2017年10月27日

過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想(4/5)

(4)読者の感想文を引用する意義

 前回は、本書で説かれている歩くにいたる過程的構造について、アバウトな論理展開を追ってみた。歩くなどの人間としての運動形態の前提となる這うをくり返し行っていかないと、きちんと歩けるようにはならないということを見た。

 今回は、本書でたびたび引用されいている読者の感想文・論文の意義について考察していきたいと思う。

 まず、本書で引用されている読者からの感想文・論文を列挙する。

@「『“夢”講義』全三巻(第一〜三巻)から何を学ぶか」(pp.73-89)
A「「“夢”講義」の学びを障害児教育に」(pp.163-168)
B「「“夢”講義」の学びを看護に活かすには」(pp.172-175)
C「「這う」ことで創られる「立つ・歩く」とは」(pp.176-182)
D「「いのちの歴史」を一般論として「正常発達」とは何かを問う」(pp.219-230)
E「身体障害者の「仰向け」の運動性の意義」(pp.233-238)

 順に、どのような内容か、簡単に紹介していく。

 @は、『“夢”講義』第一〜三巻の体系的構成を概観することによって、全体の流れを自分の頭の中で再構成しようとする試みである。それによって、南郷継正の説く「重層弁証法」の一端が見えてきたと説かれている。この小論の著者は大学医学部の先生とされており、国家論が専門である旨が本文中に触れられているから、近藤成美氏ではないかと推測される。以下、本稿での考察のヒントになる部分を引用する。

「第三巻のプロローグなどでの、南郷継正の概括を見せられると、「えーっ? 第一巻にはそんなことが書かれてあるのか」とギョッとさせられたというのが実情である。」(pp.76-77)


「今回『“夢”講義』が読みとれず四苦八苦しながら、目次と、まえがき、あとがきを何度も何度も読み返した、そこで気づかされたことは、「南郷継正こそは、自身の著書のもっとも熱心な愛読者である」ということだった。というのは、必ず第二巻では第一巻を概括し、さらに第三巻では第一巻と第二巻を概括しなおして、さらに弁証法的・認識論的な実力を、まさに論理的に深める形でまとめた上で、そこをふまえてのさらなる深化された展開がなされていくからである。

 ヘーゲル哲学の説く「対象の構造性を螺旋構造的に深める」とはこういうことか、分かり易くいえば「書く時には持てる力は全てその論で書ききってしまう、その上で次の構造を深めるべく展開していく」とはこのようなことかと、しきりに得心した次第である。」(pp.88)


 ここでは、南郷継正は、前の巻の内容を概括することをくり返しているのであり、それによってさらに構造が深められて論の展開がなされていっていることが指摘されている。確かに、本書でも、第5編第2章の第2節以降で、『“夢”講義』第4巻の体系が概括されているが、まさに「えーっ? そんなことが書かれてあるのか」とギョッとさせられる。

 この小論に対して、筆者である南郷継正は「論評者である医学部の先生よりも執筆者である私の方がより多くの勉強をさせられてしまった……との思い、しきりだ」(p.89)と述べている。非常に高い評価がなされているといっていいだろう。

 次にAについてである。これは、障害児教育を専門としている読者からの便りであり、「“夢”講義」で学んだことを自分の専門に応用しようとする試みが紹介されている。この便りの主は、障害児教育を専門としているのだから、志垣司氏か北嶋淳氏の可能性が高いと思われる。この便りに対しては、「何とも見事なまでに私の「“夢”講義」を(この読者のレベルではあるのですが)読みきって応用しようと努力しているのが、凄いところなのです」(p.162)、「何よりも立派なのは、自分の専門分野にあてはめながら理解しよう、そして理解した上でもっと専門の分野の向上を図ろうという大きな志の見事さです」(p.163)などと評価されている。

 BとCは、ともに「“夢”講義」の連載を読んでの疑問点、よく理解できなかった点が述べられている。Bは、研究室から現場復帰のため病院へと移動となったナースの文章である。さまざまな思いを綴った後、「こう考えると、「這う・立つ」ことの意味を論理的に説くことの難しさに直面してしまいます」(p.174)と書かれている。Cでは、「這う」の一般性としては、いわゆる柔軟運動やヨガが存在しているという指摘を読み、「この部分を読むと「這う」というのは、文字通りの二本の手と二本の足で地面を這うということではなく、体全体をしっかり使えるようにすることを「這う」といわれているのか、そうなると「走る」「歩く」「立つ」も文字通りに考えては駄目なのではないかと頭の中が混乱してきました」(p.178)と認められている。そのうえで、「這う」について考えていることが、次のように説かれている。

「人間の体は全体として一つであるのだ、そう考えると体の使い方も全体として使われるような構造になっているのではないかと思えます。しかしここで動物と人間の違いが出てくることになり、動物は本能で当然のように体全体を使うようになっているが、人間は認識の働きが大きく、その認識が体を全体として使うだけではなく、体全体からはずれる形で部分的にも使うようになり、それが結果として体の歪みとなっていくのだと思えるようになりました。

 ……強烈な「這う」とはその後の強烈な「立つ」「歩く」「走る」体ができるために、体全体を歪みなく創ることであり、歪みなく発展させることであると思うのです。」(p.179)


「また認識を別の面から考えてみると、例えば知識ばかりを詰めこむということは、体の一部を酷使しているのと同様、認識の一部だけを酷使していることになり、体の一部だけを酷使すると体がいびつになるように、認識の一部分だけ酷使すると認識がいびつになってしまうと思います。

 そういった意味からは、体に「這う」が必要なように、認識にも「這う」が必要であり、そして認識にとっての「這う」が弁証法なのではないかと思うこの頃です。」(pp.181-182)


 すなわち、人間は認識が体を部分的にも使うため、体の歪みが生じるが、そうならないために体全体の運動である「這う」が必要となってくる、認識も一部だけを使うといびつになるので、それを防ぐための認識における「這う」に相当するものが弁証法なのだ、ということである。

 このような評論文・感想文に対して、本書では「私の論の展開のためにも読者の皆さんの実力向上のためにも、とてもとても有益かつ大事な内容」(p.182)であると説かれている。

 最後にDとEに関してである。これは、障害児教育を専門とする同じ著者による感想文である。Aと同じく、志垣氏か北嶋氏の手になるものではないか。Dでは、「仰向け」が「這う」ことの重要な前段階の運動であるという「“夢”講義」での指摘をもとに、「正常発達」の原点である「仰向け・大の字」とは何かが説かれ、その「仰向け・大の字」を一般論として、実際の指導場面で適用していった実践記録が紹介されている。脳性まひや二分脊椎の子どもたちに「仰向け・大の字」の姿形をとらせることをやらせると、これまでは難しかった股関節が動かせ、開いていられるようになっていったという。

 これに対して、南郷継正が「太陽がどういう存在か説かれていない」「地球がどういう存在か説かれていない」「重力が生命体にとって、いかなる作用をもたらしているかが説かれてない」などという、厳しい忠告を(ゼミの場で?)したとのことである。これに対して寄せられたのが、Eである。Eでは、たとえば重力の問題については、以下のように説かれている。

「……今回のゼミでは、なぜ「仰向け」での手足の運動が赤ん坊の人間としての発達にとって必然性なのかということについて、それは「重力」を使えるようになるためなのだということを説いていただいたのではないかと考えています。

 つまり「仰向け」とは、通常は日常の運動の中で、もっとも「重力」を感じることなくできる「運動」であり、「重力」から相対的に独立した状態の中で、両手両足と背骨を一体として、かつ独立させての運動だということです。だからこそ、通常はこの「仰向け」から始めていくことによって、赤ん坊は約一年後には身体的に何の無理をかけることなく立って歩けるようになっていくのだと思います。」(p.236)


 ここでは、ゼミでの指導を受けて、「仰向け」は重力を徐々に使えるようになっていくスタートであり、両手両足と背骨を一体として、かつ独立させての運動なのではないかという考察がなされている。

 本書では、DEを引用したのは、自分が説くよりとても分かりやすく、かつ「立つ」「歩く」以前の「這う」「仰向け」の大事な部分がしっかり説かれているからだと説明されている。

 さて、以上のように、本書では6つの読者からの感想文が引用されているわけであるが、これはなぜなのだろうか。読者の感想文を引用する意義とはいかなるものであろうか。これには、3つの意義があると考える。

 まず第一に、読者に以前の内容を復習させるという意味がある。本連載の前々回と前回で説いたように、きちんとした発展(上達)をなすためには、前段階=前提を、くり返しの上にもくり返す必要があった。そこで本書でも、ことあるたびにこれまでの内容を概括する部分があるのだが、それだけではなく、読者からの感想文を引用することによって、これまでの内容を読者に復習させ、今後の論の展開の前提を、くり返しの上にもくり返し学ばせるのである。このように前提をしっかりと理解し、定着させない限り、次の論理展開が理解不能となるからである。

 第二に、読者に学び方のモデルを提示するという意味がある。これは特にAやDにおいて典型的に示されていると思うが、「“夢”講義」にしっかりと学んで、自分の専門領域に適用していくさまが紹介されている。「“夢”講義」というのは、単に読んで「面白かったな」だけでは意味がないのであり、学んだ内容を自分の専門領域に活用していかなければならない。そのような学び方をしない限り、真に理解することはできないのである。読者からの感想文を引用することによって、「“夢”講義」はこのように学べばいいのだというお手本を提示しているということがいえるだろう。

 読者の感想文を引用する第三の意義は、読者との対話=弁証法の実践である。BとCでは、読者からの疑問を紹介しているが、これによって、これまでの論で読者はどこが理解できていないのかを筆者である南郷継正が認識して、そしてその後、その疑問に答えるような論理展開を行なっていく。これは、古代ギリシャの弁証法(旧弁証法=哲学的問答)を実践しているということであろう。Dに対しては、おそらくゼミで直接この感想文の著者に対して指導を行い、それに対して弟子もEを執筆して対話を図っている。これも弁証法の実践の典型例であるといえるだろう。また、@では、「論評者である医学部の先生よりも執筆者である私の方がより多くの勉強をさせられてしまった……との思い、しきりだ」(p.89)とあったように、読者からの感想文によって、筆者である南郷継正の認識が深まっている。これはすなわち、南郷継正と読者との相互浸透であり、この意味でも弁証法の実践といえるだろう。

 以上、今回は、本書で引用されている読者からの感想文を紹介して、その意義を考察した。
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 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言