2016年11月12日

アダム・スミス『国富論』を読む(3/13)

(3)分業による生産力の発展について

 本稿は、“経済学の祖”と呼ばれるアダム・スミスの主著『国富論』を、彼の哲学体系の全体像を念頭に置きながら、概観していこうとするものです。

 今回は、「第1篇 労働の生産力における改善の要因と、生産物が各階級に分配されていく際の自然な秩序について」の前半部分、すなわち、労働の生産力における改善の要因について論じられている部分をみていくことにしましょう。

 スミスが労働の生産力改善の要因としてあげているものは、ズバリ、分業(division of labor)です。『国富論』の冒頭に出てくるピン工場のエピソードは非常に有名なものですので、聞いたことのある読者も多いことでしょう。スミスは、ピン(裁縫用待ち針)の製造は、1人目が針金を伸ばし、2人目が真っ直ぐにし、3人目が切り、4人目が先を尖らせ……等々、18ほどの作業に分かれていることを指摘しつつ、自分が見たことのある小さな製造所では、10人が働き、1人がときに2、3の作業をこなしていたものの、1日に4万8000本(1人当たり4,800本)以上も製造できていたことを報告しています。そして、もし10人がそれぞれ1人で働くとしたら、そしてピン製造の技能を身に着けていないとしたら、1日におそらく1本も作ることができないだろう、と述べるのです。スミスは、このような印象的なエピソードを交えながら、労働を細かく分割することこそ生産力発展の要因であり、政府によるまともな統治が行われている社会で国民の最下層まで豊かさが行き渡るようになるのは分業のおかげなのだ、と力説します(*)。

 それでは、このように大きな利益をもたらす分業は、どのようにして進められてきたのでしょうか。それは、決して計画的なものではなく、モノを交換し合うという人間の性質(交換性向)の必然的な結果であった、というのがスミスの答えです。スミスは、人間の生活のあり方と動物の生活のあり方(動物は交換ということを行わない!)とを比較しながら、人間の交換性向が、理性と言語という人間の能力と関係があることを示唆しています(**)。交換性向という把握の妥当性はさておいて、分業ということを人間の本質的なあり方というレベルにまで掘り下げて基礎付けようとするスミスのアタマの働かせ方、しかも、その際にきちんと動物との比較を行ってみるというアタマの働かせ方は、非常に見事なものだといえるでしょう。また、ここで注目されるのは、スミスが、人間の能力や性質の差異は生まれつきのものではなく、分業の結果として、習慣や教育の違いから生じるものである(能力差は分業の原因ではなく結果である)、という考察を行っていることです。こうした考察からも、スミスの人間観の堅実さを確認することができるでしょう。

 スミスは続いて、分業がどの程度まで発展するかは市場の大きさに規定されることを論じます。特定の商品の生産に特化して生産性を上げたとしても、市場が小さければ、すなわち、商品を買ってくれる人が少なければ、食べていけるだけの儲けを確保することはできないでしょう。分業が発展するためには、市場が大きくなければならないわけです。市場の拡大には、交通関係の発展が大きな役割を果たします。スミスは、水上輸送を利用すれば、それだけ大きな市場を確保できるようになるので、大河川や地中海の沿岸で最初に文明が発展することになったのだ、という考察も行っています。

 さて、分業が確立すると、各人は自分の生産物を他者と交換することによって、自分が必要とするモノを入手するようになります。しかし、ある生産物を手放そうとする人が必要とするモノを、その生産物を手に入れたいと思う人がたまたま持っていなければ、交換は成立しません。こうした事態を避けるために、賢明な人々は、自分で生産したモノ以外に、誰もが自身の生産物と交換するのを断らないであろう商品をある程度持っておく方法をとったのだ、とスミスはいいます。この目的のために最終的に選ばれたのは金属でした。金属ほど腐りにくいものはありませんし、分割することも溶解して再びまとめることも容易ですから、交換したい商品の量に合わせて分量を適当に調整することもできます。当初、交換手段としての金属は地金(塊)の形で使われていましたが、重さを測ったり純度を調べたりすることが厄介であったために、やがて、金属の決まった重さのものに公的な刻印が押されるようになりました。これが硬貨の起源です。硬貨の名称は当初、それに含まれる金属の重さを示していたのですが、国王の貪欲のために、質の悪い硬貨が造られるようになっていきます。例えば、1ポンドより軽い金しか含まれていない「1ポンド」金貨を鋳造すれば、本来のものより少ない量の金で、外見上、債務を返済してしまうことが可能になるのです。スミスは、こうした貨幣の改鋳は、債務者に有利で債権者に不利となる詐欺的行為だとして厳しく批判しています。

 このように、商品交換の便宜のために貨幣が成立したことを確認したスミスは、続いて、商品が売買され交換されるときに、自然に守られる法則がどのようなものであるか検討していきます。そのための前提として、使用価値と交換価値という基本的な概念が確認されています。あるモノがどこまで役立つかを意味するのが使用価値であり、他のモノをどれだけ買えるかを意味するのが交換価値です。スミスは、使用価値がとても高いのに交換価値はほとんどないモノもあれば、交換価値がとても高いのに使用価値はほとんどないモノもある、として、前者の例として水を、後者の例としてダイヤモンドをあげています(これは「水とダイヤモンドの逆説」としてよく知られています)。

 スミスは、商品の交換価値を決める要因を探るために、いくつかの点を検討しています。第一に検討されるのは、交換価値の真の尺度は何か、そして、商品の真の価格とは何なのか、という問題です。スミスは、自分がもっている商品の価値はそれでもって支配(購入)できる労働の量に等しい、といいます(このような考え方は、経済学史上、「支配労働価値説」と呼ばれています)。自分がもっているある商品と交換することで別の商品を入手するということは、その別の商品を自分で生産する手間・労苦を省いて、他人に負担してもらうことにほかならない、というわけです。したがって、労働こそが全ての商品の交換価値を測る真の尺度となるはずなのですが、商品の交換価値は、それによって支配できる労働の量より、それと交換できる他の商品の量によって考える方が理解しやすいですし、さらに他の商品の量によるよりも貨幣によるほうが理解しやすいですから、結局、貨幣によって商品交換が媒介されるようになります。とはいえ、貨幣材料となる金や銀の価値も変動しますし、貨幣そのものの価値も摩滅や改鋳によって変動しますから、真の尺度となるのはやはり労働しかありえません。スミスは、労働で測られる真の価格と、貨幣で測られる名目価格との関係を歴史的な資料を踏まえつつ考察していますが、そのなかでは、真の価格を近似的に知るためには、穀物価格の中長期的な平均に着目した方がよい、とも指摘しています(よく知られている商品の価格のなかでは、労働の価格との正確な比例に最も近いためです)。

 スミスが交換価値を決定する要因として第二に検討するのは、真の価格を構成する要素は何なのか、という問題です。社会の未開段階、つまり、資本が蓄積され土地が占有される以前は、各種のモノを獲得するのに必要な労働の量の比率が、モノとモノを交換する際の唯一の規準であった、といいます。例えば、狩猟民族で、ビーバーを仕留めるために通常、鹿を仕留める際の2倍の労働が必要だとすると、ビーバー1頭は鹿2頭と交換され、鹿2頭の価値があるとされるのが当然だった、というわけです。ところが、資本が蓄積され、勤勉な人々を雇って生産したモノを売って利益を得ようとする人が出てくると、労働者が原材料に付加した価値は、労働者の賃金のみならず、資本を事業に投じてリスクをとった事業主の利益にあてられるようになります。さらに、土地が私有されるようになると、地主は自然の産物に対しても地代を要求するようになります。こうして、発達した社会においては、商品の価格(交換価値)は、労働の賃金、資本の利潤、土地の地代という3つの部分で構成されるようになったのだ、とスミスは説明しています。個別の商品の価格(交換価値)が、この3つの部分からなる以上、ある国で1年間の労働によって生産される商品の価格も、全体としてみた場合、同じ3つの部分からなり、その国の住民の間に労働の賃金、資本の利潤、土地の地代のいずれかとして分配されることになるはずです。要するに、賃金、利潤、地代の3つが全ての収入の源泉であり、全ての交換価値の源泉であるということになるのです。

 スミスが交換価値を決定する要因として第三に検討するのは、価格の各要素の一部または全部を自然で通常の水準より上昇させたり下落させたりする状況はどのようなものか、という問題です。スミスは、賃金、利潤、地代には業種ごとに相場となっている平均的な水準、すなわち自然水準がある、と指摘した上で、ある商品を生産し市場に運ぶのに使われた土地の地代、労働の賃金、資本の利潤をそれぞれの自然水準にしたがって過不足なく払える価格を、その商品の自然価格と呼びます。これに対して、ある商品が実際に売買される一般的な価格を市場価格と呼びます。個々の商品の市場価格は、実際に市場に供給される量と、その商品の自然価格(地代+賃金+利潤)を支払う意志のある人の需要(これがスミスのいわゆる「有効需要」です)との比率によって決まります。供給が需要に満たなければ市場価格は自然価格を上回り、供給が需要と等しければ市場価格は自然価格と等しくなり、供給が需要を上回れば市場価格は自然価格を下回ります。生産者は、市場価格が自然価格より高ければ供給を増やそうとしますし、逆に、市場価格が自然価格より低ければ供給を減らそうとします。こうして、市場価格は絶えず自然価格に引き寄せられるのであり、ある商品を市場に供給するために年間投じられる労働量は、市場への供給量がつねに有効需要を過不足なく満たせるものになるように、自然に調整されているのだ、とスミスは説明しています。

(*)スミスは、文明が発達した豊かな国で、ごく普通の職人や労働者が日常使っているものを見てみれば、それらの生産にごく一部でも関与した人の数が見当もつかないほど多いことが分かる、と述べています。例えば、労働者の着ている毛織物の上着は、羊飼い、羊毛の選別工、梳き工、染色工、あら梳き工、紡績工、織工、仕上げ工、仕立て工など、多数の職人が働いた結果ですが、それだけでなく、染色工が使う薬剤を世界各地から運んでくるための商業と海運、さらには造船や船の運航、帆の生産、ロープの生産のために働いている人も考えなければなりません。さらに、船や水車や織機のような複雑な機器はいうまでもなく、羊飼いが使う鋏のようなごく単純な道具を生産するだけでも、鉱夫、鉄鉱石を溶かす炉の建設工、木材を売る樵、製鉄に使う木炭の炭焼き、煉瓦製造工、煉瓦積み工、製鉄工、機械工、鍛造工、鍛冶工が働かなければならないのです。これと同じように、衣服や家財道具を調べていけば、何千人、何万人もの人の助力、協力がない限り、文明国ではごく下層の庶民の一般的な生活すら維持できないことが分かる、とスミスはいうのです。

(**)『国富論』の原型というべき内容を含んだ『法学講義』(受講生のノート)において、スミスは、交換性向ということで究明をストップさせず、さらにその基礎を探って、人間本性のなかで支配的な説得の本能(他者に自分の考えや気持ちを理解し納得してもらいたい!)というところまで到達しています。ここには、人間が他者との精神的交通によってつくられていく存在であることの、スミスなりの把握があるといえます。
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2016年11月11日

アダム・スミス『国富論』を読む(2/13)

(2)スミスは自由放任を主張したのか

 前回は、いわゆる「アベノミクス」について、本来は自由であるべき経済活動にことさらに介入する「統制経済」的な手法であり、「見えざる手」の重要性を説いたアダム・スミス『国富論』以来の経済学の成果を踏まえていないものだ、という批判がなされていることをみました。

 しかし、これらは、“経済学の祖”であるアダム・スミスの名前を持ち出してまで「アベノミクス」を批判するにしては、いささか物足りない感がするのは否めません。せっかく“経済学の祖”の名前を持ち出すのであれば、もう少し深く突っ込んだ批判はできないものなのでしょうか。

 確かに、アダム・スミスの「見えざる手」という言葉は、現在においては、市場が自動的に最適な資源配分を達成する機能、簡単にいえば市場原理の別名として、広く使われているものです。もう少し具体的には、アダム・スミスは、各個人の利己的な行動が「見えざる手」によって社会全体の利益へと導かれていくことを主張し、政府が経済活動に恣意的に介入することに反対したのだ、というわけです。

 アダム・スミスといえば、まずこの「見えざる手」という言葉があげられるほどに、アダム・スミスの名前は市場原理と一体のものとして語られてきた歴史があります。とりわけ、1980年代以降、いわゆる新自由主義的な経済政策が全地球規模で推進されていくようになるなかで、さらに市場の機能を否定したソ連・東欧の計画経済が次々と破綻し、中国やベトナムなども市場原理を導入する経済改革を進めていくなかで、スミスは、市場の調整機能の素晴らしさを解明した偉大な経済学者として、あたかも自由な市場経済の守護神であるかのように、大きく持ち上げられていくことになったのでした。「統制経済」だとして「アベノミクス」を批判する際にアダム・スミスの名前が持ち出されるのも、こうした背景があってのことにほかなりません。 

 一方で、新自由主義的な経済政策の推進の果てに世界経済がたどり着いたサブプライム問題やリーマン・ショックが、市場の機能に対する人々の信頼を大きく損ねることになったことも見逃すわけにはいきません。個々の経済主体の利己的な行動は、社会全体の利益を増進するどころか、破滅的な結果を招きかねないものなのではないか――このような強い疑念が巻き起こされることになったのです。

 こうした情況は、アダム・スミスの評価について再検討を迫るものとなったといえます。スミスが市場万能主義の守護神として非難されるようになっていく一方で、こうしたスミス批判の流れに抵抗するような形で、これまで「見えざる手」という論理で利己心を容認した経済学者として一面的に捉えられてきたスミスの、いわば“知られざる側面”として、道徳の重要性を説いた倫理学者としての側面(利己心の自由放任を主張していたわけではなかった!)が強調されていくようになり、これが次第に大きく注目を集めるようになっていったわけです。より具体的にいえば、ここ数年来、『国富論』と並ぶスミスの主著である『道徳感情論』に世界的に大きな注目が集まり、『道徳感情論』を取り上げた諸々の本が出版されて話題になっているという状況があります。この日本でも『道徳感情論』そのものについて、新しい翻訳が2つ出ましたし(高哲男訳〔講談社学術文庫、2013年6月〕、村井章子・北川知子訳〔2014年4月〕)、最近では例えば『スミス先生の道徳の授業――アダム・スミスが経済学よりも伝えたかったこと』(ラス・ロバーツ著、村井章子訳、日本経済新聞出版社、2016年2月)といった本が話題になりました。

 しかし、スミスの『道徳感情論』に着目するのはよいとしても、利己心の原理を説いた『国富論』を共感の原理を説いた『道徳感情論』で補うのだ、といった把握にとどまるのであれば、それは決定的に不充分であるといえるでしょう。全く別の原理を説いた2つの著作を統一的に把握するということではなく、スミスが構築しようとした哲学体系の全体像を念頭に置きつつ、『国富論』も『道徳感情論』も、同じ根っこから伸びてきた2つの幹として、捉えていかなければならないのです。そのような観点から、『国富論』そのものについて、単に利己心の原理を説き、市場の調節機能の素晴らしさを賞賛しただけのものなのか、検討していく必要もあるでしょう。

 本ブログでは、これまで一連の論稿を通じて、スミスが構想した哲学体系の全体像を明らかにしようと試みてきました。大きくいえば、スミスは、自然について人類が歴史的に成し遂げてきた究明の成果をしっかりと学んだ上で、想像上の立場(境遇)の交換によって成立する共感を、社会と精神(学問・芸術一般)におけるバラバラの諸現象を結合していくための原理として位置づけ、歴史的に発展してきた社会および精神(学問・芸術)について体系的に筋を通して把握することを志していたわけです。スミスは、具体的な社会問題を解くにしても、この世界(宇宙)全体には一般的な法則性が貫かれている――宇宙は一般法則に支配され、それ自身およびそのなかにいる全ての種の保存と繁栄という一般的な目的を目指して運動するまとまった体系である――という観点から、全体のなかの部分としての位置づけを明確にしながら解いていこうという姿勢をもっていたのでした(*)。もう少し具体的なレベルでいえば、『国富論』が『法と統治の一般的諸原理と歴史』とでも題されるべき未完の大著の一部でしかなかったことも明らかにしてきました。ハッキリいえば、現代の私たちがイメージするような経済学の本としてではなく、法学の本の一部分として構想されていたものが、『国富論』として結実したのでした。

 こうした観点を踏まえて『国富論』を読み込んでいくならば、その印象は大きく異なってくるはずです。確かに、スミスの『国富論』には、政府による経済への恣意的な介入に対する批判がみられます。同時に強調されなければならないのは、スミスの『国富論』は決して国家(政府)を考察対象から除外しようとはしていなかったということです。『国富論』において、スミスは、政府の経済への恣意的な介入が排されたとしても、政府がなすべき仕事はなお存在するとして、国防、司法、公共事業の3つをあげているのです。

 さらにいえば、政府による経済への恣意的な介入の排除という主張自体も、さらに深く突っ込んで検討される余地があります。スミスにおいては、目的はあくまでも、社会全体の利益の実現であったことを見失ってはなりません。その目的を達成する手段として、政府の恣意的な介入の排除が主張されているにすぎないのです。それでは、スミスが「見えざる手」によって実現されるとした社会全体の利益とは何だったのでしょうか。また、目的達成の手段として、政府による恣意的介入の排除が主張されなければならなかった歴史的条件とはどういうものだったのでしょうか。これらの問題について、突っ込んで検討していく必要があるでしょう。

 そのような検討を踏まえれば、「アベノミクス」をアダム・スミスの名前を出して批判するにしても、単に「統制経済だ!」「社会主義的な経済政策だ!」「市場原理に反する!」というレベルにとどまらない、もっと深く突っ込んだ批判が可能になってくるはずです。

 1776年に初版が出版された『国富論』(正式なタイトルは『国の富の本質と原因に関する研究』、原題:An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations)の冒頭には、「序論および本書の構成」と題された文章が置かれ、以下のように書き始められています。

国民の年々の労働こそ、生活の必需品または便益品(conveniencies)として、その国民が消費する全てのものを本来的に産み出す源泉である。消費される必需品や便益品は、国内の労働の直接の生産物か、そうした生産物によって国外から購入したものである。


 国(nation)の富とは金銀などではなく、国民が日々の生活において消費するモノ(必需品+便益品)であり、その源泉は国民自身の労働にほかならない、というわけです。要するに、国民の労働のあり方こそが『国富論』の研究対象として設定されているのだ、ともいえるでしょう。スミスは、以下のような5つの篇によって、国の富の本質と原因に関する研究を進めていきます。

第1篇 労働の生産力における改善の要因と、生産物が各階級に分配されていく際の自然な秩序について
第2篇 資本の性質、蓄積、用途について
第3篇 国によって豊かさへの道筋が異なることについて
第4篇 政治経済学の諸体系について
第5篇 主権者または国家の収入について


 本稿では、アダム・スミスの哲学体系の全体像を念頭に置きながら、こうした『国富論』の全体像について、概観していきたいと考えています(**)。

(*)本ブログに2013年9月2日から掲載した「アダム・スミスの哲学体系の全体像を問う」を参照して下さい。

(**)『国富論』の原文は例えば以下で読むことができます。本稿における『国富論』からの引用文は、筆者が訳したものですが、大河内一男監訳(中公文庫)および山岡洋一訳(日本経済新聞出版社)を大いに参考にしました。
http://www.econlib.org/library/Smith/smWNCover.html
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2016年11月10日

アダム・スミス『国富論』を読む(1/13)

(1)「統制経済」だと批判される「アベノミクス」

 2012年末に発足した安倍政権は、日本経済の再生を掲げていわゆる「アベノミクス」を進めてきました。しかし、政権発足から4年近くたった現在でも、世論調査では7〜8割の人々が景気の回復を実感していない、と答えています。こうした状況に対して、安倍首相は「アベノミクス」はまだまだ「道半ば」なのだと主張しています。

 この「道半ば」という捉え方を強く印象付けたのが、先日、日本銀行(以下、日銀)が行った「総括的な検証」なるものでした。日銀は、9月21日の政策決定会合において、2013年4月以来、3年半に及ぶ「量的・質的金融緩和」(いわゆる異次元金融緩和)についての「総括的な検証」を行い、「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」と称する「金融緩和強化のための新しい枠組み」を決定したのでした。

 そもそもこの異次元金融緩和なるものは、2013年1月22日、政府(安倍政権)と日銀(当時の総裁は白川方明氏)との共同声明で、「物価安定の目標を消費者物価の前年比上昇率で2%とする」「上記の物価安定の目標の下、金融緩和を推進し、これをできるだけ早期に実現する」とされたことが出発点になっています。こうして、「アベノミクス」の「第一の矢」として、大胆な金融政策(金融緩和)が位置づけられたわけです。同年4月4日、日銀が「量的・質的金融緩和」の導入を正式に決定した際には(総裁は黒田東彦氏に交代していました)、この物価安定目標を「2年程度の期間」で達成する、と宣言されました。

 そもそも金融緩和というのは、民間金融機関の保有している諸々の金融資産を日銀が買い取り(いわゆる「買いオペ」)、その代金をそれぞれの金融機関が日銀に開設している預金口座(この口座にあるお金が日銀当座預金)に振り込む、という方法で行われています。逆に、日銀の保有する金融資産を民間金融機関に売り(いわゆる「売りオペ」)、その代金を日銀当座預金から引き落とすのが金融引き締めの方法です。こうして民間金融機関への資金供給をコントロールすることで、民間金融機関どうしの短期の資金貸借にかかる金利(とりわけ1日で満期を迎える「無担保コール翌日物金利」)を操作しようというのが、いわゆる「伝統的」な金融政策でした。しかし、「非伝統的」といわれる「量的・質的金融緩和」においては、金利ではなく、民間金融機関からの資産の買取そのものの量と質が焦点となります。民間金融機関から多様な質の金融資産を大量に買い取って、「マネタリーベース」(日銀が市場に供給するお金の量、具体的には、実際に流通している現金すなわち紙幣〔日銀券〕と硬貨に、日銀当座預金残高を加えたもの)を2年間で2倍に拡大しようというのが、2013年4月に導入された日銀の「量的・質的金融緩和」の方針でした。「量的」というのは、まさにマネタリーベースの量そのものを操作目標にするということであり、「質的」というのは、そのために日銀が買い取る資産の質も多様なものにするということ、ハッキリいえば、短期の国債に加えてよりリスクの高い長期国債(国債は満期までの期間が長いほど価格変動リスクが大きくなります)や上場投資信託(ETF)なども積極的に購入していこうということです。こうした異次元金融緩和のもとで、民間金融機関の日銀当座預金の残高は、2013年4月には61.9兆円だったのが、2016年9月末には300.1兆円と、およそ4倍以上も増えたのでした。

 しかし、決定的に重要なのは、世間に実際に流通しているお金、いわゆる「マネーストック」(現金+預金)です。実は、マネーストックの代表的な指標であるM3(*)は、2013年4月の1147.3兆円から2016年9月の1263.4兆円まで、ほとんど増えていないのです(1.1倍)。マネタリーベースは激増したもののマネーストックはほとんど増えていないというのは、要するに、日銀が民間金融機関に対して膨大な資金を供給したにもかかわらず、それは日銀当座預金として積み上げられたままで(これは「ブタ積み」と呼ばれています)、一般企業や個人への貸し出しにはほとんどまわっていない、ということを意味します。

 このため、日銀の「量的・質的金融緩和」は、実際の物価の動向にはほとんど影響を与えませんでした。日銀は、2015年4月以降、目標時期の先送りを繰り返し(**)、2016年1月には、日銀当座預金の一部にマイナス0.1%の金利を付すという「マイナス金利付き量的・質的金融緩和」の導入にまで踏み込んだのですが、直近の統計(2016年7月)でみても、消費者物価の前年比上昇率は0.5%にとどまっています。期待された通りの成果を挙げていなからこその、「総括的な検証」だったわけです。そこでは、物価上昇率2%という目標が達成できなかった理由として、@2014年夏以降の原油価格の下落と消費税率の引き上げ後の需要の弱さ、A2015年夏以降の新興国経済の減速とそれを受けた世界的な金融市場の不安定化、という「逆風」が指摘されました。しかし、これらは日銀の政策でどうにかできる問題ではなく、そもそも金融緩和で物価上昇を実現しようと考えたこと自体が間違いだったのではないか、という疑問が浮かんできます。

 ところが日銀は、この「総括的な検証」を踏まえつつ、2%という「物価安定の目標」をあくまで下ろさず、「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」を導入することを決定したのです。これは、短期の金利のみならず長期の金利までも操作してしまおう、という前代未聞の政策です。具体的には、短期金利をマイナス0.1%に維持する一方、長期金利(残存期間10年の国債の利回り)を0%程度に誘導しようというのです。通常、短期の金利は低く、長期の金利は高くなります。縦軸に金利、横軸に期間をとったイールドカーブと呼ばれる曲線は右上がりとなるわけです。しかし、この間、日銀が長期国債を積極的に購入し続けたことで、長期の金利が下りすぎて、本来は右上がりであるはずのイールドカーブが平坦になってしまっていました。こうなると、保険や年金の運用が難しくなるといった副作用が出てきますから、イールドカーブがきちんと右上がりになるように、短期金利のみならず長期金利までも操作対象にしようというのが、「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」なのです。

 長期金利を操作するということについて、「日本経済新聞」の連載「日本国債 見えざる手を冒す(1)」(2016年10月6日付朝刊)では、以下のように述べられています。

長期金利は経済の力強さや財政の健全さを示すその国の体温計。人々のインフレ予想や財政リスクに左右される。「長期金利を操ろうなんて傲慢だ」。日銀内にも不安を残したまま「官製固定相場」が走り始めた。
 日本国債の利回りである長期金利。「神の見えざる手」が決める市場の均衡に逆らう試みはいつか限界を迎える。


 「見えざる手」に逆らってまで長期金利を操ろうというのは傲慢であり、いつか限界を迎えるだろう、と警告を発するのです。この「見えざる手」という言葉が、もともとはアダム・スミスの『国富論』に登場するものであることはいうまでもないでしょう。

 本来は自由であるべき経済活動に介入して無理やり何らかの結果を出そうとする――これは、大胆な金融政策という「第一の矢」に限らず、「アベノミクス」全般にいえる特徴ではないか、とみる向きもあります。「毎日新聞」(2015年10月30日付夕刊)の「続報真相 アベノミクスは統制経済か」は「本来、企業活動は自由なはずだが、2年連続で経済界に賃上げを要請した「官製春闘」に続き、設備投資を促したり、携帯電話の料金引き下げを求めたりしているのだ。アベノミクスとは「統制経済」なのか」として、識者の声を紹介しています。例えば、以下のような具合です。

エコノミストの田代秀敏さんは介入は短絡的な発想だと批判する。「企業が国内の設備投資になぜ消極的なのかを考えるべきです。人口が減り、人手不足も深刻な中、生産設備は増やせないし、生産拠点を成長する海外から縮む国内へ再び戻すのも難しい。経済活動への政府の介入は、民間が受け入れない限り必ず失敗する、というのがアダム・スミスの『国富論』以来の経済学の成果なのです。市場機構は万能ではないが、市場原理に反する政策は手ひどい結果を招く」  
アベノミクスの問題点を指摘している早稲田大ファイナンス総合研究所顧問の野口悠紀雄さんは、安倍政権の経済政策を「社会主義的な経済政策」と見ている。そして「旧ソ連がどうなったかを振り返れば分かるように、そのような経済政策は企業の効率性を阻害し、結果的に国を貧しくするだけ。誤った政策です」と手厳しく批判する。
 しかも重大な介入はまだあるという。「日銀の独立性を尊重せずに金融緩和を進め、為替レートを政治的に動かして円安状態をつくり出したり、公的資金の年金資金を株式市場に投入し、株価を支えたりしていることも経済活動への介入で、いずれも間違っています」と、野口さんは顔をしかめるのだ。


 このように、いわゆる「アベノミクス」については、本来は自由であるべき経済活動にことさら介入する「統制経済」的な手法なのではないか、という批判が少なからずなされているのです。安直に経済活動への政府の介入を行う「アベノミクス」は、アダム・スミスの『国富論』以来の経済学の成果を踏まえていない、というわけです。

(*)M3=現金+預金通貨(当座預金、普通預金などの要求払い預金)+準通貨(定期預金や外貨預金など)+譲渡性預金。

(**)日銀は、2016年11月1日に公表した「展望レポート」(経済と物価の最新の見通し)で、実に5回目となる目標先送りを行い、「平成30年度ごろになる可能性が高い」として、黒田総裁の現在の任期(2018年〔平成30年〕4月8日まで)中には物価目標の達成は困難だという見通しを示すに至りました。
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2016年11月09日

掲載予告:アダム・スミス『国富論』を読む

 本稿では、明日より「アダム・スミス『国富論』を読む」と題した論稿を掲載していきます(全13回)。『国富論』(正式なタイトルは『国の富の本質と原因に関する研究』、原題:An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations)といえば、経済学の古典中の古典であり、一般的には、「見えざる手」という言葉によって、政府の恣意的な経済介入を批判し、資源と労働の配分を市場経済の機能に委ねるべきことを主張したものだとして受け止められています。

 しかし、この『国富論』は、現代の私たちがイメージするような経済学の本としてではなく、もともとは法学の本(『法と統治の一般的諸原理と歴史』とでも題されるはずだった未完の大著)の一部分として構想されていたものでした。

 確かに『国富論』には、政府による経済への恣意的な介入に対する批判がみられます。同時に強調されなければならないのは、スミスの『国富論』は決して国家(政府)を考察対象から除外しようとはしていなかったということです。『国富論』において、スミスは、政府の経済への恣意的な介入が排されたとしても、政府がなすべき仕事はなお存在することを力説しています。

 さらにいえば、政府による経済への恣意的な介入の排除という主張自体も、さらに深く突っ込んで検討される余地があります。スミスにおいては、目的はあくまでも、社会全体の利益の実現であったことを見失ってはなりません。その目的を達成する手段として、政府の恣意的な介入の排除が主張されているにすぎないのです。それでは、スミスが「見えざる手」によって実現されるとした社会全体の利益とは何だったのでしょうか。また、目的達成の手段として、政府による恣意的介入の排除が主張されなければならなかった歴史的条件とはどういうものだったのでしょうか。そしてまた、こうしたスミスの主張は、現代の経済のあり方に対して、如何なる示唆を与えるものなのでしょうか。

 本稿では、『国富論』の全体を概観しながら、これらの問題について突っ込んで検討していくことにしたいと考えています。

 以下、目次(予定)です。

序論
(1)「統制経済」だと批判される「アベノミクス」
(2)アダム・スミスは自由放任を主張したのか
本論
1、分業と資本蓄積について
(3)分業による生産力の発展について
(4)各階層への生産物の分配――賃金、利潤、地代
(5)資本の配分と労働の配分
2、経済史および経済思想の批判的検討
(6)ローマ帝国崩壊後、豊かさへの自然な道筋はどう歪められたか
(7)国民と国をどのように豊かにするか――経済政策の考え方@
(8)国民と国をどのように豊かにするか――経済政策の考え方A
3、国家の財政支出と財源調達について
(9)政府のなすべき仕事――国防と司法制度の確立について
(10)政府のなすべき仕事――公共事業について
(11)政府の経費はどのように調達されるべきか
結論
(12)スミスは強者の利益のために経済が歪められることに反対した
(13)国民の富の持続的再生産という観点が必須である
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2016年05月28日

『吉本隆明の経済学』を読む(5/5)

(5)吉本は思想家として経済の諸問題に挑んでいった

 本稿は、従来の経済のあり方が行き詰まってきており、そこから脱却するための道を示す理論が切実に求められているという状況を念頭に、そのヒントを「吉本隆明の経済学」に探っていこう、というものでした。ここまで、新しい経済学体系の構築に向けて吉本の「経済学」が如何なる示唆を与えるか、という観点から、価値論の問題、消費社会論の問題、歴史的展望の問題という3つの柱を立てて、『吉本隆明の経済学』に収録されている文章の内容を紹介してきました。ここで、簡単に振り返っておくことにしましょう。

 まず、価値論の問題をめぐっては、吉本隆明さんがマルクスの商品価値論をヒントにして言語価値論を構築したこと、そこからさらに両者を含む普遍的な価値論の構築の必要性を示唆したこと、三木成夫の身体構造論をヒントにして使用価値と交換価値との密接不可分な絡み合いを捉えるべきだと指摘したこと、古典派経済学の歴史において経済学的な価値概念が形成されていく過程(対象にかかわっての諸々の感情が削ぎ落されてしまう過程)を辿ることを通じて、普遍的な価値論構築の必要性を確認したこと、などをみました。

 次いで、消費社会論の問題をめぐっては、吉本さんがマルクスの「生産は直接消費でもある」という命題に徹底して依拠しながら、生産と消費の分離によって産業が高次化していく過程を描いてみたこと、複雑に編み上げられた生産と消費の網の目構造が出来上がってくることで、諸々のモノ(商品)からの感覚的な反映が薄くなり、消費の対象がどのように生産されたものかがほとんど見えなくなってしまうことで、人々の心が非常に不安定になってしまう、と論じていたことをみました。

 さらに、歴史的展望の問題をめぐっては、吉本さんが、未開の原始社会と未来の高度社会の双方において贈与価値というものが大きな役割を果たす(であろう)ことを指摘し、交換価値によって発展していく社会、換言すれば、貨幣が主導する経済社会のあり方というのは人類史のごく一部分を覆うものにすぎないのであることを確認した上で、より根源的な価値のあり方(いわゆる「無形の価値」をも含めたもの)を、生産・再生産の構造に即して構想していく必要があることを強調していたことをみました。

 以上、本稿でこれまで説いてきた流れを簡単に振り返ってみました。

 以上でみてきたような「吉本隆明の経済学」の根底にあったのは、やはり何といっても、普遍的な価値論の構想であったといえるでしょう。吉本さんは、目的意識的に自然に働きかけることで自然を能動的に変革していくという人間の本質的なあり方、換言すれば、社会的な労働によって自然を変革するとともに自己を変革し国家的なレベルで文化を発展させていく、という人間の本質的なあり方をまるごと捉えことのできる普遍的な価値論を強く求めていたのだといえるのです。吉本さんは、こうした大きな観点から、未開の原始社会から未来の高度社会まで、人類史の全体に筋を通して把握しようとしていたのであり、未来の高度社会の一歩手前というべき現代資本主義経済の現実、すなわち、消費資本主義の現実へと切り込んでいこうとしていたのだといえます。こうした吉本さんの経済論は、マルクスの議論に大きく依拠したものでありながらも、俗流的なマルクス主義のような経済還元主義とは全く異なって、社会的な認識のあり方の問題にも正面から挑んでいこうとするものでありました。

 端的にいえば、「吉本隆明の経済学」とは、世界全体の歴史的発展を視野に入れつつ、とくに社会的認識に着目して経済を捉えていくべきことを強く示唆するものであったということもできるでしょう。総じていえば、吉本さんはあくまでも思想家として、すなわち、現実世界が突き付けてくるあらゆる問題について、自分なりの筋を通した(自分自身が納得できるレベルの)解答を与えようと苦闘するなかで、諸々の経済の問題にも挑んでいったのだといえるのです。この世界をどのように捉えるか、人間とはそもそも如何なる存在なのか、といった根源的な問いかけから、経済の諸々の問題が解かれていったのでした。

 吉本隆明さんのこうした思想家としての姿勢は、『吉本隆明の経済学』第8章後半の「世界認識の臨界へ」における以下の発言に、非常に鮮明に示されているといえます。

「いま自分の歩き方を考えてみると、戦争中から戦争が終わったときにかけて、大転換期を体験しました。それは目に見える動乱と混乱でした。現在は目に見えない大混乱と大転換の時期だとおもいます。
 これはまったくだめで間違ったな、という体験をしたのは、第二次大戦の終わり、つまり太平洋戦争の敗戦とその直後のことでした。これは徹底的にだめだったなとおもったのは、世界把握の方法を自分はまったく持ってなかったということでした。つまり主観的あるいは内面的だった文学青年にすぎなかったなということです。世界という外在をつかむことに関心も少なかったけれど、そのつかみ方すらわからなかった。だからうまく外側から権力者や同伴者のいうことに乗せられたと思います。
 現在、ぼくは世界的な規模で、敗戦にぶつかっているんだとみなすのが世界把握としてはいちばん考えやすいし、正確だとおもっています。内面さえ深めてゆけば人間はいいんだという考えはまったくだめだったというのが、戦後にいちばん考えたところです。現在までのところ半分は正確に世界をつかんできたとおもっています。そして半分はやっぱり、これはちょっとまいったな、よほど徹底して考えないと、現在のこの転換期の世界はうまく把めない。そんな問題が世界的な規模で目の前におかれているというのがぼくの現状理解の仕方です。」(『吉本隆明の経済学』pp.336-337)


 ここで吉本さんは、敗戦によって自身の価値観を根本からひっくり返されるような強烈な体験をしたことを率直に語っています。軍国青年として軍国主義的な価値観を一途に信じていたからこそ、敗戦という体験が強烈だったのであり、それが思想家としての大きな飛躍につながっていったのだといえるでしょう。吉本さんは、「内面さえ深めてゆけば人間はいいんだという考えはまったくだめだった」と語っています。社会的な現実に対して無関心な文学青年であったために、権力者やその同伴者のいうことに乗せられてしまった、という自分自身のあり方への痛切な反省の弁です。こうした深刻な反省を踏まえて、世界把握の方法を自分なりにしっかりと持たなければならない、という強烈な意志を抱いたこと、これこそが思想家・吉本隆明の原点なのです。

 ここで吉本さんは、「現在までのところ半分は正確に世界をつかんできた」ものの、残りの半分はうまくつかめない、と語っています。世界の半分は分かったけれども、残りの半分はまだ分からない――自身の到達点をこのように客観的に評価できるというのは、括目すべきことです。我々はここに、思想家・吉本隆明の凄まじい実力の程をまずは見てとるべきでしょう。

 同時にこの発言は、思想家・吉本隆明の限界を示したものとして受け止めておく必要もあるでしょう。主体的に捉えなおすならば、吉本隆明さんから我々に遺された課題を示したものだ、ということになります。その課題とは、もちろん、吉本さんがつかめなかった世界の残りの半分をどのようにつかんでいくか、ということにほかなりません。そのためには、自分自身が納得できればよい、というレベルを超えて、他者との徹底した討論を通じて社会的な共有財産となる概念を創出し、体系を構築していくという方向に向かっていくことが必要だといえるでしょう。

 本稿の連載第1回でみたとおり、現在、世界の資本主義経済は深刻な行き詰まりに直面しています。本稿の連載第3回の注で紹介した「これ〔相対的な貧困、すなわち格差――引用者〕が解けないってことが明らかになった時に、たぶん資本主義っていうのは本当のピンチを迎えるだろう」という吉本さんの言葉が、いよいよ現実味を帯びてきているのです。まさに「世界的な規模で、敗戦にぶつかっている」というような、大混乱と大転換の時期であることが、ますます鮮明になりつつあるといえるでしょう。貨幣(交換価値)が主導する経済社会のあり方を乗り越えて、生産と消費との密接な繋がりを回復した全く新しい経済のあり方を構築していくことが、人類史の大きな課題として浮上してきています。そのための理論的指針となる経済学体系の構築が急務です。

 世界全体に筋を通して主体的に捉えていくという吉本隆明さんの見事な思想家魂をしっかりと継承しつつ、研究会内での徹底した討論を通じて、社会的な共有な財産となる諸々の概念を創出しながら、人類史の新しい段階を切り拓く指針となるような経済学体系を構築すること――このことを筆者の大きな課題として確認して、本稿を終えることにします。

(了)
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2016年05月27日

『吉本隆明の経済学』を読む(4/5)

(4)吉本は未開の原始社会から未来の高度社会までを見通そうとした

 前回は、吉本さんが生産と消費の分離という観点から産業の高次化の問題を論じていたことをみましたが、吉本さんは、こうした産業高次化の流れは自然史の延長のようなもので、人間がそれを促進したり遅くしたりということはできたとしても、こうした流れそのものは動かすことのできない必然的なものだ、という考え方をもっていました。こうした考え方が鮮明に出ているのが、「第5章 現代都市論」と「第6章 農業問題」に収録された文章です。

 「第5章 現代都市論」において吉本さんは、ひとつのビルあるいは都市がどうなっており、どうなっていくかは、国家や社会がどうなっておりどうなっていくかに対応している、という興味深い発想の下、ひとつのビルあるいは都市において、第一次産業、第二次産業、第三次産業を如何なる割合で混合させるのがよいのか、という問題を提起しています。国家(社会)における第一次産業、第二次産業、第三次産業の比率はどうあるべきなのか、という問題を、ビルあるいは都市のあり方という問題を通じて考えていくことができるのではないか、というのが吉本さんの発想なのです。これがどれほどの妥当性をもつかはさておき、ここで注目したいのは、吉本さんが、国家(社会)の理想像については専門家の頭脳で如何様にも構想することができるとしても、文明史の自然の方向性というものは、どんな独裁的な政権でも強制的に変更することはできないのだ、と強調していることです。

 こうした考え方は、「第6章 農業問題」において、より鮮明な形で表現されています。吉本さんは「ぼくはマルクスの徒です。マルクスは経済史は自然史の延長なんだ、だから経済史は、人為的には動かせないんだといっています」(『吉本隆明の経済学』p.250)とした上で、以下のように述べています。

「徐々に、あるいは一挙に変えられるのは、政治とか制度とか、ぼくの言葉でいえば、共同幻想に属するものだけは、やり方によっては一挙にかえることもできる。しかし、自然史の延長としての経済史、経済の進展は、一挙に変えることはできない。これは自然に変わる以外にはないのです。そして自然に変わる必然に対して、人間がもっといいことをもっと早くさせようとするなら、それを促進したり、遅くしたりということは、もちろん人為的に可能ですけど、自然史全体の流れとしての経済史を動かすことはできないのです。ぼくだったら、そのことを根底に踏まえたうえで議論を進めるとおもいます。」(同、p.251)


 このように吉本さんは、経済史には人間の意志から独立した必然性というものがあることを強調するのです。ですから、こうした必然性を無視して、都市が栄えるためには農村をぶち壊せとか、農村を保持するために都市の横暴をぶち壊せとかいう議論をしても不毛だ、と考えられることになります。

 こうした吉本さんの主張は、ごく単純化していえば、国家社会を政治的な領域と経済的な領域とに切り分けた上で、前者は人間の意志で変えることができるが、後者は人間の意志で変えることはできない、と主張するようなものであり、その妥当性には疑問符をつけざるをえません。しかし、経済問題、とりわけ農業問題や環境問題についての議論に主観的な願望レベルの主張を持ち込むことを戒め、経済の歴史的な発展の方向性を素直に捉えることの大切さを強調したものとしては、重く受け止めるべき内容を含んでいるといえるでしょう。

 「第7章 贈与価値論」では、未開の原始社会と未来の高度社会の双方を視野に入れた議論が展開されています。未開の原始社会については、主にマリノウスキー(ポーランド出身のイギリスの文化人類学者)やモース(フランスの社会学者、文化人類学者)の研究に依拠しながら、未開人の性生活に関わって、贈与の問題が考察されています。マリノウスキーやモースは、ポリネシアやミクロネシアの原住民の生活が、交換や交易ではなく、贈与と返礼の制度化によって成り立っていることを明らかにしたわけですが、吉本はそうした物質的な贈与や返礼の根底に、母系社会に特有な霊魂の贈与という観念が存在することを確認しているのです。

 吉本さんは、夫が色々な氏族からたくさんの妻を迎えると、霊威が積み重なって強化され、妻の出身氏族に対する権威、権力を獲得するようになるのだ、とした上で、これこそがアジア的専制君主の起源(民衆の贈与としての貢納制の成立)である、と説きます。吉本は、アジア的専制君主というのは、非常に恐れられる存在であると同時に、仁慈にあふれる父のようにみなされる側面もある、という二重性を指摘しているが、非常に説得力ある議論だといえるでしょう。

 一方、未来の高度社会については、まず、第三次産業が主要な産業となり消費のうち半分以上が選択消費になっている、という消費資本主義の定義が確認された上で、消費資本主義が進めば世界が消費する地域と農業生産担当地域に二分割されてしまうが、前者と後者の関係は交換価値ではまともに繋ぐことはできず、前者が後者に贈与しなければならないのだ、という提起がなされています。交換価値論ではなく贈与価値論を形成しなければ、これからの世界の問題に対処できない、というわけです。先進国から途上国への援助あるいは貸し付けたはずの金が一向に返済されていないという形で、現に贈与が始まりつつあるのではないか、との指摘もなされています。こうした贈与について吉本さんは、交換価値論的にいえば無償でやってしまうことでしかないが、それに対応して無形の何ものか(無形の価値)を受け取っていることになるのではないか、と示唆します。

 吉本さんはここで、マルクスの発想に触れながら、価値形態論(交換価値論)ではなくて生産論・再生産論でいこう、という表現もしています。マルクスが展望した共産主義では、計画的な生産・消費が行われるようになり、生産と消費との密接な繋がりが回復されるために、貨幣(交換価値の実存形態)が存在する必要性が消滅してしまうことになっていますが、吉本さんのいわゆる贈与価値論というものが、こうした展望にも通じるものであることが示されているといえるでしょう。

 以上でみてきたように、吉本さんは、未開の原始社会と未来の高度社会の双方において、贈与価値というものが大きな役割を果たすことを指摘するのです。交換価値によって発展していく社会、換言すれば、貨幣が主導する経済社会のあり方というのは、人類史のごく一部分を覆うものにすぎないのであることを確認した上で、より根源的な価値のあり方(いわゆる「無形の価値」をも含めたもの)を、生産・再生産の構造に即して構想していく必要があることを強調したものとして、重く受け止めるべきでしょう。

 「第8章 超資本主義」には、1990年代前半の吉本さんの発言が収められています。そこで吉本さんは、国家が行う不況対策の問題、社会主義国家圏の崩壊の問題などに触れながら、消費資本主義と国家の関係の問題を論じています。

 第8章前半の「超資本主義の行方」は、バブル崩壊による日本経済の低迷が深刻化し始めたころ(いわゆる「失われた20年〔25年〕」の初めのころ)に書かれたものです。ここでは、いわゆる消費資本主義論、すなわち、個人の消費支出、企業総支出の半分以上が選択的なものになっているということを前提に、個人消費を喚起するような、企業の設備投資への意欲を刺激するような対策でなければ効果を発揮しないこと、また、公共投資をするならば、第三次産業が国内総生産的にも労働人口的にも過半を占める現状を踏まえて、第三次産業の分野(具体的には、大学や研究所施設、教育、医療、福祉の整備など)に公共投資の大半を振り向けるべきことなどが指摘されています。こうした政策の内容自体は、正統的なケインズ経済学(俗流化された“土建ケインズ主義”ではなく)から出てくる対策とほぼ同じもので、非常にまともなものである、と評価しうるものです。現代からみれば、取り立てて珍しい主張ではないかもしれませんが、バブル崩壊の直後に、「ど素人のくせに」(p.292)、こうした非常に的を射た不況対策論を展開できたというのは、吉本さんの慧眼を示すものとして評価しておくべきでしょう。

 しかし、こうした不況対策論に関連して、吉本さんが、経済学は支配の学であってはダメであり、国民大衆の自己支配による自己統御でなければならないのだ、と強調していることは注目されます。ここには、国家が大衆を管理・統制することへの吉本さんの強烈な反発がにじみ出ているのです。

 同様の問題意識は、第8章後半の「世界認識の臨界へ」において、社会主義国家圏の同様の問題を論じた個所にも表れています。ソ連・東欧圏の問題は国家と大衆の本質的な問題を露出させたものだとして、吉本さんは、大衆が意識的に国家を変え、歴史を変えるにはどうすればよいのか、という問題を提起するのです。

 こうした国家観(国家による統制への反発)は、吉本自身の軍国少年としての戦争体験、そこからの痛切な反省が根底にあるものだといえるでしょう。これはこれで傾聴すべきものを含んでいるといえますが、学問的に経済学を考えるならば、国家レベルでの生活の生産再生産過程の統括という視点は絶対に欠かせないものであることは確認しておきたいところです。
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2016年05月26日

『吉本隆明の経済学』を読む(3/5)

(3)吉本は消費が主導する経済のあり方をつかもうとした

 前回は、吉本隆明さんが、商品価値論をヒントにして言語価値論を構想し、さらに両者を含む普遍的な価値論の構築の必要性を示唆したことをみました。

 今回は、吉本さんの消費資本主義論についてみていくことにしましょう。吉本さんは、およそ1980年代以降の先進国の資本主義について、マルクスが眼にしていた資本主義から大きく変貌した「消費社会」あるいは「消費資本主義」として、その特質をつかもうとしました。しかし、吉本さんは、その消費資本主義という現実に斬り込むに際して、徹底してマルクスの論理に依拠しようとしたのです。「第4章 生産と消費」に収録された文章において吉本は、「生産は直接消費でもある」という『経済学批判序説』に登場する命題が如何なるものなのか徹底して検討した上で、それを現実の経済の構造を解いていくための武器として使おうとしているのです。

 マルクスの「生産は直接消費でもある」という命題は、「消費は直接生産でもある」という命題を伴うものであり、生活資料の生産は原料あるいは人間の労働力の消費でもあり、生活資料の消費は人間(身体と精神)の生産でもある、ということを意味しています。吉本さんは、生産が直接消費でもあり消費が直接生産でもあるというようなことは、何よりもまず、いわゆる生産の場面といわゆる消費の場面とが時間的にも空間的にも隔離していない「凝集と反復」によってこそ成り立っていたのだ、と主張します。これは、家族共同体のなかで生産も行われれば消費も行われる、という状態、自給自足を基本とする家族共同体の生活のあり方を指しているのでしょう。家族が生産の場でもあれば消費の場でもあり、家族が生産の主体でもあれば消費の主体でもあるというような状態であれば、何が生産であり何が消費であるのか、明確に区別することはできず、全てが渾然一体となっています。

 吉本さんは、こうした「凝集と反復」状態を出発点に、凝集が分散へ、反復が方向性へと転化されていく、という流れを描こうとします。これは、生産らしい生産と消費らしい消費とが分離していく過程、より具体的にいえば、ここは生産するための場所(例えば工場)、ここは消費するための場所(例えばレストラン)、という分離が社会通念として出来上がっていく過程のことだといえるでしょう。もちろん、そのような状態でも、生活資料の生産が原料や人間の労働力の消費であり、生活資料の消費が人間の生産である、ということ自体には変わりはありません。しかし、人間は、生産活動が身体の消費であることには(疲労が極端にならない限り)無意識になるし、消費(食べたり遊んだり)が身体の生産であることにも無意識になってくる、と吉本さんはいいます。生産の場面と消費の場面が大きく隔たることで、生産=消費、消費=生産というマルクスの概念は、実感しにくくなってしまう、というわけです。

 吉本さんは、こうした生産と消費との分離を、生産と消費との時間的な遅延および空間的な遅延である、と特徴づけ、この時空的な遅延こそが産業社会の高度化(高次化)のカギを握っている、と論じています。大きくいえば、第一次産業(農林漁業)中心の社会から第二次産業(製造業、建設業)、第三次産業(卸小売、流通、金融、サービス業)中心の社会へ、という過程が進行していくわけです(*)。こうした産業の高次化の要素として、吉本さんは、高付加価値化、生産手段の高度化(生産工程の改善)、関連技術の開発、多角化などをあげます。自動車を例にとれば、自動車に情報関係の機器を取り付けたり(高付加価値化)、組み立て工程を改善して多品種少量生産のシステムを確立したり(生産工程の改善)することであり、また、カー・エレクトロニクス装置を開発したり(技術開発)、またそのことによって他の産業分野との連結が生じたり(多角化)することです。このように、ひとつの産業分野のなかで生産工程の改善などが進んでいくこと、また、他の諸々の産業分野との間に網状の連結が形成されていくこと、この2つの側面で産業の高次化が進んでいくのだと吉本さんは捉えています。

 吉本さんが重視しているのは、こうした産業の高度化の過程につれて、消費の質が大きく変わっていくということです。すなわち、生存を維持するための「必需的消費支出」中心の状態から、必ずしも生存維持に必要ではない「選択的消費支出」へ重点が移っていき、それがさらに選択的な商品支出(家電製品、乗用車、衣料品等)と選択的なサービス支出(旅行、カルチャー・センター、外食等)とに分岐してゆく、というわけです。必需的消費はその絶対量を増大させながらも、消費全体に占める割合を低下させていきます。こうして、選択消費(生存維持に必須でない消費)が全消費額の50%を超えれば、それが消費社会の指標である、と吉本さんはいいます。

 吉本さんは、こうした消費社会(高度産業社会)が、平等な消費可能性へ万人を近づけ、格差をなくしていったことを強調します。例えば、テレビ、自動車、ステレオなど以前は特権的な階層にしか手に入らなかったものが、いまでは一般大衆でも手に入れられるようになった、というわけです。吉本さんは、こうした立場から、平等への格差の縮まりはうわべだけで社会的矛盾や不平等の内在をおしかくしている、というボードリヤール(『消費社会の神話と構造』によって知られるフランスの現代思想家)を厳しく批判します。上級官吏は自動車3台をもつことができるのに肉体労働者や農民は自動車1台しか購買できないといった格差は、特権的な上級者は自動車1台を購買できるのに農民や肉体労働者は車をもつことができないといった格差とは雲泥の差があるのであり、消費社会によって社会的矛盾や不平等の一部が解消されたことは紛れもない事実ではないか、というわけです(**)。

 しかし、だからといって吉本さんは、消費社会を手放しで賞賛しているわけではありません。吉本さんは次のように述べています。


「第三次産業以後において、わたしたちは生産が物(商品、製品)の手ごたえ、感覚的な反射から距てられたところからうまれる不定さ、視覚的、触覚的な物の、映像化による非実在感などに由来する不安に対応する方法をもちあわせていないこと。ボードリヤールの見解と反対に、消費行動の選択に豊かさや多様さ、格差の縮まりなどが生じていること。そこに核心があるようにおもえる。もっといえばこういう消費社会の肯定的な表象の氾濫に対応する精神の倫理をわたしたちはまったく編み出しておらず、対応する方途を見うしなっているところに核心の由来があるとおもえる。」(『吉本隆明の経済学』p.185)


 産業の高次化によって諸々のモノ(商品)からの感覚的な反映が薄いものになってしまっていること、にもかかわらず、格差の劇的な縮小という肯定的イメージが有無をいわせぬ迫力で突きつけられることで、我々の倫理観(人間いかに生きるのが理想的なのか)が全く対応しきれなくなっていること――ここに吉本さんは消費社会の根本的な問題を見出そうとしているわけです。確かに、こうした立場からすれば、ボードリヤール流の、格差の縮小は上辺だけ、というレベルの消費社会批判は、それこそ全く上辺だけの(表層的な)ピント外れの批判でしかない、ということになるでしょう。

 マルクスが「生産は直接消費でもある」とした頃は、生産と消費は密接な関係(吉本さんのいわゆる「凝集と反復」)にあり、生産の過程がまだ具体的に見えていたからこそ、消費の対象がどうやって生産されたのか、という点で人々が不安に感じることはほとんどなかったと思われます。ところが、産業の高次化の過程が著しく進んだ消費社会になると、消費の対象が具体的にどうやって生産されたのか、ほとんど見えなくなってしまいます。このことは確かに人々の不安を喚起するでしょう。その非常に分かりやすい例が、食品偽装問題ではないでしょうか。

 複雑に編み上げられた生産と消費の網の目構造が人間の認識に反映し、人々の心を非常に不安定な状態にさせている、ということがいえるかもしれません。産業高次化の極致が、いわゆる経済の金融化です。非常に不安定な金融市場で現実感のない数字が飛び交っている様は、人々を不安にさせずにはおかないものがあります。消費社会が心の不安定さをもたらすという吉本さんの論は、なぜ現代において心の病が増えているのか、金融化した社会の現実に規定されているのではないか、といった視点を提供するものだといえるでしょう。

(*)吉本は、「第8章 超資本主義論」の「2 世界認識の臨界へ」において、産業の高次化の過程について、以下のように述べている。

「初期は農村、漁村が食料だけでなくて、同時に衣食住でいえば、衣料や住居に関する産業の家内工業的に処理してきたわけです。それが規模も大きくなって第二次産業、つまり工業あるいは製造業という形で、農村から別のところに製造工場の場所を求めて分離していき、都市をつくります。そこまでのイメージが、第一次産業と第二次産業……との分離と対立」(p.311)
「その未知の萌芽はもちろん第二次産業のときにすでにあるわけです。流通業、サービス業、娯楽教育産業、外食産業、どれをとっても、第二次産業の胎内にもうすでにあったわけです」(p.312)。


 要するに吉本はここで、第二次産業の萌芽は第一次産業の胎内にあったのであり、第三次以降の産業の萌芽も第二次産業の胎内にすでにあったのだ、という見方を示しているわけである。結局のこところ、第三次以降の高次の産業も全て第一産業の時にその萌芽があったのだ、ということになる。第一次産業とは全く別のところから、何もないところから第二次産業が出てくるのではなく、第一次産業の胎内からしか出てこない。全ては第一次産業から始まったのであって、その後の諸々の段階は全てそこからの発展として位置づけられる、ということである。これは非常にすぐれた見方だといってよいであろう。

(**)もちろん、消費社会がまだまだ多くの社会的矛盾や不平等を残存させており、それらは解決されるべきであることは、吉本も認めるところである。吉本は別の個所で、消費資本主義で絶対的な貧困は解消するけれども、相対的な貧困、すなわち格差は解消しようがない、「これが解けないってことが明らかになった時に、たぶん資本主義っていうのは本当のピンチを迎えるだろう」(p.285)と述べている。
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2016年05月25日

『吉本隆明の経済学』を読む(2/5)

(2)吉本は普遍的な価値論を構築しようとした

 本稿は、従来の経済のあり方が行き詰まってきており、そこから脱却するための道を示す理論が切実に求められているという状況を念頭に、そのヒントを「吉本隆明の経済学」に探っていこう、というものです。

 さて、吉本隆明さんといえば、そもそも詩人であり文芸評論家であって、代表作としてはまず『言語にとって美とはなにか』が挙げられるでしょう。要するに吉本隆明とは、何よりもまず、言語論に大きな関心を注いだ思想家であったといえるわけです。

 吉本言語論の核心的な命題は、言語を指示表出/自己表出という二重構造において把握したことです。指示表出とは、何らかの対象を〈指し示す〉〈伝える〉という機能を実現するものであり、自己表出とは、表現者の感情が表に出てくることです。「第1章 言語論と経済学」「第2章 原生的疎外と経済」に収録された文章において吉本さんは、この言語の二重性の把握が、マルクス『資本論』における商品の二重性――使用価値と価値(交換価値)に示唆されたものであることを語っています。

 『資本論』の商品論には「20エレの亜麻布=1着の上着」といった等式が出てきます。ここで「1着の上着」は着ることができるという使用価値でなく、20エレの亜麻布の価値を表現するという役割を担わされています。その意味で、この「1着の上着」は他の諸々の商品と置き換え可能であり、最終的には「20エレの亜麻布=10ポンド」というように、価値を普遍的かつ抽象的に表現する貨幣によって置き換えられます。価値は貨幣という普遍的表現を得ることで、自己増殖の運動へと導かれていきます。

 こうした『資本論』の議論を念頭に、吉本さんは、文学的表現として「あの美しい亜麻布は天使の上衣のようだ」すなわち「美しい亜麻布=天使の上衣」という等式を提示します。ここで「天使の上衣」は、天使の上衣という対象を指し示す機能ではなく、亜麻布の美しさへの表現者の感動を伝える役割を担わされています。その意味で、この「天使の上衣」は、「虹の切れ端」「孔雀の羽」など無数の言葉によって置き換え可能です。この流れの果てに、ちょうど貨幣に相当するような普遍的な言葉の存在を想定できるのではないか、こうした価値の自己増殖を目的としたものが、文学という営みなのではないか……というふうに吉本さんは考えていったわけです。要するに、言語の価値(言語にとっての美)は自己表出の部分、すなわち、表現者の感情がこめられている側面にこそある、というのが、吉本さんの言語論の核心なのです。

 ここで注目すべきなのは、マルクスの商品価値論が吉本さんの言語価値論を導いたというだけでなく、吉本さんの言語価値論によるマルクスの商品価値論の拡張の可能性が示唆されていた、ということです。より正確には、商品や言語のみならず、人間のあらゆる行動を包括した普遍的な価値論の創造が示唆されていたのです。吉本さんは、商品生産労働のような、対象の形を変えるような労働が産み出す価値のみならず、遊びとか芸能とか娯楽といったものに伴う「無形の、精神的なものの価値」にまで拡張した価値概念が必要ではないか、と主張するのです。

 こうした吉本さんの発想は、一方で、人間の身体のあり方をどう捉えるか、という問題に繋がっていきました。吉本さんは、「第2章 原生的疎外と経済」に収録された文章において、文学論に必要なかぎりでの言語論をやるという自身の問題意識が、三木成夫さんという脳解剖学者の考え方に触れることによって、文字で表現される以前の言葉とか、赤子のような言葉がないときの表現というものにまで広がっていった、と述べています。

 三木さんは人間の身体を植物神経系(内臓)と動物神経系(感覚器官)との二重構造で捉えようとしました。植物のように栄養を摂取する器官が中心にあり、その周りに外界の変化を受け止める感覚器官が存在しているのだ、というわけです。三木さんは、内臓の動きが人間の心情的な部分に対応し、感覚器官が脳の表面の働きに対応している、としました。しかし、内臓と脳とは繋がりを持ち、植物神経系と動物神経系は絡み合って存在しているのですから、何らかの精神的ショックで胃が痛くなったり心臓がドキドキしたりするわけです。

 吉本さんは、こうした捉え方に接して、言語における自己表出は内臓器官の動きに対応し、指示表出とは感覚器官の動きに対応するのではないか、との着想を得ました。こうして、指示表出/自己表出という吉本さんによる言語の二重性の把握は、使用価値/交換価値というマルクスによる商品の二重性の把握のみならず、動物神経系/植物神経系という三木成夫さんによる人間身体の二重性の把握によっても支えられることになったのでした。

 このことは、言語の二重性の把握を媒介として、商品の二重性の把握が人間身体の二重性の把握に繋げられる可能性を示唆するものといえます。人間の身体のあり方、またそれに規定された認識のあり方が、商品(労働生産物)にどのように対象化されていくのか、という視点を設定することで、価値論をさらに深めていくことができるかもしれません。また、非常に興味深いのは、吉本さんが、植物神経系と動物神経系が絡み合い、心臓と脳がどこかで通じ合っているように、使用価値と交換価値も必ずしも機能的に区別できないのではないか、特に現代のように産業が高度化した時代にあってはそうではないか、と指摘し、「三木流に両方を絡めあって、ミックスしている価値を捉えるべき」と主張していることです。経済学史をみてみると、交換価値こそ価値であるという労働価値論(スミス、リカード、マルクスなど)と使用価値こそが価値であるという効用価値論(メンガー、ワルラス、ジェボンズなど)との対立がありました。しかし、そもそも使用価値と交換価値とは絶対的に切り離されたものではありません。そもそも商品は消費されるためにこそ(つまり使用価値を想定して)生産(労働を投下)されるものなのですから。吉本の指摘は、労働価値論と効用価値論の対立を止揚する可能性を示唆したものといえるかもしれません。

 さて、吉本さんの価値論でもうひとつ注目されるのは、そもそも価値とは何なのかという原点に立ち返り、価値という概念が成立していく歴史的過程を辿ってみる、という発想を持っていたことです。吉本さんは、「第3章 近代経済学の「うた・ものがたり・ドラマ」」に収録された文章において、スミスの経済学を〈歌〉に、リカードの経済学を〈物語〉に、マルクスの経済学を〈ドラマ〉にたとえながら、価値概念の成立・発展の過程を辿ろうとしています。

 吉本さんは、スミスについて「草原や森林の匂いがするような、牧歌の聞こえてくるような分かりやすい考え方で」論を展開している、といいます。これに対してリカードは、スミスの概念を緻密化し構成を精密にしたことの代償として〈歌〉を喪失してしまった、せめてもの救いは、「地主」「資本家」「労働者」という3者がどのような関係にあるのが正しいのか、というリカードなりの〈物語〉を持っていたことだ、というのです。さらに、マルクスについては、リカードの概念を受け継ぎつつ〈ドラマ〉を打ち立てた、といいます。ここでキーワードになっているのは対立ということです。『資本論』は、使用価値と交換価値との対立を起点にして、全てが対立を含んで劇的に展開していきます。非常に緻密な展開だけれども非常に息苦しい、と吉本さんはいうのです。

 吉本さんは、このようにして「価値」をはじめとする諸々の概念が緻密化されていく流れのなかで、それに反比例するように、対象に対する豊かな感情は削ぎ落とされていったと、説いています。吉本さんは次のように述べます(以下は『吉本隆明の経済学』pp.75‐76を筆者なりに要約したものです)。


何よりも「価値」という言葉で思い浮かんでくる感覚的なこと、感情的なこと、論理的なこと、その他何でもよいので、全部思い浮かべてみよう。その思い浮かべ方は様々だろうが、その根底は、何となく大切なもの、という感情、感覚ではないだろうか。〈何か知らないが、具体的な何かというのでなく、何となく大切なものなんだ。しかし、それをどういうものだとしてしまったら、もう、大切なものがどこかで壊れてしまう、ましてやそれを「価値」という言葉でいってしまったら、とても重要なものがそこから抜け落ちてしまうような感じがする〉ということがあるだろう。そうすると、「価値」という概念を経済学のほうにではなく、牧歌、あるいは自然感情、または人間の自然本性のほうにどんどん放ってしまうと、とても漠然とした〈何となく大切なもの〉という源泉にまでいってしまう。それこそ「価値」という概念の「起源」にあるものであろう。

 スミスはそういうものから次々に、感覚とか感情とかを絞り込み、削り落として、「交換価値」とか「使用価値」という経済学上の概念を作っていったのであろう。問題なのは、スミスがそうして「価値」の概念を作ってしまったとき、人間が〈何か知らないけれど大切なものだ〉というイメージで思い浮かべるものから、何か重要なものがこぼれ落ちていることである。そうすると、こぼれ落ちてしまったものは、再び経済的な範疇に対してどこかで逆襲(復讐)するに違いない、ということが考えられる。


 「価値」という言葉の背後には、〈なんとなく大切なもの〉という感情があったのであり、そこから経済学的な「価値」という概念が形成されていく過程で、多くの重要な要素がこぼれ落ちていくほかなかった、というのです。吉本さんは、そのこぼれ落ちてしまったものに形を与えたのが、例えば、文学であり、絵画であり、音楽である、といいます(こうした捉え方は、精神的な無形なものをも含んだ価値概念の構築が必要だ、という先にみた提言に対応したものであることは明らかでしょう)。

 そもそも〈なんとなく大切なもの〉という感情から多くのものを削ぎ落とさなければ、経済学的に厳密な価値概念を確立することは不可能です。しかし、削ぎ落としてしまったものを無視してしまうと、経済学的な価値概念は、日常用語としての「価値」とは全くの別物ということになってしまい、経済学だけが他の領域と全く切り離されて孤立してしまうことになってしまいます。しかし、現実の経済は、他の領域から切り離せるような形で存在しているのではありません。経済学的に純粋な価値概念に囚われているようでは(経済学的な価値概念の成立過程で零れ落ちてしまったものを無視しているようでは)現実の経済問題にまともに対処できなくなってしまうのです。経済学的な価値概念は価値概念として、さらにそれを大きく包み込むような普遍的な価値概念を構築していく必要がある――吉本さんの価値論から我々が受け取るべきは、このような課題の存在でしょう。
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2016年05月24日

『吉本隆明の経済学』を読む(1/5)

目次

(1)吉本隆明の「経済学」は如何なるヒントを与えるか
(2)吉本は普遍的な価値論を構築しようとした
(3)吉本は消費が主導する経済のあり方をつかもうとした
(4)吉本は未開の原始社会から未来の高度社会までを見通そうとした
(5)吉本は思想家として経済の諸問題に挑んでいった

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(1)吉本隆明の「経済学」は如何なるヒントを与えるか

 明後日から明々後日にかけて、主要国首脳会議(サミット)が三重県の伊勢志摩において開催されます。サミットは、主要先進国の首脳が世界の重要課題を話し合うため年1回開く国際会議だとされていますが、今年の議長を務めることになる安倍首相は、今年のサミットの最大のテーマに世界経済を位置付けようとしています。その背景には、世界経済の行く末が大きく不透明感を増していることがあります。

 国際通貨基金(IMF)のラガルド専務理事は、4月5日の講演で、先進国の景気回復の遅れ、中国の成長減速やブラジル、ロシアの景気後退、資源国の財政悪化などの要因を挙げ、「世界経済の下振れリスクは恐らく増大している」との警告を発しました。2008年のリーマン・ショック以来、各国当局は、破局的な事態に落ち込むことを何とか回避しようとして、大胆な金融緩和や巨額の財政出動など、従来の常識の枠内で考えられる限りの策を尽くしてきました。しかし、世界経済はハッキリとした回復を見ないまま推移してきました。それどころか、再び大きな危機に直面しようとしているのではないか、との不安が広がりつつあるのです。

 経済政策に深刻な手詰まり感があるのは否めません。財政出動は各国の財政状況を悪化させ、いわゆるギリシャ危機のような事態が引き起こされたことをきっかけにして、今度は逆に、緊縮政策(歳出削減と増税)が進められるようにもなってきました。一方、金融緩和は、欧州中央銀行や日本銀行が「マイナス金利」という奇策を採用するまでに至り、金融市場には膨大な資金が溢れるようになっていますが、実体経済と金融経済の乖離が著しくなっているために、資金は実体経済の方にはほとんど流れていっていません。その結果、金融市場がバブル的な活況を呈するだけで、実体経済は疲弊して貧困と格差がますます拡大し、財政危機も深化しているのです。

 こうしたなか、いわゆる「パナマ文書」によって、世界中の富裕層が巨額の税逃れをしている実態の一端が明らかにされました。一握りの巨大企業や富裕層は、金融緩和の恩恵で巨万の富を築いたにもかかわらず、まともに税金を払おうとしていないのであり、そのために財政危機が深刻化し、それを口実にした緊縮政策によって、圧倒的多数の庶民が増税と公共サービスの縮小に苦しめられているのではないか――「パナマ文書」は、現代の世界経済が抱える深刻な歪みを強烈に印象付ける役割を果たしたといえるでしょう。

 いま、このような経済の不公正なあり方、貧困と格差の深刻な拡大に対して、民衆の怒りの声が大きく広がってきています。このことを背景にして、主要先進国において、経済政策のあり方をめぐる大きな政治的変化が起きつつあることが注目されます。アメリカ大統領選挙・民主党予備選挙におけるバーニー・サンダース候補の善戦健闘は、その象徴的な事例だといってよいでしょう。「民主社会主義者」を自称するサンダース候補は、深刻な格差と不公正(不正義)の是正を訴え、若者たちの熱狂的な支持を獲得して来たのです。サンダース候補は、次のように述べています。



「不正義とは、あまりにも少ない数の人たちが、あまりにも多く持つことだ。そして、あまりにも多くの人たちが、あまりにも少ししか持てないことだ。不正義とは、上位1パーセントの10分の1というごくわずかな人たちが、その他の90パーセント人たちとほぼ同じ富を所有していることだ。
 何百万人の人たちが長時間労働をし、明らかな低賃金で懸命に働き、それでも家庭で待つ子どもにまともな食事を与えるだけの収入を得ることができない。不正義とは、アメリカ合衆国という国が、世界のあらゆる主要国のなかで、子どもの貧困率が最も高いということだ。私たちがどうして道徳と政治を語ることができようか。自分の国の子どもたちに、背中を向けているというのに、私たちの国は多くの財源を世界で最も多くの人達を投獄するために使いながら、自分の国の若者たちに、仕事や教育を与えるための福祉の財源はないという。私たちは世界の主要国で唯一、権利としての医療を全ての国民に保障していない。全ての人々は神の子どもたちだ。貧困にあえいでいる人たち、彼らには病気になったら医者に行く権利がある。
 皆さんに考えて欲しい。この素晴らしい国が持つ可能性というものを。
 私たちは他の主要国のように全ての人々に権利としての医療を保障する国になることができる。
 私たちは働く親たちの全てが、安価で質の高い医療ケアを受けられる国になることができる。
 私たちはアメリカの子どもたち全てが、親の所得に関係なく大学教育を受けられる国になることができる。
 私たちは高齢者の全てが、人生の最後まで尊厳と安心を持って暮らせる国なることができる。
 私たちは全ての人が、人種、宗教、障害、性的嗜好に関係なく、生まれた時から約束されているアメリカ人としての平等の権利を十分に享受できる国になることができる。
 そんな国を私たちは創ることができる。私たちが共に立ち上がり、私たちを分断させようとする力に抵抗するならば。」


 こうした訴えが多くの人々の共感を呼び、当初は泡沫候補にすぎないと見られていたサンダース候補が、本命候補と目されたヒラリー・クリントン前国務長官に大きく迫るほどの躍進を見せたのです。予備選挙の制度的な制約もあって、サンダース候補が民主党の指名を勝ち取る可能性はほとんどなくなってきていると思われますが、資本主義の牙城であり、新自由主義の総本山ともいうべきアメリカ合衆国において、堂々と「社会主義者」を名乗る人物がここまで善戦健闘するとは、昨年秋の時点では、ほとんど誰もが予想できなかった展開でした。

 このことは、経済の歴史が、大方の人々の予想を超えて、大きく動き出しつつあることを示しているのかもしれません。資本主義経済の発展、新自由主義的政策の推進がもたらした深刻な格差と不公正への怒りが大きく広がっていくなかで、ソ連崩壊によって大きなマイナスイメージを纏ったはずの「社会主義」という言葉が、必ずしもタブー視されない状況がつくられつつあるのです。それほどまでに、従来の経済のあり方に代わる新しい経済のあり方への要求は切実だということでしょう。それを「社会主義」という言葉で表現することが妥当かどうかについては検討の余地があるにせよ、従来の経済のあり方が行き詰まってきており、そこから脱却するための道を示す理論が切実に求められる状況にあることだけは間違いありません。

 しかし、従来の経済理論を基本に据えて、そこにあれこれの微修正を加えていく、といったレベルの対応では、こうした時代の要求に到底応えることはできません。経済のみならず、政治や文化の領域をも含めた社会全体をまるごと捉えるような広い視野で、さらにいえば人間と自然との関係をもきちんと視野に入れて、経済というものを根本から捉え直していかなければならないのです。従来の経済理論の狭い枠組みにとらわれず、人間とは何か、社会とは何かを深く追究しようとしてきた先人たちの苦闘に広く学びながら、新たな経済のあり方を切り拓いていく指針となるような、確固とした理論体系を築いていく必要があるのです。

 こうした観点から、本稿で注目したいのは、吉本隆明さんの「経済学」です。“戦後最大の思想家”と称され、文学や政治、宗教など広範な領域にわたって言論活動を展開して来た吉本さんは、経済についての体系的な著作こそ遺さなかったものの、経済の諸々の問題についても積極的な発言を行っていました。そうした発言を集めることで、「吉本隆明の経済学」の姿を浮かび上がらせようとしたのが、中沢新一〔編著〕『吉本隆明の経済学』(筑摩選書、2014年)です。本書の構成は以下のようになっています。


 第1部 吉本隆明の経済学
  第1章 言語論と経済学
  第2章 原生的疎外と経済
  第3章 近代経済学の「うた・ものがたり・ドラマ」
  第4章 労働価値論から贈与価値論へ
  第5章 生産と消費
  第6章 都市経済論
  第7章 農業問題
  第8章 超資本主義論
 第2部 経済の詩的構造


 第1部は吉本さんの文章を抄録したものであり、各章の冒頭に編者の簡単なコメントが付されています。第2部は編者によるやや詳しい解説であり、ここで「吉本隆明の経済学」の姿を編者なりに提示しようと試みられています。

 本稿では、編者の解説に依拠しながら「吉本隆明の経済学」そのものの姿を明らかにする、というよりも、新しい経済学体系の構築に向けて「吉本隆明の経済学」が如何なる示唆を与えるものであるか、という観点から、この本に収録されている吉本さんの発言そのものを読み解いていくことにします。

 以下、大きく3つのテーマ――価値論の問題、消費社会の問題、歴史的展望の問題を設定して、検討していくことにしましょう。
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2016年02月13日

ケネー『経済表』を読む(5/5)

(5)ケネーは国民経済の健全な再生産を何よりも重視した

 本稿は、経済学という個別科学の確立に大きな役割を果たしたフランソワ・ケネー(Francois Quesnay、1694-1774)の『経済表』を取り上げ、それが如何なる時代背景の下で、如何なる問題意識によって作成されたものなのか確認した上で、『経済表』から如何なる経済政策が導かれることになったのか、それが現在の日本経済に対して如何なる示唆を与えるものなのか、考察していくことを目指したものです。ここで、本稿でこれまで説いてきた流れを簡単に振り返っておくことにしましょう。

 まず、ケネーの生涯を辿りながら、医師であったケネーが如何なる問題意識で『経済表』を描くことになったのか、確認しました。裕福でない小地主(農家)の家に生まれたケネーは、苦学の末に外科医となりますが、その学びの過程で、ハーヴェイの血液循環説に決定的な影響を受けます。このことが力となって、パリ医学界の権威であった内科医シルヴァとの論争に勝利し、ケネーの名声は決定的なものとなったのでした。やがてケネーは、ポンパドゥール夫人付きの侍医としてヴェルサイユ宮殿に居住するようになったことで、アンシャン・レジーム下のフランスの国家経済および国家財政の危機を目の当たりにします。ケネーは、一握りの特権的貿易商人が国民生活を犠牲にしつつ自らの利益のために植民地獲得戦争を煽っている現状に怒りをたぎらせ、国家経済を安定させて平和と繁栄の基礎としなければならない、という強烈な問題意識の下に、身体における血液循環と同じようなものとして国家経済における財貨の循環を捉える着想を温めていきます。このような医師ならではの着想が結実したものこそ、「経済表」にほかならなかったのでした。

 次いで、「経済表」において国家経済の再生産過程がどのように描き出されているのか、その完成版というべき「範式」を下にして、確認していきました。「経済表」の範式では、生産階級(農業者)、地主(僧侶と貴族)、不生産階級(手工業者)という3階級間での財貨のやり取りが、わずか5本の線に集約されることで、国家経済の再生産過程が図式化されていました。あたかも心臓から送り出された血液が動脈を通じて身体の各部に送られ、そこから静脈を通って再び心臓に戻ってくるように、農業によって産み出された富が社会の隅々へと流通しながら、国家経済の全体が再び元の状態に回帰していく様が描き出されたのです。

 このことを確認した上で、「経済表」から如何なる経済政策が導き出されることになったのか、検討しました。本稿では、ケネーの経済際策論の要点を、土地単一課税の主張、緊縮財政への批判、自由貿易の主張という3点に纏めて説明しました。土地単一課税の主張とは、土地の純生産物(地主の収入)のみを課税対象にすべきだというものであり、農業者や手工業者に課税することは生産活動を衰退させることにしかならない、という「経済表」から導かれた結論に依拠するものでした。緊縮財政への批判とは、財政再建のためと称する単純な財政支出削減を批判したものであり、道路や運河の建設など、生産活動を活発にするための公共投資はむしろ積極的に行われるべきだと主張するものでした。自由貿易の主張もまた、農業生産の振興という観点から主張されたものであり、自由貿易を通じて穀物価格の国際的な均等化が進んでこそ、農業生産者に安定した利潤を保証する「良価」が実現されるのだ、という考えにもとづいたものでした。こうしたケネーの経済政策論は、国家権力による経済への恣意的な介入を排しさえすれば、自然に望ましい経済状態が実現していくはずである、という信念にもとづいたものであり、その背景には、自然法思想があったことを確認しました。

 このようにケネーは、国家経済における財貨の循環は人体における血液の循環のようなものである、という発想にもとづいて、アンシャン・レジーム下のフランス国家経済(国民経済)および国家財政の危機に対して、何よりもまず国家経済(国民経済)の健全な成長を図ることこそが危機打開の道であること、そのためには国家権力による恣意的な介入を排して財貨が自然に流れるようにすべきであること、そうすれば国家経済の循環過程の自然な秩序が回復するはずであることを主張したのでした。

 もちろん、通常よく指摘されるように、ケネーが土地(自然)こそが富の源泉である、換言すれば、農業こそが唯一生産的な職業であるという把握――これは、土地が1粒の麦粒を何倍にもする、という現象に囚われていたということにほかなりません――にとどまり、人間の社会的労働こそが富の源泉なのだという把握には到達していなかったこと、このことは大きな限界であるといわねばなりません(ちなみに、明確にこのレベルの把握に前進したことこそ、アダム・スミスの偉大な功績です)。しかし、人体の構造になぞらえるようにして国家経済(国民経済)の全体を把握し、全てが過程において繋がっているというイメージを描き出したことは、経済学という個別科学の構築にとって決定的に重要な意義をもったのです。

 それでは、こうしたケネーの経済論から、現代日本に生きる我々は、いったい何を学び取っていくべきなのでしょうか。

 端的には、以下のようにいえるでしょう。すなわち、財政危機は財政危機として、国民経済の疲弊は国民経済の疲弊として、個別に捉えて各々解決を図っていくべきものではなく、また、2つの課題の解決を同時並行で進めて両立させていくべきものでもなく、何よりもまず国民経済の健全な成長を図っていくことこそが、国家財政の危機を打開していくための確実な道なのである、ということです。健全な国家財政は、健全な国民経済を土台にしてしかあり得ないのだ、ということです。そしてまた、決定的に重要なポイントは、国民経済の健全な成長のためには、国民経済の再生産過程(財貨の循環過程)において、いわば心臓のような役割を担っているところに、絶対に過大な負担をかけてはならない、ということです。

 このことを踏まえるならば、現代日本における経済再生および財政再建をめぐる議論の情況をどのように評価することができるでしょうか。

 まずいえるのは、経済再生は経済再生、財政再建は財政再建として、両者を切り離して追求していくべきだという議論(景気動向に左右されずに消費税増税を断行しなければならないという議論がその典型)は、全くナンセンスだということです。

 これに対して安倍政権は、経済再生と財政再建の両立という観点を強調してはいます。しかし、問題なのは、安倍政権の掲げる経済再生の中身です。安倍政権は、「アベノミクス」の3本の矢、さらに「アベノミクス第2ステージ」の新3本の矢、合計6本の矢(金融緩和、財政支出、成長戦略、強い経済、子育て支援、社会保障)を、何の脈絡もなく繰り出しています。日本の国民経済の再生にとって何が最も大事なのか、焦点を絞り切れず、手当たり次第に矢を放っているわけです。ケネーが、経済再生のためには何よりもまず心臓に相当する農業を振興することであるとして、あらゆる政策を農業の振興という一点に収斂させていったことと対比すれば、あまりにもみっともないといわざるを得ません。

 ケネーの論理を現代に適用してみるならば、富を生み出しているのはあくまでも労働者なのですから、雇用を安定させ賃金を上昇させることこそ経済再生のために何よりも大切だ、ということになるでしょう。6本もの矢を手当たり次第に放つのではなく、賃金上昇という1本の矢で経済再生という獲物を仕留めるべきなのです。

 その上で、財政再建が問題になりますが、ケネーの議論を踏まえるならば、消費税の増税という選択肢は絶対にとるべきではない、ということがいえます。ここでは詳述できませんが、消費税は、市場参加者に消費税込価格での競争を強いるものであり、あらゆる取引を通じて弱者に犠牲を集中させていくという性格をもっているからです。とりわけ重大なのは、消費税が“雇用破壊税”としての側面をもつことです。企業の納付すべき消費税額は、「消費者から預かった消費税−自身が負担した消費税」として計算されますから、企業は直接雇用(消費税課税の対象外)を派遣労働(消費税が含まれる)に置き換えることによって、消費税納税額を計算する際に控除できる消費税額を増やすことが可能となるのです(詳しくは本ブログに掲載した「消費税はどういう税金か」でご確認下さい)。国民経済の健全な成長のためには、生活費非課税、応能負担の原則を絶対に守らなければならないことが確認されなければなりません。

 富がグローバル企業に吸い上げられるような歪んだ構造を是正し、労働者の賃金上昇を起点にして国民経済の循環過程をまともにしてこそ、国民経済の健全な成長が可能になるのですし、また、そうであってこそ国民の担税力は向上していくのです。このような手順を無視して、単なる財政支出削減、単なる増税では絶対に財政再建はできません。国民経済の疲弊、国家財政の危機を打開するためには、国民経済の全体を、あたかも人体のように、過程においてひとつに繋がったものと捉える視点が何よりも重要なのです。この視点こそがケネーの最大の遺産といえるでしょう。

(了)
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2016年02月12日

ケネー『経済表』を読む(4/5)

(4)『経済表』から導かれる経済政策とは

 前回は、「経済表」の範式にもとづいて、ケネーが国家経済の再生産過程をどのように描き出したのか確認しました。「経済表」の範式は、生産階級(農業者)、地主、不生産階級(手工業者)という3階級間での財貨のやり取りを、わずか5本の線に集約することで、国家経済の再生産過程を図式化したものにほかなりませんでした。あたかも、心臓から送り出された血液が動脈を通じて身体の各部に送られ、そこから静脈を通って再び心臓に戻ってくるように、農業によって産み出された富が社会の各階級へと流通しながら、国家経済の全体が再び元の状態に回帰していく様が描き出されたのでした。

 さて、本稿の連載第2回にも触れたとおり、この「経済表」は、国家経済の現状を厳しく批判し、あるべき姿を対置するための手段にほかなりませんでした。それでは、ケネーは「経済表」のような状態を実現するために、如何なる経済政策を主張したのでしょうか。今回は、このことを簡単に確認していくことにしましょう。

 ケネーの経済政策論については、大きく3つの要点を指摘することができます。第一は土地単一課税の主張であり、第二には緊縮財政への批判であり、第三は自由貿易の主張です。

 第一に、土地単一課税の主張です。これは端的には、課税対象は土地の純生産物に限定すべきだ、ということです。純生産物というのは、前回取り上げた「経済表」(範式)の数値例によれば、生産階級による総再生産額50億のうち年前払20億および原前払の利子10億(ケネーはこの2つを合わせて「回収」と呼んでいます)を控除した残りの20億のことであり、地代として地主の収入になる部分のことです。では、ケネーはなぜ、この部分のみを課税対象とすべきだと考えたのでしょうか。

 「経済表」からは、仮に生産階級や不生産階級に課税した場合、それだけ前払を減少させて翌年の再生産規模を縮小させることが予測されます。一方、純生産物である地代にいくら課税しても、地主の消費を減少させるだけで、翌年度の再生産規模には影響しないことが予測されます。つまり、ケネーは、国家経済の順調な再生産過程を阻害してはならないという問題意識から、純生産物のみを課税対象とすることを主張したのです。
しかし、純生産物のみが課税対象になるべきという主張は、地主のみが納税者となるべきという主張に帰着します。これは当時、地主(僧侶や貴族)が免税特権を持っていたことからすれば、相当に過激な主張であったといわざるをえません。ケネーがこうした過激な主張をあえて行ったのは、現状に対する強い憤りがあったからこそというべきでしょう。ケネーは晩年の「第二経済問題」(1767年)において、当時のフランスの税財政のあり方を次のように痛烈に批判しています。

「彼ら〔地主――引用者〕の無知な貪欲は、租税が土地の収入からのみ徴収されるべきことを、彼らに決して認めさせなかった。彼らはつねに、租税が人間に対して、また人間の行う消費に対して課されるべきだと考えた。……だが、人間の肉体的組成はただ需要を生じさせるだけであって、自分たちだけでは〔この需要の対価を〕なんら支払えないことに彼らは全く気づかなかったのである。さらにまた、人間あるいは人間の行う消費を対象とする賦課はすべて、人間を生存させることができ、土地だけが生産する富から必然的に徴収されることになる、ということにもまったく気づかなかったのである。……貴族と僧侶は、特権や無制限の免税を要求し、かかる措置が彼らの財産や彼らの身分からして当然である、と主張した。……これらの措置のため、国庫の収入はきわめて貧弱な状態に陥ったのであり、しかも地主が直接の〔国庫〕増収に対して激しく異議を申し立てたので、主権者たちはついに種々の間接的な賦課に助けを求めるにいたった。だがこれらの間接的な賦課は、それ自身の不可避的な帰結である損壊をもたらしたために、国民の収入が減少するにつれて、ますます増徴されることとなった。こうした結果を予想することなく、しかも、この結果によって彼らの富の減少の原因さえつかみえなかった地主は、これらの間接的な賦課に拍手喝采を送った。……」(平田清明・井上泰夫訳『経済表』岩波文庫、pp.197-199)


 このようにケネーは、地主(僧侶や貴族)という特権的階級が課税を免れている代償として、庶民の消費に諸々の間接税が課されるようになってしまったことを指摘し、その結果として生じた国家経済の疲弊が財政危機をますます深化させ、間接税の一層の増税につながるという悪循環に陥ってしまっていることを厳しく批判するのです。国家経済(国民経済)の再生産過程と税制および財政との関係を鋭く抉った論として、現代日本における消費税増税をめぐる議論のなかで真っ先に省みられるべきものといえるでしょう。

 このことに関連して、「農業王国の経済統治の一般準則とそれら準則に関する注」(1767年)の「第20準則」を紹介しておくことにしましょう。ここでケネーは、以下のような興味深い提議を行っているのです。

「最下層の市民階級の康楽を減らさないこと。というのも彼らの康楽が減れば、国内でしか消費されない生産物の消費に彼らが十分に寄与することはできなくなり、したがって国民の再生産と収入が減少することになるからである。」(同、pp.226-227)


 これは、庶民の消費こそが国内需要を支えており、国家経済(国民経済)の健全な再生産に資するのだ、ということの指摘であるといえます。さらに、この準則に対しては以下のような注がつけられているのです。

「少しの貯えをも持ち得ない人間はただ食うためにだけ働くにすぎない.ゆえに、貯えを持ちうる人間は一般にすべて勤勉である。というのも人はみな富を渇望するものだからである。抑圧された農民を怠惰にする真の原因とは、諸国における賃金の極端な低価格と雇用のひどい減少である。……それゆえ貧困を強いるのは、農民を勤勉にする手だてではない。農民がその利得の所有と享受を保証されてこそ、勇気と活力が彼らに与えられることになるのだ。」(同、p.268)


 ここで「農民」というのは、「経済表」に登場する生産階級、すなわち大農業資本家ではなく、そこで雇用されているような農業労働者のことでしょう。貧困を強いても労働者は勤勉にはならず、労働者を勤勉にするにはむしろ雇用を確保し賃金を上げていくべきである、という主張が展開されているわけです。労働者の勤勉の確保による生産性の向上、および労働者の消費支出の増大による内需拡大の両面から、国家経済(国民経済)の健全な発展を図っていこうというケネーの発想がうかがえます。このことも、日本の労働者が置かれている劣悪な現状との対比で、傾聴すべきものがあるといわねばならないでしょう。

 さて、ケネーの経済政策の要点の第二は、緊縮財政への批判です。ケネーは、赤字財政については厳しく批判するのですが、単純に財政支出の削減を主張するのではなく、むしろ積極的に国富を増大させるのに役立つような支出をなすべきだと主張するのです。「農業王国の経済統治の一般準則とそれら準則に関する注」の「第27準則」では、以下のように述べられています。

「政府は節約に専念するよりも、王国の繁栄に必要な事業に専念すること。なぜなら、多大な支出も富の増加のためであれば、過度でなくなりうるからである。」(同、pp.228-229)


 これは、財政再建のためとして財政支出をひたすら削減するという発想を批判し、富の生産の増加に役立つような財政支出を適切に行っていくべきことを主張したものであるといえます。現代的にいえば、GDPが順調に増大していくならば、財政支出が国民経済において占める比重は低下していく、というわけです。

 ケネーの経済政策の要点の第三は、自由貿易の主張です。本稿の連載第2回でも触れた通り、当時のフランスでは、コルベルティスムの下、賃金を低く抑えるために、意識的に穀物価格を引き下げる政策が採られていました。これに対して、ケネーは、穀物の流通を外国貿易をも含めて自由化することでこそ、穀物の「良価」、すなわち、生産者に安定した利潤をもたらすレベルの国際的な均等価格が実現する、と考えたのです。「農業王国の経済統治の一般準則とそれら準則に関する注」の「第16準則に関する注」では、以下のように述べられています。

「輸出入という対外商業の自由と便宜とによって、穀物価格の不断の均等化が進んでゆく。……この価格の均等化が、人口縮減の要因である価格の暴騰を回避させるのであり、さらに農業の沈滞要因たる無価値をも喰い止めるのである。これとは反対に、外国貿易の禁止はしばしば〔生活〕必需品の逼迫要因となる。……販路の不安定はフェルミエ〔借地農のこと――引用者〕の不安をかきたて、耕作の支出を中断させ、借地料の価格を低下させる。こうして、外国貿易の禁止という奸悪な措置は国民をついには完全な破産に追い込むのである」(同、pp.263-264)


 穀物の外国貿易を自由化することによってこそ、穀物価格は生産階級に適正な利潤を保証し得るレベルで安定し、生産が順調に伸びていくことになるのだが、逆に外国貿易を禁止するならば、価格の大きな変動が農業経営を翻弄して、国民生活は破壊されることになってしまう、というわけです。これが、当時のコルベルティスム(重商主義政策)への強烈な批判であったことはいうまでもありません。

 ケネーは、「外国との相互貿易にあたって肝心なのは、販売した商品と購入した商品それ自体から生ずる利益の多寡をきちんと吟味することもしないで、ただ貨幣での差額からだけ利益を判断して、この見かけだけの利益に欺かれるようなことのないこと、これである」(同、pp.227-228)として、重商主義的な観念の誤りを痛烈に批判した上で、「交易の完全な自由が維持されること。なぜなら、最も安全かつ最も厳格であり、国民と国家にとって最も利益をもたらすような国内交易と外国貿易の取り仕切りは、競争の自由が完全であることに存するからである」(p.228)と主張するのです。

 注意すべきなのは、このような自由貿易の主張は、一部の特権的貿易商人のところに富が溜め込まれてしまう現状を批判し、富を国内できちんと循環させていくためになされたものにほかならない、ということです。ここには、国家権力による経済への恣意的な介入を排しさえすれば、自然に望ましい経済状態が実現していくはずである、というケネーの信念を見てとることができます。その背景には、本稿の連載第2回で触れたような自然法思想があったことも見逃せません。
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2016年02月11日

ケネー『経済表』を読む(3/5)

(3)『経済表』は経済の循環をどのように描いているか
 
 前回は、ケネーの生涯を辿りながら、医師であったはずのケネーが如何なる問題意識で『経済表』を描くことになったのか、確認しました。医師として功成り名遂げたケネーは、ポンパドゥール夫人付きの侍医としてヴェルサイユ宮殿に居住するようになったことで、アンシャン・レジーム下のフランスの国家経済および国家財政の危機を目の当たりにします。ケネーは、一握りの特権的貿易商人が国民生活を犠牲にしつつ自らの利益のために植民地獲得戦争を煽っている現状に怒りをたぎらせ、国家経済を安定させて平和と繁栄の基礎としなければならない、という強烈な問題意識の下に、身体における血液循環と同じようなものとして国家経済における財貨の循環を捉えるという着想を温めていくようになったのでした。

 こうした着想が結実したものこそ、国家経済の再生産のあり方を1枚の表に描き出した「経済表」にほかなりません。今回は、この「経済表」が国家経済の再生産過程をどのように描き出したのか、簡単に確認していくことにしましょう。

 「経済表」は、端的にいえば、「農業王国」の内部を、生産階級、地主、不生産階級の3つの階級に区分した上で、相互のやり取りを通じて一国全体の経済が再生産されていく様子を描き出したものです。なお、本稿の連載第1回で触れたとおり、「経済表」には、「農業王国」の富の再生産過程について上記3階級を結ぶ多数のジグザグ線で表示した「原表」(第1版は1758年)と、5本の線で集約的に表示した「範式」(1766年)がありますが、ここでは、「経済表」の完成版というべき範式に基づいて説明していくことにします。

 まずは、範式を提示しておきましょう(平田清明・井上泰夫訳『経済表』、岩波文庫、p.121より)。

経済表.png


 この経済表のなかで、最も重要な役割を果たすのが生産階級です。この生産階級とは、簡単にいえば借地農のことですが、ここでケネーがイメージしていたのは、資本主義的な大農業経営者、すなわち、地主から借りた土地で、賃金労働者を雇い入れ、自ら十分な資本を投下しつつ、生産過程を適切に指揮し管理して、利潤を上げていこうとする「企業者」のような存在であったことに注意が必要です(*)。

 地主は、簡単にいえば僧侶や貴族などの土地所有階級であり、生産階級によって(地代として)支払われた収入によって生活します。不生産階級は、簡単にいえば手工業者のことです。不生産階級は、生産階級から供給された原材料を加工して諸々の手工業製品をつくり、これらを生産階級や地主に販売して生活します。

 ここで、手工業者は手工業製品を生産するにもかかわらず、「不生産階級」とされているのは何故か、という疑問が生じるかもしれません。これは、簡単にいえば、手工業は、原材料の姿を変えているだけであり、新たな富を生産しているわけではない(富を増やしているわけではない)、と考えられたからにほかなりません。これに対して農業は、一粒の麦からその何倍もの麦が産み出されるように、新たな富を生産するものとして捉えられたわけです。このことを多少難しくいうと、純生産物、すなわち、生産物の売上げから必要経費を控除した余剰を生み出すことができるのは農業のみである、ということになります。この純生産物について、ケネーはより厳密に「生産階級が年々再生させる再生産物のなかから、その年前払いを回収し、その経営の富を維持するのに必要な富を控除したのちのもの」と定義しています。ここに「年前払」という言葉が出てきましたが、ケネーのいわゆる「前払」というのは、売上げを得るために前もって投下される資本のことにほかなりません。国家経済の再生産過程を把握する上で、この前払なるものの存在に着目したのがケネーの慧眼ともいえるのですが、ケネーが取り上げた前払には、年前払の他に「原前払」と呼ばれるものもあります(先の引用文で「その経営の富を維持するのに必要な富」とされているものがそれです)。

 より詳しく説明するならば、年前払とは、種子や家畜の飼料、労働者の食料など、年々の生産活動のために投下される資本のことであり、現代において流動資本と呼ばれているものにほぼ対応するといえます。範式においては、生産階級は20億の年前払(表の左上に明示されています)により、50億の生産物(農産物)を産み出すものとされています(表の左下に「合計 50億」、一番上に「再生産総額50億」と書かれています)。

 一方、原前払とは、農機具や家畜など、生産活動を開始する際に投下される資本のことで、現代において固定資本と呼ばれているものにほぼ対応するといえます。原前払は、そのままでは損耗したり、災害による損失を被ったりする可能性がありますから、それを補填するために、少なくともその10%を「原前払の利子」として計上しなければならない、とされます。範式そのものに明示的には登場しませんが、その説明文のなかで原前払の価値は100億とされていますので、その「利子」は10億となります(つまり、償却期間10年の固定資本の減価償却費とみなすことができます)。

 以上を踏まえて、範式を具体的に見ていくことにしましょう。

 範式においては、生産階級は前年度に行われた20億の年前払――表の左上に明示され、下線で区切られることで、前年度の支出であることが示されています――によって、本年度50億の生産物を産み出すものとされています。一方、地主は、前年度末、生産階級から受け取った収入20億を貨幣として持っています。また、不生産階級もまた年前払として10億の貨幣を持っています。以上が本年度の期首の状態です(生産階級に20億の生産物、地主に20億、不生産階級に10億で合計30億の貨幣)。

 この状態からまず、生産階級において、20億の年前払と10億の原前払の利子(これは表には明示されていません)を用いて、換言すれば、20億の種子・飼料・食料を投下し、もともと100億あった農機具や家畜などを10億損耗させることで、50億の生産物が産み出されます。そこからさらに、以下のような流れで、再生産過程が展開していくことになるのです。なお、生産階級が持つ50億の生産物のうち20億は翌年度の収穫を生じさせるための年前払として留保される(左下に「年前払の支出 20億」として登場)ので、階級間の取引に登場するのは、残りの30億です。

@地主は20億の収入のうち半分10億(貨幣)を生産階級に支出し、生活資料(食料品等)として10億の生産物を購入する。
A不生産階級は10億の前払(貨幣)で生産階級から原材料および生活資料として10億の生産物を購入し、これを加工して10億の製品(地主用奢侈品)をつくる。
B地主は収入の残り半分10億(貨幣)を不生産階級に支出し、不生産階級が加工した10億の製品(地主用奢侈品)を購入する。
C不生産階級は地主から受けとった10億(貨幣)で生産階級からさらに原材料および生活資料として10億の生産物を購入し、これを加工して10億の製品(生産階級用道具)をつくる。
D以上の取引の結果、生産階級は、地主に10億の生産物を、不生産階級に20億の生産物を販売した対価として合計30億の貨幣を持つ。そのうち10億で不生産階級から10億の製品(生産階級用道具)を購入して原前払の利子(損耗した器具の補填等)に充て、残りの20億を地主への支払いに充てる。


 以上のような経過を辿ることによって、本年度の期末においては、生産階級の手元に年前払として20億の生産物、地主の手元に収入として20億の貨幣、不生産階級の手元に10億の貨幣(これは次年度への年前払となります)が存在することになります。要するに、本年度の期首と同じ状態に回帰したわけです。こうして、本年度の循環は完結したのであり、次年度以降も、同様にして年々総額50億の再生産(単純再生産)が継続されていくことになります(**)。

 このように、「経済表」(範式)は、3つの階級間での生産物と貨幣のやり取りを、わずか5本の線に集約することで、国家経済の再生産過程を図式化したのでした。心臓から送り出された血液が動脈を通じて身体の各部に送られ、そこから静脈を通って再び心臓に戻ってくるように、農業によって産み出された富が社会の各階級へと流通しながら、国家経済の全体が再び元の状態に回帰していく、というわけです。

(*)当時のフランスでは、分益小作制(収穫の一定割合をつねに小作料として払わなければならない制度)と生産性に劣る牛耕二圃制の組み合わせが主流だったのですが、ケネーは、北部フランスにおいて勃興しつつあった定額借地制(一定額の地代を支払えばよい制度)と生産性の高い馬耕三圃制の組み合わせによる大農経営に着目し、これをフランス全土に拡大することで農業生産力を飛躍的に増大させることが可能だと考えていたのです。

(**)上記の例では、地主が20億の収入を均等に折半し、生産階級に10億を支出し(農産物を購入し)、不生産階級に10億を支出した(奢侈品を購入した)ことが、単純再生産の維持につながりました。仮に地主が生産階級により多く(10億以上)支出するならば(生産階級においてそれだけ前払を増加させる余地が生じるので)拡大再生産に、より少なく(10億以下)しか支出しないならば(生産階級においてそれだけ前払が減少せざるを得なくなるので)縮小再生産につながります。

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2016年02月10日

ケネー『経済表』を読む(2/5)

(2)ケネーは如何なる問題意識のもとに『経済表』を作成したのか

 本稿は、経済学という個別科学の確立に大きな役割を果たしたケネー『経済表』を取り上げ、それが如何なる時代背景の下で如何なる問題意識によって作成されたものなのか確認した上で、『経済表』から如何なる経済政策が導かれることになったのか、それが現在の日本経済に対して如何なる示唆を与えるものなのか、考察していくことを目指したものです。

 今回はまず、ケネーの生涯を辿りながら、医師であったはずのケネーが如何なる問題意識で『経済表』を描くことになったのか、確認していくことにしましょう。

 フランソワ・ケネーは、1694年6月4日、パリ近郊のメレという村で、父ニコラと母ルイズ・ジルーとの間に、女8人、男4人、合計12人の8番目の子(四男)として生まれました。当時のフランスは、いわゆるアンシャン・レジーム(旧制度)の時代であり、ブルボン王朝の国王を頂点とする絶対王政の下、第一身分たる聖職者と第二身分たる貴族が、数の上では少なかったにもかかわらず、免税特権をもった封建領主として国土の大半を領有していました。それ以外の大多数の農民、都市の商人などは、免税特権を持たない第三身分とされ、重い税金に苦しめられながらも、参政権は認められていなかったのです。ケネーの父ニコラは地主であったとされますが、自分の土地からの収入だけでは家族の生活を賄えず、小作農として耕作したり、雑貨商を営んだりもしていたようです。

 ケネーは幼少期には正規の教育を受けることができませんでしたが、12歳頃から、村の司祭にラテン語やギリシャ語を習うようになり、プラトンやアリストテレス、キケロなどの著作に親しむようになりました。やがて、外科医を志すようになったケネーは、サン・コーム外科医学校やパリ大学医学部などで、外科医の技術や解剖学を学ぶ傍ら、数学や哲学にも熱中しました。この頃、イギリスの医師ウィリアム・ハーヴェイの『動物における血液と心臓の運動について』 (1628)を学んで大きな影響を受けたことが、後に『経済表』を創出する土台になりました。また、デカルト派の哲学者マルブランシュの『真理の探究』からも大きな影響を受けました。

 1717年、外科医の資格を取得したケネーは、1719年(25歳)、パリ近郊のマント市で開業しました。外科医としてのケネーの評判はなかなかのもので、間もなく市立病院の外科医長も務めるようになりました。そんなケネーの名声を決定的なものにしたのは、パリ大学医学部教授で内科医でもあったシルヴァとの論争に勝利したことです。この論争は、瀉血(血液を体外に排出させることで症状の改善を求める治療法)の効果をめぐるもので、当時最も著名な内科医であったシルヴァ教授が、外科医としてのケネーの評判を妬んで仕掛けたものでした。その頃、内科医たちは、ガレノス(ローマ帝国時代のギリシャの医学者)の説にもとづいて瀉血を有効な治療法と考えており、シルヴァもまた、体の一部に苦痛を伴う患部があれば、そこから離れた適切な場所の血管を切除して血圧を下げることで苦痛を和らげることができる、と主張していたのでした。これに対して外科医ケネーは、実験を通じてこの主張が誤りであることを確認し、その成果を「刺賂の結果に関する観察」(1730年)という論文に纏めて発表したのでした。いうまでもなく、その理論的な根拠となったのはハーヴェイの血液循環の説にほかなりません。こうして、一介の外科医にすぎなかったケネーが、医学界の権威である内科医シルヴァとの論争に勝利したことは、外科医の社会的地位――その当時、外科医は医者というよりも、理髪師を兼ねる技術者と見なされていました――の向上にとって非常に大きな役割を果たすものとなりました。ケネーは、自ら外科学界を創設するなどして外科医の社会的地位向上に努めました。そうした努力の甲斐もあって、1743年には外科医の理髪師からの分離独立が宣言され、1750年には外科医学院が大学医学部と同格とされるに至ったのです。ケネーは、こうした取り組みと並行して、1744年には医学博士の称号(内科医の資格)を獲得してもいます。

 こうした名声の高まりのなかで、ケネーは1749年(55歳)に、ルイ15世の寵妃ポンパドゥール公爵夫人付きの侍医としてヴェルサイユ宮殿の「中2階の部屋」に居住するようになり、間もなく国王の侍医も兼ねるようになりました。ヴェルサイユ宮殿に住むようになったケネーは、そこでダランベールやディドロなど公爵夫人の庇護を受けていた著名な知識人たちと交流するようになったのでした。

 こうしたなかでケネーは、フランスの国家経済および国家財政の危機的な状況を目の当たりにするようになり、大いに問題意識を刺激されていくことになります。それでは、ケネーが目の当たりにした危機とは、いったい如何なるものだったのでしょうか。

 フランスでは、ルイ14世(在位期間:1643〜1715)の時代、財務総監を務めたコルベールにより、重商主義的政策が推進されていました(それ故に、フランスの重商主義のことを「コルベルティスム」と呼びます)。それは、貿易差額による金銀の獲得を目指すあまり、貿易差額に結びつきやすい奢侈品産業を重視する一方、国民生活の基盤となる農業を軽視するものでした。輸出品の価格を安くするために賃金を低く抑えようと、穀物価格を低く抑える政策が採られたことが、農業を疲弊させてもいました。こうしたなかで、ネーデルラント継承戦争(1667〜1678)、オランダ侵略戦争(1672〜1678)、スペイン継承戦争(1701〜1714)など戦争が相次いだこと、加えて宮廷生活における浪費がかさんだことにより、国家財政が危機に陥ってしまったのです。1715年にルイ14世が逝去し、ルイ15世が即位しましたが、国家財政の危機と農村の惨状はますます深まるばかりでした。

 ケネーは、通商監督官であったヴァンサン・ド・グルネーなど「自由放任(レッセ・フェール)」を掲げてコルベルティスムを批判していた人々――「エコノミスト」を自称していました――との交流を通じて、身体の病気は医師が治療するように国家経済の病気はエコノミストが治療するのだ、という考えを抱くようになっていきます。さらに、身体における血液循環と同じようなものとして、国家経済における財貨の循環を捉えるという着想を温めていくようになっていったのでした。

 ケネーは、フランス絶対王政の現状について、特権的貿易商人が貿易差額という偽りの国富観念を弄びながら、国民を犠牲にしつつ自らの利益のために植民地獲得戦争を煽っているのだ、と把握して激しい怒りを抱きました。そして、国家経済を安定させて平和と繁栄の基礎としなければならない、という強烈な問題意識の下に、ディドロやダランベールら啓蒙思想家たちが編集する『百科全書』に「小作人論」(1756年)、「穀物論」(1757年)を発表していくことになります。これらがやがて、国家経済の再生産のあり方を1枚の表に描き出す「経済表」(原表第1版は1758年)に結実していくのです。こうして、医師として功成り名遂げたケネーは、実に60歳を超えてから(!)、経済学者としての道を歩み始めることになったのでした。

 ケネーの経済思想はしばしば「重農主義」と呼ばれますが、原語の「フィジオクラシー」は、「自然の支配」を意味するものにほかなりません。ケネーの経済思想の根柢には、自然法の思想があったのです。ケネーによれば、自然法は物理的法則と道徳的法則に分かれますが、ケネーにとってはこの自然法こそ国家統治の最高原則でした。「経済表」は、現実のフランス経済の模写ではなく、自然法に基づいた国家統治によって到達すべき理想的な「農業王国」の経済システムを描写したものにほかなりません。ケネーは、農業をことさらに優遇することを主張したのではなく、特権的貿易商人を優遇する諸々の規制を廃し、経済の自然な進行に任せるならば、まず農業が発展し、それに伴って工業も商業も発展していく、という経過を辿るはずだと考えたのでした。
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2016年02月09日

ケネー『経済表』を読む(1/5)

目次

(1)ケネー『経済表』は現代の日本経済に何を示唆するか
(2)ケネーは如何なる問題意識のもとに『経済表』を作成したのか
(3)『経済表』は経済の循環をどのように描いているか
(4)『経済表』から導かれる経済政策とは
(5)ケネーは国民経済の健全な再生産を何よりも重視した

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(1)ケネー『経済表』は現代の日本経済に何を示唆するか

 昨年12月、政府・与党は、2017年4月に予定されている消費税率10%への引き上げに合わせて、食料品や新聞の税率を8%のまま据え置く「軽減税率」制度を導入する方針を決めました。一方で、安倍首相は「今度は前回のような景気判断は行わず、リーマン・ショック級のような世界的な出来事が起こらない限り、我々は予定通り引き上げていく考えだ」(1月10日、NHK番組での発言)とも発言しています。この発言のなかで「前回のような景気判断」といわれているのは、2014年11月18日、安倍首相が、2015年10月から予定されていた消費税率10%への引き上げを1年半延期して、2017年4月からとする方針を表明したことを指しています。安倍首相は、この増税延期の判断を旗印にして衆議院の解散総選挙を断行し、与党圧勝という結果を手にしたのでした。ここで、当時の経済状況を簡単に振り返ってみることにしましょう。

 安倍首相が増税延期を決断するまで、政府・与党内では、財務官僚を筆頭にして、財政再建のため増税は予定通り断行すべきだ、という声が強くありました。最終的にこれら増税断行派の声が沈静化させられたのは、解散総選挙の断行という安倍首相の政治的な決断を別にするならば、同年11月17日(安倍首相が消費税増税の延期と衆院解散を表明する前日)に発表された7-9月期のGDP(国民総生産)速報値が年率換算で実質1.6%のマイナスという数字となったことが決定的であったといえるでしょう。増税の可否を判断するための材料として注目されていたこの数値が、予想以上に悪かったことを受けて、増税延期もやむを得ない、との受け止め方が急速に広がったのです。

 しかし、安倍首相の増税延期方針には2面性がありました。「デフレ脱却を確実にするために」(安倍首相)ということで確かに増税の実施は先送りされたものの、同時に、財政再建への決意はいささかも揺らいでいないとして、のように述べたのです。

「来年〔2015年〕10月の引き上げを18カ月延期し、そして18カ月後、さらに延期するのではないかといった声があります。再び延期することはない。ここで皆さんにはっきりとそう断言いたします。平成29年4月の引き上げについては、景気判断条項を付すことなく確実に実施いたします。3年間、3本の矢をさらに前に進めることにより、必ずやその経済状況をつくり出すことができる。私はそう決意しています。」


 このように、2017年4月には必ず税率引き上げを断行することが強調され、経済情勢を踏まえた政府の判断で増税を停止できるとした景気条項は削除する方針が示されたのでした。実際、総選挙後の通常国会において、消費税増税法の改定が行われ、付則から景気条項が削除されました。しかし、景気条項の削除とは、景気がどんなに悪かろうが消費税10%は実施する、という宣言にほかなりません。財政危機の打開は確かに大きな問題かもしれませんが、そのための方策として、景気に悪影響を及ぼす消費税の増税を繰り返していって、日本経済は本当に大丈夫なのでしょうか。

 ここで、2014年4月の消費税率8%への引き上げの影響をどう評価するか、という問題が浮上してきます。2014年11月当時、消費税率10%への引き上げの可否を判断するための材料として注目された2014年7-9月期のGDP速報値については、数字の悪さはもちろんのこと、民間調査機関の事前予測が大きく外れてしまったこともまた大きな話題となりました。もともと、4-6月期の増税後の反動減の影響で、7-9月期は大幅な反発が予測されていたのです。例えば、ロイターによる事前予測では年率換算で実質2.1%のプラス成長が見込まれており、民間予測の平均は実質年率2.47%のプラス成長でした。実際には、これらの予測を大幅に下回る実質1.6%のマイナスとなってしまったのです。民間調査機関による事前予測は、なぜ派手に外れてしまったのでしょうか。

 その理由として、企業の在庫調整の影響を読み誤ったからだ、とか、設備投資の回復が予測よりも遅れていたからだ、などというもっともらしい解説がなされました。こうした説明を聞くと、あたかも個々の需要項目(個人消費、設備投資、公共投資、輸出など)が寄り集まってGDPなるものが構成されているかのように思えてきます。しかし、本当はそうではないはずです。現実に存在するのは、あくまでも一個の国民経済でしかないはずなのです。その一個の国民経済の需要という側面に着目した上で、その側面を幾つかの要素に分けて捉えることも可能だ、というだけのことにすぎません。個人消費、設備投資、公共投資、輸出など、個々の需要項目を積み上げてGDPを捉えようとするエコノミストたちの発想は、内臓や骨や筋肉などが寄り集まって人体が出来ているのだと考えるのと同様の、逆立ちした発想だといわなければならないでしょう。まさに一国の経済は人体のようなもので、あくまでもひとつに繋がった全体として動いているものです。

 このことさえ押さえておくならば、労働者の賃金が低迷するなかで、GDPの約6割を占める個人消費を確実に冷え込ませる消費税増税を実施すれば、どれほどに深刻な影響が出るか、それほどの困難もなく予測できたはずなのです。現に我々は、消費税増税によって2014年以降の日本経済が間違いなく深刻な景気後退に見舞われるであろうことを繰り返し指摘し、警告を発してきました(例えば、2012年8月20日から当ブログに掲載した「消費税増税実施の是非を問う」など)。にもかかわらず、エコノミストたちは、低迷する個人消費と独立して設備投資や住宅投資などが動きうるかのような錯覚に陥っていたために、消費税増税の悪影響を過小に評価してしまうことになったのです。

 このように考えてくると、経済学という個別科学の確立に大きな役割を果たした1人の医師の存在が思い出されます。それは17世紀、絶対王政期フランスの医師であったフランソワ・ケネー(Francois Quesnay、1694-1774)です。ケネーは、あたかも血液が人体を循環するかのようなイメージで、一国の富の生産・再生産の過程を1枚の表として描き出したのです。これが有名な『経済表』(Tableau economique)です(*)。かのカール・マルクスは、これに「実に天才的な、疑いもなく最も天才的な着想」という最大級の賛辞を捧げています。

 しかし、我々が注意しなければならないのは、この『経済表』が、あくまでも当時のフランス絶対王政によってもたらされていたフランス経済の苦境(農村の疲弊、財政危機)を如何にして打ち破るか、という強烈な問題意識に貫かれたものにほかならなかった、ということです。こうしたケネーの思考は、景気低迷や財政危機に苦しむ日本経済に対して、如何なる示唆を与えるものなのでしょうか。

 本稿では、まず、ケネーが如何なる時代背景の下で如何なる問題意識を抱いて『経済表』を作成したのか確認した上で、『経済表』が経済の循環をどのように描き出したのかを概観し、『経済表』から如何なる経済政策が導かれることになったのか、それが現在の日本経済に対して如何なる示唆を与えるものなのか、考察していくことにします。

(*)『経済表』は、国家経済の再生産過程を1枚の表に描き出した「経済表」と、それを解説した諸文書からなります。1枚ものの「経済表」は、「原表」(第1版→第2版→第3版)→「略表」→「範式」という3段階で発展していきます。1758年から1759年にかけてヴェルサイユ宮殿地下の印刷室でごく小部数印刷されたものとみられる原表は、「経済表」+「経済表の説明」+「シュリー公の王国経済要諦」の3部分から構成されたものでした。岩波文庫版の『経済表』には、「経済表」およびその付属文書のみならず、「経済表」の考え方を説明するために他の雑誌等に発表された論稿も収録されています。以下、「経済表」と表記した場合は「表」そのものを、『経済表』と表記した場合は「表」とその解説文書を含めたものを指すことにします。
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2014年07月10日

古代ギリシャの経済思想を問う(13/13)

(13)国民経済を再建し持続させていくことこそ最大の課題である

 前回は、本稿においてこれまで説いてきた流れを簡単に振り返ってみた上で、古代ギリシャの経済思想家たちの主張から、国家経済のあるべき姿について如何なる示唆を得ることができるのか、考えてみました。

 プラトン、クセノフォン、アリストテレスらの主張は、上からの統制の大切さが強く打ち出されている点においては、いささか一面的にすぎる嫌いがなくはないものの、ポリス解体期という時代背景と考え合わせるならば、国家経済とは何か、国家経済はどうあるべきものなのか、という問題について、重要な一側面を鋭く突いたものだと評価することができます。すなわち、社会的分業の秩序(人々の諸々の需要を、種類の点でも量の点でも充たすような供給が可能となるような社会的分業の秩序)こそが国家の成り立ちの根本であり、そうした秩序を維持していくためには、欲望の野放図な発展を(国家の健全な発展という観点から)適切にコントロールした上で、労働すべき者たちを労働用具と適切に結びつけ、その労働の成果として得られたものを適切に保存管理すると同時に適切に分配する(労働の成果に見合った報酬を公正に与えていく)ことにより、労働すべき者たちの労働意欲を継続的に喚起して国家の維持・発展という方向に沿って組織していかなければならない――私たちは、こうした国家経済の構造を、彼らの主張のなかに読み取っていくことが可能なのです。

 もちろん、古代ギリシャ経済と現代資本主義経済との間には決定的な差異があります。アリストテレスは、金銭的な儲けの際限のない獲得を目的とした取引を、共同体の秩序を破壊してしまうものとして否定しましたが、資本主義経済はまさに金銭的な儲けを際限なく獲得しようとする衝動によってこそ巨大な物質的生産力の発展を成し遂げ、国民レベルにおける文化的生活の向上を実現したのです。もし、アリストテレスの主張をそのまま持ってきて現代資本主義経済のあり方を否定しようとするならば、それは時代錯誤も甚だしい愚論であるといわねばならないでしょう。とはいえ、古代ギリシャ経済と現代資本主義経済との間の差異にばかり注目するわけにはいきません。人間と単細胞体が見かけの上でどれほど大きく異なっていようとも、生命体としての共通性に貫かれているのと同様に、古代ギリシャ経済と現代資本主義経済とは、見かけの上でどれほど大きく異なっていようとも、経済としての共通性に貫かれているのです。むしろ、高度に複雑化した現代資本主義経済に比較して、古代ギリシャの経済は比較的単純な構造を持っていただけに、その検討をつうじて、現代経済の複雑な構造の背後に隠された経済の本質を浮き彫りにすることも可能になってくるのです。それだけに、時代背景をしっかりと踏まえつつ彼らの著作を学ぶことは、現代における経済学の混迷した情況を打ち破っていく上で、大きな手掛かりとなるに違いないといえるのです。

 その意味で、プラトン、クセノフォン、アリストテレスらの主張の検討を通じて描かれた国家経済の構造――人々の諸々の需要を(種類の点でも量の点でも)充たす供給が可能となる社会的分業の秩序を維持していくために、欲望の野放図な発展を(国家の健全な発展という観点から)適切にコントロールするとともに、労働者たちに適切に働く場を提供して、労働の成果を適切に分配(再生産のための投資、および労働の成果に見合った公正な報酬)していくことで労働意欲を継続的に喚起していかなければならない――は、現代における国家経済の問題を考えていく上での確かな指針となりうるものだといえます。

 さらにいえば、こうしたごく一般的な観点に加えて、本稿の連載第1回および第2回で触れたような、古代ギリシャ経済と現代日本経済との意外な共通点という問題についても押さえておかなければなりません。それは、対外的な貿易を際限なく進めていくことで国内経済の自給自足的な構造を破壊していき、結果的に対外依存の度合いをますます高めていっている、ということです。

 もちろん、プラトンやアリストテレスらですら認めていたように、対外的な貿易を完全に排除してしまった上でもまともに文化的な国民生活が成り立つような国家は、この地球上に存在し得ないでしょう。その意味で貿易は必然的なものであり、それ自体として否定されるべきものではありません。しかし問題は、貿易した方が効率的だという考え方を極限にまで押し進めていったらどうなるのか、というところにあるのです。本稿の連載第1回でも触れたように、自由貿易の効率性という観点1本で押していくならば、ある国は工業には手を出さず農業に特化し、別のある国は工業に特化して農業には手を出さない方が効率的だ、という結論が導かれざるを得ません。しかし、これは、国民的文化の健全な発展という点でも、国家の安全保障という点でも、大きな問題を含んでいるのでした。

 とはいえ、分業ということでいえば、国家内の分業だろうが国家間の分業だろうが大差ないのではないか、そもそもプラトンの分業論は自由貿易の利点を説いた比較優位論そのものではないか、との意見もあるかもしれません。しかし、国家内の分業と国家間の分業を同一のものとみなすわけにはいかないのです。国家内の分業は、その生産物を如何に分配していくかということまで含めて最終的には国家権力によって統括され(所得の分配に不均等があれば適宜に是正することも可能となり)、一個の共同体(=協働体)としての再生産が可能になっていきます。これに対して、国家間の分業においてはこのような統括をなす上位の主体が存在しないのであって、世界経済の全体を1個の共同体(=協働体)としてみなすわけにはいきません。プラトンは1人では自給自足できない人間が自給自足的な生活を実現するためにこそ1個の共同体(=協働体)を形成するのだとしているのであって、共同体(=協働体)が自給自足を基本とするのはプラトンにおいては自明の理でした。

 とはいうものの、ある国家的共同体が他の国家的共同体との交渉をまったく欠いたままに存立できるわけではありません。先ほども触れた通り、対外貿易が必要なことはプラトンやアリストテレスですら認めていたのでした。一般的にいって、ある共同体は他共同体との相互浸透関係のなかでこそ発展していくことができます。経済的側面に絞っていえば、他共同体との接触によって新たな欲求が喚起され、それを満たすための労働のあり方が創出されていく、という形で発展がなされていくのです。その意味で、貿易関係は経済の発展にとって不可欠であるといえます。しかし、すべての命題は条件付きでのみ正しいのです。対外貿易の発展が、それなしには共同体の成員の生命維持すらままならない、というところにまで突き進んでしまうと、ちょっとしたきっかけだけで生活の生産・再生産の過程の進行が妨げられてしまうことにもなりかねないのです。

 個人の生き方(思想的発展)にたとえるならば、我流の見方に固執して他者の意見に耳を傾けないようでは発展性を持てないが、かといって無定見に他者の意見に左右されるだけでもいけないのだ、ということができるでしょう。しっかりと主体性を保ちながら他者の思想との相互浸透をはかっていくことが大切なのです(もちろん、相互浸透する相手が学ぶに値するレベルであることが大前提ですが)。一国の経済の発展ということを考えたとき、対外的な貿易というのはもちろん不可欠で大切な要素ではあるのですが、それは、生存の維持に最低限必要なものはそれなりに自給できるという土台を崩し去ってしまうものであってはならない、ということができます。もしそうなれば、安全保障上の重大な弱点となってしまい、国家の存亡を危うくすることでしょう。

 本稿の連載第1回でみたとおり、TPPなどの自由貿易を推進していこうという主張の背景には、日本は少子高齢化が進行して内需の拡大は期待できないから、国外の需要を取り込まなければ日本経済の持続的成長は不可能である、という経済情勢の把握があります。個々の企業の考え方としては当然のことであるともいえるでしょう。しかし、これは裏を返せば、海外市場で売れて儲かるのであれば国内市場で売れなくても構わない、ということでもあるのです。実際、日本経済団体連合会に結集しているような巨大企業の海外売上高比率は非常に高くなっています。2013年の海外売上高比率は、経団連前会長の米倉弘昌氏の出身企業である住友化学で57.6%、この6月3日に経団連新会長に就任した榊原定征氏の出身企業である東レでも50%に達しているのです。露骨にいえば、こうした海外売上高比率の高い大企業にとってみれば、日本の国内経済がどうなろうが大した問題ではありません。日本経団連が国の経済政策のあり方に大きな影響力を持っていることは、改めて説明するまでもないことでしょうが、ここから、外需を獲得しようと国外市場で奮闘する大企業を優遇する政策(いま大きな問題になっている法人税減税はその最たるものでしょう)が正当化される一方、消費税増税や社会保障解体など内需を押さえ込む政策の危険性が軽視されることになってしまうのです。

 端的にいえば、現代日本においては、国外市場で活動する大企業を支援するために、国内経済が犠牲にされているという構図がつくられてしまっているわけです。換言すれば、巨大多国籍企業の飽くなき利潤獲得への欲望に基づいた行動(まさにアリストテレスが非難したクレマテスティケーそのもの)が国民経済の安定を大きく損なっているのだといってもよいでしょう。こうした事態を打開するためには、巨大多国籍企業の飽くなき利潤獲得への欲望に歯止めをかけて、日本国内の労働者たちにきちんと働く場を与えていくこと、また労働の成果に見合った公正な分配の実現(税や社会保障による所得再分配政策もこうした課題に含まれます)によって労働意欲が継続的に喚起されるようにしていくこと、そうした結果として、(安易に輸入に頼らずに)国民の基礎的な需要についてはきちんと自給できるだけの供給が可能となるような社会的分業の秩序を維持・発展させていくことが大きな課題となるといえそうです。

 古代ギリシャの経済思想家たちによって現代日本に生きる私たちに示唆されているのは、以上のような方向性で健全な国民経済を再建し、持続させていくことではないでしょうか。

(了)
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2014年07月09日

古代ギリシャの経済思想を問う(12/13)

(12)欲求の無限の発展に歯止めをかけて共同体を維持することが眼目であった

 本稿は、ポリス社会の解体を何とか食い止めようとして展開された古代ギリシャの哲学者たちの思索のなかに、現代の経済情況について考えていく上でのヒントを見出していこうという問題意識から、プラトンの『国家』、クセノフォンの『オイコノミコス』、アリストテレスの『政治学』の3つの文献を取り上げて、古代ギリシャの経済思想について検討していくことを目的としたものでした。ここで、これまで説いてきた流れを簡単に振り返っておくことにしましょう。

 まず、プラトンの対話篇『国家(ポリテイア)――正義について』を取り上げ、そこに如何なる経済思想を見てとることができるのか、検討しました。そもそもこの『国家』は、個人主義的な風潮(ポリス全体の利害よりも個人の利害を上においてしまうような風潮)を否定し、個人のあらゆる意志や行動を国家的な目的に従属させて調和的な全体として統一すべきことを主張したものだといえます。この『国家』は、他のプラトンの対話篇と同じく、ソクラテス(=プラトン)と知人たちとの対話という形態になっており、あるべき国家の理想的姿を言論によって建設してみること、そしてまたその国家の建設過程を観察してみることを通じて、正義とは如何なるものかという問題について考察しようという流れになっています。より具体的には、ソクラテス(=プラトン)たちはまず、人間は諸々のモノを必要としながらもひとりでは自給自足できないというところに国家成立の根拠を見出し、ここを出発点にして言論による国家建設の作業を進めて、人々の多様な必要に応じて分業が発展し、対外的には貿易が行われるようになる(貿易商人が登場する)一方、対内的には市場が形成され貨幣が生み出され、小売商人が登場してくる(正確には、最後には賃銭取りが登場してくる)までの過程を観察したのでした。さらに、最低限の必要を超えた欲望の発展によって、諸々の新しい家具を作る職人、音楽文芸にたずさわる人々、婦人装飾品を作る職人、数多くの召使いたち、理髪師、料理人、肉屋・割烹人、豚飼い、医者……などが生じ、財貨の無際限な獲得に夢中になるあまり他国の領土をも侵略するところから必然的に戦争が引き起こされて、統治者と職業戦士が誕生する様子が観察されることになります。以上のような観察を踏まえた上で、ソクラテス(=プラトン)は、国家は守護者(統治者)によって〈知恵〉あるものとなり、補助者(職業戦士)によって〈勇気〉あるものとなるのであって、〈知恵〉が〈勇気〉を味方につけて人々(生産者大衆を含む人々)の諸々の欲望を適切にコントロールすることによって〈節制〉をわきまえたものとなる、そして、〈知恵〉〈勇気〉〈節制〉という3つの徳を成立させ、それを存続させるものこそ、「自分のことだけをして余計なことに手出しをしない」という〈正義〉なのである、と説いたのでした。このように、プラトンの『国家』には、社会的分業の秩序(人々の諸々の需要を、種類の点でも量の点でも充たすような供給が可能となるような社会的分業の秩序)こそ国家の成り立ちの根本である、という把握がみられたのでした。

 次いで、クセノフォンの対話篇『オイコノミコス』を取り上げ、そこに如何なる経済思想をみてとることができるのか、検討しました。そもそもこの『オイコノミコス』は、ペロポネソス戦争以降のアテネ社会においてポリス市民たちの独立自営農民としての堅実な生活様式が廃れてしまったことを強く憂い、個々のポリス市民が独立自営農民として安定した生活基盤を維持してこそポリス社会の健全な発展もありうるのだ、との強い思いから著されたのではないかと考えられるのでした。クセノフォンがソクラテスに語らせているところによれば、家政とは端的には、自分自身の家財をきちんと管理する技術のことです。ここで財産というのは、その人が所有する有用なもの(そこから利益を得ることができるもの)のことにほかなりませんでした。その財産管理の具体的なあり方は、ソクラテスがイスコマコスから聞いた話として語られます。端的には、最小の手段で最大の効果をあげるべく諸々の家具・備品をきちんと整理整頓してそれぞれをあるべき場所に配置するということであり、家の内外で労働すべき者をしっかりと労働させていくことであり、その成果である収穫物をしっかりと保存管理して必要なときに適切に分配していくことでした。家とは奴隷などの従属者をも含んだ一個の共同体(協働体)にほかならない、という観点からすれば、労働すべき者たちを労働用具と適切に結びつけ(整理整頓はまさにその目的のためです)、その労働によって得られた収穫物を適切に保存管理し、それを適切に分配する(労働の成果に見合った報酬を公正に与えていく)ことで、労働すべき者たちの労働意欲を継続的に喚起して家の維持・発展という方向に沿って組織していくことこそ、家政術の核心であるということができるのでした。

 続いて、アリストテレスが如何なる問題意識から『政治学』という著作を書くことになったのか、確認しました。端的には、この『政治学』は、最高善(=幸福)は個人のうちにおいては不可能であり、国家的生活においてのみ可能であるということを前提に、最高善(=幸福)を実現していくためには如何なる国家形態がふさわしいのか、考察していくことを目的としたものでした。このように、人間にとってのよい生活を実現する上で国家が不可欠な存在である(国家のなかでしかよい生活はありえない)とした点においては、アリストテレスは師プラトンと一致しています。しかし、プラトンの『国家』とアリストテレスの『政治学』とを比較してみるならば、両者の哲学の性格が異なるのに対応して、あるべき国家の姿を考察する方法には、大きな相違があるといえるのでした。すなわち、イデア論(生々流転する感覚的個物の背後に永遠不滅の真実在としてのイデアが存在する、という論)を唱えたプラトンが、理想的な国家を言論の上で建設してみる、という方法をとったのに対して、形相・質料の論(感覚的個物は、ヒューレー〔質料〕とエイドス〔形相〕と結びついたものであり、エイドスは個物に内在する、という論)を唱えたアリストテレスは、過去の諸々の論者(師プラトンを含む)による理想国家論を批判的に検討するとともに、現実のギリシャ世界における諸々のポリスの政治体制についての記録を比較検討してみる、という方法をとったのです。アリストテレスは、『政治学』の冒頭において、複数の家が集まって村が形成され、複数の村が集まって国家が形成されるとしていました。国家というのは、プラトンがそうあるべきだと説くような単一体ではなく、あくまでも諸個人および小さい諸共同体からなる複合体なのだというのが、アリストテレスの見解なのです。したがって、アリストテレスにおいては、人間の生活を完全なものにするという国家の使命は、個人や家的共同体の自立性を完全に奪ってしまうような形で行われてはならないのであり、国家的共同体の基礎的単位というべき家的共同体は、自らの所有する財産をしっかりと管理していくことによって存立すべきものだと考えられていたのでした。このような観点から、アリストテレスは、家政術について論じていました。そこでは、財産を獲得するための術が、生活にどうしても必要な財貨を獲得するのに必要な限りでのもの(自給自足を補完するためにやむをえないもの)と、金銭的な利益の獲得を目的としたもの(あるモノを自分が買ったよりも高い価格で他人に売る)とに分けて論じられ、前者は家政術に属するものとして肯定する一方、後者については悪しきものとして否定したのでした。一般の財への欲求に限度はあるが、貨幣への欲求に限度はないため、貨幣を増殖させるための交換を認めてしまうと、人間はよい生活を求めるどころか貨幣のために生きることになってしまう、というのがその理由です。

 以上、本稿でこれまで説いてきた流れを簡単に振り返ってみました。ここであらためて確認しておきたいのは、プラトンやアリストテレスらが以上でみてきたような経済思想を展開したのは、過度に外部に依存した経済(社会的総労働の配分)の限界が露わになってきていた時代であったのだ、ということです。彼らは、ポリス社会の衰退期にあって、いかにしてポリスの解体を食い止めるのかということを課題に据えて思索したのでした。

 彼らの経済思想についていえば、いずれも欲望の無限の発展性に歯止めをかけた上で、ポリスの自給自足的な構造を再建することを主張した点に共通性を見出すことができるといってよいでしょう。プラトンの描く理想国家では、(守護者層における)財産は共有制でしたし、貨幣の使用も禁止されるべきものとされていました。一方のアリストテレスは、国家(ポリス)は村の複合体であり村は家の複合体であるという把握(国家はプラトンの説くような国家は単一体ではあり得ない!)から、プラトンの財産共有制の主張については批判したものの、人間の善き生活の実現という観点から、家ができる限り自足的であるのが自然に適ったことだとして、クレマティスティケ(金銭的な儲けの獲得を目的とした交換)の禁止を主張したのでした。また、クセノフォンにおいては、ポリス市民の本来の生業であった農業経営における財産管理のあり方が直接に俎上に載せられていました。これは、国家的共同体の基礎単位たる家的共同体において、自足的なあり方を如何にして実現していくのかを問題にしたものにほかなりません。こうしたクセノフォンの議論においても、欲望の適切なコントロールこそが、適切な財産管理(自足的な家のあり方を実現していくこと)の大前提になることを主張していたのでした。

 彼らの主張は、上からの統制の大切さが強く打ち出されている点においていささか一面的にすぎる嫌いはあるものの、ポリス解体期という時代背景と考え合わせるならば、国家経済とは何か、国家経済はどうあるべきものなのか、という問題について、重要な一側面を鋭く突いたものだと評価しうるのではないでしょうか。すなわち、社会的分業の秩序(人々の諸々の需要を、種類の点でも量の点でも充たすような供給が可能となるような社会的分業の秩序)こそが国家の成り立ちの根本であり、そうした秩序を維持していくためには、欲望の野放図な発展を(国家の健全な発展という観点から)適切にコントロールした上で、労働すべき者たちを労働用具と適切に結びつけ、その労働の成果として得られたものを適切に保存管理すると同時に適切に分配する(労働の成果に見合った報酬を公正に与えていく)ことにより、労働すべき者たちの労働意欲を継続的に喚起して国家の維持・発展という方向に沿って組織していかなければならない――私たちは、こうした国家経済の構造を、彼らの主張のなかに読み取っていくことが可能なのではないかと考えられます。
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2014年07月08日

古代ギリシャの経済思想を問う(11/13)

(11)金銭的な儲けを目的とした交換を否定した

 前回は、アリストテレスが『政治学』の冒頭において、複数の家が集まって村が形成され、複数の村が集まって国家が形成されるとしていたこと、したがってまたアリストテレスにおいては、人間の生活を完全なものにするという国家の使命について、個人や家的共同体の自立性を完全に奪ってしまうような形で行われてはならないと考えられていたこと、国家的共同体の基礎的単位というべき家的共同体は、自らの所有する財産をしっかりと管理していくことによって存立すべきものだとされていたことを確認しました。

 こうして『政治学』では、家政術の問題が説かれていくことになるわけですが、ここで大きな問題となっているのが、財産を如何にして獲得するのかという獲得術(クテーチケー)の問題です。アリストテレスは、これを大きく2つの種類に分けて論じていくことになります。

 第一の種類は、自身の生活を維持していくのに必要な限りでの財貨を獲得するのための取財術(*)であり、具体的には農業や狩猟(奴隷狩りも含む)などが挙げられています。こうした術によって獲得される富は、あくまでも自分(の家的共同体に属する者たち)が使用するためのものですから、自ずと限界あるものだというのが、ここでの重要なポイントとなります。

 これに対して、第二の種類の獲得術(取財術)とはどのようなものなのでしょうか。その考察は、交換の発生という問題を論じるところから出発します。ここでまず言及されるのは、あらゆる物が「二つの用」を持っているという事情です。アリストテレスは次のように述べています。

「われわれが所有している物の何れにも二つの用がある。……例えば靴には靴としてはくという用と交換品としての用とがある。両者いずれも靴の用である。というのは、靴を欲するものに対して、貨幣或いは食糧と引き換えにそれを与える人でも、やはり靴を靴として用いるのだから。しかしそれは固有の用い方ではない。何故なら靴というものが存在するに至ったのは交換のためではないからである。」(岩波文庫『政治学』、pp.51−52)


 これは、商品(労働生産物)の使用価値および交換価値の区別に相当する内容について言及したものとして(もちろん、アリストテレス自身が「使用価値」「交換価値」という語を使っているわけではありませんが)、注目に値します。

 さて、アリストテレスは、交換という行為について、人間たちがあるものについては充分以上に持つが、また別のものについては充分以下にしか持っていない、という「自然に合致した事情から」(山本光雄訳『政治学』岩波文庫、p.54)、必然的に生じてくるものである、と説いています。つまり、交換という行為そのものは、もともと自然に適った生活の自立自足にとって不足するものを充たすためのものであったのであり、そういう意味においては、何ら非難すべきものではありません。交換は当初は、お互いに必要なものを直接に交換し合う物々交換でした。ところが、次第に交換の範囲が広がっていくと、交換を媒介するものとして、必然的に貨幣(ノミスマ)が考案されることになります(**)。こうなると、「必要やむを得ざる交換」とは別種の、商人的な取財術が生じてくるのです。これは、結局のところ、金銭の獲得を目指したものにほかならないのであって、その性格上、際限のない富の獲得へと人間を駆り立てていくものとなってしまいます。このような商人的な取財術について、アリストテレスは次のように述べています。

「それゆえに人々は富や取財術の別の定義を求めているが、これは正当である。何故なら自然にかなった取財術、自然にかなった富とは別なものだからである、そしてこれは家政術に属する、しかるに商人術は財を作るもの、それも凡ゆる仕方によってではなくて、ただ財の交換によってのみ作るものである。そうしてこれは貨幣に関係するものだと思われている、何故なら貨幣は交換の出発点であり、目的点でもあるからである。そしてさらに、この種の取財術から生ずる富には限りがないのである。……そしてその目的というのは間違った種類の富であり、財の獲得である、しかるに他方の家政術に属する取財術には限りがある、何故なら、この種の財を獲得することは家政術の仕事ではないからである。それ故にこの点からすれば、富には凡て限りがなくてはならぬように見える、しかし実際においてわれわれが見出すのはまるでその反対の事実である。何故なら財の獲得者は皆貨幣を無限に殖やすであろうから。」(同、p.54)


 このように、アリストテレスは、生活に必要な財貨を獲得するのに必要な限りでの交換については、自給自足を補完するためにやむをえないものとして認め、家政術(オイコノミケー)の一要素として肯定しました。しかし、利益を獲得することを目的としての交換(あるモノを自分が買ったよりも高い価格で他人に売る)については、商人術あるいは悪しき取財術(クレマテスティケー)であるとして、これを否定する態度をとったのでした。一般の財への欲求に限度はあるが、貨幣への欲求に限度はないため、貨幣を増殖させるための交換を認めてしまうと、人間は貨幣のために生きることになってしまうと考えたわけです。これは、最高善(=幸福)を実現する国制を探求しようとするアリストテレスにとっては、とても容認できないものでした。

 このように考えたアリストテレスにとっては、商品交換すら媒介せずに利子をとる貨幣の貸し付けは、絶対に認めることのできないものであったといえます。

「われわれが先に言ったように、取財術には二種あって、そのうち一つは商人術で、他の一つは家政術の一部であり、後者は必要欠くべからざるもので、賞賛せらるべきものであるが、前者は交換的なもので、非難せられて然るべきものである(何故ならそれは自然に合致したものではなくて、人間が相互から財を得るものだからである)、従って憎んでもっとも当然なのは高利貸である。それは彼の財が貨幣そのことのために作られた当のもの〔交換過程〕から得られるのではないということによる、何故なら貨幣は交換のために作られたものであるが、利子は貨幣を一そう多くするものだからである(ここからして利子という名も出てきたのである。何故なら生れたものそれ自らが生んだものに似ているからである、利子は貨幣の子たる貨幣として生れるのである)、従ってこれは取財術のうちで実は最も自然に反したものである。」(同、p.57)


 このようにアリストテレスは、貨幣の貸し付けによる利子の取得という行為を、「最も自然に反したもの」として激しく非難したのです。こうした利子の禁止という考え方は、その後、カトリック教会によって思想的に支配された中世ヨーロッパにおいても、長く継承されていくことになります。

 これまでみてきたアリストテレスの経済思想について、改めて簡単にまとめておくことにしましょう。アリストテレスは、個々の市民を家長とする家的共同体こそが国家的共同体の基礎単位であると位置づけた上で、それぞれの家的共同体が自らの所有する財産をしっかりと管理しながらできる限り自給自足的な生活を営むべきことを主張したのでした。もちろん、100%自給自足でなければならないというわけではなく、生活に必要なものを融通しあうという形での交換は容認されています。しかし、貨幣の獲得を目的とした交換については、悪しきものとして否定されるのです。それは、アリストテレスが、一般の財への欲求に限度があるのに対して貨幣への欲求に限度はないため、貨幣を増殖させるための交換を認めてしまうと人間は貨幣のために生きることになってしまうと考えたからにほかなりません。端的には、欲望を適切にコントロールしつつ可能な限り自給自足的なあり方を追求することによって、家的共同体ならびにその集合体としての国家的共同体の健全な維持発展を図っていこうというのが、アリストテレスの経済思想の核心であるといえます。

(*)『政治学』に登場する「取財術」という言葉については、財産獲得術一般に対して使われる場合と、財産獲得術のうち不健全なもの(利己的な金銭獲得術)を指して使われる場合とが混在しているようです。

(**)貨幣については『ニコマコス倫理学』においても突っ込んだ考察がなされており、貨幣が交換手段、価値尺度、価値貯蔵手段としての機能を持っていることにまで言及されています。また、「五台の寝台が一軒の家屋に替えられるということと、五台の寝台が一軒の家に値するということの間には全く差異がない」(岩波文庫『ニコマコス倫理学(上)』、p.246)と述べていることについて、マルクスは『資本論』の価値形態論において次のように述べて、極めて高い評価を与えています。

「アリストテレスは、まず第一に、商品の貨幣形態は簡単な価値形態の、すなわち、なにか任意の他の一商品による一商品の価値の表現の、いっそう発展した姿態にすぎないことを、はっきりと述べている。というのは、彼はこういっているからである。
  「5台の寝台=1軒の家」
ということは、
  「5台の寝台=これこれの額の貨幣」
というのと「区別されない」と。
 彼は、さらに、この価値表現が潜んでいる価値関係は、それはそれでまた、家が寝台に質的に等置されることを条件とすること、そして、これらの感性的に異なる諸物は、このような本質の同等性なしには、同じ単位で計量されうる量として、相互に関連しえないであろうということを、見抜いている。」(資本論翻訳委員会訳『資本論@』新日本出版社〔新書版〕、pp.103−104)
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2014年07月07日

古代ギリシャの経済思想を問う(10/13)

(10)国家的共同体を家的共同体の複合体として把握した

 前回は、アリストテレスが如何なる問題意識から『政治学』という著作を書くことになったのか、確認しました。端的には、この『政治学』は、最高善(=幸福)は個人のうちにおいては不可能であり、国家的生活においてのみ可能であるということを前提に、最高善(=幸福)を実現していくためには如何なる国家形態がふさわしいのか、という問題を考察していくことを目的としたものなのでした。このようにアリストテレスは、師プラトンと同様に、人間にとってのよい生活を実現する上で国家が不可欠な存在である(国家のなかでしかよい生活はありえない)と考えていたわけです。その背景として、当時のアテネ社会において、伝統的な慣習や価値観が大きく揺ぎ、私的な利害に基づいた個人主義的風潮が高まっていたことがあったことは間違いありません。アリストテレスもまた師プラトンと同じく、社会の荒廃を憂うるなかで人間として如何に生きることがよいことなのかを真剣に思索していったのであり、そうした思索の一環として、国家のあるべき姿について論ずる『政治学』が著されることになったわけなのでした。

 とはいえ、プラトンの『国家』とアリストテレスの『政治学』を比較してみると、両者の哲学の性格が異なるのに対応して、あるべき国家の姿を考察する方法には、大きな相違がありました。イデア論(生々流転する感覚的個物の背後に永遠不滅の真実在としてのイデアが存在する、という論)を唱えたプラトンが、理想的な国家を言論の上で建設してみる、という方法をとったのに対して、形相・質料の論(感覚的個物は、ヒューレー〔質料〕とエイドス〔形相〕と結びついたものであり、エイドスは個物に内在する、という論)を唱えたアリストテレスは、過去の諸々の論者(師プラトンを含む)による理想国家論を批判的に検討するとともに、現実のギリシャ世界における諸々のポリスの政治体制についての記録を比較検討してみる、という方法をとったのでした。このような方法によって、アリストテレスは、実現可能な最善形態としての国制を論じていくのです。

 それでは、このようなアリストテレスの現実主義的な国家論のなかに、私たちはどのような経済思想をみてとることができるのでしょうか。今回と次回の2回に渡っては、このような観点から、『政治学』における議論の内容をみていくことにしましょう。

 まず注目しておきたいのは、アリストテレスは国家のそもそもの成り立ちをどのように捉えていたのか、という問題です。この問題に関わってのアリストテレスの考え方が端的に現れているのが、『政治学』の冒頭の文章です。前回にも引用しましたが、非常に重要なものなので、改めて紹介しておきましょう。

「国は、現にわれわれが見る通り、いずれも或る種の共同体(コイノーニアー)である。そして共同体はいずれも或る種の善きものを目当に構成せられたものである(というのは凡ての人は善きものであると思われるもののために凡てのことを為すからである)。だから、共同体はいずれも或る種の善きものを目ざしているが、わけてもそれらのうち至高で、残りのものをことごとく包括している共同体は、〔その他の共同体にくらべて〕最も熱心に善きものを、しかも凡ての善きもののうちの至高のものを目ざしていることは明らかである。そしてその至高のものというのが世に謂う国、或は国的共同体なのである。」(山本光雄訳『政治学』岩波文庫、p.31)


 つまり、諸々の小さな共同体がより大きな共同体に包括されていき、それらがさらに大きな共同体に包括されていくという流れがあるのであって、その最高の到達点が国家という共同体にほかならないのだ、ということです。ここからは、アリストテレス哲学の全体を貫く基本的な発想――この世界に存在するあらゆる個物は、全て自己のうちにすでに1つの形相を持ちながらも、他のより高次の形相を目指して運動していく、という発想――が貫かれていることをみてとることができるでしょう。

 それでは、アリストテレスは、具体的にどのような共同体を包括していったものとして国家を捉えて考えているのでしょうか。アリストテレスは、次のように述べています。

「互に他なくしてはあり得ないものは、一対となるのが必然である、例えば男性と女性とが出産のために一対となるが如きである(そしてこのことは人の選択から起るものではなくて、他の動物や植物においてのように、自分のようなものを別に自分の後に遺そうと欲することが生来のものだからである)、また生来の支配者と被支配者とが両者の保全の為に一対になるが如きである。何故なれば心の働きによって予見することの出来る者は生来の支配者、生来の主人であるが、肉体の労力によって他の人が予見したことを為すことの出来る者は被支配者であり、生来の奴隷であるからである。だからして主人と奴隷とには同一のことが為になるのである。
……これら二つの共同体〔夫+妻という共同体、および主人+奴隷という共同体――引用者〕から先ず最初のものとして家が生じてくる……日々の用のために自然に即して構成せられた共同体が家であって、……日々のではない用のために一つ以上の家から先ず最初のものとして出来た共同体は村である。
……一つ以上の村から出来て完成した共同体が国である。これはもうほとんど完全な自足の限界に達しているものなのであって、なるほど、生活のために生じてくるのではあるが、しかし、善き生活のために存在するのである。それ故にすべての国は、もし最初の共同体も自然に存在するのであるならば、やはり自然に存在することになる、何故なら国はそれらの共同体の終極目的(テロス)であり、また自然が終極目的であるからである。何故なら生成がその終極に達した時に各事物があるところのもの――それをわれわれは各事物の、例えば人や馬や家の自然(ピュシス)といっているからである。さらに或る事物がそれのためにあるところのそれ、すなわち終極目的はまた最善のものである、しかし自足は終極目的であり、最善のものである。
 そこでこれらのことから明らかになるのは、国が自然にあるものの一つであるということ、また人間は自然に国的動物であるということ、また偶然によってではなく、自然によって国をなさぬものは劣悪な人間であるか、或は人間より優れた者であるかのいずれかであるということである」(同、pp.32-35)


 要するにアリストテレスは、まず〈夫と妻〉および〈主人と奴隷〉という関係を含んだものとして家という共同体が形成され(*)、これら家々が集まって村という共同体が形成されるのであって、最終的にはこれら村々が集まることによって国家という共同体が形成されるのだ、と説いているわけです。前回確認したアリストテレス哲学の基本用語を用いてまとめるならば、〈夫と妻〉〈主人と奴隷〉は家の質料(すなわち、これらは家の可能態)であり、これらにとっての形相であった家は村にとっての質料となり(現実態としての家は、村の可能態である)、さらにまた家にとっての形相であった村は国家にとっての質料となる(現実態としての村は国の可能態である)、ということです。端的には、諸々の共同体が、終極目的としての国家の形相を目指して発展的な運動を進めていく一連の過程が描かれているのだといってもよいでしょう。

 このようにアリストテレスは、複数の家が集まって村が形成され、複数の村が集まって国家が形成されるとしました。アリストテレスにおいては、家的共同体こそが国家的共同体の基礎的単位として明確に位置づけられることになります。本稿でこれまで説いてきた大きな流れを振り返ってみるならば、プラトンが国家的共同体における個人の独立性を完全に否定して全てが単一の全体として統一されることの重要性を説き、クセノフォンが国家的共同体の全体的なあり方を一応は視野の外において国家の最小構成単位たる家的共同体に焦点を当てた論を展開したのに対して、アリストテレスは両者を統合したような議論を展開しようとしているのだ、ということができます。

 アリストテレスによれば、人間の生活を完全なものにするという国家の使命は、個人や家族の自立性を完全に奪ってしまうような形で行われてはなりません。国家はプラトンがそうあるべきだと説くような単一体ではなく、あくまでも諸個人および小さい諸共同体からなる複合体なのだというのが、アリストテレスの見解です。ですからアリストテレスは、人間の生活を完全なものにするという国家の使命について、個人や家的共同体の自立性を完全に奪ってしまうような形で行われてはならないと考えているのであり、国家的共同体を構成する個々の市民は家的共同体を統括する家長にほかならないことが明確に打ち出されるわけです。このようなアリストテレスの議論においては、プラトンによる財産共有制の主張が批判されることになります。アリストテレスによれば、国家的共同体の基礎的単位というべき家的共同体は、自らの所有する財産をしっかりと管理していくことによって存立すべきものだとされ、そのような観点から家政術の問題が説かれていくことになるのです。

(*)家的共同体を構成する要素(関係)としては、すぐ後で〈父と子〉が加えられ、合計3つになります。ちなみに、アダム・スミスは『法学講義』で家族法を論じるにあたって、「われわれは、家族のなかに存在する三重の関係を、考察しなければならない。これらはすなわち、夫と妻、親と子、主人と召使のあいだの関係である」(水田洋訳『法学講義』岩波文庫、p.131)と述べており、アリストテレスの『政治学』が2000年以上後の時代にも大きな影響力を持っていたことが分かります。
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2014年07月06日

古代ギリシャの経済思想を問う(9/13)

(9)『政治学』は如何なる問題意識によって書かれたのか

 本稿は、ポリス社会の解体を何とか食い止めようとして展開された古代ギリシャの哲学者たちの思索のなかに、現代の経済情況について考えていく上でのヒントを見出していこうという問題意識から、プラトンの『国家』、クセノフォンの『オイコノミコス』、アリストテレスの『政治学』の3つの文献を取り上げて、古代ギリシャの経済思想について検討していくことを目的としたものです。

 前回までの3回に渡っては、クセノフォンの対話篇『オイコノミコス』を取り上げ、そこに如何なる経済思想を見てとることができるのか、検討してきました。そもそもこの『オイコノミコス』は、ペロポネソス戦争以降のアテネ社会においてポリス市民たちの独立自営農民としての堅実な生活様式が廃れてしまったことを強く憂い、個々のポリス市民が独立自営農民として安定した生活基盤を維持してこそポリス社会の健全な発展もありうるのだ、との強い思いから著されたのではないかと考えられるのでした。クセノフォンがソクラテスに語らせているところによれば、家政とは端的には、自分自身の家財をきちんと管理する技術のことです。ここで財産というのは、その人が所有する有用なもの(そこから利益を得ることができるもの)のことにほかなりませんでした。その財産管理の具体的なあり方は、ソクラテスがイスコマコスから聞いた話として語られます。端的には、最小の手段で最大の効果をあげるべく諸々の家具・備品をきちんと整理整頓してそれぞれをあるべき場所に配置するということであり、家の内外で労働すべき者をしっかりと労働させていくことであり、その成果である収穫物をしっかりと保存管理して必要なときに適切に分配していかなければならない、ということでした。家とは奴隷などの従属者をも含んだ一個の共同体(協働体)にほかならない、という観点からすれば、労働すべき者たちを労働用具と適切に結びつけ(整理整頓はまさにその目的のためである)、その労働によって得られた収穫物を適切に保存管理し、それを適切に分配する(労働の成果に見合った報酬を公正に与えていく)ことで、労働すべき者たちの労働意欲を継続的に喚起して家の維持・発展という方向に沿って組織していくことこそ家政術の核心である、ということができるのでした。

 さて、今回から3回に渡っては、アリストテレスの『政治学』について取り上げることにします。その第1回目となる今回は、アリストテレスが如何なる問題意識から『政治学』という著作を書くことになったのか、その背景を簡単に確認しておくことにしましょう。

 アリストテレス(紀元前384年-紀元前322年)は、トラキアのギリシャ植民市スタゲイラに生れました。父はマケドニア王アミュンタスの侍医を務めていました。幼い頃に両親を失った彼は、17歳(前367年)でアテネへ行ってプラトンが主宰する学園アカデメイアに入門し、プラトンの死まで20年間その教えを受けることになりました。プラトンの死後は、小アジアのアタルネオス市の僭主ヘルミアスのところに行き、前343年には、マケドニア王フィリッポスに招かれて、当時13歳であった王子アレクサンドロスの教育を担当することになりました。アレクサンドロスがペルシャ遠征の途についたとき、アリストテレスはアテネへ戻り(前335年)、学園リュケイオンを開設して多くの弟子をとって教えました。アリストテレスが樹陰の散歩路(ペリパトイ)を逍遥しながら講義したことにちなんで、彼の学派はペリパトス学派と呼ばれるようになりました。アリストテレスは13年間アテネで教えていましたが、アレクサンドロスの死後、アテネ人によって神を冒涜したかどで告訴されたためにアテネを逃れ、前322年にエウボイアのカルキスで亡くなりました。

 アリストテレスは、後世「万学の祖」と称されるように、論理学、自然学、形而上学(第一哲学)、倫理学、政治学、文学など、広範な領域に渡って膨大な著作を遺しています。彼の哲学の特徴としては、一般的に、多様な現象の背後にある永遠不滅の真実在(イデア)に目を向けようとした師プラトンに対して、多様な現象そのもの、現実に存在する個々の物に目を向けることを志向したのだ、と説明されています。もう少し詳しく確認しておきましょう。

 アリストテレスは、師プラトンのイデア論を継承しながらも、イデアが個々の具体的な物とは別個に(全く別の世界に)実在するとした考えについては批判し、イデアと区別してエイドス(形相)とヒュレー(質料)という2つの根本的な規定を提唱しました。プラトンのイデアは個物から離れて存在しますが、アリストテレスのエイドス(形相)は具体的な個物のなかに、質料と結びついた形でしか実在しえないものです。家を例にとれば、質料は木材であり、形相は家の形をつくるものです。質料と形相との対立は固定したものではなく、ある関係において質料であるものも、他の関係においては形相となることがあります。例えば、材木は出来上がった家に対しては質料ですが、切られていない木に対しては形相となるのです。こうした質料と形相との関係は、論理的には可能態(デュナミス)と現実態(エネルゲイア)との関係として捉えられます。すなわち、家の質料である材木は可能態における家ではありますが、まだ現実的な家ではなく、ただ自己のなかに一定の家を形成すべき可能性を持っているにすぎません。この材木によって一定の家が建築されるとき、それが家の現実態となります。このような見地からすれば、この世界に存在するあらゆる個物は、全て自己のうちにすでに1つの形相を持ちながらも、他のより高次の形相を目指して運動していく(例えば、材木は材木としての形相を持ちながらも、より高次の家の形相を目指して運動していく)、ということになります。このような考え方を推し進めていくと、この世界の全ての存在は、少しも形相を含まない「第一質料」を最下段とし、少しも質料を含まない「第一形相」を頂点とする、1つの階段をなしているはずだということになるでしょう。

 このようにアリストテレスは、この世界の全ての存在はより高次の形相を求めて運動するものであり、したがって究極的には「第一形相」を目指して運動するものだ、という観点を打ち出しているわけです。こうした観点からアリストテレスは、人間の行為について、全ての行為は目的を持つ(善きものを目指している)が、あらゆる目的そのものがまた他の目的の手段に過ぎないのだから、それ自身のために追求される(すなわち、自足的な)最高善というものがなければならない、と論じています。アリストテレスによれば、この最高善こそ幸福にほかなりません(*)。そして、この最高善は国家においてこそ実現されるのです。『政治学』の冒頭において、アリストテレスは次のように述べています。

「国は、現にわれわれが見る通り、いずれも或る種の共同体(コイノーニアー)である。そして共同体はいずれも或る種の善きものを目当に構成せられたものである(というのは凡ての人は善きものであると思われるもののために凡てのことを為すからである)。だから、共同体はいずれも或る種の善きものを目ざしているが、わけてもそれらのうち至高で、残りのものをことごとく包括している共同体は、〔その他の共同体にくらべて〕最も熱心に善きものを、しかも凡ての善きもののうちの至高のものを目ざしていることは明らかである。そしてその至高のものというのが世に謂う国、或は国的共同体なのである。」(山本光雄訳『政治学』岩波文庫、p.31)


 端的には、あらゆる共同体はある種の善きものを目的に構成されているのであるから、あらゆる共同体を包括する最高の共同体、すなわち国家こそが、最高善(=幸福)を実現するための共同体にほかならないのだ、というわけです。このような観点から、最高善(=幸福)の実現にとって望ましい国家形態について論じていくことが、この『政治学』という著作の目的となっているわけです。

 このように、幸福を実現する上で国家が果たす役割を重視する点においては、アリストテレスは師プラトンと一致しています。アリストテレスが、国家による幸福の実現という観点から論を展開した背景として、ポリス社会の荒廃という現実があったことは否定しようのないことでしょう。ポリス社会が荒廃し伝統的な慣習や価値観が大きく揺らいでいるなかで、人間として如何に生きることがよいことなのかという問題意識から、人間の幸福を保証する国家のあり方を探求したという点においては、この『政治学』は師プラトンの『国家』と共通するものがあるといえます。

 ただし、両者の哲学の性格が異なるのに対応して、あるべき国家の姿を考察する方法には、大きな相違があるようにも思われます。端的には、プラトンが、理想的な国家を言論の上で建設してみる、という方法をとったのに対して、アリストテレスは、過去の諸々の論者(師プラトンを含む)による理想国家論を批判的に検討するとともに、現実のギリシャ世界における諸々のポリスで如何なる政治体制が行われているのか、たくさんの事例を集めて比較検討してみる、という方法をとりました(そもそもアリストテレスは、弟子たちとともに、158のギリシャのポリスの政治体制について記録していたともいわれています)。このような方法によって、アリストテレスは、実現可能な最善形態としての国制を論じていくのです。

(*)アリストテレスのいわゆる幸福について、通常の哲学史の概説書では以下のように説明されています。

「幸福な生活とは決して単に快楽をえることにあるのではなく、人間が人間としてよく生きることであり、それは結局理性をもっていきることである。すなわち、自己の行為を理性によって意識的に導いてゆく生き方である。」(岩崎武雄『西洋哲学史(改訂版)』有斐閣、p.63)
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2014年07月05日

古代ギリシャの経済思想を問う(8/13)

(8)労働者の育成および指揮の大切さを強調

 前回は、クセノフォン『オイコノミコス』の第1章から第9章にかけて、家政や財産の定義、家財の整理整頓の意義について語られていることについてみてきました。

 今回からは、第10章以降をみていくことにしましょう。第10章は女主人のあるべき生活態度が、第11章はイスコマコス自身の生活原則がテーマとなっています。ここで注目すべきなのは、イスコマコスが、自分の3つの願い――健康と体力、社会的な名誉、富――をバラバラに捉えるのではなく、相互に連関しあったものとして、相乗的に発展していくものとして把握していることです。要するに、徳と富とが相乗的に発展しうるものとして把握されているわけで、プラトンが徳と富とを敵対的な関係において把握しようとしていたことと比べると、非常に興味深いものがあります。

 さて、続く第12章では、イスコマコスが雇っている耕作地の監督たちについて話題が及びます。ソクラテスは、イスコマコスに、畑の監督者が必要な場合、最初からその任に適した能力をもった人を探してくるのか、それともイスコマコス自身が教育して監督にするのか、と問います。イスコマコスは、もちろん自分で教育するのだ、と答えます。ソクラテスは、教育して監督にするのであれば、まず君と君の所有物に対して善意を持つようにすることが大前提になるだろう(善意がなければ管理についての何らかの知識があっても無益である)として、そのための教育方法を問います。これに対してイスコマコスは、「天の恵みで、たくさんの善き物を得たときには、必ず彼に報酬を与えるということによって」と答えます。つまり、イスコマコスの財産によって恩恵を受けるのであれば自ずとイスコマコスとその財産に好意をもつようになるだろう、これこそ忠誠心を育むためのもっとも有効な方法であろう、というわけです。さらにイスコマコスは、主人に対して好意を持つということと主人の財産に対する管理能力があるということは別のことではないか、というソクラテスの問いかけに対して、監督にしたいと思う者たちにはもちろん配慮するということを教えるのだ、と答えます。ただし、大酒飲み、眠りすぎる者、恋に溺れてしまう者、金銭欲に引かれやすい者に対しては配慮することを教えるのは不可能であるとします。それでは、そうでない人たちにはどのようにして配慮することを教えるのか、というソクラテスの問いに対して、イソクラテスは、よく気配りをしていると思った者については褒めて褒美を与える一方、怠けている者については厳しく叱責し罰を与える、という単純なことによってである、と答えるのです。

 耕作監督の育成については、次の第13章でも引き続き検討されます。まず、ソクラテスは、ある男に配慮を教えこめばそれでもう監督になれるのか、それともまだ何かほかに学ぶことがあるのか、と問います。イスコマコスは、何時どんなふうにそれをするかというノウハウと、働く者たちに指図することとを学ぶ必要があると答えます。この後者のことについてソクラテスは、どのようにして指揮者にふさわしい人を育成するのか、と問います。イスコマコスは、奴隷たちに服従することを学ばせるには、彼らの胃袋からの欲求あるいは賞賛にたいする欲求を満足させてやるのがよい、ということを監督にしたい者たちに教える、また、彼らを助けてやるために、彼らの下で働いているものたちに支給する衣服や履物について、よく働く者たちには上質のものを、怠けている者にはより劣ったものを与えるようにして、それぞれの労に報いるようにするのだ、と答えます。このことに関わって、イスコマコスは次のように述べています。

「僕の考えでは、ソクラテス、よく働く者たちがやる気をなくすのは、仕事を成し遂げたのは彼等自身なのに、一方で、苦労もせず、必要な危険も冒さない者たちが、彼等と同じ物を得るのを見たときなのです。
 だから、僕自身、勤勉な労働者が怠惰な者たちと同じ物を得るなんてことは認めません。畑の監督がよりすぐれている農奴により良い物を分配するのを見た時には彼を褒めたたえますが、その一方、ある者がお世辞とか、何か他の無益な計らいによって気に入られるのを見た時には、躊躇せず叱責して、そのような事は彼のためにならないということを教えるのです、ソクラテス」(越前谷悦子訳『オイコノミコス』リーベル出版、pp.109-110)


 ここには、労働する意欲に関わっての重要な把握があるといってよいでしょう。端的には、労働する意欲が喚起されるのは、労働することによってこそそれに見合った効用を獲得することが期待されるからである、ということにほかなりません。ここでイスコマコスが指摘しているように、労働しなくても報酬が得られるとか、その逆に労働してもまともに報酬がえられないとかであれば、人々の労働する意欲は減退していかざるをえないのです。さて、続いての第14章においては、誠実であり公正であることが耕作監督にとって必要な条件であることが確認され、第12章からなされてきた耕作監督の育成にかかわっての話題は一応ここで終了することになります。

 第15章から第20章にかけては、イスコマコスがソクラテスに問いを投げかけ、それに答えさせることを繰り返すことを通じて、諸々の農業技術について明らかにしていくとともに、その技術を使用する上での注意点についても言及されていくことになるのですが、本稿ではその説明は割愛します。本稿の問題意識から注目したいのは、この『オイコノミコス』の最後の章となる第21章です。ここでは、指揮の仕方一般の大切さが語られることになります。この著作全体の内容を総括する位置にある重要な章であると考えられますから、その核心的な部分を、少し長くなりますが、引用しておくことにしましょう。

 イスコマコスは言った、
「ええ、全くそうです。そこで、ソクラテス、農業でも、政治でも、家政や戦争でも、すべての事柄に共通なのは、指揮の仕方であるということなのですが、それについては、指揮官の才覚によってある集団と他の集団の間に大きな差が生じるというあなたの意見に賛成です」
 彼(イスコマコス)は言った、
「例えば、三段オール船で沖に出て、海を越えて丸一日の航海をしなければならない時、漕ぎ手の頭達のある者は、声を掛け、指図して、漕ぎ手達が発奮し、意欲的に漕ぎ通すようにすることが出来ますが、他の頭達は、そのような事を考えもしないで、同じ航路を倍以上の時間をかけて終えるのです。一方の船団は発奮させるものとそれに従う者達とが、共に汗を流して健闘を称え合い上陸しますが、他の人達は汗も流さず目的地に着きますが、漕ぎ手達と彼等の頭はお互いに嫌いあっているのです」
 彼(イスコマコス)は続けた、
「それに、こうした点では、将軍達の間にもそれぞれ違いがあります。つまり、ある将軍達は彼等の兵士達を、苦労を嫌い、危険に身をさらしたくない者にしてしまう、兵士達は止むを得ない場合以外、命令に従うことを良い事と思わず、従おうともせず、逆に指揮官に反抗することを得意に思っているのです。これらの指揮官達は、不名誉な事態が起きても、恥を恥と思わない兵士達を作っているのです。
 これに対して、神のごとく、すぐれた指揮官はこの種の兵士達を指揮する術を心得ていて、しばしば他の兵士達の教育も引き受け、彼等兵士達が何か恥ずべきことをすることを恥じるように、服従することはより良いことなのだと考えるように、個人としても全体としても服従するということに誇りを持つように、苦労に耐えなければならない時には自ら進んでそうするように指導するのです。……
 このように、付き従う者達をその気にさせる指揮官というのは、強いけれども、体力的には兵士達の中で、決して最強ではなく、最も上手に槍を投げたり、弓を射たりする者でもなく、最もすぐれた騎手でもありません。また、最良の騎兵や歩兵達のように危険に身を晒すわけでもありません。でも、兵士達の心の中に戦火や危険を物ともせず、彼についてゆかなければならないという気持ちを起こさせることが出来るのです。
 このような指揮官達こそ、まさに、偉大と言われるのに相応しい人々であり、多くの兵士達は同じ思いで彼等に付き従うのです。彼等指揮官達が剛腕と共に進軍すると言われているのも当然でしょう、彼等の人格を慕って多くの兵士達が手を貸そうとしているからです。ですから武勇によってよりむしろ、人格によって大勝利を得ることの出来るような指揮官こそ本当に偉大なのです。
 同じ事は、私的な事柄にもいえます。人が管理人や監督者の立場にある時、人々にやる気を起こさせ、仕事に対する熱意と勤勉さをもつようにさせることの出来る人は、人々を善い事へと導き、豊かにするのです……」(越前谷悦子訳『オイコノミコス』リーベル出版、pp.159-161)


 ここではまず、「農業でも、政治でも、家政や戦争でも、すべての事柄に共通なのは、指揮の仕方である」ということが確認されています。これは、論理的にいうならば、あらゆる社会的な活動(協働)について、それがまともになされていくためには、その活動に参加する人々をしっかりと1つの目的にそって統括していく機能が必要であることを示しているといえるでしょう。ここでイスコマコスが特に問題にしているのは、このような統括の機能を担うべき立場にある人(指揮官など)に求められる資質についてです。イスコマコスの主張の要点は、引用の一番最後のところ、すなわち、「人が管理人や監督者の立場にある時、人々にやる気を起こさせ、仕事に対する熱意と勤勉さをもつようにさせることの出来る人は、人々を善い事へと導き、豊かにするのです」というところに尽きるといってよいでしょう。要するに、協働を統括する立場にある人は、人々を無理やりに力ずくでしたがわせるのではなく、人々の心のなかにやる気を起こさせるようでなければならぬ、ということです。論理的にいえば、ゲバルト(Gewalt)レベルの統括ではなく、マハト(Macht)レベルの統括ができなければならぬ、ということになるでしょう。

 このことを踏まえて、『オイコノミコス』におけるそもそもの対象である家政について、改めて考えておくことにしましょう。そもそも家政とは、家の内の諸々のもの(者・物)の配置(運動)をしっかり統括していくための技術にほかならず、イスコマコスは妻にその統括者の地位を与えていたのでした。その妻の果たすべき役割の筆頭に挙げられていたのは、家の内外において労働すべき者をしっかりと労働させることです。第21章で展開されたイスコマコスの指揮の仕方についての主張を踏まえていうならば、家の内外において労働すべき者を無理やりに労働させるのではなく、それらの人々にやる気を起こさせ、仕事に対する熱意と勤勉さを持つようにさせることこそ、イスコマコス(=クセノフォン)の説く家政術の真髄にほかならないのです。
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 ・2011年9月例会報告:加藤幸信論文・村田洋一論文読書会
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論3 マルクス「唯物論的歴史観」なるものの評価について
 ・三浦つとむさん宅を訪問して
 ・TPP―-オバマ大統領の歓心を買うために交渉参加するのか
 ・続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2011年10月例会報告:滋賀地酒の祭典参加
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論4不破哲三氏のエンゲルス批判について
 ・2011年11月例会報告:悠季真理「古代ギリシャの学問とは何か」読書会
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論5ケインズ経済学の歴史的意義について
 ・一会員による『綜合看護』2011年4号の感想
 ・『美味しんぼ』から何を学ぶべきか
 ・2011年12月例会報告:悠季真理「古代ギリシャ哲学、その学び方への招待」読書会
 ・年頭言:「大和魂」創出を志して、2012年に何をなすべきか
 ・消費税はどういう税金か
 ・心理療法におけるリフレーミングとは何か
 ・2012年1月例会報告:悠季真理「古代ギリシャ哲学,その学び方への招待」読書会
 ・バッハ「マタイ受難曲」の構造を解く
 ・2012年2月例会報告:科学史の全体像について
 ・『弁証法はどういう科学か』の要約をどのように行っているか
 ・一会員による『綜合看護』2012年1号の感想
 ・橋下教育基本条例案を問う
 ・吉本隆明さん逝去に寄せて
 ・2012年3月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第1章〜第4章
 ・科学者列伝:古代ギリシャ編
 ・2年目教師としての一年間を実践記録で振り返る
 ・2012年4月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第5章〜第6章
 ・科学者列伝:ヘレニズム・ローマ・イスラム編
 ・簡約版・消費税はどういう税金か
 ・一会員による『新・頭脳の科学(上巻)』の感想
 ・新人教師のもつ若さの意義を説く
 ・2012年5月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第7章
 ・科学者列伝:西欧中世編
 ・アダム・スミス『道徳感情論』を読む
 ・2012年6月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第8章
 ・科学者列伝:近代科学の開始編
 ・ブログ更新2周年にあたって
 ・古代ギリシアにおける学問の誕生を問う
 ・一会員による『綜合看護』2012年2号の感想
 ・クセノフォン『オイコノミコス』を読む
 ・2012年7月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第9章
 ・科学者列伝:17世紀の科学編
 ・一会員による『新・頭脳の科学(下巻)』の感想
 ・消費税増税実施の是非を問う
 ・原田メソッドの教育学的意味を問う
 ・2012年8月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第10章
 ・科学者列伝:18世紀の科学編
 ・一会員による『綜合看護』2012年3号の感想
 ・経済学を誕生させた経済の発展とはどういうものだったのか
 ・2012年9月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第11章
 ・人類の歴史における論理的認識の創出・使用の過程を問う
 ・長縄跳びの取り組み
 ・国家の生成発展の過程を問う――滝村隆一『マルクス主義国家論』から学ぶ
 ・三浦つとむの言語過程説から言語の本質を問う
 ・2012年10月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第11章
 ・科学者列伝:19世紀の自然科学編
 ・古代から17世紀までの科学の歴史――シュテーリヒ『西洋科学史』要約で概観する
 ・2012年11月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第12章前半
 ・2012年12月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第12章後半
 ・科学者列伝:19世紀の精神科学編
 ・年頭言:混迷の時代が求める学問の確立をめざして
 ・科学はどのように発展してきたのか
 ・一会員による『学城』第9号の感想
 ・一会員による『綜合看護』2012年4号の感想
 ・2013年1月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』を読む前提としての世界歴史の全体像
 ・歴史観の歴史を問う
 ・2013年2月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』をどのように読んでいくべきか
 ・『三浦つとむ意志論集』を読む
 ・言語学の構築に向けてどのように研究を進めるのか
 ・一会員による『綜合看護』2013年1号の感想
 ・改訂版・新大学生に説く「大学で何をどう学ぶか」
 ・2013年3月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』序論(前半)を読む
 ・3年目教師としての1年間を実践記録で振り返る
 ・2013年4月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』序論(後半)を読む
 ・新自由主義における「自由」を問う
 ・2013年5月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第一部 東洋の世界(前半)を読む
 ・三浦つとむ「マルクス・レーニン主義に関する本質的な質問」から学ぶ
 ・言語は歴史的にどのように創出されたのか
 ・一会員による『綜合看護』2013年2号の感想
 ・ヒュームの提起した問題にカント、スミスはどのように答えたか
 ・2013年6月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』東洋の世界(後半)を読む
 ・一会員による2013年上半期の振り返り
 ・認知療法における問いの意義を問う
 ・カント歴史哲学へのアダム・スミスの影響を考える
 ・2013年7月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』ギリシアの世界を読む
 ・2013年8月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第三部 ローマの世界を読む
 ・アダム・スミスの哲学体系の全体像を問う
 ・一会員による『綜合看護』2013年3号の感想
 ・初任者に説く学級経営の基本
 ・カウンセリング上達過程における事例検討の意義
 ・文法家列伝:古代ギリシャ編
 ・ヒューム『政治論集』抄訳
 ・2013年9月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第四部 ゲルマンの世界を読む
 ・言語過程説から言語学史を問う
 ・2013年10月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』「第4部 ゲルマンの世界」第2篇を読む
 ・戦後日本の学力論の流れを概観する
 ・一会員による『育児の生理学』の感想
 ・文法家列伝:古代ローマ・中世編
 ・2013年11月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第4部 ゲルマンの世界 第3篇を読む
 ・古代ギリシャ経済の歴史を概観する
 ・2013年12月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』のまとめ
 ・ヘルバルト教育学の全体像を概観する
 ・年頭言:歴史を切り拓く学問の創出を目指して
 ・歴史的な岐路に立つ世界と日本を問う
 ・一会員による『綜合看護』2013年4号の感想
 ・一会員による2013年の振り返りと2014年の展望
 ・ヘーゲル『歴史哲学』を読む
 ・2014年1月例会報告:学問(哲学)の歴史の全体像について
 ・一会員による『学城』第10号の感想
 ・世界歴史の流れを概観する
 ・現代の言語道具説批判――言語規範とは何か
 ・2014年2月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第3〜11章
 ・ヘルバルト『一般教育学』を読む
 ・新大学生へ説く「大学で何をどのように学んでいくべきか」
 ・2014年3月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第12〜14章
 ・三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』学習会を振り返る
 ・『育児の認識学』は三浦認識論をいかに発展させたか――一会員による『育児の認識学』の感想
 ・2014年4月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第15〜19章
 ・4年目教師としての1年間を実践記録で振りかえる
 ・文法家列伝:『ポール・ロワイヤル文法』編
 ・2014年5月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第20〜26章
 ・道徳教育の観点から見る古代ギリシャの教育と教育思想
 ・古代ギリシャの経済思想を問う
 ・半年間の育児を振り返る
 ・2014年6月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第27〜33章
 ・現代の言語道具説批判・補論――「言語道具説批判」に欠けたるものとは
 ・心理士が医学から学ぶこと――一会員による『医学教育 概論(1)』の感想
 ・アダム・スミス「天文学史」を読む
 ・現代の言語道具説批判2――言語道具説とは何か
 ・2014年7月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第34〜38章
 ・道徳教育の観点から見る中世の教育と教育思想
 ・もう一人の自分を育てる心理療法
 ・2014年8月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第39〜40章
 ・アダム・スミス「外部感覚論」を読む
 ・文法家列伝:ジョン・ロック編
 ・一会員による『学城』第11号の感想
 ・夏目漱石を読む@――坊っちゃん、吾輩は猫である、草枕
 ・2014年9月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第41〜43章
 ・ルソーとカントの道徳教育思想を概観する
 ・アダム・スミスは『修辞学・文学講義』で何を論じたか
 ・全てを強烈な目的意識に収斂させる――一会員による『医学教育概論の実践』の感想
 ・2014年10月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第44〜45章
 ・精神障害の弁証法的分類へ向けた試み
 ・シュリーマン『古代への情熱』から何を学ぶか
 ・2014年11月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第46章
 ・一年間の育児を振り返る
 ・近代ドイツにおける教育学の流れを概観する
 ・2014年12月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』のまとめ
 ・年頭言:弁証法・認識論を武器に学問の新たな段階を切り開く
 ・「戦後70年」を迎える日本をどうみるか
 ・哲学の歴史の流れを概観する
 ・『ビリギャル』から何を学ぶべきか
 ・必要な事実を取り出すとは――一会員による『医学教育 概論(2)』の感想
 ・2015年1月例会報告:南郷継正「武道哲学講義X」
 ・夏目漱石を読むA――二百十日、野分、虞美人草、坑夫
 ・アダム・スミスは古代ギリシャ哲学史から何を学んだのか
 ・マインドフルネスを認識論的に説く
 ・道徳思想の歴史を概観する
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部の要約
 ・弁証法的に学ぶとはいかなることか――一会員による『医学教育 概論(3)』の感想
 ・一会員による『学城』第1号の感想
 ・新大学生への訴え
 ・2015年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論A
 ・心理職の国家資格化を問う
 ・5年目教師としての1年間を実践記録で振り返る
 ・文法家列伝:時枝誠記編
 ・2015年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論B、C、東洋哲学
 ・夏目漱石を読むB――三四郎、それから、門
 ・臨床心理学のあるべき姿を考える――一会員による『医学教育 概論(4)』の感想
 ・アダム・スミス「模倣芸術論」を読む
 ・デューイの教育論の歴史的な意義を問う―『学校と社会』を通して
 ・2015年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ギリシア哲学史の序論、イオニア派の哲学、ピュタゴラスとピュタゴラス派
 ・高木彬光『邪馬台国の秘密』を認識論から読み解く
 ・一会員による『学城』第12号の感想
 ・2015年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エレア派〜ヘラクレイトス
 ・何故言語学の創出が必要か―一会員による2015年上半期の振り返り
 ・事実と論理ののぼりおり――一会員による『医学教育 概論(5)』の感想
 ・夏目漱石を読むC――彼岸過迄、行人、こころ
 ・2015年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エムペドクレス〜アナクサゴラス
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(上)
 ・デューイ教育論の歴史的意義を問う―『民主主義と教育』をとおして
 ・2015年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソフィスト派・ソクラテス
 ・アダム・スミス『法学講義』を読む
 ・学問上達論とは何か――一会員による『哲学・論理学研究(1)』の感想
 ・2015年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソクラテス派、プラトン
 ・庄司和晃追悼論文―庄司和晃の歩みはいかなるもので、何を成し遂げたか
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部第4章の要約
 ・一会員による『学城』第2号の感想
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(下)
 ・夏目漱石を読むD――道草、明暗
 ・2015年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』プラトン 弁証法、自然哲学、精神の哲学
 ・ナイチンゲール看護論を心理臨床に活かす――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(1)』の感想
 ・文法家列伝:時枝誠記編(補論)
 ・英語教育改革を問う―『英語化は愚民化』書評―
 ・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
 ・2年間の育児を振り返る
 ・2015年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学)
 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
 ・ケネー『経済表』を読む
 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言