2012年05月01日

科学者列伝:ヘレニズム・ローマ・イスラム編(1/3)

(1)アルキメデス

 今回から3回にわたって,科学史上にその名を連ねる科学者を取り上げ,その生涯や問題意識,業績や後の時代への影響などを紹介する「科学者列伝」シリーズの第2弾を連載します。今シリーズでは,ヘレニズム,古代ローマ,そしてイスラムの科学者を各々一人選択し,紹介していきたいと思います。

 初回となる今回は,ヘレニズム時代のアルキメデスを取り上げます。アルキメデスは,古代最大の科学者であるとか,古代最大の数学者であるとか称されて,讃えられています。シュテーリヒも次のように紹介しています。

「私たちはやつぎばやに,人類の認識の歴史が達した次の頂点を迎える。古代科学史上偉大さや重要さをアルキメデスと比べられるのはアリストテレスだけしかない。独創性や,問題のとらえ方が独自的であり直接的であり,つきとめねば止まない知識欲を休みなく働かしていた点である決めですと比べるべき人を求めれば,レオナルド・ダ・ヴィンチをあげるのがもっともふさわしい。」(シュテーリヒ『西洋科学史T』p.214)

 アリストテレスやレオナルド・ダ・ヴィンチに匹敵するとされるアルキメデスは,一体どのような人物だったのでしょうか。

 アルキメデスは,紀元前287年頃,シチリア島のシラクサで生まれたといわれています。彼は貴族の出で,父親は天文学者であり,シラクサ王ヒエロン2世と親戚であったとも伝えられています。当時のシラクサはギリシャ領であり,古代ギリシャの学問の遺産が,シラクサにも受け継がれていた可能性が高いと思われます。

 アルキメデスがどのような研鑽過程をもっていたのか,詳細は不明ですが,アレクサンドリアで学んだのは確実と思われます。アレクサンドリアは当時の地中海世界の中心地です。もともと,紀元前331年に,アレクサンドロス大王が自分の名にちなんで建設した都市が始まりです。その後,大王の帝国が分裂するなかで,プトレマイオス朝の首都となり,人口が80万人ともいわれる地中海最大の都市として,商工業や文化が栄えていました。アレクサンドリアのムセイオンや図書館は,当時の世界最大の学術センターであり,多くの学者を集めていました。

 アルキメデスもここで学んだと伝えられています。一説には,幾何学で不滅の業績を残したユークリッド(ムセイオンの図書館で数学部門の長を務めた)の門下生の教えを受けたとされています。いずれにせよ,当時の最高峰の学問に触れ,それを吸収していったのは間違いないでしょう。

 アルキメデスは,アレクサンドリアで学んだ後,生地シラクサに戻って,そこで生涯を過ごします。ここで一番有名なエピソードといえば,ヒエロン2世が職人につくらせた金の王冠に,不正な混合物が入っていないか,王冠を傷つけることなく調べろといわれたエピソードでしょう。周知の通り,アルキメデスはこの問題を考えながらお風呂に入った時,自分の体の体積分だけ水を押しのけて,その水が溢れたのを見て,解決策を見いだしたとされています。すなわち,王冠と同じ重さの純金の塊を用意し,水をいっぱいに満たした容器にそれぞれを沈め,溢れた水の容積を比較することによって,王冠に金よりも軽い金属(したがって同じ重さであれば体積が大きい金属)が混ざっているかどうかを確かめることができると気づいたのです。彼は「エウレカ(わかったぞ)!」と叫んで,裸のまま王宮へ駆け込んだと伝えられています(念のために一言述べておくと,当時,裸というのは現代ほどみっともないと認識されていませんでした。古代ギリシャのギュムナシオン=体育館での訓練や,古代オリンピックの競技は,裸体で行われていたことを想起すれば,容易に想像できるはずです)。このエピソードは,何とか問題を解こうとする強烈な問題意識があれば,日常のささいな出来事でも,他の人とは全く違って反映するという,人間の認識の特殊性を示す一例としても,非常に興味深いものがあるといえるでしょう。

 さて,今述べたようなアルキメデスの原理の発見につながったような話の他にも,興味深い言い伝えがあります。アルキメデスは,てこの原理を発見したといわれています。支点からの距離を2倍にすれば,半分の力で釣り合いがとれるように,てこにおいては支点からの距離と重さは反比例することを明らかにしました。こうして,「私に立つところを与えてくれるなら,私は地球を動かすことができる」というセリフを吐いたとされています。これをはったりだと思い込んだヒエロン2世は,地球ほどでなくてもいいから,何か重いものを動かしてみろと命令します。するとアルキメデスは,てこの一種である滑車を応用して,荷物をたくさん積み込んだ船を,ゆったりと座ったまま,片手で海から岸に引き上げたといわれています。このような,直接実用につながるような普遍的な知識を発見した,というのがアルキメデスの一つの特徴だといえるでしょう。

 アルキメデスのその他の業績も簡単に紹介しておきます。彼は,螺旋形の中空の筒を回転して水をくみ上げる「アルキメデスのスクリュー」を発明したといわれています。また,今日の微分・積分に似た考え方でもって,πの値を223/71と220/70の間にあることを示しました。これは当時としては誰よりも正確な数字でした。さらに,指数の概念も既に駆使しており,宇宙全体を満たすのに必要な砂粒は,10の63乗より少ないという計算までしていました。

 彼の最期にも有名なエピソードがあります。ヒエロン2世の死後,その孫が後を継いでシラクサ王になりました。当時ローマはカルタゴと2度目の戦争をしており,カルタゴの将軍ハンニバルがイタリアに侵入し,大勝利を収めていました。そこで,シラクサ王はローマとの同盟を破棄して,カルタゴに寝返りました。ところが,その後,ローマが勢力を盛り返し,シラクサはローマに攻撃されることになったのです。このとき,マルケルス将軍の率いるローマ艦隊と,70を超える老人であったアルキメデスが戦うことになったのです。アルキメデスは,曲面の鏡を用いて敵の船に火災を起こしたり,滑車を利用した装置で敵の船を釣り上げひっくり返したりして,3年間にわたってローマの進撃を食い止めました。しかし,とうとうローマの大軍に敗れる時が来ます。

 ローマの将軍マルケルスは,アルキメデスの実力に敬意を表し(あるいは,彼の力を利用しようとして),ローマ帝国の賓客として扱うように命令していました。ところが,砂の上に図形の問題を描いて解こうとしていたアルキメデスを見つけた下級兵士が,命令に従わない彼を殺してしまいました。老天才の死を悼んだマルケルスは,「球の体積は,それを包む最小の円柱の体積の三分の二になる」というアルキメデスの発見を記念して,彼の墓石に円柱に内接する球を彫り込ませたと伝えられています。

 アルキメデスは,距離や重さの定量的な測定を基礎にして科学的な研究を行ったという点で,当時の人たちよりも2000年も先に進んでいたといわれています。
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2012年04月02日

科学者列伝:古代ギリシャ編(3/3)

(3)アリストテレス

 科学者列伝:古代ギリシャ編も今回で最後となります。古代ギリシャ編の最終回は,やはりアリストテレスを紹介しないわけにはいきません。南郷継正先生の著書に親しんでおられる読者であれば,アリストテレスの偉大性は,今さらいうまでもないでしょう。アリストテレスの業績は,膨大なものとなりますので,今回は,彼の生涯を中心に紹介したいと思います。

 まず,アリストテレスの生涯を簡単に紹介しておきます。アリストテレスは,紀元前384年に生まれ,紀元前322年に没したとされています。この時代は,ペロポネソス戦争に敗れたアテネが,その黄金時代から没落してしまった時代にあたります。このような衰退期に古代ギリシャの学問をまとめあげ,現象論レベルとはいえ,一大体系を創ったアリストテレスが生まれたのは,まさにヘーゲルがいうように「ミネルヴァの梟は黄昏に飛び立つ」ということでしょう。

 さて,アリストテレスの生涯については,ある百科事典に,以下のように記されています。

「古代ギリシアの哲学者。〈万学の祖〉と呼ばれるように数々の分野で後世に大きな影響を与えた。

[生涯]北東ギリシアのスタゲイラに生まれる。父はマケドニア王の侍医ニコマコス,母はファイスティス。前367年アテナイに上り,プラトンの学校アカデメイアで師の死まで20年間研究生活を送る。前347年プラトンの没後,同学のクセノクラテスらとともにアテナイを去り,小アジア西岸のアッソスで当地の支配者ヘルメイアスの知遇を受け,その姪(めい)ピュティアスと結婚する。前344年から2年間は対岸のレスボス島に移り,テオフラストスらと生物学研究にいそしむ。前342年マケドニア王フィリッポスに招かれ,王子アレクサンドロスの家庭教師として7年間をすごす。アレクサンドロスが王位継承して後,アジア遠征に出発する年の前年(前335),アリストテレスはマケドニア支配下になったアテナイに帰って,北東郊外のリュケイオン Lykeion に新しい学校を開く(ペリパトス学派)。ここには書物も多く収集され,後世の本格的な図書館の先駆ともなった。このリュケイオン校の学頭をつとめていた12年間は,研究・教育の両面で最も円熟した時期であったが,前323年アレクサンドロスがバビロンで急死すると,アテナイでは反マケドニアの機運が高まり,マケドニア側の人物と見られたアリストテレスは不敬神のかどで訴えられ,母の出身地のカルキスにのがれて翌年その地で病没した。」(『世界大百科事典』平凡社)

 この簡潔な記述のなかに,アリストテレスを論じるには不可欠の要素がいくつか盛り込まれていますので,順番に紹介していきたいと思います。

 まず,アリストテレスはマケドニアのスタゲイラ出身です。スタゲイラというのはギリシャの植民地でした。また,アリストテレスの家系は,マケドニアと密接な関係がありました。それは,アリストテレスの父親がマケドニア王アミントス2世の侍医であったということからも伺えます。このようなアリストテレスとマケドニアとの関係は,後々,彼の学問体系を創出する際に非常に重要になってきます。それは後ほど論じたいと思います。

 次に,アリストテレスは17歳の時に,プラトンのもとに弟子入りしています。アリストテレスは実に20年にもわたって,プラトンのアカデメイアで一般教養の研鑽に励んだのです。プラトンはアリストテレスの猛勉強ぶりに対して,「本読み奴隷」とか「学園の頭脳」とかいう言葉を使ったそうです。当時,プラトンほどの学者はおらず,その師との討論によって,アリストテレスの実力が徐々に培われていったのだと思われます。

 アリストテレスはプラトンの死後,アテネを離れてギリシャの各地を訪れました。特に小アジアでは,彼が一番好んでいたとされる生物学の研究に従事していたようです。

 その後,アミントス2世のあとを継いだフィリップ2世が,父親の侍医の息子であるアリストテレスを宮廷に呼び寄せました。14歳の王子,アレクサンダーの家庭教師をしてもらうためです。その要請によってアリストテレスはマケドニアに赴いたのです。ここで7年間,古代ギリシャの学問を体系化した偉大な哲学者が,東方遠征を成し遂げ,アケメネス朝ペルシア帝国を滅ぼして中央アジア,インド北西部にいたる広大な世界帝国を実現することになる偉大な英雄を教育することになったのです。

 この両偉人のつながりは,偶然とは思えません。おそらく,アリストテレスの実力を自分のものにしたアレクサンダーが,その実力のおかげでもって,古代としては考えられないくらいの大帝国の建設を可能にしたのでしょう。さらに,アリストテレスの方も,素質のある弟子であったアレクサンダーの野心や意気に感じて,教育に没頭した結果,自らの実力をこれまで以上に高める結果となったものと思われます。この奇跡的な邂逅による相互浸透によって,人類の歴史は大きく進展していくことになったのです。

 フィリップ2世の暗殺後,アレクサンダーが王位を継承した翌年,アリストテレスはマケドニアを去ってアテネに戻りました。彼は,アポロ・リュカイオスの神殿の近くに学校を開設しました。この学校は,所在地にちなんでリュケイオンと呼ばれました。また,アリストテレスは学校の庭を散歩しながら講義を行うこともあったため,リュケイオンは逍遙学園とも呼ばれました。

 リュケイオンで,アリストテレスは自身の学問研究と,弟子の教育に明け暮れました。彼の研究に大きな貢献をしたのが,アレクサンダー大王でした。アレクサンダー大王は,エジプト・ペルシャから中央アジアやインドに至るまで,遠征途上で集めた動植物をアリストテレスのもとに送り届けたのでした。当時としては最大範囲の「世界」から集められた素材をもとにして,アリストテレスは観察調査を進めました。特に動物学の分野で,彼は500種類以上の動物を帰納法によって分類したといわれています。この分類は,18世紀のリンネによる分類まで通用していました。彼は動物を大別して,脊椎動物と無脊椎動物に分け,さらに脊椎動物には胎生のものと卵生のものとがあり,無脊椎動物には完全な卵生のものと自然発生のものなどがあるとしました。このような分類は必ずしも正確なものではありませんでしたが,鯨やイルカが胎生であることなど,当時としては画期的な発見も数多くありました。現象論レベルの学問を体系化するにあたって,自分の目で見て確かめる,観察するということは,非常に大きな意義をもっています。当時にあって,そのことを可能にしたアレクサンダーの遠征と,アリストテレスとアレクサンダーの結びつきは,学問構築の上でも非常に重要だったといえるでしょう。

 リュケイオンで育てたアリストテレスの弟子としては,テオプラストスが有名です。テオプラストスは,アリストテレスが動物学の分野で成し遂げたような業績を,植物学で成し遂げました。また,『人さまざま』という人間の性格を扱った,心理学の古典も著しています。その業績は,科学史家のサートンをして,「古代ギリシャの全時代がテオプラストスの名で呼ばれたことであったろう,もしアリストテレスという人物さえいなかったならば」といわしめるほどの高みにありました。このようなテオプラストスの実力の高みは,まさにアリストテレスの教育の結晶であるといえるでしょう。すなわち,アリストテレスの教育があったからこそ,テオプラストスがそこまでの実力をつけることができたのだと思います。

 アリストテレスは,アレクサンダー大王とテオプラストスという,少なくとも二人の偉人を育て上げました。このことが逆に,アリストテレスの実力をさらなる高みへと導いていったと考えられます。ここに関わって,前回も紹介した瀬江千史・菅野幸子『新・頭脳の科学(上巻) アタマとココロの謎を解く』(現代社)では,次のように説かれています。

「かつて『看護学と医学(上巻)』の中で,看護学者薄井坦子が,科学的学問体系を創出し,また発展させているのは,学者であると同時に教育者であるからだということの構造を論じましたが,同じ論理構造が,南郷継正の場合にも存在します。こうしてみると,しっかりと事実に基づいた科学的学問体系を構築するには,教育者,それも相手を見事に育てなければ自分の誇りが許さないという,真の教育者であることが必須であると断言できるのです。」(p.35)

 現代の真に偉大な学者である薄井坦子先生,南郷継正先生の大先達として,アリストテレスも同じような教育者であったことが想像されます。まさしく,相手を見事に育て上げたからこそ,自らもそれに見合った見事な学者としての実力を養成することができたのだと考えられます。

 アリストテレスの理論のなかには,真空を否定したとか,宇宙空間を満たすエーテルの存在を仮定したとか,現代科学では間違いとされていることも数多く含まれています。しかし,時代性を考えれば仕方がない間違いも多かったでしょう。我々はアリストテレスの欠陥に目を向けるのではなく,その偉大性に着目し,アリストテレスの実力養成の過程を論理的に辿り直していく必要があると考えています。

(了)
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2012年04月01日

科学者列伝:古代ギリシャ編(2/3)

(2)ヒポクラテス

 科学史上に名を残す科学者の生涯や業績などを紹介する「科学者列伝」シリーズの第2回目は,通常「医学の父」とされているヒポクラテスを取り上げます。「通常」などと断っていることから明らかなように,実はヒポクラテスは医学の父と評価できるほどのレベルには達していませんでした。このことは,諸星史文・悠季真理「学問形成のために問う医学の歴史(3)(4)」(『学城』第3号,第4号所収)で見事に論証されています。詳細はぜひとも,両論文を読んでいただきたいと思います。本稿では,両論文にも触れながら,ヒポクラテスを紹介したいと思います。

 ヒポクラテスは,紀元前460年に,小アジア沿岸のコス島で生まれたとされています。彼の家系は,代々,医神アスクレピオスを守る一族で,ヒポクラテスは父から医術を学んだと伝えられています。また,タレス同様エジプトを訪れ,紀元前2980〜2950年ごろに活躍したとされるイムホテプ以来,エジプトで伝えられてきた医術も勉強しました(なお,ギリシャの医神アスクレピオスはイムホテプのことだといわれています)。

 ヒポクラテスの生きた時代は,ペルシア戦争に勝利したギリシャが,アテネを中心に黄金時代(ペリクレス時代)を迎えていた時代にあたっていました。彼はソクラテスとほぼ同世代(正確には10歳ほど若い)の人間なのです。このことが,ヒポクラテスの実力を理解する際,非常に重要になってきます。ヒポクラテスの生きた時代における人々の認識の実力レベルについて,諸星史文・悠季真理両先生は,次のように説いておられます。

「そもそもヒポクラテスの時代は,医術について,あるいはその他の事柄についての一般的な像を頭にしっかりと描くことは困難な,というよりも不可能な時代であり,自分と弟子たち,あるいは他の医者や賢者たちと対話していく中で,その対話を通して相手の認識と自分の認識との交流を図る中で,少しずつ少しずつ,対象についての像を確定していくことに始まり,さらに対象の究明を重ねていく流れの中で,対象についての一般的な像を形成しつつある,まさにその途上にあったのである。」(諸星史文・悠季真理「学問形成のために問う医学の歴史(3)」,『学城』第3号,p.126)


 これは,ヒポクラテスは,ギリシャ時代に学問を現象論レベルで完成させたアリストテレスに至る,その途上にあり,対象について一般論というレベルで究明できていたわけではない,ということです。したがって,ヒポクラテスを「医学の父」と評価することはできないのです。

 「医学の父」と評価するほどの認識のレベルには達していなかったとはいえ,ヒポクラテスの功績は,当時としては偉大と称してもよいほどのものでした。彼は,迷信や無知が支配していた当時の治療法と戦い,長い経験と観察をもとにした合理的な治療法を確立しました。たとえば,当時てんかんは,神か悪魔が乗り移ったときに発作を起こす「神聖な病気」だとされていました。だからお祈りによって治療できるとされていたのです。これに対してヒポクラテスは,てんかんも他の病気と同様,自然的な病因が存在するのであり,てんかんの徴候は脳にあると断言しています。これは現代の知見とも合致する正しい見解であったということができます。

 ヒポクラテスは,人間には4つの体液があり,その調和が乱れると病気になるのだと考えていました。そして,体液の調和を崩す要因として,環境の影響を重視しました。したがって,治療法としては,環境を整えること,具体的には適正な食事を与えることや身のまわりを清潔にすることなどを強調しています。このような四体液説は,ヒポクラテスから500年ほど後のガレノスに受け継がれました。ちなみにこのガレノスこそ,医学の父と評価できる医学者です。ガレノスについては,科学者列伝シリーズの古代ローマ編で紹介したいと思います。

 先ほど,てんかんの話で脳に少し触れました。ヒポクラテスは脳についてもすぐれた見解を残しています。それは,人間の心は脳に宿っているとする見解です。ここに関して,最近出版された瀬江千史・菅野幸子『新・頭脳の科学(上巻) アタマとココロの謎を解く』(現代社)の中で,興味深い記述がありましたので,少し長くなりますが引用しておきたいと思います。

「そもそも人類の学問の歴史において,人間の心の存在や在り方というものは,常に究明の対象となってきました。

 あらゆる学問の源といえる古代ギリシャにおいても,人間の心というものは,人間の体のどこに宿っているものなのかという論争がありました。

 コス派(ヒポクラテスの学派)は心の座を脳であるとし,プラトンは心(魂)を三つに分けて,それらの中でも神的なもの(知性)は頭にあり,感情的なもののうちで優れたもの(気概など)は胸部,劣ったもの(欲望など)は横隔膜より下のあたりにあると考えました。それに対してアリストテレスは,それら気概や欲望などの感情的なものは,すべて心臓にあると考えていました。しかしながらアリストテレスは,人間が持つ最も優れた知性の座がどこにあるのかということについては,プラトン以上に解剖的究明を行ったものの(かえって当時の解剖レベルが未発達であった結果),脳であるということが見てとれずに終わりました。それでアリストテレス自身は明言していないものの,アリストテレスの説を全体として見ると,知性的な部分も含めて心の座は心臓にあると考えていたようである,と後世になって解釈されています。

 さらに古代ローマの偉大と言ってよい医学の祖ガレノスは,プラトンの考え(魂を三つに分ける)をふまえて,解剖などによる究明を詳しく進め,魂の知性的部分は脳の中の脳室にあるとし,感情的な部分は心臓,欲望的部分(ないし栄養を司る部分)は肝臓にあるとしました。そして17世紀頃までは,そのガレノスの説が受け継がれていたのです。

 また17世紀のフランスのデカルトは,「人間の心,特に理性は,身体とは別の次元のものであり,脳の研究から精神を理解することはできない」とする,いわゆる二元論の立場を取りました。」(pp.5-6)


 このように心のありかについての学問の歴史を概観してみても,ヒポクラテスの見解が正解そのものであり,直観的にとはいえ,このような正確な認識を把持し得たヒポクラテスの実力の高みが分かります。

 ヒポクラテスに関しては,他にも興味深いエピソードが伝わっています。たとえば,ヒポクラテスは,古代で初めて最も合理的な医師養成学校をコス島に創設したとされています。彼は古代ギリシャにおける最初の医師ではありません。彼の父親も医師でしたし,南イタリアのクロトンにはピタゴラス学派のアルクマイオンという名の優れた先達がいました。アルクマイオンは,人体の解剖は最初に行った人物として知られており,人間の知的活動が脳で行われていることも感じていたといわれています。しかし,医師養成の学校を創ったのはヒポクラテスが最初であり,これが「医学の父」と世間で呼ばれている根拠の一つともなっています。

 他にも,ペロポネソス戦争のときに,アテナイをはじめとする諸都市を疫病から救い,アテナイの市民権を与えられたとか,80歳まで生きたとか,いやいや109歳まで生きたとかいうエピソードも残っています。当時としては80歳まで生きるというのはかなり珍しい例だったと思われます。ましてや109歳となると,現代でもそこまで長寿の人はまれです。自分で自分に環境調整を中心とする治療法を施し,健康的に過ごした結果かもしれません。

 さらに,「ヒポクラテスの誓い」は医師の守るべき医道を説いたものとして今日もなお通用していますし,「人生は短く,技芸は長い」という彼の言葉は有名です。

 
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2012年03月31日

科学者列伝:古代ギリシャ編(1/3)

〈目次〉
(1)タレス
(2)ヒポクラテス
(3)アリストテレス



(1)タレス

 今回から,新たな試みとして,科学史上にその名を連ねる科学者を取り上げ,その生涯や問題意識,その業績や後の時代への影響などを紹介していきたいと思います。これは,2012年に例会で扱っているシュテーリヒ『西洋科学史』(現代教養文庫)の学びを深めるための補論でもあります。

 シリーズ第1回となる今回は,世間では「哲学の祖」として知られる古代ギリシャのタレスを取り上げたいと思います。タレスに関しては,悠季真理先生が「古代ギリシャの学問とは何か(3)(4)」(『学城』第3号,第4号所収)において,詳細に説いておられます。また,この論文は,我々京都弁証法認識論研究会の昨年の例会でも取り上げています。当該部分の要約を,「2011年11月例会報告・悠季真理「古代ギリシャの学問とは何か」読書会(4/12)」,および「2011年11月例会報告・悠季真理「古代ギリシャの学問とは何か」読書会(5/12)」に掲載していますので,こちらも合わせてご覧になってください。

 さて,タレスは紀元前6世紀にギリシャの植民市だった小アジアのイオニア地方にあるミレトス市で活躍した知者でした。彼の生きた時代については,先の悠季真理論文で詳しく解説されています。我々の例会報告で要約した部分を引用します。

「では、タレスの生きた前6世紀のギリシャ世界とは、いかなる時代であったか。前6世紀のイオニア地方は、隣接地域であるオリエントの文化の影響を極めて大きく受ける形で、文化的に育まれていった。その背景には、何千年、何万年ものオリエント地域との、いわば一体的とも言えるようなレベルでの深い繋がりがあった。ここで「一体的」というのは、第一に地理的な面、すなわちギリシャはあくまでも巨大なオリエントの周縁地域であるという意味であり、第二に文化的な面、すなわち突出した先進地域であったオリエントの高度な文化を、まだ文化的には非常に幼かったギリシャが憧憬の念と尊敬の念を抱きながら、長年にわたって学び続ける形で吸収していった結果として「一体的」になったということである。だからこそ、オリエントの文化を内に含みつつも、それとは質的に異なったギリシャ独自の文化を見事なものとして成長させていくことが可能となっていったのである。」


 このように紀元前6世紀という時代は,人類文化の最先端が,オリエントからギリシャへと移行する過渡期であったということができます。そして,この移行を媒介したのが,タレスを初めとするミレトス出身の知者であったということができます。

 実際タレスは,エジプトを訪れたことが分かっています。彼はエジプトで,実用に即した幾何の知識を学び,それを抽象化し一般化して,普遍的な命題を立てたとされています。たとえば,タレスより丸1000年も後の時代に生きたヘレニズム時代の哲学者プロクロスの著作には,タレスが「底辺とこれに対する二角とが与えられれば,三角形は完全に決定される」という命題を知っていたと記されています。これは三角形の合同条件の一つであり,これによって,海上に浮かぶ船までの距離を正確に測り,戦争の戦術を立てるのに役立てたということです。同じような幾何の知識を応用して,エジプトのピラミッドの高さを測ったというエピソードも有名です。

 またタレスは,バビロニアにも訪れていたようで,そこで天文に関する知識を吸収したといわれています。その知識をもとにして,紀元前585年(5月28日)の日食を予言し,そのことによって名声を高めました。実際,バビロニア人達の天文に関する知識は当時のギリシャ人よりもはるかに進んでおり,タレスよりも200年も前に日食を予言しています。当時としてはオリエント文化の方がはるかに進んでおり,まだまだ幼かったギリシャ人達はオリエント文化を仰ぎ見るしかなかった,ということが,このエピソードからもうかがえます。

 哲学者としてのタレスといえば,「万物のアルケー(もともとのもの)は水である」という命題が有名です。この命題をもって,タレスを「哲学の祖」とすることはできないことは,先の悠季真理先生の論文で述べられています。しかし,この命題が人類の認識の発展史において画期をなすものであったということも見逃すわけにはいきません。

 端的にいえば,神話からの脱却ということです。タレス以前の人類の認識としては,神話による自然現象の恣意的な説明で安んじているレベルでした。ところが紀元前6世紀頃になると,そのような神話的な説明では納得できない人々が現れてきます。その嚆矢,代表者がタレスであるといっていいでしょう。

 まず,「神」というような空想の産物によって自然を中心として世界(ここでいう「世界」とは,今の我々が思い浮かべるようなものではなく,自分の身のまわりの諸々の事物・事象の全体というくらいの意味です)を説明するのではなく,「水」という物質によって自然を説明しようとした点が科学的だということができます。また,「水」というたった一つの原理で説明しようとした点も,科学的だと評価してもいいでしょう。なぜなら,科学とは,できるだけ少ない原理・原則で,あらゆる現象を説明しようとするものだということができるからです。

 もちろん,タレスの下した結論自体は間違っています。しかし,そもそも世界を構成する基本的な物質とは何かという問題意識こそが重要です。この問題意識が,その後の知者や学者にも受け継がれていきました。この問題意識こそが,複数の事物・事象に共通する論理を導きだそうとする問いかけが芽生えるに至る過程の始まりであったし,神話で安んずるレベルからの脱却を促した原動力になった,ということもできるのではないでしょうか。

 最後に,タレスの実力を示すエピソードを一つ紹介したいと思います。七賢人の第一に挙げられるタレスですが,ある時,「本当に賢人であるならば金持ちでないのが不思議である」というあざけりを受けたそうです。その言葉に奮発したタレスは,気象の知識を活用して,オリーブが豊作になると予想した年に,ミレトス市とその周辺にあるオリーブ油絞り器の使用権をひそかに買い占めました。予想通りにオリーブが豊作になると,タレスは絞り器の使用料を独占し,一シーズンで大金持ちになったということです。自分の力を証明したタレスは,その後商売をやめ,知識の探求に戻っていったという言い伝えが残っています。このエピソードは,以下のようにアリストテレスが紹介しています。

「人びとの言うのに,彼が貧乏だから哲学はなんの役にも立たないと非難されたとき,彼は天文学の知識を使ってオリーブが豊作になることを予測した。まだ冬だというのに,彼はわずかな金を工面してミレトスとキオスにあるすべいてのオリーブ搾油機を使う手付金を業者に支払った。高い値をつける者はだれもいなかったから,彼は格安の賃借料ですんだわけである。そしてシーズンがくると,搾油機の需要が一挙にあっという間に増えたので,彼は自分ののぞむ条件で搾油機を又貸しした。こうして多くの財貨をかき集めて,彼は哲学者たりとも,もしのぞむならば富裕になるのはいとも易いこと,ただし哲学者の関心はそこにはないことを示したのであった。」(アリストテレス『政治学』牛田徳子訳、京都大学学術出版会、p.38‐39)


 ピラミッドの高さを測ったり,日食を予言したりしたタレスの実力をもってすれば,お金を稼ぐくらいはわけがなかったのかもしれません。

 以上のようにタレスは,確かに哲学の祖と評価するほどの実力はなかったとはいえ,対象の共通性を見て取り,論理を引き出し,その論理を使ってある程度対象を制御したという意味で,すなわち,人類の認識に論理能力らしい論理能力が芽生えるスタート地点であったという意味で,科学史上に名をとどめる偉大な先達であったと評価してよいかと思います。
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<講義一覧>

 ・2010年5月例会の報告
 ・2010年6月例会の報告
 ・日本酒を楽しめる店の条件
 ・交響曲の歴史を社会的認識から問う
 ・初心者に説く日本酒を見る視点
 ・『寄席芸人伝』に見る教育論
 ・初学者に説く経済学の歴史の物語
 ・奥村宏『経済学は死んだのか』から考える経済学再生への道
 ・『秘密諜報員ベートーヴェン』から何を学ぶか
 ・時代を拓いた教師を評価する(1)――有田和正氏のユーモア教育の分析
 ・2010年7月例会報告
 ・弁証法から説く消費税増税不可避論の誤り
 ・佐村河内守『交響曲第一番』
 ・観念的二重化への道
 ・このブログの目的とは――毎日更新50日目を迎えて
 ・山登りの効用
 ・21世紀に誕生した真に交響曲の名に値する大交響曲――佐村河内守:交響曲第1番「HIROSHIMA」全曲初演
 ・2010年8月例会報告
 ・各種の日本酒を体系的に説く
 ・「菅・小沢対決」の歴史的な意義を問う
 ・『もしドラ』をいかに読むべきか
 ・現代日本における「国家戦略」の不在を問う
 ・『寄席芸人伝』に学ぶ教師の実力養成の視点
 ・弁証法の学び方の具体を説く
 ・日本歴史の流れにおける荘園の存在意義を問う
 ・わかるとはどういうことか
 ・奥村宏『徹底検証 日本の財界』を手がかりに問う「財界とは何か」
 ・「小沢失脚」謀略を問う
 ・2010年11月例会報告
 ・男前はなぜ得か
 ・平安貴族の政権担当者としての実力を問う
 ・教育学構築につながる教育実践とは
 ・2010年12月例会報告
 ・「法人税5%減税」方針決定の過程的構造を解く
 ・ベートーヴェン「第九」の歴史的位置を問う
 ・年頭言:主体性確立のために「弁証法・認識論」の学びを
 ・法人税減税の必要性を問う
 ・2011年1月例会報告
 ・武士はどのように成立したか
 ・われわれはどのように論文を書いているか
 ・三浦つとむ生誕100年に寄せて
 ・2011年2月例会報告:南郷継正『武道哲学講義U』読書会
 ・TPPは日本に何をもたらすのか
 ・東日本大震災から国家における経済のあり方を問う
 ・『弁証法はどういう科学か』誤植の訂正について
 ・2011年3月例会報告:南郷継正『武道哲学講義V』読書会
 ・新人教師に説く「子ども同士のトラブルにどう対応するか」
 ・三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』誤植一覧
 ・新大学生に説く「大学で何をどう学ぶか」
 ・新大学生に説く「文献・何をいかに読むべきか」
 ・2011年4月例会報告:南郷継正『武道哲学講義W』読書会
 ・三浦つとむ弁証法の歴史的意義を問う
 ・新人教師に説く学級経営の意義と方法
 ・三浦つとむとの出会いにまつわる個人的思い出
 ・横須賀壽子さんにお会いして
 ・続・三浦つとむとの出会いにまつわる個人的思い出
 ・学びにおける目的意識の重要性
 ・ブログ毎日更新1周年を迎えてその意義を問う
 ・2011年5・6月例会報告:南郷継正「武道哲学講義〔X〕」読書会
 ・心理療法における外在化の意義を問う
 ・佐村河内守:交響曲第1番「HIROSHIMA」CD発売
 ・新人教師としての一年間を実践記録で振り返る
 ・2011年7月例会報告:近藤成美「マルクス『国家論』の原点を問う」読書会
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む
 ・2011年8月例会報告:加納哲邦「学的国家論への序章」読書会
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論1三浦つとむの哲学不要論をめぐって
 ・一会員による『学城』第8号の感想
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論2 マルクス『経済学批判』「序言」をめぐって
 ・2011年9月例会報告:加藤幸信論文・村田洋一論文読書会
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論3 マルクス「唯物論的歴史観」なるものの評価について
 ・三浦つとむさん宅を訪問して
 ・TPP―-オバマ大統領の歓心を買うために交渉参加するのか
 ・続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2011年10月例会報告:滋賀地酒の祭典参加
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論4不破哲三氏のエンゲルス批判について
 ・2011年11月例会報告:悠季真理「古代ギリシャの学問とは何か」読書会
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論5ケインズ経済学の歴史的意義について
 ・一会員による『綜合看護』2011年4号の感想
 ・『美味しんぼ』から何を学ぶべきか
 ・2011年12月例会報告:悠季真理「古代ギリシャ哲学、その学び方への招待」読書会
 ・年頭言:「大和魂」創出を志して、2012年に何をなすべきか
 ・消費税はどういう税金か
 ・心理療法におけるリフレーミングとは何か
 ・2012年1月例会報告:悠季真理「古代ギリシャ哲学,その学び方への招待」読書会
 ・バッハ「マタイ受難曲」の構造を解く
 ・2012年2月例会報告:科学史の全体像について
 ・『弁証法はどういう科学か』の要約をどのように行っているか
 ・一会員による『綜合看護』2012年1号の感想
 ・橋下教育基本条例案を問う
 ・吉本隆明さん逝去に寄せて
 ・2012年3月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第1章〜第4章
 ・科学者列伝:古代ギリシャ編
 ・2年目教師としての一年間を実践記録で振り返る
 ・2012年4月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第5章〜第6章
 ・科学者列伝:ヘレニズム・ローマ・イスラム編
 ・簡約版・消費税はどういう税金か
 ・一会員による『新・頭脳の科学(上巻)』の感想
 ・新人教師のもつ若さの意義を説く
 ・2012年5月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第7章
 ・科学者列伝:西欧中世編
 ・アダム・スミス『道徳感情論』を読む
 ・2012年6月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第8章
 ・科学者列伝:近代科学の開始編
 ・ブログ更新2周年にあたって
 ・古代ギリシアにおける学問の誕生を問う
 ・一会員による『綜合看護』2012年2号の感想
 ・クセノフォン『オイコノミコス』を読む
 ・2012年7月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第9章
 ・科学者列伝:17世紀の科学編
 ・一会員による『新・頭脳の科学(下巻)』の感想
 ・消費税増税実施の是非を問う
 ・原田メソッドの教育学的意味を問う
 ・2012年8月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第10章
 ・科学者列伝:18世紀の科学編
 ・一会員による『綜合看護』2012年3号の感想
 ・経済学を誕生させた経済の発展とはどういうものだったのか
 ・2012年9月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第11章
 ・人類の歴史における論理的認識の創出・使用の過程を問う
 ・長縄跳びの取り組み
 ・国家の生成発展の過程を問う――滝村隆一『マルクス主義国家論』から学ぶ
 ・三浦つとむの言語過程説から言語の本質を問う
 ・2012年10月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第11章
 ・科学者列伝:19世紀の自然科学編
 ・古代から17世紀までの科学の歴史――シュテーリヒ『西洋科学史』要約で概観する
 ・2012年11月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第12章前半
 ・2012年12月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第12章後半
 ・科学者列伝:19世紀の精神科学編
 ・年頭言:混迷の時代が求める学問の確立をめざして
 ・科学はどのように発展してきたのか
 ・一会員による『学城』第9号の感想
 ・一会員による『綜合看護』2012年4号の感想
 ・2013年1月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』を読む前提としての世界歴史の全体像
 ・歴史観の歴史を問う
 ・2013年2月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』をどのように読んでいくべきか
 ・『三浦つとむ意志論集』を読む
 ・言語学の構築に向けてどのように研究を進めるのか
 ・一会員による『綜合看護』2013年1号の感想
 ・改訂版・新大学生に説く「大学で何をどう学ぶか」
 ・2013年3月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』序論(前半)を読む
 ・3年目教師としての1年間を実践記録で振り返る
 ・2013年4月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』序論(後半)を読む
 ・新自由主義における「自由」を問う
 ・2013年5月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第一部 東洋の世界(前半)を読む
 ・三浦つとむ「マルクス・レーニン主義に関する本質的な質問」から学ぶ
 ・言語は歴史的にどのように創出されたのか
 ・一会員による『綜合看護』2013年2号の感想
 ・ヒュームの提起した問題にカント、スミスはどのように答えたか
 ・2013年6月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』東洋の世界(後半)を読む
 ・一会員による2013年上半期の振り返り
 ・認知療法における問いの意義を問う
 ・カント歴史哲学へのアダム・スミスの影響を考える
 ・2013年7月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』ギリシアの世界を読む
 ・2013年8月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第三部 ローマの世界を読む
 ・アダム・スミスの哲学体系の全体像を問う
 ・一会員による『綜合看護』2013年3号の感想
 ・初任者に説く学級経営の基本
 ・カウンセリング上達過程における事例検討の意義
 ・文法家列伝:古代ギリシャ編
 ・ヒューム『政治論集』抄訳
 ・2013年9月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第四部 ゲルマンの世界を読む
 ・言語過程説から言語学史を問う
 ・2013年10月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』「第4部 ゲルマンの世界」第2篇を読む
 ・戦後日本の学力論の流れを概観する
 ・一会員による『育児の生理学』の感想
 ・文法家列伝:古代ローマ・中世編
 ・2013年11月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第4部 ゲルマンの世界 第3篇を読む
 ・古代ギリシャ経済の歴史を概観する
 ・2013年12月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』のまとめ
 ・ヘルバルト教育学の全体像を概観する
 ・年頭言:歴史を切り拓く学問の創出を目指して
 ・歴史的な岐路に立つ世界と日本を問う
 ・一会員による『綜合看護』2013年4号の感想
 ・一会員による2013年の振り返りと2014年の展望
 ・ヘーゲル『歴史哲学』を読む
 ・2014年1月例会報告:学問(哲学)の歴史の全体像について
 ・一会員による『学城』第10号の感想
 ・世界歴史の流れを概観する
 ・現代の言語道具説批判――言語規範とは何か
 ・2014年2月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第3〜11章
 ・ヘルバルト『一般教育学』を読む
 ・新大学生へ説く「大学で何をどのように学んでいくべきか」
 ・2014年3月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第12〜14章
 ・三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』学習会を振り返る
 ・『育児の認識学』は三浦認識論をいかに発展させたか――一会員による『育児の認識学』の感想
 ・2014年4月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第15〜19章
 ・4年目教師としての1年間を実践記録で振りかえる
 ・文法家列伝:『ポール・ロワイヤル文法』編
 ・2014年5月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第20〜26章
 ・道徳教育の観点から見る古代ギリシャの教育と教育思想
 ・古代ギリシャの経済思想を問う
 ・半年間の育児を振り返る
 ・2014年6月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第27〜33章
 ・現代の言語道具説批判・補論――「言語道具説批判」に欠けたるものとは
 ・心理士が医学から学ぶこと――一会員による『医学教育 概論(1)』の感想
 ・アダム・スミス「天文学史」を読む
 ・現代の言語道具説批判2――言語道具説とは何か
 ・2014年7月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第34〜38章
 ・道徳教育の観点から見る中世の教育と教育思想
 ・もう一人の自分を育てる心理療法
 ・2014年8月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第39〜40章
 ・アダム・スミス「外部感覚論」を読む
 ・文法家列伝:ジョン・ロック編
 ・一会員による『学城』第11号の感想
 ・夏目漱石を読む@――坊っちゃん、吾輩は猫である、草枕
 ・2014年9月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第41〜43章
 ・ルソーとカントの道徳教育思想を概観する
 ・アダム・スミスは『修辞学・文学講義』で何を論じたか
 ・全てを強烈な目的意識に収斂させる――一会員による『医学教育概論の実践』の感想
 ・2014年10月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第44〜45章
 ・精神障害の弁証法的分類へ向けた試み
 ・シュリーマン『古代への情熱』から何を学ぶか
 ・2014年11月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第46章
 ・一年間の育児を振り返る
 ・近代ドイツにおける教育学の流れを概観する
 ・2014年12月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』のまとめ
 ・年頭言:弁証法・認識論を武器に学問の新たな段階を切り開く
 ・「戦後70年」を迎える日本をどうみるか
 ・哲学の歴史の流れを概観する
 ・『ビリギャル』から何を学ぶべきか
 ・必要な事実を取り出すとは――一会員による『医学教育 概論(2)』の感想
 ・2015年1月例会報告:南郷継正「武道哲学講義X」
 ・夏目漱石を読むA――二百十日、野分、虞美人草、坑夫
 ・アダム・スミスは古代ギリシャ哲学史から何を学んだのか
 ・マインドフルネスを認識論的に説く
 ・道徳思想の歴史を概観する
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部の要約
 ・弁証法的に学ぶとはいかなることか――一会員による『医学教育 概論(3)』の感想
 ・一会員による『学城』第1号の感想
 ・新大学生への訴え
 ・2015年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論A
 ・心理職の国家資格化を問う
 ・5年目教師としての1年間を実践記録で振り返る
 ・文法家列伝:時枝誠記編
 ・2015年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論B、C、東洋哲学
 ・夏目漱石を読むB――三四郎、それから、門
 ・臨床心理学のあるべき姿を考える――一会員による『医学教育 概論(4)』の感想
 ・アダム・スミス「模倣芸術論」を読む
 ・デューイの教育論の歴史的な意義を問う―『学校と社会』を通して
 ・2015年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ギリシア哲学史の序論、イオニア派の哲学、ピュタゴラスとピュタゴラス派
 ・高木彬光『邪馬台国の秘密』を認識論から読み解く
 ・一会員による『学城』第12号の感想
 ・2015年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エレア派〜ヘラクレイトス
 ・何故言語学の創出が必要か―一会員による2015年上半期の振り返り
 ・事実と論理ののぼりおり――一会員による『医学教育 概論(5)』の感想
 ・夏目漱石を読むC――彼岸過迄、行人、こころ
 ・2015年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エムペドクレス〜アナクサゴラス
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(上)
 ・デューイ教育論の歴史的意義を問う―『民主主義と教育』をとおして
 ・2015年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソフィスト派・ソクラテス
 ・アダム・スミス『法学講義』を読む
 ・学問上達論とは何か――一会員による『哲学・論理学研究(1)』の感想
 ・2015年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソクラテス派、プラトン
 ・庄司和晃追悼論文―庄司和晃の歩みはいかなるもので、何を成し遂げたか
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部第4章の要約
 ・一会員による『学城』第2号の感想
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(下)
 ・夏目漱石を読むD――道草、明暗
 ・2015年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』プラトン 弁証法、自然哲学、精神の哲学
 ・ナイチンゲール看護論を心理臨床に活かす――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(1)』の感想
 ・文法家列伝:時枝誠記編(補論)
 ・英語教育改革を問う―『英語化は愚民化』書評―
 ・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
 ・2年間の育児を振り返る
 ・2015年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学)
 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
 ・ケネー『経済表』を読む
 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言