2017年06月05日

マルクス思想の原点を問う(5/5)

(5)マルクスはヘーゲルの自由論の延長線上に普遍的な人間解放を構想した

 本稿は、ロシア革命から100年という記念の年にあたって、20世紀に現に存在したスターリン的な「社会主義」体制にとらわれることなく、19世紀半ばに若きマルクスがヘーゲル哲学を踏まえつつ当時のヨーロッパ社会の現実と対峙しながらつくりあげた思想とはそもそもどのようなものであったのかを問うことから、資本主義をのりこえる新たな社会の構想をつかみとっていく必要があるのではないか、という問題意識を踏まえつつ、若きマルクスの思想形成の画期となった「ユダヤ人問題によせて」「ヘーゲル法哲学批判序説」『経済学・哲学草稿』という3つの文献をとりあげ、マルクス思想の原点について明らかにしようとするものでした。

 ここで、これまでに説いてきた流れを簡単に振り返っておくことにしましょう。

 まず、マルクスが1844年に『独仏年誌』という雑誌に掲載した2つの論文――「ユダヤ人問題によせて」と「ヘーゲル法哲学批判序説」――を取り上げました。「ユダヤ人問題によせて」では、近代における政治的国家と市民社会の分裂に応じて同一の人間が公人(公民)と私人とに分裂してしまうこと、すなわち、類的存在(共同体の一員として、お互いに助け合うような存在)としての側面は抽象化され国家に奪われてしまうことで市民社会における利己的で排他的な個人として存在するしかなくなっていることが論じられていました。マルクスは、市民社会と政治的国家との分裂を解消して、現実的な人間が直接に共同体の一員としてお互いに助け合うような状況をつくることこそが真の人間的解放であると主張したのでした。「ヘーゲル法哲学批判序説」では、市民社会のあり方が踏み込んで検討されることで、市民社会の弊害を完全な形で一身に体現させられているプロレタリアートこそ普遍的な人間解放の担い手であることが見出されたのでした。

 続いて、マルクスが『経済学・哲学草稿』(1844年に書かれた未定稿)において、古典派経済学とヘーゲル哲学とを相互浸透させることで、自らの思想を深く彫琢していこうとしていたことをみました。マルクスは、絶対精神の自己運動として諸々の具体的なものの運動に筋を通していこうとしたヘーゲル哲学を念頭に起きながら、古典派経済学が競争、営業の自由、土地占有の分割を一般的で抽象的な公式として羅列的に捉えるだけで、これらの法則が私有財産の本質からどのような必然性をもって生まれてくるのかを明らかにしようとしてはいない、と批判していたのでした。一方でマルクスは、ヘーゲルが古典派経済学を通じて人間の本質を労働だと捉えきったからこそ絶対精神の自己運動という観点から自己の哲学を構築することができたのだと喝破してもいました。

 しかし、マルクスは、ヘーゲルが労働を人間の本質として捉えたことを高く評価しながらも、「彼は労働の肯定的な側面を見るだけで、その否定的な側面を見ない」と批判してもいました。マルクスは現実社会におけるプロレタリアートの状況を踏まえて、人間の本質たる労働が非人間的なものに貶められ、人間を非人間的な境遇に追い込む力として働いてしまっているという近代市民社会における現実を「疎外された労働」という言葉で表現したのでした。マルクスは、私有財産が「疎外された労働」の必然的な結果として成立しているものであることを確認した上で、私有財産の積極的な止揚によって普遍的な人間解放を実現しようとするものが共産主義である、と結論付けていたのでした。それは、人間が自然の必然性を把握しつつ自然と調和して生きられる社会、人間が他人に抑圧されることなく自由に生きられる社会(各個人が共同体の一員として相互に助け合うような社会)の実現を目指す思想にほかなりません。

 以上でみてきたように、ヘーゲルよりも半世紀ほど後の時代に生きたマルクスは、当時のドイツ社会の現実――資本主義経済の勃興につれて物質的な利害の衝突が生じてきているという現実――と対決しながら、「すべての人間が本来自由である」というヘーゲルの掲げた世界歴史の究極目的を真に実現していく(普遍的な人間解放を実現する)ためにはどうすればよいのかを探究していった結果、市民社会の弊害を完全な形で一身に体現させられているプロレタリアートこそが普遍的な人間解放の担い手とならなければならないこと(労働者の解放が直接に普遍的な人間解放を含むこと)を見出し、さらに「疎外された労働」の必然的な結果として成立させられている私有財産を積極的に止揚することで、人間が自然の必然性を把握しつつ自然と調和して生きられる社会、人間が他人に抑圧されることなく自由に生きられる社会の実現を目指すという共産主義の思想に到達したのでした。端的には、若きマルクスが抱いた共産主義の思想とは、ヘーゲルの自由論の延長線上に、近代市民社会の現実を踏まえながら、普遍的な人間解放を構想したものにほかならなかったのです。

 マルクスの共産主義がヘーゲルからの強烈な影響のもとにあったことを確認するために、唯物史観の定式として非常に有名な『経済学批判』の序言もみておくことにしましょう。

「大ざっぱにいって経済的社会構成が進歩してゆく段階として、アジア的、古代的、封建的、および近代ブルジョア的生活様式をあげることができる。ブルジョア的生産諸関係は、社会的生産過程の敵対的な、といっても個人的な敵対の意味ではなく、諸個人の社会的生活諸条件から生じてくる敵対という意味での敵対的な、形態の最後のものである。しかし、ブルジョア社会の胎内で発展しつつある生産諸力は、同時にこの敵対関係の解決のための物質的諸条件をもつくりだす。だからこの社会構成をもって、人間社会の前史はおわりをつげるのである。」(武田隆夫ほか訳『経済学批判』岩波文庫、p.13)


 ここで登場する「アジア的→古代的→封建的→近代ブルジョア的」という流れは、ヘーゲル『歴史哲学』における「東洋世界→ギリシャ世界→ローマ世界→ゲルマン世界」という流れを下敷きにしたものであることは明らかですし、歴史(マルクスにおいては「人間社会の前史」)の到達点を、人間の本性たる自由が全面的に開花する段階としてイメージしたこともヘーゲルと共通しています。この段階について、マルクスとエンゲルスの初期の共著『ドイツ・イデオロギー』では次のように述べられています。

「共同社会においてはじめて、人格的自由が可能になる。共同社会のこれまでの代用物、すなわち国家などにおいては、人格的自由は、支配階級の諸関係のなかで育成された諸個人にとってだけ、そして、彼らがこの階級の諸個人であったかぎりでだけ、存在した。……真の共同社会においては、諸個人は、彼らの連合のなかで、また連合をとおして、同時に彼らの自由を獲得する。」(服部文雄監訳『ドイツ・イデオロギー』新日本出版社、p.85)


 こうした文章からも明らかに確認できる通り、そもそもマルクスが主張した共産主義というものは「各個人の自由な発展が、万人の自由な発展のための条件となる連合体〔Assoziation〕」(『共産党宣言』第2章)を目指すものにほかならなかったのです。

 しかし、革命ロシア=ソ連においては、帝国主義諸国の干渉や国際的孤立という悪条件の下、世界革命を主張するトロツキーが一国社会主義を主張するスターリンに敗れてしまい、個人の自由を徹底して押し潰す異様な専制と抑圧の体制が築かれてしまったのでした。社会主義社会の建設を掲げて出発したはずのソ連が、なぜそのような経過を辿ることになってしまったのかは、別に詳しい検討が必要です(先月発刊された『学城』第15号の村田洋一「ロシアにおける社会主義革命の誤りとは何であったか」はまさにこの問題について考察するものです)が、若きマルクスが構想していた共産主義というものが、ソ連で築かれてしまったような人間抑圧型の社会とは全く異なるものであったことを確認しておくことも重要でしょう。

 資本主義経済の行き詰まりが明瞭になりつつある現在、20世紀に存在したスターリン的な「共産主義」のイメージにとらわれることなく、若きマルクスがヘーゲルの普遍的な人間解放の思想を当時の社会の現実と対決させながら創り上げた共産主義の思想から、資本主義をのりこえる新たな社会の構想についてのヒントをつかみとっていく必要があるといえます。少なくとも、普遍的な人間解放というヘーゲルの掲げた目標を真に社会の現実とするためにはどうすればよいのか、という若きマルクスが抱いた強烈な問題意識を、現代に生きる我々も共有することが求められていることだけは間違いないでしょう。

(了)
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2017年06月04日

マルクス思想の原点を問う(4/5)

(4)私有財産の積極的止揚としての共産主義

 前回は、マルクスが『経済学・哲学草稿』において、古典派経済学とヘーゲル哲学とを相互浸透させることで、自らの思想を深く彫琢していこうとしていたことをみました。マルクスは、古典派経済学が競争、営業の自由、土地占有の分割を一般的で抽象的な公式として羅列的に捉えるだけで、これらの法則が私有財産の本質からどのような必然性をもって生まれてくるのかを明らかにしようとしてはいない、と批判していました。これは、絶対精神の自己運動として諸々の具体的なものの運動に筋を通していこうとしたヘーゲル哲学を踏まえたものにほかなりません。このように、若きマルクスは、古典派経済学の限界を突破するためにヘーゲル哲学を武器として使っていこうとしていたのでした。一方で、マルクスが古典派経済学の観点からヘーゲル哲学を読み込んでいることも確認しました。ヘーゲルが古典派経済学を通じて人間の本質を労働だと捉えきったからこそ、絶対精神の自己運動という観点から自己の哲学を構築することができたのだと、マルクスは喝破していたのでした。

 しかし、マルクスは、ヘーゲルが労働を人間の本質として捉えたことを高く評価しながらも、「彼は労働の肯定的な側面を見るだけで、その否定的な側面を見ない」と批判してもいました。この問題は、私有財産の本質という問題とも直接に重なるものです。端的には、マルクス思想の核心ともいうべき「疎外された労働」という概念がここに関わってくるのです。

 そもそも疎外というのは、ごく簡単にいうならば、人間の創り出したものが人間から独立した外的な存在として人間を規定してくることです。この疎外の概念は、マルクスがヘーゲルから受け継いだものです。しかし、ヘーゲル自身がもっぱら肯定的な意味合いで使っていたのに対して、マルクスは現実社会におけるプロレタリアートの状況を踏まえて、もっぱら否定的な側面を強調しました。「疎外された労働」というのは、端的にいえば、人間の本質たる労働が非人間的なものに貶められ、人間を非人間的な境遇に追い込む力として働いてしまっているという近代市民社会における現実を捉えた表現であるといえるでしょう。

 マルクスは、この「疎外された労働」を大きく3つの側面に分けて論じています。

 第一は、労働者の労働生産物からの疎外です。これは、ごく簡単にいえば、労働者が生産したものが労働者のものでなくなってしまう(資本家のものになってしまう)、ということです。

 第二は、労働者の労働行為そのものからの疎外です。これはごく簡単にいえば、労働は本来、創造的な喜びに溢れた行為であるはずなのに、非創造的な単純化された面白くもない行為を強制させられるものになってしまっている、ということです。

 第三は、人間の類からの疎外です。「類」というのは分かりにくい表現ですが、前々回「ユダヤ人問題によせて」を取り上げたときにも「類的存在」という表現が登場していました。類的存在あるいは類的生活というのは、人間の本来的なあり方、人間は本来こうあるべきものというイメージを含むものです。動物は自然に与えられたものを消費するだけですが、人間は自然に能動的に働きかけて生活に必要なものを創りだし、活動を相互に交換し合いながら、文化を発展させていきます。協働を通じて物質的のみならず精神的にも豊かな生活を生産していくわけで、それが本来あるべき人間的なあり方だといえます。ところが、近代市民社会においては、労働すればするほどそういう人間的なあり方からかけ離れた状況に陥っていく、ということになります。このことが類的生活からの疎外という言葉で表現されているわけです。

 このように論じたマルクスは「私有財産は、外化された労働の、すなわち自然や自分自身に対する労働者の外的関係の、産物であり、成果であり、必然的帰結である」(同、p.102)、「労賃は疎外された労働の直接の結果であり、そして疎外された労働は私有財産の直接の原因である」(同、p.104)と結論付けています。「疎外された労働」(他人の儲けのために面白くもない労働を強制され、労働生産物は資本家のものになってしまう)の必然的な結果として私有財産が成立しているのだ、というわけです。この結論を踏まえて、マルクスは普遍的な人間解放について次のように語っています。

「私有財産に対する疎外された労働の関係から、さらに結果として生じてくるのは、私有財産などからの、隷属状態からの、社会の解放が、労働者の解放という政治的なかたちで表明されているということである。そこでは労働者の解放だけが問題になっているように見えるのであるが、そうではなく、むしろ労働者の解放のなかにこそ一般的人間的な解放が含まれているからなのである。」(城塚登、田中吉六訳『経済学・哲学草稿』岩波文庫、p.104)


 労働者の解放は単に労働者だけの解放ではなくて、労働者の解放のなかにこそ一般的人間的な解放が含まれているのだ、というわけです。これは、前々回取り上げた「ヘーゲル法哲学批判序説」の結論――市民社会の弊害を完全な形で一身に体現させられているプロレタリアートこそが普遍的な人間解放の担い手となりうるのだ――を繰り返したものだといえます。ただし、この『経済学・哲学草稿』においては、古典派経済学とヘーゲル哲学とを相互浸透させることで獲得された「疎外された労働」=私有財産という概念を媒介とすることで、この結論がよりいっそう深められた形で、力強く宣言されることになったのだということができるでしょう。

 マルクスは、労働者の解放を通じての普遍的な人間解放こそが真の共産主義である、と主張しました(当時あった諸々の共産主義的思想に対抗して、です)。マルクスは自身が主張する共産主義について、次のように特徴付けます。

「人間の自己疎外としての私有財産の積極的止揚としての共産主義、それゆえにまた人間による人間のための人間的本質の現実的な獲得としての共産主義。それゆえに、社会的すなわち人間的な人間としての人間の、意識的に生まれてきた、またいままでの発展の内部で生まれてきた完全な自己還帰としての共産主義。この共産主義は完成した自然主義として=人間主義であり、完成した人間主義として=自然主義である。それは人間と自然とのあいだの、また人間と人間とのあいだの抗争の真実の解決であり、現実的存在と本質との、対象化と自己確認との、自由と必然との、個と類とのあいだの争いの真の解決である。それは歴史の謎が解かれたものであり、自分をこの解決として自覚している。」(同、pp.130−131)


 つまり、マルクスのいわゆる共産主義とは、人間が自然の必然性を把握しつつ自然と調和して生きられる社会、人間が他人に抑圧されることなく自由に生きられる社会(各個人が共同体の一員として相互に助け合うような社会)のことであって、そうした社会の実現こそが歴史の目指すところであるという把握があったわけです。これは、「共産主義」という言葉を省いて考えるならば、ヘーゲルが歴史の到達点として描いていることそのままであるといえるでしょう。マルクスは、ヘーゲルが描いた歴史の到達点について、「私有財産の積極的止揚」(社会的生産のための手段が資本家によって私的に所有され個人的な利益のために動かされているという状況を打破して、直接に社会全体の共同の利益のために動かせるようにする)という契機を媒介にすることで、共産主義という言葉で表現するようになったのだ、ということができます。

 ここでマルクスが描いているのは、非常に漠然とした理想でしかないというほかありませんが、若きマルクスが構想していた共産主義というものが、ソ連で築かれてしまったような人間抑圧型の社会とは全く異なるものであったことは、明確に確認することができるでしょう。
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2017年06月03日

マルクス思想の原点を問う(3/5)

(3)古典派経済学とヘーゲル哲学を相互浸透させる

 前回は、マルクスが1844年2月に出された『独仏年誌』という雑誌に掲載した2つの論文――「ユダヤ人問題によせて」と「ヘーゲル法哲学批判序説」――を取り上げました。マルクスは、「ユダヤ人問題によせて」で、近代における政治的国家と市民社会の分裂に応じて同一の人間が公人(公民)と私人とに分裂してしまうことを指摘し、人間は類的存在(共同体の一員として、お互いに助け合うような存在)としての側面を抽象化され国家に奪われてしまうことで現実的には市民社会における利己的で排他的な個人としてしか存在しなくなっているのだ、と論じていました。その上でマルクスは、市民社会と政治的国家との分裂を解消して、現実的な人間が直接に共同体の一員としてお互いに助け合うような状況をつくることこそが真の人間的解放なのだ、と主張していたのでした。ただし、この段階での提言はきわめて抽象的なレベルにとどまっており、具体的にどのような変革が必要なのかは展開されていません。マルクスは「ユダヤ人問題によせて」に続く「ヘーゲル法哲学批判序説」において、市民社会そのもののあり方を踏み込んで検討することで、市民社会の弊害を完全な形で一身に体現させられているプロレタリアートを、普遍的な人間解放の担い手として見出すことになったのでした。マルクスはこのことを「哲学がプロレタリアートのうちにその物質的武器を見いだすように、プロレタリアートは哲学のうちにその精神的武器を見いだす」と表現しています。マルクスは、ドイツ社会の現実と対決しながら、普遍的な人間解放というヘーゲル哲学の目標を真に実現するためには、「人間の完全な喪失」という状況に貶められているプロレタリアートこそが担い手とならなければならないことを見出すにいたったのでした。

 さて、普遍的な人間解放の担い手としてプロレタリアートが見出されたからには、なにゆえに(どのような過程を経て)プロレタリアートが「人間の完全な喪失」という状況に貶められるに至ったのか、どのようにすればプロレタリアートの「人間の完全な再獲得」が可能となるのかが突っ込んで検討されなければなりません。このような問題意識から、マルクスはイギリス古典派経済学の学びに踏み込んでいくことになったものと思われます。その成果がまとめられているのが、『経済学・哲学草稿』と呼ばれる未定稿です(『政治および国民経済学の批判』として出版する計画があったものの結局、完成稿にまでは至りませんでした)。これはパリ滞在中の1844年に書かれたものです。

 この『経済学・哲学草稿』は、古典派経済学をヘーゲル哲学の観点から読み解こうとしたものであると同時に、ヘーゲル哲学をイギリス古典派経済学の観点から読み解こうとしたものでもあるといえます。端的には、古典派経済学とヘーゲル哲学とを相互浸透させることで、自らの思想を強く鍛え上げていこうという意欲にあふれたものになっているのです。

 マルクスはまず、「労賃」「資本の利潤」「地代」といったテーマを設定して、アダム・スミス『国富論』をはじめとする古典派経済学の諸文献から重要な箇所の抜書きを行い、自身の批判的なコメントを加えていくことで、労働者が惨めな商品へ転落すること、労働者の窮乏がその生産力と大きさに反比例すること、競争の必然的な結果は少数者の手中への資本の蓄積であり独占の再現であること、資本家と地主との区別が農民と労働者との区別と同様に消滅して、全社会が有産者と無産者という両階級へ分裂せざるをえないことを確認しています。その上で、次のように述べるのです。

「国民経済学は私有財産という事実から出発する。だが国民経済学はわれわれに、この事実を解明してくれない。国民経済学は、私有財産が現実のなかでたどってゆく物質的過程を、一般的で抽象的な公式で捉える。その場合これらの公式は、国民経済学にとって法則として通用するのである。国民経済学は、これらの法則を概念的に把握しない。すなわちそれは、これらの法則がどのようにして私有財産の本質から生まれてくるかを確証しようとしないのである。しかし、まさにこのゆえにこそ、たとえば競争の学説を独占の学説に、営業自由の学説を同業組合の学説に、土地占有の分割についての学説を大土地所有の学説に、くり返し対置することができたのである。というのは、競争、営業の自由、土地占有の分割などが、独占、同業組合および封建的土地所有の必然的で不可避の自然的な諸帰結としてではなく、偶然的な、故意の、強引な諸帰結としてしか説明されず、また概念的に把握されなかったからである。」(城塚登、田中吉六訳『経済学・哲学草稿』岩波文庫、pp.84−85)
 

 「国民経済学」(ここでは古典派経済学と同じ意味にとってかまいません)は、競争、営業の自由、土地占有の分割を主張するものの、これらを一般的で抽象的な公式として捉えるだけで、これらの法則がどのようにして私有財産の本質から生まれてくるのかを明らかにしようとはしないのだ、とマルクスは批判しています。「国民経済学」のように、競争を独占に対置し、営業の自由を同業組合に対置し、土地所有の分割を大土地所有に対置するのではなく、競争は独占の必然的結果であり、営業の自由は同業組合の必然的結果であり、土地所有の分割は封建的土地所有(大土地所有)の必然的結果であることを把握しなければならないのだ、というのがマルクスの主張です。ここで注目に値するのが、「概念的に把握」という表現です。これがヘーゲル哲学を踏まえたものであることは明らかでしょう。ヘーゲルは、この世界の本質たる絶対精神が自らを区別し具体的な規定を与えていくことで、自らのうちからこの世界の全ての具体的なものを生み出していくのだ、という発想で、哲学を構築しようとしました。絶対精神の自己運動として諸々の具体的なものの運動に筋を通していくことこそが、概念的な把握ということにほかなりません。マルクスはこれにならって、私有財産の運動に関する諸法則を私有財産の本質から把握せよ、と主張しているわけです。「国民経済学」の限界を突破するために、ヘーゲル哲学を武器として使っていこう、という若きマルクス(26歳)の発想が明瞭に示されています。

 ちなみに、ヘーゲル哲学を古典派経済学の観点から読み込んでいることがよく分かる箇所も紹介しておくことにしましょう。

「なおあらかじめ、ヘーゲルは近代国民経済学の立場にたっている、ということだけは示しておこう。ヘーゲルは、労働を人間の本質として、自己を確証しつつある人間の本質としてとらえる。彼は労働の肯定的な側面を見るだけで、その否定的な側面を見ない。労働は、人間が外化の内部で、つまり外化された人間として、対自的になることである。ヘーゲルがそれだけを知り承認している労働というものは、抽象的に精神的な労働である。こうして一般に哲学の本質をなしているもの、自己を知りつつある人間の外化、あるいは自己を思惟しつつある外化された学問、こうしたものをヘーゲルは労働の本質としてとらえている。だから彼は、先行の哲学に対抗してそれらの契機を総括し、こうして自分の哲学を哲学そのものとして述べることができるのである。他の哲学者たちがおこなったこと――彼らが自然と人間生活との個々の契機を自己意識の諸契機として、しかも抽象的自己意識の諸契機としてとらえていること――これをヘーゲルは〔彼自身の〕哲学の行為をもとにして知っている。だからこそ彼の学問は絶対的なのである。」(同、pp.199−200)


 ここでマルクスが「ヘーゲルは近代国民経済学の立場にたっている」とか「労働を人間の本質として、自己を確証しつつある人間の本質としてとらえる」というのは、決して『法の哲学』の市民社会論について、といった矮小なレベルではなく、ヘーゲル哲学の本質を問うレベルでいっていることに注意が必要です。要するに、ここでマルクスが主張しているのは、絶対精神の自己運動はすなわち労働である、ということにほかなりません。「だから彼は、先行の哲学に対抗してそれらの契機を総括し、こうして自分の哲学を哲学そのものとして述べることができるのである」というのは、ヘーゲルが「近代国民経済学」を通じて労働の概念を把持したからこそ、シェリングなどの先行哲学に対抗して自分の哲学を本来あるべき哲学としてつくることができたのだ、ということをマルクスが喝破したことを示しているといえるでしょう。

 しかし、マルクスは、ヘーゲルが労働を人間の本質として捉えたことを高く評価しながらも、「彼は労働の肯定的な側面を見るだけで、その否定的な側面を見ない」と批判してもいます。それが一体どういうことなのかは、次回詳しくみていくことにしましょう。
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2017年06月02日

マルクス思想の原点を問う(2/5)

(2)労働者の解放こそが人間一般の解放であるという着想

 本稿は、ロシア革命から100年という記念の年にあたって、20世紀に現に存在したスターリン的な「社会主義」体制にとらわれることなく、19世紀半ばに若きマルクスがヘーゲル哲学を踏まえつつ当時のヨーロッパ社会の現実と対峙しながらつくりあげた思想とはそもそもどのようなものであったのかを問うことから、資本主義をのりこえる新たな社会の構想をつかみとっていく必要があるのではないか、という問題意識を踏まえつつ、若きマルクスの思想形成の画期となった「ユダヤ人問題によせて」「ヘーゲル法哲学批判序説」『経済学・哲学草稿』という3つの文献をとりあげ、マルクス思想の原点について明らかにしようとするものです。

 今回は、「ユダヤ人問題によせて」と「ヘーゲル法哲学批判序説」という2つの論文を取り上げます。これらはいずれも1844年2月に『独仏年誌』という雑誌に掲載されたものです。ボン大学やベルリン大学で法律学や哲学を学んだマルクスは、宗教批判(宗教を哲学に解消してしまうこと)を課題として掲げていた「青年ヘーゲル派(ヘーゲル左派)」に属しながら、大学教授の職を得ることを希望していました。しかし、政治的な反動の動きが強まり、大学から自由主義的・進歩的な教授を排除していく方針がとられるようになっていくなかで、マルクスは大学に職を得ることを断念せざるを得なくなります。その後、マルクスはジャーナリストとして、新聞や雑誌の編集に携わるようになります。しかし、反動的な政治の下でそれらが次々と発禁処分を受けたことから、マルクスは協力者(ヘーゲル左派の先輩であったアーノルド・ルーゲ)とともに、ドイツ人亡命者の多かったフランスの首都パリで『独仏年誌』を刊行することになったのでした。

 「ユダヤ人問題によせて」でマルクスは、ヘーゲル左派の先輩であったブルーノ・バウアーの議論を批判的に検討しています。バウアーは、ユダヤ人の政治的解放の要求(キリスト教徒と同等の政治的権利を与えよという要求)に関連して、政治的国家が宗教から自らを切り離し、どのような宗教を信仰しようが政治的権利とは無関係である、という状況がつくられることこそが、宗教からの人間の解放の達成なのだと主張しました。これに対してマルクスは、政治的解放と普遍的な人間解放とを混同するものだ、と批判しました。大多数の人がまだ宗教的である場合でさえも国家は自らを宗教から解放してしまうことができるからです。ここで浮上してくるのが、近代における政治的国家と市民社会の分裂という問題です。例えば、選挙権と被選挙権について納税を条件とすることが廃止されたとすれば、私有財産は政治的には無効化されたことになります。しかし、私有財産そのものがなくなるわけではありません。私有財産は市民社会のなかに厳然と存在しているのであり、国家からは干渉されない私事として、私有財産に絡んだ諸々の行動が行われているのです。宗教もこれと同じで、政治的国家の領域から締め出されて市民社会の領域に追いやられただけだ、ということになります。宗教が存在(存続)する理由は、政治的国家と宗教とのつながりにではなく、市民社会そのもののなかに求められなければなりません。宗教を生み出してしまうような市民社会のあり方そのものが問題にされなければならないのです。

 では、近代における市民社会とはどのようなものなのでしょうか。マルクスは端的に利己的な私人の領域であると特徴づけています。中世封建制の社会においては、市民社会の人々は様々な身分や職業団体に組み込まれ、市民社会そのものが政治的な性格を帯びていました。ところが、近代に至る過程おいて、これらの身分や職業団体が粉砕され、政治的国家と市民社会とが分裂していきます。それに伴い、人間が公人(公民)と私人とに分裂します(同一の人間が公人と私人という2つの側面をもつようになります)。マルクスは、政治的国家に属する公民が抽象的人間であるのに対して、市民社会に属する私人は諸々の具体的な欲求を抱えた利己的な人間であるといいます。人間は類的存在(共同体の一員として、お互いに助け合うような存在)としての側面を抽象化され国家に奪われてしまうことで、現実的には市民社会における利己的で排他的な個人としてしか存在しなくなっている、というのです。マルクスは、市民社会そのものの変革を通じて、現実的な人間が類的存在としての性格を取り戻すようにしなければならないと主張します。

「現実の個体的な人間が、抽象的な公民を自分のなかに取り戻し、個体的な人間でありながら、その経験的生活、その個人的労働、その個人的諸関係のなかで、類的存在となったとき、つまり人間が彼の「固有の力」〔force propres〕を社会的な力として認識し組織し、したがって社会的な力をもはや政治的な力というかたちで自分から分離しないとき、そのときはじめて、人間的解放は完遂されたことになるのである」(城塚登訳『ユダヤ人問題によせて/ヘーゲル法哲学批判序説』岩波文庫、p.53)


 このように、市民社会と政治的国家との分裂を解消して、現実的な人間が直接に共同体の一員としてお互いに助け合うような状況をつくることこそが真の人間的解放なのだ、とマルクスは主張したのでした。ただし、この段階では極めて抽象的な提言にとどまっており、具体的にどのような変革が必要なのかは展開されていません。

 続く「ヘーゲル法哲学批判序説」においてマルクスは、ドイツの国家制度の現状が旧体制の完成としての後進性をさらけ出している一方で、ドイツの法哲学(ヘーゲル法哲学)はこうしたドイツの後進性をのりこえて、先進的な近代国家が抱えている基本的な問題に取り組んでいるから、ヘーゲル法哲学への批判は、批判そのものだけにとどまらず、現実の変革という実践的な課題につながるのだ、ということを確認します。その上で、マルクスは、中途半端に近代化されたドイツにおいては、近代国家の文明的欠陥が旧体制の野蛮的欠陥とがっちりと結び付いてしまっているから、部分的な革命(ある特定の階級だけを解放する政治的革命)は不可能であり、人間を普遍的に解放するラディカルな革命だけが現実的なのだ、と主張します。それでは、普遍的に人間を解放する革命とは、具体的にどのようにして行われうるのでしょうか。マルクスは、「どこにドイツ解放の積極的な可能性はあるのか」と問い、次のように答えます。

「それはラディカルな鎖につながれた一階級の形成のうちにある。……一言でいえば、人間の完全な喪失であり、それゆえにただ人間の完全な再獲得によってのみ自分自身を獲得することができる一領域、このような一階級、一身分、一領域の形成のうちにあるのだ。社会のこうした解消が一つの特殊な身分として存在しているもの、それがプロレタリアートなのである。」(同、p.94)

 このようにマルクスは、「ユダヤ人問題によせて」に続く「ヘーゲル法哲学批判序説」において、市民社会そのもののあり方を踏み込んで問題にすることで、市民社会の弊害を完全な形で一身に体現させられているプロレタリアートを、普遍的な人間解放の担い手として見出すことになったのでした。
 ここで注目しておきたいのは、この「ヘーゲル法哲学批判序説」の最後の部分です。マルクスは次のように述べています。

「哲学がプロレタリアートのうちにその物質的武器を見いだすように、プロレタリアートは哲学のうちにその精神的武器を見いだす。そして思想の稲妻がこの素朴な国民の地盤を根底まで貫くやいなや、ドイツ人の人間への解放は達成されるであろう。……この解放の頭脳は哲学であり、その心臓はプロレタリアートである。哲学はプロレタリアートの揚棄なしには自己を実現しえず、プロレタリアートは哲学の実現なしには自己を揚棄しえない。」(同、pp.95−96)

 ここでいう哲学が、ヘーゲル哲学を指すことはいうまでもないでしょう。マルクスは、「ヘーゲル法哲学批判序説」において、文明的欠陥と野蛮的欠陥が強固に結び付いているというドイツの現実と対決しながら、普遍的な人間解放というヘーゲル哲学の目標を真に実現するためには、「人間の完全な喪失」という状況に貶められているプロレタリアートこそが担い手とならなければならないのだ、ということを見出すにいたったのです。
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2017年06月01日

マルクス思想の原点を問う(1/5)

目次

(1)そもそもマルクスが目指していたものは何だったのか
(2)労働者の解放こそが人間一般の解放であるという着想
(3)古典派経済学とヘーゲル哲学を相互浸透させる
(4)私有財産の積極的止揚としての共産主義
(5)マルクスはヘーゲルの自由論の延長線上に普遍的な人間解放を構想した

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(1)そもそもマルクスが目指していたものは何だったのか

 今年2017年はロシア革命(二月革命と十月革命)からちょうど100年という記念の年にあたります。第一次世界大戦の最中に起きた二月革命は、ツァーリ(皇帝)の専制権力を打倒して共和制(議院内閣制)を成立させました。二月革命以降は、立憲民主党(カデット)が主導する臨時政府と、社会革命党(エスエル)やメンシェビキ、ボリシェビキなど左派勢力が主導する労働者・農民・兵士のソヴィエト(評議会)が並存していましたが、戦争を継続した臨時政府に対して、ソヴィエトに結集した労働者や農民、兵士の不満は著しく高まります。こうした大衆の不満を背景にして、レーニンとトロツキーが率いるボリシェビキがソヴィエトの多数派を握り(トロツキーがペトログラード・ソヴィエトの議長となりました)、臨時政府を打倒して、全ての権力をソヴィエトに集中させることを掲げて、十月革命を主導したのでした。「ソヴィエト権力」あるいは「労働者(と農民)の権力」の確立は、社会主義的な方向への前進と同義のものと見なされました。革命政権はその後、およそ5年にわたる内戦を闘い抜き、1922年に、世界初の社会主義国家とされるソヴィエト連邦を成立させることになります。こうした社会主義建設の方向性は、いうまでもなくマルクスやエンゲルスが標榜した「科学的社会主義」の理論にもとづいたものであるとされました。

 もっとも、科学的社会主義を唱えたマルクスやエンゲルスは、社会主義を目指すプロレタリア革命は資本主義経済の発展が進んだ国でこそ起きるものであると考えていたのであり、当時のロシアのように資本主義経済の発展が遅れた国で社会主義社会の建設を目指したのは、マルクスやエンゲルスの科学的社会主義からの逸脱である、とも考えられます(現に、メンシェビキなどはそのように批判しました)。しかしながら、レーニンやトロツキーは、革命をあくまでも世界革命という枠組みで考えていたことに注意が必要です。彼らは、ロシアでまずプロレタリア革命が起きたのは、階級的力関係が他の諸国よりも有利であったからにほかならないことを指摘していました。レーニンやトロツキーは、ドイツなど先進資本主義諸国家においてプロレタリア革命が勝利し、これら諸国のプロレタリアートがロシアを援助するような状況がつくられることなしには、ロシアにおける社会主義社会の建設をやり遂げることは不可能であることを繰り返し強調してもいたのでした。

 しかし、結局のところ彼らが期待したようにはヨーロッパ諸国での革命は起きず、ソ連は帝国主義諸国の干渉や国際的孤立という悪条件の下に置かれ続けることになります。1924年にレーニンが亡くなり、世界革命を主張するトロツキーが一国社会主義を主張するスターリンに敗れてからは、反対勢力を徹底して弾圧する異様な専制と抑圧の体制が築かれ、農業の強制的集団化や急速な工業化によって世界恐慌の荒波には耐えたものの、長期的には経済発展が著しく停滞してしまうことになり、ソ連は1991年についに崩壊してしまったのでした。

 ソ連の崩壊は、社会主義に対する資本主義の勝利であると受け止められ、社会主義はすでに失敗したものだという受け止めが世界的に広がることになりました。しかし、その後の資本主義経済は、アジア通貨危機(1997年)や世界金融危機(2007年のサブプライムローン問題から2008年のリーマン・ショックへ)といった深刻な危機を繰り返しつつ、貧困と格差の著しい拡大をもたらすにいたりました。これまで社会の安定をそれなりに支えてきた中間層が崩壊して、いわゆる極左と極右が台頭するといった政治的状況もつくられています。様々な角度から資本主義の深刻な危機が叫ばれる時代が到来しているのです。人類は、資本主義をのりこえる新たな社会の構想を切実に求めつつも、それが明確に見えてこないなかで必死にもがいているような状況にあるともいえるでしょう。ここで大きな障害として浮上してくるのが、ソ連の崩壊によって社会主義へのマイナスイメージが定着させられてしまっていることです。資本主義に色々な問題があるといっても、社会主義は恐ろしい官僚独裁体制を生み出した末に崩壊してしまったではないか、資本主義よりもましな社会体制などありえないのではないか……このような社会的認識が強固に存在してしまっていることは否定できないでしょう。

 ここで大きく問われなければならないのは、ソ連の崩壊は社会主義そのものの失敗を意味するものであるのか、ということです。スターリンが築き上げたような独裁体制が、レーニンやトロツキーが目指した社会主義建設の方向性から大きく逸脱するものであったことが確認される必要がありますし、そもそもマルクスやエンゲルスが掲げていた科学的社会主義とはどういうものであったのか、というところにまで遡って検討してみる必要もあるでしょう。20世紀に現に存在したスターリン的な「社会主義」体制にとらわれてしまうのではなく、19世紀半ばに若きマルクスやエンゲルスが、ヘーゲル哲学を踏まえつつ当時のヨーロッパ社会の現実と対峙しながらつくりあげた科学的社会主義の思想とはどのようなものであったのか、というところから、資本主義をのりこえる新たな社会の構想についてのヒントをつかみとっていく必要があるのではないでしょうか。

 本稿は、以上のような問題意識を踏まえつつ、若きマルクスの思想形成の画期となった「ユダヤ人問題によせて」「ヘーゲル法哲学批判序説」『経済学・哲学草稿』という3つの文献をとりあげ、マルクス思想の原点とはいかなるものであったかを問うものです(これらの文献は、1844年前後、マルクスが26歳のころに書かれたものです)。

 ここで端的に結論を述べておけば、若きマルクスは、人間の自由の実現を目指したヘーゲル哲学の理念をそのまま受け継ぎながら、それを真に社会のなかに実現するための方策を見出そうとして苦闘したのだ、ということになります。このことを本論で詳しく検討していくことになりますが、その前提として、ヘーゲルが目指していたところは何だったのか、『歴史哲学』から決定的な個所を引用することで確認しておきましょう。

「世界史とは、精神が本来もっているものの知識を精神自身で獲得して行く過程の叙述である……東洋人はまだ精神が、または人間そのものが本来自由であるということは知らない。彼らはこれを知らないが故に自由ではないのである。彼らは僅かに一人の者(Einer)が自由であることを知っているにすぎない。……自由の意識はギリシア人の中に、はじめて現われた。それ故にギリシア人は自由であった。しかしギリシア人は、またローマ人も、ただ少数の者(Einige)が自由であることを知っていたにとどまり、人間が人間として自由であることを知らなかった。……ゲルマン諸国民に至ってはじめて、キリスト教のお陰で、人間が人間として〔すべての人が Alle〕自由であり、精神の自由が人間の最も固有の本性をなすものであるという意識に達した。」(ヘ―ゲル『歴史哲学(上)』武市健人訳、岩波文庫、pp.77-78)


 このようにヘーゲルは、「世界史とは自由の意識の進歩を意味する」(同、p.78)ものであること、その究極目的は「すべての人間が本来自由であること、すなわち人間が人間として自由であるということ」(同、p.78)を知ることにほかならないことを、高らかに宣言していたのでした。

 ヘーゲルは、こうした自由は、個々人がもつ主観的意志と国家がもつ理性的意志とが調和した人倫的全体において実現されるのだと主張し、当時のプロイセンの立憲君主制こそが理想的なあり方であると結論づけたのでした。しかし、ヘーゲルよりも半世紀ほど後の時代に生きたマルクスは、資本主義経済の発展によって、現実の社会のなかに物質的な利害の衝突が生じてきていることを目の当たりにしなければなりませんでした。こうした社会の現実と格闘しながら、「すべての人間が本来自由である」というヘーゲルの掲げた世界歴史の究極目的を真に実現していくためにはどうすればよいのかを探究する――これこそが、若きマルクスが学問の構築へと突き進んでいった原点的な動機であったと考えられるのです。それが具体的にどのような過程をたどって、マルクス独自の思想として結実することになったのか、次回以降に詳しくみていくことにしましょう。
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2017年04月02日

新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」(5/5)

(5)京都弁証法認識論研究会で共に学ぼう

 本稿は、新大学生を主な読者として想定し、大学生活では何を如何に学んでいくべきかを説くことを目的とした小論でした。ここまで、高校までの学びと(本来の)大学での学びの違いに着目しつつ、大学での学びに決定的に欠落しているものとは何か、それらはどのように学んでいったらよいのかを説いてきました。ここで、これまでの論の展開の重要な部分を振り返っておくことにしましょう。

 まず、高校までの学びと大学での学びの違いについて考えていきました。高校までの学びというのは、現実の世界の諸々の事物・事象のうち、一定の範囲内にあるものに関して、その対象の一定の側面のみを取り上げて科目として学んでいるのでした。しかもこれらは、既に人類が明らかにしてきた文化遺産であって、それらを基本的には受動的に受け入れるという学びだったということでした。しかし大学での学びの対象というのは、高校までのような制限はありません。いわば世界全体が対象となりうるわけで、既に明らかにされている文化遺産を学ぶというより、未知の分野に切り込んで、新たな文化遺産を創造するための学びという面が大きいのだということでした。

 では、この世界全体を対象として、未知の分野に切り込んでいく際に必要になってくるものは何かとして、弁証法を取り上げたのでした。弁証法は、「世界全体の一般的な連関・運動・発展の法則についての科学」ですし、「自然・社会・精神の一般的な運動に関する科学」です。そしてその構造は、「対立物の相互浸透の法則」、「量質転化の法則」、「否定の否定の法則」という三法則で成り立っているものでした。大学での学びは、世界全体を一定の部分に分けて、さらにその対象の一側面のみを問題にするという高校までの学びと違って、世界全体の連関、さらには運動・変化・発展を問題とする必要がある以上、弁証法を羅針盤として自らの対象とする分野に切り込んでいく必要があるということでした。

 ではこの弁証法を学ぶとはどういうことか、次にこの問題について考えていきました。端的に結論をいえば、これまでの受験勉強のように、単なる文字として弁証法なり弁証法の三法則なりを学んでいくということでは決してなくて、現実の中から弁証法的な性質を1つ、また1つと発見していって、弁証法のイメージを大きく膨らませていくような学びが必要だということでした。ここに関連して、人間のアタマの中のイメージ、すなわち認識に関する学問である認識論について説いていきました。認識論は自分のアタマをよくするための学問であって、受験勉強のような文字ばかりで考えてしまうようなアタマの悪さを解消し、生き生きとした像を描けるようにするために学ぶのだということでした。それは現実の世界が文字からできているのではなくて、現実の世界を感覚器官を介して脳にしっかりとイメージできることが、アタマのよさの第一歩だったからでした。

 以上、大学での講義では決して学べない2つの学問、すなわち弁証法と認識論について説いてきました。これらの学びの基本書として、諸々の著作を紹介しましたが、それらも含めて本ブログでは、「新大学生に説く「文献・何をいかに読むべきか」」と題した論文も掲載していますので、また参考にしてみてください。

 最後に、これらの学びを実のあるものにしていくための決定的に重要な条件について説きました。端的にいえばそれは、自分と同様に真摯に弁証法・認識論を学んでいこうという意欲をもった仲間とともに、集団的に学んでいくということでした。何故集団的な学びが決定的に重要かというと、第1に、基本的な文献、基本的な概念についての学びの過程で必然的に生じてくるところの自己流の歪んだ解釈を発見・修正していくことを可能にするためでしたし、第2に、他者とまともに討論することによってこそ自らの認識をダイナミックに変化・発展させていくことが可能になるからでした。そして第3に、集団的に学ぶことでこそ、学ぶことへの情熱が維持でき、さらには発展させていくことも可能になるという側面についても付け加えておきました。

 ここまで、本稿のこれまでの流れをおさらいしましたが、本稿を終えるにあたって、これまで説いてきたような学び方をしっかりと実践していく気になった新大学生の皆さんに、是非とも伝えておかなければならないことがあります。それは、私たち京都弁証法認識論研究会は、高い志を掲げて学ぶ意欲に燃えた新大学生の皆さんの参加を心から歓迎する、ということです。

 私たちの研究会は、いまから20年近く前、京都のある大学で、弁証法というものに興味をもった数人の学生が、三浦つとむさんの『弁証法はどういう科学か』の読書会をはじめたことにその起源があります。以来、『弁証法はどういう科学か』を中心とした三浦つとむさんの著作、あるいは三浦つとむさんの弁証法を武器として武道哲学・武道科学を創始された南郷継正先生の著作についての読書会を継続して開催してきました。また、その過程において、偶然の縁で、これ以上ない指導者の指導を仰ぐようになるという幸運にも恵まれました。最近では、5年ほど前から参加し始めたメンバーもいます。

 現在は、ヘーゲル『哲学史』の学びを踏まえて、カント『純粋理性批判』に取り組むなど、学問史上の重要文献をテキストにした月1回の例会や、本稿でも紹介した南郷継正『なんごうつぐまさが説く 看護学科・心理学科学生への“夢”講義』シリーズの読書会、日本近代文学の名作読書会などを定期的に開催しています。日常的なメールのやり取りを併用しながら、弁証法・認識論の学びを深めるために活発な討論を行ってもいます。また、年に3回程度は、合宿形式による学習会を行っています。ここでは、教育実践・教育学、経済学、心理学、言語学など、それぞれの専門分野に関する報告を行い、弁証法・認識論の見地がしっかりと踏まえられているのか、他の専門分野との繋がりがきちんと意識されているのか、といった観点から、(指導者による直接的な指導も仰ぎながら)集団的な検討を行っています。異なる専門分野の人と共通の土台で突っ込んだ討論ができるというのは、私たちの研究会の大きな魅力であり、非常に重要なメリットであるといえるでしょう。

 本稿を読んで、何としても弁証法・認識論をモノにしたい! という強い意欲をもたれた新大学生の皆さんは、是非とも連絡をください(*)。京都から遠い地域にいる皆さんでも構いません。インターネットの発達した現在は、メールで瞬時に長文のやり取りもできますし、スカイプを使って討論することもできます。もし皆さんにその気があるならば、京都から離れた地にいても、私たちの研究会とともに学んでいくことは可能です。合宿の際には、直接に顔を突き合わせての討論も可能となることでしょう。実際、現在の我々の研究会には、京都から非常にかけ離れたところに住んでいるのに、毎月の学習会や合宿に参加しているメンバーが存在します。

 日本文化の発展を担い人類の歴史の前進に寄与していくのだ、という高い志を共有して、共に学んでいきましょう。

(*)連絡の取り方ですが、ブログ記事のコメント欄にメールアドレスとともに書き込んでもらえれば、こちらから連絡させてもらいます。コメント欄は承認制ですので、その旨書いていただければ公開することはありません。

(了)
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2017年04月01日

新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」(4/5)

(4)弁証法・認識論の学びは集団的に行う必要がある

 前回は、認識論とは何か、どのように学んでいけばいいのかについて説いていきました。認識論とは、アタマの中に描かれるイメージ(これを認識=像といいます)について、その生成発展の過程も含めて説いてく学問であって、端的には、自分のアタマをよくするための学びだということでした。また、この認識論を学んでいくための著作として、『育児の認識学』、『なんごうつぐまさが説く 看護学科・心理学科学生への“夢”講義』シリーズ、『新・頭脳の科学 アタマとココロの謎を解く』を紹介し、それらを読み進めていく上での注意点を説いたところまででした。

 人間の認識は、これまで生きてきた積み重ねによって、自分なりの個性が育ってきています。それだけに、これまで自分が育ててきた個性にそぐわないものに関しては、感情的に反発してしまいかねません。もちろん、その反発が正しい場合もあるでしょう。しかし、こと弁証法や認識論の学びに関しては、大学の講義ではまともに学べず、それらを学ぶ唯一といっていいような書物をこの連載で紹介してきていますし、それらはその道の超一流の著者によって書かれたものであるので、まだ二十歳になるかならないかの未熟なアタマでいきなり反論などをせず、素直に学んでいってほしいと説いたのでした。

 さて今回は、以上のことにも大きく関わりますが、弁証法や認識論をまともに学んでいく上で決定的に重要な条件について説いておくことにしましょう。仮にこの条件を欠いてしまったならば、これまで紹介したようなすばらしい文献にいくら真摯に学んだとしても、弁証法や認識論の実力がまともについていくことにはならないかもしれない、というくらいの重大事なのです。

 「その決定的に重要な条件とやらは、いったい何なのですか?」と皆さんは問われるに違いありません。本稿をこれまで読んできたことで、「よし! 弁証法や認識論を真剣に学んでいくぞ!」という気持ちになっておられる新大学生の皆さんには、まともに答えておくべきでしょう。

 端的に答えをいうならば、自分と同様に真摯に弁証法・認識論を学んでいこうという意欲をもった仲間とともに、集団的に学んでいく、ということに尽きます。このことには大きく3つの効用を指摘することができます。

 第一の効用は、基本的な文献、基本的な概念についての学びの過程で必然的に生じてくるところの自己流の歪んだ解釈を発見・修正していくことを可能にする、ということです。

 そもそも人間の認識は、それぞれの個人の経験如何によって、きわめて個性的に育ってしまっているものです。そうである以上、一般的にいって、自分とはまったく異なった個性をもった他人の思っていること・考えていることを的確に理解するのは非常に困難です。このことは、弁証法あるいは認識論といった人類文化の最高峰とでもいうべき学問を偉大な学者の著作を通じて学ぶ場合には、とりわけシビアな問題として浮上してくることになります。先に説いたように、いくら自分の感情のままに反発するのではなく、素直にその著作に学ぼうとしたとしても、著者と自分の間には決定的な実力差があるわけですから、その高い内容を、自分流の個性的なアタマの働きによって、よりハッキリいうならば自分のアタマの働きのレベルにまで引き下げて「理解」してしまう、といった恐ろしいことになりがちなのです。結局のところ、ただ一人で弁証法あるいは認識論を学んでいると、反発してしまって受け入れないということにはならないにしても、自己流のおかしな解釈でしかないのに、それで弁証法あるいは認識論を「理解」したと勘違いして、その上にさらに自己流の解釈を積み重ねていく……といったことになってしまいかねません。このような個性的に歪められた「理解」に陥らないために、自分とは異なる個性をもった仲間との討論のなかで学び、さらに理想的にはよき指導者からの指導を受けながら学ぶことが必要になってくるのです。

 第二の効用は、他者とまともに討論することによってこそ自らの認識をダイナミックに変化・発展させていくことが可能になる、ということです。これは、科学としての弁証法の三法則のひとつである「対立物の相互浸透の法則」に深く関わります。

 そもそも「相互浸透」とは、簡単にいえば、繋がり合っているものがお互いに相手のもっている性質を受けとることで変化していく、このような繋がりが深まる形で発展が進んでいく、ということです。「対立物の相互浸透の法則」は、どんな事物もそれ自体として孤立して存在していたのであれば変化しないのであり、必ず他の事物との繋がりにおいて変化していくものなのだ、ということを明かにしたものであり、弁証法の三法則のなかでも根本的に重要なものだといえます。

 この法則からも明かなように、自分の認識は、ただ自分の認識として孤立してあっただけでは、まともに変化・発展していくことはないのです。かならず、他者の認識との交流関係においてこそ、まともに発展させていく道が拓けてくるのです。このことを学問の構築ということに即していえば、対象に関わって自分のアタマに描かれたイメージをしっかりと相手に伝わるレベルの言葉で表現するとともに、相手の言葉を媒介として相手がアタマのなかで描いていた対象のイメージを自分のアタマのなかに再現し、さらにこの両者(同一の対象にかかわっての自分のイメージと相手のイメージ)を比べてどこが同じでどこが違うかをしっかりと理解した上で、それをまた相手に伝わるレベルの言葉で表現する、といった努力の繰り返しの過程によってこそ、対象の構造に関わっての像(イメージ)をまともに描いていけるようになる、ということです。

 第三の効用は、集団的に学ぶことでこそ、学ぶことへの情熱が維持でき、さらには発展させていくことも可能になる、ということです。

 一人だけで学んでいると、どうしても、日常生活の惰性に流されて、ついつい楽な方向に進んでしまいがちです。4月当初はまだまだいいのですが、段々と初めの決意が鈍くなってきてしまう可能性が大きいのです。しかし、大志を掲げて学ぼうという意欲に燃えている仲間との日常的な交流関係があれば、自分も怠けてなどいられない! という気持ちにさせられるはずです。もっといえば、そのような仲間をライバルとして設定して、お互いが情熱を分け合い、お互いがお互いの熱で熱せられて冷めることがない、というような形で、お互いが凄まじいまでのレベルでの発展を成し遂げていくことも可能となっていくのです。

 以上、集団的に学ぶことの意義を説いてきました。このような同じ志をもって真摯に学んでいく仲間を創ることができるかどうかということこそが、皆さんの大学生活の充実度を決定的に左右するといっても過言ではないのです。
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2017年03月31日

新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」(3/5)

(3)認識論とは何か、如何に学ぶべきか

 本稿は、この4月に新しく大学生になった方を主な読者として想定し、大学では何を如何に学んでいったらよいのかを説くことを目的とした小論です。

 前回は、大学での学びに大きく欠けているものの1つとして、弁証法を取り上げ、それはどのようなものか、何故それが大学での学びに必要なのか、それはどのように学んでいったらよいのかを説き始めたところまででした。

 簡単に振り返りながら論を展開していきます。高校までの学びでは、現実の世界の諸々の事物・事象をある一定の範囲で切り取って、その対象の特定の側面のみを1つの科目として学んできたのですが、これでは現実の世界の本当の姿、互いに関連し合い、運動し、発展していく現実の事物・事象の構造や本質を把握するには不十分だということでした。そこで「世界全体の一般的な連関・運動・発展の法則についての科学」である弁証法を学び、その実力を身につけることによって、自分の専門とする対象に関わっても、世界全体の一部分として明確に位置づけならが、対象を全的に把握することが可能となっていくのだということです。このような把握によってこそ、今まで知られていなかった対象の構造や本質を掴み取っていくことができていくのだということです。(*)

 では、弁証法を学ぶためには、具体的にどのようなことをしていけばいいのでしょうか。まずは、弁証法とはどのようなものかについて、先回紹介した『弁証法はどういう科学か』、『看護のための「いのちの歴史」の物語』、『武道哲学講義(第2巻)』(現代社白鳳選書)第2部「『学問としての弁証法の復権』―弁証法の学的復活を願って」でしっかりと理解してもらう必要があります。その上で、弁証法の三法則、すなわち「対立物の相互浸透の法則」、「量質転化の法則」、「否定の否定の法則」を日常生活の実例で説いてく訓練をしていきます。例えば、大学で出会った友達の方言が徐々になくなっていけば、これは対立物の相互浸透の結果だなとか、大学でドイツ語を学び出して、初めは違和感があったのに、10月ごろになるともう「アー、ベー、ツェー、デー」という発音の仕方が当たり前になってきたことは量質転化だなとか、歩道橋を渡るのは、道路を直接渡ることを否定して、道路に平行に階段を上ったり、角を回ったり、階段を下りたりする内に道路を渡ってしまっているのでこれは否定の否定だなとか、弁証法の三法則を具体的に考えてみるのです。

 ここで大学での学びに決定的に欠けているもう1つのもの、すなわち認識論の学びについて説いていくことになります。認識論とは端的には、人間の認識、つまりアタマの中に描かれるイメージ(これを認識=像といいます)について説いていく学問です。もう少し言葉を加えますと、認識というのは人間のアタマの中に描かれるイメージとはいうものの、これは単純に外界を反映したものではなくて、アタマの中であれこれと考えたり、快不快の感情を持ったりするのも認識の1つのあり方です。そして認識論は、単に認識とは何かを説くのみならず、認識の生成発展を説いていくことにもなりますので、簡単にいえば、自分のアタマをよくするための学問だということになります。認識がどのように発生し、どのように発展していくのかを解明できれば、自分の認識を発展させる、すなわち自分のアタマをよくすることもできるからです。

 では、自分のアタマをよくするためには、どのようなことが必要になってくるでしょうか。科学的認識論を踏まえて端的に説けば、生き生きとした像を描けるよう、感覚器官と脳を鍛えていく必要があるのです。

 皆さんは特に中学以降、現実を生き生きとした像としてアタマの中に描くような学びをあまり行ってきてはいません。小学生であれば、実際に花壇で植物を育てて観察したり、ゴミ工場に行ってそこでの仕事を見学したりしますし、算数の問題にしても、いわゆる文章題の問題では、日常生活に起こる様々な具体的な場面を想定した問題になっていたはずです。ところが、大学入試のための勉強を思い出してみてください。例えば生物でメンデルの法則を習いますが、これなどは現実にエンドウ豆を育てることなく、文字だけで遺伝子がどのような性格を持つものか覚えさせようという授業だったはずです。日本史にしても、例えば田沼の改革はどのような歴史的背景があって、それを田沼意次はどのように捉え、どのような方向性を指向してこのような改革を行ったのかという現実のあり方を抜きにして、株仲間を奨励したとか、鎖国政策を緩めたとかいった文字だけで理解していても、試験で点数が取れたでしょう。年代を語呂合わせで覚えるなど、正に文字のみの学びでしかありません。また数学に関していえば、微積分や複素数など、現実の如何なる側面を捉えて問題にしているのかを理解して説いていましたか。単なる計算問題として説いていたでしょう。数字も文字の一種ですので、これも文字のみの学びだったはずです。

 しかし現実の世界を見てください。現実の世界は文字で出来ていますか。そうではないでしょう。アタマがよいというのは、現実の世界のあり方を生き生きとした像で描き、筋を通して把握しているということですので、アタマの中が文字だらけという受験勉強的な学びではどうしようもないのです。だからこそ認識論をきちんと学ぶ必要があるのですし、文字だけで考える習慣をいち早く捨てて、現実の世界を自らの感覚器官を通してしっかりと反映できるように、感覚器官を鍛えつつ脳を育てていく必要があるのです。

 ですから、ここで弁証法に話を戻しますと、前回触れたような、「弁証法は正・反・合である」などと言葉の上での理解を振りかざして弁証法を知っているなどといっても、何の意味もないということになります。現実の事物・事象は全て、弁証法的な性質を持っているからこそ、弁証法を学んでそれを羅針盤にして生きていくことが可能なのであって、日常生活の中でも弁証法の実例を具体的なレベルで発見して、それを積み重ねていくことによって、弁証法の三法則とはおよそこういうものだという論理的な像を創っていく必要があるのです。

 ですから、先ほどの弁証法の学び方に関していえば、弁証法の三法則を単に言葉としてだけ知っているということでは全く役に立たないことになります。弁証法の学び方を認識論を踏まえて説くと、つまりアタマをよくするための弁証法の学び方を説くと、それは先に説いたような現実の中から弁証法的な性質を発見し、自らのアタマの中に弁証法の生き生きとした像を描いていくことだということになるわけです。

 さて、では本当にアタマをよくするための認識論の学びはどのように行っていけばいいのでしょうか。まずは以下の著作を味読レベルで学んでいくことが必要になってきます。

・海保静子『育児の認識学』(現代社)
・南郷継正『なんごうつぐまさが説く 看護学科・心理学科学生への“夢”講義』シリーズ(現代社白鳳選書)
・瀬江千史・菅野幸子『新・頭脳の科学 アタマとココロの謎を解く』(現代社白鳳選書)

 これらの著作を学んでいく際に注意が必要なことは、変に疑問を持っておかしいのではないかなどと食ってかからないことです。素直な気持ちで、ゼロから学ぶつもりで取り組んでください。また、このことにも関わりますが、これらの著作には途中で、「もう一度、第○編第△章を読んでから続きを読んでください」などの注意書きがある場合があります。こうした場合も、なんて面倒くさいのだなどと思わずに、素直にもう一度読み返してください。面倒くさいという認識が生じるのは、著作を読み切ることが目的となっているからであって、本当にアタマをよくしたいのなら、もう一度読めとあれば読むのだという強い気持ちが必要になってきます。

(*)例えば、人間とは何か、という問いに対して、皆さんならどのように解答するでしょうか。国語や歴史や生物などで人間というものを諸々に学んできた皆さんでも、これまで人間を色々な側面に分けてバラバラに学んできたために、いざ人間とは何か、とその本質的な規定を求められると、解答に窮してしまうのではないでしょうか。これを弁証法的な実力を把持して、人間の歴史性、発展性、あるいは他の動物との決定的な違い(連関)を踏まえて解答すると、「人間とは認識的実在である」となります。詳しくは、今回紹介した『育児の認識学』などで学んでください。
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2017年03月30日

新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」(2/5)

(2)弁証法とは何か、如何に学ぶべきか

 前回は、大学生の無限の可能性を保証するための学びが大学には決定的に欠落していることを述べ、ではどのようなことを学ぶ必要があるのかとして、大きくは弁証法の学びと認識論の学びが必要だと説いたところまででした。

 もう少し復習しておきますと、高校までの学びは、人類がこれまで獲得してきた文化遺産のある一定範囲を、予め与えられたカリキュラムに沿って受動的に学ぶだけであったものが、大学での本来の学びは、世界の全ての事物・事象を対象として、今までに明らかにされていない事物・事象の構造や本質を明らかにしていくことが求められるものだということでした。ですから、イメージ的にいえば、高校までの学びではどれだけ頑張っても100点が上限でしたが、大学での学びでは100点を大きく超えて、200点にも1000点にも達する可能性があるのだということになります。

 では、大学での毎日の授業に欠かさず出席し、きちんとノートを取って、試験に備えて復習もし、その試験で満点を取りつつ、自分の専門のテーマをしっかりと定めて、その研究に打ち込んでいくということが、すなわち200点であり、さらには1000点にもなっていくということなのでしょうか。答えは否! といわざるを得ません。それは一体なぜだったでしょうか。

 それは、大学の講義において、弁証法と認識論という本物の頭脳活動を可能にする学びが一切教えられていないということでした。では何故、そんな大切な科目が大学で教えられていないのかというと、弁証法にしても認識論にしても、それを学生の実力となるように説ける教育者が大学には存在しないからです、ほんのごく少数を除いては。ですから、大学生がこれらを学ぼうと思っても、大学の授業では(大半の場合)無理なのです。そこで本稿では、これらが一体どのようなもので、どのように学んでいけば自分の実力がついていくのかを説いていくことにしたのでした。

 さて、ということで今回は、弁証法について説いていきたいと思います。

 ここでまた、高校までの学びと大学での学びの違いについて考えてみる必要があります。高校までの学びは、現実の世界のある一部分を切り取って、その対象のある側面について学んでいくという形をとっていました。例えば、現実の世界の中の日本人を切り取って、その日本人の言葉の面(を中心)について学んでいくのが国語であって、現実の世界の中のアメリカ人やイギリス人を切り取って、彼らの言葉の面(を中心)について学んでいくのが英語でした。しかし、同じように現実の世界の中の人間を切り取っても、人間を人口として捉えるならば、それは地理の問題にもなりますし、人間の歴史性という側面を扱うならば、それは世界史なり日本史になります。人間の体の構造がどうなっているのかという点で考えれば、それは生物の対象となります。金属の金を取り上げるにしても、それを物質の1つのあり方として捉えれば物理や化学の対象となりますし、貨幣として扱えば、それは経済の対象となるのです。

 このように、現実の世界の事物・事象に関して、どのような側面をどのように取り上げるかによって、様々な科目の対象として、世界の事物・事象を別々に捉えて学んでいたのが高校までの学びであったわけです。しかし、現実の世界の事物・事象というのは、個々別々に存在しているわけではなくて、全ての存在が繋がり合っているのです。日本語を話す日本人(国語の対象)は、貨幣としての金(経済の対象)を扱いつつ、その歴史(日本史の対象)を創ってきた流れがあるのです。また、現実の世界の事物・事象は、様々な側面を合わせ持つものであって、例えば、国語の対象としての人間と、地理の対象としての人間と、歴史の対象としての人間と、生物の対象としての人間とが、それぞれ別々に存在する、などということではなくて、一個の人間のそれぞれの側面を便宜的に分けて、科目として対象としているに過ぎないわけです。

 何がいいたいのかというと、高校までの学びというものは、現実の世界の諸々の事物・事象が連関し、運動し、発展しているあり方をそのまま対象として捉えて学ぶというのではなくて、諸々の事物・事象間の連関を一応棚上げして、ある事物・事象だけを切り取って、しかもそのある事物・事象のある側面にのみ着目した学びだということです。現実の世界の全ての事物・事象のうち、人間だけを切り取って、その体の構造だけに着目して生物として学んでいるのであって、その人間が歴史性をもって発展してきたことや言葉を話すという側面に関しては、生物では捨象されているわけです。しかし、本来的には現実の世界の中の諸々の事物・事象は連関し、運動し、発展してきているわけですから、それらのあり方をありのまま対象として把握し、その構造なり本質なりを掴もうとすれば、その他の事物・事象との繋がりを捉え、それらがどのように影響し合って運動しているのかを把握し、また対象とした事物・事象の全側面をその連関において把握する必要があるのです。そしてそうした学びこそが、(本来の)大学での学びなのです。

 では、こうしたものの見方はどのようにすれば獲得できるでしょうか。本来の大学での学びを可能とするためには、一体何が必要なのでしょうか。その答えこそ、弁証法の実力を身につけることに他なりません。

 読者の皆さんは、おそらく弁証法というものについてきちんと学んだことがないと思います。しかしこの弁証法は、大学での学びには必須になってきますし、大学を出て社会人になった際にも、大きく力を発揮するものですから、大学生の初めの時期からしっかりと学んでほしいと思います。

 このように説くと、「私は弁証法を知っていますよ。19世紀ドイツの哲学者ヘーゲルが唱えたという例の「正・反・合」というものでしょう。でもこんな弁証法なんていうものを知っていたからといって、一体どんな意味があるのですか」という反論がありそうですね。ですがこの反論に対しては、ハッキリといっておかなければなりません。弁証法は決して「正・反・合」ではありません、と。それに加えて、「正・反・合」と唱えたのはヘーゲルではありません、と。

 では、弁証法とは何かというと、簡単には、「世界全体の一般的な連関・運動・発展の法則についての科学」ですし、「自然・社会・精神の一般的な運動に関する科学」です。そしてその構造としては、「対立物の相互浸透の法則」、「量質転化の法則」、「否定の否定の法則」が三本柱になります。この弁証法を学ぶことによって、世界全体を連関において、運動・変化・発展するものとして把握することが可能となっていきます。世界全体を対象として、これまで明らかにされてこなかった世界の事物・事象の構造や本質を把握していくための大きな羅針盤になる、これが弁証法を学ぶ大きな目的の1つとなります。

 弁証法を学ぶためには、まずは以下の著作をしっかりと読むことが重要になってきます。断っておきますが、これは一度通読すればそれでお仕舞ということではなくて、何度も何度も繰り返し学んでいく必要がある著作です。

・三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』(講談社現代新書)
・本田克也・加藤幸信・浅野昌充・神庭純子『看護のための「いのちの歴史」の物語』(現代社白鳳選書)
・南郷継正『武道哲学講義(第2巻)』(現代社白鳳選書)第2部「『学問としての弁証法の復権』―弁証法の学的復活を願って」
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2017年03月29日

新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」(1/5)

〈目次〉

(1)大学での学びに決定的に欠落しているものは何か
(2)弁証法とは何か、如何に学ぶべきか
(3)認識論とは何か、如何に学ぶべきか
(4)弁証法・認識論の学びは集団的に行う必要がある
(5)京都弁証法認識論研究会で共に学ぼう


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(1)大学での学びに決定的に欠落しているものは何か

 今年の4月から新しく大学生になられる皆さん、おめでとうございます。長く苦しかった受験勉強漬けの生活からも解放され、新しい大学生活に胸を躍らせていることと思います。どんな友達ができるだろうか、専門はどういうものにしようか、サークルやクラブはどういうものに入ろうか、などなど、これからの大学生活に大きく期待しておられることと思います。

 その一方で、独りぼっちになってしまったらどうしよう、勉強にはちゃんとついていけるだろうか、一体何をして過ごしていけばいいのだろうか、などなど、これまでの生活から大きく一変するだろう自分の未来について、少なからず不安を抱いておられることも事実だと思います。

 高校生までの生活は、基本的には受け身の授業が中心だったと思います。英語なり数学なり国語なりについて、先生が教室の前で授業をし、その学んだ内容を復習して、ということを繰り返しながら、定期試験で学んだ内容の理解度を確認していくという形での生活だったと思います。基本的には、決められた時間割の流れの中で、全員が共通して先生から教えてもらい、それらを覚えていくという勉強が中心だったと思います。

 ところが大学生になると、大学ごとの特殊性はあるとは思いますが、基本的には卒業に必要な単位を履修しさえすれば、どのような科目を受講しようと、必要以上に単位を取ろうと、その学生の自由だということになります。逆にいえば、自分で主体的に選択していくことができるため、「何もしない」という消極的な選択さえできてしまうのです。やらなければやらないだけで、時間だけが過ぎていくことになります。試験の点数が悪ければ、しっかりと指導してくれた高校までの先生方のような存在は、基本的には大学にはいらっしゃらないと覚えておいてください。

 自分で主体的な選択ができるということは、何も授業を選択することだけに限りません。自分が選んだ学部の中の、どのような専門分野に進むのか、どの先生の研究室に入るのかも自分で決めることになります。どのようなテーマを研究対象にするのかも決めていかなければなりません。勉強の面以外でも、どんなサークルやクラブに入るのか入らないのか、どんなアルバイトをするのかしないのか、授業以外の時間はどのように過ごすのか、こうしたことは全て、基本的には大学生であるあなた方の主体的な選択にかかってくるのです。有体にいえば、大人へと一歩近づいたことになるわけです。もちろん、その分責任も大きくなってくることはいうまでもないでしょう。

 こんなことを説くと、「そんなことはしっかりと分かっています。私はきちんと授業に出て、サークルやバイトでも友達を作って、楽しく充実した学生生活を送っていくつもりです。立派な成績で卒業して、大企業に入って、一流の人生を送っていくつもりです」などの大変頼もしい返事が返ってくるかもしれません。また一方で、「今までのように与えられた授業を受け、与えられた試験に答え、ということではダメなのですか。自分でテーマを決めて研究していかなければならないのですか。一体どのように大学生活を過ごせばいいのか、不安になってきました」という方もいらっしゃるかもしれません。

 しかし、大きな自信を持っておられる方も、大きな不安に駆られているあなたも、次のことだけはしっかりと分かってもらう必要があります。それは何かといえば、大学での学びには、満点はないということです。そして、自分自身の努力次第では、どのようにでも自分の可能性を伸ばすための学びが大学生のうちには可能だということです。

 まず、大学での学びに満点はないというのはどういうことでしょうか。高校までの学びと大学での学びを大きく分けるとすると、高校までの学びはある一定の範囲を定めて、その範囲内の事物・事象について、これまで人類が獲得してきた文化遺産を学ぶことが中心でしたが、大学での学びに関しては、これまでのような制限はありませんし、まだ人類が到達していないような事物・事象の構造や本質をも追い求めていくような学びなのです。つまり、高校までは現実の世界の諸々の部分のうち、既に人類が把握している事柄の一部のみを学んでいたため、その学ぶ項目というのは有限個の内容だったのに対して、大学での学びは、世界全体の無限の現実が対象となるため、それら全てを把握し尽くすということは論理的には不可能となるわけです。

 しかしこのことは、逆にいえば、努力次第でどこまでも深く現実世界のあり方を掴んでいくことが可能となっていくのだということでもあるのです。そういう無限の可能性が大学生には存在するのです。高校までの学びでは、決められた時間割にそって、決められた内容を先生から教わっているだけでした。しかし大学では、自らが新たな分野に切り込んでいって、これまで明らかにされていなかった現実の側面を明らかにし、研究を進めていくことも可能なのです。

 では、そうした無限の可能性に向けて、「きちんと授業に出て、」「与えられた授業を受け、与えられた試験に答え、」「自分でテーマを決めて研究してい」くことを真面目にやっていけば、それで十分に自分の可能性を伸ばすことができるのでしょうか。実はこれではダメなのです。それは大学での学びに決定的に欠落しているものがあるからです。それは一体何だと思われますか。

 それは端的にいえば、1つには弁証法の学びであり、もう1つは認識論の学びです。皆さんはこの「弁証法」や「認識論」という言葉すら聞いたことがないかもしれませんね。しかしこの2つの学びは、とてもとても大事なのです。しかし今の大学では、これらは決して学ぶことができないのです。何故そんな大切なものが大学で学べないのか不思議に思われるかもしれません。しかしそれは、まぎれもない現実なのです。

 そこで本稿では、弁証法や認識論とはどういうもので、なぜそれらが大学での学びにとって大切なのか、それらはどのように学んでいけばいいのか、こうした問題について説いていくこととします。もちろん、この論文だけ読めば、それで弁証法や認識論の学びはお仕舞、ということにはなりません。しかし、弁証法や認識論を学ぶことの必要性や重要性をしっかりと分かっていただき、大学生活においてこれらを学んでいく契機にしていただくことはできると思います。この論文は、弁証法と認識論の学びのスタートだと理解してください。大学での学びの成果がどのようなものになるのか、実はもう勝負は始まっていると心得て読み進めてください。
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2017年01月05日

年頭言:機関誌の発刊を目指して(5/5)

(5)我々の機関誌が新時代の新たな理念を創出する

 本稿は,新年の初めに昨年の研究会活動を振り返り,本年の課題を設定することによって,目的意識的に研鑽を重ねられるようにするための論考でした。ここで,これまでの流れを振り返っておきたいと思います。

 初めに,我が研究会の機関誌を発刊することを宣言した上で,その必然性を理解していただくために,また,昨年の活動の総括や今年の課題設定の前提として,これまでの20年にもなろうとするわれわれの研鑽の歴史を振り返りました。われわれの研究会の前身は,1998年に京都のとある大学で生まれたものでした。当時は,週に1回ほど集まって,三浦つとむや南郷継正の著作を読んでいくというものでした。筆者が大学在学中に,現在のわれわれの指導者のゼミに参加するようになったこと,大学卒業後も,月に一回ほどのペースで読書会を開催するとともに,年に2〜3回のペースでわれわれの指導者のゼミ合宿に参加して,毎回そのレポートを書いていたこと,ゼミ合宿に参加する若いメンバーが増えてきたことなども紹介しました。2008年ごろからは,指導者に個別指導(コーチング)を受けるメンバーも出てきて,その内容はレポートにまとめられて共有するようになりました。2010年は一つの結節点となりました。それはブログを開設して,毎日,論文や例会報告を掲載するようになったからでした。それに伴い,論文を事前に提出して,メンバー間で討論するようになりました。また,例会でも,事前に論点やそれについての見解をそれぞれが書いて交流するようになりました。例会で扱うテキストの他にも,特定の著作を取り上げて何人かのメンバーが集まって行う読書会が組織されたり,毎月の振り返りを文章化して共有するようになったり,社説に対してコメントを行うようになったりしてきたことにも触れました。要するに,われわれの研究会の歴史は,会員間の認識の相互浸透が活発になされるようになってきたとともに,「書くことは考えることである」の実践がより深まってきた過程であったのであり,その必然的な帰結として機関誌の発刊があるのだと説きました。

 このような研究会の発展史を踏まえて上で,連載第2回では,昨年の研究会活動の総括を行いました。昨年取り組むべき課題として,毎月の例会で,ヘーゲル『哲学史』のギリシア哲学の第二期以降を最後まで読み進めることと,吉本隆明『日本近代文学の名作』(新潮文庫)を読み進めていくことを挙げていました。各会員の専門分野に関する課題としては,言語学や心理学(認識論),教育学や経済学に関わる著名な人物を取り上げつつ,その専門分野における歴史を把握していくというものが挙げられていました。各会員の専門分野に関しては,本ブログで発表してきましたので,研究会全体に関わる課題について振り返り,総括しました。まず,ヘーゲル『哲学史』については,ともかく,2年間かけて哲学の2000年にもわたる発展の歴史を読み通すことができた点が,まず評価できるとしました。さらに,「生命の歴史」と重ね合せて読むことによって,場所の変更を伴う2部構成として発展していることも掴めました。また,吉本隆明の言葉であるとされる「実体の世界」と「学問の世界」という観点から大きく整理できたことも大きな成果でした。すなわち,二つの世界が未分化な状態から分化していき,重ね合せる努力がなされて,一時的には実体の世界が放棄され,すべて学問の世界に解消されながらも,近代に至っては,この二つの世界の統一(宥和)という課題が明確にされ,ついにヘーゲルに至ってその課題が一応の解決を見たのでした。吉本隆明『日本近代文学の名作』については,夏目漱石『こころ』から保田與重郎『日本の橋』までの10作品を読み進めながら,吉本の評論を参考にして感想を交流していきました。全体的に見て,作家が属している時代や社会の心が,無意識的に文学作品に反映しており,また作家が捉えた人の心が,登場人物の心理描写として描かれているので,このような文学を読んでいくことは時代の心,社会の心,人の心を学ぶことになるのであり,ひいては人間とは何かを分かるための学びになっていくのだということが,実感として分かってきた学びとなりました。最後に,ゼミでの討論についても簡単に触れました。基本概念の大切さを痛感し,読み手にイメージが伝わるように説いていくことの重要性を再確認したのでした。

 連載の第3回では,研究会全体としての本年の課題を設定しました。まず,毎月の例会で扱う内容としては,2年間かけてカント『純粋理性批判』に取り組むことにしました。これは,学問の構築過程では,アリストテレス,カント,ヘーゲルの学問が必然的な流れとして表れてくるからでした。学問構築を目指すわれわれとしては,カントの主要著作は避けて通れないということです。また,「アリストテレスから,カント,ヘーゲルの学問を志して学んだその学習の課程(=過程)を二十代でたどってみることが大事」「それにはヘーゲルの『哲学史』からカントの『純粋理性批判』に下り,そこから再びヘーゲルの『エンチュクロペディ』に至る過程をもつこと」(南郷継正『南郷継正 武道哲学 著作・講義全集』第2巻,p.144)という指摘を踏まえたからでもあります。一流の哲学者が学問を志して学んだ学習過程を辿ってみるために,昨年までの2年間でヘーゲル『哲学史』の学びを(一応)終えましたので,今度はカントの『純粋理性批判』に進もうというわけです。次に,機関誌の発刊に向けた取り組みについては,まず,そのタイトルとして京都を髣髴とさせる『哲学への道』が有力であることに触れました。しかしこれはまだ確定ではありませんので,今年中に決定する必要があります。中身に関わっては,集団的に討論して共著で書き上げる論文として「新・社会とはどういうものか」というタイトルの論文を検討していることを紹介しました。これは,三浦つとむ『社会とはどういうものか』の21世紀版として,中学生や高校生にも理解できるものを目指しているのでした。この論文執筆のために,とりあえずは,三浦つとむや滝村隆一の関連する著作を,集団的に学び直していくことが必要であり,2カ月に一冊ほどのペースで読了していくために,読書会の場を設けて,討論を重ねることとしました。さらに機関誌に,ドイツ語の古典の翻訳を少しずつ載せていくことなども検討していることを説きました。最後に,以上の二つ以外にも,吉本隆明『日本近代文学の名作』の読書会を継続すること,南郷継正『看護学科・心理学科学生への“夢”講義』を1巻から順に読んでいき,1年間で全6巻を復習するために,会員全員で読み込んで読書会で討論していくこと,この二つも研究会全体の課題として設定しました。

 連載の第4回では,会員それぞれの専門分野について,具体的に課題を設定しました。主として,ブログに発表する論考として,どのようなテーマを設定するのかということですが,今年からは合わせて,発刊を目指す機関誌にそれぞれが載せる論文も意識して学んでいくことになると確認しました。認識論(心理学)に関しては,第一に,南郷継正『“夢”講義』を,読書会を通して会員間の認識の交流を図りながら,しっかりものにしていくことを挙げました。第二に,認知行動療法の哲学的背景を明らかにした本を執筆し,認知行動療法についてより論理的に筋を通した形で把握できることを目指すと説きました。第三に,歴史も含めて心理学の全体像を把握し,弁証法や認識論,そして心理学の知見と実際に行っている実践を相互浸透させるために,担当している事例についても毎月の振り返りの中で考察していき,可能であれば専門誌に一本,論文を投稿することを目標としたいとしておきました。経済学については,日本経済史の全体の大きな流れについて把握すること,経済学の原点を哲学者としてのアダム・スミスに問うことの2つを大きな課題としました。アダム・スミスについては,2013年に「アダム・スミスの哲学体系の全体像を問う」と題した論文を本ブログに掲載しましたが,それ以降,アダムスミスのほぼすべての著作・論文・講義録を取り上げて論文化しましたので,こうした取り組みを総括する論文として,2013年論文を書き直すことが目標であるということでした。他にも,ヒュームの『政治論文集』とジェームズ・スチュアートの『経済の原理』についての検討も進めていくことも課題として挙げておきました。教育学については,昨年の取り組みの中でルソーの意義を痛感したので,ルソーを中心に学んでいくことを課題としました。ルソーが『エミール』のような有名な著作を書くことができたのは,ルソーが社会全体を論じる中で教育についても扱ったからだと言えるのではないか,そうであるならば,ルソーの代表的な論文を学ばなければルソーの教育論もきちんと理解できないのではないかと考えての課題設定でした。また,昨年の取り組みによって,教育の歴史とは,教育によって人間観が拡大し,その拡大した人間観に基づいて教育が行われてきた歴史と言えるのではないかということを感じましたので,「人間観の歴史を概観する」と題した論文を執筆し,人間観と教育の深まりを具体的に捉えていくことを今年の課題としたいと述べました。こうして歴史的な過程を踏まえることにより,自らがなすべき歴史的な課題について把握するようにしたいということでした。言語学については,昨年に引き続き,この間取り組んできた言語学史の事実的な把握に重ねる形で,論理的な把握を行っていくことを大きな課題としました。具体的には,19世紀の比較言語学に至る直前の18世紀に流行した言語起源論とは如何なるものかを明らかにするとともに,20世紀のソシュール言語理論に後続するチョムスキーの変形生成文法の論理的検討へと進んでいきたいと考えています。合わせて,三浦つとむの言語論を徹底的に学んでいくことによって,言語の一般論をより豊かなものとしていくとともに,言語とは何かということについて,特に言語の二重性に焦点を当てつつ,中学生にも分かる内容でしっかりと論文として説いていくことも課題として設定しました。全体を眺めてみると,これまで数年かけて研究会全体として取り組んできた哲学史の理解を踏まえて,哲学者でもあり,個別科学者ともいえるようなそれぞれの分野の先達の文化遺産をしっかりと自分のものにして,まとめ上げていくことが共通した課題だといえると説いておきました。

 以上,本稿で説いてきた昨年の総括と本年の課題について,改めてまとめ直してみました。全体として見れば,本年は明らかに飛躍の年となります。これまでの20年にもなろうとする研究会活動の中で創出してきた研究会としての「一つの頭脳」を,いよいよ専門領域の具体的な課題に対して使用していく過程が始まり,使用する中で獲得されていく成果を世に問うていくという,大いなる前進の年になるはずです。

 最後に,われわれが創刊を目指す機関誌に込める思いを説いておきたいと思います。昨年は,イギリスのEU離脱やトランプ氏の大統領選勝利に象徴されるように,混乱・混迷の時代の始まりを示すような大きな出来事がありました。日本においても,先行きの見えない不安定な時代の到来を暗示するような出来事が次々と起こりました。参院選で与党が大勝し,改憲派が3分の2超を占めることになったため,いよいよ改憲の問題が現実味を帯びてきました。憲法という国家を規定する最高の法典が変わる可能性が強まってきたのです。これは,国家のあり方そのものの変更が現実味を帯びてきたということをも意味します。天皇が国民に向けたビデオメッセージで,退位の意向を示唆したとされる問題も,今後の日本のあり方を占ううえでは重要な問題だといえるでしょう。至るところで混迷の度を深めていることを実感させられるような事件も起こりました。自動車メーカーが燃費データを偽造したり,築地市場の豊洲移転に関わって,豊洲市場の建物下で土壌汚染対策の盛り土をしていなかった事実が明らかになったり,相模原市の障害者施設で19人が刺殺されるという痛ましい事件が起こったりしました。国勢調査で初めて,日本の人口が減少したというニュースも,将来の日本に暗い影を落としていると感じさせるものでした。

 このような世界的にも日本国内でも,大混乱・大混迷の時代にあって,それを抜け出し,新しい社会を作っていくための明確な理念が求められているということができます。人々は理念によって動かされます。理念には,人々を動かす力があるのです。われわれ京都弁証法認識論研究会が創刊する機関誌は,そのような時代の要請である理念の創出・提示を第一の目的としています。混乱の中で人々が指針とできるようなもの,そういったものを創り出していきたいのです。

 そのためには,何といっても,社会についての科学的な理論が必要となります。「生命の歴史」において哺乳類段階の生命体が,激動する地球環境に合わせて,その変化を取り込むようにして発展していったように,現在の人類も,激動する社会環境の変化に合わせて,その変化を取り込みながら発展していかなければなりません。というより,その変化に合わせて,変化を取り込んでいけないならば,衰退し,滅んでいかざるを得ないといえるでしょう。そうならないためにも,しっかりと社会の変化に合わせ,さらには社会をあるべき方向へと改変していく必要があるのです。そのためには,どうしても社会を科学的・体系的に把握したところに成立する社会科学が必須なのです。

 われわれ京都弁証法認識論研究会では,このような展望のもとに,社会科学の構築,さらには新時代に求められる理念の創出を目指して,機関誌を創刊し,発刊し続けていくことを決意しています。昨年まで以上に厳しい研鑽の過程になりますが,本稿で説いたような目的をしっかり把持し続け,お互いに情熱を燃やし合いながら,何としてでもこの困難な道を歩み続けていきたいと思っています。

 最後になりましたが,本年もご愛読のほど,よろしくお願い申し上げます。

(了)
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2017年01月04日

年頭言:機関誌の発刊を目指して(4/5)

(4)本年の課題A――個別の専門分野での学び

 前回は,昨年の研究会活動を踏まえて,今年1年間,研究会全体としてどのような課題を設定して取り組んでいくのかを説きました。毎月行う例会では,カント『純粋理性批判』を読み進めていくこと,機関誌の発刊に向けた取り組みとしては,社会科学の構築のために三浦つとむや滝村隆一の著作に集団的に取り組んでいくこと,その他,吉本隆明『日本近代文学の名作』や南郷継正『“夢”講義』の勉強会を実施していくことを確認しました。

 さて今回は,今年1年はどのような課題を設定し取り組んでいくべきかについて,各メンバーの専門分野(認識学(心理学),経済学,教育学,言語学)の学びについて整理しておくことにします。主として,ブログに発表する論考として,どのようなテーマを設定するのかということですが,今年からは合わせて,発刊を目指す機関誌にそれぞれが載せる論文も意識して学んでいくことになります。

 それでは,それぞれの専門分野について,具体的に課題を確認しておきましょう。

 認識学(心理学)に関しては,まずは,南郷継正『“夢”講義』を1年間かけてしっかり読み込み,最新の認識論の成果をしっかりと自分のものにすることを課題とします。幸い,他の会員も協力してくれ,2カ月に一回ほど,『“夢”講義』の読書会をしていただけることになったので,『“夢”講義』に関する会員間の認識の相互浸透を図り,それぞれの専門分野に関わって認識論をどう活かしていくか,専門分野からどのように認識論を再措定していくのか,ということについても,討論していければと思っています。次に,認知行動療法の哲学的背景を明らかにした本を執筆します。認知行動療法には,共同的経験主義とソクラテスの質問法という二つの基本原則がありますが,これらは共に,哲学上の成果を直接に活用したものです。このように,哲学から直接的に取り入れられている考え方や発想だけではなく,媒介的に取り入れられているものも含めて,哲学の発展史に沿って解説していく本です。取り上げる予定の哲学者としては,ソクラテスとロック以外に,パルメニデス,プラトン,アリストテレス,アダム・スミス,カントなどです。このような作業を通じて,認知行動療法についてより論理的に筋を通した形で把握できることを目指します。最後に,歴史も含めて心理学の全体像を把握することを第三の課題にします。そのために,心理学の歴史に関する本を数冊読み,認知心理学,社会心理学,臨床心理学などの代表的な教科書に目を通し,特に専門たる臨床心理学に関しては,その研究法なども学んでいきます。可能であれば,専門誌に一本,論文を投稿することを目標にします。また,弁証法や認識論,そして心理学の知見と実際に行っている実践を相互浸透させるために,担当している事例についても毎月の振り返りの中で考察していきます。

 経済学については,今年は,日本経済史の全体の大きな流れについて把握すること,経済学の原点を哲学者としてのアダム・スミスに問うことの2つを大きな課題とします。それぞれ,2017年中に本ブログ掲載する論文としてまとめた上で,それをより詳しく説きなおす形で,2018年4月に創刊する計画の研究会機関誌に連載していくことを考えています。アダム・スミスについては,2013年に「アダム・スミスの哲学体系の全体像を問う」と題した論文を本ブログに掲載しましたが,それ以降も,アダム・スミスの個別の著作物についての検討を深め,その成果についてはその都度ブログで発表してきました。昨年掲載した「アダム・スミス『国富論』を読む」までで,アダム・スミスによって遺されたほぼ全ての著作・論文・講義録をとりあげたことになります。2013年に発表した論文を,こうした取り組みを大きく統括する論文として書き直すことが,2017年の大きな目標となります。このほか,経済学の歴史についての学びとしては,この2017年には,ヒュームの『政治論文集』,ジェームズ・スチュアートの『経済の原理』についての検討も進めていくことにします。

 教育学については,昨年の取り組みをより深めていくことが今年の課題となります。昨年は,コメニウス,ロック,ルソー,ペスタロッチのそれぞれについて,代表的な著作を取り上げてその歴史的な意義を明らかにするとともに,この4人の流れがいかなる過程であったのかを明らかにしました。その中で感じたことは,やはりルソーは非常に大きな意義をもっているということでした。『エミール』については知らない人がいないほどの有名な著作ですが,そのような著作を書くことができたのは,ルソーが社会思想家であったから,つまり,社会全体を論じる中で教育についても扱ったからだと言えるのではないかと思います。したがって,ルソーの社会思想全体を見ることなくして,ルソーの教育論の歴史的な価値を把握することはできないのではないかと考えます。そこで,今年はルソーの代表的な論文,具体的には『学問芸術論』『人間不平等起源論』『社会契約論』を丁寧に読みといくことを課題としたいと思います。また,昨年の取り組みの中で人間観こそ教育を成り立たせる大きな柱なのだということをつかむことができました。教育の歴史とはこの人間観が拡大してきた歴史,もう少し詳しく言うならば,教育によって人間観が拡大し,その拡大した人間観に基づいて教育が行われてきた歴史と言えるのではないかということを感じました。そこで「人間観の歴史を概観する」と題した論文を執筆し,人間観と教育の深まりを具体的に捉えていくことを今年の課題としたいと思います。こうして歴史的な過程を踏まえることにより,自らがなすべき歴史的な課題について把握するようにしたいと思います。

 言語学については,昨年に引き続き,この間取り組んできた言語学史の事実的な把握に重ねる形で,論理的な把握を行っていくことを大きな課題として取り組みます。具体的には,昨年明らかにした比較言語学誕生の歴史的必然性,ソシュールの言語理論の歴史的意義を踏まえつつ,19世紀の比較言語学に至る直前の18世紀に流行した言語起源論とは如何なるものかを明らかにするとともに,20世紀のソシュール言語理論に後続するチョムスキーの変形生成文法の論理的検討へと進んでいきたいと思います。著作としては,ルソー『言語起源論―旋律と音楽的模倣について―』,『人間不平等起原論』,コンディヤック『人間認識起源論』,アダム・スミス「諸言語の起源に関する論文」,チョムスキー『統辞構造論』,『生成文法の企て』,『デカルト派言語学』などを読み進めて検討していくことにします。合わせて,三浦つとむの言語論を徹底的に学んでいくことによって,言語の一般論をより豊かなものとしていくとともに,言語とは何かということについて,特に言語の二重性に焦点を当てつつ,中学生にも分かる内容でしっかりと論文として説いていきたいと思います。その際,1つ1つの概念の中身をしっかりと押さえながらの展開とすることも意識してやっていきたいと思います。

 以上のように各分野で研究・研鑽していくことになります。全体を眺めてみると,これまで数年かけて研究会全体として取り組んできた哲学史の理解を踏まえて,哲学者でもあり,個別科学者ともいえるようなそれぞれの分野の先達の文化遺産をしっかりと自分のものにして,まとめ上げていくことが共通した課題だといえるでしょう。また,これまで研究会全体で創出してきた「一つの頭脳」を,いよいよ使用して専門分野に切り込み,,その成果を世に問うことが課題になってきている,ということもいえるでしょう。

 以上,今回は,個別の専門分野についての本年の課題を紹介しました。

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2017年01月03日

年頭言:機関誌の発刊を目指して(3/5)

(3)本年の課題@――カントの学びと機関誌発刊の準備

 本稿は,昨年の研究会活動を振り返り,本年の目標を明確にするための論考です。前回は,研究会全体で取り組んだヘーゲル『哲学史』と吉本隆明『日本近代文学の名作』を取り上げ,その取り組みや成果を総括しました。

 今回は,昨年の取り組みを踏まえて,今年はどのような課題にチャレンジしていくのかを明確にしておきたいと思います。今年取り組むべき課題の中で,今回は,研究会全体として取り組むことを取り上げます。そして次回は,各会員の専門分野における課題を提示したいと思います。

 では,研究会全体としてどのようなことに取り組んでいくのか。大きく分けて3つあります。すなわち,毎月の例会で扱う内容,機関誌の発刊に向けた取り組み,そして,その他の勉強会で扱う内容の3つです。

 まず,例会で扱う内容についてです。これについては,一昨年から昨年にかけて学んできたヘーゲル『哲学史』を踏まえて,本年と来年の2年間をかけて,カント『純粋理性批判』を読み進めることにします。なぜ,カント『純粋理性批判』なのでしょうか。それは,端的にいうと,われわれが学問の構築を目指しているからであり,学問の構築に取りかかった先達から学ぶためです。ここに関しては,次のような指摘があります。

「……学問は,具体的な事物・事象として現象している,つまり自然,社会として現象している世界のありかたを,その一般性レベルの論理として把握した一般論を,まずはしっかりと保ちながら現象論を構築し(アリストテレスの学問です),それを構造論として深めていく流れのなかで本質論的構造論(カントの学問です),ないしは現象論的構造論から本質論へ(ヘーゲルの学問です)と体系化していくものなのです。

 最終的結果としては,学問は本質論―構造論―現象論として体系化されることになります。」(南郷継正『南郷継正 武道哲学 著作・講義全集』第2巻,p.73)


 すなわち,学問の構築過程では,アリストテレス,カント,ヘーゲルの学問が必然的な流れとして表れてくるということです。したがって,学問とは何かをしっかり分かり,学問構築へと向かっていくためには,カントの学問は避けて通れないものなのです。

 また,次のような指摘もあります。

「……アリストテレスから,カント,ヘーゲルの学問を志して学んだその学習の課程(=過程)を二十代でたどってみることが大事です。ここでたど(辿)る! とはその課程(=過程)を卒業することではありません。簡単にデッサンすることです。

 それにはヘーゲルの『哲学史』からカントの『純粋理性批判』に下り,そこから再びヘーゲルの『エンチュクロペディ』に至る過程をもつことです。つまりヘーゲルからカントへ,カントからヘーゲルへと,否定の否定としてその道程を論理レベルの事実性として,簡単ながらもきちんとたどってみることが大事です。」(同上,p.144)


 ここでは,一流の哲学者が学問を志して学んだ学習過程を辿ってみることが大事であり,そのためには,ヘーゲル『哲学史』からカント『純粋理性批判』へ,そしてそこからヘーゲル『エンチュクロペディ』に至る否定の否定の過程をもつことだと説かれています。われわれは既に20代ではありませんが,この過程を辿ることは学問構築にとっては必須であると理解して,ヘーゲル『哲学史』を一通り学習し終えたことを踏まえて,その次にカント『純粋理性批判』に取り組むことにしたわけです。

 次に,機関誌の発刊に向けた取り組みについてです。機関誌の発刊を目指すことについては,連載第1回でも触れました。その目的は,われわれの研鑽の成果を世に問うと直接に,われわれの論理能力のさらなる発展を目指すためでした。現時点では,2018年4月の創刊を目指しており,タイトルは『哲学への道』が有力です。京都を拠点に活動している我々としては,京都を髣髴とさせるタイトルにしたいと考えています。京都には,西田幾多郎や田辺元が歩いたという「哲学の道」という道が実在しており,このイメージに重なるようなものということで,現時点では『哲学への道』が最有力になっているのです(他にも無難に,『弁証法認識論研究』という案も出ています)。

 では,この機関誌の中身はどのようなものでしょうか。これも現時点での案ですが,会員各自が自己の専門に関わる論文を連載していくだけではなく,集団的に討論して共著で書き上げる論文も掲載したいと考えています。具体的には,「新・社会とはどういうものか」という論文の連載です。これは,三浦つとむ『社会とはどういうものか』の21世紀版として構想しているものです。三浦つとむの社会論をベースにして,初期滝村国家論や南郷学派の最新の成果も踏まえる形で,中学生や高校生にも理解できるようにまとめていく予定です。

 このようなものを構想しているのは,経済学にしろ教育学にしろ,あるいは心理学や言語学にしても,社会科学一般を構築しえた上でないと,まともな学として構築することは不可能であると考えているからです。われわれの研究会に共通する基盤としての社会科学を,集団的な討論をとおして創りあげていく必要があるのであり,その一環として,機関誌の創刊号から「新・社会とはどういうものか」を連載していこうとしているわけです。

 また,唯物論哲学を構築するためにも,社会科学(社会哲学)の全体像を描くことは必要不可欠となってきます。近年,南郷継正先生は,ヘーゲルには社会哲学がなかったと指摘されています。たとえば,昨年末に刊行された『学城 第14号』の190ページでは,ヘーゲルは『エンチュクロペディー』で精神科学,自然科学の全体像を書けたものの,社会科学(社会哲学)がなかったために,哲学すなわち学問一般をよじ登ることが可能とはならなかった,と説かれています。われわれにとっては,ヘーゲルに欠けていたこの部分,すなわち社会科学(社会哲学)の構築こそ,最大の課題なのであり,そのための第一歩として,「新・社会とはどういうものか」を執筆しようとしているのです。

 では,「新・社会とはどういうものか」執筆に向けて,どのような研鑽が必要でしょうか。とりあえずは,三浦つとむや滝村隆一の関連する著作を,集団的に学び直していくことが必要だと考えています。以下,本年中に再読する予定の文献を列挙します。

・三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』
・三浦つとむ『社会とはどういうものか』
・三浦つとむ『マルクス主義の基礎』
・三浦つとむ『マルクス主義と情報化社会』
・三浦つとむ『マルクス主義の復原』
・滝村隆一『マルクス主義国家論』
・滝村隆一『革命とコンミューン』

 これらを2カ月に一冊ほどのペースで読了していき,社会科学の遺産をしっかりと受け継ぐとともに,「新・社会とはどういうものか」の構想について討論を重ね,大雑把な目次からやや詳し目のアウトラインを作成していきたいと考えています。

 わが研究会の機関誌発刊に向けての取り組みとしては,もう一つ,ドイツ語の古典の翻訳を少しずつ載せていくということも考えています。これは,頭脳を論理的にするためには必須とされているドイツ語の勉強を兼ねたものです。社会科学の構築というわれわれの目的からして,とりあえずはエンゲルス『空想から科学へ』の翻訳と解説を掲載していこうという話になっています。ゆくゆくは,現在では翻訳の入手が困難であるにもかかわらず重要であると考えられる先達の著作を翻訳していくことも考えています。

 個別の会員が執筆するものとしては,「経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス」(仮)の執筆はほぼ決定しています。また,これはわれわれ自身が一番楽しみにしているのですが,われわれの師が「弁証法入門」や「認識論入門」などといった初学者向けの弁証法・認識論の解説を書いてくださるということです。

 このように,機関誌の発刊に向けては,集団的に取り組んでいくとともに,各自も自己の専門分野についての研鑽を重ね,しっかりと公開できるレベルの論文を執筆していき,ブログ掲載用の論考以上にそれについて会員間の討論・議論を経て,よりよいものにしてしたうえで発表したいと考えています。

 最後に,以上の二つ以外の勉強会についても簡単に触れておきます。昨年に引き続き,吉本隆明『日本近代文学の名作』を読み進め,そこで説かれている文学作品を読んで感想を交流するとともに,吉本の解説とわれわれの感想を比較検討していきます。これは,人間とは何かを分かるために,時代の心,社会の心,人の心を小説を通して学ぼうとする取り組みです。次回は吉川英治『宮本武蔵』であり,これは全7巻にもなる大作ですので,しばらく読む時間をとり,3月ごろに勉強会を再開することが決まっています。その後は,基本的に毎月勉強会を行うこととし,長い文学作品が扱われている場合には,柔軟に期間を延ばしたりすることは行っていきたいと思います。

 もう一つ,2カ月に一回ほどのペースで南郷継正『看護学科・心理学科学生への“夢”講義』を1巻から順に読んでいき,1年間で全6巻を復習することにします。これは,昨年行っていた『看護のための「いのちの歴史」の物語』の読書会の次のテキストとして『“夢”講義』を選んだものです。また,一会員が今年は『“夢”講義』の感想文を,2カ月に一回,ブログ掲載用の論考として認めていくことにしたため,どうせなら,研究会全体の課題として設定して,みんなが読んで討論した内容をブログ論考に反映させたほうがいい,という判断が働いたということもあります。いずれにせよ,本年は『“夢”講義』をしっかり読み込み,それをきちんと理解していくことを研究会全体の課題として設定したいと思います。

 以上,今回は,研究会全体として取り組む本年の課題を説きました。

 
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2017年01月02日

年頭言:機関誌の発刊を目指して(2/5)

(2)昨年の研究会活動の総括

 本稿は,2017年の年頭にあたって,昨年の研究会活動をしっかりと振り返り,本年の目標を明確にしていくための論考です。前回は,わが研究会では機関誌の発刊を目指すことにしたと宣言し,その機関誌発刊に至る必然性を理解していただくために,研究会の歴史を辿り返し,現在の活動内容を概観しました。

 今回は,昨年の研究会活動を具体的に振り返り,総括したいと思います。

 まず,昨年の課題は何であったかを確認しておきます。昨年の年頭言において,研究会として取り組むべき課題を明確にしておきました。研究会全体の課題としては,まず,毎月の例会で,ヘーゲル『哲学史』のギリシア哲学の第二期以降を最後まで読み進めることを挙げていました。それは,ヘーゲルが哲学の歴史をどのような流れとして描いているのか,そして,唯物論の立場に立つ我々としてはヘーゲルが説く哲学史をどのように捉え返すべきなのかを把握するためでしたし,それをとおして個々の専門分野における学問を構築するための土台を形成するためでした。

 もう一つ,吉本隆明『日本近代文学の名作』(新潮文庫)を読み進めていくことも,研究会全体の課題としておきました。そこで吉本さん自身が取り上げている名作を1つずつ読んで感想を交流するとともに,吉本さんの評論と比較検討していくという課題です。これは,夏目漱石の小説を順番に読んでいった読書会の続きであり,人間とは何かを分かるために,時代の心,社会の心,人の心を小説を通して学ぼうとするものでした。

 また,各会員の専門分野に関する課題としては,言語学や心理学(認識論),教育学や経済学に関わる著名な人物(ソシュールや三浦つとむ,ミルトン・エリクソン,コメニウス,ロック,ルソー,アダム・スミスなど)を取り上げつつ,その専門分野における歴史を把握していくというものが挙げられていました。

 では,これらの課題に対して,昨年1年でどのような取り組みをなして,どのような成果を上げることができたといえるでしょうか。各会員の専門分野に関する取り組みや成果については,本ブログ掲載の論考で発表しているので,主に研究会全体にかかわる課題について振り返り,総括しておきたいと思います。

 まず,ヘーゲル『哲学史』についてです。これについては,ギリシア哲学の第二期たるストア派やエピクロス派から始まり,スケプシス主義を経て新プラトン主義においてギリシア哲学が完成に至ること,そして中世のスコラ哲学を経て近代のデカルトからライプニッツに至り,カントに始まるドイツ観念論がフィヒテ,シェリングと経て発展していくことを1年間で見てきました。ヘーゲルの『哲学史』を前半と後半に分けると,前半はギリシア哲学を非常に丁寧に見ていく感じであったのに,後半は約2000年を一気に駆け抜ける感じで,決してバランスが整っているわけではないのですが,昨年はその2000年にもわたる哲学の歴史をとりあえず最後まで読み通すことができた点が,まずは評価できると考えています。

 もう少し中身に入って,一昨年の内容も踏まえて振り返っておきたいと思います。まず,南郷学派が措定した「生命の歴史」と重ね合せてみるならば,生命の歴史も哲学の歴史も大きく分けると2部構成になっており,第1部から第2部への移行は比較的安定した場所から激変・激動する場所への変更を伴っていたということができるでしょう。生命の歴史でいうと水中から陸へであり,哲学の歴史でいうとギリシア・ローマ世界からヨーロッパ世界へという場所の変更でした。このような場所の変更がものごとの発展にとっては必然性であることは,唯物論の立場からでしかきちんと筋を通して解けないことを確認できたことも,この間の学びの大きな成果であり,われわれが哲学史を書かなければならない大きな理由といえるでしょう。

 また,哲学の歴史を吉本隆明の言葉であるとされる「実体の世界」と「学問の世界」という観点から大きく整理できたことも,この間の成果の一つといえます。この吉本の言葉のおかげで,哲学史の理解が深まりました。どういうことかというと,もともと人類の頭の中で,この二つの世界が分離していたわけではなく,当初は未分化な状態でした。これが分かれ始めたのがパルメニデスの段階であり,学問の芽生えといえる段階でした。これが完全に分離したのがアナクサゴラスのからプラトンにかけての段階でした。ただし,この段階ではまだ実体の世界と学問の世界が並べられただけであり,両者のつながりがはっきりとはしていませんでした。両方の世界を一致させようと努力して,現象レベルでそれなりの一致を見い出したのがアリストテレスといえるのであり,続くヘレニズムの時代には,社会が不安定になっていく中で自己意識が芽生えてきて,ストア派とエピクロス派が心の安寧を求めて真理とは何かを追求し,実体の世界と学問の世界が個人の意識の中で表象レベルで一致することで満足していたのでした。それに対してスケプシス派は,具体的な個人の自己意識から独立した客観的な世界そのものを否定してしまったのでした。つまり,実体の世界の否定です。そしてギリシア哲学の完成形態といえる新プラトン主義においては,自己の内部にある抽象的で無内容な主観的世界(学問の世界)を,具体的に規定された世界,すなわち叡智的世界として構成し直そうとし,そのために,世界の全ては一者(=神)からの流出なのであり,あらゆる存在は精神的なものであるとしたのでした。

 近代になると,個人的・具体的な意識とは独立しているとされていた叡智界(学問の世界)と,具体的な個人の眼前に広がっている自然(実体の世界)の両方を,自分自身の意識の中に取り戻すことが課題として浮上してきました。個人の視点から世界を眺めて客観と主観というように分けていたのを,もっと俯瞰した視点から,物質と精神というようにして眺められるようになってきたのです。デカルトにおいては,人間は精神的存在であると自覚されるようになり,精神と物質の統一(宥和)という課題が明確になりました。すなわち,学問の世界と実体の世界をぴったり一致させることが哲学の課題であることが自覚されるようになったのです。ここからスピノザやライプニッツがこの一致のために努力していきましたがうまくいきませんでした。ドイツ観念論のカントに至っては,人間の精神(認識)について研究し,いってみれば実体の世界は保留して(物自体は認識できないとして),学問の世界をきちんと描こうとしたのでした。フィヒテはこれを引き継ぎ,自我からすべてを説こうとしましたし,シェリングは,自然を研鑽したうえで,自我(学問の世界)と自然(実体の世界)に共通するものがあるはずだとして絶対的な「神」を措定しました。この絶対的な「神」が実は自己運動する絶対精神なのだとして,人間精神の展開として全世界を説ききったのがヘーゲルであり,ここにおいて一応,自己=世界という図式が完成し,学問の世界と実体の世界がぴったりと一致したといえるレベルにまで到達したのでした。

 このようなヘーゲル『哲学史』の学びに関しては,年末に連載した「2016年12月例会報告」に詳しく説きましたので,これ以上の内容については参照していただけると助かります。

 さて次に,吉本隆明『日本近代文学の名作』についてです。本書を読み進めながら,そこで紹介されている作品を読んで感想を交流し,吉本の解説と比較検討していきました。昨年扱ったのは,以下の作品です。

夏目漱石『こころ』
高村光太郎『道程』
森鴎外『高瀬舟』
森鴎外『雁』
芥川龍之介『玄鶴山房』
宮沢賢治『銀河鉄道の夜』
江戸川乱歩『陰獣』
横光利一『機械』
川端康成『雪国』
保田與重郎『日本の橋』

 このような機会がなければ読まなかったであろう作品もあり,吉本の推薦するものを順番に読んでいく取り組みというのは,それだけでも意味があったといえます。以下では,時代の心,社会の心,人の心を学ぶという問題意識からして,印象に残っているところを取り上げたいと思います。

 高村光太郎の作品は詩であったため,なかなか読み慣れていないこともあって難しい印象がありました。それでも,「父=自然=東洋」と「自分=人間=西洋」という対比の構造ということが光太郎の問題意識にあるようである,ということが討論の中で分かってきました。吉本が,光雲(江戸期からの伝統を引く仏像彫刻職人)の作品について「西欧近代の彫刻が芸術として追求したモチーフの垂直性,いいかえれば素材の本質から出ながら素材を超えた抽象の宇宙に到達する方向」をもたず「作品は円く閉じるが,無際限な拡がりを持たない」(p.26)と述べているところについては,西洋性と東洋性の違い,西洋と東洋の社会的認識(の表現形式)の違いであるということまでは分かりましたが,具体的な作品でそれがどのように表れているかについては,われわれはまだそれを感じ取る実力に欠けていることを痛感しました。今後は,優れた芸術作品も,社会的認識の表現という観点から鑑賞していく必要があるという課題が明確になりました。

 森鴎外については,吉本が解説している『高瀬舟』だけでなく,吉本が最高傑作と評価している『雁』も読むことにしました。作品自体はそれなりによくできており,面白いといえるものではありましたが,漱石と比較した場合,鴎外のスマートさが際立っていました。すなわち,血を吐くような思いで,命懸けで文学に取り組んだ漱石に対して,鷗外には受験秀才的な器用さを感じさせられてしまうのでした。作家の姿勢や生き方といったようなものまでも,作品に(そこはかとなく)表現され,読者はそれを感じ取ってしまうということも,面白い気づきでした。

 作家の認識が無意識的に表現されているという意味では,宮沢賢治『銀河鉄道の夜』も興味深かったです。吉本はこの作品について「文学と宗教が混然一体」となっていると評価していましたが,これは,宮沢賢治が宗教的な思想を完全に血肉化しており,何事かを語ればそれが直接に思想の表現となってしまう,ということだろうという議論になりました。

 江戸川乱歩『陰獣』は二重,三重のどんでん返しのある緻密な構成で,単純に読んでいて楽しかったです。会員間の議論の中では,ある会員から,諸々の事実にきちんと筋を通して考えていくことができるかということ,あるいはひとつの新たな事実が出てきたことによって従来の解釈が根本的にひっくり返ってしまう可能性があるのだということ,など,自らの学問の構築過程と重ね合わせて読んだ感想が出されて,非常に有意義でした。

 保田與重郎『日本の橋』については,これが文学作品といえるのかどうか,若干疑問がありましたが,興味深い論考でした。「はし」というものを何かと何かを媒介するものとして捉えて,言語の問題にまで視野を広げて,日本的な美のあり方一般として論じており,日本文化の唯物論的把握という課題からしても,少なからず参考になるものでした。『万葉集』等からいくつも引用されていましたが,このくらいの評論家レベルを軽く凌駕しないようでは,学問の構築など不可能なのだと,ひどく反省させられた作品でもありました。

 全体的に見て,作家が属している時代や社会の心が,無意識的に文学作品に反映しており,また作家が捉えた人の心が,登場人物の心理描写として描かれているので,このような文学を読んでいくことは時代の心,社会の心,人の心を学ぶことになるのであり,ひいては人間とは何かを分かるための学びになっていくのだと感じているところです。

 最後に,ゼミでの討論で昨年痛感したことにも,2つほど触れておきたいと思います。まずは,基本概念の大切さです。たとえば,年末のゼミでも,「媒介する」と「媒介とする」の違いや,「対象」とは何かに関わって,激しい討論がなされました。このような超基本的な概念も,しっかりと基本書での使われ方を踏まえて,自分のものにしていく必要があると感じました。また,読み手にイメージが伝わるように,丁寧に説くということの重要性も,改めて確認できました。そのように説いてこそ,自分の中で論理の筋がしっかりととおるようになるのであり,自らの論理能力の養成につながっていくのだということです。

 以上,今回は,研究会全体として取り組んだ課題について総括しました。
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2017年01月01日

年頭言:機関誌の発刊を目指して(1/5)

〈目次〉
(1)わが研究会の歴史と現状を概観する
(2)昨年の研究会活動の総括
(3)本年の課題@――カントの学びと機関誌発刊の準備
(4)本年の課題A――個別の専門分野での学び
(5)我々の機関誌が新時代の新たな理念を創出する

――――――――――――――――――――

(1)わが研究会の歴史と現状を概観する

 読者のみなさん,新年,明けましておめでとうございます。いつも本ブログをお読みくださり,ありがとうございます。

 毎年,京都弁証法認識論研究会では,年の初めに昨年の研究会活動を振り返り,本年の目標を設定する論考を掲載しています。本年も基本的には同様の形式で,本稿を書いていきたいと思います。

 しかし,本年,2017年はわれわれにとって大きな飛躍の年になります(と断言しておきます)。詳細は本稿で説いていきますが,端的には,わが研究会の機関誌の発刊を目指すことにしたのです。なぜ機関誌の発刊なのでしょうか。それは,われわれの20年にもならんとする研鑽の成果を世に問うと直接に,われわれの論理能力のさらなる発展を目指すためです。

 実はわが研究会の主要メンバーは30代後半の者が多く,40歳が目前に迫っている会員もいます。この時期に,すなわち,40代の会員が誕生するこの時期に,われわれの研鑽・研究の成果をきちんとした形で世の中に発表していくことをしなければ,いつまでたっても内輪の議論に終わってしまい,結局,人間としての使命を果たすことができなくなってしまう可能性が高まります。

 逆に,この時期に機関誌を発刊して,研鑽の成果を世に問うことを行えば,まず,それを目指して,これまで以上に目的意識的に,努力を重ねていくことになるでしょう。これまで説き続けているブログ記事の内容を,質的に大きく上回るものを発表する必要性に迫られますし,そのための個人的・集団的な研鑽も,これまで以上のものが求められるでしょう。また,定期的に機関誌を発行していく予定ですので,第1号よりは第2号,第2号よりは第3号の方がさらに発展している必要があります。そのために,必死の覚悟で努力し,論理能力を高めていくことになるでしょう。

 このように,われわれの成果を世に問うとともに,自らの論理能力を著しく向上させるために,わが研究会では機関誌の発刊を目指すこととしたのでした。

 このような機関誌の発刊ということは,わが研究会の歴史を振り返れば,必然的なものであるということがいえます。そこで,機関誌発刊というさらなる発展を成し遂げるためにも,ここで,これまでの研究会の発展の流れを,簡単に辿り返しておきたいと思います。

 われわれの研究会のそもそもの発端は,1998年に筆者が三浦つとむ・南郷継正の著作を知ったことでした。当時大学生だった筆者は,普及し始めたばかりのインターネットを使って弁証法についての情報を集めている中で,とある掲示板で三浦つとむ・南郷継正の著作を紹介されたのでした。さっそく取り寄せて読んでみたところ,まるで自分のために書かれているかのような内容に衝撃を受け,また,非常に壮大なスケールで学問の発展の最先端の内容が説かれているように感じたものでした。そこで,当時同じサークルに所属していた先輩を誘って,三浦つとむ研究会なるものを立ち上げたのでした。これが,現在の京都弁証法認識論研究会の前身になります。この研究会の立ち上げも,スムーズにいったわけではないのですが,結局,筆者とこの先輩は三浦つとむ・南郷継正の熱心な読者となっていったのでした(このあたりの詳細は,ブログ掲載論考「三浦つとむとの出会いにまつわる個人的思い出」「続・三浦つとむとの出会いにまつわる個人的思い出」で紹介しています)。

 この当時の学習内容は,まずは三浦つとむ・南郷継正の著作を読み進めて行くことが中心でした。もちろん,その中で紹介されている本を読み,勉強方法を実践していくことも行いました。たとえば,南郷継正『弁証法・認識論への道』(三一書房)で推薦されていた滝村隆一の初期の著作や林健太郎『歴史の流れ』(新潮文庫)を読んだり,中学校の理科や社会の教科書で弁証法を学んだりしていきました。実はこの過程で,筆者は玄和会への入門を試みたこともあります。これはすぐに挫折してしまいましたが。

 筆者が大学在学中,われわれの研究会にとって大きな転機となる出来事がありました。それは,インターネット上で知り合ったわれわれの現在の指導者が主催されているゼミに参加するようになったことです。記録では2001年の冬に,筆者が単独でゼミ合宿に参加したとなっています。なぜ,このゼミ合宿に参加しようと思ったのかというと,当時,三浦つとむや南郷継正の情報を交換していたメーリングリストがあったのですが,そこに現われたわれわれの現在の指導者に,筆者が非常に惹かれたからです。他にも,弁証法・認識論を長年勉強されていた方はおられたのですが,われわれの現在の指導者は,明らかに論理能力がずば抜けており,筆者個人としては,南郷継正その人が別名で参加しているのではないかと本気で疑ったくらいでした。もちろん,実際は別人だったのですが。

 このような経緯で,われわれの指導者が主催されているゼミに筆者が参加するようになり,しばらくして,一人,また一人と筆者の仲間も参加するようになっていきました。参加したのは主として年に2〜3回開催されている合宿形式のゼミで,そこでは,基本的な概念についての徹底的な討論がなされていきました。また,『弁証法はどういう科学か』を最初は丸ごと筆写し,そのあと,項目ごと,節ごと,章ごとに400字で要約していき,最終的に,本一冊を400字で要約する,などといった勉強方法も教えていただき,実践していきました。

 大学卒業後は,多くのメンバーは働きながら,月に一回ほど集まって,滝村隆一の『国家論大綱』や『新版 革命とコンミューン』,『増補 マルクス主義国家論』,それにディーツゲン『人間の頭脳活動の本質』や 本田克也他『「いのちの歴史」の物語』などを読む読書会を継続しました。この読書会では,新メンバーが加わるたびに,三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』に戻って,再学習を進めて行く,という形をとりました。

 この読書会と並行して,われわれの指導者が主催されているゼミ合宿にも年に2〜3回のペースで参加を続けました。もちろん,参加した後には,ゼミで学んだ内容をレポートにまとめて,指導者はじめ会員に送るということも行ってきました。ゼミ合宿では,基本概念についての討論や,指導者による講義に加えて,徐々に,会員が自らの専門分野についての論考を発表するということも行うようになっていきました。2006年ごろからは,指導者に関西(京都)に来ていただき,関西例会という形でゼミを行うようにもなりました。

 2008年ごろからは,指導者にスカイプ経由で個別指導(コーチング)を受ける会員も出てくるようになりました。これは現在でも続いています。もちろん,受けた指導内容はレポートにまとめ,会員間で共有するようにしています。

 そんな中,2010年はまた一つの結節点となりました。というのは,会の名称を正式に「京都弁証法認識論研究会」と定め,ブログを開設して,そこに例会報告や論文を載せるようになったからです。初めは不定期に掲載していましたが,間もなく,毎日更新するようになりました。これに伴って,事前にブログ掲載用論考を会員間で共有し,その内容について相互にチェックして討論を行うということも増えてきました。

 読書会(例会)の形式も発展していきました。京都からやや遠い場所に住んでいる者が入会したことをきっかけに,毎月行っていた読書会をスカイプで行うようになりました。数年前からは,各会員が予め論点を出して,チューターがそれを3つの論点に整理して,その整理された論点に対して,事前に各々が見解を書いて提出し,それをチューターがまとめたうえで,当日の例会に臨む,という形式に整えられてきました。

 毎月,定例で行う例会の他に,何人かの会員が独自の勉強会を立ち上げて,定期的に行うこともありました。たとえば,カントの著作を読み進めたり,三浦つとむ『認識と言語の理論』を要約しながら読み進めたりするプロジェクトもありました。最近では,『看護のための「いのちの歴史」の物語』を月に一回のペースで読み進めて行くことも行っていました。2年ほど前からは,全員が参加しての文学作品の読書会も毎月行っています。

 2013年からは,一番新しい会員が毎月の振り返りを文章化して,会員に送るようになりました。これに刺激されて,他の会員も同様に,毎月の学びを文章化して,共有するようになっていきました。そして,その中身が,質的にも量的にも発展していって,論文レベルの振り返りを書くようにもなっていきました。また,一部の会員は,毎月どころか,毎週の振り返りを行うようになっています。

 2015年からは一人の会員が,現代社会を丸ごと論理的・主体的に把握するための取り組みとして,東京新聞の社説にコメントし,それを会員間で共有するようになりました。他の会員のほとんどは,このコメントに対しても返信して,認識の交流を行っています。

 われわれの研究会はこのような発展をなして現在に至っています。改めて,現在の研究会活動を列挙してみると,以下のようになります。

・年3回のゼミ合宿(発表資料作りとゼミ内容のレポート作成)
・毎月の例会(論点への見解作成とチューターのコメント作成)
・毎月の振り返り作成
・毎月の文学読書会
・毎月の一部メンバーによる勉強会
・毎月のコーチング(発表資料作りとレポート作成)
・毎日のブログ論文
・毎日の社説へのコメントとそれへの返信

 大きな流れとして捉えるならば,会員間の認識の相互浸透が活発になされるようになってきたとともに,「書くことは考えることである」の実践がより深まってきた過程である,といえると思います。明らかに学生時代よりも,そして2010年ごろよりも,会員同士の認識の交流が劇的に増えています。直接顔を突き合わせての討論に加えて,メールでのやり取りやスカイプを用いたやり取りが増えています。同時に,しっかりと自分の認識を文章化して,筋道立てて考えていくことも圧倒的に増えてきているのです。

 このように研究会の発展を振り返り,辿り返してみれば,われわれが機関誌の発刊を目指すということは,必然性がある発展だといえるでしょう。というのは,よりしっかりした文章を,より分かりやすく書いていくということにつながることだからですし,また,そのためにはこれまで以上に認識の相互浸透を図っていく必要があるからです。要するに,会員が書く文章の量と質の発展,それに伴う認識の相互浸透の発展が研究会の発展の歴史だったわけであり,その当然の帰結としての機関誌の発刊なのだ,ということなのです。

 以上,今回は,機関誌の発刊につながった研究会の歴史と現状を概観しました。

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2016年09月11日

夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う(5/5)

(5)難問を片付けようとする意志にこそ学ぶべきである

 本稿は、漱石の未完の大作『明暗』に焦点を当てて、複数の問題系が複雑に絡み合う構造をもった物語世界を漱石がどのように片付けようとしていたのか検討することを通じて、漱石の思想的な到達点について考察することを目的としたものでした。ここで、これまで論じてきた内容を簡単に振り返っておくことにしましょう。

 まず、『明暗』の物語世界が、愛の問題系と金の問題系とが密接に絡み合う形で展開させられていることを確認しました。次いで、そのうちの愛の問題系だけを取り上げてみても、〈津田-清子-関〉という三角関係に〈お延-津田-清子〉という三角関係が重なってくるという重層的な構造をなしていること、さらに重要なこととして、これらの三角形が、経済的な力のより強い上層の世界と経済的な力のより弱い下層の世界に挟まれる形で配置されていることを明らかにしました。上層の世界と下層の世界に挟まれた津田とお延は、お互いに相手を真に愛するというよりは、上層の世界の人々に対する「手前」あるいは「体面」から、仲のよい夫婦に見せかけようとしているにすぎません。こうした夫婦のあり方が、上層の世界からは、身の程を知れ、分をわきまえろ、という角度で批判され、下層の世界からは、腰がぐらついて度胸が坐っていない、と批判されているのでした。

 以上のことを踏まえて、結末に向けての展開の推測を試みました。端的には、津田は「他人本位」的なあり方を改めきれないまま破滅してしまう可能性が高いこと、清子によって津田の「他人本位」的なあり方が暴かれ、お延が自分の直覚の誤りを認めざるを得なくなるであろうことを確認しました。その上で、結論的に、『明暗』の物語世界で複雑に絡み合った諸々の問題を片付け、金力・権力にまつわる諸々のしがらみから人間的な愛を解放する展望を指し示すためには、「絶対に愛されてみたい」「誰からも愛されたい」というお延(=明)が、「せめて人に嫌われてでも見よう」という小林(=暗)と何らかの形で結びつくほかないだろう、と指摘したのでした。

 論理的には以上のように推測できるのですが、『明暗』の結末において、漱石が小林とお延の関係についてどこまで書くつもりであったか、具体的に知る術はありません。しかし、お延が小林に対して「駈落をなさるのなら、いっそ二人でなすったらいいでしょう」と問いかけ、小林がお延に対して「僕だって朝鮮三界まで駈落のお供をしてくれるような、実のある女があれば、こんな変な人間にならないで、すんだかも知れませんよ」と答える、というやり取りを重要な伏線とみなすならば、お延が小林とともに朝鮮へ駆け落ちするという選択をする可能性すらあったのではないかと思われます。津田が朝鮮に向う小林に餞別として贈った10円紙幣3枚が、もともとはお延が岡本から受け取った金の一部であることも、そのような結末に向けた伏線であるということもできるのではないでしょうか(送別会に出かける津田に、お延は「小林さんによろしくってお延が云ってたと忘れずに伝えて下さい」という念押しまでしていたのです!)。

 お延と小林が朝鮮に駆け落ちするとまでいうと、いささか突拍子もない説だと思われるかもしれませんので、もう少し根拠を示しておくことにしましょう。

 まず指摘することができるのは、お延が自分の直覚――津田を愛の対象と定めた直覚――についての誤りを認めていく過程で、小林への評価が劇的に変化する必然性がある、ということです。お延は小林の師である藤井について、「仕事ができなくって、ただ理窟を弄んでいる人、そういう人に世間はどんな用があるだろう。そういう人が物質上相当の報酬を得ないで困るのは当然ではないか」と考えていますが、これは貧乏人一般に対するお延の評価を示すものであり、小林についても同じような評価を抱いていたものと思われます。しかし、お延は、清子による津田批判の衝撃を受けとめる過程で、小林こそ「仕事」のできる人間であり、津田こそ「ただ理窟を弄んでいる」人間であること、それなのに津田が「報酬」を得る一方で小林が「報酬」を得られていないのだ、ということを理解させられる可能性があります。

 このことに関わって決定的に重要なのが、津田によって設けられた小林の送別会でのやりとりです。ここで、小林は「いったい今の僕にゃ、仏蘭西料理だから旨いの、英吉利料理だから不味いのって、そんな通をふり廻す余裕なんかまるでないんだ。ただ口へ入るから旨いだけの事なんだ」と述べ、「それじゃなぜ旨いんだか、理由が解らなくなるじゃないか」と突っ込む津田に対して「ただ飢じいから旨いのさ。その他に理窟も糸瓜もあるもんかね」と答えています。かつて津田は、病院で出会った友人の関と、「性と愛」について「むずかしい議論」をたたかわせました。そこでは、おそらく、女性は「性」の対象であればよいと主張した関に対して、清子に夢中になっていた津田が「愛」を積極的に擁護したことでしょう。この「むずかしい議論」という表現は、小林の津田批判に通じます。津田は、なぜ清子が好きなのか、なぜお延が好きなのか、あれこれ「理窟を弄んでいる」だけで、結局のところ清子もお延も愛することができていないのです。これに対して小林は、事実上、人を愛する気持ちに理屈はいらない、ただ好きだと思う気持ちはあればそれで充分だと主張しているのです。これは、お延をまともに愛することができない津田に対して、小林にはそれができるのだ、ということを示唆するものとも読めます。

 「他人をいやがらせるために生きている」という小林ですが、一方で「いかに人間が下賤であろうとも、またいかに無教育であろうとも、時としてその人の口から、涙がこぼれるほどありがたい、そうして少しも取り繕わない、至純至精の感情が、泉のように流れ出して来る」とも語っています。かつて、「人間はいくら変な着物を着て人から笑われても、生きている方がいいものなんですよ」という小林に対して、お延は「生きてて人に笑われるくらいなら、いっそ死んでしまった方が好いと思います」と答えましたが、実際に「人に笑われる」境遇に陥ってしまったお延に対して、小林が普段の皮肉な態度を捨て、「至純至精の感情」を発揮することは大いに考えられることです。

 そもそも、小林が他者に対してやたらに攻撃的な態度に出るのは、自己の存在を他者に認めさせたいからにほかなりません。世の中がなく人間がない、という小林ですが、彼はそのような状況に置かれていることが淋しくてたまらず、苦しくてたまらないのです。彼の攻撃的な態度は、愛の渇望の屈折した表現にほかならず、時折その背後から実に率直な形で淋しさが顔を出します。小林の態度が突然に感慨を帯びて来たり、また突然に涙を流したりするのはそのためです(*)。お延が小林との関わりを通じて劇的な変化を遂げていく可能性があるように、逆に、小林もまた、お延との関わりを通じて劇的な変化を遂げていく可能性があります。「僕だって朝鮮三界まで駈落のお供をしてくれるような、実のある女があれば、こんな変な人間にならないで、すんだかも知れませんよ」という小林の発言は、そのことを暗示するものだといえるでしょう。

 以上のようなことを踏まえるならば、津田に幻滅したお延が新たな愛の対象として小林を選ぶということも大いにありうる、と納得していただけるのではないでしょうか。そもそも、お延と小林が対決する場面の直前で、叔父の岡本に「悪口や」と評されるお延が、津田と「軽口の吐き競」ができずに物足りなさを感じていることが描かれているのも非常に示唆的です。お延と小林の対決の場面は、まさに「軽口の吐き競」のようなものとして描かれているからです。さらにいえば、「則天去私」の態度で『明暗』を書いていると語った漱石によって「則天去私」的作品として挙げられたジェーン・オースティンの『高慢と偏見』とゴールドスミスの『ウェークフィールドの牧師』が、いずれも、女性から見て愛の対象に値すると思われた男が実は取るに足りない存在で、逆に不愉快な存在に思われた男こそ愛の対象に値する存在だった、という話の筋で共通していることも、有力な傍証となるかもしれません。

 仮に、お延と小林が朝鮮に駆け落ちするとすれば、それは何よりもまず姦通による社会からの追放という意味合いをもたざるをえないものでしょう。しかし、家父長制のもとで支配・管理の対象とされた女性と、貧乏な文筆家であり下層階級との連帯意識をもつ社会主義者が結びつくということは、客観的にいって、現存の社会秩序の根本的な転覆につながる可能性を生み出しかねないものにほかなりません。そこには何かしら前向きな印象を与えるものがあります。大正デモクラシーの時代における漱石晩年の社会批判には、相当にラディカルな要素が含まれていたといえるでしょう。

 『明暗』の世界は、確かに諸々の問題が絡みあう複雑な構造をもっており、物語世界がそう簡単に片づいてしまうことはなさそうに思われます。しかし、漱石が、金力・権力のしがらみから人間を解放するにはどうすればよいのか、という難問を何とかして片付けようという意志を強烈な意志をもちつづけていたことを忘れてはなりません。我々は、どんな結末をもってきても『明暗』の世界は完結しようがない、などともっともらしい理屈を弄ぶのではなく、漱石が挑み続けた難問の解決に向けてどのような結末がありうるか、その物語世界の構造から真摯に問うていくべきなのです。金力・権力にまつわる諸々のしがらみが個々人の自由な発展を阻害するという状況は、漱石の死から100年を経た現代においても、未だに打開されていません。我々は、『明暗』の結末を考察することを通じて、漱石の思想的到達点を明らかにしつつ、それを将来のよりよい社会の建設へと活かしていかなければならないのです。

(*)ここには、漱石自身の悲惨な養子体験やロンドン留学の体験――自己の存在が社会に認められない不安から絶対の愛を求める――が反映されているとみることもできるであろう。真実と愛を希求し、金力・権力を容赦なく批判する小林こそ、『明暗』のなかで最も漱石的な人物であり、漱石が最も思い入れを込めて描いた人物なのではないかとも思われるのである。

(了)
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2016年09月10日

夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う(4/5)

(4)金力・権力のしがらみから愛を解放する展望

 前回は、『明暗』の物語世界がどのような構造をもっているのか、少し掘り下げて考えてみました。端的にいえば、愛の問題系と金の問題系が絡み合う構造ということになるのですが、愛の問題系だけを取り上げてみても〈津田-清子-関〉という三角関係に〈お延-津田-清子〉という三角関係が重なってくるという重層的な構造をなしており、さらにそれらの三角形が、経済的な力のより強い上層の世界と経済的な力のより弱い下層の世界に挟まれる形で配置されている、ということになるのでした。上層の世界と下層の世界に挟まれた津田とお延は、お互いに相手を真に愛するというよりは、上層の世界の人々に対する「手前」あるいは「体面」から、仲のよい夫婦に見せかけようとしているにすぎません。こうした夫婦のあり方が、上層の世界からは、身の程を知れ、分をわきまえろ、という角度で批判され、下層の世界からは、腰がぐらついて度胸が坐っていない、と批判されているのでした。

 今回は、いよいよ、こうした構造をもった物語世界を、漱石がどのように片付けようとしていたのか検討していくことにしましょう。

 この『明暗』で、片付けられるべき問題として設定されているのは、金力・権力にまつわる諸々のしがらみから人間的な愛を解放できるか否か、人と人との関係が金によって左右されてしまう状況をどのようにすれば打破できるのか、ということにほかなりません。このことを踏まえるならば、ついに書かれなかった結末に向けての展開について、いくつかのポイントを指摘することができます。

 第一に、吉川夫人の「お延の教育」が、吉川夫人の思惑通りに成功し、お延が奥さんらしい奥さんに育て上げられて大団円、などという結末だけは絶対にありえない、ということです。漱石が金力・権力の横暴に激しい憤りを燃やしていたことからすれば、金力・権力を思いのままに操って他人を玩具のように動かして面白がる吉川夫人は、厳しく断罪されることになるだろう、と推測するほうが自然です。

 第二に、有力者のご機嫌をとることを優先し、何事にも優柔不断で煮え切らない津田がどうなるのか、という問題です。津田は、漱石が学習院での講演「私の個人主義」で熱烈に主張した「自己本位」の対極、すなわち「他人本位」を体現するような人物として造形されているといえます。ここから、2つの可能性が導かれます。ひとつの可能性は、「他人本位」な津田が何らかの出来事をきっかけにして決定的に改心して「自己本位」な人間に生まれ変わる、ということです。もう少し具体的にいえば、妻であるお延を、純粋に1人の人間として、社会的なしがらみとは無関係に愛するようになる、という結末です。そのためには、吉川夫人への従属的な関係は精算されなければなりませんし、他者依存的な経済状態についても何らかの解決策が見出されなければならないでしょう(*)。もうひとつの可能性は、津田が「他人本位」なあり方を改められないまま破滅してしまう、ということです。ハッキリどちらとは断言できませんが、この作品中の最重要人物というべき小林が、津田に一朝事があったとしても自分(小林)のように腹を据えた人物に早変わりすることなどできないだろう、と述べている(第158回)ことからすれば、津田は「他人本位」を改められないままに自滅してしまう可能性が高いのではないかと考えられます。

 第三に、「自分のこうと思い込んだ人を飽くまで愛する事によって、その人に飽くまで自分を愛させなければやまない」というお延の「最後の決心」の単純な成功あるいは失敗という結末も考えにくい、ということです。お延の「最後の決心」は、本心から津田を愛するが故に出てきたものではなく、上層の世界に視線を向けつつ、悧巧な女性(妻)として認めてもらいたいという虚栄心から出てきたものにすぎないからです。漱石の思想からすれば、上層の世界における評価を気にするという「最後の決心」の前提条件そのものが崩される必要があるでしょう。

 以上のポイントを踏まえつつ、結末に向けた展開について、もう少しだけ具体的に考えてみることにしましょう。

 『明暗』は、津田がかつての恋人・清子に再会し、彼女が突如として自分のもとを去ったのはなぜなのか、探り出そうとするところで中断されています。ただちに問題になるのは、清子が津田を捨てたのはなぜなのか、ということです。結論からいえば、それは、津田が吉川夫人のいいなりになっているにすぎないことを見抜き、そこに頼りなさを感じて幻滅したからでしょう。清子は、再会した津田の行動について、「待伏せ」「貴方はそういう事をなさる方」と評しています。ここからは、自分の強烈な意志で現実世界の課題に正面からぶつかっていくことをせず、もっともらしい理屈を口にしつつ下らない技巧を弄する男だ、という津田への評価がうかがえるのです。津田は、自分の意志で(清子への熱い思いを抑えきれずに)清子のもとを訪ねたわけではなく、吉川夫人にそそのかされてやってきたにすぎませんし、清子との会見の口実をつくるために、吉川夫人から見舞いの果物籃を託された、などと都合のいいウソをついています。「する事はみんな自分の力でし、言う事はことごとく自分の力で言った」と考える津田ですが、結局のところ吉川夫人のいいなりになっているに過ぎないのだという事実を、清子から厳しく突き付けられることになるでしょう。津田のこうした「他人本位」的な行動の欺瞞を鋭く暴くためにこそ、清子という人物が登場させられているのだ、ともいえるでしょう。

清子によって津田の「他人本位」的な欺瞞が暴かれるならば、お延の津田に対する態度も決定的に改められざるをえません。お延と津田が京都で初めて出会ったとき、津田はお延のもってきた自分の父宛ての手紙をその場で開封しました(第79回)。お延は、津田を果断な人間、決断力・行動力に富む人間だと思い、そこにひかれたわけです。しかし、清子による津田批判は、津田が全くそのような人間ではなく、むしろ正反対の優柔不断な人間であったことを暴くものにほかなりません。お延が清子による津田批判に接するならば、自身が津田を見誤ったのだということを最終的に認めざるをえない状況に追いこまれてしまいます。このことは同時に、津田が自分の愛の対象に値しない存在であったことを認めざるを得なくなることをも意味しています。

 「体面」の維持という目標に縛られ、他人からの軽蔑を極端に恐れるお延にとって、自分の直覚の誤りを認めることは、津田の愛をめぐって清子を片付けるよりも勇気のいることでしょう。そうしたお延の痛切な自己批判を手助けすることができる位置にいるのは、客観的に見て小林以外にはありません。そもそも、『明暗』の物語世界のなかで、小林がお延の前に登場し、津田の過去の秘密をほのめかしたのは、彼女の「最後の決心」の直後でした。この局面での小林の登場には、たんに物語展開上の緊張感を高める効果だけでなく、『明暗』の主題に関わる重要な意味があると見るべきです。人に厭がられることをしなければ自分の存在を他人に認めさせることができない、という小林の登場によって、「自分のこうと思い込んだ人を飽くまで愛する事によって、その人に飽くまで自分を愛させなければやまない」というお延の「最後の決心」が意味をなさない世界が存在することが示されているのです。とはいえ、「絶対に愛されてみたい」というお延の強い意志そのものは、積極的に肯定されるべき要素ではあります。問題なのは、「絶対に愛されてみたい」という意志が、上層の世界のみを見つめる狭い視野のなかで、虚栄心に絡めとられてしまっていることです。「絶対に愛されてみたい」というお延の強烈な意志は、下層の世界をも捉えるような広い視野のなかで、鍛え直される過程が必要になってくるものと思われます。そうした過程は、お延が小林と対決することなしには生じ得ないでしょう。

 結論的にいえば、『明暗』の物語世界で複雑に絡み合った諸々の問題を片付け、金力・権力にまつわる諸々のしがらみから人間的な愛を解放する展望を指し示すためには、強い意志をもったお延と、あらゆる社会的なしがらみから自由である小林とが、何らかの形で結びつくことがどうしても欠かせない、ということになります。「絶対の愛」を求めて自らの運命を積極的にきり開いていこうというお延の「最後の決心」は、女性を管理・支配の対象とする家父長制の秩序の枠内では実現できないものであり、必然的にそれを突き崩す可能性を秘めたものにほかなりません。これを真に成就させようとするならば、何ものにもとらわれずに現存の社会秩序を批判することができる小林の思想を、お延なりのやり方で受け止めることが必要になってくるのです。「絶対に愛されてみたい」「誰からも愛されたい」というお延(=明)は、「せめて人に嫌われてでも見よう」という小林(=暗)と対決させられることによってこそ、「否定の否定」的に成長を遂げていくことができると思われるのです。

(*)ひょっとすると、津田がマルクスの『資本論』とされる「経済学の独逸書」を読んでいた様子が描かれていたのは、こうした結末に向けた布石なのかもしれない。『資本論』では、貨幣の物神性――人と人との関係のなかから生まれてきた貨幣が、逆に人間と人間との関係を支配するようになること――の問題が解かれているからである。
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2016年09月09日

夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う(3/5)

(3)上層、中層、下層という三重構造をなす世界

 前回は、『明暗』のあらすじを少し詳しくみた上で、愛の問題系と金の問題系とが複雑に絡み合う形で物語世界が展開していることを確認しました。津田は真実にお延を愛しているというわけではなく、経済的な有力者の歓心を買うためにお延を大切にしているかのように偽っているにすぎない、という点にこそ、『明暗』の複雑な構造を解いていくための鍵があるといえるのではないか、ということでした。

 今回は、物語世界の構造について、その立体性ということに着目して、もう少し掘り下げて考えてみることにしましょう。

 『明暗』は、何よりもまず、津田とお延の夫婦関係はどうなるのか、清子が津田を去った理由は何なのか、再会した津田と清子はどうなるのか、愛することで愛させるというお延の「最後の決心」は報われるのか、といった愛の問題系を軸に展開しているということができるのですが、この愛の問題系だけをとりあげてみても、従来の漱石作品にはない複雑さがみられます。三角関係の問題を中心におく、ということ自体は従来の漱石作品と同じなのですが、ここでは1人の女性をめぐって2人の男性を配した従来型の〈津田-清子-関〉という三角関係に加えてもうひとつ、1人の男性をめぐって2人の女性を配した新しい型の〈お延-津田-清子〉という三角関係が存在しているのです。つまり、物語世界の中心にいる津田・お延の夫婦のそれぞれが、それぞれを起点とする三角関係の問題を抱えるという重層的な構造をもっているわけです。

 重要なのは、こうした2つの三角関係が重なり合うという愛の問題系に、金の問題系が密接に絡みあってくることです。このことは、『明暗』の物語世界がそもそも、経済的な力を規準として、下層、中層、上層という三重の構造をなしていることに端的に現われています。すなわち、津田とお延の夫婦を真ん中において、金力と権力によって他人を意のままに動かそうとする上層の世界と、貧困のためにあらゆる人間的なつながりから疎外されてしまった下層の世界とが広がっているのです。上層の世界は、放漫で他人をからかうことが好きな吉川夫人によって代表され、下層の世界は、食い詰めて朝鮮に渡ろうとしている小林によって代表されています。

 津田とお延の夫婦関係は、かなり不安定な経済的基盤の上に成り立っており、お延の派手好きによる贅沢もあって、上層の世界の有力者に依存しなければ立ち行かないものになっています。まさに、このことこそが、夫婦の愛の問題に深刻な影を投げかけているのです。

 津田は、お延の叔父の岡本と親友で、父の友人でもある吉川の会社に勤めています。津田は、お延を育てた岡本家の機嫌をとるため、お延の虚栄心――あくまでも津田に可愛がられているように見せようとする――から周囲に生じる誤解をあえてそのままにしています。吉川が岡本と兄弟同様に親しい間柄であることから、自分の将来はお延を大事にすればするほど確かになると考えているのです。津田は真実にお延を愛しているというわけではなく、経済的な有力者の歓心を買うためにお延を大切にしているかのように偽っているにすぎないわけです。

 一方のお延は、かつて自分の直覚に絶対の自信をもっていました。彼女はその直覚によって津田を愛の対象として選んだのですが、今ではその直覚の誤りに薄々感づき始めています。また、夫の過去に何かしらの秘密があることを感じて悩んでいます。このような状況の下で、お延は「自分のこうと思い込んだ人を飽くまで愛する事によって、その人に飽くまで自分を愛させなければやまない」という「最後の決心」をします(第78回)。しかし、それは純粋に津田を愛するからというよりも、自分の「体面」を気にしたからにすぎません。お延にとっては、津田という男性が愛の対象に値するかどうかということよりも、夫に愛される(そして、夫を意のままにする)賢い女性として上層の世界の人々から認めてもらいたい、という虚栄心を満たすことが第一義的な課題になってしまっているのです。

このように、津田・お延の夫婦関係は、虚偽と虚飾にとらわれ、利害得失の打算に満ちた関係というほかありません。この夫婦は互いに相手を支配しようとし、決して完全に心が打ち解けることがありません。漱石は、こうした津田・お延の関係を「愛の戦争」と表現しています(第150回)。

 津田とお延の夫婦関係がこのようなものになってしまったのは、先ほども指摘した通り、この夫婦の経済的基盤が不安定で(津田の収入の割に、お延が派手好きで贅沢であることもあって)、吉川や岡本ら上層世界の人々の好意と施しに依存しなければ成り立たないものになっているからにほかなりません。しかし、津田とお延は、こうした社会関係のなかに存在させられていることに対して無自覚であり、金力・権力の面でより上位に立つ者からの好意と施しを当然のように受け取っています。

 津田は、自らの存在が徹底して他者依存的であり、とりわけ吉川夫人の顔色をうかがってばかりいるにもかかわらず、あくまでも自己の意志にしたがって生きていると思い込んでいます。一方、お延は、自らの体面を維持することに汲々とする結果、「絶対に愛されたい」という強い決意を実現するため一心不乱に突き進もうとします。上位の者から見れば、お延は金力と権力がつくりだす秩序の安定を乱しかねない危険な存在です。岡本の財産や岡本と吉川の親しい関係なども考慮した上で津田の結婚相手として選ばれたのだということをわきまえて、夫(津田)に好きな女がいくらでもあるうちで自分が最も大切にされているという状態に満足するべきだ、というのが、上層の世界(とりわけ吉川夫人)からのお延への要求なのです。上層の世界の人間からみれば、津田がお延の虚栄心に振り回されていることは、許しがたいことにほかなりません。露骨にいえば、津田とお延は、施しを与えてやっているにもかかわらず感謝の意を快く示すことのない不愉快な存在なのです。このことが津田夫婦とお秀との間で衝突を引き起こし、吉川夫人による「お延の教育」(第142回)の宣言を導いたのでした。

 しかし、津田とお延は上層の世界の人間から批判されるだけではありません。津田やお延などよりもずっと金力・権力に縁遠い下層の世界の者からも、また違った視点で批判されるのです。

 津田の友人・小林は、津田の叔父・藤井の下で、売れない雑誌の編集などに携わっていましたが、ついに食い詰めて、朝鮮へと「都落ち」しようとしています。小林は、吉川夫人とは逆に、津田とお延の姿を下から照らし出し、その不安を暴き出します。社会主義への共感も隠そうとしない彼の不気味な言動は、津田とお延の存在が他者依存的であり、社会的なしがらみに縛られているがゆえに、虚偽と虚飾に満ちていることを鋭く突くのです。「僕から見ると、君の腰は始終ぐらついてるよ。度胸が坐ってないよ。厭なものをどこまでも避けたがって、自分の好きなものをむやみに追かけたがってるよ」(第157回)という小林の津田に対する批判は決定的です。

 ここで考えてみなければならないのは、小林にこのような鋭い批判が可能なのはなぜなのか、ということです。そのヒントは、津田の外套を受け取るために津田の入院中に津田の家を訪ねた小林とお延との対決の場面(第81〜88回)にあります。ここで小林は、「僕には細君がないばかりじゃないんです。何にもないんです。親も友達もないんです。つまり世の中がないんですね。もっと広く云えば人間がないんだとも云われるでしょうが」と述べ、他人に自分の存在を認めさせるために「仕方がないからせめて人に嫌われてでも見ようと思う」のだと語っています。これは、「誰からでも愛されたい、また誰からでも愛されるように仕向けて行きたい」と考えるお延にとって、まるで別世界に生まれた人の心理状態でした。社会全体から徹底的に無視されるという小林の境遇は、絶望的なものというほかありません。しかし、金も地位もなく「人間がない」ということは、人間社会のあらゆるしがらみから完全に自由であるということでもあります。いわば、『吾輩は猫である』の猫的な視点から、人間社会の諸関係を自由に批判できるのです。小林の境遇を、体面の維持という目標にがんじがらめに縛られたお延の境遇と対比するならば、一切のしがらみからの解放という、絶望的な孤独が一方でもっている積極的な側面が大きく浮かび上がってくるともいえるでしょう。漱石は小林に、天の目的に動かされることこそ僕の本望だ、と語らせていますが、このことは、社会の最下層に近いところにいる小林の視点こそが、実は人間社会を超越的な視点で眺める天からの視点(アダム・スミス流にいえば「公平な観察者」の視点)に最も近いのだということを示唆するものにほかなりません。

 小林に関わってもうひとつ注目しておかなければならないのは、津田が設けた送別会の場面で、津田から餞別として受け取った10円紙幣3枚(お延が岡本から「賠償金」として小切手の一部)を、自分より貧乏な青年画家に示して「さあ取りたまえ。要るだけ取りたまえ」と語りかけたことです(第155回)。結局、貧乏画家は1枚だけを受け取ります。「余裕は水のようなものさ。高い方から低い方へは流れるが、下から上へは逆行しないよ」と語っていた小林は、「珍らしく余裕が下から上へ流れた」といいます。このように、金をことさらにぞんざいに扱ってみせる小林の振舞いは、金を施してやるんだから頭を下げろ、という上層の世界の人々の振舞いとは対極にあるものとして注目に値します。金の流れを純粋に金の流れとしてのみ、人間の感情とは無縁の「余裕」なるものの物理的運動であるかのように捉えることで、人と人との権力的な関係にまつわる優越感や劣等感を可能なかぎり排除してしまおうとしているわけです。金の問題系が愛の問題系に覆いかぶさっている、もっといえば、金をめぐる感情の動きが真実の愛の可能性を閉ざしてしまっている、という『明暗』の物語世界が抱える根本的な問題を解決する道は、こうした小林の存在によってこそ示唆されているということができるでしょう。
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2016年09月08日

夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う(2/5)

(2)愛の問題系と金の問題系という2つの軸

 本稿は、漱石の未完の大作『明暗』に焦点を当てて、複数の問題系が複雑に絡み合う構造をもった物語世界を漱石がどのように片付けようとしていたのか検討することを通じて、漱石の思想的な到達点について考察することを目的としたものです。

 今回は、『明暗』の物語世界が、どのような問題系を軸として展開されているのか、確認しておくことにしましょう。そのためにも、まずは『明暗』のあらすじを少し詳しくみておくことにします。

 会社員の津田由雄(30歳)は、持病の痔の手術のために入院しなければならなくなり、入院費の工面に頭を悩ませます。京都の父からの毎月の仕送りが、盆暮の賞与で幾分か返済するという約束を履行しなかったばかりに、ストップされようとしていたからです。津田は、上司・吉川(父の友人でもあります)の仲立ちでお延(23歳)と結婚して半年になります。実は、津田にはかつて、これまた吉川夫人に紹介された清子という恋人がいたのですが、清子は突如として津田のもとを去り、津田の友人・関と結婚してしまったのでした。津田はこのことをお延に隠しています。吉川夫人を介して会社を休む都合をつけた津田は、入院の前日、叔父・藤井の家を訪ねます。そこでは、津田の旧友・小林(藤井の下で雑誌の編集などをやっています)の妹の結婚話がまとめられようとしました。結婚の問題に絡んで、津田は叔母から「始終御馳走はないかないかって、きょろきょろそこいらを見廻してる人」「いろいろ選り好みをしたあげく、お嫁さんを貰った後でも、まだ選り好みをして落ちつかずにいる人」と評されてしまいます。藤井宅を後にした津田と小林は、酒場で飲みなおします。小林は、朝鮮に渡ってそこの新聞社に雇われることになったことを伝え、津田の外套を貰い受ける約束を取り付けます。

 津田が入院した日、お延は叔父の岡本から誘われていた芝居見物に行きます。そこでは、岡本夫婦の娘(お延の従姉妹)・継子のお見合いの席が設けられていました。お見合い相手の三好は、岡本の友人で津田の会社の上司でもある吉川夫婦に連れられてきます。吉川夫人を苦手とするお延は、お見合いの会食の後、夫人と上手く渡り合えなかったことに苦い思いを抱いて家に帰ります。翌日、岡本宅を訪問したお延は、岡本夫婦に、継子のたっての願いでお婿さんの目利きをしてもらおうと思ったのだ、と明かされます。実際、かつてのお延は、自分の直覚に絶対の自信をもっており、その直覚で津田を愛の対象として選んだのでしたが、今ではその直覚の誤りに薄々感づき始めています。にもかかわらず、岡本に直覚の鋭さを冗談半分にからかいつづけられて、お延は思わず涙ぐんでしまいます。岡本は、泣かせてしまった「賠償金」といってお延に小切手を渡します。あくまでも自分の直覚の誤りを認めたくないお延は、「自分のこうと思い込んだ人を飽くまで愛する事によって、その人に飽くまで自分を愛させなければやまない」という「最後の決心」をします。

 翌朝、お延のもとに、小林が津田の外套を受け取りにやってきます。下女のお時が入院中の津田に確認している間、お延は座敷で小林と対座します。「僕は人に厭がられるために生きているんです」という小林は、誰からでも愛されたいと願うお延にとって、まるで別世界の人間でした。小林から、津田の過去に何かしらの秘密があることをほのめかされ、疑惑で胸をいっぱいにしたお延は、入院中の津田のもとへ向います。一方、津田のもとには、津田の妹のお秀が訪れていました。父からの仕送りの途絶という事情を知るお秀は、津田が必要とする金を持参してきたのですが、それを手渡すに際して、何としても津田に頭を下げさせようとします。一方の津田は、何としても頭を下げたくありません。2人のやり取りが険悪さを増していくなかで、派手好きのお延が津田に散財させているのだとにらむお秀は、兄さんは嫂さんを大事にしていながら他にも大事にしている人がある、だから嫂さんを怖がるのだ、といいます。その瞬間、お延が登場します。お秀への怒りの反動からか、津田はいつになくお延と溶け合います。それを喜ぶお延は、必要な金は私が拵えたから心配には及ばない、といって岡本から受け取った小切手を出し、お秀の金を断ろうとします。お秀は怒りを表し、津田とお延について、他人の親切を素直に受けとることのできない人間だと冷たく評して、その場を去ります。津田とお延は、京都の津田の父との関係がこれ以上悪化しないよう、吉川夫人に間に入ってもらおうと相談します。

 翌日の午後、入院中の津田を小林が訪ねます。小林は、その日の午前中にお秀が藤井宅を訪ねたこと、さらにお秀はその前に吉川宅を訪ねており、吉川夫人が間もなく津田のもとを訪れる予定であることを知らせます。一方、その日の昼食後、銭湯でゆっくりと過ごしたお延は、留守中にお秀が訪ねてきたことをお時から聞かされて驚きます。病院に行く予定を変更してお秀を訪問したお延は、お秀との間で愛についての議論を闘わすことになります。「好きな女が世の中にいくらでもあるうちで、あなたが一番好かれている方が、嫂さんにとってもかえって満足じゃありませんか」というお秀に対して、お延は「あたしはどうしても絶対に愛されてみたいの」といってお秀をあきれさせます。ちょうどその頃、吉川夫人が津田のもとを訪れます。吉川夫人は、今回のお秀と津田夫婦の衝突の根底には、津田がお延のことをそれほど大事だと思っていないにもかかわらず、吉川や岡本との関係上、いかにも大事にしているように見せようとしていることがある、と指摘します。さらに、そこには津田の清子への未練が影響しているのだと指摘し、清子が流産してある温泉場で湯治していることを告げ、旅費は出してあげるからその温泉場を訪ねて清子と話をしてきなさい、とそそのかすのです。その上で吉川夫人は、お延を奥さんらしい奥さんに育て上げる「お延の教育」計画を口にします。吉川夫人が帰った後、お延が病院に現われます。お延は、津田が吉川夫人の来訪を隠そうとしたことなどから、津田が何かしらの隠し事をしているのではないかとの疑いを深め、激しく詰め寄ります。しかし、津田は何とかやり過ごし「お前の体面に対して、大丈夫だという証書を入れる」という妥協を提案します。

 退院した津田は、小林との送別会に臨みます。その席で小林は、「僕から見ると、君の腰は始終ぐらついてるよ。度胸が坐ってないよ。厭なものをどこまでも避けたがって、自分の好きなものをむやみに追かけたがってるよ」と津田の弱点を鋭く指摘します。津田は、餞別として小林に30円(お延が岡本からもらった金の一部)を渡しますが、小林はそのうちの10円を自分より貧乏な青年画家・原に譲ってしまいます。翌日、津田は清子のいる温泉場へと向います。宿に到着した夜、浴場から部屋までの道に迷ってしまった津田は、思いがけず清子に再会しますが、清子は無言のまま背を向けます。翌日、津田は正式に清子に会見を申し込み、清子の部屋で対座します。清子は、前夜の津田について「待伏せ」「貴方はそういう事をなさる方」と評します。

 以上、『明暗』第1回から第188回までの大きな流れを辿ってみました。結論的にいえば、『明暗』において提示されている諸々の問題は、大きく2つの系列、すなわち、愛の問題系と金の問題系とに収斂させることができるでしょう。津田とお延の夫婦関係はどうなるのか、清子が津田を去った理由は何なのか、再会した津田と清子はどうなるのか、愛することで愛させるというお延の「最後の決心」は報われるのか、といった愛の問題系が第一に存在します。しかし、物語世界は、こうした愛の問題系だけが軸になって展開していくわけではありません。津田の入院費用の捻出をめぐる金策問題をきっかけにして、金の問題系という軸が設定され、岡本からお延への「賠償金」、お秀による津田の入院費の援助の申し出、吉川夫人による湯治費用の援助で津田夫婦のところへ金が入ってくる一方で、津田夫婦は、食い詰めて朝鮮にわたる小林に餞別を渡さなければならなくなる、という目まぐるしい金の動きが生じます。津田とお延の夫婦関係が、かなり不安定な(他者に依存せざるを得ない)経済的基盤の上に成り立っていることが描かれているのです。

 愛の問題と金の問題というのは、これまでの漱石作品においても一貫してとりあげられてきたテーマだといえます。例えば、『明暗』の前々作にあたる『こころ』の「先生」は、叔父に財産をごまかされた経験を語った上で「私は金に対して人類を疑ったけれども、愛に対しては、まだ人類を疑わなかったのです」(「先生と遺書」第12章)と述べていました。『こころ』の先生は、叔父とのいざこざから金に対して人類を疑うようになり、さらに自分自身が親友を裏切ったという痛苦の経験を通じて、愛に対しても人類を疑わなければならなくなった結果、自殺に追い込まれてしまったのです。金と愛というのが漱石にとっての2大テーマにほかならなかったことが、「先生」のこの発言に象徴的に示されているといえるでしょう。しかし、『こころ』においては、金の問題がまず語られ、次いで愛の問題が語られるという形で2つのテーマが並列されており、2つのテーマが有機的に絡みあって深められる、ということはありませんでした。

 これに対して、『明暗』においては、最初から、愛の問題系は金の問題系と直接的に重なり合うものとして設定されています。このことを端的に示しているのが、吉川夫人の「あなたは良人や岡本の手前があるので……表向延子さんを大事にするような風をなさるのね、内側はそれほどでなくっても」(第136回)という発言です。また、小林が「岡本の財産を調べないで、君が結婚するものか」という意味をにおわせる態度をとっている(第117回)のも見逃せません。要するに、津田は真実にお延を愛しているというわけではなく、経済的な有力者の歓心を買うためにお延を大切にしているかのように偽っているにすぎない、ということなのです。まさにこの点にこそ、『明暗』の複雑な構造を解いていくための鍵があるといえるでしょう。
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2016年09月07日

夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う(1/5)

目次

(1)『明暗』の世界は片付けようのないものか
(2)愛の問題系と金の問題系という2つの軸
(3)上層、中層、下層という三重構造をなす世界
(4)金力・権力のしがらみから愛を解放する展望
(5)難問を片付けようとする意志にこそ学ぶべきである

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(1)『明暗』の世界は片付けようのないものか

 今年は、夏目漱石が亡くなってからちょうど100年の記念の年にあたります。漱石は、1916年(大正5年)12月9日、49歳でその生涯を閉じたのでした。亡くなったとき、漱石は『明暗』と題された作品に取り組んでいました。これは、同年5月26日から「朝日新聞」に連載されていたのですが、結局、12月14日に掲載された第188回で中断されることになったのでした。しかし、この『明暗』は、未完に終わったとはいえ、遺された部分だけでも漱石作品中の最長篇であり、非常に緻密に構成された(周到に伏線が張り巡らされた)物語として、実に読み応えのあるものとなっています。

 それだけに、物語が佳境に入ったところで突如として中断されてしまうのは、残念というほかありません。物語はこれからどのように展開していくのか、漱石は一体どのような結末を用意していたのか……どうしても知りたいと思うのは、読者としては自然な要求でしょう。実際、これまで実に多くの人々が、ついに書かれることのなかった結末への展開を予想するという試みを行ってきました。そのなかには、水村美苗『続 明暗』のように、実際に続編を書き継いでみたものもあります。

 一方で、『明暗』の結末をあれこれ予想するという行為に対しては、釘を刺すような見解が示されることもあります。『明暗』は、作者の死による中断という形式的な未完成にとどまらず、作品の内容そのものが未完結性をもっているのではないか、『明暗』の作品世界は複数の問題系が複雑に絡み合う構造をもっており、たとえひとつの作品として完成されたとしても、これらの問題をきれいに片付けてしまうような結末はありえなかったのではないか、というのです。例えば、佐藤泉氏は「複数の異質な世界が交錯するこの作品では、物語の全体がすべて落ち着くことなど、とても考えられない」(『漱石 片付かない〈近代〉』、NHKライブラリー)と述べ、柄谷行人氏は、『明暗』が「ひとつの視点=主題によって“完結”されてしまうことのない世界」(新潮文庫版『明暗』解説)を実現している、としています。

 このような立場からすれば、『明暗』の結末がどうなるかは大した問題ではなく、日常の片付かなさをリアルに捉えている点にこそ作品の意義がある、といったことになります。漱石が、その約10年にわたる作家生活を通じて、安易に問題を解決してしまうよりは問題の構造そのものを徹底して追究することを重視していたように思われることが、こうした捉え方の有力な傍証とされます。その象徴的な例が、『明暗』のひとつ前の小説である『道草』の結末における健三の「世の中に片付くものなんて殆どありゃしない」という言葉です。

 しかし、漱石が問題の解決を簡単に与えなかったといっても、それは、どうせ世の中のことは片付かないものだ、と諦め、悟りきった態度を示した、というようなものなのでしょうか。この点については、先に引用した健三の言葉が「吐き出すように苦々しかった」ことに注目しなければなりません。ここには、容易に片付かない現実を直視しつつも、なおそれを片付けようと挑戦し続ける決意が秘められているとみることができるのです。片付かなさの追究を徹底して行いつつも、片付けようとする意志そのものは決して捨てようとはしなかった――この2つの側面を合わせもっているところにこそ、漱石の文学の意義があるといえるのではないでしょうか。

 もっとも、漱石の文学に片付けようとする意志と片付かなさの追究という2つの側面があるといっても、その両者のバランス、重点のおき方には大きな変遷が見られることも確かです。初期の作品においては、片付けようとする意志が直截に表現されていたといってよいでしょう。例えば、朝日新聞入社第一作の『虞美人草』においては、小野さんとの結婚の道を断たれた藤尾が憤死し、「謎の女」と呼ばれる藤尾の母が悔い改めるという結末によって、物語世界はいささか強引に片付けられていたのでした。

 それでは、漱石が作家生活の全体を通じて、片付けようとする意志をもって追究した問題とは、一体どういう問題だったのでしょうか。結論からいえば、それは、全ての個人の自由な発展を可能にするにはどうすればよいのか、という問題にほかならなかったといえます。もう少し具体的にいうならば、金力・権力がものをいう現実世界において、人々が諸々のしがらみにとらわれて小刀細工を弄するばかりに、心の打ち解けた自然な関係を築くことができずにいる、という状況をどのようにして打破するのか、という問題です。漱石の文学者としての生涯は、個人の自由な発展を阻む要素に満ち満ちている現実世界に対して、自己(漱石)がどのように対峙していけばよいのか、試行錯誤を重ねていく過程にほかならなかったということもできます。

 作家生活の前半において、問題を比較的に簡単に片付けてしまうような作品が生み出された背景には、『文芸の哲学的基礎』――作家生活の出発にあたってその決意を表明したもの――において現れているように、高い理想をもつ者が時代から受け入れられない時、文章によって後世に残り後世の人々の血肉になって時代を動かすのだ、といった意識があったものと思われます。自分は同時代には受け入れられがたいほどに高邁な理想をもっているのだという強烈な自負があった、ということです。漱石は、『野分』において、まさにこうした信念を具現化したような白井道也という「文学者」を描いています。ここに現われているのは、無理解な周囲の世界より一段高いところに自らを位置づけ、そこから(卑近な言葉でいえば“上から目線”で)醜悪な日常的現実を裁いてやろう、という姿勢にほかなりません。

 ところが、いわゆる後期三部作の頃になると、片付かなさの追究のほうが前面に出てくるようになってきます。漱石は、『彼岸過迄』および『行人』において、真実を求めれば求めるほど現実世界から突き放されてしまい、自らの内面に閉じこもらざるを得なくなる知識人の苦悩を徹底して追究しました。ここには、漱石が、創作活動を積み重ねていくなかで、現実世界と自己との関わり方の難しさ――金力・権力が支配する世界と全ての個人の自由な発展を願う自己との対決の厳しさ――を次第に痛感させられていったことが反映しているのではないかと思われます。端的には、果たして自分は周囲の世界を裁けるような立派な人間なのか、といった疑問が大きく膨らんできたのではないかと思われるのです。 

 しかし、漱石は、片付けようとする意志を決して失ったわけではありませんでした。『こころ』は、漱石なりに閉塞状況からの脱出の可能性を示したものといえます。『こころ』の「先生」は、「私」という青年との出会いをきっかけに、自己の弱点と限界を改めて見つめ直し、それを「私」に宛てた「遺書」という形であからさまに書きつらねることになりました。自らの弱点と矛盾という片付かなさそれ自体を徹底的に追究した上で、その克服の可能性を「私」に代表される後世に託そうとしたのです。この「先生」の姿勢は、ある意味では、漱石自身によって実践されました。『こころ』を書いた後の漱石は、『硝子戸の中』という随筆、『道草』という自伝的小説を書くことを通じて、自らの人生そのものの片付かなさを徹底的な分析・検討の俎上に載せたのです。こうした分析・検討がなされたのも、あくまで、片付けようとする強烈な意志が根底にあったからこそでしょう。『道草』の結末における健三の「世の中に片付くものなんて殆どありゃしない」という言葉が、「吐き出すように苦々しかった」のは先に見たとおりです。

 このような、片付かなさの徹底した追究の上で書かれたのが、日本初の本格的な近代小説ともいわれる『明暗』です。『道草』という自伝的小説の後に、改めて本格的な小説らしい小説が書かれたという事実は、漱石が片付かなさの徹底した追究の成果をふまえて、改めて問題を片付ける展望を探究しようとしていたのではないかと想像させるに十分なものがあります。

 また、片付けようとする意志との関連でいえば、当時の漱石が、第一次世界大戦の勃発という情勢の下で、社会に対して強い関心を抱き、漱石なりに積極的に働きかけようとしていたことも見逃せない事実です。『明暗』が書かれたのは、冒頭でみたとおり1916(大正5年)ですが、前年の1915年に行われた衆議院選挙において、漱石は、急進的な民主主義の要求を掲げて立候補した馬場孤蝶を堺利彦(のち1922年に、日本共産党の創設メンバーの1人となった社会主義者)らとともに支援しています。さらに1916年1月には、朝日新聞紙上に「点頭録」を連載し、第一次世界大戦に揺れる欧州諸国に目を向けて、軍国主義の危険性を鋭く指摘してもいるのです。『明暗』を、こうした漱石の意識と無関係に論じることはできません。

 ところが、『明暗』の物語世界が一見したところもっている複雑きわまりない構造に気をとられてしまうと、作者の死による中断という物語世界の外からの事実を、物語世界の内部の展開にまで押しかぶせてしまうことで、片付かなさの追究という側面に過度によりかかった解釈が生み出されることになってしまうのです。しかし、作者の死によって中断されたという事実と、本質的な意味での作品の未完結性とは、混同することなく一応は区別して考えていく必要があります。

 『明暗』は、自らの死を意識しつつあった漱石が、文学者としての闘いの集大成という強い意気込みをもって、最後の力を振り絞って書き連ねられていった作品です。このような作品において、片付けようとする意志がどのように働いているかということを問うことなし、その物語世界の複雑な構造、複数の問題系の有機的な絡み合いを的確に把握することはできませんし、漱石の思想的な到達点をあきらかにすることもできません。本稿では、『明暗』において片付けようとする意志がどのような形で働いているかという視点から、その構造を読み解くことを試みていくことにします。
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 ・2010年6月例会の報告
 ・日本酒を楽しめる店の条件
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 ・初学者に説く経済学の歴史の物語
 ・奥村宏『経済学は死んだのか』から考える経済学再生への道
 ・『秘密諜報員ベートーヴェン』から何を学ぶか
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 ・佐村河内守『交響曲第一番』
 ・観念的二重化への道
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 ・山登りの効用
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 ・法人税減税の必要性を問う
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 ・三浦つとむ生誕100年に寄せて
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 ・東日本大震災から国家における経済のあり方を問う
 ・『弁証法はどういう科学か』誤植の訂正について
 ・2011年3月例会報告:南郷継正『武道哲学講義V』読書会
 ・新人教師に説く「子ども同士のトラブルにどう対応するか」
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 ・新大学生に説く「大学で何をどう学ぶか」
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 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論2 マルクス『経済学批判』「序言」をめぐって
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 ・2012年11月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第12章前半
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 ・科学者列伝:19世紀の精神科学編
 ・年頭言:混迷の時代が求める学問の確立をめざして
 ・科学はどのように発展してきたのか
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 ・歴史観の歴史を問う
 ・2013年2月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』をどのように読んでいくべきか
 ・『三浦つとむ意志論集』を読む
 ・言語学の構築に向けてどのように研究を進めるのか
 ・一会員による『綜合看護』2013年1号の感想
 ・改訂版・新大学生に説く「大学で何をどう学ぶか」
 ・2013年3月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』序論(前半)を読む
 ・3年目教師としての1年間を実践記録で振り返る
 ・2013年4月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』序論(後半)を読む
 ・新自由主義における「自由」を問う
 ・2013年5月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第一部 東洋の世界(前半)を読む
 ・三浦つとむ「マルクス・レーニン主義に関する本質的な質問」から学ぶ
 ・言語は歴史的にどのように創出されたのか
 ・一会員による『綜合看護』2013年2号の感想
 ・ヒュームの提起した問題にカント、スミスはどのように答えたか
 ・2013年6月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』東洋の世界(後半)を読む
 ・一会員による2013年上半期の振り返り
 ・認知療法における問いの意義を問う
 ・カント歴史哲学へのアダム・スミスの影響を考える
 ・2013年7月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』ギリシアの世界を読む
 ・2013年8月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第三部 ローマの世界を読む
 ・アダム・スミスの哲学体系の全体像を問う
 ・一会員による『綜合看護』2013年3号の感想
 ・初任者に説く学級経営の基本
 ・カウンセリング上達過程における事例検討の意義
 ・文法家列伝:古代ギリシャ編
 ・ヒューム『政治論集』抄訳
 ・2013年9月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第四部 ゲルマンの世界を読む
 ・言語過程説から言語学史を問う
 ・2013年10月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』「第4部 ゲルマンの世界」第2篇を読む
 ・戦後日本の学力論の流れを概観する
 ・一会員による『育児の生理学』の感想
 ・文法家列伝:古代ローマ・中世編
 ・2013年11月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第4部 ゲルマンの世界 第3篇を読む
 ・古代ギリシャ経済の歴史を概観する
 ・2013年12月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』のまとめ
 ・ヘルバルト教育学の全体像を概観する
 ・年頭言:歴史を切り拓く学問の創出を目指して
 ・歴史的な岐路に立つ世界と日本を問う
 ・一会員による『綜合看護』2013年4号の感想
 ・一会員による2013年の振り返りと2014年の展望
 ・ヘーゲル『歴史哲学』を読む
 ・2014年1月例会報告:学問(哲学)の歴史の全体像について
 ・一会員による『学城』第10号の感想
 ・世界歴史の流れを概観する
 ・現代の言語道具説批判――言語規範とは何か
 ・2014年2月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第3〜11章
 ・ヘルバルト『一般教育学』を読む
 ・新大学生へ説く「大学で何をどのように学んでいくべきか」
 ・2014年3月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第12〜14章
 ・三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』学習会を振り返る
 ・『育児の認識学』は三浦認識論をいかに発展させたか――一会員による『育児の認識学』の感想
 ・2014年4月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第15〜19章
 ・4年目教師としての1年間を実践記録で振りかえる
 ・文法家列伝:『ポール・ロワイヤル文法』編
 ・2014年5月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第20〜26章
 ・道徳教育の観点から見る古代ギリシャの教育と教育思想
 ・古代ギリシャの経済思想を問う
 ・半年間の育児を振り返る
 ・2014年6月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第27〜33章
 ・現代の言語道具説批判・補論――「言語道具説批判」に欠けたるものとは
 ・心理士が医学から学ぶこと――一会員による『医学教育 概論(1)』の感想
 ・アダム・スミス「天文学史」を読む
 ・現代の言語道具説批判2――言語道具説とは何か
 ・2014年7月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第34〜38章
 ・道徳教育の観点から見る中世の教育と教育思想
 ・もう一人の自分を育てる心理療法
 ・2014年8月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第39〜40章
 ・アダム・スミス「外部感覚論」を読む
 ・文法家列伝:ジョン・ロック編
 ・一会員による『学城』第11号の感想
 ・夏目漱石を読む@――坊っちゃん、吾輩は猫である、草枕
 ・2014年9月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第41〜43章
 ・ルソーとカントの道徳教育思想を概観する
 ・アダム・スミスは『修辞学・文学講義』で何を論じたか
 ・全てを強烈な目的意識に収斂させる――一会員による『医学教育概論の実践』の感想
 ・2014年10月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第44〜45章
 ・精神障害の弁証法的分類へ向けた試み
 ・シュリーマン『古代への情熱』から何を学ぶか
 ・2014年11月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第46章
 ・一年間の育児を振り返る
 ・近代ドイツにおける教育学の流れを概観する
 ・2014年12月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』のまとめ
 ・年頭言:弁証法・認識論を武器に学問の新たな段階を切り開く
 ・「戦後70年」を迎える日本をどうみるか
 ・哲学の歴史の流れを概観する
 ・『ビリギャル』から何を学ぶべきか
 ・必要な事実を取り出すとは――一会員による『医学教育 概論(2)』の感想
 ・2015年1月例会報告:南郷継正「武道哲学講義X」
 ・夏目漱石を読むA――二百十日、野分、虞美人草、坑夫
 ・アダム・スミスは古代ギリシャ哲学史から何を学んだのか
 ・マインドフルネスを認識論的に説く
 ・道徳思想の歴史を概観する
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部の要約
 ・弁証法的に学ぶとはいかなることか――一会員による『医学教育 概論(3)』の感想
 ・一会員による『学城』第1号の感想
 ・新大学生への訴え
 ・2015年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論A
 ・心理職の国家資格化を問う
 ・5年目教師としての1年間を実践記録で振り返る
 ・文法家列伝:時枝誠記編
 ・2015年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論B、C、東洋哲学
 ・夏目漱石を読むB――三四郎、それから、門
 ・臨床心理学のあるべき姿を考える――一会員による『医学教育 概論(4)』の感想
 ・アダム・スミス「模倣芸術論」を読む
 ・デューイの教育論の歴史的な意義を問う―『学校と社会』を通して
 ・2015年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ギリシア哲学史の序論、イオニア派の哲学、ピュタゴラスとピュタゴラス派
 ・高木彬光『邪馬台国の秘密』を認識論から読み解く
 ・一会員による『学城』第12号の感想
 ・2015年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エレア派〜ヘラクレイトス
 ・何故言語学の創出が必要か―一会員による2015年上半期の振り返り
 ・事実と論理ののぼりおり――一会員による『医学教育 概論(5)』の感想
 ・夏目漱石を読むC――彼岸過迄、行人、こころ
 ・2015年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エムペドクレス〜アナクサゴラス
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(上)
 ・デューイ教育論の歴史的意義を問う―『民主主義と教育』をとおして
 ・2015年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソフィスト派・ソクラテス
 ・アダム・スミス『法学講義』を読む
 ・学問上達論とは何か――一会員による『哲学・論理学研究(1)』の感想
 ・2015年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソクラテス派、プラトン
 ・庄司和晃追悼論文―庄司和晃の歩みはいかなるもので、何を成し遂げたか
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部第4章の要約
 ・一会員による『学城』第2号の感想
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(下)
 ・夏目漱石を読むD――道草、明暗
 ・2015年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』プラトン 弁証法、自然哲学、精神の哲学
 ・ナイチンゲール看護論を心理臨床に活かす――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(1)』の感想
 ・文法家列伝:時枝誠記編(補論)
 ・英語教育改革を問う―『英語化は愚民化』書評―
 ・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
 ・2年間の育児を振り返る
 ・2015年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学)
 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
 ・ケネー『経済表』を読む
 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う