2017年11月15日

続・徒然なるままに――40歳を迎えて(3/5)

(3)本史1

 私は大学時代、自由を謳歌した。これは旧制高校の学生に匹敵するのではないかというくらいである。予備校時代にがんばって勉強した甲斐があったというものである。工業高校卒の父親と、商業高校卒の母親の息子が、それも双子そろって、一流国立大学に進学したのであるから、ある意味では奇跡であった。ただ、なぜだか理由はよく分からないのであるが、兄の方は私から遅れること1年、ようやく同じ大学の同じ学部に入学してきたのであったが。ちなみに我々には6年年下の弟もいるのであるが、その弟も5年ほど後に同じ大学に入学することになる。

 さて、私の大学時代については、6年半ほど前に、本ブログに「三浦つとむとの出会いにまつわる個人的思い出」として説いたことがある。あれからすでに6年以上たっているとは、驚きであり、まさに光陰矢のごとしである。ここでは、多少重複するかもしれないが、大学時代の思い出を振り返ってみたい。

 私にとって大学時代は、私というものの骨格の原基形態ができあがった時期である。「生命の歴史」でいうところの魚類段階だといっていいだろう。今の私にあるものは、全て大学時代にその直接の起源がある。それに比べれば、浪人時代までは、いってみれば私の前史であり、もちろん、前史あってこその本史なのであるが、そこには断絶があり、飛躍がある。

 一番大きかったのは、何といっても弁証法との出会いである。より正確性を期するならば、三浦つとむの弁証法との出会いである。私はとある組織に属していた関係で、もともと弁証法なるものに非常に強い関心を持っていた。浪人時代から『フォイエルバッハ論』なる著作があることは知っていた。大学に入ってからも、弁証法関係のお勧めの著作を、先輩などに尋ねていた記憶がある。そんな中、その頃普及しだしたインターネット上で、とある掲示板を見つけた。確か、「哲学投稿ボード」なる名前であったと思う。そこには、「永遠の思考」や「なし」などというペンネームで投稿している方が大勢いたが、本名で投稿されているおじさんがいた。そのおじさんが、熱心に勧めていたのが、三浦つとむや南郷継正の著作だったのである。そのおじさんの紹介の仕方がよかったのであろう、私は三浦つとむや南郷継正の著作を買って、読んでみることにした。ここから、私の三浦つとむ・南郷継正三昧の学生生活がスタートする。1回生の夏であった。

 一番衝撃を受けたのは、最初の頃に読んだ南郷継正『弁証法・認識論への道』(三一書房)である。まさに私のために書かれた書であるとの思いがして、何度も背筋が凍りついたような感覚に襲われたものである。○○大学の秀才たちに囲まれて勉強している中で、自分の鈍才ぶりを痛感していた私は、南郷継正が指し示す道しか、私が挽回できる道はないと思った。南郷継正が弁証法の基本書であるとくり返し説いてた三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』(講談社現代新書)には、弁証法は哲学の生まれ変わりであると説いてあった。この言を、南郷継正がそうであったのと全く同様に、私は素直に受け取り、大学に入学した目的である哲学の学びというのは、すなわち弁証法の学びなのであるとして、弁証法の学びにのめり込んでいくこととなった。

 当時のインターネットの普及によって、それまでは考えられなかったような精神的な交通が可能となった。先の掲示板で知り合った私と同い年の若者が、「弁証法メーリングリスト」を立ち上げ、そこに、全国各地の、三浦つとむや南郷継正のファンのような人々が集い始めたのである。それらの先輩にいろいろと教えてもらいながら、大学でも三浦つとむを学ぶサークルを創った。そこで当初から一緒に活動をしていたのが、今もわれわれの研究会の中心メンバーであるS・K君である。彼との出会いや関わりについては、前稿「三浦つとむとの出会いにまつわる個人的思い出」で詳しく説いたが、彼なしには今の私も、今のわれわれの組織もありえないことだけは間違いない。もし私が一年間の浪人だけで合格できていれば、インターネットの普及具合からして、三浦つとむや南郷継正に出会うのが遅れたかもしれないし、S・K君との出会いも違ったものになっていただろう。そうなれば、私が彼に三浦つとむや南郷継正を熱心に勧め、彼もまた弁証法の学びにのめり込んでいく、というようなことにはならなかったかもしれない。
 
 学生時代、私は南郷継正の指示することは、だいたいやったと思う。南郷継正お勧めの小説や教養書は、入手が困難なものも含めてほぼ読んだ。特に入手が困難だったのは、ポレヴォーイ『真実の人間の物語 上・下』(青銅選書)と中岡孝『社会科学読本 自然・人間・社会』(牧書房)である。こういうものを含めて、南郷継正が触れているものはだいたい読んだはずである。告白すると、私は大学に入るまで、本という本をほとんど読んだことがなかった。学校の宿題で出ていた読書感想文も、本文を読まずに「あとがき」だけを参考に書いたこともあるほどである。そんな私が、南郷継正に出会って、全く変わっていったのである。

 他にも、南郷継正の指示に従って、中学の教科書、特に理科と社会を勉強したりもした。いくら尊敬している先生から言われたからといって、○○大学の学生で、真面目に中学校の教科書を勉強したのは、おそらく、日本論理学研究会の会員とわれわれくらいなものであろう。もちろん、三浦つとむや滝村隆一の著作も、南郷継正の指示通りの順番で学んでいった。南郷継正の弟子である瀬江千史の著作も読んだ。これにはみんな驚いたものだった。こんなに滑らかな論理展開の文章が書けるとは! おそろしいほどの分かりやすさを把持する文章であった。瀬江千史を育てただけでも、南郷継正の実力の本物さ具合は知れようというものである。

 こんな私は、当然のように、大学1回生の冬に、南郷継正が主催する空手団体である玄和会への入門を試みた。ここまで南郷継正に心酔しきって、玄和会に入らないほうがおかしい。私は当時、大阪大学におられた南郷継正の一番弟子の一人といっていいであろう本田克也氏の支部に入門しようとした。一度は入門したといってよい。スキー合宿にも参加したくらいである。このスキー合宿では、本田氏の見事なスキーの技術に感嘆したが、何でも、スキーを始めてわずか数年だということであった。しかも、あらゆるゲレンデのあらゆるコースを全て把握しているということであった。「そっちは易しいから、こっちに来い」といわれてついていくと、上から眺めたら真っ逆さまな絶壁と思えるような、こぶだらけの斜面であった。「これくらい行けなければ、空手なんてできないぞ」といって、何のためらいもなく滑っていかれた。私はヒーヒーいいながら、ゆっくりと降りていくのがやっとであった。このように最初は順調であったが、そのうち、私がとある組織に属していることが判明して、本田氏の怒りを買ってしまうことになる。「お前はスパイか!」と罵倒され、破門同然で私は玄和会を去ることになったのである。

 これは私にとって、大きな挫折だった。お先真っ暗になったといっていい。学問への道などすっぱりあきらめてしまって、面白おかしい人生を送ろうと決心したほどであった。しかし、弁証法メーリングリストの先輩方や大学の同志の励ましによって、私は立ち直り、玄和会とは別の道で(といっても、論理的には同じになるはずであるが)、学問への道を志すことに決めたのである。

 大学ではその後も、三浦つとむ・南郷継正三昧の学習生活だった。S・K君とは相変わらず研究会などで頻繁に議論を重ねていた。3回生になると、三浦つとむを正面から研究できそうだということで、倫理学専修を選択した。どうやら倫理学では、「規範」が扱われているようであるし、三浦つとむは『認識と言語の理論』で規範を唯物論的・弁証法的に解明しているのであるから、これをちょこちょこっと、適当なリサーチクエスチョンを設定した上で説いていけば、卒論が書けるだろうと踏んだのである。実際、その通りになった。

 そのころの記憶としてよみがえる場面が一つある。予備校時代から一緒に勉強して、教育学部に入学していた女性がいたのであるが、彼女が大学生協の書店で、非常に大きな書物を抱えてレジに向かっていたのである。軽くあいさつを交わした後、、彼女は「これ、丸まる一冊覚えなあかんねん」というような意味のことをいった。「それは大変やね」とその時は何気なく答えていたが、まさかその後、自分もその書物を買う羽目になるとは、この時点では予想だにしていなかった。

 2001年の冬にはまた、私の人生上非常に意義のある大きな出会いが待っていた。現在のわれわれの師との出会いである。この師とは、弁証法メーリングリスト上ではすでにやり取りをしていた。この師がメーリングリストに現れたとき、他の方には失礼ながら、何か異次元なものを感じた。率直にいってしまうと、「南郷継正、現る!」と思ったのである。他の方はどちらかといえば、三浦つとむや南郷継正がいっていることをそのままくり返しているだけという印象であった(それはそれで大事である)が、われわれの師となる人物は、まさしく、自分で論理化した内容を説いておられたのであり、それは三浦つとむや南郷継正が、直接にはどこにも説いていない内容ながら、非常に論理的で筋が通っており、いかにも南郷継正が説いていてもおかしくはない、というものに思われたのである。

 そんな人物が主催するゼミ合宿があると、これまた弁証法メーリングリストに参加されていたある方が教えてくださった。彼は若い私を非常に買ってくださり、ぜひとも一緒に勉強しようと誘ってくださったのであった。玄和会での失敗体験がトラウマになっていた私だったが、思い切って参加することにした。合宿会場の最寄り駅まで迎えに来てくださった彼の姿は、予想に反して大柄であった。メールでのやり取りのみの印象では、非常に小柄で大人しく、ひょろっとした感じの男性というイメージだったのである。彼に会場まで車で送っていただいている途中、何と、後続の車に追突されるという事故にあった。後ろの車はものすごい勢いでバックしたかと思うと、またものすごい勢いで前進に転じというのをくり返し、タイヤをキュルキュルいわせていた。運転手は完全にパニック状態に陥っているようであった。私は、彼が朝入れてきたというドリップ・コーヒーをいただいている最中であったが、それをぶちまけ、また追突されるのではないかという恐怖に慄いていた。すると彼は一言、「認識論ですね」と落ち着いた口調でいった。この「認識論ですね」という一言は、非常に新鮮に響いた。もちろん、われわれは大学で喧々諤々の議論を行っており、その中で「弁証法」や「認識論」などという言葉は、それこそ常識のように何度も使っていたし、耳にもしていた。しかし、メールでのやり取りしかしていなかった彼が、このような状況で発した言葉であったせいか、何か、心が躍るというか、目を見開かせてくれるというか、新奇な体験に感じたのである。

 肝心の合宿では、誘ってくれた彼と師の他に、3名の参加者があった。私が体験した玄和会とは違って、非常に受容的で、若い私を受け入れてくださった。ゼミの会員で、映画論を専門にされている方が私に何か問いかけられた時、師は「違う。彼は初めての参加なのだから」と指導された。すると指導された会員は「そうか。なるほど」とつぶやいて、何かを思惟されている様子であった。この合宿では夕食後、日本酒を味わう時間があった。玄和会のスキー合宿でもビールを飲む機会があり、「酒飲むんかい!」と心の中で突っ込んだものであったが、こちらのゼミ合宿では、この時間がいわば本番の一つであったといってよい。このようにいうとただの酒飲み集団だと誤解されるかもしれないが、そうではない。日本文化の一つとして、日本酒を味わうのである。ここで師からは、日本酒の生成発展の講義があったのはいうまでもない。

 このゼミ合宿へは、その後も継続的に参加することとなる。当初は、静岡あたりの会場で2泊3日が多かったと記憶している。私は京都から一人、高速道路を飛ばして駆け付けた。その後、少しずつ、S・K君など、大学の仲間も参加するようになっていった。ある時からは、関西のメンバーが増えてきたということで、師がわざわざ関西に出向いてくださることが多くなってきた。現在では年3回、この種の「ゼミ合宿」を行っている。

 残念ながら、私をこのゼミ合宿に誘い、われわれの師となる人物と出合わせてくれた彼は、それから4年もたたないうちに亡くなってしまわれた。車で3時間半ほどかけて伺った長野市にあるお宅で、奥様からうかがった話は感動ものだった。彼は30歳を超えてから、アトピーで体の弱い娘さんのために脱サラし、鍼灸師養成の学校を経て鍼灸師となり、その後に弁証法の学びを開始されたというのである。奥様が何度も何度も、「主人は、娘を一生分かわいがってくれました」とおっしゃっていたのが印象的だった。



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 ・文法家列伝:時枝誠記編(補論)
 ・英語教育改革を問う―『英語化は愚民化』書評―
 ・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
 ・2年間の育児を振り返る
 ・2015年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学)
 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
 ・ケネー『経済表』を読む
 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言
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