2017年12月15日

南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想(4/5)

(4)南郷継正の歴史性

 前回は,『“夢”講義(6)』で説かれている,全てを二重化して乃至対立物の統一として捉えるということについて見た。そして,全てを二重化して捉えることと,全てを対立物の統一として捉えることの2つを,それこそ対立物の統一として捉えていかなければならないと説いておいた。

 今回は,本書でしばしば触れられている南郷継正の人生について見ていきたい。ここでは,南郷継正の人生を大きく3期に分けて見ていく。第一期は大学生くらいまでの時期であり,第二期は恩師・恩人との出会い・交流のあった時期であり,第三期は著作執筆以後の時期である。

 まず第一期である。本書の第二編「弁証法を学問的に深化させる過程を説く」の第一章「私の辿った学問への道を後から来る人に」の冒頭で,南郷継正は自身のことを「生来の怠け続け人であった」(p.64)と述べている。中学・高校時代には,机に座っての学びが全く駄目で,10分くらいは座っていられたものの,30分と続けられなかったという。体育も駄目で,鉄棒にぶら下がることも,縄跳び一つもできなかったそうである。ただし,自分自身で努力することを怠けていただけであって,授業の欠席,サボリ,居眠りは一度もなかったということである。また,小説の類は小学校時代からむさぼるように読んでいたとも述べられている。大学に入ってからは,思い切っての方向転換を図っての人生やり直しをなそうとし,弁証法・認識論の学びに加えるに,武道空手の実践で大成功を収めることになっていったという。

 ここまで説いてきた後,『全集』の「読者への挨拶」の引用がある。ここでは,同じ桜でも,吉野桜はあまり好きではなく,八重桜の中でも,本当に色濃く咲いており,かつ地面の方へ下向きに咲き誇っている,俗称「提灯桜」が大好きであること,「諸共に哀れと思へ 山桜 花より外に知人もなし」(行尊)という『百人一首』(島津忠夫訳注,角川文庫)の中の66番目の和歌が中学・高校時代から大変気に入っており,それは,この歌のとおり,「自分の心」以外には誰にもその「自分」の存在意義が認められていないような人生だったからであること,八重桜のような素晴らしく見事な未来に憧れてもそんな人生は望むすべもないだろうとの心境であったこと,などが述べられている。

 ここまでを読んで,本題からは少し外れるかもしれないが,筆者は本書の少し前の部分を思い出したことであった。それは,第一編第二章の第三節「指導者は時代の流れを読み,人生を深めるための学びが必要である」で説かれていた以下の内容である。

「大体,現在の大学生はうっかりすると(うっかりしないでも)毎日の新聞すらまともには読んでいないといってよいほどです。これは私の弟子である東京大学の学生や大学院生ですら,「あまり読んでいない,というより読む暇がないのです」との返答が常にあるくらいですから。

 特に毎年のように驚いていることは,大学の新入生が,俳句や和歌,といった文芸的教養があまりないことですし,まして格言・金言といった人生にとってとても大切な言葉の技(ことわざ)に習熟していないことです。これでは大学を出ても社会人としての指導者に到底なれるわけはない,といってよいでしょう。通常ならば,少なくとも中学校の先生であれば,毎朝の挨拶で,格言の一つ,四字熟語の一つや,俳句の一つくらいは理科の先生であってもなすべきであろうと,私は思います。」(pp.50-51)


 ここでは,現代の大学生は新聞をまともに読んでおらず,俳句や和歌といった文芸的教養があまりないのに驚いている,中学校の教師もそのようなことをしっかりと教えるべきだ,と説かれている。その少し前のところでは,「大和魂(ヤマトゴコロ)」という言葉の日本最古の原典は『源氏物語』であることも指摘されている。

 何がいいたいのかというと,南郷継正は怠け続け人ではあったが,中学・高校の(優れた)授業はきちんと受けており,あるいは小説をむさぶるように読んだこともあって,俳句や和歌といった文芸的教養や格言・金言といった言葉の技に習熟していたのだろう,ということである。こういう土台があってこそ,見事な指導者になれたのだと感じたのである。

 ここでわが身を反省してみると,確かにそういう教養に大きく欠けているところがある。われわれの組織としても,そういう自覚があったので,数年前から吉本隆明『日本近代文学の名作』などを頼りにして文芸作品を読み続けているのである。しかし,もっと積極的な自学自習が必要だと痛感した。そこで取り急ぎ,南郷継正が触れている『百人一首』(島津忠夫訳注,角川文庫)を購入した。また,NHKの高校講座に「古典」や「現代文」などというものがあるので,とりあえず「古典」を聞き始めている。これは非常にいい。古典の朗読もあるし,一字一句の解釈などという細かいことよりも,当時の時代背景や社会的認識,作者や作品についての概要やそれに関連する知識,その作品の概要や大意などが,うまくまとめられていると感じている。聞き進めるのが楽しみである。そういえば,以前読んだ森信三『幻の講話』にも,西行の和歌などが多数紹介されていた。齋藤孝の『声に出して読みたい日本語』シリーズや『理想の教科書』シリーズも,文芸的教養を身につけるためのスタートとしてはよいかもしれない。こういう著作も読み返していきたい。

 さて南郷継正の人生に戻ると,怠け続けていたものの,大いなる野望があり,その実現のために,大学入学後は,弁証法への学びだけは大きく「まじめに励む人」となっていったという。「弁証法に関しては,「世界一」になるのだ! 以外に考えをゆるめたことはな」(p.70)いというほどの強烈さである。こうして,弁証法と武道空手との学びが始まり,深まっていったのである。

 次に,南郷継正の人生の第二期を見ていこう。恩師・恩人との交流の時期である。『綜合看護』に「“夢”講義」を連載中に,吉本隆明さんが亡くなった。2012年3月16日である。われわれは本ブログに「吉本隆明さん逝去に寄せて」という文章を掲載したが,南郷継正もすぐさま連載でこれを取り上げ,追悼文を書かれたのであった。それが本書にも収められている。そこでは,自分の恩師は三浦つとむと滝村隆一の二人であるが,吉本隆明は「人生上の恩人ともいってよい」(p.89)と評されている。そのうえで,恩師三浦つとむ・滝村隆一と,恩人吉本隆明との出会いの個人的なエピソードが語られていく。ここではその経緯を簡単に辿ってみる。

 1969年,南郷継正らの組織は「教育とは何か」「学問とは何か」という難問に突き当たり,三浦つとむに聞こうとして電話をし,自宅に伺うことになったという。そこで,三浦つとむに問われるままに弁証法の武道への応用について話をすると,それを文章にしてみないかと提案されたらしい。2日ほど悩んだ末に,断ろうと思って再度三浦つとむの自宅を訪問すると,そこに滝村隆一がいたのだという。もう一度滝村隆一に武道論を説くことになったが,そこで滝村隆一が絶賛したため,武道論を書くことを承諾したと述べられている。1ヶ月半ほどかけて75枚ほどになった原稿をもって三浦宅を訪問すると,「これはヨコ書きになっている。原稿はタテ書きにするものだ。それに60枚が限度だ」といわれて,その場で書き直し,その後,吉本隆明の旧宅にまで連れ出されたそうである。そこで吉本隆明と2時間ほど問答をして合格となり,『試行』誌への掲載が決まったということである。その後の10数年間は,恩義というものを感じるほどの交際期間を持てたと説かれている。そのなかで,南郷継正が武道論を語り,そのお返しであるかのようにヘーゲルの諸々の文言について講義をしてもらったという。そこで「ヘーゲルは,学問の世界と実体の世界とを二つ描いて,両方の図式の対がいわば重なり合うレベルで一致した時に,本当の学問の成立であるとしたのだ」(p.98)という話も聞いたということである。このように吉本隆明はヘーゲルに深く学んでいたのに,新聞などで追悼文を書いている人の誰一人としてここは語っていないと指摘されている。また,残念に思うこととして,自分が著書を出す時に吉本隆明の推薦文の申し出を断ったことが挙げられている。

 ここまでで,恩人吉本隆明にまつわるエピソードは終わり,恩師についてのエピソードが少し触れられる。吉本隆明への追悼文の中でも,三浦つとむが『試行』誌に連載することについて大きく反対するようになっていたと語られていたが,ここでは,滝村隆一が南郷継正に対して行った論文指導に対して,三浦つとむが大きく叱責したというエピソードが紹介されている。「南郷継正君は単なる武道家にすぎないのであって,文筆家でもなければ,また当然ながら理論家になれるわけでもない」などと,南郷継正の面前で滝村隆一を叱責したというのである。その後,三浦つとむは口を利いてくれることがなくなり,想像を絶するほどの口惜しい想いをしたと説かれている。その時のことが,次のように述べられている。

「たしかに恩師三浦つとむの私への評価は,間違っていないとの思いは当時はあったのですが,でも二回にもわたっての悪評価は私をして,当然のように奮発させるものでした。「今に見ていろ! 十年経ったら,三浦さんの言葉を嘘にしてみせるから!」と。」(pp.103-104)


 ここの部分は非常に感動的であった。南郷継正の伝記を書くならば,前半の大きな山場になるだろう。このような口惜しさや怒りを自身の原動力として,精神分析的にいうならば昇華して,見事に三浦つとむの言葉を嘘にしてみせた南郷継正の人生は,まさに弁証法的発展そのものだと痛感させられるエピソードであった。

 それから6年後に,『武道修行の道』の原稿を『試行』に連載し始めた頃に,ある駅の改札口で滝村隆一は南郷継正に対して,「もう君はマルクスの学問レベルになっているよ」ときっぱり述べたそうである。それで南郷継正は『それを断言する自分の実力は,マルクス以上ということなのか」と思わず問い返したら,滝村隆一は笑って去っていったという。

 この滝村隆一からの論文指導については,本書のだいぶ後の方で再び触れられている。そもそも一回り若い滝村隆一に弟子入りしたのは,『試行』に初めて載った「武道の理論(1)」がほんとうの意味での拙い文だったからで,それを恥じてのことだったという。また,滝村隆一の『革命とコンミューン』と『マルクス主義国家論』を読んで,アリストテレスのいう「驚駭」といえるベレルの衝撃を受けたからでもあるという。筆者も南郷継正の『弁証法・認識論への道』を読んで,主観的には同じくらいの衝撃を受けたと思っている。滝村隆一に忠実に学んでいった結果,三一書房から出された『武道の理論』には,悪文が大きく消えていったらしい。その指導の中身については,次のように説かれている。

「とにかく,恩師滝村隆一による本物の指導という中身(構造)を端的に説くならば,毎回毎回同じ欠陥を指摘され,かつ叱られながら,徹底的に論文体なるものを叩きこまれていく何年かだった,ということです。もっとも,それをなすにあたっての予備的学習も当然ながらあったことです。それは,端的には文章の中身を一言で読みとる訓練,すなわち,ある長い(何十頁もの)文章に適切な題名をつけることから,始まったものでした。」(p.179)


 自分の欠点を素直に恥じて,教えに対しては忠実に学んでいく,何度叱られてもそれに耐えて学び続けていく,これが上達の大きなポイントであることを示しているエピソードだと感じた。筆者自身の日々の職場や家庭でのストレスなど,一方の恩師には見捨てられ,他方の恩師からはしごきのような指導を受けていた南郷継正に比すれば,本当になんでもないことであると思わされたことである。

 さて最後に,南郷継正の人生の第三期を見ていきたい。ここは著作執筆による発展が見られた時期であるが,第二期と時期的に少し重複する。この時期については,本書第四編「学問的世界・理論的世界を志す人へ」の第三章「学問力を向上させ続けた私の道程とは」で説かれている。本書の最終章である。

 ここでは,『武道の理論』『武道の復権』『武道への道』『武道修行の道』のそれぞれに付されていた「推薦文」が引用されながら,その発展が説かれている。ちなみにこの推薦文は,おそらく滝村隆一の手になるものであろうと思われる。そしてこの推薦文は,先の引用に説かれていた論文を執筆するための「予備的学習」,すなわち,文章の中身を一言で読みとる訓練の理想的なお手本としても紹介されている。

 『武道の理論』は,武道論が初めて科学にまで高められた著作であり,弁証法が自在に駆使されている点が特徴であった。この『武道の理論』が多数売れていったために,南郷継正の道場は大賑わいとなり,中には,学問や弁証法を求めて訪れる学生もおり,そのうちに学的研究会が発足し,「生涯指導者であり続けたいと決意した」(p.209)南郷継正は,弟子の専門分野での指導者とならざるをえず,彼らの専門分野すら指導できる実力を把持していくこととなる。このような指導をとおして構造論が発展していったという。著作でいうと『武道の復権』から武道としての構造論的展開が始まっていったというのである。『武道への道』では,入門から極意に至る道程が分りやすく説かれ,世界歴史レベルでの認識論の大発展があったと説かれている。続く『武道修行の道』では,副題にある「武道教育と上達・指導の理論」が説かれるのであった。

 しかし,『武道修行の道』で論理能力がこれ以上発展できないことになり,その壁を突破するべく,一大決心をしたと説かれている。それは,50歳を少し越えていた段階であったにも関わらず,「学的能力の発展には脳(細胞)の実体的発展をなす以外にはないと深く決意して,ここから二十代の若者(学生)との大修行へと出立することにした」(pp.214-215)というのである。この修練が60代まで続き,その成果がとある月刊誌に連載し,後に単行本化された『武道講義』シリーズへと結実していくことになる。

 その後,南郷継正は人生最後の仕上げとして,女性武道家の育成を開始し,本「“夢”講義」の執筆を始めることとなったという。ここでは触れられていないが,同じ頃に『学城』の発刊がなったのであった。

 以上今回は,南郷継正の人生を3つに区分して,その道程を追体験した。
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 ・アダム・スミス「模倣芸術論」を読む
 ・デューイの教育論の歴史的な意義を問う―『学校と社会』を通して
 ・2015年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ギリシア哲学史の序論、イオニア派の哲学、ピュタゴラスとピュタゴラス派
 ・高木彬光『邪馬台国の秘密』を認識論から読み解く
 ・一会員による『学城』第12号の感想
 ・2015年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エレア派〜ヘラクレイトス
 ・何故言語学の創出が必要か―一会員による2015年上半期の振り返り
 ・事実と論理ののぼりおり――一会員による『医学教育 概論(5)』の感想
 ・夏目漱石を読むC――彼岸過迄、行人、こころ
 ・2015年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エムペドクレス〜アナクサゴラス
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(上)
 ・デューイ教育論の歴史的意義を問う―『民主主義と教育』をとおして
 ・2015年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソフィスト派・ソクラテス
 ・アダム・スミス『法学講義』を読む
 ・学問上達論とは何か――一会員による『哲学・論理学研究(1)』の感想
 ・2015年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソクラテス派、プラトン
 ・庄司和晃追悼論文―庄司和晃の歩みはいかなるもので、何を成し遂げたか
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部第4章の要約
 ・一会員による『学城』第2号の感想
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(下)
 ・夏目漱石を読むD――道草、明暗
 ・2015年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』プラトン 弁証法、自然哲学、精神の哲学
 ・ナイチンゲール看護論を心理臨床に活かす――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(1)』の感想
 ・文法家列伝:時枝誠記編(補論)
 ・英語教育改革を問う―『英語化は愚民化』書評―
 ・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
 ・2年間の育児を振り返る
 ・2015年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学)
 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
 ・ケネー『経済表』を読む
 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言