2010年08月28日

各種の日本酒を体系的に説く(12)―全体像を押さえれば未知の事実も位置づけられる

 本稿は「各種の日本酒を体系的に説く」と題し、日本酒一般論を踏まえながら、それぞれの日本酒の特殊性を説いてきました。11回にわたる連載でしたが、かなり日本酒の全体像が描けるようになったのではないでしょうか。前回の最後にも書きましたが、ここで説いた内容がしっかり押さえられていれば、もし知らない種類の日本酒に出会ったとしても、その全体の中にしっかり位置づけることができるでしょう。

 実はこうしたありかたこそが学問(の超ミニマム形態)なのです。学問とは、この世界がもつ体系性をアタマの中に描き、それでもって未知の事実に問いかけていけることなのです。ここに関して、南郷継正先生は次のように説いておられます。まさに歴史に残る至言としか言いようがありません。

「学問というものは、自然・社会・精神として存在している現実の世界の歴史性、体系性を観念的な実体の論理性として構築し、その内実の歴史的構造性を理論レベルで体系化することにある。」(南郷継正『武道哲学 講義・著作全集 第八巻』現代社、2009年、p.287)

 このような観点からすれば、現在のアカデミズムは惨憺たる状況です。一例をあげるならば、近年、高機能自閉症・ADHD・LDなどの発達障害がクローズアップされていますが、いかなる過程を経て、それが現象してくるのかを筋を通して説くことが全くできないというのが現状です。そもそも、こうした現象の背後には過程があるという発想すらありません。脳の先天的な器質障害という一言で済まされてしまっています。

 そもそも人間とは教育されて初めて人間となる存在です。これが教育学における人間一般論です。学者としては人間の発達をすべてこの一大論理から説かねばなりません。異常と思われる発達に対しても「教育されなかったのだ」と見るのではなく、「そうなるべき教育がなされたのだ」と捉えるのです。では発達障害と呼ばれる現象はどの段階でどうした特殊な教育がなされた結果なのかというということを、そもそも人間は一般的にいかなる過程を経て育つかということを踏まえて説かなければなりません。本稿で説いたように、それぞれの事実を全体の中で位置づけていくという作業が必要なのです。

 学問の府たる大学がその役割をまっとうに果たしていない現在、我々が自ら歩みを進めていくより他にありません。京都弁証法認識論研究会はその最先端の存在となるべく、今後も研鑚を積んでいくことでしょう。

                              (了)
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2010年08月27日

各種の日本酒を体系的に説く(11)―これまでの流れを振り返ると・・・

 以上、各種の日本酒の特殊性を一般的な製造過程を踏まえて説いてきました。ここで、これまでの流れをおさらいしておきましょう。

 まず学問を志す者としては、こうした問題は「○○とは何か」という一般論を押さえて説いていくことが必要だということでした。そもそも学問とは脳たる本質論によって統括された体系であり、また、その形成過程においても、仮説的本質論(一般論)から事実を見ていくという作業が必要になります。それが可能となるアタマを創るためには、何事においても一般論から考えていくようにしなければならないのです。そこで、今回の問題では「日本酒とは何か」を考えることにしました。端的には、米を醸造した酒だということでした。とりわけ、糖化と発酵を同時に行う並列複発酵がその特徴だということでした。

 これを踏まえて、具体的に日本酒の製造過程を、並列複発酵以前の過程、並列複発酵の過程、並列複発酵以後の過程の3つに分けて見ていきました。並列複発酵以前の過程とは、収穫した米を蒸し米とするまでです。そこには精米、洗米・浸漬、蒸しという3つの作業があることを確認しました。次に、並行複発酵の過程とは、蒸し米を原料として、糖化を媒介する麹、発酵を媒介する酒母をつくり、醪にするまでです。蒸し米に麹菌をまいて麹とし、その麹と蒸し米によって糖を生成し、酵母を純粋培養していきます。こうしてできあがった酒母に、さらに蒸し米と麹を混ぜて醪とすることによって、日本酒の原基形態が造られるのでした。最後に並列複発酵以後の過程とは、日本酒の原基形態から日本酒らしい日本酒に精錬し、そこに加工を加えていく過程のことでした。まず酒の中に含まれている酒粕を取り除きます。さらに時間が経つと沈殿してくる滓を引き、そこに濾過・火入れ・加水を行うのです。

 このような一般的な日本酒の製造過程を押さえた上で、各種の日本酒がどのように造られてきたのか、上槽以前の段階、上槽の段階、上槽以後の段階の3つに分けて見ていきました。上槽以前の段階で分かれてくるのが「生酛」「山廃」で、これは酒母づくりの際に必要な乳酸菌を自然な形で生成させるという方法で造られたものでした。次に、上槽の段階で分化してくるのが「荒走り」「中垂れ」「責め」「袋吊り」「にごり酒」「どぶろく」「滓がらみ」でした。上槽時に酒袋から出てくるのが早い順に「荒走り」「中垂れ」「責め」です。また、この酒袋に圧力を加えず、吊して自然にしたたり落ちてくるという方法をとるのが「袋吊り」です。また、酒袋ではなく目の粗い布などを用いて醪を濾過するのが「にごり酒」であり、そもそも上槽しないのが「どぶろく」、上槽した後の滓引きをしていないものが「滓がらみ」でした。最後の上槽以後の段階で分化してくるのが「無濾過」「生酒」「原酒」「生貯蔵酒」「生詰め酒」であり、これは濾過・火入れ・加水という加工の有無によって決まってくるものだということを説明しました。

 よく見かける種類のものは大体取り上げたつもりですが、もしかすると漏れているものがあるかも知れません。しかし、以上の話がアタマの中に入っていれば、店員の説明も理解できるでしょう。
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2010年08月26日

各種の日本酒を体系的に説く(10)―上槽以後の分化―「無濾過」「生酒」「原酒」「生貯蔵酒」「生詰め酒」

 本稿は「各種の日本酒を体系的に説く」と題して、それぞれの日本酒の種類がどのような製造過程を経ているものなのかを説いてきています。そもそも日本酒とは並行複発酵による穀物醸造酒であることを押さえた上で、その製造過程を並行複発酵以前の過程、並行複発酵の過程、並行複発酵以後の過程の3つに分けて見てきました。それを踏まえて、前回から具体的に各種の日本酒の造られ方を見てきました。そもそも各種の日本酒は上槽以前の段階で分化したもの、上槽の段階で分化したもの、上槽以後に分化したものの3つに分類することができるということで、前々回は上槽以前の段階で分化したもの、具体的には「生酛」と「山廃」について見てきました。そして前回は、上槽の段階で分化したもの、具体的には「荒走り」「中垂れ」「責め」「袋吊り」「にごり酒」「どぶろく」について見てきました。

 10回目となる今回は、いよいよ最後の上槽以後の段階で分化したものついて見ていきたいと思います。「無濾過」「生酒」「原酒」「生貯蔵酒」「生詰め酒」といった種類を取り上げます。

 そもそも日本酒とは並行複発酵による穀物醸造酒でした。並列複発酵とは「糖化」と「発酵」の過程を同時に行う手法であり、これによって米をアルコールに変えるのです。しかし、こうしてできあがった酒には酒粕がたくさん含まれるため、それを取り除く作業として上槽、さらには滓引きを行う必要がありました。そこから販売に至るまでに、様々な加工が行われます。その中身は濾過・火入れ・加水の3つでした。「無濾過」「生酒」「生貯蔵酒」「生詰め酒」「原酒」といった種類は、この3つの有無によって決まってくるのです。

 まず、濾過を行わないのが「無濾過」です。濾過とは酒の中に粉末状の活性炭素を入れ、余計な雑味や色を吸着させる過程のことです。しかし、やりすぎると、水っぽいものになってしまいます。そこで酒本来の味わいを楽しんでもらおうと、現在は無濾過が普及しています。続いて、火入れを行わないのが「生酒」です。火入れをしないために酵母が生きたままになっており、フレッシュさを楽しむことができます。一方、加水を行わないのが「原酒」です。水を加えないためにアルコール度数が高いままになっており、ダイナミックな味わいを感じることができます。

 さらにこれらを組み合わせた種類の酒もあります。火入れも加水も行わないものを「生原酒」、さらに濾過も行わないものを「無濾過生原酒」と呼びます。無濾過生原酒は、もっとも搾りたてに近い酒です。ただし、酵母が活動を続けているので、それを抑制し品質の変化を防ぐために低い温度での保管が必要となります。

 さて、このように説明してくると「『生貯蔵酒』と『生詰め酒』はどうなったの?」という声が聞こえてきそうです。もちろん忘れたわけではありません。以前、火入れは上槽後と瓶詰めの時の2回行っているのだと説明しましたが、覚えているでしょうか。そのうち、上槽後の火入れをしていないものが「生貯蔵酒」、瓶詰め時の火入れをしていないものが「生詰め酒」となります。生詰め酒は「ひやおろし」とも言います。この2つは間違えそうになりますが、名前の通り、生のままで貯蔵するのが生貯蔵酒、生のままで瓶詰めするのが生詰め酒と覚えておくとわかりやすいでしょう。
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2010年08月25日

各種の日本酒を体系的に説く(9)―上槽時の分化―「荒走り」「中垂れ」「責め」「袋吊り」「にごり酒」「どぶろく」「滓がらみ」

 本稿は「各種の日本酒を体系的に説く」と題して、それぞれの日本酒の種類がどのような製造過程を経ているものなのかを説いてきています。そもそも日本酒とは並行複発酵による穀物醸造酒であることを押さえた上で、その製造過程を並行複発酵以前の過程、並行複発酵の過程、並行複発酵以後の過程の3つに分けて見てきました。それを踏まえて、前回から具体的に各種の日本酒の造られ方を見てきました。そもそも各種の日本酒は上槽以前の段階で分化したもの、上槽の段階で分化したもの、上槽以後に分化したものの3つに分類することができるということで、前回は上槽以前の段階で分化したもの、具体的には「生酛」と「山廃」について見てきました。

 9回目となる今回は、上槽の段階で分化したものについて見ていきたいと思います。具体的には、「荒走り」「中垂れ」「責め」「袋吊り」「にごり酒」「どぶろく」「滓がらみ」となります。

 まず、日本酒とは何だったかを確認しておきましょう。日本酒とは並行複発酵による穀物醸造酒でした。ここで、並行複発酵とは「糖化」と「発酵」の過程を同時に行う手法のことでした。これによって米がアルコールへと変化するのです。しかし、そのままでは酒だけでなく、酒粕も含まれていますので、この2つを分離する作業が必要になります。これを上槽と呼ぶのでした。

 上槽を機械で行わない場合、酒袋に醪を小分けして詰め込み、槽と呼ばれる木製の搾り機に詰め込んで行われます。酒袋に圧力をかけて搾っていくのですが、最初は酒袋を槽に置いただけで、酒がしみ出て勝手にしたたり落ちていきます。この部分の酒を「荒走り」と呼びます。炭酸ガスが含まれており、若く勢い旺盛ですが、淡泊な味がします。次に、槽いっぱいに酒袋を積むと、その圧力によって酒がしみ出てきます。この部分を「中垂れ」と呼びます。「中汲み」「中取り」などとも言われます。味・香りともに、その酒本来のものが楽しめる部分です。それが止まると、槽の上から板で圧力をかけ、粕が出るまで搾っていきます。この部分を「責め」と呼びます。色が濃く、多くの味が感じられます。

 これが通常の上槽の方法ですが、これとは違う方法もあります。その1つが「袋吊り」です。醪を入れた酒袋を吊して、ゆっくり自然にしたたるのを待つという方法です。「斗瓶取り」とも呼ばれます。これは少量しかとれないため、非常に貴重な酒だと言えます。

 続いて「にごり酒」ですが、これは上槽するときに、目の粗い布などを使って大まかに濾したものを言います。これにも2つの種類があり、この後、火入れしなければ「活性清酒」、火入れすれば単なる「にごり酒」となります。活性清酒には酵素が残っているため、炭酸飲料のように泡を吹き、さっぱりした感覚を楽しめます。

 さらに「どぶろく」とはそもそも上槽していない酒、「滓がらみ」とは上槽した後の「滓引き」をしていない酒のことを言います。
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2010年08月24日

各種の日本酒を体系的に説く(8)―上槽以前の分化―「生酛」「山廃」

 本稿は今回で8回目となります。そもそも日本酒とは並行複発酵による穀物醸造酒であるということを押さえた上で、その製造過程を並行複発酵以前の過程、並行複発酵の過程、並行複発酵以後の過程の3つにわけて見てきました。具体的には、収穫された米を精米・洗米・浸漬・蒸しを経て蒸し米へと変化させる過程であり、蒸し米を用いて麹・酒母を造り、それらを媒介として蒸し米をアルコールへと変化させる過程であり、こうして生まれた日本酒の赤ちゃんが上槽・滓引き・濾過・火入れ・加水という過程を経て、我々が目にする日本酒へと変化させる過程でした。

 以上を踏まえて、いよいよ具体的に各種の日本酒がどういう過程で造られてきたものなのかを説いてみたいと思います。

 実は様々な種類の日本酒は、製造過程のどの段階で分化したものかという観点で見れば、大きく3つにわけることができます。その3つというのは、上槽以前の段階で分化したもの、上槽の段階で分化したもの、上槽以後の段階で分化したものです。今回は上槽以前の段階で分化したもの、具体的には「生酛」と「山廃」について見ていきましょう。

 繰り返しになりますが、日本酒は並列複発酵による穀物醸造酒です。並列複発酵とはデンプンを糖に変える糖化と、糖をアルコールに変える発酵の2つの過程を同時に進める方法です。

 ここで発酵を媒介するものが酒母(酛)です。酒母とは酵母を純粋培養したものです。蒸し米と麹と水を合わせることによって糖をつくり、それを酵母に食べさせることによって、酵母を増殖させるのです。しかし、この一連の過程において空気中の雑菌が侵入し、酵母の繁殖を妨げてしまうことがあります。それを防ぐために乳酸を加えるのでした。ここにこそ「生酛」「山廃」へと至る分かれ道があります。

 通常は人工の乳酸を加えるのですが、自然界に存在する乳酸菌を取り込んで乳酸を生成させるという方法もあります。前者によって造られた酒母を「速醸系酛」、後者によって造られた酒母を「生酛系酛」と呼びます。生酛や山廃は生酛系酛に分類されます。

 では、生酛と山廃はどう違うのでしょうか。それを理解するためには、そもそも生酛がどのようにして造られるのかを知っていなければなりません。

 生酛は酒母の1つの特殊なありかたですから、蒸し米・麹・水によって造られる点は変わりありませんが、生酛の場合、平らな桶(半切桶)いくつかに小分けして蒸し米・麹・水が仕込まれます。そして、櫂と呼ばれる木製の竿でひたすら混ぜ合わせる「酛すり(山卸し)」という作業が行われます。こうして乳酸菌が生育しやすい環境を整えるのです。その後、半切桶の中身をまとめて(酛よせ)、以後、櫂で混ぜ合わせます。これを繰り返すことにより乳酸菌が生育し始め、それに伴い、酵母も繁殖を始めるのです。ちなみに、この酵母は自然に発生するのを待つ場合もあれば、人工の酵母を使う場合もあります。どちらであっても生酛には変わりありません。

 こうした生酛づくりの作業は過酷を極めます。有用な乳酸菌が活動しやすい環境は6〜8度という低温のため、その寒さの中で作業をしなければなりません。特に山卸しの作業は、2,3時間おきに10分前後という作業をひたすら繰り返すものであり、一晩中の重労働となります。

 しかし、明治期になると、麹を水に浸しておいて酵素を出させ、そこに蒸し米を仕込めば、山卸しと同じ効果が得られることがわかりました。これが山廃です。「山」卸し「廃」止酛を省略した名称です。

 もっとも部分は全体の中の部分ですから、山卸しを廃止すれば、それ以外の過程にも違いが生まれてきます。その意味で、生酛と山廃の違いを単純に山卸しの有無とは言えない面もありますが、製造に関わる人でもない限り、このような理解で問題はないでしょう。
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2010年08月23日

各種の日本酒を体系的に説く(7)―並行複発酵以後の過程―上槽から濾過・火入れ・加水まで

 本稿は「各種の日本酒を体系的に説く」と題して、ここまで6回説いてきました。学者を志す者は全ての問題を一般論から説く姿勢を把持しなければならないということで、そもそも日本酒とは並行複発酵による穀物醸造酒であることを確認しました。続いて、その具体的な製造過程を見ていきました。その過程は並列複発酵以前の過程、並列複発酵の過程、並列複発酵以後の過程の3つに分かれます。前回は、その中の並列複発酵の過程について説明しました。簡単に言えば、蒸し米から麹・酒母をつくり、それらを媒介として蒸し米をアルコールへと変化させるのだ、ということでした。

 こうして生まれた日本酒の赤ちゃんともいうべきものは、どのような過程を経て市販されているような日本酒へと変化するのでしょうか。大きくは清酒を作る過程と、清酒を加工する過程にわけることができます。今回はこれらの過程を見ていきましょう。

 でき上がった醪には酒と酒粕が含まれているため、まずこれを分離する必要があります。この作業を「上槽」と呼びます。「搾り」「槽(ふな)がけ」などと呼ぶこともあります。上槽には機械を使う方法と手作業で行う方法の2通りがあります。手作業で行う場合、酒袋に醪を小分けして詰め、槽(ふね)と呼ばれる箱形の器に積んで搾っていきます。

 この絞りたての酒をしばらくおいておくと、上下で透明な層と白く濁った層の2つに分離します。透明な層の方が「清酒」であり、白く濁った方は「滓(おり)」と呼びます。滓は長く放置しておくと酒質を変化させてしまうため、早めに取り除かなければなりません。その作業を「滓引き」と言います。こうして清酒と呼べるものになります。いわば日本酒らしい日本酒の完成です。

 ここから販売に向けて、様々な加工が行われます。その内容は大きく3つあります。1つ目は「濾過」です。これは滓引きの後、さらに澄んだ酒にするために行われます。通常は炭を使って濾過します。酒の中に粉末状の活性炭素を入れ、余計な雑味や色を吸着させるのです。

 2つ目は「火入れ」です。その目的は殺菌です。清酒の中には酒を腐らせる「火落菌」という乳酸菌が含まれているのですが、火入れによってそれを退治するのです。同時に、残っている酵素の働きを押さえて、品質を安定させる役割も果たします。具体的には、60〜65度ぐらいに温度を上げた螺旋状の管(蛇管)の中に酒を通します。ビンごと熱燗にかけるような方法もあります。火入れは通常、濾過を終えた時と、出荷の時の2回行われます。

 3つ目は「加水」です。これはアルコール度数を調整するためのものです。醪を搾ったままだと、20〜22%ものアルコールが含まれています。造り方によってはアルコール度数にばらつきが出てくることがあります。これらを調節するために加水が行われるのです。

 以上の過程を経て日本酒は完成し、居酒屋や酒販店に届けられて、私たちに消費されるというわけです。
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2010年08月22日

各種の日本酒を体系的に説く(6)―並行複発酵の過程―「麹」と「酛」による「醪」づくり

 本稿は、各種の日本酒がどのような製造過程の違いから生まれてきたということを説いています。各種の日本酒がどのようにして造られているかを理解するためには、日本酒の一般的な製造過程を押さえておく必要があります。そこで、そもそも日本酒とは何かを押さえて、それがいかにして造られているのかを確認しているところでした。

 日本酒とは並行複発酵による穀物醸造酒ですが、その製造過程を並行複発酵以前の過程と並行複発酵の過程、さらに並行複発酵以後の過程という3つにわけることができます。前回は、この中の並行複発酵以前の過程を見てきました。具体的には、収穫された米は精米、洗米・浸漬、蒸しという過程を経て、蒸し米になるということでした。

 こうしてできあがった蒸し米はどのようにして日本酒になるのでしょうか。今回はこの並行複発酵の過程を見ていくことにしましょう。

 まず並行複発酵とは何だったかを思い出して下さい。それはデンプンを糖に変える「糖化」の過程と、糖をアルコールに変える「発酵」の過程を同時に進める方法のことでした。

 それぞれの過程は一体何によって媒介されるのでしょうか。

 それは「麹(こうじ)」と「酒母」(「酛(もと)」)によってです。ともに蒸し米を原料として造られます。麹に使われる米を「麹米」、酒母やその後の醪(もろみ)に使われる米を「掛米」と呼びます。

 まず麹づくりから見ていきましょう。これは一言で言えば、麹菌を蒸し米の中で繁殖させる作業のことです。蒸し上がった米を麹室と呼ばれる特別の部屋に運び、そこで麹菌を散布し、かき混ぜたり寝かしたりするのです。ここにはおおよそ50時間もの長い時間が必要となります。こうした一連の過程を「製麹(せいぎく)と呼び、それが終わり麹を麹室から出すことを「出麹(でこうじ)」と呼びます。

 続いて、酒母づくり(酛づくり)です。これは一言で言えば、発酵を進めてくれる優良な酵母を純粋培養する過程だと言えるでしょう。子どもの背丈くらいのタンクに蒸し米、麹、水を入れて混ぜ合わせ、そこに酵母を加えます。麹は蒸し米に含まれるデンプンを分解してブドウ糖を生成しますから、酵母はそれを食べて強くなり、どんどん増殖していくのです。しかし、この一連の作業を行っている間に雑菌などが入ってきて、酵母の増殖を妨げてしまいます。そこで乳酸を加え、こうした雑菌を駆逐するのです。14日ほどすると、酒母が完成します。見た目も味もヨーグルトのようになっています。

 麹と酒母という並行複発酵の条件が整えば、いよいよ実際に行っていきます。この過程を「仕込み」と呼びます。大きなタンクの中に蒸し米、麹、酒母、水を加えます。これを「醪(もろみ)」と呼びます。その中では糖化と発酵の過程が同時に進んでいきます。

 ただし、これらの材料は一気に加えてしまうわけではありません。通常は3回にわけて仕込みます。大量に仕込んでしまうと、酵母や乳酸が疲れてしまうからです。酵母や乳酸が疲れてしまうと、空気中の雑菌に負けてしまい、腐る可能性が高くなります。これを腐造と言います。

 技術の確立していなかった戦前などは、腐造を出した蔵がたくさんありました。腐造となると、そのタンクの酒は全て廃棄しなければならないので大損害です。また、腐造を出したという評判が立てば、売れ行きが大きく落ちます。腐造が3年続けば、蔵は潰れると言われていました。それほど恐ろしいものだったのです。腐造を出してしまうと、責任をとって自殺する杜氏もいたそうです。

 三段仕込みが終わると、短いもので15日、長いものでも30日くらいで醪は完成します。その過程で杜氏は醪の利き酒をし、味や香りのバランスを見るのですが、もし思った通りの味が出ていないときはその調整を行うことがあります。多くは甘みを加えるために行われます。なお、醸造アルコールが加えられるのもこの時です。

 以上のような過程を経て、ようやく日本酒の原基形態とも言えるものが完成するのです。
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2010年08月21日

各種の日本酒を体系的に説く(5)―並行複発酵以前の過程―精米から洗米・浸漬を経て蒸し米へ

 本稿は、各種の日本酒がどのような製造過程上の違いを持つのかを説くものです。そのためには、まず「日本酒とは何か」という一般論を押さえないといけません。それが何故なのかを説いて、具体的に日本酒一般論を見てきたのが前回まででした。端的には、日本酒とは並行複発酵による穀物醸造酒、特に米を原料とした酒であるということでした。

 今回からは、いよいよ日本酒が一般的にどのような過程を経て造られるのかを見ていくことになります。その過程は大きくわけて3つになります。その3つとは、並行複発酵以前の過程、並行複発酵の過程、並行複発酵以後の過程です。具体的に言えば、蒸米づくり、麹・酛・醪づくり、上槽から販売までです。まず並行複発酵以前の過程である蒸米づくりまでを見ていきましょう。

 収穫した米を蒸し米にするまでには、これまた3つの過程があります。1つは「精米」です。田んぼから収穫した米を見てみると、その表層には日本酒の酒質を悪くし、微生物を過剰に繁殖させる成分が含まれています。これを糠槽と呼びますが、その部分を取り除き、中心部の心白と呼ばれる部分を残す作業が精米です。これを何%まで取り除くかによって「吟醸酒」「大吟醸酒」という区別ができるということは以前に書いた通りです。

 今でこそ吟醸酒や大吟醸酒がたくさん出回っていますが、戦前はせいぜい1割ぐらいしか削ることができませんでした。これは、私たちが普段食べている白米のレベルです。そうした中で、「良い日本酒を!」と情熱に溢れた酒屋たちの努力により、精米機器の発展・普及が可能となったのです。興味のある方は、尾瀬あきら『奈津の蔵』(講談社)を読んでみてください。

 精米が終わった米は摩擦熱によって砕けやすくなっていますので、寝かせる時間が必要となります。これを「枯らし」と呼びます。

 これらを終えた米には第2の過程、「洗米・浸漬」が行われます。洗米とは文字通り、米を洗うことです。精米の過程で落としきれなかった糠を取り除くのです。現在は洗米機がよく使われているようですが、かつては水を張った桶の中に米を入れ、それを足で踏んで洗っていました。しかし、表面を削り取った米はあっという間に水を吸ってしまうので、もたもたしていると柔らかくなりすぎてしまいます。この後にひかえた浸漬(洗った米を水に浸す)の作業を経てもなお、8割程度の吸水率に留めておくために、秒単位の厳密な作業が必要になります。

 こうして十分水を吸った米には、いよいよ「蒸し」の作業が加えられます。これが第3の過程です。蒸すことによって米が殺菌され、以後の醸造過程が安全になるのです。また、詳しくは後で説明しますが、麹菌が入り込みやすいようにする目的もあります。蒸しは「甑(こしき)」と呼ばれる大型のせいろを用いて行います。蒸し上がった米はスコップを使って、甑から取り出されます。そして、ファンのついた機会で洗い熱と蒸気を飛ばします。これを「放冷」と呼びます。

 以上の過程を経て、ようやく蒸し米が完成します。次回は、この蒸し米がどのような過程を経て酒になるのかを見ていきましょう。
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2010年08月20日

各種の日本酒を体系的に説く(4)―日本酒の特徴は並行複発酵にあり

 本稿は、各種の日本酒がどういうものなのか、一般的な製造過程を踏まえて見ていこうということで始めました。そのためにはまず「日本酒とは何か」という一般論を押さえておかなければならないということで、それが学者を志す者にとってどのような意味があるのかということを説きました。それを踏まえて、前回は「日本酒とは何か」を考えていきました。そもそも酒とはアルコール飲料であり、そのアルコールがどのようにして作られるかによって酒は分類されるのだが、その中で日本酒は、ワインやビールと同じように、糖を発酵させてアルコールをつくる醸造酒なのだ、と説明したところまできました。今回はここからということになります。

 さて、日本酒はワインやビールと同じように醸造酒だということでしたが、では、この3つにはどのような違いがあるのでしょうか。

 端的には、原料が違うのです。ワインはブドウを原料としています。一方、日本酒は米、ビールは麦を原料としています。ワインは果実を原料としているので果実醸造酒、日本酒やビールは穀物を原料としているので穀物醸造酒と呼んだりもします。

 この原料の違いは大きな意味を持っています。そもそも醸造酒とは、糖を発酵させてアルコール化させたものでした。その糖が、ブドウにはもともと含まれているのに対し、麦や米には含まれていないのです。したがって、ワインは発酵させればよいだけなのに対して、ビールや日本酒の場合、麦や米に含まれるデンプンを糖に変える過程も必要になります。つまり、糖化と発酵の2つの過程が必要になるのです。この2つの過程を合わせて「複発酵」と呼びます。

 では、ビールと日本酒にはどのような違いがあるのでしょうか。

 実は「複発酵」のやり方に違いがあるのです。ビールの場合、1つのタンクで糖化を行った後、別のタンクに移して発酵を行います。つまり、糖化と発酵を順番に行うわけです。これは「単行複発酵」と呼ばれています。一方、日本酒の場合、1つのタンクの中で糖化と発酵を同時に行うのです。これを「並行複発酵」と呼びます。ここにこそ、日本酒の製造上のオリジナリティが存在します。

 以上から、日本酒とは並行複発酵による穀物醸造酒、特に米を原料とした酒であるということが言えるでしょう。これが日本酒一般論です。これを踏まえて、いよいよ次回から、日本酒の製造過程を詳しく見ていきましょう。
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2010年08月19日

各種の日本酒を体系的に説く(3)―日本酒とは醸造酒である

 前回は「学者を志す者はなぜ一般論を押さえることが必要なのか」ということを説きました。そもそも学問とは脳たる本質論によって統括された体系であり、それは一般論を掲げて具体的な事実に当たることを繰り返すことで形成されるものだということでした。そうした姿勢を技化するためにも、どんな問題を説くに際しても一般論を踏まえる必要があるというところまで説いていました。

 本稿で扱う日本酒の問題についても、その例外ではありません。そこで、まず日本酒とは何かという点を押さえておくことにしましょう。

 日本酒とは何かを押さえるためには、そもそも酒とは何かがわかっていなければなりません。日本酒をはじめ、ビール、ワイン、ウィスキー、ジン、焼酎、ブランデーなどなど、酒と呼ばれるものはたくさんありますが、これらに共通する性質は何でしょうか。それはアルコールが入っているということです。もう少し厳密に言えば、アルコールが1%以上含まれているということになります。

 では、アルコールが入っているものは全て酒だと言ってよいのでしょうか。

 実はそうではありません。もしかすると、「えっ」と思う方もおられるかもしれませんね。簡単なことです。ケーキやチョコレートなどの中には、アルコールの入ったものがあるでしょう。例えば、ロッテは「バッカス」「ラミー」という洋酒入りチョコレート、「芋焼酎ショコラ」という焼酎入りチョコレートを出しています。こうしたお菓子は酒とは言いませんね。

 以上を踏まえると、酒とはアルコールの入った飲み物であるということが言えそうです。これが酒と呼ばれるもの全てに貫かれている性質です。

 しかし、そのアルコールがどうして生まれたかによって、酒は大きく2つにわけることができます。1つはゼロからアルコールを作りだす場合、もう1つは既存のアルコールを使用する場合です。前者は「醸造酒」や「蒸留酒」であり、糖を発酵させてアルコールを生成します。一方、後者を「混成酒」と呼び、醸造酒や蒸留酒を様々な形で組み合わせることによって作ります。

 では、醸造酒と蒸留酒の違いはどこにあるのでしょうか。

 それは蒸留という過程があるかないかという点です。蒸留とは、アルコール濃度を高めるために行う作業です。出来上がったアルコール水に熱を加えると、アルコールの方が沸点が低いため、水分よりも早く気化します。それを別の場所に移して冷やせば、アルコール濃度の高い酒を造ることができるのです。

 このような過程がある蒸留酒の代表的なものと言えば、ウィスキー、焼酎、ブランデーです。一方、こうした過程がない醸造酒の代表的なものと言えば、日本酒やワイン、ビールが挙げられます。

 つまり、日本酒とは醸造酒なのです。
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2010年08月18日

各種の日本酒を体系的に説く(2)―なぜ一般論を押さえる必要があるのか

 今回からいよいよ本論に入っていきますが、学問を志す我々としては、どんな問題を考える際にも最初に押さえておかなければならないものがあります。それは「○○とは何か」という一般論です。今回の例で言えば、「日本酒とは何か」ということです。

 なぜ一般論を押さえる必要があるのでしょうか。

 端的には、学問を構築するため、あるいは学問を構築できるアタマを創るためだと言えるでしょう。そもそも学問とは、(現在のアカデミズムが行っているように)多種多様な事実を寄せ集めることではなく、多種多様な事実から論理を導きだし、体系化したものです。その内実は本質論―構造論―現象論という立体的な形になっています。この点については、医学者である瀬江千史先生が非常にわかりやすく説いておられます。

「体系とは、読んで字のごとく体の系である。すなわち、人間の体のようにつながってひとまとまりになっているものである。人間の体はみればわかるように、頭がありその下に体幹があり、体幹から手、足が出ている。そして、全身が頭に存在する脳によって、神経・ホルモンを介して完全に統括されている。
 このようにあるべきところにきちんとあるべきものがあり、それが一貫してつながってひとかたまりになって脳の支配の下に統括されながら活動していけるものが、体系なのである。(中略)
 学問体系は、これにたとえて、本質論が頭、構造論が体幹、現象論が手足であり、全体系を貫く論理性が神経ということになるが、これまた当然に脳、すなわち本質論によって統括されていなければ、つまり本質論につながる構造論でなければ、そしてそれが活動できなければ学問としての体系ではないのである。」(瀬江千史『看護学と医学(上)』現代社、1997年、pp.77-78)

 一言で言えば、脳たる本質論によって統括されてこそ学問体系だということです。

 したがって、学を志す者としては、この本質論を踏まえて全ての問題を説いていく必要があるわけです。仮に自分の専門外の問題を扱う場合であっても、その問題に関わる本質論を踏まえて説く姿勢を貫くことこそが学者への道なのです。

 このように述べると、「なるほど、学問が本質論によって統括されないといけないことはわかった。しかし、この本質論というのは長い研究の果てに出てくるものではないのか。最初からこの本質論を押さえないといけないというのはおかしいのではないか。」という反論も出ることでしょう。

 これは半分正しく、半分間違いだと言えます。これは学問の形成過程に関わる問題です。確かに自分の専門とする対象の共通性を、いきなり正確な形で引き出せるわけではありません。この意味で「本質論が長い研究の果てに出てくるもの」という把握は正しいと言えます。しかし、事実を寄せ集めていけば本質論が出てくるというものではありません。予め、自分の専門とする対象の共通性をアバウトな形で描いておき(一般論)、それを仮説として掲げて具体的な事実に問いかけていく過程、つまりのぼりおりの過程を繰り返すことによって、一般論は本質論へと昇華し、学問が形成されるのです。

「学問的な一般論を仮説的であれ高くかかげて、その一般論から対象の構造に向かって問いつづけていくことを幾度となくくりかえすことをとおして、本物の論理構造を把握できていくことになるのであるから、学問的な一般論すなわち仮説的本質論が、真の科学的本質論に転化するなかで、(中略)しだいしだいに構築されて科学的になるという過程をもったものが・・・」(前出書、p.110)

 以上をまとめるならば、学問体系は結果として本質論によって統括されるばかりでなく、その過程においても本質論によって統括させるべき努力を払うべきものなのだ、ということです。だからこそ学者を目指すならば、常に「○○とは何か」という原理的な問いを押さえておかなければならないのです。また、そうした姿勢を技化しなければならないのです。
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2010年08月17日

各種の日本酒を体系的に説く(1)―日本酒の種類を把握するには一般的な製造過程を知る必要がある

 近年、地酒ブームと言われています。居酒屋や酒販店に行くと「地酒」と書いた看板をよく見かけます。実際に入ってみると、「獺祭」「黒牛」「不老泉」「十四代」「東一」などなど、各地の銘酒が取りそろえてあることもあります。

 以前も書きましたが、こうしたお酒は本当に美味しいものです。一般の方々がイメージしている日本酒とは全く違うお酒だと言っても過言ではありません。実際、日本酒に苦手なイメージをもっている人にこうした酒を飲んでもらうと、「日本酒ってこんなに美味しかったの!」「日本酒観が変わった!」などの感想を話してくれます。

 こうした感覚を味わってもらいたいということで、「日本酒を楽しめる店の条件」「初心者に説く日本酒を見る視点」を説いてきました。これらは日本酒に詳しくないという人でもわかるお店選び、お酒選びのポイントをまとめたものです。あくまでも初心者レベルであり、説き方も初心者が理解しやすいよう断片的なものにしています。

 しかし、こうした観点で日本酒を味わっていくと、次第にお酒を見る目・味わう舌というものが養われていきます。それに伴って、様々な疑問も生まれてきているはずです。その1つとして「『山廃』とか『中垂れ』とか『無濾過生原酒』とかは一体どういうことなの?」というものがあるのではないかと思います。つまり、日本酒の種類に関する疑問です。

 「初心者に説く日本酒を見る視点」では、原材料と米の精米歩合に着目して、日本酒にはどんな種類があるのかを説明しました。具体的には純米酒と純米酒でない酒の違い、普通種・吟醸酒・大吟醸酒の違いについて説明しました。

 ところが日本酒のラベルを見てみると、これら以外の文字もたくさん書かれていることに気づきます。先に挙げた「山廃」「中垂れ」「無濾過生原酒」がそうですし、他には「袋吊り」「活性にごり」「生酛」などもあります。

 「一体どう違うのだろう」と思って、居酒屋の店員さんなどに尋ねてみた方もおられるかもしれません。しかし、「すいません、よくわかりません」と言われるか、「こっちはしっかりした感じで、こっちはすっきりした感じです」と味の違いとして説明されるかのどちらかということがほとんどでしょう。では、その味の違いはどうやって生まれてくるのかと思って尋ねてみると、「わかりません」となるか、店長さんが出てきて代わりに説明してくれるかのどちらかというところです。しかし、その説明も専門的すぎてわかったようなわからないような感覚になる、というのがよくあるパターンです。

 結論から言いますと、これらの違いは製造過程によるものです。一般的な日本酒の製造過程の中で何らかの特殊な手法を用いられたことが、名前の違いとして現象しているわけです。したがって、そもそも一般的な日本酒の製造過程を知らなければ、これらの違いは理解できません。

 そこで本稿では、日本酒とは何かを踏まえて、日本酒の一般的な製造過程を説き、その中で市販されている各種の日本酒がどう位置づけられるのかを説いていきたいと思います。
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2010年06月26日

初心者に説く日本酒を見る視点

 日本酒と聞くと、みなさんはどんなイメージを描きますか。「悪酔いする」「べたべたして気持ち悪い」「酒に強い人が飲む」・・・こんなことを思い浮かべるのではないでしょうか。日本酒を勧めても、「日本酒はちょっと・・・」という方は多いと思います。
 恐らくこういった日本酒のイメージは、大学時代のコンパや職場の飲み会、地域の宴席などを通して創られたものだろうと思います。しかし、そういった場に出される「日本酒」というものは、あまり質の高いものではありません。それをもって日本酒のイメージを創ってしまうのは、不当な一般化だと言えるでしょう。
 では、よい日本酒とはどのようなものなのでしょうか。何をもって日本酒を判断すればよいのでしょうか。この点について、日本酒に詳しくない方でもわかるように説いてみたいと思います。
 
 日本酒を見る視点は大きく3つあります。1つ目は原材料です。
日本酒は米から作られていることは周知の通りです。しかし、すべての日本酒が米からのみ作られているわけではありません。コンビニに行ってワンカップ酒の原材料名を見ていただくとわかると思いますが、そこには米・米麹に加えて「醸造アルコール」と書かれています。
 実はこの醸造アルコールこそが、世間の人々に日本酒に対して悪いイメージを描かせる大本だと言えるでしょう。「日本酒」独特のツンとした匂い、舌にまとわりつくべたつき、これらは基本的には醸造アルコールによるものなのです。
 したがって、醸造アルコールの入った酒は避けるべきでしょう。醸造アルコールの入っていない酒を純米酒といいます。米のみから作られているという意味です。初心者はまず純米酒を選ぶとよいでしょう。
もっとも醸造アルコールを否定してしまうわけではありません。そこには歴史的な意義もありましたし、現在でもレベルの高い蔵元が香りづけのために効果的に使ったりしています。あくまでも初心者が日本酒を判断するとすれば、ということです。

 2つ目は精米歩合です。
日本酒は米から作っていますが、米を丸ごと使うわけではありません。米の外側を削り、中心部分だけを使っているのです。その削った割合を精米歩合と言います。米を80%まで削っていれば精米歩合80%、50%まで削っていれば精米歩合50%という言い方をします。
日本酒に詳しくない人でも「吟醸(ぎんじょう)」とか「大吟醸(だいぎんじょう)」とかいう言葉を聞いたことはあるでしょう。これは精米歩合による分類なのです。精米歩合が60%以下なら吟醸、50%以下なら大吟醸となります。初心者はまず精米歩合が60%以下の吟醸クラスを選ぶとよいと思います。
 ちなみに、精米歩合の基準は満たしているのに、ラベルに「吟醸」とか「大吟醸」とか書いていない場合があります。これは蔵元の方で「この程度の酒で『吟醸』とか『大吟醸』とか名づけるわけにはいかない」と考えているのです。こうした蔵元の酒は信頼できます。試してみる価値はあるでしょう。

 以上の2つを満たしていれば、さほど悪い日本酒になることはないと思いますが、もう1つ視点を加えるとすれば、米の種類です。
 上に書いたように日本酒は米を削って作ります。したがって、もとの米は大粒でなければなりません。これを食用の米と区別して、「酒造好適米(しゅぞうこうてきまい)」と呼びます。
 食用米に「コシヒカリ」「ササニシキ」「あきたこまち」などの種類があるように、酒造好適米にも様々な種類があります。その中で、もっとも有名かつ安定しているのは「山田錦(やまだにしき)」という名前の米です。山田錦で作られた酒を選べば、それほど失敗することはないでしょう。
 このように述べますと、「酒を米の品種で選ぶのは、洋服や持ち物をブランドだけで選ぶやり方に近い。先入観なしに様々な米の酒を選ぶべきだ。」という批判があるかもしれません。
 こうした見解はそれなりの正当性をもつものの、初心者に対するアドバイスとしては間違いです。米の違いを比べるためには、まず基準となる米の味を定着させておかなければなりません。したがって、最初は1つの種類の米の酒を飲み続け、量質転化を図るべきでしょう。何よりも、「色々飲んでみろ」と言われたところで、初心者としてはどうしていいかわかりません。そこで変な日本酒を選んでしまって、「あぁ、やっぱり日本酒は旨くない」というイメージを創ってしまったのでは元も子もありません。

 以上、初心者が日本酒を判断する視点について説明してきました。もう1度おさらいすると、その視点とは「原材料」「精米歩合」「米の種類」の3つでした。簡単に言えば、山田錦100%の純米吟醸を選べばよい、ということです。
 まずはこの視点で日本酒を判断し、慣れてきたら様々な種類の日本酒を試してみるとよいでしょう。きっと日本酒に対するイメージが変わることと思います。
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2010年06月14日

日本酒を楽しめる店の条件

京都には日本酒を楽しめるお店(居酒屋)がたくさんあります。関東から来られた方におうかがいすると,日本酒に関しては,関東ではあり得ないくらいの充実度のお店が多いということです。十四代や東一など,全国的に有名な銘柄を揃えているお店も多いですし,こだわりの地酒を置いている店や,隠しメニューを用意している店もあります。このような多様な銘柄を揃えているというのは,日本酒を楽しむ際の最低条件といえるでしょう。いくらおいしい地酒でも,1種類しかないとなれば飲み比べることができませんから。では,それ以外に,日本酒を楽しめるお店の条件としてはどんなことが挙げられるでしょうか? 個人的には,次の3つの条件はクリアーしてほしいところです。

第1に,テーブルまで瓶を持ってきて,その場で注いでくれる,ということです。これはきわめて常識的でありながら,非常に大切な点です。もし店の奥で注いで持ってくるのであれば,それが本当に注文したお酒であるかどうか,確認のしようがありません。もちろん,飲み慣れているお酒であれば,味でもってその銘柄を判別することも可能です。しかし,はじめて味わうお酒であるとか,季節限定のお酒であるとかいった場合は,実際に瓶で確認しないことには本物であるかどうかしっかりと確認することができないのです。さらに,瓶に貼ってあるラベルも重要です。「黒龍」とか「臥龍梅」とかいった銘柄名が,見事な筆さばきで書かれていれば,それだけでその酒のレベルが分かるというものです。ラベルはその酒の顔であり,杜氏や酒蔵の思想性の表現という一面を持っているのです。これを味わうためにも,テーブルまで瓶を持ってきて,その場で注ぎ,しばらく瓶をテーブルにおいていてくれるお店が理想的です。

第2に,日本酒と同時にお冷やを持ってきてくれるという点です。日本酒というものは,水と交互に飲むものなのです。なぜでしょうか? 一つには,酔わないように,酔いを穏やかにするように,するためです。特にこだわりのお店がおいている「原酒」と呼ばれる種類の日本酒は,通常の日本酒よりもアルコール度数が高く,適宜水を飲んでいかないと,すぐに酔ってしまうことになります。また,日本酒を飲む場合は,がつがつと料理を食べるというようなことはありませんから,余計に酔いやすい条件があります。したがって,この意味からも水を飲むことは大切だということになります。水を飲む2つ目の理由は,違う種類のお酒を飲む際に,一度舌をリセットする必要があるからです。続けて別の種類のお酒を飲んでしまうと,舌に前のお酒の余韻が残ってしまっており,後に飲んだお酒の純粋な味がよくわからなくなってしまうのです。そのために,一度水を口に含んでリセットする必要があるのです。

日本酒を楽しめるお店の条件の第3は,日本酒に関しての社員教育を徹底しており,店員が日本酒について知識を豊富に持っている,ということです。注文をとりに来る店員に,「お勧めの日本酒は?」とか,「フルーティーな感じのを飲みたいのですが」とかいった場合,「では,これがお勧めです」と自信を持っていえるようでないと,安心して日本酒を楽しめません。「ちょっと分かる者に聞いてきます」とかいわれるようでは,白けてしまいます。店に置いているお酒の特徴をしっかり把握して,適切に言語表現できる,店員の1人1人がそのようなレベルのお店は,店主の教育が行き届いているといえるでしょう。そのようなお店なら,店員の方と相談して,今まで飲んだことのないお酒でも安心して挑戦できますし,日本酒の奥深さ,文化の高みといったものを,新たに発見できる可能性も広がるというものです。

以上,日本酒を楽しめるお店の条件を3つ挙げました。テーブルまで瓶を持ってきて注いでくれること,お冷やを一緒に持ってきてくれること,店員が日本酒に関しての知識を十分に持ち合わせていること,の3点でした。昨日例会後に行った行きつけのお店は,見事にこの3つの条件を満たしています。何年か前に初めて行ったときには,お冷やは持ってきてくれなかったのですが,こちらからの注文ということで指摘すると,すぐに取り入れてくれたようです。次からは,何も言わなくてもお冷やを持ってきてくれるようになりました。当然,瓶はテーブルにしばらく置いていてくれますし,店員の知識も十分です。昨日も,斉藤酒造の「やどりぎ」という,そこら辺には売っていないお酒を勧めてくれました。しかも,酵母だけ違う二種類の「やどりぎ」を飲み比べてみてはどうか,と提案してくれたのです。この2つを飲み比べることによって,酵母の違いによる特殊性と同時に,「やどりぎ」一般のイメージもヨリ広がりました。その後,「やどりぎ」とは全く別の,逆系統のお酒を注文したところ,「しっかりとした味の辛口のお酒ですね」といって,「花垣」という福井のお酒を持ってきてくれました。この言葉を聞いただけで日本酒が分かっている人だと安心したことでした。案の定,初めて飲んだ「花垣」はしっかりとした味わい深いお酒でした。お漬け物などのつまみと,日本酒を計3合飲んだにもかかわらず,3000円ちょっとというかなり良心的な値段で,その点でも好感が持てました。

このお店のようなレベルのお店を他にも開拓していきたいものです。
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<講義一覧>

 ・2010年5月例会の報告
 ・2010年6月例会の報告
 ・日本酒を楽しめる店の条件
 ・交響曲の歴史を社会的認識から問う
 ・初心者に説く日本酒を見る視点
 ・『寄席芸人伝』に見る教育論
 ・初学者に説く経済学の歴史の物語
 ・奥村宏『経済学は死んだのか』から考える経済学再生への道
 ・『秘密諜報員ベートーヴェン』から何を学ぶか
 ・時代を拓いた教師を評価する(1)――有田和正氏のユーモア教育の分析
 ・2010年7月例会報告
 ・弁証法から説く消費税増税不可避論の誤り
 ・佐村河内守『交響曲第一番』
 ・観念的二重化への道
 ・このブログの目的とは――毎日更新50日目を迎えて
 ・山登りの効用
 ・21世紀に誕生した真に交響曲の名に値する大交響曲――佐村河内守:交響曲第1番「HIROSHIMA」全曲初演
 ・2010年8月例会報告
 ・各種の日本酒を体系的に説く
 ・「菅・小沢対決」の歴史的な意義を問う
 ・『もしドラ』をいかに読むべきか
 ・現代日本における「国家戦略」の不在を問う
 ・『寄席芸人伝』に学ぶ教師の実力養成の視点
 ・弁証法の学び方の具体を説く
 ・日本歴史の流れにおける荘園の存在意義を問う
 ・わかるとはどういうことか
 ・奥村宏『徹底検証 日本の財界』を手がかりに問う「財界とは何か」
 ・「小沢失脚」謀略を問う
 ・2010年11月例会報告
 ・男前はなぜ得か
 ・平安貴族の政権担当者としての実力を問う
 ・教育学構築につながる教育実践とは
 ・2010年12月例会報告
 ・「法人税5%減税」方針決定の過程的構造を解く
 ・ベートーヴェン「第九」の歴史的位置を問う
 ・年頭言:主体性確立のために「弁証法・認識論」の学びを
 ・法人税減税の必要性を問う
 ・2011年1月例会報告
 ・武士はどのように成立したか
 ・われわれはどのように論文を書いているか
 ・三浦つとむ生誕100年に寄せて
 ・2011年2月例会報告:南郷継正『武道哲学講義U』読書会
 ・TPPは日本に何をもたらすのか
 ・東日本大震災から国家における経済のあり方を問う
 ・『弁証法はどういう科学か』誤植の訂正について
 ・2011年3月例会報告:南郷継正『武道哲学講義V』読書会
 ・新人教師に説く「子ども同士のトラブルにどう対応するか」
 ・三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』誤植一覧
 ・新大学生に説く「大学で何をどう学ぶか」
 ・新大学生に説く「文献・何をいかに読むべきか」
 ・2011年4月例会報告:南郷継正『武道哲学講義W』読書会
 ・三浦つとむ弁証法の歴史的意義を問う
 ・新人教師に説く学級経営の意義と方法
 ・三浦つとむとの出会いにまつわる個人的思い出
 ・横須賀壽子さんにお会いして
 ・続・三浦つとむとの出会いにまつわる個人的思い出
 ・学びにおける目的意識の重要性
 ・ブログ毎日更新1周年を迎えてその意義を問う
 ・2011年5・6月例会報告:南郷継正「武道哲学講義〔X〕」読書会
 ・心理療法における外在化の意義を問う
 ・佐村河内守:交響曲第1番「HIROSHIMA」CD発売
 ・新人教師としての一年間を実践記録で振り返る
 ・2011年7月例会報告:近藤成美「マルクス『国家論』の原点を問う」読書会
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む
 ・2011年8月例会報告:加納哲邦「学的国家論への序章」読書会
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論1三浦つとむの哲学不要論をめぐって
 ・一会員による『学城』第8号の感想
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論2 マルクス『経済学批判』「序言」をめぐって
 ・2011年9月例会報告:加藤幸信論文・村田洋一論文読書会
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論3 マルクス「唯物論的歴史観」なるものの評価について
 ・三浦つとむさん宅を訪問して
 ・TPP―-オバマ大統領の歓心を買うために交渉参加するのか
 ・続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2011年10月例会報告:滋賀地酒の祭典参加
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論4不破哲三氏のエンゲルス批判について
 ・2011年11月例会報告:悠季真理「古代ギリシャの学問とは何か」読書会
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論5ケインズ経済学の歴史的意義について
 ・一会員による『綜合看護』2011年4号の感想
 ・『美味しんぼ』から何を学ぶべきか
 ・2011年12月例会報告:悠季真理「古代ギリシャ哲学、その学び方への招待」読書会
 ・年頭言:「大和魂」創出を志して、2012年に何をなすべきか
 ・消費税はどういう税金か
 ・心理療法におけるリフレーミングとは何か
 ・2012年1月例会報告:悠季真理「古代ギリシャ哲学,その学び方への招待」読書会
 ・バッハ「マタイ受難曲」の構造を解く
 ・2012年2月例会報告:科学史の全体像について
 ・『弁証法はどういう科学か』の要約をどのように行っているか
 ・一会員による『綜合看護』2012年1号の感想
 ・橋下教育基本条例案を問う
 ・吉本隆明さん逝去に寄せて
 ・2012年3月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第1章〜第4章
 ・科学者列伝:古代ギリシャ編
 ・2年目教師としての一年間を実践記録で振り返る
 ・2012年4月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第5章〜第6章
 ・科学者列伝:ヘレニズム・ローマ・イスラム編
 ・簡約版・消費税はどういう税金か
 ・一会員による『新・頭脳の科学(上巻)』の感想
 ・新人教師のもつ若さの意義を説く
 ・2012年5月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第7章
 ・科学者列伝:西欧中世編
 ・アダム・スミス『道徳感情論』を読む
 ・2012年6月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第8章
 ・科学者列伝:近代科学の開始編
 ・ブログ更新2周年にあたって
 ・古代ギリシアにおける学問の誕生を問う
 ・一会員による『綜合看護』2012年2号の感想
 ・クセノフォン『オイコノミコス』を読む
 ・2012年7月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第9章
 ・科学者列伝:17世紀の科学編
 ・一会員による『新・頭脳の科学(下巻)』の感想
 ・消費税増税実施の是非を問う
 ・原田メソッドの教育学的意味を問う
 ・2012年8月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第10章
 ・科学者列伝:18世紀の科学編
 ・一会員による『綜合看護』2012年3号の感想
 ・経済学を誕生させた経済の発展とはどういうものだったのか
 ・2012年9月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第11章
 ・人類の歴史における論理的認識の創出・使用の過程を問う
 ・長縄跳びの取り組み
 ・国家の生成発展の過程を問う――滝村隆一『マルクス主義国家論』から学ぶ
 ・三浦つとむの言語過程説から言語の本質を問う
 ・2012年10月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第11章
 ・科学者列伝:19世紀の自然科学編
 ・古代から17世紀までの科学の歴史――シュテーリヒ『西洋科学史』要約で概観する
 ・2012年11月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第12章前半
 ・2012年12月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第12章後半
 ・科学者列伝:19世紀の精神科学編
 ・年頭言:混迷の時代が求める学問の確立をめざして
 ・科学はどのように発展してきたのか
 ・一会員による『学城』第9号の感想
 ・一会員による『綜合看護』2012年4号の感想
 ・2013年1月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』を読む前提としての世界歴史の全体像
 ・歴史観の歴史を問う
 ・2013年2月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』をどのように読んでいくべきか
 ・『三浦つとむ意志論集』を読む
 ・言語学の構築に向けてどのように研究を進めるのか
 ・一会員による『綜合看護』2013年1号の感想
 ・改訂版・新大学生に説く「大学で何をどう学ぶか」
 ・2013年3月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』序論(前半)を読む
 ・3年目教師としての1年間を実践記録で振り返る
 ・2013年4月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』序論(後半)を読む
 ・新自由主義における「自由」を問う
 ・2013年5月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第一部 東洋の世界(前半)を読む
 ・三浦つとむ「マルクス・レーニン主義に関する本質的な質問」から学ぶ
 ・言語は歴史的にどのように創出されたのか
 ・一会員による『綜合看護』2013年2号の感想
 ・ヒュームの提起した問題にカント、スミスはどのように答えたか
 ・2013年6月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』東洋の世界(後半)を読む
 ・一会員による2013年上半期の振り返り
 ・認知療法における問いの意義を問う
 ・カント歴史哲学へのアダム・スミスの影響を考える
 ・2013年7月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』ギリシアの世界を読む
 ・2013年8月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第三部 ローマの世界を読む
 ・アダム・スミスの哲学体系の全体像を問う
 ・一会員による『綜合看護』2013年3号の感想
 ・初任者に説く学級経営の基本
 ・カウンセリング上達過程における事例検討の意義
 ・文法家列伝:古代ギリシャ編
 ・ヒューム『政治論集』抄訳
 ・2013年9月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第四部 ゲルマンの世界を読む
 ・言語過程説から言語学史を問う
 ・2013年10月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』「第4部 ゲルマンの世界」第2篇を読む
 ・戦後日本の学力論の流れを概観する
 ・一会員による『育児の生理学』の感想
 ・文法家列伝:古代ローマ・中世編
 ・2013年11月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第4部 ゲルマンの世界 第3篇を読む
 ・古代ギリシャ経済の歴史を概観する
 ・2013年12月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』のまとめ
 ・ヘルバルト教育学の全体像を概観する
 ・年頭言:歴史を切り拓く学問の創出を目指して
 ・歴史的な岐路に立つ世界と日本を問う
 ・一会員による『綜合看護』2013年4号の感想
 ・一会員による2013年の振り返りと2014年の展望
 ・ヘーゲル『歴史哲学』を読む
 ・2014年1月例会報告:学問(哲学)の歴史の全体像について
 ・一会員による『学城』第10号の感想
 ・世界歴史の流れを概観する
 ・現代の言語道具説批判――言語規範とは何か
 ・2014年2月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第3〜11章
 ・ヘルバルト『一般教育学』を読む
 ・新大学生へ説く「大学で何をどのように学んでいくべきか」
 ・2014年3月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第12〜14章
 ・三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』学習会を振り返る
 ・『育児の認識学』は三浦認識論をいかに発展させたか――一会員による『育児の認識学』の感想
 ・2014年4月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第15〜19章
 ・4年目教師としての1年間を実践記録で振りかえる
 ・文法家列伝:『ポール・ロワイヤル文法』編
 ・2014年5月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第20〜26章
 ・道徳教育の観点から見る古代ギリシャの教育と教育思想
 ・古代ギリシャの経済思想を問う
 ・半年間の育児を振り返る
 ・2014年6月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第27〜33章
 ・現代の言語道具説批判・補論――「言語道具説批判」に欠けたるものとは
 ・心理士が医学から学ぶこと――一会員による『医学教育 概論(1)』の感想
 ・アダム・スミス「天文学史」を読む
 ・現代の言語道具説批判2――言語道具説とは何か
 ・2014年7月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第34〜38章
 ・道徳教育の観点から見る中世の教育と教育思想
 ・もう一人の自分を育てる心理療法
 ・2014年8月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第39〜40章
 ・アダム・スミス「外部感覚論」を読む
 ・文法家列伝:ジョン・ロック編
 ・一会員による『学城』第11号の感想
 ・夏目漱石を読む@――坊っちゃん、吾輩は猫である、草枕
 ・2014年9月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第41〜43章
 ・ルソーとカントの道徳教育思想を概観する
 ・アダム・スミスは『修辞学・文学講義』で何を論じたか
 ・全てを強烈な目的意識に収斂させる――一会員による『医学教育概論の実践』の感想
 ・2014年10月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第44〜45章
 ・精神障害の弁証法的分類へ向けた試み
 ・シュリーマン『古代への情熱』から何を学ぶか
 ・2014年11月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第46章
 ・一年間の育児を振り返る
 ・近代ドイツにおける教育学の流れを概観する
 ・2014年12月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』のまとめ
 ・年頭言:弁証法・認識論を武器に学問の新たな段階を切り開く
 ・「戦後70年」を迎える日本をどうみるか
 ・哲学の歴史の流れを概観する
 ・『ビリギャル』から何を学ぶべきか
 ・必要な事実を取り出すとは――一会員による『医学教育 概論(2)』の感想
 ・2015年1月例会報告:南郷継正「武道哲学講義X」
 ・夏目漱石を読むA――二百十日、野分、虞美人草、坑夫
 ・アダム・スミスは古代ギリシャ哲学史から何を学んだのか
 ・マインドフルネスを認識論的に説く
 ・道徳思想の歴史を概観する
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部の要約
 ・弁証法的に学ぶとはいかなることか――一会員による『医学教育 概論(3)』の感想
 ・一会員による『学城』第1号の感想
 ・新大学生への訴え
 ・2015年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論A
 ・心理職の国家資格化を問う
 ・5年目教師としての1年間を実践記録で振り返る
 ・文法家列伝:時枝誠記編
 ・2015年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論B、C、東洋哲学
 ・夏目漱石を読むB――三四郎、それから、門
 ・臨床心理学のあるべき姿を考える――一会員による『医学教育 概論(4)』の感想
 ・アダム・スミス「模倣芸術論」を読む
 ・デューイの教育論の歴史的な意義を問う―『学校と社会』を通して
 ・2015年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ギリシア哲学史の序論、イオニア派の哲学、ピュタゴラスとピュタゴラス派
 ・高木彬光『邪馬台国の秘密』を認識論から読み解く
 ・一会員による『学城』第12号の感想
 ・2015年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エレア派〜ヘラクレイトス
 ・何故言語学の創出が必要か―一会員による2015年上半期の振り返り
 ・事実と論理ののぼりおり――一会員による『医学教育 概論(5)』の感想
 ・夏目漱石を読むC――彼岸過迄、行人、こころ
 ・2015年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エムペドクレス〜アナクサゴラス
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(上)
 ・デューイ教育論の歴史的意義を問う―『民主主義と教育』をとおして
 ・2015年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソフィスト派・ソクラテス
 ・アダム・スミス『法学講義』を読む
 ・学問上達論とは何か――一会員による『哲学・論理学研究(1)』の感想
 ・2015年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソクラテス派、プラトン
 ・庄司和晃追悼論文―庄司和晃の歩みはいかなるもので、何を成し遂げたか
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部第4章の要約
 ・一会員による『学城』第2号の感想
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(下)
 ・夏目漱石を読むD――道草、明暗
 ・2015年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』プラトン 弁証法、自然哲学、精神の哲学
 ・ナイチンゲール看護論を心理臨床に活かす――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(1)』の感想
 ・文法家列伝:時枝誠記編(補論)
 ・英語教育改革を問う―『英語化は愚民化』書評―
 ・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
 ・2年間の育児を振り返る
 ・2015年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学)
 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
 ・ケネー『経済表』を読む
 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う