2017年12月16日

南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想(5/5)

(5)南郷継正は弁証法の権化である

 本稿は,南郷継正『“夢”講義(6)』を組織的に読み込み,学んだ内容を一会員である筆者がまとめた論考である。ここで,これまでの内容を簡単に振り返っておきたい。

 初めに,本書で説かれている弁証法の弁証法的学び方について,3点を検討した。まず,弁証法のドアを閉めるということの意味についてであった。弁証法のドアを閉めるとは,他人の力を借りるのではなく,自分の能力で目次の全ての行をしっかりと分かっていく努力をなすことであり,これまで学んできたものは持ち込まず,弁証法の基本書の目次と本文の中身だけに基づいて,自分としての正解を求めていくこと,弁証法の本の中身から全ての書物の中身を検討していくことである,ということであった。これは,否定の否定的な学び方であり,これまで学んできた文化遺産から弁証法を学んでいく,というのではなくて,これから学んでいく弁証法から文化遺産を学んでいく,ということが大切だと感じたと説いておいた。第二に,正規分布に従ってのくり返しの重要性・必然性についてであった。正規分布に従ってのくり返しとは,生成,発展,衰退という過程において,発展しつくす前に(完熟してしまう前に),少し上昇したら元(原点)=初歩に戻り,またそこから過程を辿り返して,また少し上昇したら元へ戻るということをくり返しながら徐々に頂点へと昇りつめるというくり返しのことであった。少し上達して実力がついたら,また初歩からやり直す,そうすることによって,あらゆる事物が辿るはずの生成・発展・衰退の過程を辿ることなく,正規分布の曲線を次々に上に積み上げていくような形で,実力を養成していけるのだと説いておいた。また,この場合の正規分布は立体的な山のイメージであり,正面から見れば共時的な,ある時点における正規分布図が描かれるが,これを横から見ると通時的な,横軸が時間であるような生成・発展・衰退の流れが正規分布の山として描かれるのではないかと考察した。第三に,3年にして1作品という構造を取り上げた。長い連載的執筆は,理論性,体系性が深まることがなく,自分の作品の欠陥を分かることがなかなかできなくなるのでやめた方がよく,3年に1作品くらいのペースで,前の作品を反省し,その欠陥を克服しながら,頭脳活動の変化過程を持ち続けていくことが頭脳活動の向上には必要不可欠だということであった。これは,正規分布に従ってのくり返しの論理を執筆活動へと具体化したものではないかと説いておいた。筆者も単行本を執筆しているので,3年で一冊というペースを実現していきたいと決意を述べておいた。

 次に,全てを二重化して捉えるということ,さらに,全てを対立物の統一として捉えるということについて,本書で説かれている内容を確認して考察した。本書では,二人の恩師のうちの一人である滝村隆一について,その書物に説いてある事柄の中身を学ぶ努力をしたのではなく,森羅万象の出来事を,二重に構造化して,かつ過程として捉えることを学んだのだ,何かを論じる場合は実体の二重性と機能の二重性の,四重性においてなすべしということを学んだのだ,と説かれていた。要するに,全てを二重化して捉える頭脳の働きをなすべしということであるとして,筆者の専門の心理臨床で具体的に考えてみた。たとえば,心理臨床は,見立てと介入というように二つに分けることができるし,それぞれも,言語による見立てと非言語による見立て,言語による介入と非言語による介入というように,二重化して捉えることができるのであった。このように,専門分野の森羅万象を,とにかく二つに分けて,二重性として捉えていくことが,弁証法性を有する対象をより正確に認識するということになるのであり,滝村の教えを専門分野への指針(コンパス)として学びとっていったということなのであろうと説いておいた。同じような内容が本書の後の部分でも説かれていた。それが説かれている弟子のレポートは難解であったが,南郷継正の解説も踏まえると,全ての言葉には二重の意義が含まれており,言葉は,他のものと区別(対比)するためにまずは誕生させられているが,それが対比だけではなくなっていくのが言葉の宿命だという内容であった。これを踏まえれば,弟子の感想にあった「存在するものと存在していないものとの大きく二重性の構造が見えてくること」というのは,言葉がまずは何か他のものと区別(対比)するために誕生させられたという原点のところを説いているのではないかと思えてきたのであった。もう一点,全てを対立物の統一とする,ということについても確認した。対立物の統一とは,相対的独立したAとBを対立物として捉えて統一し,発展させることであるが,これは,先に触れた全てを二重性として捉える,対象を二つに分けて考えるということとつながってきそうに思われた。すなわち,全ての対象は二重性を有しているのであるが,その二重性の一方だけを見ていた場合は,対立物の統一として,他方もしっかり統一して考えないといけないが,逆に,対象の二重性が見えていないのであれば,2つに分けて考えて,その二重構造を明確にするように努力していかなければならない,ということではないかと考察した。

 最後に,本書で説かれている南郷継正の人生を3期に分けて,その軌跡を辿った。第一期は大学生くらいまでである。南郷継正は自身のことを,生来の怠け続け人であったと述べていた。ただ,学校は休まずに授業もしっかり受けていたこと,小説の類は小学校の時からむさぶるように読んでいたことも述べられていた。大学に入ってからは,思い切っての方向転換を図っての人生やり直しをなそうとし,大いなる野望を実現するために,弁証法・認識論の学びに加えるに,武道空手の実践を行うようになって大成功を収めることになっていったということだった。弁証法に関しては,世界一になるのだということ以外に考えをゆるめたことがないと説かれていたことも紹介した。この流れの中で,「全集読者への挨拶」が引用され,百人一首の中の和歌が紹介されて自身の心情が説かれていた。ここを読んで,現代の大学生は新聞をまともに読んでおらず,俳句や和歌といった文芸的教養があまりないのに驚いていると少し前に説かれていたことと重ねて,南郷継正は俳句や和歌といった文芸的教養や格言・金言といった言葉の技に習熟していたのであり,このような土台があってこそ,見事な指導者になれたのだろうと考察し,われわれの課題も明確にしておいた。南郷継正の人生の第二期は,恩師・恩人との交流の時期であった。吉本隆明への追悼文の中で,1969年,抱えていた難問を解決するために初めて三浦つとむ宅を訪れた際に,武道論の執筆を依頼され,2回目の訪問で出会った滝村隆一の絶賛もあって結局書くことにしたこと,書いた原稿を三浦つとむとともに吉本隆明の旧宅に持っていき,『試行』誌への連載が認められたことが紹介されていた。その後,三浦つとむが『試行』誌への連載に反対するようになったこと,滝村隆一による論文指導についても,南郷継正は理論化になれないのだからやめるべきだと本人の面前で叱責したことが説かれており,口惜しさを感じるとともに「今に見ていろ! 十年経ったら,三浦さんの言葉を嘘にしてみせるから!」と奮起したことが紹介されていた。このように一方の恩師に見捨てられ,他方の恩師たる滝村隆一からは「毎回毎回同じ欠陥を指摘され,かつ叱られながら,徹底的に論文体なるものを叩きこまれていく」という論文指導を受けていったのであった。最後の第三期は,著作執筆による発展が見られた時期である。弁証法を駆使して武道論が科学にまで高められた,初めての単行本である『武道の理論』が発刊されて以来,学問志望の弟子を多数抱えるようになった南郷継正は,生涯指導者であり続けたいと決意し,弟子の専門分野も指導できる実力をつけていったという。その過程で,武道論の構造論的展開が可能となり,認識論の大発展などもあったと説かれていた。また,論理能力発展の限界を感じた際には,脳の実体的発展をなすために20代の若者との大修行を始めたのであった。そして人生最後の仕上げとして,女性武道家の育成を開始したことにも触れられていた。

 以上,本書で説かれている内容について学んできたことを振り返ってみた。全体として見ると,南郷継正自身の歴史性を語ることによって,弁証法とは何か,弁証法を弁証法的に学ぶとはどういうことか,ということを浮かび上がらせている内容だといえるのではないか。南郷継正の人生自体,大きな変化・発展の連続であったし,まったく勉強がダメだった高校生が,大学入学とともにこれまでの学びをすべて捨てて,弁証法に賭けていくのは,まさに弁証法のドアを閉めたということを意味しているだろう。また,『試行』誌への連載にしても,その後の月刊誌への連載にしても,それをもとにして,平均すれば3年に1作品以上のペースで本を執筆してきているのである。連載の雑誌を次々に変更しているのも,正規分布のくり返し的なあり方といえるだろう。全てを二重化して捉えるとか,対立物の統一とかいうことでも,南郷継正は見事に実践している。弁証法を学ぶに武道空手を,武道空手を学ぶに弁証法をという形で,見事に対立物を統一しえたからこそ,ここまでの見事な発展があったのであろう。恩師が二人いるというのも,いかにも対立物の統一である。自らの組織を,武道空手を専門とする飛翔隊や桜花武道局と,学問を専門とする日本弁証法論理学研究会とに二重化して,さらにその対立物をきちんと統一したからこそ発展していったということもできるだろう。

 さて,以上のような内容を,今後のわれわれがどのように活かしていくのか。最後にその点について考えておきたい。

 まず,われわれのブログもはやり区切りをつけて,新しい形で始めるべきだということである。もちろん,このようなことは少し前からわれわれの組織の中で話し合ってきたのであるが,それについて,より明確な意義を確認できたと思う。本ブログを終了して,別のところで別の形で始めるというのは,いってみれば,小学校を卒業して,新しい場所で,新しい教師や同級生・先輩とともに中学校での生活を始める,というような区切りの意義があるだろう。気持ちも新たに,また新しい場所ではゼロ(原点)からスタートし直すのである。これが正規分布のくり返し的学びということになるだろう。

 次に二重化ということについてである。われわれは来年中に,自分たちの機関誌の発刊を予定している。これは,『試行』から『学城』へと発展してきた学的認識の流れを受け継ぐものであると同時に,『学城』を二重化するものでもあると考えている。これはどういうことか。『学城』は,南郷継正が統括して,まさに学的認識の最先端を切り拓いている学問誌である。われわれとしては,このことに疑いはない。しかし,そのような学的認識は社会化してこそ,充分なる意義が発揮されたといえるだろう。そこを担うのがわれわれの機関誌であると位置づけている。すなわち,『学城』で説かれている最先端の学的論理をわれわれ自身がしっかりと学び続け,それをわれわれ自身の専門分野に適用して成果を上げるとともに実力化していき,その成果を発表していくことによって,現代日本の社会的認識のレベルアップに貢献していく,これがわれわれの機関誌の大きな目的なのである。いわば『学城』は一点突破型であり,それを社会に広めていくのがわれわれだということである。これは二重化しないとなかなか実現できないことなのではないか。もちろん,われわれが社会化していってこそ,『学城』の方もより深く一点突破的に学的認識の深化が図れるということもあるだろうし,そうなればわれわれもまた,『学城』の成果に学び,より実力をつけてそれを社会化していくことも可能となるというような,相互浸透的な発展も図っていけるのではないかと考えている。

 最後に,われわれも機関誌を発刊したり,単行本を発刊したりすることによって,大きく社会に訴えていき,そのことに共鳴した若い学生の弟子をとっていくべきであろう。南郷継正の発展は,まさに学的な弟子をとったことによって,飛躍的な展開を見せることになったと思う。もちろん,弟子をとればいいだけではなくて,生涯指導者であり続けるとの決意や指導者としての誇りを把持し続けることが必須の条件であるが,そのうえで,弟子をとって,しっかりと責任をもって,主体的に弟子を育てていく。そういった師と弟子との相互浸透がなければ,組織の飛躍的な発展は見込めないだろう。しかし,南郷継正の『武道の理論』ほどのインパクトがなければ,そう簡単に若人が集ってくれることなどないであろう。その意味でも,来年発刊予定のわれわれの機関誌は,高みを目指して十分な討論・検討をした上で発刊していくことになるだろう。

 本稿で,1年間にわたって組織的に『“夢”講義』シリーズを読み込み,学んだことを筆者の責任でブログに認めていくという企画は終了である。しかし,『“夢”講義』への学びはこれで終わりではないし,終わりにしてはいけない。それこそ,正規分布のくり返し的学びが要求されるだろう。とりあえずは,全巻の目次をきちんとくり返し読み返すことを実践してみたいと思っている。また,この一年にわたる論考でも少しは試みてきたのであるが,自身の専門との対立物の統一において,この『“夢”講義』シリーズに学んでいくということも大切であろう。単に本を読み進めるだけではなく,しっかりと本で学んだ論理を,自分の専門分野の事実とつなげて考えていくことが,本当に学んだことを理解していくためのプロセスだといえる。

 南郷継正はこの10月に,新たに『哲学・論理学原論 〔新世紀編〕― ヘーゲル哲学 学形成の認識論的論理学』(現代社)を発刊して,また新しいステージに上ったといえるだろう。われわれも飛躍の時である。われわれがこの1年だけではなく,20年近くにわたって南郷継正から学んできた学恩に感謝し,その恩返しができるような機関誌を目指すことを宣言して,本稿を閉じたいと思う。

(了)


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 ・デューイ教育論の歴史的意義を問う―『民主主義と教育』をとおして
 ・2015年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソフィスト派・ソクラテス
 ・アダム・スミス『法学講義』を読む
 ・学問上達論とは何か――一会員による『哲学・論理学研究(1)』の感想
 ・2015年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソクラテス派、プラトン
 ・庄司和晃追悼論文―庄司和晃の歩みはいかなるもので、何を成し遂げたか
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部第4章の要約
 ・一会員による『学城』第2号の感想
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(下)
 ・夏目漱石を読むD――道草、明暗
 ・2015年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』プラトン 弁証法、自然哲学、精神の哲学
 ・ナイチンゲール看護論を心理臨床に活かす――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(1)』の感想
 ・文法家列伝:時枝誠記編(補論)
 ・英語教育改革を問う―『英語化は愚民化』書評―
 ・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
 ・2年間の育児を振り返る
 ・2015年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学)
 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
 ・ケネー『経済表』を読む
 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言
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