクラスで共有するのです。

 これを読むと、「果たして子どもは嫌じゃないのか?」という疑問が浮かぶのではないでしょうか。自分の間違いを全体の場に出されて、それを周囲から批判されるのですから、普通は心地よいものではないでしょう。

 もちろんそのような側面はあります。しかし、最初に教師は「すこしおかしかったら、みんなでなおして、久子ちゃんのやり方を生かしてやってください」と話していますし、間違えた子どもは実際「ああ、そうだ。私は銭と円を区別しなかったんだ!」と発言しています。このようにして、自分の考えを積極的に出すこと、そして友だちの意見を聞くこと、それが自分の成長につながるのだということを体験させているのです。

 また、想像説明を行った子どもの側からすれば、これは他の子どもの立場に立って考えるわけですから、観念的二重化の力を高めているとも言えます。そもそもこのように計算過程を説明すること自体が論理的な能力を鍛えるものだとも言えるでしょう。

 そもそも主体的・対話的で深い学びとは「学ぶことに興味や関心を持ち、習得した概念や考え方を活用し、見出した問いに対して自分の考えを形成したり、また他人の考え方を手掛かりにして、自分の考えを広げ深めたりすること」でした。ここでは、なぜ間違った計算をしたのかという問いに対して、想像説明という形で自分の考えを形成したり、またその想像説明を聞いて、自分がどうして間違ったのかについて理解を深めたりする姿が見られます。また、そのプロセスを意欲的に進めていることもわかります。これは学習指導要領の改定案で掲げられている「主体的・対話的で深い学び」だと言えるでしょう。

 このような島小での実践に対して、「基礎学力が落ちている」という批判もあったようですが、斎藤はそうではないことを事実として示すために、県立教育研究所に頼んで算数と国語の標準学力テストを実施しています。その結果によれば、「算数がとくにすぐれており、六大都市の成績をはるかに上まわるものだった。国語もまた中都市平均並み」(同上書p.23)ということだったようです。さらにその特徴を見ると、「学力の平均点が全校も、各学級もすぐれているばかりでなく、各学級の得点分布の山が、普通の標準よりも上の方に移っている」(同上)ということでした。

 斎藤は次のように述べています。

「校長が悪いからとか、仲間が悪いからとか、設備がないとか、学級定員が多すぎるからとか、子どもが悪いとか、そういうことばを教師はいま、禁句にする必要がある。」(p.5)


「ほんとうに子どもが悪いのではない。子どもが悪くなるのは、教師とか教師の指導法とかに、どこか問題があるのだ。」(p.9)


「子どもがよくなるということは、教師の人間全体の力とか、魅力とか、学力とかいうものによってである。また、それらがもとになっての指導方法によってである。そしてとくに大きな力を持つのは、子どもたちが学校生活のなかで、ほとんど大部分の時間を使っており、またその時間こそ、教育の最も本質的な仕事の場面である教科の授業によってである。だから、授業の確かな教師は、みなそれによって子どもをよくしていっている。」(p.12)


 つまり、教育がうまくできない(=子どもが伸びない)のは、子どもが悪いのではなくて教師自身の授業が悪いのであり、現に授業の確かな教師は授業によって子どもをよくしていっているということです。これは結局、子どもは授業次第でその力を大きく伸ばしていくことができるのだということになるでしょう。このような斉藤の主張の背後には、「子どもは可能性をもった存在であり、教育(授業)によってその可能性を大きく伸ばすことができるのだ」という人間観・教育観があることがうかがえます。だからこそ、子どもが伸びなければ、それは教師の実力不足であり、教師の責任なのだというのです。

 このように教育(授業)や子どもがもつ力に対しての大いなる信頼を抱き、その力を実践をとおして証明してみせたことが斎藤喜博の大きな意義だと言えるでしょう。
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2017年04月13日

斉藤喜博から何を学ぶべきか(1/5)

○目次
(1)「主体的・共同的で深い学び」が求められている
(2)斎藤喜博は教育と子どもの可能性を実践をとおして証明してみせた
(3)斎藤喜博は教育の過程における教師の認識も拾い上げた
(4)斎藤喜博は戦前戦後をとおして主体的なあり方を求めた
(5)現在求められるべき「主体的」とは、国家が抱える問題について自分の考えを主張できることである
・・・・・・・・・・・・・・・・

(1)「主体的・共同的で深い学び」が求められている

 2017年2月14日、文科省が次期学習指導要領等の改定案を公開しました。小学校学習指導要領の総則では、「学校の教育活動を進めるに当たっては,各学校において,第3の1に示す主体的・対話的で深い学びの実現に向けた授業改善を通して,創意工夫を生かした特色ある教育活動を展開する中で,次の(1)から(3)までに掲げる内容の実現を図り,児童に生きる力を育むことを目指すものとする」と書かれており、「主体的・対話的で深い学び」ということが大きなキーワードになっていることがわかります。これまで「アクティブ・ラーニング」という言葉がよく使われていましたが、それが「主体的・対話的で深い学び」という言葉として表現されたということになります。

 では、「主体的・対話的で深い学び」とは一体何なのでしょうか。2016年5月 9日の教育課程部会高等学校部会の資料では次のように書かれています。

【深い学び】
学ぶことに興味や関心を持ち、自己のキャリア形成の方向性と関連付けながら、見通しを持って粘り強く取り組み、自己の学習活動を振り返って次につなげる「主体的な学び」が実現できているか。

【対話的な学び】
子供同士の協働、教職員や地域の人との対話、先哲の考え方を手掛かりに考えること等を通じ、自己の考えを広げ深める「対話的な学び」が実現できているか。

【主体的な学び】
各教科等で習得した概念や考え方を活用した「見方・考え方」を働かせ、問いを見いだして解決したり、自己の考えを形成し表したり、思いを基に構想、創造したりすることに向かう「深い学び」が実現できているか。


 3つの関連が非常にややこしく、そもそも日本語としておかしい部分もあるのですが、ここで書かれていることを簡単にまとめるならば、「学ぶことに興味や関心を持ち、習得した概念や考え方を活用し、見出した問いに対して自分の考えを形成したり、また他人の考え方を手掛かりにして、自分の考えを広げ深めたりすること」ということになるでしょう。そして、このようなあり方こそ、「主体的」ということになるでしょう。

 「幼稚園教育要領、小・中学校学習指導要領等の改訂のポイント」では、このような学びを実現するために「我が国のこれまでの教育実践の蓄積に基づく授業改善の活性化により、子供たちの知識の理解の質の向上を図り、これからの時代に求められる資質・能力を育んでいくことが重要」だとしています。

 「我が国のこれまでの教育実践」を振り返ると、有名な人物が数多く存在しています。例えば、芦田恵之助、大村はま、東井義雄、遠山啓、庄司和晃、向山洋一、岸本浩史、有田和正などです。こうした中で本稿で取り上げるのは斎藤喜博(1911-1981)です。斎藤喜博と言えば、戦後、群馬県佐波郡島村の島小学校(島小)の校長として数々の教育実践を創り上げたことで有名です。全国から参観者が殺到し、多くの教師に多大なる影響を与えました。島小を参観した大江健三郎氏は、「未来につながる教室」として次のように書いています。

「島小学校で最初にぼくがみたクラスは小学一年生で、その日お誕生日の二人の子供が他の子供たちにお祝いをうけていた。(中略)その一年生たちの顔にみなぎるものの、なんと感動的だったことだろう。眼がキラキラしている、頬に集中力があふれている、というようなこともある。しかしもっと内的に、その農民ジュニアたちの顔は感動的なのだ。おそらくそれは、解放された顔、自分自身を解放してくれる場所と人とを見つけて、そこに生きている自分に信頼をもった顔ということができるだろう。
 ぼくは村の国民学校で解放されていなかった、と思う。また教室は教師を鵜匠とし、子供たちを鵜とした鵜飼のようなもので、子供ひとりひとりと教師とのあいだに束縛とにたつながりはあっても子供同士の横の自由なつながりはなかった。その二つが両立するなど思ってもみることはできなかったものだ。横のつながりを子供仲間でつけること、それはひそひそ内緒話をすることにすぎなかった。それはむしろ教室の敵だった。
 教室のなかでの解放感、子供どうしの横のつながりが、先生との縦のつながりをさまたげるどころか、かえってそれをおしすすめるという感覚、それだけでも、もし島小学校が日本の戦後の初等教育一般につうずるものなら、ぼくは戦争中の国民学校教育に怯えて暗い教室生活をおくったものとして、戦後の新教育の小学生たちを祝福したいのである。」(斎藤喜博「可能性に生きる」『斎藤喜博全集14巻』1971年、国土社、p.342所収)


 ここでは、自分に自信をもった子どもたちが、お互いのつながりと教師とのつながりを推し進めながら学習している様子が描かれています。斎藤は一教師として教えていたときに、子どもに「読み方学習指針」と題した文章を渡しているのですが、そこにも次のように書かれています。

「以上のような学習でいつでも大切なことは自分の頭をたのみ、自分の力に自信を持って、自分の力で、どこまでもしらべていこうとする気持です。そうすればあなた方の学習はあなた方の力でいつでも先へ進めていけるはずです。」(同上書、p.140)


 あくまでも自分の力でわからないところを解決していこうとすることが大事であり、自分の力を信じて取り組んでいけば、先へ進めるようになるのだということです。その中でいくら考えてもわからない事項があったときに、友だちと力を合わせて学習をしたり、先生に教えを受けたりするのだとも書いています。

 このような考え方は、学習指導要領等の改定案において「主体的・対話的で深い学び」として表現されている内容を含んでいると言えるでしょう。また、大江健三郎氏の感想からうかがえるように、そのような学びが実際に行われていたのです。

 そこで本稿では、島小ではどのような授業が行われたのか、どのようにして授業研究を行ったのか、また島小の実践に至るまでに斎藤はどのような道を歩んできたのか、という3つの問いを扱うことをとおして、斎藤喜博の歴史的な意義を明らかにしつつ、そこから何を学ぶべきかを考えてみたいと思います。
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2017年03月28日

ルソー『学問芸術論』を読む(5/5)

(5)『学問芸術論』にはロックの思想からの継承と発展があった

 本稿では、ルソーの処女論文『学問芸術論』を取り上げて、どのようなことが説かれているのか、それをどのように受け取るべきかを見てきました。

 ここでこれまでの流れを振り返っておきましょう。

 まず、『学問芸術論』を書いたルソーの問題意識について見てきました。『学問芸術論』において、ルソーは学問や芸術を悪だと評価しているのですが、一方で学問や芸術に携わるべき人間もいると主張し、自らも学問や芸術を学んでおり、学問や芸術自体を否定しているわけではなかったのでした。結局、『学問芸術論』では何を主張したかったのかを探るべく、ルソーはどのような社会で生きていたのかを確認しました。そもそもルソーは、聖職者や貴族が優雅に生活をする一方で、第三身分の人々が苦しむという社会格差に対して激しい憤りを感じていたということでした。平民たちの犠牲の上に上流階級の人間が学問や芸術を楽しんでいるということ、その貴族達が楽しんでいる学問や芸術は現実の社会の矛盾の解決には役だっておらず、上流階級の人間が互いに褒めあったり自慢し合ったりするだけの道具になっているということ、そういう現状に対して怒りを抱いていたのでした。そうした感情をもって「学問や芸術は習俗を腐敗させている」と主張したのだということでした。つまり、学問や芸術そのものを批判したわけではなく、その担い手たる上流階級の人間を批判したのだということでした。

 続いて、その上流階級に対する批判に見られるルソーの弁証法的な見方・考え方を指摘しました。その1つとして、ルソーは現象と本質を区別し、行動(現象)の背後にある認識(本質)に目を向けていたということでした。つまり、同じような行動をしたとしても、それがどのような認識に基づくものなのかに着目しなければならないということです。そしてこれはロックも主張していることであり、ロックから受け継いでいるものだと指摘しました。もう1つは個人と社会という関係に目を向けているということでした。つまり、個人がある行動をとる背景には、その人個人の思いのみならず、社会の常識・価値観というものが存在しており、これが大きな力をもっているということを指摘したということでした。このように、現象と本質、行動と認識、個人と社会という形で対立物を統一して考えている点が弁証法的だということでした。

 最後に、上流階級の人間のあり方を批判したルソーは、人間はどう生きるべきだと考えたのかを見てきました。これについては、端的には、社会で認められたいという欲望にとらわれず、自分が何をすべきか、どうすべきかということについて、あくまでも自分自身が正しいと考えていることに従うべきだと主張したのだということでした。そして、実はこのような生き方はルソー自身が目指したものであり、『学問芸術論』もルソーがそのような生き方を目指したからこそ生まれてきたものだということでした。ルソーは『学問芸術論』において、「学問や芸術は習俗を純化するのに寄与した」という常識に対して、ただ一人、真っ向からアンチテーゼを投げかけたわけですが、それがどのような波紋をもたらすか、また自分の身にどんなことが降りかかってくるのかを考えて悩んでいたのでした。しかし、自らの考えを率直に発表することが良心に従った生き方だと考えて、論文を提出することにしたのでした。そして、このようなあり方は、他者からの評価を第一に考えるロックの道徳思想への批判としての意味をもつということでした。

 以上、ルソーの問題意識、ルソーの見方・考え方の特徴、その道徳観という大きく3つを見てきました。認識と表現という形で人間を弁証法的に捉える視点はロックから受け継ぎつつも、自らが生きている小社会のルールや価値観に従うべきだというロックの道徳観に関しては、現実の社会の状況を踏まえて批判的な立場を打ち出した(打ち出すことになった)のが『学問芸術論』だったということができるでしょう。つまり、『学問芸術論』とは、ロックからの文化遺産を受け継ぎつつ、それを発展させていこうとする出発点と言えるものだということです。

 ただし、『学問芸術論』はあくまでも処女論文ということもあって、そこにはやはりまだまだ限界が感じられます。ルソーは自らの良心の声に従うべきだと主張したわけですが、(4)で触れたように、その自らの心に訴えかけてくる良心の声というものは、どのようにして形成されてくるのかは説かれていません。また、学問や芸術は習俗を堕落させたとしながらも、そもそも学問とは何か、芸術とは何かを説いておらず、それがなぜ習俗の堕落をもたらすのか、一方でそれが「人間精神の栄誉のために記念碑をうちたてる」ことにもつながるのはなぜかといった問題が説かれていません。素直に『学問芸術論』を読めば、学問や芸術携わるにふさわしい徳のある少数の人間と、学問や芸術に携わることによって堕落する多くの人間がいるということになってしまいます。これでは、精神白紙説を唱えたロック以前に退行してしまうことにもなります。

 そもそも「こうすべきだ」という判断は、対象についてのまともな把握なしには成立しません。小学生に授業をする場合でいえば、小学生は運動性が非常に高いですから、ずっと座ったまま話を聞くということは非常に困難です。立って友だちとペアで活動させたり、ノートを持ってこさせたりするなどの形で、適度に運動をさせながら授業を進めていかないといけません。そうしないと、目的とする文化遺産の継承ができないのです。逆に、対象についての把握が十分であればあるほど、正確な判断が可能となります。そして、対象の構造を体系的に把握したときに成立する認識こそ学問にほかなりません。したがって、学問を身につけてこそ、「こうすべきだ」という正しい判断ができるようになるのであり、自分が意図するように対象を自由に変化させることができるようになるのです。ルソーは『学問芸術論』の段階では、ゴールとしての人間の姿はイメージしたものの、そこに至るプロセスを明確に把握することはできなかったのだと考えられます。

 この『学問芸術論』に対しては、多くの批判文が寄せられ、ルソーはそれに答えていきました。岩波文庫版の『学問芸術論』には、「レーナル師への手紙」「ポーランド王、兼ロレーヌ公への回答」「グリム氏への手紙」「ボルド氏への最後の回答」「ディジョンの一アカデミー会員(ルカ)の新しい反論に対する手紙」が付録として収録されていますが、これだけで150ページほどあります。もとの小論は50ページほどですから、およそ3倍となっています。しかし、批判に答える過程でルソーは自らの社会思想を徐々に徐々に形成していきます。『学問芸術論』の解説においても「これらの論争を通じて(中略)『学問芸術論』に漠然と萌芽として潜んでいた特色ある彼の諸理念が、しだいに明確になり、やがて後の諸作品に結実してゆく過程がみられる」(p.238)と書かれています。

 このように個々の人間がそれぞれに異なる自らの考えを出し合い、議論するからこそ、よりよい考えが生み出されていくのです。そして、個々人が自分の考えを表明することを保証する仕組みこそ民主主義にほかなりません。ルソーは民主主義思想の原点だとされますが、自らの人生をとおしても、民主主義の意義というものを恐らくは感じていたのでしょう。

 現代日本において、民主主義を真に成り立たせるためには、個々人が自分の考えを表明できるようにしていく必要があります。今の社会が抱えている様々な問題に目を向け、「こうした方がいいのではないか」という自分の考えをもてるようにすること(それが可能となるように学問を身につけさせること)、そして、それを表明できるようにすることが欠かせません。その表明のあり方として、市民運動などがあるのだと言えるでしょう。

 ところが、テロ等組織犯罪準備罪(共謀罪)は、そのような自分の考えを表明すること、あるいはそもそも自分の考えをもつこと自体を抑制してしまいます。例えば、特定秘密保護法案が議論されていた際、当時、自民党幹事長であった石破氏は、国会周辺で繰り広げられたデモに対して、「単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらないように思われます」として、デモをテロだと主張しました。このような解釈がなされるのであれば、市民や労働組合などの運動自体が罪として問われ検挙されるということになりかねません。そのような意味で、非常に大きな問題を抱えた法律だと言えます。このような法律の問題点を見抜けるような国民を育てることも、民主主義を確立する上で非常に重要だと言えるでしょう。

 真に民主主義社会を実現するための教育学を構築するということを念頭におきつつ、『人間不平等起源論』や『社会契約論』など、その後のルソーの著作を読み進めていきたいと思います。
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2017年03月27日

ルソー『学問芸術論』を読む(4/5)

(4)ルソーは自らの良心に従ってアンチテーゼを投げかけた

 前回は、上流階級の人間に対する批判の中に見られるルソーの見方・考え方の特徴について見てきました。現象と本質、行動と認識、個人と社会という形で対立物を統一してみており、非常に弁証法的な見方・考え方をしていたのだということでした。

 上流階級の人間のあり方を批判したルソーは、では人間はどうあるべきだと考えたのでしょうか。今回はこの点について見ていきたいと思います。

 まずはルソーの主張の重要な部分のうち、ここに関わるものを再度引用します。

「学問、文学、芸術は、政府や法律ほど専制的ではありませんが、おそらく一そう強力に、人間を縛っている鉄鎖を花環でかざり、人生の目的と思われる人間の生まれながらの自由の感情をおしころし、人間に隷属状態を好ませるようにし、いわゆる文化人を作りあげました。」(p.14)


「一そう精緻な研究と一そう繊細な趣味とが、ひとをよろこばす術を道徳律にしてしまった今日では、つまらなくて偽りの画一さが、われわれの習俗で支配的となり、あらゆるひとの精神が、同一の鋳型の中に投げこまれてしまったように思われます。たえずお上品さが強要され、礼儀作法が護らされます。つねにひとびとは自己本来の才能ではなく、慣習にしたがっています。ひとびとはもはや、あえてありのままの姿をあらわそうとはしません。」(p.17)


 ここでは個人の様々な感情・考えを社会が押し殺してしまっているのだということが指摘されています。前回見たように、ルソーは個人の言動に対して社会が大きな影響を与えているということを指摘しているのです。しかし、それによってその個人が本当にやるべきことができないのだというような問題意識を抱いているのだと考えられます。

 また、論文の最後には次のように書かれています。

「おお徳よ!素朴な魂の崇高な学問よ!お前を知るには多くの苦労と道具とが必要なのだろうか。お前の原則はすべての人の心の中に刻み込まれていはしないのか。お前の掟を学ぶには、自分自身の中にかえり、情念を静めて自己の良心の声に耳をかたむけるだけでは十分ではないのか。ここにこそ真の哲学がある。われわれはこれに満足することを知ろう。」(p.54)


 ここでは、自分の情念を沈めて、自分の良心の声に耳をかたむければよいということが説かれています。この情念というのは、これまでの流れからすれば、「他人に認められたい、評価されたい」といった思いということになるでしょう。そういう気持ちを捨てて、自分が心から正しいと思うことをするべきだということを言っているのだと言えるでしょう。そのようなあり方が道徳的なあり方であり、人間としてすばらしいあり方なのだと主張しているのです。

 もちろん「こうすべき」という自分の考えも社会的に創られるものではないかという問題はあります。しかし、前回も述べたように、少なくとも他者に評価されることが最も重要だと考えたロックに対して、そうではない側面があるという問題提起をした点は大きな意義があると言えるでしょう。

 実はこのような生き方はルソー自身が目指したものであり、『学問芸術論』もルソーがそのような生き方を目指したからこそ生まれてきたものだと言えます。ルソーはこの論文の序文で次のように書いています。

「わたしがあえてとった立場が許されがたいものであることは、前もって知っています。今日、ひとびとが称賛しているすべてのことに正面からぶつかれば、一般的な非難だけしか期待できません。いく人かの賢者に賞賛されるという栄誉を受けたからといって、公衆の賞賛を期待してはなりません。それにわたしの立場はきまっていたのです。つまり、わたしは、才人たちや当世流行のひとびとの、どちらをも喜ばすことは気にしていません。(中略)自分の世紀をこえて生きようと望むときには、そのような読者のために、決して書いてはならないのです。」(pp.9-10)


 ルソーは「学問や芸術は習俗の純化に寄与しなかった、むしろ堕落させた」と主張しているのですが、当時の一般的な常識では、学問や芸術によって習俗は純化したと考えられていたのです。したがって、ルソーのような主張は、社会の人びとには到底受け入れられないものであり、当然、社会から賞賛されることは期待できなかったのです。しかし、後世に残るような主張をしようと思えば、今自分が生きている時代の人間から賞賛されることを考えていてはいけないというのです。
 また本論の冒頭では次のように書いています。

「公正な支配者というものは、疑わしい議論において、自分と反対の意見をとりあげることを決してためらわないものです。事実、正当な主張にとって、最も有利な立場というのは、公正で明哲な相手、すなわち、訴訟を自分のこととして考える裁判官に対して、自己弁護ができる立場です。
 わたしを元気づけるこのような動機に加えて、わたしに決意を与えてくれる、いま一つの動機があります。それは、わたしが生来の明知にしたがって真理の側を支持した以上、わたしの成功がどんなものであろうと、必ずわたしに与えられる賞があるということです。それを、わたしは心の奥底に見いだすことでしょう。」(p.12)

 「元気づける」「決意」などの言葉から、ルソーがこの論文を発表することにためらいを感じていたことがうかがえます。実際、論文執筆にあたって自分の考えが明確になったとき、友人のディドロに相談して検討をしてもらっています。ただ一人、社会に向かって真っ向からアンチテーゼを投げかけるのですから、それがどのような波紋をもたらすか、また自分の身にどんなことが降りかかってくるのかを考えずにいられないでしょう。それでも自らの考えを率直に発表することが良心に従った生き方だ、人間としてあるべき姿だと考えて、論文を提出することにしたのです。そのような自分の生き方を貫けたということが、「わたしに与えられる賞」ということになるでしょう。このように、ルソーは『学問芸術論』において説いているあり方を自身の生き方として貫こうとしたのです。
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2017年03月26日

ルソー『学問芸術論』を読む(3/5)

(3)ルソーは弁証法的な見方・考え方を身につけていた

 前回は、『学問芸術論』がどのような目的で書かれたのかを見てきました。端的には、ルソーは学問や芸術を批判したかったわけではなく、学問や芸術の担い手である上流階級のあり方を批判しようとしたのだということでした。

 今回は、この批判の中に見られるルソーの特徴的な見方・考え方を掬いとってみたいと思います。再度、ルソーの主張を引用します。

「ひとびとは今や、ミューズ(学芸の神々)との交わりからえられる主な利益を知りはじめました。その利益というのは、お互いに讃美しあうにふさわしい著作によって、お互いに気に入ろうとする欲望を刺激して、人間を一そう社会的なものにすることです。」(p.14)


「学問、文学、芸術は、政府や法律ほど専制的ではありませんが、おそらく一そう強力に、人間を縛っている鉄鎖を花環でかざり、人生の目的と思われる人間の生まれながらの自由の感情を押し殺し、人間に隷従状態を好ませるようにし、いわゆる文化人を作りあげました。」(p.14)


「要するに、なに一つ徳をもたないのに、あらゆる徳があるかのようなみせかけ」(p.15)


「一そう精緻な研究と一そう繊細な趣味とが、ひとをよろこばす術を道徳律にしてしまった今日では、つまらなくて偽りの画一さが、われわれの習俗で支配的となり、あらゆる人の精神が、同一の鋳型の中に投げこまれてしまったように思われます。たえずお上品さが強要され、礼儀作法が守らされます。つねにひとびとは自己本来の才能ではなく、慣習にしたがっています。ひとびとはもはや、あえてありのままの姿をあらわそうとしません。」(p.17)


 ここで取り上げたいことは2つあります。1つは、現象にとらわれていないという点です。「なに一つ徳をもたないのに、あらゆる徳があるかのようなみせかけ」などの指摘は、まさにその視点を端的に表していると言えるでしょう。「本質としては徳をもっていないけれども、徳をもっているかのような現象を呈している」と述べているのです。冒頭でルソーは「紳士と貧民という経済的な差異などの現象にとらわれず、その本質においては誰もが人間として同じなのだという人間観」をもっていたと書きましたが、このように人間を現象と本質という形で分けて捉える視点がここで見られているということになります。

 認識論的な観点から言えば、何らかの行動を見たときに、その行動の背後にどのような認識があるのかという点に着目しているとも言えます。つまり、行動とその背後にある認識をしっかりと区別しているということです。小論「ロックの教育論から何を学ぶべきか」では、ロックは「たとえ同じ行動であっても、その背後にある認識がどのようなものなのかに着目しなければならない」ということに気づいたと書きましたが、そのような視点がルソーにも受け継がれていると言えるでしょう。

 もう1つ取り上げたい点は、個人と社会の関係に目を向けているという点です。例えば、「あらゆる人の精神が、同一の鋳型の中に投げこまれてしまったように思われます」ありますが、社会的なものが大きく個人の行動に影響を及ぼしていると、ルソーが考えていることがうかがえます。社会の常識や価値観によって動かされているという見方、社会的認識の強さというものを見て取っていることがわかります。また、「お互いに気に入ろうとする欲望を刺激して、人間を一そう社会的なものにすることです」という表現を見ると、個々人も嫌々そのような行動をとっているばかりではなく、社会的な評価を求めて自らそうしているという見方をしていることがわかります。以下のような記述もあります。

「芸術家というものは、すべて、称賛されることを望むものです。同時代の人びとの讃辞は、芸術家のうける報酬のなかで、最も貴重な部分です。(中略)芸術家たちは、讃辞をえるために、いったいどうするでしょうか。諸君、芸術家はどうするでしょうか。彼はその天才を、時代の水準にまで引きさげ、また、彼の死後ずっと後になって、はじめて讃美されるような、すばらしい作品よりも、自分の存命中に讃美される平凡な作品を作るほうを、いっそう好むでしょう。」(pp.37-38)

 つまり、芸術家は今の社会で認められることを求めて、今の社会で認められるような平凡な作品を作るのだということです。このように、個人の行動にその個人が生きている社会が非常に大きな影響を与えているということを見て取り、そこに潜む問題を指摘しようとしたのだということが言えるでしょう。

 ロックは世論に従うことがよいのだと考えていました。かつて執筆した小論「道徳思想の歴史を概観する」において、ロックの道徳思想として「世間で暮らし、どこへ行っても歓迎され、尊敬される真の術を身につけることが紳士としてもっとも必要であり、これこそが道徳的なあり方だということです。大雑把に言えば世論に従うことこそが道徳的だということであり、これは幸福に役立つからこそ価値があるのだということです。」と書きました。それを踏まえると、ルソーはそのロックの道徳観(=教育目的観)を批判したと見ることもできるでしょう。

 以上、ルソーの特徴的な見方・考え方について見てきましたが、現象と本質をわける(行動と認識をわける)という考え方、個人と社会の関係を見るという見方がそこには存在していました。これは一言でいえば、対立物の統一ということであり、ルソーは非常に弁証法的な見方・考え方をしていたのだと言えるでしょう。
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2017年03月25日

ルソー『学問芸術論』を読む(2/5)

(2)ルソーは学問や芸術の担い手である上流階級を批判した

 本稿は、ルソーの処女論文である『学問芸術論』をとりあげ、そこでどのようなことが説かれているかを確認したうえで、そこにはどのような歴史的な意義があるのかを明らかにしようとするものです。今回は、この『学問芸術論』がどのような目的で書かれたのかを見ていきたいと思います。

 前回紹介したように、『学問芸術論』の正式なタイトルは「学問と芸術の復興は、習俗の純化に寄与したかどうか、について」です。ルソーは、この問いに対して、「習俗の純化に寄与しなかった、むしろ堕落させた」という主張をしており、学問や芸術はそのような習俗の堕落をもたらす悪なのだと書いています。例えば、以下のとおりです。

「学問と芸術とが生まれたのは、われわれの悪のせいなのであって、もし、徳のおかげで生まれたのでしたら、われわれが、学問芸術の利益について疑うことは、もっと少ないことでしょう。」(p.31)


「時間の浪費ということは、確かに大きな悪です。が、他のもっと大きな悪が、文学や芸術にはつきまとっています。それは奢侈で、文学や芸術と同じように、人間の無為と虚栄とから生まれたものです。奢侈が学問や芸術を伴わないことは稀であり、学問や芸術が奢侈を伴わないことも、またけっしてありません。」(p.35)


「生活の便宜さが増大し、芸術が完成にむかい、奢侈が広まるあいだに、真の勇気は委縮し、武徳は消滅します。そして、これもやはり学問と、暗い小部屋の中でみがかれる、あのすべての芸術のしわざなのです。」(p.40)


 つまり、学問や芸術は無為や虚栄とから生まれたものであり、またそれは時間の浪費をもたらしたり、武徳を失わせたりするのだということです。学問や芸術は、その起源や目的からして悪なのだと主張しているのです。
 しかし、ルソーは学問や芸術を全否定しているわけではありません。例えば、ルソーは次のようにも書いています。

「もし、若干の人たちに学問芸術の研究にしたがうことを認めなければならないとすれば、これらの巨匠(注;ヴェルラム、デカルト、ニュートンのこと)のあとを独力でたどり進み、彼らを追いこす力を自覚している人びとに対してだけです。すなわち、人間精神の栄誉のために記念碑をうちたてることがふさわしい少数の人びとに対してだけです。」(p.52)


 つまり、過去の巨匠の後を追いかけ、追いこす力を自覚している人びとは、学問や芸術の研究に携われることを認めています。しかも「人間精神の栄誉のために」などの表現から、決して消極的にではなく、積極的に認めているのだと言えるでしょう。

 そもそもルソー自身は音楽家として生活をしており、芸術的な教養を備えていました(ディドロから百科全書で「音楽」の項目について書くよう依頼されていたほどです)。また、デカルトやロック、ライプニッツに代表される当時の学問も学んでいます。そのようなことを踏まえると、ルソーが学問や芸術を悪いものとして否定したとは考えにくいのです。

 結局、ルソーは『学問芸術論』で何を言いたかったのでしょうか。何のために、『学問芸術論』を執筆したのでしょうか。これを明らかにするために、ルソーはどういう社会に生きていたのかを確認してみましょう。

 ルソーが生まれた年は、ルイ14世の没年とほぼ同時期になっています。ルイ14世は絶対王政を確立し、またコルベールによる重商主義政策によって大きく財政を豊かにしていました。こうした中で貴族達は華やかな宮廷生活を送り、学問や芸術の担い手となっていたのですが、度重なる戦争によって財政が悪化し、絶対王政が陰りを見せ始めていたのでした。こうした中で、聖職者たちが第一身分として、政治的な権力や経済力を担うようになり、貴族は税金の免除や軍務の免除などの特権はもつものの第二身分として位置づけられるようになりました。さらにその下に第三身分たる平民がおり、重税に苦しめられていました。やがて資本主義経済が芽生えていく中で、第三身分の中にも金融業者や大商人、大地主といった上層市民、商工業や資本主義的農業経営にたずさわる中産市民、農民や都市商工業者などの民衆への分化が起こるようになりました。このように階層的な身分秩序が形成されていたのが当時のフランス社会だったのです。

 こうしたフランス社会において、ルソーは時計職人の子どもとして生まれました。母親の方は比較的裕福でしたが、すぐに亡くなってしまい、父親も罪を犯して捕まってしまい、13歳から徒弟奉公に出ることになります。その後、放浪の旅に出る中で、憧れていたパリに行くことになったのですが、そこで目にしたのは悪政によって虐げられていた人びとの姿でした。その当時の心境を次のように語っています。

「不幸な人々がこうむるあの過酷と圧制者に対して、わたくしの心の中にそれ以来生じた、あの消しがたい憎しみの芽はここにあった。」(中里良二『ルソー』清水書院、1969年、p.55より)


 このように、聖職者や貴族が優雅に生活をする一方で、第三身分の人々が重税などによって苦しむという社会格差に対して、ルソーは激しい憤りを感じていたのです。これがルソーの根本的な問題意識だと言えるでしょう。

 以上を踏まえて、『学問芸術論』で注目したいのが以下の記述です。

「ひとびとは今や、ミューズ(学芸の神々)との交わりからえられる主な利益を知りはじめました。その利益というのは、お互いに讃美しあうにふさわしい著作によって、お互いに気に入ろうとする欲望を刺激して、人間を一そう社会的なものにすることです。」(p.14)


「学問、文学、芸術は、政府や法律ほど専制的ではありませんが、おそらく一そう強力に、人間を縛っている鉄鎖を花環でかざり、人生の目的と思われる人間の生まれながらの自由の感情を押し殺し、人間に隷従状態を好ませるようにし、いわゆる文化人を作りあげました。」(p.14)


「要するに、なに一つ徳をもたないのに、あらゆる徳があるかのようなみせかけ」(p.15)


「一そう精緻な研究と一そう繊細な趣味とが、ひとをよろこばす術を道徳律にしてしまった今日では、つまらなくて偽りの画一さが、われわれの習俗で支配的となり、あらゆる人の精神が、同一の鋳型の中に投げこまれてしまったように思われます。たえずお上品さが強要され、礼儀作法が守らされます。つねにひとびとは自己本来の才能ではなく、慣習にしたがっています。ひとびとはもはや、あえてありのままの姿をあらわそうとしません。」(p.17)


 簡単にまとめると、「学問や芸術の利益は、お互いに気に入ろうとする欲望を刺激して、人間を社会的にすることである」「学問や芸術は、人間の生まれながらの自由の感情を押し殺して隷属状態を好ませるようにした」「(学問や芸術によって)なに一つ徳をもたないのに、あらゆる徳があるかのようなみせかけが生まれた」「慣習にしたがっていてありのままの姿をあらわそうとしない」ということになります。もう少し言えば、学問や芸術が、周囲の人間に気に入られる手段になってしまっているということです。社会的に価値があるとされるものを身につけることによって、周囲の人間から賞賛されることばかりを求めているという指摘です。そして、このような状態になった人間を「文化人」と呼んでいるわけですが、この文化人こそ、ルソーが批判的に捉えた上流階級の人びとを指していると言えるでしょう。

 以上を踏まえると、ルソーは『学問芸術論』において、決して学問や芸術を否定しようとしたわけではなく、その学問や芸術の担い手となっていた当時の上流階級の人々の在り方を批判したかったのだということになるでしょう。そこにこそ、『学問芸術論』の執筆動機があったのです。
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2017年03月24日

ルソー『学問芸術論』を読む(1/5)

<目次>
(1)ルソーは『学問芸術論』で何を説いたのか
(2)ルソーは学問や芸術の担い手である上流階級を批判した
(3)ルソーは弁証法的な見方・考え方を身につけていた
(4)ルソーは自らの良心に従ってアンチテーゼを投げかけた
(5)『学問芸術論』の人間観にはロックの思想からの継承と発展があった

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(1)ルソーは『学問芸術論』で何を説いたのか

 昨年掲載した「ルソーの教育論の歴史的意義を問う」と題した小論において、ルソーの教育論の歴史的意義について、次のように述べました。

「人間は将来どんな社会で生きていくかわからないから、どんな社会でも生きていけるようにしないといけない。それこそが教育の目的である。どんな社会でも生きていける人間というのは、権威に頼らず自分のアタマで考えて行動できる人間、つまり主体的な人間であり、そのような人間であってこそ社会の維持・発展も可能となる。したがって、教育方法に関しても、自らのアタマを働かせて対象に取り組んでいくように工夫しなければならないし、何よりも教師自身が主体的な人間でなければならない、ということです。

 では、このようなルソーの教育論はどのような意義があると言えるでしょうか。

 何よりも着目されるのは、その教育概念でしょう。ロックにおいては、紳士の教育と貧民の教育という形で、教育を2つに分けて論じられていたのでした。それに対して、ルソーにおいては、どんな社会でも生きていけるようにすることが教育だと主張しました。つまり、紳士の教育とか貧民の教育とかいう以前に、共通する土台の部分が存在するのであり、そこを教えることが重要だと主張したのです。現在、専門教育や大学教育などに至る前に義務教育が存在しますが、このような学校制度の原型となる考え方を打ち出したのだと言えるでしょう。このように教育という過程において、共通となる土台の部分を指摘したことが、ルソーの教育論の歴史的な意義だと言えるでしょう。」

 つまり、ルソーは、いかなる社会でも生きていけるように主体的な人間を育てることが教育だと主張したのだということです。そして、これは誰に対しても行わなければならないものであり、紳士の教育と貧民の教育と2つがわけて考えられていた段階(ロックの段階)から見れば発展であったということです。紳士と貧民という経済的な差異などの現象にとらわれず、その本質においては誰もが人間として同じなのだという人間観を抱いていたのだと言えるでしょう。

 このような人間観・教育観はペスタロッチやカントに引き継がれていくことになります。例えば、ペスタロッチは、『隠者の夕暮れ』の冒頭において、「玉座の上にあっても木の葉の屋根の蔭に住まっても同じ人間、その本質から見た人間、そも彼は何であるか。」と述べています。ここには玉座の上にある人間と木の葉の屋根の陰に住む人間を同じ人間として捉え、その共通性を把握しようという問題意識が窺えますが、こうした認識の原形はルソーにあると言えます。また、カントは「人間は教育によって人間となる」という有名な命題を打ち立てましたが、そのカントはルソーの『エミール』が出版されたとき、それに没頭するあまり、絶対に欠かさなかった朝の散歩を忘れてしまったという逸話があるほどです。 このように、ルソーは今日につながるような人間観・教育観を打ち出した人物なのです。

 昨年「ルソーの教育論の歴史的意義を問う」、そして「近代教育学の成立過程を概観する」を執筆する過程で、このようなルソーの意義を改めて確認することができ、改めてしっかりとその主張を掬い取っていかなければならないと感じるようになりました。

 ここで重要なのは、ルソーは決して単なる教育思想家だったわけではなく、そもそも社会思想家だったということです。つまり、社会全体について論じる中で教育についても扱っているということです。したがって、ルソーの社会思想全体からその教育思想を見ていく必要があります。筆者はこれを今年の大きな課題としています。そのために『学問芸術論』、そして『人間不平等起源論』、さらに『社会契約論』と一連のルソーの著作を読み、そこで何が説かれているのか、それをどのように把握していけばよいかということを明らかにしていこうと考えています。

 ルソーを扱うことは、民主主義とは何かということを確認する上でも重要だと考えています。ここに関わっては、とりわけ現在はテロ等組織犯罪準備罪(共謀罪)が最も大きな問題でしょう。

 2月28日に示された原案では、一定の犯罪の実行を目的とする組織的犯罪集団が、重大な犯罪を計画し、メンバーのうちの誰かが、資金または物品の手配、関係場所の下見、その他の、犯罪を実行するための準備行為を行った場合などに、テロ等準備罪として処罰すると定めています。このうち、組織的犯罪集団には、テロ組織や暴力団、薬物密売組織などが含まれるとしています。また、処罰対象となる重大な犯罪は、組織的な殺人やハイジャックなど、テロの実行に関連する110の犯罪に加え、覚醒剤や大麻の輸出入といった、薬物に関する30程度の犯罪など、組織的犯罪集団が関与することが現実的に想定される、合わせて277としています。さらに、罰則については、死刑や、10年を超える懲役や禁錮が科せられる犯罪を計画した場合、5年以下の懲役か禁錮とするなどとしています。

 しかし、「組織的犯罪集団」の明確な定義はなく、その団体が犯罪集団であるかどうかを判定するのは捜査機関であり、恣意的な解釈が行われる可能性が出てきます。これでは市民運動や労働運動などの弾圧にもつながりかねません。全国労働組合総連合事務局次長の橋口紀塩氏は「『共謀罪』の創設は、労働組合や市民団体の運動を委縮させること、国民が声を上げることを封殺することに、その狙いがある」と指摘しています。また、琉球新報は民主主義を破壊するものだと主張しています。

【談話】「共謀罪」創設に反対し、法案提出中止を求める
http://www.zenroren.gr.jp/jp/opinion/2017/opinion170208_01.html

<社説>「共謀罪」提出へ 民主主義崩す「悪法」だ
http://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-346152.html

 こうした情勢において、そもそも民主主義とは何かについて、その原点であるルソーを把握しておくことが重要な意味があるでしょう。

 以上を踏まえて、本稿ではルソーの処女論文である『学問芸術論』(正式なタイトルは「学問と芸術の復興は、習俗の純化に寄与したかどうか、について」)を取り上げます。これはアカデミーの公募論文に応募してルソーが執筆したものです。前川貞次郎訳の岩波文庫版では50ページほどの短いものです。その内容は、当時の一般的な認識と大きく食い違うものであったため、世に広まると様々な論争を引き起こすこととなり、ルソーは論壇の舞台に立たされることになっていくのです。ルソーが38歳のときのことでした。

 本稿では最初の『学問芸術論』がどのような目的で書かれたのかを明らかにします。続いて、そこでどのようなことが説かれているのかを確認し、その歴史的な意義について見ていきたいと思います。(以下、ページ数のみの場合は、すべて前川貞次郎訳の岩波文庫版の『学問芸術論』からの引用です)。
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2017年02月22日

本来の科学的な教育とは何か(5/5)

(5)教育の事実を創り、その事実を論理化する作業が求められる

 近年、科学的根拠に基づいた教育(エビデンス・ベースト・エデュケーション)が大きく取り上げられるようになっていることを踏まえて、本稿では教育学の構築という観点からこの動きをどのように評価することができるのかを明らかにしてきました。

 ここで、これまでの流れを振り返ってみましょう。

 まず科学的な実践とはどういうものかという点について、薄井先生の著作をもとに見てきました。そもそも科学的とは、対象のもっている性質を見抜いて行動するということでした。看護実践で言えば、目の前の患者に対してどうすることが看護になるのかを押さえて、そのするべきことを患者の性質に合わせて行っていくのが科学的な看護実践だということでした。その具体的なイメージを描くために、薄井先生が相談を受けた奥さんの事例を紹介しました。なぜ奥さんが問題行動を起こすのかを踏まえて、それにどう対応すればいいのかを予測して実践に取り組むのが科学的な実践だということでした。このような科学的な看護実践によって、対象(患者)を望ましい方向に変化させる可能性が高まるのであり、(看護の)事実を創り出されるのだということでした。ここから科学を構築するためには、そうした事実を共通する性質を論理として掬い取っていく必要があるのだということでした。

 続いて、科学的な根拠に基づいた教育(エビデンス・ベースド・エデュケーション)とはどのようなものかを、中室牧子『学力の経済学』を参考にしながら見ていきました。これは「どういう教育が成功する子どもを育てるのかという問いについて、その原因と結果、すなわち因果関係を明らかにすること」、つまり「Aという教育的な働きかけをしたら、Bという子どもの結果が生まれた」という因果関係を明らかにしようとするものだということでした。そうした因果関係を明らかにするために、ランダム化比較試験などを行い、ある教育政策や教育方法の効果を測定するのだということでした。こうして明らかにされた知見として、「インプットにご褒美をあげることが学力テストの結果の向上につながる」「子供のもともとの能力(=頭のよさ)をほめると、子どもたちは意欲を失い、成績が低下する」「男の子なら父親が、女の子なら母親がかかわるとよい」などがあり、このような知見を集めること、またこうした知見に基づいて教育を行うことが、が科学的な根拠に基づく教育だということでした。ただ、実験が難しいことや、明らかになった因果関係の内部構造がわからないことなどの問題点もあるということでした。

 最後に、科学的な根拠に基づいた教育というのは、どのように評価することができるのかを見てきました。現在の学校現場では、ときには条件次第であったり、効果が疑問視されたりするものが学校の統一ルールとして定められ、様々な弊害がもたらされているということを確認した上で、その正しいとされている方法は本当に正しいのかを問う動きとして「科学的な根拠に基づく教育」という考え方が生まれてきているのであり、その点はしっかりと評価する必要があるということでした。では、科学的な根拠に基づく教育の研究・実践を積み重ねていけば、教育学の体系化につなげることができるかと言えば、そうではないということでした。そもそも科学の構築のためには、まずは事実を創り出すこと、その上でそれらの事実の共通性を論理として把握していくことが必要だということでした。この方向性と、科学的な根拠に基づく教育の方向性がどう違うのかを薄井先生が受けた相談の事例で明らかにしました。結局、科学的な根拠に基づいた教育は「こうしたらこうなった」という事実をたくさん集めようとするものにすぎず、またその事実もあくまでも目に見えるものに限られており、目に見えない人間の認識は捨象されてしまっているということでした。このような限界があることを、教育学の構築を図っていくためには、しっかりと押さえておかないといけないということでした。

 薄井先生は、どうすれば看護学を創ることができるのかを悩んだ挙げ句、認識論を学んでいた三浦つとむさんを訪ねたエピソードを紹介しておられます。

「『科学的看護論』を書いていた時、思いあぐねてある著者、学生時代から書物(『認識と言語の理論』勁草書房)を通して認識論を学んでいた三浦つとむ氏を思い切って訪ね、なぜ人間の精神についての科学が遅れているのでしょう、とお尋ねしたことがありました。

 すると氏は、『科学的抽象ということの意味が理解されていないからですよ』と、いとも簡単に言われました。この言葉をずっと暖めつづけていましたが、いくつかのプロセスレコードの抽象化を試みた結果、これで人間の精神と精神の関わりを、浮きぼりにしていくことができるという確信が湧いてきたのです。

 そこで、いろいろなレベルの対応で実験を重ね、学生たちにもプロセスレコードを通して解説したり、プロセスレコードを起こして、看護過程を客観視させる学習を組み込んできたのです。現在では、科学的抽象ということの意味は、『個々の現象のカタチを捨てて内容をすくい上げること』だということを学生たち自身が自覚できるようになってきています。」(薄井坦子『科学的な看護実践とは何か』(下)、現代社、1988年、p.157)


 ここで三浦つとむさんは、科学的抽象ということの意味が理解されていないから、精神についての科学が遅れているのだと指摘しておられます。この指摘が現在においても当てはまるのだと言えるでしょう。

 以上を踏まえて、教育学の構築に向かって、今後、実践現場においてどのような取り組みをしていく必要があるのかを考えてみましょう。まずは教育と呼べる事実を創り出すことが求められます。そもそも教育とは社会的個人としての人間の育成です。では「目の前の子どもに対して社会的個人として育てるとはどういうことなのか」「この教材で何を教えれば社会的個人として育てたということになるのか」ということを念頭において子どもと関わったり、授業を行ったりして、子どもを成長させていかなければなりません。

 その上で、その教育の事実はどういうものであったのかを論理的に把握する必要があります。自分がどのようなことを考えて子どもに働きかけたのか、それに対して子どもはどのような反応をしたのか。そういった教育の過程を事実として明らかにすること(看護学で言えばプロセスレコードを書くこと)、そしてそれは結局どういう過程であったと言えるのかを問うていくこと、こうした作業を積み重ねていく必要があると言えるでしょう。また、他の人の教育実践を見るときも、そのような形で分析していく必要があります。

 最後に、なぜ教育学を構築する必要があるのかを確認しておきたいと思います。これはいろいろな理由を挙げることができるのですが、その1つが専門家としての主体性を保つため、と言えます。「そもそも教育とはこうだから、こうするのだ」という形で自分の判断・行為の根拠を説けるということです。科学的な根拠に基づく教育でも、同じようなことが主張されていますが、実はここには大きな違いがあるのです。科学的な根拠に基づく教育の場合、「こうするといいという事例が多いからこうする。何でそうするといいのかはわからないけど。」ということなのです。これでは専門家として自信をもって仕事をしていくことは到底できません。統計的に「こうするといい」と言われていても、目の前の子どもに対してそれをするのはいいとは限らないからです。そうではなくて、そもそも人間とは何かを踏まえて教育とは何かを明らかにし、そこから目の前の子どもへの働きかけすべてについて、その根拠を説けるようにするものが本当の教育学なのです。そうした教育学を構築するために、今後も研鑽に励んでいきたいと思います。
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2017年02月21日

本来の科学的な教育とは何か(4/5)

(4)科学的な根拠に基づいた教育はどう評価できるのか

 前回は、近年注目されつつある「科学的な根拠に基づいた教育」というものがどのようなものであるのかを紹介しました。端的には、「AすればBになる」ということを明らかにすることが科学(的な研究)であり、そうやって明らかになった知見に基づいて教育を行うことが科学的な根拠に基づく教育だということです。これには実験が難しいこと、明らかになった因果関係の内部構造がわからないことなどの問題点もあるということでした。

 では、このような「科学的な根拠に基づいた教育」というのは、どのように評価することができるのでしょうか。今回はこの点について見ていきたいと思います。

 まず押さえておきたいのは、現在の学校現場ではどのような研究がなされているのかということです。通常、多くの学校では校内研究として、各学年の代表の先生などが年に1回研究授業を行い、それを学校の先生が参観し、放課後に授業検討を行うという取り組みをしています。そこで「このような指導がよかったのではないか」「こう指導すればよいのではないか」などが話し合われています。そうした結果も踏まえながら、学校としてこんな指導をしていこうということが定められていきます。例えば、「発表をさせるためにはまずは小グループで自分の考えを述べたりした後で、全体の場で発表させる方がいい」とか「授業の最初に本時のめあてをしっかり板書した方がいい」とか「授業の最後に振り返りを書かせた方がいい」などです。

 こうした方法の中にはもっともなものもあるのですが、ときには条件次第であったり、効果が疑問視されたりするものが学校の統一ルールとして定められることがあります。例えば、「授業の最初にめあてを板書し、ノートに書かせる」や「授業の最初と最後に必ず起立して挨拶をする」などです。めあてを板書するのは、その時間の授業で何をするのかを子どもにわからせるためです。そのための1つの方法として「めあての板書」というものが存在するわけです。他にも「口頭で話す」「(算数などで)教科書の例題を解かせてわからせる」などの方法もあります。どれがよいかなどクラスの条件次第であるのに、画一的に方法が統一されているために様々な弊害をもたらすことになっています(例えば、極度に字が書けない子は最初の段階でついていくのが難しくなったり、それを待つと全体の空気がたるんできたりします)。

 そうした画一的、信条的、感覚的に正しいとされている方法について、本当にそうかと問う動きとして「科学的な根拠に基づく教育」という考え方が生まれてきているのであり、その点はしっかりと評価する必要があるでしょう。

 では、「科学的な根拠に基づく教育」の研究・実践を積み重ねていけば、教育学の体系化につなげることができるのでしょうか。これは残念ながら、否と言わなければなりません。

 (2)で明らかにしたように、科学の構築のためには、一般論を踏まえて事実を創り出すこと、その上でそれらの事実の共通性を論理として把握していくことが必要だということでした。(2)で紹介した薄井先生が受けた相談の事例で考えてみましょう。

 この事例では、おかしなことを口走ったり、ひがんだり、言葉がひどくなったり、御主人の下着をはさみでちょんぎったりする奥さんに対して、薄井先生は、御主人が肌の触れあいや抱きしめるなどの強い刺激を与えるといいと回答していたのでした。これで奥さんの様子が改善されたとすれば、それは1つの良い事実を創りだしたということになります。

 科学的な根拠に基づいた教育の場合、こういう事例をたくさんあつめて、例えば「御主人に対していろいろな問題行動をする奥さんに対しては抱きしめればよい」ということを明らかにしようとするわけです。このように述べると、「それがいいとは限らないだろう」と変な感じがしませんか。でも、目指そうとしているのはこういうことになるのです。

 さらに言えば、同じように抱きしめるにしても、本当に愛情をもって抱きしめることと、仕方がないから抱きしめるというのでは、相手の反応も異なってくるはずです。つまり、行動の背後にある認識がどのようなものであるかが相手の反応に大きな影響を及ぼすということです。ところが、科学的な根拠に基づく教育では、目に見えない認識というものは捨象してしまい、「抱きしめる」という目に見える行為にしか目が向けられていません。

 では、本来の科学的な立場に立って、この事例に潜む共通性を論理として導き出すとはどういうことなのでしょうか。まず「おかしなことを口走ったり、ひがんだり、言葉がひどくなったり、御主人の下着をはさみでちょんぎったりする奥さん」とは何なのかを問うのです。この事例の場合で言えば、「夫からの愛情や必要性を感じられていない奥さん」ということになります。その奥さんを抱きしめるとはどういうことかと言えば、「夫の愛情を伝える」ということです。したがって、この事例を論理化するならば、「相手からの愛情や必要性を感じられていなくて問題行動を起こしている人に対して、愛情を示した」ということになります。

 この愛情の示し方は相手の性質(性格)によります。この事例では抱きしめるという形でしたが、感謝の気持ちを書いて置き手紙をするとか、花を買ってくるとか、そういう方法がよい人もいるでしょう。そのようなその人特有の性質も、その人の諸々の言動の事実から見抜いて行動するのが科学的な実践なのです。

 (3)で紹介した知見の1つに、「男の子なら父親が、女の子なら母親がかかわるとよい」というものがありましたが、これがわかったところで、もしシングルマザーで子どもが男の子だったら、その母親は一体どうしたらよいのでしょうか。その母親にとっては役に立たない知識だということになります。

 しかし、もっと論理化して「同性の親がよい」とか、あるいは、同性の方がよいのは子どものことがよくわかるからでしょうから、「子どものことがよくわかっているとよい」というレベルで捉えれば、シングルマザーであっても「男の子ってどういうことに興味・関心があるのかな」などとちょっと意識的に学んで子育てに取り組めば大丈夫だということになります。

 科学的な根拠に基づいた教育は「こうしたらこうなった」という事実をたくさん集めようとするものだと言えます。これはこれで非常に重要な作業であり、そのことは否定しません。ただ、それは事実の収集に留まるものであること、またその事実もあくまでも目に見えるもののみを対象としており、目に見えない人間の認識は捨象してしまっています。このような限界があることをしっかり押さえておく必要があると言えるでしょう。
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2017年02月20日

本来の科学的な教育とは何か(3/5)

(3)科学的な根拠に基づいた教育とはどのようなものか

 前回は、科学的な実践とは何かという点について、薄井先生の著作を参考にしながら見てきました。そもそも科学的な看護実践とは、個々の患者に対してどうすることが看護になるのかを踏まえた上で、患者の性質に合わせてそれを行っていくというものだということでした。科学的な実践によってこそ、看護の事実が生み出せる可能性が高くなるのであり、そうして生み出された看護の事実に潜む共通した性質を論理として導き出し、また導き出した論理を使って事実を創るという過程を繰り返すことで看護学の構築が可能になるのだということでした。

 今回は、科学的な根拠に基づいた教育(エビデンス・ベースド・エデュケーション)とはどのようなものかを見ていきたいと思います。こちらについては、中室牧子『学力の経済学』を参考にしながら見ていきましょう。

 中室氏は「教育経済学者の私が信頼を寄せるのは、たった一人の個人の体験記ではありません。個人の体験を大量に観察することによって見出される規則性なのです」(p.17)と述べています。

 つまり、どうしたらどうなったという規則性をたくさんの体験(事実)から導き出そうとしているということです。別の箇所では、次のように述べています。

「経済学者がしているもうひとつのこと、それは『どういう教育が成功する子どもを育てるのか』という問いについて、その原因と結果、すなわち因果関係を明らかにすることです」(p.20)


 要するに、「Aという教育的な働きかけをしたら、Bという子どもの結果が生まれた」という因果関係を明らかにしようとしているのだということです。その因果関係を踏まえて、成功する子どもを育てていこうということです。

 では、どのようにしてその因果関係を明らかにするのでしょうか。医療を例にして、次のように書かれています。

「『治験』は治療における臨床試験のことを指し、新しく開発された薬に本当に病気を治す効果があるのかを確かめるために行われる実験です。

 治験に参加する被験者を、新しく開発された薬を投与される人(これを『処置群』、または『トリートメントグループ』と呼びます)と、偽薬またはプラセボと呼ばれる実際には効果のない薬を投与される人(これを『対照群』、または『コントロールグループ』と呼びます)にランダムに分けて、一定期間経過を観察した後で、新しく開発された薬を投与された人の症状と、偽薬を投与された人の症状を比較します。

 前者の治癒率が後者の治癒率よりも高く、その差が『統計的に有意』であれば、この薬には因果効果があったといえるでしょう。」(pp.23-24)


 つまり、Aの効果を測るために、Aという処置をするグループと、Aという処置をしないグループに分けて、両者の結果を比較するということです。その差が統計的に有意であるかを調べることで、Aの効果を明らかにしようということです(これはランダム化比較試験と言い、その手続きには様々な細かな注意点がありますが、ここでは本題ではないので省きます)。

 こうして明らかにされた(教育に関わる)因果関係とは具体的にはどういうものなのでしょうか。例えば、本書では「テストでよい点を取ればご褒美をあげます」と「本を1冊読んだらご褒美をあげます」では、どちらの方が効果的かという問いについて、後者の方が学力テストの結果がよくなったという実験結果が紹介されています(p.30)。これを踏まえて、インプットにご褒美をあげることが学力テストの結果の向上につながるとされています。また、「子供のもともとの能力(=頭のよさ)をほめると、子どもたちは意欲を失い、成績が低下する」(だから、「頭がいいのね」と褒めるより「よく頑張ったわね」と褒める方がよい)(p.48)、「男の子なら父親が、女の子なら母親がかかわるとよい」(p.60)、教育を投資と考えた場合「もっとも収益率が高いのは、子どもが小学校に入学する前の就学前教育(幼児教育)です」(p.76)、「少人数学級は費用対効果が低い」(p.101)などが挙げられています。

 このように、「AすればBになる」ということを明らかにすることが科学(的な研究)であり、そうやって明らかになった知見に基づいて教育を行うことが科学的な根拠に基づく教育だということです。

 ただ、こうした研究・実践にはいくつかの問題点もあります。まず単純に考えて、「AすればBになる」ということを明らかにするための実験を学校現場で行うことは非常に難しいことはわかるでしょう。Aという指導法の効果を調べるために、一定期間、1組ではAという指導をして、2組ではAという指導をしないということをした場合、もしAという指導法に効果があれば、それをなされなかった2組はどうなるのかという問題が起こります。この問題を解決するために、次は1組ではAという指導をせず、2組でのみするという方法もありますが、いずれにせよなかなか導入しにくいことはわかるでしょう。

 さらに、その学校で「AすればBになる」ということが厳密な手続きに基づいて明らかにされたとしても、その地域全体、あるいは日本全体、世界全体で言えばそうではないということもあります。このように「ある国におけるランダム化比較試験の結果が、他の国で当てはまるかどうかがわからないという『外部妥当性の問題』が存在」(pp.178-179)しています。

 そして、「AすればBになる」ということがわかったとしても、「なぜそうなったのか」というメカニズムがよくわからないということも挙げられます。このメカニズムのことを経済学の用語で「内部構造」といい、内部構造が不明であるからこそ外部妥当性の問題などが起こると考えられると中室氏は指摘しています(p.179)。科学的な根拠に基づく教育には、このような問題点も存在しているのです。
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2017年02月19日

本来の科学的な教育とは何か(2/5)

(2)科学的な実践とはどういうものか

 本稿は、科学的な根拠に基づいて教育をすべきだという動向があることを踏まえて、こうした動きはどのように評価できるものなのか、教育学の構築ということにつながるものなのか、そもそも教育の科学化とはどういうことなのか、それを踏まえて自分自身はどういう取り組みを行っていくべきなのかを明らかにしようとするものです。

 今回は、そもそも科学的な実践とはどういうものなのかについて、薄井坦子先生の著作を中心としながら見ていきたいと思います。

 まず「科学的」とはどういうことなのでしょうか。薄井先生は次のように説いておられます。

「私はここにお手拭きを持っていますが、これをこう眼の前まで持ち上げておいて、『このままで手を離してもよろしいでしょうか?』とお尋ねすると、まあどなたも『結構です』とおっしゃると思うんですね。でも、こんどは眼鏡を手に持って同じように高く掲げて、『手を離してよろしいでしょうか?』とお尋ねすれば、これは小さな子供でも『よした方がいい』と、すぐ言いますね。なぜでしょうか。それは、眼鏡もお手ふきと同じように落ちるに違いない。お手拭きと眼鏡とでは性質が違うから、手を離したばあいに、それぞれこういう現象が起こるのではないか、というように想像できるのですね。だから、眼鏡の時は『よした方がいい』という判断を下したということです。このように、そこにある性質を見抜いて行動する、というのが科学的ということなのであり、ここが出発点なのです。」(薄井坦子『科学的な看護実践とは何か』(上)、現代社、1988年、p.130)


 つまり、対象のもっている性質を見抜いて行動するということが科学的だということです。看護実践で言えば、患者がどんな性質を持っているのかということを見抜いて行動するのが科学的な看護実践だということになるでしょう。

 看護実践の例ではないですが、このことがよくわかる事例が紹介されています。薄井先生が知り合いの方から「知人の奥さんがおかしくなった」という相談があったそうです。奥さんがおかしなことを口走ったり、ひがんだり、言葉がひどくなったり、御主人の下着をはさみでちょんぎったりしたということです。この御主人は50代の終わりくらいで、手広く事業を営んでおり、全国を駆け回っておられました。奥さんがしょっちゅう旅の支度をされていたのですが、あるとき御主人が滞在中に入院することになり、3ヶ月間そこに滞在されることになったということです。一度奥さんが見舞いに行ったときには、付き添い看護婦がいたということです。こうした話を聞いて、次のように薄井先生は回答しておられます。

「御主人はたいへん愛情深い方ですし、仕事熱心な方ですし、奥さんが想像しているようなことは何もない方なんだそうですけれども、その時代の男の人というのは、なかなか具体的な表現ができませんね。御主人としては三十何年も一緒に生きてきているんだから、私のことぐらい妻にはわかっているはずだと、こうなっているんです。

 そこで『奥様は、御主人がもう自分を必要としていないというふうに、追い詰められていったのではないかと、私は思います』と申し上げたのです。『奥さんにとっていちばんだいじなことは、その御主人が奥様を必要としてるということではないか、それを奥さんにわからせてあげられるかどうかということです。それも『具体的に』なのです。理屈ではないのです。(中略)』

 今の事例のような状況の時には、行動や表現は率直でなければいけませんね。肌の触れあい、それも力を込めて抱きしめるとか、そういう強い刺激というものが必要でしょうね。」(同上書、pp.133-134)


 ここで薄井先生は、どうしてこのような問題が起こっているのかを御主人と奥さんの性質を踏まえた上で明らかにしておられます。この性質というのも、その人個人に特有のものもあれば、その年代の人とか男性・女性に特有のものもあれば、人間一般に当てはまるものもあります。薄井先生はこの御主人や奥さんと直接の面識はないわけですから、人間がもつ一般的な性質(例えば、人間は社会的に役割を認めてもらいたい、など)や、特殊な性質(年配の男性は具体的な愛情表現が苦手、など)を踏まえて、どう対応すればいいのかをアドバイスしておられます。

 このように対象の性質を踏まえて、どう対応すればいいのかを予測して実践に取り組むのが科学的な実践なのです。

 これを踏まえて、科学的な看護実践とはどのようなものなのかを見てみましょう。

 薄井先生によれば、そもそも看護とは「生命力の消耗を最小にするよう生活過程をととのえること」です。これは看護という看護すべてに共通する性質(これがなければ看護ではないという性質)を論理として把握したもの、つまり看護一般論です。したがって、個々の患者を眺めたときに、「この患者の生命力を消耗させているものは何だろう」と問いかけて対象を見つめ、その消耗させているものを取り除くように働きかけていかなければなりません。

 『科学的な看護実践とは何か(上)』で紹介されている事例ですが、例えば被害妄想の強い青年が、他の患者の歩行訓練を手伝っている看護婦に対して、「死ね、と言っただろう」と言ってきたとします。実際はそんなことは言っていないわけですから、これはAさんの被害妄想でしかありません。しかし、この妄想によってAさんは生命力が消耗させられているわけですから、これを取り除くことが看護として必要となります。
 しかし、看護婦は「そんなこと言ってないわよ」と言い返しても、その青年は聞かなかったようです。そこで薄井先生は、この青年の成育歴から「幼少時に非常に細やかな人間のかかわりを受けることもなく、それを他の人に補われることもなく育ってきて、かつ特にこの方は女性とかかわりが少なかった。ところが就職したら、とたんにそこは人間関係の渦ですよね。人間関係の渦の中でうまく適応できない状態が出てきて、そして結婚したお兄さんのお嫁さんとうまくいかなくて、入院してくると看護婦は女ですね。“避けられた”と思った時に、俺だって男だぞと思ったとしても、全然おかしくない」(pp.172-173)ということを読みとり、「『死ね、と言っただろう』ということは、つまり自分の存在感をゆさぶられたわけですから、この人の気持ちを支えるためには、少なくとも、『あら、Aさんそこにいたの?ちょっと手伝って』というような対応はできないものでしょうかね。」(p.175)とコメントしておられます。

 つまり、この青年は女性との関わりがうまくできないため、看護師の言動から「避けられた」「自分を否定された」という認識を抱いてもおかしくないのであり、それが「死ね、と言っただろう」という表現として現れているのではないかということです。したがって、「避けられた」「自分を否定された」という認識にこそ働きかけないといけないのであり、そのためには、看護師の仕事を手伝わせるという形で役割を与えるのがよいということです。

 このように、どうすることがその患者にとって看護になるのかを踏まえて、患者の性質に合わせて、それを行っていくことが科学的な看護実践だと言えるでしょう。このような科学的な実践によってこそ、看護の事実が創られる可能性が高くなるのです。

 なお、ここから看護学を構築していくためには、こうして創られた看護の事実から、さらに論理を導き出していく必要があります。こうした作業を行うために、薄井先生は看護実践の記録としてプロセスレコードを書くことを重視しておられます。対象の言動・それを見た看護師の認識・その認識に基づいた看護師の表現という3つの観点から、時系列でその看護場面を描くのです。そうやって事実を押さえた上で、その事実にひそむ性質を論理としてすくい取っていくのです。

 このように事実から論理を導き出し、またその論理を使って事実を創るという形で事実と論理をのぼりおりする中で、「生命力の消耗を最小にするよう生活過程をととのえること」という看護一般論の中身が構造化され、看護学体系が構築されていくのです。
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2017年02月18日

本来の科学的な教育とは何か(1/5)

○目次
(1)科学的な根拠に基づいた教育が重要視されている
(2)科学的な実践とはどういうものか
(3)科学的な根拠に基づいた教育とはどのようなものか
(4)科学的な根拠に基づいた教育はどう評価できるのか
(5)教育の事実を創り、その事実を論理化する作業が求められる
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(1)科学的な根拠に基づいた教育が重要視されている

 近年、科学的な根拠に基づいた教育(エビデンス・ベースト・エデュケーション)ということが大きく取り上げられるようになっています。例えば、次のような記事があります。

http://www.chunichi.co.jp/article/feature/manabieye/list/CK2016091902000004.html

「科学的な根拠」を教育に生かす 教員らが研究会 
米国の研究者らともインターネット電話で議論した研究大会=京都市で

 統計データなどの科学的な根拠(エビデンス)に基づいて実践する教育に、研究者らが着目している。なぜ今、関心が持たれるのか。教員や研究者らによる「エビデンス・ベースド・エデュケーション(EBE)研究会」を訪ねた。

 八月二十七日、京都市の大学の会議室に、全国から小中学校の教師、大学の研究者、シンクタンクの研究員らが集まった。

 代表で、養北小学校(岐阜県養老町)の教諭森俊郎さん(32)が、エビデンスに基づき対処法を考えた事例を報告した。「中一ギャップ」への取り組みだ。

 中一ギャップは、中学一年生が、小学校と大きく異なる学校生活になじめず、不登校などの問題が生じること。森さんが中学教諭だったときに、同僚が悩まされていた。

 森さんは、「中一ギャップ」についてインターネットで情報を集めた。中学一年の不登校の人数は、小学六年の不登校の約三倍になるとの文部科学省のデータにたどり着いた。「では、その原因は?」。国立教育政策研究所の資料には、中学一年の不登校生徒の半数は、小学四〜六年で欠席か欠席相当の日数が計三十日以上ある、とあった。

 「中一ギャップの明確な定義はなく、前提となっている事実認識も客観的事実とは言い切れない」との記載もあったが、米国の教育研究のデータベースで「ドロップアウト」で検索すると、不登校には、勉強や人間関係が影響しているとの報告があった。

 こうした情報を基に、森さんは同僚と、(1)四月は、特に小学校で欠席が多かった子には頻繁に声を掛ける(2)生徒が相談しやすい人間関係をつくる−の二つを心掛けることを確認した。その結果、小学五、六年で不登校だった生徒が中学校には登校し、楽しく学校生活を送れるようになった。大会では海外の研究事情の報告もあった。

 エビデンスは世界中の研究を調べ導き出す。教育の効果を分析したり、方向性を決めたりするのに役立つと考えられている。


 つまり、中一ギャップ(中学一年になっての不登校)の問題を解決するために、米国の教育研究のデータベースで調べたところ、不登校には勉強や人間関係が影響していることが明らかとなり、気になる子どもへの関わりを増やすことで、小学校時に不登校だった生徒が楽しく学校生活を送れるようになったということです。このように、統計的なデータなどの科学的根拠に基づいて実践に取り組むことが重要だとされているのです。

 現在、「科学的な根拠に基づいた教育」に関わって、様々なメディアに登場している教育経済学者の中室牧子氏は次のように述べています。

「断片的な個人の経験から、政策など社会全体にかかわるものを議論することにも、同様に慎重であらねばなりません。しかし、教育政策には、たぶんに権威のある人の自分の経験に基づく発言が反映されるきらいがあります。

 たとえば、経済財政諮問会議の議事録をみても、教育再生が議論に上った途端、財務大臣や経済再生担当大臣など、およそ教育の専門家とはいえない人までもが『私の経験によると……』と、自分の経験談をもとに、主観的な持論を展開しています。

 一方、財政政策や経済政策について、文部科学大臣が『私の経験から』と発言する場面はこれまでみられていません。もしそんなことをしたら、当然『それは主観にすぎないのではないか』『その根拠は何か』と問われるに違いないからです。このように、日本ではまだ、教育政策に科学的な根拠が必要だという考え方はほとんど浸透していないのです。」(中室牧子『学力の経済学』ディスカバー、2015年、pp.17-18)


 教育政策においては個人的な経験に基づいて議論がなされている現状があり、科学的な根拠が必要だという考え方がほとんど浸透していないということです。したがって、そのような考え方を教育の世界にも広めていくべきだということです。ここでは教育政策というレベルで論じられていますが、これは現場での教育方法についても同様のことが主張されています。このように、科学的な根拠に基づいて教育を行うとともに、様々な教育実践から科学的な根拠となる知見を獲得していこうとしているのです。

 教育学の構築を目標として掲げている筆者にとって、これらは注目に値する動きです。果たしてこうした動きは科学的な教育学の構築につながっていくものなのかを、そもそも科学的な実践とは何かということを踏まえながら明らかにしなければなりません。そして、教育学の構築に向けて自分がどのような取り組みをしていくべきなのかを明確にする必要があります。

 このような問題を考えていく上で参考にしたいのは、薄井坦子先生の看護学です。薄井先生は、看護学の世界で学問体系の構築を果たし、『科学的看護論』を出版しておられます。また、その看護学体系に基づいた看護実践の検討にも取り組んでおられ、それは『ナイチンゲール看護論の科学的実践』(1)〜(5)としてまとめられています。また、各地での講演をまとめた『科学的な看護実践とは何か』(上)(下)も出版されています。科学を創るとはどういうことか、科学的な実践とは何かということを考える上で非常に参考になると思われます。実際、保育の世界で学的体系化を果たそうと志しておられた海保静子先生が、薄井先生から深く深く学んでおられることは『育児の認識学』から窺えます。

 そこで本稿では、薄井先生の著作をもとに科学的な実践とは何かを明らかにした上で、「科学的な根拠に基づいた教育」というものがどのように評価できるものなのかを見ていきたいと思います。それを踏まえて、教育学を構築するためにはどういう取り組みをしていくべきなのかを明らかにしていきたいと思います。
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<講義一覧>

 ・2010年5月例会の報告
 ・2010年6月例会の報告
 ・日本酒を楽しめる店の条件
 ・交響曲の歴史を社会的認識から問う
 ・初心者に説く日本酒を見る視点
 ・『寄席芸人伝』に見る教育論
 ・初学者に説く経済学の歴史の物語
 ・奥村宏『経済学は死んだのか』から考える経済学再生への道
 ・『秘密諜報員ベートーヴェン』から何を学ぶか
 ・時代を拓いた教師を評価する(1)――有田和正氏のユーモア教育の分析
 ・2010年7月例会報告
 ・弁証法から説く消費税増税不可避論の誤り
 ・佐村河内守『交響曲第一番』
 ・観念的二重化への道
 ・このブログの目的とは――毎日更新50日目を迎えて
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 ・2010年8月例会報告
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 ・「菅・小沢対決」の歴史的な意義を問う
 ・『もしドラ』をいかに読むべきか
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 ・TPPは日本に何をもたらすのか
 ・東日本大震災から国家における経済のあり方を問う
 ・『弁証法はどういう科学か』誤植の訂正について
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 ・科学者列伝:ヘレニズム・ローマ・イスラム編
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 ・2013年3月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』序論(前半)を読む
 ・3年目教師としての1年間を実践記録で振り返る
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 ・新自由主義における「自由」を問う
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 ・三浦つとむ「マルクス・レーニン主義に関する本質的な質問」から学ぶ
 ・言語は歴史的にどのように創出されたのか
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 ・ヒュームの提起した問題にカント、スミスはどのように答えたか
 ・2013年6月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』東洋の世界(後半)を読む
 ・一会員による2013年上半期の振り返り
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 ・2013年8月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第三部 ローマの世界を読む
 ・アダム・スミスの哲学体系の全体像を問う
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 ・文法家列伝:古代ギリシャ編
 ・ヒューム『政治論集』抄訳
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 ・言語過程説から言語学史を問う
 ・2013年10月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』「第4部 ゲルマンの世界」第2篇を読む
 ・戦後日本の学力論の流れを概観する
 ・一会員による『育児の生理学』の感想
 ・文法家列伝:古代ローマ・中世編
 ・2013年11月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第4部 ゲルマンの世界 第3篇を読む
 ・古代ギリシャ経済の歴史を概観する
 ・2013年12月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』のまとめ
 ・ヘルバルト教育学の全体像を概観する
 ・年頭言:歴史を切り拓く学問の創出を目指して
 ・歴史的な岐路に立つ世界と日本を問う
 ・一会員による『綜合看護』2013年4号の感想
 ・一会員による2013年の振り返りと2014年の展望
 ・ヘーゲル『歴史哲学』を読む
 ・2014年1月例会報告:学問(哲学)の歴史の全体像について
 ・一会員による『学城』第10号の感想
 ・世界歴史の流れを概観する
 ・現代の言語道具説批判――言語規範とは何か
 ・2014年2月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第3〜11章
 ・ヘルバルト『一般教育学』を読む
 ・新大学生へ説く「大学で何をどのように学んでいくべきか」
 ・2014年3月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第12〜14章
 ・三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』学習会を振り返る
 ・『育児の認識学』は三浦認識論をいかに発展させたか――一会員による『育児の認識学』の感想
 ・2014年4月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第15〜19章
 ・4年目教師としての1年間を実践記録で振りかえる
 ・文法家列伝:『ポール・ロワイヤル文法』編
 ・2014年5月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第20〜26章
 ・道徳教育の観点から見る古代ギリシャの教育と教育思想
 ・古代ギリシャの経済思想を問う
 ・半年間の育児を振り返る
 ・2014年6月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第27〜33章
 ・現代の言語道具説批判・補論――「言語道具説批判」に欠けたるものとは
 ・心理士が医学から学ぶこと――一会員による『医学教育 概論(1)』の感想
 ・アダム・スミス「天文学史」を読む
 ・現代の言語道具説批判2――言語道具説とは何か
 ・2014年7月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第34〜38章
 ・道徳教育の観点から見る中世の教育と教育思想
 ・もう一人の自分を育てる心理療法
 ・2014年8月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第39〜40章
 ・アダム・スミス「外部感覚論」を読む
 ・文法家列伝:ジョン・ロック編
 ・一会員による『学城』第11号の感想
 ・夏目漱石を読む@――坊っちゃん、吾輩は猫である、草枕
 ・2014年9月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第41〜43章
 ・ルソーとカントの道徳教育思想を概観する
 ・アダム・スミスは『修辞学・文学講義』で何を論じたか
 ・全てを強烈な目的意識に収斂させる――一会員による『医学教育概論の実践』の感想
 ・2014年10月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第44〜45章
 ・精神障害の弁証法的分類へ向けた試み
 ・シュリーマン『古代への情熱』から何を学ぶか
 ・2014年11月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第46章
 ・一年間の育児を振り返る
 ・近代ドイツにおける教育学の流れを概観する
 ・2014年12月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』のまとめ
 ・年頭言:弁証法・認識論を武器に学問の新たな段階を切り開く
 ・「戦後70年」を迎える日本をどうみるか
 ・哲学の歴史の流れを概観する
 ・『ビリギャル』から何を学ぶべきか
 ・必要な事実を取り出すとは――一会員による『医学教育 概論(2)』の感想
 ・2015年1月例会報告:南郷継正「武道哲学講義X」
 ・夏目漱石を読むA――二百十日、野分、虞美人草、坑夫
 ・アダム・スミスは古代ギリシャ哲学史から何を学んだのか
 ・マインドフルネスを認識論的に説く
 ・道徳思想の歴史を概観する
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部の要約
 ・弁証法的に学ぶとはいかなることか――一会員による『医学教育 概論(3)』の感想
 ・一会員による『学城』第1号の感想
 ・新大学生への訴え
 ・2015年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論A
 ・心理職の国家資格化を問う
 ・5年目教師としての1年間を実践記録で振り返る
 ・文法家列伝:時枝誠記編
 ・2015年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論B、C、東洋哲学
 ・夏目漱石を読むB――三四郎、それから、門
 ・臨床心理学のあるべき姿を考える――一会員による『医学教育 概論(4)』の感想
 ・アダム・スミス「模倣芸術論」を読む
 ・デューイの教育論の歴史的な意義を問う―『学校と社会』を通して
 ・2015年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ギリシア哲学史の序論、イオニア派の哲学、ピュタゴラスとピュタゴラス派
 ・高木彬光『邪馬台国の秘密』を認識論から読み解く
 ・一会員による『学城』第12号の感想
 ・2015年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エレア派〜ヘラクレイトス
 ・何故言語学の創出が必要か―一会員による2015年上半期の振り返り
 ・事実と論理ののぼりおり――一会員による『医学教育 概論(5)』の感想
 ・夏目漱石を読むC――彼岸過迄、行人、こころ
 ・2015年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エムペドクレス〜アナクサゴラス
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(上)
 ・デューイ教育論の歴史的意義を問う―『民主主義と教育』をとおして
 ・2015年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソフィスト派・ソクラテス
 ・アダム・スミス『法学講義』を読む
 ・学問上達論とは何か――一会員による『哲学・論理学研究(1)』の感想
 ・2015年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソクラテス派、プラトン
 ・庄司和晃追悼論文―庄司和晃の歩みはいかなるもので、何を成し遂げたか
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部第4章の要約
 ・一会員による『学城』第2号の感想
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(下)
 ・夏目漱石を読むD――道草、明暗
 ・2015年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』プラトン 弁証法、自然哲学、精神の哲学
 ・ナイチンゲール看護論を心理臨床に活かす――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(1)』の感想
 ・文法家列伝:時枝誠記編(補論)
 ・英語教育改革を問う―『英語化は愚民化』書評―
 ・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
 ・2年間の育児を振り返る
 ・2015年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学)
 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
 ・ケネー『経済表』を読む
 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む