前回は、抱っこしながらの散歩について取り上げた。それを毎日行う意味について、実体面と認識面の2つに分けて確認した。今回は、ハイハイ(ずりばい)を促すために行った働きかけについて紹介したいと思う。
そもそもハイハイをする意義について確認しておこう。ハイハイについては、世間では様々な見解がある。ハイハイをしないままつかまり立ちをするようになってもよいという見解もある。そうした見解に対して、瀬江先生は次のように批判しておられる。
「『なぜそこまでハイハイにこだわるのですか。人間の基本的運動形態は、二足で立って、歩き、両手を自由に使うことなのですから、ハイハイしなくても、立てるようになればいいのではないですか』と思うかもしれません。
しかし、残念ながらそれは誤りです。なぜならば、ハイハイという過程を経ないで歩くようになると、人間としては、大きな欠陥をはらんだままの発達をしてしまうからです。それは、いったい何でしょうか。これには大きく二つあります。
一つは、一番大事な時期に、前腕から上腕そして肩にかけての上肢の力がつかないままに、歩いてしまうことになるということです。(中略)唯一、上肢を力強く鍛える過程であるハイハイを経ないで歩行へと進んでしまうことは、人間としての運動形態に、大きな欠陥をはらんでしまうことになるのです。
次に、ハイハイを経ないままに歩いてしまうことの欠陥の二つ目は、一つ目よりもさらに重大なことです。それは何かといえば、ハイハイによる赤ん坊の脳の発達の可能性を、欠落させてしまうということです。
なぜならば、自らの力で動くことがまったくできずに生まれてきた赤ん坊が、地球の重力に逆らって、自らの体を移動させようとするけれど移動できない、移動させようとするけれど移動できない、を繰り返し、ようやく移動できるようになる過程は、人間としての脳の実力をすさまじくつけることになるからです。」(瀬江千史「看護の生理学(45)−運動器官第10回−」『綜合看護』(2013年1号)所収)
つまり、ハイハイをすることによって上肢を鍛えることができるのであり、またハイハイができるようになる過程(=自らの体を移動させようとするけれど移動できない、移動させようとするけれど移動できない、を繰り返し、ようやく移動できるようになる過程)が人間としての脳の実力をすさまじくつけることになるのだということである。
こうしたことを学んでいたので、とにかくハイハイはしっかりとさせたいと考えていた。およそ7か月の頃には、うつぶせになって、目の前にあるおもちゃに手を伸ばす姿が見られるようになったので、ハイハイを促すための働きかけを行うことにした。
上の瀬江先生の論文では10か月検診でまだハイハイができない子どもの事例が取り上げられており、母親に生活状況をたずねてみると「自らハイハイしなくてもよい環境があった」として、次のように書かれていた。
「例えば、母親が見えなくなって泣けば、すぐに同居の祖母がとんできて抱っこをする、近くにあるオモチャを取りたくて泣けば、すぐに母親や祖母が取ってくれる・・・ということで、自ら大変なハイハイをしなくても、泣くだけで自分の目的が達成されてしまう状況にあった、ということです。」
これを読んで、「なるほど、近くにおもちゃを置いて、多少泣いても放っておくのが大事なんだな」と思い、実践することにした。やってみると、叫び声をあげたり、必死で手を伸ばしたり、足で床を蹴っておしりを上げたりするが、進むことはできず、泣きじゃくる姿が見られた。
その様子を見ていて、何か取り組みとして間違っているのではないかという思いを抱くようになった。もう無理だなと思ったときに「よくがんばったね。次もがんばろうね」とか言いながら抱っこしてなぐさめるのだが、何となく「これではだめなのではないか」という思いがあった。泣いた状態で終わるというのが、あまりいいとは思えなかったのである。
そこで、我々の研究会の指導者に相談することにした。すると、ずりばいができるためには、土台としての実力が必要だと説いていただいた。例えば、おもちゃがとれなくて叫び声を上げたりするのだが、これは要するに頭の中で思い描いている像(=おもちゃをとって遊んでいる像)と現実を一致させられないことに対する苛立ちの表現として見ることができる、そういう像を描けることがずりばいを行うための土台として必要になる、ということであった。そうやって像が先行して、その像を実現させようとする過程で実体の力がついていくのだと説いていただいた。
さらに具体的な取り組みとして、最後にはおもちゃをとれるようにしてやることが大事だということであった。そうすることで(錯覚ではあるものの)「がんばったらおもちゃがとれた」という成功体験をさせることになり、「次もがんばろう」という認識を育てることになるのだ、ということであった。
これを聞いたとき、とても納得することができた。とりわけ最後には取れるようにすることが大事だという話は、自分が感じていた疑問を見事に解消するものであった。それ以後、必死でとろうとがんばる姿を見せたら、頃合いを見計らっておもちゃを子どもの方に寄せて、取れるようにしてやった。そして、「おもちゃに届いたね〜、よくがんばったね〜」などと言いながら、抱っこしたりするようにした。
これを2週間ほど続け、取ろうとする意欲が高まっていることは感じられた。例えば、おもちゃを触ろうと必死で手を伸ばすあまり、ごろんと体ごと回転してしまうこともあった。しかし、なかなかずりばいができるようにはならなかった。
私の家では床にカーペットをひいているのだが、カーペットは摩擦が強いから進みにくいのだろうと思った。これがつるつるの板で、しかも傾斜がついていれば、ずりばいができるようになるのではないかと考えた。
さっそくホームセンターで木材(パネコート)900mm×1800mmを購入し、700mm×1600mmにカットしてもらった。また、端材で700mm×100mmを6つ作ってもらい、傾斜をつけるための土台とした。こうすれば、土台の板を1つずつ外せば、少しずつ傾斜が緩やかになる。

この上に乗せて、少し距離のあるところにオモチャをおいたところ、すぐさまずりばいができた。両手を広げて地面につき、腕の力で体を前に引き寄せたり、足で蹴って体を前に推し進めたりしながら、そのオモチャに向かって移動する姿が見られたのである。
当初は近い距離におもちゃを置かないとずりばいをしなかった。そこで、近づいて少し遊んでは、また少し離れたところにおもちゃを置き、そこに近づいて少し遊んでは、また離れたところにおもちゃを置き・・・ということを繰り返して、板の端から端までずりばいをさせるようにした。これをやっているうちに、最初から板の端におもちゃをおいても、そこに向かってずりばいをするようになった。ずりばいを繰り返す中で、それだけの距離を移動できるだけの実体の実力と、「あそこまでならいける」という認識が形成されたのだと言えるだろう。
その後は傾斜を緩やかにしていき、やがて普通のフローリングでもずりばいができるようになった。さらに、しばらくすると、最初はできなかった摩擦の強いカーペットの上でもずりばいができるようになった。
この段階ではちょっと移動しては止まり、ちょっと移動しては止まり・・・という状態だったが、現在は休みなくあちこちに移動していくし、促せば4mぐらいずりばいができるようになっている。こちらの働きかけ次第で大きく成長するのだということを実感した出来事であった。
>…頭の中で思い描いている像(=おもちゃをとって遊んでいる像)と現実を一致させられないことに対する苛立ちの表現として見ることができる、そういう像を描けることがずりばいを行うための土台として必要になる…
>…さらに具体的な取り組みとして、最後にはおもちゃをとれるようにしてやることが大事だということであった。…
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目から鱗…です。
ありがとうございます。