2017年10月31日

〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う(3/5)

(3)自由主義の歴史A――新しい自由主義(New Liberalism)への発展

 前回は、「新」自由主義に対比される「旧」自由主義、すなわち古典的自由主義について、いかなる過程で成立してきたのか、古典的自由主義における自由とは何かという点について明らかにしてきました。

 そもそも古典的自由主義における自由とは、中世封建制の硬直した身分秩序の否定としての自由を意味していました。これは封建的な硬直した体制では不可能であったダイナミックな発展を可能にするというプラス面と、人々の生活を著しく不安定なものにしてしまうというマイナス面との両面をもっていました。当初はプラス面によって、マイナス面が覆い隠されていたものの、無数の小企業が競い合う段階から、少数の大企業が市場の独占的な支配をめぐって争い合うような段階に近づいていくにつれて、古典的自由の不安定性の面がしだいに明らかになっていくことになったのでした。

 古典的自由の不安定性の側面は大きく国内的な矛盾と国際的な矛盾という2つの形で現れることとなりました。国内的な矛盾としては、労働者階級の所得が減少することによって恐慌が繰り返し発生し、大量の失業者が生じるようになった点が挙げられます。常に剰余価値を追求する資本家は、生産性の向上を図り、その手段として、機械の改良を行うとともに労働者に長時間労働を強いたり、賃金を安く抑えたり、解雇したりしたのです。こうした資本家の私的な利潤追求の動きを国家的に制限する仕組みは当時はほとんど存在しませんでした。これにより、一方で生産性が向上し供給が増大するのに対して、それを消費する大衆の所得が減少し、需要が減少するという矛盾が誕生したのです。これが恐慌という形で必然化することとなりました。このことは、国際的な矛盾につながりました。生産性の向上を追求する資本家は、できるだけ安価な資源供給地を追い求めると同時に、国内において失われた商品の販売先を獲得するために、積極的に植民地獲得に乗り出すこととなったのです。これが国家間の対立を生み、やがて世界規模の大戦争を引き起こすまでに至りました。

 こうした矛盾の連鎖の中でも、決定的に重要な環となったものは、恐慌に伴って生じる大量失業でした。そもそも資本制経済は、生きていくためには自らの労働力を販売するしかない労働者を大量に創出することによって成立したのですから、その労働者たちに雇用の場を与えることができないということは、その体制の歴史的正当性を根本から揺るがす事態にほかならなかったのです。

 ハンガリー出身の経済学者で「経済人類学」の創始者として知られるカール・ポランニーは、20世紀に入って資本制経済が直面させられた深刻な危機について、自然(生産手段)と人間(労働力)という根源的な生産要素を商品化し、さらに貨幣までも商品化してしまったことの弊害が顕在化したものと捉えました。彼は、自己調整市場という「悪魔のひき臼」から社会を防衛するための反作用として、@共産主義、Aファシズム(全体主義)、Bニューディールという3つの形態が生まれたと考えました。

 このうち、Bの理論的基礎を提供することになったのが、ジョン・メイナード・ケインズでした。ケインズは、企業の規模が拡大していくにつれ、資金調達のための金融市場が拡大したこと、とりわけ株式会社形態の普及によって株式などを売買する証券市場が大きく発展してきたことに着目しました。経済活動が、長期的な視野に立った着実な企業的活動というよりも、短期的な思惑で大きな儲けを挙げようという投機的な動機によって左右されてしまう構造がつくられてきていることに着目したのです。ケインズはまた、第一次世界大戦の結果、世界最大の金保有国となったアメリカの金不胎化政策(金の保有量が増大しても、それに見合った貨幣供給量の増大をしないという政策)によって、国際金本位制の自動調節機能が失われてしまったことにも着目しました。

 こうした時代認識の下に、ケインズは、「経済的な無政府状態から、社会的公正と社会的安定を実現すべく、経済諸力を制御し指導することを慎重に目指すような体制へ移行」(中央公論社『世界の名著69 ケインズ・ハロッド』p.170)することを目標として掲げる「新しい自由主義(New Liberalizm)」の立場を唱えました(これは本稿の主題である「新自由主義(Neo Liberalizm)」とは異なります)。ケインズはこのように述べています。

「自由放任の論拠とされてきた形而上学ないしは一般的原理は、これをことごとく一掃してしまおうではないか。……干渉は、『一般的に不要で』、かつ、『一般に有害』であるとする想定は、これを捨てなければならない。今日の経済学者たちに課せられている主要な問題は、おそらく、政府のなすべきことと、政府のなすべからざることとを改めて区別し直すことであろう。」(ケインズ「自由放任の終焉」同上書所収、pp.152-153)

「経済的無政府状態から、社会的正義と社会的安定のために経済力を統制、指導することを慎重にめざす体制に向かっての移行には、技術的にも政治的にもはかりしれない困難を伴うことであろう。それにもかかわらず、新自由主義 New Liberalismの真の使命は、その困難の解決にたち向かうことにあるのだ、と私は言いたい。」(ケインズ「私は自由党員か」同上書所収、p.170)


 このようにケインズは、利潤追求の自由を放任してしまうことは社会的公正や社会的安定を脅かしてしまうことになりかねないという認識の下、利潤追求の自由そのものは認めながらも、それを放任してしまうのではなく、社会的公正・社会的安定を重視する観点から適切にコントロールを加えていく必要があることを主張したのです。

 ケインズは、自由についての考え方のこのような転換の上に立って、金本位制から管理通貨制度に移行することを主張しました。利潤追求の自由を何よりも体現してきた貨幣の運動について、政策的にコントロールしていく必要性を唱えたのです。これは、貨幣が人間を支配する状態から、人間が貨幣を支配する状態への転換を目指したものだといえるでしょう。

 さらに、ケインズは、1930年代の大量失業問題に正面から取り組むことで、雇用量は有効需要、すなわち、消費需要と投資需要で決まるという「有効需要の原理」を打ち立てました。この原理にもとづいて、資本家の予想利潤が低下して投資需要が落ち込んでしまうことこそが失業の発生原因にほかならない、という結論が導き出されたのです。これは、失業の原因を労働者の行動にではなく(古典派経済学では、労働者が自発的に失業しているのだと考えられていました)、資本家(企業)の行動に求めるという視点の一大転換をなしとげるものでした。ケインズは、有効需要が不足して失業が存在する場合には、政府が金融政策・財政政策を駆使して人々の将来への見通しを改善し、投資を刺激することで完全雇用を目指すべきであると主張したのです。こうして、政府の経済への介入が理論的に正当化されるようになったのでした。

 第二次世界大戦後、世界の資本主義諸国は、共産主義世界と対峙して資本主義体制を擁護しなければならないという条件の下に、アメリカを盟主にして結束しました。これら資本主義諸国は、20世紀前半に顕在化した国際的な矛盾(国家間の対立の激化)、国内的な矛盾(階級対立の激化)を政府による経済介入によって緩和することを試みるようになりました。

 図式的に整理するならば、第二次世界大戦直後の資本主義諸国は、戦争による打撃が少なかったアメリカと、戦争によって大きな打撃を受けたその他の国々に二分されていました。アメリカ以外の国々は、復興のためにアメリカから諸々のものを買わなければならないにもかかわらず、アメリカに支払うドルを持たないという矛盾(ドル不足)に苦しんでいました。一方のアメリカは、戦時需要に応じるために生産能力を肥大化させたものの、それに見合った需要が国内には存在しないという矛盾に苦しんでいました。アメリカにおける過剰生産能力と、その他の資本主義諸国における復興需要とは、ブレトンウッズ体制の確立によって媒介されることとなりました。GATT体制(西側同盟諸国間の自由貿易)およびIMF体制(金と交換可能なドルを基軸通貨とする固定相場制)を軸とした枠組みのなかで、アメリカから他の資本主義国に向けて復興援助として大量のドルが散布されたのです。

 このような国際的経済関係が確立されたもとで、各国民経済の枠内においては、社会的公正や社会的安定を重視する観点から、資本家による利潤追求の自由に一定の制限が加えられていくようになりました。具体的には、労働者の権利擁護、各種の規制の強化、社会保障制度の充実、金融緩和・財政出動といった政府の経済介入の容認、公営事業の拡大など、いわゆるケインズ主義的な政策が採用されたのです。

 資本家側がこうした”階級的妥協”に応じた要因としては、冷戦構造からの圧力があったといえるでしょう。共産主義陣営に対して資本主義体制を擁護するためには、一定の譲歩が不可避だったのです。それとともに、労働者への譲歩によってこそ高度経済成長が実現して、自らも成長の果実(譲歩を補ってあまりある見返り)を手にすることが期待できたことも挙げられます。このような消極的および積極的な理由から、“階級的妥協”が成立したのです。

 実際、ケインズ主義的な政策が採用された結果、日本や欧州諸国においては、アメリカによる復興援助(ドルの散布)とあいまって、大戦による荒廃状態からの復興を機転として、内需主導型の高度経済成長が実現されていったのです。その推進力となったのは、労働者の所得を保障すること(賃金の上昇や社会保障による所得再分配)によって、耐久消費財(家電製品・自動車)を中心とした消費と投資の好循環が実現されたことでした。一方、アメリカは、国内でのケインズ政策の採用に加えて、ドル散布による輸出促進によって、戦時に増大した生産能力を活用しての高度成長を成し遂げていくこととなったのです。

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 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言