2017年10月12日

2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他(4/10)

(4)カント『純粋理性批判』原則の体系に対する一般的注その他 要約

 前回は、カントによる観念論への論駁について説かれている部分の要約を紹介しました。そこでは、デカルトの蓋然的観念論とバークリの独断的観念論が取り上げられ、特に前者に関して、デカルトがもはや疑いえないとした内的経験すら、外的経験を前提してのみ可能であることを証明することで、カントはデカルトに反論しているのでした。

 さて今回は、原則の体系に対する一般的注などが説かれている部分の要約を紹介します。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

原則の体系に対する一般的注

 およそ物の可能は、カテゴリーだけから了解できることではない。そのためには我々は必ず直観を持ち合わせていて、これによって純粋悟性概念の客観的実在性を現示しなければならない。これは大いに注意されるべきことである。我々は、直観を欠く限り、カテゴリーによってある対象を実際に考えることができるのかどうか、またカテゴリーにとにかく何らかの対象を対応させることができるのか、知りえないのである。つまりカテゴリーは、それだけでは認識にならないのであって、ただ与えられた直観から認識を形成するための思考形式にすぎない、ということが確認されるのである。それだからカテゴリーだけでは、決して総合的命題をつくり得ないわけである。
 もっと注意すべきことは、我々はカテゴリーによって物の可能を理解し、したがってまたカテゴリーの客観的実在性を明らかにするために直観を必要とするが、しかしこの直観は必ず外的直観でなければならない、ということである。一切の変化は、変化として知覚されるためだけにも、ある常住不変なものを直観において前提しているが、しかし内感には常住不変な直観というものが全く見出されない。相互性のカテゴリーの可能は、理性によるだけでは全く理解されない。我々は、空間における外的直観を欠くと、この概念の客観的実在性を明らかにすることができないのである。実際、2つ以上の実体が存在する場合、一方の実体の実在から他の実体の実在の上に何かある結果を生じさせるという作用が相互的に行われることの可能を、我々はどのようにして考えてみることができるのか。このことは相互性の概念が成立するためには是非とも必要であるが、しかし各自の実体性によってそれぞれ完全に孤立しているような物の間では、とうてい明らかにされ得ない事柄である。だから悟性だけによって考えられるような実体(世界における)に相互性を認めようとしたライプニッツは、こうした実体間の媒介者として神を必要としたのである。しかし我々が、(現象としての実体間の)相互性を空間において、したがってまた外的直観において表象すれば、相互性の可能は極めて容易に理解できるのである。空間は外的な形式関係を、(作用と反作用の、したがってまた相互作用の)実在的関係が可能であるための条件として、すでにア・プリオリに含んでいるからである。
 上述の注記は全て非常に重要である。「観念論に対する論駁」を確証するためばかりでなく、外的な経験的直観の助けをかりずに、単なる内的意識と我々自身の自然的性質の規定とによる自己認識がやがて論究される場合には、こうした認識の可能に対する制限を我々自身に指示するためにいっそう重要なのである。
 するとこの節全体の結果は、結局こういうことになる――純粋悟性の原則はいずれも経験を可能ならしめるア・プリオリな原理にほかならない。そしてア・プリオリな総合的命題もまた全て経験だけに関係する、それどころかこうした総合的命題の可能そのものが、全くこの関係を基礎にしているのである。


判断力の先験的理説(原則の分析論)

第3章 あらゆる対象一般を現象的存在と可想的存在とに区別する根拠について

 我々はいま純粋悟性の国をあまねく巡り歩いて、この国のあらゆる地方を仔細に観察してきたばかりでなく、国中を端から端まで踏査して、この国土に存する一切のものにそれぞれしかるべき位置を規定した。しかしこの国はひとつの島である。そして自然そのものによって一定不変の限界をめぐらされている。この国土は真理の国(いかにも魅惑的な名前だ)であり、波立さわぐ渺茫たる海に囲まれている。そしてこの大洋こそ仮象のまことの棲み処なのである。我々はこの大洋を隈なく捜索して、そこに何ものかを見出す望みがあるかどうかを確かめるために海上へ乗り出そうとしているのであるが、しかしそれに先立ち、いまや立ち去ろうとするこの国の地図に一瞥を与えて、次の問題を考察しておくことは有益であると思う。その第一は、もし我々の定住し得るような土地がこの国以外には全く存在しないとしたら、我々はこの国土にあるところのものをもってとにかく満足できるかどうか、あるいは止むを得ず満足せねばならぬかどうか。第二は、いったい我々はどんな権原があってこの土地を我々自身のものであると主張するのか、また我々に対して提起される一切の敵視的な要求を退けて我々の安全をどうして保ち得るのか、という問題である。
 我々がこれまで知ったことは、悟性が自分自身のうちから得てくる一切のものは、経験から借りてきたのではないにもかかわらず、全く経験的使用のためだけのものであり、それ以外に何ら他意はない、ということである。悟性は、経験的な悟性使用を旨とするので、自分自身の認識の源泉については精しく考えようとしない。それだからなるほど非常に具合よく自分の仕事を運びはするものの、ひとつだけはどうしても自分になし得ないことがある。それは悟性使用の限界をみずから決定し、また何が自分の全領域のうちにあり何がその外にあるかを知るということである。しかし悟性がある種の問題について、それが自分の解決し得る範囲内にあるかどうかを判別できないとすると、悟性は自分の要求と所有とを確保できないわけであって、もし自分の領域の限界をしょっちゅう踏み越え(これは避けられないことである)謬見と虚妄とのなかへ迷い込むならば、しばしば恥ずべき叱正を蒙る覚悟が必要である。
 それだから悟性は、そのア・プリオリな諸原則はもとより、その概念〔カテゴリー〕すらも、全て経験的に使用し得るだけであって、決してこれらの物を先験的に使用することはできない、という命題は、もしこの命題が確認されるなら甚だ重要な結果を生じることになろう。何らかの原則におけるある概念の先験的使用とは、この概念が物一般すなわち物自体に適用されることである。また経験的使用とは、この概念が現象だけに適用されることである。しかし悟性概念に関しては一般に経験的使用だけしかあり得ないことは、次の事情から明白である。およそ概念に必要なものは、第一に概念(思惟)一般の論理的形式であり、第二には、その概念の適用される対象が概念に与えられ得るということである。こうした対象を欠く概念は、たとえ何らかの与えられたものから概念を構成するという論理的形式をなお含んでいるにしても、何の意味をももたないし、また全く内容がないことになる。ところで概念には、直観においてしかその対象が与えられ得ない。また純粋直観は、対象よりも前にア・プリオリに可能であるが、しかしこの純粋直観そのものすら、その対象と従ってまた客観的実在性とをもち得るのは、経験的直観によるよりほかない。純粋直観は経験的直観の単なる形式にすぎないのである。それだから悟性の概念と、またそれとともに悟性の原則とは、いずれもア・プリオリに可能であるにせよ、全て経験的直観に関係する。換言すれば、可能的経験を形成するための所与に関係するのである。


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 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言
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