2017年10月28日

過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想(5/5)

(5)コマ送り的な量質転化の過程

 本稿は、南郷継正『“夢”講義(5)』を集団的に読み込み、特に「過程」という観点から学んだことを認める論考であった。ここで、これまでの内容を振り返っておきたい。

 初めに、なかなか答え(結論・結果)が説かれないという本書の説き方を取り上げた。なぜこのような説き方になっているのかというと、端的には、結論の前提となる内容をしっかりと読者に理解させなければ、結論だけ説いても理解不能となるからであると説いておいた。すなわち、前提をくり返しくり返し説くことによって、読者の認識の重層化を図り、ようやくにして結論(答え)を理解できるだけの準備が整うのであった。これは、赤ん坊をいきなり立って歩かせることは不可能であり、その前提となるハイハイを、くり返しの上にもくり返し行わせることによって、ようやく立って歩くための準備が整うのと、論理的には同様であると説いた。このように、前提(前段階)の実力をしっかりと身につけないと、それ以上の発展はない、それ以上の上達は見込めないというような内容は、本書では形を変えて何回かくり返して説かれていることを指摘した。たとえば、偉大な哲学者や研究者は、哲学の歴史の発展形態をしっかり学修した上で、専門分野の研究に突入したのだ、だからこそ歴史に名を残すような大きな業績を上げることができたのだ、ということが説かれていた。これは、しっかりと研究していって成果を上げるためには、一般論ないし一般性から考えていけるということが前提なのであり、そのためには、哲学の歴史を学修する期間がどうしても必要なのだ、ということであろうと理解した。別の個所では、論理学が成立可能となるためには、古代弁証法の創立課程への長い長い学びが必要なのである旨が説かれていた。ここは、論理学の前提には弁証法と認識論があり、その弁証法と認識論を用いることによって、ようやくにして論理学が成立可能となってくる、というこであろうと理解した。弁証法の学びについても、マラソンの「走る」や柔道の「投げる」、あるいは、看護の「ベッドメイキング」や心理の「カウンセリング」と同様に、「それで合格!」という到達点はなく、無限のくり返しが必要なのであり、それも同じこと同じレベルでのくり返しが大切なのである、と説かれていた。そして、同じことの同じレベルでのくり返しとは何かというと、それは、まずは変化・運動を見てとれるようになること、見てとった事実の性質を変化性・運動性において思惟すること、という基本的・前提的なことを、無限に、飽きることなく、どんなに飽きても、続けていくことなのであり、これこそが弁証法の学びとしては肝要なのだということであった。

 次に、本書のメインの内容である歩くにいたる過程的構造をしっかりと理解できるように、本書の論理展開をきちんと追っていった。本書では、初めに「直立二足歩行」に関して、研究者が直立二足歩行がすべての始まりであり、これがなければ人類の進化はなかった、そして直立が可能となったのは森の樹上生活を経たからこそであると説いていることが紹介されていた。これに対して、一般の研究者の見解は全て結果を説いているだけであり、そこに至る過程がすっぽりと抜け落ちている、という批判がなされ、「では、どうしてサルは森の樹上生活が可能となったのでしょう」(p.46)という問いが立てられていた。これは、常にその前の段階を問うのであるし、そこに至る前提、結果に至る過程を取り上げているのであるから、非常に弁証法的であると感じたのであった。樹上生活の前の四つ足での運動形態については、単細胞としての実力の上に、カイメンとしての実力が上書きされ、さらにその上に、クラゲ、魚類、両生類の実力が上書きされていき、その上に四つ足哺乳類の実力が上書きされ、その上にサルとしての実力が上書きされていく、このような重層構造を持つDNAが人間に内在しているからこそ、その「歴史」の上に、人間としての実力が花開いていくのだ、というようなことが説かれていた。赤ん坊の「這う」ということの過程的構造については、人間の赤ん坊は「這う」という過程的構造かつ構造的過程を持つことで、哺乳類の四つ足としての運動形態のDNAを花開かされていくことになるのだと説かれていた。サルまでの動物は本能によって統括されているので、放っておいてもその動物の運動はきちんとできるが、人間は本能ではなく社会的かつ個性的な認識がその人間を育ててきたのであるから、その長所と短所をしっかり見てとる必要があるとして、短所としては、本能に基づいた動物の身体は育った過程のものが消えて行くことはないが、認識によって創られる人間の身体の動きは、創られた時期の社会関係が薄くなったり、消えていったりすれば、その創られた実体の中身も薄くなり消えていくということが挙げられていた。したがって、一流の運動選手に育つためには、人間的な運動形態の前提となる四つ足的「這う」の過程を、絶対にないがしろにすべきではない、この「這う」過程の何回ものくり返しをどうしても必要とする、ということであった。このくり返しがなければ、身体が歪んでいくのであり、歪みを直したり、予防したりするためにも、四つ足的「這う」に相当する運動、すなわち、いわゆる柔軟体操やヨガ、あるいはジャングルジムでの立体的な動きなどが必要であるということであった。「仰向け」についても、これは自分の自由になってきた手足を連動的に運動させて、自分の意志で全身を運動(移動)させる過程、将来二本足で立って歩き、手を自由に使うための過程であり、人間の「歩く」という運動へと成長発展していく前段階なのだと説かれていた。

 最後に、本書でたびたび読者の感想文が引用されている意義について考察した。引用されている感想文のタイトルを列挙すると、@「『“夢”講義』全三巻(第一〜三巻)から何を学ぶか」、A「「“夢”講義」の学びを障害児教育に」、B「「“夢”講義」の学びを看護に活かすには」、C「「這う」ことで創られる「立つ・歩く」とは」、D「「いのちの歴史」を一般論として「正常発達」とは何かを問う」、E「身体障害者の「仰向け」の運動性の意義」であった。@は“夢”講義』第一〜三巻の体系的構成を概観することによって、全体の流れを自分の頭の中で再構成しようとする試みであり、南郷継正は、前の巻の内容を概括することをくり返しているのであり、それによってさらに構造が深められて論の展開がなされていっていることが指摘されていた。この小論に対して、筆者である南郷継正は「論評者である医学部の先生よりも執筆者である私の方がより多くの勉強をさせられてしまった……との思い、しきりだ」と高い評価を与えていた。Aは障害児教育を専門としている読者からの便りであり、「“夢”講義」で学んだことを自分の専門に応用しようとする試みが紹介されていた。これに対しても、「何よりも立派なのは、自分の専門分野にあてはめながら理解しよう、そして理解した上でもっと専門の分野の向上を図ろうという大きな志の見事さです」などと高く評価されていた。BとCは、ともに「“夢”講義」の連載を読んでの疑問点、よく理解できなかった点が述べられていた。Cでは「這う」について、人間は認識が体を部分的にも使うため、体の歪みが生じるが、そうならないために体全体の運動である「這う」が必要となってくる、認識も一部だけを使うといびつになるので、それを防ぐための認識における「這う」に相当するものが弁証法なのだ、という指摘もあった。DとEは一連のものであったが、Dでは、「仰向け」が「這う」ことの重要な前段階の運動であるという「“夢”講義」での指摘をもとに、「正常発達」の原点である「仰向け・大の字」とは何かが説かれ、その「仰向け・大の字」を一般論として、実際の指導場面で適用していった実践記録が紹介されていた。これに対して、南郷継正が「太陽がどういう存在か説かれていない」「地球がどういう存在か説かれていない」「重力が生命体にとって、いかなる作用をもたらしているかが説かれてない」などという、厳しい忠告を(ゼミの場で?)したとのことであり、それを踏まえて書かれたのがEであった。Eでは、ゼミでの指導を受けて、「仰向け」は重力を徐々に使えるようになっていくスタートであり、両手両足と背骨を一体として、かつ独立させての運動なのではないかという考察がなされていた。このような読者の感想文を引用するのには、3つの意義があると考察した。第一に、読者に以前の内容を復習させ、これから説く予定の内容の前提となることを、くり返しの上にくり返し学ばせるという意義であった。第二に、読者に学び方のモデルを提示するという意味であり、読者からの感想文を引用することによって、「“夢”講義」はこのように学べばいいのだというお手本を提示しているといえるとしておいた。第三に、読者との対話=弁証法の実践であった。これは、読者からの疑問・質問に、南郷継正が答えたり、読者に対して南郷継正が指導し、それに対してまた読者がコメントしたりという形で、旧弁証法=哲学的問答が実践されているのであった。また、南郷継正と読者との相互浸透が図られているという意味でも、弁証法の実践といえるのであった。

 本稿では以上のような内容を説いてきたのであるが、改めて、「過程的構造」という観点からまとめ直しておきたい。連載の第2回と第3回で説いた内容は、ある段階に至る過程的構造であり、ある段階の前提をくり返しの上にくり返すことによって、ようやくにして次の段階へと発展できるということであったし、その具体例としての、歩くに至る過程的構造であった。歩くに至るためには、その前提となる「這う」に相当する運動形態を、くり返しの上にくり返していく必要があったのである。

 そういう意味でいうと、南郷継正のように無常の知性、高度な論理能力を身につけたいと思えば、その前提として、南郷継正の原点を、くり返しの上にもくり返し学んでいく必要があるといえるのであり、連載第1回で触れたように、南郷継正の「僕は、生涯にわたって、とにかく死ぬまで勉強し続けるぞ!」という夢を決定的なものとした『プルターク英雄伝』のような本は、われわれも南郷継正に至る前提として、しっかり学んでいかなければならない、ということがいえるだろう。

 連載第4回で説いた内容も、過程的構造という観点からまとめ直すことができる。すなわち、くり返し読者の感想文を引用することによって、読者にこれまでの内容を振り返る過程を何度も辿らせるということであり、「“夢”講義」の学び方、「“夢”講義」を自分のものにしていくための過程をお手本として提示することであり、さらに、読者との弁証法(哲学的問答)を実践することが大切だということであった。全体としては、論を展開する過程的構造が説かれていたということもいえるだろう。すなわち、われわれが論文を書いていくときにも、読者に対して何度も復習させるような形でその前提を説いていくことが大切であり、学び方の過程をも丁寧に説いていく必要がある、さらに、読者との対話=弁証法を実践しながら説いていくことによって、読者と相互浸透を図り、論理展開を発展させていくことが必要だ、というようなことである。読者との対話=旧弁証法をくり返し実践するということも、実は新弁証法(科学的弁証法)の前提をくり返し学ぶということになるだろう。科学的弁証法は、古代ギリシャの旧弁証法=哲学的問答が発展した段階なのであるから、科学的弁証法を真に実力化するためには、その前提となる旧弁証法の実践を、くり返しの上にくり返す必要があるのである。

 このように過程的構造という観点から本稿をまとめ直してみると、本書では、くり返しということが強調されていたことも分かってくる。つまり、量質転化が強調されていたのである。ある段階へと発展するためには、その前提をくり返して量質転化を図る必要があるし、復習や読者との対話もくり返し行うことによって、量質転化的に論を発展させていくということが説かれていたのである。ここまでくり返す必要があるのか! との思いがする。このくり返し=量質転化こそ、弁証法の要といえるのではないかと思った。

 本書の「あとがき」には、「過程的構造」について、「三浦つとむ著『弁証法はどういう科学か』のレベルの平面性でしかない弁証法を、立体的な構造を内に含んでのものとして大きく発展させたものだ」(p.240)としたうえで、量質転化を例として、その過程的構造が、次のように説かれている。

「では、この量質転化の構造を見てとるように努めると、どうなるのでしょう。

 どういうことなのかといえば、量質転化すなわち量から質への転化には、何程かの過程がきちんと存在していることが分かってくることになります。より具体的には、量を積み重ねていくと、その途上のある時期に、「何か変なことが起きているのではないか」と思えるようなことが生じてくることになるのです。

 ……この過程を論理的に捉えて、量質転化が起きることになりそうだという、すなわち(ここを捉えて)「量質転化・化」との概念が把握できるようになるのです。

 もっと説けば、量質転化の過程には量が量のままの質でありながらも、でもその量が量ではなくなる転機としての量(つまり質的には同じであるものの、やがて違った質へとなりにいく構造を内に含みはじめるもの)が誕生しはじめているのです。これを捉えて量質転化・化と称するのです。そしてこれは、この量としての構造と質としての構造とは全く違った性質を把持している、過程としての構造の実態(中身)が見えてくることになり、この全体の流れを一つのものとして捉えて過程的構造の過程と概念づけるわけです。」(pp.242-243)


 ここでは、量的な変化が質的な変化をもたらすという量質転化について、その過程的構造が、非常に詳細に説かれている。具体的には、「量を積み重ねていくと、その途上のある時期に、「何か変なことが起きているのではないか」と思えるようなことが生じてくる」のであり、「量質転化の過程には量が量のままの質でありながらも、でもその量が量ではなくなる転機としての量(つまり質的には同じであるものの、やがて違った質へとなりにいく構造を内に含みはじめるもの)が誕生しはじめている」のであり、ここを捉えて量質転化・化と概念規定するのだと説かれている。

 量質転化というと、量的な変化が、ポンッと質的な変化をもたらすというようなニュアンスがあるが、その「ポンッと」の部分を、実に詳細に説くのが量質転化の過程的構造であり、量質転化・化であるということだと思う。思えば、本書で説かれていたのは、全てこの量質転化の過程的構造であり、量質転化・化である。ある段階に至る前提をくり返しの上にくり返すというのは、まさに、ポンッと量質転化する瞬間を、コマ送りのように詳細に、説いているといえよう。読者の感想を交えて、徐々に徐々に論を展開していくという説き方も、まさにコマ送り的な説き方であり、これ以上になく丁寧に、次の論への過程を詳細に説いているということを意味しているといえる。

 われわれも論の展開をなすにあたって、あるいは、事物事象の生成発展を問題にするにあたって、このようなコマ送り的な詳細な展開ができるように、しっかりと研鑽していかなければならない。このことを確認して、本稿を閉じたいと思う。

(了)


posted by kyoto.dialectic at 05:00| Comment(2) | 弁証法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
過程的構造・構造的過程、量質転化・化など難しい内容ですが勉強になりました。特に、DNAによる「上書き」というのは過程的構造という感じですね。何かドキドキするものを感じました。「媒介と同時に直接」というのがありますが、その「直接」にあたるものが提示されたような感じです。びっくりです。直接、が示されないと地に足がつかないお化けになってしまうと思っていたので、これで化けずに済んだ、という感じです。
Posted by 無限 at 2017年10月30日 22:50
無限さま

コメント、ありがとうございます。「DNAによる「上書き」というのは過程的構造」「「直接」にあたるものが提示された」というご指摘は、はっとさせられました。

ともかくも『“夢”講義』を読み込んで、なんとか感想を書くことによって、見えてくることともありましたので、残り一巻もしっかり取り組みたいです。
Posted by 寄筆一元 at 2017年10月31日 09:43
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

<講義一覧>

 ・2010年5月例会の報告
 ・2010年6月例会の報告
 ・日本酒を楽しめる店の条件
 ・交響曲の歴史を社会的認識から問う
 ・初心者に説く日本酒を見る視点
 ・『寄席芸人伝』に見る教育論
 ・初学者に説く経済学の歴史の物語
 ・奥村宏『経済学は死んだのか』から考える経済学再生への道
 ・『秘密諜報員ベートーヴェン』から何を学ぶか
 ・時代を拓いた教師を評価する(1)――有田和正氏のユーモア教育の分析
 ・2010年7月例会報告
 ・弁証法から説く消費税増税不可避論の誤り
 ・佐村河内守『交響曲第一番』
 ・観念的二重化への道
 ・このブログの目的とは――毎日更新50日目を迎えて
 ・山登りの効用
 ・21世紀に誕生した真に交響曲の名に値する大交響曲――佐村河内守:交響曲第1番「HIROSHIMA」全曲初演
 ・2010年8月例会報告
 ・各種の日本酒を体系的に説く
 ・「菅・小沢対決」の歴史的な意義を問う
 ・『もしドラ』をいかに読むべきか
 ・現代日本における「国家戦略」の不在を問う
 ・『寄席芸人伝』に学ぶ教師の実力養成の視点
 ・弁証法の学び方の具体を説く
 ・日本歴史の流れにおける荘園の存在意義を問う
 ・わかるとはどういうことか
 ・奥村宏『徹底検証 日本の財界』を手がかりに問う「財界とは何か」
 ・「小沢失脚」謀略を問う
 ・2010年11月例会報告
 ・男前はなぜ得か
 ・平安貴族の政権担当者としての実力を問う
 ・教育学構築につながる教育実践とは
 ・2010年12月例会報告
 ・「法人税5%減税」方針決定の過程的構造を解く
 ・ベートーヴェン「第九」の歴史的位置を問う
 ・年頭言:主体性確立のために「弁証法・認識論」の学びを
 ・法人税減税の必要性を問う
 ・2011年1月例会報告
 ・武士はどのように成立したか
 ・われわれはどのように論文を書いているか
 ・三浦つとむ生誕100年に寄せて
 ・2011年2月例会報告:南郷継正『武道哲学講義U』読書会
 ・TPPは日本に何をもたらすのか
 ・東日本大震災から国家における経済のあり方を問う
 ・『弁証法はどういう科学か』誤植の訂正について
 ・2011年3月例会報告:南郷継正『武道哲学講義V』読書会
 ・新人教師に説く「子ども同士のトラブルにどう対応するか」
 ・三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』誤植一覧
 ・新大学生に説く「大学で何をどう学ぶか」
 ・新大学生に説く「文献・何をいかに読むべきか」
 ・2011年4月例会報告:南郷継正『武道哲学講義W』読書会
 ・三浦つとむ弁証法の歴史的意義を問う
 ・新人教師に説く学級経営の意義と方法
 ・三浦つとむとの出会いにまつわる個人的思い出
 ・横須賀壽子さんにお会いして
 ・続・三浦つとむとの出会いにまつわる個人的思い出
 ・学びにおける目的意識の重要性
 ・ブログ毎日更新1周年を迎えてその意義を問う
 ・2011年5・6月例会報告:南郷継正「武道哲学講義〔X〕」読書会
 ・心理療法における外在化の意義を問う
 ・佐村河内守:交響曲第1番「HIROSHIMA」CD発売
 ・新人教師としての一年間を実践記録で振り返る
 ・2011年7月例会報告:近藤成美「マルクス『国家論』の原点を問う」読書会
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む
 ・2011年8月例会報告:加納哲邦「学的国家論への序章」読書会
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論1三浦つとむの哲学不要論をめぐって
 ・一会員による『学城』第8号の感想
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論2 マルクス『経済学批判』「序言」をめぐって
 ・2011年9月例会報告:加藤幸信論文・村田洋一論文読書会
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論3 マルクス「唯物論的歴史観」なるものの評価について
 ・三浦つとむさん宅を訪問して
 ・TPP―-オバマ大統領の歓心を買うために交渉参加するのか
 ・続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2011年10月例会報告:滋賀地酒の祭典参加
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論4不破哲三氏のエンゲルス批判について
 ・2011年11月例会報告:悠季真理「古代ギリシャの学問とは何か」読書会
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論5ケインズ経済学の歴史的意義について
 ・一会員による『綜合看護』2011年4号の感想
 ・『美味しんぼ』から何を学ぶべきか
 ・2011年12月例会報告:悠季真理「古代ギリシャ哲学、その学び方への招待」読書会
 ・年頭言:「大和魂」創出を志して、2012年に何をなすべきか
 ・消費税はどういう税金か
 ・心理療法におけるリフレーミングとは何か
 ・2012年1月例会報告:悠季真理「古代ギリシャ哲学,その学び方への招待」読書会
 ・バッハ「マタイ受難曲」の構造を解く
 ・2012年2月例会報告:科学史の全体像について
 ・『弁証法はどういう科学か』の要約をどのように行っているか
 ・一会員による『綜合看護』2012年1号の感想
 ・橋下教育基本条例案を問う
 ・吉本隆明さん逝去に寄せて
 ・2012年3月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第1章〜第4章
 ・科学者列伝:古代ギリシャ編
 ・2年目教師としての一年間を実践記録で振り返る
 ・2012年4月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第5章〜第6章
 ・科学者列伝:ヘレニズム・ローマ・イスラム編
 ・簡約版・消費税はどういう税金か
 ・一会員による『新・頭脳の科学(上巻)』の感想
 ・新人教師のもつ若さの意義を説く
 ・2012年5月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第7章
 ・科学者列伝:西欧中世編
 ・アダム・スミス『道徳感情論』を読む
 ・2012年6月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第8章
 ・科学者列伝:近代科学の開始編
 ・ブログ更新2周年にあたって
 ・古代ギリシアにおける学問の誕生を問う
 ・一会員による『綜合看護』2012年2号の感想
 ・クセノフォン『オイコノミコス』を読む
 ・2012年7月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第9章
 ・科学者列伝:17世紀の科学編
 ・一会員による『新・頭脳の科学(下巻)』の感想
 ・消費税増税実施の是非を問う
 ・原田メソッドの教育学的意味を問う
 ・2012年8月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第10章
 ・科学者列伝:18世紀の科学編
 ・一会員による『綜合看護』2012年3号の感想
 ・経済学を誕生させた経済の発展とはどういうものだったのか
 ・2012年9月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第11章
 ・人類の歴史における論理的認識の創出・使用の過程を問う
 ・長縄跳びの取り組み
 ・国家の生成発展の過程を問う――滝村隆一『マルクス主義国家論』から学ぶ
 ・三浦つとむの言語過程説から言語の本質を問う
 ・2012年10月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第11章
 ・科学者列伝:19世紀の自然科学編
 ・古代から17世紀までの科学の歴史――シュテーリヒ『西洋科学史』要約で概観する
 ・2012年11月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第12章前半
 ・2012年12月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第12章後半
 ・科学者列伝:19世紀の精神科学編
 ・年頭言:混迷の時代が求める学問の確立をめざして
 ・科学はどのように発展してきたのか
 ・一会員による『学城』第9号の感想
 ・一会員による『綜合看護』2012年4号の感想
 ・2013年1月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』を読む前提としての世界歴史の全体像
 ・歴史観の歴史を問う
 ・2013年2月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』をどのように読んでいくべきか
 ・『三浦つとむ意志論集』を読む
 ・言語学の構築に向けてどのように研究を進めるのか
 ・一会員による『綜合看護』2013年1号の感想
 ・改訂版・新大学生に説く「大学で何をどう学ぶか」
 ・2013年3月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』序論(前半)を読む
 ・3年目教師としての1年間を実践記録で振り返る
 ・2013年4月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』序論(後半)を読む
 ・新自由主義における「自由」を問う
 ・2013年5月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第一部 東洋の世界(前半)を読む
 ・三浦つとむ「マルクス・レーニン主義に関する本質的な質問」から学ぶ
 ・言語は歴史的にどのように創出されたのか
 ・一会員による『綜合看護』2013年2号の感想
 ・ヒュームの提起した問題にカント、スミスはどのように答えたか
 ・2013年6月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』東洋の世界(後半)を読む
 ・一会員による2013年上半期の振り返り
 ・認知療法における問いの意義を問う
 ・カント歴史哲学へのアダム・スミスの影響を考える
 ・2013年7月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』ギリシアの世界を読む
 ・2013年8月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第三部 ローマの世界を読む
 ・アダム・スミスの哲学体系の全体像を問う
 ・一会員による『綜合看護』2013年3号の感想
 ・初任者に説く学級経営の基本
 ・カウンセリング上達過程における事例検討の意義
 ・文法家列伝:古代ギリシャ編
 ・ヒューム『政治論集』抄訳
 ・2013年9月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第四部 ゲルマンの世界を読む
 ・言語過程説から言語学史を問う
 ・2013年10月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』「第4部 ゲルマンの世界」第2篇を読む
 ・戦後日本の学力論の流れを概観する
 ・一会員による『育児の生理学』の感想
 ・文法家列伝:古代ローマ・中世編
 ・2013年11月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第4部 ゲルマンの世界 第3篇を読む
 ・古代ギリシャ経済の歴史を概観する
 ・2013年12月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』のまとめ
 ・ヘルバルト教育学の全体像を概観する
 ・年頭言:歴史を切り拓く学問の創出を目指して
 ・歴史的な岐路に立つ世界と日本を問う
 ・一会員による『綜合看護』2013年4号の感想
 ・一会員による2013年の振り返りと2014年の展望
 ・ヘーゲル『歴史哲学』を読む
 ・2014年1月例会報告:学問(哲学)の歴史の全体像について
 ・一会員による『学城』第10号の感想
 ・世界歴史の流れを概観する
 ・現代の言語道具説批判――言語規範とは何か
 ・2014年2月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第3〜11章
 ・ヘルバルト『一般教育学』を読む
 ・新大学生へ説く「大学で何をどのように学んでいくべきか」
 ・2014年3月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第12〜14章
 ・三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』学習会を振り返る
 ・『育児の認識学』は三浦認識論をいかに発展させたか――一会員による『育児の認識学』の感想
 ・2014年4月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第15〜19章
 ・4年目教師としての1年間を実践記録で振りかえる
 ・文法家列伝:『ポール・ロワイヤル文法』編
 ・2014年5月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第20〜26章
 ・道徳教育の観点から見る古代ギリシャの教育と教育思想
 ・古代ギリシャの経済思想を問う
 ・半年間の育児を振り返る
 ・2014年6月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第27〜33章
 ・現代の言語道具説批判・補論――「言語道具説批判」に欠けたるものとは
 ・心理士が医学から学ぶこと――一会員による『医学教育 概論(1)』の感想
 ・アダム・スミス「天文学史」を読む
 ・現代の言語道具説批判2――言語道具説とは何か
 ・2014年7月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第34〜38章
 ・道徳教育の観点から見る中世の教育と教育思想
 ・もう一人の自分を育てる心理療法
 ・2014年8月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第39〜40章
 ・アダム・スミス「外部感覚論」を読む
 ・文法家列伝:ジョン・ロック編
 ・一会員による『学城』第11号の感想
 ・夏目漱石を読む@――坊っちゃん、吾輩は猫である、草枕
 ・2014年9月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第41〜43章
 ・ルソーとカントの道徳教育思想を概観する
 ・アダム・スミスは『修辞学・文学講義』で何を論じたか
 ・全てを強烈な目的意識に収斂させる――一会員による『医学教育概論の実践』の感想
 ・2014年10月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第44〜45章
 ・精神障害の弁証法的分類へ向けた試み
 ・シュリーマン『古代への情熱』から何を学ぶか
 ・2014年11月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第46章
 ・一年間の育児を振り返る
 ・近代ドイツにおける教育学の流れを概観する
 ・2014年12月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』のまとめ
 ・年頭言:弁証法・認識論を武器に学問の新たな段階を切り開く
 ・「戦後70年」を迎える日本をどうみるか
 ・哲学の歴史の流れを概観する
 ・『ビリギャル』から何を学ぶべきか
 ・必要な事実を取り出すとは――一会員による『医学教育 概論(2)』の感想
 ・2015年1月例会報告:南郷継正「武道哲学講義X」
 ・夏目漱石を読むA――二百十日、野分、虞美人草、坑夫
 ・アダム・スミスは古代ギリシャ哲学史から何を学んだのか
 ・マインドフルネスを認識論的に説く
 ・道徳思想の歴史を概観する
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部の要約
 ・弁証法的に学ぶとはいかなることか――一会員による『医学教育 概論(3)』の感想
 ・一会員による『学城』第1号の感想
 ・新大学生への訴え
 ・2015年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論A
 ・心理職の国家資格化を問う
 ・5年目教師としての1年間を実践記録で振り返る
 ・文法家列伝:時枝誠記編
 ・2015年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論B、C、東洋哲学
 ・夏目漱石を読むB――三四郎、それから、門
 ・臨床心理学のあるべき姿を考える――一会員による『医学教育 概論(4)』の感想
 ・アダム・スミス「模倣芸術論」を読む
 ・デューイの教育論の歴史的な意義を問う―『学校と社会』を通して
 ・2015年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ギリシア哲学史の序論、イオニア派の哲学、ピュタゴラスとピュタゴラス派
 ・高木彬光『邪馬台国の秘密』を認識論から読み解く
 ・一会員による『学城』第12号の感想
 ・2015年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エレア派〜ヘラクレイトス
 ・何故言語学の創出が必要か―一会員による2015年上半期の振り返り
 ・事実と論理ののぼりおり――一会員による『医学教育 概論(5)』の感想
 ・夏目漱石を読むC――彼岸過迄、行人、こころ
 ・2015年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エムペドクレス〜アナクサゴラス
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(上)
 ・デューイ教育論の歴史的意義を問う―『民主主義と教育』をとおして
 ・2015年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソフィスト派・ソクラテス
 ・アダム・スミス『法学講義』を読む
 ・学問上達論とは何か――一会員による『哲学・論理学研究(1)』の感想
 ・2015年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソクラテス派、プラトン
 ・庄司和晃追悼論文―庄司和晃の歩みはいかなるもので、何を成し遂げたか
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部第4章の要約
 ・一会員による『学城』第2号の感想
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(下)
 ・夏目漱石を読むD――道草、明暗
 ・2015年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』プラトン 弁証法、自然哲学、精神の哲学
 ・ナイチンゲール看護論を心理臨床に活かす――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(1)』の感想
 ・文法家列伝:時枝誠記編(補論)
 ・英語教育改革を問う―『英語化は愚民化』書評―
 ・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
 ・2年間の育児を振り返る
 ・2015年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学)
 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
 ・ケネー『経済表』を読む
 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。