2014年07月04日

古代ギリシャの経済思想を問う(7/13)

(7)有限な家財・労働力の機能を最大限に発揮させることの重視

 前回は、クセノフォンが如何なる問題意識から『オイコノミコス』という著作を書くことになったのか、簡単に確認しておきました。端的には、ペロポネソス戦争以降のアテネ社会において、ポリス市民たちの間で独立自営農民としての堅実な生活様式が廃れてしまったことを強く憂い、個々のポリス市民が独立自営農民として安定した生活基盤を維持してこそポリス社会の健全な発展もありうるのだ、との思いから『オイコノミコス』を著したのではないかと考えられたのでした。

 それでは、このようなクセノフォンの家政論(独立自営農民の家財管理についての論)のなかに、私たちはどのような経済思想をみてとることができるのでしょうか。今回と次回の2回に渡っては、このような観点から、『オイコノミコス』における議論の内容をみていくことにしましょう。

 今回は、第1章から第9章にかけて、家政や財産の定義、家財の整理整頓の意義について語られた部分についてみていきます。第1章から第6章までは、ソクラテスとクリトブロスの対話です。ソクラテスは、クリトロブスに問いを投げかけ、それに答えさせることを繰り返しながら、「家政とは何か」「家とは何か」「所有物(財産)とは何か」といった定義をなすことを試みています。結果として、家政とはある種の技術であり、自分自身の家財をきちんと管理できるためのものであること、家(家財)とは住居以外に人が所有するすべてのものを指すこと、所有物(財産)とは各人にとって有用であるもののことであること、といった一連の結論に導かれることになります。引き続いてソクラテスは、役に立つものを財産とみなし害をあたえるものを財産とはみなさないという定義を踏まえて、馬や土地などもその扱い方を知らなければ役に立てることができないのだから財産とはいえないのではないか、と問いかけ、クリトブロスを同意させます。さらに、ソクラテスは、どう役立てるかを知らなければお金でさえも財産とはいえないこと、また、敵でさえもそこから利益を得ることができるならば財産といえるのだと述べ、個人の家や僭主たちの館が戦争のおかげで大きくなっている例も提示しながら、クリトブロスを同意させます。さらにソクラテスは、賭け事や性的快楽などについての欲望をコントロールできなければ、有益な仕事ができなくなってしまうし、たとえ働いて収入を得たとしても、そのすべてをこれらくだらない欲望の代償として払わされることになってしまうと述べ、欲望のコントロールが重要であることを説きます。

 さて、第7章からはいよいよ、対話内の対話というべき、ソクラテスとイスコマコス(=クセノフォン)との対話がはじまります。この“対話内対話”においては、まずソクラテスがイスコマコスに、どのような行為によって君がカロスカガトス(立派な人)と呼ばれるようになったのか知りたいのだとして、普段はどのように時をすごしているのか、家に閉じこもっているとも思えないが、と問いかけます。これに対してイスコマコスは、家のなかのことはすべて妻がとりしきっている、と答えます。ソクラテスは、「君の奥さんをきちんと躾けたのは、君自身なのかね、それとも、君はすでに自分の所有物を管理できる女性を、その両親から貰い受けただけなのかね?」と問います。食事に関すること以外は自分が教えたのだ、というイスコマコスに、ソクラテスは、まず彼女に何を教えたのか話してほしい、と求めます。これに対して、イスコマコスは、結婚の目的や家のなかでの妻の仕事について、妻に話して聞かせたことを語ります。

 イスコマコスは、妻との対話のなかで、そもそも人間が結婚するのはどういう目的があってのことなのか、という問題について、以下の3つの理由をあげています。その第一は、生物としての種が絶えないように一方が他方によって子をなすことであり、第二は、この婚姻関係からたがいに老後の面倒を見合うという保証を得ることです。そして第三に、それぞれの所有するものを夫婦の共通財産として家を豊かにしていくことです。イスコマコスは、この第三の点にかかわって、家の外での仕事と家のなかでの仕事とが繋がっていることを説明します。つまり、家の外での耕作や放牧といった仕事によって生活に必要なものが得られるのであるが、これらのものが住居にもたらされたときから、これらを貯蔵保管するという家のなかでの仕事が必要になるのだ、というわけです。そして、イスコマコスは、妻のやるべき仕事とは、この家のなかでの仕事なのだとして、女王蜂のしている仕事にたとえながら、その具体的な内容を説明していきます。イスコマコスとその妻の対話をみてみることにしましょう。

「女王蜂は、巣の中に留まり、働き蜂が怠けないように、外で働かなければならない蜂たちを仕事へ送り出してやる、そして、それらの蜂が運んできたものを確認して受けとり、それらのものを使う必要のあるときまで保存しておき、その時が来たら、おのおのの蜂達に公平に分け与えるのだ。
 それから、女王蜂は巣房の中につくられた蜜蜂の巣穴も管理する、それがきちんと迅速に作られるようにね。そして、生れた子供の世話をして成長させる。子供が成長し、仕事に耐えられるようになった時、女王蜂は、入植地を作るために、一匹の女王蜂と、これに従う蜂達と共に子供達を送り出すのだ」
 妻は言いました。
「では、私もまた、そうしなければならないのですか」
 僕(イスコマコス)は言いました、
「そうだよ、君は家に居て、外で働く召使い達を送り出す一方、家の中で働く者達を働かせて、彼らを監督しなければならないのだ。それから、収穫物を受けとり、彼等の生活に必要なものを分け与えなければならないよ。蓄える必要のある物については、予め、考えておかなければならないし、一年分の消費量を一ヶ月で使い切ってしまわないように注意しなければならないね。
 それに、羊毛が手に入った時は、衣服を必要としている者達のために、服を作るようにしなければならないし、穀物については、食用として、よい状態で保存されるように注意することが必要だね」(越前谷悦子訳『オイコノミコス』リーベル出版、pp.65-66)


 イスコマコスは、このように、蜜蜂の巣のなかにおける女王蜂と対比させながら、家のなかにおける妻の仕事について説明したのでした。つまり、妻は何よりもまず、労働すべき者たちをしっかりと労働させなければならず、収穫物をしっかりと保存管理して必要なときに必要なだけ分配していかなければならないのだ、ということです。

 続いての第8章では、イスコマコスが妻に対して整理整頓の効用について語ったことが話題となります。事の発端は、イスコマコスが妻に、家に運んだ物のうちのあるものを求めたにもかかわらず、妻がそれを渡すことができなかった、という出来事にあります。このことで悔しがって真っ赤になり、すっかり自信をなくしてしまった妻に対して、イスコマコスは、それぞれの物をどこに置くかを決めずに家事を任せた僕が悪かった、として、整理整頓ほど有用で美しいものはないのだ、ということを語り始めたのでした。イスコマコスの発言を見てみましょう。

「だから、妻よ、僕たちにとって、整理整頓ほど有用で美しいものはないのだ。合唱だって、人の集まりで成り立っているけれども、それぞれが勝手なことをしていたら、ゴタゴタして見苦しいだろう、逆に、それぞれが整然と行動し、歌えば、その同じ人達が、見るに値し、聴くにも値するように思えるのだ。
 そういうわけだから、妻よ、無秩序な軍隊は、混乱の極みであり、敵にとっては、いとも簡単に降伏させることが出来るし、一方、味方にとっては、見るも苦々しく、全く何の使いものにもならないのだ。ロバも重装備兵も、兵器の運搬人も、軽装備兵も騎兵も、戦車もすべてがそうだ。そんな無秩序な状態で、一体、進軍することが出来るのかね。互いに妨害しあうだけだ、歩行する者は駆ける者を、駆ける者は停止している者を、戦車は騎兵を、ロバは戦車を、重装備兵のポーターは重装備兵を、と言うように互いに妨げあう。
 そこで、戦わなければならない場合に、こんな状態で、どのように戦うことが出来るのかね。自分たちが退却して、戦士達を前に出さなければならないのに、退却しながら、重装備の戦士達を踏み潰してしまうこともありうるのだ。
 これに引き換え、隊列の整った軍隊は、味方にとって、見た目にも美しいが、敵にとっては、大変嫌なものだ。味方なら、誰だって、たくさんの重装備兵が隊列を組んで進んでゆくのを見て、喜ばないはずはないし、整然と前進する騎士達に感嘆しないはずはないだろう。」(同、pp.71-72)


 このように、イスコマコスは、合唱隊や軍隊を例に出しながら、必要なものがあるべきところにきちんと配置されていることの大切さを説くのです。

 続く第9章で、イスコマコスは、妻に家の各部分の機能をしっかりと教え込み、家具・備品を種類別に分類してそれぞれにふさわしい場所に置くようにしたことを語ります。また、召使いのなかからもっとも信頼に値すると思われる女性を召使頭として選び、彼女に家政の知識を教え、わが家の繁栄を願うように教育したことも語ります。さらにイスコマコスは、妻の果たすべき役割について、ポリスを例にして語ったことをソクラテスに報告します。

「そして妻に、こう考えたらどうかと言いました、つまり、彼女もまた、家の内のことについて定められた規則の番人なのだ、だから、丁度、指揮官が部隊を視察するように、適時、用具を注意深く調べるように、議会が馬や騎士を検分するように、家財用具の保存状態の良し悪しを検分するように、そして、女王のように、功績のある者を自分の度量によって褒賞し、時には、その必要のある者を叱責するようにと。」(同、p.82)


 要するに、ここでイスコマコスが述べていることは、社会を統括する国家権力に相当する役割を、家の内においては妻が果たすべきである、ということにほかなりません。ここから、クセノフォンが直接には家的共同体の望ましいあり方を説きながらも、それと重ね合わせるようにして、国家(ポリス社会)の望ましいあり方をも描こうとしていたのだ、と推測することも許されるでしょう。
posted by kyoto.dialectic at 06:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月03日

古代ギリシャの経済思想を問う(6/13)

(6)『オイコノミコス』は如何なる問題意識によって書かれたのか

 本稿は、ポリス社会の解体を何とか食い止めようとして展開された古代ギリシャの哲学者たちの思索のなかに、現代の経済情況について考えていく上でのヒントを見出していこうという問題意識から、プラトンの『国家』、クセノフォンの『オイコノミコス』、アリストテレスの『政治学』の3つの文献を取り上げて、古代ギリシャの経済思想について検討していくことを目的としたものです。

 前回まで3回に渡っては、プラトンの対話篇『国家(ポリテイア)――正義について』を取り上げ、そこに如何なる経済思想を見てとることができるのか、検討してきました。この『国家』という対話篇は、端的には、個人主義的な風潮(ポリス全体の利害よりも個人の利害を上においてしまうような風潮)を否定し、個人のあらゆる意志や行動を国家的な目的に従属させて調和的な全体として統一すべきことを主張したものだといえます。こうした主張を正当化するための哲学的根拠としてプラトンが持ち出してきたのが、イデア論、すなわち、生々流転する個物の背後には永遠不滅の真実在としてのイデアが存在するという論でした。プラトンは、イデア、とりわけ、その最高位である善のイデアを認識するに至った哲学者が王となって、国家的生活の隅々まで完璧に統括することによってこそ、人間としての本当によい(幸福な)生活が実現されるのだ、と論じているのです。具体的な論の進め方としては、あるべき国家の理想的姿を言論によって建設してみること、そしてまたその国家の建設過程を観察してみることにより、正義とは如何なるものかという問題について考察していこうという流れになっています。ソクラテス(=プラトン)は、人間は諸々のモノを必要としながらもひとりでは自給自足できないというところに国家成立の根拠を見出し、ここを出発点にして言論による国家建設の作業を進め、人々の多様な必要に応じて分業が発展し、対外的には貿易が行われるようになる(貿易商人が登場する)一方、対内的には市場が形成され貨幣が生み出されて、小売商人が登場してくる(正確には、最後には賃銭取りが登場してくる)までの過程を観察したのでした。さらに、最低限の必要を超えた欲望の発展によって、諸々の新しい家具を作る職人、音楽文芸にたずさわる人々、婦人装飾品を作る職人、数多くの召使いたち、理髪師、料理人、肉屋・割烹人、豚飼い、医者……などが生じ、財貨の無際限な獲得に夢中になるあまり他国の領土をも侵略するところから必然的に戦争が引き起こされて、統治者と職業戦士が誕生する様子が観察されることになります。以上のような観察を踏まえた上で、ソクラテス(=プラトン)は、国家は守護者(統治者)によって〈知恵〉あるものとなり、補助者(職業戦士)によって〈勇気〉あるものとなるのであって、〈知恵〉が〈勇気〉を味方につけて人々(生産者大衆を含む人々)の諸々の欲望を適切にコントロールすることによって〈節制〉をわきまえたものとなる、そして、〈知恵〉〈勇気〉〈節制〉という3つの徳を成立させ、それを存続させるものこそ、「自分のことだけをして余計なことに手出しをしない」という〈正義〉なのである、と説いたのでした。このように、プラトンの『国家』には、社会的分業の秩序(人々の諸々の需要を、種類の点でも量の点でも充たすような供給が可能となるような社会的分業の秩序)こそ国家の成り立ちを支えるものである、という非常に鋭い指摘が見られるのでした。

 さて、今回から3回に渡っては、クセノフォンの『オイコノミコス――家政について』について取り上げることにします。その第1回目となる今回は、クセノフォンが如何なる問題意識から『オイコノミコス』という著作を書くことになったのか、その時代的背景を簡単に確認しておくことにしましょう。

 クセノフォン(紀元前427年頃‐紀元前355年頃)は、アテネの騎士階級の出身であり、青年時代にソクラテスの弟子となりました。ペロポネス戦争(全ギリシャの覇権をめぐるアテネとスパルタの戦争)に敗北したアテネの混乱状態に失望したクセノフォンは、師ソクラテスの懸念にもかかわらず、新たな出会いと生きがいを求めて、ペルシャ王の子キュロスが雇ったギリシャ傭兵に参加することになります(このため、師ソクラテスの死に立ち会えなくなるのですが)。このときの経験は、『アナバシス』という著作に記されています。その後、スパルタ王アゲシラオスの知遇を得てスパルタ軍に加わることになったクセノフォンは、スパルタとテーベ(アテネの同盟国)との戦争に巻き込まれ、故国アテネの軍を直接に敵にまわして戦う羽目になってしまいました。この結果、アテネを追放されることになったクセノフォンは、スパルタ王アゲシオラスからスキルスに広大な荘園を与えられ、悠々自適の生活を送りながら著述に勤しんだとされています。ちなみに、その後、テーベの台頭を恐れたアテネとスパルタが同盟を結んだために、クセノフォンは追放を解かれアテネに帰ることができたとのことです。

 クセノフォンの作品は、古代から15編が伝えられていますが、そのうち『メモラビリア』『ソクラテスの弁明』『饗宴』『オイコノミコス』の4編は、師ソクラテスの言行録という形式で書かれています。しかし、この『オイコノミコス』の構造は、ほかの3編とは大きく異なります。それは、ほかの3編があくまでもソクラテスを主人公として、ソクラテスが語ることをその主要な内容としているのに対して、『オイコノミコス』の主要な内容は、ソクラテスと対話するイスコマコスという人物が語る内容であって、ソクラテスはこの対話においては、聞き役に徹しているということです。

 より具体的にみておきましょう。『オイコノミコス』は、クセノフォンが、ソクラテスとクリトブロス(プラトンの対話篇『クリトン』に登場するクリトンの息子)という人物の対話を聞いたことを報告するという形で始まります。ところが、途中から、ソクラテスが富裕な一家の長であるイスコマコスという人物から聞いた話をクリトブロスに語って聞かせるという形に移行してしまうのです。しかも、クリトブロスに対しては対話を主導する立場にあったソクラテスは、イスコマコスとの対話においては、むしろ教えを請う立場になってしまっているのです。つまり、『オイコノミコス』は、クリトブロスとソクラテスの対話(ここではソクラテスが教える立場です)のなかに、イスコマコスとソクラテスの対話(ここではソクラテスが教えを請う立場になっています)が包み込まれるという二重構造になっているわけです。このイスコマコスは架空の人物であると考えられること、またイスコマコスの発言にはペルシャ王子の傭兵となった以降のクセノフォンの体験を踏まえてしか語りえない内容が含まれていることからして、このイスコマコスとソクラテスの対話は完全な創作であり、イスコマコスの発言という形をとってクセノフォン自身の主張を述べたものと考えられるわけです。

 さて、この対話篇の内容は、タイトルにあるとおり家政(家の財産をどのように管理するか)についてです。つまり、クセノフォンと同じくソクラテスの弟子であったプラトンが、現実には存在し得ないような理想国家像を描き、個人の独立性を否定して全てを1個の国家的目的に従属させてしまうような論を展開したのに対して、クセノフォンの方は、ポリス市民の自立した生活の基盤となる家的共同体に焦点を当てて、現実的にどのような家的共同体のあり方が望ましいのか、といった問題について考察したのです。このようにみてくると、クセノフォンの『オイコノミコス』はプラトンの『ポリテイア(国家)』とは着眼点も考察の仕方も対極にあるように思われます。しかし、ポリス社会の古きよき時代への憧れのようなものがあった点は、両者に共通しているといえそうです。ここで着目したいのは、クセノフォンが作中人物としてのソクラテスに、農業という技術を賞賛させていることです。少し引用してみましょう。

「そこで僕達は、真っ当な人間にとって最も有益な仕事と技術は、人間が生活する上で必要とするものを供給する農業であると判断したのだ。
 その理由は、この仕事は最も容易に学ぶことが出来、最も心地よく働くことが出来ると思われるからであり、身体の鍛錬に最上で、魂にとっても、友人や都市(ポリス)の事に配慮するのを妨げないからだ。
 それに農業は、城壁の外で生活に必要なものを生育させることによって、それに携わる人々を励まし、勇敢にすると思えた。こういう訳で、この生活様式は市民達の間で最も高い評価を得ているように思われたのだ、なぜなら、その生活様式によって、共同体のために最良の市民を供給すると思われるからだ。」(越前谷悦子訳『オイコノミコス』リーベル出版、p.53)


 要するに、農業は生活に必要な食料をもたらすのはもちろんのこと、耕作によって心身を鍛えることになるし、土地を守る勇気を与えるものでもあって、よきポリス市民としての生活の基礎となるようなものであるということです。実際、この対話篇で説かれている家的共同体の管理の方法とは、あくまでも独立自営農民の家的共同体を対象にしたものであって、それ以外ではないのです。

 ここで想起しなければならないのは、当時のアテネ社会の情況です。本稿の連載第2回でも触れたとおり、ペロポネソス戦争以降のアテネにおいては、商工業者出身の民衆指導者(デマゴーゴス)が政治の主導権を握り、冒険的な対外進出策を主張するなどして政治を混乱させていました。農業経営に行き詰まり、生活を困窮させていた下層市民たちは、積極的な対外進出策に活路(土地の再分配など)を見出そうとして、デマゴーゴスを支持していたのでした。このように、独立自営農民による農地防衛のための共同体というポリス本来のあり方が大きく崩れてしまったことが個人主義的風潮(ポリス全体の利害よりも個人の利害を上においてしまうような風潮)をもたらし、政治を混乱させ、社会を荒廃させてしまっていたというのが、当時のアテネ社会の情況だったわけです。

 クセノフォンが農業を賞賛し、独立自営農民の家的共同体における家財の管理の仕方について説いたのは、こうした社会情況への憂慮の念があったからにほかならないというべきでしょう。クセノフォンは、独立自営農民としての堅実な生活様式が廃れてしまったことを憂い、個々のポリス市民が独立自営農民として安定した生活基盤を維持してこそ、ポリス社会の健全な発展もありうるのだ、との思いから『オイコノミコス』を著したのではないかと考えられるわけです。
posted by kyoto.dialectic at 06:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月02日

古代ギリシャの経済思想を問う(5/13)

(5) プラトンにおいては社会的分業が直接に正義である

 前回は、プラトンの『国家』が、あるべき国家の理想的姿を言論によって建設してみること、そしてまたその国家の建設過程を観察してみることを通じて、正義とは如何なるものなのかという問題について考察していこうとする対話篇であることを確認した上で、言論による国家建設の端緒となる部分を少し丁寧に確認しておきました。ソクラテス(=プラトン)は、人間は諸々のモノを必要としながらもひとりでは自給自足できないというところに国家成立の根拠を見出し、ここを出発点にして言論による国家建設の作業を進め、人々の多様な必要に応じて分業が発展し、対外的には貿易が行われるようになる(貿易商人が登場する)一方、対内的には市場が形成され貨幣が生み出されて、小売商人が登場してくる(正確には、最後には賃銭取りが登場してくる)までの過程を観察したのでした。

 ところが、このような社会的分業のあり方は、単に生存を維持するだけの生活水準を想定したものであり、例えば食生活についてみても非常に慎ましやかなものしか考えられません。ソクラテス(=プラトン)の対話相手となっていたグラウコンは、その点を取り上げて、「そのようなものは、ソクラテス、あなたが豚の国を建設なさる場合に豚に食べさせる飼料と、いったいどこが違うのですか?」「彼らがみじめな思いをすべきでないとすれば、ちゃんと寝椅子の上に横になり、食卓について食事をし、そして現在人々が食べているような料理やデザートを食べなくては、と思います」と突っ込むことになります。人間は単に生存を維持するだけの生活水準に満足することはできないのであり、文化的レベルの向上した生活への欲求を持っているのではないか、との指摘であるといってよいでしょう。これに対して、ソクラテス(=プラトン)は、これまで検討してきた「真実な国家」「健康な国家」に対して、「贅沢な国家」「熱でふくれあがった国家」も観察してみよう、と応じます。

 こうして、言論による国家建設は、いわば第2段階に突入します。ソクラテスたちは、人々がよりよい暮らし向きを求めるところから、諸々の新しい家具が加わり、家や衣服や履物に装飾が施されるようになり(もちろん、それらの担い手としての職人を必要とします)、音楽文芸にたずさわる人々(詩人、吟誦家、俳優、舞踏家、興行師など)、婦人装飾品を作る職人たち、数多くの召使いたち(乳母、子守り、着付掛りなど)、理髪師、料理人、肉屋・割烹人、豚飼い、医者……などが生じてくる様子を観察します。さらに、ソクラテス(=プラトン)は、「贅沢な国家」(熱でふくれあがった国家)が「どうしても必要なだけの限度をこえて、財貨を無際限に獲得することに夢中に」なり、他国の領土を侵略しようとするところから、必然的に戦争が生じてくるのだ、と説きます。

 こうした事態を受けて、ソクラテス(=プラトン)らが言論の上で建設している国家には、国防と統治を担う専門者集団(守護者)が誕生することになります(この守護者は後に統治者としての「守護者」と職業戦士としての「補助者」に分けられます)。ここにおいて、言論による国家建設の第2段階は、一応の区切りを迎えます。これ以降、ソクラテス(=プラトン)は、守護者層には特殊な資格、特殊な生活条件(個人的な欲求を否定するための財産共有制)が要求されることを詳しく説明していくのですが、本稿の問題意識からは外れますので、その議論についての紹介は割愛します(とはいえ、非常に興味深い議論が展開されていますので、ぜひ原典をお読み下さい)。

 さて、本稿の問題意識から注目しなければならないのは、ソクラテス(=プラトン)が、これまでの国家建設過程(社会的分業の発展過程)を踏まえた上で、正義とは如何なるものかという問題について、以下のような結論を導き出していることです。

「各人は国におけるさまざまな仕事のうちで、その人の生まれつきが本来それに最も適しているような仕事を、一人が一つずつ行わなければならない……そして、自分のことだけをして余計なことに手出しをしないことが正義なのだ」(藤沢令夫訳『国家』岩波文庫上巻、p.333)


 ここで、自分のことだけをするというのは、他人がどうなろうが構わずに自分のやりたいことだけをやりたいようにやる、という意味ではありません。そうではなくて、国家的社会のなかで自分の果たすべき役割をしっかりと自覚して、その自分の役割に専念すべきである、という意味なのです。各人がそのような姿勢に徹することによって、国家的社会を健全に維持することができる――これこそが、プラトンのいわゆる正義にほかなりません。つまり、プラトンにおいては、「自分のことだけをして余計なことに手出しをしない」という社会的分業の秩序が直接に正義であるということになるわけです。

 この社会的分業の秩序は、第一には、「守護者の種族」「補助者の種族」「金儲けを仕事とする種族」という「三つある種族の間」(同、p.337)における分業(国家建設過程の第2段階で成立した分業)の秩序として、第二には、「金儲けを仕事とする種族」の内部における分業(農夫、大工、織布工……といった、国家建設の第1段階で成立した分業)の秩序として、二重構造において捉えられるべきでしょう。とはいえ、ソクラテス(=プラトン)が正義論と直接に繋がる形で論じているのは、「三つある種族の間」における分業です。ソクラテス(=プラトン)は、〈知恵〉〈勇気〉〈節制〉〈正義〉という4つの基本的な徳が国家のどこに存在するのか、という問題を提起した上で、次のように答えます。すなわち、国家は、守護者(統治者)によって〈知恵〉あるものとなり、補助者(職業戦士)によって〈勇気〉あるものとなるのであって、〈知恵〉が〈勇気〉を味方につけて人々(生産者大衆を含む人々)の諸々の欲望を適切にコントロールすることによって〈節制〉をわきまえたものとなる。そして、〈知恵〉〈勇気〉〈節制〉という3つの徳を成立させ、それを存続させるものこそ、「自分のことだけをして余計なことに手出しをしない」という〈正義〉にほかならないのだ、と。

 ここには、人々の諸々の欲望を適切に抑えていくことこそが国家の安定(秩序維持)にとって肝要である、という発想を見てとることができるでしょう。プラトンは端的に「富と徳とは、元来そういう対立関係にあるのではないだろうか――いわば、両者のそれぞれを秤の皿に乗せると、つねにまったく正反対の方に傾く、といったようなね」(同下巻、p.207)とも述べています。要するに、プラトンにおいては、人々の富への欲望は、国家のあるべき秩序を乱してしまう要因として、もっぱら否定的なものとして考えられているわけです。このような古代ギリシャにおける富への警戒感は、資本主義経済の本格的な発展の始まりによって大きな富が築かれつつあった18世紀、いわゆるスコットランド啓蒙の流れ(『道徳感情論』『国富論』を著したアダム・スミスもその一員です)において、富と徳とを何とか両立させようとした議論が展開されていったことを想起すると、非常に興味深いものがあります。

 アダム・スミスの名前が出たついでに(?)、前回予告しておいたプラトンの分業論とスミスの分業論との比較という問題に論を進めることにしましょう。両者の分業論を比較してみると、分業が生産性の向上に資することへの着目、交換手段として貨幣が成立してくる過程についての究明、人間の欲望の複雑化が分業の進展を導くことの指摘といった点で、興味深い共通点を指摘することができます。しかし、分業が成立する根本的な原因をどうみるかという点においては、両者は大きく異なっているのです。プラトンは、「われわれひとりひとりの生まれつきは、けっしてお互いに相似たものではなく、自然本来の素質の点で異なっていて、それぞれが別々の仕事に向いている」という事実こそが、分業の根本的な原因であるとします。一方のスミスは、「人間の本性上のある性向」すなわち「ある物を他の物と取引し、交易し、交換しようとする性向」こそが分業の原因であるとしています(*)。要するに、人間の本性としての交換性向が利己心に助長されて分業を導くというのが、スミスの分業成立論なのです。その上でスミスは、次のように述べるのです。これは、プラトンの文章を強烈に意識したものであるようにも思われます。

「人それぞれの生れつきの才能の違いは、われわれが気づいているよりも、実際はずっと小さい。さまざまの職業にたずさわる人たちが、成熟の域に達したときに、一見他人と違うように見える天分の差は、多くの場合、分業の原因だというよりもむしろその結果なのである」(大河内一男監訳『国富論』中公文庫T、p.28)


 要するに、スミスにおいては、人間の能力や性質の差異は分業の結果として、習慣や教育から生じるのです。したがって、スミスにおいては(プラトンにおいて各人は生まれつきふさわしい特定の職業に専念すべきとされるのに対して)、職業間の移動は自由であるべきと主張されることになるわけです。スミスにおいては、正義(他人の身体や財産を侵害しないこと)という枠組みの内部において職業間の移動の自由を伴った社会的分業(ダイナミックな発展の可能性を含んだ分業関係)が展開するのです。つまり、プラトンにおいて社会的分業が直接に正義であった(したがって固定的な社会的分業でしかない)のに対して、スミスにおいては正義と社会的分業とが媒介関係にあるわけです。

 しかし、私たちは、プラトンがなぜ職業間の移動の禁止などということを主張した(**)のか、その背後にある論理をきちんと掴まなければなりません。これは例えば、靴を作る人が勝手に他の職業に転じて当該国家に靴屋が1人もいなくなってしまったら、国家的生活そのものが成り立たなくなってしまう、といった危機感があったからなのではないでしょうか。国家においては、誰かが衣のための生産を担えば、別の誰かが食のための生産を担い、また別の誰かが住のための生産を担う、といった分業がなければ成り立ちません。各自が勝手に自分の好きな職を目指して移動を始めると、そういう秩序がグチャグチャになってしまう――このような危機意識が、漠然としたものであれ、プラトンにあったのだとはいえないでしょうか。社会的分業の秩序(人々の諸々の需要を、種類の点でも量の点でも充たすような供給が可能となるような社会的分業の秩序)こそが国家の成り立ちを支えるという把握そのものは非常に鋭いものであって、私たちは、プラトン『国家』における経済思想の核心として、そこのところをきちんと汲み取っておかなければなりません。

(*)スミスは、『法学講義』において、交換性向の土台には説得の本能(principle)があるとしています。「説得の本能」とは、他者に共感してもらいたいという根源的な強い願いであるといってよいでしょう。

(**)そもそも、生々流転するものは偽りであり理想的な姿は絶対に不変である、というプラトン哲学の発想からすれば当然のことかもしれません。もっとも、プラトンは、「三つの種族の間」の移動は厳格に禁止すべきだとする一方で、生産大衆の内部における職業間の移動については比較的緩やかに考えていたようでもあります(『国家』第4巻10)。
posted by kyoto.dialectic at 06:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月01日

古代ギリシャの経済思想を問う(4/13)

(4)プラトンは国家成立の根拠を社会的分業に見出した

 前回は、プラトンが如何なる問題意識から『国家』という著作を書くことになったのか、簡単に確認しておきました。端的には、個人主義的な風潮(ポリス全体の利害よりも個人の利害を上においてしまうような風潮)を否定して、個人のあらゆる意志や行動を国家的な目的に従属させ、調和的な全体として統一すべきことを主張したものだといえます。こうした主張を正当化するための哲学的根拠としてプラトンが持ち出してきたのが、イデア論、すなわち、生々流転する個物の背後には永遠不滅の真実在としてのイデアが存在するという論です。プラトンは、イデア、とりわけ、その最高位である善のイデアを認識するに至った哲学者が王となって、国家的生活の隅々まで完璧に統括することによってこそ、人間としての本当によい(幸福な)生活が実現されるのだ、と論じたわけなのです。

 それでは、このようなプラトンの理想国家論のなかに、私たちは、どのような経済思想を見てとることができるのでしょうか。今回と次回の2回に渡っては、このような観点から、『国家』における議論の内容をみていくことにしましょう。

 プラトンの対話篇『国家』には、「正義について」という副題が付されています。この副題の通り、本書で中心的な主題となるのは正義とはどういうことかという問題なのであり、この問題を考察するためのひとつの手段として、国家のあり方の問題が論じられることになるわけです。より具体的には、知人たちとの会話のなかで、正義とはどういうものなのかという問題を提起されたソクラテス(この対話篇の主要な語り手はソクラテスですが、その発言内容はプラトン自身の考えに基づくものと考えられます)が、小さいもの(個人)の正義よりも大きいもの(国家全体)の正義の方が考察しやすいであろうとして、国家のあり方へと考察対象を移行させているわけです。国家のあり方を考察する際にソクラテス(実質的にはプラトンの化身)が取った方法は、「国家が生まれてくる次第を言論のうえで観察する」(藤沢令夫訳『国家』岩波文庫上巻、p.144)ということです。要するに、あるべき国家の理想的姿を言葉によって創ってみること、換言するならば、国家のイデアを掴むことがこの対話篇の主軸となっているのだといってもよいでしょう。

 ですから、国家についての考察は、そもそも国家なるものがなぜ生じてくるのかという問題からスタートすることになります。ここで経済思想との絡みで極めて興味深いのは、プラトンが国家成立の根拠を社会的分業に見出していることです。『国家』の作者であるプラトンは、作中人物としてのソクラテスに次のように語らせます。

「ぼくの考えでは、そもそも国家というものがなぜ生じてくるかといえば、それは、われわれがひとりひとりでは自給自足できず、多くのものに不足しているからなのだ。……したがって、そのことゆえに、ある人はある必要のために他の人を迎え、また別の必要のためには別の人を迎えるというようにして、われわれは多くのものに不足しているから、多くの人々を仲間や助力者として一つの居住地に集めることになる。このような共同居住に、われわれは〈国家〉という名前をつけるわけなのだ。」(同、pp.145-146)


 このように述べたソクラテス(=プラトン)は、「必要のうち第一で最大のものは、生きて生存するための食料の備え(供給)」、「第二は住居のそれ、第三は衣服類のそれだ」とした上で、以下のように述べます。

「どのようにすれば国家は、それだけのものを供給するにたるだけのものとなるだろうか。――農夫が一人、大工が一人、それに織物工が一人いることになるのではないかね? それとも何なら、さらに靴作りその他、身のまわりの必要品のために仕えるものを誰か、そこへ付け加えることにしようか? ……そうすると、最も必要なものだけの国家の成員は、四、五人ということになるだろう。」(同、pp.146-147)
 

 人間は生きていく上で諸々のモノを必要とするにもかかわらずひとりでは自給自足できないのだから、人々が食・住・衣の必要物を満たそうとすれば、必然的に諸々の個人が助力者として同一の場所に引き寄せられていくことにならざるをえない――これが、プラトンの説く国家の起源(国家成立の根拠)です。端的には、諸々の必要を満たし生存を維持していくための社会的分業体こそが国家なのだといってよいでしょう。そのような観点は、「最も必要なものだけの国家」が成り立つためには、農夫・大工・織物工(+靴作り)の最低4〜5人以上が必要である、という非常に分かりやすく具体的な事例によって、読者に鮮明に印象づけられることになります。バラバラの諸個人が集まって国家を形成するという把握の妥当性はともかく、ここでは、国家の内実は人々の生存を維持していくための社会的労働にほかならないということが、かなり明瞭に掴まれているともいえるのであって、これはなかなかの慧眼であるといってよいでしょう。

 さらに興味深いのは、ソクラテス(=プラトン)が以下のように述べて、分業の利益について説明していることです。

「それぞれの仕事は、一人の人間が自然本来の素質に合った一つのことを、正しい時機に、他のさまざまのことから解放されて行う場合にこそ、より多く、より立派に、より容易になされるということになる」(同上巻、p.149)


 要するに、1人の人間が色々な仕事に手を出すよりも1つの仕事に集中した方が生産性が上がる、ということです。アダム・スミスが『国富論』の冒頭において分業の巨大な利益について説いたことはよく知られていますが、非常に素朴な形ではあれ、それとほぼ同じ内容を含んだ分業論がこの『国家』においても見られることは、非常に興味深いものがあります(プラトンの分業論とスミスの分業論との比較については、次回により詳しく行うことにします)。

 さて、この対話篇のなかでソクラテス(=プラトン)らが言論によって創っていく国家は、以上のような分業の利点のゆえに、分業の一層の細分化(例えば、農夫が鋤や鍬などの農具の生産を専門の職人に任せるようになるなど)を必然的に進行させていくことになります。さらに、「国家そのものを、輸入品の必要がまったくないような地域に建設するということは、ほとんど不可能である」という事情から、輸入品と交換するための輸出品を生産する諸々の職人が必要になってきますし(*)、貿易商人や「海の仕事の専門家」(船をつくる人、船を動かす人のことでしょう)も必要になってきます。一方で、対内的には、市場(イチバ)および貨幣が誕生し、小売商人が登場してくることになります。

 ちなみに、ソクラテス(=プラトン)は、「農夫とか、その他の職人などが何か生産物を市場に持って行っても、それを自分のものと交換したいと求める人たちと同じ時に来合わせないとしたら、彼は自分の仕事を休んで、市場にじっと坐りこんでいる」ほかなくなってしまうとして、小売商人というものが生み出される必然性を指摘しています。要するに、商品交換を容易にするための手段として貨幣や小売商人が登場してきたのだという把握がなされているわけで、こちらもまた、スミス『国富論』の貨幣成立論とほぼ同じ内容が素朴な形で含まれたものとして、非常に興味深いものがあります。

 それはさておき、ソクラテス(=プラトン)らが言論によって創る国家は、最後に力仕事に従事する賃銭取り(体力の使用を売り、その対価として賃銭を受け取る人)が登場してくることで、十分な分業体制を一応完成させることになります(ここで、言論による国家建設過程の第1段階が終了します)。

(*)ソクラテス(=プラトン)は「だから、国内で生産するものは、自分たちに充分であるだけではなく、必要なものを供給してもらいたいその相手の人々の需要をも、種類の点でも量の点でも、充たさなければならない」という実に鋭く興味深い指摘をおこなっています。
posted by kyoto.dialectic at 06:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月30日

古代ギリシャの経済思想を問う(3/13)

(3)『国家』は如何なる問題意識によって書かれたのか

 本稿は、ポリス社会の解体を何とか食い止めようとして展開された古代ギリシャの哲学者たちの思索のなかに、現代の経済情況について考えていく上でのヒントを見出していこうという問題意識から、プラトンの『国家』、クセノフォンの『オイコノミコス』、アリストテレスの『政治学』の3つの文献を取り上げて、古代ギリシャの経済思想について検討していくことを目的としたものです。

 今回から3回に渡っては、プラトンの『国家』について取り上げることにします。その第1回目となる今回は、プラトンが如何なる問題意識から『国家』という著作を書くことになったのか、簡単に確認しておくことにしましょう。

 プラトン(紀元前427年‐紀元前347年)は、本名をアリストクレスといい、アテネの古い名門の出身です。名門の出身としては当然の如く、彼も若い頃には政治に携わることを希望していました。しかし、アテネの現実政治の混乱が彼の希望を阻むことになります。彼の親戚の何人かは、ペロポネソス戦争の敗戦後に成立した親スパルタの寡頭制政権に加わっていたのですが、プラトン自身はその過酷な恐怖政治に深く幻滅してしまいます。さらに、その寡頭制政権が崩壊した後に成立した民主制に期待をかけられるかと思っていた矢先、彼の師であるソクラテス(紀元前469年頃‐紀元前399年)が裁判にかけられ死刑になってしまう、という事件が発生します(ソクラテスは、怪しげな神を説いて若者を惑わしポリスの掟に反逆しているとして告発されたのです)。こうして、プラトンは、直接的に現実政治に携わるという希望を断たれてしまうことになりました。師であるソクラテスの刑死の後、プラトンは半ば亡命するような形でアテネを去り、諸国を遍歴しながら哲学的思索を深めつつ、哲学に基づいてポリス全体を根本からつくり直すという構想を固めていくことになったのです。こうした構想が結実したものこそが、今回から取り上げる『国家(ポリテイア)――正義について』という対話篇にほかなりません(*)。

 それでは、『国家』では如何なる思想が展開されているのでしょうか。端的に結論からいえば、個人主義的な風潮(ポリス全体の利害よりも個人の利害を上においてしまうような風潮)を否定して、個人のあらゆる意志や行動を国家的な目的に従属させ、調和的な全体として統一すべきことを主張したものだといえます。そもそもペロポネソス戦争より前のポリス社会においては、国家的意志と個人的意志が未だ分離しておらず、それぞれの市民たちはポリスの利益ために生きることを当然のこととしていました。その意味では、プラトンの『国家』は復古的な理想国家像を描いたものであるということができるでしょう。

 しかし、『国家』を単に復古的な理想国家の物語として片付けてしまうわけにはいきません。それは、プラトン独特の哲学的主張に裏付けられたものであるからです。そのことを端的に示すのが、次の有名な哲学王の命題です。

「哲学者たちが国々において王となって統治するのでないかぎり……あるいは、現在王と呼ばれ、権力者と呼ばれている人たちが、真実にかつじゅうぶんに哲学するのでないかぎり、すなわち、政治的権力と哲学的精神とが一体化されて、多くの人々の素質が現在のようにこの二つのどちらかの方向へ別々に進むのを強制的に禁止されるのでないかぎり、……国々とって不幸のやむときはないし、また人類にとっても同様だ」(藤沢令夫訳『国家』岩波文庫上巻、p.452)


 要するに、単に個人主義的風潮を排して権力者が国家の隅々まで統括しきればよいというのではなく、国民の全てを支配すべき国家意志はあくまでも哲学的精神に裏付けられたものでなければならない、というのがプラトンの主張であるわけです。
 ここで問題になってくるのは、プラトンのいわゆる哲学的精神とはどういうことなのかということです。これを掴むためには、ソフィストからソクラテス、プラトンへの過程を辿ってみる必要があります。

 ソフィストというのは、ペロポネソス戦争による民主政治の混乱を背景にして、弁論術による個人の自己主張を(金銭を取って)教えた人々です。彼らの思想を端的に表すものとしては、プロタゴラスの「万物の尺度は人間である」という言葉が有名です。ここでいう人間とは、人間一般ではなく、あくまでも個々の人間であることが重要です。つまりソフィストは、何が正しいのかを決める客観的基準など存在せず、それは各人が全く任意に決定することができるものなのだ、と主張したわけです。このような主張が個人主義的な風潮を高めるものであったことは論を俟たないでしょう。このことが、政治的な混乱や倫理的な荒廃をもたらしてしまった面を否定することはできません。

 こうした社会の深刻な荒廃を憂いつつ、ソフィストの主張を乗り越えようとし挑戦していったのがソクラテスです。彼は「万物の尺度は人間である」という言葉そのものは肯定しつつも、何が正しいかの基準は決して個々人が全く任意に決定できるようなものではなく、正しく考える人間であれば誰もが認めうるような確固とした基準があるはずだ、と思索していったのでした。

 こうしたソクラテスの思索を継承しつつ大きく発展させたのが、プラトンのイデア論です。イデアとは何か、端的にいえば、そのものをそのものたらしめるもの、ということになります。例えば、個々の馬は千差万別ですが、私たちがどの馬を見ても「馬である!」と認識できるのは、全ての馬に共通して「馬そのもの」という1つのイデアが存在するからなのだ、というように考えるわけです。プラトンは、個々の事物が生成消滅するのに対してイデアは永遠に不変で不滅の存在である(個々の馬は生まれそして死んでいくが、馬のイデアは個々の馬がどうなろうと変わらず存在し続ける)のだから、このイデアこそが真実の存在であると主張しました。プラトンによれば、イデアは個々の事物が存在している世界(感覚界)とは別個の世界(イデア界)に存在するものであり、個々の事物は全てそれに対応するイデアの影(不完全に模倣した写し)にすぎないのだ、というのです。プラトンはこのイデア界の構造について、無数のイデアのうちで最も高い段階に位置するのが「善のイデア」であり、他の全てのイデアは結局は善のイデアを目的としてそれに従属しているのだと考えました。プラトンによれば、人間の魂はもともとイデア界に属するものなのですが、それが感覚界の事物である肉体に宿ることで、感覚界にも属するようになっています。ですから、大多数の人間の魂は、感覚界の生成消滅する事物(イデアの影にすぎないもの)を真実の存在と見誤ってしまうことになります。このような情況から脱して、イデア、とりわけ善のイデアを観てとれるようになった人こそプラトンのいわゆる哲学者にほかなりません。

 プラトンは、このような哲学的精神の育成について、以下のように述べています。

「ひとりひとりの人間がもっているそのような〔真理を知るための〕機能と各人がそれによって学び知るところの器官とは、はじめから魂のなかに内在しているのであって、ただそれを――あたかも目を暗闇から光明へ転向させるには、身体の全体といっしょに転向させるのでなければ不可能であったように――魂の全体といっしょに生成流転する世界から一転させて、実在および実在のうち最も光り輝くものを観ることに堪えうるようになるまで、導いて行かなければならないのだ。そして、その最も光り輝くものというのは、われわれの主張では、〈善〉にほかならぬ。そうではないかね? ……教育とは、まさにその器官を転向させることがどうすればいちばんやさしく、いちばん効果的に達成されるかを考える、向け変えの技術にほかならないということになるだろう。」(藤沢令夫訳『国家』岩波文庫下巻、pp.115-116)


 つまり、哲学的精神の育成のためには、「生成流転する世界」に向いてしまっている魂を一転させて、「実在」(=イデア)および「実在のうち最も光り輝くもの」(=善のイデア)を観ることができるように導いていかなければならない、こうした魂の「向け変えの技術」こそが教育にほかならないのだ、というわけです。ちなみに、そのような哲学的精神の育成のために最も重視されたのが、哲学的問答法(弁証法)でした。

 そのような教育によって哲学的精神を把持するに至った人物こそが国家を指導しなければならない、哲人王による善のイデアの認識に基づいて国家的生活の隅々までが完璧に統括されるべきである――端的にはこれが、プラトンの描く理想的国家像であるといえます。このように、プラトンの『国家』においては、善のイデアなるものが想定されることによって、国家を構成する多数の個人の意志や行動を1個の国家的目的に従属させ、調和的な全体として統一していくことが正当化されたわけです。

 それでは、このようなプラトンの国家論のなかに、私たちは、どのような経済思想を見てとることができるのでしょうか。次回以降、この問題を考えていくことにしましょう。

(*)「正義」という訳語をめぐって、悠季真理「古代ギリシャ哲学、その学び方への招待(7)」では、「当時の対話は、通常訳出されているような“正義”の概念を巡る議論ではなく、あくまでも国の指導者としてどのように行動するのが正しいのか、よろしいのか、というレベルでの議論である」(『学城』第8号、p.75)と指摘されていますが、本稿では、プラトン『国家』の文章を岩波文庫版(藤沢令夫訳)から引用することにした関係で、「正義」という訳語を用いることにしました。
posted by kyoto.dialectic at 06:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月29日

古代ギリシャの経済思想を問う(2/13)

(2)古代ギリシャの“経済思想家”たちは何を考えていたのか

 前回は、現代の日本において、経済の長期的低迷から脱する糸口としてTPPをはじめとする自由貿易協定に大きな期待がかけられている情況をみた上で、「内需に期待できないから外需を取り込まなければ」という安直な発想で自由貿易を推進し対外依存を強めてくならば、国民経済の健全な発展や国民生活の安定性にとって重大な結果にもなりかねないことを指摘しました。

 対外依存を過度に高めていくことが国家の存立を脅かすことになるかもしれない――これは、何も現代の日本だけが直面している問題でも、さらにいえば自由貿易を理念として掲げた近代資本主義の諸国家だけが直面してきた問題でもありません。そもそも国家なるものが他国家との交渉を完全に断ち切っては存立しえない以上、これは、人類の歴史上、あらゆる国家が多かれ少なかれ直面させられてきた問題であるといっても過言ではないでしょう。

 こうしたなかで、本稿で取り上げてみたいのは、古代ギリシャのアテネの事例、より具体的には、ギリシャ世界全体に及ぶ混乱のなかですでに衰退期に入っていたアテネの事例です。それは、当時のアテネにおいて、ポリス社会の解体を何とかして食い止めようとして思索したプラトンやアリストテレスらの「経済思想」が、現代日本に生きる私たちにとって少なからず示唆を与えてくれるものであるように思われるからです。

 ここで、プラトンやアリストテレスらの「経済思想」と、カギ括弧を付して表記しておいたのには理由があります。それは端的には、彼らにはそもそも純粋に経済問題について思索するなどという発想はあり得なかったからにほかなりません。古代ギリシャのポリスにおいては、近代資本主義社会とは異なって、経済と政治とが未だ分離していませんでした。プラトンやアリストテレスらにおいては、ポリス社会の崩れに如何に対処するかという問題が全てであって、そういう問題意識から説かれている論のある部分に焦点を当てて、後世の私たちが「このあたりは経済について論じているといえそうだ!」と捉え返しているだけなのです。彼らの著作においては、経済の問題が政治の問題や倫理の問題や教育の問題などと渾然一体となって説かれています。しかし、そうであるからこそ、他の領域から機械的に切り離されて広い視野を失ってしまった現代の経済学にはない視点を学ぶことも可能になってくるのだといえるでしょう。煩雑さを避けるため、本稿ではこれ以下、カギ括弧を付さずに表記していきますが、以上のような含みがあることは念頭において読んで下さい。

 さて、プラトンやアリストテレスらの経済思想について検討していくためには、その大前提として、当時のアテネの情況について押さえておく必要があります。

 そもそもポリスが形成された背景には、紀元前8世紀以降、限られた耕地をめぐって無数の村落共同体が小競り合いをくり返すという情況が現出したことがありました。こうした情況のなかで、複数の小共同体が統合され強化されるという過程が進行していったのであり、その過程を通じて、自らの農地を防衛する戦士(=市民)の共同体として形成されてきたものこそ、ポリスにほかならなかったのでした。独立自営農民たちが農地の防衛という共通利害にもとづいて結集した共同体がポリスなのであって、そういう成り立ちからして当然のことながら、国家(ポリス)の意志と個々の市民の意志との間に分離はなかったのです。自分たちの農地を防衛するということが国家(ポリス)の意志であり、またいうまでもなく個々のポリス市民すなわち独立自営農民の意志でもあったわけです。農地こそポリス(国家)の実体であり、市民たちの生活そのものでした。

 そうしたポリスのひとつであるアテネは、アッティカ地方の各村落共同体から、甲冑で自ら武装できるだけの財力を保持した貴族的市民(村落的共同体を構成する独立自営農民のなかでも特に有力だった層)が集住することによって形成されたポリスであり、彼ら貴族的市民たちが政治の中心にいました。貴族的市民たちは、多数の奴隷労働力を購入するだけの財力を持っていましたから、村落における所有地の耕作は奴隷たちに任せて、自身は都市部に居を構えることが可能だったわけです。一方で、それほどの財力を持たず多数の奴隷を抱えることのできなかった平民(独立自営の中小農民)たちは、村落から離れることはできませんでしたし、甲冑を自弁することもできませんでしたから、戦場へ出陣することも不可能でした。

 しかし、エーゲ海対岸のイオニア植民市との交易を通じて手工業や商業(貨幣流通)が発展してくると、こうした情況に大きな変化がもたらされることになってきます。手工業が大きく発達したことによって鉄製武器が次第に安価になっていくと、平民たちも重装歩兵として戦場で活躍できるようになっていきましたし、植民活動の展開のなかで購買奴隷が次第に安価になっていくことで、平民たちも奴隷を容易に購買できるようになって、政治参加する余暇を持てるようになったのです。こうして平民たちの社会的地位が高まり発言力を増していくことで、民主制が確立されていくことになったのでした。

 それでは、こうした歴史的過程を通じて、アテネ社会には如何なる経済構造(社会的総労働の配分の構造)が形成されることになったのでしょうか。紀元前4世紀頃のアテネの人口構成は、市民(家族を含む)が約10万人、在留外国人が約3万人、奴隷が約9万人であったといわれています。市民は基本的には農地を所有する独立自営農民であり、商工業に従事していたのは主として在留外国人でしたが、アテネ市民のなかからも、商工業に転じて大きな富を築く者が登場してきていました。元来アテネは農業国であり、紀元前6世紀頃に陶器が輸出産業として大きく栄えるようになるまでは、穀物の余剰を輸出するほどでした。しかし、紀元前6世紀以降、人口増加に伴って穀物需要が著しく増加したことに加え、農業のあり方も穀作中心の自給的なものからオリーブや葡萄に重点をおく輸出型に転化していったことにより、穀物輸入の必要性が高まってきたのです。紀元前4世紀頃になると、主食となる穀物の自給率は4割程度にすぎなくなっていたのではないかともいわれています。このように穀物の供給を輸入に頼る一方で、手工業生産の6割が輸出され(主力商品は陶器)、銀産出の8割が輸出されるという貿易構造が形成されていたわけです。古代アテネ市民たちは、国外から購入した奴隷労働力によって手工業製品や銀を生産し、それを輸出することで、自分たち(および在留外国人や奴隷たち)の生存を支える穀物などを輸入していたのでした。

 こうした経済構造は、アテネの文化的繁栄をもたらすと同時にその存立基盤を非常に危うくとするものでもありました。具体的にいえば、奴隷を輸入するルート、穀物を輸入するルートを押さえられてしまえばポリスの存続が危うくなってしまうからです。実際、ペロポンネソス戦争(ギリシャ世界の覇権をめぐってのアテネとスパルタとの争い)で穀物輸入ルートを押えられたアテネは降伏を余儀なくされてギリシャ世界における覇権を失い、次第に衰退へと向かっていくことになったのでした。

 ペロポネソス戦争以降のアテネ社会は、大きな混乱に陥り、政治的党派が乱立して政争をくり返すようになりました。その背景として、独立自営農民としてのポリス市民本来の生活様式が大きく崩れてきていたという事情を看過するわけにはいきません。貨幣経済の浸透のなかで、貴族への借金のカタに農地を奪われるなどして無産者となってしまう市民もいましたし、手工業者や商人へ転身して莫大な富を築く市民も登場してきていたのです。このようにポリス市民の生活様式が多様化していくと、同じポリス市民だからといって共通の利害を持つとはいえなくなってきます。結果として、独立自営農民たる市民たちの共同利害を前提にして形成されてきた伝統や慣習が次第に揺らいでいくことになったのでした。

 こうしたなかで、ソフィストたちが、伝統や慣習の絶対確実性・正当性を真っ向から否定するような主張を展開して大きな影響力を持つようになります。さらには、デマゴーゴスと呼ばれる民衆指導者たちが政治の主導権を握ることになっていきます。デマゴーゴスたちは、たいてい商工業者でした。思いきって単純化していえば、農地を基盤にした名門貴族たちは、いわば地に足が着いている(比較的に安定した大地を相手にしている)わけですから、どちらかといえば安定的に堅実な政治指導を行う傾向があるといえます。これに対して、ダイナミックに流動する市場を相手にしている商工業者は、一か八かの賭けに討って出たがる性向を持っているといってよいでしょう。ペロポネソス戦争以降のアテネの政治が大きく混乱した背景には、政治指導者の出自が農民から商工業者へと変遷していったことが少なからず影響したと考えられます。また、そもそもデマゴーゴスたちを支持した下層市民たちが、苦しい生活からの脱出の希望を積極的な対外進出策に見出そうとしていた(領土の拡張に伴う農地の再配分などを期待していた)ことも、決定的に重要な要素として見逃すわけにはいきません。

 プラトンやアリストテレスらが活躍したのは、こうした大混乱の時代でした。彼らは、ポリス社会の衰退期にあって、如何にしてポリスの解体を食い止めるのかということを課題に据えて思索したのです。それは、過度に外部に依存した経済(社会的総労働の配分)の限界をどのようにして克服するか、という課題への思索を潜在的に含むものであったということができます。

 それでは、彼らは具体的にどのような経済のあり方を構想することによってポリスの解体を食い止めようとしたのでしょうか。また、彼らの経済思想は現代の経済情況について考える上で如何なる示唆を与えるものなのでしょうか。本稿では、以上のような問題意識を踏まえつつ、プラトンの『国家』、クセノフォンの『オイコノミコス』、アリストテレスの『政治学』の3つの文献を取り上げて、古代ギリシャの経済思想について検討していくことにします。
posted by kyoto.dialectic at 06:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月28日

古代ギリシャの経済思想を問う(1/13)

(1) 経済のグローバル化と国民経済の衰退

 TPP(環太平洋連携協定)の交渉が大詰めを迎えています。2012年末の総選挙においては「ウソつかない。TPP断固反対。ブレない。」というポスターを掲げて政権復帰した自民党でしたが、安倍首相はこの5月22日に行われた第20回国際交流会議「アジアの未来」におけるスピーチのなかで、第1次政権時からの自由貿易交渉への取り組みを振り返りつつ、次のように述べてTPP交渉の妥結に向けての強い意欲を示しました。

「いまは、TPPに、大きな期待を託しています。深くて広い市場、ルールと、法の支配を尊ぶダイナミックなマーケットをこしらえることは、高度に発達した民主主義と産業をもつ日本に課された、責任でもあると思います。交渉には、いままでとは次元の違う勢いを、もたらしたいと思っています。TPPのさらにその先には、RCEPやFTAAPという課題が控えています。いまや、大きく踏み出す時が来たのだと思います。それを私は、確固たる日本の進路だと信じて疑いません。」


 この発言のなかに出てくるRCEPとは東アジア地域包括的経済連携(Regional Comprehensive Economic Partnership)、FTAAPとはアジア太平洋自由貿易圏(Free Trade Area of the Asia-Pacific)のことであり、いずれも自由貿易を推進していこうという枠組みにほかなりません。要するに安倍首相は、自由貿易の推進こそ「確固たる日本の進路」である、との信念を表明しているわけです。自由貿易に対する安倍首相の賞賛は、TPP交渉への参加を表明した2013年3月15日の記者会見に、より鮮明に現れています。

「いまだ占領下にあった昭和24年。焼け野原を前に、戦後最初の通商白書はこう訴えました。「通商の振興なくしては、経済の自立は望み得べくもない」。その決意の下に、我が国は自由貿易体制の下で、繁栄をつかむ道を選択したのであります。1955年、アジアの中でいち早く、世界の自由貿易を推進するGATTに加入しました。輸出を拡大し、日本経済は20年間で20倍もの驚くべき成長を遂げました。1968年には、アメリカに次ぐ、世界第2位の経済大国となりました。」

 
 端的には、自由貿易こそが日本の高度経済成長をもたらしたのだというわけで、安倍首相が自由貿易に対して極めて高い評価を与えていることが分かります。もちろん、自由貿易に対するこうした評価は、安倍首相に独自なものというわけではありません。

 通常でも、「自由貿易」といえば経済的繁栄に繋がるものとして、何となくプラスイメージで語られることが多いのは間違いありません。この点、「保護貿易」といえば国家のエゴや既得権益と結びついたものとして、何となくマイナスイメージで語られることが多いのと対照的です。
 経済学の歴史上、こうした自由貿易の利点を理論的に根拠付けたとされるのが、リカード(1772-1823)の比較優位論です。リカードは『経済学および課税の原理』の「第7章 外国貿易について」で、以下のように論じています。

「完全な自由貿易制度のもとでは、各国は自然にその資本と労働を自国にとってもっとも有利であるような用途に向ける。個別的利益のこの追求は、全体の普遍的利益と見事に結合される。勤勉の刺激、創意への報酬、また自然が賦与した特殊諸力のもっとも有効な使用によって、それは労働をもっとも有効かつもっとも経済的に配分する。一方、生産物の総量を増加することによって、それは全般的利益を高める。そして利益と交通という一本の共通の絆によって、文明世界の全体にわたる諸国民の普遍的社会を結び合わせる。」(羽鳥卓也・吉沢芳樹訳『経済学および課税の原理』岩波文庫版上巻、p190)


 要するに、各国が自国の利益を追求することによって、国際的に最も効率的な労働(および生産手段)の配分が達成されることになる、というわけです。これは、アダム・スミスが一国内における社会的総労働の配分の問題として展開した「見えざる手」の論理を、国家間の関係にまで拡張して適用したものといえるでしょう。具体例として頻繁に取り上げられるのは以下の部分です。

「イギリスは、毛織物を生産するのに1年間に100人の労働を要し、またぶどう酒を醸造しようとすれば同一期間に120人の労働を要するとしよう。したがって、イギリスは毛織物の輸出によってぶどう酒を輸入し、購入することが、自国の利益であるとみなすであろう。
 ポルトガルでぶどう酒を生産するのには、1年間に80人の労働しか要せず、また同じ国で毛織物を生産するのには、同一期間に90人の労働を要するかもしれない。それゆえ、この国にとっては、毛織物と引き換えにぶどう酒を輸出するのが有利であろう。この交換は、ポルトガルによって輸入される商品が、そこではイギリスにおけるよりも一層少ない労働で生産されうるにもかかわらず、なお行われうるであろう。ポルトガルは毛織物を90人の労働で製造しうるにもかかわらず、その生産に100人の労働を要する国からそれを輸入するであろう。」(同、p191〜192)


 この事例においては、イギリスは、毛織物を100人で、ぶどう酒を120人で生産でき、ポルトガルは、毛織物を90人で、ぶどう酒を80人で生産できるのですから、イギリスはぶどう酒よりは毛織物の生産の方が得意であり(毛織物に比較優位を持ち)、ポルトガルは毛織物よりぶどう酒の生産の方が得意である(ぶどう酒に比較優位を持つ)ということになります。それぞれの国が、比較優位を持つ方の商品の生産に特化すれば、それぞれの国が両方の商品を生産するよりも、全体としての生産量は増えます。したがって、イギリスは毛織物の生産に特化してポルトガルからぶどう酒を輸入し、ポルトガルはぶどう酒の生産に特化してイギリスから毛織物を輸入するようにした方が、双方にとって利益が大きいのであり、自由貿易はこうした労働の最適配分を促す力を持っているのだ――これが比較優位論の考え方です。

 もちろん、貿易そのものは国民生活を豊かなものにしていく上で不可欠なものといえます。しかし、比較優位論の考え方を極端にまで押し進めて、例えば、農業に比較優位を持つA国は農業製品に特化し、工業に比較優位を持つB国は工業製品に特化したとしたらどうでしょうか。富を如何に効率的に生産するかという観点からすればそれでよいのかもしれませんが、国家の歴史的な発展という観点から考えてみたときに、A国は工業製品をB国に頼りっぱなし、という状態に満足できるでしょうか。自らはもっぱら農業労働を行い工業労働は他国に任せっきりということで、A国の国民的文化の発展はありうるのでしょうか。逆にB国は、自らの国土との農業労働による関わりを全く持たず、大地から切り離された工業労働のみで、国民的文化の健全性を確保できるのでしょうか。そもそも、国民生活の最も基礎的な部分である食糧生産を他国に頼りっきりで大丈夫なのでしょうか。仮に、何らかの要因でA国との関係が極端に悪化してA国から「B国の工業製品は送ってもらわなくて結構。こちらからも食糧は送ってやらない!」と通告されたならば、B国の国民は飢え死にすることになってしまいかねません。このように、自由貿易を極端にまで推し進めて、もっぱら効率性の観点から、自国民の生存にとって不可欠な労働を他国民に肩代わりさせていくこと(対外依存を高めていくこと)は、国家の健全な発展にとって必ずしもプラスにならないかもしれないのです。

 にもかかわらず、現在の日本においては、経済が長期に渡って低迷状態を続けてきただけに、そこから脱出していくための手がかりとして、自由貿易の推進に過度に大きな期待がかけられる傾向があるようです。そこでは、比較優位による富の増大で消費者のより大きな利益が実現される(より多くの商品をより安く購入できるようになる)という視点に加えて、外需の獲得によって経済成長が実現されるという視点(露骨にいえば、海外市場への販売に望みを託す輸出大企業の視点)が前面に打ち出されてきています。例えば、「TPP交渉への早期参加を求める国民会議」(伊藤元重東大教授らが代表世話人を務める団体)のHPでは、以下のように述べられています。

「日本は少子高齢化が進んでおり、大幅な内需拡大は簡単ではありません。バブル崩壊後、公共投資頼みで失敗しています。今後、日本が豊かさを保つためには、内需拡大に加えて、成長するアジア太平洋地域の活力を取り込むことが欠かせません。」


 ハッキリいえば、日本は少子高齢化の進行により内需の拡大が期待できないから、将来的な経済の繁栄のためには国外の需要を取り込んでいかなければならない、というわけです(*)。しかし、「内需に期待できないから外需を取り込まねば!」という(悪くいえば安直な)発想で自由貿易を推進し、対外依存をますます強めていくことは、(個々の輸出企業にとってはともかく)国民経済全体の健全な発展にとって、本当にプラスになるのでしょうか。こうした道を進んで、国民生活の安定はありうるのでしょうか。大いに疑問といわざるをえません。そもそも現代の日本における食料自給率(カロリーベース)は、もはや4割程度しかなくなっているのです。そのことだけからしても、自由貿易の推進こそが経済の繁栄をもたらす、という単純な発想で、自由貿易を過度に推進する道へと踏み込んでいくことは危険だというべきでしょう。

(*)経済情勢をこのように把握するならば、外需を獲得しようと国外市場で奮闘する大企業を優遇する政策(法人税減税など)が正当化される一方、消費税増税や社会保障解体など内需を押さえ込む政策の危険性が軽視されることになってしまいます。
posted by kyoto.dialectic at 06:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月27日

掲載予告:古代ギリシャの経済思想を問う

 本ブログでは、明日より、「古代ギリシャの経済思想を問う」と題した論稿を掲載します(全13回)。

 現代の日本においては、経済の長期的低迷から脱する糸口として、TPPをはじめとする自由貿易協定に大きな期待がかけられている情況があります。しかし、「内需に期待できないから外需を取り込まなければ」という安直な発想で自由貿易を推進し対外依存を強めていくことが、国民経済の健全な発展や国民生活の安定性にとって、本当にプラスになるのでしょうか。

 こうした問題意識を踏まえつつ、本稿においては、古代ギリシャのアテネ、より具体的には、ギリシャ世界全体に及ぶ混乱のなかですでに衰退期に入っていたアテネに目を向けてみたいと思います。それは、ポリス社会の解体を何とかして食い止めようとして思索したプラトンやアリストテレスらの「経済思想」が、現代日本に生きる私たちにとって少なからず示唆を与えてくれるものであるように思われるからです。

 本稿では、以上のような観点を踏まえつつ、プラトンの『国家』、クセノフォンの『オイコノミコス』、アリストテレスの『政治学』の3つの文献を取り上げて、古代ギリシャの経済思想について検討していくことにします。

 以下、目次(予定)です。

古代ギリシャの経済思想を問う
――プラトン『国家』、クセノフォン『オイコノミコス』、アリストテレス『政治学』を読む

序論
(1)経済のグローバル化と国民経済の衰退
(2)古代ギリシャの“経済思想家”たちは何を考えていたのか
本論
1、プラトン『国家』の経済思想
(3)『国家』は如何なる問題意識によって書かれたのか
(4)プラトンは国家成立の根拠を社会的分業に見出した
(5)プラトンにおいては社会的分業が直接に正義であった
2、クセノフォン『オイコノミコス』の経済思想
(6)『オイコノミコス』は如何なる問題意識によって書かれたのか
(7)有限な家財・労働力の機能を最大限に発揮させることの重視
(8)労働者の育成および指揮の大切さを強調
3、アリストテレス『政治学』の経済思想
(9)『政治学』は如何なる問題意識によって書かれたのか
(10)国家的共同体を家的共同体の複合体として把握した
(11)金銭的な儲けを目的とした交換を否定した
結論
(12)欲求の無限の発展に歯止めをかけて共同体を維持することが眼目であった
(13)国民経済を再建し持続させていくことこそ最大の課題である
posted by kyoto.dialectic at 06:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月16日

古代ギリシャ経済の歴史を概観する(5/5)

(5)プラトン、アリストテレスは自給自足を理想とした

 本稿は、経済学の究極の原点ともいうべきプラトンやアリストテレスなどの著作をまともに読みこなしていくためには、現代資本主義経済とは大きく異なるものであったであろう古代ギリシャ経済の姿について、大雑把にでもイメージを描いておく必要がある、という問題意識から、古代ギリシャ経済の歴史について概観することを試みるものでした。ここで、本稿でこれまで説いてきた流れを振り返ってみることにしましょう。

 まず、古代ギリシャ社会の中核をなしていたポリスと呼ばれる共同体が、いかなる過程を経て形成されてきたのか、辿ってみました。古代オリエント世界の辺境に位置していたギリシャは、オリエントをはじめとする諸民族との交通関係(戦争と交易)を何重にも積み重ね、他の諸民族の文化と相互浸透することをつうじて独自の文化を形成していったのであり、そうした過程のなかから、しだいしだいにポリス社会の原型とでもいうべきものを創出していったのでした。紀元前8世紀以降になると、人口の増加によって農地や食糧の確保という問題が大きく浮上し、限られた耕地をめぐって無数の村落共同体が小競り合いをくり返すという情況が現出しました。こうした情況のなかで、複数の小共同体が統合・強化されていくという過程が進行していきます。こうした過程をつうじて、農地を防衛する戦士の共同体として形成されてきたものこそ、ポリスにほかならなかったのでした。ポリスといえば、「都市国家」という訳語が充てられることにも象徴されるように、都市というイメージで語られることが多いのですが、ポリス市民とは元来は独立自営農民のことにほかならなかったのであり、ポリスとは、そもそもの成り立ちからして、村落的・農耕的な性格が色濃いものだったということができるわけです。

 このように、人口増加によって農地・食糧の確保という大問題に直面させられたギリシャは、何よりもまず、内陸部で農耕的な共同体を強化していく方向へ向かったのでした。しかし、紀元前8世紀以降のギリシャ史は、もうひとつ、海上への進出という方向での展開もみせました。より具体的には、エーゲ海から地中海、さらには黒海方面にかけて、活発な植民活動、交易活動が行われるようになっていったのです。こうした流れにのって繁栄をきわめていったのが、小アジア沿岸部イオニア地方の植民市でした。イオニア植民市は、その地の利を活かした交易活動によって大きな富を蓄積し、ギリシャ本土に先んじて豊かな文化の花を開かせることになったのです。古代ギリシャ経済史の展開において注目すべきなのは、このイオニア植民市で発展させられた海洋的・商工的・都市的な要素が、交易関係をつうじて、内陸的・農耕的・村落的なギリシャ本土へと浸透していくことになったことです。このことによって、ギリシャ本土の諸ポリスは、大きく3つの形態に分化していったのでした。すなわち、商工的性格がほとんど浸透しなかったところ(スパルタなど)、著しく商工化されてしまったところ(コリントスなど)、およびその中間(アテネなど)です。このなかで、没落してしまったイオニア植民市に代わって大きく繁栄をきわめていったのが、第3の形態に属するアテネでした。端的にいえば、農耕的な性格(自給自足的な構造)を土台としつつ、商工的な性格を適度に取り込んだことが、アテネの政治的・文化的発展につながっていったのだということができるのでした。

 もともとアテネは、アッティカ地方の各村落共同体から、甲冑で自ら武装できるだけの経済力を保持した貴族的市民(村落的共同体を構成する独立自営農民のなかでも特に有力だった層)が集住することによって形成されたポリスであり、彼ら貴族たちが政治の中心にいました。しかし、イオニア植民市との交易をつうじて手工業や商業(貨幣流通)が発展して鉄製武器がしだいに安価になっていくと、平民たちも重装歩兵として戦場で活躍できるようになっていったのです。こうして、一般市民たちがポリスにおける社会的な地位を高め、発言力を強めていくようになったのです。また、安価な購買奴隷の使用が大きく普及したことにより、一般市民もまた生産的労働から解放される度合いが大きくなっていき、政治参加への条件が整っていくことになったのです。こうした経済的諸条件の変化を背景にして、アテネにおいて民主制が確立されていったのであり、また、学問・芸術の豊かな発展が可能となっていったのでした。紀元前四世紀のアテネについてみると、主食となる穀物の自給率は4割程度にすぎず、手工業生産の6割、鉄産出の8割が輸出されていました。古代アテネの市民たちは、国外から購入した奴隷労働力によって手工業製品や銀を生産し、それを輸出することで、自分たち(および在留外国人や奴隷たち)の生存を支える穀物などを輸入していたわけです。アテネ市民たちは、輸入された奴隷の労働に支えられることによって、政治的・文化的(学問および芸術)活動に専念することができていたのでした。こうした構造は、アテネの繁栄をもたらすとともに、同時にその存立基盤を非常に危うくとするものでもありました。それは、奴隷を輸入するルート、穀物を輸入するルートを押さえられてしまえばひとたまりもない! ということにほかなりません。実際、ペロポンネソス戦争で穀物輸入ルートを押えられたアテネは降伏を余儀なくされてギリシャ世界における覇権を失い、しだいに衰退へと向かっていくことになったのでした。

 以上のように、もともと自給自足的な色彩の濃い村落共同体(の連合体)としての性格をもっていたポリスは、その自給自足的な構造をしだいしだいに壊して、対外依存の度合いを深めていくことによってこそ、繁栄をきわめていくことになったのでした。しかし、それは同時に、ポリス社会の存立基盤をきわめて脆弱にするものでもありました。戦乱が続いて奴隷・穀物の安定的な調達がままならなくなると、ポリス社会は衰退していかざるを得なかったのです。

 本稿の連載第1回において、「無限に発展していく社会的欲求を最大限に満たしつづけるべく、有限な社会的総労働を適切に配分していくこと」という仮説的な経済本質論を提示しました。この観点から、アテネの繁栄と没落という問題を考えてみることにしましょう。

 全盛期アテネの市民たちは、衣・食・住という物質的生活において、たんに生存を維持するレベルにとどまらず、それなりに洗練されたものを求めるようになっていたでしょうが、何といっても社会的欲求の中心は、精神的生活(政治・学問・芸術など)の領域で創造的な活動をなすことにあったというべきでしょう。そうした社会的欲求を満たすために市民に何よりも必要だったのは、生産的労働(物資的な生活資料を作り出す肉体的労働)から解放された余暇でした。だからこそ、物質的な生活資料を確保するための労働(直接に生活資料を作り出すための労働にくわえて、穀物輸入の対価となる製品を生産するための労働という媒介的なものも含む)を、ほとんどまるごと共同体(アテネの市民団)の外から確保してきた奴隷に任せる(押しつける)ようになっていったのでした。このような社会的総労働の配分、すなわち、精神的労働は市民が担って肉体的労働は(共同体の外から調達してきた)奴隷に担わせるという労働配分によってこそ、古代ギリシャの文化が豊かに花開いていくことになったのです。

 しかし、このような労働配分のあり方は、安定性・継続性という点で大きな弱点を抱えていました。奴隷労働力は共同体内の再生産だけで賄い続けることはできませんでしたし、市民の生存にとってもっとも基礎的な生活資料である(それを欠いてしまえば死ぬしかない!)穀物の供給ですら、外部に大きく依存することになっていたからです。経済とは何か(経済はどうあるべきか)と問うたときに、重要なポイントとのひとつなるのは、その安定性であり持続可能性ではないでしょうか。その観点からすれば、古代ギリシャ(全盛期アテネ)の経済構造は、経済のあるべき姿から逸脱していたのであり、それ故に没落せざるを得なくなったのだ、といえるかもしれません。

 一般的にいって、ある共同体は他共同体との相互浸透関係のなかでこそ発展していくことができます。経済的側面についていえば、他共同体との接触によって新たな欲求が喚起され、それを満たすための労働のあり方が創出されていく、という形での発展がなされていくのです。その意味で、交易関係は経済の発展にとって不可欠であるといえるでしょう。しかし、すべての命題は条件付きでのみ正しいのです。対外貿易の発展が、それなしには共同体の成員の生命維持すらままならない、というところにまで突き進んでしまうと、ちょっとしたきっかけだけで生活の生産・再生産の過程の進行が妨げられてしまうことにもなりかねないのです。

 個人の生き方(思想的発展)に例えるならば、我流の見方に固執して他者の意見に耳を傾けないようでは発展性をもてないが、かといって無定見に他者の意見に左右されるだけでもいけないのだ、ということができるでしょう。しっかりと主体性を保ちながら他者の思想との相互浸透をはかっていくことが大切なのです(もちろん、相互浸透する相手が学ぶに値するレベルであることが大前提ですが)。一国の経済の発展ということを考えたとき、対外的な交易というのはもちろん大切な要素なのですが、それは、生存の維持に最低限必要なものはそれなりに自給できるという土台を崩し去ってしまうものであってはならない、ということができるわけです。もしそうなれば、安全保障上の重大な弱点となってしまい、国家の存亡を危うくするでしょう。

 プラトンやアリストテレスが活躍したのは、過度に外部に依存した経済(社会的総労働の配分)の限界が露わになってきていた時代でした。彼らは、ポリス社会の衰退期にあって、いかにしてポリスの解体を食い止めるのかということを課題に据えて思索したのです。彼らの経済思想についていえば、いずれも欲求の無限の発展性に歯止めをかけ、ポリスの自給自足的な構造を再建することを主張した点に共通性を見出すことができるでしょう。プラトンの描く理想国家では、貨幣の使用は禁止され、財産は共有制でした。一方のアリストテレスは、プラトンの財産共有制の主張については批判したものの、ポリスは村の連合体であり村は自給自足的な家族の連合体であるべきだとした上で、クレマティスティケ(取財術。儲けの獲得を目的とした交換)の禁止を主張したのでした。彼らの主張は、一面的にすぎる嫌いはあるものの、ポリス解体期という時代背景を踏まえるならば、経済とは何か、経済はどうあるべきものなのか、という問題について、重要な一側面を鋭く突いたものだといえるのではないでしょうか。時代背景をしっかりと踏まえつつ彼らの著作を学ぶことは、現代における経済学の混迷した情況を打ち破っていく上で、大きな手掛かりとなるに違いありません。そのような観点からのプラトン、アリストテレスなどの経済思想の検討については、別稿において行うことにしましょう。

(了)
posted by kyoto.dialectic at 06:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月15日

古代ギリシャ経済の歴史を概観する(4/5)

(4)アテネの経済――対外依存による発展と衰退

 前回は、紀元前8世紀以降、小アジア沿岸部イオニア地方に建設された植民市が交易関係によって大きな富を蓄積し、ギリシャ本土に先んじて豊かな文化の花を開かせたこと、また、イオニア植民市で発展させられた海洋的・商工的・都市的な要素が、交易関係をつうじて、内陸的・農耕的・村落的なギリシャ本土へと浸透していったことについて確認しました。このことによって、ギリシャ本土の諸ポリスは、大きく3つの形態に分化していったのでした。すなわち、商工的性格がほとんど浸透しなかったところ(スパルタなど)、著しく商工化されてしまったところ(コリントスなど)、およびその中間(アテネなど)です。このなかで、没落してしまったイオニア植民市に代わって大きく繁栄をきわめていったのが、第3の形態に属するアテネでした。端的にいえば、農耕的な性格(自給自足的な構造)を土台としつつ、商工的な性格を適度に取り込んだことが、アテネの政治的・文化的発展につながっていったのだということができるでしょう。今回は、このアテネに焦点を当てつつ、古代ギリシャ経済の姿を具体的に描き出すことを試みてみることにします。

 前回の最後の部分でも触れたとおり、もともとアテネは、アッティカ地方の各村落共同体から、甲冑で自ら武装できるだけの経済力を保持した貴族的市民(村落的共同体を構成する独立自営農民のなかでも特に有力だった層)が集住することによって形成されたポリスでした。したがって、ポリスの政治の中心にいたのは、あくまでも貴族たちだったのです。貴族たちは、多くの奴隷を購入して労働力として使用することができましたから、生産的労働から解放される度合いが大きく、農村における自分の所有地の耕作は奴隷たちに任せた上で、自身はもっぱらポリス(都市部)に居住して政治的・文化的な活動に従事することも可能だったのです。これに対して、平均的な農民たちは、それほど多くの奴隷を購入できたわけではありませんでしたから、農地の耕作を奴隷に任せきりにすることは不可能でした。そのため、彼らの生活の中心はあくまで農村にあり、ポリス(都市部)へは時々出向く程度でした。

 集住によって多くの人口を抱えた都市部が成立すると、都市住民の諸々の需要を満たすための商品を扱う商人や手工業者が呼び寄せられてきます。アゴラ(ポリス中心部の広場であり、民会の開催場所でもありました)には、カぺーロスと呼ばれる小売商人が居住し、新鮮な食材や調理ずみの食品をはじめとした様々な商品が販売され、多くの買い物客(アゴラでの買い物は民会に参加する男性市民の仕事でした)で賑わっていました。商人や手工業者となったのは、アテネ共同体(市民団)の外部からやって来た人々、すなわち、メイトイコイ(在留外国人)が主流でしたが、アテネ共同体(市民団)の内部からも、貴族への借金のカタに土地を奪われて無産者となってしまった平民たちが手工業者や商人へ転身することもあったでしょう。アテネのように大きな人口を抱えるポリスでは、諸々の製品への需要が多量に存在するために、ひとつの技術だけでも生計を維持するのに充分でした。例えば、クセノフォンの『キュロスの教育』では、「ある人は男用の靴だけを作り、ある人は女用の靴だけを作る。また靴の革を縫い合わせるだけで生計を立てる人もおれば、またそうしたことは何一つせずに、材料の部分を集めるだけの人もいる」と述べられています。このような分業の進展によって、手工業は大きく発展していくことになったのでした。

 こうした商工業の発展は、イオニア植民市との交易によって大いに促進されていくことになります。貨幣が浸透してきたことによって手工業製品の流通(市場での取引)がますます盛んになっていくとともに、共同体内の需要を満たすだけではなく、共同体外の需要を満たすため、すなわち輸出するために生産されるようにもなっていったのです。手工業製品のなかでも、とくに輸出品として大きな位置を占めることになったのが陶器でした。こうした手工業生産の発展を支える労働力となったのは、おもに黒海沿岸地方からの購買奴隷です。交易関係の発展のなかで、大量の奴隷が安価に売買されるようになっていき、奴隷の使用が大いに普及していくことになったのです。

 こうした変化は、ポリスの政治構造にも大きな影響を与えることになりました。手工業や商業(貨幣流通)の発展によって鉄製武器が安価なものになったことで、平民たちも重装歩兵として戦場で活躍できるようになり、その社会的地位を高めていきました。同時に、安価な購入奴隷の使用が大きく普及したことにより、一般市民も生産的労働から解放される度合いが大きくなっていき、政治参加できるだけの余暇を得るようになっていったのです。とりわけ、紀元前5世紀、ペルシャ戦争に勝利したことで異民族をバルバロイとして蔑視する風潮が強まると、アテネ市民は生産的労働を異民族の奴隷に行わせて余暇を謳歌することが当然だと考えられるようになっていきました。こうした変化を背景にして、アテネの民主制は確立され強化されていったのであり、また、学問・芸術の豊かな発展が可能となっていったのでした。

 雨宮健氏の推計(「古典期アテネの経済思想 要綱」)によると、紀元前4世紀頃のアテネの人口構成は、市民(家族を含む)が10万人、在留外国人が3万人、奴隷が9万人となっています。市民は基本的には農地を所有する独立自営農民であり、商工業に従事していたのは主として在留外国人でした(もっとも、アテネ市民のなかからも商工業者に転じて大きな富を築く者が登場していました。ペリクレスより後の民衆指導者はたいてい商工業者です)。奴隷の3分の1は市民の所有する家内奴隷として農業労働や家事に従事し、3分の1は商工業に従事し、残りの3分の1は銀山(紀元前487年に発見されたラウレイオン銀山から採れる銀は貴重な輸出品となりました)で働いていました。農業部門では、奴隷所有者が少数の奴隷とともに労働する家内奴隷制が主でしたが、手工業部門、鉱業部門では、奴隷所有者はたんなる経営者に転化して、自らは労働せずに多数の奴隷を使用する企業奴隷制が行われました。手工業部門においてはエルガステリオンと呼ばれる作業所(銅細工、木工、皮革製造、武器製作、臥床製作など)が発展し、ラウレオン銀山では多数の奴隷が酷使されることになったのです。奴隷の使用が普及するなかで、多数の奴隷を所有して賃貸しする奴隷賃貸業も盛んになっていました。

 紀元前6世紀頃に陶器が輸出産業として大きく栄えるようになるまで、アテネは農業国であり、穀物の余剰を輸出するほどでした。しかし、紀元前6世紀以降、人口増加に伴って穀物需要が著しく増加したことにくわえ、農業のあり方も穀作中心の自給的なものからオリーブや葡萄に重点をおく輸出型に転化していったことにより、穀物輸入の必要性が高まってきたのです。雨宮氏の推計によれば、紀元前4世紀頃のアテネ国内における穀物消費量は173万メディムノス(穀物量1メディムノスは約52リットル)であったのに対して、国内生産量は75万メディムノスであり、その差98万メディムノス、金額にして612タラントン(1タラントン=6,000ドラクマ。1ドラクマは労働者の1日分の賃金とされます)が輸入されていました(輸入先は、近隣のボイオティア、エウボイア、テッサリアや黒海沿岸地方など)。主食となる穀物の自給率は43%にすぎません(25〜30%程度にすぎなかったとする推計もあります)。貿易の全体像についてみると、輸出入総額は2,760タンラントン、輸出の主要項目としては、手工業製品(陶器など)が1,466タラントン、銀が825タラントンであり、その他(オリーブ油や葡萄酒など?)が469タラントンとなっています。輸入量2,760タラントンのうち穀物が612タラントンを占めます(その他は奴隷、木材、手工業製品材料など?)。雨宮氏は、当時のアテネのGDP(国内での付加価値生産額)について総額4,400タラントンと推計し、その内訳を工業2,500タラントン、銀1,000タラントン、農業900タラントンとしています(*)。先ほどの輸出入項目とあわせて考えるならば、アテネ国内で生産された手工業製品の6割弱、銀の8割強が輸出され、代わりに奴隷や穀物、木材など工業製品材料が輸入されていたことになります。

 以上でみてきたように、アテネの人々の生活は、著しく対外依存度の高いものになっていたのでした。輸出額・輸入額はそれぞれGDPの約6割にのぼります。現在の日本における輸入額・輸出額の対GDP比が10%強であることにくらべると、古代アテネの人々の生活がいかに貿易に依存する度合いが高かったか分かるでしょう。古代アテネの市民たちは、国外から購入した奴隷労働力によって手工業製品や銀を生産し、それを輸出することで、自分たち(および在留外国人や奴隷たち)の生存を支える穀物などを輸入していたわけです。確かに、輸入された奴隷の労働に支えられる形で市民たちが政治的・文化的活動に専念することが可能になったことにより、アテネは大きな繁栄を築いていくことができました。しかし、このことは同時に、アテネの存立基盤を非常に脆弱なものにしたのです。どういうことかといえば、奴隷を輸入するルート、穀物を輸入するルートの防衛が死活的な重要性をもつようになったのだということです。結局、ギリシャ世界の覇権をめぐってスパルタと争ったペロポンネソス戦争において、アテネは穀物輸入ルートを押えられて飢餓状態に陥ってしまい、降伏を余儀なくされたのでした。こうしてギリシャ世界における覇権を失うことになったアテネは、その繁栄に陰りをみせはじめ、しだいに衰退へと向かっていくことになったのです。

(*)雨宮氏の推計によれば、国家財政は1,000タラントンの規模でした。主要な財源としてはラウレイオン銀山(国有)からの収入のほか、富裕層による自発的な寄付(レイトゥルギア)がありました(一般市民は戦争などの緊急時をのぞいて基本的に無税)。財政支出の7割は軍事費であり、その他は公共建造物の建設費用、祭りや劇の費用、民会などの参加者への報酬などでした。
posted by kyoto.dialectic at 06:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月14日

古代ギリシャ経済の歴史を概観する(3/5)

(3)ポリスの3形態――農耕的、商工的およびその混交

 前回は、古代ギリシャ社会の中核をなしていたポリスと呼ばれる共同体が、いかなる過程を経て形成されてきたのか、辿ってみました。端的にいえば、古代オリエント世界の辺境に位置していたギリシャは、オリエントをはじめとする諸民族との交通関係(戦争と交易)を何重にも積み重ね、他の諸民族の文化と相互浸透することをつうじて独自の文化を形成していったのであり、そうした過程のなかから、しだいしだいにポリス社会の原型とでもいうべきものを創出していったのでした。紀元前8世紀以降になると、限られた耕地をめぐって無数の村落共同体が小競り合いをくり返すという情況が現出し、土地の防衛をめぐって複数の小共同体が統合・強化されるという過程が進行していきます。こうした過程をつうじて、農地を防衛する戦士の共同体として形成されてきたものこそ、ポリスにほかならなかったのでした。ポリスといえば、「都市国家」という訳語が充てられることにも象徴されるように、都市というイメージで語られることが多いのですが、ポリス市民とは元来は独立自営農民のことにほかならなかったのであり、ポリスとは、そもそもの成り立ちからして、村落的・農耕的な性格が色濃いものだったということができるわけです。

 このように、紀元前8世紀以降の古代ギリシャ史は、人口の増加によって農地や食糧の確保という問題が大きく浮上してきたことに対応して、何よりもまず、内陸部で農耕的な共同体を強化していく方向へ展開していったということができます。しかし、いまひとつ、海上への進出という方向での展開がみられたことも忘れるわけにはいきません。エーゲ海から地中海、さらには黒海方面にかけて、活発な植民活動、交易活動が行われるようになっていったのです。ギリシア本土では、降雨の少なさや痩せた土質のために穀物栽培が振るいませんでしたから、人口の増加とともに、自給自足的なやり方がしだいに不可能になってくるポリスも出てきます。このため、穀物の豊富な地域から穀物の不足しがちな地域への流れが確立されていったほか、植民活動を行って新たな沃地を獲得したり、オリーブ油・葡萄酒・陶器などを輸出して穀物を輸入するという交易を行ったりすることが、どうしても必要になってきたのでした。ヘシオドス(紀元前8〜7世紀頃、ギリシャ本土のボイオティア地方の詩人)の『仕事と日』によれば、農民たちが自ら船(船主から借りたもの)を操って余剰生産物を遠方の地(高い値で売れそうなところ)に運び、代わりに現地の産品を購入して帰る、という形の交易活動を営むようになっていたらしいことが分かります。

 こうした海上への展開の過程で、ギリシャの人々は、彼らに先んじて地中海で活発な交易活動、植民活動を繰り広げていたフェニキア人と接触することになり、数多くの文化を学んでいくことになります。具体的には、地中海という広い海原を航海する術、植民活動を展開していくノウハウ、商売のやり方などを身につけていったのです。こうしたフェニキア人の文化との相互浸透関係のなかで、古代ギリシャの人々は、地中海の北岸から黒海沿岸(鉱物資源、木材、穀物、魚が豊富でした)に数多くの植民市を建設していき、エーゲ海や東地中海のみならず、地中海世界全体に対する支配権を確立していくことになったのでした。

 こうした流れにのって繁栄をきわめていったのが、小アジア沿岸部イオニア地方の植民市です。イオニア地方は、先進大国リュディア(世界初の鋳貨を発行したことで知られます)を背後に控えている上に、黒海地方やエジプトとギリシャ本土との交通の交差点に当たっていました。イオニア地方に建設されたギリシャ人の諸植民市は、こうした地理的条件を活かして、豊かな鉱物資源や穀物などの交易によって巨大な富を築いていくことになったのです。リュディアからの影響で貨幣の使用が広まったこと、黒海沿岸の未開の地から大量の奴隷労働力を確保して労働力として使用するようになったことが、富の蓄積過程を促しました(*)。

 こうした富の蓄積の結果として、生産的労働から解放されて余暇をもつ富裕な市民層が産み出されていくことになります。このことによって、イオニア地方の植民市は、ギリシャ本土の諸ポリスに先んじて、文化を大きく発展させていくことになったのでした。そのことを象徴的に示すのが、このイオニアの地で哲学の萌芽となるものが誕生したことです。イオニア植民市の人々は、交易・混血などをつうじて他の諸民族の言語・風習・宗教観などと深く接触していましたから、硬直した宗教的伝統・習俗から脱することを大きく促されました。こうした精神的生活のあり方に規定されて(また、生産的労働から解放されて余暇をもっていたという物質的生活のあり方が土台となって)、イオニア地方最大の都市ミレトスにおいて、合理的・世俗的な考え方で全世界の成立(存在するものの全体)を説明しようとする試み、すなわち哲学の萌芽というべきものが誕生することになったのでした。

 しかし、イオニア植民市が流動的で発展性に富んでいたということは、裏を返せば、ギリシャ本土の村落共同体のような土着的な安定性に欠けていた、ということでもありました。イオニア植民市では、諸党派間の抗争が絶えず政治的に不安定であったために、ペルシャ帝国からの圧迫が強まってきたことによって、あっけなく崩壊を余儀なくされてしまったのです。

 とはいうものの、イオニアにおいて花開いた文化は、交易関係をつうじてギリシャ本土にも伝わり、大きな影響を及ぼしていくことになりました。内陸的・農耕的・村落的なギリシャ本土に対して、イオニアにおいて形成された海洋的・商工的・都市的な要素が浸透していくことになったのです。経済的にいえば、ギリシャ本土でも手工業が大きく発展して貨幣の使用も普及し、奴隷労働力の利用も本格的に広がっていくという過程が進行していったことが重要です。

 しかし、イオニアの文化がギリシャ本土の諸ポリスに与えた影響は、決して一様なものではありませんでした。それらは、大きく次の3つの型に整理することができます。

 第一の型は、イオニアからの影響がきわめて希薄だったところです。中部ギリシャおよびペロポンネソス半島の多くの諸ポリスがこの型であり、もっとも代表的なのはスパルタです。ここでは、農耕的・村落的な文化が大きく変革されることはなく、文化的な発展が立ち遅れてしまうことになりました。

 第二の型は、イオニアからの影響がきわめて濃厚だったところです。コリントス、アイギナなど、コリントス地峡(ギリシャ本土の北半分と南半分〔ペロポンネソス半島〕を繋ぐ地峡)の商業都市がこの型に当たります。コリントスは、その地理的な位置からして、早い段階から手工業や商業を大きく発展させていくことになりました。しかし、それだけに、イオニア植民市と同様の弱点(不安定性)を抱え込んでしまうことになったのでした。

 第三の型は、これらの中間的な性格をもっていたところです。すなわち、農耕による堅実な性格をしっかりと保持しつつも、商工業の発展が醸し出す自由な雰囲気をも取り入れながら新たな文化を発展させていったポリスであり、そのもっとも代表的なものがアテネにほかなりません。アテネは海に近く平野に連なっていたために、農業にも商工業にも適した地理的条件を備えていたのです。もともとアテネは、アッティカ地方のいくつかの村落共同体から、甲冑で自ら武装できるだけの経済力を保持した貴族的市民(村落的共同体を構成する独立自営農民のなかでも特に有力だった層)が集住することによって形成されたポリスであり、彼ら貴族たちが政治の中心にいました。しかし、イオニア植民市との交易をつうじて手工業や商業(貨幣流通)が発展していくことにより鉄製武器がしだいに安価になっていくと、平民たちも重装歩兵として戦場で活躍できるようになっていったのです。こうして、一般市民たちがポリスにおける社会的な地位を高め、発言力を強めていくようになったのです。また、安価な購買奴隷の使用が大きく普及したことにより、一般市民もまた生産的労働から解放される度合いが大きくなっていき、政治参加への条件が整っていくことになったのです。こうした経済的諸条件の変化を背景にして、アテネにおいて民主制が確立されていったのであり、また、学問・芸術の豊かな発展が可能となっていったのでした。要するに、農耕的な性格と商工的な性格を上手く調和させ得た点にこそ、アテネが大きな繁栄を築き、学問や芸術などの文化を大きく発展させていくことになった根拠があったのだということができるでしょう。

 次回は、このアテネに焦点を当てつつ、当時の経済のあり方を具体的に描き出すことを試みてみることにしましょう。

(*)奴隷の供給源はもともと戦争捕虜が主流だったのですが、交易関係の発展のなかで、最初から商品として売買することを目的とした奴隷狩りが行われるようになっていったものと思われます。
posted by kyoto.dialectic at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月13日

古代ギリシャ経済の歴史を概観する(2/5)

(2)ポリス社会形成までの過程を辿る

 本稿は、経済学の究極の原点ともいうべきプラトンやアリストテレスなどの著作をまともに読みこなしていくためには、現代資本主義経済とは大きく異なるものであったであろう古代ギリシャ経済の姿について、大雑把にでもイメージを描いておく必要がある、という問題意識から、古代ギリシャ経済の歴史について概観することを試みるものです。

 古代ギリシャ社会の中核をなしていたのは、よく知られているように、ポリスと呼ばれる共同体でした。今回は、このポリス社会がいかなる過程を経て形成されてきたのか、とくに物質的生活の生産・再生産のあり方に着目しながら、みておくことにしましょう。

 ギリシャは東地中海に位置し、エーゲ海を挟んで東に小アジア、また地中海を挟んで南方にエジプトやリビアといった国々と向かい合っています。つまり、ギリシャは古代オリエント世界の周縁部に位置していたわけです。こうした地理的条件に規定されて、古代ギリシャでは、古代オリエント世界からの文化的な影響の下に、独自の文化が形成されていくことになったのでした。

 その過程は、エーゲ海の島々に存在した貴重な鉱物資源――ミロス島の黒曜石(石器の材料となる)、シフノス島の銀や銅、パロス島の大理石など――を求めて、先進的な文化を携えた小アジアの人々が、これらの島々に渡来してきたことによってスタートしました。エーゲ海には、キュクラデス諸島をはじめ、数多くの小さな島々が点在していますから、当時の未発達な航海術のもとでも、海上交通を発展させることは容易だったのです。こうして、紀元前3000年頃までには、キュクラデス諸島を中心に、オリエントの諸地域とエーゲ海の島々を結ぶ広い交易のネットワークが形成されていたといわれています。ギリシャは、当初は、小アジアなどから渡ってきた人々に鉱物資源を提供するだけだったのですが、彼らから青銅器文化を吸収することにより、自らも自分たちの島々で産出する資源を利用して諸々の武器や農具を作りだせるようになっていきました。

 紀元前2000年頃以降になると、エーゲ海最大の島であるクレタ島がオリエントとの貿易の中心となります。クレタ島は、アジア、アフリカ、ヨーロッパの接点であり、交通の要衝というべき位置にあります。クレタがとりわけ深い関係を結んだのがエジプトでした。異民族ヒクソスの侵略に対抗しなければならなかったエジプトは、武器の材料となるシリアの鉱物資源(金、銀、銅)を欲していたのですが、クレタは、この鉱物資源の輸送を担ったのです。その過程でクレタは、造船技術、航海技術を高めていき、強力な海軍力を創出することで、東地中海に支配権を拡大していくことになったのでした(*)。海上支配の本拠地となるクレタ島においては、宗教的権威の強い王が周辺の諸小共同体を従属させるというオリエント的な貢納制が形成されていました。王の宮殿は、精神的生活の中心であると同時に物質的生活の中心だったのです。各地の小共同体の麦畑、果樹園(オリーブ、葡萄、無花果などを栽培)、放牧地(牛や羊)から、様々な物資が貢納という形で宮殿にもたらされ、専門の書記によって記録された上で、必要に応じて各地に配分されていったのです。オリエントとの交易も、あくまで王の独占であり、オリーブ油や葡萄酒、陶器などが重要な輸出品となっていました。

 紀元前1700年頃以降になると、ギリシャ本土のミュケナイへと文化の中心が移っていくことになります。ミュケナイを中心とするギリシャ本土の各地に小王国をつくっていた人々は、やがて海上へと進出してクレタやキュクラデス諸島の先進的な文化に接触し、彼らの文化を吸収しつつ、独自の新しい文化を築いていったのです。特徴的なのは、馬や戦車を操縦する技術、強固な城砦を建築する技術などが大いに発展したことです。ギリシャ本土や、彼らが進出した小アジア沿岸部は、他部族の共同体と陸続きでしたから、陸上における生活基盤をしっかりと防衛するための技術が求められたのです。彼らの小王国においても、オリエント諸国やクレタ島などと同様に、王が強い権限をもち、海外貿易は王の独占となっていました。とはいえ、共同体の力が必要とされたのは土地の占取と防衛のみで、山がちで大河川がないという地理的条件に規定されて、治水・灌漑のための大規模工事は行われませんでしたから、これら小王国がオリエントのような巨大な専制国家にまで発展することはなかったのです。王国内部では、盾や冑で武装し戦車に乗る貴族とそれ以外の平民とが分化し、農民たちは、抽籤によって配分された土地(クレーロスと呼ばれ、事実上の私有地になっていたともいわれます)を、共同体的な規制のもとに耕作していました。農耕には牛馬や鍬が使用されるようになっており、社会的分業の一分肢として手工業も形成されていました(鍛冶製品や陶磁器、装飾品などが重要な輸出品でした)。

 紀元前1200年頃になると、北方からドーリア系の諸部族が、ヒッタイトから学んだ鉄器製造の技術を携えて、南下してきました。この頃、地球規模での気候変動が生じていたようであり、寒冷化などによる食糧不足のために、北方の人々が新天地を求めて南下してきたのではないかと考えられています。しかし、北方の諸民族が南下してくれば、そこに今まで住んでいた人々は、自分たちの土地と生活を守るために戦わざるを得ません。負けた民族は、全滅させられるか奴隷とされるか、あるいは他の地域への移住を余儀なくされました。移住先では、またその土地の住民たちとの争いが避けられません。こうして、連鎖的に争いが繰り広げられていくようになり、結果として東地中海全体に及ぶような大変動につながっていったのです。この過程で、諸民族の文化の相互浸透が大きく促されながら、鉄器(武器および農具)の使用が普及していくことになりました。こうした大変動の結果として、ミュケナイの諸王国は滅んでいくことになります。強力な王国が周辺の小共同体を従える(貢納させる)という構造が崩され、個々の小共同体は新しい戦争指導者(バシレウス)を中心にまとまっていくことになったのです。これらの小共同体こそ、ポリスの原基形態となったものにほかなりません。

 北方からの諸民族は、もともと牧畜中心の生活を営んでいたのですが、先住民との混交をくり返していくことで、しだいに農耕的な生活を営むようになりました。結果として、これら小共同体は、外部との交易をあまり行わず、農耕(麦畑、および葡萄、オリーブ、無花果などの果樹園)を中心にした自給自足的な性格の強いものとなっていったのです。ギリシャの人々は、水で薄めた葡萄酒を好み(「一杯は健康のため、2杯は快楽、3杯は安眠のため」という言葉がありました)、主食となるパンは、葡萄酒に浸したり、あるいはオリーブ油につけたりして食べました。山羊の乳とチーズも好まれました。また、もともとは牛肉をよく食べましたが、しだいに魚も多く食べるようになり、とくに鰻が好まれるようになったともいわれています。このほか、豆のスープも好まれ、蜂蜜が貴重な調味料となっていたようです。

 さて、共同体内部の構造についてみてみると、貴族と平民の区別はあったものの、両者の地位の差はそれほど大きなものではありませんでした。王(バシレウス)や貴族が土地(**)を独占して平民にその土地を耕作させる、といった関係は存在しなかったのです。王や貴族も自ら農業労働を行いましたし、平民層も比較的均等に配分されたクレーロス(分割地)を所有し、経済的に独立した家族を構成していました。戦争捕虜は家内奴隷として使用されており、平民層も少数の家内奴隷を所有していたといわれています。このほか、農民のなかから、デミウルゴイと呼ばれる手工業者(大工、金工、革工、陶工のほか、医師、歌手、予言者なども含む)が分化していました。彼らは、特定の個人に奉仕するのではなく、あくまでも村落共同体全体に奉仕する村抱えの工匠でした。デミウルゴイには、身体に何らかの障害を抱えていて通常の農業労働のできない人がなったとされています(ギリシャ神話に登場する鍛冶の神ヘファイストスの足が不自由なのはこうした事情を反映しているとも思われますし、有名な詩人ホメロスも盲目でした)。

 このように、ポリスの原基形態というべき村落共同体は、クレーロスを所有する独立自営農民(貴族および平民)によって構成された団体としての性格をもっていたということができます。紀元前8世紀頃になると、人口がしだいに増加してきたことによって、増加した人口を支えうるだけの耕作地を確保することが大きな課題として浮上してくることになり、村落共同体どうしが、限られた土地をめぐって激しい争いを繰り広げることになっていきました。こうしたなかで、土地の防衛のために複数の村落共同体が統合されるという過程が進行していくことになります。具体的には、宗教的・政治的・軍事的な機能(神殿や行政機関、城砦など)を一箇所に集中させた上で、各村落の上層部分(甲冑で自ら武装できる戦士層)がその周辺に移住するようになっていったのでした。こうして形成された貴族的市民(農地所有者)=戦士の共同体こそ、ポリスにほかならなかったのです(***)。

(*)古代においては、交易と海賊行為とは紙一重でした。ギリシャ神話に登場するヘルメスが、商人の神でもあれば盗賊の神でもあるという二面性をもっている点にも、このことが象徴的に示されています。

(**)共同体の土地については、共有地(薪を採る森や、牛や羊を放牧するための牧草地)と個々の家族の私有地(クレーロスを実質的な私有地としたもの)との区別がしだいに明確になってきていました。このほか、神殿のための「切り取り地」がありました。

(***)これはいわばアテネ型のポリス形成過程というべきものであり、スパルタのように、ある村落共同体が他の村落共同体を征服して完全に従属させてしまう(まるごと奴隷としてしまう)という過程によって成立したポリスもありました。
posted by kyoto.dialectic at 06:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月12日

古代ギリシャ経済の歴史を概観する(1/5)

目次

(1)古代ギリシャ経済を学ぶ意義とは
(2)ポリス社会形成までの過程を辿る
(3)ポリスの3形態――農耕的、商工的およびその混交
(4)アテネの経済――対外依存による発展から衰退へ
(5)プラトン、アリストテレスは自給自足を理想とした

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(1)古代ギリシャ経済を学ぶ意義とは

 第2次安倍政権が発足して、もうすぐ1年になります。第1次安倍政権が、発足当初こそ高い支持率を誇ったものの、まもなく支持率を急落させ、1年ほどで退陣を余儀なくされたのとは対照的に、第2次安倍政権はこれまで安定して6割前後の高い支持率を保ってきました(もっとも、秘密保護法の強行以降ようやく低下の傾向が見えてきましたが)。第2次安倍政権が高い支持率を保ってきた背景として、アベノミクスなる経済政策への期待があったことは否定できないでしょう。

 アベノミクスは、金融緩和、財政出動、成長戦略を3本の柱とするものとされます。このうち前の2つ、すなわち、金融政策と財政政策で景気浮揚をはかるというのは、いわゆるケインズ的政策であるのに対して、最後の成長戦略なるものは、規制緩和や税負担の軽減などで企業活動への制約を取り払おうというものであり、紛れもない新自由主義的政策です。つまり、アベノミクスというのは、まったく思想的系統の異なる諸政策を混在させたものなのです。

 こうしたごった煮のような経済政策が登場してきた背景には、ここ数年間にわたる世界的なレベルでの経済の混乱があるといえるでしょう。2007年のサブプライム危機や2008年のリーマン・ショックは、市場原理主義ともいわれた新自由主義的な政策思想への批判を強める契機になりました。また、世界レベルでの経済の深刻な落ち込みに対して、金融緩和政策のみならず大胆な財政出動政策への期待が高まり、“ケインズの復活”ともいわれるような情況が現出することになったのです。しかし、大胆な財政出動は、各国の財政状態を著しく悪化させることになりました。いわゆるギリシャ危機をひとつの大きなきっかけにして、各国の財政政策は緊縮政策(支出削減と増税)へと大きくカジを切っていくことになったのです。しかし、緊縮財政は、景気を冷え込ませ、世界的なレベルで民衆の生活を圧迫しますから、各国において政権への国民の不満が高まっていくことになりました。各国政府は、緊縮政策一本槍で押し進めていくわけにはいかず、ある程度の転換を余儀なくされるに至ったのです。こうした情況のなかで、この日本に登場してきたのがアベノミクスにほかなりません(日銀の異次元緩和による資金が、日本の金融市場のみならず、米国をはじめとする海外の金融市場をも潤していることに象徴的に示されているように、アベノミクスなるものもあくまでも世界的なつながりにおいて把握する必要があります)。つまり、深刻な経済危機に直面して各国政府の進める経済政策が右往左往してきたことが、アベノミクスのごった煮的性格に反映しているということができるわけです。

 アベノミクスの結果、景気が持ち直しはじめ、長年のデフレから脱却する展望がみえてきたかのようにもいわれています。円安・株高の進行したことにより、輸出企業の業績が大きく改善し、富裕層も大いに潤ったことは確かでしょう。しかし、労働者の賃金は低く抑えつけられたままですし、中小自営業者の経営状態も依然として厳しいものがあります。さらに重大なのは、来年以降、厳しい緊縮政策――消費税の大増税と社会保障の切り捨て――の実施が控えているということです。くわえて、TPP参加による影響も無視するわけにはいきません。来年以降、日本の景気が深刻に落ち込み、国民の生活が一層厳しい状態に追い込まれることもあり得ないではない(というよりもむしろ、その危険性がきわめて大きい)のです。

 このように、現代の世界においては、経済政策の迷走が人々の日々の生活を大きく翻弄しているという情況があります。それでは、なぜ経済政策が迷走するのかといえば、それは結局のところ、本来なら的確な経済政策を導く指針となるべき経済学がきわめてお粗末で頼りない状態にあるからだといわざるをえません。もう少し詳しくいうならば、学問の名に値するまっとうな経済学の体系がいまだに確立されておらず、経済についての基本的な見方・考え方が異なる複数の流派が分立し、相互に論争を繰り広げている状態にあるからなのです。これは非常に困ったことです。例えば、もし、医学において根本的に考えの異なる流派があったとして、それぞれの立場に立つ2人の医師が、ある患者のある病気の原因にたいして、まったくちがう原因を主張し、まったく正反対の治療法を提案したらどうでしょうか? 医療現場は混乱し、とてもまともな治療は期待できません。そうしたなかで、2つの治療方針を適当に折衷させてしまう――アベノミクスというのはちょうどそういう性格をもっています――としたら、それは暴挙というほかありません。現在の経済学の世界は、ちょうどそういう情況にあるといわなければならないのです。

 こうした現在の混迷した情況を打開する上で大切なのは、経済学の原点に立ち返って考える、ということです。そもそも経済学とはどういう学問だったのか、どういう問題意識を掲げ、どういう視点をもったものだったのか、問い直していく必要があるのです。

 それでは、経済学において、立ち返るべき原点とはいったいどこでしょうか。直接的には「経済学の祖」とされるアダム・スミス(『道徳感情論』『国富論』)であるといえるでしょう。わが研究会が、この間、アダム・スミスについて検討を深めているのは、このためにほかなりません。

 しかし、経済学をひとつの個別科学として確立したのはスミスの偉大な功績にほかならないとはいえ、スミス以前の学者たちが、経済的な事象を学問的な考察の対象にしなかったわけではありません。ただそれが、経済学という独立した一個の科学という形態をとるまでには至らなかった、というだけなのです。このような観点から考えてみるならば、経済学の究極の原点は、あらゆる学問の原点というべき古代ギリシャ哲学に求められるべきだということになるでしょう。具体的に注目すべき文献としては、クセノフォン『家政について』、プラトン『国家』、アリストテレス『政治学』『ニコマコス倫理学』などを挙げることができます。現代の経済学の混迷した情況を打開するためのヒントを得るためには、スミス『国富論』にくわえて、これらの文献を真剣に検討していくことも必須の作業となるでしょう。

 しかし、これら古代ギリシャ哲学者たちの著作を学ぶのには、スミス『国富論』を学ぶのとは別種の困難さがあることに注意しなければなりません。それは、スミス『国富論』が研究の対象としたのは勃興期のイギリス資本主義であり、基本的に現代社会と同じ構造(資本主義経済としての普遍性)をもつものであったといえるのに対して、古代ギリシャの哲学者たちが見ていた古代ギリシャ社会の経済は、現代社会の経済とは大きく異なる構造をもつものであったのだということです。もちろん、スミスが見ていた18世紀イギリスの資本主義経済に比べると、現代世界の資本主義経済が大きな変貌を遂げていることは間違いないのですが、それは「生命の歴史」になぞらえてみるならば、魚類の体の構造と人間の体の構造くらいの相違にとどまっているといえます。ですから、スミス『国富論』の記述は、そのまま現代経済に通用するものと受けとって読んだとしても、それほど大きな問題は生じないといえなくもないのです。これに対して、現代経済と古代ギリシャ経済は、人間の体と単細胞体くらいの違いがあるといわなければなりません。ですから、プラトンやアリストテレスなどの著作を『国富論』と同じような感覚で読んでいくわけにはいかないのです。彼らの経済的思想が盛り込まれた著作をまともに読みこなしていくためには、彼らが見ていた古代ギリシャの経済が、私たちが見ている現代の経済と大きく異なるものであったことを、明確に意識しておく必要があるのです。

 わが研究会では今後、経済学の直接の原点たるアダム・スミスの著作にくわえて、経済学の究極の原点ともいうべきプラトンやアリストテレスなどの著作についても、本格的に検討を深めていくことにしているのですが、そのための大前提として、何よりもまず、現代資本主義経済と大きく異なるものであったであろう古代ギリシャ経済の姿について、大雑把にでもイメージを描いておく必要があります。

 本稿は、以上のような問題意識から、古代ギリシャ経済の歴史について概観することを試みるものです。とはいえ、古代ギリシャ経済と現代資本主義経済の差異にばかり注目するわけにはいきません。人間と単細胞体が見かけの上でどれほど大きく異なっていようとも、生命体としての共通性に貫かれているのと同様、古代ギリシャ経済と現代資本主義経済は、見かけの上でどれほど大きく異なっていようとも、経済としての共通性に貫かれているはずです。高度に複雑化した現代資本主義経済に比較して、古代ギリシャの経済は比較的単純な構造をもっていることが予想されるだけに、その検討をつうじて、現代経済の複雑な構造の背後に隠された経済の本質を浮き彫りにすることも可能になってくることが期待されます。わが研究会は、経済の本質について、あくまでも仮説的なレベルではありますが、「無限に発展していく社会的欲求を最大限満たしつづけるべく、有限な社会的総労働を適切に配分していくこと」と定義しています。このような仮説的経済本質論も念頭におきつつ、次回以降、古代ギリシャ経済の歴史を概観していくことにしましょう。
posted by kyoto.dialectic at 05:00| Comment(12) | TrackBack(0) | 経済学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月13日

ヒューム『政治論集』抄訳(8/8)

(8)公信用について 

 本稿では、スミスに決定的な影響を与えたヒュームの経済思想について、『政治論集』の抄訳という形で紹介してきました。最終回となる今回は、「公信用について」という論説を紹介することにしましょう。この論説は、イギリス名誉革命体制下における近代的公債制度の確立、すなわち、議会による承認と一定の財源(税収入)保障を裏づけとした公債発行が制度化されたことを歴史的な背景としたものです。この論説でヒュームは、公債は国内流通を盛んにし産業活動を促進する効果をもつ、という重商主義者たちの主張が批判的に検討しています。現代的な図式で整理するならば、財政支出が経済の活性化に大きく貢献することを説く積極財政論者にたいして、ヒュームは累積債務の膨張は持続不可能であるとして健全財政の確立を主張したのだ、ということができるでしょう。

 結論的にいえばヒュームは、公債には重商主義者が主張するような社会的利益をもたらす側面があることを全面的に否定はしないものの、社会的不利益の方が比較にならないくらいに大きい、という主張を展開するのです。ヒュームは、公債のもつ社会的不利益を、@地方の負担で首都に住む公債所有者への利払いがなされることによって富が首都へ集中させられること、A一種の紙幣である国債の流通増大によって物価が高騰してしまうこと、B利払いのための増税が勤労者への負担となること、C外国人の公債所有が国家の安全にとって脅威となること、D公債の利子収入で生活が可能になることで、怠惰な生活スタイルが蔓延してしまうこと、の5点にわたって指摘しています。その上で、公債の膨張は持続不可能であるとして、公信用死滅の3形態――医者による死(公債償還のための冒険的な試みが全機構を崩壊させる)、自然死(危機に際して国家が公債の返済を放棄する)、暴力死(公債の膨張による国家の弱体化が他国の侵略を導く)――を論じるのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

公信用について  Of Public Credit

 平時にあって戦時の必需品を準備し、さらに征服か防衛かの手段として財宝を蓄え、無秩序と混乱の時代に、臨時の課税に頼らずに、まして借り入れには頼らないということは、古代のふつうの慣行であったと思われる。

 これにひきかえ、この現代にあってごく一般的になっている方策は、国家の歳入を抵当に入れることであり、先立つ戦争のあいだに契約された債務は子孫が返済するだろうと信頼することである。また子孫は、賢明な祖父たちのきわめて優れた手本を目の当たりにしているので、これと同じ賢明な信頼を今度は自分たちの子孫に寄せるのである。そしてついに、この子孫は、選択にも増して必要から、新たな子孫に同じ信頼を寄せざるをえないのである。しかし、百の論証の示すところに勝るほど破滅的であることが明らかな慣行を論難するために時間を浪費することはない。この点にかんしては、古代の原則のほうが現代の原則よりはるかに慎慮に適っていることは、すこぶる明白に思われる。たとえ現代の原則がある適度な範囲内に限定されていたとしても、またたとえ高くつく戦争によって生じた債務を弁済するような倹約を平時に行ってきたとしても、いかなる場合にも、そうなのである。

 それでは、次の新しい逆説、すなわち、公共の債務は、契約を余儀なくされた事情はさておいて、それ自体として有益であり、およそ国家には、たとえ外敵に圧迫されなくても、商業を促進し富を増加させるために、基金、公債、租税を無制限に創り出す以上に賢明な手段はおそらくないであろう、という馬鹿げた原則にたいしては、どのようにいうべきであろうか? わが国内経営の上で、商業と勤労に与える影響と、わが対外交渉の上で戦争と交渉におよぼす影響との両方の点で、公債の帰結を検討することにしよう。

 わが国では、流通(CIRCULATION)という言葉があらゆる人の口に上り、あらゆることの説明として役立てられている。告白するが、私は、生徒だったころから、当面の主題におけるその意味をずっと探し求めてきたのだが、いまだにそれを発見できずにいる。人手から人手へと公債(stock)を容易に移転することから国民が得られる利益には、どんなものが考えられるのだろうか? この用語は、流通から生じる利益を強調する人びとによって説明されたことはけっしてないのだが、わが国の債務から生じる、類似の種類のいくらかの利益があるようには思われる。

 公債(public securities)はわれわれにとって一種の貨幣となり、金銀と同じほど容易に時価で通用している。わが国の国債(national debts)は、商人に一種の貨幣を提供するのであって、それは商人たちの手中で絶えず増殖し、彼らの商業利潤のほかに確実な利益を生み出すのである。このことは、彼らがより低い利潤で商業を行うことを可能にするにちがいない。商人のこの低利潤は、財貨をいっそう廉価にし、より大きな消費をもたらし、一般民衆の労働を促進し、技術と勤労を社会全体の隅々にまで広げるのに役立つのである。

 また、イングランドや、商業を営み公債も所持するすべての国には、半ば商人で半ば公債所有者であって、わずかの利潤で進んで貿易を行おうとすると思われる一団の人々がいることが、観察しうるであろう。なぜなら、商業は彼らの主要なあるいは唯一の生計の資ではなく、公債による収入が彼ら自身とその家族とを養う確実な資産だからである。したがって、公債のあるところでは、多くの資本と所得をもったより多くの人が、商業を継続して当然と思われる。そして、これは商業の利潤を低下させ、流通を促進し、勤労を奨励することによって、商業にいくらかの利益を与えるものであることが認められねばなるまい。

 しかし、これら2つの事情がそれほど重要だとは思われないのにたいして、わが公債に伴う多くの不利益は、国家の内的秩序(interior oeconomy)の全体において、重大である。公債のもたらす害悪と利益とは比較するべくもないのである。

 第一に、国債の利子を支払うために地方で徴収される莫大な金額によって、またおそらく国債が王国の他の地方にいる人々以上に首都にいる商人に、上述した商業上の利益を与えることによっても、国債が人口と富の首都への大きな集中を引き起こすことは確かである。

 第二に、公債は一種の紙券信用であるから、この種の貨幣に伴うすべての不利益がある。公債は国家のもっとも重要な商業から金銀を駆逐して、それらを一般の流通に落とし込み、それによってすべての食糧品と労働とをそうでない場合よりも高価にする。

 第三に、こうした公債の利子を支払うために課せられる税は、勤労にたいする妨げであり、労働の価格を騰貴させ、また貧民階層への圧迫となる。

 第四に、外国人がわが国債(national funds)の一部を保有するときには、彼らはある意味でわが公共を彼らに隷属させ、やがてわが国民とわが国の勤労との移転を引き起こすかもしれない。

 第五に、公債の大部分は、公債からの収入で生活している怠惰な国民の手中に常にあるから、この観点からすれば、わが公債は、無益な非活動的な生活を大いに奨励する。

 公債のもたらす利害得失の収支総体を考慮に入れるとき、公債が商業と勤労に与えるこれらの損害は、無視しえぬ弊害だと思われるけれども、この損害は、対外的に独立した国家――諸国家から構成される社会のなかで自立しなければならず、戦争や外交交渉において他の諸国家と対峙しなければならない政治体としての国家――に帰する損失と比較すれば、取るに足りないものである。この場合、その害悪は純粋で混ざりものを含まず、その害悪をいささかでも埋め合わせるような利点はまったく存在しない。それは質的にみてもっとも由々しくもっとも重大な害悪である。

 現在の内閣も将来のどの内閣も、わが公債の支払いがかなりすすむほどに厳格で着実な倹約を行うであろうとか、あるいは国際情勢が長期間、このような企てに十分な、時間的余裕と平静を許してくれるであろうとかは、もっとも楽天的な想像力でも望みえない。それではいったい、われわれはどうなってしまうのか? それは次の二つの結果のいずれかであるにちがいない。すなわち、国民が公信用を破壊してしまうか、それとも公信用が国民を滅ぼすか、である。国民と公信用がこれまで管理されてきた仕方によっては、いくつかの他国におけると同様に、わが国においても、この両者がともに存続することは不可能である。

 まったくありえなくはないのは、国民がみずからの債務にうんざりし、また債務によってひどく圧迫されるとき、とある大胆な企画家が夢想的な償還計画を携えて登場することである。そして公信用がそのときまでに、少し弱くなりはじめると、ほんの少し触れただけで公信用は崩壊してしまうだろう。このようにして、それは“医者がもとで死ぬ”ことになるであろう。

 しかし、公信用が、戦争、敗北、不幸、公共の災害、それどころか、勝利や征服すらがもたらすであろう必然的な結果として崩壊する、ということはよりありそうである。その年の緊急事態に備えて創出された貨幣が調達できないときがくるとしよう(そのときがくるのは確実である)。こうした苦難の最中に、国民が侵略の脅威に晒され、国内で叛乱が勃発し、艦隊は給与、食糧、修理品の不足から装備できず、あるいは外国からの援助金でさえ前払いされないと仮定しよう。このような非常事態に際しては、君主や大臣たちは、創出されて抵当に入れられていた基金を、国民の防衛と安全のために、ただちに押収せざるをえないだろう。これだけで、すでにぐらついている全機構は崩壊し、その廃墟に数千人〔公債保有者〕を埋葬する。だからこれは“公信用の自然死”と呼んでよい。

 上に仮定された二つの結果は、不幸ではあるが、しかし、最大の不幸というわけではない。それによって数千人〔公債保有者〕が数百万人〔全国民〕の安全のために犠牲にされる。しかし、これと反対の結果が生じるという、そして数百万人が数千人の一時的な安全のために永久に犠牲にされるという危険がないわけではない。議員と公債保有者の関係は非常に大きいように思われるから、議員は慎慮、政策、厳密にいうなら正義さえもが求める以上に、執拗に公共の信用を守ろうとするだろう。政略に長けた敵国は、わが国の安全が絶望状態にあることを見抜いても、その危機が不可避的となるまで表面化しないようにしておくかも知れない。われわれの子孫たちが、勢力均衡の維持のための努力に倦み、債務によって身動きがとれなくなってしまうと、〔勢力均衡にたいする〕いっさいの関心を失ってしまい、近隣諸国が圧迫を受け、征服されるのを座視するかも知れない。そしてついには、彼ら自身と公債保有者ともども、征服者のなすがままになるかも知れない。それは“公信用の暴力死”と名づけるのが適当であろう。

 以上のようなケースは、さほど遠い将来の出来事ではなく、理性が、時の胎内にあるものすべてを予測しうるのとほとんど同様に、明確に予測しうる出来事であると思われる。上述のような予言を行うには、ただ正気であること以上に何も必要ではない。
posted by kyoto.dialectic at 06:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月12日

ヒューム『政治論集』抄訳(7/8)

(7)租税について

 今回紹介する論説は、「租税について」です。この論説では、重商主義者たちが租税に関して掲げていた命題――新たな租税は貧民のあいだに新たな支払能力を創り出す、という命題――の妥当性について、検討されています。端的にいえば、ヒュームは、勤労(産業活動)を重視するみずからの立場から、この命題について批判的に検討し、それが真理として通用する範囲を厳格に定めようとしたのです。

 もう少し詳しくみておきましょう。

 ヒュームは、租税が貧民の勤勉を刺激する効果をもつのだということ自体は、全面的に否定するわけではありません。不利な自然的条件こそが勤勉を刺激したという人類史的な事実からの類推として、人為的な不利が勤勉を刺激することがあり得るのだ、ということを認めています。

 とはいえ、ヒュームは、あまりに重い税負担は、過度の窮乏と同じく、絶望感を生み出すことによって勤労を破壊する、と釘を刺すことを忘れていません。それどころかヒュームは、現在のヨーロッパのあらゆるところで、租税がすべての技術と勤労を完全に押し潰してしまうほどに増大しているのではないか、との懸念を表明するのです。ようするにヒュームは、租税について論じるにあたって、国民の勤労(産業活動)を何よりも重視する自身の見地からして、租税が産業活動を抑制しないかどうか、という点に焦点を当てているわけです。

 ヒュームが、もっとも望ましい税だと指摘するのが、奢侈的な消費にたいする課税です。人は課税された財貨をどの程度使用するか選択できるから、このような税の支払はある程度まで自発的なものであるといえる、というわけです。さらにヒュームは、奢侈的消費への課税について、賢明に課税されるなら自然に節制と節倹を生み出すこと、また財貨の自然価格と混同されるので消費者にはほとんど気づかれないことを、利点としてあげています。ただし、この種の税は、徴収に高い費用がかかるという欠点があるために、財産にたいする課税に頼らざるをえないことも指摘しています(*)。

 一方、ヒュームが最悪の税だとするのは、恣意的な課税、とりわけ人頭税です。ヒュームは、恣意的な税について、その徴収によって勤労にたいする罰のようなものになってしまうし、また不平等な課税によって実際の負担よりもいっそう過酷に感じられてしまう、と指摘しています。ここでも、勤労(産業活動)を何よりも重視するヒュームの視点が貫かれているわけです。

 さらにヒュームは、ジョン・ロックによって提唱され、重農主義者たちが受け容れるところとなった土地単一課税論にたいして批判を加えています。土地単一課税論は、根本的にいうならば、土地(農業)こそが価値の唯一の源泉である、という発想にもとづいたものでしたが、ヒュームはこれを、みなが税負担を他者に押しつけたがっているのに、ただ地主だけがそのような能力を欠いているなどとは考えがたい、との論法で批判するのです。ここには、明示されてはいないものの、勤労一般(農業労働だけでなく!)こそが価値の源泉である、という発想が暗黙のうちに前提されているのだ、といってよいかもしれません。

*ちなみに、当時はまだ所得税なるものは成立していません。個人の所得を正確に把捉してそこに課税する、というような高度な徴税技術はまだ確立していなかったのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

租税について  Of Taxes

 一部の識者のあいだで、「すべての新しい租税は国民のうちにそれを支払う新しい能力を創り出し、公共の負担の各々の増加は、国民の勤労に比例して増加する」という原則が認められている。この原則は濫用される傾向がきわめて大きく、それが真理であることを全面否定できないだけに、ますます危険である。しかし、それは、ある一定の範囲内にとどめられるなら、理性と経験にいくらかの基礎をもつ、と認められなければならない。

 一般民衆が消費する財貨に課税されると、その必然的結果は、貧民がその暮らし向きから何かを切り詰めるか、それともこの租税が完全に富者に転嫁されるように彼らの賃金を引き上げるかである、と思われるかもしれない。しかし、租税はしばしばそれらのいずれでもない第三の成り行きをもたらす。すなわち、貧民がその勤労を増加し、より多くの仕事を遂行し、しかもその労働にたいしてより多くの報酬を要求せずに、従来と同じように生活する場合である。租税が穏和で、徐々に課され、生活必需品に影響しないときには、こうした成り行きが自然に生じる。このような負担(difficulties)が、しばしば一国民の勤労を刺激するのに役立ち、最大の有利さを享受している他の諸国民よりも、彼らを富裕かつ勤勉にすることは確かである。なぜなら、類似の例として、商業のもっとも発達した国民が必ずしももっとも広大な沃地をもっていたわけではなく、むしろ逆に、多くの自然的不利のもとで労働してきたということが観察できるからである。ある種の自然的必要や不利が勤労に有益だと考えられるからには、どうして人為的な負担が同じ効果をもちえないことがあるだろうか?

 それゆえ、この教理(doctorine)は、租税にかんしてもある程度認められるであろう。しかし、その濫用には警戒せよ。法外な重税は、過度の窮乏と同じく、絶望感を生み出すことによって勤労を破壊する。しかも、こうした重税は、この極点に達する以前にさえ、労働者や手工業者の賃金を引き上げ、すべての財貨の価格を高める。現在のヨーロッパのあらゆるところで、租税がすべての技術と勤労を完全に押し潰してしまうほどに増大しているのではないかと懸念されるのである。

 もっとも望ましい租税は、奢侈的消費に課税されるものである。人は課税された財貨をどの程度使用するか選択できるから、その税の支払はある程度まで自発的なものであるといえる。それらは賢明に課税されるなら、自然に節制と節倹を生み出す。また、それらは財貨の自然価格と混同されるので、消費者にはほとんど気づかれない。その唯一の欠点は、徴収に高い費用がかかることである。財産にかけられる税は、費用なしに徴収されるが、それ以外のあらゆる欠点がある。しかしながら、たいていの国は、消費にかける税の不足を補うために、この税に頼らざるをえない。

 あらゆる租税のうち、もっとも有害なのは恣意的な税である。それらは一般的に、その徴収によって、勤労にたいする罰に転化するし、また避けることのできない不平等によって、それが課す真実の負担よりもいっそう過酷である。一般に、すべての人頭税は、恣意的なのが普通であるが、恣意的でないときでさえ危険とみなしてよい。なぜなら、要求額に少しずつつけ加えることは、主権者にとっていとも容易いため、こうした税はまったく抑圧的で耐え難いものになりがちだからである。

 どのように課税されようと、すべての税は結局は土地に賦課されることになるという、広く行きわたった見解がある。この原理は、はじめある一人の有名な著述家〔ジョン・ロック〕によって提唱されたのであるが、道理に適ったものとはとてもみえないものであり、彼の権威がなければ、誰にも受け入れられなかっただろうといわざるをえない。確かに誰もが課されるどんな租税の負担も免れ、それを他人に押し付けたいと望んでいる。しかし、誰もが皆これと同じ性向をもち、自身を守るのだから、どの部類の者もこの争いで完全に優位を保つとは考えられない。だから、なぜ地主が全体の犠牲になり、他の人々が自分を守れるのと同様に、自分を守ることができてはならないのか、私には容易に分かりかねる。
posted by kyoto.dialectic at 06:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月11日

ヒューム『政治論集』抄訳(6/8)

(6)貿易差額について

 今回の論説は「貿易差額について」です。ヒュームはここで、貿易を制限して貨幣の国外流出を押しとどめようという重商主義の核心的な思想・政策を正面から批判しています。その根拠となるのは、貨幣は財貨を交換するための手段にすぎず、貨幣の動きは結局のところ、勤労の生みだす財貨の動きに規定されるのだ、という考え方にほかなりません。これは、自由貿易を主張する古典派経済学への道を拓くような論といえますが、注目すべきなのは、ヒュームが貿易制限を全面否定しているわけではなく、国家の維持・発展という観点から一定の制限を課すこと自体は認めている点です。

 もう少し詳しくみておくことにしましょう。

 ヒュームは、ある国家が国民と勤労を保持するかぎり、貿易差額の逆調などという結果はありえないことを一般的に証明するために、以下のような思考実験を行います。

 ある国の貨幣(金)が突然に大幅に減少したとすれば、その国の物価(金で表示された価格)は大きく低下し、輸出が著しく有利になります。その結果、当該国の物価が周辺諸国とだいたい同じ水準に上昇するまで、貨幣が流入してくることになります。逆に、ある国の貨幣が突然に大幅に増加したとすれば、その国の物価は大きく上昇し、輸出が不利になり、国外から低廉な製品が大量に流入してくることになります。この大幅な輸入超過により、当該国の物価が周辺諸国とだいたい同じ水準に低下するまで、貨幣が流入してくることになるのわけです。これが、経済学史上におけるヒュームの不滅の貢献として有名な、金本位制の自動調節作用についての説明です。

 しかしながら、ヒュームは、外国の商品に課されるすべての租税が有害あるいは無益だとみなされてはならない、とも主張しています。貿易をつうじて貨幣を失ってしまうのではないか、という誤った猜疑心にもとづく関税だけが有害で無益なのだ、というわけです。ヒュームは、正当な貿易制限の事例として、国内手工業を奨励するためにドイツ製リンネル(亜麻布)へ課税することや、ラム酒の売れ行きを増大させて南部植民地を支えるためにブランデーへ課税することなどをあげています。

 ここは、ヒュームの経済思想も結局は重商主義の枠内にすぎなかった、という主張の根拠ともされる部分ですが、ヒュームにおいては、(富としての金銀量の増大ではなく!)自国民と手工業の保持ということこそが最大の政策目標であるべきだと考えられていた点にこそ注目すべきでしょう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

貿易差額について  Of the Balance of Trade

 商業の性質について無知な国民のあいだでは、財貨の輸出を禁止し、価値があり有用であると思われるモノは何でも自国内にとどめておこうとするのは、きわめてありがちなことである。彼らは、この禁止によって意図に反した結果が生ずるなど思いもよらないし、また、いかなる財貨であれ、その輸出が増加すればするほど、国内でますます多く生産されるようになり、それを最初に提供されるのは彼ら自身であるということについても思いいたらないのである。

 貨幣についても、このような嫉妬深い危惧がいくつかの国民のあいだに広まっている。こうした禁止が、為替相場を不利にして、さらに多くの貨幣輸出をもたらす以外には何の役にも立たないということを、個々の国民に納得させるには、理性と経験の両方が必要であった。

 このような誤りは、明白で分かりきったものだといえるかもしれない。しかし、商業に精通した国民においてさえ、貿易差額にかんする激しい嫉妬(警戒心)と、すべての金銀が自国から流出しつつあるかもしれないという危惧の念とが、依然として支配的なのである。だが、これはほとんどどんな場合にも、根拠のない懸念であると私には思われる。国民と勤労が存在する王国を貨幣が見捨てはせぬかと恐れるぐらいなら、むしろ私は、わが国のすべての泉や河川がすべて干上がってしまいはせぬかと恐れるべきだろう。

 貿易差額についてのすべての計算は、きわめて不確かな事実と推定にもとづいたものでしかない。貿易差額の逆調にかんする懸念は、人々が内閣に不満をもつか、あるいは士気を失っているときに、いつも現れてくる性質のものである。こうした懸念には、輸入品と相殺するすべての輸出品を個別詳細に挙げてもけっして論駁できないから、国民と勤労を保持するかぎり、貿易差額の逆調などという結果はありえないことを証明するような一般論を形成するのが適当だろう。

 グレート・ブリテンの全貨幣の5分の4が一夜のうちに消滅したとすれば、どのような結果が生じるだろうか? それに比例してすべての労働と財貨の価格が下落することにならないだろうか? こうなれば、いったいどんな国民が、外国市場でわれわれに対抗したり、われわれに十分な利益を与えるのと同じ価格で製品を輸出したり販売したりできるだろうか? それゆえ、ごく短期間のうちに、われわれは失った貨幣を取り戻し、われわれの価格をすべての隣国の水準にまで高騰させるだろう。この点に達するや否や、労働と財貨の廉価という利点は失われる。そして、わが国の飽和状態によってこれ以上の貨幣の流入は阻止されるのである。

 ブリテンの全貨幣が一夜のうちに5倍に増加したとすれば、その結果は逆のものにならないだろうか? すなわち、労働と財貨はすべて法外な高さに高騰して、近隣のどの国民もわが国から買えなくなるであろう。他方、隣接する諸国民の財貨は、比較してきわめて廉価となって、どんな法律をつくってみたとしても、それらはわが国に流入し、わが国の貨幣は流出するだろうし、ついにわが国は外国と同じ物価水準にまで下落し、われわれをこのような不利な状態においた富の大きな優位が失われることになるのではないだろうか?

 ところで、こうした法外な不均等が仮に奇跡的に生じた場合に、それを是正するのと同じ諸原因は、自然の通常の成り行きのなかで、そうした不均等が生じるのを妨げているのにちがいない。またその原因は、隣接するあらゆる国民のあいだで、貨幣を絶えず各国民の技芸と勤労にほぼ比例するように保持させるにちがいない。以上は明らかなことである。水はすべてそれが流れるところでは、常に一定の水準を保つ。博物学者(naturalist)にその理由を尋ねるならば、彼らはこう答えてくれるだろう。もし水が一箇所で高くなれば、平衡になっていない部分のより大きな重力は、釣り合いが取れるまでその部分を押し下げるにちがいない。また不均等が生じたとき、それを均す同じ原因は、何か外部からの力が働かぬ限り、不均等を絶えず妨げるに相違ない、と。

 人間の利害関心と情念とからは社会的な引力(moral attraction)というものが生じるのであって、それは物理的な引力とまったく同じくらい有力で確実なものなのである。この原理こそ、各地方の貨幣水準が一定でなくなることを不可能にし、各地方にある労働と財貨との比率を超えて、貨幣が騰落できないようにしているのである。

 なるほど、一国の貨幣をその自然的水準以下に下落させる手段が一つあり、またその水準以上に騰貴させるもう一つの手段がある。しかし、こうした場合も、よくよく検討してみるならば、われわれの一般理論に帰着し、その説得力をより強化してくれることが分かるだろう。

 私は、貨幣の保有量を自然な水準以下に下落させる方法として、この国できわめて広くおこなわれている銀行、公債、紙券信用の諸制度以外のものを、ほとんど知らない。これらの制度は、紙を貨幣と同等とみなし、それを全国に隈なく流通させて金銀に取って代わらせ、それに比例して労働と財貨の価格を高騰させる。そうすることによって、貨幣としての貴金属の大部分を駆逐するか、そのいっそうの増加を妨げるのである。3000万ポンドの貨幣の貯えをもちうることが経験的に分かっている国において、1800万ポンドが実際の現金で、1200万ポンドが紙券で流通していると仮定しよう。もしこの1200万ポンドが取り除かれれば、この国の貨幣は近隣諸国民に比べてその水準以下となるから、世界のすべての国から、必ずそれだけの金銀を獲得することになるにちがいない。わが国の現在の政策をみてみると、われわれは、あたかも貴金属に押し潰されてしまうのを恐れてでもいるかのように、銀行券や小切手という結構な品物で国内を念入りに満たそうとしているのである。

 私の意見では、貨幣を本来の水準以上に高騰させる唯一の方策は、もしそれが実行されようものなら有害きわまりないとしてわれわれがこぞって非難の声を挙げることになりそうなやり方、すなわち、莫大な金額を国庫に集めて錠を下ろし、その流通を完全に妨げることである。これを証明するには、わが国の現金の一部を消滅させるという仮定に戻ればよい。その場合には、近隣のすべての国から消滅したのと等しい金額が引き寄せられることが分かった。こうした退蔵行為には、事柄の性質上、必然的な限界をけっして設けられないように思われる。しかし、実際、人間の本性には富の莫大な増加を妨げる克服しがたい障害があるように思われる。莫大な財宝をもつ弱小国は、遠からず、隣接諸国のなかで、より貧しいが強力ないずれかの国の餌食になるであろう。一方、大国は危険で無謀な企画に富を浪費し、おそらくその上、もっと貴重なものである国民の勤労、道義、および人口を破滅させてしまうであろう。この場合、水位をあまりにも高く上げられすぎた流体が、自分を入れている容器を破裂させ、周りの要素と混ざり合うことで、ほどなく適切な水準にまで下落するのである。

 以上の諸原理から、ヨーロッパのすべての国民が、イングランドも同様に、貿易に課してきた無数の障害、妨げ、および関税について、どのように判断すべきかが明らかになる。これらの諸政策は、流通するあいだは本来の水準以上にはけっして下落しない正貨を失うのではないかという根拠のない間違った懸念から生じたものである。わが国の富を失わせるものがあるとすれば、それはこのような無思慮の考案であろう。これらの考案は、世界の創造主が、隣接する諸国民に、互いに非常に違った風土、気候、および才能を与えることによって意図していた自由な交通と交換を、すっかり奪い取ってしまうという全般的に悪い結果をもたらすのである。

 しかしながら、外国の商品に課されるすべての租税が有害あるいは無益だとみなされてはならず、上述の嫉妬にもとづく関税だけが有害で無益なのである。ドイツのリンネル(亜麻布)への課税は国内手工業を奨励することでわが国の勤労を増大させる。ブランデーへの課税はラム酒の売れ行きを増大させてわれらが南部植民地を支える。

 要するに、政府が、自国の国民と手工業の保持に細心の注意を払うのは当然のことである。その貨幣は、懸念や嫉妬を抱かずに、安んじて人事の成り行きに委ねてよいだろう。すなわち、もし政府が貨幣の事情に注意を払うとしても、それが国民と手工業に影響を与える限りでのみそうすべきなのである。
posted by kyoto.dialectic at 06:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月10日

ヒューム『政治論集』抄訳(5/8)

(5)利子について

 今回の論説は「利子について」です。ヒュームの当時、低利子率は国家繁栄の徴にほかならない、と考えられていました。ヒュームはそのこと自体は認めながらも、貨幣の豊富こそが低利子率をもたらしているのだ、との通念については厳しく批判しました。その論拠となったのは、貨幣の多寡は物価の高低に帰結するだけである、という貨幣論です。

 ここでヒュームは、利子の高低を決める要素を3つあげていますが、そのうち2つは、貨幣貸借における需給関係です。貨幣需要(大きければ利子は高く、小さければ利子は低くなる)については、商工業が未発達で土地所有者階級しかいない段階においては、土地所有者が浪費的(土地からの固定した収入を消費するだけでは大して楽しくもないので、快楽を求めずにはいられない)であることから借り入れへの需要が大きくなるのだ、と論じています。一方、貨幣供給(需要を満たす富が小さければ利子は高く、大きければ利子は低くなる)については、商業の発展がまとまった貨幣額をもつ大金持ち層(monied interest)を生みだすことを指摘します。結局、商業の発展が、貨幣需要の減少、貨幣供給の増大の両面において利子率の低下を導いていく、というのがヒュームの結論なのです。

 さらにヒュームは、貨幣の需給関係に加え、商業利潤の高低を、利子率の高低を決める第三の要素として論じています。ここでは、低利子と低利潤が相互に促進し合う関係にあることがあきらかにされています。

 以上のような議論をつうじて、ヒュームは、原因と結果のすべての連関を考慮すれば、利子は国家の状態のバロメーターであり、低利子は国民の繁栄状態のほとんど間違いない徴である、と述べ、低利子は勤労の増大と国家全体に及ぶ勤労の速やかな循環とを証明するものである、と結論づけるのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

利子について  Of Interest

 いかなる国であれ、利子の低いことほど、繁栄した状態の確かな徴となるものは考えられない。もっとも私は、低利子の原因は普通に理解されているものと多少異なると考えているのだが。利子の低いことは、普通には貨幣の豊富によるとされている。しかし、貨幣はいかに豊富であろうと、その量が決まってしまうと、労働の価格を騰貴させる以外の結果はもたらさない。したがって、利子の騰落を、固定している貨幣量の多寡によって説明しようとしても、それはムダである。

 高い利子は3つの事情から生じる。すなわち、大きな借り入れ需要、その需要を満たす富が小さいこと、商業から生じる利潤が大きいこと、である。そして、これらの事情は、金銀の希少性ではなく、商工業がさほど発展していないことを示す明白な証拠なのである。他方、低い利子は、正反対の3つの事情から生じる。すなわち、借り入れ需要が小さいこと、その需要を満たす富が大きいこと、商業から生じる利潤が小さいことである。これら諸事情はすべて関連しあっており、金銀の増加からではなく勤労と商業の発展から生じてくる。

 まず、借り入れ需要の大小の原因と結果である。ある民族が未開状態から抜け出したとき、まず成立するのは土地所有階級である。土地所有階級のあいだにも諸々の気質があるだろうが、いずれにしても、土地から定まった収入を消費するという生活は、これという仕事をまったくもたぬ生活であるから、そのような生活をおくる人々には、自分を惹きつけて夢中にする快楽が是非とも必要となる。そのため、彼らのうちでは吝嗇家より浪費家が多くなるだろう。したがって、土地所有階級しかいない国では、節約がほとんど行われないため、資金の借り手がきわめて多いにちがいなく、利子率はそれに比例して高くなるにちがいない。利子率の差異は、貨幣量ではなく、広く行われている慣習と生活様式に依存するのである。

 第二の事情、すなわち借り入れ需要を満たすための富の大小にしても、金銀量ではなく国民の生活習慣と生活様式に依存する。多数の貸手が存在するために必要なのは、財産が相当の金額となるまで特定の人々の手中に集められること、言い換えるならば、大金持ち層を生み出すということである。利子率の低下は、正貨の分量ではなく、正貨を集めてこれを相当の価値をもつそれぞれの額や量にまとめる、特定の生活態度と慣習に依存する。

 奇跡によって、グレート・ブリテンの全員が一夜にしてポケットに5ポンドを滑り込ませたとしたら、現在わが国にある貨幣量は2倍以上になるであろうが、貸し手は多くならず、利子率には何の変化もないであろう。この国に地主と小作人しかいないとすれば、貨幣がいかに豊富であろうと、それはけっして相当な金額にまとまるはずはなく、ただあらゆる物価を騰貴させるだけであろう。浪費的な地主は、貨幣を受け取るや否や濫費するだけであるし、貧しい小作人は、かつかつの暮らしをする以上のモノを獲得する手段も、目論みも、野心もない。資金の借手は従前どおり資金の貸手を上回りつづけるので、利子の下落は生じない。利子の下落はこれとは別の原理に依存しており、勤労と節約、技術と商業の増大から生じるに違いないのである。

 社会の幼年時代では、職人と小作人とのあいだの、またある種の職人と他の種類の職人とのあいだの契約は、普通、隣人であって互いの必需品をたやすく知っており、またその必要を満たすために互いに援助しあう人々自身によって、直接に結ばれる。しかし、人々の勤労が増大し、視野が拡大すると、国家のもっとも遠隔の地方でも、もっと近隣の地方と同じほどよく助け合うことができ、こうしたよき職務の交流(intercourse of good offices)がもっとも広範に、もっとも込み入って行われうることが分かるだろう。ここに、国のなかでまったく知り合っておらず相互の必要も知らない諸地方のあいだの仲介者として役立つ、社会全体でもっとも有用な種類の人々の一つである商人の起源がある。

 商人の遂行するあらゆる勤労には利益がついてくるから、彼はしだいに利得を求める情念を獲得し、自分の財産が日ごとに増えていくのを見る快楽に匹敵する快楽は知らなくなる。これこそ、なぜ交易が節約を増大させるのか、またなぜ商人には(土地所有階級とは反対に)吝嗇家が多いのかの理由なのである。商人たちは、国家の隅々まで勤労を運搬する運河としての役割を果たすことによって、勤労を生み出す。そして同時に、彼らは倹約によってその勤労にたいする大きな支配力を獲得し、労働と商品の形で大財産を集積する。ただ商業だけが、貨幣を集めて相当な金額にする。そして商業は、国家に流通する貴金属の個別的な量とは独立に、それが生み出す勤労と、それが刺激する節約だけから、この結果を得るのである。

 このようにして、商業の増大は、必然的な結果によって多数の貸手を育成し、それによって低利子を生み出す。いまやわれわれは、商業のこの増大がどこまでその職業から生じる利潤を減少させ、低利子をもたらすのに必要な第三の事情をもたらすのか、考察しなければならない。

 低利子と商業の低利潤は、相互に促進し合う2つの事柄であり、もともとはどちらも、富裕な商人を創り出し、金持ち層を大きくする、あの広範な商業に由来するとみるのが適切であろう。商人が大資本を所有するところでは、商人が事業に飽きるとか、商業に向かない跡継ぎを残すとかいった場合、これらの富の大部分はしばしばおのずから年々の安全な収入を求めるにちがいない。資本の豊富さはその価格を低下させ、貸手に低利子を受け取らせる。こうしたことへの考慮から、多くの人々は資本を引き続き交易に用いざるを得ないのであり、みずからの貨幣を価値以下で手放すよりはむしろ低利潤に甘んじることになる。他方、商業が広範になり大資本を用いるときには、商人たちのあいだに競争関係が生じるに違いないのであって、競争は交易それ自体を増大させると同時に、商業利潤を減らす。商業の低利潤は、商人が事業から離れて安楽と怠惰に耽りはじめるとき、低利子をすすんで受け取らせるようにする。したがって、低利子と低利潤のいずれ原因でいずれが結果か詮索するには及ばない。それらはいずれも広範な商業から生じ、互いに促進し合う。原因と結果のすべての連関を考慮すれば、利子は国家の状態のバロメーターであり、低利子は国民の繁栄状態のほとんど間違いない徴である。低利子は勤労の増大と国家全体に及ぶ勤労の速やかな循環とを証明するのであって、この証明はほとんど論証に劣るものではない。

 貨幣の豊富が低利子の原因であったと主張してきた人々は、副次的な結果を原因と取り違えたものと思われる。利子を低落させるのと同じ勤労は、普通、貴金属をきわめて豊富に獲得するからである。低利子にかんする通説的な誤りのいま一つの根拠は、外国を征服することによって、貨幣や貴金属が突然に獲得されたあと、その貨幣が分散し隅々にまで浸透してしまうや否や、彼らのあいだだけでなく、すべての近隣諸国においても利子が下落した、という事例である(西インド諸島発見後のスペイン、エジプト征服後のローマなど)。しかし、その結果を、たんに金銀の増加だけに帰着させるわけにはいかない。征服国家では、新しく獲得された貨幣が少数の人々の手に渡り、集まって大きな金額になって、それが土地の購入や利子によって安全な収入を求めるようになることで、あたかも商工業を大いに獲得したかのような結果が、しばらくのあいだ、生じるのである。しかし、この新しい金銀の量が消化され、国全体に隈なく流通したあとには、事態はまもなくもとの状態に戻り、高利子が再び現れるのである。
posted by kyoto.dialectic at 06:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月09日

ヒューム『政治論集』抄訳(4/8)

(4)貨幣について

 今回の論説は「貨幣について」です。この論説でヒュームは、産業活動の発展のなかで貨幣がどのような役割を果たすものであるのか、論じています。ここで基調になっているのは、貨幣はたんなる交換手段であり、その量の増大は物価の高騰をもたらすだけである、という貨幣数量説(機械的数量説)です。一方でヒュームは、貨幣量の漸次的な増大が、すなわち、貨幣量がしだいに増加していく過程においては、生産活動を刺激する効果をもつことも認めています(このような捉え方は、機械的数量説にたいして連続的影響説と呼ばれています)。前者は古典派経済学的な主張、後者は重商主義的な主張であるといえ、両者を併存させている点に、ヒューム貨幣論の重要な特徴があるといえます。

 もう少し詳しくみておくことにしましょう。

 まずヒュームは、財貨の価格は貨幣の多寡に常に比例するから、一国の幸福にとって貨幣量の多寡それ自体は何ら重要でないことは明らかである、といいます。さらに、貨幣が他国より豊富であるということは、外国人との通商において、一国民の損失となることさえありうる、と主張するのです。人間にかかわる事柄には、諸々の原因の絶妙な噛み合わせ(happy occurence of cause)があり、貿易の発展や富の増大を一定の限度内におしとどめ、貿易や富の一国民による全面的独占という事態の発生を防止している、というのがヒュームの主張です。商業の発展は、貨幣の豊富による物価高騰という不利益を不可避的に伴うために、国際的な市場において、豊かな国よりも貧しい国のほうが安く販売することが可能となるのです。

 一方でヒュームは、物価の高騰は金銀貨が増大したとたんに生じるものではなく、貨幣が国内に隈なく流通し、その影響がすべての階級の人々に及ぶまでにいくらかの時間が必要であることに注意を促しています。いかなる国であれ、その国へ貨幣が大量に流入しはじめると、労働と勤労(産業活動、生産意欲)は活況を呈し、商人はより積極果敢になり、手工業者はいっそう勤勉と熟練を増し、農民までもが鋤を迅速かつ慎重に動かしていくようになる、というのです。このようにヒュームは、流入してきた貨幣が物価を騰貴させてしまう前に個人の勤勉の度合いを高める効果をもつことをも指摘しているのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

貨幣について  Of Money

 貨幣は、商業の対象の一つではなく、財貨の交換を容易にするために承認された道具にすぎない。商品流通を車にたとえるならば、貨幣は車輪ではなく、車輪の動きを滑らかに保つための潤滑油なのである。ある一国だけをとって考察するなら、貨幣量の多寡は何ら重要でないことは明らかである。なぜなら、財貨の価格は貨幣の多さに常に比例するからである。貨幣が豊富であることから利益を引き出すのは、公共だけであり、それも、戦争に際して、近隣の貧しい国からの傭兵を自国の臣民よりも安く雇うことができる、ということぐらいである。他国より人口が多く、勤労も大きい(産業活動が盛んである)というのは、いついかなる場合にも、すなわち、対内的にも対外的にも、私的にも公的にも、有益なことである。しかし、貨幣が他国より豊富であるということの効用はきわめて限られており、ときには外国人との通商において、一国民の損失となることさえありうる。

 人間にかかわる事柄には、諸々の原因の絶妙な噛み合わせ(happy occurence of cause)というものがあって、それが貿易の発展や富の増大を一定の限度内におしとどめ、貿易や富の一国民による全面的な独占という事態の発生を防止しているように見受けられる。とはいえ、はじめのうちは、すでに確固とした地盤をきずきあげた商業活動がもつ諸々の強みが、当然のことながら恐れられるだろう。ある国民が交易において他国民に先んじている場合、遅れをとった国民が失地を回復するのは、前者がより優れた勤労と技能をもつために、また前者の貿易商人がより大きな資本をもち、それだけ低い利潤で交易を営むことができるために、きわめて困難である。しかし、先進国のこうした強みは、商業がそれほど発達しておらず、したがってそれほど多量の金銀をもたない、あらゆる国民の安価な労働によって、ある程度まで相殺される。したがって、各種の手工業はしだいに立地を変え、みずからが富裕にした国や地方を去って、食糧と労働の安価によって誘われるままに、他の国や地方へと逃避していくのである。そして、それらの国や地方が手工業によって富裕になれば、また同じ因果が働いて、その国や地方も後にしなければならなくなる。一般的に、貨幣の豊富に起因する物価高は、確立された商業が伴う不利益であり、すべての国外市場において、貧しい国が豊かな国よりも安く販売することを可能にすることにより、いかなる国の商業の発展にも一定の枠をはめることになる不利益である、ということができる。

 このことは、銀行と紙券信用はいかなる国家にとっても有益なものである、という広範に存在する見解への疑問を私に抱かせることになった。交易と貨幣の増大による食糧と労働の高価は多くの点で不利益であるが、それは不可避の不利益であり、われわれがみな願っている公共の富と繁栄の結果なのである。しかし、この不利益を擬制貨幣の使用によって増大させるべき理由はないように思われる。銀行や紙券で信用を人為的に増やそうと努力することは、いかなる商業国にとっても利益にはなりえない。むしろ、それは、貨幣を労働と財貨にたいする自然的な比率を超えて増大させる結果、商人と手工業者にたいして労働と財貨の価格を高騰させることで、国民に不利益を与えるのである。

 この紙券信用の問題は、後にもっと詳細に論じることにして、思索的な政治家の思考を促すような二つの見解を提示して説明することで、この貨幣についての論説をしめくくることにする。

 一、貨幣が労働と財貨との表示物以外の何ものでもなく、それらを勘定し評価する手段として役立つだけであることは明白である。もしある国により多くの貨幣が存在するようになれば、同じ量の財を表示するのにより多くの貨幣が必要になるだけであり、その国だけに限定して考えるならば、それは善悪いずれの影響も与えない。しかし、この結論の正しさは揺るがないにしても、アメリカにおける鉱山の発見以来、これら鉱山の所有国を除くヨーロッパのすべての国民において勤労が増加したことは事実であって、この事実を的確に説明しうる理由としては、何といっても金銀の増大をあげるべきだろう。いかなる国であれ、その国へ貨幣が従来よりはるかに大量に流入しはじめると、事態は一変し、労働と勤労(産業活動、生産意欲)は活況を呈し、商人はより積極果敢になり、手工業者はいっそう勤勉と熟練を増し、農民までもが鋤を迅速かつ慎重に動かしていくようになる。

 この現象を説明するには、次のことを考慮にいればければならない。すなわち、物価の高騰が金銀貨の増大のもたらす必然的な結果だとはいえ、そのような高騰は金銀貨が増大したとたんに生じるというものではなく、貨幣が国内に隈なく流通し、その影響がすべての階級の人々に及ぶまでには、いくらかの時間が必要である、ということである。最初は、何らの影響も感じられないが、まず一つの財貨から他の財貨へとしだいに価格が騰貴していき、ついにはすべての財貨の価格が、その国に存在する新たな貨幣量にちょうど比例する点にまで到達する。私見では、金銀量の増大が勤労にとって有利なのは、貨幣の獲得と物価の騰貴とのあいだ、あるいは中間状態においてだけである。流入してきた貨幣は、労働の価格を騰貴させてしまう前に、あらゆる個人の勤勉の度合いを高めるのである。

 こうした推論の全体から、われわれは貨幣量の多寡は一国家の国内的幸福にかんしては、少しも重要な問題ではない、と結論することができよう。為政者の優れた政策は唯一、できることなら、貨幣量を絶えず増大せせるようにしておくことだけである。なぜなら、その方策によって、彼は国民の勤労精神を活発に保ち、すべての現実的な力(軍事力)と富とを成り立たせている労働の蓄えを増大させるからである。


 二、ヨーロッパには、貨幣がきわめて希少であるため、地主が小作人から貨幣を一銭も受け取ることができず、現物で地代を受け取り、それを自分で消費するかそれとも市場の見つかるところまで輸送するしかない、という国や地方が存在する。このような国では、国王は地主と同じ方法でなければ、租税をほとんど徴収することができない。このような形で支払われる税は、国王にとってさほど役に立つものではない。このような王国は国内的にもきわめてわずかな実力しかなく、国内のあらゆる地域に金銀が豊富に存在したなら維持しえたであろう海陸軍と同規模の海陸軍を維持することもできない。これは、普通に想像されているところによれば、貨幣の希少に由来する。こうした事実は、金銀の量はそれ自体としてはまったくどうでもよいという、あの理性的な原理と、どのように折り合いをつけることができるだろうか?

 この難点にたいして、私は、ここで貨幣の希少から生じると想像されている結果が、実は住民の生活様式と慣習から生じるのであり、またきわめてよくあることだが、われわれは副次的な結果を原因と取り違えているのだ、と答えよう。理性的原理と現実の食い違いは外見だけのものであるが、われわれが理性を経験に一致させうる諸原理を発見するためには、いくらかの思索と省察が必要なのである。

 理性的原理を適用するために考慮に入れなければならないのは、いかなる国家であれ、最初の未開時代には、すなわち嗜好的な必要が自然的な必要と混同されるようになる以前には、人々は、自分自身の畑の生産物か、彼らがみずから働きかけることができる粗雑な産物かで満足しており、交換の機会を、少なくとも同意によって交換の共通尺度となる貨幣との交換の機会をほとんどもたない、ということである。しかし、人々が享受する財貨すべてに洗練の手がくわわりはじめ、必ずしも故郷で生活せず、また近隣で生産できるモノに満足しなくなった後には、あらゆる種類の交換と商業が存在するようになり、より多くの貨幣がその交換に入り込んでくる。人々が古来の質素な様式で生活し、彼らの必需品をすべて家内の勤労や近隣から満たしているあいだは、統治者は国民の相当の部分から貨幣による租税を徴収することができないのである。
posted by kyoto.dialectic at 06:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月08日

ヒューム『政治論集』抄訳(3/8)

(3)奢侈について〔技芸における洗練について〕

 今回は、「商業について」に続く第二の論説「奢侈(luxury)について」を紹介します(ちなみに、この論説のタイトルは1760年の版より「技芸における洗練について(Of Refinement in the Arts)に変更されています)。この論説でヒュームは、あらゆる奢侈を有益とする議論、一切の奢侈を不道徳として否定する議論の双方を両極端の誤りとして排し、奢侈は度を越さない限り社会にとって好影響をもたらすことを論じています。ここでは、奢侈あるいは機械的技術における洗練がもつ意義について、たんに経済的な領域にとどまらず、国民精神のあり方全体を視野に入れて論じている点が注目されます。

 もう少し詳しくみておきましょう。

 ヒュームはまず、勤労と機械的技術における洗練が、学問・芸術の発展と相互浸透の関係にあることを指摘しています。つまり、一方の発展が他方の発展を促し、他方が完成しなければもう一方も完成しない、という関係にあることを解いているのです。同時にヒュームは、勤労と機械的技術における洗練が国家統治のあり方にも好ましい影響を与えることを解いていきます。統治技術の発展は、統治者により洗練された支配方法を採用させるようになるし、独立心旺盛な中産階級が台頭してくることによって、国民の側からの圧政への抵抗力も強まっていくのだ、というわけです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

奢侈について  Of luxury

 奢侈(luxury)は、意味合いのはっきりしない言葉であり、悪い意味にも良い意味にもとれる。一般にそれは、諸感覚の満足における高度の洗練を意味する。そして、時代や国や当人の境遇の違いによって、途方もない奢侈が罪のないものでありえたり、ほんの些細な奢侈が非難に値するものでありえたりする。奢侈については、その他の道徳上の問題にもまして、徳と悪徳との境界を正確に定められないのである。放縦な原理をもつ人々は、不道徳な奢侈さえも賞賛し、社会にとってきわめて有益であると主張する一方で、厳格な道徳をもつ人々は、無害な奢侈まで非難し、市民政府にありがちの腐敗や無秩序、党派抗争はすべて奢侈に起因すると説く。われわれは、この論説において、次の二点を証明することにより、こうした両極端の誤りを正したい。第一に、洗練と奢侈の時代はもっとも幸福かつ有徳な時代であること、第二に、奢侈が無害でなくなればそれは必ず有益でもなくなり、それが過度に進む場合は政治社会にとって、もっとも有害とはいわないまでも、有害な性質のものになることである。

 第一の点を証明するには、そうした奢侈が私生活と公的生活の両面に与える影響を考察しさえすればよい。人間の幸福は、活動、快楽、無為の三要素にあるとされる。その混合比率は人それぞれであろうが、どれか一つの要素を欠いても、必ずその構成全体の風味を損なってしまうだろう。無為それ自体は幸福の享受にあまり役割を果たさぬようにみえるが、活動も快楽も中断なくつづくならば人間本性はそれに耐えられなくなってしまうのだから、やはり無為は不可欠である。精気の活発な動きは、人に我を忘れさせ満足を与えるが、最後には精神を疲弊させ、休息を必要とさせるのである。とはいえ、無為はあまりに長引けば倦怠と無気力を生み出してしまう。幸福三要素のどれに人々の心が向かう場合にも、教育と慣習と先人のお手本とが大きな影響力をもつ。したがって、教育や慣習や先例が活動と快楽への嗜好を助長する場合、それらはその限りにおいて人間の幸福に好都合であると認められるべきである。勤労と諸技術が栄えている時代には、人々は絶えず活動に専念し、労働の果実としての快楽を享受するだけでなく、そうした活動への専念そのものをも報酬として享受するのである。

 勤労と機械的技術の洗練がもたらすもう一つの利益は、それらが自由な学芸に洗練をもたらすことである。一方は、ある程度、他方を伴わなければ完成されえない。天文学を知らない、あるいは倫理学を軽視する国民において、一枚の毛織物が完全に織られるなどということは期待できないのである。時代精神は技芸のあらゆる分野に影響を及ぼす。人間精神は、ひとたび怠惰の眠りから呼び覚まされ発奮させられると、四方八方に関心を伸ばしてあらゆる科学と技術に改善をもたらしていく。

 これらの洗練された技芸が発展すればするほど、人々はより社交的になる。特色あるクラブや社交団体がいたるところに設立され、男女は伸びやかで社交的な作法において会合するようになる。こうして、人々の行動や気質がたちまちのうちに洗練されていく。学問と芸術から受け取る改善だけでなく、集って談論するという習慣そのものから、人間らしい感情の高まりが感じられるようになっていくのである。このように、勤労と知識と人間性とは互いに断ちがたい鎖でつなぎ合わされており、それらが洗練の度のより高い時代、奢侈的な時代に特有なものであることは、理性からも経験からも分かるのである。

 勤労、知識、人間性は、私的生活にだけ有益なのではない。それらは公的生活にも好影響を及ぼし、政府を強大にし繁栄させる。人生を装飾し喜びあるものにするのに役立つあらゆる商品の増加と消費は、個人の罪のない満足を増すとともに、一種の労働の貯蔵庫となって、国家危急の際に、公共の用務に向けうるからである。また、技術と奢侈の時代から切り離せない知識は、勤労を大いに促進するだけでなく、すぐれた統治組織の樹立をつうじて、公共がその国民の勤労を最大限に利用することを可能にする。

 統治技術における知識は、人間の性情に即した原則にもとづく穏和な支配が過酷で峻厳な支配にまさること人々に教え、政治的支配における寛容と穏健を自然と生じさせる。

 人々が大胆さを失うことによって武勇心を失うことにならないか、などと懸念するには及ばない。技芸には精神や肉体を弱めるような影響はない。それどころか、技芸と切り離すことのできない勤労が、心身の双方に新たな活力を与えるのである。厳格な道徳家たちに奢侈と快楽における洗練を批判させてきた主な要因は、古代ローマの実例であるが、こうした著述家たちは、ローマ国家の無秩序の原因を誤解しており、実際には統治組織の欠陥と無制限に拡大した征服から生じたものを、奢侈と技術のせいにしているのである。

 イングランドの自由は、奢侈と技術の起源以来、衰退するどころか、この期間ほど大いに伸張したことはなかった。近年、贈収賄という腐敗が進行しているように見受けられるが、これはわが国王たちが議会なしに統治することは不可能だと気づくようになったことを意味するものであって、それを何か奢侈における洗練のせいにするのは正当ではない。

 この問題に適切に光を当てるならば、奢侈と技術は自由にとってむしろ好ましく、自由な政治を生みださないまでも、それを維持する自然の傾向をもつことが分かるであろう。技術をなおざりにする粗野な未開国民においては、すべての労働が土地の耕作に投じられ、社会全体が土地所有者とその従属者たる借地人の二大階級に分化している。後者はいやでも前者に隷従し服従せざるをえない。しかし、奢侈が商業と手工業の発展を促進するところでは、農業生産者は富裕になって独立する。一方、商工業者は、社会的富の分け前にあずかって、公的自由の最良でもっとも堅固な基礎である中産階級に権威と尊敬をもたらす。中産階級は、貧困と卑屈から奴隷状態に甘んじるなどということはなく、君主の圧制を許す気にもならない。彼らは、自分たちの財産を保証し、圧政から自分たちを守ることのできる、平等な法律を切望するのである。

 さて、いまや第二の問題を論じるときである。すなわち、道徳的に無害な奢侈、すなわち快楽における洗練は国家に有益であるが、同様に奢侈が道徳的に無害でなくなれば、それはまた有益でもなくなり、さらにもう一歩進めば、政治社会にとって、おそらくはもっとも有害ではないにせよ、有害な性質のものになりはじめる、ということである。

 不道徳な奢侈と呼ばれるものを考察してみよう。欲望の充足それ自体は不道徳のものではなく、それが、ある人の支出のすべてを占めてしまい、その人の地位や財産のゆえに世間から求められているような義務の行為や寛大な行為を行う能力を失わせる場合にだけ、不道徳なのである。

 人間の不幸はすべて悪徳から生じるといってよいのだから、不幸を一掃しようとするならば、すべての悪徳を一掃することである。不道徳な奢侈を駆逐しても、怠惰や他人への無関心を矯正しなければ、国家の勤労を減少させるだけで、人々の慈善心や気前のよさを広げ深めていくということにはならない。したがって、一国に互いに相殺しあうような2つの悪徳があることは、どちらか一方だけがあるよりは有益だ、と主張するところで矛を収めるべきであり、悪徳それ自体が国家にとって有益だなどと間違っても断言すべきではない。ある著者が、あるところでは道徳的な善悪は、公共の利益のために政治家がこしらえあげたものだと断言しておきながら、そのすぐ次のページでは、悪徳は社会にとって有益だなどと主張するのは、とんでもない矛盾ではないか?〔マンデヴィル『蜂の寓話』への批判〕

 以上で論究してきたのは、イングランドで大いに論争されてきた哲学的な問題に光をあてるためであって、政治的な問題として論究したのではない。人類にあらゆる徳を与え、あらゆる悪徳から解放するなどということは、可能なことだけを追求する政治家には無縁のことだからである。あらゆる悪徳を徳に転換して矯正することなどできず、せいぜい、ある悪徳を別の悪徳で矯正することができるだけである。その場合、政治家は、社会にとってもっとも害の少ないものを選ぶべきなのである。奢侈は度を越せば多くの害悪の源となるが、一般的には、無精や怠惰よりはましである。無精が支配する場合、卑しい非文化的な暮らし方が支配的になり、社交も享楽もなくなってしまう。このような状態では、たとえ政府が国民に労務を要求しても、その国の労働はただ直接生産者に必需品を供給するだけで精一杯で、公共の労務に雇用される人々に何らかのモノのを与えるような余力は存在しないのである。
posted by kyoto.dialectic at 05:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月07日

ヒューム『政治論集』抄訳(2/8)

(2)商業について

 本稿では、スミスに決定的な影響を与えたヒュームの経済思想について、『政治論集』の抄訳という形で紹介していくことにしています。抄訳の第1回目となる今回は、冒頭に収録された論説「商業について」を取り上げます。これは端的には、国家の強大さと国民の幸福は商業において不可分の関係にある、という命題の妥当性を検討(真理性を主張)したものです。

 この論説でヒュームは、国家の中身(国民生活)と容れ物(軍事力)の両面に的確に目を配った議論を展開している、と評価できるでしょう。ここでは、社会的総労働の配分による生産力の発展が、あくまでも国家の維持・発展という観点から論じられており、われわれが仮説的に掲げている経済本質論――経済とは、限りなく増大し多様化していく国民の諸欲求を継続的に満たしつづけるべく、社会的総労働を的確に配分していくことである――への接近を感じさせるものがあります。

 また、ヒュームが、よりよい生活を希求する人間の諸々の欲求こそ生産活動を発展させる原動力である、と指摘していることも注目されます。ヒュームは、奢侈の否定の上に成り立っていた古代の軍事強国のあり方が不自然であることと対比させながら、諸欲求に牽引された生産活動の発展を「事物の自然な成り行き」と表現しているのです。これは、生産活動を動かす人間の認識(感情のあり方)に着目したものとして、高く評価するに値するものでしょう。

 なお、ヒュームの政治論説において頻出するのが industry という語です。これについて田中敏弘氏は「インダストリーはたんに dilligience の意味における勤勉ではないことは明らかである。一言でいえば、インダストリーの増大は国民的生産性の増大の尺度とせられ、経済発展の指標とせられているのである。この意味からすれば、インダストリーはひろい意味での産業活動とも訳されるべき内容を示しているのである」(田中敏弘『社会科学者としてのヒューム』未来社、p.30)と述べています。また、小松茂夫氏の訳文(岩波文庫『市民の国について』)では industry にたいして、しばしば「生産への熱意」という訳語があてられています。今回の抄訳にあたっては、これらに示唆を受けつつ、頻出する industry には、文脈によって適当と思われる訳語をあてました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

商業について  Of Commerce

 個別的な問題を処理する場合には、議論を過度に精密にしたり結論の連鎖を過度に長くしたりすることは絶対に禁物である。しかし、一般的な問題に思索をめぐらす場合は、その思索が正しくありさえすれば、どれほど精密であっても精密すぎるということはない。凡人の判断は特殊なレベルにとどまり、視野を広げて普遍的な命題を形成し、そのもとに無数の個別的事例を包摂して一個の科学全体を唯一の公理によってまとめてしまう、ということなどできない。こうした事物の一般的な成り行きを考察することこそ哲学者の仕事であり、同じことは政治家の仕事についてもいえる。私が、商業、貨幣、利子、貿易差額などにかんする以下の論説に先立って、この序論が必要であると考えたのは、このような通俗的主題を論じるにしては精密にすぎるのではないかとの印象を与えるような原理が出てくるからである。

 一国の強大さとその国民(subjects)の幸福は商業にかんして不可分の関係にある、すなわち、私人は、公的な権力によってより大きな安全を保障される一方、公共(国家)は私人の豊かさと広範な商業に比例して強くなる、というのは、一般に認められた真理である。とはいえ、個人の商業と富と奢侈(生活の洗練)が、公共の力を増大させずに、その軍隊を弱小にしてしまうケースも事情によっては生じる。

 どんな国家であっても、その大半は農民と手工業者とに二分される。最初は農業の諸技術が社会の最大部分を雇用するが、時間と経験によってこの技術が改良されれば、土地は、直接の耕作者やこの人たちに不可欠な手工業製品を供給する人たちよりも、はるかに多くの人間を養うことができるようになる。

 これらの余分な人手が、奢侈(生活洗練)にかんする技術に従事すれば、国民の幸福は増すだろう。しかし、この余分な人手を海軍および陸軍に雇うという計画も立てられるのではないか? 土地所有者と直接耕作者の欲求(desires)や必要(wants)がより少なければ、奢侈の技術に雇われる人手が少なくなり、それだけ大規模に陸海軍を維持するだろう。したがって、ここでは国家の強大さと国民の幸福とのあいだに、ある種の対立があるように思われるのである。

 以上の推論は妄想ではなく、歴史と経験にもとづいている。例えばスパルタは、同数の人口をもつ現代のどの国家よりも強大な軍事力をもっていたが、これと同様のことはローマなどについてもいえる。古代の諸国家の近代諸国家にたいする軍事力上の優越は、商業活動と奢侈(生活洗練)の欠如という事実からしか説明できそうにない。農業生産者の労働によって生活を維持する工業生産者がほとんどおらず、したがってそれだけ多数の兵士が農業生産者の労働によって維持されえたのである。

 それでは、現代の統治者は、古代の政策原則に戻って、国民の幸福以上に自分たちの利益〔国家の強大さ〕を優先するような政策を採用することができるだろうか? それは不可能であろう。なぜなら、古代の政策は乱暴であり、事物のより自然で普通の成り行き(the more natural and usual course of things)に反しているからである。事物のもっとも自然な成り行きによれば、勤労(産業活動)と技芸と商業とは国民の幸福と同じく統治者の力をも増大させるのである。

 この世に存在するあらゆるものは労働によって取得(purchase)されるが、われわれの情念こそが、そのような労働の唯一の原因なのである。ある国民が、諸々の手工業と機械的技術を豊富にもつときは、農業生産者だけでなく土地所有者もまた農業を一個の科学として研究し、自身の勤労と配慮を倍加させる。こうして、土地はその耕作者を満足させるよりも、はるかに多くの生活必需品を供給するようになる。平和で安穏な時代には、この剰余は手工業者と学芸の改善者の扶養に向かう。しかし、公共にとっては、これら手工業者の多くを兵士に転換し、農業者の労働から生じる剰余で彼らを維持することも容易である。問題を抽象的に考えるならば、手工業者は、十分な労働を、それも公共が誰からも生活必需品を奪わずに要求できるような種類の労働を蓄えることによって、国家の力を増大させるのである。

 統治者の強大さと国民の幸福とは、このように商工業において深く結びついている。労働者に、自身とその家族を扶養するのに必要以上のモノを生産させようとして労苦を強いるのは乱暴であるし、たいてい実行不可能である。しかし、労働者に諸々の手工業製品と財貨を与えるならば、彼はみずから進んでそのような労働に努めるであろう。そうなれば、いつもなら彼が手にするはずの反対給付を与えずして彼の剰余労働を公役(軍務)に充当するのも容易というものである。彼はすでに勤労に慣れてしまっているので、いきなり何の反対給付もなしに労働強化を強制されるときほどには、苦痛を感じないであろう。

 商業活動(交易)と産業活動(勤労)は、実際には貯蔵されている労働(stock of labor)にほかならず、平和で安穏な時代には、個人の安楽と諸欲求の満足のために用いられるのであるが、国家の危急の際には、一部を公共のために転用することができるのである。ある一都市を要塞化し、各人にあらゆる困難に耐えうるほどの強い武勇の精神と公共善への情熱を吹き込むことができればよいのかもしれないが、それは人間の利害関心からあまりにかけ離れており、維持しがたい方針である。人々をもっと別の情念によって支配し、貪欲と勤労、技術と奢侈(生活洗練)の精神によって活気づける必要がある。

 これと同じように考え方をすすめていけば、国民の富と幸福と同様に国家の力を増大させていく上で、外国商業がいかなる利点をもっているのか、明らかになるだろう。外国商業は国民の労働の蓄えを増大させ、統治者はそこから必要な分を取り出して軍事に転用することができるようになる。外国貿易は、輸入をつうじて新しい手工業に原料を提供し、輸出をつうじて国内で消費されない財貨にかんしての労働を創り出す。

 歴史をみれば、ほとんどの国民の場合、外国貿易が国内手工業のあらゆる洗練に先行し、国内における生活洗練化(奢侈を生み出していくこと)の母胎となってきたことがわかる。外国貿易によって、人々は奢侈の快楽と商業の利益を知るようになるのであり、彼らの繊細な嗜好と勤労とがひとたび目覚めさせられると、外国貿易と同じく国内の商取引のあらゆる部門の発展が促されることになる。外国貿易は、人々を怠惰な眠りから目覚めさせるとともに、富裕層に彼らが以前には夢想さえしなかった奢侈品を提供することによって、祖先たちが享受したよりも素晴らしい暮らし方をしたいという彼らの欲求を掻き立てるのである。また、輸出入業務の秘訣を握った少数の貿易商人たちは巨額の利潤を獲得するが、これが多くの競争者を登場させ、模倣をつうじてこうしたあらゆる技術が広まっていく。そのあいだに、国内手工業が外国のそれと改良を競い、あらゆる国産品を完成の極致にまで仕上げていくことになる。

 機械的技術が多数あることが有利であるのと同様に、こうした諸技術の生産物の分け前にあずかる人々の数が多いこともまた有利である。市民のあいだの不均衡があまりに大きいと、どんな国家も弱体になってしまう。誰も、可能なら、自分の労働の果実を享受すべきであって、すべての生活必需品と生活便益品の多くを十分に保有すべきなのである。このような平等は人間本性にもっともふさわしいものであり、それが富者の幸福を減少させる程度は、貧者の幸福を増大させる程度にくらべてはるかに少ない。そのような平等によってこそ、どんな法外な租税や賦課金も、喜んで支払われるようになる。富が多数の人に分散されているときは、各人の肩にかかる負担は軽く感じられ、租税は誰の暮らし向きにもさほど目立った変化を生じさせないのである。さらにつけくわえるなら、富が少数者に集中しているところでは、この少数者がすべての権力を壟断することになり、彼らは共謀して全負担を貧者に転嫁し、貧者をいっそう圧迫することによってあらゆる勤労をダメにしてしまうだろう。
posted by kyoto.dialectic at 05:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

<講義一覧>

 ・2010年5月例会の報告
 ・2010年6月例会の報告
 ・日本酒を楽しめる店の条件
 ・交響曲の歴史を社会的認識から問う
 ・初心者に説く日本酒を見る視点
 ・『寄席芸人伝』に見る教育論
 ・初学者に説く経済学の歴史の物語
 ・奥村宏『経済学は死んだのか』から考える経済学再生への道
 ・『秘密諜報員ベートーヴェン』から何を学ぶか
 ・時代を拓いた教師を評価する(1)――有田和正氏のユーモア教育の分析
 ・2010年7月例会報告
 ・弁証法から説く消費税増税不可避論の誤り
 ・佐村河内守『交響曲第一番』
 ・観念的二重化への道
 ・このブログの目的とは――毎日更新50日目を迎えて
 ・山登りの効用
 ・21世紀に誕生した真に交響曲の名に値する大交響曲――佐村河内守:交響曲第1番「HIROSHIMA」全曲初演
 ・2010年8月例会報告
 ・各種の日本酒を体系的に説く
 ・「菅・小沢対決」の歴史的な意義を問う
 ・『もしドラ』をいかに読むべきか
 ・現代日本における「国家戦略」の不在を問う
 ・『寄席芸人伝』に学ぶ教師の実力養成の視点
 ・弁証法の学び方の具体を説く
 ・日本歴史の流れにおける荘園の存在意義を問う
 ・わかるとはどういうことか
 ・奥村宏『徹底検証 日本の財界』を手がかりに問う「財界とは何か」
 ・「小沢失脚」謀略を問う
 ・2010年11月例会報告
 ・男前はなぜ得か
 ・平安貴族の政権担当者としての実力を問う
 ・教育学構築につながる教育実践とは
 ・2010年12月例会報告
 ・「法人税5%減税」方針決定の過程的構造を解く
 ・ベートーヴェン「第九」の歴史的位置を問う
 ・年頭言:主体性確立のために「弁証法・認識論」の学びを
 ・法人税減税の必要性を問う
 ・2011年1月例会報告
 ・武士はどのように成立したか
 ・われわれはどのように論文を書いているか
 ・三浦つとむ生誕100年に寄せて
 ・2011年2月例会報告:南郷継正『武道哲学講義U』読書会
 ・TPPは日本に何をもたらすのか
 ・東日本大震災から国家における経済のあり方を問う
 ・『弁証法はどういう科学か』誤植の訂正について
 ・2011年3月例会報告:南郷継正『武道哲学講義V』読書会
 ・新人教師に説く「子ども同士のトラブルにどう対応するか」
 ・三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』誤植一覧
 ・新大学生に説く「大学で何をどう学ぶか」
 ・新大学生に説く「文献・何をいかに読むべきか」
 ・2011年4月例会報告:南郷継正『武道哲学講義W』読書会
 ・三浦つとむ弁証法の歴史的意義を問う
 ・新人教師に説く学級経営の意義と方法
 ・三浦つとむとの出会いにまつわる個人的思い出
 ・横須賀壽子さんにお会いして
 ・続・三浦つとむとの出会いにまつわる個人的思い出
 ・学びにおける目的意識の重要性
 ・ブログ毎日更新1周年を迎えてその意義を問う
 ・2011年5・6月例会報告:南郷継正「武道哲学講義〔X〕」読書会
 ・心理療法における外在化の意義を問う
 ・佐村河内守:交響曲第1番「HIROSHIMA」CD発売
 ・新人教師としての一年間を実践記録で振り返る
 ・2011年7月例会報告:近藤成美「マルクス『国家論』の原点を問う」読書会
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む
 ・2011年8月例会報告:加納哲邦「学的国家論への序章」読書会
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論1三浦つとむの哲学不要論をめぐって
 ・一会員による『学城』第8号の感想
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論2 マルクス『経済学批判』「序言」をめぐって
 ・2011年9月例会報告:加藤幸信論文・村田洋一論文読書会
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論3 マルクス「唯物論的歴史観」なるものの評価について
 ・三浦つとむさん宅を訪問して
 ・TPP―-オバマ大統領の歓心を買うために交渉参加するのか
 ・続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2011年10月例会報告:滋賀地酒の祭典参加
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論4不破哲三氏のエンゲルス批判について
 ・2011年11月例会報告:悠季真理「古代ギリシャの学問とは何か」読書会
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論5ケインズ経済学の歴史的意義について
 ・一会員による『綜合看護』2011年4号の感想
 ・『美味しんぼ』から何を学ぶべきか
 ・2011年12月例会報告:悠季真理「古代ギリシャ哲学、その学び方への招待」読書会
 ・年頭言:「大和魂」創出を志して、2012年に何をなすべきか
 ・消費税はどういう税金か
 ・心理療法におけるリフレーミングとは何か
 ・2012年1月例会報告:悠季真理「古代ギリシャ哲学,その学び方への招待」読書会
 ・バッハ「マタイ受難曲」の構造を解く
 ・2012年2月例会報告:科学史の全体像について
 ・『弁証法はどういう科学か』の要約をどのように行っているか
 ・一会員による『綜合看護』2012年1号の感想
 ・橋下教育基本条例案を問う
 ・吉本隆明さん逝去に寄せて
 ・2012年3月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第1章〜第4章
 ・科学者列伝:古代ギリシャ編
 ・2年目教師としての一年間を実践記録で振り返る
 ・2012年4月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第5章〜第6章
 ・科学者列伝:ヘレニズム・ローマ・イスラム編
 ・簡約版・消費税はどういう税金か
 ・一会員による『新・頭脳の科学(上巻)』の感想
 ・新人教師のもつ若さの意義を説く
 ・2012年5月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第7章
 ・科学者列伝:西欧中世編
 ・アダム・スミス『道徳感情論』を読む
 ・2012年6月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第8章
 ・科学者列伝:近代科学の開始編
 ・ブログ更新2周年にあたって
 ・古代ギリシアにおける学問の誕生を問う
 ・一会員による『綜合看護』2012年2号の感想
 ・クセノフォン『オイコノミコス』を読む
 ・2012年7月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第9章
 ・科学者列伝:17世紀の科学編
 ・一会員による『新・頭脳の科学(下巻)』の感想
 ・消費税増税実施の是非を問う
 ・原田メソッドの教育学的意味を問う
 ・2012年8月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第10章
 ・科学者列伝:18世紀の科学編
 ・一会員による『綜合看護』2012年3号の感想
 ・経済学を誕生させた経済の発展とはどういうものだったのか
 ・2012年9月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第11章
 ・人類の歴史における論理的認識の創出・使用の過程を問う
 ・長縄跳びの取り組み
 ・国家の生成発展の過程を問う――滝村隆一『マルクス主義国家論』から学ぶ
 ・三浦つとむの言語過程説から言語の本質を問う
 ・2012年10月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第11章
 ・科学者列伝:19世紀の自然科学編
 ・古代から17世紀までの科学の歴史――シュテーリヒ『西洋科学史』要約で概観する
 ・2012年11月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第12章前半
 ・2012年12月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第12章後半
 ・科学者列伝:19世紀の精神科学編
 ・年頭言:混迷の時代が求める学問の確立をめざして
 ・科学はどのように発展してきたのか
 ・一会員による『学城』第9号の感想
 ・一会員による『綜合看護』2012年4号の感想
 ・2013年1月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』を読む前提としての世界歴史の全体像
 ・歴史観の歴史を問う
 ・2013年2月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』をどのように読んでいくべきか
 ・『三浦つとむ意志論集』を読む
 ・言語学の構築に向けてどのように研究を進めるのか
 ・一会員による『綜合看護』2013年1号の感想
 ・改訂版・新大学生に説く「大学で何をどう学ぶか」
 ・2013年3月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』序論(前半)を読む
 ・3年目教師としての1年間を実践記録で振り返る
 ・2013年4月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』序論(後半)を読む
 ・新自由主義における「自由」を問う
 ・2013年5月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第一部 東洋の世界(前半)を読む
 ・三浦つとむ「マルクス・レーニン主義に関する本質的な質問」から学ぶ
 ・言語は歴史的にどのように創出されたのか
 ・一会員による『綜合看護』2013年2号の感想
 ・ヒュームの提起した問題にカント、スミスはどのように答えたか
 ・2013年6月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』東洋の世界(後半)を読む
 ・一会員による2013年上半期の振り返り
 ・認知療法における問いの意義を問う
 ・カント歴史哲学へのアダム・スミスの影響を考える
 ・2013年7月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』ギリシアの世界を読む
 ・2013年8月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第三部 ローマの世界を読む
 ・アダム・スミスの哲学体系の全体像を問う
 ・一会員による『綜合看護』2013年3号の感想
 ・初任者に説く学級経営の基本
 ・カウンセリング上達過程における事例検討の意義
 ・文法家列伝:古代ギリシャ編
 ・ヒューム『政治論集』抄訳
 ・2013年9月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第四部 ゲルマンの世界を読む
 ・言語過程説から言語学史を問う
 ・2013年10月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』「第4部 ゲルマンの世界」第2篇を読む
 ・戦後日本の学力論の流れを概観する
 ・一会員による『育児の生理学』の感想
 ・文法家列伝:古代ローマ・中世編
 ・2013年11月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第4部 ゲルマンの世界 第3篇を読む
 ・古代ギリシャ経済の歴史を概観する
 ・2013年12月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』のまとめ
 ・ヘルバルト教育学の全体像を概観する
 ・年頭言:歴史を切り拓く学問の創出を目指して
 ・歴史的な岐路に立つ世界と日本を問う
 ・一会員による『綜合看護』2013年4号の感想
 ・一会員による2013年の振り返りと2014年の展望
 ・ヘーゲル『歴史哲学』を読む
 ・2014年1月例会報告:学問(哲学)の歴史の全体像について
 ・一会員による『学城』第10号の感想
 ・世界歴史の流れを概観する
 ・現代の言語道具説批判――言語規範とは何か
 ・2014年2月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第3〜11章
 ・ヘルバルト『一般教育学』を読む
 ・新大学生へ説く「大学で何をどのように学んでいくべきか」
 ・2014年3月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第12〜14章
 ・三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』学習会を振り返る
 ・『育児の認識学』は三浦認識論をいかに発展させたか――一会員による『育児の認識学』の感想
 ・2014年4月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第15〜19章
 ・4年目教師としての1年間を実践記録で振りかえる
 ・文法家列伝:『ポール・ロワイヤル文法』編
 ・2014年5月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第20〜26章
 ・道徳教育の観点から見る古代ギリシャの教育と教育思想
 ・古代ギリシャの経済思想を問う
 ・半年間の育児を振り返る
 ・2014年6月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第27〜33章
 ・現代の言語道具説批判・補論――「言語道具説批判」に欠けたるものとは
 ・心理士が医学から学ぶこと――一会員による『医学教育 概論(1)』の感想
 ・アダム・スミス「天文学史」を読む
 ・現代の言語道具説批判2――言語道具説とは何か
 ・2014年7月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第34〜38章
 ・道徳教育の観点から見る中世の教育と教育思想
 ・もう一人の自分を育てる心理療法
 ・2014年8月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第39〜40章
 ・アダム・スミス「外部感覚論」を読む
 ・文法家列伝:ジョン・ロック編
 ・一会員による『学城』第11号の感想
 ・夏目漱石を読む@――坊っちゃん、吾輩は猫である、草枕
 ・2014年9月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第41〜43章
 ・ルソーとカントの道徳教育思想を概観する
 ・アダム・スミスは『修辞学・文学講義』で何を論じたか
 ・全てを強烈な目的意識に収斂させる――一会員による『医学教育概論の実践』の感想
 ・2014年10月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第44〜45章
 ・精神障害の弁証法的分類へ向けた試み
 ・シュリーマン『古代への情熱』から何を学ぶか
 ・2014年11月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第46章
 ・一年間の育児を振り返る
 ・近代ドイツにおける教育学の流れを概観する
 ・2014年12月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』のまとめ
 ・年頭言:弁証法・認識論を武器に学問の新たな段階を切り開く
 ・「戦後70年」を迎える日本をどうみるか
 ・哲学の歴史の流れを概観する
 ・『ビリギャル』から何を学ぶべきか
 ・必要な事実を取り出すとは――一会員による『医学教育 概論(2)』の感想
 ・2015年1月例会報告:南郷継正「武道哲学講義X」
 ・夏目漱石を読むA――二百十日、野分、虞美人草、坑夫
 ・アダム・スミスは古代ギリシャ哲学史から何を学んだのか
 ・マインドフルネスを認識論的に説く
 ・道徳思想の歴史を概観する
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部の要約
 ・弁証法的に学ぶとはいかなることか――一会員による『医学教育 概論(3)』の感想
 ・一会員による『学城』第1号の感想
 ・新大学生への訴え
 ・2015年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論A
 ・心理職の国家資格化を問う
 ・5年目教師としての1年間を実践記録で振り返る
 ・文法家列伝:時枝誠記編
 ・2015年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論B、C、東洋哲学
 ・夏目漱石を読むB――三四郎、それから、門
 ・臨床心理学のあるべき姿を考える――一会員による『医学教育 概論(4)』の感想
 ・アダム・スミス「模倣芸術論」を読む
 ・デューイの教育論の歴史的な意義を問う―『学校と社会』を通して
 ・2015年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ギリシア哲学史の序論、イオニア派の哲学、ピュタゴラスとピュタゴラス派
 ・高木彬光『邪馬台国の秘密』を認識論から読み解く
 ・一会員による『学城』第12号の感想
 ・2015年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エレア派〜ヘラクレイトス
 ・何故言語学の創出が必要か―一会員による2015年上半期の振り返り
 ・事実と論理ののぼりおり――一会員による『医学教育 概論(5)』の感想
 ・夏目漱石を読むC――彼岸過迄、行人、こころ
 ・2015年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エムペドクレス〜アナクサゴラス
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(上)
 ・デューイ教育論の歴史的意義を問う―『民主主義と教育』をとおして
 ・2015年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソフィスト派・ソクラテス
 ・アダム・スミス『法学講義』を読む
 ・学問上達論とは何か――一会員による『哲学・論理学研究(1)』の感想
 ・2015年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソクラテス派、プラトン
 ・庄司和晃追悼論文―庄司和晃の歩みはいかなるもので、何を成し遂げたか
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部第4章の要約
 ・一会員による『学城』第2号の感想
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(下)
 ・夏目漱石を読むD――道草、明暗
 ・2015年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』プラトン 弁証法、自然哲学、精神の哲学
 ・ナイチンゲール看護論を心理臨床に活かす――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(1)』の感想
 ・文法家列伝:時枝誠記編(補論)
 ・英語教育改革を問う―『英語化は愚民化』書評―
 ・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
 ・2年間の育児を振り返る
 ・2015年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学)
 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
 ・ケネー『経済表』を読む
 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言