2015年02月25日

マインドフルネスを認識論的に説く(3/5)

(3)自分の認識=像を客観的に眺める

 前回は,「注意」ということに着目して,マインドフルネスを認識論的に検討しました。そうすると,マインドフルネスとは,端的には,問いかけの矛先を「今,ここ」のニュートラルな対象に向けることによって,観念的な世界で活動していた「もう一人の自分」を現実の世界へ移動させることを意味するのだということが分かりました。また,そのことによって,観念的な世界で体験したことに伴うネガティブな感情を軽減する効果があるのだ,ということも指摘しました。

 さて今回は,別の側面からマインドフルネスを認識論的に考察したいと思います。そこでもう一度,第1回に引用した,日本マインドフルネス学会による定義を読んでいただきます。

「本学会では,マインドフルネスを,“今,この瞬間の体験に意図的に意識を向け,評価をせずに,とらわれのない状態で,ただ観ること” と定義する。

 なお,“観る”は,見る,聞く,嗅ぐ,味わう,触れる,さらにそれらによって生じる心の働きをも観る,という意味である。」(http://mindfulness.jp.net/concept.html


 今回は,この引用文にある「“観る”は,見る,聞く,嗅ぐ,味わう,触れる,さらにそれらによって生じる心の働きをも観る,という意味である」の後半部分,すなわち,「心の働きをも観る」というところを検討したいと思います。

 まず,上記のことを説く前提として,マインドフルネスと対極にある「自動操縦状態」と呼ばれる状態について説明します。あえて自動操縦状態を定義すると,「心が過去や未来にさまよっており,無意識的にそこにとらわれて,何らかの評価をしている状態」であり,「無意識的・自動的に何かをやっているために,『今,ここ』で起こっていることに気づいていない状態」ということになります。たとえば,昨日やらかしてしまった仕事での大失敗について,くよくよ考えている状態がそうです。心が昨日,すなわち過去にさまよっています。現実の自分は「今,ここ」にいるにもかかわらず,観念的に二重化した「もう一人の自分」は,昨日の職場の世界に移行しており,その中で昨日の出来事を追体験しているわけです。これは意識的に「思い出そう」と意図して,思い出していることではありません。無意識的に,自動的に思い出してしまうのです。今現在,何かしなければならないことがあったとしても,心は過去の失敗にとらわれてしまっており,心ここにあらずで,今の仕事も手につかない状態になっているでしょう。そしてその過去の失敗について,「自分はなんて無力だ」とか,「ああすればよかったのに…」とかいうように,評価を下していることだと思います。このように,認識が過去や未来の世界に巻き込まれて,心と体があたかも自動的に操縦されているかのように無意識的に動いていており,「今,ここ」で起こっていることに気づいていない状態を,自動操縦状態と呼ぶわけです。

 これに対して,「今,ここ」で起こっていることを,自分の身体感覚の変化や心の変化をも含めて,気づいている状態,そしてそれをいいとか悪いとか評価せずに,ただただ観察している状態をマインドフルネスというのでした。ですから,マインドフルネスとは,巻き込まれている自動操縦状態に気づき,そこから脱出して,「今,ここ」の対象に問いかけの焦点を向けることによって,観念的に二重化していた世界から現実の世界へと「もう一人の自分」を移動させることを意味するのです。

 さて,以上を踏まえた上で,「“観る”は,見る,聞く,嗅ぐ,味わう,触れる,さらにそれらによって生じる心の働きをも観る,という意味である」の後半部分にある「心の働きをも観る」ということについて,考えていきましょう。これは端的にいうと,自分の認識を対象化して(客観視して),認識を認識として眺める,ということです。少し説明します。

 たとえば呼吸のマインドフルネスの実践中は,呼吸に注意を向け続けることが求められます。しかし,心はさまようものですから,勝手に雑念が湧いてくることになります。しばらくはその雑念に巻き込まれて,呼吸から注意がそれたことにも気づかないでいることでしょう。それがふとした拍子にハッとして,今余計なことを考えていたこと,言いかえるなら,反映像ではない,創造した像を描いていたことに気づくことになります。これこそが,自分の認識を対象化して(客観視して),認識を認識として眺めるということなのです。

 前回も少し紹介した,うつ病の再発予防を目的とするマインドフルネス認知療法では,これを「脱中心化」(decentering)や「距離を置くこと」(distancing)と呼んで,うつの再発を予防する重要なメカニズムであると捉えています。どういうことかというと,自分が思い浮かべているネガティブな考えや感情に巻き込まれて自動操縦状態になっているとき,その考えや感情に気づき,そこから離れることによって,うつの悪循環から抜け出して,再発が予防できる,ということなのです。

 これを認識論的に説くと,ネガティブな認識=像を描き,その観念的に二重化した世界で「もう一人の自分」が活動している状態から,その描いている認識=像を対象化して,それを客観的に眺めるような立場に「もう一人の自分」を移動させる,ということになります。「対象化」というのは,自分の認識にとって対象となるということですから,いわば距離がとれるのです。観念的に二重化して,観念的な世界で「もう一人の自分」が活動している状態のときは,いわば距離がゼロです。その世界に巻き込まれているのですから。ところが,自分が描いている認識=像に気づくというのは,それを対象化しなければできないわけで,対象化したということは,すなわち,そこから距離がとれた,ということなのです。

 少しまとめてみましょう。日本マインドフルネス学会の定義にある「心の働きをも観る」ということは,観念的に二重化して,自らが創った観念的な世界で「もう一人の自分」が活動している状態ではなくて,そういった世界も「もう一人の自分」も,自分が勝手に創り出した認識=像にすぎないのだと気づくことなのです。認識=像も,呼吸や歩行に伴う身体感覚の変化や,食べるときに生じる口の中の変化と同様に,時々刻々と変化しているのであり,その変化を客観的に眺めるということこそが,「心の働きをも観る」ということなのです。

 すなわち,自分の認識=像も,実は,呼吸や歩行に伴う身体感覚や,口の中のレーズンと同様,「今,ここ」にある一対象にすぎないわけです。その「今,ここ」にある対象を,あるがままに観察し続け,いいとか悪いとかの判断を下さないことこそが,マインドフルな状態といえるのです。

 呼吸や歩行,あるいはレーズンなどに問いかけの矛先を向けて,ずっと反映し続けていると,逆に,雑念が湧いたとき,すなわち,反映像以外の創造した像を描いたとき,すぐに気づくようになっていきます。初めは雑念に巻き込まれて,しばらく観念的な世界にとどまっていることが多いですが,マインドフルネスの訓練を継続していくと,すぐに観念的な世界に入り込んだことに気づき,そこから脱することができるようになるのです。そうなるとまた,自分の認識を認識として,あるがままに眺める力もついてきます。すなわち,始めはそれと意識できないことが多いのですが,徐々に,自分の認識を客観的な対象として捉えることができるようになっていくのです。いわば,自分の心をより鮮明に捉えることができる実力がついていくのです。こういったことも,マインドフルネスの一つの効果ということができるでしょう。
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2015年02月24日

マインドフルネスを認識論的に説く(2/5)

(2)問いかけの矛先を変えてもう一人の自分を移動させる

 本稿は,近年,心理療法の世界でブームとなっている「マインドフルネス」と呼ばれる瞑想由来の技法を取り上げ,それを認識論的に説くことを目的としています。

 今回は,いわゆる「注意」と呼ばれる認識のプロセスに着目して,これを認識論的に解明してみたいと思います。

 前回紹介したように,マインドフルネスのトレーニングでは,呼吸や歩行に伴う身体感覚であったり,レーズンであったり,特定の対象に注意を向け続けるように求められます。これは認識論的にいうと,どういうことになるのでしょうか。

 端的に結論を言ってしまうと,これは,問いかけの矛先を変えることによって,「もう一人の自分」を移動させている,ということになります。これだけではよく分からないと思いますので,一つずつ,詳しく説明します。

 まず,「注意」と呼ばれるものを検討しましょう。注意とは,認識論的には「問いかけ」ということになります。ですから,呼吸に注意を向けるということは,問いかけの矛先を呼吸に向けるということです。そもそも人間の認識は問いかけ的反映であり,問いかけたものしか反映しません。したがって,ふだん,呼吸に問いかけていない状態では,呼吸を反映することはなく,自分が呼吸をしていることを意識することもないのです。ところが,風邪をひいて鼻が詰まっている時とか,部屋の中が乾燥していて喉が痛くなってきた時とかは,自然と鼻やのどに問いかけの矛先が向きますので,呼吸していることが意識されるようになります。問いかけたために,呼吸が反映してきたのです。

 マインドフルネスの訓練では,意図的に,呼吸や歩行に注意を向ける,問いかけの矛先を向けるわけです。そうすると,ふだんは反映していないような呼吸・歩行に伴う身体感覚の変化が,しっかりと反映するようになります。呼吸・歩行に伴う身体感覚というのは,「今,ここ」で起こっていることですから,「今,ここ」に存在する対象が反映されて,像が描かれるわけです。端的にいうと,「今,ここ」の対象についての反映像が描かれるということです。

 食べるマインドフルネスの場合も同様です。一粒のレーズンをゆっくりと味わうこの訓練では,「今,ここ」に存在するレーズンに注意を向け続け,レーズンを食べることによって生じる口の中の変化に気づくように求められます。これも端的には,「今,ここ」の対象についての像を描き続ける,ということです。

 他方,抑うつ気分がある時とか,不安を感じている時とかは,どのような認識=像を描いているのでしょうか。一般的には,過去や未来についてネガティブなことを考えていることが多いといえます。たとえば,昨日の仕事の失敗のことを後悔して,あれこれ考えたり,1週間後の大切なプレゼンのことを考えて,失敗しないための対策を考えたりしています。これは心が過去や未来にさまよっている状態といってもいいでしょう。認識論的には,現実の自分は「今,ここ」にいるものの,観念的に二重化した「もう一人の自分」は,過去の世界や未来の世界にいて,その世界で物事を見て,その世界の中で活動している,ということを意味しています。そして,過去や未来の世界で失敗を体験するために,抑うつ気分や不安といったネガティブな感情が生じてくるのです。

 このようなネガティブな感情を感じているときに,マインドフルネスを実践すると,認識はどのように変化するでしょうか。まず問いかけの矛先が変わります。過去や未来の観念的な世界の中の対象に向いていた問いかけの矛先が,現実の世界の「今,ここ」にある対象に向けられます。問いかけが変わるのですから,当然に,反映してくるものも異なるようになり,その結果,描かれる像もそれに伴う感情も変化するということになります。

 「もう一人の自分」という観点から,もう少し詳しく考察してみましょう。ネガティブな感情を感じている当初は,「もう一人の自分」は観念的な世界に対峙しており,その観念的な世界の中で活動しています。たとえば,過去の世界に対峙して昨日の失敗を追体験していたり,未来の世界に入り込んで1週間後のプレゼンを予め,頭の中で体験していたりするわけです。それが,マインドフルネスを実践することによって「今,ここ」の対象に問いかけの矛先を変えると,「もう一人の自分」は現実の世界に復帰することになります。このように,マインドフルネスを実践することは,「もう一人の自分」という観点で考察すると,「もう一人の自分」が観念的な世界から現実の世界へと,場所を移動することである,ということもいえるわけです。

 このように認識論的にいうと,マインドフルネスとは,問いかけの矛先を変えることによって,「もう一人の自分」を移動させている,ということになるのです。それもまずは問いかけの矛先を,呼吸や歩行のような「今,ここ」のニュートラルな対象に向けて,この「もう一人の自分」の移動を行うわけです。「今,ここ」のニュートラルな対象を反映し続けることができれば,いわば反映像しか描かない状態が持続できるのであり,抑うつ気分や不安を伴う観念的二重化像を描かなくなります。これによって,抑うつや不安というネガティブな感情を軽減することが可能となるのです。

 このようにいうと,「うつ病で抑うつ気分が非常に強い場合や,ある種の不安障害で不安が非常に強い場合は,「今,ここ」の対象に注意を向けろといっても,集中力がもたずに,すぐに自分の気にしている観念的二重化像を描いたしまうのではないですか?」という疑問が出されるかもしれません。まさにおっしゃる通りです。うつ病や不安障害の方が,いきなりマインドフルネスを実践して,すぐに効果があがるということはありません。ですから,マインドフルネスのトレーニングでは,基本的に,もっと易しいところから訓練を始めます。

 典型的なものとしては,うつ病に対するマインドフルネス認知療法というものがありますので,少し紹介します。これは,うつがひどいときに実施するのではなく,うつ病の寛解期,すなわち,うつがよくなった時期に,再発予防のために行うものです。こういったときに,たとえば呼吸のマインドフルネスをすると,呼吸に注意を向け続けようとするのですが,どうしても雑念が湧いてきます。この雑念は,うつ病の時期の抑うつ気分とか,不安障害のときの不安とかと比べると,ごく弱いもので,それほど強くその人を支配することはありません。すなわち,雑念が湧いたときに,そのことに気づいて,また呼吸に注意を戻すことは,それほど難しいことではないのです。しかし,雑念というのは観念的に二重化して,観念的な世界を創り,その中で「もう一人の自分」が活動しているという点では,うつや不安のときと同じような認識であるといえるのです。ですから,このような易しいレベルでマインドフルネスの練習を行っていくことによって,観念的に二重化した状態から脱して,「今,ここ」の対象に問いかけ,反映像を描き続けるという実力を徐々に徐々に養っていくのです。このような訓練を継続することによって,うつ病が再発しそうな時の抑うつ気分からも脱出できて,再発を防止できるような力をつけていくことが可能となるのです。

 以上のように,マインドフルネスというのは,問いかけの矛先を「今,ここ」のニュートラルな対象に向けることによって,観念的な世界で活動していた「もう一人の自分」を現実の世界へ移動させることを意味するのであり,そのことによって,観念的な世界で体験したことに伴うネガティブな感情を軽減する効果があるのだ,ということなのです。
 
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2015年02月23日

マインドフルネスを認識論的に説く(1/5)

目次

(1)今流行のマインドフルネスの意義とは
(2)問いかけの矛先を変えてもう一人の自分を移動させる
(3)自分の認識=像を客観的に眺める
(4)技化の解除を図ることができる
(5)マインドフルネスは認識のコントロール法の1つである

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(1)今流行のマインドフルネスの意義とは

 近年,心理療法の世界では「マインドフルネス」と呼ばれる技法がブームになっています。これは,禅宗の瞑想法に由来するもので,アメリカで少し前から一大ムーブメントとなっていましたが,日本でも,いわば逆輸入された形で話題になっているといってもいいでしょう。

 どのくらいのムーブになっているのか,少し紹介します。Amazonの書名検索で「マインドフルネス」を検索すると,この原稿を書いている1月末時点で,日本語の書籍に関しては,2011年12月以前には8件しかヒットしませんが,2012年1月以降の条件にすると,31件ヒットします。"mindfulness"で検索して英語の書籍を調べると,2011年12月以前は197件で,それ以降は355件です。欧米で流行し始めたものですので,英語の書籍は2011年以前でもたくさん出版されていますが,それでもここ3年くらいは,さらに勢いを増して出版が続いていることが分かります。また,日本では,本当にここ3年ほどで急速に流行りだし,年10冊ペースで関連本の出版が続いている状況です。たとえば,『不安・恐れ・心配から自由になるマインドフルネス・ワークブック』『うつのためのマインドフルネス実践』『4枚組のCDで実践する マインドフルネス瞑想ガイド』のような翻訳本が多いですが,『うつ・不安障害を治すマインドフルネス』『マインドフルネス入門講義』のような,日本人の手になるものも出版されています。

 新聞記事でも,以下のようなものがありました。

「流行を読む 「米IT,研修に禅導入」

 グーグルやインテルなど,IT業界を中心に,米国の企業が仏教の「瞑想(めいそう)」を社員研修に導入する事例が相次いでいる。

 瞑想はストレスの軽減や,集中力の強化に役立つとされてきたが,最近は新しいリーダーシップの条件と言われる「EI(エモーショナル・インテリジェンス)」を高める人材開発効果に注目が集まっている。EIは自分や他者の感情を理解して,管理,活用する能力を指す。「情動知能」とも訳されるが,仏教の「慈悲」や「思いやり」を企業的に定義したと考えると分かりやすい。
 グーグルは,瞑想をEI向上のツールとして宗教と切り離し,「SIY(Search Inside Yourself=自分の内を検索せよ)」を開発した。新たな組織文化を築くため「英知と思いやりに満ちたリーダーを世界に増やす」として非営利団体を設立し,SIYを社外展開している。10月に日本で初めて一般向けに開催された2日間のセミナーは,13万5千円のチケットが開催5カ月前に完売したという。

 SIYの基盤は「今,ここ」に集中して平安を得る禅の「マインドフルネス」瞑想にある。自分と周囲をありのまま観察し,評価や判断を下さず共感をもって受け入れる。

 この瞑想を提唱するのがベトナム生まれの禅僧,ティク・ナット・ハン師だ。グーグルは2011年に,初めてハン師を本社に招き,感謝とともにゆっくり味わう「食べる瞑想」や,一歩一歩を意識する「歩く瞑想」を研修として実施,その後も頻繁に師を招いている。現在は世界銀行などもハン師を招くようになったという。日本では来年5月,ハン師を招いて講演会などが開催される。

 ティク・ナット・ハン2015来日招聘(しょうへい)委員会の大類隆博さんは「呼吸に気づき,苦しみに優しくほほ笑んで下さい」と説くハン師の瞑想に触れ,仕事への姿勢が変わったと話す。持続可能な発展を模索する時代に,東洋の知恵が輝きだしている。

川崎由香利(ジャーナリスト)」(2014.10.17日経産業新聞)


 ここでは,マインドフルネス瞑想の人材開発効果に着目して,グーグルが自社製のセミナーを日本でも開いて大盛況だった旨が紹介されています。このように,マインドフルネスは,心理療法の世界のみならず,有名企業が注目するまでの大流行となっているのです。

 では,マインドフルネスとはいったいどのようなもので,どのようなことを行うのでしょうか。そしてこの瞑想法には,どのような効果があるのでしょうか。2013 年12月に発足した日本マインドフルネス学会のサイトでは,マインドフルネスを以下のように定義しています。

「本学会では,マインドフルネスを,“今,この瞬間の体験に意図的に意識を向け,評価をせずに,とらわれのない状態で,ただ観ること” と定義する。

 なお,“観る”は,見る,聞く,嗅ぐ,味わう,触れる,さらにそれらによって生じる心の働きをも観る,という意味である。」(http://mindfulness.jp.net/concept.html


 これだけではどういうことなのか,分からないと思いますので,具体的なやり方とともに説明します。

 たとえば,「呼吸のマインドフルネス」と呼ばれるやり方があります。これは,自分の呼吸に意図的に意識を向け続けるという実践です。お腹が出たりへっこんだりする,あるいは,鼻の穴に空気が入ってきて,またそこから出ていく,といったような,呼吸に伴う今この瞬間の身体感覚の変化に注意を向けて,良いとか悪いとか評価せずに,それをただただ観察するのです。もちろん,ずっと呼吸に意識を向け続けることは難しく,何らかの雑念が湧くことになります。たとえば,「昨日の仕事は失敗したなあ」とか,「来週のイベントは,嫌だなあ」とかです。これは,心が過去や未来にさまよったことを意味しています。この場合,心がさまよったことになるべく早く気づいて,また元の呼吸へと,優しく注意を戻すことが求められます。このようなことを延々とくり返すのが呼吸のマインドフルネスです。

 他に,「歩くマインドフルネス」と呼ばれるものもあります。これは,非常にゆっくり歩きながら,歩いている体験に意図的に意識を向け続けるというものです。もう少し具体的には,片足をゆっくり上げるときの重心の移動に注意を向け続け,その後,足が地面から離れる感覚,足を前に運んでいる感覚,足が地面に着く感覚,そしてまた重心が次第に移っていく感覚に注意を向け続けるのです。この時も,雑念が湧いたら,そのことに気づき,優しく注意を今この瞬間の体験に戻します。

 「食べるマインドフルネス」もよく使われる技法です。これはたとえば,一粒のレーズンを,非常にゆっくり,30分くらいはかけて食べるという実践です。まず手の平にレーズンを乗せて,ゆっくりと観察します。まるで初めて見るものであるかのように,好奇心をもって詳しく調べるのです。親指と人差し指でつまんで,その感触も感じます。鼻の前にもってきて,その香りも味わいます。そして口の中に入れるのですが,当初は噛まずに,ただ舌の上に置いておき,その感覚や口の中の変化をを感じ続けるのです。そして歯の間にもってきて,一度,ゆっくりと噛みます。その時の口の中の変化にも注意を向けます。その後はゆっくりと噛み続け,レーズンに意識を向け続けるのです。最後に,飲み込もうとする直前に,「飲み込みたい」という意志というか衝動というか,そのような心の変化が生じることにも気づきます。そして飲み込み,レーズンがのどを通って胃の中に落ちていくのを感じます。

 以上のような実践の具体例で,“今,この瞬間の体験に意図的に意識を向け,評価をせずに,とらわれのない状態で,ただ観ること”というマインドフルネスの定義はある程度理解していただけたのではないかと思います。

 このマインドフルネスは,もともと,慢性疼痛に伴うストレスを低減する方法として治療の中に導入されました。それが,境界性パーソナリティ障害の方の衝動性を制御する方法として,またうつ病の再発を予防する方法として,さらには,不安や怒りなどの感情をコントロールする方法として,心理療法の中に次々にとり入れられていったのです。そして,これは確かに効果があるということで,現在のような一大ブームが起きているのです。

 では,このようなマインドフルネスが,なぜ心理療法として効果があがっているのでしょうか。本稿はこの問題を,認識論的に解明する試みです。筆者自身もマインドフルネスの瞑想をかれこれ7年くらい実践していますし,クライエントさんに使い始めてからも5年ほど経っています。そのような実践の成果も踏まえて,マインドフルネスを認識論的に説いていきたいと考えています。
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2015年02月17日

夏目漱石を読むA――二百十日、野分、虞美人草、坑夫(4/4)

(4)『坑夫』――人間の心は移ろいやすいもの

 漱石読書会の第7回に取り上げた作品は、『坑夫』(1908〔明治41〕年、元旦から4月6日まで、「朝日新聞」に連載)でした。これは、『虞美人草』の小野さんを思わせる恋愛事件(三角関係のもつれ)の結果、家出を余儀なくされた青年(名前は明らかではありません)が、ポン引きの長蔵さんに誘われるまま坑夫として働くことを承諾し、鉱山(足尾銅山がモデルとされます)へ向かう、といった筋書きになっています。

 総論的には、前作『虞美人草』の対極にある作品(『虞美人草』の限界を踏まえ、あえて全く逆の方向を模索した作品)といえるのではないか、との感想が出されました。職業作家としての第一作であった『虞美人草』は、登場人物の造形にしろ物語の筋立てにしろ、力が入りすぎた感は否めませんでした。登場人物の性格は確固として明瞭であり、様式美を感じさせるほどに勧善懲悪の筋が鮮明でした。これに対して『坑夫』は、明瞭な筋らしい筋がなく(時間の経過にしたがって出来事を淡々と書き連ねているだけ、といった印象)、人間の心は変わりやすいもので纏まった性格などないのだということが、随所で強調されています。この主人公の独白について、小説ではなく事実だ、と繰り返し強調されているのは、如何にも物語らしく拵え上げた当時の諸々の小説なるものへの批判であるのはもちろん、漱石自身の前作『虞美人草』の硬直(わざとらしさ)への反省が込められたものとして受け止めるべきではないか、ということでした。そのような意味で、これは、小説としての出来栄えを云々するよりも、漱石文学の発展過程における必然的な経過点として捉えるべき作品であろう、ということになりました。かなり硬直的であった『虞美人草』に対して、徹底的に型を崩した、流動的そのものといってよいような『坑夫』を書くことによってこそ、『三四郎』以降の発展への道が切り拓かれたのではないか、ということです。

 この『坑夫』の思想的な内容については、これまでの作品とちょっと違った印象を受けた、との感想が出されました。これまでの作品では西欧文明の輸入による新しい日本社会と、古き良き日本社会の対立を軸として描かれていたように思うが、この『坑夫』ではあまりそのような図式が当てはまらないように感じた、というわけです。こうした感想に対しては、明治時代の日本人が浅薄な文明化を否定して新たな道を模索しようとする際の苦悩が、坑夫になろうとした(しかし結局はなりきれなかった)主人公の苦難の道行きによって象徴的に描かれている作品なのではないか、という意見も出されました。

 これらの感想・意見に対しては、上流階層の坊っちゃんが社会の底辺たる坑夫になろうとするという設定そのものが、漱石の社会への見方、ハッキリいえば、社会的格差への批判的な眼差しを表わしていると捉えるべきではないか、との意見が出されました。『坑夫』の主人公は、『虞美人草』の小野さんを思わせる恋愛事件(三角関係)の結果、明るい社会にいられなくなり、暗い方へ暗い方へと向かっていきます。主人公には当初、上流階層の自分は赤毛布や小僧(主人公と同じく、ポン引きの長蔵さんに坑夫にならないかと誘われる若者たち)などとは全く別物だ、という意識(優越感、自負)が強烈にありました。坑夫に対しても相当に軽蔑的な視線が感じられます。しかし、実際に坑夫の世界に投げ込まれ、坑夫たちとの様々な交流を行うなかで、そうした意識は次第に解体されていくのです。決定的な箇所として、健康診断の結果を親方に報告しに行く場面での主人公の以下のような独白が指摘されました。

「坑夫は世の中で、もっとも穢ないものと感じていたが、かように万物を色の変化と見ると、穢ないも穢なくないもある段じゃない。……例の通り長屋から、坑夫が頬杖を突いて、自分を見下している。さっきまではあれほど厭に見えた顔がまるで土細工の人形の首のように思われる。醜くも、怖くも、憎らしくもない。ただの顔である。日本一の美人の顔がただの顔であるごとく、坑夫の顔もただの顔である。そう云う自分も骨と肉で出来たただの人間である。意味も何もない。」


 自分も坑夫も日本一の美人もただの人間だ、ということで、世間一般で通用しているような価値観を全く無化してしまうような、ある意味、悟りきったような境地に達した、ということでしょう。そういう観点からすれば、鉱山に向かう道中、主人公が長蔵さんから受け取った芋に対して「芋中の穢多」だとの感想を抱く箇所(岩波文庫版、p.79)を伏字にしてしまうのは、坑夫は穢いものと蔑視していた主人公の考え方がガラガラと崩壊していくことの効果(先に引用した場面では「穢」という字が多用されています)を弱めてしまうことになるのではないか、との指摘もなされました。同様の見解(漱石は「穢多」という差別語をあえて取り込んだ上でそれを見事に解体している)は岩波文庫版の解説(紅野謙介)でも述べられていますが、これはなかなか鋭い指摘ではないか、やはりここは伏字にしないほうがよい(そのほうが漱石の本来の意図を汲むことになる)のではないか、との感想も出されました。

 認識論的に興味深かったところとしては、長蔵さんが赤毛布を誘う場面が挙げられました。これは、主人公の自負心、優越感が崩壊していく決定的な場面のひとつといえます。

「彼れはこの酒、めし、御肴の裏から飛び出した若い男を捕まえて、第二世の自分であるごとく、全く同じ調子と、同じ態度と、同じ言語と、もっと立ち入って云えば、同じ熱心の程度をもって、同じく坑夫になれと勧誘している。それを自分はなぜだか少々怪しからんように考えた。その意味を今から説明して見ると、ざっとこんな訳なんだろう。――
 坑夫は長蔵さんの云うごとくすこぶる結構な家業だとは、常識を質に入れた当時の自分にももっともと思いようがなかった。まず牛から馬、馬から坑夫という位の順だから、坑夫になるのは不名誉だと心得ていた。自慢にゃならないと覚っていた。だから坑夫の候補者が自分ばかりと思いのほか突然居酒屋の入口から赤毛布になって、あらわれようとも別段神経を悩ますほどの大事件じゃないくらいは分りきってる。しかしこの赤毛布の取扱方が全然自分と同様であると、同様であると云う点に不平があるよりも、自分は全然赤毛布と一般な人間であると云う気になっちまう。取扱方の同様なのを延き伸ばして行くと、つまり取り扱われるものが同様だからと云う妙な結論に到着してくる。自分はふらふらとそこへ到着していたと見える。長蔵さんが働かないかと談判しているのは赤毛布で、赤毛布はすなわち自分である。何だか他人が赤毛布を着て立ってるようには思われない。自分の魂が、自分を置き去りにして、赤毛布の中に飛び込んで、そうして長蔵さんから坑夫になれと談じつけられている。そこで、どうも情けなくなっちまった。自分が直接に長蔵さんと応対している間は、人格も何も忘れているんだが、自分が赤毛布になって、君儲かるんだぜと説得されている体裁を、自分が傍へ立って見た日には方なしである。自分ははたしてこんなものかと、少しく興を醒まして赤毛布を、つらつら観察していた。」


 「自分」が長蔵さんに誘われたとき、ある意味で、「自分」は認められたのだし、認められるだけの人間だと思っていたのだといえます。長蔵さんに誘われている自分の様子を客観的に見ることができなかったわけです。ところが、今、赤毛布が自分と全く同じように誘われている場面を見て、その時の自分を客観的な視点から眺めさせられることになり、自分の思っていたことは勘違いにすぎなかったのだということを強烈に分からされたのだ、ということでしょう。

(続)
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2015年02月16日

夏目漱石を読むA――二百十日、野分、虞美人草、坑夫(3/4)

(3)『虞美人草』――職業作家としての第一作

 漱石読書会の第6回に取り上げた作品は、『虞美人草』(1907〔明治40〕年、「朝日新聞」に連載)でした。これは、漱石の職業作家としての第一作です。この作品では、貧しい境遇から何とか抜け出して上を目指そうとする青年を中心に2人の若い女性を配した三角関係の問題が軸になっています。より具体的には、大学卒行時に恩賜の銀時計を賜ったほどの秀才・小野さんは、恩師の娘・小夜子との間に(暗黙のうちに)結婚の約束があったにもかかわらず、傲慢で虚栄心の強い美女・藤尾にひかれているのです。この三角関係に、藤尾の兄である甲野さん、その友人・宗近君などが絡んできます。ちなみに、作中で甲野さんは「哲学者」と呼ばれており、金力や権力の支配する社会関係を超然と眺める視点を持っています。一方、宗近君は、古きよき日本の道義を体現する直情的な好人物として描かれています(*)。

 この作品は、職業作家として初めての長編小説ということで、大変に力のこもった作品といえます。悪くいえば、肩に力の入りすぎているということになるでしょうし、しばしば指摘されるように、文章の装飾が過剰である感も否めません。とはいえ、至るところに伏線が張り巡らされていている(藤尾の持つ金時計の印象的な取り扱い方!)ことからしても、物語の筋、展開をしっかりと構想しきってからの執筆であることが窺えます。これだけ長編の物語を書くのは漱石としては初めてのこと(『猫』は短編の積み重ねにすぎません)ですから、相当に気合を入れて、入念に準備をした上で執筆にかかったのでしょう。

 このことをめぐっては、『虞美人草』もまたこれまでの作品と同じく、古きよき日本と西洋の文化を表層的に模倣する新しい日本との対立が軸になっているものの、これまでの作品では新しい日本の欺瞞を突き崩すための展開が不充分で唐突だった(坊っちゃんが生卵を投げつけたり、白井道也が演説をして喝采を浴びたり)印象があるのに対して、『虞美人草』は筋がしっかりしていて、結末への流れに必然性が感じられた、との感想も語られました。

 この作品に表現される漱石の思想については、小刀細工の好きな人間は死に突き当たるしかない、という第1章末尾の甲野さんの発言に集約されるのではないか、との意見が出されました。ここに当時の日本のあり方への漱石の批判的な眼差しが重ねられていることは、日露戦争での勝利に浮かれる日本を甲野さんが「たまたま風邪が癒れば長命だと思っている」などと評していることからして明らかであろう、とのことでした。

 また、小野さんの変わり方は、明治維新以降の日本の変わり方を象徴するものとして位置づけられているのも間違いないだろう、ということにもなりました。第9章では、小野さんについて以下のように述べられています。

「小野さんの変わりかたは過去を順当に延ばして、健気に生い立った阿蒙の変わりかたではない。色の褪めた過去を逆に捩じ伏せて、目醒ましき現在を、相手が新橋へ着く前の晩に、性急に拵え上げたような変わりかたである」


 これは、講演「現代日本の開化」(1911〔明治44〕年)で展開された批判、すなわち、「一言にしていえば現代日本の開化は皮相上滑りの開化であるということに帰着する」という批判とピッタリ重なるものであるといえます。このことに関連しては、漱石は、小野さんの眼鏡やひげなどの「上皮」を意図的に描いている、という指摘もありました。

 読書会の場では、こうした小野さんが、宗近君の説得によって変わりえた(真面目になりえた)のは何故なのか、という問題をめぐって活発な議論がなされました。結論的には、小野さんは根本のところで昔ながらの真面目さを把持し続けていたからだ、ということになります。上皮では華やかさを装っていても(惑わされていても)根は真面目だったのだ、というわけです。小野さんは、そういう矛盾を抱え込んでいたからこそ、始終不安で泰然としていなかったのだともいえます(逆に藤尾のように根の真面目さが微塵もなければ、矛盾はなく動揺もありえません)。

 このことに関連して、岩波文庫の解説(桶谷秀昭)が、宗近君による説得を境にして「動揺する小野の自意識を掘り下げてきたそれまでの経過」が脇に置かれてしまうことを指摘して「ここのところは小説に無理が来ている」などと難じているのは、適切な評価とはいえないのではないか、という意見が出されました。すなわち、根が真面目だった小野さんは宗近君の説得を契機にして本来の真面目な自分に立ち返った(腹を据えた)のであり、その結果、建前と本音との差がなくなり、諸々の弁解をする必要がなくなったからこそ、「動揺する小野の自意識を掘り下げてきたそれまでの経過」が脇に置かれることになったのではないか、というわけです(漱石は、小野さん変貌の決定的瞬間を「上皮の文明は破れた。中から本音が出る」というふうに、非常に印象的な形で描写しています)。動揺する自意識の掘り下げなどは、「上皮」を装った小野さんが本来の真面目な自分に対して試みる弁解にすぎません。古きよき日本(小野さんが立ち返っていくところ)の道義を象徴する人物といえる宗近君に対しては、そもそも自意識の掘り下げ〔要は突っ込んだ心理描写〕など一切なされていないことに注目すべきではないか、との指摘でした。

 なお、宗近君の小野さんへの説得をめぐっては、「真面目と云うのはね、僕に云わせると、つまり実行の二字に帰着するのだ」というのはまさに至言だと思った、との感想も出されました。

 認識論という観点から興味深かった点としては、第6章における、藤尾と糸子の「会話による戦争」の描写が挙げられました。言語表現とその背後にある認識との関係、すなわち、認識の全てが言語に表現されているわけではなく、相手が意図的に明瞭な言語として表現しない部分を読みとりつつ、会話を展開させていく描写が非常に面白い、ということです。なお、これによく似た場面(女どうしの会話による戦争)は『明暗』にも出てくる(ついでにいえば、『明暗』のお延は、愛の捉え方など、藤尾に少し似たところがある)ことが紹介されました。

 もうひとつ、第18章における宗近君を迎えた小野さんの心理描写も興味深いところとして挙げられました。

「宗近君の来訪に対して歓迎の意を表する一点好意の核は、気の毒の輪で尻こそばゆく取り巻かれている。その上には気が咎める輪が気味悪そうに重なっている。一番外には困る輪が黒墨を流したように際限なく未来に連なっている。そうして宗近君はこの未来を司る主人公のように見えた」


 このように、認識を図解したように描かれていますが、漱石のこうした分析的な心理描写は見事なものだ、との感想が出されました。人間は、社会的関係のなかで、一筋縄ではいかない、色々な要素が複雑に絡み合った認識(感情)を持つものだ、ということが非常に印象的に描かれているのではないか、ということでした。

(*)南郷継正先生は「思えば、小学五年の時、『虞美人草』(夏目漱石)で哲学という言葉に初めて接し……」(『南郷継正 武道哲学 著作・講義全集 第十二巻』、p.31)と述べています。
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2015年02月15日

夏目漱石を読むA――二百十日、野分、虞美人草、坑夫(2/4)

(2)『野分』――「文学者」としての生き様

 認識論への集団的学びの一環としてスタートさせた漱石読書会において、第5回に取り上げた作品は、『野分』(1907〔明治40〕年1月、『ホトトギス』に掲載)でした。この作品は、「白井道也は文学者である」という実に思い切った一文によって始まります。白井道也は、金力や権力の横暴な支配を正面から批判したために田舎の中学校教師の職を追われ、東京で雑誌編集に携わって糊口をしのぎながら、青年たちの魂に直接に訴えかけるような一大著作(『人格論』)をなそうとしています。そこに、大学を卒業して作家を志す2人の青年、すなわち、裕福で余裕のある境遇のもと、空想的で神秘的な美文的小説を書こうとする中野君、および、貧しく余裕のない境遇に苦しみつつ、人間本性を鋭く抉るような痛切な文学をやろうとする高柳君が絡んできます。

 この『野分』については、全体として、漱石の文学者として生きていく上での決意表明のようなものだといえるのではないか、との感想が出されました(漱石はこの小説を最後に、大学の職を退いて、朝日新聞の専属小説家になることを決意します)。より具体的には、白井道也は「文学者としてこうありたい」という漱石の理想像を具現化した人物ではないのか、ということです。それだけに、白井道也が理想化されて描かれる一方、道也の生き様に理解を示さぬ細君が一方的に非難されるなど、硬直した一面性を感じさせる部分が無きにしも非ずです(この点、夫に批判的な妻の側にも一分の理があることを認めた晩年の『道草』と好対照を成すのではないか、との指摘もなされました)。しかし、そういった点をことさらに批判するよりも、大学教員という安定した地位を捨てて職業作家としての闘いの道へと歩みだそうとする漱石の熱い思いを、しっかりと受けとめなければならぬ作品であろう、ということになりました。

 こうした議論を受けて、『野分』は世界史でいえば啓蒙の時代(18世紀頃)、すなわち、人間の理性の力で何でもできると思っているような時代に相当し、そこから時代を重ねるにつれて、徐々に「そう簡単にはいかない」ということが認識されるようになってくるという流れがあるのではないか、との感想も出されました。そもそも個人の成長過程を見たときに、青春時代がいわば啓蒙の時代(高らかに理想を掲げてそこに向かって邁進していく時代)に相当し、そこから実際に社会に出て生活していくなかで、理想の実現のためには様々な困難や障害があることを自覚するようになっていく、という過程があるように思われます。このようにしてみるならば、世界の歴史(人類史)と個人の歴史(個人の成長過程)とを、夏目漱石の作家としての成長発展過程にも重ね合わせて考えることができるのではないか、ということでした。

 これ以外には、漱石の他作品との連関という観点で捉えると興味深いのではないか、との指摘もなされました。例えば、第1章には「落ちついて住めぬ世を住めるようにしてやるのが天下の士の仕事である」という表現がありますが、これは、『草枕』冒頭の芸術論において、「住みにくい所をどれほどか、寛容て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊い」とあったことを彷彿とさせる表現です。『野分』と『草枕』はほぼ同時期に書かれた作品ですが、こうした表現の類似性は、通常は高踏的な作品とされがちな『草枕』の根底に、『野分』に通ずる激しい戦闘の精神があったことを暗示するものであるといえるでしょう。

 また、第10章、道也宅を訪れた道也の兄が道也を「無鉄砲」と評する(ちくま文庫全集版 p.398の1行目)場面がありますが、「無鉄砲」であるがゆえに田舎の中学教師として失敗した、というのは、『坊っちゃん』の主人公を彷彿とさせるものがあります(もちろんこれは、漱石自身の経験が投影された設定であると思われます)。「坊っちゃん」と道也ではかなり雰囲気が違いますが、世の中の権威やしがらみをものともせずに正面からぶつかっていくという意味において、根本的には共通する要素を持っているともいえます。「坊っちゃん」にもう少し積極的な要素、すなわち、単なる破壊ではなく建設への理想を提示する役割を担わせるならば白井道也になる、ということができるのではないか、との指摘でした。

 その他、認識論的に興味深いところとしては、以下のような諸点が挙げられました。

 第8章は全体として、道也先生と高柳君の対話となっていますが、同じく「一人坊っち」の境遇にありながら、両者では世界の反映の仕方が相当に異なっている、ということが印象深く提示されているといえます。世間の人々の視線が気になって仕方がない高柳君と、そういったことを気にしないまでに悟りきった道也先生との対比が鮮明であり、道也先生の主体的な生き様(崇高な理想を掲げて世間と闘う)が深く深く印象付けられる部分です。アダム・スミス(『道徳感情論』第3部・第2章)流にいえば、称賛される人物たることを願う(具体的な諸個人に実際に称賛されることを願う)レベルから脱却できない高柳君(スミスのいわゆる「心の弱い人」)と、称賛に値する人物たることを願う(具体的な諸個人ではなく半ば神的存在である「公平な観察者」に是認されることを願う)レベルに到達することが出来た道也先生(スミスのいわゆる「聡明な人」)との対比だということができるのではないか、との指摘です。

 また、この第8章については、漱石自身が自分を2人に分割して対話している部分ではないか、との指摘もなされました。漱石自身の心のなかにある2つの要素、すなわち、文学者としてかくありたい! という強い思いを道也先生に託し、そうはいっても「一人坊っち」は辛い……という弱音の部分を高柳君に託して、客観的に対決させてみているのではないか、ということです。そう考えてみると、この第8章はまさに弁証法! といえる展開になっているといえます。漱石が職業作家という未知の世界へと踏み出していくためには、こうした「独りっきりの二人問答」(南郷継正「武道哲学講義〔[〕」、『学城』第11号、p.190)によって強固な決意を固めていく過程が必須だったということができるのではないか、との感想も語られました。

 第9章、中野君の結婚式に高柳君があまりにみすぼらしい格好で参加してしまった場面において、両者の会話について漱石は「人間の交際にはいつでも「これは」が略される」とのコメントを差し挟んでいるが、これは言語によるコミュニケーションが含む難しさを鋭く指摘したものではないか、との感想が出されました。端的には、南郷継正『“夢”講義(1)』第3編・第2章・第1節の「無限の認識を一つの言語に集約する」という議論に深く関わるものであろう、とのことでした。「無限の心の渦巻きのなかから、その場の雰囲気を壊さないような言葉を選ぶ必要がある」(p.143)というわけです。
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2015年02月14日

夏目漱石を読むA――二百十日、野分、虞美人草、坑夫(1/4)

目次
(1)『二百十日』――革命を思う熱い心
(2)『野分』――「文学者」としての生き様
(3)『虞美人草』――職業作家としての第一作
(4)『坑夫』――人間の心は移ろいやすいもの

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(1)『二百十日』――革命を思う熱い心

 京都弁証法認識論研究会では、昨年の6月より、月に1冊のペースで、夏目漱石の中・長編小説を読んで感想を交流しあう場を設けています(これは、漱石が描く小説中の諸人物の心に着目すると同時に、それらを書いている漱石自身の心〔認識の発展〕にも着目していく、という二重の観点から、認識論の学びを深めていくためのものでした)。

 本稿では、その第4回目から第7回目までの議論の様子を紹介していくことにしましょう。作品としては、『二百十日』『野分』『虞美人草』『坑夫』が対象となります。

 第4回目に取り上げた作品は『二百十日』(1906〔明治39〕年10月、『中央公論』に掲載)です。これは、漱石の中・長編小説のなかでも最も知名度の低い作品といってよいかもしれません。ちくま文庫の『夏目漱石全集 3』の解説(吉田精一)では「失敗作」と断じられているほどです(漱石自身の「杜撰の作にて御恥ずかしき限り」との言葉を根拠にしていますが)。圭さんと碌さんの会話を主体にした短い作品であり、雰囲気としては、まるで落語のような、滑稽味あふれるものになっています。内容としては、圭さん、碌さんという2人の人物が連れ立って阿蘇山に登ろうとするものの、道が定かでなかったために、加えて台風の接近に伴う荒天のために、遭難しかかって一旦断念せざるをえなくなる、それでも諦めずに再度阿蘇山を目指していく、といったものです。

 何よりも注目されるのは、碌さんを半ば無理やり阿蘇山へと引っ張っていく圭さんが、「社会の悪徳を公然道楽にして」「金力や威力で、たよりのない同胞を苦しめる奴ら」を「叩きつける」「文明の革命」を強く主張していることです。このことに関わって、読書会の場においては、漱石作品のなかでも漱石自身の社会観が最も明瞭に現れた非常に興味深い作品といえるのではないか(もっとも、あまりに露骨過ぎて「身も蓋もない」感じなので、「失敗作」というのも分からないではない)、という指摘がなされました。端的には、漱石には革命を想う熱い心があった、ということです。

 もう少しいえば、阿蘇山は革命の象徴であり、革命の理想(阿蘇の山頂)は明瞭に見えていても、革命成功への道筋(山頂へいたる道筋)は明らかではないために(漱石自身は社会科学的な革命理論を明瞭には把持しきれていないために)多くの紆余曲折に苦しまざるを得ない、それでも諦めずに革命を想い続けるのだ、ということになります。まさに、三浦つとむさんの『マルクス主義の基礎』の冒頭の以下の文章を想起させるものがある、という感想も出されました。

「政治の分野であろうと学問の分野であろうと、革命的な仕事にたずさわる人たちは道のないところを進んでいく。時にはほこりだらけや泥だらけの野原を横切り、あるいは沼地や密林をとおりぬけていく。あやまった方向へ行きかけて仲間に注意されることもあれば、つまずいて倒れたために傷をこしらえることもあろう。これらは大なり小なり、誰もがさけられないことである。真の革命家はそれをすこしも恐れなかった。われわれも恐れてはならない。ほこりだらけになったり、靴をよごしたり、傷を受けたりすることをいやがる者は、道に志すのをやめるがよい。」(三浦つとむ『マルクス主義の基礎』、『三浦つとむ選集第2巻 レーニン批判の時代』勁草書房、p.206)


 認識論的に興味深いところとしては、「文明の革命」を主張する圭さんが、阿蘇山や台風といった荒れ狂う自然の姿を、(おそらくはそこに革命への民衆のエネルギーを重ねて見ることで)痛快なものとして反映させているのに対して、そういった革命への想いが希薄な碌さんは、ただただ鬱陶しいものとして反映させるだけである、という対照が指摘されました。端的には、人間の認識は問いかけ的反映だ、ということです。読書会での議論を通じては、漱石が圭さんと碌さんという対照的な2人を配したことの意味も深められました。荒っぽく前へ前へと突き進んでいく圭さんに対して、消極的でひ弱な印象の碌さんは、極端にいえば圭さんにことごとく反対するように振る舞うのですが、決定的な場面ではしっかりと圭さんを助ける(具体的には、溝に落ちてしまった圭さんを引き上げる)のです。これは圭さん的な要素だけでは革命は成就しないということを暗に示しているのではないか、ということになりました。端的には、2人の関係は、自動車のアクセルとブレーキの関係として、対立物の統一(非敵対的矛盾)として把握できるのではないか、ということです。

 なお、この圭さんと碌さんの関係については、臨床心理士である会員から、心理臨床の観点から捉えてみるとなかなか興味深い、との感想も出されました。圭さんと碌さんは、かなり激しい口論になる場面が多いように思われるが(これに関しては、必ずしもそういう印象は受けない、という異論も出されましたが)、心理士として接している現代の若者たちは、あれくらいの口論をしてしまうと、もはや関係性が保てなくなる場合が多いように感じられる、とのことでした。現代の若者はどうも傷つきやすく、打たれ弱い印象があるが、それが時代性によるものなのか、心理士としての仕事で関わる小社会の特殊性なのか、よく分からない部分もあるが、いずれにせよ、漱石作品については明治という「時代の心」を学ぶという視点でも読んでいきたい、との感想が語られました。

 その他、認識論的に興味深いところとしては、旅館の下女に卵の半熟とは何かが伝わらなかった場面も挙げられました。圭さんと碌さんは半熟の卵を注文するのですが、下女は「半熟」を知りません。そこで「半分煮ることだ」と説明したところ、女は持ってきた4つの卵のうち半分の2個を完熟に茹でて持ってきました。つまり、主人公達は1個の卵の質を問題にして「半分煮ること」と説明しているのに、女は量の問題として捉えてしまった、というわけです。端的には、各々が異なる小社会を背負っていると言語を介したコミュニケーションが上手くいかないことを、上手く掴んでいるのではないか、ということができます。

 全体としては、漱石の社会思想を根底的に規定するものとして、明治・大正時代の日本の社会情勢(近代国家の形成過程)について、学問的に把握していくことの重要さが確認されました。
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2014年12月07日

一年間の育児を振り返る(5/5)

(5)育児は南郷学派の論理を再措定できる貴重な場である

 本稿は,娘が生まれてから一年の節目に,これまでの育児のあり方を論理的に振り返ることによって,弁証法的に,あるいは,認識論的に気づいたこと,学んだことを認めることを目的として,これまで説いてきた。なぜこれまでの育児を論理的に振り返る必要があるのかというと,現象的には赤ん坊に問題がないように見えても,目に見えない認識や,現象の背後にある構造においては,大きな問題をはらんでいる可能性があるからであり,人間の成長を大きく規定するこの時期の育児は非常に重要であるため,しっかりとこれまでの育児実践を論理的に掴んでおく必要があったからである。

 ここで,これまでの流れを振り返ってみたい。

 初めに,子どもの実体の成長・発達という側面から,一年間の育児を振り返った。半年までの間に,泣くこととオッパイを飲むことしかできなかった赤ん坊が,仰向けに寝て手足を動かしたり,寝返りやお座りをしたりすることができるようになった。これは,生まれるまでに系統発生を実体的にくり返した赤ん坊が,生まれてからは系統発生を機能的にくり返しているのであった。具体的には,泣いたりおっぱいを飲んだりすることが単細胞段階のうごめき運動であり,仰向けに寝て手足を動かすのがカイメン段階の固着運動であり,母親に抱かれて揺らされたり速やかに場所を移動したりするのがクラゲ段階,魚類段階の運動であり,(寝返りやお座りや)ハイハイが両生類段階のできないことをできるように頑張る運動であった。この中で,半年を過ぎてからできるようになったハイハイについて,詳しく考察した。娘は,モデルとなるように筆者自身がハイハイをして見せたり,好きなおもちゃを少し離れた位置に置いたりすることによって,8カ月のころに突然ハイハイを始めたのであった。ハイハイには,上肢の骨や筋肉を鍛える意義があるだけではなく,脳の発達を促すという非常に重要な意義があることを見た。逆にいうと,ハイハイをしなければ脳の発達の可能性を欠落させてしまうのである。ハイハイは,系統発生でいうと両生類の段階に当たり,脳の構造に,同じ運動のくり返しに耐えきれる実力,たとえば忍耐,頑張り,努力としてその後の人生において苦しみや辛さに耐えるものとして花開く精神の大きな源が,たたきこまれる,という非常に重大な意義があるのであった。最後に利き手についても考察し,親の何気ない働きかけによって,一方の手が器用になっていくのであり,利き手は先天的なものではないと説いておいた。

 次に,子どもの認識の成長・発達の側面から,一年間の育児を振り返った。生まれたばかりの赤ん坊の五感器官は,全てを単一性のすべてとしてしか反映できず,そのために,脳細胞が描く認識=像は,何が何だか分からないことも何が何だか分からないという像であったが,その後,徐々に,くり返し反省する対象は,それなりに像を描けるようになっていった。親の笑顔もくり返し反映した結果,笑顔には笑顔で応えることもできるようになっていった。半年を過ぎてからは,本格的に人見知りが始まったが,これを『育児の認識学』の記述をもとに認識論的に考察した。娘は,めったに会わないおじさんに出会うと,しばらくの間はじいっと眺めて固まっているが,そのうちに泣き始めるのであった。これは,近寄ってくるおじさんは,母親や父親などと比べると,反映の回数が圧倒的に少ないため,しっかりとした像を描けずにぼんやりとしたオバケ像を描いてしまうため,その像を否定して母親像を求めて泣き始めるのであった。オバケ的なものとしてさらに問いかけ的に反映してしまうために,ますますな激しく泣きじゃくることになるが,こうなると,しばらくはそのオバケ的像に支配されて,外界がまともに反映できないことになってしまう。ところが,何とか抱っこして揺らしたり,声をかけたりすると,徐々に徐々に外界が反映できて,その反映像が力をもってくる分だけ,オバケ的像が弱まっていき,何とか泣き止むということになっていくのであった。また,まねについても考察した。首をかしげたり手を振ったりする動作を娘はまねするようになったのであるが,これは,端的にいうと,認識は外界の反映であり,その認識でもって,人間は行動するのであるから,相手の動作をしっかりと反映して,その反映した像に基づいてまねをすることが可能となるのだ,と説いておいた。

 最後に,育児の対象たる子どもではなくて,働きかける主体である親の認識の変化・発展という側面から,一年間の育児を振り返った。半年までは,子どもが生まれることによってできた新しい媒介関係によって,親としての自覚が徐々に高まっていき,赤ん坊との相互浸透も進んでいったのであった。具体的には,赤ん坊の反映がくり返されることによって,徐々に親としての実感が深まっていき,父親らしい言動が出てくるようになるとともに,赤ん坊が喜ぶのか,どうすれば泣き止むのか,ということが,分かっていったのであった。また,友人や師の助言から,育児による時間不足を克服していった。これも具体的にいうと,育児実践自体を一つの学習の場として設定したり,空き時間を効率的に学習に充てるために,一カ月単位の学習計画を立てて振り返ったり,赤ん坊を背負いながら読書するという,二宮尊徳的運動形態を創出することによって矛盾の解決を試みたりしたのであった。半年を経過してからも,同じプロセスが進展していった旨を説いた。すなわち,父親らしい認識はますます固定化してきて,父親としての言動が技化した結果,友人の前でもごく自然と(照れを感じずに)娘に対してニコニコしながら少し高めの声でゆっくりと話しかけるという関わりができるようになった。娘との相互浸透もより進んで,娘のことがよりよく分かるようになり,対処法が分かり見通しが持てるようになったため,心の余裕も持てるようになったことを説いた。偶然,育児上の問題を抱えた母親へのカウンセリングも増えて,その中で,子どもに対する期待と現実とのギャップでストレスを感じているため,過度な期待をしないことがストレス軽減につながることがより分かってきたということも説いた。時間不足克服の取り組みも継続して,1カ月にほぼ10冊ずつの本を読むことができた点にも触れた。

 以上のように一年間の育児で弁証法的に,あるいは,認識論的に,気づいたこと,学んだことを認めてきて,改めて実感するのは,育児というのは,南郷学派によって創られてきた論理・理論を再措定するのに,非常に適した実践の領域である,ということである。まず,『〔改訂版〕育児の生理学』や『育児の認識学』のように,直接,育児をテーマとした著作があるので,本稿で試みたように,それをそのまま自分の育児の事実で読んでいくことが可能となる。このように,自分の事実と本で説かれている論理を重ね合わせて,のぼりおりをくり返すことこそが,この種の理論書の本来の学び方だと考えられるのであるが,育児実践においては,これが非常にやりやすいのである。

 もちろん,玄和会の空手をやれば,南郷継正先生が創出された理論を,そのまま実践でき,理論を再措定するのにもいいのかもしれない。しかし,我々のように,外部で南郷学派を自分のものにして自らの実践に役立てたり,社会化したりして,あわよくばさらなる発展を成し遂げてやろうと志す者にとっては,再措定が最もやりやすい領域が,育児だといえるのではないだろうか。

 また,「生命の歴史」や人類の認識の発展史,哲学の歴史を学ぶという点でも,育児は非常に有益であると思う。すなわち,直接「生命の歴史」を目にすることはできないが,個体発生としてくり返されている系統発生であれば,育児実践の中で,赤ん坊の成長として目にすることができるのであるし,赤ん坊の認識の発展は,論理的には人類の認識の発展史や哲学の歴史をくり返しているということもできる。個体としての赤ん坊の認識の発展は,人類としての認識の発展のちょっと変形したものでしかありえないのだから,赤ん坊の認識の発展を通して,人類の認識の大きな発展をも学ぶことが可能なのである。こういったことは育児でしか学べない,非常に貴重な体験だといえるだろう。

 さらに,前稿の最後に説いたように,育児はもっと広く,弁証法や認識論を学べる素材であふれている。前稿では,以下のように説いておいた。

「このようにして3つの観点から半年間の育児を振り返ってみると,まさしく,育児ほど弁証法・認識論が学べるものは少ないのではないか,育児は弁証法・認識論の学びの宝庫であるという気がしてくる。赤ん坊の成長・発達はまさに弁証法そのものといっていいほどのダイナミックさである。たった半年間の間に,系統発生でいえば,単細胞から魚類〜両生類段階まで機能として辿ってしまうのである。おそるべき変化性である。この育児の事実をしっかり踏まえて,それに重なるように「生命の歴史」を復習すれば,より深く学んでいけるような予感もしている。

 認識の成長・発達もすさまじいものがある。何が何だかわからないところの像しか描けなかった赤ん坊が,しっかり周囲を認識できるまでになっている。いってみれば「白紙」からの認識の生成・発展であるから,外界(自然的外界と社会的外界)の反映によって,どのように認識が創られていくのかが,この時期ほど学べる時期はないのではないか。

 親の認識も,赤ん坊と相互浸透するし,量質転化的に発展していきもする。この意味で,弁証法の学びにもなるし,認識論の学びにもなる。前回見たように,新しい社会関係によって新しい問題が生じ,それを何とか自分の実力で解決していくということをくり返すことにもなるので,弁証法・認識論の現実への適用力というか応用力というか,そういう使う実力も磨いていくことができると感じている。」


 このように,こちらの目的意識次第で,いかようにも学びの対象となるのが育児の優れたところであろう。

 さて,これまで一年間は,「生後1年間の育て方でもっとも重要なことは,赤ちゃんが外界との関わりを,「快感」としてとらえられるようにすること」(『〔改訂版〕育児の生理学』p.186)という瀬江先生の指摘に基づいて,可能な限り快適な外界を創ることに専念してきたが,今後はいよいよしつけの問題が全面に出てくる。一人で歩けるようにもなっていくだろうし,言葉も徐々に覚えていくはずである。また,頭をよくするために生の対象に接する機会を数多く持たせることも必要になってくるだろう。今後も,南郷学派の育児書を基本書として,楽しみながら,かつ,論理の再措定を試みながら,育児に取り組んでいきたいと思う。

(了)
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2014年12月06日

一年間の育児を振り返る(4/5)

(4)親の認識の変化・発展

 本稿は,一年間の育児を振り返り,弁証法的・認識論的な学びや気づきを認めることを目的としている。前回は,子どもの認識の成長・発達という側面から一年間の育児を振り返った。特に,あまり出会うことのないおじさんを見た時の人見知りの反応を,『育児の認識学』の記述に重ね合わせて確認した。すなわち,反映された回数が少ない対象であるおじさんについては,鮮明な像が描けず,それゆえに,不確かなオバケ像が描かれてしまい,快適で鮮明な母親像を求めて泣くというプロセスであった。また,このオバケ像に支配されて泣きじゃくる状態から,徐々に回復していくプロセスについても,主として原始的な触覚器官からの反映像が徐々に力をもっていくと直接に,オバケ像が弱まっていくプロセスとして考察した。最後に,まねをするようになっていくことについても,認識は外界の反映であり,その外界を反映した認識=像に基づいて人間は行動するのだということの証左であると説いておいた。

 さて今回は,実際に育児を行っている対象である子どもではなく,働きかけている方の親の認識に焦点を当てて,一年間の育児を振り返ってみたい。前稿の「半年間の育児を振り返る」では,親の認識の変化・発展を,次のようにまとめておいた。

「最後に,親の認識の変化・発展という観点から,半年間の育児を振り返った。子どもが生まれることによって,新しい媒介関係ができ,そのことによって親の認識が変化・発展していった,その様を見ていった。まず,親の自覚の発展について考察した。当初は,親としての実感が全くなかったが,これは,認識は対象の反映であり,対象たる赤ん坊をそれほど反映していない段階では,認識が「実感」レベルにまで発展することはないということを確認した。そのうえで,赤ん坊をくり返し反映することによって,父親たる私の頭の中に「赤ん坊像」が徐々に形成されていき,その像が父親らしい言動をとらせたり,父親らしい反映の仕方をさせたりするようになったのだと説いた。次に,親と子の相互浸透について見ていった。親が赤ん坊の行動(表現)をよく観察して,何らかの認識を描いて赤ん坊に働きかけ,それが赤ん坊の認識の変化を促して,その認識をまた赤ん坊が表現して,というようなことをくり返していって,親は赤ん坊のことがよく分かるようになっていったのであった。たとえば,どうすれば赤ん坊が喜ぶのか,どうすれば泣き止むのか,ということが,分かっていったのであった。こうして,親と子の認識の相互浸透が進展していき,親と子の共同作業(協働)によって,親も赤ん坊も創られていく,ということになったのだと述べておいた。最後に,子どもができたことによる時間不足を,どのように解決していったのか,そのプロセスを紹介した。友人や師の助言から,育児実践自体を一つの学習の場として設定したり,空き時間を効率的に学習に充てるために,一か月単位の学習計画を立てて振り返ったりしたこと,また,赤ん坊を背負いながら読書をするという,矛盾を実現するとともに解決する運動形態の創造も行ったこと,を述べた。こうした工夫を重ねることによって,以前にも増して学習ができるようになったのであった。」


 ここでは,赤ん坊をくり返し反映することによって,父親らしい認識が形成されていったこと,親と子の相互浸透によって,お互いに成長していったこと,さらに学習計画を立てて振り返ることによって時間不足を克服したこと,を説いた。

 ここで説いたことは,その後の半年間も継続している。父親らしい認識という点では,毎日毎日,くり返しくり返し娘を反映し続けることによって,父親もどきから父親らしい父親の認識になっていったといえる。それを痛感したのは,以下のようなエピソードがあったからである。

 娘がまだ半年になる前,具体的には4カ月ごろに,大学院の時代の友人が家に遊びに来てくれたことがあった。娘が生まれてから初めてだったので,こちらも少し照れがあって,ニコニコしながら少し高めの声でゆっくりと話しかけるといったような,娘に対する普段通りの接し方ができなかった。というより,自ら自制して,普段通りの態度をとらないようにしていた。ところが,10カ月くらいになると,父親として振る舞うことがすっかり板についてしまって,友人が来た時も,いつものように娘と関わることになったのである。この時はもう,「こんなふうに娘に接している自分を友人に見せたら恥ずかしいな」というような思いはまったく浮かんでこずに,ごく自然体で,人前でもいつものように振る舞えたのであった。父親として振る舞うことが技化されたのだといってもいいだろう。その結果,友人からは,「大学院のころとは別人みたいになったね。人間らしくなった」との評価をもらったことであった。

 認識論的にいうと,娘との認識の相互浸透がより進展して,娘的な性質が浸透した認識,すなわち,父親らしい認識に発展していったために,その認識に規定されて,以前とは別人のような言動(表現)となったのであり,そのプロセスを見ていなかった友人にとっては,急激な変化として反映した,ということであろう。

 娘との相互浸透ということでいうと,徐々に娘のことが分かってきたために,心に余裕が持てるようになってきた,ということもいえるように感じている。たとえば,妻がお風呂に入っている間は,必然的に筆者が子守りをしなければならないということになるのであるが,夕方以降は,娘がぐずる可能性が非常に高く,この時間帯は,当初は「地獄」といってもいいくらいに苦痛だった。置いておくと泣きじゃくるし,かといって抱っこしても,激しく抵抗したり,ますます大きな声をあげたりする。ほとほと困り果てていたものだった。ところが,半年を過ぎてからは,この時間帯に泣きじゃくるのは「眠たい!」という訴えであるということが徐々に分かってきて,抱っこしながらゆらゆらと揺すってやったり,子守歌を歌ってやったりすると,大人しくなり,やがて眠りに落ちることが多い,ということが分かってきた。対処法や見通しが持てるようになったことで,ずいぶんこちらの認識も安定していったと思う。

 他にも,休日に私が一人で子守りをしているときに泣き始めたら,車に乗せてドライブに行くとご機嫌になったり,眠ってしまったりすることも分かってきたし,基本的には外に出て外気に当てると,皮膚を通しての感覚が大きく変わり,それに伴って今まで描いていた認識=像とは違う認識=像が描かれるためか,ご機嫌になることも分かってきた。泣くときはお腹が減っている可能性もあり,赤ちゃん用のお菓子やお茶を与えれば,満たされて泣き止むことがあるということも分かってきたので,それらを常に携帯するようになった。

 もう少しいうと,何をしても泣き止まないこともあり,「思い通りにならないことが当たり前だ」「泣くことが赤ちゃんにとっての運動(労働)だ」などと思えるようにもなり,イライラすることが減ってきたと思いえる。これは期待と現実のギャップでイライラしていたのが,あまり過大な期待をしないようになって現実を受け入れるようになったため,イライラが軽減したということであろう。認識論的にいうと,問いかけが変わったために,反映も変わったということだと理解している。

 このような変化のために,娘に関わるのが嫌だなあとか億劫だなあとか思う度合いが減ってきて,ますます関わりたくなったというか,関わるのが快適に思えるようになっていったのである。その結果,たとえば,娘が保育園に通うようになったために,朝15分間,娘を見てくれと妻に頼まれた時も,ただでさえ忙しい朝に15分も時間をとられるのは嫌だという思いもありながらも,割とすんなりと受け入れることができた。以前の状態なら,もっと強烈に拒否反応を示していたと思う。また,娘が10カ月くらいの時に,とある事情で東京から娘と二人っきりで家に帰って,その日は丸一日,筆者だけで子守りをしなければならない事態になっても,「まあ,なるようになるだろう」くらいの気楽な感じで乗り越えることができた。

 これらはすべて,娘との相互浸透で娘のことがよく分かるようになり,見通しをもてるようになったために,すなわち,問いかけが変わったために,反映の仕方も変わってきたということであろうと考えられる。

 偶然でしかないのであるが,仕事でも,生まれて間もない小さな赤ん坊がいて,育児上の困りごとを抱えた母親へのカウンセリングを,この半年間にいくつも担当することになった。詳しく説くことはできないが,筆者自身の認識の変化を踏まえて,母親の問いかけを変えるような介入を行うことによって,効果が表れる事例を経験できたのも興味深かった。

 さて最後に,時間不足克服の工夫についても触れておきたい。半年までの間では,抱っこひもで娘を抱っこしながら歩いて,同時に読書をするという,二宮尊徳的運動形態を創出したことに触れた。これを応用して,勤務先の病院から最寄駅までを本を読みながら歩くことにした。それほど危険もなく,ある程度集中して読めることが分かった。また,車に乗っているときは,オーディオブックを聴くようにした。子守りをしているときも,必ず本を携帯していき,娘が寝たらすばやくその時間に読書することも実行した。もちろん,1カ月単位で学習計画を立てて,毎月振り返るという作業も継続して行った。その結果,この半年間で57冊の本を読むことができた。1カ月にほぼ10冊のペースであるから,数字だけで判断すれば,筆者としては十分満足のいく結果であったといえる。

 以上のように,親の認識も,新しい媒介関係に規定される形で,大きく変化・発展していったといえるだろう。

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2014年12月05日

一年間の育児を振り返る(3/5)

(3)子どもの認識の成長・発達

 本稿は,娘が生まれてから約一年間の育児をふり返ることによって,弁証法・認識論的に学んだこと,気づいたことを認めることを目的としている。前回は,子どもの実体の成長・発達という側面から振り返った。端的には,ハイハイは系統発生でいうと両生類段階に相当し,できないことを必死でくり返してできるようにしていくプロセスで,脳細胞,とくに大脳が大きく発展して,後の運動能力の飛躍的な発展を準備するのだということを確認した。あわせて,利き手の問題にも触れた。

 今回は,子ども認識の成長・発達という側面から一年間の育児をふり返ってみることにしたい。認識面の成長・発達については,半年間の育児をふり返った中で,次のようにまとめておいた。

「次に,子どもの認識の成長・発達という観点から半年間の育児を振り返った。生まれたばかりの「赤ちゃんの五感器官は,すべてを単一性のすべてとして反映するしかでき」ず,「赤ちゃんの脳細胞がこれまたはじめて描く認識=像は,まったくもって無茶苦茶というより以上の,でたらめという以上のなにがなんだかわかることが絶対不可能な「なにがなんだかわからない」ということも「なにがなんだかわからない」ところの像」であることを『育児の認識学』で確認した。だから当然,こちらの顔を見ることもできず,呼びかけに応えることもできないのであった。ところが,数カ月たつうちに,たとえばこちらの笑顔には笑顔で応えてくれることが出てくるようになっていく。これは,親の笑顔をくり返しくり返し反映することによって,「笑顔像」とでも呼べるような問いかけ像が頭の中におぼろげならも形成され,その笑顔像が実体をして笑顔にさせていったのであると説いた。ここに関わって,「パパ見知り」現象についても考察した。母親に対しては,長時間の関わりの中で徐々に快の感情像が創られているが,父親の場合は母親ほどの長時間の関わりはまだない段階だったので快の父親像が創られていない。この段階で,父親が抱っこすると,肌触りやにおい,視線の高さなどが母親の抱っこの場合と違うので,赤ん坊の反映は異なり,快の感情像である母親像を求めて赤ん坊は泣き叫ぶということではないかと説いておいた。あわせて,昼間に強烈な初体験があった夜に泣きわめくことがあった2例を紹介することによって,このころの赤ん坊は像をしっかりと保存する実力がついてきていたのだということを確認した。」


 ここでは,ロック的にいうと「白紙」の状態で誕生した赤ん坊が,外界と内界を反映し続けることによって,徐々にきちんとした像が形成できるようになるプロセスについて,いくつかの視点で説いた内容をまとめたのであった。

 半年を過ぎてからは,くり返し反映してきた対象は,本当にしっかりと像を描くことができるようになっていった一方で,それほど反映していない対象については,赤ん坊なりの「オバケ的像」を描いてしまい泣いてしまう,ということも起こるようになってきた。その典型が人見知りである。

 筆者の家の近くには,筆者の父と母,それに弟(娘からしたら,おじいちゃん,おばあちゃん,おじさん)が住んでいる実家がある。そこにしばしば連れて行って,とくにおじいちゃんとおばあちゃんにはよく遊んでもらっていた。したがって,娘からすれば,父親と母親,それにおじいちゃんとおばあちゃんは,くり返しくり返し反映する人間であって,半年を過ぎたくらいから,次第に明確にその像を描けるようになっていったと思われる。

 ところが,筆者の弟であるおじさんは,平日は仕事で夜が遅く,土日も家にいないことが多いので,娘と関わる時間が少なかった。そのため,他の4人に比べると,極端に反映の回数が少なく,まだまだその像をしっかりと描けるようにはなっていなかったと考えられる。そんな状態で,たまにおじさんが娘と遊ぼうと思ってやってくると,娘は,まさしく海保静子『育児の認識学』(現代社)で説かれているとおりの反応を示すのであった。すなわち,しばらくの間は近寄ってくるおじさんをじいっと眺めて固まっているが,しばらくすると泣きはじめるのである。

 この時,娘の認識はどのような運動・変化が起こっているのであろうか。それは,まず近寄ってくる対象たるおじさんを見るが,今までの反映が少ない分,しっかりとおじさんの像を描けないことになる。しかし,その近寄ってくる人間は母親(や父親,それにおじいちゃんやおばあちゃん)ではないことは分かってくる。そうすると,今ぼんやりと描いているおじさんの像を否定して,母親像を求めて泣きはじめるのである。しかし,母親像を求めて泣いていても,おじさんはそのまま反映し続けるだけに,その歪んだ像がオバケ的なものとしていわばより鮮明になっていくのである。こうなると,いくらおじさんが笑いかけても無駄である。その笑顔はきちんと反映することはない。なぜなら,娘はよりオバケ的なものとして問いかけ的に見るために,さらにそのオバケ度が増幅されて反映してくることになるからである。そしてそのオバケ的像から逃れたいという恐怖心と,より強く母親像を求めることから,激しく泣きじゃくることになるのである(以上,『育児の認識学』pp.166-167参照)。

 こうなると,しばらくの間は自ら描いたオバケ的像によって支配されているために,何をやっても無駄というか,全然泣き止まないことになる。しかし,しばらくの間抱っこしたり,優しい声で呼びかけ続けたりすると,その抱かれている感触や親しみのある声が徐々に反映するようになり,それと同時に,自ら創り上げたオバケ的像が薄らいでいくというか,弱まっていって,泣き方が穏やかになっていく。それでも,お化け的像の残像の影響で,表情はおびえているままである。さらに抱っこして揺らしたり,声掛けを続けたりしていると,オバケ的像が弱まった分だけ,しっかりと外界を反映できるようになっていき,徐々に,抱っこしている人物に応じて,母親像なり父親像なりを明確に描いていって,快の感情へと変わっていくということになるのであった。

 最近は,母親や父親が抱っこしている状態で少しだけおじさんが関わっていったり,少しだけおじさんが姿を見せて,泣きそうな兆候があったら離れていったりして,徐々におじさんを反映して創られるオバケ像を,母親像や父親像に近いものへと変化させる取り組みを行っているところである。当初は,おじさんを見たら必ず泣くというありさまであったが,近頃は,おじさんを見ても泣かずに,今やっている遊びを継続したり,何事もなかったかのようにハイハイをして横を素通りしていったりすることが増えてきた。

 このような人見知りの認識について,海保静子先生は次のように説かれている。

「私たちのようなおとなの感覚からするならば,鮮明なお母さん像とオバケ像が同時に赤ちゃんの頭のなかに描かれるというのは,なにかおかしいようにも思われますが,このアンバランスな認識=像こそが,この時期の赤ちゃんの認識のあり方なのです。つまり,数多く反映した像が鮮明化していく過程においては,ほかの像は不明瞭なものとしてしか描けないということが,この時期の赤ちゃんの特徴なのです。まだ認識力はそれほど未熟であり,そのためにオバケ像を合成してしまうのでもあります。

 これが「夜泣き」の正体であり,このころから夜泣きがはじまるという事実が,それを証明しています。」(『育児の認識学』p.170)


 まさにここに説かれているとおりであると思った。そして,確かに夜泣きも人見知りと同じころにはじまり,今も続いているのであるが,これも不確かなオバケ像を描くことに関わるのだとしっかり理解できた。

 このように,『育児の認識学』に説かれていることがそのまま現実の事実として確認できたことは収穫であったし,このように,事実に重ねて学んでいくということが,本当の『育児の認識学』の学び方であると思った。

 さて,人見知りの他に,子どもの認識の成長・発達という側面で興味深かったのは,周囲の人間のまねができるようになっていったという点である。最初は,「かわいいね〜」といって母親が首をかしげると,娘も同じように首をかしげるようになった。実家から帰る時,おじいちゃんやおばあちゃんが「バイバイ」といって手を振ると,娘も手を振るようになった。歌を歌いながら手を叩くと,それをまねして,歌うと手を叩くようになった。テレビに出ている人間がうなずいていると,それに合わせてうなずくようになった。前回紹介したように,ハイハイを始める前に,筆者がハイハイをくり返して提示したところ,突然,ハイハイを始めたのであった。さらにいうと,保育園に通い始めてから3週間たったころ,ちょうど生後11カ月の日に,突然一人で立ったのであった。これは,保育園の園児の中に,すでに一人で立っている子どもがいて,それをまねしたのだ,ということもできるように思う。

 このような事実は,端的にいうと,認識は外界の反映であることの証左であろう。人間は外界を反映して脳細胞に認識=像を描き,その認識=像に基づいて行動するからこそ,まねができるのである。だから,外界に四足で駆け回る獣しかいなければ,当然,人間は立って歩くことができるようにはならないのである。そこまで極端ではなくても,たとえば,親が子どもに積極的に関わらなければ,子どもが反映する外界(人間の行動)の幅が非常に狭くなり,その結果,まねによって獲得していくはずの人間らしい行動が習得できなくなって,将来的に大きな問題に発展する可能性もあるといえるだろう。

 これからいよいよ言語を獲得していく時期である。言語の獲得も,まねを原点としているはずなので,今後も,認識論を踏まえてしっかりと育児を行っていき,人間としてまともなる成長をなしてもらえるように努力したいと思う。
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2014年12月04日

一年間の育児を振り返る(2/5)

(2)子どもの実体の成長・発達

 本稿は,筆者の一年間の育児を振り返って,弁証法・認識論的に気づいたこと,学んだことを認めていき,学びを深めていくとともに,今後の育児に活かしていくことを目的としている。

 今回は,子どもの実体面の成長・発達の側面を取り上げる。

 生まれてから半年の間に,徐々に首が座り,寝返りができるようになり,お座りもしばらくはできるようになっていた。この時期の子どもの実体の成長・発達について,「半年間の育児を振り返る」では,以下のようにまとめておいた。

「まず,子どもの実体の成長・発達という観点から,半年間の育児を振り返った。ここでは,人間は生まれる前に実体として系統発生をくり返すが,生まれたのちに,機能として系統発生をくり返すという瀬江千史先生の指摘を踏まえて,子どもの運動機能の発展の意義を探ってみた。泣いたりおっぱいを飲んだりすることが単細胞段階のうごめき運動であり,仰向けに寝て手足を動かすのがカイメン段階の固着運動であり,母親に抱かれて揺らされたり速やかに場所を移動したりするのがクラゲ段階,魚類段階の運動であり,(寝返りやお座りや)ハイハイが両生類段階のできないことをできるように頑張る運動であることを復習した。そのうえで,首が座るというのは,人間の骨が骨としてきちんと機能するスタート段階ということもできるので,これは脊椎動物のスタート地点としての魚類段階に相当するのではないかと推測しておいた。また,お座りは,できないことをできるように(体を支えられないのを支えるように)頑張るという意味では両生類段階の運動といえるが,その場でじっととどまっておくという大運動という点では,水中の同じ場所に漂っていられるクラゲ段階の運動に相当するのではないかということも説いた。ここで,「首が座るのが魚類段階で,お座りがクラゲ段階というのでは,順序が違うのではないか」という予想される批判に対して,同じ運動でも多重性をもっており,単純に二つの運動を比較して順序を云々することは意味がないのではないかと指摘しておいた。最後に,お座りの重要性についても触れた。お座りは,手が自由になり,手の運動によって人間の認識も実体も発展するという意味で,人間の成長・発達にとって非常に重要な段階だと考察した。このように育児の事実をもとにして,赤ん坊は誕生後,機能として系統発生をくり返すということをより深く理解していった。」


 この後,半年を過ぎてから,寝返りは,特定の方向にしかできなかったのが,逆方向への寝返りもできるようになり,また仰向けからうつ伏せへの寝返りしかできなかったのが,逆に,うつ伏せから仰向けへの寝返りも可能となっていった。お座りは当たり前のようにできるようになり,うつ伏せの状態からお座りへ移行したりすることもできるようになった。お座りしている間は,近くのものを手に取るようになった。その後,ハイハイをはじめ,つかまり立ちができるようになり,ごく最近は20秒くらい,一人で立っていられるようになった。手も器用になってきて,小さなせんべいを渡すと,親指と人差し指でつまんで口に運ぶことができるようになった。

 歯も生えてきた。初めは上の歯が2本生えてきて,その後下の歯も生えてきた。それに伴って,母乳ばかりだった食事も,離乳食が始まった。初めは,かなりやわらかいおかゆしか食べられなかったが,徐々に硬めのご飯も食べられるようになっていった。

 さて,以上のような現象的な実体の成長・発達には,どのような意味があるのであろうか。この時期に特に重要と考えられるハイハイについて考えていきたい。

 娘は,9カ月になる前にハイハイを始めた。生後,7〜8か月ごろからハイハイをするのが通常といわれているだけに,そろそろハイハイを始めてほしいなと思って,いろいろな働きかけをした。その頃は,すでにお座りして,いろいろなおもちゃで遊ぶのが楽しそうだったので,うつ伏せの状態になっている時に,少し手を伸ばさないと届かない場所に,そのおもちゃを置いたり,筆者自身がハイハイをして,それをしっかり娘に見させたりした。そのような働きかけのなかで,ある日突然,ハイハイを始めたのである。

 ハイハイを始めるためには,たとえば,「あのおもちゃを手に取りたい」というような目的を描くことが前提となる。娘はそれまで,座っておもちゃで遊ぶことをくり返しており,おもちゃを振ったら音が鳴ったり,両親が微笑みかけてくれたりすることを何度も何度も経験していた。そのために,おもちゃを手に取って遊びたいという欲求・目的が生じていたのだと思う。その状態で,少し手を伸ばせば届くところにおもちゃを置かれれば,「取りたい!」という意志が生じてくるのは,当然の結果だったであろう。そうして,手を伸ばせばおもちゃがとれることを覚え,もう少し離れていても,自分の腕で体を引きつければ前進できることを覚えて,ハイハイができるようになったのだと考えられる。

 では,ハイハイにはどのような意義があるのであろうか。逆にいうと,ハイハイを経なければどのような欠陥が生じるのであろうか。この点に関して,瀬江千史先生は,「ハイハイという過程を経ないで歩くようになると,人間としては,大きな欠陥をはらんだままの発達をしてしまう」として,次の2つを指摘しておられる。

「一つは,一番大事な時期に,前腕から上腕そして肩にかけての上肢の力がつかないままに,歩いてしまうことになるということです。

(中略)

 次に,ハイハイを経ないままに歩いてしまうことの欠陥の二つ目は,一つ目よりもさらに重大なことです。それは何かと言えば,ハイハイによる赤ん坊の脳の発達の可能性を,欠落させてしまうということです。

 なぜならば,自らの力で動くことがまったくできずに生まれてきた赤ん坊が,地球の重力に逆らって,自らの体を移動させようとするけれど移動できない,を繰り返し,ようやく移動できるようになる過程は,人間としての脳の実力をすさまじくつけることになるからです。」(『綜合看護』2013年1号,p.68)


 ここでは,ハイハイをしないと,上肢の骨や筋肉などが鍛えられていかないこと,さらにハイハイによる脳の発達の可能性を欠落させてしまうことが説かれている。逆にいうと,ハイハイをすれば,上肢の骨や筋肉などが力強く鍛えられ,脳の実力もすさまじくついていく,ということである。

 実際にハイハイをしてみて気づいたことは,腕にかなりの負荷がかかるということである。大人でも,赤ん坊のように力強くハイハイをしてみると,しばらくすれば,腕が痛くなるほどの衝撃がかかる。このようなハイハイをくり返していれば,その負荷・衝撃に応じて,腕の骨も強くなっていくし,筋力も鍛えられていくことは明らかだろう。

 さらに重要なのが,ハイハイによる脳の発達である。瀬江先生は,先に引用した部分に続く箇所で,ハイハイの段階は,系統発生でいえば両生類の段階にあたると説かれている。ここではまさに,できないことを必死でくり返し挑戦し続けることによってできるようになっていくという過程を辿るのであり,それによって,その過程を統括する大脳が見事に発展して,自在な運動能力を開花させる基礎となるのである。

 この両生類段階の意義については,本田克也他『看護のための「いのちの歴史」の物語』(現代社)でも,次のように強調されている。

「カイメン段階の生物体が固着という回り道をした時のように,この段階は新たな飛躍への準備期間でもあったのです。ここでは大きく,「手足」という運動器官の発展があったとともに,骨の構造がさらに強靭さを増し……ましたが,もっとも重要なことは,ここにおいて脳の構造に,同じ運動のくり返しに耐えきれる実力,すなわち,たとえば忍耐,頑張り,努力として人類において人生の苦しみや辛さに耐えるものとして花開く精神の大きな源が,たたきこまれたことを私たちは忘れてはならないのです。」(pp.120-121)


 これはもちろん,系統発生における両生類段階についての指摘であるが,個体発生におけるハイハイの時期にも,そのまま当てはまるといってもいいだろう。すなわち,ハイハイによって手足の運動器官の発展があったとともに,骨の構造がさらに強靭さを増したのであるが,最も重要なことは,ハイハイすることによって脳の構造に,同じ運動のくり返しに耐えきれる実力,たとえば忍耐,頑張り,努力としてその後の人生において苦しみや辛さに耐えるものとして花開く精神の大きな源が,たたきこまれる,ということであろう。見たところ何の変哲もなく,へたをすればこの段階などすっ飛ばしてしまってもいいのではないかとすら考える人もいそうな,ハイハイに,このような非常に重要な意義があるのだということを,育児者はしっかりと理解する必要があると感じた。

 さて最後に,子どもの実体の成長・発達に関してハイハイ以外で気づいた点に1つだけ触れておきたい。それは利き手の問題である。利き手というのは,器用に使える方の手ということであろうが,これは生活の中で創られるのだということをしっかり確認できた。

 どういうことかというと,筆者がおもちゃやせんべいを娘に渡そうとした時,娘は何気なく左手を出すことがあった。たとえば,せんべいを食べさせようとして渡すとき,娘が左手を出して受けとる。そして,まだまだ不器用ながらも,左手を駆使して,口にもっていき,何とかせんべいを食べたのである。おそらくこれをくり返していけば,せんべいの形や構造に見合った動きができるようになっていくはずである,左手の方が。そうすると,左手の方が器用になっていく,すなわち,左手の方が対象の構造に見合った形で,自由に動かせるようになっていくと思われる。こうした何気ない働きかけを通して,「左利き」が創られていくのだと感じたのである。

 これに気づいた筆者は,それ以後,意識的に右手に物を渡すようにしている。左手を伸ばしてきても,そちらには渡さずに,あえて右手を出させて,そちらに手渡すのである。そうすると,不器用ながらも右手を駆使して,何とかせんべいを食べたり,おもちゃを振って遊んだりする。こういうことのくり返しによって,右手の器用さが増していき,「右利き」が創られていくのだと考えられる。

 世間では先天的だと考えられているような利き手の問題も,実は生活の中でしっかりと創られていくのだということに,しっかりと気づけた次第である。
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2014年12月03日

一年間の育児を振り返る(1/5)

〈目次〉
(1)一年間の育児の中で何を学んだか
(2)子どもの実体の成長・発達
(3)子どもの認識の成長・発達
(4)親の認識の変化・発展
(5)育児は南郷学派の論理を再措定できる貴重な場である

――――――――――――――――――――

一年間の育児を振り返る(1/5)

(1)一年間の育児の中で何を学んだか

 近年,赤ちゃんの出生数が減っており,昨年も過去最少を更新したとして,次のようなニュースが報道された。

「出生数最少102万人,昨年,出生率は1.43,人口減少が加速。
2014/06/05 日本経済新聞 朝刊

 厚生労働省は4日,2013年の人口動態統計を発表した。赤ちゃんの出生数は前年から7400人減り,過去最少の102万9800人。死亡数は前年より1万2千人増え,最多の126万8400人となった。1人の女性が生涯に産む子供の数の推計値を示す合計特殊出生率(3面きょうのことば)は1・43と0・02ポイント上昇したものの,人口減少が加速していることが鮮明になった。(関連記事3面に)

 出生数は3年連続で過去最少を更新した。出産する世代と重なる15〜49歳の女性人口が2591万4千人と,22万1千人減ったことが大きい。

 出生数から死亡数を引いた自然減は23万8600人で過去最大。6年連続で最大値が続き,人口減少のスピードが増していることがうかがえる。

 平均初婚年齢は男性が30・9歳,女性が29・3歳だった。女性が第1子を産む年齢も30・4歳で,いずれも過去最高だった。晩婚化,晩産化の傾向が続いている。

 出生率は2年連続で上昇。05年の1・26を底に緩やかに改善している。人口構成比率の大きい団塊ジュニア(71〜74年生まれ)に連なる30歳代の女性の出産が多いためだ。」


 ここでは,合計特殊出生率は若干上昇したものの,出産する世代の女性人口が減った影響で,出生数が3年連続で過去最少を更新したことなどが報道されている。筆者の娘も昨年生まれたので,過去最少の102万9800人のうちの一人ということになる。

 娘誕生以来,約一年が経過した。乳幼児の痛ましい事故や事件もいくつも報道されている昨今,娘は大きな事故や問題もなく,無事に成長してくれた。そんな姿を見ると,親としてはうれしい限りである。しかし,現象的に問題がないように見えても,論理の光を当ててみると,非常に大きな問題が潜んでいるということも,なきにしもあらずである。人間を大きく統括するところの認識は,そもそも目に見えないものであるから,認識上の問題は,よほど論理的に捉える実力がない限り見抜けないものであるし,現象の背後にある構造上の問題も,これまたそれなりの論理能力がなければ見抜くことはできないから,油断はできない。たとえば,認識上の問題に関していえば,育て方によっては,においに敏感になりすぎたり,好き嫌いが激しくなってしまったりすることが瀬江千史『〔改訂版〕育児の生理学』(現代社)に説かれている。また,瀬江千史「看護のための生理学(43)」(『綜合看護』2012年3号)には,抱き方一つで首の座りやお座り,それに寝返り等が遅くなってしまうというような事例が説かれている。

 したがって,育児者たるものは,しっかりと育児と,育児の対象である赤ん坊とを論理的に捉えられるように訓練しなければならないといえるだろう。筆者はその一環として,半年前に,「半年間の育児を振り返る」と題して,それまでの自身の育児実践を振り返り,子どもの実体と認識の成長・発達,親の認識の変化・発展を,主として南郷継正先生らによって措定された認識論や「生命の歴史」を踏まえて,考察した文章を書いた。本稿は,その続編である。

 そもそも人間の成長にとって,赤ん坊の時ほど重大で重要な時期は他にないといえる。諺に「三つ子の魂百まで」とあるとおり,また,精神分析学を創始したフロイトが,幼少期の体験と成人期の精神病理の結びつきを強調したように,である。「半年間の育児を振り返る」の最後でも引用したように,瀬江千史先生は,この時期について以下のように説かれている。

「この時期の育て方の重要性は,たんに発達が急速であることによるのではなく,この時期の育てられ方が,それ以降の育ち方,すなわち「その人の人生」を決定してしまうところにあります。それはまさに「三つ子の魂百まで」の諺のとおりです。

 これを生理学的に説きますと,人間は成長しきって生まれてくるのではなく,成長の過程で生まれてくるからであり,「どのように成長させるか」で「どのような人間になるか」が決定し,いったんできあがってしまったものは,なかなか変えにくいからです。

 またこれを認識論的に説きますと,端的には,人間は外界を問いかけ的に反映するものだからです。つまり,人間は「その人らしい問いかけ」によって「その人らしい反映」をもつということをとおして,その人らしさが個性として花開き,結果として誰々という,なんの何某という個性をもった,しっかりとした個人に育っていくということです。」(『[改訂版]育児の生理学』p.271)


 ここで説かれているように,この時期の育て方がその後の人生を生理的にも認識的にも規定してしまうのであり,この時期の育て方によっていかなる個性にも育ちうる,という点で,非常に大切な時期といえるのである。

 過ぎてしまった一年間は取り戻せないが,この一年間の育児をしっかりと反省して,どのような気づきや学びがあったのかをしっかりとまとめておくことは,この後の育児にも活かせる点があるであろうし,弁証法・認識論の学びとしても大切であると考えている。

 そこで本稿では,これまで一年間の育児を振り返って,弁証法・認識論の観点から気づいたこと,学んだことをしっかりと認めていきたいと思う。前稿「半年間の育児を振り返る」では,まとめの部分で,育児ほど弁証法・認識論が学べるものは少ない,育児は弁証法・認識論の学びの宝庫である,と認めた。生まれてから半年の間に,系統発生でいえば単細胞段階から魚類,あるいは両生類段階までを機能として辿り返してしまうし,認識の発展も,「白紙」から急速に変化発展していくのであった。また親の側でも,その認識の変化・発展はすさまじく,これらを材料とすることによって,弁証法や認識論の生きた学びができることを説いた。

 今回も,前稿の形式に従って,「子どもの実体の成長・発達」「子どもの認識の成長・発達」「親の認識の変化・発展」という3つの側面に焦点を当てて,前稿からの認識の発展も踏まえて,順に説いていきたい。このような3つの側面を設定したのは,人間は実体と認識の統一体であり,子どもの成長・発達を見る際に,実体のみに目を奪われていては一面的だからであり,さらに育児の対象のみならず,その育児の対象たる子どもと相互浸透的に発展していく親の認識にも着目しなければ,育児の全体像を射程に入れたとはいえないからであった。本稿では,前稿で説いた生まれたばかりのころから半年までの期間にも必要に応じて触れながら,主として半年から一年の期間を中心に考察していくこととする。
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2014年10月08日

夏目漱石を読む@――坊っちゃん、吾輩は猫である、草枕(3/3)

(3)『草枕』――自分を客観視することで感情が落ち着く

 認識論への集団的学びの一環としてスタートさせた漱石読書会において、第3回に取り上げた作品は、『草枕』(1906〔明治40〕年5月、文芸雑誌『新小説』に発表)です。この作品は何といっても以下の冒頭の文章が有名です。

「山路を登りながら、こう考えた。
 智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」


 このように考える青年画工が、「しばらくでも塵界を離れた心持になれる」詩的天地に遊ぼうとして山中の温泉宿を訪れ、そこで那美さんという女性と出会う、といった幻想的な物語が、この『草枕』です。

 この作品では「非人情」というのがキーワードとなっています。漱石は青年画工に「非人情」と「不人情」とは違う、と語らせているのですが、読書会においては、「非人情」と「不人情」の違いが問題となりました。結論的には、「不人情」というのが人情のないこと(冷淡であること)に対して批判的な気持ちを込めていう言葉であるのに対して、「非人情」というのは人情の有無をあれこれ気に病むようなレベルを超越した第三者的な(達観した、悟りきったような)立場を表わす言葉であろう、ということになりました。

 『草枕』については、物語らしい筋があまり感じられない、との感想も出されましたが、これに対しては、物語としては非常に緻密に構成されたものではないか、との意見が出されました。

 端的には、「人情」(諸々のしがらみに囚われてどうしようもなくなる)→「非人情」(諸々のしがらみから解放され、客観的で自由である)→「人情」(諸々のしがらみに正面から向き合う)という「否定の否定」の構図が大枠として敷かれているのであり、「非人情」の世界で得た力をひっさげて「人情」の世界での闘争へと挑んでいく、というのが漱石の趣意ではないか、という意見でした。この『草枕』では、「非人情」の世界は「人情」の世界と絶対的に断絶されたものとしては描かれていません。「非人情」の世界として描かれる(主人公たる青年画工がそう思いこもうとする)山中の温泉場にすら日露戦争の影が差していることが、そのことを強く暗示しています。

 そもそも、この作品において「非人情」と重ねて論じられる芸術(「人情」の世界を超越して第三者的に眺める立場に立とうとするもの)についても、単に現実(「人情」の世界)から逃避してしまう手段として捉えられているわけではありません。先ほど紹介した有名な冒頭部分に続いて、青年画工は次のように思索しているのです。

「住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。
 人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣にちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
 越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊い。」


 このように、「非人情」と重ねて語られる芸術についても、その役割があくまでも住みにくい人の世を住みよくするところにあるのだと主張されていることは、決して見逃すわけにはいきません。

 もうひとつ重要なのは、青年画工が山中の温泉場で出会う那美さんの描かれ方です。端的にいえば、那美さんは「非人情」を体現する人物として描かれている、ということができるのですが、その那美さんは、この物語の最後の部分で「非人情」の世界(山中の温泉場)から抜け出し、中国大陸へ渡る夫を見送って「憐れ」の表情を浮かべるのです。注目すべきなのは、主人公の求める芸術がこの時に成就した、とされていることです。すなわち、「非人情」の体現者たる那美さんが「人情」的要素(憐れ)をも把持することによって、ようやく主人公の求める芸術が成就するわけです。この結末は、「非人情」と「人情」の宥和というテーマを象徴的に示すものであり、図式的といえるほどの構成美を感じさせるものではないか、という意見が提出されたのでした。

 認識論的な観点から興味深い点としては、「非人情」、すなわち、人情の世界を超越して第三者的に眺める立場に立とうとする芸術が、激した感情を大きく落ち着かせる効果を持つ、と論じられている点が指摘されました。例えば、第3章には、以下のような記述があります。

「まあちょっと腹が立つと仮定する。腹が立ったところをすぐ十七字にする。十七字にするときは自分の腹立ちがすでに他人に変じている。腹を立ったり、俳句を作ったり、そう一人が同時に働けるものではない。ちょっと涙をこぼす。この涙を十七字にする。するや否やうれしくなる。涙を十七字に纏めた時には、苦しみの涙は自分から遊離して、おれは泣く事の出来る男だと云う嬉しさだけの自分になる。」


 端的には、自分が腹が立ったところを表現するためには、自分を他者として眺めうる第三者的立場に立つことを強いられるので、自分の激した感情は自ずから静まっていくことになるのだ、というわけです。アダム・スミス流にいえば、「公平な観察者」の視点を意識することが、気持ちを落ち着ける上で大きな効果を持つのだ、ということができます。

 また、周囲から「気狂」といわれる那美さんについて、観海寺の和尚が物事がよく分かってきた、と評しているところも、興味深かかった点として、出されました。この点については、一般的にいえば見る人の視点によって描かれる人物像は様々だということだが、もう少し構造に踏み込んでいえば、那美さんが異常と捉えられるか正常と捉えられるかは、その人が所属している小社会の社会的認識に照らして判断されているのだ、ということではないか、との意見が出されました。坊主が主として生活するような宗教的な小社会と、都会という小社会と、田舎という小社会では、社会的認識が異なっており、それに応じて、「正常」と判断されるか「異常」と判断されるかが違ってくるのではないか、というわけです。

 漱石が生きた明治時代は、従来の日本的なものと急速に流入した西洋的なものとが混在する世界であり、さらに地方分権的な幕藩体制から中央集権的な近代国家が形成されていく過程でもあり、様々なレベルで小社会どうしの衝突が頻発していたのではないか、そういう観点から漱石の作品をしっかりと読んでいく必要があるのではないか、との感想も出されました。

(続)
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2014年10月07日

夏目漱石を読む@――坊っちゃん、吾輩は猫である、草枕(2/3)

(2)『吾輩は猫である』――「自分の自分化」と「自分の他人化」

 認識論への集団的学びの一環としてスタートさせた漱石読書会でしたが、第2回に取り上げた作品は、『吾輩は猫である』(俳句雑誌『ホトトギス』に、1905〔明治39〕年1月〜1906〔明治40〕年8月まで、全11回掲載)です。この『吾輩は猫である』は、前回取り上げた『坊っちゃん』と並んで、漱石作品のなかでもとりわけ広く親しまれているものですから、改めて詳しくその内容を紹介する必要もないでしょう。ごく簡単にいえば、中学校の英語教師である珍野苦沙弥先生の家に飼われている猫(「吾輩」と自称します)の視点で、珍野先生の友人や門下生たち、家族などの姿を風刺的に描いたものです。

 『吾輩は猫である』は、滑稽で笑うことなしには読めなかった、との感想が共通して出されました。具体的に笑えるポイントとしては、猫が「真理」を「感得」したり、「からかう」や「逆上」について延々と哲学的考察を披露したり、「逆上」を「臨時気違」と把握してみせたり、ニュートンの第二法則のおかげで主人の頭にボールが当たらず「一命を取りとめた」としながらその第二法則について「これは何の事だか少しくわかり兼ねる」と無責任に投げ出してみたり……等々の場面が紹介されました。また、第2章までの文章にはいささか力が入りすぎたような硬さがあったものの、第3章でそういった硬さがとれて、文章に非常な勢いが出てきているようであった、という感想も出されました。漱石の深い教養に裏打ちされた諸々の冗談が冴えに冴え渡っている感があり、第3章冒頭の「香一炷」のくだりからは爆笑の連続であった、とのことでした。

 総じていえば、どうでもいいようなことを大仰な文体で、それも猫の発言として書いてある(猫のくせに偉そうに!)ことが、何ともいえぬ面白さを醸し出しているのであろう、ということになりました。アダム・スミスは、『修辞学・文学講義』の第9講において、滑稽さが生成してくる構造として、「卑小な対象が壮大とみなされて提示された場合」を挙げていますが、まさにこの典型的な実例が漱石の『吾輩は猫である』だということもできるでしょう。

 同時に、ただ「面白い、面白い」と笑うだけではダメではないか、との指摘もなされました。どういうことかといえば、漱石の深刻な人間観・社会観は、この滑稽な『吾輩は猫である』の世界にも、しっかりと反映させられているのではないか、ということです。具体的には、実業家の金田らが嘲笑的に扱われているあたりに、金力・権力の支配や小刀細工を忌み嫌う漱石の人間観・社会観が色濃く反映しているのではないか、ということでした。この点に関わっては、漱石は猫の視点を借りることでこそ、人間社会のあり方を自由に(何ものにも囚われず、縦横無尽に)批判し尽くす立場を獲得した、ということができるのではないか、という指摘もなされました(*)。

 実業家の金田をめぐっては、金田の妻(金田鼻子)が苦沙弥先生たちを非難していることが印象に残った、との感想も出されました。金田鼻子は、有力な実業家の妻として様々な人との交際を行うなかで、他者は有力者の妻たる自分に丁重に振る舞うものなのだ、という像をアタマのなかに定着させています。それだけに、この像に当てはまらない苦沙弥先生らの言動が理解しがたく、おかしな存在として否定することになるわけです。このように、人間は自分の体験・経験の枠から外れた(したがって理解しがたい)他者に対しては、おかしな存在として否定しようとするものなのだ、といえそうだと思った、とのことでした。

 この他、『吾輩は猫である』においては、観念的二重化における「自分の自分化」の例が見事に描かれている、との指摘もありました。「自分の自分化」とは、簡単にいえば、相手の立場に立っているつもりでありながら、実際には自分の立場から抜け出せていない、という状態のことです。人が他者の認識を予想するとき、往々にして「自分の自分化」レベルでしか相手に二重化できませんから、他者の認識はこうだ、といったときの「こうだ」というのは、実は自分の認識の表明にほかならない、ということがしばしばあります。これを利用すれば、第三者は、その当人の認識を読み取ることができるのではないか、というわけです。

 具体的な例としては、「行水の女に惚れる烏かな」という高浜虚子の俳句を水島寒月君が解釈してみせた場面が指摘されました。寒月君は次のように語っています。

「実を云うと惚れるとか惚れないとか云うのは俳人その人に存する感情で烏とは没交渉の沙汰であります。しかるところあの烏は惚れてるなと感じるのは、つまり烏がどうのこうのと云う訳じゃない、必竟自分が惚れているんでさあ。虚子自身が美しい女の行水しているところを見てはっと思う途端にずっと惚れ込んだに相違ないです。さあ自分が惚れた眼で烏が枝の上で動きもしないで下を見つめているのを見たものだから、ははあ、あいつも俺と同じく参ってるなと癇違いをしたのです。癇違いには相違ないですがそこが文学的でかつ積極的なところなんです。自分だけ感じた事を、断りもなく烏の上に拡張して知らん顔をしてすましているところなんぞは、よほど積極主義じゃありませんか。どうです先生」


 ここをあえて「自分の自分化」の論理で説明すると、虚子は烏(=他者)に二重化して「行水している女性に惚れているのだ」と烏の認識を予想したものの、実はこれは自分の認識の表明に他ならない、すなわち、自分がこの行水している女性に惚れているということの表明に他ならないのだ、ということになります。ここから、虚子による烏(=他者)の認識の予想を利用して、虚子の認識(この場合は、行水している女性に惚れているという認識)を読み取ることができる、ということができるのではないか、ということです。このように、認識論の実力がそれほどではない人間は大抵、「自分の自分化」しかできないのだから、相手の意図や想いなどの認識を誰かが予想した場合、それは実は当人の認識である可能性が非常に高いのであり、そこから当人の認識を読み取ることが可能となるというのは、広く適用できる論理ではないか、ということでした(もちろん、我々は「高浜虚子は観念的二重化の実力が低かったのだ!」と論難しているわけではありません。虚子の句はあくまでも詩的表現としての面白さを追求したものではあると思われます)。

 また、「自分の自分化」に関わっては、落雲館という近くの中学校から倫理の講義が聞こえてきた場面で、吾輩(猫)が次のように語る場面も指摘されました。

「主人は耳を傾けて、この講話を謹聴していたが、ここに至ってにやりと笑った。ちょっとこのにやりの意味を説明する必要がある。皮肉家がこれをよんだらこのにやりの裏には冷評的分子が交っていると思うだろう。しかし主人は決して、そんな人の悪い男ではない。悪いと云うよりそんなに智慧の発達した男ではない。主人はなぜ笑ったかと云うと全く嬉しくって笑ったのである。倫理の教師たる者がかように痛切なる訓戒を与えるからはこの後は永久ダムダム弾の乱射を免がれるに相違ない。当分のうち頭も禿げずにすむ、逆上は一時に直らんでも時機さえくれば漸次回復するだろう、濡れ手拭を頂いて、炬燵にあたらなくとも、樹下石上を宿としなくとも大丈夫だろうと鑑定したから、にやにやと笑ったのである。」


 主人の「にやり」について、皮肉家ならばその意味を「冷評的」に受け取るといっていますが、これは、皮肉家が主人の立場なら、そう受け取るということです。これは「自分の自分化」の一例だといえます。ところが吾輩(猫)は、しっかりと「自分の他人化」レベルで(!)主人の立場に立って、「全く嬉しくって笑った」と理解しているのだ、ということもできるわけです。

 このように漱石は、他者の認識を追体験するに当たっては「自分の自分化」しかできないレベルと「自分の他人化」がしっかりとできるレベルとがあることを漠然とではあれ把握しているのではないか、ということでした。

(*)アダム・スミスは、『修辞学・文学講義』第9講において、滑稽さが生成してくる構造として、「卑小な対象が壮大とみなされて提示された場合」に加えて、「壮大なもの、またはそのように装ったり期待されたりしたものが、そこに卑小卑賤さを内包していることを暴露されて嘲笑される場合」を挙げています。猫の視点による人間社会の自由な批判(例えば、「壮大」を装おう金持ちの卑賤卑小さが暴露される)というのは、後者に対応するものだともいえます。すなわち、「卑小な対象」であるはずの猫が「壮大」な言葉で、「壮大」な対象であるはずの人間(特に金力・権力を振り回す者たち)の卑小卑賤さを暴き出す、という両側面から、『吾輩は猫である』の滑稽さ醸し出されている、といえるわけです。
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2014年10月06日

夏目漱石を読む@――坊っちゃん、吾輩は猫である、草枕(1/3)

目次
(1)『坊っちゃん』――小社会どうしの衝突
(2)『吾輩は猫である』――自分の自分化と自分の他人化
(3)『草枕』――自分を客観視することで感情が落ち着く

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(1)『坊っちゃん』――小社会どうしの衝突

なぜ夏目漱石の小説を読むのか

 京都弁証法認識論研究会では、この6月より、月に1冊のペースで、夏目漱石の中・長編小説を読んで感想を交流しあう場を設けました。これは、端的には認識論の学びのためですが、もう少し具体的なところに踏み込んで確認しておくと、大きく2つの観点からの取り組みだということになります。

 第一は、漱石が小説のなかで描いている諸々の登場人物の心の動きから学ぶ、ということです。このような課題設定は、南郷継正先生が次のように説かれていることに関わります。

「人間とはなにかをわかるための社会と歴史の学びは、学校の教科書とか副読本とか参考書とかを合わせた程度では、大きく不足しているのです。何が不足するのかといえば時代の心、社会の心、人の心、そのための学びとしては三つあります。
 一つは、歴史を題材とした歴史小説です。……
 二つは、人間の心を主題にしている小説です。船橋聖一や丹羽文雄や夏目漱石などの小説です。……
 三つは、社会派とされている推理小説です。……」(南郷継正『看護学科・心理学科学生への“夢”講義(1)』現代社、p.106)


 端的には、人間とは何かをわかる(あらゆる学問にとって必須のことです!)ためには人間の心を学ぶ必要がある、その人間の心の学びために漱石の小説を読むのだ、ということです。

 第二は、漱石という個人の認識の発展過程(成長過程)を辿る、ということです。このような課題設定は、我が研究会の指導者より、かつて次のように説かれたことに関わります。

「個人全集を一回読む、というのをぜひやってほしい。これができるのは若いうちだけである。個人全集を読めば、一人の人間の認識が具体的にどういうふうに変わっていったかがよく分かる。そうすると、人間理解などに非常に役立つ」


 これを踏まえて、漱石の中・長編小説を(だいたい)書かれた順に読み進めていくことにより、漱石という個人の認識の具体的な発展過程を辿ってみよう、というわけです。

 以上のように、漱石が描く小説中の諸人物の心に着目すると同時に、それらを書いている漱石自身の心(認識の発展)にも着目していく、という二重の観点から、我々は、夏目漱石の中・長編小説を読んで感想を交流しあう(認識論的な観点から検討を行う)場を設けたのでした。

 これから、3ヶ月ないしは4ヶ月に1回程度、すなわち、漱石の小説3〜4本ずつを纏めて、我々がどのような議論を行ったのか、簡単に報告をしていくことにします。なお、この漱石読書会は、認識論的な観点から各自が興味深いと感じた点をざっくばらんに語り合う、といった趣のものであり、漱石の生涯と作品について、全面的かつ学問的な突っ込んだ検討を行う、といったものにはなっていません。以下の纏めは、あくまでも各自の感想を何となく整序したレベルのものであり、学問的な体系性には欠けるものであることをご容赦下さい(夏目漱石の生涯と作品についての全面的・学問的な検討については、この読書会を土台としつつ、漱石没後100年となる2016年のうちに何らかの成果を発表できることを目指して、取り組んでいきたいと考えています)。


『坊っちゃん』は小社会どうしの衝突(新時代と旧時代との衝突)を描いている

 第1回として取り上げた作品は『坊っちゃん』(1906〔明治39〕年4月、俳句雑誌『ホトトギス』に掲載)です。厳密には、『吾輩は猫である』の方が先に書き始められているのですが(『坊っちゃん』は『吾輩は猫である』連載中に並行して書かれた作品)、分量面における取っ付き安さを考慮して、読書会としては『坊っちゃん』を先行させることにしました。

 この『坊っちゃん』は、漱石作品のなかでもとりわけ広く親しまれているものですから、改めて詳しくその内容を紹介する必要もないでしょう。ごく簡単に纏めるならば、「坊っちゃん」と呼ばれる主人公が四国の中学校へ新任の数学教師として赴任し、生徒たちや教頭などと衝突して様々な騒動を巻き起こす、といったものです。

 『坊っちゃん』を取り上げた読書会においては、「坊っちゃん」が背負っている(育てられてきた)東京(=江戸)の小社会と、彼の赴任先である四国の田舎の小社会との衝突が、この作品を貫く対立軸となっていることが議論によって深められました(*)。端的には、「坊っちゃん」と四国の田舎の人々とでは、育てられてきた小社会が大きく異なることに規定されて、お互いの認識が決定的に異なっているだけに、「坊っちゃん」は四国の田舎の人々に全くといっていいほど二重化できていないのだ、ということでした(**)。

 このことに関わっては、四国の田舎に明治以降の新しい日本のあり方が、東京(=江戸)に古き良き時代(?)の日本のあり方が象徴されているのではないか、との意見も出されました。『坊っちゃん』とは、端的にいえば、無鉄砲な「江戸っ子」坊っちゃんが「会津っぽ」山嵐とともに、四国の田舎にのさばる「ハイカラ野郎」の赤シャツを打擲する物語です。漱石は、坊っちゃんの活躍を通じて、金力・権力が物をいう社会のあり方、形式ばかりに拘って中味を等閑にする風潮を厳しく批判しているわけです。しかし、その批判は、 無鉄砲な主人公が癇癪を爆発させるという形でなされるに過ぎず、現実をいささかも変革するものとはなっていません。山嵐と坊っちゃんが中学校を去った後は、相も変わらず赤シャツなどがのさばり続けたものと考えられるのです。ここから、新時代を批判する論理を求めあぐねて、結局、旧時代の倫理観に求めるしかなかった漱石の苦しみが読み取れるのではないか、との感想も出されました。

 また、第1章において、「おやじは些ともおれを可愛がってくれなかった。母は兄ばかり贔屓にしていた」と、親から冷たくあしらわれていたことが強調される一方で、「親譲り」がしきりに強調されていることに注目する意見も出されました。ここには、親との繋がりを強く求めつつ満たされなかった(それだけに繋がりを強調せずにはいられない)「坊っちゃん」の痛切な思いが表現されているのではないか、ということです。さらに、「母は兄ばかり贔屓にしていた」とあることからして、主人公は「母」の本当の息子ではなかったのだという推測も成り立ちそうだ、という意見も出されました。ここに関わっては、丸谷才一氏が、清(「坊っちゃん」の家の下女)こそ「坊っちゃん」の本当の母親だ、という説を唱えていたらしいことも紹介されました。丸谷説の真偽はともかく、清に漱石の理想の母親像が投影されていることは間違いないのではないか、との感想も出されました。いずれにせよ、「坊っちゃん」の家庭環境の描写には、漱石自身の複雑な生い立ち、両親への思いが色濃く反映されていることは間違いないだろう、ということになりました。

 なお、漱石による登場人物の心理描写のうち、認識論的に興味深いところとして、第8章における以下のような記述が指摘されました。

「それ以来山嵐はおれと口を利かない。机の上へ返した一銭五厘はいまだに机の上に乗っている。ほこりだらけになって乗っている。おれは無論手が出せない、山嵐は決して持って帰らない。この一銭五厘が二人の間の墻壁になって、おれは話そうと思っても話せない、山嵐は頑として黙まってる。おれと山嵐には一銭五厘が祟った。しまいには学校へ出て一銭五厘を見るのが苦になった。」


これは端的にいえば、「坊っちゃん」が机の上の「一銭五厘」に山嵐との気まずい関係を重ねて見ているうちに、その問いかけが固定化(量質転化)してしまい、しまいには「一銭五厘」を見ると山嵐との気まずい関係についての像が喚起されてしまう、という情況にまで至った、ということにほかなりません。「文芸の哲学的基礎」(1907年の講演)などからは、漱石がヒュームの因果律批判から強い影響を受けていたことが窺えますが、このあたりの記述は、ヒュームの観念連合論を踏まえたものといえるかもしれない、との指摘がなされました。

(*)この小社会について、南郷継正先生は以下のように説かれています。

「人間は社会的な存在です。つまり、社会的な関係の中で生活(生存)しています。ということは、人間誰しもが、その社会(環境)からの反映でもって、育ってくることになるからです。つまり、その社会(環境)が五感覚器官を通して脳に反映され、かつ像を形成し(形成され)ます。ですから、私たちの認識は誰のものでも必ず社会(環境)を反映していますし、反映した(反映された)像しか(当初は)原型として存在しません……社会とはこのばあい、みなさんが生活している(生活できている)範囲の身近な社会、つまり小社会のことです。」(南郷継正『看護学科・心理学科学生への“夢”講義(4)』現代社、p.111-112)


(**)このことに着目した小説として、小林信彦『うらなり』(文春文庫)があります。これは『坊っちゃん』の登場人物の1人「うらなり」(古賀)を語り手とした小説であり、あの事件(とそれ以降の彼自身の人生)を「うらなり」の視点からみればどうなるのかを描いたものです。同一の出来事(対象)が、各人が背負っている小社会が異なるに応じて、全く異なって反映してくることが浮き彫りにされており、非常に興味深いものがあります。
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2014年09月18日

アダム・スミス「外部感覚論」を読む(5/5)

(5)スミスは人間の精神と動物の本能との連続性に着目した

 本稿は、アダム・スミスの「外部感覚論」における議論の流れを辿りながら、スミスが如何にしてイギリス経験論のぶつかっていた壁を突破する可能性を掴んでいくことになったのか、検討してみることを目的としたものです。前回までの3回に渡って、スミスの「外部感覚論」で如何なる議論が展開されているのか、ざっと流れを辿ってみました。

 この「外部感覚論」で大きな問題になっていたのは、それぞれの感覚が如何にして結びつくのか(もう少し踏み込んでいえば、触覚とその他の感覚は如何にして結びついているのか)ということであったといえるでしょう。イギリス経験論の展開過程で、視野が心のなかに限定されてくると、諸々の感覚はもともとバラバラのものでしかなく、それらが結合されるのは専ら経験と習慣によるものでしかない、と考えられるようになっていきました。これに対して、スミスは、感覚作用のもとになる外部的物体の存在を大前提として復権させることで、諸感覚の必然的な結びつきについて明らかにしようとしたのではないか、と考えることができます。

 その過程でスミスがぶつかることになったのは、人間の精神はもともと完全な白紙である、というイギリス経験論の大命題は果たして本当に正しいのか、という問題にほかなりませんでした。スミスは、人間を含むあらゆる動物は、外部的諸物体の存在についての本能的知覚を先天的に持っているのであって、それを直接に示唆してくれる触覚の機能の限界(器官が直接に物体に触れない限り働きようがない)を補うために、他の諸々の感覚が成立させられているのではないか、との結論に至ったのです。換言すればスミスは、感覚のみに視野を限定して外部的諸物体の存在を否定するに至ったイギリス経験論の発想を全く逆転させて、外部的諸物体の存在についての本能的知覚を大前提として、諸感覚の位置づけを明らかにするという視点を提示しているのです。イギリス経験論がやってきたように、感覚的経験そのものをどんなに細かく分析しても、外部の物体の存在は確認しようがありません。むしろ、その存在が怪しくなっていくだけです。スミスは、こうした感覚的経験そのものの分析という限界を突破するために、本能的知覚という形で外部的諸物体の導入をはかり、そこから触覚を中心にした諸感覚の連関を論じたのでした。

 このようにいうと、スミスがイギリス経験論の限界を突破する可能性を掴んだといっても、我々の心の外側には諸々の物体が存在しているという常識的見解をただ単に復活させただけではないのか、カントがイギリス経験論の展開の必然性を深く掴むことでその限界を哲学的レベルで突破しようとしたしたのとは全くレベルが異なるのではないか、という疑問が生じるかもしれません。これは非常に重要な疑問ですから、哲学の歴史の大きな流れという観点から、少し突っ込んで考えてみることにしましょう。

 17世紀のデカルトによって、思考(精神)と存在(物質)との関係を如何に理解するか、という近代哲学における根本問題が提起されました。この根本問題への解答として、現代の唯物論的認識論の到達点からすれば、一方に物質的世界が存在し、他方にその反映としての精神的世界が存在する、という単純明快な構図を、とりあえずは描くことができます。基本的にはそうなのですが、歴史的にこの問題の解決を著しく困難にしてきたのは、我々は物質的世界そのものを直接に眺めているようでありながら、厳密にいえば、直接には精神的世界、すなわち、感覚器官を通じて脳細胞に描かれた物質的世界の映像を眺めているのだ、という事情です。この精神的世界を眺めているという直接的な面のみに着目するならば、物質的世界の存在そのものが否定されてしまうことにならざるをえません。これがイギリス経験論におけるひとつの到達点たるバークリの物体否定論(主観的観念論)です。

 これに対してカントは、物質的世界の存在そのものは肯定しようとしました。しかし、このことによってカントは、我々が直接に眺めている精神的世界の諸々の性質は、我々が直接に眺めることのできない物質的世界の諸々の性質と如何なる関連をもっているのか、という難問に直面することになったのです。そこでカントは、いささか強引に、物質的世界の側には我々が認識できるような何らの性質も存在しないのであり、我々が世界に備わっていると思っている諸々の性質は全て(!)我々の認識によって与えられた(創造された)ものなのだ、ということにしてしまったのでした。このように、いわば、物質的世界からあらゆる性質を抜き取り、その全てを精神的世界の側に押し込めてしまうことによって、「物自体の世界」「現象の世界」というカント流の世界二分法が成立することになったのです。端的には、我々の精神は物自体の世界を根拠にして現象の世界を能動的に創り出す、というのがカントの到達点です。

 そして、精神による世界の創造というカントによって部分的に示唆された発想を、極限にまで押し進めて全面的に展開させたところに、ヘーゲルによる観念論哲学が成立することになります(19世紀前半のことです)。ヘーゲルは、物質的世界も精神的世界も(カント流の把握では「物自体の世界」も「現象の世界」も)、あるひとつの根源的な精神的存在(絶対精神)が姿を変えたものにほかならない! とすることで、物質的世界と精神的世界の関係を一元論的に筋を通して把握しようとしたのでした。バークリ(主観的観念論)のように物質的世界の存在を否定してしまうのではなく、物質的世界の存在は当然のこととして認めた上で、それをより根源的な精神的存在から基礎づけることによって、物質的世界と精神的世界とを統一的に把握することを試みたわけです(客観的観念論)。こうしてヘーゲルは、観念論哲学の完成への道を示したのであり、もう少し歴史的過程を踏まえていえば、イギリス経験論のぶつかっていた壁(物質的世界の存在が否定されかねない!)を観念論的に突破する方向を指し示すことになったのでした。

 それでは、イギリス経験論のぶつかっていた壁(物質的世界の存在が否定されかねない!)を唯物論的に突破するとすれば、どのようになるのでしょうか。それは、物質的世界も精神的世界も、物質という根源的な存在が姿を変えたものにほかならない! とすることで、物質的世界と精神的世界の関係を一元的に筋を通して把握することです。より具体的にいうならば、宇宙、太陽系、地球という物質的世界の歴史的発展の流れのなかで生命(吉本隆明さん流にいえば、無機的自然に対する異和としての「原生的疎外」)が誕生し、この生命(原生的疎外)の領域が広がっていくなかで、ある段階において、その領域内部に精神的世界(吉本隆明さん流にいえば「純粋疎外」の領域)が誕生することになったのだ、という大きな流れに1本の筋を通して把握することです(*)。このような道によってこそ、真の唯物論哲学が完成するのです。こうした唯物論哲学の完成は、宇宙、太陽系、地球と生命の歴史について究明する自然科学の大発展が不可欠の前提となります。したがって、唯物論哲学の完成への歩みは、観念論哲学の完成への歩みに比して大きく遅れることにならざるをえなかったのであり、20世紀後半の日本においてようやく、南郷学派による生命史観の構築という形をとって、唯物論哲学の完成への道が明確に示されることになったのです。

 それでは、このような哲学の歴史の大きな流れを踏まえた上で、それぞれイギリス経験論の限界を突破しようとしたカントとスミスについて、どのように比較することができるでしょうか。

 端的には、カントは、イギリス経験論の限界の観念論的突破、すなわち観念論哲学の完成に向けて大きく歩を進めたのに対して、スミスは、イギリス経験論の限界の唯物論的突破、すなわち唯物論哲学の完成への方向性をかすかに示唆したのだ、ということができるでしょう。スミスについてこのように評価しうるのは、スミスが、イギリス経験論の流れにおいて全くの白紙とされてきた人間的精神の根底に、他の動物と共通する本能的知覚が存在する可能性について示唆するに至ったからにほかなりません。もちろんスミスは、人間精神と動物的本能の両者がどのように関連しているのか、もう少し詳しくいえば、動物的本能という土台の上に、それとどのように絡み合いならが、人間に特有の精神的な活動が展開していくことになるのか、という問題については、まともに解決しているとはいえません。総じて、「外部感覚論」は、こうした問題の提起に留まっているといわねばならないのです。人間の感覚についての分析も、現代における学問の最高の到達点(**)からすれば、かなり幼いレベルのものであることは否定できません。

 それでも、18世紀という時代的な制約(当時はまだ生物の進化ということが認められてはいなかった!)を考えるならば、このような問題提起をなしえたこと自体が偉大な業績であったというべきなのです。それまでの哲学(認識論)の歴史では、いわゆる大陸合理論の流れであれ、イギリス経験論の流れであれ、人間は唯一の理性的被造物であるという点が当然のごとく前提とされ、人間に特有の精神活動(人間の特殊性)ばかりに焦点が当てられてきた嫌いがあります。これに対してスミスは、人間の特殊性に着目するのみならず、他の動物との共通性にまで視野を広げて考察していく必要性について提起したのです。スミスが、人間の感覚について論ずるに際して、リンネのいわゆる蠕虫綱のような“下等生物”の行動様式までも射程に入れて論じていることは、生命進化の流れを踏まえてこそ人間精神のまともな解明は可能になるのだという予感のようなもの(ほんの予感にすぎませんが)を示しているとはいえないでしょうか。もちろんこれは、ビュフォンやリンネなどによる当時の生物学の大きな発展を背景にしてのことですが、こうした成果を踏まえつつ、人間の精神を解明するにあたっての新たな方向性――究極的には唯物論哲学の完成に向かっての方向性を示唆したことは、高く評価するに値するといえるでしょう。

 我々はこの間、スミスの遺稿集『哲学論文集』に収録されている「天文学史」および「外部感覚論」を検討してきたわけですが、そのことを通じて、学問史上のアダム・スミスを単なる「古典派経済学の祖」というレベルで片付けてしまってはならないこと、あくまでも、イギリス経験論の伝統を受け継ぎつつその限界を突破することに挑戦した偉大な哲学者として評価しなければならないことが、非常に鮮明になってきたといえます。引き続き、スミスの哲学体系の全体像を明確にするための作業を進めていき、その成果を踏まえて『国富論』を検討することにより、現代における経済学の危機的情況――それは、他領域から切り離され、専門的な分化を進めることによってもたらされたものにほかなりません――を打開する方向性を模索していくことにしたいと考えています。

(*)宇田亮一『吉本隆明「心的現象論」の読み方』(文芸社、2011年)は、「原生的疎外」とは「“生き物一般の心”の枠組み」であり、「純粋疎外」とは、生き物一般の心ではなく「“ヒトの心”の枠組み」だと説明しています。このことを、吉本隆明さん自身の言葉で確認しておくと、以下のようになります。

「生命体(生物)は、それが高等であれ原生的であれ、ただ生命であるという存在自体によって無機的自然にたいしてひとつの異和をなしている。この異和を仮りに原生的疎外と呼んでおけば、生命体はアメーバから人間にいたるまで、ただ生命体であるという理由で、原生的疎外の領域をもって(いる)」(吉本隆明『心的現象論序説』北洋社、1971年、p.21)
「原生的疎外を心的現象が可能性をもちうる心的領域だとすれば、純粋疎外の心的領域は、心的現象がそれ自体として存在するかのような領域であるということができる」(同、p.108)


 吉本隆明さんは、心とよばれる領域がなぜ存在しているのか、という問題について、ずっと生命の進化の歴史を遡るようにして追究していったものと思われます。上記の引用文は非常に難解な表現ではありますが、無機的自然に対する異和として「原生的疎外」の領域、すなわち、「心的現象が可能性をもちうる心的領域」がまず誕生し、それが発展していく流れのなかで「心的現象がそれ自体として存在するかのような領域」が誕生してきたのだ、という大きな流れが把握されているらしいことは読みとれます。物質的世界の発展のなかで、物質的世界のなかから段々と精神的世界が育っていくという流れを非常に印象的に掴まえたものとして、注目に値するでしょう。

(**)瀬江千史・菅野幸子『新・頭脳の科学』(現代社、2012年)。この書では、人間の感覚について、以下のように説かれています。

「そもそも、生命体の一般性としての感覚とは、内界および外界の変化を生きるのに必要な限りで感知することです。しかし、「生命の歴史」において、脳が誕生した魚類段階以降の感覚とは、その一般性に貫かれながらも、内界および外界の変化を感知して、脳に像を形成することです。すなわち、魚類段階以降の高等動物は、内界と外界の変化を感覚器官で感知したものが脳に伝えられて、像を形成し、像の形成と直接に運動が行われ、またその感覚の結果に基づいて、直接に代謝が行われ、生きているのです。
 ここを踏まえて、次にいよいよ人間の感覚とは何か、の問題になります。
 人間にとっての感覚とは、内界および外界の変化を感覚器官で感知するという、生命体としての感覚の一般性に貫かれ、さらに、内界および外界の変化を感知して脳に像を形成するという、高等動物としての感覚の特殊性に貫かれながらも、認識によって、感覚そのものが統括され、その結果感覚像が個別性を持つという、人間としての特殊性を持つものでした。」(『新・頭脳の科学(上巻)』pp.154-155)


(了)
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2014年09月17日

アダム・スミス「外部感覚論」を読む(4/5)

(4)スミスは本能が外部の物体の存在を示唆する可能性について論じた

 前回みたとおり、スミスは、基本的にはバークリ『視覚新論』の議論を踏まえながら、視覚と触覚との関係について、視覚的諸対象と触覚的諸対象が全く異なるものであること、にもかかわらず我々が両者を結合して理解するようになるのは、理性の働きではなく、観察と経験によるものであることを論じてきました。視覚的諸対象と触覚的諸対象との結合が観察と経験によるものだ、という結論は、チェセルデンの手術によってはっきり目が見えるようになった青年の事例によって、すでに充分に証明されたようにも思われます。

 ところが、ここにきてスミスは、唐突に(?)、根本的な疑問を提起するのです。件の青年がもっぱら観察と経験(感覚器官を実際に機能させること)によって視覚的諸対象と触覚的諸対象との関連性についての知識を獲得したからといって、幼児たちが両者の関連性についての本能的知覚(instinctive perception)を持たないとは確信をもって推論できないではないか、と。

 ここからスミスは、視野を大きく広げて、鳥類のヒナや哺乳類の産まれたばかりの子どもがどのように行動するのか観察した結果を踏まえて、考察を進めていきます。スミスは、めんどりはヒヨコたちが卵から孵化するとすぐに野原に連れて行って餌を摂らせるのであって、ヒヨコたちはそこらを平気で歩き回っているように見える、と述べます。ヒヨコが、めんどりによって示された小さな穀粒に向かって、数ヤード(1ヤード=0.9144メートル)の遠方からでも一直線に走っていき、それを拾い上げる場面さえ見られる、というのです。一方、スミスは、目の見えない状態で卵の殻から出てくる鳥類についても考察しています(スミスは、「藪のなか、木立の上、高い壁の穴や裂け目のなか、高い岩や絶壁の上、その他の近づきがたい場所に巣を作る鳥類、すなわち、リンネによってタカ、カササギ、スズメの目に分類されている大部分の鳥類」としています)。スミスは、これらの鳥類のヒナは卵から目が見えないまま出てきて、少なくとも数日間はその状態を続けるように思われる、としています。しかし、これらの鳥類は、飛べるようになったときには明らかに、諸々の視覚的対象が表示する触覚的諸対象の形状と大きさの比例を非常に正確に識別できるようになっています。スミスは、それほど短い期間に、経験によってこうした視覚の能力が獲得されるとは考えられないから、彼らはそうした能力を何らかの本能的示唆から引き出したに違いない、と結論づけるのです。

 スミスは、哺乳類の子どもについても、目の見える状態で産まれてくるグループと、目の見えない状態で産まれてくるグループとに分けて考察しています。スミスは、若干の哺乳類の子どもは、地上に巣を作る鳥類のヒナと同様に、産まれるとすぐに完全に視覚能力を享受している、とします。例えば、子牛や子馬は、産み落とされた当日あるいは翌日には、母親に連れられて野原へ行くのですが、そこらを平気で歩き回っているように見えるのです。これらの子どもたちが、それぞれの視覚的対象が表示する触覚的対象の形や大きさについて、ある程度まで正確に識別しえなかったならば、そんなことはとても不可能であろう、とスミスは述べています。一方、スミスは、若干の哺乳類の子が、近づきがたい場所に巣を作る鳥類のヒナと同様に、目が見えないまま産まれてくることにも触れています。しかし、彼らの目も間もなく見えるようになるのであり、見えるようになるや否や、彼らもまた完全に視覚能力を享受するように思われる、というのです。このことは、我々の誰もが子猫や子犬において観察しうるところであるし、私が確かな情報を収集することのできた肉食獣の全てについて同じことがいえるのだと確信している、とスミスは述べています。

 このように、スミスは、鳥類や哺乳類の子どもの行動についての観察から、これらの子どもが、視覚的諸対象と触覚的諸対象との関連性について、本能的な知覚を備えていることは明らかではないか、と主張しているわけです。

 鳥類や哺乳類の子どもについて、以上のような本能的知覚の存在を確認したスミスは、人間が、この種の本能的知覚を賦与されないまま産まれてくる唯一の動物であると想定するのは困難ではないか、と述べます。これは、心はもともと白紙である、というイギリス経験論の大命題を覆しかねないような、重大な疑問の提起であるといえます。もっともスミスは、そのすぐ後で、人間の子どもが非常に長期間にわたって完全な依存状態にあり、母親の腕に抱かれて運び歩かれねばならないことからすれば、人間の子どもにとってのそうした本能的知覚の必要性は、他のいかなる動物にとってよりも少ないであろう、との留保をつけているのですが。

 スミスは、こうした本能的知覚の存在についての推測を、人間の赤ん坊の行動についての観察で補強しようとしています。例えば、生後やっと1ヶ月になった幼児は、自分に提示される小さな玩具に触れようとして手を差し伸べる、といいます。また、生後2、3ヶ月未満の幼児の前に小さな鏡を差し出せば、その子は鏡面の向こう側にいる幼児(実は自分の姿)に触れようとする、というのです。これほどまでに幼い子どもが、視覚で捉えた対象に触れようとして手を伸ばすことからして、彼らが視覚的諸対象と触覚的諸対象との関連を観察と経験から学んだとはいえないのではないか、というのがスミスの提起です。

 以上のようにしてスミスは、視覚的対象と触覚的対象とが本能的に結合されている可能性について、換言すれば、視覚があらゆる観察と経験に先だって外部の物体の存在を示唆しうる可能性について主張するに至ったわけです。「外部感覚論」の最後でスミスは、この到達点に立ちつつ、視覚以外の諸感覚についても、外部の物体の存在について本能的に示唆しうるか否かを検討しています。

 そのうち、味覚については、何らかの物体が味覚器官に押しつけられない限り感じられようがない(つまり、味覚器官としての舌が触覚器官としての舌よりも時間的に先行して機能することはありえない)から、観察と経験に先だって外部の物体の存在を示唆しうることなどありえないだろう、とされています。これに対して、におい、熱さ冷たさ、音の感覚作用(それらを感じる器官から相当に離れた物体によっても引き起こされうる諸感覚作用)については、外部の物体の存在を示唆しうる可能性が主張されることになります。

 臭覚については、あらゆる哺乳類の子は産まれるとすぐに乳を吸うために母親の乳首に向かおうとするが、この動作は臭覚によって導かれたものであることは明らかである、とされています。においは外部の物体に近づく方向を示唆するのだから、その物体(においによってその方向が示唆される事物)の存在についての、ある漠然とした先入観のようなものを示唆するに違いない、というのです。

 また、臭覚については、味覚との関連性が論じられています。端的には、においが食物の方向のみならず味をも示唆することは大いにありうる、ということです。スミスは、外部感覚のそれぞれの対象は、たいていの場合、互いに類似性を持たない(視覚についての議論のなかでは視覚的対象と触覚的対象とが全く異なることが強調されていました)が、臭覚と味覚の感覚作用はその例外で、においの感覚作用と味の感覚作用とは、明確な類似性を持っているのだ、と述べるのです。端的には、我々の前に置かれた食物が如何なる味なのかは、実際に味わってみなくても、においによってある程度まで知ることが可能だということです。スミスは、このことが、生物(いうまでもなく食物の獲得が生命維持の大前提です)にとっての臭覚の重要性を示すものだと捉えていたようです。スミスは、リンネが蠕虫綱に分類した多数の動物(*)が、目も耳も持っていないにもかかわらず、餌を求めて自力で動き回ることに着目し、こうした行動は臭覚以外の感覚によっては導かれえない、と断言します。しかしながら、これらの動物を顕微鏡でいくら精密に観察しても、何らの明確な臭覚器官も発見されませんでした。これらの動物は、口と胃は持っていても鼻孔は持たないのです。このことについてスミスは、おそらくこれらの動物においては、味覚器官がより完全な動物に見られる臭覚神経が有しているのと同種の感受性をもっているのであろう、と推測しています。これらの動物は、いわば遠くから味わうようにして食物に引き寄せられていくのであり、これらの動物にとってのにおいと味とは、同一器官に由来する強弱の感覚作用として区別されるほかはないのかもしれない、というわけです。

 熱さ冷たさの感覚については、我々自身の身体を破壊してしまいかねない極端な熱さ冷たさを避け、身体の健康にとってちょうど具合のよい温度を求めるために与えられたものだとされた上で、次のように論じられています。熱さ冷たさの感覚は、我々の位置が破壊的であるときはそれを変更したいという願望を引き起こし、それが健康的であるときにはそこにとどまるよう誘うのであるが、我々の位置を変更したいという願望は、我々の現在いるところとは違った場所への移動についての観念を想定しており、また同一の場所にとどまろうとする願望さえ、少なくとも変更可能性についての観念を想定しているのである、と。つまり、熱さ冷たさの感覚は、外部の物体の存在について、ある漠然とした見解を本能的に示唆しなかったならば、自然の意図(破壊的な位置を避け健康的な位置に留まる)にとても応ずることは出来なかったであろう、というのがスミスの結論です。

 聴覚については、音そのものは生物体にとって有益でも有害でもありえないにもかかわらず、全ての動物、とりわけ人間が、異常かつ予期しなかった音によって警戒――直接的に感じられるものを越え、未知の外部的原因に由来する、不確かな害悪に対する恐怖――を抱き、ビックリし、目を覚まし、用心深く、注意深くなることが指摘されています。こうした効果は、異常な音が聞かれるとただちに、過去の観察と経験の如何なる回想も待たずに生じるものであり、したがって、自然の手によって直接に刻印された本能的示唆という特徴を備えたものとされるのです。

 外部の物体の存在についての本能的示唆という問題について、以上のような考察がなされた上で、「外部感覚論」は、以下のような文章によって閉じられています。

「視覚、聴覚、および臭覚の3つの感覚が自然によって我々に与えられたのは、我々の身体の現実的な位置に関してというよりもむしろ、我々から若干離れているけれども遅かれ早かれ我々の現実的な位置に影響を及ぼし、結果として我々に有益または有害となりうる、他の外部的諸物体の位置に関して、我々に情報を与えるためであるように思われる。」

 視覚、聴覚、および臭覚によって知覚される色、音、においといった諸々の感覚作用は、ロックのいわゆる二次性質であり、これらが主観的なもの、すなわち、我々の心のなかにしか存在せず、それらの感覚を引き起こす原因となったと思われる物体には存在しないことが一面的に強調され度外れに拡大されていくことで、バークリのような物体否定論が成立したのでした(バークリは、一次性質と二次性質の区別を否定し、全てを感覚作用そのものに収斂させたのでした)。

 これに対してスミスは、これら二次性質に関わる諸感覚が一次性質を感知する触覚とは全く異なるものであることは明確に認めた上で、これら二次性質に関わる諸感覚もまた、結局のところ、ロックのいわゆる一次性質(固性)としての外部的諸物体の存在を把握するためのものとして、物体と離れては働きえない触覚の機能を補うためのものとして、成立させられていることを指摘するのです。要するに、スミスは「外部感覚論」の結論として、感覚のみに視野を限定して外部的諸物体の存在を否定するに至ったイギリス経験論の発想を全く逆転させて、外部的諸物体の存在を前提として諸感覚の位置づけを明らかにするという視点を提示しているのです。

(*)リンネ『自然の体系』(第10版、1758年)では、動物が大きく、哺乳綱 (Mammalia)、鳥綱 (Aves)、両生綱 (Amphibia)、魚綱 (Pisces)、昆虫綱 (Insecta)、蠕虫綱(Vermes)の6つのグループに分類されました。蠕虫綱は、現在でいう無脊椎動物のうち節足動物(昆虫、クモ、エビ、カニなど)を除く雑多なグループです。具体的には、ミミズ、ヒル、ナメクジ、ナマコ、ヒトデ等々をイメージして下さい。


【補論】カントの「外部感覚論」

 カントは、最晩年に出版された『実用的見地における人間学』において、5つの外部感覚(通常は「外的感官」と訳されています)についての分析を行っています。カントは、触覚、視覚、聴覚を客観的なもの、臭覚と味覚を主観的なものとして、五感を二大別します(これは機械的な影響による感覚と化学的な影響による感覚という区別だとも説明されています)。この分類は、スミスが、イギリス経験論における一次性質と二次性質の区別を踏まえつつ、器官を圧迫する感覚としての触覚と、器官のなかにある感覚としての味覚、臭覚、聴覚、視覚とに二大別した(厳密には、触覚から熱さ冷たさについての感覚作用が分離されて後者に含められた)のとは大きく異なります。

 もっとも、両者の外部感覚論には共通点もあります。カントは、客観的な感覚としての触覚、視覚、聴覚のうち、触覚こそが直接的な外的知覚の唯一の感官(感覚)であることを強調するともに、「〔聴覚と視覚の〕感官が経験知を得るためには、それらはそもそもはじめから物体の形状についての知覚〔触覚のこと――引用者〕とつながっていなければならない」(渋谷治美訳、『カント全集〈15〉人間学』岩波書店、p.65)とするのです。こうした捉え方は、スミスの議論との興味深い共通点を示しています。

 しかし、カントが、臭覚や味覚について、五感のうちでそれほど重要なものではない、としているのは決定的な相違点といえます。こうしたカントの臭覚・味覚の軽視(?)は、スミスがリンネのいわゆる蠕虫綱(ミミズなど)がほとんど臭覚・味覚に頼って生きているであろうことを指摘して、その生命維持における重要性を強調しているのとは非常に対照的です。このような相違点が生じたのは、スミスが人間もまた動物の一種であるという観点から動物の普遍性に着目して人間の外部感覚について考察しようとしたのに対して、カントがあくまでも理性的被造物としての人間の特殊性にこだわって外部感覚(外的感官)についての考察を進めようとしたことに原因があるといえそうです。この問題については、次回、もう少し深く検討してみることにしましょう。
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2014年09月16日

アダム・スミス「外部感覚論」を読む(3/5)

(3)スミスはバークリを下敷きに視覚と触覚の対応関係について論じた

 前回は、スミスが、諸々の感覚を外部の物体の存在を示唆しうるか否かにしたがって大きく2つに分けようとしていたことを確認しました。スミスは、触覚が器官の圧迫による感覚(sense on the organ)であるがゆえに外部的諸物体の存在を明確に示すものであるとする一方で、熱さ冷たさ(これは触覚と同じ身体部分で感知されるにもかかわらず)、味、におい、音の4つの感覚作用(sensation)については、これらが器官を圧迫するものではなく、あくまでも器官の内部に存在する感覚(sense in the organ)であるがゆえに、外部的諸物体の存在を直接に示唆するものではない、としていたのでした。さらにスミスは、延長、形、可動性、可分割性といった性質しか持っていないように思われる固性的諸実体が、それ自身とは似ても似つかぬこれら4つの感覚作用を器官の内部に引き起こしうるのは何故なのか、という難問の存在を指摘することによって、いわゆる二次性質に関わる感覚作用と固性的諸実体とが全く異質なものであることを強調していたのでした。二次性質に関わる感覚作用についての以上のような議論を踏まえつつ、スミスは、同じく二次性質に関わる感覚作用とされてきた視覚についての検討を進めていくこになります。今回は、この視覚についての分析をみていくことにしましょう。

 スミスは、視覚についての検討の冒頭において、バークリの『視覚新論』に対して、以下のように、最大級の賛辞を捧げています。

「バークリ博士の『視覚新論』は、……最も素晴らしい哲学的分析の実例のひとつであり、彼はそのなかで、視覚の諸対象の本性について、すなわち、それらと触覚の諸対象との対応関係と関連性のみならず両者の相違点についても非常に明確に説明したので、そこに改めて私が付け加えるべきものはほとんどない。私はただ、彼の書物を研究する機会がなかった読者にも理解できるようにするために、この偉大な教師にならって、同じ主題をあえて取り扱うのである。この主題について私が述べようとする事柄はいずれも、直接に彼から借用したものではないにしても、少なくとも彼がすでに述べたことから示唆されたものである。」


 ここで宣言されているように、視覚についての検討は、基本的にバークリの『視覚新論』を下敷きにして進められていくことになります。『視覚新論』において最大の焦点となっているのは、ここでスミスが触れているとおり、視覚と触覚との関係の問題です。スミスは、バークリの議論を下敷きにしながら、視覚と触覚の対応関係について論じているわけです。

 視覚についての議論は、視覚的諸対象(visible objects)と触覚的諸対象(tangible objects)が全く異なる2つのものであることを確認するところからスタートしています。ここで、「視覚的(諸)対象」「触覚的(諸)対象」という言葉について、あらかじめ注意しておく必要があります。普通、「対象」という言葉は、我々の前に、我々から独立して存在している事物を指すものとして使われています(*)。ところが、バークリは可感的事物(sensible things)は我々の心のなかにしか存在しないという立場ですから、感覚と対象とは直接に同じものであって区別などできないことになります。したがって、バークリが視覚的対象といえば、それは視覚によって捉えられた感覚(映像)そのものを指し示す言葉にほかならず、触覚的対象といえば、何かに触っているという感覚そのもののを指し示す言葉にほかならないわけです。これに対してスミスは、外的諸物体の存在を肯定する立場に立っています。したがって、バークリの議論を踏襲して視覚的対象、触覚的対象という言葉を使っている場合でも、単に感覚のみならず、その感覚の根拠となった外的諸物体(のある特定の側面)までもが含まれてしまっている場合があるのです。とりわけスミスは、固性(ロックのいわゆる一次性質)を感知する触覚によって外的諸物体の存在が直接に明示されることを強調する立場ですから、スミスが触覚的対象といった場合、ほぼ同時に外的物体そのもののことを意味しているのだと考えて間違いありません。これに対して視覚は、ロックのいわゆる二次性質である色彩を感知するものであるだけに、そもそも外的物体との繋がりは希薄であるといえます。それだけに、スミスが視覚的対象という言葉を使っている場合でも、バークリと同様に視覚的映像そのものを指すに留まっている場合が多いように思われます。以上の点を念頭に置いて、以下の説明を読み進めてください(以下に登場してくる「視覚的(諸)対象」「触覚的(諸)対象」という言葉については、外的諸物体を指すのか感覚そのものを指すのか、適宜、括弧内で示すようにします)。

 まず、スミスは(バークリに倣って)、我々は通常、視覚によって諸々の対象の外部性(諸々の対象が我々から離れたところに存在すること)を直接に知覚すると想像しがちであるものの、これは思い込みにすぎないことを指摘しています。スミスによれば、視覚の諸対象は目を圧迫しているわけではありません。したがって、視覚はあくまでも器官のなかにある感覚(sense in the organ)であるがゆえに、外部的諸物体の存在を直接には示唆しえないのだ、ということになるわけです。

 このことを確認した上でスミスは、触覚の対象となるのは固性(およびその様々な形状)であるのに対して視覚の対象となるのは色彩(およびその様々な形状)であること、色彩と固性とは互いに何らの類似性も持っていないことを指摘しています(ロック以来の分類に従えば、固性は物体の一次性質、色彩は物体の二次性質です)。したがって、視覚的諸対象と触覚的諸対象とは、互いに何らの類似性も持たない2つの世界を構成しているのだ、ということにもなるのです。触覚によって捉えられた世界は、縦、横、奥行きの3つの次元を持っていますが、視覚によって捉えられた世界は、縦と横の2つの次元しか持っていません。

 このようにしてスミスは、一次性質(固性)を対象とする触覚と二次性質(色彩)を対象とする視覚という対比の構図を明確にしています。前回の最後の部分で、スミスが、いわゆる二次性質に関わる感覚作用と固性的諸実体とが全く異質なものであることを強調していたことを確認しましたが、こうした議論の枠組みを踏襲する形で、二次性質(色彩)に関わる視覚が、一次性質(固性)に関わる触覚とは全く異なる感覚であること、視覚だけでは固性的実体の延長(空間的拡がり)や形や運動などを感知しようがないのだ(我々は通常そのように思い込んでいるにもかかわらず!)ということが強調されることになっているわけです。

 しかし、実際には我々は、何らの類似性を持たないはずの視覚的諸対象(視覚で捉えた映像)と触覚的諸対象とをごく当たり前のように結びつけています。例えば、視覚で捉えた消しゴム(映像)と触覚で捉えた消しゴム(触ったという感覚)とは、何らの類似性を持たないにもかかわらず、同一の対象に関わるものとして、ごく当たり前のように結びつけられてしまうわけです。このような視覚的対象(映像)と触覚的対象(触ったという感覚)との結合は、一体どのようにしてなされているのでしょうか。

 この問題についてスミスは、端的には、触覚的対象の持っている諸々の性質が、想像によって、それに対応する視覚的諸対象にもあるものとされるからだ、としています。ここでスミスが具体例として出しているのは、自分のいる部屋の大きさと自分の指の大きさとを比べてみる、というケースです。指を目の前に立てると、部屋の大部分が覆い隠されて見えなくなってしまうでしょう。つまり、視覚的指(指の映像)は視覚的部屋(部屋の映像)とほぼ同じ大きさであるわけです。しかし、我々は、触覚的指(触覚によって確かめることのできる指)が触覚的部屋(触覚によって確かめることのできる部屋)に比べて非常に小さいことを知っていますから、視覚的指もまた視覚的部屋に対して同様に非常に小さいと考えてしまうのです。つまり、我々は視覚のほうこそ修正されるべきものだと判断するのであり、目に見えている大きな指を思考によって縮小させるとともに、目に見えている小さな部屋を思考によって拡大させるのです。

 ここでしっかりと確認しておかなければならないのは、修正されるのはあくまでも視覚の側であるということです。視覚と触覚との食い違いは、あくまでも触覚に合わせるように視覚を修正することによって、解消されるのです。それはなぜかといえば、我々の身体にとって、有益であったり有害であったりするのは、触覚的諸対象(固性的実体)だけであるからです。ここから、触覚的対象(固性的実体)こそ主であり視覚的諸対象(視覚によって捉えられた映像)が従であって、後者は前者を表示するものにすぎない、という捉え方が成立してくることになります。スミスは、次のように説明しています。

「視覚的諸対象である色彩、およびその全ての様々な形態は、それ自体としては単なる映像あるいは画像にすぎず、いわば視覚器官の前で漂っているように思われる。それらは、それ自体としては、またそれらが表示する触覚的諸対象との関係から独立しては、我々にとって何ら重要ではなく、本質的に益にも害にもなりえない。
 我々の注意のほとんどは、視覚的・表示的諸対象(visible and representing objects)にではなく、触覚的・被表示的諸対象(tangible and represented objects)に向けられているので、我々は想像において、前者に属さず全く後者に属する大きさの度合いを、前者に属するものだとしがちなのである。」


 例えば、我々の空腹を満たしてくれるのはあくまでも固性的実体としてのパンであり、パンの単なる映像(視覚によって捉えられたパン)はそれ自体としては我々にとって全く無益な存在でしかありません(「絵に描いた餅」というコトワザもあります)。だからこそ、我々の注意は、何よりもまず触覚的対象(実際に手で触って確かめることができ、空腹を満たしてくれる固性的実体)としてのパンに向けられているのであって、視覚的対象としてのパンは、あくまでも触覚的対象としてのパンの存在を表示してくれる限りにおいて、注意されるにすぎないのです(**)。

 以上のようにして、スミスは、触覚的対象の持っている諸々の性質が、想像によって、それに対応する視覚的諸対象にもあるものとされるのだ、ということを確認しているわけですが、ここには大きな問題が残されています。それは、我々はそもそも、ある視覚的対象(映像)がどの触覚的対象を表示しているのか、如何にして知るようになるのか、ということにほかなりません。例えば、視覚的パン(パンの映像)が表示するのは触覚的椅子でも触覚的テーブルでも触覚的皿でもなく、他ならぬ触覚的パン(触覚によって確かめることのできるパン)なのだ、ということを、我々はどのようにして知るようになるのでしょうか。これは理性の働きによるものなのでしょうか、それとも観察と経験(実際の感覚作用の繰り返し)によるものなのでしょうか。

 この問題についてスミスは、理性がどんなに努力しても観察と経験の助けなしには不可能であるということが、チェセルデン氏によって白内障圧下法を施されて初めてはっきり見えるようになった青年の事例(***)を検討すれば明らかになるであろう、としています。

 この青年は、手術によって目がはっきり見えるようになった直後、それまで触覚を通じて知っていた諸々の対象と、新たに視覚で捉えられるようになった諸々の対象とが全く一致しなかったのです。この青年は、触覚を通じて以前知っていたモノが、どの視覚的対象(視覚で捉えられた映像)と一致するのか、「一日のうちに千の事物を覚えたら、また千の事物を忘れ」ながら、ひとつひとつ覚えていかなければならなかったのでした。チェセルデンは、次のような事例を紹介しています。その青年は、どれが猫でどれが犬かしばしば忘れたので、恥ずかしくて尋ねることが出来ませんでした。しかし、猫を捕まえて(彼は感触で知っていました)、しばらくじっと眺めて、下ろしてやってから「そうか、猫ちゃんだったのか。この次はきっとお前を分かってあげるからね」といったのです。

 スミスは、このような事例について、我々が特定の視覚的対象を特定の触覚的対象に結びつけられるようになるのは、理性の働きではなく観察と経験によるものであることを明白に示すものにほかならない、と捉えたわけです。

(*)もう少し踏み込んで考えるならば、如何なる外的対象も、我々の感覚器官に何らかの刺激を与えない限り、その存在が我々に知られることはありえません。我々は、我々の感覚器官を通じて捉えられられた限りの対象を問題にできるにすぎないのです。その限りにおいて、バークリが心の外側に何らの物体も存在しない、といったことには一理あるともいえますし、こうした問題を徹底的に突き詰めて考え抜いたところにこそ、カントの「物自体(Ding an sich)」「現象(Erscheinung)」概念が成立してくるのだと考えられます(詳細は、本ブログに掲載した2014年8月例会報告を参照して下さい)。この問題については、本稿の連載最終回でもう少し突っ込んで考えてみることにします。

(**)視覚的対象は我々の身体にとって有益であったり有害であったりする事物を表示し明らかにしてくれるものだ、という議論そのものは、バークリ『視覚新論』147節にあるものです。ここでバークリは「視覚の固有な対象は自然の創造主の普遍的言語ともいうべきものを構成している」(下條伸輔他訳『視覚新論』勁草書房、p.119)と述べています(いわゆる視覚言語論)。具体例としてバークリが示しているのは、盲目である人に対して目の見える案内者が「あと何歩か進むと崖があるよ」などと教えてあげるケースです。盲目である人にとっては、このような告知はまるで奇蹟のように聞こえるだろう、というわけです。ここで、心の外側の物質的存在を否定するのがバークリの基本的立場であったはずなのに、盲目である人の心のなかに存在しなかったはずの崖が問題になっているのは何故だろう、という疑問が生じるかもしれません。結論からいえば、ある特定の個人にたまたま知覚されていないもの(この場合、盲目である人にとっての数歩先にある崖)も、神に知覚されたものとして存在し続けているのだ、というのが僧正バークリの考え方なのです。我々個人の心のなかにある諸々の観念(感覚=対象)は、あくまでも神の心のなかにある諸々の観念の模像にすぎないのだ、というわけです。バークリにとっては、我々の身体も、その身体にとって有益であったり有害であったりする諸々の事物も、全てが観念的な存在にすぎません。
 一方、スミスにとっては、我々の身体も、その身体にとって有益であったり有害であったりする諸々の事物も、全て厳然たる物質的存在(固性的実体)です。したがって、スミスがバークリの視覚言語論を基本的に肯定しつつ、視覚的諸対象は触覚的諸対象を表示しているのだ、と説く場合であっても、そこには、バークリの議論とは比較にならないくらいの切実さが、自ずと込められることになるのだというべきでしょう。

(***)この手術は1728年に行われました。当時13歳であったこの青年は、もともと光や微かな色を見てとることは辛うじて出来たものの、事物の形状を識別することは全くできなかったといわれています。この事例は当時大いに注目されたものであり、バークリも『視覚論弁明』で詳しく論じています。ちなみに、この手術に90年近く先立つ1639年、イギリスの哲学者モリヌークスが友人であったロックに宛てた手紙のなかで、純粋に理論的な問題として、盲人が開眼したとき立方体と球を視覚だけで識別できるか、という問題を提出していました(いわゆるモリヌークス問題)。ロックはこの問題に対して否定的な答えを与えた(『人間知性論(一)』岩波文庫、p.205)のですが、ライプニッツは反対に肯定的に答えていたようです。チェセルデン氏によって施された手術によって、ロックの答えのほうが正しかったことが証明されたわけです。
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2014年09月15日

アダム・スミス「外部感覚論」を読む(2/5)

(2)スミスによる感覚の二大別――外部の物体の存在を示唆するか否か

 本稿は、アダム・スミスの「外部感覚論」における議論の流れを辿りながら、スミスが如何にしてイギリス経験論のぶつかっていた壁を突破する可能性を掴んでいくことになったのか、検討してみることを目的としたものです。

 前回に紹介したとおり、「外部感覚論」は、形式からいえば、5つの感覚(触覚、味覚、臭覚、聴覚、視覚)を順次検討していくという構成になっています。その冒頭に来るのが、触覚についての議論です。触覚が如何なる感覚かということについて、スミスは以下のように述べています。

「触覚の諸対象は常に、それらを知覚する身体の特定の部分を圧迫するもの、あるいは抗するものとして現われる。私が手をテーブルに置けば、テーブルは私の手を圧迫し、その一層の運動に抵抗する。圧迫や抵抗は必然的に、圧迫し抵抗する事物が外部的なものであることを想定させる。それゆえ、私はテーブルを、私の手の感受作用(affection)としてだけではなく、私の手に対して完全に外部的で独立している、あるものとして感じるのである。」


 このようにスミスは、触覚は器官への圧迫あるいは抵抗による感覚(sense on the organ)であり、必然的に、我々の外部に、我々から独立した物体が存在していることを明示するものである、としているわけです(*)。

 スミスは、この抵抗という力能もしくは性質が固性(Solidity)と呼ばれ、これを持つ事物が固体(Solid Body)と呼ばれていること、また、固体は我々に対して全く外部的なあるモノだと感じられ、必然的に我々から全く独立したモノだと考えられるから、それは実体(Substance)、すなわち、それ自体で存在し他のどの事物からも独立した事物であるとみなされてきたことを説明しています。その上で、この固性的実体に必然的に伴う性質として、延長(空間的な拡がり)、可分割性、形、可動性(運動や静止の可能性)の4つを確認するのです。スミスは言及していませんが、これらはロックなどによって「一次性質」と呼ばれたものとほぼ重なります(例えば、ロック『人間知性論(一)』岩波文庫、p.187)。さらにスミスは、古代ギリシャ以来、抵抗する実体が硬いか軟らいか、流動的であるか固定的であるか、圧縮することが可能であるか不可能であるかに関して、様々な説明が試みられてきたことを紹介しています(こうした歴史を通じて、水や空気なども「抵抗する実体」であることが認められてきたのでした)。そして、これらの問題について如何なる説明が採用されようとも、その実体なるものが我々の器官から完全に独立した存在であるということについて、我々の感覚の明確さと確実性がいささかも影響されることはないのだ、と力強く断言するのです。

 スミスは、器官の圧迫による感覚としての触覚に対して、熱さ冷たさ(これは触覚と同じ身体部分で感知されるにもかかわらず)、味、におい、音の4つの感覚作用(sensation)について、これらは器官を圧迫するものではなく、あくまでも器官の内部に存在する感覚(sense in the organ)であるから、外部の物体の存在を直接に示唆するものではない、としています。熱さ冷たさの感覚作用は皮膚の内部にあるものとして、味の感覚作用は口蓋の内部にあるものとして、においの感覚作用は鼻腔の内部にあるものとして、音の感覚作用は耳の内部にあるものとしてしか感じられないのですから、それらの感覚作用自体としては、器官から独立した外部的なものを示唆しえないのだ、ということになるわけです。しかしスミスは、このように説明した後でただちに、我々は間もなく経験から、これらの感覚作用は通常何らかの外的物体によって引き起こされるのだということを知るようになる、と付け加えています。例えば、花がなくなると匂いの感覚作用が消え去り、花が再び現れると匂いの感覚作用が復活する、という経験を繰り返すことによって、花という外的物体のある力能によって匂いの感覚作用が引き起こされていることが知られるようになるわけです(**)。

 スミスは、熱さ冷たさ、味、におい、音という4種類の感覚作用――これらが哲学者によって「二次性質」と称されてきたことが言及されています――を総括して、それらが、外部の固性的諸実体に必然的に伴う諸性質(延長、形、可動性、可分割性)のいずれも持ちえないことを確認しています。しかし、「熱い」とか「甘い」とかいった感覚作用が、空間的な拡がりとか何らかの形とかいった性質を全く持ちえないことなど、当たり前のことでしかありませんから、スミスがなぜこんな分かりきったことをわざわざ確認しているのか、疑問に思われるかもしれません。これは、これら4種類の感覚作用と固性的諸実体(延長、形、可動性、可分割性といった性質しか持っていないように思われるもの)との間には如何なる直接的な結びつきもありえないのだ、ということを駄目押し的に強調する意図があってのことだと考えられます。

 器官を圧迫する感覚としての触覚は、固性的諸実体に必然的に伴う諸性質(延長、形、可動性、可分割性)を直接に示すものです。したがって、触覚における圧迫という感覚は、ある意味で、固性的諸実体の性質と似ているともいえるものであり、極端にいえば、固性的実体の性質がこうだから触覚もこうなのだ、例えば、「この角砂糖は四角いから手で触ってみれば四角く感じるのだ」で話が済むわけです。しかし、いわゆる二次性質に関わる4種類の感覚作用については、そういうわけにはいきません。「この角砂糖は四角いから味わってみれば甘く感じるのだ」などとはいえないのです(***)。ここに、延長、形、可動性、可分割性といった性質しか持っていないように思われる固性的諸実体が、それ自身とは似ても似つかぬ感覚作用を器官の内部に引き起こしうるのは何故なのか、という問題が提起されることになります。

 この問題に関わってスミスは、哲学者たちがこれまで、外部の固性的実体がこれらの感覚作用を直接に引き起こすのではなく、いくつかの媒介的要因を通じて引き起こすのだと考えようとしてきたことを説明しています(これは、スミスが「天文学史」で論じた「中間的諸事象の鎖」の想定ということにほかなりません)。例えば、味覚の場合、刺激物体から出てくるある種の液体が口蓋の気孔内に入り、その器官の敏感な繊維にある種の振動を引き起こすことで、味の感覚作用を生み出すのだと想定されてきました。また、臭覚の場合は、発臭物体から臭気(Effluvia)と呼ばれる微粒子が呼吸によって鼻孔に吸い込まれ、そこでにおいの感覚作用を生じさせると考えられてきたのですし、聴覚の場合には、発音物体の振動が周囲の空気にそれに対応した波動を引き起こし、これが聴覚器官に到達して音の感覚作用を生じさせると考えられてきたのでした。これらの説明を概観した上で、スミスは総括的に以下のように述べています。

「哲学者たちは、以上のような媒介的諸要因によって、我々の器官内の諸感覚作用とそれらを引き起こす遠くの諸物体とを結合しようと努めてきた。これらの媒介的諸要因が、我々の諸器官に引き起こすと想定される様々な運動と振動を通じて、どのようにして、如何なる種類の振動や運動とも少しの類似性も持っていないような感覚作用をそこに生み出すのか、説明しようと企てた哲学者は、いまだかつてなかった。」


 これをもう少し詳しくいえば、次のようになります。哲学者たちは、延長、形、可動性、可分割性という性質しか持っていない(と思われる)固性的実体が、それと似ても似つかない4つの感覚作用(いわゆる二次性質に関わる感覚作用)を生み出すのはどのようにしてか、という難問を何とかして解こうと、固性的実体から発する微小粒子や空気の振動が器官内部の神経繊維に何らかの振動を引き起こすのだ、と説明するところにまでは到達しました。しかし、そこから先の過程、すなわち、それら神経繊維の運動(これはまだ固性的実体に固有な性質)と感覚作用(固性と共通する性質を何ら持ちえないもの)との繋がりを示すことはついにできなかったのだ、ということです。

 象徴的な例として、ロックによる説明をみておくことにしましょう。ロックは、スミレの匂いは感知できないほど小さなスミレの分子(これ自体は固性的実体そのもの)が感覚器官に衝撃を与えることによって伝えられるのだ、と説明した上で、以下のように述べています。

「神はこのような〔すみれの……匂いの〕観念を、これとすこしも相似しない〔すみれの分子の衝撃という〕そうした運動に結びつけたもうたと想念することは、神が痛みの観念を、この観念にすこしも類似しない、肉を裂く鋼鉄片の運動に結びつけたもうた想念することと同じように、できなくはないのである。」(ロック『人間知性論(一)』岩波文庫、p.190)


 このようにロックは、最後の最後のところで神を持ち出すことによって、この難問を強引に片付けようとしているわけです。

 もちろん、スミスもまたこの難問を解決しているわけではありませんし、そもそも解決しようのないものだと捉えている節もあるのですが、スミスはこの難問の存在を指摘することによって、いわゆる二次性質に関わる感覚作用と固性的諸実体(延長、形、可動性、可分割性といった性質しか持っていないように思われるもの)とが全く異質なものであることを強調したかったのだと考えられます。これは、残された課題である視覚の分析――視覚もまた色彩という二次性質に関わるものにほかなりません!――へと進むための周到な準備作業であったともいえるのです。それが如何なることなのか、次回、説明することにしましょう。

(*)ここで興味深いのは、スミスが、我々がテーブルのような単なる物体に手を置いてみる場合と、他人や他の動物の身体に手を置いてみる場合とを区別していることです。我々は、テーブルが我々の手による圧迫を感じるなどとは思っていないので、取り立てて配慮してやるべき対象であるとは感じません。これに対して、他人や他の動物が我々の身体による圧迫を感じるであろうことを知っているので、それなりの配慮をしてやる必要を感じる(スミスは fellow-feeling という語でこれを表現しています)、というのです。このあたりに、『道徳感情論』で展開される共感論と「外部感覚論」における触覚論との繋がりをみてとることが出来るでしょう。

(**)この問題に関連してスミスは、器官の内部の感覚作用とそれを生み出す外部の物体の力能とが同一の言葉によって表現されるという事情について、例えば「火が熱い」などと表現されるという事情について、検討しています。スミスは、誰かが「火が熱い」と発言したとしても、それは決して「火のなかに熱さの感覚作用がある」という意味で発言したわけではないことは明白である、といいます。にもかかわらず、一部の哲学者たちは、こうした言葉の曖昧さにつけ込んで、火のなかに熱さの感覚作用はないのだということを仰々しく証明して悦に入っているのだ、とスミスは非難しています。名指しこそされてはいませんが、これはバークリのことにほかなりません(バークリ『ハイラスとフィロナスの三つの対話』岩波文庫、pp.31-41)。「外部感覚論」の後の部分では、バークリ『視覚新論』への賞賛が明示的になされているのですが、ここでこのような辛辣なバークリ批判が暗示的になされていることも見逃してはならないでしょう。
 なお、sense が抽象的に感覚を指すのに対して、sensation は感覚器官が実際に何らかの刺激を受けて作用している内容を具体的に指すものと思われます。このため、本稿においては、sensation を「感覚作用」と訳出しておきます。ちなみに、大槻春彦訳の岩波文庫版ロック『人間知性論』では、sense が感官、sensation が感覚と訳出されています。ロックのいわゆる経験の2種類、すなわち、感覚と内省といったときの感覚は sensation です。

(***)ロックは「物体の一次性質の観念は物体の類似物であり、その範型は物体自身に実在するが、それら二次性質によって私たちのうちに産みだされる観念は、物体に少しも類似しない」と述べています(『人間知性論(一)』岩波文庫、p.191)。
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2014年09月14日

アダム・スミス「外部感覚論」を読む(1/5)

目次

(1)人間の精神は本当に完全な白紙から始まるのか
(2)スミスによる感覚の二大別――外部の物体の存在を示唆するか否か
(3)スミスはバークリを下敷きに視覚と触覚の対応関係について論じた
(4)スミスは本能が固性的実体の存在を示唆する可能について論じた
(5)スミスは人間の精神と動物の本能との連続性に着目した

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(1)人間の精神は本当に完全な白紙から始まるのか

 我々京都弁証法認識論研究会は、本ブログに掲載した論稿「アダム・スミス「天文学史」を読む」において、スミスが若き日の論文「哲学的研究を導き指導する諸原理――天文学の歴史による例証」(通称「天文学史」)で、想像力の積極的な役割(外界への能動的な問いかけ)に着目することで、外界の客観的法則性の認識可能性について懐疑的になっていたイギリス経験論の限界を、事実上突破するような議論を展開したことを論じました。もう少し詳しく振り返ってみるならば、以下のようなことになります。

 ジョン・ロック以来のイギリス経験論においては、認識は受動的な反映(感覚という経験)によって成立するという立場が徹底されていくなかで、感覚器官を通じて直接には反映しようのない対象内部の構造や客観的な法則性について、認識可能なものといえるかどうか懐疑的になっていました。デイヴィッド・ヒュームに至っては、自然科学の基礎となる因果律(原因と結果の繋がりの法則)は、ある事象と他の事象を我々が心のなかで主観的信念として結びつけただけのものだ(客観的な世界にそういう繋がりがあるわけではない!)、と断じたのです。

 これに対してスミスは、「天文学史」において、学問的な認識の歴史的発展過程を具体的に辿ってみることで、人間が客観的な現実世界の法則性についての認識を確立していく次第を明らかにしようとしたのでした。その要点は以下の通りです。

 スミスによれば、人間は、ある現象と他の現象がどうにも繋がらない、ということに不安を感じるのであり、この不安を何とか解消しようとして、想像力を使って、バラバラの諸事象を結合する「中間的諸事象の鎖」を創り出します。こうした観点からスミスは、古代ギリシャ以来、太陽の運動、月の運動、恒星の運動、惑星の運動というバラバラな天体諸現象を統一的に説明するための「中間的諸事象の鎖」が様々に想定されてきた歴史を描いています。興味深いのは、スミスが、天文学史についての考察をスタートさせる前に、過去の学者たちが採用してきた諸々の「自然の体系(system)」について「実在との一致・不一致を顧慮することなく」考察していく、要するに、科学的な理論や仮説が客観的実在と一致しているか否かという難問については、とりあえず脇に置いて考察を進めていく、としていたことです。にもかかわらずスミスは、ニュートンの体系に関する考察を終えた段階で、ニュートンの想定した鎖を自然界のなかに現実的に存在する真の鎖であるかのように説明せざるを得なくなった(そういうつもりではなかったのに!)、という感想をもらしていたのでした。「実在との一致または不一致を顧慮することなく」論じようとしても、天文学史の最高の到達点たるニュートンの万有引力論については、あたかもそれが客観的世界の真の姿と当然に一致するものであるかのように論じざるを得なくなる――このようにいうことでスミスは、客観的世界の法則性の認識は可能であるとの結論を読者に強く印象づけようとしていたのではないか、というのが私たちの読みでした。

 それまでの哲学の歴史においては、想像力は客観的な世界から遠ざかっていくものとして、すなわち、真理の把握を妨げるものとして、捉えられがちでした。これに対してスミスは、想像力によってこそ、感覚器官では捉えきれない客観的な世界の姿(対象の構造や法則性)の認識が可能になる可能性を示したわけです。三浦つとむさんは、『弁証法はどういう科学か』や『認識と言語の理論』などにおいて、私たちが想像(三浦さんの言葉では「観念的な二重化」あるいは「観念的自己分裂」)によって現実からより遠ざかることはより現実に接近していくことでもある、という矛盾を論じていますが、このような把握に繋がる論がスミスにおいてすでに芽生えていたともいえるわけでしょう。

 このように、スミスの「天文学史」においては、外界の客観的法則性の認識可能性に対する懐疑というイギリス経験論の困難を事実上突破するような議論が展開されたのでしたが、実はイギリス経験論の抱えていた困難は、これだけに留まりませんでした。イギリス経験論は、その展開過程のなかで、より根本的でより重大ともいえる困難を抱えるようになっていたのです。それは、我々の心の外側に諸々の物体が存在している、という常識的な見解についてすら、確信を失ってしまっていたことにほかなりません。

 イギリス経験論は、もともと、認識の確かな源泉として経験すなわち感覚を重視するという論でした。ところが、感覚の重視ということが度外れに拡大されて、「感覚そのものだけが確かだ」というところにまで突き進んでしまったのです。感覚そのものだけに着目するということは、感覚を引き起こすもとになった外的対象の存在も切り捨ててしまう(視野の外においてしまう)、ということにほかなりません。こうして、心の外側に諸々の物体が存在するということについての確信が揺らいでくることになったのでした。ジョージ・バークリは、「物質の存在に対しては、ひとつの証明もなく、それに対するはるかに多くの、克服できないほどの反論がある」(バークリ『ハイラスとフィロナスの三つの対話』岩波文庫、p.224)として外部の物体的存在について明確に否定する態度をとりましたし、ヒュームもまた「知覚の存在、あるいは知覚の諸性質のうちのなにかから対象の存在について何らかの結論をくだすのは不可能である」(ヒューム『人性論』中公クラシックス、p.105)として、外部の物体的存在について懐疑的になっていたのです。

 これに対してスミスは、「外部感覚について(Of the External Senses)」(以下「外部感覚論」とする)と題された論文(*)において、我々の心の外部に諸々の物体が存在しているのだ、という常識的な見解を大前提として堅持しながら、5つの感覚(触覚、味覚、臭覚、聴覚、視覚)のそれぞれについて、検討を行ったのです。「古典派経済学の祖」とされるアダム・スミスが「外部感覚論」などという論文を残していたことなど、世間一般にはほとんど知られていないことでしょう。また、スミス研究者の間でも、この論文については長らく、バークリ『視覚新論』の議論をなぞって若干の補足を加えた程度のものにすぎない、と捉えられることが多く、それほど注目されてきたわけではないようです。しかし、よく読んでみると「外部感覚論」は、決して単にバークリの議論を解説したというレベルにとどまるものではありません。それどころか、イギリス経験論の伝統を根本から覆してしまうような重大な内容を含んだ、実に興味深い論文なのです。

 ロックが「心は、言ってみれば文字をまったく欠いた白紙で、観念はすこしもない」(ロック『人間知性論(一)』岩波文庫、p.133)と述べたことは非常に有名ですが、スミスは「外部感覚論」での考察を通じて、最終的に、心はもともと白紙であるというイギリス経験論の大命題に対して、疑問を提起するに至っているのです。といってもスミスは、デカルトやライプニッツなどいわゆる大陸合理論の流れのような生得観念の説を肯定したわけではありません。いわゆる大陸合理論は、人間精神に固有の機能である理性に着目して、神の観念や数学の公理などが精神そのもののなかに生得的に書き込まれている、と主張しました。これに対して、スミスは、他の動物と共通する本能的知覚が人間にも(かなり弱められた程度においてだろうが)存在するのではないか、という角度から、心はもともと白紙であるというイギリス経験論の大命題に疑問を呈するのです。つまり、この「外部感覚論」からは、人間もまた一種の動物であるという観点から、人間の感覚の問題を考えていこうというスミスの発想を窺い知ることができるのです。

 スミスは、生涯を通じて生物学に強い関心を抱いていたことが知られています。1756年(33歳)のときに『エディンバラ評論』という書評誌に寄稿した文章では、フランスにおける学問の動向に注意を払う必要があると力説するなかで、ビュフォン(植物の形成、動物の発生、胎児の形成、感覚の発達などについての哲学的な推理)やレオミュール(『昆虫誌』)らの作品について言及していますし、『道徳感情論』刊行の前後には幼鳥や哺乳類の子についてのフィールドワークに取り組んだことが知られています。また、1773年(50歳)にロンドンの王立協会の会員となってからは、ビュフォン(1740年に王立協会の研究員になっていた)やリンネなど、当時を代表する生物学者たちと親しく交流を重ねたのでした。

 「外部感覚論」は、こうした生物学への関心が結実したものであるともいえます。もう少し詳しくいえば、「外部感覚論」は、18世紀における生物学研究の到達点を踏まえつつ、諸々の感覚――科学的認識の成立可能性と並んで、イギリス経験論にとっての“躓きの石”となった問題――を出発点にして、人間の認識のあり方に迫ろうとした論文であるといえるのです。

 「外部感覚論」は、形式からいえば、5つの感覚(触覚、味覚、臭覚、聴覚、視覚)を順次検討していくという構成になっていますが、内容からいえば、以下の3つの部分から構成されているといえます。

 第一は、諸々の感覚を外部の物体の存在を示唆しうるか否かにしたがって大きく2つに分ける考え方が示される部分です。

 第二は、バークリ『視覚新論』の議論を下敷きにしつつ、視覚(視覚的諸対象)と触覚(触覚的諸対象)との対応関係について検討した部分です。

 第三は、動物の子どもや人間の幼児の観察から、外部の物体についての本能的知覚が存在する可能性について検討した部分です。

 以下、「外部感覚論」における議論の流れを辿りながら、スミスが如何にしてイギリス経験論のぶつかっていた壁を突破する可能性を掴んでいくことになったのか、検討してみることにしましょう。

(*)「外部感覚論」は、「天文学史」などとともに、遺稿集『哲学論文集』に収録されています。執筆時期については諸説ありますが、田中正司『アダム・スミスの認識論管見』(社会評論社、2013年)は、『道徳感情論』の共感論との論理的な繋がりを根拠に、『道徳感情論』の執筆に先行する1750年代前半という説を主張しています。スミスの学問的構想の全体像における「外部感覚論」の位置づけという観点からすれば、この説は強い説得力を持つものといえます。この点については、拙稿「アダム・スミスの哲学体系の全体像を問う」を参照して下さい。
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 ・2011年1月例会報告
 ・武士はどのように成立したか
 ・われわれはどのように論文を書いているか
 ・三浦つとむ生誕100年に寄せて
 ・2011年2月例会報告:南郷継正『武道哲学講義U』読書会
 ・TPPは日本に何をもたらすのか
 ・東日本大震災から国家における経済のあり方を問う
 ・『弁証法はどういう科学か』誤植の訂正について
 ・2011年3月例会報告:南郷継正『武道哲学講義V』読書会
 ・新人教師に説く「子ども同士のトラブルにどう対応するか」
 ・三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』誤植一覧
 ・新大学生に説く「大学で何をどう学ぶか」
 ・新大学生に説く「文献・何をいかに読むべきか」
 ・2011年4月例会報告:南郷継正『武道哲学講義W』読書会
 ・三浦つとむ弁証法の歴史的意義を問う
 ・新人教師に説く学級経営の意義と方法
 ・三浦つとむとの出会いにまつわる個人的思い出
 ・横須賀壽子さんにお会いして
 ・続・三浦つとむとの出会いにまつわる個人的思い出
 ・学びにおける目的意識の重要性
 ・ブログ毎日更新1周年を迎えてその意義を問う
 ・2011年5・6月例会報告:南郷継正「武道哲学講義〔X〕」読書会
 ・心理療法における外在化の意義を問う
 ・佐村河内守:交響曲第1番「HIROSHIMA」CD発売
 ・新人教師としての一年間を実践記録で振り返る
 ・2011年7月例会報告:近藤成美「マルクス『国家論』の原点を問う」読書会
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む
 ・2011年8月例会報告:加納哲邦「学的国家論への序章」読書会
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論1三浦つとむの哲学不要論をめぐって
 ・一会員による『学城』第8号の感想
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論2 マルクス『経済学批判』「序言」をめぐって
 ・2011年9月例会報告:加藤幸信論文・村田洋一論文読書会
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論3 マルクス「唯物論的歴史観」なるものの評価について
 ・三浦つとむさん宅を訪問して
 ・TPP―-オバマ大統領の歓心を買うために交渉参加するのか
 ・続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2011年10月例会報告:滋賀地酒の祭典参加
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論4不破哲三氏のエンゲルス批判について
 ・2011年11月例会報告:悠季真理「古代ギリシャの学問とは何か」読書会
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論5ケインズ経済学の歴史的意義について
 ・一会員による『綜合看護』2011年4号の感想
 ・『美味しんぼ』から何を学ぶべきか
 ・2011年12月例会報告:悠季真理「古代ギリシャ哲学、その学び方への招待」読書会
 ・年頭言:「大和魂」創出を志して、2012年に何をなすべきか
 ・消費税はどういう税金か
 ・心理療法におけるリフレーミングとは何か
 ・2012年1月例会報告:悠季真理「古代ギリシャ哲学,その学び方への招待」読書会
 ・バッハ「マタイ受難曲」の構造を解く
 ・2012年2月例会報告:科学史の全体像について
 ・『弁証法はどういう科学か』の要約をどのように行っているか
 ・一会員による『綜合看護』2012年1号の感想
 ・橋下教育基本条例案を問う
 ・吉本隆明さん逝去に寄せて
 ・2012年3月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第1章〜第4章
 ・科学者列伝:古代ギリシャ編
 ・2年目教師としての一年間を実践記録で振り返る
 ・2012年4月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第5章〜第6章
 ・科学者列伝:ヘレニズム・ローマ・イスラム編
 ・簡約版・消費税はどういう税金か
 ・一会員による『新・頭脳の科学(上巻)』の感想
 ・新人教師のもつ若さの意義を説く
 ・2012年5月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第7章
 ・科学者列伝:西欧中世編
 ・アダム・スミス『道徳感情論』を読む
 ・2012年6月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第8章
 ・科学者列伝:近代科学の開始編
 ・ブログ更新2周年にあたって
 ・古代ギリシアにおける学問の誕生を問う
 ・一会員による『綜合看護』2012年2号の感想
 ・クセノフォン『オイコノミコス』を読む
 ・2012年7月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第9章
 ・科学者列伝:17世紀の科学編
 ・一会員による『新・頭脳の科学(下巻)』の感想
 ・消費税増税実施の是非を問う
 ・原田メソッドの教育学的意味を問う
 ・2012年8月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第10章
 ・科学者列伝:18世紀の科学編
 ・一会員による『綜合看護』2012年3号の感想
 ・経済学を誕生させた経済の発展とはどういうものだったのか
 ・2012年9月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第11章
 ・人類の歴史における論理的認識の創出・使用の過程を問う
 ・長縄跳びの取り組み
 ・国家の生成発展の過程を問う――滝村隆一『マルクス主義国家論』から学ぶ
 ・三浦つとむの言語過程説から言語の本質を問う
 ・2012年10月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第11章
 ・科学者列伝:19世紀の自然科学編
 ・古代から17世紀までの科学の歴史――シュテーリヒ『西洋科学史』要約で概観する
 ・2012年11月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第12章前半
 ・2012年12月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第12章後半
 ・科学者列伝:19世紀の精神科学編
 ・年頭言:混迷の時代が求める学問の確立をめざして
 ・科学はどのように発展してきたのか
 ・一会員による『学城』第9号の感想
 ・一会員による『綜合看護』2012年4号の感想
 ・2013年1月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』を読む前提としての世界歴史の全体像
 ・歴史観の歴史を問う
 ・2013年2月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』をどのように読んでいくべきか
 ・『三浦つとむ意志論集』を読む
 ・言語学の構築に向けてどのように研究を進めるのか
 ・一会員による『綜合看護』2013年1号の感想
 ・改訂版・新大学生に説く「大学で何をどう学ぶか」
 ・2013年3月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』序論(前半)を読む
 ・3年目教師としての1年間を実践記録で振り返る
 ・2013年4月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』序論(後半)を読む
 ・新自由主義における「自由」を問う
 ・2013年5月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第一部 東洋の世界(前半)を読む
 ・三浦つとむ「マルクス・レーニン主義に関する本質的な質問」から学ぶ
 ・言語は歴史的にどのように創出されたのか
 ・一会員による『綜合看護』2013年2号の感想
 ・ヒュームの提起した問題にカント、スミスはどのように答えたか
 ・2013年6月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』東洋の世界(後半)を読む
 ・一会員による2013年上半期の振り返り
 ・認知療法における問いの意義を問う
 ・カント歴史哲学へのアダム・スミスの影響を考える
 ・2013年7月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』ギリシアの世界を読む
 ・2013年8月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第三部 ローマの世界を読む
 ・アダム・スミスの哲学体系の全体像を問う
 ・一会員による『綜合看護』2013年3号の感想
 ・初任者に説く学級経営の基本
 ・カウンセリング上達過程における事例検討の意義
 ・文法家列伝:古代ギリシャ編
 ・ヒューム『政治論集』抄訳
 ・2013年9月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第四部 ゲルマンの世界を読む
 ・言語過程説から言語学史を問う
 ・2013年10月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』「第4部 ゲルマンの世界」第2篇を読む
 ・戦後日本の学力論の流れを概観する
 ・一会員による『育児の生理学』の感想
 ・文法家列伝:古代ローマ・中世編
 ・2013年11月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第4部 ゲルマンの世界 第3篇を読む
 ・古代ギリシャ経済の歴史を概観する
 ・2013年12月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』のまとめ
 ・ヘルバルト教育学の全体像を概観する
 ・年頭言:歴史を切り拓く学問の創出を目指して
 ・歴史的な岐路に立つ世界と日本を問う
 ・一会員による『綜合看護』2013年4号の感想
 ・一会員による2013年の振り返りと2014年の展望
 ・ヘーゲル『歴史哲学』を読む
 ・2014年1月例会報告:学問(哲学)の歴史の全体像について
 ・一会員による『学城』第10号の感想
 ・世界歴史の流れを概観する
 ・現代の言語道具説批判――言語規範とは何か
 ・2014年2月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第3〜11章
 ・ヘルバルト『一般教育学』を読む
 ・新大学生へ説く「大学で何をどのように学んでいくべきか」
 ・2014年3月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第12〜14章
 ・三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』学習会を振り返る
 ・『育児の認識学』は三浦認識論をいかに発展させたか――一会員による『育児の認識学』の感想
 ・2014年4月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第15〜19章
 ・4年目教師としての1年間を実践記録で振りかえる
 ・文法家列伝:『ポール・ロワイヤル文法』編
 ・2014年5月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第20〜26章
 ・道徳教育の観点から見る古代ギリシャの教育と教育思想
 ・古代ギリシャの経済思想を問う
 ・半年間の育児を振り返る
 ・2014年6月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第27〜33章
 ・現代の言語道具説批判・補論――「言語道具説批判」に欠けたるものとは
 ・心理士が医学から学ぶこと――一会員による『医学教育 概論(1)』の感想
 ・アダム・スミス「天文学史」を読む
 ・現代の言語道具説批判2――言語道具説とは何か
 ・2014年7月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第34〜38章
 ・道徳教育の観点から見る中世の教育と教育思想
 ・もう一人の自分を育てる心理療法
 ・2014年8月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第39〜40章
 ・アダム・スミス「外部感覚論」を読む
 ・文法家列伝:ジョン・ロック編
 ・一会員による『学城』第11号の感想
 ・夏目漱石を読む@――坊っちゃん、吾輩は猫である、草枕
 ・2014年9月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第41〜43章
 ・ルソーとカントの道徳教育思想を概観する
 ・アダム・スミスは『修辞学・文学講義』で何を論じたか
 ・全てを強烈な目的意識に収斂させる――一会員による『医学教育概論の実践』の感想
 ・2014年10月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第44〜45章
 ・精神障害の弁証法的分類へ向けた試み
 ・シュリーマン『古代への情熱』から何を学ぶか
 ・2014年11月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第46章
 ・一年間の育児を振り返る
 ・近代ドイツにおける教育学の流れを概観する
 ・2014年12月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』のまとめ
 ・年頭言:弁証法・認識論を武器に学問の新たな段階を切り開く
 ・「戦後70年」を迎える日本をどうみるか
 ・哲学の歴史の流れを概観する
 ・『ビリギャル』から何を学ぶべきか
 ・必要な事実を取り出すとは――一会員による『医学教育 概論(2)』の感想
 ・2015年1月例会報告:南郷継正「武道哲学講義X」
 ・夏目漱石を読むA――二百十日、野分、虞美人草、坑夫
 ・アダム・スミスは古代ギリシャ哲学史から何を学んだのか
 ・マインドフルネスを認識論的に説く
 ・道徳思想の歴史を概観する
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部の要約
 ・弁証法的に学ぶとはいかなることか――一会員による『医学教育 概論(3)』の感想
 ・一会員による『学城』第1号の感想
 ・新大学生への訴え
 ・2015年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論A
 ・心理職の国家資格化を問う
 ・5年目教師としての1年間を実践記録で振り返る
 ・文法家列伝:時枝誠記編
 ・2015年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論B、C、東洋哲学
 ・夏目漱石を読むB――三四郎、それから、門
 ・臨床心理学のあるべき姿を考える――一会員による『医学教育 概論(4)』の感想
 ・アダム・スミス「模倣芸術論」を読む
 ・デューイの教育論の歴史的な意義を問う―『学校と社会』を通して
 ・2015年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ギリシア哲学史の序論、イオニア派の哲学、ピュタゴラスとピュタゴラス派
 ・高木彬光『邪馬台国の秘密』を認識論から読み解く
 ・一会員による『学城』第12号の感想
 ・2015年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エレア派〜ヘラクレイトス
 ・何故言語学の創出が必要か―一会員による2015年上半期の振り返り
 ・事実と論理ののぼりおり――一会員による『医学教育 概論(5)』の感想
 ・夏目漱石を読むC――彼岸過迄、行人、こころ
 ・2015年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エムペドクレス〜アナクサゴラス
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(上)
 ・デューイ教育論の歴史的意義を問う―『民主主義と教育』をとおして
 ・2015年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソフィスト派・ソクラテス
 ・アダム・スミス『法学講義』を読む
 ・学問上達論とは何か――一会員による『哲学・論理学研究(1)』の感想
 ・2015年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソクラテス派、プラトン
 ・庄司和晃追悼論文―庄司和晃の歩みはいかなるもので、何を成し遂げたか
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部第4章の要約
 ・一会員による『学城』第2号の感想
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(下)
 ・夏目漱石を読むD――道草、明暗
 ・2015年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』プラトン 弁証法、自然哲学、精神の哲学
 ・ナイチンゲール看護論を心理臨床に活かす――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(1)』の感想
 ・文法家列伝:時枝誠記編(補論)
 ・英語教育改革を問う―『英語化は愚民化』書評―
 ・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
 ・2年間の育児を振り返る
 ・2015年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学)
 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
 ・ケネー『経済表』を読む
 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言