2017年12月18日

改訂版・初学者に説く経済学の歴史(2/5)

(2)経済学は資本主義の成立過程とともに成立した

 本稿は、諸々の経済問題にたいして適切な対策を行っていくためには、現実の経済がもつ構造を把握した科学的な経済理論を確立しておく必要があるという問題意識から、経済学の歴史を論理的にたどってみることを目的としたものです。

 そもそも経済学とはいつはじまったのでしょうか? 通常「経済学の祖」とされるアダム・スミス(1723-1790)が『国富論』を出版したのは18世紀の後半、1776年のことでした。このことからも予想されるように、実は、経済学は比較的に新しい学問なのです。

 経済とは、現象的にいえば、人間が自分たちの生活に必要なもの(生活資料)を労働によって生産し、それを分配・交換して消費する活動のことです。もちろん、こうした活動は、人類が誕生したときからずっと存在していました。しかし、いわゆる資本主義経済の成立までは、こうした活動は社会のなかに埋め込まれていたようなもので、社会の他の領域からはっきり分離した独自の領域を占めることはなかったのです。たとえば、いわゆる中世封建制の社会においては、領主や教会によって土地の安全を保障された農民たちが、(神によって定められた生活のあり方として納得させられて)土地を耕して農産物などを生産し、その一部を領主や教会に年貢として納めるという形で、生活資料の生産・分配が行われていたのでした。このように、資本主義経済が成立する前には、経済的な行為というものが、政治的な行為あるいは宗教的な行為と直接に同一のものとしてしか存在しえなかったのです。したがって、古代ギリシャのころから、経済的な事象について論じた思想家や学者は存在していたのですが、他の学問から独立した形での体系的な経済学は存在しえませんでした。

 経済が社会の他の領域からはっきりと分離していくのは、資本主義経済の成立とともに、です。商品交換がひろがり、労働力や土地といった生産のための根源的な要素までもが商品となり、さらには貨幣も商品化(利子を取ってのお金の貸し借りが盛んになる)するようになっていくことで、政治的な行為あるいは宗教的な行為とはハッキリと区別された独自の経済的な行為というものがあるという社会的認識が生成していったわけです。

 このような経済の分離によって、人びとは全体として、それ以前の時代よりも格段に物質的に豊かな生活を享受できるようになっていきました。その豊かさをめぐる諸問題について解明しようとしてはじまった学問が経済学なのだといってもよいでしょう。経済学がまず問題にしたのは、物質的な豊かさのもととなる富とは何であり、その源泉は何なのか、という問題だったのです。

 もちろん、経済学らしい経済学がいきなり誕生したわけではありません。豊かさにまつわる諸々の問題を論じるなかで、しだいに経済学らしい経済学がつくられていくのです。そのような経済学が成立する前夜の経済思想として、重商主義と重農主義があります。

 重商主義は、16世紀の絶対主義国家成立期から18〜19世紀の産業革命期まで、ヨーロッパ諸国の経済政策のもとになった思想です。これは、端的にいえば、富とは金銀のことだとして、他国との貿易で黒字を稼いで金銀を蓄積して、富国強兵を図ろうという考えです。他国との貿易こそが豊かさの源泉であると認識されたわけです。

 しかし、重商主義は輸出のための奢侈品産業ばかりを優遇し、国民生活の基礎となる農業を軽視し、農村の疲弊を招いてしましました。このことに反発し、農業こそ富を生み出す唯一の産業であり、土地(=自然)こそ富の源泉である、と主張したのが、フランス革命前夜の重農主義です。代表的論者であるフランソワ・ケネー(1694-1774。もともとは外科医でした)は、農業で生み出された富が、借地農・地主・商工業者の3階級の間でどのように分配され、一国内の経済循環(富の生産・再生産)がどのように成立するかということを、「経済表」という図式によって簡潔かつ明快にあらわしました。富の源泉を農業のみにもとめたという限界はあるものの、国家という枠組みを正面に据えて、人々の生活がきちんと再生産されていくために必要な条件を客観的な法則性としてあきらかにしようとしたのは、非常に優れた問題意識であったといってよいでしょう。

 では、経済学らしい経済学はどのような過程において成立したのでしょうか?

 この過程にも現実の経済のあり方の変化が反映しています。18世紀から19世紀にかけて、諸々の機械の発明や普及で工業が大きく発展していくと、農業こそ富を生み出す唯一の産業だ、という認識では現実の経済とのズレが大きくなっていったのです。そういう現実の経済のあり方の変化を反映して、農業労働にくわえて工業労働も、すなわち労働一般こそが富の源泉である、という認識に到達したのが、スミスやリカード(1772-1823)などに代表されるイギリスの古典派経済学でした。

 彼らは、諸々の商品が相互に交換されている過程に着目し、その交換比率としての諸商品の価格は何によって決まるのかを考察していきました。そして、絶えず変動している価格の背後にあってそれを支えているものとして価値を想定し、労働こそがその商品の価値の大きさを決定しているのだとして、労働価値説を唱えたのです。

 このように、古典派経済学が労働に着目したことは、経済学の確立過程において決定的な意義がありました。それは、この労働こそが、人間とそれ以外の生物の生活過程のあり方における最大の違いだからです。そもそも生命の歴史(地球上に単細胞体として誕生した生命体が人類にまで進化する過程)をふまえていえば、人類は、それまでの生命体のように環境の変化に受動的に適応していく存在ではなくて、労働によって環境を意識的に変革していく存在として誕生しました。少し難しくいえば、労働という過程を内に含んだことによってこそ、地球と生命体との相互浸透の過程――相互浸透とは、つながり合っているものがお互いに相手の性質を受け取るという関係にあり、この関係を深める形で発展が進んでいくことです――としての生命の歴史は、人類の歴史へと転化しえたといえるのです。古典派経済学は、このような人類史の根源ともいうべき労働を、富の源泉として明確に位置づけた上で、現実の経済の構造を解こうとしていったわけです。

 ところで、当時の現実の経済において、諸々の商品を生み出す労働は、資本家が労働者を雇って働かせるという形態によって行われるようになりつつありました。ようするに、この古典派経済学によってはじめて、資本家が労働者を雇って生産するという関係――これを「資本主義的な生産関係」とよびます――が本格的な考察の対象になったといえるのです。

 このように、富の源泉として労働に着目した点、さらにその具体的なあり方としての資本主義的な生産関係をはじめて本格的な考察の対象にした点において、経済学らしい経済学は、古典派経済学の成立をもって誕生したということができるのです。

 さて、この古典派経済学の特徴をもう少しだけ詳しくみておきましょう。

 古典派経済学は、重商主義にもとづく政府の経済への介入を批判し、市場の自由な競争に任せることを主張しました。当時は、さまざまな部門で多くの小さな企業が自由な競争をおこなっており、この競争をつうじて全体として経済は上向きに発展していく、という楽観的な見方が強くあったのです。このような見方に支えられて、古典派経済学は、個々人が私的な利益を追求して合理的に行動すれば、神の「見えざる手」(スミス)の導きによって社会全体の最大の利益が調和的に達成される、としたわけです。

 競争が重視されたのには、当時の生産水準がまだまだ低かったことも反映しています。全体としてみれば、市場の供給は需要を下回ることが多かった(みんなが欲しいと思うだけのモノを供給しきれなかった)ので、生産されたものは価格が適切に上下しさえすれば、だいたい売りつくすことができたのです。供給されたモノはすべて需要される、いいかえれば、供給が需要をつくりだす――このような考え方を、提唱した経済学者の名前(ジャン=バティスト・セー)をとって「セー法則」とよんでいます。

 セー法則は、貨幣というものの捉え方にも影響を与えました。理論的には、供給されたものはすべて売りつくされるはずだと考えられたので、貨幣がモノを買うために使用されずに貯め込んでしまわれることがある、という事実についてはほとんど重視されなかったのです。ようするに、貨幣は価値の大きさを測り、交換するための手段であるとのみ、捉えられてしまったのだというわけです。
posted by kyoto.dialectic at 06:43| Comment(0) | 経済学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言