2017年12月03日

2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇(2/10)

(2)カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言前半

 今回から4回に分けて,11月例会で扱った範囲の要約を掲載していくことにします。

 今回は,『純粋理性批判』「第二部 先験的弁証論」の緒言の前半部分です。すなわち,「T 先験的仮象について」と,「U 先験的仮象の在処としての純粋理性について」のうちの「A 理性一般について」の部分です。ここでは,先験的仮象とは何か,理性とは何かといったことが論じられています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

先験的論理学

第2部 先験的弁証論

緒言

T 先験的仮象について

 我々はさきに弁証論一般を仮象(Schein)の論理学と名づけたが,これは弁証論が「確からしさ(Wahrscheinlichkeit)」の学だという意味ではない。確からしさは真であり,ただ不十分な根拠によって認識されたというだけだからである。「確からしさ」をもつ認識は,不完全であってもまやかしというわけでなく,論理学の分析的部門から切りはなされてはならない。まして現象と仮象は同一視されてはならない。真理とか仮象とかいうものは,対象が直観される限りにおいては,対象そのものにあるのではなくて,対象が考えられる限りにおいて対象に関する判断にある。真理も誤謬も,誤謬に誘うものとしての仮象も,判断にのみあり得る。感官には判断は全く存しないのだから,誤謬は,感性がひそかに悟性に及ぼした影響によってのみ生じる。これがために判断の主観的根拠と客観的根拠とが混雑して,客観的根拠をその本分から逸脱させてしまうのである。それだから,悟性に独自な作用を,これに干渉する力から判別するために,先験的反省が必要なのである。
 我々の当面の仕事は,経験的仮象(例えば,視覚的仮象)を論じることではない。こうした経験的仮象は,もともと正しい悟性規則を経験的に使用する場合に生じるものであり,この使用において判断力が,想像力の影響を受けて誤ちを犯すのである。我々がここで論究しようとするのは,もっぱら先験的仮象である。先験的現象が影響を与える原則は,決して経験への適用を建前とするものではない。原則が経験に適用される場合なら,我々は少なくともその原則の当否を吟味すべき基準を持ち合わせているだろう。ところが先験的仮象は,批判の警告をいっさい無視して,カテゴリーの経験的使用の限界外に我々を連れ出し,純粋悟性の拡張などというごまかしで我々を釣っているのである。我々は原則を区別して,その適用があくまで可能的経験の範囲内にとどまるものを内在的原則と呼び,その適用が可能的経験の限界を超出するものを超越的原則と名づけようと思う。超越的原則とは,カテゴリーの先験的使用ないし誤用のことではない。こうしたものは,判断力が純粋悟性の活動に許されている唯一の領域の限界に十分な注意を払わないために生じたものである。ところが,超越的原則は,可能的経験の一切の境界標の取り払いと,また境界線というものをまったく認めないようなまるきり新しい領域の僭取とを我々に要求する現実的な原則なのである。それだから先験的《transzendental》と超越的《transzendent》とは同一でない。純粋悟性の原則は経験の限界を超えて使用されてはならないのだが,こうした制限を取り払うような原則,それどころかこの制限を踏み越えることを命じるような原則を,超越的原則というのである。
 論理的仮象は,仮象とはいえ元々理性推理の形式の真似事であり,まったく論理的規則に対する欠如から生じたものだから,その都度注意を怠らなければ,この種の仮象はすべて消滅する。これに反して先験的仮象は,仮象であることがすでに発見され,またそのとるに足らないものであることが先験的批判によって明らかに見抜かれても,それにもかかわらず依然として仮象たることをやめないのである(例えば「世界は時間的な始まりをもつ」という命題における仮象)。その原因は次の点に存在する。すなわち,我々の理性(人間の認識能力のひとつとして主観的にみられた)は,理性使用の主観的規則や格律〔主観的原理〕を含み,またこれらのものは客観的原則そっくりの外観を具えている。そこで我々の悟性が自分に都合のよいようにある種の概念を結合すると,こうした結合の主観的必然性が物自体の規定の客観的必然性と見なされるということである。これは我々にとってどうしても避けがたい錯覚である。
 それだからこの先験的弁証論は,超越的判断の仮象を発見し,またそれと同時に仮象のために欺かれるのを防ぐというだけで満足することになろう。こうした仮象を消滅させたり,仮象たることをやめさせたりすることは先験的弁証論のとうていなし得るところではない。先験的弁証論が扱うのは,人間理性にとって自然的な,どうしても避けることのできない錯覚である。この錯覚は,もともと主観的原理に基づくものであるにもかかわらず,これを客観的原則とすり替えるのである。

U 先験的仮象の在処としての純粋理性について

A 理性一般について

 我々の一切の認識は,感性に始まって悟性に進み,ついに理性に終わるが,直観の供給する素材を処理して,思惟の最高の統一に従わせるものとしては,理性より高い認識能力は我々のうちには見出せない。理性には,悟性と同じ全く形式的な使用――換言すれば論理的使用があるが,また実在的使用もある。理性はある種の概念および原則の根源をみずからのうちに含んでいるからである。しかし理性は,これらの概念や原則を,感性からも悟性からも得て来るのではない。理性の第一の能力,すなわちその論理的能力は,いうまでもなくずっと前から論理学者によって,間接的に推理する(直接推理,すなわち悟性による推理と区別して)能力と称せられていたものである。これに反して理性の第二の能力すなわちその先験的能力は,みずから概念を産出する能力である。理性を論理的能力と先験的能力に区分するとなると,これら両概念を統摂する,理性のいっそう高い概念が求められなければならない。我々は悟性概念との類比に従って,この論理的概念が同時に先験的概念を解明する手掛かりを与え,また悟性概念の機能の表〔カテゴリー表〕が同時に理性概念の系図を示すだろうと期待してよさそうである。
 我々は先に先験的論理学の第一部〔先験的分析論〕で,悟性を規則の能力であるといったから,ここでは,理性を原理の能力であるとして,悟性から区別したい。
 私が概念によって特殊なものを普遍的なものにおいて認識するなら,こうした認識を原理による認識といってよいかもしれない。そうすればおよそ理性推理は,いずれも認識を原理から引き出す形式だということになる。悟性はア・プリオリな一般的命題を与えるものだから,この命題もまたその可能的使用に関しては,原理と名づけられてよさそうである。
 しかし純粋悟性のこうした原則自体を,その起原の上から考察すると,これらの原則は決して概念による認識とは言い得ない。もし我々が純粋直観(数学においては)なり,あるいは可能的経験一般の条件なりを援用しなければ,こうした原則はア・プリオリには全く不可能であろう。
 こういうわけで悟性にしても,概念だけによる総合的認識なるものを与えることはできない。しかも私がもっぱら原理と名づけるところのものは,実にこの総合的認識にほかならないのである。
 原理(自体)による認識は単なる悟性認識とは全く異なるものである。悟性認識は,なるほど原理という形式を具えているので,諸他の認識よりも前にあるけれども,しかしそれ自体(悟性認識が総合的認識である限り),思惟だけにもとづくものでもなければ,また概念だけから引き出された一般的なもの〔一般的命題〕を含んでいない,ということである。
 悟性は規則を用いて源生を統一する能力であるといってよい。これに対して理性は,悟性の規則を原理のもとに統一する能力である。それだから理性は,直接に経験やまた何らかの〔経験的〕対象に関係するのではなくてもっぱら悟性に関係し,概念によって悟性の多様な認識にア・プリオリな統一を与えるのである。従ってこの統一は理性統一と名づけられてよい。そしてこうした理性統一は,悟性によってなされ得る統一とはまったく別種のものである。

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 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言