2017年11月13日

続・徒然なるままに――40歳を迎えて(1/5)

目次

(1)原点
(2)前史
(3)本史1
(4)本史2
(5)現在と未来

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(1)原点

 光陰矢のごとしとはよくいったもので、私もはや40歳である。本格的に学問への道を志したのが20歳の頃であったから、爾来、20年もの歳月が過ぎ去ったことになる。学問への道を志すまでが20年であり、学問への道を志してからが20年である。本エッセイでは、私のこれまでの人生を振り返り、私自身の原点を確認するとともに、原点を踏まえて、今後を展望したいと思っている。1ヶ月ほど前に本ブログに掲載された「徒然なるままに――40歳を迎えて」に触発されてのものである。

 私の記憶にある一番古い光景は、保育園時代のものである。おそらく、3歳か4歳ごろのものであろう。私はスプーンだったか、お箸だったかで、昼食を食べていた。私の前には、ちょっとした悪がき風の男の子が座って、同じく昼食を食べていた。その悪がきは、左手でスプーンだか箸だかを持っており、そのことを先生に注意されていた。「左手で持つのではありません。右手で持ちなさい」と。するとこの悪がきは私を指さし、「こいつもこっち(左手)で持ってるやん!」と反発したのである。この時の私の率直な感想は、「アホだな〜、こいつは」というものであった。向かい合わせに座っており、私が右手で持っていると、彼にとっては左側である。向かい合わせに座っている人間を自分に置き換えるときには反転させる必要がある。自分から見たら左であっても、反転させれば右である。そのことが彼には分らなかったのである。そこで私は「アホだな〜」と感じたわけである。しかし、今になって思えば、彼がアホだったというよりは、私が賢すぎたのである。3歳やそこらで、現象に引きずられることなく、相手の立場に立てば左は右になるということをしっかり理解していたのであるから。彼には悪いことをしてしまった。年齢不相応なレベルを求めて、それに達していないからといって「アホ」呼ばわりしたのであるから。

 そんな賢すぎた私も、アホなことをしていた。私は当時、シイタケを海の幸だと勘違いしていた。クジラのような魚の肉だと思っていたのである。この時点で少しアホである。さらに、海の幸全般が当時苦手だったため、シイタケを海の幸だと思い込んでいた私は、シイタケを食べることができなかったのである。そこで、給食でシイタケが出たときには、いったん口の中に入れて食べたふりをして、先生が見ていない隙に口から取り出し、さっと机の下に投げ捨てていたのである。これでばれないと思っていたのだから、愚の極みである。当時の予想に反して、あっという間に先生に見つかり、こっぴどく叱られた記憶がある。後年、シイタケがキノコの一種だということを知って非常に驚いた。と同時に、「それならそうと、いってくれたらよかったのに。それなら食べられたのに」などと、周囲の大人を不当に批判したものである。まったく、頭がいいのか悪いのか分からない、ただし、非常にかわいげのある子どもであった。

 このような勘違いは他にも覚えている。これも小学校に入る前のことだった思うが、布団のなかで母親から「兄弟」や「双子」なる概念を教えてもらっていた。当時の私にはよく理解できなかったようで、私は「兄弟」や「双子」は、今でいう(?)「行事」の一種だと理解した。そういう行事=イベントがあると思ったのだ。当時の私は、関係概念が理解できなかったものと見える。そこで私は母親に、「キョウダイは手をつながないといけないの?」と尋ねた。この記憶ははっきりしている。この記憶から推測すると、おそらく母親は、しばしばケンカしていた兄と仲良くしろというようなことをいっていたのではないか。「キョウダイは仲良くしないといけない」と。そこを私は、キョウダイという名のイベントでは、兄と仲良くしないといけないのかと理解して、仲がいい即ち手をつなぐと短絡的に思考して、「キョウダイ(という行事で)は(兄と)手をつながないといけないの?」と聞いたのだろう。これに対して母親は、「いや、別に手はつながなくていい」という至極まっとうな返答をしたが、それにしても、なかなかかわいらしい勘違いである。

 小学生時代の私は、もっぱら近所の友達と近くの公園で野球をして遊んでいた。今考えると理由がよく分からないのだが、当時、この公園をみんな「遊園地」と呼んでいた。ここにもちょっとした概念の混同がある。それはともかく、私のポジションはピッチャーで、それもエースであった。「自分はピッチャーだから、相手ピッチャーがどこに投げるかもだいたい分かる」などというかわいらしい嘘もついていた。しかし、試合になると、どこに投げるか分かっているはずのボールなのに、全く打てなかった。野球の思い出といえば、アニメ「タッチ」がある。ご存じの方も多いと思うが、「タッチ」というのは、双子の兄弟が主人公で、野球をやっていた弟が交通事故で亡くなり、その後、本当は才能があった兄が野球を始めて、甲子園に出場して優勝する(?)というようなストーリーである。私もたまたま双子の兄がいたため、夕方、「タッチ」を見終わってから、兄と「遊園地」に行って、キャッチボールをしたものである。日が暮れて、暗くなって、ボールがはっきり見えなくなるまで兄とキャッチボールをしていた。

 そういえば、この兄はひどい男で、小学校4年生くらいのときに、スポーツ少年団のなかに野球とサッカーがあったのだが、「タッチ」の影響を受けて二人で野球に入る約束をしていた。ところが、どういうわけか、勝手に一人、サッカーに入ってしまったのである。まったくひどい奴だ。

 他に小学校時代で覚えていることといえば、テストでは満点しかとったことがなかったということである。国語のテストなど、一字一句、模範解答と同じなので、先生もびっくりしていたくらいだった。もちろん、塾などに行っていたわけでもないし、特別に勉強していたわけでもない。それでも、自然と勉強のできる(かわいい)子どもに育っていったのである。今振り返ってみると、これには、家庭環境、特に母親と祖父の影響が強いと思う。母親は、子どもとかなり頻繁にコミュニケーションをとってくれたし、商業高校卒とはいえ、語彙力もそれなりにあり、難しいことでも子どもに教えてくれていた。どういう経緯でそうなったのか、全く覚えていないが、小学生の私に「ミゼン・レンヨウ・シュウシ・レンタイ・カテイ・メイレイ」と唱えさせ、さらに「ナイ・マス・マル・トキ・バ」と唱えさせていた。当時は全く意味が分からずに覚えただけであったが、その意味が中学校に入って国文法を習う中で分かるようになった。

 祖父は、地域では頭のいい人ということで有名な人物だった。将棋を教えてもらったのは祖父からだったと記憶している。最初は、私は通常の駒の配置で、祖父は王将と手持ちの歩3枚だけという条件で戦っても、コテンパにやられた。しかし、当時、父親が所有していたNECのPC88とか98とかで、将棋のソフトを買ってもらい、そのソフトでコンピューターと対戦したり、兄弟で対戦したりしているうちに、実力をつけていって、いつしか、祖父にも勝てるようになった。母親もそうだったが、祖父も、つまらないことをいって笑いをとるのが好きだった。小さい頃、祖父から出されたなぞなぞに次のようなものがあった。

「電線にスズメが5羽とまっている。銃で1羽を撃ち落とした。残りは何匹か?」

 普通の算数の問題だと思って、「4羽!」と私がかわいらしく答えると、「残念。銃の音に驚いて、他の4羽も飛び立ったので、正解は0羽」とかいってくるのである。後日、また全く同じ問題を出してくる。学習能力に秀でていた私は、すかさず「0羽」と答える。すると祖父はしたり顔で、「残念。4羽は銃の音に驚いて飛び立ったが、撃たれた1羽が下に落ちて残っているので、正解は1羽」などと屁理屈をいうのである。このような祖父との交流によって、考える力がついていったということはいえそうである。

 ついでに父親にも触れておこう。小学生だったある日、父親にある漢字の書き順を尋ねたところ、「書き順なんかは何でもいい。書いてしまえば同じだから」というようなことをいってきたのである。それ以来、素直な私は、本当に書き順なんてないんだと思い込み、あまり書き順を覚えなくなってしまったのである。これは痛い思い出である。しかし、これを補ってあまりある父親の言葉も存在する。それは、「テストでは習ったことが出るのだから、満点がとれて当たり前だ」というものである。これまた素直な私はそのまま受け取り、満点を取るのが常態となっていくのであった。

 中学生になると、さすがに全てのテストで満点を取ることは難しくなったが、テストの1週間前から集中的に勉強するだけで、学年の1位か2位の点数をとっていた。5教科500点満点で、480点は取っていたと思う。今、「テストの1週間前から集中的に勉強するだけで」と書いたが、これは本当にそうで、中学校になっても塾などには行っていないし、試験前までは部活に明け暮れていたので、最低限の宿題をするくらいで、家で勉強など、ほとんどしていなかった。私にとって学校の試験は、ちょっとした楽しいイベントであり、試験自体のも楽しみだったし、結果が返ってくるのがもっと楽しみだった。バツや三角になっていて納得できない場合は、すぐさま先生に抗議しに行き、場合によっては先生を説き伏せて丸にしてもらえることもあった。私の兄も、私ほどでは当然ないが、そこそこ点数がとれていたので、私たち兄弟は頭がいいと周囲からは認知されていた。

 もう一つ、われわれ兄弟は、バスケットボールがうまい兄弟としても認知されていた。小学生の時にスポーツ少年団で兄に裏切りにあっていた私であったが、そのことは水に流して、仲よくバスケットボール部に入部したのであった。小学生の時は、それほど運動ができるというわけでもなかったが、なぜか中学校に入ったころには、運動神経がよくなっていたようだ。何という名前だったか、準備運動で行う、斜め前に前進しながら内側の足で飛び上がり、飛んでいる間にその内側の膝を体まで引き付け、そして同じ足で着地し、今度は反対側の斜め前に前進して、逆の足で同じことを行うという特殊な運動(兄に聞いて、「ワンエンドワン」という名前であったことが判明した)は、1年生では私と兄しかできなかったように記憶している。見よう見まねですぐにできるようになったのである。長身なのに、旧型の小さなミニクーパーに乗っていた顧問の先生には重用され、1年生の内から3年生の練習に参加させてもらえた。ただ、バスケットのことなど何も分からなかったのに、ボールをキャッチした私に対して、いきなり「どっちを向いてボールをとってるんだ!」と怒鳴り散らし、ボールを投げつけられたことも覚えている。ゴールと逆の方を向いてキャッチしたのがいけなかったらしい。理不尽極まりなかった。そんな練習が嫌で、兄と示し合わせて、家のシャッターが開かなくなったというようなとってつけたようなウソの理由で、日曜日の練習を休んだこともあった。ただこの先生は、「メンタルタフネス」とかいって、精神面の重要性も強調しており、指導者としてはなかなかよかったと思う。残念ながら、3年生が引退した後、2年生男子がこの先生を嫌ったため、それまで一緒に練習していた男女のチームが分かれて、その先生は女子バスケットボール部に専念することになった。男子バスケットボール部には、きちんとした指導者がいないままとなり、私の中学での部活動は実りないまま、たいして上達もせずに終わってしまった。



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 ・2014年3月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第12〜14章
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 ・2014年5月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第20〜26章
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 ・心理士が医学から学ぶこと――一会員による『医学教育 概論(1)』の感想
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 ・2014年7月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第34〜38章
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 ・全てを強烈な目的意識に収斂させる――一会員による『医学教育概論の実践』の感想
 ・2014年10月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第44〜45章
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 ・一年間の育児を振り返る
 ・近代ドイツにおける教育学の流れを概観する
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 ・年頭言:弁証法・認識論を武器に学問の新たな段階を切り開く
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 ・2015年1月例会報告:南郷継正「武道哲学講義X」
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 ・新大学生への訴え
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 ・夏目漱石を読むB――三四郎、それから、門
 ・臨床心理学のあるべき姿を考える――一会員による『医学教育 概論(4)』の感想
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 ・一会員による『学城』第12号の感想
 ・2015年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エレア派〜ヘラクレイトス
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 ・2015年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エムペドクレス〜アナクサゴラス
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 ・2015年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソフィスト派・ソクラテス
 ・アダム・スミス『法学講義』を読む
 ・学問上達論とは何か――一会員による『哲学・論理学研究(1)』の感想
 ・2015年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソクラテス派、プラトン
 ・庄司和晃追悼論文―庄司和晃の歩みはいかなるもので、何を成し遂げたか
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部第4章の要約
 ・一会員による『学城』第2号の感想
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(下)
 ・夏目漱石を読むD――道草、明暗
 ・2015年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』プラトン 弁証法、自然哲学、精神の哲学
 ・ナイチンゲール看護論を心理臨床に活かす――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(1)』の感想
 ・文法家列伝:時枝誠記編(補論)
 ・英語教育改革を問う―『英語化は愚民化』書評―
 ・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
 ・2年間の育児を振り返る
 ・2015年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学)
 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
 ・ケネー『経済表』を読む
 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言
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