2017年11月17日

続・徒然なるままに――40歳を迎えて(5/5)

(5)現在とこれから

 大学院修了後、私は幸運にも、とある精神科病院の常勤職員として採用された。臨床心理士を目指す者、あるいは臨床心理士資格を有している者でも、なかなか常勤の口がないため、非常勤で生活していくのがこの世界の常識である。ところが私は、ゼミの先生(精神科医)のつながりで、この病院に紹介してもらえたのであった。私のゼミの先生は、大学院入学前の、素人であった私が調べてもひっかかるくらいの著名人で、認知行動療法の第一人者であったから、その先生のゼミ生となると、ほとんど顔パスのようなものであった。またこれと関連するが、私が認知行動療法を勉強していたこともよかった。認知行動療法はうつ病や不安障害などに対して、比較的短期に顕著な効果がある心理療法として知られていて、患者さんからのニーズも高くなってきていたころだから、その認知行動療法の専門家であれば採用しようということになったのである。

 このような形で、いわば偶然入職することになった病院であったが、この病院は非常に恵まれていた。最初の数年間は、かなりの数の研修に、出張という形で出してもらえた。当時は、京都周辺に認知行動療法の事例検討会が3種類ほどあり、毎月、3つの事例検討会全てに参加していた。事例検討会だけではなく、認知行動療法の研修会も、希望したものはほとんど出ることができた。中には東京で行なわれる研修会や学会もあり、それらにも毎年のように参加して、認知行動療法の研鑽に励んだ。

 入職したころの出来事で覚えているものがある。とある事例検討会に参加した後、近くのラーメン屋でその事例検討会を主催されている先生と2人でラーメンを食べていた。その先生は、「認知行動療法をやっている人はあまりいないから、○○さん(私のこと)もすぐにベテランになれるよ」とおっしゃったのである。またこの先生は、認知行動療法の研修の講師をたくさんされていたので、「私もそういうことを将来的にやっていきたい」というと、「やりはじめると、あの人は研修の講師をする人だと認知されるようになるので、すぐに講師としての仕事が増えていく」とおっしゃった。この先生の予言は、数年ならずして現実のものとなる。

 私が研修の講師を初めて担当したのは、1年目の冬であった。まだまだカウンセリングのケースなど数えるほどしかもっていなかったにも関わらず、私の上司であり、大学院のゼミの先生と知り合いだった精神科医が、とある研究会で認知行動療法の研修講師をするように命じてきたのである。しかし私は、全然嫌ではなかった。むしろ、そういう機会を与えていいただいて感謝の気持ちでいっぱいであった。南郷継正も空手を始めてからすぐに弟子をとり、明日弟子に教えることがないという恐怖を常に感じながら指導していったという。これを確かファーブルから学んだと、どこかに書いてあった。私も、自分のカウンセリング・心理療法の実力を向上させていくためには、教えながら学び、学びながら教えるというようなファーブル式のやり方が一番確実だと思っていたので、研修の講師のような仕事をやりたいと思っていたのである。それに私は、人に教えることが単純に好きであった。これにはもちろん、南郷継正の影響があったことは否定できないが、それに加えて、高校や予備校、それに大学院で教えてくださった先生方の影響もあったと思う。これらの先生のように、本当に教え子の心を動かすような教育がしたいと憧れていたのである。

 初めての研修講師は、それなりに好評だった。ここから同じ研究会での講師を5回ほど行ったが、初回から3年弱が経過したあとの5回目のときには、精神科医である上司から、「本当に分かりやすかった! すばらしい!」と絶賛の言葉をいただいたほどであった。3年目には、大学院時代の指導教員であり、著名な認知行動療法の専門家である精神科医から、一緒に研修会をやろうというお誘いを受けた。これもそれ以来、毎年2〜3回ほどの研修会を、継続的に企画し、講師も担当している。そうこうしているうちに、外部からの研修講師の依頼も入るようになってきた。まさしく、ラーメン屋でいわれた通りの展開になってきたのである。実際、これまで担当した専門家向けの研修講師の回数は、約60回である。ある程度、認知行動療法の研修をする人ということで知られている存在にはなっているのかもしれない。

 研修講師の他にもやりたいと思っていた仕事で、案外早くできるようになったというものがいくつかある。一つは、スーパービジョンである。これはカウンセリングの個別指導のようなものであり、私も大学院のときには、担当したケースについてスーパービジョンを受けていた。今度は私がスーパービジョンを行う仕事がしたかったのである。これも先のファーブル式の勉強法の実践のためであった。3年目になった頃には、スーパービジョンをいずれ行いたいと周囲に公言していた。それから間もなく、実際にスーパービジョンを行うようになったのである。今では、ある大学院の外部スーパーバイザーとして、院生の指導も行っている。

 もう一つ、大学で教えるということも、私のやりたかった仕事である。私は博士号をもっていないので、なかなか難しいと感じていたが、大学の非常勤講師になるという形で、これも意外に早く実現することができた。詳細はここには書かないが、実現できたポイントは、人のつながりである。研修会講師の仕事は、私の上司からの命令が始まりであったし、大学院の外部スーパーバイザーも、直接は私の大学院の先輩に来た依頼であったが、諸々の事情でその先輩は引き受けることができず、私を紹介してくださったのである。そもそも病院に就職できたのも、ゼミの指導教員のつながりがあったからである。このように、仕事においては人と人とのつながりが非常に重要なのだということを最近痛感している。大学の非常勤講師の仕事も、仕事上で付き合いがあった知人からの紹介であった。そして今年、これまた諸々のつながりがあって、他に3つの大学から非常勤講師の依頼があった。これは現在の私にとっては、望外の喜びであった。

 大学の非常勤講師といえば、今年、大学で教えてから電車で帰宅している途中で、懐かしい人2名に立て続けに出会った。一人は、高校時代、一緒に朝練をしていた後輩である。彼とは私の結婚式の時以来、会っていなかったと思う。それが、たまたま帰りの電車で遭遇したのである。もう一人は、塾講師時代の上司(校長)である。これは結婚式どころか、10年以上は会っていなかった。これもたまたま帰りの電車で見かけたので、声をかけたのである。彼の姿は当時と全く変わっていなかった。

 仕事については以上のように、病院で臨床心理士として患者さんに接するだけではなく、研修会講師やスーパーバイザーの仕事、さらに大学での非常勤講師の仕事もするようになったのである。他にも、教育や産業、司法の領域でも臨床活動を行うになっており、また、英書の翻訳や本の執筆の仕事もいただいている。端的にいえば、仕事上は順調そのものであり、最近は特に、これ以上はないくらいに順調である。こういう時こそ、大きな落とし穴が待っているものであるから、気を引き締めているところである。

 病院で働くようになってからも、当然のことながら大学以来の研究会や師が主催するゼミには継続的に参加して、弁証法・認識論の研鑽を続けている。そして、私が病院に入職するのと前後して、京都弁証法認識論研究会のブログも開設し、毎日更新するようになった。ここで私は主に、現在行っているカウンセリングや心理療法など、心理臨床に関わる事実を弁証法・認識論的に捉え返す修練を行っている。これは特に「認識論」のカテゴリーにある論考を読んでいただけば分かるであろう。

 ところで、このように毎日更新しているブログに関しては、どうしても一人の人物を挙げておかねばならない。それは、「心に青雲」というブログを主催されていた玄和会のある支部長である。「心に青雲」は2006年7月ごろに見つけ、それ以来愛読していた。われわれは複数名でブログ記事を書いており、それでも、毎日更新するというのは非常に大変なのであるが、彼は何と、たった一人で毎日ブログ記事を更新し続けていたのである。この事実は、少なくとも私にとっては大きな刺激となった。われわれのブログを毎日更新するための、一つの原動力になったのではないかと思っている。

 彼とはそれなりの回数、メールでやり取りした。これは冗談ではないのだが、私はその素直さと勉強熱心な態度のために、上の方に目をかけていただくことが多いのだが、彼も玄和会の外部にいた私に目をかけてくださった。こっそりと、いろいろな情報を教えてもらった。そのような個人的なやり取りがあったからか、彼のブログの記事についても、それほどひどいことが書いてあるとは思えなかった。京都に来られた時には、確か2回ほどお会いしたこともある。その時彼は、「場を支配するのだ!」ということを強調されていた。その時以来、「場を支配する」というのは、いつも私の頭の片隅にあって、私を動かす言葉になっているような気がする。彼は今年亡くなったそうである。ご冥福をお祈りしたい。

 プライベートでは、2015年2月に母が亡くなった。乳がんだった。定年退職して間がなく、私たち息子を含めて、人のために尽くしてきた母が、ようやく自分の時間が持てると思ったその時にがんが発覚して、もはや手の施しようがなかった。大した親孝行も恩返しもできなかった。唯一、亡くなる前に私の娘が誕生して、孫の姿を見せられたのはよかったと思っている。そして、私自身は、今後の私の生き様自体が、恩返しになる、そのような生き方をしていかなければならない。

 以上、40歳を迎えて、自身の半生を振り返ってみた。いろいろな思いが去来しているが、まず私の原点を確認することができたと思う。私の原点は、ずばり「無上の知性」である。抽象的な言い方かもしれないが、確か、南郷継正もそういっていたはずだから、これでいいだろう。万能人、学中の学たる哲学を極めた人、世界を掌に乗せる人、場を支配する人、これが私の理想の原点なのである。

 現在の私にまで至る発展の必然性のようなものも見えてきた気がする。端的には、素直な性格であったために、これだと決めたものとの相互浸透によって、私が創られてきたということである。一番強く感じたのは、高校時代の伊藤和夫『英文解釈教室』で英語の力を比較的に伸ばした経験があったからこそ、南郷継正が弁証法の教科書は三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』だけだ、これだけをやればよいと指摘しても、それほど違和感がなく、すんなりと信じることができたのだという点である。本当に優れた人物、そして同じことだが、優れた著作に出会い、その人物や著作と、素直に相互浸透を図ることによって、必然的に今の私が存在するのである。

 優れた教師に出会ったことによって、私自身も優れた教師に憧れ、教えるのが好きになったということも一つの発見であった。そして、教えるからこそ自分の認識の発展も促されるのだということは、近年、強く実感しているところである。ただ、現在までの指導対象としては、塾の生徒や研修会参加者、大学で一年限り教える学生などが主である。本当に自分の実力を発展させるための教育・指導をなすためには、本格的な弟子をとる必要あがる。40歳になったのであるから、20歳以下の鈍才大学生くらいを弟子にとる計画を立てて、実践していかなければならない。

 私の半生を振り返ってみると、それなりに挫折体験もあるものの、それを上回るほどの成功体験も積み重ねていることが分かる。負けず嫌いな性格も相まって、一生懸命努力してきて、それなりの成功体験につながってきたのだから、やればできるという自己効力感のようなものが私の中に育っているのを感じる。そして、これは認識論の基本であるが、われわれ人間は思い描いたことは実現するし、逆に思い描かないと実現しない。私も、英語の実力を向上させる、○○大学に合格する、一流の臨床心理士になる、研修講師をする、大学の講義を担当する、などなど、それらを思い描いてきたからこそ実現できてきたのである。

 では今後、私は何を思い描き、何を実現していくのか。それはやはり、唯物論的な認識論の構築(再措定)である。今行っていることも、全てこの認識論の構築という一大目的に収斂していくことになるはずである。具体的には、先に触れたように若い鈍才的な弟子をとる。これももう思い描いているので、近々実現するはずである。そして、謙虚に文化遺産に学んでいく。たとえば、心理臨床の世界で名人・達人などと呼ばれている臨床家の技は、私が認識論の体系化を試みる際に素材として活用するべきものである。書物として遺されているものも、批判するのは簡単であろうが、その成果を正しく受け継ぎ、アウフヘーベンして自己の体系の中に位置づけていく必要がある。そのためには謙虚に学んでいかなければならない。この点、「心に青雲」の主催者は私の反面教師でもある。

 この謙虚な姿勢にも通じるが、周囲の人間に感謝の気持ちを忘れないようにしたいとも思う。これまでの半生を振り返って、自分は本当にたくさんの方々に支えられて生きてこれたのだ、成長してこれたのだということがしみじみと感じられた。感謝の気持ちが自然と湧いてきた。身近なところでは家族や兄弟、そして研究会仲間や師に対して、職場の上司や部下、患者さんや仕事の関連で付き合いがある人物に対して、大きなところでは私の生活を支えてくれている労働者や私の理想となり私を導いてくださっている三浦つとむ・南郷継正両先生に対して、さらにいえば、これまでの人類の文化遺産を創造してくれた全ての人間に対して、私は感謝の気持ちを忘れないような人間になっていきたい。

 40歳から新たな自分を創り上げる、その覚悟と決意を述べて、私の徒然草を閉じたいと思う。

(了)
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 ・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
 ・2年間の育児を振り返る
 ・2015年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学)
 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
 ・ケネー『経済表』を読む
 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言