2017年11月02日

〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う(5/5)

(5)新自由主義における「自由」とは大企業の国家的規制からの自由放任である

 本稿は、1980年代以降、世界中を席巻してきた「新自由主義」と呼ばれるような経済政策が、人々の生活を破壊し、社会を荒廃させてきたことが、各国において政治的な大きな変動を引き起こしているという把握にもとづき、新自由主義が主張する「自由」の概念の形成過程を検討することを通じて、そもそも自由とは人類の歴史においてどのような意味をもつものなのか、考察していこうとするものでした。ここで、これまでの流れを振り返っておきましょう。

 まず「新」自由主義に対する「旧」自由主義ともいうべき、古典的自由主義が誕生してきた過程を明らかにしました。古典的自由主義が誕生する以前の中世の社会は、政治的支配者である荘園領主が土地と農民をセットにして直接的に支配していました。しかし、生産力の向上から余剰生産物の交換が活発になるなかで貨幣が誕生し、この貨幣によって政治的な枠組みに縛られない形での人間どうしのつながり、人間とモノとのつながりが生まれ、中世封建制の固定的な身分秩序の崩壊、自由の拡大が押し進められることになったということでした。つまり、そもそも古典的自由主義における自由とは、中世封建制の硬直した身分秩序の否定としての自由を意味していたのです。したがって、この時代においては、自由と平等(社会的公正)は直接の関係にありました。古典的自由は、封建的な硬直した体制では不可能であったダイナミックな発展を可能にするというプラス面と、人々の生活を著しく不安定なものにしてしまうというマイナス面との両面をもっていました。当初はプラス面によって、マイナス面が覆い隠されていたものの、無数の小企業が競い合う段階から、少数の大企業が市場の独占的な支配をめぐって争い合うような段階に近づいていくにつれて、古典的自由の不安定性の面がしだいに明らかになっていくことになったのでした。

 古典的自由の不安定性は、国内的には度重なる恐慌という形で、国際的には植民地獲得競争という形で現れてきました。最も大きな問題となったのは、恐慌時における労働者の大量失業です。こうした時代の課題に立ち向かったのがケインズです。ケインズは、利潤追求の自由に対して一定の制限を加えて社会的公正・社会的安定を保つという「新しい自由主義」の立場に立ち、「有効需要の原理」を提唱して、政府が経済に対して介入することの正当性を理論的にあきらかにしたのでした。財政出動や金融緩和などを計画的に行うことにより、人類が自らの力で経済をコントロールしていくことが可能なのだと主張したのでした。戦後の資本主義各国は、こうしたケインズ主義的な思想にもとづく政策を取り入れました。資本家側がこうした“階級的妥協”に応じた背景としては、冷戦時代において、共産主義陣営に対して資本主義陣営として対抗していくためには一定の譲歩が必要であったことと、そうした妥協を取り返してあまりある見返りが期待できたからです。実際、ケインズ主義敵体制の下、資本主義諸国は高度経済成長を成し遂げることとなりました。

 しかし、この高度経済成長もやがて行き詰まりを見せることになります。そもそも高度経済成長は、国民経済の内部に耐久消費財を中心とした消費と投資の好循環が創られることを条件として成立するものでした。したがって、耐久消費財が普及し、国内市場が飽和してしまうと、高度成長の持続は困難になってしまったのです。これはインフレの昂進という形で現象してきました。成長が行き詰まると、賃金コストの伸びを生産性の向上で吸収することができず、物価の上昇を引き起こすようになったのでした。また、完全雇用状態に近づくと、財政出動や金融緩和を行っても、新たな生産には用いられず、使い道のないお金がだぶつくだけという状態になったのでした。ここにオイルショックが加わったことで、先進諸国はマイナス成長と2桁のインフレという深刻な経済危機に陥りました。こうした問題を解決に導くことのできなかったケインズ主義的政策に対する批判として、経済学の世界でマネタリズムやサプライサイド経済学といった「反ケインズ革命」の潮流が生まれるとともに、そこに“階級的妥協”を破棄しようとする資本家側の意図が絡み合って、政府による経済介入を排して市場における自由な競争を復活させれば新たな経済成長が可能になるとの思想が形成されていくことになったのでした。これが新自由主義の思想です。新自由主義の思想は、社会的公正の実現や社会的安定の確保を目指した国家権力による経済・社会への介入を、個人の自由を侵害するものと位置づけて両者を敵対的な関係にあるものとして描き出し、個人の自由こそ至上のものにほかならないとすることで、自立、自助、自己責任といった考え方を浮上させていきました。

 このように、新自由主義における自由とは、国家的な規制を廃して、大企業が自由に活動できるようにするという意味での自由でしかありません。いわば大企業の自由放任なのです。経済は人間の力ではコントロールできないものであり、むしろ恣意的な介入が正常な動きを歪めてしまうと主張するものであり、そこには人類が歴史的に突きつけられた自由と社会的公正や社会的安定との両立をいかにして図るかという問題意識を事実上、放棄してしまったものなのです。グローバリゼーションの動きに並行して新自由主義が拡大することで、地球的な規模で大きな経済格差が生じ、社会への不平・不満が高まっているのが、現代世界の状況であるといえるでしょう。


 端的には、新自由主義における自由についての考え方は、非常に浅薄なものであり、人類の未来を保障するものではないといわなければなりません。それでは、そもそも自由とはどのようなものとして捉えられるべきなのでしょうか? 自由とは何かという問題を考える上では、ヘーゲルの歴史観や自由についての考え方を欠かすことはできません。そこで、ヘーゲルがどのように説いているのかをみてみることにしましょう。

「精神の本性は、精神と正反対のもの〔物質〕との比較によって認識される。物質の実態が重力であるとすれば、精神の実態、本質は自由であるといわなければならない。ところで、精神がもついろいろの属性の一つとして自由もあるといえば、誰にも異議はあるまい。しかし、哲学は進んで、精神の一切の属性が自由によってのみあり、すべては自由のための手段にすぎず、すべてはただこの自由を求め、これを招来するものであるということを、われわれに教える。」(ヘーゲル『歴史哲学』岩波書店、1971年、p.76)

「世界史とは、精神が本来もっているものの知識を精神自身で獲得して行く過程の叙述である」(同上書、p.77)

「世界史とは自由の意識の進歩を意味するのであって、――この進歩をその必然性において認識するのが、われわれの任務なのである。」(同上書、p.76)


 このように、ヘーゲルは世界史を精神の運動・変化・発展の過程として捉え、究極的には精神自身の本質である自由へと歩んでいく過程なのだと主張しています。

 では、ヘーゲルのいう自由とはどのような意味なのでしょうか? この点について、エンゲルスは唯物論の立場に立って、次のように解説しています。

「彼〔ヘーゲル――引用者〕にとっては、自由とは必然性の洞察である。……自由は、夢想のうちで自然法則から独立する点にあるのではなく、これらの法則を認識すること、そしてそれによって、これらの法則を特定の目的のために計画的に作用させる可能性を得ることにある」(エンゲルス『反デューリング論1』国民文庫、p.175)


 つまり、ヘーゲルのいう自由とは、対象のもつ法則性を認識し、それによって対象を自由自在にコントロールできることを意味するのだということです。対象によって人類が支配されている状態から、人類が対象を支配する状態へと移行してこそ、自由が達成されたというのです。

 このように見てくると、新自由主義の説く自由は、ヘーゲルのいう自由とは全く中身が異なることがあきらかでしょう。確かに支配されている状態からの解放という意味では共通であるものの、何に支配されている状態から解放されることを目指しているのかという点が大きく異なるのです。ヘーゲルが、対象がもつ目に見えない法則性による束縛からの解放を目指しているのに対して、新自由主義は、国家的規制という目に見える束縛からの解放を目指しているに過ぎません。その国家的規制によって束縛することこそが、対象による束縛から逃れるための手段なのだという弁証法的な発想がないのです。そもそも人間の力では経済という対象をコントロールすることができないのだという考え方を根底にもつのですから、当然といえば当然だといえるでしょう。このような新自由主義を押し進めたところで、人類のよりよい未来を切り拓くことにはなりません。

 本稿の冒頭でも確認した通り、1980年代以降、世界中を席巻してきた新自由主義的政策が、人々の生活を破壊し、社会を荒廃させてきたことが、世界各国で大きな政治的変動を引き起こしつつあります。端的には、いわゆる新自由主義の時代が限界にぶち当たって、終わりを迎えつつあるともいえるのですが、新しい時代を牽引していく経済的な理論・思想・政策は、まだ明確な形では現われていないといわなければなりません。ヘーゲルの主張する真の自由へと人類が歩んでいくためには、対象の法則性を体系的に把握した学問が求められます。こうした学問の構築とその社会化は、現代の人類にとっての大きな課題だといえるでしょう。その歴史的役割を担うのが我々京都弁証法認識論研究会なのだという気概をもって今後の研鑽を行っていくことを表明し、本稿を終えることにします。

(了)
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 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言