2017年09月19日

障害児の子育ての1年間を振り返る(5/5)

(5)教育学の構築は歴史的な願いを現実化するものである

 本稿は、ダウン症と診断されたわが子の1年間の育児を振り返るものである。ここでこれまでの内容を振り返っておこう。

 まず、抱っこしながらの散歩とその意味について確認した。これを始めたきっかけは、松田道雄『育児の百科』で勧められていたからであるが、それは実体面と認識面の両面で大きな意義があるものだということだった。実体面に関しては、さらに生理的な側面と運動的な側面の2つがあり、生理的な側面で言えば、外界の自然的な変化に対応する実力をつけるという意味があるということだった。一方、運動的な側面で言えば、首から背中・腰にかけての骨や筋肉を鍛えるという意味があり、とりわけ縦抱きにされることによって、そういう姿勢の状態に慣れていくということ、このことが首すわりやお座りにつながっていくのだということだった。一方、認識面でいえば、抱っこをすることによって、これまでとは違った形で外界を反映させることになり、赤ちゃんの認識の発展を促していくことになるということであった。さらに散歩の場合、その反映する外界そのものが家の中に比べれば多種多様であるから、赤ちゃんの興味・関心を促し、外界に対して積極的な姿勢を創ることになるということだった。このような意味のある抱っこしながらの散歩を毎日続けたからこそ、それが量質転化したのではないかということだった。

 続いて、「ハイハイを促すために行った働きかけ」について紹介した。最初にハイハイの意味について確認した。ハイハイをすることによって上肢を鍛えることができるのであり、またハイハイができるようになる過程(=自らの体を移動させようとするけれど移動できない、移動させようとするけれど移動できない、を繰り返し、ようやく移動できるようになる過程)が人間としての脳の実力をすさまじくつけることになるのだということであった。そこで、成長の頃合いを見計らって、ハイハイができるように意図的に働きかけたのだった。そもそも人間は像を描いて行動するのであり、ハイハイにしても「あのおもちゃをとりたい」などの像を描いて行うわけだから、その像をしっかり描けるようにしないといけないということだった。そこで、移動できなくても、取るために頑張っているようだったら、ちょっとおもちゃを近づけてとれるようにしてやったのだった。こうやって「がんばったらとれた」という体験を積ませることで、「何とかがんばって動こう」という意志が強烈になるのではないかと考えたのだった。一方、ハイハイがしやすいように、つるつるの板を買ってきて滑りやすくするとともに、傾斜をつけて移動しやすくなる工夫をしたのだった。その結果、あっという間に自分でずりばいができるようになったのだった。

 最後に、障害をもつ子どもの親として、自分の認識がどのように変化していったのかを紹介した。自分の子どもがダウン症であることがわかったとき、大きなショックを受けたが、『障害児教育の方法論を問う』を読んで、自分の子どもも健常児と同じように可能性をもっているのであり、育て方次第でしっかりと育っていくのだと思うことができたのだった。しかし、最初の頃はかなり気負いこんでおり、あまり気持ちに余裕がなかった。しかし、1つ、また1つと子どもの成長を感じるたびに、その気持ちが少しずつ和らいでいき、「しっかり成長するんだな」と少し安心することができた。しかし、このような成長はいわば自然成長的なものとしか見られなかった。自分が意図的にやっている取り組みが、どのように影響を与えているのかはよくわからなかった。そのため、「本当にこれでいいのだろうか」という不安を覚えることもあった。しかし、理論的な実践として「ハイハイを促すための働きかけ」を行ったところ、子どもがハイハイをできるようになったことをきっかけに、子育てに関して自信をもつことができたのだった。10か月検診の際、もう普通のハイハイやつかまり立ちをしたり、手を離して歩くこともできている子どもがいたが、そういう姿を見て、「すごいな」とは思ったけれども、まだずりばいがちょっとできるぐらいでしかない自分の子どもについて卑屈に考えることは一切なかったのだった。そこには自分の子どももあるべき発達の過程をしっかり辿っているし、辿らせているという自信があったからだということだった。

 この1年間を振り返ったとき、もっとも大きな学びになったことは「すべての人間は可能性をもっている」ということである。このような内容は南郷学派の著作には書かれているし、これまでにも学んでいたけれども、これがいかに重要な論理なのかということがまったくわかっていなかった。本の上での知識でしかなかったのである。しかし、障害のあるわが子を育てなければならないという切実な問題にぶつかったとき、この論理のすばらしさに気づいたのである。

 もっとも子育てを始めた当初は、まだまだ信じるしかないというレベルだった。しかし、自らの取り組みによって子どもが大きく成長する姿を見せてくれる中で、この論理が自らの体験をともなったものとして、五感情像として発展していった。

 こうした認識でもって過去の偉大な教育学者の著作を読んでみると、やはりみな人間のもつ力・教育のもつ力を信じて実践に取り組んでいたのだということがわかった。「この子は育たないだろう」と思われる子どもたちに対して、信念をもって実践に取り組んでいったのである。教育学の歴史というのは、人間の力・教育の力のすさまじさが明らかにされていった歴史なのだということも読みとることができた(詳細は昨年掲載した「近代教育学の成立過程を概観する」を参照していただきたい)。その延長線上に、今の自分の子育てがあるのだということがわかった。

 しかし、いかに「人間には可能性がある」といったところで、それを現実化させるものが存在しなければ、結局は徒労に終わってしまうし、仮に成果が出たとしても一過性・偶然性にすぎないものとなってしまう。そこで求められるのが対象から導き出した論理であり、理論なのである。これをしっかりと自分のものにすれば、対象についての見え方が大きく変わってくるし、どうすればよいかの方向性が見えてくるということが自らの体験として非常によくわかった。

 この理論を体系的にまとめあげたものこそ教育学である。教育学の構築こそ私が掲げている人生の目標であるが、これを実現することは、「すべての子がその可能性を実現していってほしい」という先達たちの理想を具体化しようとするものなのである。人類が抱き続けてきた願いの実現につながる歴史的な大事業なのである。

 このようなことがわかったのは、障害をもって生まれてきたわが子のおかげである。本当に感謝している。家庭での子育てや教室での授業など、自分の実践の場で一人一人の可能性を最大限現実化させようと努力するとともに、そうした事実をもとに教育学を構築できるよう、研鑽に励んでいきたいと思う。
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2017年09月18日

障害児の子育ての1年間を振り返る(4/5)

(4)子育ての過程での親の認識の変化

 前回は、ハイハイを促すために行った働きかけについて紹介した。端的にまとめるならば、赤ちゃんがハイハイしやすい環境を作りだすとともに、ハイハイしようという意志が形成されるように、成功体験を積ませるように配慮したということであった。その結果、ずりばいをするようになり、現在では4mぐらいは移動できるようになったということだった。

 今回は、こうした取り組みの中で、親である私自身の認識がどのように変化していったのかについて紹介したい。

 冒頭で紹介したように、自分の子どもがダウン症であることがわかったとき、大きなショックを受けた。自分の子どもに障害があるとわかったとき、おそらく多くの親が同じような感覚をもつことだろうと思う。場合によっては、育児放棄や自暴自棄につながったりすることもあるだろう。

 私は幸いにも『障害児教育の方法論を問う』を読んで、自分の子どもも健常児と同じように可能性をもっているのであり、育て方次第でしっかりと育っていくのだと思うことができた。自分の子どもとしっかりと向き合っていこうという覚悟をもつことができた。

 今、「覚悟」という言葉を使ったけれども、最初の頃はかなり気負いこんでいたところがあった。「自分がしっかりしなければ、この子は育たないのだ」という思いが強かった。だからこそ散歩も毎日行うことになったのだが、あまり気持ちに余裕がなかった。

 しかし、1つ、また1つと子どもの成長を感じるたびに、その気持ちが少しずつ和らいでいった。例えば、2か月のときには、次のような記録を書いている。

(2か月と1週)
 最近、足の力や手を握る力がだいぶんついてきた。だっこをしているとき、足で蹴られたりするが、これが結構痛い。また、手で腕の肉などをつかまれたりすると、つねられたように痛い。首の力も少しずつついてきている。うつむせをさせていると、自分の首をだいぶん持ち上げられるようになってきた。地面から顔を浮かせて、顔の向きを変えることもできる。 

(2か月と2週)
 だいぶん体力がついてきた。そのことを感じるのは、授乳後の様子である。1か月の頃はおっぱいを飲んだ後はとてもぐったりして、そのまま寝てしまっていた。ところが、今は、確かにぐったりもするものの、そのまま寝ないことが多い。おっぱいを飲むというのは赤ちゃんにとって重労働のようだが、それに耐えうるだけの体力が身についてきたということであろう。飲んだ後のげっぷもよく出るようになってきた。また、最近だっこしていると、体を前に起こしてくる(腹筋してくるような感じ)ようになった。


 こうした小さな変化を見るたびに、「あぁ、ちゃんと成長しているんだな」と嬉しくなったし、安心することができた。

 しかし、このような成長はいわば自然成長的なものとしか見られなかった。自分が意図的にやっている取り組みが、どのように影響を与えているのかはよくわからなかった。そのため、「本当にこれでいいのだろうか」という不安を覚えることもあった。

 こうした不安が一挙に解消されたのが、前回紹介した「ハイハイを促すための働きかけ」である。人間は目的像を描いて行動する。ハイハイでいえば、おもちゃをとるという像を描くからこそ、それを実現しようとしてハイハイという行動をとるのである。しかし、ハイハイはすぐにはできない。ハイハイしようとがんばり続ける中で、一歩が出るようになるのである。そのがんばりを維持させるものは、「がんばったらおもちゃが取れた」という過去の成功体験であり、錯覚でよいからそれを与えることが必要になる。こうした論理に基づいて実践をしたわけだが、それによって見事にハイハイができるようになったわけである。

 この体験は、私にとってとてつもなく大きな自信となった。「あぁ、このようにして論理を使っていけばいいのか」ということがわかった。ここから普段の育児記録の量が一気に増えた。現実の目の前の子どもの姿と南郷学派の著作に書かれていることとが自分の中で次々とつながっていったのである。その内容をどんどん書き留めていった結果、約3か月で9万字にもなった。

 その時の自分の思いを次のように書いている。

 離乳食をなかなか食べなくて大変だなと思うこともあるけれども、子育て全般に関してはあまり不安がない。親の愛情を注ぐこと、自然に触れさせること、系統発生を辿らせること、食事をちゃんとすること、生活リズムを整えること、この5つぐらいがわかっていれば大丈夫だろうという感覚がある。何か問題が起こったとしても、この観点からその問題を説くことができるという自信もあるし、むしろ起こってくれた方がいろいろわかっていいなという思いすらある。


 この5つの観点の妥当性はともかく、これだけの自信をもつことができたということである。

 10か月検診の際、いろいろな親子と一緒の部屋で測定や診察を待つことになった。健常児の場合、10か月というと、もう普通のハイハイやつかまり立ちができている。子どもによってはもう手を離して歩くこともできている。そういう姿を見て、「すごいな」とは思ったけれども、まだずりばいがちょっとできるぐらいでしかない自分の子どもについて卑屈に考えることは一切なかった。自分の子どももあるべき発達の過程をしっかり辿っているし、辿らせているという自信があったからである。

 このように、当初は自分の子どもの可能性を信じるものの、気持ちに余裕がなかった状態であったが、理論的な実践によって結果を出すことができると、大きく自信をつけることができ、子育てに関して大きな不安を抱かないようになり、気持ちとしても余裕をもつことができるようになったのである。
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2017年09月17日

障害児の子育ての1年間を振り返る(3/5)

(3)ハイハイを促すための働きかけとその意味

 前回は、抱っこしながらの散歩について取り上げた。それを毎日行う意味について、実体面と認識面の2つに分けて確認した。今回は、ハイハイ(ずりばい)を促すために行った働きかけについて紹介したいと思う。

 そもそもハイハイをする意義について確認しておこう。ハイハイについては、世間では様々な見解がある。ハイハイをしないままつかまり立ちをするようになってもよいという見解もある。そうした見解に対して、瀬江先生は次のように批判しておられる。

「『なぜそこまでハイハイにこだわるのですか。人間の基本的運動形態は、二足で立って、歩き、両手を自由に使うことなのですから、ハイハイしなくても、立てるようになればいいのではないですか』と思うかもしれません。
 しかし、残念ながらそれは誤りです。なぜならば、ハイハイという過程を経ないで歩くようになると、人間としては、大きな欠陥をはらんだままの発達をしてしまうからです。それは、いったい何でしょうか。これには大きく二つあります。
 一つは、一番大事な時期に、前腕から上腕そして肩にかけての上肢の力がつかないままに、歩いてしまうことになるということです。(中略)唯一、上肢を力強く鍛える過程であるハイハイを経ないで歩行へと進んでしまうことは、人間としての運動形態に、大きな欠陥をはらんでしまうことになるのです。
 次に、ハイハイを経ないままに歩いてしまうことの欠陥の二つ目は、一つ目よりもさらに重大なことです。それは何かといえば、ハイハイによる赤ん坊の脳の発達の可能性を、欠落させてしまうということです。
 なぜならば、自らの力で動くことがまったくできずに生まれてきた赤ん坊が、地球の重力に逆らって、自らの体を移動させようとするけれど移動できない、移動させようとするけれど移動できない、を繰り返し、ようやく移動できるようになる過程は、人間としての脳の実力をすさまじくつけることになるからです。」(瀬江千史「看護の生理学(45)−運動器官第10回−」『綜合看護』(2013年1号)所収)


 つまり、ハイハイをすることによって上肢を鍛えることができるのであり、またハイハイができるようになる過程(=自らの体を移動させようとするけれど移動できない、移動させようとするけれど移動できない、を繰り返し、ようやく移動できるようになる過程)が人間としての脳の実力をすさまじくつけることになるのだということである。

 こうしたことを学んでいたので、とにかくハイハイはしっかりとさせたいと考えていた。およそ7か月の頃には、うつぶせになって、目の前にあるおもちゃに手を伸ばす姿が見られるようになったので、ハイハイを促すための働きかけを行うことにした。

 上の瀬江先生の論文では10か月検診でまだハイハイができない子どもの事例が取り上げられており、母親に生活状況をたずねてみると「自らハイハイしなくてもよい環境があった」として、次のように書かれていた。

「例えば、母親が見えなくなって泣けば、すぐに同居の祖母がとんできて抱っこをする、近くにあるオモチャを取りたくて泣けば、すぐに母親や祖母が取ってくれる・・・ということで、自ら大変なハイハイをしなくても、泣くだけで自分の目的が達成されてしまう状況にあった、ということです。」


 これを読んで、「なるほど、近くにおもちゃを置いて、多少泣いても放っておくのが大事なんだな」と思い、実践することにした。やってみると、叫び声をあげたり、必死で手を伸ばしたり、足で床を蹴っておしりを上げたりするが、進むことはできず、泣きじゃくる姿が見られた。

 その様子を見ていて、何か取り組みとして間違っているのではないかという思いを抱くようになった。もう無理だなと思ったときに「よくがんばったね。次もがんばろうね」とか言いながら抱っこしてなぐさめるのだが、何となく「これではだめなのではないか」という思いがあった。泣いた状態で終わるというのが、あまりいいとは思えなかったのである。

 そこで、我々の研究会の指導者に相談することにした。すると、ずりばいができるためには、土台としての実力が必要だと説いていただいた。例えば、おもちゃがとれなくて叫び声を上げたりするのだが、これは要するに頭の中で思い描いている像(=おもちゃをとって遊んでいる像)と現実を一致させられないことに対する苛立ちの表現として見ることができる、そういう像を描けることがずりばいを行うための土台として必要になる、ということであった。そうやって像が先行して、その像を実現させようとする過程で実体の力がついていくのだと説いていただいた。

 さらに具体的な取り組みとして、最後にはおもちゃをとれるようにしてやることが大事だということであった。そうすることで(錯覚ではあるものの)「がんばったらおもちゃがとれた」という成功体験をさせることになり、「次もがんばろう」という認識を育てることになるのだ、ということであった。

 これを聞いたとき、とても納得することができた。とりわけ最後には取れるようにすることが大事だという話は、自分が感じていた疑問を見事に解消するものであった。それ以後、必死でとろうとがんばる姿を見せたら、頃合いを見計らっておもちゃを子どもの方に寄せて、取れるようにしてやった。そして、「おもちゃに届いたね〜、よくがんばったね〜」などと言いながら、抱っこしたりするようにした。

 これを2週間ほど続け、取ろうとする意欲が高まっていることは感じられた。例えば、おもちゃを触ろうと必死で手を伸ばすあまり、ごろんと体ごと回転してしまうこともあった。しかし、なかなかずりばいができるようにはならなかった。

 私の家では床にカーペットをひいているのだが、カーペットは摩擦が強いから進みにくいのだろうと思った。これがつるつるの板で、しかも傾斜がついていれば、ずりばいができるようになるのではないかと考えた。

 さっそくホームセンターで木材(パネコート)900mm×1800mmを購入し、700mm×1600mmにカットしてもらった。また、端材で700mm×100mmを6つ作ってもらい、傾斜をつけるための土台とした。こうすれば、土台の板を1つずつ外せば、少しずつ傾斜が緩やかになる。

image.jpeg

この上に乗せて、少し距離のあるところにオモチャをおいたところ、すぐさまずりばいができた。両手を広げて地面につき、腕の力で体を前に引き寄せたり、足で蹴って体を前に推し進めたりしながら、そのオモチャに向かって移動する姿が見られたのである。

 当初は近い距離におもちゃを置かないとずりばいをしなかった。そこで、近づいて少し遊んでは、また少し離れたところにおもちゃを置き、そこに近づいて少し遊んでは、また離れたところにおもちゃを置き・・・ということを繰り返して、板の端から端までずりばいをさせるようにした。これをやっているうちに、最初から板の端におもちゃをおいても、そこに向かってずりばいをするようになった。ずりばいを繰り返す中で、それだけの距離を移動できるだけの実体の実力と、「あそこまでならいける」という認識が形成されたのだと言えるだろう。

 その後は傾斜を緩やかにしていき、やがて普通のフローリングでもずりばいができるようになった。さらに、しばらくすると、最初はできなかった摩擦の強いカーペットの上でもずりばいができるようになった。

 この段階ではちょっと移動しては止まり、ちょっと移動しては止まり・・・という状態だったが、現在は休みなくあちこちに移動していくし、促せば4mぐらいずりばいができるようになっている。こちらの働きかけ次第で大きく成長するのだということを実感した出来事であった。
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2017年09月15日

障害児の子育ての1年間を振り返る(1/5)

目次
(1)ダウン症として生まれた子ども
(2)抱っこしながらの散歩とその意味
(3)ハイハイを促すための働きかけとその意味
(4)子育ての過程での親の認識の変化
(5)教育学の構築は歴史的な願いを現実化するものである

・・・・・・・・・・・・・・・

(1)ダウン症として生まれた子ども

 昨年の夏、待望の第一子が生まれた。遠方であったため、連絡を受けてからすぐに駆け付けるもその日のうちには到着できず、翌日の朝、子どもと対面することになった。2682gの男の子である。恐る恐るだっこしながら、生まれた子どもをかわいがっていた。

 妻の家族や親戚も来てくれて、しばらくみんなで話していたが、3時頃、看護師に呼ばれて、妻と子どもが部屋から出て行った。そのうち、私も呼ばれたので、部屋を出て行った。そして保育器などのある部屋の裏手のスペースに行くように指示された。そこには、妻が子どもを抱いてソファーに座っていて、医者がその前に立っていた。「いったい何の話だろう」と思いながら、私が妻の横に座ると、医者が話を始めた。

「赤ちゃんね、もしかしたらダウン症かもしれない。産まれたときはしっかり泣き声も上げていたし、あまり感じなかったんだけど、よく見ると、ちょっと独特な顔つきをしているしね。あと手に猿線もある。うちの看護師さんたちも、抱いた感じがフニャフニャしていると言っていてね。もちろん確定ではないけれど、うちの看護師もベテランだからね。」


 一瞬、何のことかわからなかった。少し冷静に考えて、要するに障害があるということだとはわかったが、ダウン症の具体的なイメージがわかなかった。

 ダウン症とは、端的には、先天的な染色体異常によるものである。人間は2本1組の染色体を23組(22組の常染色体と1組の性染色体)もっており、精子や卵子を形成する際には、2本1組の染色体が分離され、数が半分になる(減数分裂)。つまり、精子・卵子はそれぞれ23本の染色体をもっており、これが合わさることで23組の染色体となる。染色体は大きなものから1番、2番と番号がつけられているが、そのうち21番の染色体に異常が見られる場合、ダウン症となる。具体的に言うと、精子や卵子が形成される際に、21番の染色体がうまく分離せず、21番の染色体が2本のままの精子あるいは卵子が生まれ、それが受精することによって21番の染色体が1本多い受精卵が誕生することとなる。これがダウン症である。

 ダウン症の子どもは「おとなしくて反応が弱い」「おっぱいの飲みが悪い」「身体的な特徴がある」「抱くとやわらかい」といった特徴があり、出産後すぐに産科医や助産師が気づくケースがほとんどである。

 では、ダウン症の子どもにはどのような問題が生じてくるのだろうか。

 様々な合併症があるということが特徴である。まず心臓の病気である。例えば、閉じるべき血管が閉じていなかったり、心臓内の4つの部屋を隔てる壁に穴があいていたりする。こうした心臓疾患は「呼吸が速く荒い」「顔色が悪い(唇の色が紫色・チアノーゼ)」「オッパイの飲みが悪い」「元気がない」などの症状として現れる。次に消化器の病気である。胃から肛門へと至る過程に異常があり、食べ物がうまく排泄されないことがある。これは「よく吐く」「便が出ない」「おなかが異常に膨れている」「便秘」などの症状として現れる。また、成長の過程において体や骨がバランス良く発達せず、頸椎が不安定になることがある。白内障や内斜視といった視覚の障害、難聴などもある。知的障害も伴い、平均的なIQは50前後とされている。

 後日、血液検査の結果、ダウン症であることが確定した。幸い私の子どもには、大きな合併症はなかった。しかし、初めての子どもが障害をもって生まれてきたということで、ショックを感じずにはいられなかった。

 そんな私を大きく支えてくれたのは、志垣司・北島淳『障害児教育の方法論を問う(第一巻)』(現代社、2014年)に書かれている障害の一般論だった。

「障害を負うとは、実体及び機能上の不可逆的な変化によって、そのままでは環境との相互浸透ができにくくなることである」(p.42)


 ここで私の目に飛び込んできたのは、「そのままでは・・・できにくくなる」という部分である。「できない」ではないのである。どんなに障害をもっていても、環境との相互浸透をすることは可能なのだ。なぜなら、それこそが人間の一般性だからである。しかし、それが健常児に比べればできにくいということである。ということは、健常児の場合より意識的に環境との相互浸透を質・量ともに充実させれば、障害があっても十分に育つということである。

 この言葉に大いに励まされ、しっかりとわが子を育てていこうという決意を固めた。ダウン症の育児に関係する著作、松田道雄『育児の百科』、斉藤公子の著作、南郷学派の著作(『育児の認識学』『育児の生理学』『新・頭脳の科学』『看護の生理学』など)を何度も何度も読み返し、子育てに生かしていった。

 その甲斐あってか、1年を迎えた現在、子どもは元気に順調に育っている(ダウン症に関わって権威とされる医師からもそう言われている)。確かに発達上の遅れはあるものの、例えば、おすわりをしておもちゃで遊んだり、遠くにあるおもちゃに興味を示して、ずりばいで移動したりする。こちらが笑いかけると笑い返すし、手を振ると手を振り返す。パチパチ(拍手)をすると、同じようにパチパチ(拍手)をして、大きな笑い声をあげたりする姿が見られている。そんなわが子と一緒に過ごせる毎日がとても幸せである。

 本稿では、こうした過程に至るまでの1年間を振り返りたいと思う。具体的な取り組みとして、「抱っこしながら散歩」「ずりばいを促すための働きかけ」を取り上げるとともに、その過程で親としての認識がどのように変化したのかをまとめたいと思う。
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2017年08月22日

ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う(5/5)

(5)教育の必要性と可能性の論理を学ぶべきである

 本稿は『人間不平等起原論』を取り上げ、それが『学問芸術論』からどのように発展しており、どのような歴史的意義をもっているのか、またそこから学ぶべきものは何か、とりわけ教育学の構築に向けて掬い取るべき論理は何かを明らかにしようとするものです。

 ここでこれまでの流れを振り返ってみましょう。

 最初に、ルソーが自然状態において人間はどのようなものであると説いているのかを確認しました。ルソーは理性に先立つ2つの原理として、安寧と自己保存の欲求(自己愛)、そして、憐れみという内的衝動(憐憫の情)があるのだと説いています。つまり、人間は自分自身を大切にしようとする傾向と、相手を大切にしようとする傾向という2つの対立する傾向をもつ矛盾した存在なのだということでした。そして、これこそ『学問芸術論』で強調されていた良心の声の源泉であるということでした。ただし、このような2つの原理は動物一般に当てはまるものですから、人間のみに当てはまる原理は何かということを見ていきました。これについて、ルソーは人間の行為は本能に基づくのではなく自由行為であること、さらに、自己を改善(完成)する能力があること、この2つを挙げていたのでした。こうした人間観でもって、自然状態では人間は相争う状態にあったというホッブズの主張を批判しているのでした。自然状態では自分の生活を営むために必要な物資はごく限られていたため(それだけ欲求が小さかったため)他者の生活を害することは最も小さかったし、また憐れみの情があるために他者を虐げてまで自らの幸福を追求しようとする気持ちは和らげられたはずだというのでした。

 続いて、このような自然状態の人間がどのようにして変質していったのかを見てきました。自然状態においては個々人がバラバラで生活していたけれども、共同利害に基づいて集合する中で、他者に認められたいという欲求(自尊心)が新たに生まれるようになったということでした。次いで、冶金や農業が行われるようになり、その社会の中での私有が認められるようになると、自然的素質に恵まれたものがより多くの財産を獲得するようになり不平等が成立したのでした。そこから次第に、他人を見下ろしたい(=他者から大きな尊敬を受けたい)という欲求が生まれ、必要以上に財産を増やそうとするようになった、また財産や財産を獲得するための自然的素質をもっているふりをするようになったのだということでした。つまりは、欲求の拡大の中で存在と外観のズレが生まれたのだということでした。そもそも存在(本質)と外観(現象)のズレということは、上流階級のあり方としてルソーが『学問芸術論』で批判していたものでしたが、そのようなあり方がどのようにして生まれてきたのかという問題意識がここに明確に現れているということでした。

 最後に、富者と貧者が生まれた後、社会や法律がどのようにして成立したのかという点についてルソーの見解を見てきました。他人を見下ろしたいという欲求から、必要以上に財産を増やそうという欲求は所有する土地の拡大を伴うものであったため、やがて他者の土地とぶつかることになったのでした。そうすると、貧者は生きていくために富者に従うか、あるいは富者から奪うかをしなければならなくなり、一方、富者は、支配することを体験すると、その快楽からより隣人たちを征服し、隷属させようとしたために、無秩序な戦闘状態が生まれたのだということでした。このような戦闘状態は、富者にとって大きな負担となるものであったこと、また、自分たちの財産は力によって獲得されたものである以上、力によって剥奪されても文句を言うことはできなかったということ、この2つの理由から、富者は「もっともらしい理由」をつけて自らの支配を正当化し、団結を促して、戦闘状態を食い止めようとしたのだ、これが社会や法律の起原なのだということでした。一方で、貧者も仲裁者や主人なしには自分の自由を確保できなかったため、この呼びかけに応じたのであり、あくまでも自分の自由の確保のために社会や法律の成立を認めたのだということでした。この点こそ、ルソーが最も強調したところであることを確認しました。

 ここまでルソーが『人間不平等起原論』でどのようなことを説いているのかを見てきました。『学問芸術論』からの発展ということで言えば、社会的に認められたいという欲求に従うのではなく、自らの良心の声に従って生きるべきだという主張が「自由」という概念で把握された点が挙げられるでしょう。ルソーは当時の上流階級のあり方に対するアンチテーゼとして、人間のあるべき姿、人間の本質を「自由」という形で把握することになったのです。そして、この自由の実現という観点から社会や法律の成立の意味を説こうとしたことは、自らの人間一般論で人間の歴史に筋を通そうとしたものであり、非常に学問的なアタマの働かせ方であったと言えるでしょう。

 このような把握が後にヘーゲルへと受け継がれていくことになります。ヘーゲルはこの世界の歴史を絶対精神の自己運動の過程として捉え、その中でも人間の歴史を(絶対精神の本質である)自由が実現されていく過程として捉えたのですが、そのベースとなる「人間は自由である」という人間観はまさにルソーから受け継いだものだと言えるでしょう(注)。

 また、その中身に目を向けると、欲求の拡大という視点で人間の歴史を把握しようとしている点が注目に値すると言えるでしょう。自然状態においてはごく限られた欲求しかなかったため、自己の生活の維持が他者の生活を脅かすようなことはなかったのですが、他者との関わりが生じてきて自らの生活のあり方が変化するに伴って、その欲求が徐々に拡大していったのだとルソーは説いています。ルソーはこのような欲求をマイナスとして捉えているようにも感じられますが、これはもう少し抽象化して捉えるならば、生活の変化とそれに伴う社会的認識の変化・発展に目を向けているということです。このように、ルソーの指摘は社会的認識の変化・発展として捉える南郷学派の歴史観につながるものだと言えるでしょう。

 このように、人間の歴史の見方について、その後のヘーゲルや南郷学派の主張につながる基本的な枠組みを提示したものがこの『人間不平等起原論』だと言えるでしょう。

 もっともそこには限界も存在しています。例えば、ルソーは人間には自己保存の欲求と憐れみの情があると主張していますが、なぜこのような相対立する傾向をもつのかは明らかにされていません。これがあることが前提として議論が進んでいます。「自然状態における人間は、…たとえ親子であっても一緒に生活することはなかったのだ」ともありますが、本当にそう言えるのかも疑問に感じるところです。また、なぜ人間だけが本能による支配を受けず自由なのかという点についても説かれていません。ここを説くためには、そもそも生命体がどのようにして誕生したのか、またその生命体はどのような過程を経て人間へと至ったのかを解明することが必要になります。進化論がまだ唱えられていなかった時代において、ルソーがその解明にまで至らなかったのは当然だと言えるでしょう。この点については、すでに『看護のための「いのちの歴史」の物語』が発刊されている現代において、筆者自身が取り組んでいかなければならないものだと考えています。

 では、教育学の構築に向けては、『人間不平等起原論』からどのような論理を掬い取るべきなのでしょうか。端的に言えば、教育の必要性と可能性についての論理をここでしっかり把握しておくべきだと言えるでしょう。

 ルソーは人間は本能に従うのではなく自由な存在なのだと主張していました。予め定められた本能に従うのではなく自由であるからこそ、人間は外界の変化に対応する形で自らをより発展させていくことができるわけです。このように人間には自らを改善する能力があるということもルソーが掲げた人間観の1つでした。自らを改善する能力があるからこそ、人類というレベルで捉えるならば、歴史を形成することが可能になるわけです。つまり、時代が経つにつれて、どんどん文化遺産を積み上げていくということです。したがって、新しい時代に生きる人間に対しては、その文化遺産を継承させる必要が生まれてきます。そうでなければ、歴史を前に推しすすめていくことができません。ここに教育の必要性が生じてくるのです。

 一方、教育の可能性とはどういうことでしょうか。人間は自らを改善していく能力があるということを、個の人間に着目して捉えるならば、どんどん成長していく可能性をもっているということです。このような可能性をもった存在であるからこそ、教育が成立しうるのだということです。これが教育の可能性ということです。

 このように、教育の必要性と可能性についての基本的な論理(人間観)を提示したことが教育学の観点からは評価することができるでしょう。筆者自身の教育学体系の中にもこのようなルソーの論理をしっかりと取り込んでいきたいと思います。

(注)
もっともルソーとヘーゲルにはその自由がどのようにして実現するかという捉え方については、相違点もあります。ヘーゲルはルソーの『人間不平等起原論』の記述を引用して、次のように指摘しています。

「『根本的な課題はこうである。各人の生命と財産を全体的な共同の力で保全し保護するとともに、全体とむすびつく各個人が自分以外のだれにも服従せず、自然状態にあったときとおなじように自由であるような、そういう結合の形式を見出すこと。それが社会契約の解決すべき課題である。』社会契約とはこのような結合のことであり、各人は自分の意思で契約をむすぶことになります。抽象的に表現されるかぎりで、この原理はまことに正当なものです。が、一歩踏みこむと、すぐにあいまいな点が見えてくる。人間が自由である、というのは、いうまでもなく、人間の実体をなす本性であって、その本性は国家のなかで放棄されるどころか、むしろ、国家のなかではじめて現実に形成される。本性上の自由や自由の資質といったものは現実の自由ではなく、国家によってはじめて自由は現実化するのです。」(ヘーゲル、長谷川宏訳『哲学史』(下巻)p.371、河出書房、1993年)

 つまり、ルソーは、人間はもともと自由であり、それが侵されないような国家の在り方を考えなければならないという主張であったのに対して、ヘーゲルは国家の中でこそ人間の自由は実現するのだと主張しているのです。
 このように自由の実現における国家の役割という点については両者の間に相違点がありますが、そもそも人間は自由なのだと捉える点は共通しているといえるでしょう。
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2017年08月21日

ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う(4/5)

(4)ルソーは社会の成立を自由の確保のためだと捉えた

 前回は、社会的な不平等がどのようにして生まれてきたのかについてルソーがどのように説いているのかを見ました。自然状態においてはバラバラに生活していた人間は、共同利害に基づいて社会を形成するようになり、その中で他者に認められたいという欲求が生まれてきたのでした。やがて、冶金や農業が行われるようになると、私有が生まれ、自然的素質のめぐまれたものはより多くの財産を形成するようになり、社会的な不平等が生まれたのだということでした。さらに、他人を見下ろしたい(これは逆に言えば他者から大きな尊敬を受けたいということでもあります)という欲求から、必要以上に財産を増やそうという欲求が生まれてくることとなったのだということです。このような社会では、財産や財産を獲得するための自然的素質をもっているふりをすることが求められるために、実際の自分とはちがったふうに見せるようになったのだということでした。このような把握の背後には、当時の上流階級のような人間がどのようにして生まれてきたのかという問題意識があるということでした。

 このような富者と貧者が生まれた後、強者と弱者、さらには主人と奴隷という不平等が生まれてきたのだとルソーは説いています。その過程の中で社会や法律が生まれてきたとしているのですが、今回はこの社会や法律がどのようにして生まれてきたのかという点を中心に見ていきたいと思います。

 前回紹介したように、格差の中にあって、人々は他人を見下ろしたいという欲求から、必要以上に財産を増やそうという欲求をもつようになったのでした。これは当然所有する土地の拡大を伴うものですが、やがて他者の土地とぶつかることになります。こうして利害の対立が生まれ、無秩序な戦闘状態が生まれたのだとルソーは説いています。

「相続財産が数においても範囲においても増大して地面全体を蔽い、すべてがたがいに接触するほどになったとき、ある者は他の者を犠牲にしないではもはや拡大することはできなくなってしまった。そして無力なためか、または無頓着なために自分の相続分を手に入れることができなくて相続者の数から漏れた者たちは、周囲では、すべてが変るのに彼らだけはいっこうに変らなかった自分は何も失わないのに貧乏になり、やむをえずその生活の資料を富者の手からもらうか奪うかしなくてはならなかった。そしてそこから人それぞれのさまざまな性格に従って、支配と屈従、あるいは暴力と掠奪が生れはじめた。富める者のほうでも、支配することの快楽さを知るようになると、たちまち他の一切の快楽を軽蔑した。そして新しい奴隷を服従させるために古い奴隷を使い、こうして隣人たちを征服し、隷属させることしか考えなかった。(中略)このようにしてもっとも力の強い者、またはもっとも貧困な者が、その力または欲求を、他人の財産に対する一切の権利―彼らによれば所有権と等価なもの―としたので、平等が破られるとともにそれに続いてもっとも恐ろしい無秩序が到来した。」(pp.102-103)


 つまり、貧者は生きていくために富者に従うか、あるいは富者から奪うかをしなければならなくなったということです。一方、富者は、支配することを体験すると、その快楽からより隣人たちを征服し、隷属させようとしたのだということです。こうして、無秩序な戦闘状態が生まれたのだということです。

 このような戦闘状態は、富者にとって大きな負担となるものでした。また、自分たちの財産は力によって獲得されたものである以上、力によって剥奪されても文句を言うことはできない理屈になります。

 そこで、富者は戦闘状態を食い止めるとともに、自らの支配を正当化するために、次のように述べて団結を促したのだとしています。

「弱い者たちを抑圧からまもり、野心家を抑え、そして各人に属するものの所有を各人に保証するために団結しよう。正義と平和の規則を設定しよう。それは、すべての者が従わなければならず、だれをも特別扱いをせず、そして強い者も弱い者も平等におたがいの義務に従わせることによって、いわば運命の気紛れを償う規則なのだ。要するに、われわれの力をわれわれの不利な方にむけないで、それを一つの最高の権力に集中しよう、賢明な法に則ってわれわれを支配し、その結合体の全員を保護防衛し、共通の敵を斥け、われわれの永遠の和合のなかに維持する権力に。」(pp.105-106)


 このように、富者は「もっともらしい理由」(p.105)を述べて、法を制定し、自らの支配を正当化したのだと主張しています。このようにして社会および法律は成立したのだというのです。

 一方で、貧者も仲裁者や主人なしには自分の自由を確保できなかったため、この呼びかけに応じたのだとしています。この「自分の自由の確保」という点こそ、ルソーが最も強調したところであり、次のように述べています。

「人民たちのほうがまず最初に絶対君主の腕のなかへ無条件に、かつ、永久的に身を投じたとか、共通の安全に備えるために、誇り高く、屈服をよせつけない人々が思いついた最初の手段が、奴隷状態のなかへ飛び込んでゆくことであった、などと信ずることも同じく道理に合った話とはいえまい。(中略)人民たちが首長を自分たちのために設けたのは、自分たちを奴隷とするためではなく、自分たちの自由を守るためであったということは異論のないところであり、またそれは、一切の国法の根本的な格率である。」(p.111)


 このように、社会やその社会の首長はあくまでも人々の自由を守るために創られたものであったということです。しかし、それが専制的な権力へと変化し、主人と奴隷との状態が容認されるに至ったのだ、これが不平等の行き着く先なのだとルソーは主張しているのです。

 前々回で紹介したように、ルソーは人間が他の動物とは異なる点は自由であり、自由こそ人間の本質であると考えたのでした。その人間の歴史において生まれた社会も、あくまでもその自由を確保するためのものとして成立したのだと捉えたのです。このように、社会の成立に対するルソーの把握には自らの人間観が貫かれているのだと言えるでしょう。
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2017年08月20日

ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う(3/5)

(3)ルソーは欲求の拡大の中で人間は本当の自分とは違ったふうに見せるようになったと説いた

 前回はルソーが人間をどのような存在として捉えたのかを見てきました。端的には、他の動物との共通性として自己保存の欲求と憐憫の情をもった存在であり、また人間としての特殊性としては予め定められた本能ではなく自らの意志に従って行動すること(自由)、したがって個としても人類としても自己を改善していく能力があるのだということでした。このような人間観に基づいて、自然状態における人間は争いが絶えない状態であったと主張するホッブズを批判していたのでした。

 自然状態において社会的および政治的不平等はほとんどなかったとルソーは主張しています。では、どのような過程を経てこの不平等が生まれてきたのでしょうか。今回はこの点についてルソーがどのように説いているのかを見ていきましょう。

 自然状態における人間は、個々が自己保存の感情に基づいて行動するだけであり、たとえ親子であっても一緒に生活することはなかったのだとルソーは説いています。生活の中では同じ果実を食って生きようとした動物との競争があったり、自分自身の命を奪おうとする凶暴な動物がいたりして、人間はそうした困難を乗り越えていかなければなりませんでした。その結果、動物を罠にかけたりする方法を学び、人間は他の動物に対する優越性を自覚するようになっていきます。つまり、自分たちは他の動物たちよりも優れているのだと考えるようになったのだということです。これが個人としても第一位を要求する心構えを生んだのだとしています。つまり、同じ人間の中でも自分の方が優れているのだという気持ちをもつことにつながっていったということです。

 人間はもともと他の同胞と交渉をもちませんでしたが、共通の利害関係から同胞の援助を頼らなければならない場合が出てきました。こうしたつながりは当初、その利害が存在する間の一時的なものにすぎませんでした。

 やがて固定した住居が作られ、家族が形成されるようになると、夫婦愛や父性愛が生まれるなど、心情の最初の発達がなされたのでした。こうした相互の愛着に基づく1つの小さな社会が形成されたのです。女性達は家と子どもを守る事に専念し、男性はみんなの生活資料を探しに行くという社会的分業が成立すると、生活を維持する労力が減ったため、これまでより多くの余暇をもつことができるようになりました。

 しかし、こうした生活によって、人々は以前に比べて身体と精神が柔弱になり、以前ほど野獣と戦うのに適しなくなっていきます。そこで、人々は野獣に抵抗するために集合することを覚えたのだというのです。たえず隣りあっているそれぞれちがった家族の間に結びつきが生まれたのです。

 人々は小屋の前や大木のまわりに集まり、(恋愛と余暇の結果生まれた)歌謡と舞踊を楽しむようになります。そして、その中で最も上手く歌ったり踊ったりする者、あるいはもっとも美しい者などが尊敬を受けるようになります。こうして公の尊敬を受けることが1つの価値をもつようになり、各人は他人に注目し、自分も注目されたいと思うようになります(自尊心の成立)。逆に軽蔑に対しては猛烈な復讐をするようになりました。これが多くの未開民族が到達していた段階だとルソーは説いています。この時期は以前よりも我慢力が弱くなり、自然の憐れみの情はすでに多少の変質を蒙っていたけれども、原始状態ののんきさと現在の我々の自尊心の手に負えない活動とのちょうど中間に位して、もっとも幸福な時期だったとしています。

 しかし、冶金と農業が行われるようになると、この状態が大きく変化したとルソーは述べています。特に農業に関して見てみると、まず土地の耕作から土地の分配が起こると、その土地で耕作したものに関しては耕作した者の私有になることが認められるようになりました。その結果、もっとも強い者はより多くの仕事をし、もっとも器用な者は、自分の仕事をより巧みに利用し、もっとも利口な者は労働を省く手段を発見するようになり、同じように働きながらも、ある者は実入りが多いのに、他の者はかろうじて生きるという状態が生まれることになりました。ここでは自尊心(利己心)が利害に目覚め、本当の必要からではなくむしろ他人を見下ろしたいために自分の不十分な財産を増やそうとすることとなったのだというのです。

 このような状況では、財産や財産を生み出すことにつながる体力、器用さなどの素質が人々の尊敬を引き寄せることのできるものであったため、それをもっていることや、それをもっているふりをすることが求められるようになります。つまり、自分の利益のために、実際の自分とはちがったふうに見せることが必要となるのであり、こうして「有ること(存在)と見えること(外観)がまったくちがったものになった」(p.101)のだとルソーは説いています。つまり、本当の自分とは違ったふうに見せるようになったということです。

 以上の過程を簡単にまとめるならば、まず当初は個々人がバラバラで生活していたけれども、共同利害に基づいて集合する中で、他者に認められたいという欲求が生まれるようになったということです。次いで、農業が行われるようになり、その社会の中での私有が認められるようになると、自然的素質に恵まれたものがより多くの財産を獲得するようになり不平等が成立したということです。そこから次第に、他人を見下ろしたい(これは逆に言えば他者から大きな尊敬を受けたいということでもあります)という欲求が生まれ、必要以上に財産を増やそうとするようになったのだということです。また、財産や財産を獲得するための自然的素質をもっているふりをするようになったのだということです。つまりは、欲求の拡大の中で人間は本当の自分とは違ったふうに見せるようになった(存在と外観がちがったものになった)のだということになるでしょう。

 
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2017年08月19日

ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う(2/5)

(2)ルソーは人間は自由であり自己を改善する能力をもつと捉えた

 本稿は『人間不平等起原論』を取り上げ、それが『学問芸術論』からどのような発展があり、どのような歴史的意義をもつのか、またそこから学ぶべきものは何か、とりわけ教育学の構築に向けて掬い取るべき論理は何かを明らかにしようとするものです。

 『人間不平等起原論』の正式なタイトルは「人間の間の不平等の起源と基盤についての論文」でした。この問いの背後には、もともとは人々の間には不平等がなかったのに、それが徐々に徐々に現れてきたという認識が伺えますし、実際、ルソーもそのような説き方をしています。ルソーは不平等を自然的または身体的不平等と、社会的あるいは政治的不平等とに分けているのですが、原始状態(ルソーはこれを自然状態と呼んでいます)においては存在しなかった社会的あるいは政治的不平等が、どのような過程を経て誕生してきたのかという流れで説明しています。

 今回は、社会的あるいは政治的不平等が生まれてくる以前の自然状態において、人間はどのようなものであったと説かれているのかを見ていきたいと思います。

 ルソーは序文の最後において次のように述べています。

「人間の魂の最初のもっとも単純なはたらきについて省察してみると、私はそこに理性に先立つ二つの原理が認められるように思う。その一つはわれわれの安寧と自己保存とについて、熱烈な関心をわれわれにもたせるものであり、もう一つはあらゆる感性的存在、主としてわれわれの同胞が滅び、または苦しむのを見る事に、自然な嫌悪を起させるものである。じつは、このほかに社交性の原理などをもってくる必要は少しもなく、右の二つの原理を、われわれの精神が協力させたり、組み合わせたり、できることから、自然法のすべての規則が生じてくるように思われる。」(p.31)


 ここでルソーは理性に先立つ2つの原理として、安寧と自己保存の欲求(自己愛)、そして、憐れみという内的衝動(憐憫の情)があるのだと説いています。少し言葉を変えるならば、自分自身を大切にしようとする傾向があるとともに、相手を大切にしようとする傾向があるのだと言えるでしょう。このように、人間は2つの対立する傾向が統一された存在なのだと説いているのです。これは非常に弁証法的な見方だと言えるでしょう(この憐憫の情に関しては、その後のスミスの「共感の原理」ともつながりをもっていると思われます)。

 また、『学問芸術論』では、社会で認められたいという欲求に従うのではなく、自らの良心に従って行動すべきだと説いていましたが、その良心とは一体何のことを指すのか、どこにその源泉があるのかは明らかにされていませんでした。しかし、このように人間の魂がもつ2つの原理を掲げることで、良心の声が生まれてくる源泉を明らかにしたのだとも言えるでしょう。

 しかし、このような2つの原理は必ずしも人間のみに当てはまるものではなく、他の動物も持ちうるものだとルソーは言います。つまり、人間の特殊性を捉えたものないということです。では、ルソーは人間と他の動物との違いをどのように捉えているのでしょうか。これについては、次のように述べています。

「私はどんな動物のなかにも精巧な機械しか見ない。すなわちこの機械は自分で自分のねじをまくように、またこれを壊したり狂わしたりしそうなあらゆるものからある点まで身を守るために、自然から感覚というものを授かっている。私は人間機械のなかにも確かに同じものを認める。ただ、禽獣の行動においては自然だけがすべてを行なうのに対して、人間は自由な能因として自然の行動に協力するという点がちがっている。一方は本能によって、他方は自由行為によって、択んだり斥けたりする。」(pp.51-52)


 つまり、動物は本能によって機械のように精密に動くし、人間もそういう側面はあるけれども、人間の場合は自らの意志に基づいて行動するのであり、その意味で人間の行為は自由行為なのだということを説いているのです。『学問芸術論』において、自らの良心の声に従って生きることこそが人間としてのあり方だと捉えられていましたが、そのあり方が「自由」という概念で捉えられるようになったのだと言えるでしょう。

 さらに、人間と他の動物との違いとしてもう1点挙げています。

「もう一つ、両者を区別して、なんらの異議もありえない、きわめて特殊な特質が存在する。それは自己を改善(完成)する能力である。すなわち、周囲の事情に助けられて、すべての他の能力をつぎつぎに発展させ、われわれのあいだでは種にもまた個体にも存在するあの能力である。これに対して、動物は数ヶ月の後には一生涯そのままであるようなものになり、またはその種は千年たってもその千年の最初の年にそうであったままで変らない。」(p.53)


 つまり、人間は自己を改善(完成)する能力があるけれども、他の動物にはそれがなく、個体としても種としてもいつまでも変わらないということです。

 これは結局、第一の違いとつながるものだと言えるでしょう。人間以外の動物は本能という決められたプログラムに従って動くだけであり、このプログラムそのものが変わることはありません。だからそこに発展性はありません。しかし、人間は自らの意志に基づいて自由に行動するのであるから、その意志が発展すれば、自らのあり方も発展するし、人類全体としても発展していくことになるのです。

 以上の人間観でもって、自然状態における人間のあり方についてルソーはホッブズの見解を批判しています。ホッブズは自然状態においては、人々は自らの生活を維持するために、互いに相争う状態になるのだと主張していました(万人の万人に対する闘争)。しかし、人間の本質を踏まえれば、そんなことはあり得ないとルソーは主張するのです。

 第一に、人間の欲求(意志)が次第に発展していくものであるならば、自然状態における欲求は非常に小さなものだということになります。したがって、自分の生活を営むために必要な物資はごく限られたものでよく、それが他者の生活を害することはほとんどないというのです。「自然状態とはわれわれの自己保存のための配慮が他人の保存にとってもっとも害の少い状態なのだから、この状態は従ってもっとも平和に適し、人類にもっともふさわしいものであった」(p.70)と書いています。

 第二に、人間には憐れみの情があるということです。人間は同胞を苦しむのを見ることを嫌うのであり、この憐れみの情によって、自らの幸福を追求しようという熱情が緩和されるのだということです。だから、争いも極力避けられたはずだというのです。

 以上が自然状態における人間のありかたについてのルソーの見解です。このような自然状態の人間がどのように変質していくと考えているのかを次回から見ていきたいと思います。
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2017年08月18日

ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う(1/5)

○目次
(1)ルソー『人間不平等起原論』から何を学ぶべきか
(2)ルソーは人間は自由であり自己を改善する能力をもつと捉えた
(3)ルソーは欲求の拡大の中で人間は本当の自分とは違ったふうに見せるようになったと説いた
(4)ルソーは社会の成立を自由の確保のためだと捉えた
(5)教育の必要性と可能性の論理を学ぶべきである
―――――――――――――――――――――――――
(1)ルソー『人間不平等起原論』から何を学ぶべきか

 筆者は今年、ルソーの代表的な著作である『学問芸術論』『人間不平等起原論』『社会契約論』を読み進めていくことを課題としています。

 このようにルソーを扱うことを決めたのは、教育学の歴史において、ルソーが非常に重要な位置を占めていることが明らかになったからでした。ルソーは紳士と貧民という経済的な差異にとらわれることなく、つまり現象にまどわされることなく、その本質においては誰もが人間として同じであると主張したのでした。そして、どのような社会でも生きていけるように教育しなければならないとし、そのために主体的な人間であることが必要だと主張したのでした。このようなルソーの人間観・教育観が後世に引き継がれ、すべての人間に対して同じように教育を行う近代の義務教育制度が成立することとなります。このように、ルソーは教育学の歴史において1つの結節点となった存在なのです。

 したがって、教育学を志す者としては、ルソーの教育思想をしっかり理解することは必須の作業だと言えます。ただし、そもそもルソーは社会思想家とされる人物であり、社会全体の在り方を論じる中で教育についても言及しているわけですから、ルソーの思想全体を把握しておく必要があります。そこで、ルソーの代表的な著作を読み進めていこうとしたのでした。

 今年の3月には『学問芸術論』を扱いました。そこでは、ルソーの問題意識、ルソーの見方・考え方の特徴、ルソーの道徳観という3つの観点から中身を見ていきました。その内容を簡単に振り返っておきましょう。

 そもそもルソーは、聖職者や貴族が優雅に生活をする一方で、第三身分の人々が苦しむという社会格差に対して激しい憤りを感じていたということでした。平民たちの犠牲の上に上流階級の人間が学問や芸術を楽しんでいるということ、その貴族達が楽しんでいる学問や芸術は現実の社会の矛盾の解決には役だっておらず、上流階級の人間が互いに褒めあったり自慢し合ったりするだけの道具になっているということ、そういう現状に対して怒りを抱いていたのでした。このような社会の不平等を何とかしたいということがルソーの根本的な問題意識なのでした。

 そして、ルソーは上流階級の人間に対して「着飾っているだけ」「見せかけだけ」といった批判を行っていたのでした。つまり、現象としては立派だけれども、本質においては非常に貧しいのだということでした。このように現象と本質を区別すること、行動とその背後にある認識を区別して捉えることが対立物の統一であり、弁証法的なアタマの働かせ方なのだということでした。

 上流階級がなぜこうなってしまうのかと言えば、結局、社会の常識や価値観に従って、社会で認められたいという欲求にとらわれてしまうからだということでした。そうではなくて、自分が何をすべきか、どうすべきかということについて、自らの良心が教えてくれるのだから、その良心の声に従って生きるべきだと主張したのだということでした。このようなあり方は、他者からの評価を第一に考えるロックの道徳思想への批判としての意味をもつということでした。そして、ルソー自身も、自らの良心の声に従って、「学問や芸術は人間の習俗を堕落させた」という当時としては異端の説を唱えたのだということでした。

 このように振り返ってみると、『学問芸術論』は良くも悪くもルソーの問題意識がそのままストレートに出ている著作だと言えるでしょう。つまり、「こうあるべきだ!」というルソーの主張(結論)が感情的に打ち出されているということです。したがって、この主張を理論的に裏付けていく作業が必要になります。その作業に取り組んだ結果の1つが『人間不平等起原論』です。

 『人間不平等起原論』も、『学問芸術論』と同様、アカデミーの公募論文に応募してルソーが執筆したものです。正式なタイトルは「人間の間の不平等の起源と基盤についての論文」です。ちなみに、この論文は残念ながら落選してしまいます。この時に一位に選ばれたのはアベ・タルベールという人物の論文であり、この人物は前回の『学問芸術論』のときにも応募していて、次席となった宿命的な競争者でした。落選後、ルソーはこの論文を、祖国ジュネーブ共和国への長い献辞を据えて出版することになったのでした。

 『人間不平等起原論』はその比較的長い献辞のあと、短い序文、ほぼ同じ長さの二部に分かれた本論と、かなりの量にのぼる原注から構成されています。本論では第一部で自然状態の人間はどのようなものであったかを説き、第二部ではその自然状態から不平等がどのようにして生まれてきたかが説かれています。

 本稿ではその内容を見ていきながら、『学問芸術論』の頃に比べてどのような発展があり、どのような歴史的意義があるのか、またここから我々は何を学ぶべきなのか、とりわけ教育学の構築に向けて掬い取るべき論理は何かということを明らかにしていきたいと思います(なお、本稿で引用するものは本田喜代治・平岡昇訳『人間不平等起原論』(岩波文庫)です)。
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2017年06月25日

教育の政治的中立性を問う(5/5)

(5)弁証法的なアタマづくりこそが求められている

 本稿は、政治的な問題が多数生まれている現代において、こうした政治的な問題を学校現場でどのように扱えばよいのかについて、そもそも教育の政治的中立性とは何かということを踏まえながら検討していこうとするものです。

 ここでこれまでの流れを振り返っておきましょう。

 まず、そもそも教育の政治的中立性とはどういうことかを検討しました。そもそも教育とは社会の維持・発展のための社会的個人としての人間を育てることであり、その社会の一員としてしっかり生きていける人間を育てることでした。この社会という概念に含まれる最も大きなものは国家であり、それぞれの国家はそこに所属する人間に対して、その国家で生きていけるように教育します。それぞれの国家がそれぞれの国家で生きていけるように教育をするのですから、必ずその国家特有の価値観が教えられることになるのであり、純粋な中立性というものは存在しないのでした。一方、政治的中立性とは政治的な問題に関して中立であるということであり、これが成り立つためには、政治的な問題に対して、Aという見解が存在する一方で、そのアンチテーゼとしてBという見解が存在しており、両者がしっかりと並び立っていることが必要だということでした。これが可能な社会というのは民主主義社会であり、民主主義社会で生きていく人間としては、一方の見解を鵜呑みにするのではなく、両方の見解を視野に入れた上で、自らの立場を決定することが求められるのであり、だからこそ教育の政治的中立性ということが問われるのだということでした。

 続いて、本格的な政治教育、つまり、政治的な問題に関して両方の見解を視野に入れた上で、自分の立場を決定できるようにする教育はいつ頃から始めるのがよいのかという問題について検討しました。結論的には中学生の時期から始めるのが妥当であり、それは思春期が関わっているということでした。そもそも思春期とは、認識と実体とが相互浸透的な過激的変化をとげながら、大人へ向けて急速に成長していく時期でした。この時期になると、論理能力が向上し、自分自身が正しいとする価値観に基づいて考えられるようになってくるということでした。そもそも国家レベルの政治的な問題を扱う場合、日常生活レベルの体験・経験を超えて考える力が必要になりますし、どちらが正しいかについて本当の意味で自分の立場で決定するためには、教師の見解にとらわれない必要があります。そのような条件を満たすのが思春期を迎えた中学生からなのだということでした。

 最後に、どのような形で教育していけばよいのかを検討しました。まず前提となるのは、「一般的に2つの対立する立場が存在する」ということを体験としてわからせることであり、子ども同士のトラブルや、学級会の話し合いで自分とは異なる見解とその背後にある考え方を理解させることが必要になるということでした。とりわけ学級会は、子どもにとっての社会である学級の維持・発展に関わる問題を議論する場であり、国家レベルの政治的な問題を扱うための土台となるものだということを指摘しました。その上で、国家レベルの政治的な問題を扱う場合でも、賛成・反対両方の立場の見解を理解できるようにすること、とりわけ自分の考えとは違う立場に立って議論をするディベートの形態が有効だということを主張しました。

 以上を簡単にまとめるならば、教育の政治的中立性が問われるのは、政治的な問題に関わって異なる2つの見解の両方を視野に入れた上で自分の立場を決定できるようにすることが目標とされるからであり、そのような人間を育てるためには、自分の身近な問題を題材として自分とは異なった見解が存在することを体験としてわからせること、そうした土台の上で政治的な問題を題材として討論する過程が必要だということです。このようにして、弁証法的なアタマを創ることが求められているのだと言えるでしょう。

 南郷先生は自らが古代ギリシャの弁証法(旧弁証法)の実力をどうやって身につけたかということに関わって、小学・中学時代の思い出を次のように語っておられます。

「小学時代でも多分にそうであったが、中学時代の私は、友人と呼べる関係を持った同級生はほとんどいなかったといってよい。
 私が会話する相手は、毎日といってよいくらいにイジメの真っ只中で生きていた小学時代は学校の中にだけ私をかばってくれる友が僅かにいただけであり、イジメとはまったく無縁の意気軒昂的人生の真っ只中の中学時代は学校の中と通学列車の中での一〜二人くらいの友がいただけであった。それだけにこの時代は駅から降りて自宅まで、また自宅から駅までの三十分もの時間はたった一人の私自身の頭脳を創出する時間であった。
 このたった一人の時間を私は、それこそ、何年にもわたって自分一人で二重性を把持しての闘論をなしつづけていったことである。(中略)
 その内実は、駅を出てほんの数分もすれば、説いたように、わが家まではたった一人の帰り道となる。それで、ただちに自分を二人に分けて(当然ながら観念的二重化そのものである)、自分Aと友人Bとして、何ごとかを問わず、必ず問題化してしまうのである。Aがあることを問題化して「○○である」との解答を出せば、Bはただちに「それは絶対に○○ではない。なぜなら真の解答は××なのだから」と反駁するのである。
 そうすれば、Aはまたただちに「○○」であることの証明をする。それに対してBはこれまた即座に「いや、やはり○○ではなく××なのだ」と、考えつくかぎりの論の展開をなす…といった具合に、である。」(日本弁証法論理学研究会編『学城(11号)』2014年、p.189)


 つまり、アタマの中に自分と友人という異なる2人を創りだし、問題に関して闘論していたということです。このような過程を積み重ねていたからこそ、旧弁証法の実力が身についたということです。まさにこのような過程を辿らせる必要があるのです。

 しかし、南郷先生のように、いきなり自分のアタマの中に観念的な論争相手を創出することは難しいですから、現実的な論争相手を設定する必要があります。その論争相手との討論(闘論)を繰り返す中で、徐々に自分のアタマの中に論争相手を想定できるようになり(例えば「こう言ったら、こんなふうに反論してくるな」ということが予想できるようになる)、異なる見解をしっかり自分の視野に入れることができるようになるのです。
 このように見てくると、冒頭で掲げた塚本幼稚園のような教育のあり方は、大きな問題だと言えるでしょう。幼稚園児に安保法制など中身がわかるはずはありませんし、当然その是非を判断する力もありません。それにも関わらず「安保法制通過、よかったです」と言うのは、幼稚園の指導者がそう言っているからにすぎないのであり、結局、1つの政治的主張を絶対的に正しいと教えるものでしかありません。これは教育の政治的中立性が問われている民主主義国家の日本には全くそぐわないものだと言えます。

 それにも関わらず、そのことをまともに指摘しない安倍政権も同じように問題視されるべきでしょう。結局彼らは、政治的中立性という理念に基づいてその是非を論じているのではなく、自らの政治的主張に合致するかどうかという観点で是非を論じているにすぎないのだと言えます。だからこそ、「安保法制を廃止にすべき」という主張は密告フォームという形で大きく問題視するのに対して、「安保法制通過、よかったです」という主張については言及を避けるという態度になるのです。

 そもそも古代ギリシャにおいて弁証法(対話)が始まったのは、ソクラテスから「統治者たる賢人の“考え”に対して、“教え”に対して、これまでは絶対レベルで服従するのが当然の社会であったのが、そこに『え?なぜだ』『なぜそうなるのか?』『そうではないはずだ……』と疑問を呈し始め」(悠季真理『哲学・論理学研究』現代社、2015年、p.170)るようになったからでした。統治者の考えに疑問を抱き、異論をぶつけるというところから弁証法が始まったのです。

 弁証法的なアタマづくりといったときには、この原点を忘れてはなりません。統治者の考えが本当に社会全体のことを考えたものなのかどうかを判断し、時には異論を投げかけ、自分たちでよりよい社会を創っていこうとすること、そのためにこそ弁証法的なアタマづくりが求められるのであり、そのような国民を育成できてこそ真の民主主義国家だと言えるのです。このような国民の育成の実現を目指して、今後も自らの研鑽を進めていきたいと思います。
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2017年06月24日

教育の政治的中立性を問う(4/5)

(4)両者の立場を俯瞰させる教育が求められる

 前回は、本格的な政治教育はいつから始めるのがよいのかという点について検討しました。そもそも国家レベルの政治的な問題を把握するためにはそれなりに論理能力が必要であること、また、政治的な問題の場合、教師の立場も出てしまい、思春期を迎える以前の小学生では教師の見解が絶対になってしまって、本当に意味で自分の立場を決定することはできないこと、この2つの理由により、中学生から始めるのが妥当であるということでした。

 では、政治的な問題に関して両方の見解を視野に入れた上で、自分の立場を決定できるようにするためには、どのような教育が必要になるのでしょうか。今回はこの点について検討してみたいと思います。

 まず前提となるのは、「一般的に2つの対立する立場が存在する」ということを体験としてわからせることです。自分は自分なりの理屈で考えたり行動したりしているけれども、相手も相手なりの理屈で考えたり行動したりしているのだということをわからせることです。

 以前、私が担任している4年生のクラスで、このようなトラブルがありました。給食の準備が終わった後、1人の女の子(Aさん)が泣いているのです。Aさんは給食当番でスープを入れる担当で、B君と一緒に盛りつけをしていました。話を聞いてみると、「スープに入っていた肉団子、みんな1個ずつ入れるようにしようと言っているのに、B君が『先生のは2つにする』って勝手に決めて2つ入れた」ということでした。B君に話を聞くと、「だって先生は大人だし、たくさん食べるから」ということでした。Aさんは平等という価値観に基づいて考えています。それに対して、B君は、子どもと大人という違いに着目して行動をしたわけです。どちらもそれなりの理屈があるわけです。このトラブルに関しては、それぞれに理屈があったことを確認させた上で、お互いが納得して決めるようにすること、どうしても決められなければ、別にどちらでもいいのだからじゃんけんでもして決めるようにすることを伝えました。

 また、私が担任しているクラスでは定期的にお楽しみ会をしていて、どんな遊びをするか計画しているのですが、その中で「ハンカチ落とし」をするかどうかをめぐって、次のようなやりとりがありました。

「ハンカチ落としに反対です。仲のいい人同士でやって、回ってこない人がいたりするからです。」
「その意見に反論します。それはルールを決めればいいんじゃないですか。例えば、男は女に落として、女は男に落とすというふうにすればどうですか。」
「それでもまわってこない人がいると思います。」
「いくつかのグループに分けてやったらどうですか。」
「お楽しみ会はみんなの仲がよくなるためにすることだから、グループに分けない方がいいと思います。」
「そもそも見ているだけでも楽しいから、仮に回ってこなくてもいいのではないですか。」


 ここでは、ハンカチ落としに反対の立場の子どもは「全員に回ってこない。回ってこないと楽しくない」という考えに基づいて発言しています。一方、賛成の立場の子どもは「ルールを決めればいいし、仮に回ってこなくても楽しい」という考えに基づいて発言しています。どちらも一理あるものだと言えるでしょう。
 そもそも子どもにとっては学級こそ自分が生きている社会であり、お楽しみ会でどんな遊びをするかということは、その学級という小社会の維持・発展に関わる政治的な問題であるわけです。したがって、このように学級会で議論をするという経験は、国家レベルの政治的な問題を扱う上で土台になるものだと言えるでしょう。

 このような体験・経験をとおして、「自分とは違う考え方があるし、それはそれで一理あるのだ。だから両方の見解を踏まえた上でどうするか(どうすればよかったか)を考えていかないといけないのだ」ということをわからせることが、本格的な政治教育を行う上で前提になります。そうでなければ、自分の見解が正しいと主張するばかりになってしまうからです。

 中学生以降で(国家レベルの)政治的な問題を扱う場合でも、同じような形で教育していくことが求められるでしょう。お楽しみ会の遊びなどに比べると、非常に抽象的で実感の湧きにくいものですから、基礎的・基本的なことはしっかりと教えた上で、賛成の立場、反対の立場、両方の見解をぶつけあって、それぞれに根拠があるということを理解させることが必要になります。

 ただし、自分が正しいと思う立場に立って考えると、どうしても感情が入ってしまって、自分と反対の見解を冷静に受け入れられないという側面が出てきます。そこで、ディベートのように、自分の考えとは反対の立場に立って、その立場で議論をしてみるということ、例えば、自分がある問題に対して賛成の立場なら、反対の立場に立って賛成の立場を批判してみるという経験も積ませる必要があるでしょう。このような経験があってこそ、対立する2つの立場を俯瞰的に眺めることができるようになるのです。

 以上をまとめるならば、まずは対立する2つの見解、自分とは違う見解が存在するということをわからせること、そして子どもがイメージしやすい学級という小社会の維持・発展に関わる問題で議論をする経験を積むこと、その延長線上で国家レベルの政治的な問題を扱うようにすること、その際、一度自分の見解を否定して相手の立場に立ってみる経験を積ませること、このような教育のあり方が求められるということです。
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2017年06月23日

教育の政治的中立性を問う(3/5)

(3)本格的な政治教育は中学生からが妥当である

 前回は、教育の政治的中立性とはどういうことかを確認しました。そもそも教育とは社会で生きていける人間を育てることです。したがって、国家が行う教育は、個人をその国家で生きていけるようにするものでなければなりません。では、どのような国家において教育の政治的中立性が問われるのかと言えば、ある政治的な問題に対して、Aという見解とそのアンチテーゼであるBという見解が並び立っているような社会、つまり民主主義社会においてこそ問われるのだということでした。そのような社会では、両方の見解を視野に入れた上で、自分の立場を決定できる人間が求められるのであり、そのような人間の育成が求められるからこそ、教育の政治的中立性ということが問われるのだということでした。

 今回は、本格的な政治教育、つまり、政治的な問題に関して両方の見解を視野に入れた上で、自分の立場を決定できるようにする教育はいつ頃から始めるのがよいのかという問題について考えてみたいと思います。

 結論から言うならば、これは思春期を迎えた中学生の時期から始めるのが妥当だと言えるでしょう。

 そもそも思春期とはどのような時期だったでしょうか。南郷継正先生は次のように説いておられます。

「中学生(思春期)の五感器官に関わる論理構造は端的には以下のごとくであった。中学生は思春期とあって子供から大人への脱皮期間であり、準備期間である。それだけに、その実体の成長が子供時代と大きく変ってくる面がある。実体的には大人としての体へと変化することであるが、そのことによって、認識と実体とが相互浸透的な過激的変化をとげながらの大人へ向けての成長が、急速的となっていく。」(『武道と認識の理論U』三一書房、1991年、p.195)


「この思春期は大人へなりにいく最初の重大な時期であり、その個としての人間にとっては初体験期であり、かつ、最初にして最後の重大時期である。体が大人になった高校生では、絶対に味わうべくもない思春期である。これは単に、認識の思春期にとどまらず、実体の思春期であり、実体の思春期にとどまらない認識の思春期である。」(『武道と認識の理論V』三一書房、1995年、p.127)


 つまり思春期とは、認識と実体とが相互浸透的な過激的変化をとげながら、大人へ向けて急速に成長していく時期だということです。

 先日、私が勤務している小学校を卒業して、現在中学1年生になっている子どもに出会ったのですが、小学生の頃から大きく変化していることに驚きました。背は伸び、声変わりもし、部活で肌は浅黒くなっており、かわいらしかった小学生時代に比べると、非常にたくましくなった印象を受けたのです。

 また、このような実体の変化のみならず、認識においても変化が起こっていることを感じました。中学校の先生に関わって「数学の先生はわかりやすいけど、理科の先生は何を言っているかわからん」「うちの担任は朝からハイテンションでうっとうしい」「あの先生はみんなから○○ってあだ名で呼ばれてる」などと言っていたのです。小学校においては教師というのは神的な存在であり、その行いに対して疑問を抱くことは基本的にはありません。しかし思春期を迎えた中学生になると、あくまでも自分と同じ人間として捉え、良くも悪くも教師を批判する場面も出てくるようになってくるのです。

 このように教師に対して従順であった小学生は、思春期を迎えると、自分なりの見解を主張するようになってくるのですが、その背後には論理能力が向上しているということが挙げられます。例えば、中学生ぐらいになると「先生はひいきをする」と教師を批判することがありますが、これは「全員に対して平等に接しないといけない」という論理でもって教師の言動を見ることができるようになっているのだと言えるでしょう。教師だから正しいというのではなく、何らかの価値観に照らして正しいかどうかを自分で判断ができるようになっているということです。

 ここまで見てくると、なぜ本格的な政治教育は中学生頃から始めるのがよいのかが見えてくるでしょう。

 第一に、相当な論理能力(抽象能力)が必要になるからです。消費税増税の是非や憲法改正の是非などの政治的な問題というのは国家レベルの問題です。あくまでも自分の日常生活レベルの体験・経験をもとに考える小学生にとっては、切実さを感じにくい問題です。これを小学生で扱うのは無理があると言えるでしょう。このような問題を扱えるだけの論理能力(抽象能力)が育ってくるのはおよそ思春期を迎える頃であるから、中学生から始めるのが望ましいということです。

 第二に、本当の意味で自分の立場を決定するということは中学生でないと難しいからです。小学生の場合、教師は神的な存在として、その言動は絶対的なものだと捉えられます。政治的な問題の場合、教師自身の見解もあり、どうしてもそれが授業に現れてしまいますから、子どもたちは教師自身の立場を敏感に感じとり、それに合わせる形で判断をしてしまいます。子ども自身は、自分で正しいと判断したつもりでしょうが、その「正しい」の根拠は結局「先生がそうだから」ということにしかならないのです。それに比べれば、中学生は教師を同じ人間として相対的に捉えられるようになっていますから、本当の意味で自分の立場を決定することも可能になってきます。

 以上の理由により、本格的な政治教育は中学生からが妥当だと言えるでしょう。
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2017年06月22日

教育の政治的中立性を問う(2/5)

(2)教育の政治的中立性とはどういうことか

 本稿は、政治的な問題が多数生まれている現代において、こうした政治的な問題を学校現場でどのように扱えばよいのかについて、そもそも教育の政治的中立性とは何かということを踏まえながら検討していこうとするものです。

 今回は、そもそも教育の政治的中立性とはどういうことかを考えてみたいと思います。ここには教育と政治的中立性という2つの概念がありますから、1つずつ検討してみましょう。

 まず教育という概念ですが、そもそも教育とは社会の維持・発展のための社会的個人としての人間を育てることです。もう少し簡単に言うならば、その社会の一員としてしっかり生きていける人間を育てることです。例えば、教師として育てるのであれば、学校という小社会で生きていけるようにすることが教育だということです。学校では授業をしないといけないですし、与えられた校務をしっかりとこなさないといけません。また、同僚との関係性もそれなりに良好に保つことが求められます。そうしたことができるだけの人間に育てるということが、教師として教育するということになります。

 この社会という概念に含まれる最も大きなものは国家です。したがって、それぞれの国家はそこに所属する人間に対して、その国家で生きていけるように教育します。例えば日本であれば、日本という国家で生きていけるように子どもたちを教育するのです。箸を使ってご飯を食べられるようにしたり、家では靴を脱ぐようにしたり、日本語を使えるようにしたり、日本の歴史や文化を学ばせたりするわけです。義務教育とは、日本人として生きていけるように教育をするものだと言えるでしょう。

 これが例えば北朝鮮であれば、北朝鮮で生きていけるように教育がなされるわけです。朝鮮語が教えられ、北朝鮮の文化を学ばされます。北朝鮮の場合、もし最高指導者に反抗するようなことがあれば、銃殺されてしまいますから、絶対に服従しなければなりません。したがって、最高指導者は絶対でありそれには従うように教育がなされます。これは善悪の問題ではなく、北朝鮮の教育としてはそうでなければならないということです。

 仮に「イスラム国」のような場合でしたら、まずイスラム教がしっかりと教えられるでしょう。そもそもイスラム教徒でなければ、「イスラム国」では生きていけないからです。また戦闘訓練なども行われることになるでしょう。そのような力がなければ、「イスラム国」の人間としては生きていくことができないからです。

 このように、それぞれの国家がそれぞれの国家で生きていけるように教育をするのです。こうしてみると、必ずその国家特有の価値観が教えられることになるということがわかります。決して、その国家を離れて、世界に共通する普遍的価値のようなものが教えられるわけではないのです。あくまでもその国家で生きていくために、その国家として身につけておいてほしい価値観が教えられるのです。その意味では、教育は中立ではありえません。教育は必ずその国家の立場から行われるのです。

 続いて、政治的中立性という概念について検討してみましょう。

 これは要するに政治的な問題に関して中立であるということになるでしょう。そもそも中立という立場が存在するためには条件があります。中立というのは、文字通り捉えると「何かと何かの中に立つ」ということになります。もう少し論理的に捉えるならば、何かと何かをより高い視点から眺めるということになります。したがって、中立が成り立つためには、その何かと何かが存在していなければなりません。つまり、政治的な問題に対して、Aという見解が存在する一方で、そのアンチテーゼとしてBという見解が存在しており、両者がしっかりと並び立っていることが必要だということです。例えば、消費税の問題に対して、「増税すべきだ」という立場と「減税すべきだ」という立場の両方がしっかりと存在していることが必要だということです。このような状態であるからこそ、中立という立場が存在しうるのです。

 このような立場は、例えば北朝鮮で成り立ちうるでしょうか。北朝鮮では最高指導者の見解こそが絶対であり、それにアンチテーゼを投げかけようものなら、射殺されてしまうことになります。このような社会においては、対立する2つの見解が並び立つことはなく、したがって、教育の政治的中立性ということが問題になることはありません。これは「イスラム国」でも同じことが言えるでしょう。イスラム教の教えを絶対的なものだと考えている国では、それにアンチテーゼを投げかけるようなことは考えられません。

 こうして見てくると、政治的中立性が存在しうる社会というのは、ある見解に対してアンチテーゼを投げかけることが可能な、ある程度成熟した社会であり、具体的に言えば、民主主義社会であるということがわかります。

 対立する見解が並び立つ社会(民主主義社会)において、個々の人間は、一方の見解を鵜呑みにするのではなく、両方の見解を視野に入れた上で、自らの立場を決定することが求められます。したがって、教育もそのような人間を育てるものでなければなりません。一方の見解を押しつけるのではなく、両方を見た上で自分のアタマで判断できるようにするものでなければなりません。このような教育が求められる社会であるからこそ、教育の政治的中立性ということが問われるのだと言えるでしょう。
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2017年06月21日

教育の政治的中立性を問う(1/5)

目次
(1)教育の政治的中立性が問われている
(2)教育の政治的中立性とはどういうことか
(3)本格的な政治教育は中学生からが妥当である
(4)両者の立場を俯瞰させる教育が求められる
(5)弁証法的なアタマづくりこそが求められている
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(1)教育の政治的中立性が問われている

 今年の2月から3月にかけて、森友学園の問題がニュースで大きく取り上げられていました。直接的なきっかけは、瑞穂の国記念小学校(安倍晋三記念小学校)に対して国有地が不当に安く払い下げられていたのではないかという疑惑でしたが、その疑惑について追及される中で、塚本幼稚園での行きすぎた教育の中身も広く知られることとなりました。運動会において幼稚園児が、「安倍首相ガンバレ、安倍首相ガンバレ、安保法制通過、よかったです」と叫ぶ映像は多くの方の記憶に残っているのではないかと思います。

 こうした教育の是非が国会で問われたとき、安倍首相は「適切ではない」としつつも、「教育の詳細については、全く承知をしていない」と述べ、松野文部科学相は、教育基本法で禁じる政治活動にあたるかどうかについて「大阪府が判断することだ」と評価を避けました。

 この問題と合わせて見ておきたいのは、2016年7月に自民党のHPにて設けられていた「学校教育における政治的中立性についての実態調査」というタイトルのページです。すでに削除済みですが、そこでは次のように説明がなされていました。

「党文部科学部会では学校教育における政治的中立性の徹底的な確保等を求める提言を取りまとめ、不偏不党の教育を求めているところですが、教育現場の中には『教育の政治的中立はありえない』、あるいは『子供たちを戦場に送るな』と主張し中立性を逸脱した教育を行う先生方がいることも事実です。
 学校現場における主権者教育が重要な意味を持つ中、偏向した教育が行われることで、生徒の多面的多角的な視点を失わせてしまう恐れがあり、高校等で行われる模擬投票等で意図的に政治色の強い偏向教育を行うことで、特定のイデオロギーに染まった結論が導き出されることをわが党は危惧しております。
 そこで、この度、学校教育における政治的中立性についての実態調査を実施することといたしました。皆さまのご協力をお願いいたします。」


 つまり、教育の政治的中立性を保ち、偏向教育を防ぐために、「教育の政治的中立はありえない」「子供たちを戦場に送るな」などと主張し中立性を逸脱した教育を行う先生がいたら投稿してくださいと呼びかけているのです。これは「密告フォーム」とも呼ばれ、注目を集めました。

 その後、突如このHPは見られなくなり、再度閲覧できるようになったときには、「『子供たちを戦場に送るな』と主張し中立性を逸脱した教育を行う」という文言が「『安保法制は廃止にすべき』と主張し中立性を逸脱した教育を行う」に変更されていたのでした。

 この説明を読む限り、「安保法制を廃止にすべき」という主張を子どもに教えることは、教育の政治的中立性に反するということになります。それならば、「安保法制の通過はよかった」という主張を子どもに教えることも、同じように教育の政治的中立性に反することになるはずです。塚本幼稚園の事例は、この密告フォームの対象となる典型例だと言えるでしょう。

 それにも関わらず、安倍首相や松野文科大臣は自らの明確な回答は避けたのです。これは一体どういうことなのでしょうか。そもそも教育の政治的中立性とはどういうことなのでしょうか。

 教育の政治的中立性の根拠となっている文言は、教育基本法第8条(政治教育)です。

「第8条 (政治教育) 良識ある公民たるに必要な政治的教養は、教育上これを尊重しなければならない。
2 法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない。」


 つまり、特定の政党を支持したり、反対したりするための政治教育を行ってはならないということです。

 近年、日本では政党間で大きく意見が対立する問題が数多く生じてきています。例えば、消費税増税の是非、共謀罪の是非、憲法改正の是非などです。さらには領土問題のように国家間の対立を招いている問題もあります。このように多くの政治的な問題(その社会全体の維持・発展に大きく関わる問題)が生まれている中で、さらに18歳選挙権も導入された現状において、政治的な問題を教育現場でどのように扱うべきかということは大きなテーマとなっていると言えるでしょう。そもそも小学校・中学校・高校のいつ頃からこうした問題を教えるべきなのか、教えるとすればどのような形で教えるべきなのか、教師は自分の立場を表明してもいいのかなど、様々な問題が存在しています。

 そこで本稿では、そもそも教育の政治的中立性とはどういうことかを明らかにするとともに、学校現場で政治的な問題をどのように扱うべきなのか(いつから行うべきなのか、またどのような形態で行うべきなのか)という点について検討していきたいと思います。
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2017年04月27日

小中一貫教育を問う(5/5)

(5)国家の発展のためには個々の人間を市民として育てることが必要である

 義務教育学校が法制化され、小中一貫教育が進められる中で、本稿ではその是非について考えてきました。

 ここでこれまでの流れを振り返ってみましょう。

 第一に、思春期とは何かを踏まえて、そもそもなぜ小学校と中学校という形で学校がわかれているのかを考察しました。そもそも思春期とは子どもから大人へと脱皮していく時期であり、認識に焦点を当てれば、親や教師の指示にただ従う受動的な状態から、自分のアタマを使って考えて行動し始める時期だということでした。したがって、小学校では子どもとして教育するのに対して、中学校では大人の準備としての教育がなされるのであり、その中学校での教育がうまくいくためには、小学校での認識をすべて捨て去らないといけないということでした。そのためには、小学校の環境から大きく切り離して、新たな環境での教育が不可欠になるのであり、これが”change of the place, change of the brain”ということの1つの具体的なあり方だということでした。以上を踏まえると、小中一貫教育で小学校と中学校の建物が併設する場合、中学校に上がっても小学校のときの認識を捨て去ることが困難となり、教育上大きなマイナスになるのだということでした。

 第二に、現在、小中一貫教育が推し進められている理由について、果たしてそれが妥当と言えるものかどうかについて検討しました。とりわけ子どもの発達が早期化しているから5−4制や4−3−2制が導入するという見解について取り上げました。まず小学校と中学校ではそれぞれ教育内容が大きく異なっているのですが、あくまでも小学校での教育が土台として身についていてこそ、中学校での教育を吸収していくことができるのだということを説きました。そしてそのような土台を形成するための内容を6年かけて学ばせることが戦後70年をかけて定まってきているのだということでした。このように6年間の小学校と3年間の中学校という学校制度とともに、それに合わせる形で教育内容も定められているにも関わらず、学校制度のみを動かしたのでは教育内容の区切れとずれてしまうという問題が生じるということでした。例えば5−4制の学校制度に教育内容の区切れを合わせれば、5年間で小学校の内容を消化しないといけないことになり、無理が生じてくるということでした。その他、中一ギャップと言われる問題にしても、大部分の子どもが抱えているというような問題ではない以上、一般性のある問題ととらえるのはおかしいし、その子ども、その学校、その地域の特殊な要因によるものとして改善を図るようにしていかなければならないということでした。

 第三に、なぜ教育上はマイナスだと考えられる小中一貫教育が進められているのかを別の観点から探っていくようにしました。小中一貫教育が推し進められる大きなきっかけになった教育再生実行会議の第5次提言を読み返してみると、少子・高齢化やグローバル化の中で、日本の存在基盤である人材の質と量を確保するために見直す必要があるという枠組みの中で6−3−3−4制の学制の見直しが提言されていたのでした。つまり、高齢者が増えて社会保障費が増えていて、財源が大きく圧迫されているという現状において、少子化によって児童数・生徒数の少ない学校への経済的な支援がこれまでのようにできなくなっているからそこを改めること、もう1つは、世界にシェアをもつような大企業が求めるような人材を育てるための仕組みを整えること、この2つに応えるものとして小中一貫教育が出てきているのだということでした。同じような指摘を山本由美氏も「小中一貫教育の動向 導入のねらいと問題点 どのように取り組んでいけばよいか」において行っていることを踏まえて、小中一貫教育の推進というのは、国家の立場からすれば、結局、過疎地における財政負担を軽減させ、その余った分を都市部における(企業が求める)エリート育成の充実に活用するという構図を合理化するためのものだということを指摘しました。

 以上、小中一貫教育の推進の是非について見てきました。結論を言えば、教育学の観点からすれば非だということになるのですが、一部のエリートを育てるための教育財源を確保するという意図の下で進められているのだということでした。

 その背後には、そうしたエリートが大企業において活躍することが国家の発展につながるのだという考え方があるのだと言えるでしょう。エリートが大企業において活躍するとは、簡単に言えば、新しいアイデアを出して、その企業の利益を生み出すということです。そうした利益が国内に行きわたり、国家全体としての発展につながるということです。

 しかし、果たしてそうなのでしょうか。財務省の法人企業統計によると、企業の内部留保は2016年3月末時点で366兆円となり、安倍政権が発足した2012年2月に比べると、
34%増えていることになります。一方で、2016年1〜3月期に企業が従業員に支払った給与は28兆円であり、これは前年同月比でほぼ横ばい、政権発足時の12年10〜12月期と比べると3%減少しています。つまり、企業の利益は拡大しながらも、それが国家全体に行きわたってはいないということです。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/economics/list/201606/CK2016060502000129.html

 従業員の給料が上昇しないということは、国内消費が伸び悩むということですから、これは結局大企業にとってもプラスにはならないことになります。

 さらに言えば、そもそも経済的な豊かさが、直接に国家としての発展だと言えるのかという問題があります。仮に企業の利益も増加し、労働者の給料も上昇したとしても、例えば長時間働かなければならず、余暇を楽しむ余裕がないような環境であれば、果たしてそれは豊かな生活だと言えるのか、過労死が頻発するような国家が豊かな国家だと言えるのかという問題です。

 本当の国家の発展とは、一定の経済的な豊かさは土台としながらも、個々の人間が個人として尊重され、自分の夢や希望を叶えていけるような国家の実現に向けて、現状の国家が抱えている様々な問題を1つずつ解決していくことだと言えるでしょう。そのためには個々の人間がそれぞれの所属する社会で感じる問題に対して、その解決に向けて取り組んでいくことが求められます。そのような市民として個々の人間を育てることこそ、教育が求められる役割だと言えるでしょう。

 そのような教育を実現する上で羅針盤となる教育学の構築こそが自分が果たすべき課題であることを再確認して、本稿を終えたいと思います。
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2017年04月26日

小中一貫教育を問う(4/5)

(4)小中一貫教育推進の背後には経済的な背景が存在している

 前回は、小中一貫教育を推進する理由について、その妥当性を検討してきました。そもそも小学校と中学校とは学校のみならず教育内容も大きく区切られており、このように学校の在り方に応じる形で教育内容も区分されているからこそ、子どもはしっかりと教育内容を身につけていくことができるのであり、6−3制を単純に動かせばよいという話ではなく、それをやると別の問題が生じてくるということでした。そもそも理由として挙げられている「中一ギャップ」は、その子、その学校、その地域に特殊な問題であるから、学校制度という一般性にメスを入れて解決しようとするのはおかしいと指摘したのでした。

 以上の流れからすれば、小中一貫教育は教育上マイナスであると筆者は考えていますし、問題への対応としてもおかしいものだと思います。しかし、それにも関わらずなぜこれが進められているのでしょうか。今回はその点について考えてみたいと思います。

 小中一貫教育が推し進められる大きなきっかけになったのは、2014年7月3日にだされた教育再生実行会議の第5次提言でした。ここでどのように書かれているのかを改めてみてみたいと思います。

 まず冒頭において、次のように書かれています。

「日本を支え担う人材は、戦後約70年にわたり、6−3−3−4制の学制の下で育成されてきましたが、子供や社会の状況は大きく変化しています。現在の学制の原型が導入された当時と比べて発達の早期化が見られるほか、自己肯定感の低さ、小1プロブレム1、中1ギャップ2などの課題が指摘されています。また、グローバル化への対応やイノベーションの創出を活性化する観点から、英語教育の抜本的充実や理数教育の強化、ICT教育の充実が求められています。さらに、産業構造の変化や技術革新が進む中、質の高い職業人の育成も求められます。

 こうした課題への対応として、現在の学制の枠内で、地方公共団体や大学等における様々な工夫や取組が行われていますが、少子・高齢化やグローバル化への対応は、日本が直面する大きな課題であり、一人一人の能力の伸長と意欲ある全ての人が社会参画できる環境の構築は、国家戦略として取り組む必要があります。今、まさに日本の存立基盤である人材の質と量を将来にわたって充実・確保していくことができるかどうかの岐路に立っており、現在の学制が、これからの日本に見合うものとなっているかを見直すときであると言えます。」


 簡単に言えば、日本を支え担う人材は6−3−3−4制の学制の下で育成されてきたが、少子・高齢化やグローバル化の中で、日本の存在基盤である人材の質と量を確保するために見直す必要があるということです。このように、小中一貫教育は、少子・高齢化とグローバル化という2つに対応するという大きな枠組みの中で位置付けられているわけです。

 少子・高齢化に対応するというのは、要するに限られた財源の使い道を検討しなければならないということになるでしょう。高齢者が増えて社会保障費が増えていて、財源が大きく圧迫されているという現状において、少子化によって児童数・生徒数の少ない学校への経済的な支援がこれまでのようにできなくなっているから、そこを改めなければならないということです。

 実際、「(2)小中一貫教育を制度化するなど学校段階間の連携、一貫教育を推進する」において、次のように書かれています。

「学校が地域社会の核として存在感を発揮しつつ、教育効果を高めていく観点から、国は、学校規模の適正化に向けて指針を示すとともに、地域の実情を適切に踏まえた学校統廃合に対し、教職員配置や施設整備などの財政的な支援において十分な配慮を行う。国及び地方公共団体は、学校統廃合によって生じた財源の活用等によって教育環境の充実に努める。」


 つまり、学校の統廃合によって生じた財源を教育環境の充実に活用するということです。このように財源を生み出す統廃合を進めるために、小中一貫教育が主張されているのだと言えるでしょう。

 もう1つのグローバル化に対応するというのは、要するに世界にシェアをもつような大企業が求めるような人材を育てるための仕組みを整えるということになるでしょう。例えば、教育再生実行会議の第5次提言が出された直後の7月29日において、下村博文氏は「子供の発達や学習者の意欲・能力等に応じた柔軟かつ効果的な教育システムの構築について(諮問)」において、「新たな社会的価値・経済的価値を生むイノベーションを創出し、国際的な労働市場で活躍できる人材の育成や多様な価値観を受容し、共生していくことができる人材の育成が求められて」いるという認識のもとで、小中一貫教育の制度化の推進について述べています。小中一貫教育を進める学校においては、独自のカリキュラムを編成することが可能ですから、例えば本稿の冒頭の記事で紹介したような小学校1年生からの英語教育なども可能になります。このように、大企業が求める人材を育成するための内容を早期から教えていこうという意図のもとで小中一貫教育が進められているのだと考えられます。

 和光大学教授である山本由美氏は「小中一貫教育の動向 導入のねらいと問題点 どのように取り組んでいけばよいか」において、次のように述べています。

file:///C:/Users/ortho/Downloads/74-22_26%20(2).pdf

「小中一貫校には以下の3つの制度的目的があると考える。
・統廃合を促進する。
・初等教育段階から公立学校を複線化して、エリート校・非エリート校化を進める。
・教育課程の規制緩和によりカリキュラムを自由にできる。国策や企業の要求を先取りした教育課程の実現が可能になる。」


 ここでは3つ挙げられていますが、1つ目が教育財源に関わるものであり、2つ目と3つ目が大企業が求める人材の育成に関わるものと整理することができるでしょう。さらに、小中一貫教育の実態として、次のように指摘しています。

「一貫校には大きく分けて2つのタイプがあり、都市部中心の中〜大規模校と過疎地の小規模校に分けられる。前者には千人規模の学校が約10校ある反面、児童生徒数200人以下の学校(当然学級数は9学級以下)が全体の3分の1を占め、全校で29名という小規模校すらある。その中には地域に学校を存続させるために小規模な小・中を統合したケースも多い。自治体住民が、小中一貫化か地域から学校をなくすか、という究極の選択を強いられたケースも複数ある。」


 つまり、都市部の中〜大規模校と過疎地の小規模校に分かれているのであり、過疎地の小規模校は地域に学校を何とか存続させるために実施したケースが複数存在するということです。

 過疎地の小規模校においては、確かにその地方自治体としては分散されていた教育財源をその一校に集中することができますから、教育環境の充実に資することもできるでしょう。一方、国としてはその地方自治体への財政負担を減らすことができ、その余った分を他にまわすことができます。

 結局、小中一貫教育の推進というのは、国家の立場からすれば、過疎地における財政負担を軽減させ、その余った分を都市部における(企業が求める)エリート育成の充実に活用するという構図を合理化するためのものなのではないかと考えられるのです。
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2017年04月25日

小中一貫教育を問う(3/5)

(3)小中一貫教育推進で叫ばれている問題は制度の問題ではない

 前回は、なぜ小学校と中学校という形で義務教育が分離しているのかという問題について、思春期とは何かを踏まえて説きました。端的には、思春期とは大人になりにいく時期であり、小学生が受動的な子どもの時期であるのに対して、中学生というのは自立的な大人に向けた準備の時期だということでした。この大人になるための時期を歩んでいくためには、小学校のときの認識を捨てなければならないのであり、そのために小学校と中学校は大きくわかれているのだということでした。

 以上を踏まえて、今回は小中一貫教育を推し進めている理由について、果たしてそれが妥当なのかどうかを見ていきましょう。

 小中一貫教育が推し進められている理由の1つに、子どもの発達が早期化しているということが挙げられていました。体の成長や思春期の到来の時期が、6−3制が導入された昭和20年代前半と比較すると、2年程度早まっているということでした。そこで、6−3制ではなくて、5−4制や、4−3−2制が導入されているのでした。果たしてこのような制度は妥当なのでしょうか。

 このような制度は通常、小学校と中学校が一体となっている場合、あるいは併設している場合にのみ可能です。その意味では(2)で述べたように、小学校での認識を捨てられないので妥当ではないということが言えますが、それを抜きにして考えても適切な区分けではないと言えます。

 この問題を考える上でまず押さえておかなければならないことは、小学校段階から中学校段階へ移るためには、小学生としての教育を受けて小学生としてしっかり育っておくことが必要になるということです。その土台の上に中学校の教育が上書きされていく形で子どもは発展していくのです。そのような土台としての小学校の教育内容、それに乗っかる形になる中学校の教育内容が、戦後70年の年月をかけて、現在のような形にまとめられているわけです。

 具体的に言えば、小学校の算数では、全体としては日常生活と結びつくような内容を学びます。ところが中学校になると、文字式や負の数などが出てきて一気に抽象度が上がります。そもそも教科名も「数学」に変わります。国語にしても、小学校では「ごんぎつね」や「大造じいさんとがん」などの児童文学であったものが、中学校では「坊ちゃん」(夏目漱石)や「道程」(高村光太郎)などの大人向けの文学も入ってきます。社会科でも、小学校の歴史は人物を中心とした歴史ですが、中学校になれば通史を学ぶようになります。このように小学校と中学校では教育内容も大きく異なっています。

 学校そのものとともに、教育内容も区分けされていることによって、”Chage of the place”が成り立っているわけですが、あくまでも小学校の段階の内容をしっかりと身につけているからこそ、中学校の内容を習得していくことができるのです。そして、その小学校の内容は6年をかけて習得するように整理されているわけです。

 以上を踏まえて、例えば5−4制にした場合にはどんな問題が起こるかを考えてみましょう。6−3制の場合は、学校の区切りと教育内容の区切りがしっかり一致しているわけですが、それを5−4制で実現しようとすると、小学校6年間の内容を5年間で学ばなければならないということになります。そうすると、どうしても小学校段階での実力形成が不十分になり、中学校での発展が大きく阻害されることになってしまいます。

 一方、教育内容はそのままにして学校制度のみを5−4制にした場合、6年生は中学校の中にいるにも関わらず、学んでいる内容は小学校の延長線上ということになります。これでは小学校の認識を捨て去ることができません。さらに7年生(本来の中学1年生)になったとき、小学校の延長線上の認識のまま、小学校の内容とは大きく異なる中学校の内容を学ぶことになってしまいます。そうすると、突然の大きなハードルにつまずいてしまう子どもが多く出てしまうことが予想されます。たとえ話で言えば、これまでと同じような感覚で階段を上っていたら、突然段差が激しくなるところがあってつまずいてしまうのと同じです。

 これが6−3制ならば、小学校から中学校へという建物そのものの移り変わりもあるからこそ、「あぁ、これから大きく変わるんだな」という心づもりもできて、突然高くなっている段差もしっかり乗り越えていくことができるのです。

 以上の内容で、冒頭で紹介した小中一貫教育を推進する理由に対してはおおむね答えたことにはなりますが、一応「中一ギャップ」の問題だけ取り上げておきましょう。これは小学校から中学校へという急激な変化が「生徒に精神的・身体的負担を与えており、生徒指導上の問題や学習指導上の課題が生じている」という認識のもと、段階的な移行が望ましいとして5−4−3制などの形で小中一貫教育を推進しようとするものでした。

 ここで問わなければならないのは、ではその課題はどの程度の子どもにおいて生じているのかという問題です。もし大部分の子どもにおいて生じているのであるならば、一般性のある問題として把握することが妥当であり、制度改革を検討することが必要になるでしょう。

 しかし、決してそういうわけではなく、多くの生徒は何とか中学校生活を送ることができているものの、一定数の生徒においてそうした課題が見られるというものでしょう。したがって、この中一ギャップという問題は特殊性として捉えなければなりません。つまり、その子ども、その小学校、その中学校、その地域が抱える何らかの特殊な要因によって現象してくるものだということです。したがって、その特殊な要因にこそメスを入れるべきものでしょう。

 以上、小中一貫教育を推進する理由として挙げられているものについて検討してきました。小学校の内容と中学校の内容は大きく異なっているものの、小学校の内容を土台としてしっかり定着させてこそ中学校の内容を習得していくことができるのであり、その土台の形成を6年かけて行うように整理されてきたものが現在の教育課程なのだということでした。このように、学校の区切りと教育内容の区切りが一致しているため、容易に動かすことはできないのであり、動かせば別の問題が生じてくるということでした。そもそも小中一貫教育を進める理由として挙げられている「中一ギャップ」は一般性のある問題ではないのだから、学校制度という一般性をいじって解決しようとする発想そのものが間違っているということを指摘しました。
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2017年04月24日

小中一貫教育を問う(2/5)

(2)小学校と中学校の分化は必然である

 本稿は、義務教育学校の成立が法的に認められるほど小中一貫教育が進められている現状において、その是非について問うものです。今回は、そもそもなぜ小学校と中学校という形で学校がわかれているのかについて考えてみたいと思います。

 現在のような6−3制が成立したのは、敗戦後のことです。この6−3制は米国教育使節団報告書の中で望ましい学校体系として記されており、戦後の教育は六・三制であるということが教育改革の標語となるほど大きなものでした。そして、1947年、学校教育法において六・三制が定められたのです。つまり、義務教育として、小学校6年間と中学校3年間が位置づけられたのです。

 なお、同じ中学校といっても、戦前の中学校(旧制中学)とは大きく異なっています。旧制中学は義務教育ではありません。尋常小学校を卒業したのち、一部のもののみが進学するいわばエリートのための学校だったのです。したがって、現在の小学校・中学校というのは、かつての尋常小学校が拡大し、発展したものと位置づけることができるでしょう。

 では、なぜ6−3制となったのでしょうか。米国教育使節団報告の要旨では、以下のように書かれています。

http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1317998.htm

「課税で維持し、男女共学制を採り、かつ授業料無徴収の学校における義務教育の引上げをなし、修業年限を九か年に延長、換言すれば生徒が十六歳に達するまで教育を施す年限延長改革案をわれわれは提案する。さらに、生徒は最初の六か年は現在と同様小学校において、次の三か年は、現在小学校の卒業児童を入学資格とする各種の学校の合併改変によって創設されるべき「初級中等学校」において、修学することをわれわれは提案する。」


 結局、6−3制を提案するというのみで、その根拠については書かれていません。したがって、その根拠については論理的に考えていく必要があるでしょう。

 小学生から中学生への過程を考えたときに、思春期という大きな結節点があることがわかります。したがって、思春期とは何かを踏まえて小学生と中学生の違いをおさえておく必要があります。

 思春期に関わって、南郷先生は次のように説いておられます。

「中学生(思春期)の五感器官に関わる論理構造は端的には以下のごとくであった。中学生は思春期とあって子供から大人への脱皮期間であり、準備期間である。それだけに、その実体の成長が子供時代と大きく変ってくる面がある。実体的には大人としての体へと変化することであるが、そのことによって、認識と実体とが相互浸透的な過激的変化をとげながらの大人へ向けての成長が、急速的となっていく。」(『武道と認識の理論U』三一書房、1991年、p.195)


「この思春期は大人へなりにいく最初の重大な時期であり、その個としての人間にとっては初体験期であり、かつ、最初にして最後の重大時期である。体が大人になった高校生では、絶対に味わうべくもない思春期である。これは単に、認識の思春期にとどまらず、実体の思春期であり、実体の思春期にとどまらない認識の思春期である。」(『武道と認識の理論V』三一書房、1995年、p.127)


 つまり、思春期というのは子どもから大人へと脱皮していく期間であるということです。とりわけ中学生の時期は実体と認識の両方の側面においてそうなのだということです。

 認識の側面に焦点を当てて、少しわかりやすく言えば、大人としての自立に向けた本格的な準備期間ということができるでしょう。小学校においてはまだまだ子どもであり、親や教師の指示に従って動いていたのに対して、中学校からは大人として自分で考えて行動するということを行い始めるということです。

 その構造の1つとして、論理能力の向上ということが挙げられます。例えば、中学生ぐらいになると、教師の指導に対して、「先生は言っていることとやっていることが違う」「なんで俺だけ怒られないといけないのか」などの不満を言うようになります。これは「先生の言っていること」と「先生のやっていること」という2つ、あるいは「自分に対する先生の対応」と「他の人に対する先生の対応」という2つをしっかりつなげて理解する能力(論理能力)がついてきたということです。これは別の側面から言えば、教師が言ったことだから従うというのではなく、「有言実行」「人間は平等である」などの価値観に基づいて自分のアタマで判断するようになってきているということでもあります。

 このように小学生というのは子どもであり受動的であるのに対して、中学生というのは大人(の準備段階)であり能動的なのです。ちなみに、学校教育法では小学生は「児童」、中学生からは「生徒」(「徒」とは「弟子」という意味です)と定められていますが、これはなかなか見事な把握だと言えるでしょう。

 すると、次の問題は受動的な子どもの段階であった小学生から、大人の準備段階である中学生への移行はどうあるべきか、ということになります。ここに関わって、現在ではいわゆる中一ギャップと呼ばれる現象が生まれているから段階的である方がよいとして、小中一貫教育が進められているわけですが、端的には、ここは急激な変化でなければならないということになります。つまり、環境を一気に変えてしまって、小学校のときの認識を捨て去ってしまわなければならない、ということです。

 少し具体的に説きましょう。中学校というのは大人として自立するための本格的な準備期間ですから、小学校に比べればそれなりの厳しさというものが当然存在しています。そのときに、小学校のときの認識をひきずっていたのでは、まともに中学校での教育を消化していくことができなくなる、ということです。例えば、「小学校のときはよかった。小学校の先生はいっぱい面倒を見てくれた」などと考えていたのでは、中学校という環境をしっかりと反映することができなくなるでしょう。小学校を思い浮かべて、そこへ逃避しようとする認識を創ってはいけないということです。

 ここはサリバンがヘレン・ケラーを教育するために、つたみどりの家で生活するようにしたことと同一の論理が存在しています。ヘレンはそれまで家庭内において暴君として存在していたのでした。その家庭内の認識のままではまったくサリバンの教育がヘレンに入っていかないため、家庭という環境から切り離して、つたみどりの家で生活することにしたのです。こうしてこれまでの環境から切り離すことで認識をいわば白紙状態にし、これまでとは違う新たな教育が入る余地を生み出していったのです。これは南郷先生が説いておられる”change of the place, change of the brain”ということの1つの具体的なあり方でもあります。

 以上を踏まえれば、小学校と中学校はしっかりと分化していなければならないということになります。小学校と中学校が隣接しているような場合、中学生になった子どもはどうしても自分がそれまでにいた小学校の校舎も、また自分たちと一緒に活動した在校生の子どもも見ることになり、小学校の時の認識を捨てがたくなります。それは中学校という環境としっかり相互浸透をしていく上で、大きなマイナス要因となるのです。以上が小学校と中学校が分離している必然性(の1つ)ということができるでしょう。
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2017年04月23日

小中一貫教育を問う(1/5)

○目次
(1)小中一貫教育が推進されている
(2)小学校と中学校の分化は必然である
(3)小中一貫教育推進で叫ばれている問題は制度の問題ではない
(4)小中一貫教育推進の背後には経済的な背景が存在している
(5)国家の発展のためには個々の人間を市民として育てることが必要である

・・・・・・・・・・・・・・・・・

(1)小中一貫教育が推進されている

 2017年3月23日、産経ニュースから次のような記事が出されました。

http://www.sankei.com/region/news/170323/rgn1703230040-n1.html

三重県内初の義務教育学校 小中一貫、津に来月開校

 県内初の小中一貫の義務教育学校「津市立みさとの丘学園」が4月6日、同市美里町三郷で開校する。少子化を受け地域の市立長野、高宮、辰水の3小学校と美里中学校が統合しスタート。小中の9年間を4年、2年、3年で区切り、進学時に不登校などが増える「中1ギャップ」を軽減、ゆとりのある教育を進めるほか、英語教育も重視し、校歌に英語の歌詞を加えた。前葉泰幸市長は「良い見本となるよう教育を充実させたい」としている。

 3小学校の統合を検討してきた同地区では、平成28年4月の学校教育法の一部改正で、小中学校の教育を一貫して行う「義務教育学校」の設置が認められたため、美里中を加えて同学園としてスタートさせることになった。

 学園は、現美里中校舎を約9億円で増築。開校時の児童生徒は約290人で、前期課程(小学校)は約200人、後期課程(中学校)は約90人の見込み。

 学習内容では、小学1年から9年間をかけじっくりと英語教育を実施。校歌の3番をすべて英語の歌詞にするなど、ユニークな試みも取り入れる。県によると、「県内で英語の校歌は初めてでないか」という。

 学園発足に伴い旧小中学校の閉校式が25日に各校で行われる。学園開校式は4月6日に体育館で開かれ、その後始業式。7日に入学式が予定されている。


 来年度から三重県で初めて、小中学校の教育を一貫して行う「義務教育学校」が開校することになり、そこでは小学1年から9年間かけて英語教育を行うなど、ユニークな試みが取り入れられるということです。

 この義務教育学校とは、2016年4月の学校教育法改正によって導入されたものです。これまで学校として定められていたのは幼稚園、小学校、中学校、高等学校、中等教育学校、特別支援学校、大学及び高等専門学校でしたが、ここに小学校と中学校を一体化させた義務教育学校が加えられるようになったのです。

 小中一貫教育は2000年に広島県呉市で最初に導入されました。研究開発学校指定を受け、小中一貫教育の研究が進められるようになったのです。その後、この呉市を参考にしつつ、東京都品川区や京都市などにおいても、教育特区を用いて、小中一貫教育の事例を作っていったのでした。こうした研究開発学校での試みを受けて、中央教育審議会では、2005年の答申「新しい時代の義務教育を創造する」において、「研究開発学校や構造改革特別区域などにおける小中一貫教育などの取組の成果を踏まえつつ、例えば、設置者の判断で9年制の義務教育学校を設置することの可能性やカリキュラム区分の弾力化など、学校種間の連携・接続を改善するための仕組みについて種々の観点に配慮しつつ十分に検討する必要がある」と述べられるようになりました。

 その後、2008年7月1日に閣議決定された「教育振興基本計画」では、「総合的な学力向上策の実施」という項目において、「6−3−3−4制の弾力化に関し,小中一貫教育やいわゆる飛び級を含め,幼児教育と小学校との連携など,各学校段階間の円滑な連携・接続等のための取組について検討する」とされました。
 さらに、2014年、総理の私的諮問機関として設けられた「教育再生実行会議」の第5次提言において、「いじめや不登校が中学校第1学年で急増するなど教育上の様々な課題との関係が指摘されて」いることから、「国は、小学校段階から中学校段階までの教育を一貫して行うことができる小中一貫教育学校(仮称)を制度化し、9年間の中で教育課程の区分を4−3−2や5−4のように弾力的に設定するなど柔軟かつ効果的な教育を行うことができるようにする」ことが提言され、この提言に沿って文部科学省はその実現に向けて中央教育審議会における具体化の検討を行うようになりました。こうして2016年4月、義務教育学校の開設が可能となる改正学校教育法が施行されたのです。

 義務教育学校が最も明確な小中一貫教育のあり方なのですが、小中一貫教育のあり方そのものは大きく2つにわかれます。1つは義務教育学校のように、1つの学校の中に1人の校長がおり、1つの教職員組織が存在するというあり方です。もう1つは、組織上独立した小学校と中学校が義務教育学校に準じる形で一貫した教育を施す形態(小中一貫型小・中学校)です。さらに細かくわけると、小中一貫型小・中学校にも、小学校と中学校で設置者が同じ場合(併設型小学校・中学校)と、設置者が異なる場合(連携型小学校・中学校)が存在します。

 2016年に文科省から出された「小中一貫した教育過程の編成・実施に関する手引き」では、小中一貫教育が進められる背景・理由として

(1)義務教育の目的・目標の創設
(2)教育内容や学習活動の量的・質的充実
(3)発達の早期化等に関わる現象
(4)いわゆる「中1ギャップ」

の4つが挙げられています。(1)については、簡単に言えば、義務教育の目的・目標を達成するために小学校と中学校の連携がこれまでの答申や学習指導要領で重要視されるようになってきたということです。(2)については、「教育内容や学習活動の量的・質的充実に対応して、小学校と中学校の教員が連携して、例えば、小学校高学年での専門的な指導の充実や、児童生徒のつまずきやすい学習内容についての長期的な視点に立ったきめ細やかな指導などの学習指導の工夫に取り組むことの重要性が増してきた」としています。(3)に関しては、体の成長や思春期の到来の時期が、6−3制が導入された昭和20年代前半と比較すると、2年程度早まっていることや、小学校高学年から自己肯定感や自尊感情が下がること、また学習面でのつまずきが顕在化することなどを指摘しています。そして、「おおむね小学校4〜5年生頃に児童生徒にとっての発達上の段差が存在しているのではないか」という見解を紹介し、4−3−2や5−4などの形で区切りを柔軟にすることを主張しています。(4)については、小学校と中学校での違いがあり、その違いによって生徒に精神的・身体的負担を与えており、生徒指導上の問題や学習指導上の課題が生じているという認識のもと、小学校と中学校の「接続をより円滑なものとするために、『意図的な移行期間』を儲ける教育過程を編成」する取り組みが広まっているとしています。

 大きく言えば、子どもの発達が早まっているということと、小学校と中学校とのギャップによって学習上あるいは生徒指導上の問題が起こっているということを踏まえて、小中一貫教育が進められているということです。小中一貫教育によって、ここで挙げられているような問題の解消が期待されています。

 しかし、小中一貫教育には批判の声もあります。例えば、「小6がリーダーの役割を果たせない」「小・中接続部が成長の切れ目として機能しない」といった指摘が一貫校の現場の教師から上がっています。

 果たして小中一貫教育は教育制度として妥当なものなのでしょうか。本稿ではこの点について論じたいと思います。
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2017年04月17日

斉藤喜博から何を学ぶべきか(5/5)

(5)現在求められるべき「主体的」とは、国家が抱える問題について自分の考えを主張できることである

 本校では、学習指導要領の改定案が出され「主体的・対話的で深い学び」ということがキーワードとなる中で、斎藤喜博から何を学ぶべきかを明らかにするべく、日本の教育実践の歴史において有名な斎藤喜博を取り上げてきました。

 ここでこれまでの流れを振り返っておきましょう。

 第一に、島小ではどのような実践を行っていたのかを見てみました。そこで取り上げたのは「想像説明」と「○○ちゃん式まちがい」というもので、そこでは、問題に対してそれぞれの子どもが自分の計算過程を出し、なぜそのような計算過程になったのかを他の子どもが想像して答えるという実践が行われていたのでした。出された計算過程が間違っていた場合も、どうして間違ったのかが検討され、どうすればよかったのかが話し合われていました。これは「主体的・対話的で深い学び」の具体的なあり方であり、そうやって自分の考えを積極的に出すこと、そして友だちの意見を聞くことによって自分が成長するのだということを体験させていたのでした。また、想像説明を行った子どもの側からすれば、観念的二重化の力や論理的な能力を高めることにつながるのだ、ということを説いてきました。そして、斎藤が、子どもは授業によってこそ力がつくのであり、その授業次第で子どもの力を大きく伸ばしていくことができるのだということです。そのような子どもの可能性、教育の可能性を実践をとおして証明してみせたことに大きな意義があると主張しました。

 第二に、島小での授業記録の特徴について取り上げました。斎藤は教授学をつくるためには、無数の事実をつくることをまずは大事にしないといけないとして、その事実である授業記録については、@教師自身の行為と、A(教師の)内面に生起したことがらと、B子どもに生起したことがらの3つを叙述していたのですが、これは教育における事実とは何かを踏まえると評価できることを説きました。そもそも教育の過程は、教師の認識と表現、そして子どもの認識と表現のやりとりであり、その中で起こったことはすべて教育の事実なのであり、したがってその中で教師が何らかの認識を抱いたのであれば、それも扱うべき事実なのだということでした。このような意味で、教師の認識を授業記録の中に組み込んだのは正当ではあるものの、教育の過程についての把握が十分になされていなかったため、曖昧な部分も存在していることを指摘しました。

 第三に、斎藤が島小へと至る過程について見てきました。斎藤は師範学校を卒業した後、最初に赴任した玉村小学校で、どの先生も対等の立場で自信をもって自分の実践に専念していたことに驚き、その雰囲気を作っていた宮川校長から大きな影響を受けていたのでした。その後、宮川校長の代わりに来た校長は形式的なことにこだわる人であったために、様々な形で職員と対立することになったのでした。特に「教育によって子どもを変え時代を変えていくのが教師のつとめだ」「法律は人がつくるものだ。悪い法律なら人間の力で変えていかなければならないのだ」という職員の考え方と、「教師は法律によってきめられたことだけをやっていればよい。それ以外のことはしてはいけない」という校長の考え方が大きく対立したのでした。そして盧溝橋事件も起こり、戦争の雰囲気が感じられるようになってくると、「国家より個人が先にたつ」という斎藤の考え方は校長をはじめ職員からも国賊だとして非難されるようになったのでした。やがて戦争が終わり、教員組合が作られると、斎藤はその活動に文化部長として専念するようになります。自分の明確な考えをもたず、周囲の動向を見て動く組合の教員を様々に目にしつつも、組合は民主主義の時代に民主主義を実現し、民主主義教育をつくりだそうとするものであり、教師の解放に大きく役だったのだと肯定的に評価していたのでした。結局、斎藤は、一人一人が個人として尊重され、一人一人が自分の意志で自由に行動し、発言できることこそ理想的なあり方だと考え、教師としてそのような生き方を貫いたのであり、また子どもにもそのような主体的なあり方を身につけさせていたのだということでした。

 現在の社会状況を眺めたときに、以上の流れから「主体的」ということでもっとも掬い取らねばならないのは、「法律は人がつくるものだ。悪い法律なら人間の力で変えていかなければならないのだ」という部分でしょう。いかに法律と言えども、それをつくるのは人間です。その法律をつくる人間がしっかり国民のことを考えているかどうかはわからないし、仮に考えていたとしても、結果として出来上がった法律が国民のためになるものかどうかはわかりません。そういった点を意識し、問題があればその問題をしっかりと見抜いて、自分の考えを主張していけるということこそ、今求められている主体的なあり方だと言えるでしょう。そのような主体的な人間を育てることによってこそ、民主主義というものは成り立つのです。これこそ斎藤喜博が島小で目指したものだったと言えるでしょう。 

 現在、連日森友学園の問題が取り上げられています。その森友学園が経営する塚本幼稚園で、園児たちが「安倍首相がんばれ。安倍首相がんばれ。安保法制通過よかったです」と声を挙げさせられている姿が報道されていました。これが、斎藤喜博が目指した民主主義教育なのでしょうか。斎藤喜博が育てようとした主体的なあり方なのでしょうか。そもそも教育基本法には政治教育として、「法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない」と定められています。これには反しないのでしょうか。国会で答弁を求められた安倍首相は、「責任を持つ大阪府が判断すべきことだ」としています。もし大阪が可とすれば、国はそれを追認するのでしょうか。

 一方で、自民党は昨年の7月「学校教育における政治的中立性についての実態調査」として、「『安保法制は廃止にすべき』(もともとは『子供たちを戦場に送るな』と記載されていました)と主張し中立性を逸脱した教育を行う先生方がいる」として、その具体的な情報が記入できる密告フォームをHPに作成していました。反対を主張することが中立性を損なうというのであれば、当然、賛成を主張することも中立性を損なうでしょう。

 いずれにせよ、国家とは何なのか、法とは何なのか、教育の政治的中立とは何なのかなどといった問題が大きく浮上してきていることは間違いありません。このような問題に対してしっかり自分のアタマで考え抜けるようにすること、そして自分の判断に基づいて主張できるようにすること、これこそが現在求められている主体的なあり方にほかなりません。そのような国民が育ってこそ、本当の意味で民主主義が成立するのです。このようなことを、斎藤喜博の島小での実践は現代の我々に訴えかけているのだと言えるでしょう。
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<講義一覧>

 ・2010年5月例会の報告
 ・2010年6月例会の報告
 ・日本酒を楽しめる店の条件
 ・交響曲の歴史を社会的認識から問う
 ・初心者に説く日本酒を見る視点
 ・『寄席芸人伝』に見る教育論
 ・初学者に説く経済学の歴史の物語
 ・奥村宏『経済学は死んだのか』から考える経済学再生への道
 ・『秘密諜報員ベートーヴェン』から何を学ぶか
 ・時代を拓いた教師を評価する(1)――有田和正氏のユーモア教育の分析
 ・2010年7月例会報告
 ・弁証法から説く消費税増税不可避論の誤り
 ・佐村河内守『交響曲第一番』
 ・観念的二重化への道
 ・このブログの目的とは――毎日更新50日目を迎えて
 ・山登りの効用
 ・21世紀に誕生した真に交響曲の名に値する大交響曲――佐村河内守:交響曲第1番「HIROSHIMA」全曲初演
 ・2010年8月例会報告
 ・各種の日本酒を体系的に説く
 ・「菅・小沢対決」の歴史的な意義を問う
 ・『もしドラ』をいかに読むべきか
 ・現代日本における「国家戦略」の不在を問う
 ・『寄席芸人伝』に学ぶ教師の実力養成の視点
 ・弁証法の学び方の具体を説く
 ・日本歴史の流れにおける荘園の存在意義を問う
 ・わかるとはどういうことか
 ・奥村宏『徹底検証 日本の財界』を手がかりに問う「財界とは何か」
 ・「小沢失脚」謀略を問う
 ・2010年11月例会報告
 ・男前はなぜ得か
 ・平安貴族の政権担当者としての実力を問う
 ・教育学構築につながる教育実践とは
 ・2010年12月例会報告
 ・「法人税5%減税」方針決定の過程的構造を解く
 ・ベートーヴェン「第九」の歴史的位置を問う
 ・年頭言:主体性確立のために「弁証法・認識論」の学びを
 ・法人税減税の必要性を問う
 ・2011年1月例会報告
 ・武士はどのように成立したか
 ・われわれはどのように論文を書いているか
 ・三浦つとむ生誕100年に寄せて
 ・2011年2月例会報告:南郷継正『武道哲学講義U』読書会
 ・TPPは日本に何をもたらすのか
 ・東日本大震災から国家における経済のあり方を問う
 ・『弁証法はどういう科学か』誤植の訂正について
 ・2011年3月例会報告:南郷継正『武道哲学講義V』読書会
 ・新人教師に説く「子ども同士のトラブルにどう対応するか」
 ・三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』誤植一覧
 ・新大学生に説く「大学で何をどう学ぶか」
 ・新大学生に説く「文献・何をいかに読むべきか」
 ・2011年4月例会報告:南郷継正『武道哲学講義W』読書会
 ・三浦つとむ弁証法の歴史的意義を問う
 ・新人教師に説く学級経営の意義と方法
 ・三浦つとむとの出会いにまつわる個人的思い出
 ・横須賀壽子さんにお会いして
 ・続・三浦つとむとの出会いにまつわる個人的思い出
 ・学びにおける目的意識の重要性
 ・ブログ毎日更新1周年を迎えてその意義を問う
 ・2011年5・6月例会報告:南郷継正「武道哲学講義〔X〕」読書会
 ・心理療法における外在化の意義を問う
 ・佐村河内守:交響曲第1番「HIROSHIMA」CD発売
 ・新人教師としての一年間を実践記録で振り返る
 ・2011年7月例会報告:近藤成美「マルクス『国家論』の原点を問う」読書会
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む
 ・2011年8月例会報告:加納哲邦「学的国家論への序章」読書会
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論1三浦つとむの哲学不要論をめぐって
 ・一会員による『学城』第8号の感想
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論2 マルクス『経済学批判』「序言」をめぐって
 ・2011年9月例会報告:加藤幸信論文・村田洋一論文読書会
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論3 マルクス「唯物論的歴史観」なるものの評価について
 ・三浦つとむさん宅を訪問して
 ・TPP―-オバマ大統領の歓心を買うために交渉参加するのか
 ・続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2011年10月例会報告:滋賀地酒の祭典参加
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論4不破哲三氏のエンゲルス批判について
 ・2011年11月例会報告:悠季真理「古代ギリシャの学問とは何か」読書会
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論5ケインズ経済学の歴史的意義について
 ・一会員による『綜合看護』2011年4号の感想
 ・『美味しんぼ』から何を学ぶべきか
 ・2011年12月例会報告:悠季真理「古代ギリシャ哲学、その学び方への招待」読書会
 ・年頭言:「大和魂」創出を志して、2012年に何をなすべきか
 ・消費税はどういう税金か
 ・心理療法におけるリフレーミングとは何か
 ・2012年1月例会報告:悠季真理「古代ギリシャ哲学,その学び方への招待」読書会
 ・バッハ「マタイ受難曲」の構造を解く
 ・2012年2月例会報告:科学史の全体像について
 ・『弁証法はどういう科学か』の要約をどのように行っているか
 ・一会員による『綜合看護』2012年1号の感想
 ・橋下教育基本条例案を問う
 ・吉本隆明さん逝去に寄せて
 ・2012年3月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第1章〜第4章
 ・科学者列伝:古代ギリシャ編
 ・2年目教師としての一年間を実践記録で振り返る
 ・2012年4月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第5章〜第6章
 ・科学者列伝:ヘレニズム・ローマ・イスラム編
 ・簡約版・消費税はどういう税金か
 ・一会員による『新・頭脳の科学(上巻)』の感想
 ・新人教師のもつ若さの意義を説く
 ・2012年5月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第7章
 ・科学者列伝:西欧中世編
 ・アダム・スミス『道徳感情論』を読む
 ・2012年6月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第8章
 ・科学者列伝:近代科学の開始編
 ・ブログ更新2周年にあたって
 ・古代ギリシアにおける学問の誕生を問う
 ・一会員による『綜合看護』2012年2号の感想
 ・クセノフォン『オイコノミコス』を読む
 ・2012年7月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第9章
 ・科学者列伝:17世紀の科学編
 ・一会員による『新・頭脳の科学(下巻)』の感想
 ・消費税増税実施の是非を問う
 ・原田メソッドの教育学的意味を問う
 ・2012年8月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第10章
 ・科学者列伝:18世紀の科学編
 ・一会員による『綜合看護』2012年3号の感想
 ・経済学を誕生させた経済の発展とはどういうものだったのか
 ・2012年9月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第11章
 ・人類の歴史における論理的認識の創出・使用の過程を問う
 ・長縄跳びの取り組み
 ・国家の生成発展の過程を問う――滝村隆一『マルクス主義国家論』から学ぶ
 ・三浦つとむの言語過程説から言語の本質を問う
 ・2012年10月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第11章
 ・科学者列伝:19世紀の自然科学編
 ・古代から17世紀までの科学の歴史――シュテーリヒ『西洋科学史』要約で概観する
 ・2012年11月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第12章前半
 ・2012年12月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第12章後半
 ・科学者列伝:19世紀の精神科学編
 ・年頭言:混迷の時代が求める学問の確立をめざして
 ・科学はどのように発展してきたのか
 ・一会員による『学城』第9号の感想
 ・一会員による『綜合看護』2012年4号の感想
 ・2013年1月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』を読む前提としての世界歴史の全体像
 ・歴史観の歴史を問う
 ・2013年2月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』をどのように読んでいくべきか
 ・『三浦つとむ意志論集』を読む
 ・言語学の構築に向けてどのように研究を進めるのか
 ・一会員による『綜合看護』2013年1号の感想
 ・改訂版・新大学生に説く「大学で何をどう学ぶか」
 ・2013年3月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』序論(前半)を読む
 ・3年目教師としての1年間を実践記録で振り返る
 ・2013年4月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』序論(後半)を読む
 ・新自由主義における「自由」を問う
 ・2013年5月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第一部 東洋の世界(前半)を読む
 ・三浦つとむ「マルクス・レーニン主義に関する本質的な質問」から学ぶ
 ・言語は歴史的にどのように創出されたのか
 ・一会員による『綜合看護』2013年2号の感想
 ・ヒュームの提起した問題にカント、スミスはどのように答えたか
 ・2013年6月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』東洋の世界(後半)を読む
 ・一会員による2013年上半期の振り返り
 ・認知療法における問いの意義を問う
 ・カント歴史哲学へのアダム・スミスの影響を考える
 ・2013年7月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』ギリシアの世界を読む
 ・2013年8月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第三部 ローマの世界を読む
 ・アダム・スミスの哲学体系の全体像を問う
 ・一会員による『綜合看護』2013年3号の感想
 ・初任者に説く学級経営の基本
 ・カウンセリング上達過程における事例検討の意義
 ・文法家列伝:古代ギリシャ編
 ・ヒューム『政治論集』抄訳
 ・2013年9月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第四部 ゲルマンの世界を読む
 ・言語過程説から言語学史を問う
 ・2013年10月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』「第4部 ゲルマンの世界」第2篇を読む
 ・戦後日本の学力論の流れを概観する
 ・一会員による『育児の生理学』の感想
 ・文法家列伝:古代ローマ・中世編
 ・2013年11月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第4部 ゲルマンの世界 第3篇を読む
 ・古代ギリシャ経済の歴史を概観する
 ・2013年12月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』のまとめ
 ・ヘルバルト教育学の全体像を概観する
 ・年頭言:歴史を切り拓く学問の創出を目指して
 ・歴史的な岐路に立つ世界と日本を問う
 ・一会員による『綜合看護』2013年4号の感想
 ・一会員による2013年の振り返りと2014年の展望
 ・ヘーゲル『歴史哲学』を読む
 ・2014年1月例会報告:学問(哲学)の歴史の全体像について
 ・一会員による『学城』第10号の感想
 ・世界歴史の流れを概観する
 ・現代の言語道具説批判――言語規範とは何か
 ・2014年2月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第3〜11章
 ・ヘルバルト『一般教育学』を読む
 ・新大学生へ説く「大学で何をどのように学んでいくべきか」
 ・2014年3月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第12〜14章
 ・三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』学習会を振り返る
 ・『育児の認識学』は三浦認識論をいかに発展させたか――一会員による『育児の認識学』の感想
 ・2014年4月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第15〜19章
 ・4年目教師としての1年間を実践記録で振りかえる
 ・文法家列伝:『ポール・ロワイヤル文法』編
 ・2014年5月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第20〜26章
 ・道徳教育の観点から見る古代ギリシャの教育と教育思想
 ・古代ギリシャの経済思想を問う
 ・半年間の育児を振り返る
 ・2014年6月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第27〜33章
 ・現代の言語道具説批判・補論――「言語道具説批判」に欠けたるものとは
 ・心理士が医学から学ぶこと――一会員による『医学教育 概論(1)』の感想
 ・アダム・スミス「天文学史」を読む
 ・現代の言語道具説批判2――言語道具説とは何か
 ・2014年7月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第34〜38章
 ・道徳教育の観点から見る中世の教育と教育思想
 ・もう一人の自分を育てる心理療法
 ・2014年8月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第39〜40章
 ・アダム・スミス「外部感覚論」を読む
 ・文法家列伝:ジョン・ロック編
 ・一会員による『学城』第11号の感想
 ・夏目漱石を読む@――坊っちゃん、吾輩は猫である、草枕
 ・2014年9月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第41〜43章
 ・ルソーとカントの道徳教育思想を概観する
 ・アダム・スミスは『修辞学・文学講義』で何を論じたか
 ・全てを強烈な目的意識に収斂させる――一会員による『医学教育概論の実践』の感想
 ・2014年10月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第44〜45章
 ・精神障害の弁証法的分類へ向けた試み
 ・シュリーマン『古代への情熱』から何を学ぶか
 ・2014年11月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第46章
 ・一年間の育児を振り返る
 ・近代ドイツにおける教育学の流れを概観する
 ・2014年12月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』のまとめ
 ・年頭言:弁証法・認識論を武器に学問の新たな段階を切り開く
 ・「戦後70年」を迎える日本をどうみるか
 ・哲学の歴史の流れを概観する
 ・『ビリギャル』から何を学ぶべきか
 ・必要な事実を取り出すとは――一会員による『医学教育 概論(2)』の感想
 ・2015年1月例会報告:南郷継正「武道哲学講義X」
 ・夏目漱石を読むA――二百十日、野分、虞美人草、坑夫
 ・アダム・スミスは古代ギリシャ哲学史から何を学んだのか
 ・マインドフルネスを認識論的に説く
 ・道徳思想の歴史を概観する
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部の要約
 ・弁証法的に学ぶとはいかなることか――一会員による『医学教育 概論(3)』の感想
 ・一会員による『学城』第1号の感想
 ・新大学生への訴え
 ・2015年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論A
 ・心理職の国家資格化を問う
 ・5年目教師としての1年間を実践記録で振り返る
 ・文法家列伝:時枝誠記編
 ・2015年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論B、C、東洋哲学
 ・夏目漱石を読むB――三四郎、それから、門
 ・臨床心理学のあるべき姿を考える――一会員による『医学教育 概論(4)』の感想
 ・アダム・スミス「模倣芸術論」を読む
 ・デューイの教育論の歴史的な意義を問う―『学校と社会』を通して
 ・2015年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ギリシア哲学史の序論、イオニア派の哲学、ピュタゴラスとピュタゴラス派
 ・高木彬光『邪馬台国の秘密』を認識論から読み解く
 ・一会員による『学城』第12号の感想
 ・2015年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エレア派〜ヘラクレイトス
 ・何故言語学の創出が必要か―一会員による2015年上半期の振り返り
 ・事実と論理ののぼりおり――一会員による『医学教育 概論(5)』の感想
 ・夏目漱石を読むC――彼岸過迄、行人、こころ
 ・2015年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エムペドクレス〜アナクサゴラス
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(上)
 ・デューイ教育論の歴史的意義を問う―『民主主義と教育』をとおして
 ・2015年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソフィスト派・ソクラテス
 ・アダム・スミス『法学講義』を読む
 ・学問上達論とは何か――一会員による『哲学・論理学研究(1)』の感想
 ・2015年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソクラテス派、プラトン
 ・庄司和晃追悼論文―庄司和晃の歩みはいかなるもので、何を成し遂げたか
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部第4章の要約
 ・一会員による『学城』第2号の感想
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(下)
 ・夏目漱石を読むD――道草、明暗
 ・2015年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』プラトン 弁証法、自然哲学、精神の哲学
 ・ナイチンゲール看護論を心理臨床に活かす――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(1)』の感想
 ・文法家列伝:時枝誠記編(補論)
 ・英語教育改革を問う―『英語化は愚民化』書評―
 ・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
 ・2年間の育児を振り返る
 ・2015年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学)
 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
 ・ケネー『経済表』を読む
 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う